安吾人生案内

その三 精神病診断書

坂口安吾




     妻を忘れた夫の話  山口静江(廿四歳)

『これが僕のワイフか? 違うなア』行方不明になって以来三ヶ月ぶりでやっと三鷹町井ノ頭病院の一室に尋ねあてた夫は取り縋ろうとする私をはね返すように冷く見据えて言い切るのでした。いくら記憶喪失中の気の毒な夫の言葉とはいえ余りの悲しさに、無心に笑っている生後五ヶ月の長女千恵子を抱いて思わずワッと泣き伏してしまいました。思い起せば四月廿三日何気なく某紙夕刊を見ますと『日本版心の旅路、ウソ発見器は語る犯罪と女――突然記憶を失った男』という三段抜きの記事と共に過去を思い出そうと考えこんでいる男の写真が出ているのでした。それが夢にも忘れることの出来なかった夫だったではありませんか。記事によると同月十四日銀座西八丁目の濠ばたで浮浪者がたき火を囲んでいると飄然と現われた廿五六歳、シルバーグレイのレインコートを着た色白の身なりのいゝ青年が現れて話しかけたが様子が変っているので築地署に連れて行ったところ『あゝ何もかも忘れてこの世に突然生まれたような気がする』というので詳しく聞くと近くの公衆電話の中で急に意識が霞み、扉をあけた若い女のアッという叫び声で意識を取り戻したがそれを境として過去の記憶は落莫とした忘却の彼方に消え自分の名も住所も年も忘れて銀座をさまよっていたのでした。それから井ノ頭病院の精神科へ送られ先生達の診断を受けたところ電話ボックスの中以来のことは常人同様はっきり覚えているし文章も巧く英語も話すが、完全な逆行性健忘という病気であるということが分りました。しかもアミタールという麻酔剤で半酔状態にされ話した所によると父死亡、母健在、兄三人のうち二人戦死、嫁した姉妹があるなどの家族関係がぴったりあっているのです。驚いた私は夫の兄(横須賀市浦郷五二二山口万福)のところへかけつけると義兄も『弟らしい』と新聞を見ていってるところでした。夫は山口袈裟寿といゝ廿五歳、神田の市立工業を出て横須賀の航空技術所を出て海軍に入っていました。終戦後神奈川県庁地下室で時計屋をしている兄の所で昨年八月まで手伝していましたが十一月に長女が生まれ私の実家(横須賀市)で一緒に暮していました。今年の一月『職を探して来るから』といって出たまゝ消息がなく私は途方に暮れているところでした。その夫が今は井ノ頭病院に一切の過去を失っているというのですから、私は義兄と義姉=夫の姉静子(二九)=と長女と四人で取る物も取りあえず廿四日病院にかけつけました。主治医の曾根博士は私達から一通りの話を聞き終ったあと『ネクタイの裏にコタカ、ズボン下にトクサワとありますが本人に間違いないようです』といわれ姉と私を待たせ、暫くすると看護服を脱いで色とり/″\の私服姿をした五人の看護婦さんの間に私たちを交えてしまいました。やがて呼吸曲線測定器をつけた男が現われました。まぎれもない夫です。夫は博士の命で私たちの顔を次々じっと見てゆきましたが顔には何の表情も現わしません。呼吸の乱れもありません、博士はダメだという風に首を振りました。たまりかねた姉が『袈裟寿!』と呼んでも知らぬ顔、全然見知らぬ他人と同様なのです。私が『まだ思い出せないのでしょうか。あなたは私の夫です』といったところあの惨酷な『これが僕のワイフか? 違うなア』の言葉です。夫はそれでも自分が独身であると信じていたのですが博士から次々話を聞くと不承々々『理論的には僕の妻と姉らしい。他人だったらわざ/\見舞に来てくれたりしないだろうから……』というのです。
 失踪以来二ヶ月半夫は何をしていたのでしょうか。アミタール反応では横浜の進駐軍につとめていたといゝますが依然空白です。またどうして記憶喪失症になったのでしょうか? 外的なショックではなく心因性という心のショックだそうです。これは電気ショックなどの治療で時日がたてば次第に恢復するそうですし、本人も希望しますので当分入院をお願いし、打のめされて病院を出ました。ウソ発見器では性と犯罪に関する反応が多いということでしたが、これは絶対にそんなことはないと信じています。

 さて、難物が現われましたね。たったこれだけの手記から一席やれとはムリ難題も甚しいや。病人の奥さんの手記とはいっても病人と長く起居を共にしてその観察を記したものではなく、きわめて短時間の会見記にすぎない。医者が一人の病人を診察するにも長い観察や実験が必要でしょう。まして私は医者ではないから医学的なことは云えない。文学者として人間的に取扱うのがタテマエであるから、どうも、こまったね。編輯者曰く、お前さんも斯界の古老であるから(というのは病気を診察した古老じゃなくて診察された古老だということさ)経験を生かして、大いに語るべきウンチクがあるでしょう。キタンなく談じていただきたく存じます。ハハハハ。空虚な笑いだね。つまりはこの編輯者はキチガイなのさ。自分の不安をまぎらすために私をからかうという典型的な分裂状態にいるのだね。いまに入院するよ。そう遠くない。
 さて、この山口さんのようなのを逆行性健忘症というのだそうだが、普通は頭を強打するというような外部からのショックでなるものだそうだ。山口さんのは神経的、もしくはヒステリー的とでもいうのかね。心因性と手記にあるね。「遁走」などと云ってる学派もあるようだ。現実をのがれ、忘却の中へ遁走したいような願望は誰の心にもあるはずだ。人間は悲しいものさ。
 公衆電話の中で意識がかすんだそうだ。最近の某夕刊紙に別の婦人患者の例がでていたが、この婦人は路上でメガネを紛失したと思い探しているうちににわかに記憶がうすれた、という。この婦人は山口さんの場合とちがって、電気ショック療法で治った後に、記憶を失った当時の状態を思いだしているようだ。いろいろ様々なんだね。
 普通の人のたぶん健全な状態においても、瞬間的な健忘状態は時に経験する筈だと私は思うが、どうでしょうか。たとえば便所から立上った瞬間とか、出た瞬間とか、あるいは便所の中に於て、とか。また、単に自分の部屋を立上り、戸をあけて出た瞬間に、部屋を出た目的を忘れて、何秒間か思いだせなかったというような場合がありはしないだろうか。私にはそういう経験はシバシバある。家人を呼びたてておいて、家人が何御用ですか、と現われた時に、用向きがにわかに思い出せなくなっているというような瞬間もある。
 山口さんが公衆電話の中で何かしているうちに意識を失った、というのや、婦人患者がメガネを紛失したようだとポケットかハンドバックかなんか探しているうちに意識がかすんだ、というのは、その発端に於ては、我々の日常において経験する平凡な健忘状態とほぼ(否、まったく)同様で、ただそれが長時間にわたってさめないこと、さめずに別人の生活をしていることの相違がある。この相違は甚しいけれども、意識を失う発端の状態はよく似ていて身につまされるから、あんまり良い気持はしませんね。
 山口さんは意識を失ったのち何かの職業についていたようだ。別人として何十日、何年間と生活している例は多いようだが、過去を失った瞬間をよく覚えていてそれ以前のことを思いだそうと努めているらしい山口さんは面白いね。もっとも、過去がどうしても分らなければ思いだそうとせずにいられないのは当然だ。その限りに於て、過去を忘れたということ以外は山口さんはほぼ普通の人間であり、生活能力者である。
 婦人患者の場合は、記憶喪失とともに子供にかえり(彼女は二十五であった)幼稚園児童のように折紙細工をしたり童謡をうたったりしていたそうだ。こういうのを児戯性というのかな。どちらもヒステリー的な神経障害とでもいうのかね。医学上の定義は私は知りません。
 ある過去へさかのぼって、たとえば二十年前の書生時代の上京しつつある状態にさかのぼって、東京へ、東京へと上京しつつある気持になっているような例も多いそうだ。
 しかし、これも人ごとではない。オレは普通の健全な人間だと云って安心してもいられないね。我々が前例の如くにフッと意識を失った瞬間に、ある過去の自分に逆行して、その継続をやりかけようとする瞬間がありはしませんか。やりかけようとする瞬間にたいがい気がついて、すぐ我に返るから、それだけの話ですが、それが長くつづく状態が病人で、時間の差があるだけだと思うと、よい気持ではないね。どうも、こんな話ははやく止めたいね。
 我々の可能性はすべて夢の中で起っているようです。どうしても過去が思いだせない状態なども夢の中で時々経験することの一ツですし、子供に還っていたり、また分裂病よりも甚しいフシギな経験を夢の中でやっていますよ。
 夢というものは奇怪なものだが、しかしフロイドの夢の解釈はあんまりコジツケがすぎるようだ。夢はあまりにも怪物ですよ。そうカンタンに解けますまい。
 親しい友だちの顔を思いだすことはできます。しかし視覚的に思いだすことはできませんね。なぜならただモヤモヤと思いだしたような感じがあるだけで、それを頼りに写生しようたって決してできますまい。もっとも、絵の天才は別かね。だが、彼とても、視覚的に思いだすということはできないと思うね。彼がキチガイでない限りは。
 しかし、夢の中ではハッキリ視覚的に彼と対面できるのですよ。だから、印象とか記憶というものは、視覚的にも身体のどこかにハッキリ残っているわけだが、夢と幻覚以外では視覚的に思いだすことが不可能だというわけですね。しかし夢も幻覚も意志によって見ることができないのだから、ハテサテ、人間の能力というものは窮屈なものだね。写真機よりも正確な現像能力があるくせに、自分の撮影したり録音したトーキーを頭の奥の部屋のヒキダシへ入れてカギをかけてしまいこみ、自分の意志でとりだして眺めることができないのだね。きわめて偶然に、夢やキチガイ状態の幻覚に際して見ることができるだけさ。
 キチガイというものは自分の頭のヒキダシのカギをはずして、自分の撮した写真を眺めたり、過去と対面することができるらしい。その点に関する限りは、彼は不可能や不可思議を行っているのではなく、きわめて当然なことをやっているだけの話であり、普通の人間にはその当然の能力がないだけの話さ。つまりキチガイには夢と同じように空間に投影し、現像する映写幕があるのだが、普通の人間にはそれがないのだね。
 健全な人間というものが、恐しくハンチクなものなのさ。当然あってしかるべき映写幕も蓄音機ももたない。キチガイは文化生活をしているらしいや。健全な肉体とは未開人のそれで、キチガイは文化人。芥川の河童かなんかが言いそうなことだね。もっとも、キチガイも自由自在に過去と対面できるわけではない。過去が、または相手の人物が、自ら映写幕に姿を現すのである。毎日きわめて規則的な時刻に。または唐突に。
 とにかく人間には、空間の映写幕と同じように投影できるものが内在している筈なのである。しかし我々が健全に目をさまして生活している限り、それに記憶を投影して視覚で捉えることが不可能なのである。健全な人間の精神機能というものが、これぐらい頼りなく故障だらけのものであることが分れば、健全な精神というものは、あんまりたのみにならないものだということが明らかでしょう。もっとも、それを恃みにする以外に手はありませんね。河童の優位を認めるわけにもいきますまい。
 第一、睡眠が変テコだね。妙テコレンなものが存在するもんですよ。我々は、とにかく毎日何時間ずつ完璧に過去も現在も忘失しつつありますよ。だいたい健全な人間というものが甚しく妙なものであるらしい。
 山口さんの如くに過去を忘れて思いだせないということは、奇ッ怪フシギの如くであるが、実はそれほどのことではなさそうだよ。よくキチガイのことをゼンマイが狂っていると云うが、なかなか巧い表現だね。しかし、まだすこし表現が大ゲサにすぎると私は思うのです。実に一部のちょッとした故障でラジオが全的にきこえなくなったようなものらしいや。記憶を全部忘れるという結果は大きい変化のようだが、実は甚だ微々たる故障でそんなことが起っただけなんじゃないかね。
 パチンコの機械が狂うと、パチンコ屋のオヤジが箱をトントンと叩くね。すると正常に返る。人間が狂うと、電気ショックやインシュリンショックをやる。つまりパチンコの箱をトントンと叩くようなものさ。パチンコ屋のオヤジはパチンコの機械の構造はよく知らないらしいが、トントン叩くとたいがい正常に返ることを知ってるのだね。精神病のお医者さんもそんなものらしいな。なぜ気が狂うかハッキリ分らないが、電気やインシュリンでショックを与えるとある種のものは正常に返るというようなことを心得ている。どうも、失礼。しかし、私は精神病のお医者さんをヒボーするつもりではないのです。要するに精神だの神経の作用や構造やネジのグアイなどが複雑怪奇すぎるという意味です。
 私が一ツ気に食わないのは、ちかごろ潜在意識ということで、人間の心をむやみやたらに割りきりすぎるということです。人間の心を潜在意識に還元すれば、いかにも単純なものですね。下世話に、人世万事、色と金だという。これは慾望の方ですね。このほかに名誉だの力、才能などというものが、からむ。潜在意識の場合も同様で、これをめぐって人間同志のマサツがある。潜在意識というものは、公式的にハッキリしたもので、公式は万人に通用し、ただその人の生活史とか環境というものによって、組合せや脚色がちがうというだけで、根本の公式は変りがない。
 そこで、ちかごろのある派のお医者さんは、病人の潜在意識をひきだし、生活史や環境やマサツを調べあげて、いともアッサリと病因を割りきる。
 なるほど、そういう場合もたしかにあるでしょう。人間には苦労のタネというものがある。暴飲暴食が胃病のモトと知りつつ暴飲暴食して胃病になるのと同じように、苦労のタネにクヨクヨ悩むのがいけないと知りつつ神経衰弱になるようなこともある。フロイドは病人の潜在意識をひきだし、それを病人に語らせたり指摘したりして開放することにより病気を治すことができるというが、私は信用しませんね。近代人はたいがい自分の潜在意識を自覚していますよ。そんなものを開放したって病気が治る筈はない。それを知りつつ病気になっているのだもの。
 潜在意識というものは、いわば本音というものでしょう。それをめぐって複雑怪奇にモヤモヤと現実がもつれている。しかしそれが人生の何よりの根本問題だから、自制心を失えば本音を吐く。酔っ払えば本音をはく。それと同じように、アミタール面接をやると潜在意識を語る。医者は教科書の方法や順序通りに潜在意識を学術的にひきだすことによって、その病因をさぐり当てた気持になるかも知れないが、自制力がない時には本音をはくのが当り前だというだけのことで、その潜在意識や本音というものが病因とは限らないでしょう。潜在意識は万人にあるから、健全な人間にアミタール面接して、キチガイの心をあばくのと同じ方法を試みてごらんなさい。結局キチガイと同じ結果が現れますよ。あらゆる人間がキチガイだという結果がでますね。潜在意識をひねくりまわしても、精神病を解くことはできッこないです。
 むろん、ある種の精神病は、潜在意識をひきだして判明しうる苦労のタネからズルズルと衰弱にひきこまれている場合もあるでしょう。しかし、それが精神病の誘因であったにしても、要するに、なにか生理的な故障が起らなければ、幻視も幻聴もでる筈がないのさ。つまり機械のゼンマイだかどこかの部分が狂わなければ、そうなりはしない。潜在意識を解放したって病気は治らん。機械の故障を治さなければ病気は治りませんよ。
 しかし、分裂病の場合、逆行性健忘症の場合、機械の故障がどこにあるか、ということは、まだまだ、とても分りそうもありませんね。夢を見るのはどういう仕掛によるか、ということだって、全然分らんのだもの。否、眠り、ということすら、どこがどうしてどうなるのだか、それも分らんらしいね。幻視幻聴がどういう仕掛で起るかということは、分らんのが当然ですよ。記憶のヒキダシがどこにあるか、なぜ忘れるか、その生理的な故障の在りかは、とても分りませんね。
 私がお医者さんをパチンコ屋のオヤジだと云ったのは、そういうワケです。お医者さんには機械の故障がどこにあるのか分らないのだ。ただ、そうやると一時正常に返ることがあるようだから、電気やインシュリンでショックの療法をやる。お医者さんが悪いわけではないでしょう。パチンコ屋のオヤジはちょッと勉強すればパチンコの機械の構造をのみこむことができるが、お医者さんの場合はいくら勉強してみても、目下のところはとてもとても機械の構造を見破り、故障やその原理を発見する見込みはありません。相手が悪いのです。精神病のお医者さんは楽観的かも知れないが、私は精神病の謎は永遠に解けないと思っていますよ。永遠に。というのは、つまり人間というものは恐らく永遠に、好む時に好む夢を見るような、自分の身体や精神のネジや合カギを持つことは不可能だろうという意味です。構造が分らなければネジも合カギも持てやしません。そして、精神を構造している機械の原理が分れば、人間は破滅さ。そうでしょう。人造人間で間に合うのだから。人間はすでに人間でなくて、機械ですよ。
 要するに、精神病というものは、いつまでたっても、当てズッポウの療法以外に見込みがないね。いろんな方法を発明し、試みて、治る率を高めて行くことができるだけの話だろうね。
 要するに、潜在意識を解いたって、病気の治療に関しては何の役にも立たない、ということだね。むしろ、潜在意識などというものにこだわることは、一ツの障碍にすらなっていますよ。なぜなら、原因を潜在意識にもとめると、人間の精神は全く必然というものになりおわり、したがって、精神病学上にはまったく人間の意志というものを認めていないようなテイタラクになり易いのですよ。どうやら精神病の先生は意志ある人間がおキライのようだ。
 人間はみんな同じ悩みがありますが、しかし、みんなキチガイになるわけではない。そして、何がキチガイになることを防いでいるかというと、結局は意志ですよ。これ即ち、本能的な、潜在意識的な、原人的な必然の流れに反逆するところの力です。キチガイになることを防ぐには、意志の力にたのむのが最上でしょうね。私はそう信じていますよ。
 私は電気やインシュリンショックはやらなかったが、持続睡眠法というのをやりました。強い催眠薬を用いて一ヶ月ぐらいコンコンとねむります。ねている最中には食事のたびに起きて食事したり、回診の先生と話を交したりします。もっとも全然コンコンとイビキをかき通してねむりつづける人もありますね。こういう人には看護婦が食事をたべさせてやるそうです。私はそれほどではなく、起きて食事したり先生と対談したりしていましたが、覚醒して後は、それが全然記憶にないのですね。アミタール面接というのは治療じゃないから、こんなに長期に持続して眠らせるわけではないでしょうが、眠らせて対話するのは同じことでしょう。人間は催眠薬でねむりつつ、ふだんと同じように対話したり、多少の生活をしたりできるものですよ。そして目がさめると、それを記憶していないものです。私は目がさめて、たった一日ねむったと思ったら、新聞の日附が一ヶ月ちがっているので、だまされていると思った。もっとも、病院へ入院し、ねむる療法をするということを知らされていたので、やがて納得はできました。それ以前に、アドルム中毒の時にはそうとは知らないから、たった二三時間ウトウトしたつもりで目をさますと、三日も五日もねているのです。私はそれが信用できなくて、新聞の日附も郵便の日附もニセモノで、みんな人々が共謀して新聞偽造の手数をいとわず私をたぶらかしているのだと思いこんでいました。また、ねむりつつある時には夢の中でいろいろの行動をしていました。非常に現実的な行動をしています。それが夢だということが目がさめても分らない。どうしても眠る前に、今朝とか昨日とか、そういう行動をしていたとしか信じられない。つまりそれほど差しせまった現実的な夢ばかり見るわけです。たとえば友人に会って金策をたのんだり、女房が悪い病気になったと思いこんで(というのは、女房が病気になったと私に打ちあけた、それも実は夢だったが、私はそれを二年間も本当に女房がうちあけたことがあったと思いこんでいました)親しい医者のところへ治してやってくれと頼みに行ったり、借金を払いに行ったり、夢という夢がそういう身に差しせまったことばかりで、それが夢だという考えは全然心に浮ぶ余地がない。で、私がそれを人に語るとトンチンカンで、またオレをだますか、と、それでよく逆上したものであった。人々が共謀して私をだましているとしか思われなかったからです。どうも、これは健忘性のアベコベのような現象だね。夢の中で現実を生活し二ツが合一して区別がつかず、まったく完全に一ツの生活になっているのだからね。しかし、子供が眠りから目をさましたとき、時々こういう状態になるようですね。もっとも、すぐ気がつくらしいが。
 泥酔した翌日、ゆうべ酔ってしたことに記憶がなくて苦しむこともある。私は酔っ払って見知らぬ街へ歩きこみ、小さな酒場へはじめて行って、その女に惚れたことがある。翌日酔わずにその店を探したが、どうしても分らない。たしかに、ここの筈だが、と思って、同じ店を三度も四度もまちがえて笑われたことがあったね。その日はあきらめたが、泥酔して出かけると、きわめて自然にちゃんとその店へ辿りつくのである。泥酔しなければ、どうしても違った店へ行ってしまう。違い方もいつも同じだ。酔えば自然に辿りつく。何回となく二ツのことをくりかえしたことがありましたよ。そのうちに酔わなくとも行けるようになりました。お酒のみの方は思い当りはしませんか。
 ある時間の記憶を失ったり、酩酊というモーロー状態にならなければ辿りつくことができなかったり、精神病の状態と同じようなことを我々の日常に経験するのは決して珍しいことではないね。もっとも酩酊も一種の精神異状に相違ない。
 山口さんの場合は、失踪してから電話ボックスで記憶を失った時まで四ヶ月ぐらい経過しているようだ。失踪した時の精神状態、そして四ヶ月間の精神状態はどうだったのだろう。その時間に何をしたかということはアミタール面接でもハッキリとは分らないのか知らん。それが分って、その期間に彼と接した人の手記があると、素人にも何とか手がかりがあるが、この手記からは、てんで判断の仕様がありません。
 ただ、この手記から分ることは、彼の判断力はほぼ正常なものだが、電話ボックス以前の記憶だけが失われているということだけだ。
「判断力があって記憶だけないのは信じられん。ニセ病人だろう」
 と云った人が数人あった。別に信じられんことはない。我々の健全な時でも、ド忘れしたり、ちょッと記憶だけ霞んだりということはママあって、思いだそうと焦ってもなかなか思いだせないことは常時あることだ。我々の日常生活にそのキザシがあるということは、病気の際にはその完璧なものがありうるということで、人間の心の故障というものは、元来そういうようなものだ。もっとも、キチガイは必ずしも単純ではない。気が狂ってる最中でも色々と策をめぐらし、ひどくセチ辛い複雑な精神生活をしているもので、潜在意識的に一本の精神生活をしていると思うと大マチガイさ。
 山口さんの場合は、電気ショックでカンタンに治りそうだね。記憶喪失は一種の遁走のハタラキだと物の本などには書いてあるかも知れんが、現実から遁走したい気持は山口さんだけに限らない。現実を遁走するにも、女房を愛すことができなくて遁走することもあるだろうが、むしろその逆の方が遁走力が強いらしいね。たとえば、女房子供を愛しているが、自分に生活力がなくて、女房子供に満足な生活をさせてやれない、というような罪悪感から遁走の方向に心が向くというような場合だね。むしろその方が遁走の原動力として多く在りうることらしいや。だいたい心のハタラキの基本的な公式というものは、カンタンなものだ。そして、そのような遁走の期間中の行動または意識上に女というものが出てくる際には、それは恋人の女ではない場合がむしろ普通だろうね。彼の正常時に於ては、犯罪を犯して女房子供を養うようなことはできなくて、彼は熱心に職を探したがその職もない。すると彼は遁走中に犯罪を犯して女を養うという形で、女房子供にみたしてやれなかった償いを果そうとしている。つまり遁走中の女や犯罪は、女房子供に対して自分が無能力であるということの自責の果だ。そんな風なこともあるだろう。健全な人間の心理にも、そういう償い方はフシギではない。もっとも、そんなにもってまわったものではなく、単純に「性と犯罪」だけなのかも知れません。人により、いろいろ様々で、山口さんの場合がどうだか、その真相は見当がつきません。
 しかし、要するに、こういう病気というものは、心理を解いてみたって、どうなるものでもない。病人の隠れた心理を指摘して、心の誤りを訂正してやったところで、実際の故障はすでに心にあるのじゃなくて、生理的な故障、機械のどこかが故障しているのだ。
 狂った心理の解釈は明らかにされても、悩みを解決したことにはならんね。その願望がみたされなければどうにもなりやしないじゃないか。また、その願望のみたされない場合に、人は必ずキチガイになるというわけではない。ならない人の場合が多いね。要するに機械の故障だけが問題さ。病院で電気ショックをやってるそうだから、彼は遠からず記憶をとりもどすでしょう。彼の記憶喪失は分裂病のように異常状態の表れが複雑じゃないから、故障もごく単純なような気がするのさ。こう手軽に見るのは素人考えかも知れんが、パチンコ屋のオヤジ式にトントンと叩くうちに正常にかえりそうだよ。
 しかし、正常にかえって後、この青年が就職して然るべき俸給をもらい、妻子に世間なみの幸福を与えることによって、一生平穏でありうるかどうか。そういう予言は全然できません。

     桜木町生残り婦人の話  沼田咲子(廿九歳)

 わたくしと良人と恵里ちゃん(当歳の赤ちゃん)とは、京橋のわたしの実家に行くべく北鎌倉を出ました。途中桜木町に買物があり横浜で乗換える時、わたくしはそれまで抱いていた恵里ちゃんを良人に渡し、わたくしは良人の荷物を受取って、来ていた電車にのりました。瞬間ドアーが閉まり、一足遅れた良人と恵里ちゃんは残されました。どうせ後から来るのだからと気にしませんでしたが、あとで、もしわたくしが赤ちゃんを抱いていたなら、と、ぞっと致しました。
 わたくしは最前輌の中央部に乗っていました。パチッ! と、激しい音、はっと、天井を見上げると青と黄と赤のまじりあったなんともいえぬ恐ろしい光がさッと走りました。つづいて怒声、叫声、悲鳴、車内をゆする波にわたくしはもまれ、危ない! という感じと共に、窓や出入口を見ました。それは開きません。後は突飛ばされ、押し返され、二度ほど人の上に転びました。わたくしの眼にはその時、窓から半分からだを出したまゝ、またその上から別の人が首を突込みするので、お互は出られず足をバタ/\させている人々の姿が映りました。そして洋服に火がつき転がった人の上を飛ぶような恰好で踏み越える人をみました。けむりで眼が見えなくなり、熱気と臭気に胸がつまって、わたくしは倒れそうになりました。「駄目!」とひきつるように感じ「恵里ちゃん!」と、いうじぶんの叫びになんども意識を取戻しました。その時、わたくしは宙に白い足を見て、それに本能的に飛び付きました。それは窓から出た人の瞬間の姿で、わたくしがつゞいて逃れたのです。窓の上層部のサンが焼け、ガラスが落ちたのだと思います。頭と背とサンを掴んだ右腕全体が焼けていますから。
 はじめわたくしは国際病院にやらされました。傷の痛みに早く治療をしてくれと頼むと、国鉄員は邪険な激した口調で、
「こっちは物のいえる人に構うどころではない。死人の事で一杯なんだ」
 と、いゝました。十全病院に廻るよういわれました。そこで赤チンをぬられ繃帯をしてくれましたが、後で、わたくしが近所の医者で治療を受けた時、医者も、大やけどに直接赤チンに繃帯とはと、その手当の粗雑さにあきれていました。新聞社の人が自動車で東京まで送るからと寄って来て、いろ/\ときゝだすと、そのまゝわたくしを忘れて飛んで行きました。よってくる人はこれと大同小異でたいてい興味だけを露骨に示し、傷に苦しむわたくしをどうしてやろうという親切心は感じられません。一緒に難にあった男の方も、一人々々にきくとテンで無責任なその場逃れのばら/\の答えより出来ない国鉄員に憤慨して、じぶんで自動車を雇って来ました。それで横浜まで送って戴きました。横浜駅で、傷の痛みに坐りこんだわたくしを二人の女学生が親切に両わきを抱えるようにして、切符まで買って電車に乗せてくれました。お二人共、蒲田の駅前の方だとかで、その日にあったたゞ一つの心のあたゝまる事です。
 家につくと新聞記者が何人もきました。頭が焼けて口を利くのもおっくうなのに質問だけしつこくして帰ります。国鉄からは音沙汰無しです。やっと翌日(三十日)の午後、公安員と称する人が、「今日は調査にやって来た。見舞いの方は明日くるでしょう」と、いって参りました。その後北鎌倉の家のほうへ東鉄の方が見舞金を持っておいでになったという事ですが、その折、わたくしの入院先をつげたそうですが、誰も見えません。また良人が、怪我人をひとりで帰した事を責めると、自動車で全部送り届けたとハッキリいったそうです。その後家へは、遺留品を調べに来いの、また、わたくしの荷物の中に戸籍謄本があったので、死んだものとして、死体を引取りに来いのといって来たそうです。

 まったく、ひどい事件でしたね。三鷹事件の時もやりきれなかった。電車の下に人がひき倒されている現場で、それを助けよう、ひきだそうという処置は念頭になくアジ演説をやるという非人間性が何よりも目をそむけずにいられぬ。この一事だけでも、私は共産党を憎む。かような党員の非人間性に批判を加える態度はミジンもなく、むしろ闘志を賞讃しているのだからね。やりきれないよ。今度の場合もよくよくデクノボーがそろっていたものだ。写真を見ると、現場には工夫がたくさんいるが、みんな燃えている電車をすぐその二三間の近いところで見物しているのである。運転台と客席の通路のドアをあけ忘れた運転手の頭の悪さ、ボンヤリ立って見ている工夫たち。生きて焼かれつつある人々を二三間のところに立って見ているだけというのがどうにも解せないね。
 あまりのことに逆上したと云えば、それも一理はある。しかし、他人が危急に瀕しているような際に、わが身を忘れてとびこむようなことも、よくあるものだ。泳げないくせに人を助けに飛びこんで自分の方が溺れて死んだというようなのはよくあるね。これも、やっぱり逆上だ。ずいぶんたくさん人がいたのだから、三人や五人、こっちの方の逆上をやる人間がいても良かろうじゃないか。こっちの方の逆上をやった人間が完璧に一人もいないね。運転手に至っては、焼けていない電車のドアをあけることによって、ドアをあけるという責任を果していらア。ひどい間に合せ方があるものだよ。運わるくデクノボーどもが揃っていたのだね。すぐ近くたくさん人がいたのだから、犠牲者を三分の一ぐらいに減らす処置はできたろうに、そういう気転や善意が完璧に片鱗だにも見られなかったという奇怪さ。何より助からないのはこの奇怪さだね。なんとも救いがない。人間らしい頭脳のハタラキや、善意や、あたりまえの常識や、そういう平凡なちょッとした人間らしいものが、完璧にないじゃないか。戦争中の敵味方にだって、心の通じあうような出来事がチョイチョイあるものだが、この事件には、いささかも救いがない。一方、加賀山総裁は事件の報告をうけるとまずGHQへ行き、次に宮内省へ行き、キョウクおくあたわず、かね。天皇にわびて、どうなるのだ。笑わせるな。実に奇怪な人間どもにジッと見送られ無視されつつ、電車の人々は焼け死んだのだね。天皇のところへ、とるものもとりあえず、お詫びに参上という、実にどうも、上から下まで、どこにも人間が存在していないのだ。こんな奇怪な事件があるものかね。
 この婦人は女の身でよく助かったものだ。こんな時に助かる自信のある人間はいるもんじゃない。まったく、偶然、幸運、ラクダがハリの目をくぐるようなものだ。私のようなデブは第一あの三段窓はどうしてもくぐれないね。窓から乗降した経験も、生れて以来まだ一ぺんもないや。しかし私は治にいて乱を忘れずという要心深い人間だから、鋼鉄車にはさまれた木造車には決して乗りませんよ。すべてについて、その程度の要心は、酔っ払っている時のほかは忘れたことがない。しかし、桜木町事件は処置なしですよ。
 この御婦人も助かったのだから、わが身の幸多かりしことをよろこび、もって心の落着きをはかるべし。たまたま、どうも、ジャケンなツワモノにのみ遭遇して、後は甚だ間がわるかったんだね。先よければ後わるし。サンチョ・パンサじゃないが、事に当って格言コトワザの類を思いだすと、人生はわりあい平和ですよ。
 私も新聞記者にはずいぶん悩まされたね。精神病院の鉄格子の中まで猛然突貫しようという猛者は、新聞記者のほかにはないね。社会部記者の心臓は大変だ。無礼、粗雑。野武士、山賊。実に手ごわい存在ですよ。もっとも彼らにも同情すべき点はある。たいがい人の不幸の時に会見すべき宿命にあるから、どうしてもイヤがられる。あなたや私は、電車にやかれてヤケドするとか、気が違った時でもないと、彼らは会見に来てくれない。あなたが結婚したり安産して喜んでいる時に会見にきてくれるショウバイじゃないのです。彼らが結婚のよろこび中の人物に会見を申しこむのはタカツカサ和子さんと平通サンぐらいのものだ。人間というものはゼイタクなもので、結婚式のオメデタに新聞記者が会見を申込むのは自分たちぐらいのものだという結構な身分であるのに、やっぱり新聞記者はウルサイ奴だ、と云って怒っていらッしゃる。全然新聞記者は助からないのである。人が半殺しにされた時は、エエ、御心境は? とききに行かざるを得んという実に宿命的な悪役であるから、あなたもイノチが助かったことに免じて許してやるのですな。彼らが鉄格子の中へ突貫してきた時には私も怒りましたよ。しかし、どうも、人生には誰か間の悪い奴が存在しなければならないのだから、自分が間の悪いことになった時には、仕方がないのだね。私は大いに怒って新聞記者を殴らんばかりであったが、しかし、実のところ、あなたが顔の痛いのを我慢して、口惜し残念と新聞記者を呪いつつ語った記事を、私はいと面白く読むんですな。キチガイ安吾、怒り暴れつつ曰く、というような悲痛な記事を、あなたをはじめ世間の人々はゲラゲラたのしんで読むんだから、仕方がない。あきらめなさい。
 しかし、話をきかせて下さい、自動車で東京へ送ってあげるから、とはヒドイ奴ですね。銀座でその新聞記者めに出会ったら、すれちがう紳士からライターをかり、奴めの洋服に火をつけてカチカチ山にしてやりなさい。そうして半死半生になって辛くも火を消した時に、
「エエッと。御心境をきかせて下さい。ちょッとで、いいわ。トラックで社へ送ってあげる」
 鉛筆をなめながら、そういうのです。奴メは怒って、あなたに組みつきやしませんから。新聞記者という動物は、商売の時と酔っ払っている時のほかは、全然イクジナシですよ。あなたが強いにきまってる。
 国鉄側は負傷者を自動車で送ったというが、あなたは送られなかったという。先方が自動車で送ることを考え、その手配をする前にあなたが帰ったという風に考えて、そのへんのところは、怒ってはいけませんね。ああいう大事件直後の混乱はやむを得ないでしょう。主観的に考えれば、怒りのタネはキリがありません。だから、サンチョ・パンサは格言コトワザの類を考える。私はあいにくサンチョほどの学がないから、この際の適当な格言コトワザの類を知らなくて残念ですが、あなたがきっと、御自分で考えて下さるでしょう。





底本:「坂口安吾全集 11」筑摩書房
   1998(平成10)年12月20日初版第1刷発行
底本の親本:「オール読物 第六巻第七号」
   1951(昭和26)年7月1日発行
初出:「オール読物 第六巻第七号」
   1951(昭和26)年7月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:深津辰男・美智子
2009年10月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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