心のゆくところ(一幕)

THE LAND OF HEART'S DESIRE

ウイリヤム・バトラ・イエーツ

松村みね子訳




[#ページの左右中央]




マアチン・ブルイン  
ブリヂット・ブルイン 
ショオン・ブルイン  マアチンの子
メリイ・ブルイン   ショオンの妻
神父ハアト
フェヤリイの子供

遠いむかし
アイルランド、スリゴの地、キルマックオエンの領内にあったこと


[#改ページ]



部屋の右の方に深い凹間がある、凹間の真中に炉。凹間には腰掛とテイブルあり、壁に十字架像がある。炉の火の光で凹間の中が明るい。左手に戸口、戸があいている、その左に腰掛。戸口から森が見える。よるではあるが、月かあるいは夕日の消え残ったうすあかりか樹々のあいだにほのかなひかりがあって、見る人の眼をとおくのぼんやりした不思議な世界にみちびく。マアチンとショオンとブリヂットの三人が凹間のテイブルの側や火の側に腰かけている。古いむかしの服装。その側に神父ハアト腰かけている。僧服をつけて。テイブルの上に食物と酒。
 若き妻メリイ戸のそばに立って本を読んでいる。彼女が本から眼をあげて見れば戸口から森の中まで見えるのである。
[#改ページ]
ブリヂット
夕食の支度に鍋を洗えといいますと
屋根うらからあんな古い本を出して来ました
それから読みつづけております。
神父様、彼女あれをほかの人たちのように働かせましたら
どんなに苦しがったり泣いたりいたしましょう
わたしのように夜明から起きて縫いものをしたり掃除をしたり
また、あなたのように尊いお器と聖いパンをお持ちになって
あらい夜も馬でお歩きになる、そのようにしろといいましたら
ショオン
お母さん、あなたはやかまし過ぎる
ブリヂット
お前は夫婦だから
彼女あれの気に逆うまいと思って、彼女あれの味方ばかりする
マアチン (神父ハアトに[#「ハアトに」は底本では「ハトアに」]向って)
若いものが若い者の味方をするのは当前で
彼女あれは時々わたしの家内と喧嘩もやります
今はあのとおり古い本に夢中になっていますが
しかしあまりお叱り下さるな、彼女あれもいまに
木に生えたやぶだまのように静かになりましょう
新婚の夜の月が夜明になりやがて消えて
それを十遍もくり返しているうちには
ハアト
彼等の心は荒い
鳥どもの心と同じように、子供が生れるまでは
ブリヂット
薬缶の湯を入れるでもなし、牛の乳をしぼるではなし
食事の支度の切れをかけたりナイフを並べることもしません
ショオン
お母さん、もし――
マアチン
これには半分しか酒がないよ、ショオン、
行って家にある一ばん良い酒の壜を持って来てくれ
ハアト
いままで彼女あれが本を読んでるのを見たことはなかったが
何の本だろう
マアチン (ショオンに)
何を待っているのだ
口をあけるとき壜を振ってはいけない
大切な酒だ、気をつけておくれ(ショオン行く)
(神父に向って)
オクリスの岬でスペイン人が難船したことがありました
わたしの若い時のことですが、まだその時の酒が残っています
倅は彼女あれの悪くいわれるのを聞いていられないと見えます。あの本は
この五十年来、屋根うらに置いてあったのです
わたしの父の話では祖父じじいがそれを書いたのだそうで
牡犢を殺してその皮で本のおもてを拵えたのだそうです――
夕食の支度が出来ました、食べながらお話しましょう
祖父じじいはあの本のために何もよい事は来なかったようです
家のなかは、旅の胡弓ひきや
旅の唄うたいの人たちでいっぱいになりました
そこにあなたの前に焼パンがあります。
むすめや、どんな不思議な事がその本にあるのだい
パンがつめたくなるまで夢中で読んでいるほどの? もしわたしや
わたしのおやじがそんな本を読んだり書いたりしていたらば
わたしが死んだあと、黄ろい金貨かねのいっぱい詰まった靴足袋を
ショオンやお前に残してやることは出来なかったろう
ハアト
ばからしい夢を頭に入れてはいけないよ
何を読んでいるのだい
メリイ
王女イデーンという
アイルランドの王のむすめが、きょうと同じ
五月祭の前の夜、誰かのうたってる歌の声をききました
王女は覚めてるような眠ってるような気持でその声を追って
フェヤリイの国に行きました
その国はだれも年とったりしかつめらしくなったり真面目になったりしない
だれも年とったりずるくなり賢くなったりしない
だれも年とったり口やかましくなったりしない国なのです
王女はまだ今でもそこにいていつも踊っているそうです
森の露ふかい蔭や
星の歩く山のいただきで
マアチン
その本を捨てるようにむすめにおっしゃって下さい
わたしの祖父じじいはちょうど同じような事をいっていました
それで犬や馬を見分ける眼も持たず
どんななまけ者の若い衆のお世辞にものせられました
あなたのお考えをあれにおっしゃって下さい
ハアト
むすめよ、その本は捨てておしまい
神はわれわれの上に天を大きな翼のようにお拡げなされ
生きて暮してゆく日の小さなくりかえしをお与え下さる
そこに、堕された天使つかいたちが来て罠をかけて
愉快な希望や真実らしい夢で人を釣るのだ
釣られた者の心は誇りにふくらんで
おそれたり喜んだりして神の平和から離れて行く
それは堕されて、涙に目のくもった天使つかいたちの一人であったろう
そのイデーンの心に楽しい言葉でとり入ったのは
むすめよ、わしは心の落ちつかない苛々した
娘たちを見たこともあるが、年つきが過ぎて
かれらも隣近所の人たちと同じようになり、よろこんで
子供たちの世話をしたりバタを拵えたり
婚礼や通夜の噂ばなしをするようになってしまった
人のいのちは夢の赤い輝きから出て
平凡な月日の平凡なひかりの中にはいってゆくのだ
老年がふたたびその赤い輝きを持って来てくれるまで
マアチン
それは本当です――しかしそれが本当だとは、彼女あれのような若いものには分かりません
ブリヂット
遊んだりなまけたりしているのが
悪いということぐらいは分かる年齢としです
マアチン
わたしは彼女あれをとがめはしません
倅が畑に出ていると彼女あれはぼんやりしているようです
それと、あるいは家内の口小言に追われて
彼女あれは自分の夢のなかに隠れるようになったのでしょう
子供たちが夜具の中に暗黒くらさから隠れるように
ブリヂット
彼女あれは何一つしやしませんわたしが黙っていたらば
マアチン
こういう五月祭の前の夜、フェヤリイの世界の人たちのことを
考えるのは自然かも知れない。それはそうと、むすめよ
祝福いわい山櫨子さんざしの枝があるか
家のなかに幸運が来るようにと
女のひとたちが入口の柱にかける山櫨子の枝は
五月祭の前夜の日がくれては
フェヤリイは新しくよめいりした花嫁でも盗みに来るかも知れない
炉辺で年寄の女たちの話すことは
うそばかりでもあるまいから
ハアト
それは本当のことかも知れない
神がなにかの不思議な目的のために
魔の霊どもにどれだけの力をお許しおきなさるかは
我等には分らない。それがよろしい(メリイに)
むかしからの罪のない習慣は守る方がよろしい
(メリイ・ブルイン山櫨子の枝を腰掛から取り上げて入口の柱の釘にかける。見なれない服装の、不思議なみどり色の衣を着た女の子が森から来てその枝を取る)
メリイ
あの枝を釘にかけるが早く
子供が風のなかから駈けて来て
枝を取っていじっています
夜明の前の水のように青い顔をした子供です
ハアト
どこの子供だろう
マアチン
何処の子でもないでしょう
彼女あれは時々たれかが通ったように思うのです
風がひと吹き吹いただけでも
メリイ
祝福いわいの山櫨子の枝を取って行ってしまったから
ここのうちには幸運さいわいは来ないかもしれない
でもわたしはあの人たちに親切にしてやって嬉しい
あの人たちも、やっぱり、神の子供たちでしょう
ハアト
むすめよ、彼等は悪魔の子供たちだよ
彼等は最後の日まで力を持っている
最後の日に神は彼等と大なる戦いをなされて
彼等をこなごなにお砕きなさるだろう
メリイ
神は微笑ほほえみなさるかも知れません
ハアト
そして神父様、神は天の戸を開けておやりになるかも知れません
悪の天使つかいたちはその戸を見るだけで
無限の平和に打れて亡びるだろう
その天使つかいたちがわれわれの戸を叩く時
いでて彼等と共に行くものはおなじ暴風の中も彼等と共に行かなければならぬ
(瘠せて[#「(瘠せて」は底本では「瘠せて」]老人じみた手が柱のかげから出て叩いたり手招きしたりする。それが銀いろの光にはっきり見える。メリイ・ブルイン戸口に行きその光の中に暫らく立っている。マアチン・ブルインは神父の皿に何か盛るのに忙しい。ブリヂット・ブルイン火をいじる)
メリイ  (テイブルの方に来る)
だれか外にいてわたしを手招きしています
杯でも持ってるように手をあげて
飲む手つきをします、きっと
何か飲みたいのでしょう
(テイブルから乳を取って戸口に持ってゆく)
ハアト
何処の子でもあるまいとお前がいったその子供だろう
ブリヂット
それでも神父様、この人のいうことは本当かも知れません
一年のうちに二度とはございません
今夜のように悪い晩は
マアチン
何も悪いことが来る筈はない
神父様がうちの屋根の下にいて下さるあいだは
メリイ
みどり色の着物を着た小さい奇妙な年寄の女です
ブリヂット
フェヤリイの人たちも乳と火を貰いに歩くといいます
五月祭の前夜よみやには――それをやった家は災難です
一年のあいだその家はフェヤリイの力の下にあるといいます
マアチン
黙って、黙っていなさい
ブリヂット
彼女あれは乳をやってしまった
わたしは彼女あれがこの家に悪いことを持って来るだろうと思っていた
マアチン
どんな人だった
メリイ
言葉も顔つきもかわっていました
マアチン
前の週にクロオバア・ヒルに外国の人たちが来たそうだ
その女はその人たちの一人かもしれない
ブリヂット
わたしは恐ろしい
ハアト
十字架があすこにかかっているあいだは
どんなわざわいもここの家には来ない
マアチン
むすめよ、ここに来てわたしの側におかけ
物たりなさの夢は忘れてくれ
わたしはお前に自分の老年を明るくしてもらいたいのだ
その泥炭すみの燃えてるように明るく。わたしが死ねば
お前はこの辺いちばんの金持になれる、むすめよ
わたしは黄ろい金貨のいっぱい詰まった靴足袋を
誰も見つけ出せないところに隠して持っているのだよ
ブリヂット
お前は綺麗な顔には直ぐだまされる
わたしは物惜しみをしたりけちにしなければならないのか、倅のよめが
いろいろなリボンを頭につけるために
マアチン
腹を立てるな、彼女あれはまったくいい娘だ
バタはあなたのお手の側に、神父様
むすめよ、運も時もかわり
わたしとそこにいるブリヂット婆さんのためにはうまく行ったと思わないか
わたしらはよい田地の百エーカアも持っている
そして火のそばに並んで腰かけている
ありがたい神父さまを自分の友だちにし
お前の顔を見、倅の顔も見ていられる――
あれの皿をお前の皿の側に置いたよ――そら、あれが来た
そしてわれわれがたった一つ不足にしていたものを持って来てくれた
好い酒をたくさん (ショオン登場)火を掻き立ててくれ
燃え上がるように新しい泥炭すみを入れて
火からうず巻いてのぼる泥炭すみの煙をながめ
心に満足と智慧を感じる
これが人生の幸福だ、われわれ若いときは
前にだれも蹈んだことのない道を蹈んで見たがるものだ
しかし尊い古い道を愛のなかから
子を思う心の中から見つけ出す、そしてその道を行くのだ
運と時とかわりとにさよならを言うときまで
(メリイ炉から泥炭の一塊を取り戸口から外に出る、ショオン彼女の後に行き、内にはいって来る彼女と会う)
ショオン
あのうすら寒い森に何しに行ったのだ
樹の幹と幹のあいだに光がある
身ぶるいがするような光が
メリイ
小さな変な年よりが
わたしに手真似をして火が欲しいというんです
煙草を吸うために
ブリヂット
お前は乳と火をやったね
一年じゅうのいちばん悪い晩に、そしてきっと
この悪に家い[#「この悪に家い」はママ]ことを来させるのだろう
結婚前にはお前はなまけもので上品で
頭にリボンをつけて歩き※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)っていた
そして今――いいえ、神父様、いわせて下さいまし
これは誰の女房にもなれる人ではないんです
ショオン
静かにしないか、お母さん
マアチン
お前は気むずかし過ぎるよ
メリイ
わたしは構いはしません、もしこの家を
一日じゅうにがい言葉ばかり聞かせられる
この家をフェヤリイの力に陥しいれたところで
ブリヂット
お前もよく知ってる筈だ
あの人たちの名を呼び
あの人たちの噂をするだけでも
その家にいろいろな災難の来るということは
メリイ
おいで、フェヤリイよ、このつまらない家からわたしを連れ出しておくれ
わたしの失くしたすっかりの自由をまた持たせておくれ
働きたい時にはたらき遊びたい時に遊ぶ自由を
フェヤリイよ、来てわたしをこのつまらない世界から連れ出しておくれ
わたしはお前たちと一緒に風の上に乗って行きたい
みだれ散る波のうえを駈けあるき
火焔のように山の上でおどりたい
ハアト
お前は自分の言葉の意味が分らないのだ
メリイ
神父様、わたしは四つの言葉にあきあきしました
あんまりこすいあんまり賢い言葉と
あんまりありがたいあんまり真面目すぎる言葉と
海の潮よりもっとにがい言葉と
ねぶたい愛に充ちた、ねぶたい愛とわたしの牢屋の話ばかりする
親切な言葉に、あきあきしました
(ショオン彼女を戸口の左の席につれてゆく)
ショオン
わたしのことを怒らないでおくれ、わたしはたびたび夜中に目をさましていて
お前の美しい頭をかき乱すいろいろな事を考えて見る
うつくしいね――雲みたいにぼやけた髪の毛の下の
ひろい真白なお前の額は
わたしの側におすわり――あの人たちは年をとりすぎているのだ
一度は自分たちも若かったということを忘れている
メリイ
ああ、あなたはこの家の大きな門柱です
そしてわたしは祝福いわいの山櫨子の枝
もし出来ることならわたしは自分をあの柱の上にかけて
この家に幸運を来させたいとおもいます
(腕をショオンの身にかけようとして恥かしそうに神父の方を見て、力なく手を垂れる)
ハアト
むすめよ、その手を持っておやり――ただ愛によって
神は我々を神と家とに結んで下さる
神の平和の届かない荒野の
狂わしい自由と目もくるめく光からわれわれを隔てて下さる
ショオン
この世界がわたしの物であったら、世界もお前にやりたい
静かな炉辺ばかりでなく、その上に
光と自由のすべてのまぶしさも
もしお前が欲しければ、お前にやりたい
メリイ
わたしは世界を持って
それをわたしの両手でこなごなに砕いて
そのくずれて行くのを眺めてあなたが微笑わらうのを見たい
ショオン
そしたら、わたしは火と露との新しい世界を造りたい
にがい心のものも真面目なものも賢すぎるものもない
お前の邪魔をする醜いものも年とったものもいない世界を
そして空の静かな歓喜よろこびに蝋燭を立てつづけて
お前のさびしい顔を照らして見たい
メリイ
あなたのお眼があれば、わたしにはほかの蝋燭は入りません
ショオン
前には、日の線のなかに飛ぶ羽虫も
あかつきの中から吹く微風も
お前の心をだれも知らない夢で充すことが出来た
しかし今は、解きがたい聖い誓いが
気高くつめたいお前の心を永久に
わたしの温い心と交ぜてしまった。日も月も
消えて天が巻物のように巻き去られるときも
お前の白い霊はやっぱりわたしの霊のそばに歩いて行くだろう
(森の中にうたう声する)
マアチン
だれか歌っているようだ。子供のようだ
「さびしい心の人が枯れる」とうたっている
子供がうたうには不思議な歌だ、だが好い声でうたっている
お聞き、お聞き
(戸口に行く)
メリイ
どうかわたしをしっかり抑えていて下さい
今夜わたしは悪いことを言いましたから
声   (うたう)
日の門から風がふく
さびしい心の人に風が吹く
さびしい心の人が枯れる
そのときどこかでフェヤリイがおどる
しろい足を輪に踏み
しろい手を空に振って
老人もうつくしく
かしこいものもたのしく物いう国があると
わらいささやきうたう風をフェヤリイはきく
クラネの蘆がいう
風がわらいささやきうたう時
さびしいこころの人が枯れる
マアチン
自分が幸福だから、わたしはほかの人も幸福にしてやりたい
あの子をそとの寒いとこから内に入れよう
(フェヤリイの子を内に連れて来る)
子供
風と水と青い光に、あたしあきあきしました
マアチン
それももっともだ、夜が来れば
森はさむくて路も分からない
ここにいるがいいよ
子供
ここにいます
あたしがこの温かい小さい家に倦きる時分には
ここに一人出てゆく人がありますよ
マアチン
あの夢のような不思議な話を聞いてやれ
さむくはないかい
子供
あたしあなたの側でやすみましょう
今夜とおい遠い路を駈けて来たの
ブリヂット
お前は美しい子だね
マアチン
お前の髪は濡れている
ブリヂット
お前の冷たい足を温ためて上げよう
マアチン
お前はほんとうに遠い
遠いとこから来たのだろう――お前の美しい顔を
わたしは前に見たことがない――疲れてひもじいだろう
ここにパンと葡萄酒があるよ
子供
おばあさん、何かあまい物はないの
葡萄酒はにがいわ
ブリヂット
蜂蜜がある
(ブリヂットとなりの部屋にゆく)
マアチン
お前は機嫌をとるのがうまいな
お婆さんは機嫌がわるかったよ、お前が来るまで
(ブリヂット蜂蜜を持って戻って来て茶椀に乳を充たす)
ブリヂット
いい家の子供だろう、ごらん
この白い手と綺麗な着物を
わたしは新しい乳をお前に持って来て上げたよ、だがすこしお待ち
火にかけてあたためて上げよう
わたしたち貧乏人にはおいしい物でも
お前のようないい家の子供には気に入るまい
子供
夜明から起きて、火を吹きおこして
お前は手の指の折れるまで働くのね、お婆さん
若い人たちは床にいて夢を見たり希望を持ったりできるけれど
お前は指の折れるまで働くのね
お前の心が年をとっているから
ブリヂット
若いものはなまけものだよ
子供
おじいさん、お前は年の功で利口ねえ
若いものは夢や希望のために溜息をつくけれど
お前は利口ね、お前の心が年をとっているから
(ブリヂット彼女にもっとパンと蜜を与える)
マアチン
珍らしいことだな、こんな若いむすめが
年よりや智慧者を大事がるのは
子供
もう沢山よ、おばあさん
マアチン
ぽっちりしか食べないな! 乳が出来た
(乳を彼女に渡す)
ぽっちりしか飲まないね
子供
靴をはかせて頂戴、おばあさん
あたし食べたから今度は踊りたいの
クラネの湖のそばで蘆も踊っているのよ
蘆も白い波も踊りつかれて眠ってしまうまで
あたしも踊っていたい
(ブリヂット靴をはかせる。子供は踊ろうとして不意に十字架像を見つける。叫んで眼を覆う)
あの黒い十字架の上のいやなものは何
ハアト
お前はたいへん悪いことを言ってるんだよ
あれはわれわれのおん主なのだ
子供
あれを隠して頂戴
ブリヂット
わたしは又怖くなって来た
子供
隠して頂戴
マアチン
それは悪いことだ
ブリヂット
神様を汚すことだよ
子供
あの苦しがってるもの
あれを隠して頂戴
マアチン
この子に教えない親がいけないのだ
ハアト
あれは神の子のお姿だ
子供  (神父にすがりつき)
隠して頂戴、隠して頂戴
マアチン
いけない、いけない
ハアト
お前はそんなに小さくて木の葉のそよぎにも
おどろく鳥のようなものだから
わしはあれを取り下ろしてあげよう
子供
隠して頂戴
見えないような思い出せないようなところに隠して頂戴
(神父ハアト壁から十字架像を取り奥の部屋に持ってゆこうとする)
ハアト
お前もこの土地に来たからには
ありがたい教の道にわしが導いて上げる
お前はそんなに賢いのだからすぐに覚えてしまう (他の人たちに向って)
すべてつぼみのような若いものに対してわれわれは優しくしなければならない
神はカルバリイの悲しみのために
あかつきの星どもの最初はじめての歌をさまたげはなさらなかった
(奥の部屋に十字架を持ってゆく)
子供
ここは平だから踊るのにいい。あたし踊りましょう
(うたう)
日の門から風が吹く
風がさびしい心の人に吹く
さびしい心の人が枯れる
(子供おどる)
メリイ  (ショオンに)
今あの子がそばに来た時、ゆかのうえに
ほかの小さい足音がひびくのを聞いたと思います
そして風の中にかすかに音楽が流れて
眼に見えない笛があの子の足に調子をつけてるように思いました
ショオン
わたしにはあの子の足音だけしか聞えない
メリイ
いま聞えます
聖くない霊がここの家のなかで踊っているのです
マアチン
ここへおいで、もしお前がわたしに
神さまのことで勿体ないことをいわないと約束すれば
お前に好いものを上げるよ
子供
ここまで持ってらっしゃいよ、おじいさん
マアチン
倅の嫁にと思ってわたしが町から買って来た
リボンがある――彼女あれもこれをお前に上げるのを承知するだろう
風が散らばしたその乱れた髪を結ぶのに
子供
あのねえ、あなたはあたしが好き
マアチン
うん、わたしはお前が好きだ
子供
ああ、それでもあなたはこの火の側が好きでしょう。あなたはあたしが好き
ハアト
神がこれほどたくさんに
御自分の無限の若さをお分けなされた一人のひとを
見ることは愛することだ
子供
それでも、あなたは神様も好き
ブリヂット
神を涜している
子供
それから、あなたも、あたしが好き
メリイ
わたしは知らない
子供
あなたはあすこにいるあの若い人が好きなのでしょう
それでも、あたしはあなたを風に乗らせたり
散る波の上を駈けさせたり
火焔のように山の上で踊らせて上げることも出来るのに
メリイ
天使たちと優しい聖者たちの女王さまお守り下さい
何か恐ろしい事が起りそうだ。先刻さっき
あの子は山櫨子の枝を持って行ってしまった
ハアト
お前はあの子のわけの分らない話を怖がっている
あれよりほかに知らないのだよ。小さい人、お前はいくつだい
子供
冬の眠が来る時分はあたしの髪が薄くなって
足もよろよろになるの。木の葉が目をさます時分は
あたしの母が金いろの腕にあたしを抱いてくれますよ
あたしは直きに大人になって結婚します
森や水の霊と。でも誰にも分らないわ
あたしが始めて生れて来た時のことは。あたしは
バリゴオレイの山で眼をまばたきしまばたきしている
あの雄鷲よりもよっぽど年よりらしいの
月の下であの鷲がいちばんの年よりだけれど
ハアト
おお、フェヤリイの仲間か
子供
呼んだ人がいるの
あたしは乳と火を貰いに使をよこすと
また呼ばれたから、来ましたよ
(ショオンとメリイのほかは保護されようとして神父の後に集まる)
ショオン (立つ)
お前はここにいるみんなを従わせたが
まだわたしの眼を惑わして、お前に力を与えるような
物にしろ願望のぞみにしろわたしから取ったものはない
わたしがお前をこの家から追い出そう
ハアト
いや、わしが向って見よう
子供
あなたがあの十字架像を取ってしまったから
あたしは強い、あたしが許さなければ
あたしの足が踊ったところ、あたしの指さきの動いたところを
だれも通ることは出来ない
(ショオン彼女に近づこうとして、進むことが出来ない)
マアチン
見ろ、見ろ
何かあれを止めるものがある――そら、手を動かしている
まるでガラスの壁にでもこすりつけているように
ハアト
わしはこの力づよい霊に一人で向おう
おそれなさるな、「父」はわれわれと共にいて下さる
聖なる殉教者たち。罪なき幼児たちも
また甲鎧をつけてひざまずく東方の聖人たちも
死にて三日の後よみがえりたまいし「彼」も
また、ありとあらゆる天使の群も
(子供は長椅子セトルの上のメリイの側に跪き両腕を彼女にかける)
むすめよ、天使と聖徒たちを呼びなさい
子供
花嫁さん、あたしと一しょにおいで
そしてもっと愉快な人たちを見るのよ
しろい腕のヌアラ、鳥の姿のアンガス
さかまく波のフアックラ、それから
西を治めているフィン※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ラと
心のゆきたがるあの人たちの国があります
そこでは美しいものに落潮おとろえもなく、滅びるものに昇潮あげしおも来ない
そこでは智慧が歓びで、「時」が無限の歌なの
あたしがお前に接吻すると世界は消えてゆく
ショオン
そのまぼろしから醒めて――ふさいでおいで
お前の眼と耳を
ハアト
彼女あれは眼で見、耳で聞かなければならぬ
彼女あれの霊の選択のみがいま彼女あれを救うことが出来るのだ
むすめよ、わしの方に来て、わしのそばに立っておいで
この家とこの家に於けるお前のつとめを考えておくれ
子供
ここにいてあたしと一緒においで、花嫁さん
お前があの人のいうことを聞けば、お前もほかの人たちと同じようになるよ
子供をうみ、料理をし、乳をかき※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)
バタや鶏や玉子のことで喧嘩をし
やがてしまいには、年をとって口やかましくなり
あすこにうずくまって顫えながら墓を待つようになるよ
ハアト
むすめよ、わしは天への道をお前に教えている
子供
あたしはお前を連れて行って上げるわ、花嫁さん
誰も年をとったり狡猾になったりしない
誰も年をとったり信心ぶかくなったり真面目になったりしない
誰も年をとったり口やかましくなったりしないところへ
そして親切な言葉が人を捕虜とりこにしないところへ
まばたきするとき人の心に飛んで来る
考えごとでもあたしたちはすぐその通りにするのよ
ハアト
十字架の上のお方の愛する御名によって
わしは命令する、メリイ・ブルイン、わしの方においで
子供
お前の心の名によって、あたしは、お前を止める
ハアト
十字架像を取りのけたから
わしが弱いのだ、わしの力がないのだ
もう一度ここへ持って来よう
マアチン (彼にすがりついて)
いけません
ブリヂット
わたしたちを捨てていらしってはいけません
ハアト
おお、わしを放してくれ、取り返しがつかなくなる前に
こんな事にしたのはみんなわしの罪なのだ
(そとに歌の声)
子供
あの人たちの歌がきこえるよ「おいで、花嫁さん
おいで、森と水と青い光へ」とうたっている
メリイ
わたしあなたと一緒にゆく
ハアト
駄目か、おお
子供  (戸口に立って)
お前にまつわる人間の希望のぞみは捨てておしまい
風に乗り、波の上をはしり
山の上でおどるあたしたちは
夜あけの露よりもっと身が軽いのだから
メリイ
どうぞ、一しょに連れてって下さい
ショオン
愛するひと、わたしはお前を止めておく
わたしは言葉ばかりではない、お前を抑えるこの腕がある
あらゆるフェヤリイのむれがどんな事をしようと
この腕からお前を放すことは出来まい
メリイ
愛する顔、愛する声
子供
おいで、花嫁さん
メリイ
わたしはいつもあの人たちの世界が好きだった――それでも――それでも
子供
しろい鳥、しろい鳥、あたしと一緒においで、小さい鳥
メリイ
わたしを呼んでいる
子供
あたしと一しょにおいで、小さい鳥
(遠くで踊っている大勢の姿が森に現われる)
メリイ
歌と踊りがきこえる
ショオン
わたしのところにいておくれ
メリイ
わたしはいたいと思うの――それでも――それでも
子供
おいで、金の冠毛の、小さい鳥
メリイ  (ごく低い声で)
それでも――
子供
おいで、銀の足の、小さい鳥
(メリイ・ブルイン死ぬ、子供出てゆく)
ショオン
死んでしまった
ブリヂット
その影から離れておしまい、体も魂ももうないのだよ
お前が抱いているのは吹き寄せた木の葉か
彼女あれの姿に変っている秦皮の樹の幹かもしれない
ハアト
悪い霊はこうして彼等の餌を奪ってゆく
殆ど神の御手の中からさえ
日ごとに彼等の力は強くなり
男も女も古い道を離れてゆく、慢りの心が来て瘠せた拳で心の戸を叩くとき
(家の外に踊っている人たちの姿が見える、そして白い鳥も交っているかも知れない、大勢のうたう歌がきこえる)
日の門から風が吹く
さびしい心の人に風がふく
さびしい心の人が枯れる
そのときどこかでフェヤリイが踊る
しろい足を輪に踏み
しろい手を空に振って
老人としよりもうつくしく
かしこいものもたのしく物いう国があると
笑いささやきうたう風をフェヤリイは聞く
クラネの蘆がいう
風がわらいささやき歌うとき
さびしい心の人が枯れる
――幕――





底本:「近代劇全集 第廿五卷愛蘭土篇」第一書房
   1927(昭和2)年11月10日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※「そして神父様、神は天の戸を開けておやりになるかも知れません」がメリイでなくハアトのセリフになっているのは、底本通りです。WB Yeats の原作では、メリイのセリフです。
入力:館野浩美
校正:岡村和彦
2019年1月29日作成
青空文庫作成ファイル:
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