りこうもののエルゼ

グリム Grimm

矢崎源九郎訳




 あるところに、ひとりの男がおりました。男には、ひとりのむすめがありました。このむすめは〈りこうもののエルゼ〉という名まえでした。
 さて、このむすめがすっかり大きくなりましたので、おとうさんはおかあさんにいいました。
「もうむすめをよめにやろうじゃないか。」
 すると、おかあさんはこたえました。
「ええ、およめにもらいたいっていう人がきましたらね。」
 やがて、遠くのほうから、ハンスという人がやってきて、エルゼをおよめさんにもらいたいといいました。ただ、このひとは、りこうもののエルゼがみんなのいうとおり、ほんとうにりこうならもらうけれど、ということでした。
「いや、それなら、このむすめはまったくりこうですよ。」
と、おとうさんがいいました。
 おかあさんはおかあさんで、
「まあ、この子は風が通りをふきすぎるのが見えたり、ハエがせきをするのもきこえるんですからね。」
と、もうしました。
「そうですか。」
と、ハンスがいいました。
「エルゼさんがほんとうにりこうでなけりゃ、わたしはもらいませんよ。」
 みんなは食卓しょくたくにつきました。やがて、食事しょくじがおわりますと、おかあさんがいいました。
「エルゼや、地下室ちかしつへいって、ビールをもってきてちょうだい。」
 そこで、りこうもののエルゼはかべからビール入れをとって、地下室へおりていきましたが、たいくつしのぎに、とちゅうで、ふたをいきおいよくパクンパクンとならしました。
 地下室ちかしつへはいりますと、エルゼは小さいいすをもちだして、それをたるのまえにおきました。つまり、こうすれば、からだをまげる必要ひつようがありませんから、背中せなかのいたむようなこともありませんし、またもうひとつには、思いがけないわざわいをこうむることもないのです。
 それから、エルゼはビール入れをじぶんのまえにおいて、せんをひねりました。ビールが入れもののなかにながれこんでいるあいだも、エルゼは目をあそばせておくようなことはしませんでした。かべについて、だんだん上のほうを見てゆきました。こうして、あっちこっちとながめているうちに、じぶんの頭のま上に十字じゅうじとびぐちがつきささっているのが目にとまりました。これは、左官屋さかんやさんがうっかりそこにつきさしたまま、わすれていったものなのです。
 これを見ますと、りこうもののエルゼはきだしました。そして、
「あたしがハンスさんのおよめになって、やがて子どもが生まれて、その子が大きくなる。そして、あたしたちはその子をこの地下室ちかしつへよこして、ビールをつぎださせるとする。そうすると、あの十字じゅうじのとびぐちがその子の頭の上におちてきて、その子をころしてしまうわ。」
と、いいました。
 エルゼはそこにすわりこんで、やがておこるふしあわせのことを思って、せいいっぱいの声をはりあげてきさけびました。
 上にいる人たちは、みものをっていましたが、りこうもののエルゼは、いつまでたってももどってきません。そこで、おくさんが女中じょちゅうにいいました。
「地下室へいって、エルゼはどこにいるのか見てきておくれ。」
 女中はおりていきました。と、どうでしょう。エルゼはたるのまえにすわりこんで、大声をあげて泣いているではありませんか。
「エルゼさん、どうして泣いていらっしゃるんですか。」
と、女中はたずねました。
「ああ、これが泣かずにいられて。」
と、エルゼがこたえていいました。
「あたしがハンスさんのおよめになるわね。そのうちに子どもが生まれて、大きくなる。そしてその子を、みものをつがせにここへよこす。そうすると、きっとあの十字じゅうじのとびぐちがその子の頭の上におちてきて、その子をころしてしまうわ。」
 それをきいて、女中じょちゅうは、
「まあ、うちのエルゼさんは、なんてりこうなんでしょう。」
と、いいながら、じぶんもエルゼのとなりにこしをおろして、そのふしあわせをかなしんできはじめました。
 しばらくたちましたが、女中はもどってきませんでした。上にいる人たちは、みものがほしくてなりませんので、こんどは、主人しゅじん下男げなんにむかっていいました。
地下室ちかしつへいって、エルゼと女中がどこにいるか見てきてくれ。」
 下男がおりていってみますと、りこうもののエルゼと女中がならんですわって、ふたりいっしょに泣いています。それを見て、下男は、
「あなたがたは、いったいなにを泣いているんですか。」
と、たずねました。
「ああ、これが泣かずにいられて。あたしがハンスさんのおよめになるわね。そのうちに子どもが生まれて、大きくなる。そしてその子をここへ飲みものをつがせによこす。そうすると、あの十字のとび口が頭の上におちてきて、子どもを殺してしまうわ。」
と、エルゼがいいました。
 それをきいて、下男げなんは、
「うちのエルゼさんは、なんてりこうなんだろう。」
と、いいながら、じぶんもエルゼのそばにこしをおろして、声をはりあげておいおいきだしました。
挿絵
 上ではみんなが下男をっていましたが、いつまでたっても下男はもどってきません。そこで、主人しゅじんがおくさんにむかって、
地下室ちかしつへいって、エルゼがどこにいるか見てきてくれないか。」
と、いいました。
 おくさんがおりていってみますと、どうでしょう、三人そろっていているではありませんか。おくさんは、そのわけをたずねました。すると、エルゼは、そのうちに生まれるじぶんの子どもが大きくなって、ビールをつぎにここへよこしたとする、そうすると、あの十字じゅうじのとびぐちがおちてきて、そのために子どもはころされるかもしれない、と話しました。
 それをききますと、おかあさんもおなじように、
「まあ、うちのエルゼは、なんてりこうなんだろうねえ。」
と、いって、そこへすわりこんで、みんなといっしょにきはじめました。
 上にいる主人しゅじんは、なおしばらくっていましたが、おくさんはいっこうにもどってきません。しかも、のどはますますかわいてくるばかりです。そこで、
「これじゃ、わしがじぶんで地下室ちかしつへいって、エルゼがどこにいるか、見てこなくちゃならない。」
と、いいました。
 主人は地下室へおりていきました。すると、みんながそこらにずらりとならんで、泣いているではありませんか。主人がわけをきいてみますと、エルゼはいつか子どもを生むかもしれない、その子がビールをつぎにきて、ちょうどここにいるとき、上にある十字のとび口がおちてでもくれば、ころされてしまう、というのです。つまり、みんながいているのは、まだ生まれていないエルゼの子どものためだったのです。それをきいて、おとうさんは、
「エルゼは、なんてりこうなんだろう。」
と、大きな声でいって、じぶんもそこにこしをおろして、いっしょに泣きだしました。
 おむこさんは、長いこと上でひとりでっていましたが、だれひとりもどってきませんので、こう思いました。
(みんな、下でわたしを待っているんだろう。わたしも下へいって、みんながなにをしているか見てこなくちゃなるまい。)
 おむこさんが下へおりてみますと、五人ともすわりこんで、にもあわれなようすできさけんで、かなしんでいます。しかもそのかなしみかたは、ひとりずつじゅんじゅんにひどくなっているではありませんか。
「いったい、どんな不幸ふこうがおこったんですか?」
と、おむこさんがたずねました。
「ああ、ハンスさん。」
と、エルゼはいいました。
「あたしたちが結婚けっこんすれば、子どもが生まれるでしょう。そのうちに、その子が大きくなるわね。そしてその子を、あたしたちがここへみものをつぎによこすかもしれないでしょう。そのとき、あの上につきささっている、十字じゅうじのとびぐちがおちてでもくれば、その子の頭をくだいてしまって、子どもはそれっきりになるかもしれなくってよ。これがかずにいられて。」
「わかりました。」
と、ハンスがいいました。
「そのくらい頭がよければ、わたしのうちのことにはじゅうぶんです。あなたはほんとうにりこうだから、わたしがおよめさんにもらいます。」
 こういうと、ハンスはエルゼの手をとって、上につれていって、結婚式けっこんしきをあげました。
 ふたりがいっしょにくらすようになって、しばらくたってからのことでした。ハンスがエルゼにむかって、
「おまえ、おれはそとではたらいて、かねをかせいでくるよ。おまえは畑へいって、麦をっておくれ。それで、パンをつくるから。」
「ええ、あなた、あたしそうしますよ。」
 ハンスがでかけたあとで、エルゼはおいしいおかゆをこしらえて、それを畑へもっていきました。畑のはずれまできますと、エルゼはひとりごとをいいました。
「なにをしよう。さきにろうかしら、それとも食べようかしら。ええい、さきに食べようっと。」
 こうして、エルゼはふかいおなべにはいっているおかゆを、すっかり食べてしまいました。さて、おなかがいっぱいになりますと、エルゼはまたまたいいました。
「なにをしよう。さきにろうかしら、それともねようかしら。ええい、さきにねよっと。」
 こうして、エルゼは麦畑のなかにねころんで、ねてしまいました。
 いっぽう、ハンスはとっくにうちにかえってきたのですが、エルゼはいつまでたってももどってきません。そこでハンスは、
「うちのエルゼは、なんてりこうなんだろう。おまけに、はたらきもので、うちへかえってきて、ごはんを食べようともしない。」
と、いいました。
 しかし、エルゼはいつまでたってもそとにいます。そのうちに、日がくれてきました。そこでハンスは、畑へいって、エルゼがどのくらいったか見てこようと思いました。ところが、いってみますと、どうでしょう、刈れた麦は一本もなくて、エルゼは麦畑のなかにねころんで、ぐうぐうねむっているではありませんか。
 これを見ますと、ハンスはおおいそぎでうちにひきかえして、小さなすずのたくさんついている鳥をとるあみをもってきて、それをエルゼのからだのまわりにかけておきました。それでもまだ、エルゼはねむりつづけていました。
 こうしておいて、ハンスはうちにとんでかえり、入り口の戸にじょうをおろしました。そして、じぶんのいすにこしをおろして、しごとをしていました。
 あたりがまっくらになってから、ようやく、りこうもののエルゼは目をさましました。おきあがりますと、からだのまわりがかちかちして、おまけに、ひと足歩くたびに、たくさんのすずがカランカランとなります。それをきいて、エルゼはびっくりしました。そして、ほんとうにじぶんがりこうもののエルゼなのかどうか、わからなくなりました。それで、
「あたしは、りこうもののエルゼなのかしら、それとも、そうじゃないのかしら。」
と、思わずいってみました。
 しかし、じぶんではそれになんとへんじをしたらいいのかわかりません。それで、しばらくまよっていましたが、とうとう、こう考えました。
(うちへいって、あたしがりこうもののエルゼかどうか、きいてみよう。うちのものなら知っているにちがいないわ。)
 エルゼはじぶんのうちの戸口にかけていきました。ところが、戸にはじょうがおりています。そこで、エルゼはまどをコツコツたたいて、
「ハンスさん、エルゼはうちにいるの。」
と、大声できいてみました。
「うん、うちにいるよ。」
と、ハンスはこたえました。
 それをきいて、エルゼはびっくりぎょうてんして、
「あらまあ、それじゃ、あたしはりこうもののエルゼじゃないんだわ。」
と、いって、ほかのうちの戸口にいきました。
 けれども、だれもかれも、カランカランというすずの音をききますと、どうしても戸をあけてくれようとはしませんでした。ですから、エルゼはどこにもとめてもらうことができなかったのです。
 こんなわけで、エルゼはこの村からかけだしていきました。それきり、エルゼのすがたを見かけたものはひとりもありませんでした。





底本:「グリム童話集(1)」偕成社文庫、偕成社
   1980(昭和55)年6月1刷
   2009(平成21)年6月49刷
入力:sogo
校正:チエコ
2021年12月27日作成
2023年9月5日修正
青空文庫作成ファイル:
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