明治開化 安吾捕物

その十三 幻の塔

坂口安吾




「なア、ベク助。貴公、小野の小町の弟に当る朝臣あそんだなア。人に肌を見せたことがないそうだなア。ハッハッハア」
 五忘にこう云われて、ベク助は苦い顔をした。イヤなことを云う奴だ。この寺へ奉公して足かけ四年になるが、五忘の奴がこう云いはじめたのは今年の夏からのことである。そのときは、
「貴公、めっぽう汗ッかきだが、肌をぬがねえのがフシギだなア」
「ヘッヘ。お寺勤めの心掛けでござんしょう」
「ハッハ。それにしちゃア、毎晩縁先からの立小便はお寺ながらも風流すぎるようだなア」
 なぞと云っていた。
 肌を見せてはならぬ曰くインネン大有りのベク助だが、まさかその秘密が見ぬかれたワケではあるまい。
 とは云え、この寺の奴らときては油断のならぬ曲者ぞろいだ。
 今はなくなったが、芝で七宝寺といえば相当な寺であった。ところが、維新の廃仏毀釈に、この寺が特に手痛く町民の槍玉にあげられたが、それは住職の三休が呑む打つ買うの大ナマグサのせいであった。
 けれども三休はおどろかない。坊主には惜しい商魂商才、生活力旺盛であるから、お経なんぞあげない方が稼ぎになろうというものだ。その上目先がきいているから、仏像がタダ同然値下りのドサクサ中に諸方のお寺の仏像をかきあつめ、十年あとではそれが大そうなモウケとなっているのである。
 のみならず、生れつき手先が器用だから、自分で仏像をきざむ、せがれの五忘には小さい時から仕込んだから、親子鼻唄マジリで年に二十体も仏像を刻めば大そうなミイリになる。泥づけにして、千年前、六百年前、何々寺の尊だ秘仏だと巧みに売りさばくのである。
 たまたま旅先で箕作みつくりのベク助の器用な腕に目をつけた。これを雇入やといいれて、生産力が倍加したが、五忘の奴が父に劣らぬ道楽者で、父子相たずさえて遊興にふける。お寺の本堂でバクチをやる。ミイリはあるが、出るのも早くて、年中ピイピイである。
 ベク助は住込みで月十円の高給。食住がタダで十円だから、相当な給料だ。三休と五忘は時に貧窮して、ベク助に金をかりる。すると天引き二割、月の利息二割で貸しつける。とりたてはきびしい。ベク助は大望があるから、今はせっせと金をためているのである。
 ベク助は箕作りとはウソであった。
 人殺しと牢破りの兇状もち。名古屋に生れて東京横浜で育ち、大阪で牢に入った大工の新八という名題なだいの兇状もちであるが、うまいことには牢を破って山中をうろつくうちに、熊と闘って額から頬へ平手うちをくらって、片目がつぶれ、片アゴをかみとられた。しかし熊を斬り殺して、熊肉を食いつつその場に倒れ伏して死を待つうちに、悪運つよく生き返ったばかりでなく、すッかり人相が変り、別人に誕生してしまった。
 そこで箕作りのベク助と相なったワケだが、ここに一ツだけ変らぬ物があった。ベク助が人に肌を見せないのは、そのためだ。
 肌さえ見せなければ、生れ変ったこの人相、肌を見せないことが多少怪しみをうけても、真の秘密が見破られることは有りッこないとベク助は自負していた。油断のならない五忘だが、肌を見ない限りは、ほかに見破る手掛りはないはずだ。
「小野の小町の弟の朝臣だなア。ハッハッハア」
 と、又してもチクリとやられたが、何を小癪なと、もうベク助は相手にならないことにしていた。
 すると、五忘は高笑い。
「なア、ベク助朝臣。ガマと自雷也じらいやをしょッてちゃア、重たかろう」
 まさにベク助の心臓を突き刺す一言。人殺し、牢破りの兇状もち大工の新八の取り換えのきかないのが脊中の皮だ。ガマと自雷也、天下一品とうたわれたホリモノ。今では天下一品がうらめしいのである。これあるためにベク助になりきれないのがうらめしい。
 大胆不敵のベク助も色を失ってキッと立つ。自然にノミをつかんで構えたが、五忘はそれを見てカラカラと笑い、
「坊主首をたッた一つ斬り落して元も子もなくしちゃア合うめえやな。ときにベク助朝臣と見こんで頼みの筋があるが……」
 相手の腹を読みきっておちっき払った五忘の様に、ベク助も殺気を失ってしまった。

          ★

 氷川の海舟邸から遠からぬ田村町に、島田幾之進という武芸者が住んでいた。
 彼がここに道場をひらいたのは五六年前のことであるが、その前身に白頭山の馬賊の頭目だという人もあれば、シナ海を荒した海賊だという人もある。
 彼の住居と道場の建設には平戸久作という人が当り、それが完成すると、島田一族三名が手ブラで越してきた。ただ一ツたずさえてきた皮の行嚢こうのうの中に黄金の延棒が百三十本ほどつまっていたという話が伝わっている。その何本かを無造作につかみだして平戸久作に手渡したという。
 平戸久作はシナで棉花の買いつけをやって産をなした相当の実業家であるが、それが膝をまげて仕えるからには余程の大物、曲者だろうという臆測なのだ。
 島田幾之進は五十がらみの六尺豊かの偉丈夫。家族は子供二人だけ。上の男が三次郎で、年はハッキリ分らない。なぜなら、これが俗に云う福助、頭デッカチの一寸法師で、三尺あるなしの畸型児だから、見ただけでは年齢が判らない。二十から二十五ぐらいで、どの年齢にも見える時がある。
 ところが妹をサチコといって、これは目のさめるような美少女だった。年は十八。気品あくまで高く、白百合よりも、清く、さわやかである。
 しかるに彼の道場に入門を許された者が、五ヶ年間にようやく十五名である。すくなくとも数百名が入門を志したり、ヒヤカシに出むいたりしたが、その全員が当時十三のサチコの杖に突き伏せられ、噂をきいて他の道場の師範代程度の使い手が一手試合に出かけたこともあったが、サチコのくりだす杖の魔力に打ち勝つことができなかった。
 道場の看板に武芸十八般とある通り、入門を許された十五名は朝から夜まで諸流の稽古に休む間もないほどである。
 彼らは稽古について多く語ることを避けるから道場内の生活はよく分らないが、師を尊敬することの甚しさは門弟一同に共通したものであった。
 そこで世間は取沙汰して、由比正雪の現代版現る、なぞと説をなすものが次第に多くなった。
 由比正雪は天下を狙ったが、島田幾之進は何事を策し、何事を狙うか。馬賊、海賊の手下を養成するか、さてこそ口サガない人々は島田の門弟を指して、
「馬賊の三下が通るぜ」
 なぞと云う者もあるほどだった。時の怪物と目されて、世人のウケは一般によろしくなかった。
 けれども十五名の門弟の数名に近づきを持った人なら、決して島田を悪しざまに言う筈はなかったのである。門弟に共通していることは、彼らが一様にいわゆる豪傑風の武骨者ではないことだ。むしろ豪傑の蛮風から見れば文弱と称してよろしいほど、礼節正しく、常識そなわり、円満温厚な青少年のみ集めていた。したがって彼らの体格は一見弱々しい者が主であった。そして何年たっても武芸者然とはならなかったが、特別な心得の人が見れば、彼らがすでに相当の手練を会得しつつあることが了解し得たであろう。けれどもその特別の心得なるものが、当時の武芸者には欠けていた。彼らが主として学んでいたのは杖術ならびに拳法、むしろシナ流のカラテであった。その他、馬術、水泳から短銃、航海術等に至るまで学びつつあったのである。島田は短銃の名手でもあった。
 カラテほど実用的な闘争術は少なかろう。突きも蹴りも必殺の急所のみ狙うから試合ができない。型だけだから実用的でないように見えるが、実はアベコベで、型が実用に役立つまで、敵襲に応じて万全の受けや攻撃を一手ごとに分離会得するまでには驚くべき練習量を要求する。この練習量はとうてい他の武術の比ではなく、したがって、この練習量に堪えるには平静温厚にして志の逞しい人格を要するものである。
 カラテは徒手空拳、剣に対抗しうるが、これだけはとてもかなわん、というのが一ツある。それが杖術だ。今日も静岡に夢想権之助の神伝夢想流がつたわっており、私は先日、警視庁の杖術師範鈴木先生に型を見せていただいて、あまりにも有利きわまる術の妙に呆れ果てたのである。
 棒の両端が交互に襲いかかるが、一端を見つめているとき、思いもよらぬ方角から他の攻撃が起り、ただ目がくらみ、為すところを失うのみであった。
 杖術の存在を知り、その攻撃法を知り、それに対して特に訓練した者でなければ、いかな剣の巧者でも十三のサチコにしてやられるのが当然なのである。
 カラテの広西五段は日本カラテ界の最高峰の一人だが(名人の次には五段が最高位である)杖術にはとても敵対できません、と語っているのである。
 ふりかぶって振りおろす剣には広さが必要だが、四尺二寸の杖は、四尺二寸の手の幅が上下にありさえすれば自由自在にあやつり得るもので、これもまた意外の一ツ。三畳の広さがあれば縦横に使える。婦人の護身用としてこれほど有利なものはなさそうである。
 かかる巧妙な術が流行しなかったのはフシギだが、カラテも杖もあまりにも実用的で、必殺の術であるのが、悟道化した武道界に容れられなかったのかも知れない。
 島田が主として伝えたものはこれであり、そのために特定の人格を選んだのである。
「島田の道場に普請があってツンボの大工を探しているが、貴公ひとつツンボの大工に化けてもらいたい」
 五忘がベク助に話というのは、それであった。五忘は言葉をつづけて、
「実は、オレの妹のお紺というのが島田道場で女中にやとわれているが、このお紺は生れながらのツンボで、オシで正真正銘マチガイなしの出来損いだ。そのほかに金三とかいうツンボでオシの下男がいて、島田じゃア、ツンボでなきゃア下女下男に入れない家法だ。もっともお吉という女アンマが出入りしているが、これはメクラだとよ。今度の普請もツンボの大工に限るそうだが、幸いなことに、貴公が無口で横柄だから、近所の者もあいつツンボじゃないかなどと言う者がいるのは都合がよい」
 ベク助が無口なのは熊に片アゴかみとられてから舌がもつれてフイゴの吹いているような風の音がまじるのも喋りたくない理由であった。
「そこで貴公に頼みというのは、縁の下から抜け道をつけてもらいたい。ここに手附けが三百両。見事仕上がったら、耳をそろえて七百両進上しようじゃないか」
 ベク助は特に逃げ隠れているわけではないが、隣り近所のツキアイというものを全くやっていない。
 そこで島田道場という奇怪な存在についても知識は乏しかったが、五忘の話の内容だけでも一方ならぬ曲者であることは明らかであろう。ツンボとメクラのほかには出入りを許さぬというから、人に知られては困る秘密があるに相違なかろう。
 五忘のタクラミは分らないが、ニセツンボで普請を仕上げるまでには五忘の奴にも分らない秘密が握れるかも知れない。こいつは一仕事、しがいがあると考えた。

          ★

 普請は福助の三次郎と平戸久作の娘葉子の新婚のための新居であった。
 ベク助は島田の逞しさにも驚いたし、サチコの美しさにも目をうばわれたが、福助の三次郎にも一驚した。
 小人の身体に大頭をのッけたこの畸形児の目玉の鋭さはどうだろう。これは悪魔の目色だ。なんて深い光であろうか。どこにも油断がなく、どこにも軽やかな色がない。冷く凍りついた目であった。
 島田幾之進もその眼光はただならぬが、そこには達人の温容がこもっていた。三次郎には、あたたかさ、甘さの影すらもない。日に一度顔を合わせることも稀れであったが、ベク助はその目を見ると石になるような悪感が走った。
「こいつ悪魔だ。化け者だぞ」
 ベク助は自分の心に言いきかせる必要があった。
「こんな約束の違う野郎は珍しいや」
 そうせせら笑ってみても、背筋を走る悪感はどうにもならないし、その正体はつかみようがなかった。
 しかし、なにしろニセツンボになりきるのが何よりの大事で、まア、その心得にはヌカリがない自信はあった。
 ところが自分がニセモノであるために、彼は妙なことに気がついた。
 ある日仕事のキリがわるくて後片づけをしているうちに真ッ暗闇の夜になった。そこへお吉アンマが普請場を通りすぎたが、昼間通る時に比べて実に歩行が不自由だ。しきりに物に突当るし、その手さぐりのタドタドしさ、何倍の長時間を要して普請場をようやく通りぬけて行く。
 メクラに夜も昼もあるものか。このメクラはニセモノだぞ、たしかにクサイ、と自分がニセモノであるために、ベク助は即座にこう断定した。
 なるほど、お吉の片目は白目だけだし、片目は細くて、赤くただれ、黒目がちょッとのぞけて見えるだけだが、ただれのためにメクラとしか見えないけれども、いくらか見えるに相違ない。ちょうど帰りが一しょになったから、話しかけて、秘密を知りたいとは思うが、ツンボでオシが喋るわけにいかないから、暗闇を幸い、見えがくれに後をつけると、芝山内の近くまで長歩きして、大きな邸宅の裏木戸をくぐって行く。
 幸いあたりは人通りがないから、ベク助はそッと塀をのりこえて邸内へ忍びこんだ。
 使用人の住宅もあるから、燈火のもれているのを一ツ一ツのぞいて行くと、本邸の洋館広間に主人と三太夫らしい人物とお吉の三人が話をしている。わりに窓に近くて、お吉の声がカン高いから、お吉の声だけわりとハッキリききとれる。
「金三さんの話では、今度の大工はニセツンボだてえことでした。金三さんはニセツンボに年期を入れていますから、一日二日でニセと分ったそうですよ。どうしても音のする方に顔がうごきますからねえ。ですが、なりたてのニセモノにしては出来た野郎だてえ話でした」
 お吉の声である。ベク助はおどろいた。オヤオヤ、下男の金三もニセツンボで、コチトラだけが見破られるとは呆れた曲者。上には上があるものだ。
 男の声はききとれなかったが、どういう筋から雇い入れたか訊いたらしい。お吉の返事で、
「七宝寺のナマグサ坊主ですよ。住職が三休てえ蛸入道で、その子の五忘てえガマガエルの妹がお紺てえホンモノのツンボで島田の女中にやとわれている事。蛸入道もガマガエルも芝で名題の悪党ですから、何かたくらんでいるのに相違ないと金三の話でした」
 それから話は金三に尚とくと大工を見はれと言ってるらしく、まもなくお吉は立ち去った。
 すると、それと入れちがいに奥から二人の若者が現れた。その二人に見覚えがあるので、ベク助は、
「ヤ、ヤッ」
 と心に叫びを発した。二人は島田道場の門弟だ。一人は平戸久作の倅、葉子の兄の一成であるし、一人は大坪鉄馬という門弟中でも一二の俊英、師の信任をうけている高弟であった。
 お吉の代りに若者が相手になると主人の声もはずんできて、ツツヌケにきこえる。
「平戸久作も小金に目がくらんだか。葉子を化け者のヨメにやるとは呆れた奴だ。のう、鉄馬。大坪彦次郎と平戸久作は生死をちかった無二の友。鉄馬と葉子は両家を一ツに結び合わせるカスガイだ。その堅い婚約には七年前にこのオレが立会っている」
 主人の語気には若者を煽りたてる作意がこもっていた。
 ところが鉄馬の返答は、意外に冷静沈着であった。
「平戸一成と大坪鉄馬は二人の父に代って、父と同じように生死をちかった無二の友です。葉子どのとの婚礼の必要はありませぬ」
「ほう。言うたな。しかし、なア。大坪彦次郎死後に至って挨拶もなく婚約を取消して化け者にくれてやる平戸久作の心が解せぬわ。イヤ。久作の心は解せる。化け者の人身御供に美少女を所望した島田が憎い。のう。久作に罪はないぞ」
「イエ。師も、先生も葉子を所望致されはせぬ」
 葉子の兄、平戸一成の声であった。主人は相手の語気をそらして、うすとぼけて、
「ほう。師も、先生も、とは何事じゃ。師と先生と二人いるかな」
「師は島田幾之進先生。先生とおよび致すは島田三次郎どのです」
「あの化け者が何芸を教えおる」
「諸芸に神技を会得しておられます。弓をとれは飛ぶ矢を射落し、杖を握れば一時に百杖の閃く如く先生の姿を認めるヒマもありませぬ。短銃を握れば六発が一ツの孔を射ぬきます」
 こればかりは主人も初耳であったらしい。しばらくは言葉に窮していた。
「島田も化け物も所望しないと云うのだな」
 主人の声は噛んで吐きすてるようだった。一成はうなずいて、
「左様です。父の意志ではありませぬ。葉子が自ら所望しました。先生の不具の身にいささか憐れみの志をたてたのは滑稽ですが、その志に濁りや曇りはありませぬ。葉子の覚悟は一途です。至純です」
「ようし。さがれ。それがその方らの本心か。大狸に化かされるな。今に目のさめる時がくるぞ」
 二人の若者はそれには答えなかった。ただ鄭重ていちょうに会釈して、静かに退去した。ローソクのゆれる火影に、主人の顔が一ツ残った。まるで気の狂った猫のように、その目に憎悪の閃光が宿っている。ベク助はここでも背筋に悪感の走るのを覚えた。
「どういう関係の奴らだろう。まるでオレには解せないが」
 と、ベク助は邸を脱出して帰途についた。主人の標札だけは見てきたが、山本定信とあった。
 ベク助は七宝寺へ戻ってきて、五忘に訊ねた。
「山本定信てえのは何者だね」
 五忘の目がギラリと光った。
「貴公、本日、何を見たのだ」
「何も見ねえよ。そんな人の名をきいただけさ」
「名がでる筈はない。なア。貴公。その名は出ないよ」
「そうかねえ」
「そうだよ。だが、まア、いいや。貴公の仕事はそんなことじゃアなかったなア。山本定信てえのは、清の皇帝様の重臣だよ」
「日本人じゃアねえのかね」
「オレがお釈迦サマの友達、重臣だてえのを貴公も心得ているだろう。天下は甚だ広いものだ、なア」
「そうかい」
「下僕の金三に、アンマのお吉、ツンボとメクラがいただろう。貴公、それをどう見たかえ」
 畜生メ。心得ていやがる。何から何まで油断のできないガマガエルだ。ベク助は癪にさわって、返答せずに座を立った。
 蛸入とガマはみんな心得ているらしい。オレときては敵地へまんまと乗りこみながら、敵に見破られるばかりで、一向に確かなことが分らない。実にどうも面白くない有様である。
 しかし、ここまで踏みこんだからにゃア、今にみんな正体を見ぬいてみせる。蛸入もガマもおどろくな。
 とにかく話がみんなシナにつながっていやがるらしいから、そッちの方からタグリだしたらどうにかなろうというものだ。
 ベク助はこう考えて計画をねった。

          ★

 ベク助は翌日の仕事を早目に切りあげて、横浜本牧のチャブ屋へでかけた。そこのオヤジはシナ浪人のバクチ好きで、先に七宝寺の本堂へ時々バクチにきたことがある。横浜に通じているベク助、然るべき筋で手ミヤゲの阿片を買いもとめたが、これは訪ねるチャブ屋の亭主が阿片中毒だからである。
 何よりの手ミヤゲ。その利き目は恐しい。亭主は秘密の別室へベク助をつれこんで、自分は阿片を一服しながら、
「そうかい。山本定信のことかい。あいつがつまり、これじゃアないか。この、阿片だよ。奴の北京居館は五十何室阿片でギッシリつまっていると云われているな。高位高官へタダの阿片を無限につぎこむ代りには、シナのことじゃアシナの公使よりも日本にニラミがきくそうだ。シナの利権は奴の顔を通さないと、どうにもならないということだぜ」
「するてえと、山本てえ人は日本の役に立ってるのか、シナの役に立ってるのか、どっちの役に立つ人なんでしょうねえ」
「それはお前、どっちの役にも立たねえや。自分の役に立つだけだアな。しかし、まア、どっちかと云えば、シナの威光をかりて日本を食い者にしている奴だ」
「ふてえ奴ですねえ。ところで、つかないことを訊きますが、島田幾之進てえ武芸者は、シナにツナガリのある仁ですかい」
「ちかごろ名題の曲者だなア。オレがシナにいたころは、そんな名を一度もきいたことがないな。だがな。アチラの馬賊の頭目や海賊の頭目に日本人が一人二人いるらしいが、誰も日本名を名乗っちゃいねえよ。みんなアチラの名がついてらア」
「平戸久作てえのは?」
「それは棉花を買いつけて、ちょッとばかしもうけた商人だ。大坪彦次郎てえのが相棒で、モウケたと云ってもそれほどの成金ではないが、こういうカセギをするにも、それ、山本定信の手を通し、進物を呈上しなくちゃア事が成らないてえワケだ。山本定信に見放されると、あとのカセギはできないぜ」
「なるほどねえ」
 これで大体の当りはついた。ただ問題は島田幾之進であるが、平戸久作が山本定信にそむいて葉子を三次郎にめあわすとすれば、島田は山本と対立しうる実力者であるに相違ない。
 するてえと、蛸入道とガマ坊主は何を目当てにたくらんでいるのであろうか。
 島田一族という奴は、とにかく薄気味わるい怪物ぞろいだ。おまけにニセツンボは山本定信の廻し者に見破られている。あるいは島田一族にもとっくに見破られているかも知れない。
 しかし、ベク助とても悪党の筋が一本通っている点では人後に落ちない曲者だから、みんな見破られているようだと分っていても、よろしい、一そうやってやれという不逞な根性が鎌首をもたげるのである。
 五忘の奴にたのまれた約束なんぞというチャチな問題ではなかった。敵を大曲者と知り、見破られたと知る故に、敢て五忘の註文通り縁の下から通じる道を立派にしとげて怪物どもの鼻をあかしてやろうと決意をかたくした。
 そこでベク助は普請に精魂を傾けた。一手に大工も左官も屋根屋もやる。九月上旬からかかって十二月の半ばに八畳と四畳半と三畳に台所をつけた小さな別宅が完成した。一人で仕上げたにしてはたしかに見事な出来。ところが台所の板をあげると下が物置になっている。物置の四方が塗りこめられていて縁の下との仕切りは完全のようであるが、実は幅三尺、高さ二尺の石のカベが動くように出来ている。この苦心はナミ大ていなことではなく、しかし堂々とやってのけた。
 島田幾之進はベク助の熱心な仕事ぶりと見事な出来を賞して、多額の金品を与えた。
 ベク助はその日七宝寺へ立ち帰ると、五忘に向って、
「約束通り、細工はちゃんとしておきましたぜ。細工はこれこれ、しかじか。まア、ためしに行ってきてごらん。約束の金はそれからで結構でさア」
 と、しごくおおらかで、コセコセしたところがないのは、蛸入やガマの如き小怪物は物の数ではない。大怪物を見事にだましおわせた満足だけで大きに好機嫌であったからだ。
 ところが五忘とても、そうチャチな小者ではないから、ベク助の言葉にイツワリなしと見て、耳をそろえて七百両をとりそろえ、
「大そうムリな頼みをしてくれて有りがたい。ガマと自雷也のホリモノはフッツリ忘れたから、どこへなりと行くがよい。長らく性に合わない仏造りは、すまなかったな」
 こう云って、アッサリとヒマをだした。
 ベク助は足かけ四年、一文もムダに使わず貯えた金だけを肌身につけて、
「長らくお世話になりました。また箕作りのベク助で」
 と、道具一式を包みにしてブラリと七宝寺を立ち去ってしまった。
 しかし、このまま行きずりながらもフシギな事態を見すてるようなベク助ではなかった。最後の秘密は必ず見届けてみせるぞ、と心に誓い、流浪の箕作りを装って、島田道場を遠まきにセブリをつづけていたのである。
 必ず何かが起る。容易ならぬことが起るであろう。何が起るか知れないが、オレが本腰を入れるのはそれからだ、とベク助は考えていた。

          ★

 それは婚礼の夜のことだ。婚礼と云っても、極めて内輪の集りで、島田幾之進、平戸久作、いずれも妻女をなくして一人身、二人の父と門弟、サチコが集ったのみ、つまり毎日の顔ぶれにヨメとその父が加ったというだけのことだ。
 道場で祝言をあげ、座敷で酒宴をひらく。平素酒をつつしむ島田道場で一同が盃をくみかわすのは正月の元日でも見ることのできない風景である。
 平素きたえにきたえた一同も、酒の方ではきたえがないから、早くも酔って、座は甚しく賑やかに浮き立っている。酔わないのは、サチコとオヨメさんだけ。幾之進も三次郎もやや御酩酊である。
 オヒラキのあとではお紺に金三の両ツンボが酔いつぶれ、お吉アンマもヘドを吐いて暫時ねこむていたらくであった。
 ところで、翌朝のことである。
 酔ったおかげで早々と目のさめたお紺が、別宅の新郎、新婦のお目ざめの様子を見て、まだモーローといたんで霞む頭をもてあましながら、別宅の台所へやってきた。新宅の台所で新鮮なお茶を立ててあげようというダンドリである。この台所を使うのははじめてだが、板をあげると下に薪があるはず。そう考えて、板をあげた。
 お紺は仰天して腰をぬかし、やがて十羽のアヒルがほえたてるようなオシの大騒音が起った。
 人々が台所へかけつけてみると、お紺は喚きつつ腰をぬかしている。板を二枚あげかけて一枚は下へ落したが、中に見えるのは朱にそまった死体であった。
 床の板をあげてみると、死んでいるのは二人である。鋭利な刃物で三四ヶ所刺しぬかれて血の海の中にことぎれている。
 しらべてみると、お紺の父の三休と兄の五忘ではないか。まさに密室殺人とはこのことで、下の物置は四囲をぬりかためて、出ることも、はいることもできない。
 しかも物置の内部だけが血の海で、台所に一滴の血がないのを見ると、この中で殺されたとしか思われない。
 さすがの島田幾之進も茫然として考えることもまとまらない。ようやく放心を押し鎮めて、三次郎に向い、
「どうも、解しがたいことが起ったものだ。二人の坊主が、どこをどうして、この中で殺されているのか判じ難いが、婚礼のドサクサを見こんで泥棒に来たもののようだ。それ、二人ながら、麻の丈夫な袋を腰にブラ下げでいる。だが、この殺しッぷりは、まア、お前ではなさそうだが、わざとヘタに刺す手もある。とにかく殺したものがウチの誰からしいのは確かなようだ。信じ難いが、信ぜざるを得まいて」
 三次郎も大きな福助頭をうなずかせて、
「どうも仕方がありません。みんな酔い痴れていたようだから、誰かが夢中でやったのでしょうか。実に困ったことだ」
 警察へ届けでる。さア、怪物の邸内で奇怪な殺人が行われたから、噂は忽ち街を走る。御近所の海舟の耳には一時間もたたないうちに耳にとどいた。
「新十郎に知らせるがいいぜ」
 と、海舟はちょッと考えて、侍女に云った。
「取り調べのあとで、御足労だが立寄って下されたいと鄭重に頼みなよ」
 そこで新十即は花廼屋はなのやに虎之介の三騎づれ、馬を急がせて駈けつける。
 新十郎は現場を見て、おどろいた。
「ありうべからざることだ」
 さすがの新十郎も現場を睨んで、しばし茫然。ようやく発したのがその一語であった。
 二人の死体をていねいに調べた。
「この麻の袋は何を盗むツモリだろう? 室内には二人の足跡もない。しかし、とにかく、誰かが殺したことは確実だ」
 多数の警官が島田邸内をノミも逃げ場がないほど探す。門弟たちの私宅にも警官が走って、一同の昨夜の服装をとりしらべる。みんな礼服を着用していたのだが、どこにも血のあとが見られない。
 邸内くまなく探したが、特に盗みの対象となるような貴重な金品は見出すことができなかった。
「お紺が住み込みの下女で、父と兄が麻の袋をぶら下げていることには関聯があるのだろう。お紺は何を見たか」
 新十郎はお紺と全身的な対話を試みたが、彼女は父や兄に盗みを誘ったこともないし、貴重な品は見たことがないと答えるのみであった。
「麻の袋で運びだす貴重品」
 邸内くまなく探して見当らなければ仕方がない。盗まれる対象は実存しなかったと云うべきであろう。
 日の暮れるまで調査して得るところなく、新十郎の一行三名、海舟の前へ報告にきた。新十郎は苦笑して、
「ありうべからざることが、有り得ている。そして、なぜだか、皆目分らないのですよ」
 海舟は落つきはらって、
「有りうべからざることとは何事だえ」
「板の裏側に血しぶきが附着しております。台所の床下の物置の中で、板の下にとじこめられて殺されたバカがいるのですよ」
「縁の下に入り口がないのかえ」
「ございません。四囲は石材をぬりかためたものです」
「新門の辰五郎の話では、ぬりこめた石材をうごかす術もあるそうだぜ。土蔵造りの左官屋が、縁の下にうごく壁をつくっておいて仕事をしていた例もあるそうな」
 新十郎は上気して、目をかがやかせた。
「有りうべからざることは、起り得ない道理です。どうして、そこに気がつかなかったろう。先生のお言葉の通りです。私はそれを見た。しかし、気がつかなかった。なぜ、そこに死んでいるか、そのワケにこだわりすぎたためでした。私はたしかに見ました。血の殆どかかっていない壁が二ヶ所にあった。一方は犯人の身体にさえぎられたと考え、一方はその方角に血が飛ばなかったと考えたのです。なぜなら二ツの壁は向い合っていた。ですから、犯人が血をさえぎった反対側は、被害者の背中の側だと考えたのです。ところが被害者の一人はクビの動脈もきられているし、一人は横にくの字に折れています。背後にも血がとぶべきであった。すると、そのとき、その壁は開いていたのだ。まさしく、それに相違ない。有りうるが故に、起るのだ。加害者は壁があいて、被害者のもぐりこむのを、待ち伏せていたのです」
 翌朝、新門の辰五郎の乾分こぶんに応援をたのんで縁の下へもぐってもらうと、彼は難なく、その石の壁をあけてしまった。
 その新居を造ったのが七宝寺のお抱え職人ベク助であったことも判明した。
 そこまでは分ったけれども、それから先は完全に糸が切れているようなものだ。
 酔い痴れた一座の人々の動静は誰にも明確な記憶がない。しかし恐らく犯人は外来者、平戸久作と門弟たちでは有り得ないであろう。なぜなら、彼らが血まみれの衣裳を始末することは不可能だからだ。だが、一応自宅へ戻って始末をつけ着代えてきても、怪しみをうけない道理もあった。諸人が酔い痴れていたからである。
 新十郎はふッつり人と往来をたち、日ごとに人知れず他出した。そのようなときに、彼は何事も語らないから、他出の目的は分らないが、彼が憑かれたように熱中していることだけは確かであった。
「紳士探偵もボケたなア。犯人は島田三次郎。三尺足らずの小人で武芸達者なら、これにきまったものだ。オレが真犯人をあげても良いが、せっかく売りだした紳士探偵の顔をつぶすのも気の毒だなア。ハッハッハア」
 と虎之介は大きな両腕でヘコ帯の前を抑え、肩をゆすって呵々大笑した。
 花廼屋はブッとふきだして、
「相変らずの石頭だなア。尊公は。三次郎が盗ッ人を殺すワケがあるかえ。当身あてみで倒す腕もある。まして祝言の当夜だぜ。石頭には人の心が解けないなア。人の心には曰くインネン故事来歴があって、右が左にはならないものだぜ。ちとオレの小説を学ぶがいいや」
「ハッハッハ。貴公の犯人は誰だえ」
「まだハッキリとは云えないが、とにかく、これは女だなア。お家の大事と思い乱れて逆上する。女の心てえものが、この謎をといてくれるな」
 虎之介はゲゲッとふきだすと腹を抑えて、しばらくバカ笑いがとまらなかった。

          ★

 島田幾之進とは何者か。平戸久作との関係は? 新十郎は石橋をたたくように一ツ一ツ調べつづけた。
 しかし、結局、島田幾之進が何者であるか、ついに新十郎も突きとめることができないのだ。
 巷説によれば、馬賊の頭目であり、海賊の親分であるとも云う。そして、この道場へ住みつく時には革の行嚢に金の延棒を百三十本ほどつめこんでぶらさげて来たという。もとより真疑のほどは明らかでないが、その金の延棒がなかったことは家探しの結果明らかであるが、巷説を信じて坊主父子が麻の袋をぶらさげて盗みに入ったと見ることはできる。
 しかし、ベク助に抜け道の細工をやらせるほどの計画を立てるからには、もっと確かな見込みがあってのことではなかろうか。すると、家探しの結果、見落している場所が有りうるであろうか。
 新十郎は平戸久作と大坪彦次郎の関係、葉子と鉄馬の破談のテンマツや、新しい結婚のテンマツなどは、辛うじてこれを明らかに知ることができた。
 彼が最後に会ったのは、お吉であった。
「お前が婚礼の晩、耳にきいたことを話してごらん。何か特別なことがなかったかね」
「そうですねえ。私はお祝いにあがりましたが、お手伝いもできないから、ボンヤリ坐って、オヒラキになるのを待っていただけですよ。オヒラキのあとで残り物の酒肴をいただいて酩酊しましてからはよく覚えがありませんが、金三さんもお紺さんもオシのことで、酔っぱらうと、ワアワア唸るのがうるさくてねえ」
「オヒラキになったのは何時ごろだね」
「八時ごろだとか皆さんが言っていました。私が酔っぱらって、うたたねして、起きてウチへ帰ったのが十二時ごろですが、そのときは金三さんもお紺さんも銘々の部屋で大イビキでねむっていました。オシのくせに、二人はひどい大イビキでねえ」
「その晩お風呂はあったろうね」
「それは祝言ですから、お風呂をたかないはずはありませんねえ。けど、私はお風呂はいただきません」
「酒宴の最中に風呂にはいった物音をきかなかったかね」
「お風呂は道場の方についていて、台所から離れているから、物音なんぞきこえません」
「お料理を作っていたのはお紺かい」
「いえ。料理屋の仕出しですが、お手製のものはサチコさまが主に指図してお作りになっていたようですよ」
「お前は山本定信さんのお邸にも出入りするそうだね」
「ええ。時々もみ療治にあがります」
「お前は大工のベク助を知っているかえ」
「ええ。そういう人が居たてえことは聞いてましたが、ツンボでオシだから、メクラの私には知りようがありませんでしたねえ。たしか金三さんの話ではベク助のツンボとオシはニセモノだてえことでしたよ」
「それは確かにニセモノだそうだよ。ところでお紺が父と兄を手びきしたような気配はなかったかい」
「そんな気配はメクラの私には分りませんねえ」
 新十郎の訊問はそれで終りであった。
 新十郎はなお数日出歩いた。そして彼が犯人を指名する日がきたのである。

          ★

 婚礼の夜の出席者が全部道場に集っていた。新十郎は花廼屋と虎之介のほかに、三名の警官を伴ったにすぎなかった。
 新十郎が一同に着席を命じ、一座のざわめきが静まったとき、島田幾之進の隠し持った短銃が突然金三の耳もとで発射された。金三はとび上った。
 新十郎はニッコリ笑っただけだった。そして静かに警官に云った。
「ツンボのフリをしていた男が犯人ですよ。ホラ。私の言うことがよく聞えると見えて、逃げだしましたよ」
 逃げたって錬達の門弟にとりまかれていては五歩と動けるものではない。金三は捕えられて、警官にひかれて去った。
 新十郎はうちとけて、島田道場の一門に対した。
「お吉のおかげですよ。金三がベク助のツンボとオシを見破ったと語ったそうです。オシのツンボがメクラに語るのも奇怪ですが、ベク助のツンボとオシをニセモノと見破った金三とは何者か。お吉が山本定信邸へ出入りする如くに、金三が山本邸へ出入りすることを確かめれば足りたのです。その確証を握れば、あとは皆さんが私以上にワケを推察なさるでしょう。金三はベク助が三休、五忘の命令で縁の下に抜け道の細工を施したのを見ぬいていました。金三は忍びこむ五忘らを地下の密室で殺す必要があった。それが彼の意志かどうかは御推察にまかせますが、それは当家に犯人の汚名をきせるためと、たぶん、金の延棒の発見、没収を策すためでしたろう。金の延棒があると、島田一門はいつかシナの山中へ消え隠れてしまうから」
 新十郎はニッコリ笑った。
「さて、わからないのは金の延棒の隠し場所ですよ。私は今もって知り得ませんが、どうやら三休と五忘はその場所を心得ていたようです。あの家探しの結果、分らなかった場所。そして、三休と五忘の用意からみると地下でもない場所」
 そのとき島田幾之進が、セキ払いをした。それは笑いをかみ殺しているようにも見えた。彼は笑みをたたえて、叫んだ。
「まぼろしの塔!」
「まぼろしの塔?」
「左様です。まぼろしは、目に見えます。あまり良く目につきすぎるものは、誰の目にも止りません。これが、まぼろしの塔です。皆さん一番よく見ていたもの。あんまりハッキリ見えすぎるので、気がつかなかったもの。それ、道場の土間の敷石をごらんなさい。それがみんな金の延棒なのです。この道場は私のまぼろしの塔なのです。私、またの名は白……」
 新十郎は笑みに応じてさえぎった。
「私の耳はツンボですよ。仰有る言葉はきこえません。では、大陸へお渡り下さい。蔭ながら御奮闘を祈る者が二人ありと御記憶下さい。一人はささやかな結城新十郎。他の一名は天下の勝海舟先生」
「次に田舎通人神仏混合花廼屋先生!」
「次に天下の泉山虎之介!」
 島田一門が拍手の代りにゲタゲタ笑いくずれたのは虎之介に気の毒であったが、実質的にそれが当然の報いであろう。花廼屋も虎之介も、島田の正体がワケも分らず、あわてて力んでみせたのである。
 島田一門がいつのまにか東京から全員姿を消したのは、それからまもないことだった。
 それをきいて、海舟は呟いた。
「まぼろしの塔か。きいた風なことを云う馬賊だが、見どころのある奴だ。日本人も捨てたものではないらしいやな」





底本:「坂口安吾全集 10」筑摩書房
   1998(平成10)年11月20日初版第1刷発行
底本の親本:「小説新潮 第五巻第一五号」
   1951(昭和26)年12月1日発行
初出:「小説新潮 第五巻第一五号」
   1951(昭和26)年12月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※表題は底本では、「(明治開化)安吾捕物」となっています。
※初出時の表題は「(明治開化)安吾捕物 その十三」です。
入力:tatsuki
校正:松永正敏
2006年5月23日作成
2016年3月31日修正
青空文庫作成ファイル:
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