その一
女学校これはこれはの顔ばかりと、人の悪口にいひつるは十幾年の昔にて、今は貴妃小町の色あるも、納言式部の才なくてはと、色あるも色なきも学びの庭へ通ふなる、実に有難の御世なれや、心利きたる殿原は女学校の門に斥候を放ちて、偵察怠りなきもあり、己れ自ら名のり出て、遠からむものは音にも聞け、近くは寄りて眼にも見よと、さすがにいひは放たねど、学識の高きを金縁の眼鏡にも示し、流行に後れぬ心意気を、洋服の仕立襟飾りの色にも見せて、我と思はむ姫あらばと、心に喚はりたまふもありとかや。これはいづれの女学校にやあらむ、いはぬはいふに増す鏡、くもらぬ影も小石川音には立てぬひそめきも、三人寄れば姦しき女の習ひ、いつしかに佳境に入りし話し声、思はず窓の外に漏れて往来の人も耳引立つめり。
第何号室と記したる室内に、今しも晩餐を終りたりと覚しき女生達三四人団結して、口々に語らふ中にも、桜井花子といふ器量よし、学問はちと二の町なれど、丸ぼちやの色白といふ当世好み、鼻はさして高からねど黒眼がちなる二重瞼愛らしく、紅さしたらむやうに美しく小さき口もと、歯並は少し悪けれど、糸きり歯の二重になりたるは、なかなかに趣きを添へて、これも愛嬌の一ツとはなりつ、濃き髪を惜しげもなくくるくると上げ巻にしたるを、あはれ島田に結はせたらましかはと思ふばかりなるが、甘へたる調子にて我よりは一ツ二ツ年上らしき竹村といふ女生に向ひ、ちよいと君子さん、あなた今日の参観人御存知なのと、意味ありげに答を促しぬ。君子と呼ばれたるは年十八九少し瘠ぎすな方にて、鼻隆く口もとしまり、才気面に顕れたれど、神経質の眼つきかくれなければや、美しき中にも凄味あり、人によりては愛嬌なしといはむかなれど、これもまた花子とともに校内に一二を争ふ美人なり。ハアなぜなの私は存じませんよ。だが例のらしい人でしやう、ほんとに嫌な事ね、かの人達は学校を何と心得てゐるのでしやう、ほんとに学校の神聖を汚すといふものですね。校長さんはなぜあんな人に参観をお許しなさるのでしやうと少しく角張りかかるを花子はホホホホと軽く受けて、また君子さんのお株が始まつたよ、そんな事はどうでもよいではありませんか、それに今日来た人は、そんな筈の人ではなからうと思ひます。校長さんもたいへん丁寧にしていらつしつたし、――何でも真実学事の視察に来た人らしく思ひますよと熱心に説きかかるに、今一人の女生鈴子といふが横槍を入れ、これはこれは御弁護恐れいりまする、これには何か深い意味がございませうから、私はここに緊急動議を呈出するの必要を感じました、何と皆さんそれよりも今日の参観人に対する桜井さんの御関係の、御説明を戴きたいものではございませぬかとしかつめらしくいひ出るは代議士なんどの娘子にやあるべからむ。君子は直ぐに声に応じて、それは私も御賛成申しますよ、どうも少し恠しいのよ、サア桜井さんあなた御存知の方なんでしやう、まつ直ぐに仰しやいよ、おつしやらなければこうしますとはや二人してくすぐりかかるに、花子は堪へず口を開きて、マアマア御待ちなさいツてば、さう騒々しくなすつては申す事も申されませぬ。別に子細も何もないのですよ、あの方はもと私の兄の友達で兄よりはずつと前に大学を御卒業なされた文学士、甲田美郎さんといふ方ですよ、いふをもまたず鈴子のそれそれ私の申さぬ事か、やはり御存知なんでしやうとからかひかかるを君子は制し、それであなたも御存知なのと、再び談話の緒を引出されて、ハア
その二
ここは処も嘘ならぬ本郷真砂町の何番地とやらむ、邸造りの小奇麗なる住居、主人は桜井直之輔とて、書生上りの若紳士、まだ角帽抜いで二年越とやら、某省傭の名義にての出仕、俸給は五本の指を超へまじけれど、家内は廿一二の美しき細君と、去年学校を卒業したりといふ妹の花子、下女のきよに洋犬を合はせて、四人一匹の小勢なれば、暮し向きもさまで約しからず。若き人のみの寄合とて、時ならぬ笑ひ声に近隣の人を羨せぬ。
常さへあるにまだ注連あかぬ正月早々とて、日毎の客来絶間なく、夜の更くる事も珍らしからねば、喜ぶは御用多き出入の酒屋と、御馳走に有付く洋犬となれど迷惑なは下女のきよ、これきよやあれきよやと、追遣はるる忙しさも、平常がらくなだけにきよもぼやかず和気は家内に充ち充ちたり。今日もおととひより三晩続けて来る、甲田が昼よりの居浸りなれば、大方また夜の更ける事であろと、きよは宵より台所の火鉢の傍にて、コクリコクリと居睡り始めぬ。
奥には六畳の小坐敷をしめ切りての花遊び、主客と細君妹の四人が、四季の眺めに飽かぬといへば、風流げに聞こゆるなれど、これは殺風景なる
その三
お嬢様桜井様のお嬢様がいらつしやいましたよ、奥様へ申し上げましたら、あなたへ申し上げろとおつしやいますが、どちらへお通し申しませうと、下女の詞を半ば聞かず。ヲヤ桜井さんがいらしつたとへ、まアどうしやう嬉しいネー、私がお出迎へ申して来るから、お前は少しここを片付けて、そしてお母ア様へさう申し上げて、何かおいしいものをとつて来ておくれと君子は忙しげに出で行きたるが、年頃仲よき友達とて、坐に就く隙ももどかしげに玄関より語らひながら入来りぬ。
マアよくねー、近頃はちよつともいらつしやらないから、どうなすつたかとお案じ申しててよ。さうたいへん御無沙汰を致しましたネー。つい家の事を手伝つたり何かしてるもんですから、出にくくツて、それはそうと今日はあなたに折入つて御相談申したい事があつて上つたのですよ。じやア御相談がなかつたらいらつしやらないの現金だ事ネー。相変はらず君子さんのお口悪には困つてよ、学校に居た時分から、いつでも意地の悪い事ばかりおつしやるんですもの……、ほんに学校といへば鈴子さんネー、あの方は去年の暮お医師さんの所へ御縁付なすつたのですが、たいへん御様子が変はりましたよ。どんなに。どんなにツてたいへんですよ、
やがて母への挨拶も済みたりと覚しく再び君子の部屋へ戻りて、花子は何かしばらく君子に囁きゐたりしが、その末詞に力を入れて、ネー君子さん、ただ今申し上げた通りの次第ですから、私も兄の申す通り、その方へ参りませうにと存じますのと、拠なげにいふ花子の顔を眺めて、君子は少し眉顰ませ、だがちよいとお待ちなさいよ。なるほど承つて見れば御名望もおありなさるし、お身柄も宜しいとの事ですから、お父さんやおツ母さんがいらつしやる上、お姉いさんや妹さんのいらつしやる事も、それはまア宜しいとして、どうもその一旦奥様がお在りなすつた方だといふのが私は気にかかりますよ。それはお死別れですか、生別れですか、生別れならばどういふ都合で御離縁になつたといふ事、その辺は御如才なく御聞きなすつたのとさすが年上だけに念を押すを、花子は事もなげに受けて、ハアそれは承りましたよ、もつとも人の噂ですがト、何でもその何ですとネー、その前の奥様といふのが、非常な嫉妬深い方で、ちよつとよそで寝泊りなすつても、大変やかましくおつしやつたり、小間使の美しいのをお置きなすつても、気にかけたりして、始終そんな事の喧嘩ばかししていらつしつたさうで、それがあまりおもしろくないので、こちらはだんだんお遊びなさる、奥様はますますやかましくおつしやる。そんなこんなでお家へお帰りなさるのが厭なものだから、外へ一軒家をお持ちなすつて、留守居を入れてお置きなすつたのを、それを妾宅だとまた奥様が気を廻して、とかくいざこざが絶へなかつたので、奉公人の手前も不躰裁だからツて、全躰に気に入らないお嫁さんなもんですから、親御が御離縁をお勧めなさつたのださうです。何のあなた男の事ですもの、ちつとやそつと遊んだつても、自分さへ捨てられなきアいいでしやう、それをあンまりやかましくいふなんざアという顔眺めて君子は考へ、さアそこが考へどころなんですよ、旦那の方の味方からいはせれば、さう申すでしやうが、奥様の味方にいはせれば旦那が浮気でとうとう見捨ててしまつたんだと申しませうよ。その中間をとるとして見ても、あんまり安心な御縁とは思ひませんよ。さういふ先例があつたとして見ると、よツぽどお考へものですネーと君子はとかく案じ顔なり。花子は深く心に許す処ありてや、なかなかに首を傾けず、それは私も全く案じぬでもございませんが、ただ今は奇麗な身躰、真実の独身に相違ないと申す事を、兄も信じておりますし、それにこんな事を、自分の口から申すのはなんぼ友人のあなたにも申しにくい事ですけれど、実は先方より私をとのたつての懇望、でも兄は少しその辺を気遣ひましたから、二の足を踏んでゐたのですが、先方では一生見捨てぬといふ証文でも書かうと申す事で、もし見捨てた節には五千円の違約金を出さう、その証書には親族にも、連署さしてもよいとまで申してゐるのですから、減多な事はございませぬといへど君子はなほ案じ顔、そこがさア男の心と秋の空でうつかり御安心は出来ませぬよ。気の向いた時は田も遣らう、畦も遣らうと申しませう、が御結婚なすつた后は、どうしても女は弱身になると申す事ですよ。それはもう男だつても、初めから変はると思ふていふ事ではございますまいが、一度我がものと定まつた上は、煮てもたいても自由だといふ考へになるもんですよ、恋女房といふ筈で貰はれた方でも、いつの間にやら主客が転倒して、女の方ばかしで気をもまなければならないやうになるといふ事です。それも男にいはせれば、女は僻みが強いからだと申しませうけれど、僻むが女の常なれば、僻ますもまた男の僻です。そこを合点した方でも、とかくは波風騒ぐ世の例はどこにもございます。それに始めから疑はしい跡のある方に御身をお任せなすつては幾度もお心をお冷やしなさる事がございませう。その時たとえお約束の証書があつても、先方の心の変はつた后は、何のお役にも立ちますまい、それとも法律の力でもお借りなされたらば知らぬ事、ですがそれではあなたの御名折れとなりますから、五千円位のお金には代へられますまい。とはあまり申し過ぎましたけれど、これは苦労性の私の量見、それも私の姉が出戻りの不幸に逢ひ、さんざん泣かせられましたを、見聞きしての事でございますから、ちと案じ過ごしか存じませんが、その上はあなたのお心次第、お兄様ともよくよく御相談なすつて、今一度お考へになつた上、お極めなすつたが宜しうございませうと、さすがは神経質だけに、処女には似合しからぬ考へなり。花子は君子の深切より、いひにくき事をもいひくるる志嬉しからぬにあらねども、いひ難き子細のあればにや、とかくに心落着かず、君子の詞に耳傾くる内も心はどこの空をか彷徨へるらし。
その四
その后花子よりは、久しく音信なかりしかば、君子はとやらむかくやらむと、心にかかりがちなりしかど、尋ね行かむもさすがにて、そのままに打過ごしに、ある日父母列座にて君子を呼び、父は殊に上機嫌にてのう君、そちもはや年頃じや。いや親の眼からは年頃と思ふが、世間では万年娘といふかも知れぬてや。おれも年月気にかからぬでもなかつたが、さて思はしいもないもので、今日まではまだそなたに聞かした事はないじやテ。ところがその何じや、家へ出入るものからのはなし継ぢやがの、その何じやテ先方の人は今度○○省の○○局長になつた人じやさうだか、年は三十五歳とやらで、非常な学者ださうだ。そしてその何じや大変大臣の気にいつとる人で、まだまだこれからの出世が非常だらふといふ事だ。おれはまだ逢つた事はないが、なるほどその名前を聞いて見れば、よく新聞にも出とる名じやテ。が先方は先づあらかた話の極まるまでは、名前は秘密にしといてくれといふ事だが、甲田美郎といふ人じやそうだ。もつともその年輩だから一度妻を貰つた事はあつたんだ、がそれは都合があつて離縁したんじやそうだ。マアそんな事はどうでもよいがその人が何じやといひてちよつと口の辺りを撫で、その何じやその是非そちを貰ひ受けたいと望んでゐるそうじやが、どうしてそちを知つてゐるのか知らん、ムムムさうか、去年学校へ参観に行つた事があつたのか、それでは知つとる筈じやテ、それなればなほ更都合がよい見合も何もいらないから、どうじや行く気があるか、よもや異存はあるまいなと、君子の父は早独りにて極めゐる様子なり。母もこれに詞を継ぎて、ネー君よもや嫌ではあるまいネー、お父さんも大変御意に召した様子だし、私も誠に願はしい縁だと思ふんだから。御返事がしにくければそれでよい、だまつてゐても事は分かるよネホホホとこれはまた呑込み過ぎたり。君子は最初より父の話のふしぶし一々に胸に当りて、もしや花子のいへる人と、同じ人にはあらざるやと危ぶみぬ。されど何故にや花子はその姓名は告げさりしかば、直ぐにさうとは極めかぬれど、あまりにも話が似たるやうなりと、それのみ心にかかれるままに、我が上を考へむまでもなし、花子の上のみ気遣ひてとかく
さて花子に逢ひて、直ぐにもそれといひ出しかぬれば、しばらく四方山の話に時を移したる末、ネー花子さん、先だつてのあなたのお話は、甲田さんではございませぬかと突然の問に花子はサツと面を赤めしが、さあらぬさまにてイイエさうではございませぬ、があなた何故それをお尋ねなさるの、別になぜと申すほどの事でもございませんが、少し聞込みました事がございますのでと花子の顔色を窺ひしが、花子は何の気もなきやうにて、ソー甲田さんツて美郎さんの事ですか、さうです美郎さんと承りましたよ、何だかこの節あの方がお嫁さんを探していらつしやるといふことを、ヲヤといひて花子はしばし考へゐしが、やがてにやりと笑ひながらそれは大方昨年頃の話でしやう、今では何でも外にお極りなすつたとか聞きましたよ。ソーと君子は少し首を傾けしが、さすがに我が方へ申し込めりともいひかねて、では大方話した人が知らないのでしやう、それなれば宜しいがといひしが、なほ安心なり難くてや、またもや花子に念を押し、ではあなたきつと甲田さんではないのですネこれには花子もちとたゆたひしが、かつて学校に在りし時なぶられたる事もある身かつはうしろめたき点もあればにや、いいゑ違ひますとの確答を与へぬ。君子はこれに安心して、往きは重荷を載せたる肩も、返りはかるかるとなりし心地せしが、さて我が家の門近くなりて見れば、これよりはまた我が身の上なり。花子のこれに似寄りたる縁談にも注意を与へしほどの我なれば、たやすく肯はむやうはなし。されど父母のかほどまでに進めたまへるものを、何と断りてよきものやらと、ふと考へ出しては我家の閾も高く、いつも家路を急ぐ身も、今日は何とやら帰りともなき心地もしつお帰りと叫ぶ車夫の声にも、ビクリと胸を轟かせぬ。
母は君子を待ち侘びたるらしく、大そうお前遅かつたネー、何しろ寒いだろうから、早く火燵にお這いり、平常着も前刻にから掛けさせてあるから、三ヤお前旦那の御用に気を注けとくれ。私は少し嬢さんに話があるからと、一刻も早くその様子を聞きたげなり。君子はとやかく思ひ悩めど、さて花子の方の案に違ひたるを、包み得べくもあらぬ事なれば、拠なく有りのままを告げたるに、母はさもこそとしばしばうなづきて、さうだらうともさうだらうとも私もまさか[#「まさか」は底本では「さまか」]とは思つたのだけれど、あまりお前が気にするもんだから、とうとう釣込まれてしまつたのだよ。朝からお父さまが君はどうしたどうしたとお聞きなさるもんだから、拠なくその事を申し上げると、馬鹿に念のいつた奴だと大笑ひに笑つていらつしやつたよ。ああこれで私も安心した。この上はお前もいざこざはあるまいと、これもまた異存なきものに極めし様子なり。君子はとかく心進まねど、さて花子に注意を加へたる筋の事などは、父母の前にいひ得べくもあらぬ事なれば、ただ今しばらく独身にて在りたい由乞ひけるに、父はこれを我儘気随意とのみとりて、それ程の事は親の力にて抑へ得べき事と思へるにや、形ばかりの聞合せも済みて、先方へは承諾の旨告げ遣りぬ。
その五
甲田は心多き男の常とて、君子に対してもさして結婚の日は急がず。それも一ツは離婚したりといふ妻の里方、極めて身分卑しきものなりしを、容貌望みにて搆はず貰ひ受けたるに、これも程なく飽き果てて、さまさまに物思はせたる末、難僻つけて強て離婚せむとしたるなれば、里方にてはヲイソレと籍を受取らず。表面は離婚したるに相違なけれど、その実籍は今も残りて、とかくは後の縁談の妨げとなるを、強て除かむとすれば、多少の金を獲ませではかなはず、それも日頃の性悪にそこの芸者かしこの娘の始末と、とかくに金のいる事のみ打続けば、世間で立派に利く顔も、金の事となりては、高利貸さへ取合はぬほどの、不信用を招きゐるなれば、纒まりたる金の融通付けむやうはなく、拠なくそのまま据置きとなりゐるなるを、一人ならず二人にまで結婚を申し込めりとはさてもさてもの男なり。されど元来世才に長けたる男なれば、巧みにそのボロを押隠して少しも人に知らさねば、これと同窓の因ある花子の兄さへこれを知らず。まして君子の父は明治の初年かつて某省の属官を勤めたる事ありとか聞けど、その後久しく官辺との縁故も絶へて、公債の利子持地の収入などによりて、閑散なる生活を営みゐる身なれば、次第に世とも遠ざかり、何事をも聞き知るべきの便宜なきをや、されば甲田を日本一の花聟とのみ思ひ込み、何ぞのふしには君子をば、幸福ものじや幸福ものじやといふが今日この頃の口癖なり。甲田は例の好き心より、いかにもして親しく君子の方へ出入りし、これに近寄る便宜を得ばやと、申し込みの節橋渡しの役に当らせたる幇間的骨董商の軽井といふを招き寄せイヤどうもこの間中は大変お骨折だつた。貴公の尽力でもつてどうか竹村の親爺も承諾したさうで安心した。がまだ直ぐに結婚するといふではなし、半歳と一年は待つて貰わなくツちやアならないのだから、その間に交際してみるといふ訳には行くまいかネ。日本ではとかく結婚前に本人同士交際してみるといふ事がないもんだから、得て苦情が後で起こるんだ。君子の性行は随分いいやうに聞いとるもんだから、それでおれも貴公に尽力を頼んだのだか、さて極まつたとしてみると、少しは交際もしてみたいネと真面目にいはれてみれば、何事も御意にござりまするといふが軽井の商売、殊に甲田は竹村よりも軽井の為には大事の得意なればイヤごもつともなるほどなるほどと心底感心らしく聞きてはゐたれど、何よりも心配なは君子の父の昔堅気なり。そこをどうしたものと、少し思案の首を傾げたれど、もとよりかかる事には抜目なき古狸いかやうにもごまかすつもりにて、イヤ宜しうござります。ともかくも計らうてみませう。だか旦那新橋や葭町のと違つて、少しは手間どりませうからと、勿躰らしくいふに甲田はニヤリと笑ひ、イヤさう首をひねらなくツとも、何もかも承知してゐるサ、貴公の手腕はかねて知つとるんだから、どんな難物でも説き付け得ぬ事はなかろう。その代はりいつか持て来た応挙、あれは少し
これはこれは見苦しき茅屋へ御尊来を戴きまして、何とも恐れ入りまする。このたびは不思議な御縁で、不束なる娘をとの御所望、私におきましても老后の喜びこの上もなき事に存じまする。かやうな辺鄙で何の風情もござりますまいが、御ゆるりと御話を願ひまする。これ千代や(細君の名)君に御挨拶に出ろと申せと老父は、殊の外の機嫌なり。甲田はわざと淡泊に、イヤどうも唐突に伺ツて甚だ失敬の至りです。実は私も下手の横好きで、公務の余暇を偸み、いつも軽井を相手に致しとるんですが、是非尊大人と一度お手合せをしてみろと頻りに先生がといひてちよつと軽井の方を顧み、勧めるもんですから、とうとう今日は引つ張り出されてしまつたのです。とてもお相手には足りますまいが、どうか一局御指導を願ひたいものでと、これはわざと談話をよそへ
これを始めに甲田しばしば竹村の家をおとづれて、わざと君子には眼もくれず、囲碁の遊びの外余念なきものの振はすれど、来るたび毎にこれは仏蘭西より友人の持帰りたる香水、これは西京にて織らせたるお召と、女の喜びさうなるもののみ土産に持来りて、それとなし君子の意を迎うるを、正直なる老人は野心ありての所為には知らず。どうも今時の人は実に感心じや。私等の若い時分は少しもそんなところまで気が注かなんだのじやがと、何かにつけて感服せり。君子は父より甲田に、確答を与へたりとは知らず、ただかの一条はそのままになりゐる事とのみ思ひゐたるに、かく甲田がしばしば入来るは何となく心にかかり、快からず思へるままに、多くは病に托けて、出て逢はむともせざるを、母はそんな我儘はいはぬものと、宥め慊して甲田の来りし時は、おのれ君子の背後へまわりて急がし立て、髪を撫で付け、帯を結び代へなどして、押出さぬばかりにするさへあるに、父は座敷より声かけて、これ君ここへ来て御酌を申し上げないか、そして拙き一曲でも、御聞きに入れてはどうじやなと、呼立つる忙しさに、いつまで片意地張つてゐる訳にもゆかず心ならずも引出さるるが常なり。
甲田は君子の花子よりも、思ひの外手剛きに困じたれど、手剛ければ手剛きほど興がるがかかる男の常なれば、ますます勇を鼓して虎穴に入るの考なれど、さすがその道の老練家だけありて、早くも君子の意気を察し、心の燃ゆれば燃ゆるほど、外はかへつて冷に装ひ、たまたま君子の父母の浄水にでも立去りて、君子としばし対座する事ありとも少しも嫌を招くやうなる素振は見せず。さも厳格らしく構へつつ、一ツ二ツの談話をなすにも、あるは文学美術の事、さては小説技芸のはなし、ある時はまた世の婦人の不幸を悼み、男子の徳操なきを歎ずるの詞を発するなど、さまざまの方面より君子の意思を探り、いづれ君子の意に
その機を察して抜目なき甲田、一方よりは軽井の口軽を利用し、思ひ切つてこれに利を啗はせ、いよいよ我が器量勝れたる男なることを、君子の父母に吹聴さするの材料に供ふるなど、諸般の手配ことごとく調ひて、今はただその本尊たる君子の、心機一転を竣つのみの、有望なる時とはなりぬ。
その六
花子は我が心に許せし人の、手折りて后その色香に飽き、よその垣根を覗へりとも、更に心付しよしなけれども、近頃は何となくこれも疎々しく、よそにて逢はむ約束をも違うる事の多かるを、少しく訝しと思はぬにはあらねど、逢へばいつに変はらぬ優しさ、やがては準備も調はなむに、結婚の日はおほよそいつ頃、新婚旅行はどこへして、世帯はかくかくして持つべしなど、嬉しき事のみいはるるままに、よもさる事はと心を許し、ただ一筋に公の務め、遑なきままにかくぞとのみ思ひ込みてあながちに疑はず。いづれにも我が大事な殿御、御用の間を欠かさぬがお為と、すまぬ心を我から制して、怨みがましきことなどいひたる事もなかりしに、ある日君子の方へも出入りせる女髪結の、何心なき噂ばなし、竹村様のお嬢様には、御養子にでも御出来なされてか、立派なる旦那様を時々御見受け申しまする。それはそれは通らしい御方と、この女甲田に岡惚してか、聞きもせぬにその顔だち、身のまわりのはなし、花子はただソーソーとのみ聞き流して心にはとめず。されどさる事あらむには、君子の我が方へ告げ越さぬ筈はなし。殊には君子も我と同じく、よそへ嫁入るべき身とこそ聞きつるをと、更に誠とは思はねど、我も甲田の事に拘らひてより、久しく君子をおとづれねば、明日あたりは行きても見むかと思へる折しも、その日ゆくりなくも君子の来りたれば、殊の外打喜び、わずか一ヶ月二タ月のほどなれど、久しく逢見ぬ心地するなど例の如く親しく語らひゐたる内に、君子はふと甲田の噂を始めぬ。
花子さんアノ甲田さんネ、あの方は私はたいへんいやな方だと思つてましたが、この間から時々家へいらつしやるもんですから、少しお話してみましたが、見掛けよりはしつかりした方ですネー。この詞を聞きたる花子ハツと思ひて、面の色も変はりしにぞ轟く胸をやうやく抑へて、ヲヤ甲田さんがあなたの処へいらつしやいますのハアいらつしやいますよたびたびヲヤと花子はしばし無言にて君子の顔を眺めゐしが、いよいよ確かめたくなりてや、詞も自ら急激になり、なぜでしやう、どうしたんでしやうと重ねかけて問ひぬ。君子は少しもその間の消息を知らねば、これは一向平気なものにて、なアにネ、父が碁が好きなもんですから、いつも碁の相手をする骨董屋が、あの方も碁が好きだからツて連れて来たんですよ。花子はホツと一息したれど、思ひ合はする女髪結の話もあり、まだまだ油断するところでなしと、いつそう詞を進めて、なほも委しく問ひかけぬ。さうそれであなたもお心易くなさるの。いいゑ、心易くといふ程でもありませんが、ついお茶のお給仕なんぞに出される事があるもんですから、それで分つてきましたよ。何がです。その御気性がですサと君子はどこまでも平気なり。花子はいよいよ胸躍らせソーといひたるまま、何事をか深く考へゐる様子なり。君子は少しもそれに気注かず、何ですとネーあの方も奥様のお在りなすつた方ですとネー、花子は耳に入りしや否や、無言のままに打沈めり。どういふ御都合で御離縁になつたのでしやう、あなたそれ御存知なのと君子は再び花子に問へど、花子は依然無言なり。君子は更に詞を継ぎて、エあなた御存知でしやう、エとしばしばいはれて心付きしにぞ、花子はものいはむもうるさければにや、存じませんよ私はと素気なくのみいひ放ちぬ。ソー、でもあなた御存知の筈じやアありませんかと、お兄様のお友達だと、いつか仰しやつたじやありませんかと、これはまた是非聞きたげなるがいよいよ訝しく、さてはそれかと思へば思ふほど、唇重く頭痛みて、今は得堪ぬまでになりしかば、花子は右の手にて額を押へながら、傍に在りし机の上に肱かけぬ。君子はそれにて始めて会得したらむやうに、ヲヤあなたお加減がお悪いの、道理で今日は、何だか変だと思ひましたよ。それではまたゆつくり伺ふ事にして、今日はもうお暇といたしませう。実はネ、今日はあなたによく伺つた上で、御相談したい事があつて、上つたのですけれど、お加減が悪くてはいけません。どうぞ直ぐお横におなりなさいまし、いづれまたちかぢかに伺ひますからと口には他日を契れども、心はいつもの如く花子が引留めて、いいから話していらつしやいよといひくるるならむと思ひの外、これはいかなる事やらむ、花子は少しも留めむとはせず。ソーせつかくいらしつたのにネーと義理にも搆ひませぬとはいはず、我から立ちて玄関へ送り出るもそこそこに、君子が下駄穿き終りし頃には、はやバダバダと奥の方へ駈け込みし不思議に、君子は驚きて振り向きぬ。
甲田は最早時機到来、次回君子の家をおとづれたる時には、いかにもして好機を見出し、少しく我が意中を傾潟してみむ。おそらく掌中の玉たるを失はざらむ。しかして君子の意思一度我に向へるを。隠微の間にだも認むるを得なば、さてこそ全くしめたものなり。多日の焦思を癒すもはやちかちか。その上の手筈はかくかくと、君子を連れ出す場所さへに予定しつ、婦人の操を弄ぶを、この上なき能と心得る色の餓鬼こそ恐ろしき。折しも花子の方より、是非是非急に御目にかかり、御はなし申し度き事あれば、直ぐにも御返事下されたしとの郵書来りぬ。君子の事に
その七
春は花いざ見にごんせ東山、それは西なる京なれど、東の京の花もまた、東叡山にしくものなければ、弥生の春の花見時、雲か霞と見紛ふは、花のみならで人もまた尊き卑しき差別なく、老も若きも打ち連れて、衣香扇影ざんざめきたる花の下、汁も膾も桜とて、舌鼓うつものあれば、瓢の底を叩くもあり。花さへ酒の香に酔ひて、いとど色増す美しさに、下戸も団子を喰ひ飽きてうつとり眺めゐるもあり。心々に花莚さすがに広き山内も、人の頭に埋められぬ。
君子は今日の好天気に、久し振りの花見せばやと、珍しく父の思ひ立ちに、母とともに連られて、そこよここよ人に押されて見歩行きしが、父の大張込にて昼食は桜雲台の、八百膳といふ心搆へも、あまりの人出に思わくを替へ、と、鶯溪へ折れて温泉に浴しながら、ゆるゆるとうちくつろぐ事となりしに、ここはまた別世界の、ひつそりとしたるが君子の気に入り、父母がささ事の隙に、我は庭下駄はきてそこら見ありきしが、奥まりたる離れ座敷に人のけはひして、男女のささやき聞こへしかば、ハツと思ひて引返さむとしたりしかど、何となくその声音聞き覚へあるやうなれば、よしなき事とは思ひながら徒然なるままに聞き耳立てにしに、思ひきやこれは、甲田と花子の話し声ならむとは。
ほんとにあなたはひどい方ですよ、私に隠して君子さん許へなんか遊びにいらつしつて。なアに隠すも何もありやアしない、行つたつて不思議はないじやありませんか。ではなぜおつしやらないの。別にいふ必要がないんですもの。何必要のない事はありませんわ、君子さんといふ美しい方がいらつしやるのですもの、お父さんばツかしじやありませんから……。アハハハハこれは妙だ、君子さんが居たつていいじやありませんか、それがなぜいけないの。なぜつてそれは――それはあなたのお心に聞いてご覧なさいまし、君子さんが居るからいらつしやるのでしやう。これは大笑ひハハハハでは娘のある処へは、いつさい行ツちやア悪ひといふんですか。なアにさうじやアありません、別に何のおつもりもなければ。つもりツて何のつもりハテナ――。宜しいいくらでもおとぼけなさい、どうせ私は口不調法ですから君子さんには叶ひませんわ。フフフムではあなた妙に疑ぐつてるんですな、これは恠しからん、実に驚いた、さう気を廻しちやア身躰の毒ですよ、もつと大きく気をお持ちなさい。
さて我が座敷へ戻りて、考ふれば考ふるほど、甲田憎く花子憐れなれど、幸にその身のみは過慮の空しからで、毒蛇の口を遁れたるを喜び、直ぐにも父母にこの一条打明けて、再び甲田を寄付けぬ事にして貰ひたしと、思ふ心ははやりしかど、更に思へばさては我友の為包ましき事をも、いはでかなふまじきをと思ひ返して、この一条は深く我が胸一ツに蔵め置きつ。翌日何気なきさまにて再び花子の方を訪ひたきよし母に乞ひ、新たに花子より聞得たる躰にもてなして、その約束の人はやはり甲田なりしよし告げたれど、父は君子の詞のあまりに前後矛盾せるを恠みてや、たやすくは信すべき気もなく、これは君子の甲田方へ嫁ぐを好まぬより、事を搆へて否まむとするならむと、さまざまにその不心得を諭したりしかど、君子ははや充分の証跡を押へたる上の事なれば、それとはいはぬ詞の内にも、自らなる力は籠りて、遂には父を動かしけむ。さらばともかく今一応甲田の素行を探らせてみやうといふ事になり。さすがにこの度は念入れて、それそれの手蔓求め出したればにや、甲田の内幕ことごとく
これにて君子も、我が身の上は安心したれど、深くも花子の身を憂ひ、しばしばそれとなく注意を与へしかど、花子は一度君子を疑ひたる上の事なれば、何事をも直ぐやかには聞かず。ひとへに君子の、その身の望みを充たさむとて、我を離間するなりとのみ思ひ僻み、果ては君子を疎んじ恨み、たまたま来り訪ふ事あるも、病に托して逢はぬまでになり行きしかば、君子はそれを情けなき限りに思へども、さてその上の
その翌年君子はある方へ嫁したりとか聞けど、花子は今も娘の名にて依然本郷なる兄の方にあり。甲田との人に知られぬ通ひ路絶へずや否、それはもとより知るよしなけれど、甲田の方には妻か妾か、花子にはあらぬ年若く美しき女の、新たに迎へられて侍れるがありとぞ。(『世界之日本』一八九七年三月)