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ハイリゲンシュタットの遺書*
わが弟カルルおよび(ヨーハン**)に。――わが死後、この意志の遂行さるべきために。
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おお、お前たち、――私を厭わしい頑迷な、または厭人的な人間だと思い込んで他人にもそんなふうにいいふらす人々よ、お前たちが私に対するそのやり方は何と不正当なことか! お前たちにそんな思い違いをさせることの隠れたほんとうの原因をお前たちは悟らないのだ。幼い頃からこの
たびたびこんな目に遭ったために私はほとんどまったく希望を喪った。みずから自分の生命を絶つまでにはほんの少しのところであった。――私を引き留めたものはただ「芸術」である。自分が使命を自覚している仕事を仕遂げないでこの世を見捨ててはならないように想われたのだ。そのためこのみじめな、実際みじめな生を延引して、この不安定な肉体を――ほんのちょっとした変化によっても私を最善の状態から最悪の状態へ投げ落とすことのあるこの肉体をひきずって生きて来た!――忍従!――今や私が自分の案内者として選ぶべきは忍従であると人はいう。私はそのようにした。――願わくば、耐えようとする私の決意が永く持ちこたえてくれればいい。――厳しい運命の女神らが、ついに私の生命の糸を断ち切ることを喜ぶその瞬間まで。自分の状態がよい方へ向かうにもせよ悪化するにもせよ、私の覚悟はできている。――二十八歳で止むを得ず早くも
神(Gottheit)よ、おんみは私の心の奥を照覧されて、それを識っていられる。この心の中には人々への愛と善行への好みとが在ることをおんみこそ識っていられる。おお、人々よ、お前たちがやがてこれを読むときに、思え、いかばかり私に対するお前たちの行ないが不正当であったかを。そして不幸な人間は、自分と同じ一人の不幸な者が自然のあらゆる障害にもかかわらず、価値ある芸術家と人間との列に伍せしめられるがために、全力を尽したことを知って、そこに慰めを見いだすがよい!
お前たち、弟カルルと(ヨーハン)よ、私が死んだとき、シュミット教授がなお存命ならば、ただちに、私の病状の記録作成を私の名において教授に依頼せよ、そしてその病状記録にこの手紙を添加せよ、そうすれば、私の歿後、世の人々と私とのあいだに少なくともできるかぎりの和解が生まれることであろう。――今また私はお前たち二人を私の少しばかりの財産(それを財産と呼んでもいいなら)の相続人として定める。二人で誠実にそれを分けよ。仲よくして互いに助け合え。お前たちが私に逆らってした行ないは、もうずっと以前から私は赦している。弟カルルよ、近頃お前が私に示してくれた好意に対しては特に礼をいう。お前たちがこの先私よりは幸福な、心痛の無い生活をすることは私の願いだ。お前たちの子らに徳性を
そうなるはずならば――悦んで私は死に向かって行こう。――芸術の天才を十分展開するだけの機会をまだ私が持たぬうちに死が来るとすれば、たとえ私の運命があまり苛酷であるにもせよ、死は速く来過ぎるといわねばならない。今少しおそく来ることを私は望むだろう。――しかしそれでも私は満足する。死は私を果てしの無い苦悩の状態から解放してくれるではないか?――来たいときに
ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン
ハイリゲンシュタット、一八〇二年十月六日
ハイリゲンシュタットにおいて。一八〇二年十月十日。親愛な希望よ。――さらばおんみに別れを告げる――まことに悲しい心をもって。――幾らかは快癒するであろうとの希望よ。この場所にまで私が携えて来た希望よ。今やそれはまったく私を見棄てるのほかはない。秋の樹の葉の地に落ちて朽ちたように――私のためには希望もまた枯れた。ここに来たときと殆んど同じままに――私はここから去る。――美しい夏の
*原注――ハイリゲンシュタットはヴィーン市の郊外。ベートーヴェンはそこを夏期の住居としていた。
**原注――原文にはヨーハンの名の記入が忘れられている。――文中傍点の個所はベートーヴェンの原文にアンダーラインのある部分である。
***原注――この痛切な嘆きについて私(ロラン)は一つの解釈を――今なお一度もなされた事がないと信じる一解釈をここに表明しておきたい。――『田園交響楽』の第二楽章の終りに、オーケストラが夜啼鶯 と郭公 と鶉 の啼き声を聴かせることは人の知る通りであり、確かにこの交響曲のほとんど全部が自然のいろいろな歌声とささやきで編み上げられているともいえる。多くの美学者たちが、自然音の模倣描写であるこの曲の試みを是認すべきか、或いはすべきでないかということをしきりに論じて来た。しかもそれらの学者のだれ一人、「ベートーヴェンは(自然音を)模倣描写したのではない、何となればベートーヴェンには(自然音が)何にも聴こえはしなかったのだから」ということに気づいていない。ベートーヴェンは、自分にとっては消滅している一世界を、自分の精神のうちから再創造したのである。小鳥たちの歌のあの表現があれほど感動を与えうるのは正にそのためである。小鳥たちの声を聴きうるためにベートーヴェンに遺されていた唯一の方法は小鳥たちをベートーヴェン自身のうちに歌わせる事だったのである。(les faire chanter en lui)
**原注――原文にはヨーハンの名の記入が忘れられている。――文中傍点の個所はベートーヴェンの原文にアンダーラインのある部分である。
***原注――この痛切な嘆きについて私(ロラン)は一つの解釈を――今なお一度もなされた事がないと信じる一解釈をここに表明しておきたい。――『田園交響楽』の第二楽章の終りに、オーケストラが