狐と猫

ヤーコップ、ウィルヘルム・グリム Jacob u. Wilhelm Grimm

金田鬼一訳




 猫が森のなかでお狐さまに行きあったことがありました。「きつねは、りこうで世慣よなれてる、世間せけんでたっとばれてる」と、こう考えたので、猫は、あいそうよく狐に話しかけました。
「おきつねさま、今日こんにちは! ごきげんいかがですか、ご景気けいきはいかがですか、せちがらい世の中になりましたが、おきつねさまは、どんなお生活くらしをなすっておいでですか」
 狐は、それはそれは威張いばりくさって、猫を、あたまのてっぺんから四足よつあしのさきまで、じろじろながめているだけで、なんとか返答へんとうをしてやったものかどうか、しばらくは見当けんとうがつきませんでした。やっとのことで狐の言うには、
「なにょう! きさまなんざ、ひげそうじのしみったれ野郎やろうの、ぶちの、阿呆たわけの、腹ぺこの、ねずみとりじゃねえか。なにょうかんげえたんでえ、このおれさまに向って、ごきげんいかがですかなんてぬかしゃがって、ふてえやつだ。きさま、なにをならった? きさまのできることは、いくつあるんだ?」
「わたくしにできることは、たった一つしかありません」と、猫は小さくなって答えました。
「どんなしわざだ?」と、狐がたずねました。
「犬どもがわたくしを追っかけてまいりますと、木の上へのぼって、じぶんを救うことができます」
「それっきりか」と、狐が言いました、「おれさまなんざ、できる事が百もある。そのうえ、おまけに智慧ちえのいっぱいはいった袋をもってる。かわいそうなやつだなあ、おれについてこい、犬どもから逃げだす法をきさまにおしえてやる」
 そのとき、かりゅうどが犬を四匹つれてやってきました。猫は、すばやく木の上へ跳びあがって、いく本ものふとい枝やこんもりした葉が自分のからだをすっかりかくしてくれるこずえへすわりこみました。
「ふくろの口をおほどきなさいな、ねえ、おきつねさま、ふくろの口をおほどきなさいな」と狐に呼びかけましたが、その時は、犬どもはもう狐をつかまえて、しっかりおさえつけていました。
「なんですねえ、おきつねさま」と、猫が大きな声をしました、「あなたは、おできになることが百もおありなのに、身うごきもできない。あなたがわたくしみたいに木のぼりがおできでしたら可惜あったら生命いのちをおとしなさることもなかったでござんしょう」





底本:「完訳 グリム童話集(二)〔全五冊〕」岩波文庫、岩波書店
   1979(昭和54)年8月16日改版第1刷発行
   1989(平成元)年5月16日第15刷発行
※表題は底本では、「八三 狐と猫〈KHM 75〉」となっています。
入力:かな とよみ
校正:noriko saito
2020年10月28日作成
2022年3月6日修正
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