あなたは、勿論、エキストラって御存じでしょう。――活動写真撮影のときに、臨時に雇われて、群衆になったりする――あれですよ。私は
私は、あちらへ舞い戻ったつもりになって、ABCプロや、XYZプロダクションで、毎日のように、エキストラ稼ぎをしていたんです。
あの朝は、とても霧の深い、息苦しいような、お天気でした。
「こんな日和じゃ、撮影も駄目だろう」
私は、こう思いながら、出て行ったのですが、監督は、
「夜の気分を出すのには丁度いい、すぐ撮影開始だ」
と命令したものです。
場面は神戸の元町、一丁目角。とても金のかかった、いいセットでした。
「午前一時、人通りが殆んど絶えた元町通りを、ダンス・ホールの帰りか、または、酒場で飲んでいたらしい、与多者風の、若者二三が歩いて行く。と、一人が、軒店のおでん屋に頭を入れる――」
御存じのように、こうした場合に雇われるエキストラは、
「用意、カメラ、アクション――」
の声がかかると、セットの中にいることを忘れて、ただ、呑気に歩いているか、または、話していれば、それでいいのです。しかし、これが、なかなか、六ツヶ敷いことで、撮影されていながら、ほんとに遊んでいる時のような、ゆったりとした気分になれば、もう、エキストラとしては一人前なんです。
この時の、私の役は、今の台本にありました、「ダンス・ホールか、酒場からの帰りらしい与多者」で、カメラがクランクされ初めると、通りを少し歩いて、軒下のおでん屋に頭を突込めば、それでいいのでした。しかし、そのままでストップするんじゃありません。親爺さんに、なんとか相手になっていなければならなかったのです。で、私は、
「
と、云ったものです。すると、この親爺さん、いかにも真面目に、
「やあ、いらっしゃい」
と、顔を上げましたが、見ると、五年前にほんものの元町通りでおでん屋をしていた親爺なんです。私は、すっかり驚いてしまいました。
「おや、親爺さん、いつからエキストラになんか、なっているんだい」
と、聞きますと、少し変な顔をしましたが、何の返事もせずに、酒の燗をしてるんです。私は、はっきり、五年前の、あの夜を思い出しました。
(
――親爺さん、酒をつけてくんな。
と、云うと、
――はい、どうぞ。
と返事して、徳利を出した。大きなグラスのカップに入れて、ぐっと一と息、そして、ふと、後を見ると、彼女が男を連れて……)
こう、思って、ふと、振り向くと、何と驚いたことに、正真正銘の彼女が、男をつれて、こちらへ来るんです。私は、はっ、としました。
「こんな馬鹿なことが……。これはセットじゃないか」
こう思って、目を見はりましたが、彼女に相違ありません。私を裏切った、憎い女に違いないのです。
「しかし、あいつは、俺が殺したのじゃないか。五年前の、今日のように、霧の深い晩に、確に俺の手で殺したのだ。――それがために、長い五ヶ年を、刑務所で暮したのじゃないか」
私は自分自身で、気が狂ったのではないか、と思いました。実際、こんな馬鹿げたことがこの、世の中にあろうとは考えられません。しかし、近づいて来る女を見れば見るほど、彼女に相違ありません。
「うぬ、まだ生きていたのか」
こう思うと、私は逆上してしまいました。無意識の中に、五年前にやったと同じように、おでん屋の親爺が前においている出刀をひったくると――。
あのエキストラは筋書の通り、そして、監督をやっていた私の命令通りに、動いたに過ぎないんですよ。
(女を見つけると、おでん屋の親爺が前においた出刀を取って走る。
――裏切者!
と、叫んで切りつける)
この通りにやったのです。そして、ここまでは、いいのですね。しかし、次に、こう云ったものです。
「うぬ、五年前に殺してやったのに、まだ生きていたのか」
これが、どうも、変ですね。それに、五ヶ年間、刑務所にいた、と云っていますが、この期間はXYZプロにいたことが明白なんです。
こうしたことを考えますと、疑いもなく精神病者ですね。しかし、あの場面の撮影は最後まで間違いなくやっているんですよ。撮影台本はこうなっていましたがね――。
――女に向って出刀を振り上げる。
――女、男にしがみ付く。
――二人の乱闘(短い間)
――女、死物狂いで、男の手に食い付く。
――男、兇器を取り落す。
――再び乱闘(短い間)
――男、女の咽喉を締める。
こうすれば長いですが、二三米のカットの連続で、短い一場面なんです。二人の演技は筋書通りに、そして、とても旨く、写実的に行われたのです。台本は、次に――。――女、男にしがみ付く。
――二人の乱闘(短い間)
――女、死物狂いで、男の手に食い付く。
――男、兇器を取り落す。
――再び乱闘(短い間)
――男、女の咽喉を締める。
――女、昏倒す。
――男、逃走す。
と、なっているのです。そして、この通りに行われたのです。ところが、「男」は、ほんとうに、撮影場から逃走してしまって、「女」は昏倒したまま、遂に蘇生しなかったのです。――男、逃走す。
船の出帆まぎわでした。
「
と、声が聞えて、誰かタラップを駈け上って来ました。
「誰が自分を……」
私が、こう思って、下を見ると、彼なのです。
「おー、××か。ここだ、上って来い」
私は、手を差しのべました。
「とうとう、彼女を殺して来た。また、亜米利加だ。頼むぜ」
こう云うと、船艙の方へ走り去ったのです。しかし、二等運転手の[#「二等運転手の」はママ]職にある私が、どうして
それから二ヶ月目でした。私は彼からの書状を受取りました。消印は
「それでは」
と、具体的な方法を考えてやり、そして、万一にも捕まった時の用意に、と、彼に発作的精神病者を装わせたのも、彼――おでん屋の親爺だったのですから……。