この日記を発表するに就ては、迷つた。書く意味はあつたが、発表する意味があるかどうか、疑つた。
この日記を書いた理由は日記の中に語つてあるから重複をさけるが、私が「女体」を書きながら、私の小説がどういふ風につくられて行くかを意識的にしるした日録なのである。私は今迄日記をつけたことがなく、この二十日間ほどの日記の後は再び日記をつけてゐない。私のやうにその日その日でたとこまかせ、気まぐれに、全く無計画に生きてゐる人間は、特別の理由がなければ、とても日記をつける気持にならない。
私はこの日記をつけながら、たしかに平野君を意識してゐたこともある。平野君は必ず「女体」に就て何かを書き、作者の意図が何物であるかといふやうなことを論ずるだらうと考へた。それに対して私がこの日記を発表し、平野君の推察と私自身の意図するところと、まるで違つてゐるといふやうなことは、然し、どうでもいゝことだ。批評も作品なのだから、独自性の中に意味があるので、事実、私が私自身を知つてゐるかどうか、それすらが大いに疑問なのである。
だから、私は、この日記が私の「作品」でない意味から、発表するのを疑つたのだが、然し、考へてみると、特に意識せられた日録なので「作品」でないとも限らない。
そして私がこの日録を発表するのは、批評家の
平野君からの注文は「戯作者文学論」といふので、私は常に自ら戯作者を以て任じてゐるので、私にとつて小説がなぜ戯作であるのか、平野君はそれを知りたかつたのではないかと思ふ。
私が自ら戯作者と称する戯作者は私自身のみの言葉であつて、いはゆる戯作者とはいくらか意味が違ふかも知れない。然し、さう、大して違はない。私はたゞの戯作者でもかまはない。私はたゞの戯作者、物語作者にすぎないのだ。たゞ、その戯作に私の生存が賭けられてゐるだけのことで、さういふ賭の上で、私は戯作してゐるだけなのだ。
生存を賭ける、といふことも、別段、大したことではない。たゞ、生きてゐるだけだ。それだけのことだ。私はそれ以上の説明を好まない。
それで私は、私の小説がどんな風にして出来上るか、事実をお目にかける方が簡単だと思つた。ところが、私は、とても厭だつたのは、この「女体」四十二枚に二十日もかゝつて、厭に馬鹿々々しく苦吟してゐるといふことだつた。それはこの「女体」が長篇小説の書きだしなので、この長篇小説は「恋を探して」といふ題にしようと思つてをり、まだ書きあげてはゐないのだが、長篇の書きだしといふものには、一応、全部の見透しや計算のやうなものが、多少は必要なのである。伏線のやうなものが必要なのである。
そんなものゝ全然必要でないもの、たゞ書くことによつて発展して行く場合が多く、私は元来さういふ主義で、さういふ作品が主なのだけれども、この「女体」だけはちよつと違つて、私は作品の構成にちよつとばかり捉はれたり頭を悩ましたりした。私はどうもこの日録が、妙に物々しく、苦吟、懊悩してゐるやうなのが、厭なので、私は元来、そんな人間ではない。私はこの小説以外は一日に三十枚、時には四十枚も書くのが普通の例で、尤も、考へてゐる時間の方が、書くよりも長い。尤も、書きだすと、考へてゐたことゝまるで違つたものに自然になつてしまふのが普通なのである。
それで、どうも、発表するのが厭な気がしたのだけれども、それに私は、この日記に、必ずしも本当のことを語つてゐるとは考へてゐない。日記などはずいぶん不自由なもので、自分の発見でなしに、自分の解説なのだから、解説といふものは、絶対のものではないのだから。
小説家はその作品以外に自己を語りうるものではない。だから私は、この日記が、必ずしも作品でないといふことを、だから又、作品でもあるかも知れぬといふことを、一言お断り致しておきます。
七月八日
(雨)私はこれから、ある長篇の書きだしを書かうとしてゐる。私がこの小説を考へたのはこの春のことだ。私はこの春、漱石の長篇を一通り読んだ。ちやうど同居してゐる人が漱石全集を持つてゐたからである。私は漱石の作品が全然肉体を生活してゐないので驚いた。すべてが男女の人間関係でありながら、肉体といふものが全くない。痒いところへ手が届くとは漱石の知と理のことで、人間関係のあらゆる外部の枝葉末節に実にまんべんなく思惟が行きとゞいてゐるのだが、肉体といふものだけがないのである。そして、人間関係を人間関係自体に於て解決しようとせずに、自殺をしたり、宗教の門をたゝいたりする。そして、宗教の門をたゝいても別に悟りらしいものもなかつたといふので、人間関係自体をそれで
私はかういふ軽薄な知性のイミテーションが深きもの誠実なるものと信ぜられ、第一級の文学と目されて怪しまれぬことに、非常なる憤りをもつた。然し、怒つてみても始まらぬ。私自身が書くより外に仕方がない。漱石が軽薄な知性のイミテーションにすぎないことを、私自身の作品全体によつて証し得ることができなければ、私は駄目な人間なのだ。それで私はある一組の夫婦の心のつながりを、心と肉体とその当然あるべき姿に於て歩ませるやうな小説を書いてみたいと考へた。たまたま、文藝春秋九月号の小説に、この書きだしを載せてみようと考へてゐたのである。
私はそれで、この小説を書く私が、日毎々々に何事を意図し、どんな風に考へたり書いたりするか、日録をつけてみようと思つたのだ。書き終ると、私はいつも意図などは忘れてしまふ。つまり、ハッキリした作品全体の意図などは私は持つてゐないのだ。
午後、尾崎士郎氏より速達、東京新聞の時評の感想。雨のはれまにタバコを買ひに駅前へ。歴史の本、読む。
七月九日
(曇)七月十日
(晴)三枚書いた。思ふやうに筆がのびないから、やめる。私は今、頭に描いてゐることは、谷村夫妻が現在夫婦である以外に精神につながりが感じられなくなつてゐること、二人はそれに気付いてゐる。世間的に云へば二人は円満以上にいたはり合つてゐる夫婦だ。そこから、この小説を始めることが分つてゐるだけだ。岡本といふ人物は、谷村夫妻の心象世界を説くための便宜なので、今はそれ以上のことを考へてゐない。
今日はだめだ。あした、又、やり直しだ。私は筋も結末も分らず、喧嘩するのだが、いつまでも仲がいゝのか、浮気をするのか、恋をするのか、全然先のことは考へてゐない。作中人物が本当に紙の上に生れて、自然に生活して行く筈なのだが、今日はまだ本当に生きた人間が生れてはくれないから、やめたのだ。
駅の方に火事があつて威勢よく燃えてゐるので見物に行つた。火事の見物も退屈であつた。火事の隣にアメリカの兵隊がローラーで地ならしゝてゐる。隣の火事に目もくれず、進んだり戻つたり、地ならしゝてゐる。二三十分眺めてゐたが、火事の方をふりむきもしないのである。この方が珍しかつた。アメリカだつて弥次馬のゐない筈はないだらう。尤も日本人でも、火事などちよつと振り向くだけで、電車に乗りこみ帰宅を急ぐ人も多い。私が性来の弥次馬なのである。歴史の本読む。
七月十一日
(晴)四枚書いて、又、やめる。午後、又、始めから、やり直し。六枚、書いたが、又、やめる。又、やり直しだ。谷村と、素子が、いくらか、ハッキリしてきた。始め、私は谷村をあたりまへの精神肉体ともに平々凡々たる人物にするつもりだつたのに、どうもだめだ。今日は、すこし、病身の男になつた。そして私は伊沢君と葛巻君のアイノコみたいな一人の男を考へてしまつてゐるのだ。素子の方は始めからハッキリしてゐる。岡本も、ハッキリしてゐる。
若園清太郎君、夕方、内山書店N君を伴ひ来る。ウヰスキー持参。N君は戦闘機隊員、終戦で満洲から飛行機で逃げてきた由。猛暑たへがたし。畳の上へ、ねむる。
七月十二日
(晴)五枚書いて、又、やめる。谷村が、どうも、駄目なのだ。谷村の顔もからだも心も、本当の肉づきといふものが足りない。私の頭の中に、まだ、本当に育つてゐないのだらう。歴史の本読む。道鏡の年表をつくりかけたが、めんどうくさくなつて、やめる。
七月十三日
(晴)どうも、これと云つて、とりたてゝ書いておかねばならぬやうな意図は何もないやうだ。今日書いた十三枚に就ても、これはこれだけといふ気持であるが、谷村が岡本をやりこめる、その谷村に素子が反撥する、私はそこから出発しようとしたゞけで、素子の反撥の真意が奈辺にあるか、私は漠然予想をもつてゐたが、書きだすと、書くことによつて、新に考へられ、つくられて行くだけで、まつたく何の目算もない。素子の肉体のもろさが私はひどく気がゝりだ。まさかに岡本に乗ぜられ弄ばれることはないだらうと思ふだけだ。こんな風に考へてゐるのは、よくないことかも知れぬ。私はなるべく岡本を手がゝりのための手段だけで、主要なものにしたくない。この男にのさばられては、やりきれないやうな気がするのだが、私は然し、さういふ気持があつてはいけないと思つてをり、尤も、書いてゐる最中はさういふ気持は浮かばない。
七月十四日
(晴)親類の人の紹介状をもつて、浅草向きの軽喜劇の脚本を書きたいから世話をしてくれ、といふ人がきた。北支から引揚げてきた人だ。全然素人で、浅草の芝居を見て、こんなものなら自分も作れると思つたといふのだが、自分で書きたいといふ脚本の筋をきくと、愚劣千万なもので話にならない。かういふ素人は、自分で見てつまらないと思ふことゝ、自分で書くことは別物だといふことを知らない。つまらないと思つたつて、それ以上のものが書ける証拠ではないのだが、怖れを知らない。自分を知らない。
夏目漱石を大いにケナして小説を書いてゐる私は、我身のことに思ひ至つて、まことに、暗澹とした。まつたく、人を笑ふわけに行かないよ。それでも、この人よりマシなのは、私は人の作品を学び、争ひ、格闘することを多少知つてゐたが、この人は、さういふことも知らない。何を読んだか、誰の作品に感心したか、ときくと、まだ感心したものはないといふ。モリエールや、ボンマルシェや、マルセル、アシャアルを読んだかときくと、読んだことがないといふ。名前すら知らない。無茶な人だ。いつまでたつても帰らず、自分の脚本を朗読と同じやうに精密に語る。私は全く疲れてしまつた。私はまつたく、泣きたいやうな気持になつてしまつた。それは我身の愚かさ、なんだか常に身の程をかへりみぬやうな私の鼻息が、せつなくなつたせゐでもあつた。
私は素子の性格を解剖するところへきた。然し、解剖すべからず、具体的な事実によつて、しかもその事実が解説のためのものではなく、事件(事実)の展開自体である形に於てなすべし、といふ考へになる。素子が岡本にすてられた女を如何に取扱ひ、何を感じ、何を考へたか、これは重大でありすぎる。私はずいぶん考へた。あれこれと考へた。然し、私が考へてゐるばかりで、素子が感じたり、考へたりしてゐるやうな気持にならない。私はこゝのところで、つかへてしまつて、今日は一枚半書いたゞけだ。こゝをつきぬけると、ひろびろした海へ出て行かれるやうな気がするだけで、何も先の目安がない。作品の意図らしい信念とか何かさういふ立派らしいものが何もない。涼しくなつてくれ。暑い暑い暑い。
この素子に私は、はつきり言つてしまはう、矢田津世子を考へてゐたのだ。この人と私は、恋ひこがれ、愛し合つてゐたが、たうとう、結婚もせず、肉体の関係もなく、恋ひこがれながら、逃げあつたり、離れることを急いだり、まあ、いゝや。だから、私は矢田津世子の肉体などは知らない。だから、私は、私の知らない矢田津世子を創作しようと考へてゐるのだ。私の知らない矢田津世子、それは私の知らない私自身と同様に大切なのだと思ふだけ。私自身の発見と全く同じことだ。私は然し、ひどく不安になつてゐる。どうも荷が重すぎた。私は素子が恋をするやうな気がするのだが、それを書けるかどうか、私は谷村の方を主人公にして、それですませたい。私は素子がバカな男と恋をするやうな気がして、どうにも、いやだ。こんなことが気にかゝるといふのはいけないことだと考へてゐる。
七月十五日
(晴)昨日、私は、素子は矢田津世子だと云つた。これは言ひ過ぎのやうだ。やつぱり素子は素子なのだ。手を休めるとき、あの人を思ひだす、とても苦しい。素子はあんまり女体のもろさ弱さみにくさを知りすぎてゐるので、客間で語る言葉にならないのではないか、と書いた。あの人の死んだ通知の印刷したハガキをもらつたとき、まだ、お母さんが生きてゐられるのが分つたけれども、津世子は「幸うすく」死んだ、といふ一句が、私はまつたく、やるせなくて、参つた。お母さんは死んだ娘が幸うすく、と考へるとき、いつも私を考へてゐるに相違ない。私は勿論、葬式にも、おくやみにも、墓参にも、行かなかつた。今から十年前、私が三十一のとき、ともかく私達は、たつた一度、接吻といふことをした。あなたは死んだ人と同様であつた。私も、あなたを抱きしめる力など全くなかつた。たゞ、遠くから、死んだやうな頬を当てあつたやうなものだ。毎日々々、会はない時間、別れたあとが、悶えて死にさうな苦しさだつたのに、私はあなたと接吻したのは、あなたと恋をしてから五年目だつたのだ。その晩、私はあなたに絶縁の手紙を書いた。私はあなたの肉体を考へるのが怖しい、あなたに肉体がなければよいと思はれて仕方がない、私の肉体も忘れて欲しい。そして、もう、私はあなたに二度と会ひたくない。誰とでも結婚して下さい。私はあなたに疲れた。私は私の中で別のあなたを育てるから。返事も下さるな、さよなら、そのさよならは、ほんとにアヂューといふ意味だつた。そして私はそれからあなたに会つたことがない。それからの数年、私は思惟の中で、あなたの肉体は外のどの女の肉体よりも、きたなく汚され、私はあなたの肉体を世界一冒涜し、憎み、私の「吹雪物語」はまるであなたの肉体を汚し苦しめ歪めさいなむ畸形児の小説、まつたく実になさけない汚い魂の畸形児の小説だつた。あなたは、もしあれを読んだら、どんなに、怒り、憎んだことか、私は愚かですよ、何も分らない、何をしてゐるのだか、今も昔も、まるで、もう、然し、それは、仕方がない。私はあなたが死んだとき、私はやるせなかつたが、爽かだつた。あなたの肉体が地上にないのだと考へて、青空のやうな、澄んだ思ひも、ありました。
私は今も亦、あなたの肉体を、苦しめ、汚し痛めてゐるのだ。私はあなたの肉体を汚さうと意図してゐるのではなく、いつも、あなたの肉体や肉慾を、何物よりも清らかなものに書くことができますやうに、ほんとにさう神様に祈つてゐますが、書きはじめると、どうしても、汚くしてしまふ。私は昔から悪人を書きたくないのです。善いもの、美しいもの、善良な魂を書きたいのだが、書きだすと、とんでもなく汚い悪い人間、醜悪な魂に、自然にさうなつてしまふ。自然に、どうしてもそつちの方へどんどん行つてしまふ。
私は筆を休めるたび、あなたを思ひだすと、とても苦しい。素子の肉体は、どうしても、汚い肉慾の肉体になつてしまふ。素子は女体の汚さ、もろさ、弱さ、みにくさを知りすぎてゐるので、客間で語る言葉にならないのではないか、と書いて、筆を投げだしたとき、私はあなたの顔をせつなく思ひつゞけてゐた。あなたは時々、横を向いて、黙つてしまふことがあつた。あのとき、あなたは何を考へてゐたのですか。
素子は矢田津世子ではいけない。素子は素子でなければいけない。素子は素子だ。どうしても、私は、それを、信じなければならない。私は四枚書いた。筆を投げだしてしまふ時間の方が多いのだ。
七月十六日
(晴)谷村夫妻はたぶん各々の恋をすることになるだらうと私は考へてゐた。谷村の方は、もう、肉体のない、魂だけの、燃えたゞれ死んでしまつていゝやうな、恋をしたいのだ、と告白してゐる。そこで、その恋の相手に、とりあへず、私は信子といふ名前をだしておいた。けれども、とりあへず、さういふ名前だけ出しておいたが、どんな女だか、全然まだ考へてゐない。谷村自身が、信子がどんな女なのだか、やがてその性格を自然に選ぶだらう。まだ私には、それを考へるひまもなく必要もないのだから。その恋愛が、この小説のテーマになるのだらうか? そんなことは全然意図してゐなかつたのだ。
どうも素子の方は、だん/\恋ができさうもなくなつて行く。だん/\堅くなり、せまく、ヤドカリみたいに殻の中へひつこんで行くので、どうにも意外だ。私は谷村の恋よりも、素子の方が何かケタの外れた恋をやりだしさうな予感、あるひは予期がないではなかつたが、どうも、私は、このへんで、二三日、書くのをやめて、ボンヤリ、時間を浪費してみる方がいゝのではないかと思ふ。私は二十八枚目まで書いた。思考の振幅が窮屈になりかけたときは、時間でも金でもたゞ、浪費するのがいゝといふ、これは私が習慣から得た信条で、それに限るやうだ。
午後二時頃暑いさかり、雑談会の立野智子氏来訪。これには、ちよつと、こまつた。この人は、この日記をつけはじめた前日、即ち七月六日に、速達をよこして、インチキ文学ボクメツ論をやれ、といふ。先方が女なのだから、インチキ文学といふのと、ボクメツといふのが、なんとも、時世的に勇ましく、私は笑ひがとまらなかつた。女の方が勇壮カッパツ、凄すぎるよ。私はジャーナリズムの厭らしさにウンザリして、拒絶の代りに、勇敢無敵御婦人ヂャーナリストをひやかす一文を草して、そくざに送つたのだ。
をとなしさうな娘さんなのだ。けれども、時にチク/\皮肉めき、なにか、素直といふことが悪さを意味するとでも思つてゐる様子で、どうも苦しい。痛々しい。インチキ文学ボクメツどころか、坂口安吾などゝいふのが、本当はインチキそのものなので、私が偉さうに、先輩諸先生をヤッツケ放題にヤッツケてゐるのなど、自分自身のインチキ性に対する自戒の意味、その悪戦苦闘だといふことを御存知ない。誰しも御自身のインチキ性を重々知ることがどんなに大切か、この人に語りたかつたが、素直に受けてくれず皮肉られさうだつたから、言はなかつた。本当は素直な人なのだが、ひねくれることを美徳と思つてゐるやうな、身構へといふことが立派だと思つてゐるやうだ。善良な弱い気質をゆがめて、わざ/\武装してゐるやうな気がする。この暑いのに、何かムリヤリ精一杯、ムリヤリ思ひつめてゐるやうで、痛々しい思ひがした。ひどく同情してしまつて、すぐ原稿引受けた。
夜九時頃、涼しくなつてから、さつそく雑談の原稿を書いた。中戸川とみゑさんのこと。一度書きたいとこの数年考へてゐたのだが、こんな風にカンタンに書くつもりはなかつたので、いづれ「春日」を読んで、ゆつくりと考へてゐたのだが、手もとに「春日」がなく、むしろない方が都合がいゝさ、「春日」など改めて読んで変に物々しく本格的にやると却つて書けさうもない面倒な気がして、三時間ぐらゐで、あつさり書いてしまつた。
七月十七日
(晴)道鏡の年表をつくらうとしたら、エミの
七月十八日
(曇、午後二時頃より晴)私はわざと筆をとらない。ふくらみつゝある力をはかつて、ねころんで本を読んでゐる、なんとも壮大で、自分がたのもしい。架空の影の虚しい自信と力なのだが、それを承知で、だまされ、たわいもない話だが、それでほんとに、いゝ気なのだから笑はせる。
七月十九日
(晴)七月二十日
(晴)七月二十一日
(晴)原稿に向ふ。岡本の金談のこと。岡本の媚態のこと。どうしてこんな風になるのだらう。とても苦しい。岡本の媚態も汚らしく不潔で、なんとも厭だけれども、こんなに汚され、いためつけられ、弄ばれてゐる、素子の肉体が、肉体のもろさが、あんまりだ。どうしてこんなになるのだらうか。まるで、なんだか、たゞ、もう、一途に、憎しみをこめて、復讐してゐるやうな意地の悪さではないか。どうして、かうなるのだ。そんな意図は微塵もないのに、どうしても、かうなる。筆を投げずにゐられなくなる。一句書いては、ひつくりかへつて目をつぶり、三十分もたつて、又一句書くといふぐあい。どうにも、書きたくない気持がする。たつた一枚半。
七月二十二日
(晴)私はどうも、書くのが苦しい。私は岡本の卑しさが厭なのだが、谷村は、その岡本をともかく、芸術家の面白さがあるぢやないかといふ。谷村の考へは、なんだか、危つかしい。私は今日、藤子のことを書いたとき、谷村は魂の恋などゝ妙なことを言つてゐるのだけれど、結局、藤子と、その魂の恋とやらをやり、馬脚を現すのではないか、さういふ不安がしつづけてゐる。それだつたらずいぶん、なさけないことだ。悲しいことだ。みすぼらしいことだ。私は素子が誰かと恋をして、谷村の変にとりすました気どつた悟つた一人よがりみたいなものをメチャクチャに破裂させ、逆上混乱させてくれゝばよいと思ふのだが、素子はだん/\恋ができさうもなくなるばかりだ。尤も、素子が恋をして、谷村の足場がくづれて、そんなむつかしい関係をまともに発展させる手腕にめぐまれてゐるかどうか、それが、又、不安なのだ。今から、こんなに苦しくて、この先、どうなるのだらうと、私は私の才能に就て、まつたく切ないのだ。
七月二十三日
(晴)新潟の兄、上京。かすかに、雨あり。いさゝかも涼しくならず、かへつて、むしあつい。
素子は岡本の媚態を「みぢめ」だといふ。そして、その媚態が話しかけてゐるのは自分の肉体に対してゞあることを「今」は気がつかない、と谷村は考へる。そして、今は気がつかないといふことに尚多くの秘密があるやうに思つた、といふのだが、素子が果して気がついてゐないか、谷村はさう思つたにしても、果してさうか、どうか。私はどうも、こゝで、素子の肉体に同情しすぎたやうだ。私は堪へられなかつたのだが、素子は気付かぬ筈はない。谷村が、今は気がついてゐないと解釈するのは変だ。谷村は気付いてゐると解釈するのが本当ぢやないかと何度も思つたのだが、私はどうも、私が素子の肉体に就て、さうあつて欲しいと思ふセンチメンタルな希望を、谷村におしつけたやうな気がする。私はさう考へて、いやだつたが、然しさうとも断言ができない。ほんとに素子は今は気がつかないかも知れないのだと、なんとなく言ひ張りたい気持があるので、まア、いゝや、かうやつておけ、あとは野となれ山となれ、こんな小説、どうでもいゝや、と筆を投げだしてしまつたのだ。
七月二十四日
(晴)一日ボンヤリしてゐる。どうも書けない。考へることもない。何やかや、ふと小説のこと考へるやうだが、とりとめのない影だけで実のあることは考へてゐない。実にどうも空漠たるものだ。
夜になつて、兄、若園清太郎と共に帰つてくる。若園君、炉辺夜話集、探して持つてきてくれる。中央公論からだす短篇集のためのもの。若園君泊る。私は一夜ねむり得ず、若園君又ねつかれざるものゝ如し。深夜に至るも全く暑熱が衰へざる為である。
七月二十五日
(晴のち曇)七月二十六日
(晴)若園君、真珠をもつてきてくれる。この本は私の発禁になつた本。私は自分の本を一冊も持たない。黒谷村が、まだ手にはいらぬ。あの中から「風博士」一つだけ、今度の短篇集へ入れたい。それの入手を若園君にたのむ。安田屋のタカシ青年遊びにくる。近所の罹災者で、戦争中は私の家に住み、この家を火からまもつてくれた。私の家の前後左右の隣へ各々五十キロの焼夷弾が落ちたのをバクハツ直後の猛火の中へ水を冠つてとびこんで前後左右に火を叩きつけ、まつたく物凄い。左官屋のお弟子だが、職人の良心と研究が旺盛で、実に好もしい青年だ。尤も、おかげで、どうも、今日は仕事がしたかつたのだが、できなくなつた。十時頃、もう、ねる。よく、ねむつた。涼しいからだ。
七月二十七日
(晴)原稿紙に向ふと、まるで気持が違つてしまふので、私が私の好みや感傷から割りだして、予定してゐたことなど、とるにも足らぬことになり、書いてみると、すぐつまらなさが分り鼻につく。
どうして、青年が仁科でなければならなかつたか、どうにも、私は不愉快だ。然し、この青年でなければならなくなつたので、仕方がない。どうしても、素子の肉体が弄れる宿命から、私は逃げられないのだらうか。私はこの青年と素子に恋などさせたくない。もし恋をするなら、別のも一人の相当ましな人物を登場させたい。その私の感傷が、果して許され、遂げられるであらうか。さういふ私の希望のせゐか、素子は、やつぱり、恋のために、動きさうもない。仁科を相手にうごきさうもない。さういふ私の希望的態度がいけないと思はれたので、私は今日中に書き終る充分な時間があつたが、中止して、歴史の本を読むことにした。今日もさして暑くない。春陽堂の高木青年来訪、小説ひきうける。
七月二十八日
(晴)谷村は蛙の正体を見ぬいて、素子がひそかに仁科を愛してゐるにしても、さういふ夢は仕方がないと考へる。夢のない人間はあり得ず、夢すらも持ち得ぬ人を愛し得る筈もないと考へる。
谷村のかういふ考へ方が、私はどうも不満なのだ。素子に恋をさせ、この気どりをコッパ微塵にしてやりたい。それでもまだ、こんな風に、気取つてゐられるなら、そのときこそ大いによからう。さう思ふ。そのくせ、素子はやつぱり恋をしさうもない。いや、素子がしさうもないのぢやなしに、谷村がそれを巧妙にくひとめてゐるやうに思はれるのだ。素子のひそかな夢を肯定して、夢は仕方がないものだと谷村が思ふのは、私の希望がそこに反映してゐるので、つまり単なるひそかな、夢だけで終らせたいといふ、それは谷村自身よりも作者の作意であるやうな気もした。
それで、私は、谷村に素子を憎ませ、その恋心を嫉妬させ、衝突させようかと、大いに考へたのだが、どうしても、さうすることが、できない。やる気にならない。その方が却つて不自然だ。この儘の方が自然なので、もういゝ加減、これで終りにした方がいゝと考へられた。いつもだと、もう勝手にするがいゝや、どうにとなれ、と筆を投げるのだが、今日は尚あれこれ迷ひ、迷ふと云つても突きつめた思ひではなく漫然たる思ひなのだが、結局これでいゝことに決心するには、三時間ぐらゐ漫然と迷つてゐた。
私はもう、素子をこれ以上登場させたくない。仁科とくだらぬ恋をして、たゞ肉体の最後の泥沼へ落ちるやうに思はれたり、ともかく、どうも、素子を書く限り、その肉体を汚すこと、弄ぶこと、まるで私はその清純に悪意をこめてゐるとしか、復讐してゐるとしか思はれない。この続篇は谷村に恋をさせるつもりなのだが、素子がそれをどう受けとめるか、私は素子に谷村の恋を知らせたくないやうな気持なのだ。素子がヤキモチをやいて肉体に焦燥しだすのが堪へられない気持だから。ともかく、まア、こゝまで書いたことに就ては、私は多く苦痛であつたが、多少は満足もしてゐる。ともかく精一杯なのだらう。これで駄目なら、私自身が、まだ、駄目なので、出来、不出来のたま/\不出来の方だつたといふ気休めは通用しない。
思索から小説依頼、とても書けない、ことはる。読書新聞から「問はず語り」がとゞいたので、読んだ。軽すぎる。重い魂が軽いのぢやない。軽いものが、軽いのだ。
七月二十九日
(午後より雨)たつたそれだけ路上を歩いたゞけで、会つた人、東京新聞寺田、改造西田、新聞報柴野、若園君とその友人某君と酒をのむ。久々の酒、嬉しかつた。大いに駄ボラを吹く。酔つ払ふと、急に、大いに「女体」に自信満々たるやうに亢奮しだしたから、無茶で、私は酒を飲まないうちは、ともかく精一杯の仕事だつた、と、むしろやゝ悲痛にちかい感慨で、暗く考へてゐたのであつた。酒は無茶だ。不当に気が強くなる。ずいぶん「女体」を威張つて、二人のきゝてを悩ましたやうだ。若園君、私の家へ泊る。むりに引つぱつてきたのだ。三四日分のパンを焼いて貰ふ魂胆なのだ。一人になつたら、実に落付いて気持がいゝが、食事だけ困るのだ。