昔、越後之国魚沼の僻地に、閑山寺の六袋和尚といつて近隣に徳望高い老僧があつた。
初冬の深更のこと、雪明りを
明方ちかく、窓外から、頻りに泣き叫ぶ声が起つた。やがて先ほどの手を再び差しのべる者があり、声が言ふには「和尚さま。誤つて有徳の沙門を嬲り、お書きなさいました文字の重さに、帰る道が歩けませぬ。
翌晩、坊舎の窓を叩き、訪ふ声がした。雨戸を開けると、昨夜の狸が手に
その後、夜毎に、季節の木草をたづさへて、窓を訪れる習ひとなつた。追々昵懇を重ねて心置きなく物を言ふ間柄となるうちに、独居の和尚の不便を案じて、なにくれと小用に立働くやうになり、いつとなくその高風に感じ入つて自ら小坊主に姿を変へ、側近に仕へることとなつた。
この狸は通称を団九郎と云ひ、眷族では名の知れた一匹であつたさうな。ほどなく経文を
六袋和尚は和歌俳諧をよくし、又、折にふれて仏像、菩薩像、羅漢像等を刻んだ。その羅漢像、居士像等には狗狸に類似の面相もあつたといふが、恐らく偶然の所産であつて、団九郎に関係はなかつたのだらう。
いつとなく、団九郎も彫像の三昧を知つた。木材をさがしもとめ、和尚の熟睡をまつて庫裏の一隅に胡座し、鑿を揮ひはじめてのちには、雑念を離れ、
六袋和尚は六日先んじて己れの死期を予知した。諸般のことを調へ、辞世の句もなく、特別の言葉もなく、
参禅の三摩地を味ひ、諷経念誦の法悦を知つてゐたので、和尚の
新らたな住持は弁兆と云つた。彼は単純な酒徒であつた。先住の高風に比べれば百難あつたが、彼も
弁兆は食膳の吟味に心をくばり、一汁の風味にもあれこれと工夫を命じた。団九郎の坐禅諷経を封じて、山陰へ木の芽をとらせに走らせ、又、屡々蕎麦を打たせた。一酔をもとめてのちは、肩をもませて、やがて
一夕、雲水の僧に変じて、団九郎は山門をくぐつた。折から弁兆は小坊主の無断不在をかこちながら、酒食の支度に余念もなかつた。
雲水の僧は身の丈六尺有余、筋骨隆々として、手足は古木のやうであつた。両眼は炬火の如くに燃え、両頬は岩塊の如く、鼻孔は風を吹き、口は荒縄を縒り合せたやうであつた。
雲水の僧は庫裏へ現れ、弁兆の眼前を立ちふさいだ。それから、
「
弁兆は徳利を落し、さて、臍下丹田に力を籠めて、まづ大喝一番これに応じた。
と、雲水の僧は、やをらかたへの囲炉裏の上へ半身をかがめた。左手に右の衣袖を収めて、
「酒糟の漢よく仏法を喰ふや如何に」
雲水の僧はにぢり寄つて、真赤な燠を弁兆の鼻先へ突きつけた。弁兆に二喝を発する勇気がなかつた。思はず色を失つて、飛び
「這の掠虚頭の漢(いんちきやらうめ)!」
雲水の僧は
雲水の僧は住持となつた。人
村に久次といふしれものがあつた。大青道心の坐禅三昧を可笑しがり、法話の集ひのある夕辺、庫裏へ忍び、和尚の食餌へやたらと
果して和尚は、開口一番、放屁の誘惑に狼狽した。臍下丹田に力を籠めれば、放屁の音量を大にするばかりであり、丹田の力をぬけば、心気顛倒して為すところを失ふばかりであつた。
「しばらく誦経致さう」
和尚は腹痛を押へてやをら立上り、木魚の前に端坐した。
釈迦牟尼成道の時にも降魔のことがあつた。正法には必ず障礙のあるもの。放屁を抑へようとして四苦八苦するのも未だ法を会得すること遠きがゆゑであり、放屁の漏出に狼狽して為すところを忘れるのも未だ全機透脱して大自在を得る
それにつけても、俗人の済度しがたいことを嘆いて、人里から一里ばかり山奥に庵を結び、遁世して禅定三昧に没入した。
冬がきて、田舎役者の一行がこの草庵を通りかかつた。
雪国の農夫達は冬毎にその故里の生業を失ひ、雪解けの頃まで他郷へ稼ぎにでかけるのが昔からの習ひであつた。部落によつて、あるひは灘伊丹の酒男、あるひは江戸の奉公と様々であるが、所によつては、越後獅子の部落もあり、村廻りの神楽狂言芝居等を伝承するところもあつた。もとより正業は農であるが、副業も亦概ね世襲で、現今も尚このあたりには冬毎に芝居を巡業する部落がある。丈余の雪上に舞台を設へ、観客も亦雪原に筵をしき、持参の重箱をひらいて酒をのみながら見物する。木戸として特に規定の金額がないから、金銭を支払ふ者は甚だ稀で、通例米味噌野菜酒等を木戸銭に代へ、一族ひきつれて観覧にあつまる。演者はただひたすらに芝居を楽しむといふ風で、寒気厳烈の雪原とはいへさながらに春風駘蕩、「三年さきに勘平の男前の若い衆はどうなすつたね。女の子が夢中になつたものだつたが、達者かね」「あの野郎は
折から一行のひとりに病人ができた。通りかかつた草庵をこれ幸ひに無心して病人を担ぎ入れたが、翌日も、また翌日も、はかばかしくいかない。先を急ぐ旅のこととて、ひとりの附添ひを置き残して一座の者は立去つた。
病人は暮方から熱が高まり、夜は悪夢にうなされて
「拙僧は左様な法力を会得した生きぼとけでは
病人は日毎に衰へ、すでに起居も不自由であつた。頻りに故里の土を恋しがり、また人々をなつかしんだ。その音声も日を経るごとに力なく、附添ひの友の嘆きを深くさせるのみだつた。彼は執拗に和尚の祈祷を懇願した。
「定命はこれ定命で厶る。一切空と観じ、雑念あつては、成仏なり申さぬぞ」
和尚の答へは、いつもながら、それだけだつた。傍に瀕死の病人もなきが如く、ひねもす禅定三昧であつた。その大いなる
さりとて病状は一途に悪化を辿るばかりで、人力の施す術も見えないので、附添ひの男は、暇あるたびに、坐禅三昧の和尚の膝をゆさぶつて、法力の試みを懇請するほかに智慧の浮かぶゆとりはなかつた。ゆさぶる膝の手応へは太根を張つた大松の木の瘤かと思はれるばかり、なかなか微動を揺りだすことも絶望に見える有様であつた。
「生者は必滅のならひ。執着して、徒らに往生の素懐を乱さるるな」
和尚は俗人の執念を厭悪するものの如く、ときに不興をあらはして、言つた。さうして、膝をゆさぶられても、半眼をひらかうとすらしなかつた。
然し、和尚の顔色も、病者の悪化に競ひ立つて、日に日に光沢を失ひ、その逞しげな全身に、なんとなく衰への気が漂つた。
春がきて、巡業の一行が再び草庵へ戻つたとき、すでに病人は臨終を待つばかりであつた。人々は不幸な友の枕頭に凝坐して、悲嘆にくれたが、もとより人の思ひによつて消える命が取戻せようものではなかつた。
草庵の裏山に眺望ひらけた中腹の平地を探しもとめて、涙ながらに友のなきがらを葬つた。回向、引導も型の如くに執り行つたが、和尚の顔色は益々勝れず、土気色のむくみを表はし、眉間の憂悶は隠しもあへず、全身衰微の色深く、歩く足にも力失せがちな有様がただならなかつた。
一座の長が進みでて、一様ならぬ長逗留の不始末を詫び、回向の労を深謝したとき、和尚が言つた。
「されば、善根、回向は比丘のつとめ。ましてこの身は見られる如く世を捨てた沙門、お礼のことはひらに要り申さぬ。ただ、お言葉ゆゑ、所望いたしてよろしいものなら、なにとぞ、一念発起の心根をあはれみ、塵労断ちがたい鈍根の青道心に
語る言葉にも力なく息苦しげであつた。
人々は俄かに興ざめ、遺品などとりまとめるにも心せかせて、いとまを告げたが、それを待つ間ももどかしげな和尚の様子に、ほとほと厭気さすばかりであつた。
人々がものの三四十間も歩いたころ、うしろに奇異な大音響が湧き起つた。低く全山の地肌を這ひわたる幅のひろいその音響を耳にしたとき、すでに人々の踏む足は自ら七八寸あまり宙に浮き、丹田に力の限り籠めてみても、音の自然に消え絶えるまで、再び土を踏むことができなかつた。
驚いて、草庵の方を振返ると、和尚は柱に縋りつき、呼吸は荒々しくその肩をふるはせてゐた。
再び大音響を耳にしたとき、和尚の法衣は天に向つて駈け去るが如く、裾は高々と空間に張りひろがり、人々の足は自然に踏む土を失つて、再び宙に浮いてゐた。
山の粉雪も黄色にそめ
春のさかりに紅葉もさかせ
おないぶつに
仏様も金びかりなら
目出度い 目出度い
あるとき、和尚に依頼の筋があつて、草庵を訪ねた村人があつた。
訪ふまでもなく、坐禅三昧の和尚の姿が、まる見えであつた。
「お頼み申します」
と、訪客は和尚の後姿に向つて、慎しみ深く訪ひを通じた。趺坐の和尚に微動もなく、返事もなかつた。四たび、五たび、訪客は次第に声を高らかにして、同じ訪ひを繰返したが、さながら木像に物言ふ如く、さらに手応への気配がなかつた。
さて、所在もなさに見廻せば、すでに屋根は傾いて、所々に隙間をつくり、また大空ののぞけて見える孔もあつた。雨の降る日は傘さしても間に合ふまいと思ひやられるのもことはり、畳はすでに苔むすばかりの有様であつた。長虫は処を得て這ひまはり、また
訪客は縁先ににぢり寄つた。
「もし、和尚さま」
首を突き入れて、三たび、四たび繰返したが、声の通じた様子もなかつた。
たまりかねて、濡縁へ片膝をつき、這ひこむばかりの姿勢となつて、片腕を延して和尚の背中を揺らうとした。
「もし。和尚さま」
矢庭に彼はもんどり打つて、土の上にころがつてゐた。彼はそのとき、今のさつき目に見たことが、如何様に工夫しても、呑みこみかねる有様であつた。
後向きの姿ではあるが、不興げな翳が顔を掠めて走つたかと想像された一瞬間、たしかに和尚の姿がむくむくとふくれて、部屋いつぱいにひろがつたのを認めた筈であつたのである。
腰骨の痛みも打忘れて、訪客は麓をさして逃げ帰つた。
ある年、行暮れた旅人が、破れほうけた草庵を認めて立入り、旅寝の夢をむすんだ。
すでに棲む人の姿はなく、壁は落ち、羽目板は外れて、夜風は身に
深更、旅人はふとわが耳を疑りながら、目を覚した。その居る場所にすぐ近く、人々のざわめきの声がするのであつた。それは遠くひろびろと笑ひどよめく音にもきこえ、またすぐ近くあまたの人が声を殺して笑ひさざめく音にもきこえた。
旅人は音する方へにぢり寄つた。壁の孔を手探りにして、ひそかに覗いた。さうして、そこに、わが眼を疑る光景を見た。
そこは広大な伽藍であつた。どのあたりから射してくる光とも分らないが、幽かに漂ふ明るさによつては、奥の深さ、天井の高さが、どの程度とも知りやうがない。さて、広大な伽藍いつぱい、無数の小坊主が膝つき交へて蠢いてゐた。ひとりは人の袖をひき、ひとりはわが口を両手に抑へ、ひとりは己れの頭をたたき、またひとりは脾腹を抑へ百態の限りをつくして、ののしり、笑ひさざめいていた。
やがて最も奥手の方に、ひとりの小坊主が立ち上つた。左右の手に
「花もなくて」
歌ひながら、へつぴり腰も面白く、飛立つやうに身も軽く一舞ひした。
「あら羞しや。羞しや」
小坊主は節面白く歌ひたてて、両手の小枝を高々と頭上に捧げ、きり/\と舞つた。と、舞ひ終り、ひよいと尻を持上げて、一足ぽんと蹴りながら、放屁をもらした。
花もなくて
あら羞しや。羞しや
小坊主は、舞ひ、歌ひ、放屁をたれ、こよなく悦に入ると見えた。同じ歌も、同じ舞ひも、繰返すたびに調子づき、また屁の音も活気を帯びて、賑やかに速度をはやめた。あら羞しや。羞しや
放屁のたびに、満座の小坊主はどッとばかりにどよめいた。手をうつ者もあり、鼻をつまむ者もあり、耳に蓋する者もあれば、さては矢庭にかたへの人の鼻をつまんで捩ぢあげる者もあつた。ののしり、わめき、さて、ある者は逆立ちし、またある者は矢庭に人の股倉をくぐりぬければ、またある者はあほむけにでんぐり返つて、両足をばたばた振つた。
異様なこととは言ひながら、その可笑しさに堪へがたく、旅人は透見の自分も打忘れて、思はず笑声をもらした。
どよめきは光と共に掻消え、あとは真の闇ばかり。ただ自らの笑声のみ妖しく耳にたつことを知つたとき、むんずと組みついた者のために、旅人はすんでに捩ぢ伏せられるところであつた。必死の力でふりほどき、逃れようと焦つてみたが、絡みつく者は更に倍する怪力であつた。精根つきはてて抵抗の気力を失つたとき、組みしかれた旅人は、毛だらけの脚が肩にまたがり、その両股に力をこめて、首をしめつけてくることを知つた。
ふと気がつけば、草庵の外に横たはり、露を受け、早朝の天日に
村人が寄り集ひ、草庵を
村人は憐んで塚を立て、周囲に