歴史探偵方法論

坂口安吾




 私は歴史については小学校一年生でちかごろ志を立てて読みだしたばかりだから多くのことは知らない。
 けれども、一年生ながらもお歴々の大先生方の手前をはばからず言わなければならない一ツのことがあると思うようになった。それは歴史というものはタンテイの作業と同じものだということである。ところが歴史学者はタンテイ作業が劣等生で、その方法に於て筋が立たず、チンプンカンプンで、犯人を牢屋へ閉じこめるわけではないから大問題にもならないけれども、推理の方法に於てこう劣等生では学問としてあまりにたよりない。
 歴史というものがなぜタンテイと同じであるかというと、すべて証拠によって史実を判断するものだからだ。完全にそれ以外のものではない。文献的な史料による場合もそうであるし、遺蹟、古墳等を発掘する考古学的な場合に於てもそうである。後日の発掘などということを知る由もない古代人が何も知らずに残した遺跡であるから、その遺跡から殺人犯の指紋を探す必要はないけれども、殺人犯人の指紋をつきとめるだけがタンテイ作業の限界ではない。この家に住んでいた人間(犯人)はどんな生活をしていたか。一見したところ用途不明の品物が多いが、しかしその存在の理由、使用の目的は必ずなければならぬ。それらのものをいかに用いて生活、または犯罪を行ったか。タンテイは現場をメンミツに調べる。しかし単に推定だけでは証拠になりません。軽率に証拠をそろえて犯人をあげると、弁護士に不備をつかれてヒドイ目にあう。タンテイの発見した証拠は法廷に於てさらに真偽の論争を展開する。不確実なものはたちまち証拠不充分として捨て去られます。一審二審と重ね、さらに高裁、最高裁と重ね、タンテイの証拠の発見からはじまって犯人が定まるまでには法医学や鑑識科学等の現代の総智をあげて証拠の真偽を争い証拠力の軽重を判じて結論に至る。タンテイはカリソメのものではありません。証拠に偏見は許されないし、真にヌキサシならぬものと万人に納得されるものでないと薄弱な証拠として捨て去られる。本当のタンテイ作業というものは決していい加減では済まない。
 それにくらべると、歴史の場合には証拠の扱い方がルーズです。証拠の扱い方には手前勝手なことは許されない。これがオレの流儀だというようなものではない。真実を推定する方法に二ツはない筈だが、歴史の場合には公判をひらいて法廷に真偽を定めることができるような筋が立っていない。
 法廷をひらいて歴史の真偽を争う必要はありません。法廷をひらく、ということが真偽を定める方法なのではなくて、殺人事件が法廷で争われる場合には、証拠が真であるか偽であるか、それを定める規準があるから法廷へもちだして争いうる。ところが歴史学者の場合は規準がテンデンバラバラで、また歴史はそれでよいのだと思っていらッしゃる傾きがある。しかしながら、証拠を判定する規準というものは、歴史の証拠でも現代の証拠でも変りのある筈はありません。証拠の真偽を判定する規準はただ一ツあるのみです。
 史家の仕事のうちにも史家の偏見が許される場合もあるが、それとこれと混同しては不可である。たとえば信長、秀吉、家康などの人物を論ずる場合には偏見が許されることもあるが、それは人物評論としてである。史家の真偽を判定する場合とちがって、アバタもエクボ、誰が何と云ってもオレはコレコレの点で信長が好きだ、コレコレだから信長は偉い、という、偏見の支え方や偏見の立て方が面白がられる評論だ。現代のタンテイの場合にしても平沢画伯が犯人であるかないかという事実の認定に関する論と、平沢画伯は偉いかバカか、好きかキライかという論とは完全に別の物だ。同一人が二ツの論を行うことができるし、誰しも二ツながら行うのが当然だが、一方の結論から一方の結論が生れる性質のものではなくて、二ツの論が別個の物であることは常識であるし、誰も混同しない。
 ところが史家や歴史愛好家には往々にして歴史評論の偏見の支えを、史実判定の方法に混同して怪しまずに用いている傾きが見られるのである。証拠の真偽をたしかめて史実を定めるということは冷静な検討を要することで、頭から湯気をたててやることではない。
 証拠をあげて史実を定める歴史というものはその推理の方法がタンテイと完全に同一であるのが当然であるが、史家はその方法に於ておおむね狂っているし、狂った方法を疑うことも知らない。現代のタンテイ眼から見ると、日本の史家のタンテイ法はまったく神代的で、銘々が手前勝手で、幼稚というか拙劣というか、いくら書物をタクサン読んだって推理や立証の仕方に狂いがあって、推理力が劣等ならば意味をなさない。史家にとって史料を多く読むことも大切な学問であるけれども、史実を突きとめるためのタンテイ眼や推理力が狂うならばゼロで、歴史という学問にとってタンテイ眼こそは心棒であり、チミツで正確なタンテイ眼があってはじめて史料を読む仕事が生きた学問となるのである。
 戦争に負けるまでは国撰の六国史や古事記にケチをつけそのアヤマリを立証することは許されていなかったから、それについてトヤカク云うのは酷であるが、しかし同情的に見てもどうかと思うことが多い。いッそ古代史にふれなければよろしいのだ。記紀の記事をもって史実を定め証拠の真偽の規準とするという方法に疑いをもたないタンテイは信ずるに足らない。政府御用のゲ・ペ・ウと同じことで、しかもゲ・ペ・ウのタンテイは自分の仕事の性質を知っているに相違ないが、日本の古代史家は大マジメで記紀の規準を信じこんでいるのだからそのタンテイ力に於てはまさしくゼロである。神話によって史実を立証する不当を知り、記紀の規準を疑うことを知る人にしてはじめて史家でありタンテイであるが、全くそうでない人が、また全くそうでない人に限って古代史をいたずらにもてあそぶことに耽溺たんできするのだから、タンテイの方法がトンチンカンで目も当てられないのは当然の話だ。
 私は歴史の一年生で史料というものを殆ど知らず、ようやくその一端を読みはじめたばかりだが、ちょッと一端にふれるだけでも、日本在来の歴史タンテイのイージーなタンテイ法にあきれざるを得ません。このイージーな手法で現代の殺人事件を解かせてみたら面白いことになるでしょう。
 しかし日本の古代史家だけの罪ではないかも知れません。日本全体の欠点かも知れません。先日伊東市で周作君の両親殺人事件があったとき、この事件は犯人が現場をいろいろ偽装したにも拘らず、あらゆる証拠がたった一人の周作君をさしておって、これほど多くのヌキサシならぬ証拠が揃うということは異例中の異例に属する事件であったにも拘らず、市民の多くは気がやさしそうで、良家に育ったインテリ青年の周作君が両親を殺すことはない、という人情論で、ヌキサシならぬ事実を示している証拠の方に重点をおくことを知らないのである。周作君はアイマイながら白状したが、白状しても、まだ犯人ではないらしい、変だ、などと云う人が多い。入院した周作君につきそっていた看護婦も巡査までも彼の態度から判断して犯人でないと考えるようになった。病院の院長まで、この院長は周作君の怪我が彼自らの手でつけた怪我だと判定した人であるが、連日接するうちにどうもこの態度は犯人の態度ではないと考えるようになった。そして証拠の事実からは彼が犯人だが、人柄からは犯人ではない、と痛快きわまる談話を発表した。二十以上も重なり合って大ピラミッドをなしているような牢固としてヌキサシならぬ証拠の数々よりも、バクゼンたる人情や外見的な人柄を重く見ようとする。実に不合理でアイマイな規準を以て、ヌキサシならぬほど合理的なものを否定することを怪しまない。これが相当な学問をおさめた人にも一般の日本人の性格らしい。
 これは歴史家ではないが日本に於ける自称名タンテイの一人が先日手紙をよこして、貴公は記紀の作者が史実を隠すために偽装した史書が記紀だと云うが、文化の低い古代人がそんな複雑なカラクリを巧妙になしうるとは思われない。よほど多くの物的証拠をあげないと、そんな証明はできなかろう、と言ってきました。
 この自称名タンテイは本当のタンテイとは何か、ということを知らない。あいつは人相が悪いから臭い、とか、良家に育ったインテリの周作君は犯人でなかろう、とか、あの田舎ッペイに複雑な密室殺人はできまい、とか、先に見込みを立てて証拠をさがすタンテイは居りません。バカタンテイはそうだが、本当のタンテイはいつも白紙で現場にのぞみ、その証拠に従い、証拠を追って考えをすすめる。
 歴史をタンテイする場合にも同じことで、史実を隠すために偽装を施されたものが記紀である、という考えが先立つことは有りうべからざることなのである。記紀を読み、また他の史料を読むうちにだんだん証拠が現れてきて、そうか、さてはこの事実を隠すために記紀はこんな風に偽装したのか、ということが現れてくる。
「文化の低い古代人がそんな複雑なことはできない」とか「文化が低くても複雑なカラクリを行う能力がある」とか、そういうアイマイな論争にふけったり、またそういうアイマイな根拠にもとづいてタンテイ作業が行われるということは有りうべからざることです。現場に証拠があって、いろいろ偽装を施した事実が語られているから、次第にその結論が得られるまでの話である。歴史たると現代の犯罪たるとを問わずタンテイ作業は同じことで、ただ現場の証拠が語る言葉や事実を突きとめて行くだけのことだ。文化の低い田舎ッペイに密室殺人が不可能だとか、気のやさしい良家育ちのインテリ周作君に親殺しはできない、などと前もって考える名タンテイは有りうべからざることです。また、いかなる国の法廷に於ても、証拠の真偽が決せられるのは証拠自体にそなわる理や力によってであって、田舎ッペイだからとかふだん気が弱くて良家育ちのインテリだからということが証拠を是正するカギとなることは有りうべからざることなのです。この自称名タンテイは歴史家ではないから、歴史を知らないことは是非もないが、自らタンテイ小説を書きもし論じもするから困る。こういう不合理モーローたる感性的見解に立つ名タンテイが、本当に現れたとすればその国はアサの如くに乱れるに至ること火を見るよりもアキラカです。タンテイとはそのようにアイマイなものでもなければ複雑なものでもなく、実に単純きわまる原則によって行われるものです。一と一をたせば必ず2になる。決して3にはならない。そういうハッキリした単純な原則です。

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 日本側の文献だけではあきたらなくて外国の文献に日本の記事をあさるのも結構ですが、とにかくタンテイ法には単純明快な原則がある。1+1=2という小学校一年生にもハッキリ分る原理と同じ物なのですから、いささかもメンドウなものではない。
 たとえば「魏志倭人伝」というものに照し合せて日本の古代史を解明しようという大志をかためた学者があって大長篇の大論文をあらわした人もいますが、それほどではなくても中論文や小論文はザラで耶馬台国やそこの女親分というものは日本古代史家をなやますよほどの怨霊的存在であるらしい。
 もっとも、同情すべき筋はあります。記紀の神話が史実として信用できないのは誰しも感じることだから、当時すでに文化高き外国の史書なら神話よりは確かだろうと一応は誰しもカンタンにそう考える。それというのもこッちの史書がタヨリにならないせいで、おまけに根が外国崇拝の隠し持った本性もあり、おまけに先方は当時抜群の大文化国の史書とくる。
 しかし「魏志倭人伝」を証拠物件として現代の法廷へ提出したなら、こんなものが証拠になるか、とタンテイの無能は忽ちバクロされるにきまっている。
 魏志が史料としてインチキなものかどうか、そんなことは問題ではない。そういう問題に至る必要がない。倭人伝とは何物かと云えばシナの一旅行客がたまたま日本に足跡を印して本国へ帰ってこんな国があったと云って語った旅行記だ。日本人でも海外へ漂流した漁夫などが回想録を残したり幕府の調書に旅行記を残したりしている。彼らはおおむね相当の年月抑留されてかなり風習や言葉もわきまえているのだが、その旅行記たるや現代人の旅行記をもって比すべき事実性は全く見られない。
 現代人は外国についてすでに一応知識をもっている。それですら異境タンケン記などというものは読物以上に考えられないし、それが当り前の話であるが、まして当時たまたま日本の地をふんだ外国人が日本の地理風俗官名などについて語っていることが正確であり得ないのは当然のことだ。
 むろん、あるいは非常に正確であるかも知れぬ。当時に於ける支那随一のタンテイの旅行記で、心眼至らざるなくコクメイに調査して正確にメモをとり、当時としてこれ以上の正確を期しがたい実相を語っているのかも知れない。
 しかしながら、それを立証する事実がなければ、万が一の可能性を信ずることができないのは当り前のことである。たとえば二分の一の可能性であっても、それを立証する事実がなければ法廷の証拠とはなり得ない。
 かりに魏志というものがシナ第一に史料価値の高いものであっても、一異国人のたまたまの見聞記では論外で、魏志の史料価値とは無関係の問題だ。
 まだしも日本人がたまたまシナへ行って日本の国情を語った方がいくらか内容は確かであろう。しかしその日本人が唐津の漁夫で、生れた土地しか知らない人間だとすれば日本へ漂流してともかく日本の諸方をいくらかでも歩いたシナ人の見聞記がむしろ確かだ。だから一概に日本人が自国の国情を述べたものだからと云っても、その日本人の人次第でとんでもないヒラキがあるのだから、日本人自身の談話にしても古代を解く証拠の一ツとして現代の法廷の認定をうることは到底ムリである。まして一異国人の見聞録が犯行、イヤ、事実を解明する証拠となりうる物として認定をうることは完璧にありうべからざることで、一笑に付す、とはまさにこのような場合に用いて然るべきことである。
 こういう一笑に付すべきものが古代を解く証拠として大マジメに論議され、事実これにもとづいて古代史を解明しているツモリの学者が何人もいるのであるから、なさけない。しかも魏志倭人伝の史料価値を疑う人でも、ソモソモ魏志の成立がどうだこうだとかと、歴史文献学的な大ダンビラをふりまわして獅子フンジンの論説であるが、タンテイとして一番大事なこと、つまり一異国人の見聞録というものが事実を証するカギとなり得ないのは人性の自然である、という当り前のことが忘れられているのです。一と一をたすと二になる。決して三にはならぬ。この当り前の原則が事実を解くカギのすべてに通じているものであるが、それが分らなければいくら大ダンビラを縦横にふりまわして文献の数々を並べてみたって、決して本当の歴史が解明される筈はないのです。
 老婆心ながら、ここでひるがえって自称名タンテイの誤解をといておきますが、「異国人のたまたまの見聞記が事実を証するカギとなり得ないのは人性の自然である」ということと、「文化の低い古代人が史書に複雑なカラクリを施しうるとは考えられない」ということは一見似ているようでありますが、根本的に全くちがっております。
 つまり、記紀の記事中に種々の具体的な物的証拠があって複雑なカラクリを施したことを立証しうる。また同時代の他の史料や遺跡等からも記紀のカラクリが立証せられる。タンテイというものは常にそのような物的証拠によって論証するものですから、これを否定する力となるものは更にそれ以上に有力な物的証拠によらなければならないもので、文化の低い古代人にはそのカラクリの能力がない、という抽象的なことが証拠を否定するものとは成り得ない。ふだん善良な人だから人を殺す筈はない、ということは彼の犯行を否定する力や証拠には決してなり得ません。
 記紀の場合には、私が数々の物的証拠をあげているでしょう。それらの物的証拠によってカラクリを証明しておりますから、それを否定するには更に有力な物的証拠によって反証をあげねばならぬ。
 しかるに魏志倭人伝の場合に於ては、そのアベコベでありまして、もしもある学者がいろいろ他の史料から物的証拠をあげて、この倭人伝の語るところは史実である。なぜならばこれこれのヌキサシならぬ物的証拠があるから、と多くの証拠をあげたとします。
 このように物的証拠をあげてその史実的に正確な地理や風俗を伝えていることが立証せられたならば、もはやその時には異国人のたまたまの見聞記は事実を証するカギにならない、という抽象論は役に立ちません。物的証拠は常に抽象論よりも有力です。なぜなら万が一の可能性というものはどこにもあって、古代の異国人のたまたまの見聞記でも正確な事実を伝えている万が一の可能性はたしかにあるのですが、ただ法廷に於ては、万が一の可能性が証明せられない限りは証拠となる力がないのです。したがって、もしも万が一の可能性が証明せられて、これこれのヌキサシならぬ物的証拠があるからこの見聞記は正確な事実を伝えている、という問題が起った場合には、それはすでに別問題です。これに対して、否、異人の見聞記はウソにきまってる、というのはもはや証拠を否定する力にはならぬ。この場合相手の証拠を否定するには更に有力な物的証拠によって反証をあげなければなりません。しかし古代の異人の見聞記でも時には正しいことがある、という万が一の可能性が証拠によって示されていない以上は、これを史実とみて古代史を解くカギの一ツに用いることは許されない。万が一どころか、二分の一の可能性でも、その確かなことが物的に証明せられぬ以上は犯人をつきとめる証拠とはならないのです。
 いずれにせよ物的証拠があっては抽象論は無力ですが、しかしながら、外国人がたまたま未開国を歩いた見聞記が正確な事実を伝える場合もありうるという可能性は甚だ低いものですが、文化の低い古代人が史書に複雑なカラクリを施す力がない、というのは大胆な論断にすぎるようです。昔から家を起し、大名になったり、財産ができたりすると、誰しも系図をつくりたがる。むろん自分は名もない生れだから尚さら系図をつくり、源氏や平家に始まるニセの系図をつくって見せびらかす。これは人間の本能的なもので、神から位をゆずられたとか、天狗や仙人から術を習ったとか、由緒書の文句で愚民をまどわして信用を博すは未開人や文化の低い人間ほど強いものだ。むしろ人間性というものから云えば、文化人はニセの系図をつくッて威張る理由も必要もないが、古代人にとって系図のカラクリは重大きわまる問題であった。特に彼が人民に君臨する必要があるなら、彼にとって系図のカラクリは最大の関心事であったろうと想像されないでしょうか。
 自称名タンテイの説はむしろアベコベで、一向に人性に即さぬものだ。文化が低い古代人だから、特にそういうカラクリが必要かくべからざる大事で、その手法にも熟達していた、そう考える方がむしろ人性に自然ではありませんか。もっとも、どっちが正しいにしても、物的証拠の前ではどちらも意味をなさないことは同じです。
(この項未完、以上は序論の如きもの也。ただし本論はすぐ来月つづくとは限らず。)





底本:「坂口安吾全集16」ちくま文庫、筑摩書房
   1991(平成3)年7月24日第1刷発行
底本の親本:「新潮 第四八巻第一一号」
   1951(昭和26)年10月1日発行
初出:「新潮 第四八巻第一一号」
   1951(昭和26)年10月1日発行
※「遺蹟」と「遺跡」の混在は、底本通りです。
入力:持田和踏
校正:ばっちゃん
2024年1月16日作成
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