ベートーヴェンの生涯

VIE DE BEETHOVEN

ベートーヴェンの思想断片

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン Ludwig van Beethoven、ロマン・ロラン Romain Rolland

片山敏彦訳




音楽について


 Il n'y a pas de r※(グレーブアクセント付きE小文字)gle q※(アキュートアクセント付きU小文字)one ne peut blesser ※(グレーブアクセント付きA小文字) cause de Sch※(ダイエレシス付きO小文字)ner
「さらに美しい」ためならば、破り得ぬ(芸術的)規則は一つもない。
原注――最後の「さらに美しい」Sch※(ダイエレシス付きO小文字)ner だけがドイツ語で書かれ、他はフランス語で書かれている。

      ※(アステリズム、1-12-94)

 音楽は人々の精神から炎を打ち出さなければならない。

      ※(アステリズム、1-12-94)

 音楽は、一切の智慧・一切の哲学よりもさらに高い啓示である。……私の音楽の意味をつかみ得た人は、他の人々がひきずっているあらゆる悲惨から脱却するに相違ない。
(一八一〇年、ベッティーナに)

      ※(アステリズム、1-12-94)

 神性へ近づいて、その輝きを人類の上に拡げる仕事以上に美しいことは何もない。

      ※(アステリズム、1-12-94)

 なぜ私は作曲するか?――〔私は名声のために作曲しようとは考えなかった〕私が心の中に持っているものが外へ出なければならないのだ。私が作曲するのはそのためである。
(ゲーリングに)

      ※(アステリズム、1-12-94)

「霊」が私に語りかけて、それが私に口授しているときに、愚にもつかぬヴァイオリンのことを私が考えるなぞと君は思っているのですか?
訳者注――提琴家シュッパンツィッヒが「ベートーヴェンの作るヴァイオリン曲は 〔tonsch※(ダイエレシス付きO小文字)n いい音色に弾きにくい」と不平をこぼしたのに対するベートーヴェンの答えである。ロマン・ロラン著『復活の歌』(一九三八年)第一巻・一八〇頁参照〕

      ※(アステリズム、1-12-94)

 私のいつもの作曲の仕方によると、たとえ器楽のための作曲のときでも、常に全体を眼前に据えつけて作曲する。
(詩人トライチュケに)

      ※(アステリズム、1-12-94)

 ピアノを用いないで作曲することが大切であります……人が望みまた感じていることがらを表現し得る能力は――こんな表現の要求は高貴な天性の人々の本質的な要求なのですが――少しずつ成長するものです。
(オーストリアのルードルフ大公に)

      ※(アステリズム、1-12-94)

 描写 die Beschreibung eines Bildes は絵画に属することである。この点では詩作さえも、音楽に比べていっそうしあわせだといえるであろう。詩の領域は描写という点では音楽の領域ほどに制約せられていない。その代わり音楽は他のさまざまな領土の中までも入り込んで遠く拡がっている。人は音楽の王国へ容易には到達できない。
(ヴィルヘルム・ゲルハルトに)

      ※(アステリズム、1-12-94)

 自由と進歩とが芸術における目標であることは生活全体におけると同様であります。われわれが昔の巨匠たちほどに確乎としてはいないにしても、しかし少なくとも文明の洗練は私たちの視野をはるかにひろく押し拡げました。
(ルードルフ大公に)

      ※(アステリズム、1-12-94)

 私は作曲が一度でき上がると後からこれを修正するという習慣を持たない。私が決して修正しないのは、部分を変えると全作品の性格が変わるということは真理だと悟ったためである。
(エディンバラの出版者ジョージ・トムスンに)

      ※(アステリズム、1-12-94)

 純粋な教会音楽は、グロリア(神に栄あれ!)の部分、またはこの種の聖句テクストの部分を例外として、ただ声楽だけで為さるべきだろう。私がパレストリーナを好むのはその故である。しかし、パレストリーナのような精神も宗教的信仰も無い者が彼を模倣するのは愚である。
(オルガニストのフロイデンベルクに)

      ※(アステリズム、1-12-94)

 君のピアノの弟子が正しい指の使い方と正確なリズムとを会得して、譜を間違わずにけるようになったならば演奏法に注意を払いたまえ。そして小さな欠点があってもそこで演奏を停めさせず、終りまで弾かせてから欠点について指摘したまえ。――この方法が「音楽家」を作り上げるのだ。そして結局、音楽家を作ろうとすることが、音楽の主要な目的の一つなのだ。また、技巧練習の過程では全部の指をこもごも使わせるようにしたまえ。……指の使い方が少ないと、いわゆる「真珠弾き」になってしまう。しかし、多くのばあい他の宝玉の方がはるかに好ましい……
(ツェルニーに)
原注――「ベートーヴェンはピアニストとしては正確でなく、指の使い方もときどき誤っており、音質がぞんざいであった。しかし(彼が弾くのを聴いていると)演奏家のことなぞは誰も考えはしなかった。人は、ベートーヴェンの両手がとにかくそのやり方で最善に表現しようと努めたところの思想によって、まったく心を奪われてしまうのだった。」(ド・トレモン男爵、一八〇一年)

      ※(アステリズム、1-12-94)

 昔の巨匠の中で、ドイツ人ヘンデルとセバスチァン・バッハだけが真の天才を持っていました。
(ルードルフ大公に、一八一九年)

      ※(アステリズム、1-12-94)

和声ハルモニーの父祖」dieser Urvater der Harmonie セバスチァン・バッハの気高い偉大な芸術に対して私の心は全的に鼓動する。
(ホーフマイスターに、一八〇一年)

      ※(アステリズム、1-12-94)

 どんなときでも私はモーツァルトの最も熱心な讃嘆者の一人であった。私は生涯の最期の瞬間まで依然としてそうであるだろう。
(僧シュタットラーに、一八二六年)

      ※(アステリズム、1-12-94)

 舞台のための、他のすべての音楽作品にまさって、あなたの諸作を私は高く評価致します。あなたの新作品を聴くたびごとに私は恍惚として聴き入ります、そして私自身の作品に対する以上の興味をお作に対して感じます。つまり、私は貴方の価値を高く感銘し、貴方を愛しています。……あなたは私が最も傾倒する同時代の音楽家で常にあられることでしょう。もしも私にきわめて大きい喜びをお与え下さるお気持がおありならば、数行だけでも私にお書き下さい。(もしそうして下さるなら)私はどんなにか満足致すことでしょう。芸術はあらゆる人々を結合させます。いわんや真の芸術家たちを、です。そしてあなたはおそらくは私をもその一人に数えるに値する者としてお考え下さることと思います。
(ケルビーニに、一八二三年)
原注――この手紙の原文は、ドイツ語とフランス語とを交ぜて書いてある。〔そしてフランス語の部分には、文章としての誤りが幾つかある。〕
このベートーヴェンの手紙に対してケルビーニが返事を書かなかったことは上述した通りである。

批評について


 芸術家としての私についていえば、私に関しての他人の批評に対してほんの少しの注意をすら私が払ったことがあるなぞとは、誰一人聴いたこともないはずだ。
(ショットに、一八二五年)

      ※(アステリズム、1-12-94)

 ぶよが刺した位では疾駆している馬を停められはしない、というヴォルテールの感想に私はまったく同感である。
(一八二六年)

      ※(アステリズム、1-12-94)

 あのばかな連中には、いいたいことをいわせて置くより他に仕様はない。彼らのむだ口が何人をも不滅にしないことだけは確かだ。同様にまた、アポロ神が不滅の運命を与えた人々からその不滅性を彼らのむだ口が取り上げるちからは無いということも確かなことだ。
(一八〇一年)





底本:「ベートーヴェンの生涯」岩波文庫、岩波書店
   1938(昭和13)年11月15日第1刷発行
   1965(昭和40)年4月16日第17刷改版発行
   2010(平成22)年4月21日第77刷改版発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2012年4月15日作成
2012年5月16日修正
青空文庫作成ファイル:
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