戯作者文学論

――平野謙へ・手紙に代へて――

坂口安吾




 この日記を発表するに就ては、迷つた。書く意味はあつたが、発表する意味があるかどうか、疑つた。
 この日記を書いた理由は日記の中に語つてあるから重複をさけるが、私が「女体」を書きながら、私の小説がどういふ風につくられて行くかを意識的にしるした日録なのである。私は今迄日記をつけたことがなく、この二十日間ほどの日記の後は再び日記をつけてゐない。私のやうにその日その日でたとこまかせ、気まぐれに、全く無計画に生きてゐる人間は、特別の理由がなければ、とても日記をつける気持にならない。
 私はこの日記をつけながら、たしかに平野君を意識してゐたこともある。平野君は必ず「女体」に就て何かを書き、作者の意図が何物であるかといふやうなことを論ずるだらうと考へた。それに対して私がこの日記を発表し、平野君の推察と私自身の意図するところと、まるで違つてゐるといふやうなことは、然し、どうでもいゝことだ。批評も作品なのだから、独自性の中に意味があるので、事実、私が私自身を知つてゐるかどうか、それすらが大いに疑問なのである。
 だから、私は、この日記が私の「作品」でない意味から、発表するのを疑つたのだが、然し、考へてみると、特に意識せられた日録なので「作品」でないとも限らない。
 そして私がこの日録を発表するのは、批評家の忖度そんたくする作家の意図に対して、作家の側から挑戦するといふやうな意味ではないので、挑戦は別の場所で、別の方法でやります。
 平野君からの注文は「戯作者文学論」といふので、私は常に自ら戯作者を以て任じてゐるので、私にとつて小説がなぜ戯作であるのか、平野君はそれを知りたかつたのではないかと思ふ。
 私が自ら戯作者と称する戯作者は私自身のみの言葉であつて、いはゆる戯作者とはいくらか意味が違ふかも知れない。然し、さう、大して違はない。私はたゞの戯作者でもかまはない。私はたゞの戯作者、物語作者にすぎないのだ。たゞ、その戯作に私の生存が賭けられてゐるだけのことで、さういふ賭の上で、私は戯作してゐるだけなのだ。
 生存を賭ける、といふことも、別段、大したことではない。たゞ、生きてゐるだけだ。それだけのことだ。私はそれ以上の説明を好まない。
 それで私は、私の小説がどんな風にして出来上るか、事実をお目にかける方が簡単だと思つた。ところが、私は、とても厭だつたのは、この「女体」四十二枚に二十日もかゝつて、厭に馬鹿々々しく苦吟してゐるといふことだつた。それはこの「女体」が長篇小説の書きだしなので、この長篇小説は「恋を探して」といふ題にしようと思つてをり、まだ書きあげてはゐないのだが、長篇の書きだしといふものには、一応、全部の見透しや計算のやうなものが、多少は必要なのである。伏線のやうなものが必要なのである。
 そんなものゝ全然必要でないもの、たゞ書くことによつて発展して行く場合が多く、私は元来さういふ主義で、さういふ作品が主なのだけれども、この「女体」だけはちよつと違つて、私は作品の構成にちよつとばかり捉はれたり頭を悩ましたりした。私はどうもこの日録が、妙に物々しく、苦吟、懊悩してゐるやうなのが、厭なので、私は元来、そんな人間ではない。私はこの小説以外は一日に三十枚、時には四十枚も書くのが普通の例で、尤も、考へてゐる時間の方が、書くよりも長い。尤も、書きだすと、考へてゐたことゝまるで違つたものに自然になつてしまふのが普通なのである。
 それで、どうも、発表するのが厭な気がしたのだけれども、それに私は、この日記に、必ずしも本当のことを語つてゐるとは考へてゐない。日記などはずいぶん不自由なもので、自分の発見でなしに、自分の解説なのだから、解説といふものは、絶対のものではないのだから。
 小説家はその作品以外に自己を語りうるものではない。だから私は、この日記が、必ずしも作品でないといふことを、だから又、作品でもあるかも知れぬといふことを、一言お断り致しておきます。

七月八日

(雨)
 佐々木基一君より来信。「白痴」に就ての感想を語つてくれたもの。私が日記をつけてみようと思つたのは、この佐々木君の手紙のせゐだ。佐々木君は「白痴」で作者の意図したことを想像してゐるのだが、実のところは、作者たる私に「白痴」の意図が何であつたか、分つてゐない。書いてしまふと、作品の意図など忘れてしまふ。
 私はこれから、ある長篇の書きだしを書かうとしてゐる。私がこの小説を考へたのはこの春のことだ。私はこの春、漱石の長篇を一通り読んだ。ちやうど同居してゐる人が漱石全集を持つてゐたからである。私は漱石の作品が全然肉体を生活してゐないので驚いた。すべてが男女の人間関係でありながら、肉体といふものが全くない。痒いところへ手が届くとは漱石の知と理のことで、人間関係のあらゆる外部の枝葉末節に実にまんべんなく思惟が行きとゞいてゐるのだが、肉体といふものだけがないのである。そして、人間関係を人間関係自体に於て解決しようとせずに、自殺をしたり、宗教の門をたゝいたりする。そして、宗教の門をたゝいても別に悟りらしいものもなかつたといふので、人間関係自体をそれで有耶無耶うやむやにしてゐる。漱石は、自殺だの、宗教の門をたゝくことが、苦悩の誠実なる姿だと思ひこんでゐるのだ。
 私はかういふ軽薄な知性のイミテーションが深きもの誠実なるものと信ぜられ、第一級の文学と目されて怪しまれぬことに、非常なる憤りをもつた。然し、怒つてみても始まらぬ。私自身が書くより外に仕方がない。漱石が軽薄な知性のイミテーションにすぎないことを、私自身の作品全体によつて証し得ることができなければ、私は駄目な人間なのだ。それで私はある一組の夫婦の心のつながりを、心と肉体とその当然あるべき姿に於て歩ませるやうな小説を書いてみたいと考へた。たまたま、文藝春秋九月号の小説に、この書きだしを載せてみようと考へてゐたのである。
 私はそれで、この小説を書く私が、日毎々々に何事を意図し、どんな風に考へたり書いたりするか、日録をつけてみようと思つたのだ。書き終ると、私はいつも意図などは忘れてしまふ。つまり、ハッキリした作品全体の意図などは私は持つてゐないのだ。
 午後、尾崎士郎氏より速達、東京新聞の時評の感想。雨のはれまにタバコを買ひに駅前へ。歴史の本、読む。

七月九日

(曇)
 新生社の福島氏来訪。小説三十枚、ひきうける。文芸時評は、ことはる。若園清太郎君来訪、ウヰスキー持参す。仕事ができなくなつてしまつた。タバコを買ひに外出。

七月十日

(晴)
 うちの寒暖計、三十一度。ホープから随想十枚。すでに書いたのがあるから承諾。
 三枚書いた。思ふやうに筆がのびないから、やめる。私は今、頭に描いてゐることは、谷村夫妻が現在夫婦である以外に精神につながりが感じられなくなつてゐること、二人はそれに気付いてゐる。世間的に云へば二人は円満以上にいたはり合つてゐる夫婦だ。そこから、この小説を始めることが分つてゐるだけだ。岡本といふ人物は、谷村夫妻の心象世界を説くための便宜なので、今はそれ以上のことを考へてゐない。
 今日はだめだ。あした、又、やり直しだ。私は筋も結末も分らず、喧嘩するのだが、いつまでも仲がいゝのか、浮気をするのか、恋をするのか、全然先のことは考へてゐない。作中人物が本当に紙の上に生れて、自然に生活して行く筈なのだが、今日はまだ本当に生きた人間が生れてはくれないから、やめたのだ。
 駅の方に火事があつて威勢よく燃えてゐるので見物に行つた。火事の見物も退屈であつた。火事の隣にアメリカの兵隊がローラーで地ならしゝてゐる。隣の火事に目もくれず、進んだり戻つたり、地ならしゝてゐる。二三十分眺めてゐたが、火事の方をふりむきもしないのである。この方が珍しかつた。アメリカだつて弥次馬のゐない筈はないだらう。尤も日本人でも、火事などちよつと振り向くだけで、電車に乗りこみ帰宅を急ぐ人も多い。私が性来の弥次馬なのである。歴史の本読む。

七月十一日

(晴)
 猛暑。うちの寒暖計は三十四度。湿気が多くて、たへがたい。
 四枚書いて、又、やめる。午後、又、始めから、やり直し。六枚、書いたが、又、やめる。又、やり直しだ。谷村と、素子が、いくらか、ハッキリしてきた。始め、私は谷村をあたりまへの精神肉体ともに平々凡々たる人物にするつもりだつたのに、どうもだめだ。今日は、すこし、病身の男になつた。そして私は伊沢君と葛巻君のアイノコみたいな一人の男を考へてしまつてゐるのだ。素子の方は始めからハッキリしてゐる。岡本も、ハッキリしてゐる。
 若園清太郎君、夕方、内山書店N君を伴ひ来る。ウヰスキー持参。N君は戦闘機隊員、終戦で満洲から飛行機で逃げてきた由。猛暑たへがたし。畳の上へ、ねむる。

七月十二日

(晴)
 安田屋のオカミサン母の仏前へ花をもつてきてくれる。三時に俄雨があり、いくらか、涼しくなつた。
 五枚書いて、又、やめる。谷村が、どうも、駄目なのだ。谷村の顔もからだも心も、本当の肉づきといふものが足りない。私の頭の中に、まだ、本当に育つてゐないのだらう。歴史の本読む。道鏡の年表をつくりかけたが、めんどうくさくなつて、やめる。

七月十三日

(晴)
 やうやく筆が滑りだしたが、谷村はハッキリ病弱な男になつてしまつた。健康な男では、どうしても、だめだ。私は平々凡々たる男の精神の弱さを書きたいのだが、肉体の弱さと結びついてくれないと、表現できない。私の筆力の不足のため。私の観念に血肉の不足があり、健康な谷村に弱い心を宿らせる手腕がないのだらう。私は谷村を病弱にするのが私の手腕の不足のやうで、変にこだはつてゐたのだが、ハッキリ兜をぬいだら、気が楽になつたのだ。十三枚書いた。
 どうも、これと云つて、とりたてゝ書いておかねばならぬやうな意図は何もないやうだ。今日書いた十三枚に就ても、これはこれだけといふ気持であるが、谷村が岡本をやりこめる、その谷村に素子が反撥する、私はそこから出発しようとしたゞけで、素子の反撥の真意が奈辺にあるか、私は漠然予想をもつてゐたが、書きだすと、書くことによつて、新に考へられ、つくられて行くだけで、まつたく何の目算もない。素子の肉体のもろさが私はひどく気がゝりだ。まさかに岡本に乗ぜられ弄ばれることはないだらうと思ふだけだ。こんな風に考へてゐるのは、よくないことかも知れぬ。私はなるべく岡本を手がゝりのための手段だけで、主要なものにしたくない。この男にのさばられては、やりきれないやうな気がするのだが、私は然し、さういふ気持があつてはいけないと思つてをり、尤も、書いてゐる最中はさういふ気持は浮かばない。

七月十四日

(晴)
 猛暑。尾崎一雄君より速達、東京新聞の時評を送つてくれ、といふ。速達で返事を送る。今日は一日六回水風呂につかつた。関節の力がぬけたやうな感じがしてゐる。
 親類の人の紹介状をもつて、浅草向きの軽喜劇の脚本を書きたいから世話をしてくれ、といふ人がきた。北支から引揚げてきた人だ。全然素人で、浅草の芝居を見て、こんなものなら自分も作れると思つたといふのだが、自分で書きたいといふ脚本の筋をきくと、愚劣千万なもので話にならない。かういふ素人は、自分で見てつまらないと思ふことゝ、自分で書くことは別物だといふことを知らない。つまらないと思つたつて、それ以上のものが書ける証拠ではないのだが、怖れを知らない。自分を知らない。
 夏目漱石を大いにケナして小説を書いてゐる私は、我身のことに思ひ至つて、まことに、暗澹とした。まつたく、人を笑ふわけに行かないよ。それでも、この人よりマシなのは、私は人の作品を学び、争ひ、格闘することを多少知つてゐたが、この人は、さういふことも知らない。何を読んだか、誰の作品に感心したか、ときくと、まだ感心したものはないといふ。モリエールや、ボンマルシェや、マルセル、アシャアルを読んだかときくと、読んだことがないといふ。名前すら知らない。無茶な人だ。いつまでたつても帰らず、自分の脚本を朗読と同じやうに精密に語る。私は全く疲れてしまつた。私はまつたく、泣きたいやうな気持になつてしまつた。それは我身の愚かさ、なんだか常に身の程をかへりみぬやうな私の鼻息が、せつなくなつたせゐでもあつた。
 私は素子の性格を解剖するところへきた。然し、解剖すべからず、具体的な事実によつて、しかもその事実が解説のためのものではなく、事件(事実)の展開自体である形に於てなすべし、といふ考へになる。素子が岡本にすてられた女を如何に取扱ひ、何を感じ、何を考へたか、これは重大でありすぎる。私はずいぶん考へた。あれこれと考へた。然し、私が考へてゐるばかりで、素子が感じたり、考へたりしてゐるやうな気持にならない。私はこゝのところで、つかへてしまつて、今日は一枚半書いたゞけだ。こゝをつきぬけると、ひろびろした海へ出て行かれるやうな気がするだけで、何も先の目安がない。作品の意図らしい信念とか何かさういふ立派らしいものが何もない。涼しくなつてくれ。暑い暑い暑い。
 この素子に私は、はつきり言つてしまはう、矢田津世子を考へてゐたのだ。この人と私は、恋ひこがれ、愛し合つてゐたが、たうとう、結婚もせず、肉体の関係もなく、恋ひこがれながら、逃げあつたり、離れることを急いだり、まあ、いゝや。だから、私は矢田津世子の肉体などは知らない。だから、私は、私の知らない矢田津世子を創作しようと考へてゐるのだ。私の知らない矢田津世子、それは私の知らない私自身と同様に大切なのだと思ふだけ。私自身の発見と全く同じことだ。私は然し、ひどく不安になつてゐる。どうも荷が重すぎた。私は素子が恋をするやうな気がするのだが、それを書けるかどうか、私は谷村の方を主人公にして、それですませたい。私は素子がバカな男と恋をするやうな気がして、どうにも、いやだ。こんなことが気にかゝるといふのはいけないことだと考へてゐる。

七月十五日

(晴)
 連日寒暖計は三十八度をさしてゐる。例の如く、水風呂にもぐつてはでゝきて机に向ふが、頭がはつきりしない。新日本社の入江元彦といふ詩人と自称する二十四五の青年がきてサロンといふ雑誌に三十枚の小説を書けといふ。書くのは厭だと言ふのだが、これが又、珍無類の人物で、育ちが良いのかも知れん、大井広介に似て、より純粋で、珍妙で、底ぬけで、目下稲垣足穂にころがりこまれて、同じ屋根の下にゐるさうだが、彼は何一つ持たんです、と云ふ。大いにガッカリした顔である。フンドシの外は何も持たんです、といふ。彼は戸籍も持たんです、といふ。稲垣足穂に寝台をとられ、お前は下へねろ、といふので、石の上へねたさうだ。しきりに身体をかいてゐるが、虱でもゐるのだらう。稲垣足穂に寝台をとりあげられるやうでは、虱も仕方がなからうと、をかしくて仕方がない。一人であれこれ喋ること喋ること詩を論じ文学を論じ二時間ほど喋りつゞけ、あんまりをかしな奴なので私は全く面白くなつて原稿を承諾した。いづれ新日本社へ遊びに行き、一緒に菊岡久利の銀座の店をひやかす約束をする。そのとき岡本潤に会へるやうにしておいてくれと頼む。岡本潤からは三年程前一度会ひたいといふ手紙を貰つたので、そのうち飲みに誘ひに行くからと返事をしたまゝ、いまだに約束を果さない。当時はちやうど飲む店がなくなつたからなのである。半田義之が共産党になつて、この青年の顔を見るたびに、お前も共産党になれ、と云つて、吃つて、唾を飛ばしながら勧誘大いにつとめる由だが、共産党は驚かんですが、唾が顔にかゝつて汚くて困るです、と言ふ。まつたく、大笑ひした。
 昨日、私は、素子は矢田津世子だと云つた。これは言ひ過ぎのやうだ。やつぱり素子は素子なのだ。手を休めるとき、あの人を思ひだす、とても苦しい。素子はあんまり女体のもろさ弱さみにくさを知りすぎてゐるので、客間で語る言葉にならないのではないか、と書いた。あの人の死んだ通知の印刷したハガキをもらつたとき、まだ、お母さんが生きてゐられるのが分つたけれども、津世子は「幸うすく」死んだ、といふ一句が、私はまつたく、やるせなくて、参つた。お母さんは死んだ娘が幸うすく、と考へるとき、いつも私を考へてゐるに相違ない。私は勿論、葬式にも、おくやみにも、墓参にも、行かなかつた。今から十年前、私が三十一のとき、ともかく私達は、たつた一度、接吻といふことをした。あなたは死んだ人と同様であつた。私も、あなたを抱きしめる力など全くなかつた。たゞ、遠くから、死んだやうな頬を当てあつたやうなものだ。毎日々々、会はない時間、別れたあとが、悶えて死にさうな苦しさだつたのに、私はあなたと接吻したのは、あなたと恋をしてから五年目だつたのだ。その晩、私はあなたに絶縁の手紙を書いた。私はあなたの肉体を考へるのが怖しい、あなたに肉体がなければよいと思はれて仕方がない、私の肉体も忘れて欲しい。そして、もう、私はあなたに二度と会ひたくない。誰とでも結婚して下さい。私はあなたに疲れた。私は私の中で別のあなたを育てるから。返事も下さるな、さよなら、そのさよならは、ほんとにアヂューといふ意味だつた。そして私はそれからあなたに会つたことがない。それからの数年、私は思惟の中で、あなたの肉体は外のどの女の肉体よりも、きたなく汚され、私はあなたの肉体を世界一冒涜し、憎み、私の「吹雪物語」はまるであなたの肉体を汚し苦しめ歪めさいなむ畸形児の小説、まつたく実になさけない汚い魂の畸形児の小説だつた。あなたは、もしあれを読んだら、どんなに、怒り、憎んだことか、私は愚かですよ、何も分らない、何をしてゐるのだか、今も昔も、まるで、もう、然し、それは、仕方がない。私はあなたが死んだとき、私はやるせなかつたが、爽かだつた。あなたの肉体が地上にないのだと考へて、青空のやうな、澄んだ思ひも、ありました。
 私は今も亦、あなたの肉体を、苦しめ、汚し痛めてゐるのだ。私はあなたの肉体を汚さうと意図してゐるのではなく、いつも、あなたの肉体や肉慾を、何物よりも清らかなものに書くことができますやうに、ほんとにさう神様に祈つてゐますが、書きはじめると、どうしても、汚くしてしまふ。私は昔から悪人を書きたくないのです。善いもの、美しいもの、善良な魂を書きたいのだが、書きだすと、とんでもなく汚い悪い人間、醜悪な魂に、自然にさうなつてしまふ。自然に、どうしてもそつちの方へどんどん行つてしまふ。
 私は筆を休めるたび、あなたを思ひだすと、とても苦しい。素子の肉体は、どうしても、汚い肉慾の肉体になつてしまふ。素子は女体の汚さ、もろさ、弱さ、みにくさを知りすぎてゐるので、客間で語る言葉にならないのではないか、と書いて、筆を投げだしたとき、私はあなたの顔をせつなく思ひつゞけてゐた。あなたは時々、横を向いて、黙つてしまふことがあつた。あのとき、あなたは何を考へてゐたのですか。
 素子は矢田津世子ではいけない。素子は素子でなければいけない。素子は素子だ。どうしても、私は、それを、信じなければならない。私は四枚書いた。筆を投げだしてしまふ時間の方が多いのだ。

七月十六日

(晴)
 酷熱。うちの水銀は、三十五度だ。中央公論の海老原氏から速達。火の会の雑誌に小説かエッセーを書いて、といふ。これはどうしても承諾してやりたい。ずいぶん無理だと思つたけれども、必ず、書かうと決意する。海老原氏は昔から私の仕事を愛してくれた人なので、私はさういふ人のために、仕事をすることを喜びとしてゐるのである。売れさうもない雑誌だと、尚さら、書いてやりたい。
 谷村夫妻はたぶん各々の恋をすることになるだらうと私は考へてゐた。谷村の方は、もう、肉体のない、魂だけの、燃えたゞれ死んでしまつていゝやうな、恋をしたいのだ、と告白してゐる。そこで、その恋の相手に、とりあへず、私は信子といふ名前をだしておいた。けれども、とりあへず、さういふ名前だけ出しておいたが、どんな女だか、全然まだ考へてゐない。谷村自身が、信子がどんな女なのだか、やがてその性格を自然に選ぶだらう。まだ私には、それを考へるひまもなく必要もないのだから。その恋愛が、この小説のテーマになるのだらうか? そんなことは全然意図してゐなかつたのだ。
 どうも素子の方は、だん/\恋ができさうもなくなつて行く。だん/\堅くなり、せまく、ヤドカリみたいに殻の中へひつこんで行くので、どうにも意外だ。私は谷村の恋よりも、素子の方が何かケタの外れた恋をやりだしさうな予感、あるひは予期がないではなかつたが、どうも、私は、このへんで、二三日、書くのをやめて、ボンヤリ、時間を浪費してみる方がいゝのではないかと思ふ。私は二十八枚目まで書いた。思考の振幅が窮屈になりかけたときは、時間でも金でもたゞ、浪費するのがいゝといふ、これは私が習慣から得た信条で、それに限るやうだ。
 午後二時頃暑いさかり、雑談会の立野智子氏来訪。これには、ちよつと、こまつた。この人は、この日記をつけはじめた前日、即ち七月六日に、速達をよこして、インチキ文学ボクメツ論をやれ、といふ。先方が女なのだから、インチキ文学といふのと、ボクメツといふのが、なんとも、時世的に勇ましく、私は笑ひがとまらなかつた。女の方が勇壮カッパツ、凄すぎるよ。私はジャーナリズムの厭らしさにウンザリして、拒絶の代りに、勇敢無敵御婦人ヂャーナリストをひやかす一文を草して、そくざに送つたのだ。
 をとなしさうな娘さんなのだ。けれども、時にチク/\皮肉めき、なにか、素直といふことが悪さを意味するとでも思つてゐる様子で、どうも苦しい。痛々しい。インチキ文学ボクメツどころか、坂口安吾などゝいふのが、本当はインチキそのものなので、私が偉さうに、先輩諸先生をヤッツケ放題にヤッツケてゐるのなど、自分自身のインチキ性に対する自戒の意味、その悪戦苦闘だといふことを御存知ない。誰しも御自身のインチキ性を重々知ることがどんなに大切か、この人に語りたかつたが、素直に受けてくれず皮肉られさうだつたから、言はなかつた。本当は素直な人なのだが、ひねくれることを美徳と思つてゐるやうな、身構へといふことが立派だと思つてゐるやうだ。善良な弱い気質をゆがめて、わざ/\武装してゐるやうな気がする。この暑いのに、何かムリヤリ精一杯、ムリヤリ思ひつめてゐるやうで、痛々しい思ひがした。ひどく同情してしまつて、すぐ原稿引受けた。
 夜九時頃、涼しくなつてから、さつそく雑談の原稿を書いた。中戸川とみゑさんのこと。一度書きたいとこの数年考へてゐたのだが、こんな風にカンタンに書くつもりはなかつたので、いづれ「春日」を読んで、ゆつくりと考へてゐたのだが、手もとに「春日」がなく、むしろない方が都合がいゝさ、「春日」など改めて読んで変に物々しく本格的にやると却つて書けさうもない面倒な気がして、三時間ぐらゐで、あつさり書いてしまつた。

七月十七日

(晴)
 酷熱、又、酷熱。小学館から速達、小説五十枚、とても書けない、ことはる。
 道鏡の年表をつくらうとしたら、エミの押勝おしかつになり、諸兄もろえになり、不比等ふひとになり、鎌足かまたりになり、だんだん昔へさかのぼりすぎて、どうも、私は、何をやつても、過ぎたるは及ばず、といふ自然の結果になつてしまふ。久米邦武の奈良朝史をノートをとりながら読む。深夜になほ酷熱。水風呂にはいり、やうやく睡ることができた。

七月十八日

(曇、午後二時頃より晴)
 曇つてゐるうちは凌ぎよかつた。日がてりだすと、この二階はムシ風呂だ。私は早朝から、この長篇は、今年中に必ず書けるといふ妙な自信がわいてゐるのだ。まつたく妙な自信だ。全然、筋もプランも目当のつかない空々漠々、何を目安に自信があるのだい。けれども全く自信満々、ふざけた話だ。一昨日、雑談の原稿書き、それから、この小説を忘れたやうな顔してゐるのが、よかつたやうだ。妙に、晴々とした気持になりつゝある。力があふれてくるのが分るやうな気持だ。かういふ時は何といふ愉しさだらう。だが一年に何日、こんな日があるかと思ふと、なさけない。
 私はわざと筆をとらない。ふくらみつゝある力をはかつて、ねころんで本を読んでゐる、なんとも壮大で、自分がたのもしい。架空の影の虚しい自信と力なのだが、それを承知で、だまされ、たわいもない話だが、それでほんとに、いゝ気なのだから笑はせる。

七月十九日

(晴)
 私は病気になつた。下痢と腹痛、たぶん、水風呂のたゝりだらう。夏の悪熱は、私からあらゆる力をはぎ、ものうさと、とがつた感情だけを残す。私はうつうつしつゝ原子バクダンのバクハツばかり考へてゐる。私自身がバクハツされたいのか、人をバクハツしたいのか、分らない。たゞ、全てがとがり、痛み、平和なことが考へられないのだ。熱のため、外気の暑さがわからない。

七月二十日

(晴)
 猛烈に暑い。夜になつても、暑い。どうやら熱が下つたので、暑さが分つてきた。もう原子バクダンは考へないが、仕事のことも考へられない。本も読む気にならない。

七月二十一日

(晴)
 猛烈に暑い。中央公論、小滝氏来訪。今度だす短篇集の話。もし長篇に没頭するなら、生活のことも考へるから、と言つてくれる。これは非常に嬉しく、心強く承つたが、私は今、二つの場合を考へてゐる。私は今、書きたいことがいくらでも有るやうな気がしてゐるので、いつたい何をどう書くのか、書けるだけ書き、限度のくるまで、書いてみるか。さもなければ、短篇など書きたいやうな気持でも書かず、長篇だけ、一つづゝ、没頭してみようか。この二つ。私はともかく、一応前者をとることにしようと思つた。はつきり、心をきめた。
 原稿に向ふ。岡本の金談のこと。岡本の媚態のこと。どうしてこんな風になるのだらう。とても苦しい。岡本の媚態も汚らしく不潔で、なんとも厭だけれども、こんなに汚され、いためつけられ、弄ばれてゐる、素子の肉体が、肉体のもろさが、あんまりだ。どうしてこんなになるのだらうか。まるで、なんだか、たゞ、もう、一途に、憎しみをこめて、復讐してゐるやうな意地の悪さではないか。どうして、かうなるのだ。そんな意図は微塵もないのに、どうしても、かうなる。筆を投げずにゐられなくなる。一句書いては、ひつくりかへつて目をつぶり、三十分もたつて、又一句書くといふぐあい。どうにも、書きたくない気持がする。たつた一枚半。

七月二十二日

(晴)
 猛暑。暁鐘の沖塩徹也君来訪。会つたのは始めてだが、私の親しい友人達の同人雑誌にゐた人で、名前はよく知つてゐる人。支那で八年も兵隊生活させられたといふ運の悪い人で、その生活を二時間ばかり語つて帰る。九月一杯だつたら短篇書く約束する。
 私はどうも、書くのが苦しい。私は岡本の卑しさが厭なのだが、谷村は、その岡本をともかく、芸術家の面白さがあるぢやないかといふ。谷村の考へは、なんだか、危つかしい。私は今日、藤子のことを書いたとき、谷村は魂の恋などゝ妙なことを言つてゐるのだけれど、結局、藤子と、その魂の恋とやらをやり、馬脚を現すのではないか、さういふ不安がしつづけてゐる。それだつたらずいぶん、なさけないことだ。悲しいことだ。みすぼらしいことだ。私は素子が誰かと恋をして、谷村の変にとりすました気どつた悟つた一人よがりみたいなものをメチャクチャに破裂させ、逆上混乱させてくれゝばよいと思ふのだが、素子はだん/\恋ができさうもなくなるばかりだ。尤も、素子が恋をして、谷村の足場がくづれて、そんなむつかしい関係をまともに発展させる手腕にめぐまれてゐるかどうか、それが、又、不安なのだ。今から、こんなに苦しくて、この先、どうなるのだらうと、私は私の才能に就て、まつたく切ないのだ。

七月二十三日

(晴)
 猛暑。読書新聞の島瑠璃子氏来訪。荷風の問はず語りの書評。私は書けないから、佐々木基一君をわづらはすやう、すゝめる。佐々木君は荷風に就ては私と似たやうな見解を持つてゐることを先日の手紙で知つたからだ。
 新潟の兄、上京。かすかに、雨あり。いさゝかも涼しくならず、かへつて、むしあつい。
 素子は岡本の媚態を「みぢめ」だといふ。そして、その媚態が話しかけてゐるのは自分の肉体に対してゞあることを「今」は気がつかない、と谷村は考へる。そして、今は気がつかないといふことに尚多くの秘密があるやうに思つた、といふのだが、素子が果して気がついてゐないか、谷村はさう思つたにしても、果してさうか、どうか。私はどうも、こゝで、素子の肉体に同情しすぎたやうだ。私は堪へられなかつたのだが、素子は気付かぬ筈はない。谷村が、今は気がついてゐないと解釈するのは変だ。谷村は気付いてゐると解釈するのが本当ぢやないかと何度も思つたのだが、私はどうも、私が素子の肉体に就て、さうあつて欲しいと思ふセンチメンタルな希望を、谷村におしつけたやうな気がする。私はさう考へて、いやだつたが、然しさうとも断言ができない。ほんとに素子は今は気がつかないかも知れないのだと、なんとなく言ひ張りたい気持があるので、まア、いゝや、かうやつておけ、あとは野となれ山となれ、こんな小説、どうでもいゝや、と筆を投げだしてしまつたのだ。

七月二十四日

(晴)
 同居の大野一家族、一夏の予定で故郷へ。次女の婚礼の支度だ。酷熱。無慙な暑さだ。
 一日ボンヤリしてゐる。どうも書けない。考へることもない。何やかや、ふと小説のこと考へるやうだが、とりとめのない影だけで実のあることは考へてゐない。実にどうも空漠たるものだ。
 夜になつて、兄、若園清太郎と共に帰つてくる。若園君、炉辺夜話集、探して持つてきてくれる。中央公論からだす短篇集のためのもの。若園君泊る。私は一夜ねむり得ず、若園君又ねつかれざるものゝ如し。深夜に至るも全く暑熱が衰へざる為である。

七月二十五日

(晴のち曇)
 頭が痛む。読書新聞より、どうしても問はず語り書評を、といふ重ねての依頼で、本を送つたといふ。勝手に本を送つたなんて無茶な話だ。夕方から涼しくなる。長野の兄社用で上京、夜益々涼しい。久々の涼気。今日はたつた一度しか水風呂へはいらなくて済んだ。食事の用意に困却。奇怪な御飯ができあがる。今日は仕事はしなかつた。

七月二十六日

(晴)
 さして暑くない。文藝春秋の大倉氏来訪、原稿はまだできないが、あと四五枚だから、おそくとも二十九日には私の方からおとゞけすると答へる。至極マジメな青年。こんな風なジャーナリストは今までは日本になかつたタイプのやうだが、近頃の若い人には往々かういふマジメ極まる人を見かける。自我を中心に、いかに生くべきか、といふことを考へてゐる。特攻隊の死に対しての覚悟の高さを疑ると云つてゐた。自分自身の戦争生活の死との格闘からの結論なのである。考へ自体でなく、考へる態度のマジメさが、私には甚しく快かつた。芥川ヒロシ氏の友人の由で、明日、芥川家を訪ねると云ふから、その節は、葛巻義敏に呉々くれぐれもよろしく、とたのむ。
 若園君、真珠をもつてきてくれる。この本は私の発禁になつた本。私は自分の本を一冊も持たない。黒谷村が、まだ手にはいらぬ。あの中から「風博士」一つだけ、今度の短篇集へ入れたい。それの入手を若園君にたのむ。安田屋のタカシ青年遊びにくる。近所の罹災者で、戦争中は私の家に住み、この家を火からまもつてくれた。私の家の前後左右の隣へ各々五十キロの焼夷弾が落ちたのをバクハツ直後の猛火の中へ水を冠つてとびこんで前後左右に火を叩きつけ、まつたく物凄い。左官屋のお弟子だが、職人の良心と研究が旺盛で、実に好もしい青年だ。尤も、おかげで、どうも、今日は仕事がしたかつたのだが、できなくなつた。十時頃、もう、ねる。よく、ねむつた。涼しいからだ。

七月二十七日

(晴)
 どうも、今日は、思ひがけないことになつた。仁科といふ青年が登場してしまつたのだ。私は始めから素子のために一人の青年が必要だと考へてゐた。素子がだん/\恋をしさうもなくなつたので、どうもいけない、岡本の外に、若い青年を一人、と考へてをり、どうも私は、素子の肉体が岡本などに弄れるのが堪へられず、尚更、青年を、と考へてゐたのだが、私が昨日まで考へてゐたのは、もつとマヂメな相当利巧な青年のつもりであつたのに、まつたく、あべこべになつてしまつた。
 原稿紙に向ふと、まるで気持が違つてしまふので、私が私の好みや感傷から割りだして、予定してゐたことなど、とるにも足らぬことになり、書いてみると、すぐつまらなさが分り鼻につく。
 どうして、青年が仁科でなければならなかつたか、どうにも、私は不愉快だ。然し、この青年でなければならなくなつたので、仕方がない。どうしても、素子の肉体が弄れる宿命から、私は逃げられないのだらうか。私はこの青年と素子に恋などさせたくない。もし恋をするなら、別のも一人の相当ましな人物を登場させたい。その私の感傷が、果して許され、遂げられるであらうか。さういふ私の希望のせゐか、素子は、やつぱり、恋のために、動きさうもない。仁科を相手にうごきさうもない。さういふ私の希望的態度がいけないと思はれたので、私は今日中に書き終る充分な時間があつたが、中止して、歴史の本を読むことにした。今日もさして暑くない。春陽堂の高木青年来訪、小説ひきうける。

七月二十八日

(晴)
 ひどく合理的で、始めから、何かハッキリ割当てられた筋書のやうに首尾一貫したものができた。谷村は仁科によつて蛙の正体などゝいふものを発見した。むろん私は蛙の正体が見破られることを予想はしてゐたが、こんな風に、いやにハッキリと、割り切つたやうに見破られるとは思はなかつたので、私はもつと、すべてを漠然たる不明確な姿で、ぼんやりした姿のまゝ描いて素知らぬ顔でゐたい気持でゐたのだ。ボンヤリどころか、いやに明確で、まるで、小説を書きだした時から仁科を予定してゐたやうに、いやにハッキリしめくゝりがついてしまつたのは、どうも変だ。どうも話が巧くできすぎてゐるので、約束が違ふといふ気がする。約束といつても、別に心当りはないが、強いて云へば、ボンヤリといふことだ。この明確さは、どこか不自然なやうな気がするのだが、仕方がない。
 谷村は蛙の正体を見ぬいて、素子がひそかに仁科を愛してゐるにしても、さういふ夢は仕方がないと考へる。夢のない人間はあり得ず、夢すらも持ち得ぬ人を愛し得る筈もないと考へる。
 谷村のかういふ考へ方が、私はどうも不満なのだ。素子に恋をさせ、この気どりをコッパ微塵にしてやりたい。それでもまだ、こんな風に、気取つてゐられるなら、そのときこそ大いによからう。さう思ふ。そのくせ、素子はやつぱり恋をしさうもない。いや、素子がしさうもないのぢやなしに、谷村がそれを巧妙にくひとめてゐるやうに思はれるのだ。素子のひそかな夢を肯定して、夢は仕方がないものだと谷村が思ふのは、私の希望がそこに反映してゐるので、つまり単なるひそかな、夢だけで終らせたいといふ、それは谷村自身よりも作者の作意であるやうな気もした。
 それで、私は、谷村に素子を憎ませ、その恋心を嫉妬させ、衝突させようかと、大いに考へたのだが、どうしても、さうすることが、できない。やる気にならない。その方が却つて不自然だ。この儘の方が自然なので、もういゝ加減、これで終りにした方がいゝと考へられた。いつもだと、もう勝手にするがいゝや、どうにとなれ、と筆を投げるのだが、今日は尚あれこれ迷ひ、迷ふと云つても突きつめた思ひではなく漫然たる思ひなのだが、結局これでいゝことに決心するには、三時間ぐらゐ漫然と迷つてゐた。
 私はもう、素子をこれ以上登場させたくない。仁科とくだらぬ恋をして、たゞ肉体の最後の泥沼へ落ちるやうに思はれたり、ともかく、どうも、素子を書く限り、その肉体を汚すこと、弄ぶこと、まるで私はその清純に悪意をこめてゐるとしか、復讐してゐるとしか思はれない。この続篇は谷村に恋をさせるつもりなのだが、素子がそれをどう受けとめるか、私は素子に谷村の恋を知らせたくないやうな気持なのだ。素子がヤキモチをやいて肉体に焦燥しだすのが堪へられない気持だから。ともかく、まア、こゝまで書いたことに就ては、私は多く苦痛であつたが、多少は満足もしてゐる。ともかく精一杯なのだらう。これで駄目なら、私自身が、まだ、駄目なので、出来、不出来のたま/\不出来の方だつたといふ気休めは通用しない。
 思索から小説依頼、とても書けない、ことはる。読書新聞から「問はず語り」がとゞいたので、読んだ。軽すぎる。重い魂が軽いのぢやない。軽いものが、軽いのだ。

七月二十九日

(午後より雨)
 文藝春秋へ行き鷲尾洋三氏に原稿渡す。ともかく、精一杯のものです、とだけ言つた。まつたく、目下はそれが全部の感想なのだ。中央公論社へ行き、小滝氏に原稿をとゞける。まだ「風博士」だけが足りない。
 たつたそれだけ路上を歩いたゞけで、会つた人、東京新聞寺田、改造西田、新聞報柴野、若園君とその友人某君と酒をのむ。久々の酒、嬉しかつた。大いに駄ボラを吹く。酔つ払ふと、急に、大いに「女体」に自信満々たるやうに亢奮しだしたから、無茶で、私は酒を飲まないうちは、ともかく精一杯の仕事だつた、と、むしろやゝ悲痛にちかい感慨で、暗く考へてゐたのであつた。酒は無茶だ。不当に気が強くなる。ずいぶん「女体」を威張つて、二人のきゝてを悩ましたやうだ。若園君、私の家へ泊る。むりに引つぱつてきたのだ。三四日分のパンを焼いて貰ふ魂胆なのだ。一人になつたら、実に落付いて気持がいゝが、食事だけ困るのだ。





底本:「坂口安吾全集 04」筑摩書房
   1998(平成10)年5月22日初版第1刷発行
底本の親本:「近代文学 第二巻第一号」
   1947(昭和22)年1月1日発行
初出:「近代文学 第二巻第一号」
   1947(昭和22)年1月1日発行
※「ヂャーナリスト」と「ジャーナリスト」の混在は、底本通りです。
入力:tatsuki
校正:村並秀昭
2021年1月27日作成
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