青ひげ
ペロー Perrault
楠山正雄訳
一
むかしむかし、町といなかに、大きなやしきをかまえて、金の盆と銀のお皿をもって、きれいなお飾りとぬいはくのある、いす、つくえと、それに、総金ぬりの馬車までももっている男がありました。こんなしあわせな身分でしたけれど、ただひとつ、運のわるいことは、おそろしい青ひげをはやしていることで、それはどこのおくさんでも、むすめさんでも、この男の顔を見て、あっといって、逃げ出さないものはありませんでした。
さて、この男のやしき近くに、身分のいい奥さんがあって、ふたり、美しいむすめさんをもっていました。この男は、このむすめさんのうちどちらでもいいから、ひとり、およめさんにもらいたいといって、たびたび、この奥さんをせめました。けれど、ふたりがふたりとも、むすめたちは、この男を、それはそれはきらっていて、逃げまわってばかりいました。なにしろ青ひげをはやした男なんか、考えただけでも、ぞっとするくらいですし、それに、胸のわるいほどいやなことには、この男は、まえからも、いく人か奥さまをもっていて、しかもそれがひとりのこらず、どこへどう行ってしまったか、ゆくえが分からなくなっていることでした。
そこで、青ひげは、これは、このむすめさん親子のごきげんをとって、じぶんがすきになるようにしむけることが、なによりちか道だと考えました。そこで、あるとき、親子と、そのほか近所で知りあいの若い人たちをおおぜい、いなかのやしきにまねいて、一週間あまりもとめて、ありったけのもてなしぶりをみせました。
それは、まい日、まい日、野あそびに出る、狩に行く、釣をする、ダンスの会だの、夜会だの、お茶の会だのと、目のまわるようなせわしさでした。夜になっても、たれもねどこにはいろうとするものもありません。宵がすぎても、夜中がすぎても、みんなそこでもここでも、おしゃべりをして、わらいさざめいて、ふざけっこしたり、歌をうたいあったり、それはそれは、にぎやかなことでした。とうとうこんなことで、なにもかも、とんとんびょうしにうまくはこんで、すえの妹のほうがまず、このやしきの主人のひげを、もうそんなに青くは思わないようになり、おまけに、りっぱな、礼儀ただしい紳士だとまでおもうようになりました。
さて、うちへかえるとまもなく、ご婚礼の式がすみました。
それから、ひと月ばかりたったのちのことでした。
青ひげは、ある日、奥がたにむかって、これから、あるたいせつな用むきで、どうしても六週間、いなかへ旅をしてこなければならない。そのかわり、るすのあいだの気ばらしに、お友だちや知りあいの人たちを、やしきに呼んで、里の家にいたじぶんとおなじように、おもしろおかしく遊んで、くらしてもかまわないから、といいました。
「さて、」と、そのあとで、青ひげは奥がたにいいました。「これはふたつとも、わたしのいちばん大事な道具のはいっている大戸棚のかぎだ。これはふだん使わない金銀の皿を入れた戸棚のかぎだ。これは金貨と銀貨をいっぱい入れた金庫のかぎだ。これは宝石箱のかぎだ。これはへやのこらずの合いかぎだ。さて、ここにもうひとつ、ちいさなかぎがあるが、これは地下室の大ろうかの、いちばん奥にある、小べやをあけるかぎだ。戸棚という戸棚、へやというへやは、どれをあけてみることも、中にはいってみることも、おまえの勝手だが、ただひとつ、この小べやだけは、けっしてあけてみることも、まして、はいってみることはならないぞ。これはかたく止めておく。万一にもそれにそむけば、おれはおこって、なにをするか分からないぞ。」
奥がたは、おいいつけのとおり、かならず守りますと、やくそくしました。やがて青ひげは、奥がたにやさしくせっぷんして、四輪馬車に乗って、旅だって行きました。
二
すると、おくがたの知りあいや、お友だちは、お使を待つまも、もどかしがって、われさきにあつまって来ました。およめ入りさきの、りっぱな住まいのようすが、どんなだか、どのくらい、みんなは見たがっていたでしょう。ただ主人がうちにいるときは、れいの青ひげがこわくて、たれも寄りつけなかったのでございます。
みんなは、居間、客間、大広間から、小べや、衣裳べやと、片っぱしから見てあるきましたが、いよいよ奥ぶかく見て行くほど、だんだんりっぱにも、きれいにもなっていくようでした。
とうとうおしまいに、いっぱい家具のつまった、大きなへやに来ました。そのなかの道具やおきものは、このやしきのうちでも、一等りっぱなものでした。かべかけでも、ねだいでも、長いすでも、たんすでも、つくえや、いすでも、頭のてっぺんから、足の爪さきまでうつるすがたみでも、それはむやみにたくさんあって、むやみにぴかぴか光って、きれいなので、たれもかれも、ただもう、かんしんして、ふうと、ため息をつくだけでした。すがたみのなかには、水晶のふちのついたものもありました。金銀めっきのふちのついたものもありました。なにもかも、この上もなくけっこうずくめなものばかりでした。
お客たちは、まさかこれほどまでともおもわなかった、お友だちの運のよさに、いまさら感心したり、うらやましがったり、いつまでもはてしがありませんでしたが、ご主人の奥がたは、いくらりっぱなおへやや、かざりつけを見てあるいても、じれったいばかりで、いっこうにおもしろくも楽しくもありませんでした。それというのが、夫が出がけにきびしくいいつけておいていった、地下室のひみつの小べやというのが、しじゅう、どうも気になって気になって、ならないからでございます。
いけないというものは、とかく見たいのが、人間のくせですから、そのうちいよいよ、がまんがしきれなくなってくると、この奥がたは、もうお客にたいして、失礼のなんのということを、おもってはいられなくなって、ひとりそっと裏ばしごをおりて、二ども三ども、首の骨がおれたかとおもうほど、はげしく、柱や梁にぶつかりながら、むちゅうでかけ出して行きました。
でも、いよいよ小べやの戸の前に立ってみると、さすがに夫のきびしいいいつけを、はっとおもい出しました。それにそむいたら、どんなふしあわせな目にあうかしれない、そうおもって、しばらくためらいました。でも、さそいの手が、ぐんぐんつよくひっぱるので、それをはらいきることは、できませんでした。そこで、ちいさいかぎを手にとって、ぶるぶる、ふるえながら、小べやの戸をあけました。
窓がしまっているので、はじめはなんにも見えませんでした。そのうち、だんだん、くらやみに目がなれてくると、どうでしょう、そこの床の上には、いっぱい血のかたまりがこびりついていて、五六人の女の死がいを、ならべてかべに立てかけたのが、血の上にうつって見えていました。これは、みんな青ひげが、ひとりひとり、結婚したあとで殺してしまった女たちの死がいでした。これを見たとたん、奥がたは、あっといったなり、息がとまって、からだがすくんで動けなくなりました。そうして、戸のかぎ穴からぬいて、手にもっていたかぎが、いつか、すべり落ちたのも知らずにいたくらいです。
しばらくして、やっとわれにかえると、奥がたはあわてて、かぎを拾いあげて、戸をしめて、いそいで二階の居間にかけてかえると、ほっと息をつきました。でも、いつまでも胸がわくわくして、正気がつかないようでした。
見ると、かぎに血がついているので、二三ど、それをふいてとろうとしましたが、どうしても血がとれません。水につけて洗ってみても、せっけんとみがき砂をつけて、といしで、ごしごし、こすってみても、いっこうにしるしがみえません。血のついたあとは、いよいよ、こくなるばかりでした。それもそのはず、このかぎは魔法のかぎだったのです。ですから、おもてがわのほうの血を落したかとおもうと、それはうらがわに、いつか、よけいこく、にじみ出していました。
三
すると、その日の夕方、青ひげが、ひょっこり、うちへかえって来ました。それは、まだむこうまで行かないうち、とちゅうで、用むきが、つごうよく片づいた、という知らせを聞いたからだと、青ひげは話しました。だしぬけにかえってこられたとき、奥がたは、ぎょっとしましたが、いっしょうけんめい、うれしそうな顔をして見せていました。
さて、そのあくる朝、青ひげは、さっそく、奥がたに、あずけたかぎをお出しといいました。そういわれて、奥がたがかぎを出したとき、その手のふるえようといったらありませんでしたから、青ひげは、すぐとかんづいてしまいました。
「おや。」と、青ひげはいいました。「小べやのかぎがひとつないぞ。」
「じゃあ、きっと、あちらのつくえの上におきわすれたのでしょう。」と、奥がたはこたえました。
「すぐ持ってこい。」と、青ひげは、おこった声を出しました。
五六ど、あちらへ行ったり、こちらへ行ったり、まごまごしたあとで、奥がたは、しぶしぶかぎを出しました。青ひげは、かぎを受けとると、こわい目をして、じっとながめていましたが、
「このかぎの血はどうしたのだ。」といいました。
「知りません。」と、泣くような声でこたえた奥がたの顔は、死人よりも青ざめていました。
「なに、知りませんだと。」と、青ひげはいいました。「おれはよく知っているよ。おまえはよくもおもいきって、小べやの中にはいったな。えらいどきょうだ。よし、そんなにはいりたければ、あそこへはいれ、はいって、そこにいる奥さんたちのなかまになれ。」
こういわれると、奥がたは、いきなり夫の足もとにつっぷして、いかにもまごころから、くいあらためたようすで、もうけっして、おいいつけにはそむきませんから、といって、わびました。このうえもなく美しい人の、このうえもなく悲しいすがたを見ては、岩でもとろけ出したでしょう。けれど、この青ひげの心は、岩よりも、かねよりも、かたかったのでございます。
「奥さん、あなたは死ななければならない。今すぐに。」と、青ひげはいいました。
「わたくし、どうしても死ななければならないのでしたら。」と、奥がたはこたえて、目にいっぱい涙をうかべて、夫の顔を見ました。「せめてしばらく、おいのりをするあいだだけ、待ってくださいまし。」
「しかたがない、七分半だけ待ってやる。だがそれから、一秒もおくれることはならないぞ。」と、青ひげはいいました。
ひとりになると、奥がたは、女のきょうだいの名を呼びました。
「アンヌねえさま(アンヌというのは、きょうだいのなまえでした。)アンヌねえさま、後生です、塔のてっぺんまであがって、にいさまたちが、まだおいでにならないか見てください。にいさまたちは、きょう、たずねてくださるやくそくになっているのです。見えたら、大いそぎでくるように、合図をしてください。」
アンヌねえさまは、すぐ塔のてっぺんまであがって行きました。半分きちがいのようになった奥がたは、かわいそうに、しじゅう、さけびつづけていました。
「アンヌねえさま、アンヌねえさま、まだなにもこないの。」
すると、アンヌねえさまはいいました。
「日が照って、ほこりが立っているだけですよ。草が青く光っているだけですよ。」
そのうちに青ひげが、大きな剣をぬいて手にもって、ありったけのわれがね声を出して、どなりたてました。
「すぐおりてこい。おりてこないと、おれのほうからあがって行くぞ。」
「もうちょっと待ってください、後生ですから。」と、奥がたはいいました。そうして、ごくひくい声で、
「アンヌねえさま、アンヌねえさま、まだなにも見えないの。」と、さけびました。
アンヌねえさまはこたえました。
「日が照って、ほこりが立っているだけですよ。草が青く光っているだけですよ。」
「早くおりてこい。」と、青ひげはさけびました。「おりてこないと、あがって行くぞ。」
「今まいります。」と、奥がたはこたえました。
そうして、そのあとで、「アンヌねえさま、まだなにも見えないの。」と、さけびました。
「ああ。でも、大きな砂けむりが、こちらのほうにむかって、立っていますよ。」と、アンヌねえさまはこたえました。
「それはきっと、にいさまたちでしょう。」
「おやおや、そうではない。ひつじのむれですよ。」
「こら、おりてこないか、きさま。」と、青ひげはさけびました。
「今すぐに。」と、奥がたはいいました。そうして、そのあとで、「アンヌねえさま、アンヌねえさま、まだ、だあれもこなくって。」
「ああ、ふたり馬に乗った人がやってくるわ。けれど、まだずいぶん遠いのよ。」
「ああ、ありがたい。」と、奥がたは、うれしそうにいいました。「それこそ、にいさまたちですよ。わたし、にいさまたちに、いそいでくるように合図しましょう。」
そのとき、青ひげは、家ごとふるえるほどの大ごえでどなりました。奥がたは、しおしお、下へおりて行きました。涙をいっぱい目にためて、かみの毛を肩にたらして、夫の足もとにつっぷしました。
「今さらどうなるものか。」と、青ひげはあざわらいました。「はやく死ね。」
こういって、片手に、奥がたのかみの毛をつかみながら、片手で、剣をふりあげて、首をはねようとしました。おくがたは、夫のほうをふりむいて、今にもたえ入りそうな目つきで、ほんのしばらく、身づくろいするあいだ、待ってくださいと、たのみました。
青ひげはこういって、剣をふりあげました。
「ならん、ならん。神さまにまかせてしまえ。」
そのとたん、おもての戸に、ドンと、はげしくぶつかる音がしたので、青ひげはおもわず、ぎょっとして手をとめました。とたんに、戸があいたとおもうと、すぐ騎兵がふたりはいって来て、いきなり、青ひげにむかって来ました。これは奥がたの兄弟で、ひとりは竜騎兵、ひとりは近衛騎兵だということを、青ひげはすぐと知りました。そこで、あわてて逃げ出そうとしましたが、兄弟はもう、うしろから追いついて、青ひげが、くつぬぎの石に足をかけようとするところを、胴中をひとつきつきさして、ころしてしまいました。
でもそのときには、もう奥がたも気が遠くなって、死んだようになっていましたから、とても立ちあがって、兄弟たちを迎える気力はありませんでした。
さて、青ひげには、あとつぎの子がありませんでしたから、その財産はのこらず、奥がたのものになりました。奥がたはそれを、ねえさまやにいさまたちに分けてあげました。
ものめずらしがり、それはいつでも心をひく、かるいたのしみですが、いちど、それがみたされると、もうすぐ後悔が、代ってやってきて[#「やってきて」は底本では「やっきて」]、そのため高い代価を払わなくてはなりません。
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