撮影所殺人事件

酒井嘉七





 あなたは、勿論、エキストラって御存じでしょう。――活動写真撮影のときに、臨時に雇われて、群衆になったりする――あれですよ。私は聖林あちらにいる時分から、これが本職だったのです。私が千九百三十年に日本へ帰って来た時分には、こんなことで、此方で、おまんまなんか、頂けたものじゃ御座いませんでした。しかし、それから五年の後、私が刑務所ビッグ・ハウスから出て来ますと、日本の撮影場もすっかり、亜米利加アメリカのあの頃と同じようになっていました。
 私は、あちらへ舞い戻ったつもりになって、ABCプロや、XYZプロダクションで、毎日のように、エキストラ稼ぎをしていたんです。
 あの朝は、とても霧の深い、息苦しいような、お天気でした。
「こんな日和じゃ、撮影も駄目だろう」
 私は、こう思いながら、出て行ったのですが、監督は、
「夜の気分を出すのには丁度いい、すぐ撮影開始だ」
 と命令したものです。
 場面は神戸の元町、一丁目角。とても金のかかった、いいセットでした。撮影台本コンティニエイティには次のように書いてありました――
「午前一時、人通りが殆んど絶えた元町通りを、ダンス・ホールの帰りか、または、酒場で飲んでいたらしい、与多者風の、若者二三が歩いて行く。と、一人が、軒店のおでん屋に頭を入れる――」
 御存じのように、こうした場合に雇われるエキストラは、
「用意、カメラ、アクション――」
 の声がかかると、セットの中にいることを忘れて、ただ、呑気に歩いているか、または、話していれば、それでいいのです。しかし、これが、なかなか、六ツヶ敷いことで、撮影されていながら、ほんとに遊んでいる時のような、ゆったりとした気分になれば、もう、エキストラとしては一人前なんです。
 この時の、私の役は、今の台本にありました、「ダンス・ホールか、酒場からの帰りらしい与多者」で、カメラがクランクされ初めると、通りを少し歩いて、軒下のおでん屋に頭を突込めば、それでいいのでした。しかし、そのままでストップするんじゃありません。親爺さんに、なんとか相手になっていなければならなかったのです。で、私は、
とっさん、一杯つけてくんな」
 と、云ったものです。すると、この親爺さん、いかにも真面目に、
「やあ、いらっしゃい」
 と、顔を上げましたが、見ると、五年前にほんものの元町通りでおでん屋をしていた親爺なんです。私は、すっかり驚いてしまいました。
「おや、親爺さん、いつからエキストラになんか、なっているんだい」
 と、聞きますと、少し変な顔をしましたが、何の返事もせずに、酒の燗をしてるんです。私は、はっきり、五年前の、あの夜を思い出しました。
彼女あいつを殺したのも、こんな霧の深い夜だった。ここに、この親爺がいたんだ。
 ――親爺さん、酒をつけてくんな。
 と、云うと、
 ――はい、どうぞ。
 と返事して、徳利を出した。大きなグラスのカップに入れて、ぐっと一と息、そして、ふと、後を見ると、彼女が男を連れて……)
 こう、思って、ふと、振り向くと、何と驚いたことに、正真正銘の彼女が、男をつれて、こちらへ来るんです。私は、はっ、としました。
「こんな馬鹿なことが……。これはセットじゃないか」
 こう思って、目を見はりましたが、彼女に相違ありません。私を裏切った、憎い女に違いないのです。
「しかし、あいつは、俺が殺したのじゃないか。五年前の、今日のように、霧の深い晩に、確に俺の手で殺したのだ。――それがために、長い五ヶ年を、刑務所で暮したのじゃないか」
 私は自分自身で、気が狂ったのではないか、と思いました。実際、こんな馬鹿げたことがこの、世の中にあろうとは考えられません。しかし、近づいて来る女を見れば見るほど、彼女に相違ありません。
「うぬ、まだ生きていたのか」
 こう思うと、私は逆上してしまいました。無意識の中に、五年前にやったと同じように、おでん屋の親爺が前においている出刀をひったくると――。



 あのエキストラは筋書の通り、そして、監督をやっていた私の命令通りに、動いたに過ぎないんですよ。
(女を見つけると、おでん屋の親爺が前においた出刀を取って走る。
 ――裏切者!
 と、叫んで切りつける)
 この通りにやったのです。そして、ここまでは、いいのですね。しかし、次に、こう云ったものです。
「うぬ、五年前に殺してやったのに、まだ生きていたのか」
 これが、どうも、変ですね。それに、五ヶ年間、刑務所にいた、と云っていますが、この期間はXYZプロにいたことが明白なんです。
 こうしたことを考えますと、疑いもなく精神病者ですね。しかし、あの場面の撮影は最後まで間違いなくやっているんですよ。撮影台本はこうなっていましたがね――。
――女に向って出刀を振り上げる。
――女、男にしがみ付く。
――二人の乱闘(短い間)
――女、死物狂いで、男の手に食い付く。
――男、兇器を取り落す。
――再び乱闘(短い間)
――男、女の咽喉を締める。
 こうすれば長いですが、二三米のカットの連続で、短い一場面なんです。二人の演技は筋書通りに、そして、とても旨く、写実的に行われたのです。台本は、次に――。
――女、昏倒す。
――男、逃走す。
 と、なっているのです。そして、この通りに行われたのです。ところが、「男」は、ほんとうに、撮影場から逃走してしまって、「女」は昏倒したまま、遂に蘇生しなかったのです。



 船の出帆まぎわでした。貨物船フレイターのこととて、別に見送人で混雑していた、と云うほどでもありませんでしたが、それでも、突堤の上には、誰を見送っているのか、テープを握った若い婦人もありました。私が上甲板を歩いていますと、
二等機関士セカンド・エンヂニーアの××君はいるか」
 と、声が聞えて、誰かタラップを駈け上って来ました。
「誰が自分を……」
 私が、こう思って、下を見ると、彼なのです。
「おー、××か。ここだ、上って来い」
 私は、手を差しのべました。
「とうとう、彼女を殺して来た。また、亜米利加だ。頼むぜ」
 こう云うと、船艙の方へ走り去ったのです。しかし、二等運転手の[#「二等運転手の」はママ]職にある私が、どうして密航者ストーアウェーを――たとえ、それが、私の無二の親友であるにしても――見逃しましょう[#「見逃しましょう」はママ]。船内を隈なく捜査しましたが、どうしても発見することができなかったのです。
 それから二ヶ月目でした。私は彼からの書状を受取りました。消印は聖林ホリーウッドになっていました。どうして、あんなに旨く、船中に隠れていたのか。また、亜米利加官憲の、鋭い監視の目を、どう逃れて上陸したのか。――こうしたことは書いていませんでしたが、無事に着いた君に感謝する[#「無事に着いた君に感謝する」はママ]、そして、何とか名は忘れましたが、撮影所で、あの殺人事件のあった日に、元町通りのセットの中で、おでん屋の親爺に扮した男に、内密で、呉呉もよろしく言ってくれ、とありました。と、云いますのも、(彼の手紙によりますと)彼が裏切った女の話をして、殺害の決心を打ち明けると、
「それでは」
 と、具体的な方法を考えてやり、そして、万一にも捕まった時の用意に、と、彼に発作的精神病者を装わせたのも、彼――おでん屋の親爺だったのですから……。





底本:「酒井嘉七探偵小説選」論創ミステリ叢書、論創社
   2008(平成20)年4月30日初版第1刷発行
初出:「ぷろふいる 第三巻十一号」ぷろふいる社
   1935(昭和10)年11月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※表題は底本では、「撮影所殺人事件スタディオ・マーダー・ケース」となっています。
入力:酒井 喬
校正:北村タマ子
2014年6月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード