グリム兄弟

矢崎源九郎訳




 ある商人しょうにんが、いちへ行きました。うまく商売しょうばいをして、もっていった品物しなものを、みんな売ってしまいました。おかげで、さいふは金貨きんかやら銀貨ぎんかやらで、いっぱいにふくらみました。
 商人は、日のれないうちに、家へ帰ろうと思いました。そこで、金貨をいれた旅行りょこうかばんを馬にのせて、でかけました。お昼になり、商人は、とある町でひとやすみしました。やがて、またでかけようとすると、その店の下男げなんが、商人の馬をひいてきて、
「だんな。左の後足あとあし金靴かなぐつの釘が、一本ぬけていますよ。」と、いいました。
「いや、ぬけていたってかまわんよ。これから、まだ六時間ばかりっていくんだが、そのあいだぐらいは、金靴もちはしないだろう。わしは今、いそいでいるんでな。」
と、商人は答えました。
 商人は、お昼すぎにも、また、馬からおりてやすみました。馬にも、えさをやらせました。
 すると、その店の下男が、商人のいる部屋へやにはいってきて、いいました。
「だんな。あの馬の左の後足の金靴が、とれていますよ。鍛冶屋かじやへつれていきましょうか。」
「いや、とれていたってかまわんよ。まだ、二、三時間はっていかねばならんが、そのくらいは、金靴がなくてもだいじょうぶだろう。わしは今、いそいでいるんでな。」
と、商人は答えました。
 こうして、商人は、馬にってでかけました。しかし、いくらも行かないうちに、馬は足をひきはじめました。足をひいているうちに、こんどは、つまずきはじめました。つまずきつまずき、行くうちに、とうとう、馬はばったりたおれて、足を一本ってしまいました。
 こうなっては、しかたがありません。商人は、馬をそのままにしておいて、かばんを馬からおろすと、かたにかつぎました。それから、てくてく歩いて、夜おそくなってから、やっと、家にたどりつきました。
「あの、いまいましい釘のおかげで、さんざんなめにあってしまった。」
と、商人はひとりごとをいいました。
”いそぐときには、まわり道でも安全あんぜんな道をえらぶほうが、かえって早い。“というのは、このことですね。





底本:「グリムの昔話(2)林の道編」童話館出版
   2000(平成12)年12月10日第1刷発行
   2015(平成27)年5月20日第15刷発行
底本の親本:「グリム童話全集 9 いばらひめ」実業之日本社
   1964(昭和39)年
※表題は底本では、「くぎ」となっています。
入力:sogo
校正:木下聡
2024年11月23日作成
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