わたしは在所から都の中に飛込んで来て、ちょっとまばたきしたばかりでもう六年経ってしまった。その間、耳にもし眼にも見たいわゆる国家の大事というものは、勘定してみるとずいぶん少くないが、わたしの心の中には何の
だがここに一つの小さな出来事があって、それがわたしにとってはかえって意義があり、わたしを悪い癖の中から引放し、今に至っても忘れることの出来ないものである。
民国六年の冬、北風が猛烈に吹きまくった。その頃わたしは仕事の都合で毎朝早く往来を歩かなければならなかった。通りすじにはほとんど人影を見なかったが、しばらくしてやっと一台の人力車をめっけ、それを雇ってS門まで挽かせた。まもなく風は
彼女は地に伏した時車夫は足を留めた。
わたしは、この老女が怪我した様子も見えないし、ほかに見ている人もないから、余計なことして附け込まれ、手間を取っては困ると思い
「何でもないよ。早く行ってくれ」
と車夫を促し立てた。車夫は
「どうかなさいましたか」
「
わたしの見たところでは彼女はふらふらと地に倒れて怪我するはずもないのに、甘くすれば附上る、本当に憎らしい奴だ、車夫もまた余計なことして自ら苦労を求めているのだから勝手にしやがれ、と思った。しかし車夫は老女の言葉を聞くと少しも躊躇せず、そのまま彼女の
わたしは不思議に思って前の方を見ると、そこに巡査の派出所があった。大風の後で外には誰一人見えない。あの車夫があの老女を扶けながらちょうど
わたしはこの時突然一種異様な感じを起した。全身砂埃を浴びた彼の
わたしの活力はこの時たぶん停滞していたのだろう。じっと坐ったままで、派出所の中から一人の巡査が歩き出して来るまでは何の
「あなたは雇い車でしょう。あの車夫はあなたを挽いてゆくことが出来ません」
わたしは思いめぐらすまでもなく、外套のポケットから銅貨を
「どうぞこれをあなたから車夫に渡して下さい」
風はすっかり止んで往来はいとも静かであった。わたしは歩きながら考えたがほとんど自分のことに思い及ぶことを恐れた。以前のことはさておき、今のあの銅貨一攫みは一体どういうわけなんだえ? 彼を奨励するつもりか? わたしはこれでも車夫を裁判することが出来るのか? わたしは自分で答うることが出来ない。
このことは今でもまだ時々想い出し、わたしはこれに
(一九二〇年七月)