豊島さんのこと

坂口安吾




 芸術家には奇人変人は多いかも知れないが、仙人は少い。そもそも芸術は術に於て誇張の業であるから奇や変に通じ易いが、仙には縁が遠い方である。売りこみという商法や、人気稼業の性質からも、奇や変に通じ易い要素は多いが、仙には縁が少いのだ。唐の詩人には仙人らしいのが少からぬように考えられているが、だいたいあの時代の詩人は政治に志をいだいているので、実際は生臭かったはずである。日本や泰西の詩人は主として花鳥風月や愛慾を詠じているから風化して仙人になる率は高いようだが、こういう風当りのない世界は風化作用がナマクラであるから、せいぜい半獣神どまりである。
 豊島さんは仙人だ。現代にも過去にもあまり類がない。過去というものは、過去ということのなかに仙人の要素があるだけで、過去の人間そのものには現代の人間と同じだけしか仙人の要素がないものだ。
 豊島さんは無類に無慾である。しかし、ただ無慾では当らない。実際に無慾の人間なぞは在りッこないからだ。そして豊島さん自身は俗人よりもよりコントンたるカオスの中で救いようのない自己の妄執を見つめていらッしゃるのかも知れないのである。そういう精神上の泥化作業は現代の文学者の職業的なものでもあるが、本当に人間自体が泥化できるものではない。俗物はそれ自体として泥にちかいかも知れないが、俗物の故に本当の泥化はできないものだ。魂の貴族でなければ本当の泥化はできない。豊島さんは本当に泥化した仙人である。
 私は先日新潟へ旅行したら、古町のミヤゲ物屋に良寛の書の模型が売られていた。その額には
天上
大風
とあった。泥になった仙人でないとこんな文句は考えつかないと私はしみじみ思ったのである。むろん良寛は仙人だ。
 終戦後二三年目のことであったが、豊島さんを団長に原爆の広島行きの企画をたてた雑誌社があって、私にもその団員になれと云ってきた。その使者の曰く、
「豊島先生がおだしになった旅行の条件は、多量にはいらないが、三度々々の食事ごとに酒少々……」
 これが第一の条件で、またほぼ全部の条件でもあった。当時は市場にカストリぐらいしか売られていない時代であった。私は何かの都合でこの仙人旅行に参加できなかったが、私のように地上に大風しかまき起さないバカヤローは仙人と旅行になぞでない方がよい。
 そのころ豊島さんはお嬢さんを亡くされてガッカリされてたころであったが、私が入院中の精神病院をぬけだして遊びに行ったら、
「娘のために無理して探したパンスコがのこってるよ。君にあげようか」
 パンスコというのは麻酔の劇薬である。私を憐んで下さったのだろう。私はしかし仙人のお嬢さんの形見の劇薬を辞退した。その日、豊島さんはカストリに酔いすぎて野原にねていて巡査が家まで届けてくれた朝であったから、私は夕方までカストリを御馳走になり、碁を常先まで打ちこまれた。仙人は酒を飲み、また飲ませながら碁をうつから、どうしても私がまける。グデン/\に酔い痴れながら夜が明けても盃と碁石を放さないのだから、俗人はとても勝てないのである。仙人の碁は飲んでも飲まなくても勝気で乱暴で奔放である。だからこッちがシラフなら怖るべき敵ではないが、仙人はシラフが万事につけておきらいだ。
 死んだ太宰も、田中英光も、死ぬ直前に豊島さんをお訪ねしている。死の直前にお逢いしたくなる唯一のお人柄なのである。私は自殺するような人間ではないが、それでも死にたいような気持のときに、やっぱり思いだすのは豊島さんだ。泥んこ仙人の静かな気配をなつかしむのである。当代における本当の貴族性と云い得べきものかも知れない。太宰も田中も半獣神で半貴族で、その壁にぶつかって自滅したようなものであるが、豊島さんは彼らにとっていまわの神父のようになつかしい存在でもあり、また自殺を思い止まらせるには全然無力な清潔な精霊でもある。天上大風という良寛の書が豊島さんの書のように思いだされるのである。





底本:「坂口安吾全集 15」筑摩書房
   1999(平成11)年10月20日初版第1刷発行
※底本のテキストは、著者の直筆原稿によります。
入力:toko
校正:持田和踏
2022年5月27日作成
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