人口論

AN ESSAY ON THE PRINCIPLE OF POPULATION

第三篇 人口原理より生ずる害悪を除去する目的をもってかつて社会に提案または実施された種々の制度または方策について

トマス・ロバト・マルサス Thomas Robert Malthus

吉田秀夫訳




第一章 平等主義について――ウォレイス――コンドルセエ

(訳註)

 〔訳註〕本章は第一版から現われているものであり、その第八及び第九章に当る。若干の訂正はその都度訳註で指摘することとする。
 人類の過去及び現在の状態を、以上二篇において見たような見解から観察した人にとっては、人間及び社会の可完全化性を論ずるすべての人達が、人口原理に関する議論に留意しながら、これを極めて軽視し、そしてすべてこれから生ずる困難をもってほとんど測り難い遠い将来の事であると考えているのは、驚くべきことたらざるを得ない。この議論そのものがその全平等主義を破壊してしまうほどの重大性を有すると考えたウォレイス氏でさえ、全地球が花園のように耕やされ、これ以上の生産物の増加が全く不可能になるまでは、何の困難もこの原因からは生じないと思ったようである。もしこれが真に事実であり、そして美しい平等主義が他の点では実行可能であるとすれば、かかる計画を追及せんとする吾々の熱望がかかる遠い将来の困難を考えて冷却せしめらるべきであるとは、考え得ない。かかる遠い将来の出来事は神に委ねて差支えなかろう。しかし実際のところは、もし本書の見解が正しいとすれば、この困難はそんなに遠い将来のことでは決してなく、実は目前切迫のものである。もし人類が平等であるとすれば、現在の瞬間から全地球が花園のようになる時まで、耕作の発達上あらゆる時期において、食物の欠乏による窮迫が不断に全人類を圧迫するであろう。土地の生産物は毎年増加していくであろうが、しかし人口はこれよりも遥かに急速に増加する力をち、そしてこの優越せる力は、必然的に、道徳的抑制、窮乏、及び罪悪の、週期的のまたは不断の作用によって、妨げられざるを得ないのである。
 コンドルセエ氏の『人類精神発達史論梗概』Esquisse d'un Tableau Historique des Progr※(グレーブアクセント付きE小文字)s de l'Esprit Humain. は、ついに彼を死にまで至らせた残酷な迫害の圧迫の下に書かれたものと云われている。彼がもし、この書がその存命中に読まれてフランスの賛同を得るという希望がなかったのであるならば、これはまさに自己の主義を日常の経験がかくも残酷に裏切っているのになおこれに忠実な人物の特異の一例である。世界の最も開けた国の一つにおける人間の精神が、最も野蛮な時代における最も野蛮な民族ですらこれを恥辱とする如き忌わしい情欲や恐怖や残忍や悪意や復讐や野心や狂暴や愚劣の擾乱によって汚されているのを目にするのは、人類精神の必然的不可避的進歩に関する彼れの思想に対し恐るべき衝撃であったに違いなく、従っていかなる出来事が起ろうとも自己の主義の正しいことを確信するのでなかったら、これに耐えることは出来なかったであろう。
 この遺著は、彼が完成しようと企てた遥かにもっと大きな著作の輪郭に過ぎない。従ってそれは必然的に、それによってのみあらゆる理論の真理なることが証明され得べき細論と適用とを欠いている。しかしこの説を、空想ならざる真実の事態に適用したときに、それがいかに全く矛盾したものであるかを示すためには、ほんの二、三の観察を加えてみるだけで十分であろう。
 完成へと向う人間の将来の進歩を論ずるこの著の最後の部分において、コンデルセエ氏は曰く、ヨオロッパの各種文明諸国民において現実の人口をその領土と比較し、またその耕作や勤労や分業や生活資料を観察するならば、その勤労による以外にその欲求を満たす方法のない一定数の人間がなければ、同一の生活資料従ってまた同一の人口を維持していくのが不可能であることが、わかるであろう、と。
 かかる階級の人間の必要を認め、また後にその家長の生命と健康とに全く依存している家族の不安定な収入に論及した後1)、彼は極めて正当にも曰く、『しからばここに、吾々社会の最も数多くかつ活動的な階級を不断に脅かすところの、不平等、従属、更に窮乏すらの、原因が存在するのである』と。この困難の説明は正しくかつ巧妙であるが、しかしこの困難を除去するための彼れの方法は、おそらくは全然無効なことがわかるであろう。
 1) 時間と長い引用を省くために、私はここでコンドルセエ氏の考えの若干の要旨を伝えることとするが、ねがうらくはそれを誤り伝えないことをと思う。しかし私は読者がこの著作そのものを参照されんことを望む。これは読者を説得し得ないまでも、面白いものである。
 生命の蓋然率と金利とを計算して、彼は、老齢者扶助を行う基金を提唱し、この基金は一部は各自の従来の貯蓄から作りまた一部は同一の掛金をしながらその利得を得ないうちに死んだ者の貯蓄から作るのである、と云っている。同一のまたはこれに類似の資金はその夫や父を失った妻子にも扶助を与え、また新家庭を有つべき年齢に達した者にその勤労を延ばすに足る資本を提供すべきである。かかる制度は――と彼は曰う――社会の名において、かつ社会の保護の下に、作られ得よう。更に進んで彼は曰う、計算を正しく適用すれば、信用が大財産家の排他的特権となることを防止し、しかもこれに等しく強固な基礎を与え、かつ勤労の進歩と商業の活動とが大資本家に依存する程度を減少することによって、より完全に平等の状態を保持する手段が見出され得よう、と。
 かかる制度や計算は紙の上では極めて有望に思われるかもしれぬが、しかしこれを実生活に適用してみれば完全に無効であることがわかるであろう。コンドルセエ氏は、勤労のみによって生活する階級があらゆる国家に必要であることを認めている。彼は何故なにゆえにこれを認めたであろうか。けだし彼は、増加せる人口に対し生活資料を獲得するに必要な労働は、必要という刺戟なくしては行われ得ない、と考えたからであるというの外には、理由はあり得ない。そこでもし上記の計画による制度によってこの勤労に対する拍車がなくなってしまうならば、すなわちその信用と、妻子の将来の養育とについて、怠惰安逸な者が活溌勤勉な者と同じ立場におかれることになるならば、吾々は果して、人間が、今日公共繁栄の主発条をなしている自己の境遇を改善せんとする活溌な努力を発揮するものと、期待し得るであろうか。もし各人の請求を検討し、各人が全力を払ったか否かを決定し、これによって扶助を与えたり拒否したりする、審判所を作るとすれば、これは英蘭イングランド貧民法のより大規模の反覆以外のものではなく、自由と平等との真の原則を全く破壊し去るであろう。
 しかし、かかる制度に対する右の大反対論は別とし、しばらくそれが生産に何らの妨げを与えないと仮定しても、しかもなお依然最大の困難が残るのである。
 もし何人も一家を養うに十分の食料に確信がもてるならば、ほとんど何人も一家をもつであろう。そしてもし生れてくる子供に全く貧困の恐怖が存在しないならば、人口は異常な速度をもって増加するはずである。この点についてはコンドルセエ氏は十分に気がついており、そしてより以上の改善に関する記述を行った後、曰く、
『しかし産業と幸福とがかくの如く増進するにつれ、各世代の享楽は増大し、その結果として人体の物理的構成上当然人口の増加を来すであろう。しからば、ある時期が到来すれば、等しく必然的なこれらの法則は互いに衝突し、人口の増加がその生活資料を超過して、その必然的結果は、真に退歩的な運動たる幸福及び人口の継続的減退か、または少くとも善と悪との間の一種の擺動はいどうかの、いずれかとなるということにならなければならぬのではなかろうか。かかる時期に達した社会においては、この擺動は、週期的窮乏の常住の原因とならぬであろうか。そしてそれは、一切のより以上の改良が不可能になる限界を示し、人類の可完全化性に対し、それがいつかはそこに到達するがしかし決してこれを超過し得ない時期を、指示するものではなかろうか。』更に彼は附言して曰く、
『かかる時期がいかに遠い将来であるかを知らないものはない。しかし吾々は果してそこに到達するであろうか。吾々が現在ほとんど想像することも出来ないほどの進歩を人類がした後でなければ起り得ない出来事が、将来実現するか否かは、いずれも等しく云々し得ないことである。』
 人口がその生活資料を超過した時に起ると予想される事態に関するコンドルセエ氏の描写は、正当である。彼が述べている擺動は確かに起るものであり、そして疑いもなく週期的窮乏の常住の原因であろう。ただこの記述において私がコンドルセエ氏と意見を異にする唯一の点は、それが人類社会に適用される時期に関するものである。コンドルセエ氏は、それは非常に遠い将来でなければ適用され得ない、と考えている。しかし本書のはじめの方で述べ、そして人類社会のあらゆる階級に存在することがわかった貧困によって著しく確証される、限られた面積における人口と食物との自然的増加の比例が、幾分でも真に近いものであるならば、事実は反対に、人口がその安易な生活資料を超過する時期はとうに到達しているのであり、この必然的擺動、この週期的窮乏の常住の原因は、たいていの国において、人類の歴史あって以来存在しているのであり、また現在も引続き存在していることが、わかるであろう(訳註)。
 〔訳註〕最後の文にある『たいていの国において』なる句は第二版から加わる。
 なおその後は第一―二版では次の如くなっていた、――
『……人類の歴史あって以来存在しているのであり、そして、吾々の天性の肉体的構造に何か決定的な変化が生じない限り、引続き永久に存在するものであることが、わかるであろう。』
 本文のような形になったのは従って第三版からである。
 しかしながら、コンドルセエ氏は更に、たとえ彼がかくも遠い将来にあると考えるこの時期が到来しても、人類と、人間の可完全化性の擁護者とは、少しもそれに驚く必要はない、と云う。ここで彼は進んで、この困難を、私には理解出来ない方法で除去しようとする。すなわち彼は、この時期までには、笑うべき迷信の偏見が道徳に対して腐敗堕落的権威を振うことはなくなると述べた後、生殖を妨げる乱婚か、またはこれと同じくらい不自然な他の手段かに、言及している。しかしかかる方法によってこの困難を除去するのは、多数の意見からすれば、確かに、人間の平等と可完全化性の擁護者がその見解の目的であり対象であるとする徳性と醇風とを破壊するゆえんであろう(訳註)。
 〔訳註〕第一版ではここで第八章が終り、次からは第九章となっている。
 コンドルセエ氏が検討を試みている最後の問題は、人間の有機的可完全化性である。彼は曰く、もし既に挙げ、そしてその発展においてそれ自身の働きのうちにその力を拡大する証拠が、現在人間のもっていると同一の自然的能力と同一の組織を仮定しても、人間の不定限の可完全化性を確証するに足るものであるとすれば、この組織、この自然的能力そのものが、更に改良の余地ある場合には、吾々の希望はいかに確実となり広大なものとなるであろうか、と。
 医学の進歩、より健全な食物と住宅の使用、過労を避け運動により体力を増進せしめる生活方法、人類堕落の二大原因たる窮乏と過大の富の破壊、理性と社会秩序の増進によってより有効になった物理的知識の改善による遺伝病や伝染病の漸次的除去などから、彼は、人間は絶対的には不死になることはないとしても、その出生と自然死との間隔は絶えず増大し、口で云えるような期限はなくなり、そして不定限という言葉であらわすのがちょうどよいようになるものと、推論している。彼はそこでこの不定限という言葉を定義して、無限の点に絶えず接近するがそれには到達しないことか、または、言葉では云えない量に向っての無窮の時代における増加かのことである、と云っている。
 しかし確かに、以上いずれかの意味でこの言葉を人間の寿命に適用するのは、最高度に非学問的であり、それは自然法則におけるいかなる現象によっても全く保証されないものである。種々の原因による変化があるということは、規則的な不退転の増加とは本質的に異るものである。人間の平均寿命は、ある程度までは、気候の適否、食物の良否、風俗の善悪、その他の原因によって、変化するであろうが、しかし、吾々が何らかの信頼し得る人類の歴史を有って以来、人間の自然的寿命が真に少しでも延長されたか否かは、立派に疑い得よう。あらゆる時代において、一般の偏見は実際この仮説と正反対であり、そして私はこの一般の偏見は大して重視しようとは思わないけれども、それは反対方向への著しい進歩が少しもないことを証明する、いくらかの傾向はあるはずである。
 これに対しておそらく、世界は未だ非常に若く、全くの子供なのであるから、何らかの差異がそれほど早く現われようとは期待すべきではない、と云われるかもしれない。
 もしこれが事実であるならば、人類の科学はたちどころに終りである。結果から原因と進む推理の全系連は破壊されるであろう。吾々は、自然の教科書はもはやこれを読んでも何の役にも立たないから、これに眼を閉じてよかろう。最も荒唐無稽な臆説も、慎重な数次の実験に基づく最も正当な最も崇高な理論と同じ確実性をもって、提唱され得よう。吾々は再び古い思索方法に戻り、そして体系を事実の上に樹立せずに、事実を体系に合うように歪曲してもよいことになろう。ニュウトンの壮大一貫せる理論は、デカルトの荒唐奇矯な仮説と同一の立場に置かれるであろう。略言すれば、もし自然の法則なるものがかくの如く気紛れな不定なものであるのならば、もしそれが時代を重ねてなお不易であったのに今度はそれが変化すると主張することが出来、信ずることが出来るのであるならば、人類の精神はもはや研究の刺戟などは失ってしまい、むしろ退いて惰眠を貪るかまたは単に放埒な夢と取りとめもない幻影を楽しまざるを得ないことになる。
 自然法則と因果法則との恒常性は一切の人類の知識の基礎である(訳註)。そしてもし前もって観察し得る変化の徴候も前兆もないのに、変化が起ると推論し得るのであるなら、吾々はどんな主張でも出来るはずであり、そして月が明日地球と衝突するという主張は、太陽が予定の時間に出るという言明と同様に、争い得ないことと考えてよいことになる。
 〔訳註〕第一版ではこれに続いて次の如くあったが、第二版以後では削除された、――
『もっとも私は決して、自然法則を作り上げ動かしている同じ力が、これらをすべて「たちまちに、一瞬にして、」変化せしめることはないとは、云うのではない。かかる変化は疑いもなく起るかもしれない。ただ私の云おうとするところの全部は、推理によってはかかる変化を推論することは出来ないということである。』
 人間の寿命については、世界始って以来今日に至るまで、それが長くなるという徴候や前兆は全然ない(訳註)。気候、習慣、食物、その他の寿命に及ぼす眼につく影響が、それが不定限に長くなるという主張の口実となっている。そしてこの議論の薄弱な根拠は、寿命には正確な期限をつけることが出来ず、何歳までは生きられるがそれ以上は生きられないとは云えないから、従ってそれは永久に延長することが出来、従って不定限または無限と云ってよい、というのである。しかしこの議論が誤っており不合理なことは、コンドルセエ氏が一般自然法則の一つと考えてよいという、彼れのいわゆる動植物の有機的可完全化性または退化を、少しく検討してみれば、十分にわかるであろう。
 〔訳註〕ここには第一版には次の註があったが、第二版以後では若干の修正の後本章末尾の本文に繰入れられた、――
『疑いもなく多くの人々は、地上における人間の不死とか、また実に人間及び社会の可完全化性とさえいう如き不合理な逆説を、本気になって反駁するのは、時間と言葉の浪費であり、このような無根拠の臆測はこれを黙殺するのが一番よい、と考えるであろう。しかしながら私はこれと意見を異にする。この種の背理が有能有為の人々によって主張されるときには、黙殺していたのでは彼らにその誤りを納得させることにはならない。彼らは、自ら考えるところをもってその悟性の広大なることとその見解の徹底的なることの徴標なりとして己惚れているのであるから、この無視をもって単にその論敵の精神力の貧困と狭隘の証示と考え、単に世間はなお彼らの崇高なる真理を受容する用意がないと考えるに過ぎぬであろう。
『これに反し、健全な学問によって保証されるいかなる理論をも直ちに喜んで採用するという態度をもってこれらの問題を率直に検討するならば、蓋然性も根拠もない仮説を作るのは、人類科学の領域を拡大するゆえんではなくしてこれを縮小するものであり、人類精神の改善を促進するものではなくこれを妨害するものであり、吾々を再びほとんど知識の嬰児期に逆転させ、科学が最近その保護によりかかる急速な進歩をした思索方法の基礎を弱めるものであるということを、彼らに教えることとなるであろう。荒唐無稽な思弁に対する現在の狂熱は、おそらく、各種の科学部門において近年行われた大きな予期しない発見から生じた一種の精神的陶酔であるように思われる。かかる成功に眩惑されているものは、万事が人力で思うがままになるように思われるので、彼らは、かかる幻想の下に、真の進歩が少しも立証されない事柄を、進歩が顕著で確実で周知な事柄と混同したのである。彼らを説得して落着いていささか厳正苛酷な思考を行わせ得るならば、彼らといえども、辛抱強い研究と十分立証された証拠に代えるに放恣な空想と無根拠な主張をもってすれば、真理と健全な学問との大道は害されざるを得ないことが、わかるであろう。』
 聞くところによれば、ある家畜の改良家の間では、どんなよい種類でも望むがままに作ることが出来るというのが、公理になっているという。そしてこの公理は、仔のあるものは親よりも良い素質を多くもつものだという、もう一つの公理に基づいているのである。有名なレスタシアの牧羊においては、小さな頭と小さな脚の羊を得るのが目的である。かかる飼育公理に則って進むならば、ついには羊の頭と脚は消えてなくなるのである。しかしこれは明かな不合理であり、従って吾々は、その前提が正しくないのであり、限界が吾々にわからず、またそれが正確にどこだと云えなくとも、実際は限界があるのである、と確信し得るであろう。この場合、改良の最高限度、すなわち頭と脚との最小の大きさは、不定であるとは云えようが、しかしこれは無限とかコンドルセエ氏の字義での不定限とかとは非常に違うものである。この事例において、私は、より以上の改良が行われなくなる点を指示することは、出来ないかもしれぬけれども、そこに到底達し得られない点ならば非常に容易に云うことが出来る。すなわち飼育が永久に続くとしても、かかる羊の頭と脚は鼠の頭や脚のように小さくは決してならないと断言するに、躊躇しないのである。
 従って、動物の間では、仔のあるものは親よりも良い素質を多くもつものであるとか、または動物は不定限に完全化し得るものであるとは、云い得ないのである。
 野生の植物が美しい庭園の花になる進歩は、おそらく、動物の間で見られぬほど顕著なものであるが、しかしこの場合でも、進歩が無限だとか不定限だとか主張するのは、この上ない不合理であろう。改良の最も明かな特徴の一つは、大きさの増大である。花は徐々として栽培によって大きくなってきている。もしこの進歩が本当に無限であるならば、それは限り知れぬほど大きくすることが出来るはずであるが、しかしこれは不合理極まることであって、吾々は、動物におけると同様に植物においても、限界が正確にどこにあるかはわからぬけれども、改良には限界がある、と確言し得よう。花の品評会の賞品を競う園芸家は、おそらく、しばしば強い肥料を使って、しかも失敗するということがあろう。しかし同時に、これ以上には出来ないと思われる最も美しいカアネイションやアネモネを見たと云う人があれば、それははなはだ僭越な云い分であろう。しかしながら、カアネイションやアネモネは、栽培によって決して大きなキャベジのようには大きくすることは出来ないというのなら、将来の事実と少しも矛盾せずに、主張することが出来るが、しかもキャベジより大きい大きさというものは考え得られる。これより大きくはなり得ない麦の穂を見たとか、樫を見たとかいうことは、誰も云い得ないが、しかしそれらがどうしても達し得ない大きさならば、容易にかつ全く正確に指摘することが出来よう。従ってこれら一切の場合において、無限の進歩と、限界が単に不定な進歩とを、注意深く区別しなければならぬのである。
 動植物の大きさが不定限に増大し得ない理由は、それらが自分の重みで倒れるからである、とおそらく云われるであろう。私はこれに対して云う、このことは経験によらずして吾々はいかにして知るのであるか、その体躯を構成する力の程度に関する経験によらずして、と。私はカアネイションはとてもキャベジの大きさにはならぬうちに、その茎では支えることが出来なくなるのを、知っている。そして私はこのことを、ただ、私がカアネイションの茎の組織の弱さと、粘りのないことに関する、経験から、知るだけのことである。キャベジのように大きな頭を支える同じ大きさの物質ならば、ほかにはあるであろう。
 植物の枯死に関する理由は、現在吾々には全くわからない。何人も、何故なにゆえにある植物は一年生であり、あるものは二年生であり、またあるものは多年生であるかを、説明することは出来ない。動植物及び人類において、これら一切の場合の問題全部は、経験の問題である。そして私が人間は死すべきものであると結論するのは、単に、あらゆる時代の普遍的経験が、この眼に見える肉体を形作っている有機物の死すべきものなることを証明しているからにほかならない。
『吾々は、みずから知るところによらずして、何をか推理し得ん。』
 人類はその寿命を限り得ぬほどに延長する方向に向って進み来り、また進みつつあるということが、明かに説明され得ぬ限り、健全なる思索は私が、地球上における人間の死に関する以上の如き見解を改めることを許さないのである。そして私が二つの特例を動植物界から引用した主たる理由は、ある部分的の改良が行われ、またこの改良の限界を正確に定め得ないということを根拠として、無制限の進歩を推論する議論の誤りなることを、出来れば解明し例証したかったからである。
 動植物がある程度まで改良し得ることは、何人もよく疑い得ない。既に明かな決定的な進歩が行われている。しかも私は、その進歩には限度がないというのは非常な不合理らしいと考える。人間については、種々の原因により大きな変化があるけれども、世界が始って以来人類の体躯に何らかの有機的改良が起ったということは、明かに確証し得ない。従って人間の有機的可完全化性を主張する議論の論拠は非常に弱く、単なる臆説と考え得るのみである。しかしながら、遺伝に注意すれば、人間の場合にも動物の場合と類似のある程度の改良が不可能であるとは思われない。智能を遺伝し得るか否かは疑わしいが、大きさや力や美しさや容貌やまたおそらくは寿命ですら、ある程度遺伝することが出来る。だから誤りは、小程度の改良が可能であると考える点にあるのではなく、限界の定められぬ小改良と、真に無限の改良とを区別しない点にあるのである。しかしながら、人類は、かかる方法で改良を行えば、必ず悪種の人に独身生活をさせなければならなくなるから、遺伝に注意する方法は決して一般的に行うべきではない。実際この種の試みで慎重に行われた例は余りなく、私の知るものは、古いビッカスタフ家だけであるが、この一家は、慎重な結婚を行って、皮膚の色を好くし、身長を高くするのに成功したと云われている。ことにモオドという牛乳しぼりの女と上手に血を交えたので、この一家の体格の大きな欠点の二、三は是正されたという。
 人間が不死に向って接近しているというようなことはあり得ないことをもっと完全に証示せんがために、寿命の延長が人口の議論に対してその上にも大きな重要性を有つことを、述べる必要は、思うにないであろう。
 コンドルセエ氏の著書は、ただに一有名人の所見の概要たるのみならず、また革命当初のフランスの多くの文人の所見の概要たるものである。この意味で、これはわずかに概要に過ぎないが、注意に値するように思われる。
 疑いもなく(訳註)多くの人々は、地上における人間の不死とか、また実に人間及び社会の可完全化性とさえいう如き不合理な逆説を、本気になって反駁するのは、時間と言葉の浪費であり、このような無根拠の臆説はこれを黙殺するのが一番よい、と考えるであろう。しかしながら私はこれと意見を異にする。この種の背理が有能有為の人によって主張されるときには、黙殺していたのでは彼らにその誤りを納得させることにはならない。彼らは、自ら考えるところをもってその悟性の広大なることとその見解の徹底的なることの徴標なりとして己惚れているのであるから、この無視をもって単にその論敵の精神力の貧困と狭隘の証示と考え、単に世間はなお彼らの崇高なる真理を受容する用意がないと考えるに過ぎぬであろう。
 〔訳註〕本章のこのパラグラフ以下終りまでは前掲の第一版註に若干加筆したものである。本訳書一五―六頁参照。
 これに反し、健全な学問によって保証されるいかなる理論をも直ちに喜んで採用するという態度をもってこれらの問題を率直に検討するならば、蓋然性も根拠もない仮説を作るのは、人類科学の領域を拡大するゆえんではなくしてこれを縮小するものであり、人類精神の改善を促進するものではなくしてこれを妨害するものであり、吾々を再びほとんど知識の嬰児期に逆転させ、科学が最近その保護によりかかる急速な進歩をした思索方法の基礎を弱めるものであることを、彼らに教えることとなるであろう。荒唐無稽な思弁に対する現在の狂熱は、おそらく、各種の科学部門において行われた大きな予期しない発見から生じた一種の精神的陶酔であったと思われる。かかる成功に眩惑されているものには、万事が人力で思うがままになるように思われるので、彼らは、かかる幻想の下に、真の進歩が少しも証明されない事柄を、進歩が顕著で確実で周知な事柄と混同したのである。彼らを説得して落着いていささか厳正苛酷な思考を行わせ得るならば、彼らといえども、辛抱強い研究と十分立証された証拠に代えるに放恣な空想と無根拠な主張をもってすれば、真理と健全な学問との大道は害されざるを得ないことが、わかるであろう。
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第二章 平等主義について――ゴドウィン

(訳註)

 〔訳註〕本章も第一版から現われているものであり、第十章に当る。訂正については前章と同じ。
 ゴドウィン氏の政治的正義に関する名著を読むと、その文体の活気と精力、その推理のあるものの威力と正確、その思想の熱烈なる調子、なかんずくその主張全体を真理と見せしめる印象的な真摯さに、打たれざるを得ない。同時にまた、彼は、その研究を進めるに当って、健全なる思索の要求する注意をもってしておらず、その結論はしばしばその前提からは許されぬものであり、時に自ら持ち出した反対論を打破することが出来ず、適用することの出来ない一般的抽象的命題に頼り過ぎ、またその臆測は確かに中庸を逸している、と告白しなければならぬのである。ゴドウィン氏の提唱する平等主義は、ちょっと見たところでは、今までに現われたことのあるどれよりも最も美しく最も魅力あるものである。理性と信念のみによって行われる社会の改良は、力によって行われ維持されるいかなる変革よりは永続の見込を与えるものである。私的判断の無限の行使ということは、壮大な魅惑的な学説であって、個人が云わば公共の奴隷たる制度よりは非常に優れている。社会の主発条たり原動力たるものを、利己心に代えるに博愛心をもってせんとするのは、一見はなはだ望ましかるべき企てに見える。略言すれば、この美しい描写全体を考えてみる時には、歓喜と讃嘆の念が起り、これが完成の時期を冀望きぼうせざるを得ないのである。されど如何いかんせん。この時期は決して到達し得ないのである。この全体は一場の夢以上のものではなく――想像の幻想にすぎない。この幸福と不死との『壮美なる宮殿』この真理と徳性との『厳粛なる殿堂』は、吾々が現実の生活に眼醒め、地上における人間の真の地位を考慮する時には、『空中楼閣の如くに』消失することであろう。
 ゴドウィン氏は、その第八篇第三章の結末において、人口を論じて曰く、『人類社会には一原理があり、これにより人口は絶えず生活資料の水準に抑止される。かくてアメリカやアジアの遊牧種族の間において、長年月に亙って人口が土地の耕作を必要とするほど増加したことを、吾々は見たことがないのである1)』と。ゴドウィン氏がかくの如くある神秘的な不可知的な原因と看做しそれを討究しようとしないこの原理こそ、かの必然の法則たる、窮乏、及び窮乏の恐怖であることがわかる。
 1) P. 460. 8vo. 2nd edit.
 ゴドウィン氏がその全著を通じて陥っている大きな誤りは、市民社会に存在するほとんどすべての罪悪及び窮乏を、人類の制度に帰していることである。政治的規則や既成の財産制度は、彼にあっては、一切の害悪の豊かなる源泉であり、人類を堕落せしめる一切の罪悪の温床である。もしこれが真に事実であるならば、害悪を社会から完全に除去することは、絶対に絶望な仕事とは思われず、そして理性こそがかくも大きな目的を実現するための適当十分な手段と思われる。しかし本当のところは、人類の制度は、社会に多くの禍害をもたらす明白極まる原因であるように思われ、また往々にして事実そうなのであるけれども、しかしそれは、実際は、自然の法則と人類の情欲から生ずるもっと根深い禍害の原因に比べれば、軽微な皮相的なものにすぎないのである。
 平等主義に伴う利益を論ずる章において、ゴドウィン氏は曰く、『圧制の精神、隷属の精神、及び詐欺の精神、これらは既成の財産制度の直接の産物である。それらはいずれも智的進歩の敵である。嫉妬、悪意、及び復讐という他の罪悪はその切っても切れぬ伴侶である。人が豊饒のまっただなかに暮し、万人が自然の恩恵を平等に分け合う社会状態においては、かかる感情は必ずや消失してしまうであろう。我慾なる狭隘な原則は消滅するであろう。何人も自己のわずかな蓄えを守る必要はなく、また憂慮し苦しんで自己の不断の欲求に備える必要もないのであるから、各人は一般的福祉の考慮の中に自己の個人的存在を没入させるであろう。争闘の題目がないから、何人もその隣人の敵となることはないであろう。その結果として博愛が理性の命ずる主権を獲得するであろう。精神は、肉体の支持に関する不断の焦慮から解放され、思うがままに思想の沃野を逍遥し得るであろう。各人は万人の研究を助力するであろう1)』と。
 1) Political Justice, b. viii. c. iii. p. 458.
 これはまことに幸福な状態である。しかしこれが真実とはほとんどかかわりのない空想画にすぎないことは、思うに、読者が既に知り過ぎるほど知っていることであろう。
 人は豊饒のまっただなかに暮し得るものではない。万人は自然の恩恵を平等に分ち合えるものではない。既成の財産制度がないとすれば、各人は力をもって自己のわずかな蓄えを守らざるを得ないであろう。利己心は勝利を占めるであろう。争闘の題目は不断にあるであろう。各人は肉体の支持に関する不断の焦慮の下にあり、ただの一人として思うがままに思想の沃野を逍遥し得る者はないであろう。
 ゴドウィン氏が人類社会の実情にいかに注意を払っていないかは、彼が人口過剰の困難を除去しようと試みたその方法を見れば、十分にわかるであろう。彼は曰く、『この反対論に対する明白な解答は、かくの如く考えるのは非常に遠い将来の困難を予見することである、というにある。居住し得る地球の四分の三は現在耕作されていない。既耕地といえども測り知れぬ改良を行うことが出来る。今後幾世紀人口が更に増加していっても、土地はなおその住民の生存に十分であることが見出されよう1)』と。
 1) Polit. justice, b. viii. c. x. p. 510.
 土地が絶対的にもはやこれ以上生産しなくなるまではいかなる窮迫も困難も人口過剰から起らないと考えることの誤りは、私が既に指摘したところである。しかし今しばらく、ゴドウィン氏の平等主義が実現したと仮定し、そしてかくも完全な社会形態の下においていかにすみやかに困難が生ずると予期し得るかを考えてみよう。適用し得ないような理論は到底正当なものではあり得ない。
 この島国における罪悪と窮乏の一切の原因が除去されたと仮定しよう。もはや戦争や争闘はない。不健全な商工業は存在しない。群集が、宮廷の陰謀や商業やよからぬ欲望満足の目的で、流行病の大都市にあつまることもない。簡素な健康な合理的な娯楽が飲酒や賭博や放逸にとって代ることとなる。人体に悪影響を及ぼすような大都市はない。この地上の楽園の幸福な住民の大部分は、国中に点在している小村、農家に住んでいる。万人は平等である。奢侈品を作る労働は終りを告げ、農業の必要労働は万人が喜んで分ち合う。この島国の人口と生産物とは現在と同一と仮定する。公正な正義に導かれる博愛の精神によって、この生産物は社会の全員にその欲求に応じて分たれる。万人が毎日肉食することは不可能であろうが、しかし菜食でも、時々肉を混ぜれば、質素な人々の欲求を満足させるし、また彼らの健康と力と活力とを維持するには十分であろう。
 ゴドウィン氏は結婚をもって詐欺であり独占であると考えている1)。そこで両性の交りが最も完全な自由の原則の上に打樹うちたてられたと仮定しよう。ゴドウィン氏は、かかる自由は乱交に導くものではないと考えているが、私はこの点では彼に全然同意する。あれこれと愛するの情は、よからぬ腐敗した不自然な趣味であり、簡素な有徳な社会状態には幾分でも広く行われることはあり得ないであろう。各人はおそらく、自己の配偶者を選び、そしてこの結び付きがその意に合する限りこれを続けるであろう。ゴドウィン氏によれば、一人の婦人が何人子供をもとうと、また子供が誰に属しようと、それは大したことではなかろう。食料や扶助は、余った方から足らない方へ自動的に流れていくであろう2)。そして各人は、自己の能力に応じて、子女の教養に当るであろう。
 1) Polit. justice, b. viii. c. viii. p. 498 et seq.
 2) Id. c. viii. p. 504.
 全体としてこれほど人口増加に好都合な社会形態を私は考えることは出来ない。現在の制度では結婚のやり直しは出来にくいので、そのために多くの人は結婚を妨げられている。これに反し交りが自由であれば、これは早婚に対する極めて有力な刺戟となるであろう。そして吾々は、子供の将来の養育については何の憂慮もないと仮定しているのであるから、私は、こうなれば二十三歳で子供のない婦人は百人に一人もあるまいと思う。
 かかる異常の人口増加に対する奨励があり、またあらゆる人口減少の原因は上記の如く除去されるのであるから、人口は必然的に、今まで知られているいかなる社会におけるよりも急速に増加するであろう。私は前に(訳註)、アメリカ奥地の植民地の住民は十五年にしてその数を倍加するように思われる、と述べた。英蘭イングランドは確かに、アメリカ奥地の植民地よりも、健康地である。そして吾々は、この島国のあらゆる家は空気の流通がよく健康的であり、また家族を有つ奨励はアメリカよりも大きい、と仮定したのであるから、どう見ても人口が、それがもし可能ならば十五年以内に倍加しないとは考えられない。しかし確実に事実から逸脱しないように、吾々は倍加期間をもって二十五年とするに止めよう。これは、アメリカ合衆国全体を通じて起ったと知られているものよりも緩慢な増加率である。
 〔訳註〕第一版では『前に』の代りに次の如くあったが第二版から本文のようになった、――
『スタイルズ博士という人が著わしプライス博士が言及しているパンフレットを典拠として、』
 吾々の仮定した財産の平等分割が、全社会の労働が主として農業に向けられるという事情と相俟って、この国の生産物を大いに増加する傾向があることには、ほとんど疑いはあり得ない。しかし一日半時間の労働で足りるというゴドウィン氏の計算は確かに不十分である。おそらく各人の全時間の半分はこの目的に用いられなければならぬであろう。しかも、これだけの労力では、またはこれ以上の労力を費しても、我国の地質を知り、既耕地の肥沃度と未耕地の不毛性とを考えてみる人は、全生産物が今後二十五年にしてよく倍加せられ得ようかと、はなはだ疑わしく思うであろう。ただ一つうまく行きそうなこととしては、牧場の大部分をき返し、ほとんど肉食を止めてしまうことである。しかしこの計画はおそらく成功しないであろう。英蘭イングランドの土壌は肥料なくしては大して作物がとれず、そして土地に最も適する種類の肥料を得るには家畜が必要であるように思われる(訳註)。
 〔訳註〕第一版ではこれに続いて次の如くあったが、第二版以下では削除された、――
『支那では、ある州の土地は、肥料を施さずに米の二毛作が出来るほど肥沃である、と云われている。英蘭イングランドにはこれに当るような土地はない。』
 しかしながら、かくの如く二十五年にしてこの島国の平均生産物を倍加することは困難なのであるけれども、今これが出来たと仮定しよう。そこで第一期の終りには、食物は、ほとんど全く植物性であっても、一千一百万から二千二百万に増加した人口を、健康に養うに足るであろう1)
 1) ここに挙げた数字は一八〇〇年の人口実測による。(訳註――この註は第六版に現わる。なおこのパラグラフ及びこれ以下のこれと関係する数字は、第一版では推定数であり、第二版以下で本文の数字となったものである。)
 次の期間には、増加し行く人口の執拗な需要を満たすべき食物はどこで見出されるであろうか。どこに開墾すべき未耕地があろうか。どこに既耕地の改良に必要な肥料があろうか。いやしくも土地に関して少しでも知識をもっているもので、第二の二十五年間に、この国の平均生産物が現在の産額に等しいだけ増加することは不可能である、と云わないものはないはずである。しかし吾々は、これがいかにありそうもないことであるとしても、今仮に出来たと仮定しよう。議論に十分余裕があるのであるから、たいていの譲歩をしても差支えない。しかしながらこれだけの譲歩をしても第二期の終りには一千一百万の人間が食物を得られないことになる。すなわち三千三百万人をささやかに養うだけの食物を四千四百万人に分たなければならないのだ。
 嗚呼。かくなっては、人は豊饒のまっただなかに暮し、憂慮し苦しんで自己の不断の欲求に備える必要なく、我慾なる狭隘な原則は存在せず、精神は肉体の支持に関する不断の焦慮から解放されて、思うがままに思想の沃野を逍遥し得るという、あの光景はどうなることであろう。この美しい想像図は、厳酷な真理の一触によって消失する。物質の豊富なるにより育成され鼓舞された博愛の精神は、冷酷な欠乏の息吹によって圧伏される。消滅していたにくむべき情欲はまたも現われてくる。自己保存の大法則は一切のもっと優雅な高貴な情緒を押しのける。悪に対する誘惑は人性にとり抗し得ないほど強力になる。穀物は未熟のうちに刈取られ、またはごまかして隠匿され、そして虚偽に属する全一連の暗黒な罪悪が直ちに生じてくる。食料はもはや大家族を有つ母を養うためには流れてこなくなる。子供達は食物不良のために病弱となる。薔薇色の健康色は失われて、窮乏の証たる青い頬とくぼんだ眼とがこれに代る。少数者の胸中になお残存する博愛心は最後の力弱い努力をするけれども、ついには利己心がその住みなれた王国を恢復し、昂然として世界に君臨することとなる。
 ここには、ゴドウィン氏がその原因を最悪の人間の原罪に帰した1)邪悪な人間の制度は存在しなかったのである。公共の福祉と私的幸福との対立がこれにより生み出されたこともない。理性が共有を命じている利益に対する独占もない。何人も不当な法律に責め立てられて秩序を乱したことはない。博愛心は万人の心を支配していた。しかもなお、わずか五十年というが如き短期間にして、現在の社会状態を堕落させ泣かせている暴力、圧迫、虚偽、窮乏、あらゆる悪むべき原罪とあらゆる種類の困厄とが、最も切迫せる事情により、人性に固有にして一切の人間の規制とは絶対に無関係な法則によって、発生するに至るように思われる。
 1) Polit. justice, b. viii. c. iii. p. 340.
 これだけでなおこの陰鬱な光景の実際を十分のみこめないというならば、しばらくその次の二十五年間を見てみよう。そうすれば、人口の自然的増加によって四千四百万人の人間が生きる食物がないことがわかる。そして一世紀の終りには人口は一億七千六百万に増加する力を有つが、食物の方はわずかに五千五百万を養うに足るに過ぎず、従って一億二千一百万が食うべき食物がないことになる。しかもここでは、土地の生産物は絶対に無限であり、その年々の増加はどんな大胆な空想家が想像し得るよりもいっそう大きいものと、仮定しているのである。
 これは疑いもなく、ゴドウィン氏が、人口原理より生じる困難について述べているところとは、極めて異るものである。すなわち彼は曰く、『今後幾世紀人口が更に増加していっても、土地はなおその住民の生存に十分であることが見出されよう』と。
 右に述べた幾百万の過剰人口が決して存在し得るものでないことは、私は十分承知している。ゴドウィン氏が、『人類社会には一原理があり、これにより人口は絶えず生活資料の水準に抑止される』と述べているのは全く正しい。ただ問題は、その原理なるものはいかなるものであるか、ということである。それは何か不可思議不可知な原因であろうか。それはある時に男子を性的不能ならしめ婦人を不姙たらしめるある神秘的な天の干渉であろうか。それともまたそれは吾々が研究が出来観察が出来る原因であり、歴史上あらゆる時代においてその力こそ異なれ不変に作用してきた原因であろうか。それは、人間の制度が、たとえ除去し得ないとしてもこれを助長せずして大いに緩和し来ったところの、人間の現在の存在段階における自然法則の、必然的不可避的結果たる、窮乏、及び窮乏の恐怖ではなかろうか。
 吾々が右に想像してきた場合において、現在の社会を支配している主要法則の若干が、最も差迫った必要によって相次いで行われるに至る様は、これを観察してみると興味があるかもしれない。ゴドウィン氏によれば、人間はその受ける印象の産物であるから、欠乏の苦痛が少し続くと、公私の蓄財の掠奪が必然的に起らざるを得ないであろう。かかる掠奪がその数と大きさとにおいて増大するにつれ、社会のより活溌な理智に富むものは、まもなく、人口は急速に増加しているのに、国の年生産物はほどなく減少し始めることに、気がつくであろう。事の急なるために、公共の安全のため何らかの手段を採らなければならぬことがわかってこよう。そこである種の集会が催され、国情の危険なることが最も強い言葉で述べられるであろう。そこではこう云われるであろう、すなわち、豊饒のまっただなかに暮していた時には、何人もその隣人に喜び進んでその欲求を充たしてやったのであるから、誰が最も働かなかったかとか、誰の所有が最も少いかとかいうことは、ほとんど問題ではなかった。しかし今や問題は、一人の人が自分では使用しないものを他人に与えるべきか否かというようなことではなく、自分自身の生存に絶対に必要な食物をその隣人に与えるべきか否かということになった、と。またこうも云われるであろう、すなわち、欠乏しているものの数は、それに供給すべきものの数と資力よりも遥かに多い。かかる切迫した欠乏は、国内の生産物の状態から云って、全部は充たされ得ないので、言語道断な正義の蹂躙が行われた。かかる蹂躙は既に食物の増加を妨げており、そして何らかの方法によって阻止しなければ全社会を混乱に陥れるであろう。この切迫した必要は、出来るならば、万難を排して生産物の年増加を計るべきことを指示しているように思われる。この最大不可避な目的を達せんがためには、もっと完全な土地の分割を行い、そして各人の財産を最も厳格な制裁によって(訳註)、掠奪から確保しなければならぬ、と。
 〔訳註〕ここには第一版には『死そのものによってすら』という句が入っていたが、第二版以下では削除された。
 おそらくこれに対してある反対者は云うであろう、すなわち、土地の肥沃度は増加し、また種々の出来事が起ったので、あるものの分け前は、彼らを養って遥かに余りがあろう。また利己心の心配がひとたび確立されるならば、彼らはその余剰生産物の代償を得なければ分配しないであろう、と。そこでこれに対する駁論としては、次の如く云われるであろう、すなわち、これは非常に遺憾なことである。しかしこれは、財産の不安固から必然的に生ずる全一連の暗黒なる災厄とは比較にならぬ害悪である。一人の人間が消費し得る食物の量は、狭い人間の胃によって必然的に制限される。確かにおそらくそれ以上に出ずる部分を彼は棄てはしないであろう。そしてもし彼がその剰余生産物を他人の労働と交換するならば(訳註)、これはこれらの他人が絶対に餓死するよりはよいであろう、と。
 〔訳註〕ここは第一版では、『……他人の労働と交換し、彼らをある程度自分に従属させるならば』とあったが、第二版で本文の形に訂正された。
 従って、現在文明社会に行われているのと余り違わない財産制度が、社会に殺到する害悪に対する(十分ではないが)最上の救治策として、ほとんど間違いなく樹立されるであろう。
 右の問題と密接な関係を有つ次の問題は、両性の交りの問題である。社会を悩ましている困難の真因に注意を払っている人は、次の如く主張するであろう。すなわち、何人も自分の子供はすべて社会の慈善によって十分に養育してもらえると確信し得る間は、土地の生産力はその結果として生ずる人口に対して食物を生産するには全く不十分である。たとえ社会の注意と労働との全部がただこの一点に向けられても、またもし最も完全な財産の安固とその他考え得る一切の他の奨励によって最大可能の年産物の増加が毎年得られたとしても、しかもなお食物の増加は決してそれより遥かに急速な人口の増加と歩調を共にしないであろう。従って人口に対する何らかの妨げがどうしても必要である。最も自然的な最も明瞭な妨げは、各人をして自己の子供の養育をさせることであろう。こうすれば、何人も養育出来ない子供を産まないであろうから、これがある点において人口の尺度たり指標たる作用を演ずるであろう。それでもなお養えない子供を産む場合には、かかる行為に伴う恥辱と不便とが、自分はもとより罪もない子供をも欠乏と窮乏とに陥れた思慮の足らぬ人の頭上に落ちるということは、他人への見せしめのためにも必要である、と。
 結婚の制度、または少くとも各人は自分の子供を養育する明示または黙示の義務があるという制度は、上述の如き困難の下にある社会においては、右の如き推理の当然の結果であると思われる。
 これらの困難を考えてみると、貞操破毀に伴う恥辱が、男子よりも婦人の場合に大きい自然的理由が明かになる。婦人が自分の子供を養うに足るだけの資力を有つとは期待出来ないであろう。従って婦人が、その子供を養う義務を約束しない男子と同棲し、その男子が自分にかかってくるかもしれぬ不便に気がついて、その婦人をすてた時には、これらの子供は必然的に社会が養わなければならぬか、または餓死するかである。そしてかかる不便が頻発するのを防止するためにかかる行為はこれを罰するに恥辱をもってすることとなるのであるが、けだしかかる自然的な過ちを身体的拘束や刑罰をもって処罰するのは極めて不公正であるからである。その上この罪過は、婦人の場合の方がはっきりしていて、見誤るおそれは少い。子供の父親は常に必ずしもわからないかもしれぬが、母親についてはそのようにわからぬということは決してあり得ない。罪過の証拠が最も完全であり、同時に社会に対する不便が最大のところに向って、最大の非難が落ちかかることになったのである。あらゆる男子が自分の子供を養うべき義務は、社会が積極的法律によって強制するであろう。そして、他人を不幸に陥しいれたものの当然受くべきある程度の不名誉のほかに、なお家族を養うために当然不便と労働とが増大するという事実が男子に対する十分な処罰と考えられるであろう。
 男子が犯してもほとんど咎められない罪過を婦人が犯せば現在ほとんど社会から葬られるというのは、疑いもなく自然的正義の侵犯であるように思われる。しかし、社会に対し重大な不便を生ずることが頻発するのを防止する最も明瞭な最も有効な方法としての右の慣習の起源は、たとえ全く正当ではないとしても、自然的であることがわかる。この起源は、今では、この慣習がその後発生せしめた一連の新思想の中に、没却されてしまった。最初には国家の必要によって指示されたものが、今日では婦人の優雅によって維持されており、そして、この慣習の最初の意図が保存されていればその必要の最も少い社会部分に、最大の力をもって作用しているのである。
 財産の安固と結婚制度という、二つの根本的社会法制がひとたび樹立された暁には、境遇の不平等が必然的に随伴しなければならぬ。財産の分割が行われた後に生れた人間は、既に所有された世界に入り込むのである。もしその両親が過大の家族を有つために充分の給養をなし得ないとしたら、一切のものが占有されている世界で、彼らは何をなし得よう。あらゆるものが土地の生産物に対し平等の分配請求権を有つ場合に社会に生ずべき致命的結果については、吾々は既にこれを見た。この場合、最初分割して与えられた土地に比して大きくなりすぎた家族員は、当然の権利として他人の剰余生産物の一部分を要求することは出来ない。既に見た如く、人生の不可避的法則により、人類の誰かは欠乏に曝されなければならないのであった。これらの人々は、人生という大富籤において空籤を引き当てた不幸な人々なのである。これらの人々の数はまもなく剰余生産物の供給量を超過するであろう。道徳的功績は、極端な場合のほかは、極めて困難な基準である。剰余生産物の所有者は一般に何かもっと明確な区別の標準を求めるであろう。そして、特別な場合のほかは、彼らが、社会の利益にもなれば同時にその所有者をしていっそう多数の人に援助を与え得せしめることとなる剰余生産物を、増加するために努力する能力を有ち、またその意思を有つと公言する人を、選択するに至るのは、当然でもあれば正当でもあると思われる。食物を求めるすべてのものは、必要に促されて、生存上かくも絶対に必要なこの財貨と引換えに、自己の労力を提供することになろう。そして労働の維持に当てられる基金は、土地の所有者が自己の消費以上に所有する食物の総量である。この基金に対する需要が大きく多数であれば、それは当然に極めて小額に分割されるであろう。かくて労働の報酬は悪くなる。人々はただ露命をつなぐだけのものを得んがために働くこととなり、そして家族の養育は疾病と窮乏とにより妨げられるであろう。これに反し、この基金が急速に増大している場合には、それがその請求者の数に比して大きい場合には、それはもっと大きい額に分割されるであろう。何人も自己の労働の対価として十分の量の食物を受取らなければ、これを交換しないであろう。労働者の生活は安易快適となり、その結果として多数の元気な子供を養育し得るであろう。
 現在吾々の知るあらゆる国の下層階級に見られる幸福または窮乏の程度は、主としてこの基金の状態に依存し、そして人口の増加、停止または減少は、主としてこの幸福または窮乏の程度に依存する。
 かくて、利己心ではなく博愛心をもってその活動原則とし、その全成員の一切の悪性が力ではなく理性によって矯正されるところの、想像力が考え得る最も美しい形態に従って作られた社会は、人間の制度の欠陥によってではなく、不可避的な自然法則によって、極めて短期間のうちに、現在吾々の知るあらゆる社会にあるものとは大差のない計画に基づいて作られた社会へと、すなわち所有者階級と労働者階級とに分たれ、利己心がこの大機械の主要発条となっている社会へと、退歩してしまうことがわかるのである。
 右の仮定においては、私は疑いもなく、人口の増加を実際よりも小さく、食物の増加はこれよりも大きく見積った。しかし仮定した事情の下においては、人口がいかなる既知の実例よりも早くないわけは有り得ないのである。そこでもし倍加期間を二十五年とせず十五年とし、かかる短期間に生産物を倍加するに必要な労働を考えてみるならば、たとえそれが可能であるとしてみたところで、吾々は確実に、仮にゴドウィン氏の云う如き社会制度が成立したとしても、それは、幾万世紀は愚か、三十年も経たないうちに、単純な人口原理によって全滅してしまうであろうと、あえて公言し得るであろう。
 私はここで移住のことを云わなかったが、それには明白な理由がある。もしかかる社会がヨオロッパの他の地方にも出来るならば、それらの国は人口に関して同一の困難に見舞われ、一人の新来者をもその懐に容れることは出来ないであろう。もしこの美しい社会が我国だけに限られるならば、まもなくその成員は自発的にこの社会を去り、現在ヨオロッパに存在する如き政府の下に暮すか、または新天地における最初の移民が蒙る極度の艱難に身を委ねるに至るのであって、事態がこうはならぬうちにこの社会は既にその本来の純粋性から異様に退化してしまっており、その約束する幸福はほとんど与え得ないのである(訳註1)(訳註2)(訳註3)。
 〔訳註1〕この文の末尾は第一版では次の如くなっていた、――
『……その約束する幸福はほとんど与え得ず、略言すればその本質的原則は全く破壊されなければならぬのである。』
 〔訳註2〕第一版ではこれにすぐ続いて次の文があったが、第二版以下では削除された、――
『人々はひどい窮乏と困難を耐え忍んでもなかなか自国を捨てる決心はしないものであり、またほとんど餓死に瀕しているように思われる人が新殖民地に移る最も魅惑的な誘いを受けてもほとんどこれを拒否しているのは、再三の経験によって吾々のよく知るところである。』
 〔訳註3〕第一版においては、『平等主義』に対する直接の駁論は第八章ないし第十五章の八箇章を占めていたが、第二版以下において収録されたものは右のうち第八章ないし第十章の三箇章であり、これが以上の本文における二箇章をなしているのである。第二版以下において削除された第十一章ないし第十五章は次の如くである。

『第十一章


『吾々はゴドウィン氏の社会制度が一度完全に成立したものと仮定した。しかしこれは出来ないことの仮定である。それが一度成立した場合にこれを極めて急速に破壊してしまうと同一の自然的な原因が、それを初めから成立せしめないであろう。そしていかなる理由によりかかる自然的原因が変化するものと想像し得るかは、私は全くこれを考えることが出来ない。世界が始まって以来五、六千年の間、両性間の情欲の絶滅に向っての動きは何もない。いかなる時代にも、老年者は、自分がもはや感じなくなった情欲を非難しているが、それは理由もなければ得るところもないものである。体質的に冷淡であって、恋愛の何たるかを知らぬものは、確かに、この情欲が人生の快感の総計に寄与する能力に関しては、極めて適当な判定者とは認められないであろう。その青年時代を犯罪的な不節制のうちに送り、老年に至って肉体の衰弱と精神の悔恨をその報いとして得たものは、かかる快楽をもって無益無用のものであり永続的満足を生じないものであると非難するのはもっともなことである。しかし純粋の愛の快楽は最も発達した理性と最も洗練された徳性との考慮に値するであろう。有徳の恋愛の真の歓びを一度経験したものは、その智的快楽がいかに大であろうとも、おそらく必ずやこの時期を、一生涯の輝かしい時代として振り返り、その追憶の心を走らせ、最大の哀惜の情をもってこれに思いをはせ、もう一度それを繰返そうと心から望まぬものは、ほとんどないであろう。智的快楽が感覚的快楽に優るというのは、それがより実質的であり本質的であるというよりはむしろそれが時間的により永続し、場所的により広汎であり、また飽満の可能性がより少いという点にあるのである。
『あらゆる享楽は過度に至ればそれ自身の目的を挫いてしまう。この上なくよい天気の日にこの上なく美しい地方を散歩しても、それが過度に至れば苦痛と疲労に終ってしまう。この上なく栄養に富み精力を増す食物も、限りなく食べれば、力とはならずに弱くなってしまう。智的快楽といえども、それは確かに他のものよりは飽満の可能性が少いが、ほとんど休みなく耽るならば、肉体を衰弱させ、精神の活力を害する。これらの快楽が真実でないということをその濫用から論ずるのは、決して正しいことではないと思われる。道徳なるものは、ゴドウィン氏によれば、結果を考慮することであり、また副僧正ペイリイの正しく現わした言葉によれば、一般的便宜から帰納された神の意思である。これらの定義のいずれによっても、不幸な結果を伴いそうもない感覚的快楽は道徳律を侵害するものではない。そしてもしそれが、智的得達に対し最も十分の余地を残す程度の節制をもって享楽されるならば、それは疑いもなく人生の快感の総計を増加するに違いない。友情によって高められた有徳の恋愛は、特に人性に適合し、霊的同情心を最も有力に覚醒することとなり、最も適当な満足を生ずるところの、感覚的享楽と智的享楽との混合物であるように思われる。
『ゴドウィン氏は、感覚の快楽の明かな劣等性を証示せんがために、「両性の交渉からその一切の附随事情を取除いてみよ、そうすればそれは一般に軽蔑すべきものとなろう」と云っている。これはちょうど、木を賞讃する人に、その拡がった枝や美しい葉を取除いてみよ、そうすれば裸の棒に何の美が見られるのか、というようなものである。しかし吾々の賞讃を促すのは、枝や葉のある木であって、それのない木ではなかった。一事物の一特徴がその全体とは別物であり、違った感情を促すものであることは、美しい女性とマダガスカルの地図との関係に等しい。愛情を促すものは、女子の「肉体の均斉、快活、艶麗な柔い気質、愛情に満ちた親切な感情、想像力と機智」であって、単に女性という性別だけのことではない。男性は愛情に駆られて社会の一般的利益に極めて有害な行為を犯したものがあるが、しかしその女子にその性以外には何の魅力もなかったならば、彼らはおそらく何の困難もなく誘惑に抗し得たであろう。感覚的快楽の劣等性を証明せんがためにそれから一切の附属物を取除くというのは、磁石からその磁石の最も本質的な原因のあるものを取除いて、しかる後それは弱くて役に立たぬと云うのと同じことである。(訳註――以上のパラグラフのうちかなりの部分は第四篇第一章に再録さる。)
『感覚的たると智的たるとを問わず、あらゆる享楽の追及に当っては、吾々をして結果を考慮し得せしめる能力たる理性は、正当な是正者であり案内者である。従って進歩した理性は、常に感覚的快楽の濫用を防止する傾向があるであろうが、しかしそれは感覚的快楽を絶滅せしめるであろうということには決してならない。
『私は前に、限界を正確に確かめ得ない部分的な改良から無限の進歩を推論する議論の誤りを、指摘することを努めた。その際、決定的進歩が見られるがしかしその進歩を不定限と想像するのは大きな間違いであるという場合が多数にあることが、思うにわかったのである。しかし両性間の情欲の絶滅に向っては、今まで何らの眼につく進歩も行われていない。従ってかかる絶滅を想像するのは、いかなる学問的蓋然性によっても支持されない無根拠の臆測を提出することでしかない。
『最高の精神力を有つある人々が、感覚的恋愛の快楽に適度に耽ったばかりでなくまた過度にも耽ったということは、おそらくは歴史があまりにも明かに証示する真理である。しかし、反対の例は多数にあるけれども、大きな智的努力はこの情欲の人間に対する支配力を減少せしめるものと、私は考えたいのであるが、そう考えるとすれば、何らかの差異が生じて人口増加に明かな影響を及ぼすようになるためには、人類の大衆が現在の最高の人類の代表者よりももっと進歩しなければならぬことは、明かである。私は決して人類の大衆がその進歩の限界に達したと考えようとは思わないが、しかし本書の主たる議論は、いかなる国の下層階級の人民も、多少とも高い程度の智的進歩に達するに足るほど、欠乏と労働から免れる蓋然性のないことを、有力に物語っているのである。

『第十二章


『人間が将来地上で不死に近づくということに関するゴドウィン氏の臆説は、やや奇妙なことには、彼れの平等主義に対する人口原理による反対論を打破すると自称する章の中に、出ている。両性間の情欲は寿命が延長するよりも急速に減退すると彼が想像しているのでない限り、土地はますますつまってくるであろう。しかしこの困難はゴドウィン氏に委せておいて、吾々は、人間の蓋然的不死の推論の基礎となっている現象を、若干検討してみよう。
『精神の肉体に対する支配力を証明せんとしてゴドウィン氏は曰く、「一片の良い報知が病気を消散させるのを何度見ることか。怠け者には病気の元になるような出来事を、忙しい活動的な人は忘れてしまい問題にしないということは、何度聞くことか。私はぶらぶらと大した決意もなしに二十マイルも歩くと、極度に疲れてしまう。私は元気に満ちそれで心がいっぱいになっている目的をもって二十マイル歩いても、出かけた時と同じく爽かで元気がある。ある予期しない言葉や配達された手紙で感情が刺戟されると、肉体は最も激しく急変し、血行は増し、心臓は鼓動し、舌はもつれ、また極端の喜怒は死を招くことは周知のことに属する。実際病気の恢復を早めたり後らせたりする精神の力ほど医師のよく知るものはない。」
『ここに挙げられた例は、主として精神的刺戟が体躯に及ぼす影響に関する例である。精神と肉体との神秘的ではあるが密接な関連を一瞬といえども疑ったものはない。しかし刺戟を引続き与えても力が減ることはないとか、またはしばらくの間は力が減らぬとしてもそれは主体を消耗させることはないとか想像するのは、刺戟の性質に関する全くの無智に基づく議論である。ここに触れた場合の二、三においては、刺戟の力はそれが新奇であって予想外であるのによるのである。かかる刺戟は、その性質上、これを繰返せばしばしば同一の結果を伴い得ないのであって、けだしこれを繰返せばそれにその力を与えた性質が失われるからである。
『他の場合においては、この議論は、小さな部分的な結果から大きな一般的な結果に進むものであって、これは無数の場合において極めて誤った推理法であることが見られるであろう。忙しい活動的な人は、何も外に考えることのない人間ならそればかり考えているような軽い病気に、ある程度打ち勝っていくであろうし、、または、この方がおそらくもっと本当なのであるが、気にしないであろう。しかしそれだからといって、精神が活溌ならば高熱や天然痘や疫病ペストも気にしないですむということにはならない。
『それで心がいっぱいになっている目的をもって二十マイル歩く人は、目的地に着いた時に身体が少し疲れたのに気がつかない。しかし彼れの目的を二倍にしてもう二十マイル歩かせてみよ。またこれを四倍にして三度歩かせてみよ。そうすれば彼れの歩行距離はついには筋肉に依存して精神には依存しなくなるであろう。パウエルが十ギニイを得るために歩くところは、おそらくゴドウィン氏が五十万ギニイを得るために歩くところよりも多いであろう。普通の力を有つ体躯に異常の力を有つ目的を加えれば、おそらく人はその努力で死んでしまうかもしれないが、しかしそのために二十四時間に百マイルを歩くことは出来ないであろう。これによって見れば、この人間が最初の二十マイルを歩いた時に疲れたように見えず、またおそらくほとんど疲労を感じなかったからといって、彼が本当に少しも疲れなかったのだと想像するのが、誤りであることがわかる。精神は一時に一つ以上の対象に強くその注意を固定することは出来ない。二万ポンドが彼れの心をつかんでしまい、ために彼は少し足が痛み股が硬くなったのに[#「硬くなったのに」は底本では「硬くなったの」]気がつかなかったのである。しかし彼が真に出かけた時と同じく爽かで元気であったならば、彼はその次の二十マイルも最初の二十マイルと同じく容易に歩くことが出来るはずであり、また三度目の二十マイルも同じはずであって、これは明かな矛盾になってしまう。元気な馬がほとんど半ば疲れた時にも、拍車をかけ、手綱をうまくさばけば、馬は非常に発剌となり、側で見るものには一マイルも歩かなかったように爽かに元気よく見えるであろう。否、馬自身も、この刺戟で熱気と情熱を感じて、少しも疲労を感じないであろう。しかしかかる外見からして、刺戟を続ければ馬は決して疲れることはないと論ずるのは、一切の理性と経験とに全く反することであろう。一群の犬が吠え立てれば、馬は四十マイルを走った後でも、最初に出かけた時と同様に爽かに活溌になるであろう。こういう時に狩立を行っても、最初は乗り手には馬の力と元気には何も眼に見える衰えは感じられないであろうが、しかしこの活動の一日が終りに近づくと、前の疲れが全幅の力と結果とを現わしてき、馬は疲れやすくなるであろう。鉄砲を持って長途歩き廻ってしかも獲物のなかった時には、私はしばしば疲れによる大きな不愉快を感じながら帰宅した。別の日におそらくほとんど同じくらい歩き廻ってたくさんの獲物を得た時には、私は爽かに元気に帰宅した。この異った日に、帰宅した際の疲労感は、非常に大きかったかもしれぬが、しかし翌日の朝には私はかかる相違は何も感じなかった。私は、獲物があった日の翌朝には、獲物がなかった時よりも、股がそれほど硬くなく足はそれほど病まぬということはなかったのである。
『これら一切の場合において、精神に対する刺戟は、肉体的疲労を真に実際に取除くよりも、むしろ、これから注意をらす作用をするように、思われる。もし私の精神の力が真に私の肉体の疲労を取除いたのであるならば、私はどうして翌朝疲れを覚えるのであろうか。もし犬の刺戟が実際に旅の疲れを外見通りに完全に取除いたのならば、馬はどうして四十マイルも走らなかった場合よりも早く疲れるのであろうか。私は本書の執筆中にたまたま非常な歯痛を覚えた。執筆の努力にまぎれて、私は時々ほんのちょっとの瞬間これを忘れる。しかし私は、苦痛を起した過程はやはり進行中であり、これを頭脳に伝える神経はこういう瞬間にも注意とその適当な顫動の機会とを要求しているものと、考えざるを得ない。他の種の顫動が増幅される時にはおそらくこの歯痛による顫動が入り込む余地がなくなり、またはそれは入り込んでもしばらくの間はこれを押えつけてしまうかもしれぬけれども、ついには、異常な力が一閃迸り出て他の一切の顫動を打負かし、私の議論の着想の発剌性を打破り、頭脳を蹂躙してしまう。この場合には、他の場合と同じく、精神は病気に打克ちまたはこれを治療する上にほとんどまたは全く力を有たず、単に強く刺戟される時にはその注意を他の事物に固定させるという力を有つに過ぎぬように思われる。
『しかしながら私は、健全発剌たる精神が肉体も同じく健全発剌にしておく傾向は全然ないと云おうとするものではない。精神と肉体との結合は極めて密接親近なるものであり、従って両者が相互の作用を助け合わないならば、それは極めて異常なことであろう。しかしおそらく、これを比較してみると、精神が肉体に及ぼす影響よりも肉体が精神に及ぼす影響の方が大きいのである。精神の第一目的は、肉体の欲求の調達者として働くにある。かかる欲求が完全に充たされる時には、活溌な精神はなるほど更に出でて科学の分野に立入り、想像力の領域を究め、「この断末魔のとぐろをぬぎ捨て」て自分に近い要素を探し求めつつあるのだなどと考えがちである。しかしこれら一切の努力は物語にある兎の無駄な努力のようなものである。歩みののろい亀たる肉体は、精神がどんなにあちらこちらと走り廻っても、必ずやこれに追いつくのであり、そしてどんなに聡明な発剌たる人々が、一度目や二度目の招きにいかに応いたくなくとも、ついには頭脳は飢餓の呼声に屈し、または消耗した肉体をもって眠に就かざるを得ないのである。
『もし肉体を不死ならしめる薬が発見され得るのであるならば、それが精神の不滅を伴うことを恐れることはない、と確かに云ってもよいようである。しかし精神の不滅とは決して肉体の不死を推論するとは思われない。反対に、精神を最大に働かせば、おそらく肉体の力は消耗し破壊されるであろう。中庸な精神の発揮は健康にはよいように思われるが、しかし非常に大きな智的努力は、しばしば云われているように、むしろそれを収める鞘を消耗させてしまう傾向がある。精神の肉体支配力とその結果たる人間の不死の蓋然性とを証明するためにゴドウィン氏が持ち出している例証の大部分は、この後の種類に属するものであり、もしかかる刺戟を引続き加え得るならば、それは人類の体躯を極めて急速に破壊する傾向があるであろう。
『ゴドウィン氏は次に、その動物的肉体に対する人間の随意的支配力の蓋然的増加を考察しており、そして彼はその結論として、この点に関するある人々の随意的能力は他の人には出来ない各種のものにまで及んでいるのが見られる、と云っている。しかしこれは若干の例外からほとんど普遍的な法則を覆えそうという議論であり、しかもこれらの例外は、何らかの良い目的のために発揮され得る能力であるよりはむしろ詭計なのである。私は未だ熱病の際に脈を任意に左右し得る人を人を聞いたことがない。そして、ここに言及されている人の誰かが、その体躯の欠陥を是正し従ってその寿命を延長するに少しでも眼につくほどの成功を遂げたか否かを、大いに疑うものである。
『ゴドウィン氏は曰く、「一定の種類の能力が吾々の現在の観察の範囲以上であるからといって、それが人類精神の限界以上であると結論するほど、非学問的なことはあり得ない」と。私の学問観はこの点においてゴドウィン氏のそれと非常に異ると告白せざるを得ない。学問的推測と予言者ブラザズ氏の主張との間に私が認める唯一の相違は、前者は吾々の現在の観察から生ずる徴候に基礎を置いており、後者は全然根拠がない、ということである。私は、人類科学のあらゆる部門、なかんずく物理学において、大きな発見がなお行われることと期待するが、しかし将来に関する吾々の推測の根拠として過去の経験をとらない時には、いわんや吾々の推測が過去の経験に絶対に反するならば、吾々は不明という広野に放り出され、そしてその時にはいかなる想定も等しく正しいということになる。もし誰かが私に、人間はついにはその前面と共に背後にも眼を有つようになると教えてくれるならば、私はこれは便利だと認めはするが、しかしそんなことは信じられないとして、その理由に、かかる変化が少しでも起りそうだと推論し得る徴候は過去に全然見られないということを挙げるであろう。もしこれがこれが有効な反対論と認められないならば、一切の推論は似たものであり一切は等しく学問的だということになる。私は、吾々の現在の観察の範囲においては、人間は四箇の眼と四本の手を有つようになるとか、木は垂直に生えずに水平に生えるようになるとかいうのと同じく、人間は地上において不死になるという何の純粋な徴候もないように、私には思われると告白せざるを得ない。
『全然予見も予期もされなかった多数の発見が既に世界に行われている、とおそらく云われるであろう。これが事実であることは私は承認する。しかしある人が過去の事実による何の類推や徴候によっても導かれずにこれらの発見を予言したとすれば、彼は透視家や予言者の名に値するであろうが、しかし学者の名には値しない。我が近代の発見のあるものはテシウスやアキレスの時代のヨオロッパの未開住民を驚かすことであろうが、このことはほとんど何の証明にもならない。機械の力をほとんど全く知らないものはその結果を想像し得るとは期待し得ない。私は決して、現在吾々は人類精神の能力を十分知り尽していると云うものではない。しかし吾々は確かに、四千年前よりもこの器官について余計知っている。従って吾々は、適任の判定者と呼ぶことは出来ぬかもしれぬけれども、未開人よりは、何がその能力の範囲内でありまた何がそうでないかを遥かによく判断することが出来る。時計は永久動力と同じ驚きを未開人に与えるであろうが、しかし、前者は吾々には最も馴染の器械であり、後者は最も鋭い知識を有つ人の努力を絶えず無効にしているのである。多くの場合において現在吾々は、最初立派に成功の見込があると思われた発明の無限の進歩を妨げている原因を知ることが出来る。望遠鏡の最初の改良者は、鏡の大きさと管の長さを増すことが出来さえすれば、この機械の能力と利益とは増すものと、おそらく考えたであろう。しかし経験がその後教えるところによれば、視野が狭く、光線が足らず、また拡大する大気の事情があるので、異常な大きさと能力を有つ望遠鏡から得られると期待された便宜な結果は得られないのである。多くの知識部門において人間はほとんど不断に多少の進歩をしてきているが、他の部門では人間の努力はいずれも失敗に終った。未開人はおそらくこの大きな相違の原因を想像し得ないであろう。吾々はそれ以上経験を積んでいるので、いささかその原因を判断し得るようになったのであり、従って、将来何を期待してよいかということではないとしても、少くとも将来何を期待してはならぬかという消極的ではあるがしかし極めて有用なことについて、よりよく判断することが出来るようになっているのである。
『睡眠の必要は精神よりもむしろ肉体に依存するように思われるから、精神の進歩がいかにしてこの「顕著な弱点」を排除する傾向が大いにあるのか明瞭でない。精神に大きな刺戟を受ければ、二、三日眠らないでいられる人は、それに比例して肉体の力を消耗している。そしてこの健康と力の減少は、直ちに彼れの悟性の働きを妨害する。従ってかかる大きな努力を払っても、彼は、この種の休息の必要を排除する上で、何らの真の進歩をもしていないことがわかる。
『吾々がいくらか知っている色々の人には、確かに、その精神的精力やその博愛の志向などに関して、十分に顕著な相違があるので、吾々は、智力の作用が人類の寿命を延長する上に何らかの決定的な効果を有するか否かを、判断することが出来る。この種の決定的な効果は今まで何も認められないことは確かである。いかに注意して見ても、人間が不死に接近したと少しでも思われるような結果は今まで得られないが、しかし二者のうちでは、肉体に注意した方が精神に注意するよりも、この点において効果が多いように思われる。中庸を得た食事をとり注意深く規則的に運動をする人は、智的な研究に熱中してしばしばしばらくこれらの肉体的要求を忘れる人よりも、一般に健康なことが見られるであろう。隠退をし、その考えはおそらくその小園の範囲以上には及ばず、午前中小屋の廻りをこねまわしている市井人の寿命も、おそらく、その知識の範囲は最も広く、その思想は同時代人の誰よりも明かな学者の寿命と、同じほどであり得よう。死亡表を研究した人は、女子は平均して男子よりも長命であることを、実証している。そして私は女子の智的能力は劣るとは決して云うものではないが、しかし思うに、教育が違うので、女子は男子ほど、激しい精神的事業に従事するものは多くないことは、認めなければならない。
『これらの例やまた類似の例でも、またはもっと広い範囲をとって、数千年間に存在した各種各様の性質をもつ人々においても、智能の作用による何の決定的変化も人類の寿命には見られないのであるから、地上の人間は死すべきものなりということは、自然の法則中の最も恒常なるものと同様に完全にまたこれと正確に同一の根拠の上に、確立されていると思われる。宇宙の創造者の力の直接の発揮によって、なるほど、これらの法則の一つまたは全部は、突如としてかまたは徐々として、変化するかもしれないが、しかしかかる変化のある徴候が存在しなければ――そしてかかる徴候は存在しないのであるが――人間の寿命は一定の限度以上に延長し得ると考えるのは、地球の引力は徐々として反発力に変り、石はついには落ちる代りに昇り、または地球はある時期にはもっと陽気なもっと熱い太陽のところへ飛んでいくと考えるのと全く同様に、非学問的なことである。
『この章の結論は、疑いもなく、極めて美しく望ましい光景を吾々に見せてくれるが、しかし空想で描き真実を写さない風景画のあるものと同様に、自然と確からしさのみが与え得る興味を心にわかすことは出来ないのである。
『私はこの問題を終るに当って、不滅を求める霊の希いの極めて興味ある実例として、人類の寿命の不定限の延長に関するゴドウィン氏とコンドルセエ氏のこれらの臆説に、触れざるを得ない。これら両紳士は他の状態における永遠の生命を絶対的に約束する啓示の光明を拒否している。彼らはまた、あらゆる時代の最も有能の智者に霊の未来の存在を指示した自然宗教の光明を拒否している。しかも不死の観念は人間の精神に極めてよく合うので、彼らはこれを自分らの主義から全然駆逐するわけには行かないのである。彼らは唯一の蓋然的な不死のあり方について気難かしくあれでもないこれでもないと疑ってみた上で、自家特有の一種の不死を打樹てたが、この不死たるや、あらゆる学問的蓋然性の法則と全く矛盾するばかりでなく、またそれ自身において最高度に狭隘な偏頗な不当なものである。彼らは、今まで存在したことがありまたは将来数千年またはおそらく数百万年に亙って存在すべきもののうち、偉大な有徳な高尚な人間は、すべて無に帰してしまい、一度に地上に存在し得る数を超さぬ少数のものだけがついには不死の王冠をさずけられると想像している。かかる教義が啓示の教義であると云われたならば、確かにすべての宗教の敵は、またおそらくこれに属するゴドウィン氏やコンドルセエ氏は、これをもって、人間の愚鈍が発明し得る神のうちで、最も子供らしい、最も不合理な、最も貧弱な、最も憐れむべき、最も不正不当な、最も無価値なものとして、全力を尽して嘲笑し去ったであろう。
『かかる臆説は懐疑論の矛盾の何と著しい興味ある証拠を示すことであろう。けだし、最も普遍的な経験と絶対に矛盾する主張を信ずることと、何物とも矛盾しないがただ吾々の現在の観察と知識との能力が及ばぬに過ぎぬ主張を信ずることとの間には、極めて顕著な本質的な相違があるからである1)。吾々の周囲の自然物は各種各様であり、吾々の眼前に現われる大偉力の事例は多数であるから、吾々は、自然の形態や作用にして吾々の未だ観察しないもの、またはおそらく吾々の現在の限られた知識をもっては観察し得ないものが、多数にあると考えて差支えないのである。自然的肉体から霊魂の姿に復活するということは、それ自身としては、穀粒から小麦の葉が生じたりどん栗から樫の木が生ずること以上に不思議なこととは、思われない。無生物や完全成長物しか知らず、そして発育や成長の過程を見たことがないという境遇にある一人の知識人があると考え、そこにもう一人の人が来て、一粒の小麦と一箇のどん栗という二小物体を彼に示し、これを試験しまた望みならば分析してその性質と本性を発見してみよと云い、次いで彼に告げて、これら小物体はいかにつまらぬものに見えるかは知れないが、これを地中に播けばその周囲の一切の塵埃と湿気の中で自分の目的に最も適合する部分を選び分け、驚くべき嗜好と判断と実行力とをもってこれらの部分を蒐集し、配列し、最初に地中に播かれた小物体とはほとんどいかなる点でも似ない美しい姿に成長するところの、選択、結合、配列の、またほとんど創造の、興味ある能力を有つものである、と教えたとしよう。私が仮定したこの仮想の人間が、この場合、彼れの周囲に見かつその存在を彼自身が知っている一切のものの原因たる全能の神は人類の死と腐敗とに当って威力を発揮して思想の本質を無形のまたは少くとも不可視のものに作り上げてこれに他の状態におけるより幸福な存在を与えるのだと教えられた場合よりも、いっそう躊躇し、いっそうよい典拠を要求し、いっそう有力な証拠を要求した上でなければ、以上の奇妙な主張は信ずることにはならないことを、私はほとんど疑わないのである。
1) 吾々の視野を現世以上に拡大する時には、権威、または臆説、及びおそらくは実際曖昧な不定な感情以外には、吾々を導くものはあり得ない。従って私がここで述べるところは、私が前に述べた、過去におけるある種類の類推により指示されない特別の事柄を予期するのは非学問的であるということとは、いかなる点においても矛盾するものではないと私には思われる。誰もそこから帰ったことのない世界のこととなれば吾々は必然的にこの法則を棄てなければならぬ。しかし地上で起ると予期され得る事柄については、吾々はこの法則を棄てればほとんど学問と離れてしまうのである。しかしながら、類推には思うに大きな幅がある。例えば人間は自然の法則を発見した。従ってこれから類推すれば、人間は更に多くの法則を発見するであろう。しかしいかなる類推も、人間が第六感を発見するとか、または全然吾々の現在の観察の範囲以外の、人類精神における新種の能力を発見するとかいうことは、示していないようである。
『吾々自身の理解力に関し、右の後者の主張に不利な唯一の相違は、第一の奇蹟1)は吾々が再々見ているが、第二の奇蹟は吾々が未だ見ていない、ということにある。私はこの相違が有つ重要性は十分に認めるが、しかし確かに何人も、啓示は問題外として、吾々が見ることの出来ない多数の自然の作用の一つに過ぎないかもしれぬ自然的肉体から霊的な姿への復活は、啻に今まで何の徴候も前兆も現われていないばかりでなく今まで人間の観察し得た自然の法則の中の最も恒常的なるものの一つに正面から矛盾する地上における人間の不死に比べれば、これよりも不定限にあり得る事柄である、と断言するに一瞬も躊躇しないのである。
1) あらゆる種子が示す選択、結合、変性の能力は真に奇蹟的である。かかる小物体にかかる驚くべき力が含まれているとは誰が想像し得よう。私にとっては、有能な自然の神がかかる作用の中に完全に現われていると考える方が、遥かに学問的であると思われる。この全能の神にとっては、どん栗があってもなくても樫の木を作り上げるのは同じく容易であろう。種子を地中に播くという予備行為は、物質を精神に覚醒させるために必要な多くの刺戟の中の一つの刺戟として、人間がするように命ぜられたのでしかない。世界は精神の創造と形成のための一大過程であると考えるのは、吾々の周囲の自然現象とも、人生の各種の出来事とも、人間に対する神の継続的啓示とも、等しく相容れ得る思想である。この大熔鉱炉からは必然、形の悪いものがたくさん出てくるであろう。かかるものは無用のものとしてこわして捨て去られるであろうが、しかしその形が真理と優雅と愛らしさに溢れるものは、有能の創造者の御前近きより幸福な地位へと運ばれるであろう。
『多数の人はかかる臆説は、余りにも不合理で、ありそうもないことであるから、全然論ずる必要はないと考えるであろうということを、私は気がついているのであるから、これについてこんなに長々と縷説するについてはおそらく私は読者にもう一度詫びなければ[#「詫びなければ」は底本では「詑びなければ」]ならないであろう。しかしもしそれが私の考えるほど可能性に乏しく真の学問精神に反するものであるならば、率直に検討してその旨を述べていけないことがあろうか。一見したところいかに不可能に見える臆説であっても、それが有能有為な人の述べたものであるならば、少くとも検討に値すると思われる。私自身としては、地上における人間の蓋然的不死に関する意見には、それを証明するために持出されている現象相当の敬意を、喜んで払いたいと思う。かかる出来事が全然ありそうもないことときめるまでは、かかる現象を公平に検討すべきである。そしてかかる検討によって、私は、木の丈は不定限に延ばすことが出来るとか、馬鈴薯は不定限に大きくすることが出来るとかいうこと以上に、人間の寿命は不定限に延長することが出来ると想像することには理由がない、と結論し得ると思うのである1)
1) ゴドウィン氏は人類の寿命の不定限の延長に関する思想を、単に一つの臆説として述べているに過ぎないけれども、しかし彼は自分の考えではこの仮定を支持すると思われる二、三の現象を提出しているのであるから、彼は確かにかかる現象を検討してもらいたかったのに違いない。そして私が企てたことは要するにこの検討に外ならない。

『第十三章


『私がこれまで検討してきた章の中で、ゴドウィン氏は、人口原理からする彼れの平等主義に対する反対論を考察すると言明している。思うにこの困難がいつ生ずるかという点に関し彼が述べているところは非常に誤っているのであり、その時期は幾万世紀はおろか、実際は三十年も後ではなく、または三十日後でさえないことは、既に明かになったところである。従ってこの章の中で、この反対論を打破する傾向が多少なりともある唯一の議論は、両性間の情欲の絶滅に関する臆説である。しかしこれは、これを証明する最小の証拠の影さえもない単なる臆説なのであるから、反対論はその力を少しも殺がれずに妥当すると云って差支えなかろう。そしてそれは疑いもなく、それ自身で全くゴドウィン氏の全平等主義を覆えすに足る力を有つものである。しかしながら私はここにゴドウィン氏の推理の重要な部分の若干について一、二の考察を加えてみることとするが、これは、彼がその「政治的正義」において吾々をして冀望に堪えざらしめた人間と社会との性質の大進歩について、吾々がほとんど合理的に希望を懐き得ないものであることを、いっそう明かならしめるに役立つことであろう。
『ゴドウィン氏は、人間を単に智的な存在であるという方面だけから考察し過ぎている。この誤り、または少くとも私が誤りと考えるものは、彼れの全著を貫いており、彼れの一切の推理と混り合っている。人間の随意的行動はその意見に発するものであるかもしれないが、しかしかかる意見は、理性的能力と肉体的性向との混合体たる人間にあっては、全然智的な存在における場合とは、大いに異るものとなるであろう。ゴドウィン氏は、健全なる推理と真理とはこれを適当に人に伝え得るものであることを証明するに当って、まずこの命題を実際的に検討し、しかる後附言して曰く、「かかるものが、漠然たる実際的な見解において検討された場合にこの命題の採る貌である。厳密なる考察においては、それには議論の余地がないであろう。人間は理性的存在である、云々1)」と。これは厳密な考察であるどころか、最も漠然たる最も誤れるこれが考察法であると云わざるを得ない。これは落体の速度を真空管の中で計算した上で、いかなる抗体の中を落下しようとも同じことだと固執するのと同じである。これはニュウトンの研究法ではなかった。一般的命題を特定の場合に適用して正しい場合は極めて少ない。単に距離の平方に反比例するだけの力によって、月は地球の周囲のその軌道にあるのではなく、また地球は太陽の周囲のその軌道にあるのではない。一般理論をこれらの天体の運行に適用して正当ならしめるためには、月に及ぼす太陽の撹乱力及び地球に及ぼす月の撹乱力を正確に計算しなければならなかった。そしてこれらの撹乱力が適当に測定されるまでは、これらの天体の運動に関する実際の観測は、理論は正確に真実ではないということを証明することになったであろう。
1) B. 1. c. 5. p. 89.
『私は、あらゆる随意的行為の前には精神の決定があることを、喜んで承認する。しかし人間の肉体的性向がかかる決定において撹乱力として極めて有力に働くものでないと云うならば、それはこの問題に関する正当な理論と私が考えるところに著しく反するものであり、また一切の経験に対する明かな矛盾である。従って問題は単に、人間は明白な命題を理解せしめ得るであろうか、または争い得ない議論によって承服せしめられ得るであろうか、にかかるに過ぎぬのではない。真理は理性的存在としての彼に確信せしめることは出来ようが、しかし彼は混合的存在としてはこれに反して行動することを決意することもあろう。飢餓による熱望や酒類の愛好や美しい女を手に入れたいという願望は、人々を馳って、その行為の時にそれが社会の公共の利益に致命的結果を与えることを全く十分承知の上で、かかる行為をおかさせるであろう。彼らの肉体的願望を取り去るならば、かかる行為に反対の決意をするのに彼らは一瞬も躊躇しないであろう。同一の行動を他人がやった場合にその意見を訊ねれば、彼らは即座にこれを非難するであろう。しかし彼ら自身の場合、これらの肉体的熱望があるという一切の事情の下においては、混合的存在としての人間の決定は理性的存在の信念とは異るのである。
『もし以上がこの問題に関する正しい考え方であるとすれば――そして理論も経験も相共にそれが正しいことを証明しているが――ゴドウィン氏がその第七章で強制の問題について論じていることのほとんど全部は、誤謬に基づくことがわかるであろう。彼はしばらく時間を費して、なぐって人に理解させたり心の中の疑わしい命題を払拭したりしようとする企てを、馬鹿々々しい形で示している。疑いもなくそれは馬鹿々々しくもあれば野蛮でもある。それは闘鶏も同様である。しかし前者は後者よりも、人類の刑罰の真の目的により多く関係があるわけではない。刑罰のよくある(しかもあり過ぎるほどよくある)型は死刑である。ゴドウィン氏はこれを人に悟らせるためのものであるとは考えないであろう。そして少くとも、このようにして悟らせても個人または社会がそれから将来の利益を多く収穫し得るとは考えられないのである。
『人類の刑罰の主たる目的は疑いもなく監禁と例示であり、監禁というのは、すなわち社会に有害なおそれのある悪習を有つ個人を除去することであり、また例示というのは、特定の犯罪に関する社会の感情を表明し、犯罪と刑罰とをいっそう密接明瞭に関連せしめて、もって他人をして犯罪を犯させないようにする道徳的動機を提出するものである。
『ゴドウィン氏は、監禁は一時的便法としては許してもよいと考えているが、しかし彼は、犯人の道徳的改善のためには最も有効であり実にほとんど唯一の企てであった独房監禁を非難している。彼は独居によって醸成される利己的情欲を論じ、社会において発生する徳性を論じている。しかし確かにかかる徳性は獄舎という社会において発生することはない。犯人が有能有徳の人々の社会に幽置されるならば、彼はおそらく独房の場合よりも改善されるであろう。しかしこれは実行出来るであろうか。ゴドウィン氏の才能は実際的な救治策を教えるよりも害悪を発見する方にしばしば用いられているのである。
『例えば刑罰は全然非難されている。例示を余りにも印象的にし恐ろしくしようと努めた結果、国民はなるほど最も野蛮残虐な行為に陥ってしまった。しかしある制度の濫用があるからといって、それはその制度の有用性を否定し得る論拠となるものではない。我国では殺人犯発見のために不撓の努力が払われており、またそれは確実に処罰されるので、これは、庶民がしばしば口にする、殺人犯は遅かれ早かれ見つかるという感情を発生せしめるに、大いに貢献している。そして殺人はその結果としていつも恐怖の中に置かれているから、感情にたけっている人間も、その匕首を復讐の満足のために用いないようにと自らこれを捨ててしまう。イタリアでは殺人犯も神殿に逃れれば罪を免れることが多いので、この犯罪は同じようには嫌悪されておらず、従ってその数も多い。いやしくも道徳的動機の作用を知るものは、イタリアにおいてあらゆる殺人が必ず処罰されていたならば、感情に駆られて小剣を用いることは割合になかったであろうということを、一瞬といえども疑い得ないのである。
『人間の法律が刑罰を犯罪に正確に比例されているとか、比例させ得るとかいう馬鹿なことを云うものは、ないであろう。人間の動機は測り知れぬものであるから、こういうことは絶対に不可能である。しかし、この不完全があるからといって、それは一種の不正義とは称し得ようが、人類の法律はいらぬという論拠となるものではない。二つの害悪の中の一つをしばしば選ばなければならぬのは、人間の運命である。そしてより大きな害悪を防止するためにはこれが考え得る最上の方法だということがわかれば、それでその制度を採用する十分の理由となるのである。絶えざる努力を払っていれば、疑いもなく、かかる制度を、その性質が許す限り完全なものとしていくことが出来よう。しかし人間の制度のあらさがしをするほど容易なことはなく、適当な実際的改善を示唆するほど困難なことはない。才能ある人で後者の研究よりも前者の研究に時間を投ずるものの方が多いのは、遺憾千万なことである。
『普通云われているように知識の多いものがしばしば罪を犯すのは、真理はこれを信ぜしめることが出来ても必ずしも行動の上に適当な結果を現わし得ないものであることを、十分に証明するものである。またほかの真理には、おそらく人から人へは適当に伝達し得ない性質のものがある。ゴドウィン氏は、智的快楽は感覚的快楽に優るということを根本的真理と考えている。あらゆる事情を考察した上で、私は彼に同意したいと思うが、しかし私はこの真理を、智的快楽を感じたことのないものにどうして伝達したらよいのか。これは盲人に色彩の性質と美との説明を企てるようなものである。私がいかに苦労し、辛抱し、明瞭にし、出来るだけ繰返して説明してみたところで、私の目的を少しでも達することは絶対に望みがないように思われる。吾々の間には共通の尺度がないのである。私は一歩一歩と進むことも出来ない。けだしそれは絶対に証明し得ない真理なのである。私の云い得ることは、あらゆる時代の最も賢明な最も善良な人間は、智的快楽を遥かに重んずることで一致しており、また私自身の経験は彼らの決定の真なることを完全に確証しており、私は感覚的快楽が空しい一時的なものであり絶えず倦怠と嫌悪とを伴うものなることを知ったが、智的快楽は私には常に新鮮で若々しく、これに費した時間を満足ならしめ、人生の新らしい妙味を与え、私の心に永続的平安を展開した、というだけである。もし彼が私を信用すれば、それは私の権威を尊敬し崇拝するからのことでしかない。それは軽信であって確信ではない。私は真の確信を生ずるような性質のことは何も云わなかったのであり、またこのようなことは云い得るはずがない。事柄は推理に属する事柄ではなく経験に属する事柄なのである。彼はおそらく答えて云うであろう、あなたの云うことはあなた自身や多くの紳士諸君にはその通りであるかもしれないが、私自身としてはこの問題についてそうは考えない、と。私もよく本を披くが、ほとんどそのたびに眠ってしまう。しかし華やかな仲間や美しい婦人と一晩を過す時には、私は溌剌となり元気になって、真に私の生命を楽しむのである。
『かかる事情の下においては、推理や議論は成功を期待し得る用具ではない。ある将来の時期にはおそらく、感覚的快楽が真に飽満し、または精神力を覚醒するある偶然の出来事が起って、四十年間も最も辛抱強く最も巧妙に説いても出来なかったことが、わずか一箇月で出来ることになるかもしれない。

『第十四章


『もし前章の推理が正しいならば、人間の随意的行動はその意見に発するという命題からゴドウィン氏が抽き出している、政治的真理に関する系論は、明かに確立されたということにはならないであろう。その系論とは曰く、「健全なる推理と真理は、適当に伝達された時には、常に誤謬に対し勝利を得なければならぬ。健全な推理と真理は、かくの如く伝達せられ得るものである。真理は全能である。人間の罪悪と道徳的弱点とは打ち克ち得ないものでない。人間は完全化し得る。換言すれば永続的改善を受け入れ得る。」
『最初の三命題は完全な三段論法と考えることが出来る。適当に伝達されるならば、というのが、行動の上に適当な結果を及ぼすような確信の意味ならば、大前提は認められようが小前提は否定される。結論すなわち真理の全能ということはもちろん地に倒れる。適当に伝達されるならばというのが、単に合理的能力の確信の意味ならば、大前提は否定されなければならず、小前提はただ証明し得る場合に限って真実であるに過ぎず、従って結論は等しく倒れてしまう。第四の命題は前の命題の云い方を少し変えただけであるとゴドウィン氏は云っている。もしそうならば、それは前の命題と運命を共にして倒れなければならぬ。しかし、本書の主要な議論と関連させて、人間の罪悪と道徳的弱点とはこの世では決して全滅し得ないものであると吾々が考える特別の理由を研究してみるのは、無用のことではなかろう。
『ゴドウィン氏によれば、人間なるものは、その根源たる胚種が生命を受けた最初の瞬間から彼が受けた継続的印象によって形成された生物である。悪い印象を全然受けないような地位に人間が置かれ得るとすれば、このような状態に徳性なるものが存在し得るか否かは疑問の余地があろうが、罪悪は確かに消失せしめられるであろう。政治的正義に関するゴドウィン氏の著作の一大特色は、私が間違っていないならば、人間の罪悪と弱点の大部分は政治的社会的制度の不正から発するものであり、従ってこれらの制度が除去され、人間の悟性が更に啓発されるならば、この世には罪悪への誘惑はほとんどまたは全くなくなるであろうということを、証示せんとするにある。しかしながら、これは全然誤った思想であり、いかなる政治的または社会的制度がなくとも、確定不変の自然法則によって、人類の大部分は常に、欠乏その他の情欲から生ずる悪い誘惑を免れ得ないものであることは、(少くとも私の考える限りでは)既に明かに立証されたのであるから、ゴドウィン氏の人間の定義によっても、かかる印象、及び印象の組合せが、世の中に浮動し廻れば、必ず各種の悪人を生ぜざるを得ない、ということになる。性格の形成に関するゴドウィン氏自身の見解によれば、かかる事情の下において万人が有徳の君子たりそうもないことは、骰子さいころを百度投じて六が百度出そうもないのと確かに同様である。各個人の現在の性格は彼が生れた時以来受けた印象の組合せにより形成されたのであると仮定すれば、骰子を何度も続けて投じた時に現われる各種の組合せは、この世に必然的に存在しなければならぬ各種各様の性格をよく現わすものと、私には思われる。そしてこの比較はある程度、例外がいつか一般法則となるとか、偶然異常の組合せが頻々と出るとか、世界のあらゆる時代における大有徳者の事例がいつか普遍的事実となるとか想像することの、不合理なことを証示するであろう。
『私はゴドウィン氏が次の如く云うかもしれぬことを知っている。すなわち、この比較は一つの点で不正確なのであり、すなわち一方の骰子の場合においては、先行原因、または先行原因に関する機会は常に同一であり、従って私には前に骰子を百度投じた時より次に百度投じた時の方が六が余計出ると考えるべき十分な理由はあり得ない。しかし、人間はある程度性格を形成する原因に影響を及ぼす力を有つのであり、従って善良な有徳な人が出来ると、それはいずれも、必ずや有つべきその影響によって、もう一人の有徳な人が生ずる蓋然性をむしろ増加するのであるが、しかし骰子の六が一度出たからといってもう一度それが出てくる蓋然性を確かに増加するものではない、と。私はこの比較の正しさに対する右の反対論を承認するが、しかしこの反対論の正しいのは部分的であるに過ぎない。最も有徳な人間の感化といえども悪への非常に強い誘惑に対し勝を占めることの滅多にないことは、経験が繰返し確証しているところである。それは疑いもなく若干の人には影響を及ぼすであろうが、それより遥かに多数の人の場合は失敗するであろう。もしゴドウィン氏が、悪へのかかる誘惑が人間の努力によって打ち克ち得るものであることを証明し得たならば、私はこの比較を止めにしよう。または少くとも、人間は腕の振り方が非常にうまくなっていつでも六を投ずることが出来ることを、承認しよう。しかし人格を形成する印象の極めて多数が、腕の上手な振り方と同様に、人間の意思から絶対に独立している限り、――世界の将来における徳性と罪悪との相対比例を計算しようと企てるのは馬鹿と僭越との骨頂ではあるが、――人間の罪悪と道徳的弱点とは全体として見れば打ち克ち得ないものであると云って差支えないであろう。
『第五の命題は前四者の概括的演繹であり、従ってその基礎が倒れたのであるから崩れるであろう。ゴドウィン氏が云う可完全化という言葉の意味では、人間の可完全化性は、先行命題が明かに確立されていない限り、主張せられ得ない。しかしながらこの言葉の有つ一つの意味で、おそらく正しいと思われるものがある。人間は常に改善を受け入れ得るとか、人間が完成の最高絶頂に達したと云い得るような歴史上の時期は過去にも将来にも決してないとかいうことなら、云っても間違いはない。しかしそれだからといって、吾々の人間を改善しようという努力は常に成功するとか、人間は非常に長い時代を経れば完成に向って長足の進歩をするとかいうことには、ならないのである。吾々が推論を下し得る唯一のことは、人間の改善の正確な限界はおそらく知り得ないということである。そして私はもう一度読者に、今の問題において特に注意しなければならぬと思われる区別のことを、思い出してもらいたい。私の云うのは、無限の改善と限度を確定し得ない改善との間の本質的差異のことである。前者は現在の法則と性質との下にある人間には当てはめ得ない改善である。後者は疑いもなく当てはめることが出来る。
『人間の真の可完全化性は、前述の如くに、植物の可完全化性によって例証することが出来よう。有為な花卉師かきしの目的は思うに大きさと均斉と色彩の美とを結合するにある。最も上手な改良家といえども、これらの性質が最大可能の完成状態にあるカアネイションを有っていると云うならば、それは確かに僭越なことである。彼れの花がどんなに美しかろうとも、世話の仕方を変え土壌を変え日当りを変えるならば更にいっそう美しいのが出来るかもしれない。しかし、彼が完成に達したと考えるのが不合理なことを知りながら、また彼が現在有っている程度の花の美をどのような方法で作り上げたのかを知りながら、しかも彼は同じ方法をもっと努めれば、もっと美しい花が出来るということに自信があり得ないのである。一つの性質を改善しようとしてもう一つの美をそこねてしまうかもしれない。その大きさを増そうとして肥料を余計使えばおそらくがくが破れて直ちに均斉が失われてしまうであろう。同様にして、フランス革命をもたらし人類精神により大なる自由と精力とを与えるために無理に肥料を使ったら、あらゆる社会の抑制的覊絆きはんたる人類の萼が破れてしまい、そして一つ一つの花弁はいかに大きくなったにしろ、その若干はいかに強くまたは美しくさえなったにしろ、その全体は現在、弛んだ、形の崩れた、結合のない集りとなり、統一も均斉も色彩の調和もないのである。
『なでしこやカアネイションを改良しようと思ったら、これをキャベジのように大きくすることは望み得ないけれども、努力を続ければ現在あるものよりも美しいものを得ることは疑いもなく出来よう。何人も人類の幸福の改善の重要なことを否定し得ない。この点におけるあらゆる進歩は、たとえどんなに小さなものでも、極めて価値あるものである。しかし人類に関する実験は無生物に対する実験とは類を異にする。花が破れても大したことではない。ほかの花がまもなく咲くであろう。しかし社会の覊絆が破れれば各部分はばらばらになってしまって、必ずや幾千の人々に最も痛切な苦痛を与えることとなる。そしてその傷がもう一度癒えるまでには、長い時間が経ち、多くの窮乏に耐えなければならぬのである。
『私が検討してきた五命題は、ゴドウィン氏の架空の構造物の柱石であり、また実に彼れの全著作の目的と傾向とを示すものと考え得るのであるから、彼れの別々の推理の多くがいかに優秀なものであろうとも、彼はその企図の大目的において失敗したものと考えなければならない。人間の性質が混合的であるために生ずる困難を彼は十分に解決していないが、これを別としても、人間と社会との可完全化性を否定する主たる議論は、依然として完全であり彼が提出したところによって何ら打撃を受けていないのである。そして私が自分の判断力を信じ得る限り、この議論は、啻にゴドウィン氏が解する広い意味における人間の可完全化性に対してのみならず、また一般社会の形態及び構造における極めて顕著な改善に対しても、最終決定的な反対論であると思われる。ここで私が一般社会の形態及び構造における極めて顕著な改善と云うのは、人類のうち最多数の、従ってまたこの問題を概観するに当って最も重要な部分たる、人類の下層階級の境遇の、大きな決定的な改良のことを云うのである。仮に私が千年生きても、自然の法則が依然として同一であるならば、人の住み古した国においては富者がどれだけの犠牲を払いまたは努力をしても、社会の下層階級の境遇を、しばらくでも、約三十年以前の北アメリカ合衆国における庶民の境遇と等しくすることは、決して出来ないと主張することが、経験に対する矛盾であるとは思われないし、またはむしろ経験に対する矛盾であってくれればよいがとも思わないことであろう。
『ヨオロッパの下層階級の人民は、ある将来の時期には現在よりも遥かによい教育を受けるかもしれない。彼らはそのわずかの余暇を酒屋で過すよりもよい色々な仕方で過すように教えられるかもしれない。彼らはおそらくいかなる国に今まで行われたものよりもよくかつ平等な法律の下に生活するようになるかもしれない。そして私は、彼らは今よりも多くの余暇を有つ蓋然性はなくとも可能性はあるとさえ思う。しかし事の性質上、彼らは、多数の家族に容易に衣食を与え得るという確信をもってすべて早婚し得るほどの貨幣や生活資料は、これを与えられ得ないのである。

『第十五章


『ゴドウィン氏は、その著「研究者」の序文の中で、「政治的正義」を著わして以来その説が多少変化したことを示唆するような文句を若干書いており、そして後の書は今では出版以来数年になるから、私は著者が自ら変更の理由ありと認めている意見に反対しているのだと考えるべきでないのであろうが、しかし「研究者」の中の論文のあるものには、ゴドウィン氏特有の考え方が、前と同じく明かに現われているのである。
『何事でも完全の域に達することは望み得ないけれども、しかし眼の前に最も完全な手本を置くのは常に吾々に有益なことに違いない、としばしば云われている。この言葉はもっともらしい外貌を有っているけれども、一般的には決して真実ではない。私はむしろ最も明かな例証の一つにおいてもその真なることを疑うのである。私は、非常に若い画家が、すっかり出来上って完全な絵の模写をしてみた場合に、輪郭がこれよりはっきりしており、色の塗り方がこれより容易にわかる絵の模写をした場合と同じだけの利益が得られるか否かを、疑うものである。しかし、手本の完全ということが、吾々が当然目標として進むものと異なった優れた性質の完全性であるという場合には、吾々は啻にそれに向って進む上で失敗するばかりでなく、こんな完全な手本に着目しなかったならば為し得たはずの進歩をも十中八九害してしまうであろう。飢餓や睡眠という懦弱だじゃくな要求を感じないような高度の智的存在は、疑いもなく人間よりも遥かに完全な存在であるが、しかし人間がかかる見本を真似ようとするとすれば、彼は啻にそれに向って進む上で失敗するばかりでなく、真似し得ないものを真似しようという愚かな努力のために、彼はおそらくその改善に努めているささやかな智能を破壊してしまうであろう。
『ゴドウィン氏の描いている社会の形態と構造とが世界に今まであったことのあるいかなる社会形態とも異なることは、あたかも食わず眠らずに生存出来る存在と人間との相違に等しい。吾々が現在の形態における社会の改善をもってしては彼れの描いているような事態に接近し得ないことは、目的の線の並行線上を歩いていながら目的の線に接近しようというのと同じことである。従って問題は、かくの如き社会の形態を吾々の北極星と眼指すことによって、吾々は人類の改善を促進する傾向があろうか、それとも遅延せしめる傾向があろうか、ということである。ゴドウィン氏が「研究者」の中の貪欲と浪費に関する論文においてこの問題に関して与えている結論は、自己本来の議論を否定するもののように私には思われる。
『アダム・スミス博士は、極めて正しく、国民も個人も、節約によって富み浪費によって貧しくなるのであり、従ってあらゆる倹約な人は国の友でありあらゆる浪費者は国の敵である、と云っている。それに対する彼れの理由は、収入から貯蓄されるものは常に資本に加えられ、従って一般に不生産的な労働の維持には向けられず、価値ある貨物に実現される労働の維持のために使用される、ということである。これは、明かに最も正しい言葉である。ゴドウィン氏の論文の主題は外見ではこれにいささか類しているが、しかし本質上はこの上なく違っている。彼は浪費の有害なることをもって周知の真理なりとし、次いで貪慾な人間と所得を消費してしまう人間とを比較している。しかしゴドウィン氏の云う貪慾な人間というのは、少くとも彼が国家の繁栄に対して及ぼす影響から云うならば、アダム・スミス博士の云う倹約な人間とは全然違う人間である。すなわち倹約な人間はより多くの貨幣を得んがためにその所得から貯蓄してその資本を増加し、そしてこの資本を自分で生産的労働の維持に使用するか、またはこれをおそらくこのように使用する他人に貸与する。彼は国家を利するのであるが、それはけだし彼が一般的資本を増加するからであり、また資本として使用される富は啻に所得として費される場合よりも多くの労働を働かすばかりでなくまた労働なるものは更により価値多き種類のものであるからである。しかしゴドウィン氏の云う貪慾な人間は、その富を金庫の中にしまいこみ、生産的たると不生産的たるとを問わずいかなる種類の労働を働かすこともないものである。これは極めて本質的な相違をなすものであり、従ってゴドウィン氏の論文の結論の明かに誤りなることは、アダム・スミス博士の主張の明かに真実なると一般である。実際ゴドウィン氏も、労働の維持のために充てられる基金をかくの如くしまいこんでおけば貧民に不便なことが生ずるのに、気がつかざるを得なかった。従ってこの反対論を弱めるために彼がとり得た唯一の方法として、彼は、この二人の人間を比較するに当って、これを主として、彼がもって吾々の北極星として常に眼を離してはならぬものとした発達せる平等の幸福境に接近する上にいずれが大なる傾向を有つかという点に、限ってしまったのである。
『かくの如き社会状態が絶対に実現しそうもないことは、本書の前の方で証明されたと思う。しからば吾々は、政治的発見の大海においてかかる点を吾々の導標として北極星と目することから、何事を期待すべきであろうか。理性の教えるところは、ただ、永久の逆風と不断の無駄な労苦と再三の難破と確実な窮乏のみである。吾々は啻にかかる完全な社会形態に向ってわずかなりとも実際に接近出来ないばかりでなく、更に、進み得ない方向に進もうとして心身の力を浪費し、たび重なる失敗により必然的に再三の困厄をもたらすために、吾々は明かに、実際出来る程度の社会の改善さえ妨害してしまうであろう。
『ゴドウィン氏の主義によって作られる社会は、吾々の天性の不可避的法則によって、所有者階級と労働者階級とに堕してしまうものであり、社会の主動原則として利己に代えて博愛をもってすれば、これはかくも美しい名前から予想され得るような幸福な結果を生ずることなくして、今では社会の一部分が蒙っていると同じ欠乏の圧迫を社会全体が蒙ることとなることは、既に述べたところである。一切の最も高貴な天才の発揮と一切の霊魂の繊細微妙な発情とを、実際文明社会を未開社会から区別するあらゆるものを、吾々が今日得ているのは、既成の財産制度と一見狭隘な利己の原則の故なのであり、そして文明人の性質のうちには、彼が今までこの優秀な境涯まで上ってきた進歩の梯子を捨て去ってもかまわないという状態に現在または将来あると吾々が断言し得るに足る変化は、今まで何も起っていないのである。
『未開状態を脱したあらゆる社会には、所有者階級と労働者階級1)とが必然的に存在しなければならぬとすれば、労働は労働者階級の唯一の財産であるから、この財産の価値を減少する傾向あるものは一切、この階級の財産を減少する傾向がなければならぬことは明かである。貧民が独立して生活していく唯一の途は、その体力を働かせることである。これが生活必需品と引替に彼が与えるべき唯一の貨物である。しからば、この貨物に対する市場を狭め、労働に対する需要を減少し、彼れの所有する唯一の財産の価値を減少することによって、労働者を利することが出来るとは思われないのである。
1) 本書の主たる議論は、所有者階級と労働者階級との必然性を証明せんとするにあるのであって、決して現在の財産の不平等が社会にとり必要であるとか有用であるとか推論しようとするものではないことを、注意せられたい。反対に、これは確かに害悪と考えらるべきものであり、そしてこれを促進するあらゆる制度は本質的に悪制度であり不得策である。しかし政府が財産の不平等を是正するために積極的干渉を行うことが社会の利益となりうるか否かは、疑問である。おそらく、アダム・スミス博士やフランスのエコノミストが採用した完全な自由という寛大な制度に代えて何らかの抑制制度をとってみても、それはかえってよくないであろう。
『ゴドウィン氏はおそらく云うであろう。交換の全制度は忌わしい不正な取引である。もし本質的に貧民を救済する気であるならば、彼れの労働の一部を自ら負担するか、しからずんばひどい報酬を求めずに自分の貨幣を与えよ、と。ここに提唱されている第一の方法に対する駁論としては、たとえ富者を説いてこのようにして貧民を助けさせることが出来たとしても、この救済の価値は云うに足りない、と云い得よう。富者は自分では非常に重大だと思っているかもしれないが数の上では貧民に比べて極めてわずかであり、従って労働の負担を分っても貧民の負担の一小部分を減じ得るに過ぎないであろう。奢侈品の製造に従事しているものが全部必要品の製造に従事しているものに加えられ、そしてこの必要労働が万人に仲よく分たれるならば、各人の分担はなるほど比較的軽くなるかもしれないが、このように仲よく分け合うのが疑いもなくいかに望ましいことであるとしても、これをいかなる実際的原則1)に従って行い得るかを私は到底考え及び得ないのである。ゴドウィン氏が述べているような厳重に不偏的な正義によって導かれた博愛の精神も、熱心に追及すれば、人類を欠乏と窮乏に陥れるものであることは、既に述べたところである。そこで財産所有者が自分にある相応の分け前だけを残し、その残余を、報酬として何も仕事をさせずに貧民に与えたとした場合に、その結果がどうなるかを検討してみよう。こうしたことがもし一般的に行われるならば社会の現状ではおそらく怠惰と罪悪が生じ、また奢侈品と共に土地の生産物も減少する危険があるのであるが、これを別としてもなおもう一つの故障がある。
1) ゴドウィン氏は実際的原則をほとんど重視していないように思われるが、しかし私には、社会の現状の醜とこれと異る状態の美とを縷説するに止って、前者から後者への前進を促進するために今すぐ行い得る実際的方法を指摘しない人間よりも、たとえそれに劣る善にしろそれに到達する方法を指摘する人間の方が、遥かに大なる人類の恩人であるように思われる、と告白せざるを得ない。
『人口原理によって、物資の適当な供給を受けることの出来る人よりも欠乏に悩む人の方が常に多いことは、既に見たところである。富者の剰余は、三人には十分であるかもしれないが、その獲得を望んでいるものは四人ある。彼がこの四人の中から三人を選び出したとすれば、それは必ずや選ばれた三人に特別の恩恵を施したことにならざるを得ない。この三人はそこで彼に負目を感ぜざるを得ず、またその生活は彼れの御蔭であると感ぜざるを得ない。富者は自分の力を感じ、貧民は自分の従属を感ずるであろう。そしてこれら二つの印象が人類の心情に与える影響は周知のことに属する。従って、私はゴドウィン氏と共に苛酷な労働の害悪を確信するものではあるが、しかもなお私は、この害悪は、従属よりも小さな害悪であり、人類精神をそれほどは堕落せしめるものではないと考える。そして今までのあらゆる人間の歴史は、不断の権力を委ねられた人類精神がいかなる危険に曝されているものであるかを、極めて有力に示しているのである。
『現在の事態においては、なかんずく労働が欲求されている時には、一日の仕事を私にしてくれる人が私に負わせる義務は、私が彼に負わせるところと同じである。私は彼れの要求するものを有ち、彼は私の欲求するものを有っている。吾々は仲よく交換をする。貧民は独立を自覚して堂々と闊歩し、また彼れの雇傭者の精神も権力感によって汚されていない。
『三、四百年以前には、疑いもなく英蘭イングランドには人口に比例して現在よりも遥かに労働が少かったが、しかし従属は遥かに大であった。そしてもし貧民が工業の採用によって、大領主の恩恵に頼ることなく彼らの食料と引替えに何物かを与えることが出来るというようになっていなかったならば、吾々は今日おそらく現在の程度の市民的自由は享受しなかったことであろう。私は商工業の決定的味方の中に自分を数えているものではないが、それに対する最大の敵といえども、それが英蘭イングランドにやってきたときに、それに続いて自由がやってきたのであることを、承認しなければならない。
『上来述べ来ったところは、わずかなりとも博愛の原則を過少評価せんとする傾向を有つものではない。それは、緩慢にかつ徐々として利己から発した最も高貴な最も神々しい人類心情の性質であり、そして、それがひとたび一般的法則として働くようになってからは、その思いやり深い職務は、これを生み出した利己の偏った点をなおし、その粗野なところを是正し、その皺皮をのばすことになければならぬ。これが一切の自然の類推の教えるところである。おそらく自然の一般法則にして、少くとも吾々には、部分的害悪を生ずるとは思われないものは一つもないのであり、そして吾々はしばしば同時に、ある恵み深い掟が、もう一つの一般的法則として働いて、先の法則の不整なるを是正するのを、見るのである。
『博愛なるものの正当な職務は利己から生ずる偏った害悪をなおすにあるのであるが、しかしそれは決してこれに代え得べきものではない。もし何人も、今まさにとらんとする行動が他のいずれよりも一般的福祉に寄与するものであるということを確信出来ない限り、その行動をとることを許されないとすれば、最も優秀な精神を有つ人は当惑と驚駭のうちに行動を躊躇することとなり、そして優秀ならざるものは絶えず最大の誤りばかりしていることになるであろう。
『従ってゴドウィン氏は、必要な農業労働を仲良く全労働者階級に分つ基準たる実際的原則は何も打樹てていないのであるから、彼は、貧民を雇傭することに一般的に悪罵を加えて、到達し得ない善を多くの現在の悪を通じて追及するものの如くである。けだしもし貧民を雇傭する者はすべて、彼らの敵であり、彼らの圧迫を加重するものと、考えらるべきであるならば、またもし吝嗇家はこの理由によりその所得を費してしまう人間よりも尊重すべきものであるならば、現在その所得を費してしまう人間が何人吝嗇家になったところで社会の利益になるということになる。そこで現在各十人を雇傭している十万人がその富を公共の用途のためにしまいこんでしまうと仮定すれば、各種の労働者百万が一切の職を完全に失ってしまうことは明かである。こういうことになれば社会の現状においては広汎な窮乏が生ずることになることは、ゴドウィン氏自身といえどもこれを否定し得ないであろう。そして私は、この種の行為が、その所得を費してしまう者の行為よりも、「人類をその当然の状態に置く」ものであると証明するために、彼はいささか困難を感じないであろうか、と問いたいのである。
『しかしゴドウィン氏は云う、吝嗇家は実際は何もしまいこむものではない。論点は正しく理解されていない。そして富の真の拡大とその性質の定義とは富を例証するように適用されていない、と。従って彼は極めて正当にも、富を定義して人間労働によって生産され育成された貨物であるとした後、吝嗇家は穀物にしろ牛にしろ衣服にしろ家屋にしろしまいこみはしない、と云う。疑いもなく吝嗇家はこれらの物をしまいこみはしないが、しかし実際上はこれと同じことになるそれの生産力をしまいこむのである。これらの物はなるほど、その同時代の人がこれを使用し消費することになるが、その程度は彼が乞食ででもあるかのような程度であって、決して彼がその富を用いてより多くの土地を耕作し、より多くの牛を飼育し、より多くの仕立屋を雇傭し、より多くの家屋を建築した場合のような程度ではない。しかししばらく吝嗇家の行為は真に有用な生産物を阻止しないと仮定すれば、職を失う一切のものは、社会が生産した衣食の適当な分け前を得るために示すべき免状を、どうして手に入れるのであろうか。これこそは打ち勝ち得ない困難である。
『世の中には実際必要な以上の労働があるのであり、そしてもし社会の下層階級が一致して一日に六、七時間以上は決して労働しないことを約することが出来るならば、人類の幸福に欠くべからざる貨物はやはり現在と同程度に豊富に生産され得るということは、私は全く喜んでゴドウィン氏に譲歩する。しかしかかる約束が守られ得ようとはほとんど考えることは出来ない。人口原理によって、あるものは必然的に他のものよりも余計欠乏に悩むであろう。多数の家族を有つものは、当然に、もっと多量の生活資料を得るために二時間だけ余計の労働を提供したいと思うであろう。こういう交換をどうして妨げたらよかろうか。積極的制度によって人間が自分自身の労働を支配する力に干渉するのは、人間が有つ第一の最も神聖な財産の侵犯であろう。
『従って、ゴドウィン氏が、社会の必要労働を仲よく分配すべきある実際案を指摘し得ない限り、彼れの労働罵倒に耳を傾けたところで、それは確かに多くの目前の害悪を生み出すだけであって、彼がその北極星として期待し、そして現在人類の行動の性質と傾向とを決定する吾々の指導者たるものと彼が考えているように思われる、かの発達せる平等の状態に吾々を接近せしめはしないであろう。かかる北極星によって導かれる航海者は難破の危険にあるものである。
『おそらく富を一般的には国家にとり、また特殊的には下層階級にとり、最も有利に使用する方法は、農業者に耕作費を償わない土地を改良し生産的ならしめることであろう。もしゴドウィン氏が、その精力的な雄弁を振って、貧民をかくの如く使用する人間が、これを狭隘な奢侈品を作るために使用するものより優秀であり有用であることを、画き出したのであるならば、あらゆる識者は彼れの努力に喝采したに違いない。農業労働に対する需要の増加は、常に貧民の境遇を改善する傾向がなければならぬ。そして仕事が得られるというのが、この種のことであるならば、貧民は従前八時間働いたと同じ価格で十時間働かざるを得ぬというようなことには決してならず、その正反対が事実となり、そうなれば労働者は、六時間の労働で、従前八時間の労働で養い得た程度に、その妻と家族とを養うことが出来るようになるであろう。
『奢侈品によって作り出される労働は、国の生産物を分配し、しかも財産所有者を権力を与えて害することなく労働者を従属の[#「従属の」は底本では「従層の」]地位に陥れてしまうことのないという上では、有用なものであるけれども、貧民の状態に対し実際農業労働と同一の有利な結果を与えるものではない。工業によって仕事が多く得られるならば、農業労働に対する需要が増加した場合よりも労働の価格は騰貴するかもしれないが、この場合国内の食物量はそれに比例して増加しないであろうから、食料品の価格は必然的に労働の価格に比例して騰貴しなければならぬので、貧民に対する利益は一時的に過ぎぬであろう。この問題に関して私はアダム・スミス博士の「国富論」の一部分に対しあえて一言せざるを得ないのであるが、もっともこれをなすに当っては同時に忸怩たらざるを得ぬのであり、これはけだし政界においてかくも正当に盛名ある人士に異説を提するに際しては私の当然懐かざるを得ぬ感情である。』
 マルサスの第一版におけるゴドウィン批判はこれをもって終るのであり、次いで右の最後のパラグラフで触れられた問題を扱う第十六章に移るのであるが、この第十六章は第二―四版では第七章、第五―六版では第十三章となっている。
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第三章 平等主義について(続)

(訳註)

 〔訳註〕本章は第五―六版のみにあるものであり、第二―四版ではこれと異る章があったのであるが、これは第五版以下では削除された。削除されたものは章末に附することとする。
 その判断力を大いに尊敬している人々は数年来私に勧告して、平等主義、すなわちウォレイス、コンドルセエ、及びゴドウィンに関する部分は、既に著しくその興味を失っており、また人口理論の説明と例証を主題とする本書とは厳密な関係がないから、新版ではこれを削除した方がよかろうと云ってくれた。しかしこれは私を主題の基礎たる研究に導いたものであるから、私としてはこれに多少の執着があるのは当然であるが、これを別としても、私は実際、本書中に人口原理に基づいた平等主義に対する駁論があるべきであり、そしてかかる駁論は、人口原理の例証と適用の中に入れるのが、おそらく最も至当であり、また有効であろう、と思うのである。
 あらゆる人類社会、なかんずく文明開化の最も進んだ社会は、皮相な観察者をして、平等主義や共産主義の採用により尨大な改善進歩が実現され得ると信ぜしめる外貌を有っている。彼らは社会の一方に豊饒を見、他の一方に欠乏を見、その自然的な明白な救治策は生産物の平等分割にありと考える。彼らは、尨大な人間の努力が、些々たる無益な、時には有害なことに浪費されているのを見、これは全然無くて済むかまたはもっと有効に使用出来るはずであると考える。彼らは後から後からと機械が発明されるのを見、これは著しく人間の労苦の総量を軽減すべきものと考える。しかもこれらの一見万人に豊饒と閑暇と幸福とを与えるべき手段があるにもかかわらず、彼らは依然、社会の大多数の人々の労働が減少せず、その境遇はたとえ悪化はしなくとも決して眼に見えて改善されていないのを見るのである。
 かかる事情の下においては、平等主義の提唱が絶えず蒸し返されているのは、怪しむに足らないことである。この問題が十分な討議を経、または改良上のある大きな実験が失敗に帰した後には、この問題はしばらく影をひそめ、そして平等主義の擁護者の意見は、死滅してもはや耳にすることの出来ぬ謬説の中に数えられることになるらしい。しかし、世界が今後幾千年か継続するものとすれば、平等主義は、他の謬説と共に、デュガルド・スチュワアトの比喩を用いれば1)、手風琴の調子のように、ある時期をおいてはまた聞えるという風に反覆されて止まぬであろう。
 1) Preliminary Dissertation to Supplement to the Encyclop※(リガチャAE小文字)dia Britannica, p. 121.
 私がここにこの記述をなし、そして平等主義に関する旧論を削除せずして既にこれに関し述べたところにいささか附け加えようというのは、けだしこの種の復活の傾向が今日1)見られるからである。
 1) 一八一七年記。
 私が衷心より尊敬するラナアクのオウイン氏は最近『新社会観』A New View of Society. と題する一書を著したが、本書の意図は、公衆の心に、労働と財貨との共産制の採用を宣伝せんとするにあるものである。また最近、社会の下層階級のあるものの間に、土地は人民の農場であり、その地代は人民の間に平等に分割されるべきであり、人民はこの自然的遺産から利益を享受する権利があるのに財産管理人すなわち地主の不正と圧迫とによってこれを剥奪されている、という思想が行われていることも、一般周知の事実である。
 オウイン氏は思うに真の博愛家であり、幾多の功績を挙げている。そしていやしくも人類の友たる者は、綿工場における幼年労働時間を制限しまた幼年労働の雇傭を防止する議会の法律の発布を得んとする彼れの尽力の成功せんことを、衷心より希望すべきである。彼は更に、二千の職工と多年に亙る接触をして得たに違いない経験と知識より、また彼独自の経営法から生じたと云われている成功よりして、教育上のあらゆる問題に関しても大いに注目に値する人物である。かかる経験に基づくと称せられる理論は、疑いもなく、机上の理論よりも遥かに多くの考慮に値するものである。
 土地に関する新説の主張者の論拠は確かに極めて薄弱であり、この説そのものが非常な無智を示しているが、しかし社会の労働階級の謬りは常に寛大な考慮を受けてよいはずである。彼らはその境遇の性質上、また一般に彼らに免れがたい無智のために、ちょっとした外見や陰謀家の策略に欺かれて、その無理もない当然の結果として、かかる謬りに陥るのである。従って、極端な場合を別とすれば、識者は常に、性急な方法よりはむしろ忍耐によりまた教育と知識の漸次的普及により、労働者に真実を知らせるように、希望しなければならない。
 前の章で既に平等主義についてあれほど述べたのであるから、ここではこれらの説に長い詳細な駁論を述べる必要があろうとは思われない。私はただ、人口原理に基づく平等主義に対する駁論と、実地適用のためのこの駁論の簡単な再述とを、ここに記録に止める、もう一つの理由を述べておきたいだけのことである。
 平等主義に対する二つの決定的な反対論のうち、その一つは、経験上からも理論上からも、平等の状態は、人間本来の怠惰性を克服し、人間をして土地を適宜に耕作せしめまたその幸福に必要な便宜品愉楽品を製造せしめ得る唯一のものたる、努力への刺戟を生み出すに適しない、ということである。
 次にその第二は、人類は生活資料よりも急速に増加するという周知の傾向があるために、かかる増加が、私的財産の法則や各人が自己の子供を養うべしという神と自然との命により課せられた道徳的義務から生ずるものよりも限りなく残酷な手段によって、阻止せられないかぎり、あらゆる平等制度はまもなく不可避的必然的な貧困と窮乏に陥らなければならぬ、ということである。
 右の議論のうちの第一は、私自身の心には常に全く決定的なものである。境遇の不平等なるものが善行には当然の善果を与え、かつ広く一般的に社会の地位の向上の希望と失墜の恐怖とを鼓舞する如き状態は、疑いもなく人間の精力と才能との発展に最も適し、人類の徳性の実践と進歩とに最も合致するものである1)。そして歴史は、かつて存在したあらゆる平等社会において、この刺戟がないために生ずる沈滞的衰滅的影響を常に例証している。しかもなお、おそらく、この問題に関する経験も理論も、すべてのもっともらしい反対説を排除してしまうほど決定的ではないというのは、本当かもしれない。例えば次の如く云われるかもしれない、すなわち、平等主義が実際に行われた歴史的記録は非常に少く、またそれは野蛮状態以上にほとんど進まない社会のことであり、従って文明開化の非常に進んだ時代に関して正当な断定を与え得ないものである。古代の、かなり平等に近かった社会の実例においては、ある方面の努力に大きな精力が費された事例は決して珍らしくない。近世においては、ある社会、なかんずくモラヴィア人の社会は、その財産の多くは共有であったけれども、彼らの勤労は破壊されることのなかったのが、知られている、と。また次の如くも云われるかもしれぬ、すなわち、人間を蒙昧人の怠惰と無神経から文明生活の活動と叡智とに向上せしめるために、境遇の不平等という刺戟が必要であったとしても、この精神の活動と精力とがひとたび獲得せられて後も同じ刺戟が継続する必要があるということにはならない。その時に至ればおもむろにこの養成法のもたらす好結果を楽しめばよいのであって、この養成法は、他の多くの刺戟と同様に、ある点で好結果を生じた後には、止めてしまわなければ疲労や疾病や死亡が生ずるであろう、と。
 1) 最近公刊された Records of the Creation, and the Moral Attributes of the Creator, by the Rev. John Bird Sumner. の中でこの問題が極めて巧みに取扱われているのを参照。本書は極めて優れた著作であり、早くその価値に当るだけの流布を見ることを希望に堪えない。
 かかる主張は、確かに、人間性を研究した者を信服せしめる如き性質のものではないが、しかしそれはある程度もっともらしいものであり、従って現代においてこれを実験してみようという提案をもって全く不条理な不合理なものであると決めてしまえるほど確実な決定的な駁論を立てるわけにも行かないのである。
 もう一つの、人口原理に基づく平等主義の反対論の特別な利点は、啻にそれが世界のあらゆる時代あらゆる地方においてより一般的にまた一様に経験によって確証されているばかりでなく、それはまた理論上極めて明白であるからこれに対してはいかなるもっともらしい反駁もこれを容れる余地はなく、従ってどんな品のよいことを云ったところで実験を要求することは出来ない、という点にある。問題は、最も簡単な計算を、土地の既知の性質と、ほとんどあらゆる農村で見られる出生対死亡の比率に適用することでしかない。英蘭イングランドには、あらゆる人口稠密な地方に必然的に生じなければならぬ家族扶養上の困難があるのに、しかも記録簿上の遺漏を酌量しなくとも、出生の死亡に対する比率は二対一の教区がたくさんある。この比率を、約五〇分の一という田舎で通常見られる死亡率と一緒にすると、人口は教区から少しも移民が出なければ四一年で倍加し続けることになる。しかしいかなる平等主義の下においても、それがオウイン氏の提唱する如きものであろうと、または土地村落共同体であろうとを問わず、他の教区へ移住しても救済を得る見込がないばかりでなく、更に人口増加率は、最初のうちは云うまでもなく、現在の社会状態におけるよりは遥かに大であろう。しからば私は問いたい、各人に対する土地の生産物の分割量が年々減少していき、ついに全社会とその各個の成員とが欠乏と窮乏によって抑圧されるのを防止するのは、一体何であるか、と1)
 1) スペンス制度においては、『スペンス慈善協会』の書記の発表したところによれば、不幸にして、政府と、また国内の維持団体との、費用として提議された額を与えてしまうと、絶対に何も残らず、そして人民は、最初ですら、また国債はその所有者に何も補償せずに全廃すると仮定しても、その地所から六ペンス銀貨一枚も得ないということになる。
 土地、家屋、鉱山及び漁場の賃料は一億五千万ポンドと見積られているが、これはその実際額の約三倍である。しかもこの法外な見積りによっても、一人当りの分配額はわずかに約四ポンドにしかならぬと計算されているが、これは時に貧民税から個人に与えられる額以上ではない。何と憐れな救与であることか。しかもそれは絶えず減少していくというのである。
 これは極めて簡単明瞭な問題である。そしてこの問題に、少くとも理論上だけでも、合理的解答を与え得ないものは、確かに、平等主義を提唱したり支持したりすべきではない。しかし、理論上でさえ、私はこれに対する合理的解答らしいものを耳にしたことは未だかつてないのである。
 現在の社会組織に従って、進歩せる社会、または進歩しつつある社会状態においては、道徳的抑制が有効なことを大いに強調しながら、同時に、著しい知識の普及と人類精神の大きな進歩とをほとんど常に前提とする平等主義の下においてこれが十分な力をもって作用しないと考えるのは、前後矛盾していると往々にして云われているが、これは極めて皮相な見である。こういうことを云う人は、道徳的抑制に対する奨励と動機とが、平等、共産の社会においてはたちまちに破壊されてしまうことに、気がついていないのである。
 今、平等社会の下において、食物を増加させるために最大の努力を払ったけれども、人口が生活資料の限界を緊密に圧迫し、そして万人は極めて貧しくなりつつある、と仮定しよう。かかる事情の下において、社会が餓死するのを防止するためには、人口増加率を緩慢にすることが明かに必要である。しかしかくて必要となった抑制を行い、晩婚するか独身で終るかするのは一体誰であろう。平等主義の必然的結果として、人類の情欲が直ちに消失するとは思われない。しかしそうならば、結婚したいと思う者は、この欲望の抑制を強制される人間の中に入れられたら、これは苦痛だと思うであろう。ところが万人は平等であり、同様な境遇にあるのであるから、ある個人が他の者以上に抑制の義務を実行しなければならぬと考えるべき理由は全然ない。しかしながら普遍的窮乏を避けるためには、これはどうしても行われなければならぬ。そして平等の状態においては、この必要な抑制はある一般的法律によってのみ実行され得よう。しかしこの法律はいかにして励行され、そしての違反はいかにして処罰せらるべきであろうか。早婚者を指笑の的たらしめるべきか。車に牽かせて[#「牽かせて」は底本では「索かせて」]笞刑を課すべきか。何年か監禁すべきか。子供を遺棄せしむべきか。この種の罪過に対する一切の直接の処罰は、この上もなく不都合な不自然なものではなかろうか。しかもなお、国の資源が人口の緩慢な増加を支持し得ない場合に、悲惨極まる困厄を防ぐためには早婚傾向に対する何らかの抑制を加えることが絶対に必要であるとすれば、最も想像力の豊かな人といえども、各人は自己の子供を扶養する責任を有つこと、換言すれば、各人は自己の欲望に従った結果生ずる自然的不便と困難とを負担すべきであり、それ以外には何も負担しないこと、という秩序ほどに、自然な、公正な、また神の掟と最も賢明な人間の作った法律とに適う秩序を、考えることが出来るであろうか。
 大家族の扶養に伴う困難を予想して行う、この早婚に対する自然的妨げが、あらゆる文明国の一切の社会階級を通じて非常に広汎に作用しているものであり、かつ下層階級の人民が引続き知識と慎慮とにおいて進歩するにつれ更に有効になるものと期待し得べきことは、決して疑を容れ得ないところである。しかしこの自然的妨げの作用はもっぱら財産と相続に関する法律の存在に依存するものであり、平等社会や共産社会においては、これに代えるにはただ、これと著しく異る性質の遥かにより不自然な人為的な規則をもってし得るのみであろう。この点にはオウイン氏も十分気がついており、その結果として彼は、その理想とする社会において人口増加から生ずる困難を除去し得る方法を案出しようと、全才能をしぼったのである。彼がこの目的を達するために、著しく不自然でなくまた残酷でない方法を全く示し得なかったという事実は、古代人1)であると現代人であるとを問わず同様のことを企てた者がいずれも成功しなかった事実と相俟って、人口原理に基づく平等主義の反対論が、理論上だけでも、もっともらしい反駁の余地のないことを証示するように思われる。人口が生活資料以上に増加する傾向があるという事実は、我国のほとんどあらゆる教区記録簿で見ることの出来ることである。人口の増加が何らかの方法で緩慢にされぬ限り、この増加傾向が全人民を欠乏と窮乏におとしいれるという不可避的結果を招来することも、これと同様に明かである。そして平等社会においては、不自然な不道徳または残酷な規則に訴えなければ、この増加率を阻止し得るものではないという事実は、同時にあらゆる平等主義に対する決定的な駁論をなすものなのである(訳註)。
 1) 読者は既に第一篇第八章において、ある古代の立法者がその平等制度を維持せんがために提唱した、人口を妨げる唾棄すべき方法を、見たのである。
 〔訳註〕前述の如く本章は第二―四版では右と全く異るものであった。それは次の如くである。

『第三章 ゴドウィン氏の駁論に関する考察


『ゴドウィン氏は、最近の著作の中で、「人口原理論」のうち、彼れの主義に対し最も辛く当ると考える部分に対し、駁論を与えている。この駁論に対しては若干述べるだけで十分であろう。
『彼は、そのパンフレットの初めの方の註において、「人口論」の主たる攻撃はその著の原理に向けられてはおらず、その結論に向けられている、と云っている1)。なるほど、ゴドウィン氏はその著の結論の方の一章を特別に、人口原理からする彼れの主義に対する反対論の考察に充てたのであるから、この章が特別に最もしばしば言及されていることは事実であろう。しかし確かに、もし「人口論」の大原則が認められるならば、その打撃は彼れの著作全部に及ぶものであり、そして政治的正義の基礎を本質的に変更するものである。
1) Reply to the attacks of Dr. Parr, Mr. Mackintosh, the author of an Essay on Population, and others, p. 10.
『ゴドウィン氏の著作の大部分は、社会を悩ます害悪の全部または大部分を生み出すものとして人類の制度を罵倒することに、充てられている。しかし新らしい全然考慮されていない窮乏の原因を認めるならば、明かにこれらの議論の様子は変ってき、そしてそれを新たに修正したり全然排斥したりするのは絶対に不必要になるであろう。
『「政治的正義」の第一篇第三章は「政治的制度の精神」と題されているが、そこでゴドウィン氏は曰く、「現在世界に存在しているところの、諸国民の国内政策に関する最大の濫用の二つは、第一に暴力によるか、または第二に詐欺によるところの、財産の不当な移転である。」更に彼は進んで曰く、もし他人の物資を自ら所有しようという願望が個人に存在せず、またもし各人が完全な便宜をもって生活必要品を獲得することが出来るならば、市民社会は詩歌が黄金時代についてこしらえた作り話と同じになるであろう、と。また曰く、かかる害悪がその存在を負う原理を研究しよう、と。「人口論」における主たる議論の真なることを認めた後には、私は、彼がこの研究において、単なる人間の制度をもって停止することは出来ないと思う。彼れの著作の他の多数の部分も、この考察によって、同様に打撃を受けるのである。
『ゴドウィン氏は、「人口論」における議論の真なることを理解し、これを明かに認めているように思われるから、社会の政治的主宰者は人類に対する利益と安全との二大手段たる窮乏及び罪悪を家長の如き配慮と注意とをもって保護すべきであり、またために世界に窮乏と罪悪が少なすぎるので人口原理の作用をその適当な範囲内に制限することは出来ぬということほど恐るべき害悪はないということが、私の主張からの正当な推論であると彼が考えているのを1)、私はますます遺憾に思わざるを得ないのである。かかる有益な妨げが防止すべき他のいかなる種類の害悪がなお残っているとゴドウィン氏が考えているのかを知るに、私は当惑せざるを得ない。私自身としては、罪悪及び窮乏以上の害悪を知らないのであり、そして唯一の問題はこれを減少する最も有効な方法如何いかんに関するものである。ゴドウィン氏の主義に私が反対する唯一の理由は、これを実行すれば、社会における罪悪及び窮乏の量は著しく増加することを私が固く信じて疑わぬ点にある。もしゴドウィン氏がこの確信を解き、また、理論が人性に関する知識と一致しかつこれに基づいているのなら理論上だけでもよいから私に、彼れの主義は罪悪及び窮乏を地上から駆逐する傾向が真にあることを説明してくれるならば、彼は私が最も確固たるまた熱烈なる擁護者の一人となることを安んじて期待し得るであろう。
1) Reply, &c. p. 60.
『ゴドウィン氏は、社会の異常な改善の計画が実現した時にはそれはおそらく永久性や継続性を有たないであろうということをもって、それに対する最後的な反対論となす者は、当然これに心が傾くであろう、と云っている。しかも、ゴドウィン氏自身の定義に従えば、個人的または政治的徳性なるものは、結果を考慮することではなくて何であるか。医師というものは、一時的な救済を与えはしようが、後になれば一切の徴候を大いに悪化せしめる救治策を採用するよりは、患者に現在の苦病を耐え忍べと忠告する苦痛の保護者なのであるか。道学者は、人生に入場する若者に過度の現在の欲望満足によって数年にしてその健康と財産とを滅ぼしてしまわないようにすすめ、その享楽がもっと長続きするようにこれを節するようにすすめるからといって、快楽の敵と呼ばるべきであろうか。ゴドウィン氏の主義はその現在の基礎理論によれば、おそらくそれは永続性がないであろうと云うだけでは足りず、吾々はそれは永続性がないと確実に断言出来るのである。そしてかかる事情の下においては、これを実行せんとする企ては疑いもなく大きな政治的不道徳であろう。
『ゴドウィン氏は、「人口論」で生じた第一印象から恢復して後に最初にあらゆる思慮ある人の心に浮んだ第一のことは、人口原理の力の生活資料の原理に対する優越は、いかなる過去の事例においても、世界のいかなる方面や時代においても、「人口論」が将来のある場合にそれから生ずべきことを吾々に信ぜしめるところのかの大なる驚くべき諸結果、かの社会の一切の組織と公理との全的瓦壊を生じたことがない、という事実である、と云っている1)。これは疑いもなく事実である。そしてその理由は、いかなる過去の事例においても、また世界のいかなる方面や時代においても、ゴドウィン氏の主義の如きものを実現しようという企ては行われたことはなく、そしてこの種の企てがなければかかる大なる結果は何も随伴しないであろう、ということである。前章で述べた社会制度の動揺の結果は、一種の如何いかんともすべからざる必然性によって、ついには財産と結婚とに関する法律の制定ということになることがわかった。しかしかかる法律は、吾々の知る社会のあらゆる普通の憲法には制定されているのであるが、この場合には、人口原理の作用は常に暗黙緩慢であり、吾々が日々に我国で見ているところと異るところはないであろう。ゴドウィン氏の外に他の者も、私は現在よりも遥かに大きな程度に人口が生活資料を超過する将来のある時期を考えているのであり、また人口原理より生ずる害悪は実在のものであるよりもむしろ思考上のものである、と想像している。しかしこれは全くの誤解である2)。私が前に証示せんと努めた如くに、絶対的飢饉ではなく貧困が人口原理の特殊的結果なのである。多くの国は、この原理から生ずると常に期待せられ得るすべての害悪に悩んでいる。そしてたとえ吾々がそれ以上の一切の生産の増加に対する絶対的限界――これは確かに決して到達しない点であるが――に到達したとしても、私は決して、これらの害悪が何ほどか著しく増悪しようとは期待しない。たいていのヨオロッパ諸国における生産物の増加は、無限の人口増加を支えるに必要なものに比較すれば極めて緩慢であり、従ってかくも緩慢に増加する生産物の水準に人口を圧縮するために絶えず作用している妨げは、それを絶対に停止的な生産物の水準に押えつける以上のことはほとんどしなくてよいであろう。
1) Reply, p. 70.
2) ゴドウィン氏はその Reply の他の部分ではこの誤りに陥っていない。
『しかしゴドウィン氏は、世界の過去の歴史を観てみても、人口の増加が罪悪及び窮乏のみによって統制され制限されているとは認めることが出来ない、と云っている。彼れのこの言葉には私は同意することは出来ない。ゴドウィン氏は、私が既に強調し、そして本当のことを云えば、その将来の普及についてはどれだけの希望を有とうとも疑いもなく過去の時代には弱い力でしか働かなかった道徳的抑制という妨げを別にしては1)、過去の時代に人口を生活資料の水準に抑止した妨げで正当に罪悪及び窮乏のある形態に属しないものは、指摘し得ないであろう、と私は信ずるのである。
1) 道徳的抑制と私が云うのは、慎慮的動機による結婚の抑制で不正常な欲望満足を伴わないもののことであることを、常に想起せられたい。この意味において私は、私がここに用いる意味は強過ぎはしないと信ずる。(訳註――この註は第四版のみに現わる。)
『私は、読者の眼から見て罪悪及び窮乏の擁護者であるという非難の当らぬことを立証するのは、困難であるとは思わない。しかしゴドウィン氏はかかる立証を私ほど容易に出来ようとは思わない。けだし彼は積極的に、「両者を喜びをもって考え」ることはなく、そして「彼が罪悪及び窮乏に対する熱烈な偏愛を有たないのは、彼に絶対に特有な嗜好であるとは考えられないことを希望する1)」と云っているが、しかも彼は確かに、その極めて大なる部分を社会一般の福祉のために組織立てたことを示唆して、この特有な嗜好を有つものではないかという疑惑を懐かせしめているのである2)。この問題については、私はただ、彼が最初に述べている二つの妨げを私は常に最悪の形態の罪悪及び窮乏の中に数えている、と云うをもって足りる。
1) Reply, p. 76.
2) ゴドウィン氏は、殺児に関するヒュウムの観察の正しいことを認めないが、しかしこの慣習の行われている支那における極度の人口と貧困とはこの観察を力強く確証する傾向がある。しかしながら、ゴドウィン氏の述べている如くに、この便法は、それ自身の性質においては、その引用の目的に対しては(p. 66.)適当であることは、やはり事実である。しかし事実上もしそれをして適当ならしめるためには、それは裁判官によって行わるべきであって両親に委ねらるべきではない。この慣習が全然両親にまかされる時にほとんどあまねく人口を増加する傾向のあることは、極貧から生ずる困窮が両親の感受性を大部分消失せしめた時ですらかかる犠牲を払うときには両親が極度の苦痛を感ずるに違いないことを、示すものである。しからば、両親がこれを養育する願望を有ちまたその能力を有つと思う子供を両親をして殺さしめる裁判官または積極的法律を仮定した場合には、この苦痛は果していかばかりであろう。殺児の許可はこの上なく悪いことであり、国民の道徳的感受性に対して悪い影響を及ぼさざるを得ない。しかし私は、たとえプラトンやアリストテレエスの名によって承認されていようとも、この種のある直接的立法ほど感情に対し厭わしく恐るべきものを考えることは出来ないのである。
『ゴドウィン氏は、その「駁論」のある部分において、子供を産む各結婚について認められ得べき子供の数について想定をしている。しかし彼はもっと大きい数が妨げらるべき方法を詳論していないのであるから、私はただ、彼は人口と食物との幾何比率と算術比率とを認めると告白していながら、しかもここでは彼は、この異る増加を実際に適用すると、それはこれから生ずる害悪を緊急なものたらしめ、または驚くべきほどに人口の自然的増加を制限する性質を有つものではない、と考えているように思われる、と云うに止めよう1)。この観察は彼れの前の承認と矛盾するように思われる。
1) Reply, p. 70.
『ゴドウィン氏が最後に述べている妨げで、思うに彼が一生懸命に推奨せんとする唯一の妨げは、「徳であろうと慎慮であろうと誇りであろうと、引続き結婚の普遍性と頻々たる反覆とを抑制する感情1)」である。私が既に観察したこの感情については、本書の後の方で私はこれを大いに強調するであろう。従ってその妨げそのものは私は全く承認する。しかし私は、ゴドウィン氏の政治的正義の制度はその普及に対して決して好都合であるとは思わない。早婚への傾向は非常に強いものであるから、吾々はこれに対抗するために吾々の手にし得るあらゆる可能な助力を必要とする。そしていずれかの仕方において私有財産の基礎を弱め、かつ各個人がその慎慮から得ることの出来る完全な利益と優越性とを少しでも減少する制度は、何らかの本質的結果を期待し得る、愛の情欲に対抗する唯一の力を除去しなければならぬ。ゴドウィン氏は、彼れの制度においては、「大家族の悪結果は、現在のように乱暴に、各人の個人的利害に帰することはないであろう2)」と云っている。しかしながら私は、人性に関して吾々が在来知るところからして、ゴドウィン氏の排斥するこの個人的利害への乱暴な帰属ということがなければ、合理的な成功の希望を有つことは出来ない、と遺憾ながら云わざるを得ないのである。もし一切の結果につき、頼るところが単に義務感のみであるならば、今の場合戦うべき敵の有力なることを考慮に入れると、私は絶対的に絶望しなければならぬと告白せざるを得ない。同時にまた、私は、利害感に加うるに義務感をもってするならば、その効果がないわけでは決してないと確信するものである。世には多数の高貴無私な人があり、彼らは、早期の正しい情欲の耽溺により招来すべき不便はよく知っているけれども、単なる世俗の慎慮の命に聴従するに一種の厭悪の念を感じ、かかる低級な考慮を排するのに誇りを感じている。愛のためには一切を犠牲にするという浪漫的な勇侠に出ずる王者があるのであり、これは当然に若者には魅力あるものである。そして本当のことを云えば、もし万事を犠牲にするというのなら、これほどよい犠牲の理由はあり得ないであろう。しかしかかる場合において、強い義務感が慎慮的示唆に加えられ得るならば、問題全体は異った色を帯びるであろう。義務感より情欲の充足を延期することにより、最も無私なる精神、最も優雅なる名誉は充たされ得よう。浪漫的な誇りは違った方向をとり、そして世俗の慎慮の命は正しい犠牲を払ったという愉快なる自覚を伴うことであろう。
1) Reply, p. 72.
2) Id. p. 74.
『ゴドウィン氏の制度においては利害の動機は除去されまたは弱められるのであるが、もし吾々がこれを除去しまたは弱めるとするならば、恐るらくは義務感という単に薄弱な代替物を得ることになるであろう。しかし、利害感より生ずることが知られている今の有利な結果に加うるに、本書の後の部分の対象たる義務感をもってすることが出来るならば、社会の多少の部分的改善がそれから生ずることは絶対に絶望とは思われないのである。』
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第四章 移住について


 平等の擁護者が一般に考えているような完全な社会においては、移住の方策などは問題にされないと思われるが、合理的に期待し得る唯一の社会たるすなわち不完全な進歩の状態においては、それは立派に吾々の考慮に入れ得よう。そして人類の勤労は地球上のあらゆる国民を通じて同時に最良の指導を受け始めることはあり得ないから、耕作がより進んだ地方に人口の過剰が生じた場合には、当然に行われる明白な救治策は、未耕地方への移住であると云われるかもしれぬ。かかる地方は面積は広大で人口は稀薄であるから、この方策は、一見したところ、適当な救治策であり、または少くとも人口過剰の害悪を遠い将来に移すことが出来るように、見えるであろう。しかし経験と、世界の非文明国の実情とに徴するに、それは適当な救治策というが如きものでは決してなく、単に一時の姑息手段にすぎないことが、わかるであろう。
 新開地の植民について吾々の受けた報告によれば、最初の移民が闘わねばならなかった危険や艱難や辛苦は、彼らがその母国において遭遇したことと想像出来るものよりも、更に大きいように思われる。一家を養育する困難から生ずる不幸を避けようというだけのことで、利得欲とか冒険的精神とか宗教的情熱とかいうもっと強い情熱がこれを指導し鼓舞しなかったのなら、アメリカの新世界は長い間ヨオロッパ人の移民を見なかったことであろう。かかる情熱は当初冒険者をして一切の障害を克服せしめたのであるが、しかし多くの場合、その手段は人類をして戦慄せしめ、移住の真目的をくじくものであった。今日のメキシコやペルウにおけるスペイン系住民の性質如何いかんは別として、吾々は、これらの地方の報告を読むときには、亡ぼされた人種の方が、道徳的価値においても数においても、その破壊者たる人種よりも、優秀であると、痛感せざるを得ないのである。
 英蘭イングランド人が移住したアメリカの諸地方は、人口が稀薄であったので、新植民地の建設により適当していたが、ここですら最も恐るべき困難が生じた。サア・ウォルタ・ロオリが創始しデラウェア卿が建設したヴァージニア植民地においては、三つの企画が完全に失敗した。第一囘の植民の約半数は蒙昧人に滅ぼされ、その残りは疲労と飢餓に困憊し、国をすてて失望の裡に帰国した。第二囘の植民は何かわからぬ事情で最後の一人まで滅ぼされてしまったが、たぶんインディアンに殺されたものであろうと想像された。第三囘も同じ惨澹たる運命に陥り、そして第四囘のものは、飢饉と疾病のため六箇月間に五〇〇人から六〇人に減ってしまい、この残りのものは、飢えに瀕し絶望して英蘭イングランドに帰るところを、チェサピイク湾口で、彼らを救護するため食料その他あらゆるものを積んだ船隊を率いてきたデラウェア卿に出合ったのである1)
 1) Burke's America, vol. ii. p. 219. Robertson, b. ix. p. 83, 86.
 ニュウ・イングランドの最初の清教徒移民は少数であった。彼らは悪い季節に上陸し、しかし自分の私財だけが頼りであった。冬は早く襲来し、恐ろしく寒かった。この地方は森林で蔽われ、長い航海に病み疲れた者を励まし幼少者を養うべきものは何も与えなかった。約半数は壊血病と欠乏と厳寒のために斃れたが、生き残った者はその困難に意気沮喪せず性格の力と宗教的迫害から逃れたという満足感に助けられて、この蒙昧国を漸次愉快な生活資料を産する国としたのである1)
 1) Burke's America, vol. ii. p. 144.
 後に異常な速度をもって発展したバルバドウズの植民地でさえ、最初は、全く荒凉たる国、極度の食料不足、異常に大きく固い樹木を伐採開墾する無数の困難、第一囘のがっかりするほど少い貧弱な収穫、及び英蘭イングランドからの緩慢な不安な食料の供給などと、闘わなければならなかった1)
 1) Id. p. 85.
 ギアナに即時有力な植民地を建設しようとした一六六三年のフランスの計画は最も惨澹たる結果を伴った。一万二千人は雨季に上陸し、天幕と惨めな小屋に居を占めた。この状態で、逼塞し、生活に疲れ、一切の必要品に欠乏し、そして粗悪な食物から常に生ずる流行病に襲われ、怠惰が下層階級の間に生ぜしめる不規律に陥って、彼らのほとんどはあらゆる絶望の恐怖の中に死亡した。計画は完全に失敗した。体躯強健にして酷烈な気候と窮乏とに堪え得た二千人は、フランスに連れ帰られた。そしてこの遠征に費された二六、〇〇〇、〇〇〇リイヴル(訳註)は全然失われてしまった1)
 1) Raynal, Hist. des Indes, tom. vii. liv. xiii. p. 43. 10 vols. 8vo. 1795.
 〔訳註〕この数字は第二―三版では二五、〇〇〇、〇〇〇となっている。
 ニュウ・オランダのポオト・ジャクソンの最近の植民地において、その初期移民が自給自足に至るまで闘わなければならなかった数年間の困難について、コリンズは陰惨悲痛な描写をしている。これらの困窮は疑いもなく移民の質が悪いためにいっそう増大されたのであるが、しかし新開墾地の不健康、最初の収穫の失敗、遠い母国からの供給の不確実などによる困窮は、それだけで移民の意気を沮喪せしめ、未開国の植民に当っては多大の資源と不抜の忍耐心とを必要とすることを、痛感せしめるのである。
 ヨオロッパ及びアジアのもっと人口稀薄な地方に植民地を建設するには、明かに更により大なる資源が必要であろう。これらの地方の住民は強くて好戦的であるから、移民がたちまち全滅しないようにするには、大きな兵力が必要であろう。最強国の辺境諸州でさえ、かかる不穏な隣人の侵入を防衛するのは非常に困難であり、耕作者の平和的な労働は彼らの掠奪侵入によって絶えず妨害されている。ロシアの先女帝カザリンは、ヴォルガ河附近の地方に建設した植民地を正規の要塞で保護しなければならなかった。そしてその臣民がクリム韃靼人の侵掠を受けて苦しんだので、女帝はこの、おそらくは正当な口実に基づいて、クリミア全部を占領し、擾乱的隣人の大部分を駆逐し、残りのものをもっと平穏な生活法を採用せざるを得なくさせたのである。
 最初に植民地を建設する際に、土地や気候や適当なる便宜品の欠如から生ずる困難は、これらの地方でもアメリカでもほとんど同一である。イートゥン氏はその『トルコ帝国誌』Account of the Turkish Empire. において曰く、七五、〇〇〇人のクリスト教徒はロシアによりクリミアから移住させられ、ノガイ韃靼人が抛棄した地方に送られたが、しかし家が出来ないうちに冬となり、その多くのものは、地中に穴を掘り、何でも手に入り次第これで覆いをして住む外に、棲家とてなく、その大部分は死んでしまった。数年後にはわずか七千人しか残っていなかった。もう一つの、ボリステネス河両岸に作られたイタリア植民地の運命もこれと同様であり、それは彼らに物資を供給すべき任にあるものの処置不良によるものである、と。
 新植民地で経験される困難はすべてほとんど同様であるから、こうした事例を加える必要はない。フランクリン博士の一文通者は次の如く述べているが、これは正当である。曰く、ヨオロッパの諸列強が莫大な公私の経費を投じて植民地を作ろうと企てながら頻々と失敗している理由の一つは、母国に適する道徳的技術的習慣は往々にして新植民地には適せず、また多くは予見の出来ぬ外部的出来事にも適しないということであり、そして英蘭イングランドの植民地はいずれも、必要な風習がその地で発生し発達するまでは、それほど大きくならなかったことは、注意すべきことである、と。またパラスは特に、ロシアが建設した植民地に適当な習慣がなかったことが、その発達が予期されたように急速でなかった原因の一つである、と述べている。
 これに加うるになお、新植民地の建設当初は、一般に人口がその現実の生産物よりも遥かに以上の場合に属することも、注意してよかろう。そしてその自然的結果として、この人口は、母国からの供給を受けない場合には、その建設当初に、最初の僅少な生産物の水準まで減少され、そして残存人口が自己の生存に足る以上の量の食物を産するほど土地の耕作を拡張するまでは、永続的増加を開始しないであろう。新植民地の建設がしばしば失敗する事実は、人口と食物との先後の関係を力強く証示する傾向がある。
 従って、過度に急速な人口増加から生ずる災厄を主として負担する階級は、おそらく遠隔の地に新植民地を創設し得るものではないことを、認めなければならぬ。彼らは、その境遇の性質上当然に、成功を保証するただ一つのものたる資本を有たぬはずである。そして、貪欲か冒険心かまたは宗教的政治的不満に駆られた上流階級者の中から指導者を見出し得るか、または政府から資力や援助を受けない限り、自国において生活資料の不足にどれだけ苦しもうとも、彼らは、地球上にこんなにたくさんある未墾地のいかなる部分をも絶対に所有し得ないであろう。
 ひとたび新植民地の基礎が確定すれば、移住の困難はなるほど著しく減少するけれども、それでもなお渡航の船を用意し、また移民が定着してこの新国で職業を見出し得るまでの支給や助力をするために、多少の資力が必要である。政府がかかる資力を与えるべきどれだけの義務があるかは問題であろうが、しかしこの点に関する政府の義務の如何いかんにかかわらず、何か特別な植民地利益が提供された場合の外は、おそらく政府が移住を積極的に奨励すると期待するのは行きすぎであろう。
 しかしながら運賃や生活費はしばしば個人または私設会社によって提供される。アメリカ独立戦争前多年の間、またその後数年間、この新大陸への移住の上の便宜と、それから得られる利益の見込とは非常に大きかった。そして疑いもなく、いかなる国にとっても、その過剰人口に対するこんな気楽な避難所をもつということは、非常に幸福な事情と考えなければならない。しかしなお私は問いたい、この期間中においてすら、我国の一般人民の困窮はほとんどまたは全くなかったかどうか。また各人は、結婚をあえてするに先立って、家族の数がどんなに多くなろうとも教区の助力を受けずこれを養うに少しも困難を感じないということを、確信し得るかどうか、と。これに対する答はおそらく肯定的ではあり得ないであろう。
 有利な移住の機会が提供された場合、これを受容れないで、本国で独身や極貧の生活を送ることを選ぶならば、それはその人間自身が悪いのだ、と云う人があるであろう。では、強度に愛着をもち、自分を養ってくれた両親や親戚や友人や幼な友達に愛着をもつのは、その人が悪いのであろうか。または、自然が人間の心情に幾重にもかたく巻きつけたこれらの絆を断つよりもむしろ繋ぎとめておくために苦労するのは害悪ではないのであろうか。なるほど神の叡慮に従ってこの絆が時に断たれなければならぬこともあろうが、しかしそれだからといってこの別離の苦痛が減るというものではなく、そして社会の一般的福祉はそのために増進されるかもしれないけれども、それが個人的害悪であることに変りはない。その上、すべての遠隔地への移住には疑惑と不安とが伴うものであり、ことに下層階級の人々の憂慮はそこにある。彼らは、労働の価格が高いとか土地が安いとかいう話が全く本当であるかどうかについて、確信を有つことが出来ない。彼らは運賃や生活費を提供してくれる人に身をまかすのであるが、こうした人はおそらく彼らを欺こうとするのかもしれない。彼らの渡るべき海は、彼らには、一切の旧関係との死別であり、云わば失敗した場合帰れなくしてしまうものと思われるのであるが、けだし帰国する場合には移住の場合と同じ資力を提供してもらえるとは期待し得ないからである。しからば、貧困の不安に加えて冒険的精神が存在する場合の外は、これらの事情を考慮した結果、しばしば、
『未知の苦悩に逃れるよりは
今の苦悩を堪え忍ぶ』
ということになるのも、決して驚くに当らないのである。
 もし我国ほどの大きさの肥沃な土地が不意に合併され、それが小区域に分って売られまたは小農場として貸出されるならば、事情は一変し、一般人民の状態は不意に著しく改善されるであろう。もっともその場合には、富者は、労働の価格が高いことや、下層階級が高慢なことや、仕事をしてもらうのが難しいことなどを、絶えずかこつことであろう。かかる不平はアメリカの財産家がしばしば喞つところであると私は聞いている。
 しかしながら、移住によるあらゆる方策は、たとえ有効に使用しても、短期間に限られなければならぬ。ロシアを除いては、ヨオロッパで、住民がしばしば、他国への移住によりその境遇を改善しようとしない国はほとんどない。従ってこれらの国はほとんど全部、その生産物に比して人口は不足であるよりはむしろ過剰なのであるから、相互に何らかの移住の資源を与え得るものとは、考え得ない。今しばらく、文明の進歩のより進んでいるこれら諸国において、各国の国内経済が非常にうまく行っているために人口に対する妨げは何もなく、また各国政府は移住に対するあらゆる便宜を与えるものと、仮定しよう。ロシアを除いたヨオロッパの人口が一億であるとし、そして母国における生産物の増加が蓋然的または可能的である以上であると仮定すれば、一世紀後の母国人口の過剰は十一億となるが、これを同一期間内における植民地の自然的増加に加えると全世界の現在人口と想像されているものの二倍以上となることとなる。
 アジアやアフリカやアメリカの未墾地方において、最大の努力と最良の指導をもってしても、かかる短期間に、果してかかる人口を養うに足る耕地を得ることが出来るであろうか。もし誰か楽天家がこの問題につき疑念をいだくならば、更に二五年または五〇年を加えさせてみればよい。そうすればあらゆる疑念は圧倒的確信のうちに粉砕されるであろう。
 従って、移住の方策が長い間過剰人口に対する救治策として主張され続けている理由が、人々がその故国を当然去りたがらず、また新らしい土地を開墾し耕作するのが困難であるために、それは決して十分に行われてはおらず、また決して十分に行われ得るものではない、という事実にあるのは、明かである。たとえこの救治策が実際本当に有効であり、旧国における罪悪及び窮乏という病気を救治し、それを最も繁栄せる新植民地の状態に変ずる力をもつとしても、この薬瓶はまもなく空になるのであり、そしてこの病気がいっそうの猛毒をもって再発するときには、この方面からの一切の希望は封ぜられてしまうであろう。
 従って、無制限の人口増加に対し余地を作るという目的から見れば、移住が全く不適当なるものであることは明かである。しかも部分的な一時的な便法として、また土地耕作の普及及ぶ文明の拡大という目的からすれば、それは有用でもあれば適当でもあると思われる。そして仮に政府は積極的にこれを奨励する義務を負うものであるとは証明し得ないとしても、これを妨害するのは啻に著しく不当であるのみならず、またこの上もなく不得策である。移住によって人口が減退しはしまいかという恐怖ほど、全く無根拠な恐怖はない。人民大衆の惰性とその家郷への愛着とは極めて強力な一般的な性質であり、従って政治的不満または極貧により彼らが出ていく方が国のためにもなれば本人のためにもなるという場合を除けば、彼らは移住するものではない、と安んじてよかろう。移出の結果として労賃が騰貴するという不平は、一切の不平のうち最も不合理なものであり、決して耳をかす必要のないものである。もしある国の労働の労賃が下層階級の人民をしてかなり安易に暮させる程度であるならば、彼らは移住しないものと断言し得よう。そしてもし労賃がその程度に達していないとすれば、彼らを抑止するのは残酷であり不公正である。
 あらゆる国において(訳註)、富の増進は主として、各個人の勤労や熟練や成功に、及び他国の状態及び需要に、依存する。従ってあらゆる国において、富の増加率と労働に対する需要とには、時を異にするにつれて大きな変化が生ずるであろう。しかし、人口の増進は主として労働に対する有効需要によって左右されるけれども、人口がこの需要の状態に直ちに一致し得るものではないことは、明かである。より多くの労働が要求されるときに、これを市場にもたらすためには、多少の時間が必要であり、またそれが余りに急速に流入しているときに、その供給を妨げるには多少の時間が必要である。もしかかる変動が、本書の初めの方で述べた、人口と食物の増進にほとんど常に伴うと思われる、自然的擺動以上に出でないならば、それは日常事態の一部分としてこれに服さなければならない。しかし事情によってはこの変動は時に大きな力を与えられ、その場合には労働の供給が需要よりも急速に増加を続ける期間中は、労働階級は最も甚だしい苦境に陥ることとなる。例えばもし、内外両方面の原因によって一国の人口に非常に大きな刺戟が十年または十二年間引続き与えられ、しかして後に比較的にそういうことがなくなるならば、労働は引続きほとんどその速度を減ぜずに市場に流入するのに、他方これを雇傭し支払う手段は本質的に縮少していることは明かである。移住が一時的救治策として最も有用なのはまさにかかる場合であり、そして大英国の現状はまさにこれである1)。たとえ移住が少しも行われなくとも、人口は徐々に労働に対する需要の状態に一致するようになるであろうが[#「なるであろうが」は底本では「なるであろうか」]、しかしその間最も甚だしい苦境を免れ得ず、その甚だしさは人間のいかなる努力をもってしてもほとんどこれを軽減し得ないのである。それはけだし、それは特定の期間には緩和され得ようが、また特定の階級に影響を及ぼすものであるから、それに比例してより長期間に亙りかつより多数の人間にこれを拡大することとなるであろうからである。かかる場合における唯一の真の救治策は移住である。従ってこの問題は、人道の問題としてまた政策の問題として、現在、十分政府の注意に値するものである。
 1) 一八一六年及び一八一七年。
 〔訳註〕このパラグラフは第五版より現わる。
[#改丁]

第五章 貧民法について

(訳註)

 〔訳註〕本章の前半の、後に記すところまでは、第一版の第五章から取ったものである。Cf. Essay, 1st ed., Chap. V., pp. 74 ff.
 貧民の頻々たる困窮を救済せんがために、その救済を命ずる法律が制定されているが、この種の一般的制度の設定という点では英蘭イングランドは特に顕著な国である。しかしそれは個人的不幸を多少緩和したかもしれないけれども、この害悪はこれによりいっそう広汎に拡大されたと思われる。
 我国において年々貧民のために莫大な金額が徴集されているのに、彼らの困窮は依然として大であるということは、しばしば話題に上り、かつ常に大いに驚くべきこととされている。ある者は貨幣が私消されているに違いないと考え、ある者は教育委員や救貧監督員がその大部分を宴会に使っていると考えている。いずれにしてもその処理がはなはだよろしきを得ないに違いないという点では一致している。要するに、最近の凶作以前においてすら三百万もの金が年々貧民のために徴集されたが、しかも彼らの困窮は解決されなかったという事実は、常に驚嘆すべきこととされている。しかしいささか事物の裏面を観察する人は、事実が現状と違ったらかえってもっと驚嘆するであろう。すなわち一ポンドにつき四シリングの代りにあまねく十八シリングずつ集めたら事態が大いに一変するとでもいうことになれば、それこそもっと驚嘆するであろう。
 富者が金を出す結果として十八ペンスないし二シリングという現在の稼ぎ高が五シリングになったと仮定すれば、おそらく、彼らは愉快に暮すことが出来、毎日晩餐に肉の一片も食べることが出来ようと、想像されるかもしれない。しかしこれは非常に誤った結論であろう。各労働者に対し一日三シリングずつ余計移転したからといって、国内の肉の分量が増加するわけではなかろう。現在すべての人が相応な分け前を貰うだけの分量がないのである。ではその結果はどうなるであろうか。肉の市場における買手の競争により価格は急速に一封度ポンドにつき八、九ペンスから二、三シリングに騰貴し、従って肉は現在よりも多数の人に分たれることにはならないであろう。ある財貨が稀少であり、すべての人には分配し得ないときには、最も有効な特権を示し得るもの、換言すれば最も多くの貨幣を提供するものが、その所有者となる。もし肉の買手の競争が長期間続きその結果として年々より多数の家畜が飼養されるようになると仮定すれば、これは穀物を犠牲としてのみ行い得るものであり、非常に不利益な交換である。それはけだし、そうなればこの国は同一の人口を養い得ないのは、周知のことであるからである。そして生活資料が人口に比して稀少な場合には、社会の最下層者が二シリングを有っていようと五シリングを有っていようと、それは大した問題でなくなる。いずれにしても彼らは最も粗末な食物をしかも最少量しか得られぬことになるであろう。
 あらゆる貨物における買手の数が増加すれば生産的勤労に刺戟が与えられ、かくてこの島国の全生産物は増加するはずであろう、と云われるかもしれない(訳註1)。しかしかかる想像的富が人口に与える刺戟はこれを相殺して余りがあり、そして増加した生産物は、それに比較してもっと増加した人口の間に分たれなければならぬこととなろう(訳註2)。
 〔訳註1〕第一版ではここに次の一文があったが第二版以下では削除された、――
『これはある程度まで事実であり得よう。』
 〔訳註2〕第一版ではこれにすぐ続いて次の如くあったが第二版以下では削除された、――
『常に私は従前と同一量の仕事が為されるものと仮定している。しかし本当はそういうことはなかろう。十八ペンスの代りに五シリングを受取れば、各人は、前よりも富裕になったのであり従って遊べる時間や日数は多くなったのだと想像することになろう。そのために生産的勤労は直ちに阻止され、そしてまもなく啻にこの国民は貧しくなるばかりでなく、下層階級自身も一日わずか十八ペンスを受取っていた時よりも遥かに困窮することになろう。』
 富者から一ポンドにつき十八シリングずつ集め、これを最も公平に分配したとしても、右の仮定から生ずる結果と同様な結果しか生じないであろう。そして富者がどんな犠牲を払ったところで特にそれが貨幣である場合、およそ何人たるを問わず社会の下層社会の人々の間の困窮の囘帰をしばらくも防止し得ないであろう。なるほど大きな変化は起るかもしれぬ。富者は貧民となり、貧民のあるものは富者となるかもしれぬ。しかし人口と食物との間の現在の比例が続くかぎり、社会の一部分は必然的に家族を扶養するの困難を覚えなければならず、そしてこの困難は当然に最も不運な人口の上に落ちてくるであろう。
 貨幣によっては貧民の境遇を引上げることは出来ぬものであり、彼を従来よりもっとよい生活をさせるためには、同じ階級の他のものの生活をそれだけ悪くしなければならぬというのは、一見変に見えるかもしれないが、私は事実だと信じている。私が自宅で消費する食物の分量を節して、この節約分を彼に与えたとしたら、それは私と家族との以外のものの生活はこれを悪化させることなくして、彼に利益を与えたことになるのであり、そしてこの際私と家族とはおそらくこれに甘んじて堪えることが出来るであろう。もし私が一筆の未墾地を開墾し生産物を彼に与えたとしたら、私は彼と社会の全成員との双方を利したことになるであろうが、けだし彼が従来消費していたもの、及びおそらくはそれと共に新生産物の若干が、社会の共通貯財の中に入れられるからである。しかしもし私が彼に貨幣を与えるに過ぎぬならば、国の生産物が依然同一と仮定すれば、私は彼に従来以上の生産物の分け前を得る権利を与えたことになるが、この分け前を彼が受取るときには必ずそれだけ他人の分け前が減ることになるのである。この結果は個々の場合には全く眼につかぬほど小さなものであるに違いないけれども、しかしやはりそれは存在するのであって、かくの如く空気中に棲む虫のように吾々の粗雑な知覚には入らない結果は、他にもたくさんあるのである。
 ある国における食物の量が多年の間引続いて同一であると仮定すれば、この食物が、各人の特権(訳註1)の価値に従って、すなわち各人がかくも一般に要求されているこの貨物に費し得る貨幣の額に従って、分たなければならぬことは、明かである。従って、一群の人々の特権の価値を増加するためには、ある他の一群の人々の特権の価値を減少する外はないことは、明かな真理である。もし富者が、自分の食卓を節することなくして、五十万の人間に、一日五シリングを寄附するとすれば、これらの人間の生活は前より安易となり、より多量の食料を消費するようになるから、残った人間に分つ残りの食物が前より少くなることには、疑問はあり得ない。その結果として各人の特権の価値は減少し、すなわち同数の銀貨ではより少量の生活資料しか買えなくなり、食料の価格はあまねく騰貴するであろう(訳註2)。
 〔訳註1〕ここには第一版では次の註があったが第二版以下では削除された、――
『ゴドウィン氏は人が祖先から受ける富を黴の生えた特権と呼んでいる。思うにこれを特権と名づけるのは当っているかもしれないが、これはかくも絶えず使用されているのであるから黴が生えたと呼ぶのは当っているとは思わない。』
 〔訳註2〕ここまでが第一版から取られたものであり、従って次のパラグラフからは第二版以下の加筆である。第一版においては、このすぐ次に続いて、本文の次章(すなわち第六章)に当るものが現われている。
 以上の一般的推理は、最近の凶作1)の期間中明白に確証された。一ポンドにつき十八シリングを徴収するという上記の仮定はほとんど実現されたが、その結果は予想した通りであった。同じ分配が、凶作のない時に行われたとしても、食料の著しい価格騰貴が必然的結果として生じたことであろうが、しかしそれは凶作についで行われたのであるから、その結果は二倍にも強く現われざるを得ない。前記の如くに、我国の労働者が晩餐に肉を食べることが出来るように各労働者に一日三シリングだけ余計に与えるとするならば、肉の価格は最も急速に未曾有の騰貴を告げることは、思うに何人も疑い得ぬところであろう。しかし確かに、穀物が不足して各人が通常の分量の分け前を得られないときに、もし引続き各人に従来と同一量を買う資力を与えるならば、その結果はあらゆる点においてこれと同様であるに相違ない。
 1) 本章で述べる凶作は、一八〇〇年及び一八〇一年のものである。(訳註――この註は第五版より現わる。)
 凶作の場合、穀物の価格は、実際の不足の程度に依存するよりも、人々が同一程度の消費を維持しようと執拗に頑張るので、この事実に遥かにより多く依存するものであるが、これは大いに看過されているように思われる。収穫が半分不足しても、もし人々が直ちにその消費を従前の半分に減らす気になるならば、穀物の価格はほとんどまた何らの影響も生じないであろう。しかしわずか十二分の一不足しても、全く同一の消費が十箇月ないし十一箇月も続くとすれば、穀物の価格はほとんどどんなにでも騰貴するであろう。教区補助が多くなるほど、同一の消費を維持する能力が与えられるのであり、従って消費の必然的減少が行われぬうちに価格はますます騰貴するであろう。
 ある人は、価格騰貴は消費を減少せしめない、と主張している。もしこれが実際本当であるならば、輸入によって事態が十分に完全に救治されぬ限り、凶作のあるごとに一ブシェルの穀物の価格は百ポンドまたはそれ以上にも騰貴することになろう。しかし実際は、価格騰貴は終局的には事実消費を減少せしめるものである。ただ、国が富み、人々が代用品を用いるのを好まず、また教区が莫大な金額を分配するので、価格が過度の騰貴を告げ、中流階級、または少くとも貧民のすぐ上の階級が、実際パンを通常量だけ買えなくなって、止むを得ずこれを節約するに至るまでは、右の目的は達せられ得ないのである。教区の補助を受ける貧民は、穀物の価格騰貴に不平を云う理由は全然ないのであるが、それはけだし穀物価格が過度に高いからこそ、穀物のかかる節約が強制されて下層階級がより多量の穀物を消費し得るようになったのであり、彼らはこの穀物を教区の補助金で買うことが出来たのであるからである。凶作の最大の犠牲者は、疑いもなく、貧民のすぐ上の階級であった。彼らはその下の階級に与えられた過度の補助金によって最も著しい圧迫を蒙ったのである。ほとんどすべての貧困は相対的である。そして私は、もしかかる補助金の半額しか彼らから直接に徴収されていなかったとしたら、現に行われた社会の貨幣の新分配によって貧窮化されたほどは貧窮化しなかったであろうと思うのである1)。この分配は、国の現情において、下層階級がその熟練と勤労との程度により当然手に入れ得べきものよりも遥かに以上の食物を彼らに与えたので、正確にそれだけの比例で、彼らの上の階級がそのより優れた熟練と勤労により当然手に入れ得べき生活必要品を減少せしめたのである。そして、貧民は補助金を受取ったので、他国であったらどこでもかかる場合に必然という大法則の教える代用品を使用せざるを得ないのに、彼らはこれにたよる必要がなかったのであるが、この程度の補助金が、極度の価格騰貴によるかくも大多数者の困窮により、また以前には欠乏に悩むことはなかろうという自信のあったかくも多数のものを教区の救助に依頼するを余儀なからしめた結果を生ぜざるを得ない永久的害悪によって、果して相殺せられて余りがなかったか否かは、疑問とせられ得よう。
 1) 下層階級が平均一週十シリングを得、そのすぐ上の階級が二十シリングを得ると仮定すれば、凶作に当っては、この後者の階級は、その下の階級に一週十シリングが与えられるので、自分の所得から一週五シリング減る場合よりも、その生活必要品購買力は少くなるであろう。前者の場合には彼らはすべて同一水準に堕ち、食料品の価格は競争が大であるために異常の騰貴を告げ、そしてすべてのものが生活資料を減らされるであろう。後者の場合には、貧民の上の階級はなおかなりの程度の相対的優越を保持し、食料品の価格は決して同じ程度には騰貴せず、そして彼らの手に残る十五シリングは前の場合の二十シリングよりも遥かに多くを購買することであろう。
 一年百ポンド以上の収入を有つ一切の人の財産を二倍にしたとしても、それが穀物価格に及ぼす影響は緩慢でありかつ大したことはないであろう。しかし国中の労働の価格を二倍にするとするならば、これが穀物価格を騰貴せしめるのは急速でありかつ著しいであろう。この問題に関する一般原則は議論の余地なきものであり、そして吾々が今考察している特殊の場合において、貧民に対する補助額が右の如き極めて有力な作用を及ぼすほどの高さであったことは、最近の凶作以前に貧民のために徴集された額が三百万ポンドと見積られているが、一八〇一年にはそれが一千万ポンドと云われたことから、十分にわかるであろう。もし外界の事実により最高可能の程度に確証された一般原則が多少とも信頼し得るとするならば、この七百万ポンドの増加額は、最下層階級に作用を及ぼして1)、もっぱら食料の購買に使用されたのであって、これは国内各地方の労賃の価格の著しい騰貴と、有志の任意の慈善行為に費された尨大な金額と相俟って、生活必要品の価格を騰貴せしめる非常に有力な影響を及ぼしたに違いない。私の知るところによれば、ある家族もちの男は教区から一週間十四シリングを受取った。彼らの平均の稼ぎ高は一週間十シリングであり、従って一週間の収入は二十四シリングになった。凶作以前には彼らはおそらく毎週八シリングで一ブシェルの小麦粉を買うを常としており、従って他の必要品を買う余裕は十シリング中二シリングであった。ところが凶作中には彼は同じ分量をほとんど三倍の価格で買うことが出来た。すなわち彼は一ブシェルの小麦粉に二十二シリングを支払い、従前通りに二シリングを他の欲求品に支払ったのである。かかる事例が一般的になるならば、小麦の価格は欠乏期中のどの時期の価格よりも遥かに高くならざるを得ないであろう。しかし類似の事例は決して稀ではなかったのであり、そして救済の額を穀物の価格によって加減するという制度すら一般に行われたのである。
 1) An Investigation of the Cause of the present high Price of Provisions. と題する一八〇〇年十一月出版の小パンフレットを参照。あるものは、このパンフレットを凶作の原因の研究と誤解したのであるが、それは主として一つの原因だけに触れているのであるから、かかる研究としては当然不完全に思われるであろう。しかしこのパンフレットの唯一の目的は、ポオトランド卿の書翰にある如くに食物の不足を四分の一とした上で――これは極めて真実に近いものと私は信ずるが――食料品の価格がその不足の程度に比して極度に高いことの主たる理由を説明するにあったのである。
 もしも我国の通貨が即時には増加し得ない正貨のみからなっていたとすれば、七百万ポンドというが如き金額を余分に貧民に与えれば、必ずや商業活動に大きな妨害が生じたに違いないであろう。従って、この広汎なる救済を開始するに当っては、それは必然的に社会の一切の階級を通じて食料に対しそれに比例せる支出をしなければならなくなるのであるから、通貨の増加に対する大きな需要が生ずることであろう。当時主として使用されていた通貨は需要に応じて直ちに作り出し得る性質のものであった。議会に提出された英蘭イングランド銀行の報告書によれば、この方面からは大きな紙幣発行額の増加がなかったことがわかる。従前の平均発行額よりも三百五十万ポンドだけ余計に発行されたが、これはおそらく流通界から囘収された正貨を填補するに足る以上には、何も生じないことであろう。もしこの想定が正しいならば(そして当時出現した金貨が少量であったことは、ほぼこのくらいの額が囘収されたに違いないと信ずべき有力な理由を与えるものであるが)、通貨のうち英蘭イングランド銀行から出てくる部分は、その性質は変ったけれども、その量は大して増加しなかった、ということになる。そして一切の貨物の価格に及ぼす通貨の影響は、これが主としてギニイ金貨から成り立っていようと、またはギニイ金貨に代って通用するポンド紙幣やシリング銀貨から成り立っていようと、全く同一であることは、疑い得ないところである。
 従って、通貨増発に対する需要は主として地方銀行の供給に委ねられたのであり、そして地方銀行がかくも有利な機会の利用を躊躇したとは考えられない。地方銀行の紙幣発行高は、思うに、依然として流通しているその銀行券の量によってきまり、そしてその高はまた、信用が確立されているとすれば、近隣の一切の貨幣取引を行うに必要なものの総量によってきまる。食料の価格騰貴によって、一切のかかる取引はその額が増加した。教区の補助金を含めて毎週労働者の労賃を支払うというだけで、近隣の通貨需要が非常に増加するのは明かである。もし地方銀行が、かかる特別な需要がないのに同じ分量の紙幣を発行しようと企てたのであるならば、この紙幣は続々と地方銀行に囘流してくるので、これら銀行は直ちにその誤りを思い知らされたことであろうが、しかし右の場合にはそれは直接の日々の用途のために必要とされているのであり、従って流通界にどしどし吸収されてしまったのである。
 同様な事情の下において、たとえ英蘭イングランド銀行が正金支払を制限されなかったとしても、地方銀行はほとんど同額の紙幣を発行しなかったか否かは、疑問を容れ得るところであろう。この事件以前には、地方銀行の紙幣発行は流通界の消化量よって左右されていたが、その以後にも以前にも、地方銀行は、囘流してくる銀行券を、英蘭イングランド銀行の通貨をもって支払う義務を負っていた。二つの場合の相違は主として、銀行制限令施行以来、一ポンド及び二ポンドの銀行券を発行する悪い習慣が生じたこと、及び人々が金貨が得られない場合には地方銀行券と英蘭イングランド銀行券とのいずれをとるかに無関心であることから、生ずるものであろう。
 従って、一八〇〇年及び一八〇一年におけるこの巨額の地方銀行券の発行は、明かに、本来、食料の価格騰貴の原因であるよりはむしろ結果たるものであるが、しかしそれがひとたび流通界に吸収されれば、それは必然的に一切の貨物の価格に影響を及ぼし、そして以前の低廉な価格に復帰するのに非常に大きな障害を与えるに違いない(訳註)。これがこの制度上の大欠陥である。凶作の期間中、通貨の膨脹が、しからざれば生じたに違いない商業上及び投機上の障害を防止して、もって一切の取引部門をして円滑に継続し得せしめ、またしからざる場合に行われ得た以上の多量の穀物を輸入し得せしめたことは、疑問の余地がないが、しかしかかる一時的利益を相殺するものとして永続的害悪が社会にもたらされ、この膨脹せる通貨を再び吸収するのが困難であるため凶作時の価格が永続的なものになったおそれがあるのである。
〔訳註〕第二版にはここに次の註があったが、これは第三版以下で削除された、――
『ソオントン氏は、紙幣信用に関するその名著の中で、地方銀行の紙幣発行高が巨額に上ったので、貨物の価格が騰貴し外国為替が逆になったことを、十分に認めていないように、私には思われる。』
 しかしながら、この点において、この多額の紙幣発行が英蘭イングランド銀行により行われるよりは、地方銀行により行われたのは、遥かによいことである。正貨支払の制限中は英蘭イングランド銀行の紙幣が過剰な場合にこれを囘収せしめることは出来ないが、しかし地方銀行についてはその紙幣が流通界で不必要となれば直ちに発行者のところへ戻っていくのであり、従って英蘭イングランド銀行の紙幣が増加しないならば、流通貨幣はこのようにして減少されるであろう。
 二箇年の凶作の後に、食物の豊富と価格下落とをもう一度実現するに最も都合のよい二条件たる豊作と平和が実現したのは、吾々にとって特に幸運であったと考えてよかろう。この二つは相俟って買手にも売手にもその心中に食物の豊富なことを確信せしめ、従って買手は買い急がず売手は売急ぎとなったので、その結果市場は供給過多となり、従って価格は急激に下落し、これによって教区は貧民に対する補助を止め、かくして売手の驚駭きょうがいが終った時に価格が再び騰貴するのを防止し得たのである。
 もしこの二箇年の凶作に続いて平年作が生じたに過ぎなかったならば、私は、市場には供給過多は起らず、穀物の価格はわずかに相対的に取るに足らぬほどしか下落せず、教区の補助は続き得ず、紙幣発行高の増加が依然要求され、そして一切の貨物の価格は通貨の[#「通貨の」は底本では「通過の」]膨脹に比例していつまでも下落しなかったことであろう、と信ぜざるを得ない。
 教区の補助という一時的救済はひとたび価格が下落すれば直ちに撤囘することが出来るものであるが、かかる一時的救済の代りに、もし吾々があまねく労働の労賃を引上げたとすれば、通貨の減少と価格の下落とに対する障害は更にいっそう大となり、そして労働の価格の騰貴は永続的となりながらしかも労働者には何の利益も与えなかったことは、明かである。
 私は労働の価格の真実騰貴が生ずべきことは何人にも増してこれを熱望している。しかし名目価格の強制的引上によっってこの目的を達せんとする企てが、最近の凶作中に、ある程度まで実行され、またほとんどあまねく推奨されたけれども、かかる方法は、いやしくも心あるものは、幼稚無効の策として排斥しなければならぬものなのである。
 労働の価格は、その自然的水準を見出すままに委ねられた場合には、食料の供給とその需要との関係、消費せらるべき分量と消費者の数との関係、を示す極めて重要な政治的晴雨計であり、そして偶然的事情を去って平均を採ってみれば、それは更に、人口に関する社会の要求を明かに示すものであって、換言すれば、現在の人口を維持するためには一結婚当りいくらの子供が必要であるか否かは別として、労働の価格は、労働の維持のための基金の状態に応じて、すなわちそれが停止的であるか増加しているかまたは減少しているかに従って、上記の子供の数を養うにちょうど足るか、またはそれ以上であるか、またはそれ以下であるかであろう。しかしながら吾々は、それをかくの如くは考えずして、吾々が任意に上下し得るもの、主として国王の治安判事の意のままに決定し得るもの、と考えている。そこで、食料の価格騰貴が既に、需要が供給に対して過大であることを示している時に、労働者をして従来と同一の境遇に置かんがために、吾々は労働の価格を引上げる。換言すれば吾々は需要を増加する。そしてしかる後に食料の価格が引続き騰貴するのを見て非常に驚いているのである。これはちょうど、普通の晴雨計の水銀が暴風雨を示している時に、これをある機械的圧力を加えて快晴とし、そしてしかる後に引続き雨が降るのを見て大いに驚くのと、同じことである。
 凶年の自然的傾向として、親方が同一数の人間を同一価格で雇傭し得ないので、一定数の労働者が失業することとなるか、または労働者が従前よりも安く働かざるを得なくなるかであることは、スミス博士の明かに証示したところである。労賃の価格の引上は必然的に失業者の数を増加し、そして――彼れの曰うに――時に若干の凶作の年に生ずる、下層階級のものをしてより多くの仕事をなさしめ、より周到勤勉ならしめるというよい効果を、全然妨げる傾向のあるものである。この前の凶作中に多くの召使や職工が失業した事実は、右の推理の真なることを示す陰惨な証拠である。もし食料の価格に比例した労働の労賃の一般的騰貴が生じたならば、農業者と少数の紳士以外のものは、従前と同数の労働者を雇傭し得なかったことであろう。あれ以上更に多数の召使と職工は解雇され、かくして失業したものは云うまでもなく教区以外に救いを求めるところは有たないであろう。自然的事態として、凶作は労働の価格を引上げずして引下げる傾向を有たねばならぬのである。
 アダム・スミスの著書の如きが公刊され流布した後になお、かくも多数の経済学者をもって自任する人々が、治安判事や議会は一片の命令でその国の全事情を一変することが出来ると考え、また食料の需要が供給よりも大である時に、一片の特別条例を発して供給を即座に需要と[#「需要と」は底本では「需給と」]一致させまたはこれよりも大ならしめることが出来ると考えているのは、いかにも奇妙なことと思わざるを得ない。食物の最高価格の提唱に尻込みする多くの人々も、自ら労働の価格は食物の価格に比例せしむべしと提議し、この二つの提案は実はほとんど同性質のものであり、両者は直接に飢饉を指向するものであることに、気が附いていないのである。食物の価格を公定して労働者に従前と同一量の食物を買うことが出来るようにするか、または労働の価格を比例的に引上げてそうするかは、結局同じことである。労働の価格を引上げる方の唯一の利益は、その結果として食物の価格が必然的に騰貴し、輸入を促進するという点であるが、しかし戦争その他の事情によって妨げられるおそれのある輸入を別とすれば、食物の価格に比例して労賃をあまねく引上げ、更に失業者に適当な教区の補助を与えるならば、その結果として最高価格の場合と同じくあらゆる種類の節約が妨げられるので、十二箇月間続かなければならぬ全収穫が九箇月で消費されてしまうこととなり、かくて飢饉が生ずるであろう。同時にまた吾々は(訳註)、人道からいってもまた真の政策からいっても、吾々はこういう場合には、事情の許す限りのあらゆる援助を貧民に与えるべきであるということを、忘れてはならない。もし食物が引続き凶作価格にあるならば、労働の価格は必然的に騰貴しなければならず、しからざれば疾病と飢饉とが急速に労働者の数を減少せしめるであろう。そして労働の供給は需要に対し等しくなって、その価格はまもなく食物の価格以上の比例で騰貴するであろう。しかし一、二年の凶作でも、もし貧民がそのままに放置されるならば、この種の結果を生じ得るものであり、従ってかかる困窮の季節に彼らに一時的援助を与えるのは、吾々の利益でもあればまた義務でもある。あらゆる低廉なパン代用品とあらゆる食物節約法を講ずべきは、かかる場合である。吾々はまた穀物価格の騰貴をすぐに不平の種とすべきではないのであり、けだしこれは輸入を促進して供給を増加するからである。
 〔訳註〕『同時にまた吾々は……』以下このパラグラフの最後までは第三版より現わる。
 貧民法と強制的労働価格引上策との無効なることは、凶作の際に最もはっきりわかるのであるから、私が両者を凶作の条件の下に考察したのは至当なことと思う。そしてこれらの価格騰貴の原因は、最近の凶作中通貨の増発によって著しく力を加えたのであるから、通貨の問題につきいささか枝道に入ったのは、当然許さるべきことと信ずる。
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第六章 貧民法について(続)

(訳註)

 〔訳註〕本章の前半は第一版からのものである。すなわち第一版では、前章中頃に訳註で指摘した箇所から本章の冒頭へと続く。もとより加筆はあるが、それはその箇所で指摘することとする。
 凶年に関する考慮はすべて別としても(訳註1)、人口の増加はそれに比例する食物の増加がなければ各人の所得(訳註2)の価値を低めざるを得ないことは、明かである。食物は必然的に従前よりも少量に分配されなければならず、従って一日の労働は従前よりも少量の食物しか購買しないであろう。食物の価格の騰貴は、人口の増加が生活資料の増加よりも急速であるためか、または社会の貨幣の分配の変化かのいずれかから生ずるであろう。旧国の食物は、たとえ増加するとしても、緩慢にかつ規則的に増加し、従って急激に起る需要に応じさせることは出来ないが、しかし社会の貨幣の分配の変動はしばしば起るところであり、そして疑いもなく食物価格の不断の変動を惹き起す原因の一つをなしているのである。
 〔訳註1〕ここまでの句は第二版より現わる。
 〔訳註2〕この『所得』は第一版では『特権』とあった。
 英蘭イングランドの貧民法は次の二つの方法で貧民の一般的境遇を圧迫する傾向がある。その第一の明かな傾向は、それを養うべき食物を増加することなくして人口を増加することである。貧民は教区の補助がなくしては一家を養うことが出来るという望みがほとんどまたは全くないのに、結婚するであろう。従ってこの法律は、自分が扶養する貧民を自ら作り出している、と云えるであろう。そして国の食物は、人口増加の結果として、各人に前より少ししか分配されざるを得ないから、教区の救済で養われていないものは、その労働をもって、前よりも少量の食物しか買えなくなり、その結果としてますます多数のものが救済を求めざるを得なくなるのである。
 第二に、一般的に社会の最も価値ある部分とは考え得ない人口によって救貧院で消費される食物の分量は、それだけ本来ならばもっと勤勉なもっと価値ある人々のものとなるべき分け前を減少するものであり、かくして前と同様に、より多くの人の独立を失わせることとなる。もし救貧院の貧民が現在よりももっとよい生活をするとすれば、これによる社会の貨幣の新らしい分配によって、食物の価格は騰貴し、これにより救貧院外の人々の生活はもっとはっきり悪化することとなるであろう。
 英蘭イングランドにとって幸福なことには、独立の精神はなお農民の間に残っている。貧民法はこの精神を根絶する傾向の強いものである。それは既に一部分は目的を達したが、しかしもし予期される如く完全にこの目的を達したとすれば、その有害なる傾向は久しく眼につかずにいることはなかったであろう。
 個々の場合には残酷に思われるかもしれないが、人に頼る貧困は恥辱とせらるべきである。かかる刺戟は、人類大衆の幸福を促進する上に必要なのであり、この刺戟を弱めようとする一切の一般的企図は、その意図がいかに慈善的であっても、常にそれ自身の目的を蹉跌さてつせしめるであろう。もし教区から食物が得られるというだけの眼当てで結婚する気になる者があるならば、それは啻に自分と子供とに不幸と依倚いいとを齎らすという不当な誘惑を受けているのみならず、自分自身と同じ階級のすべての人を知らず識らず害する誘惑を受けているのだということになるのである(訳註)。
 〔訳註〕これにすぐ続いて第一版では次の如くあったが、第二版以下では削除された、――
『家族を養うことが出来ないのに結婚する労働者は、ある点において、その同輩労働者の全部に対する敵と考えてよかろう。』
 英蘭イングランドの貧民法は食料の価格を引上げ、労働の真実価格を低下せしめる傾向があったように思われる。従ってそれは、その労働以外には何物も有たない階級を貧困に陥れるに寄与したのである。それが、一般に小商人や小農業者の間で見られる気風とは反対な、不注意と浪費癖とを貧民の間に生ぜしめるに大いに力あったものと、考えないわけにも行かない。労働貧民は、下品な云い方をすれば、常に手から口への生活をしているように思われる。彼らの注意全体を奪っているものはその現在の欲求であり、将来のことを考えることはほとんどない。貯蓄の機会がある時でも、彼らは滅多に貯蓄をせず、その所得が目前の必要を充たして余りあれば、それは概して酒場で使ってしまう。従って貧民法は、一般人の節約の意思と能力との両者を減じ、かくして節制と勤労、従ってまた幸福への最も強力な刺戟を弱めるものと、云い得るであろう。
 親方工業家の間では、労賃を高くすると彼らの労働者はすべて堕落するという苦情が、一般に行われているが、しかしもし労働者が事故のある場合に生活の資を教区の救済に頼らないということになれば、彼らはその高い労賃を飲酒や浪費に費すことなく、その一部を家族の将来の扶養のために貯蓄しないはずはないのである。そして工業に使用されている貧民は、この救済をもって、彼らの儲ける労賃を全部費消してしまい、享楽出来る間は享楽してよいのだと考える理由としていることは、大きな工場が失敗すると直ちに多数の家族が教区に殺到することで、はっきりわかる。しかもこの工場の繁栄時に彼らが得ていた労賃は、おそらく通常農業労働者の労賃よりも以上であり、この超過を彼らが貯蓄していれば、他に働き口を見附けるまで十分生活が出来たのである。
 自分が死ぬか病気になれば妻や子供を教区に委ねなければならないという考え方だけでは、酒場に行くのを止め兼ねるような人間でも、こういう場合には家族はえねばならぬか、しからざれば時たまの恵みを当てにして暮す外ないのだということがはっきりわかっているならば、その所得をこのように浪費してしまうのを躊躇することであろう(訳註)。
 〔訳註〕第一版ではこれにすぐ続いて次の如くあったが、第二版以下では削除された、――
『支那では労働の真実価格も名目価格も極めて低いのに、息子達は法律によって年老いた頼りのない両親を養うことを命ぜられている。かかる法律を我国でも作った方がよいかどうかは私はあえてこれを決定しようとは思わない。しかしとにかく、従属的貧困をかくも一般的ならしめる積極的制度によって、最上のかつ最も慈悲深い理由から云って貧困に当然伴うべき恥辱感を弱めるのは、極めて当を得ないことと思われるのである。』
 ただしこの最後の文は第二版以下では次のパラグラフの後半に移されている。
 怠惰と浪費とに対する最も力強い妨げがかくの如くして除かれてしまうときには、庶民の幸福の総量は減少せざるを得ない。そして従属的貧困をかくも一般的ならしめる積極的制度は、最上かつ最も慈悲深い理由から云って貧困に当然伴うべき恥辱感を弱めるものである(訳註)。
 〔訳註〕このパラグラフの後半は、すぐ前に述べた如く、第二版以下で入れ替えされたものであるが、第一版ではそれは前パラグラフにある。このパラグラフ以下は第一版では次の如くあったのである、――
『怠惰と浪費とに対する最も力強い妨げがかくの如くして除かれてしまい、人々がかくて独立して一家を養い得る見込をほとんどまたは全く有たずに結婚する気になるときには、庶民の幸福の総量は減少せざるを得ない。結婚の途上にあるあらゆる障害は疑いもなく一種の不幸と考えなければならない。しかし吾々の天性の法則により人口に対するある妨げは存在しなければならないのであるから、人口増加が奨励されてその結果がただ後に至って欠乏と疾病とによって圧迫されるというよりも、それが家族の扶養に伴う困難の予見によって妨げられる方がよいのである。
『食物と、原料が多量にある加工貨物とでは、本質的相違があることを、常に記憶しなければならない。この後者に対する需要は、必ずやそれを、欲求される量だけ創造するものである。食物に対する需要は決して同一の創造力を有たない。一切の肥沃な土地が占有されてしまった国においては、農業者が数年間有利な収穫を期待し得ない土地に施肥するのを奨励するためには、多額のものを提供しなければならない。そしてこの種の農業耕作を奨励するに足るだけの利益の見通しが得られるまでは、また新生産物が作られつつある間は、生産物が欠乏して非常に困窮することもあろう。より多量の生活資料に対する需要はほとんど例外なくあらゆる場所において同じものであるが、しかし久しく占有されている国においてはすべてかかる需要はなかなか満たされぬものである。』
 英蘭イングランドの貧民法は疑いもなく最も慈善的な目的のために制定されたものであるが、しかしそれがこの目的を達し得ていないことは明かである。それは確かに、これがなければ起ったと思われる苛酷な困窮の若干を緩和したけれども、しかし教区によって養われている貧民の状態は、一切の事情について考えてみるに、極めて悲惨なものである。しかしこの制度に対する主たる異論の一つは、貧民の一部が救済を受けるということ自体が既に祝福であるかどうか疑わしいのであるが、この救済のために英蘭イングランドの全庶民階級が、憲法の真精神と両立し難いいまいましい不便な暴虐な法律に服さなければならぬ、という事実である。貧民宿泊所の仕事はすべて、現在のように改正されても、あらゆる自由の思想と全然相容れないものである。教区が、その家族が厄介物となりそうな状態にある男や、出産の近い貧民女子を、強制的に収容するとは、これは最も恥ずべき嫌忌すべき暴虐である。そしてこの法律が絶えず労働市場に生ずる妨害は、救済などは受けずに自力でやっていこうと闘っている人々の困難をいっそう加重する傾向があるのである。
 貧民法に伴うかかる害悪は救治し得ないように思われる。もし救済をある階級の人々に与えるということになれば、適当な救済の対象者を他から弁別し、必要な事務を執行すべき権力が、どこかに設けられなければならない。しかし他人の事柄に著しい干渉をするのは一種の暴虐であり、そして通常の事態においてはかかる権力の行使は、救済を求めざるを得ないものにとっては、いまいましくなってくると考えてよかろう。教会委員や救貧監督官の暴虐は、いつも貧民の不平の種となっているが、しかし悪いのはこれらの人々よりはむしろ一切のかかる制度にあるのであって、これらの人々もおそらく権力を得ないうちは他の人以上に悪い人間ではなかったであろう。
 私は、もし我国に貧民法が存在しなかったならば、非常に甚だしい困窮の事例はもう少し多かったとしても、庶民の幸福の総計は現在よりも遥かに大きかったであろうと信ずる(訳註1)(訳註2)。
 〔訳註1〕このパラグラフの冒頭には第一版では次の一文があったが第二版以下では削除された、――
『害悪はおそらく既に救治し難いところまで行っている。しかし、』
 〔訳註2〕ここまでが第一版から取られた部分であり、この次のパラグラフからは第二版以下に現われたものである。第一版ではこれに続いてピット貧民法に関する批評が現われている。それは次の如くである、――
『ピット氏の貧民法は慈悲深い意図をもって作られた外貌を有っており、それに対するやかましい反対論は多くの点において方向を誤っており不合理である。しかし、それが著しい程度に、この種の一切の制度を有つ大きな根本的な欠陥、すなわち人口を養う手段を増加せずにこれを増加し、かくて教区の扶助を受けないものの境遇を悪化し、従ってより多くの貧民を作り出すという欠陥を、有つものであることを、告白せざるを得ない。
『社会の下層階級の欠乏をなくするというのは実際困難な仕事である。実際のところは、この社会部分に対する困窮の圧迫は、極めて根元が深くて人間の知識では到達し得ない害悪なのである。そこで一時的対策を提唱するとすれば、――そしてこの場合提唱し得るものは一時的対策しかないのであるが――それは第一に一切の現行の教区法の全廃でなければならぬ。これはとにかく、英蘭イングランドの農民が現在有っているとは云い得ない行動の自由を彼らに与えるであろう。そうすれば彼らは、仕事がより労働の価格がより高いと思われる場所へ、何の妨害も受けずに定着し得るであろう。そうすれば労働市場は自由となり、そして現状ではしばしば長期間価格が需要に従って騰貴するのを妨げる障害は除去されるであろう。
『第二に、新らしい土地の開墾には奨励金が与えられ、工業以上に農業に対して、また牧畜以上に耕作に対して、一切の可能な奨励が与えられてよかろう。農業労働の給与を商工業労働よりも悪くしている組合や徒弟制度に関する一切の制度を弱め破壊するために、あらゆる努力を払わなければならない。けだし、かかる職人優遇の区別がある間は一国は決して必要な食物量を生産し得ないからである。農業に対するかかる奨励は、市場に健康な仕事をますます多く供給する傾向があり、同時に、国の生産物は増加するので労働の比較価格は騰貴し、かくて労働者の境遇は改善されるであろう。かくて労働者は今や境遇がよくなり、また教区の補助金を貰う見込がないのを見て、自分や家族の病気に備える組合に入る能力も増せば意思も増すことであろう。
『最後に、極度の困窮の場合に備えて、全国に賦課する租税で維持し、あらゆる州民に、否、あらゆる国民に無料の、州救貧院を作ってよかろう。躾は厳重にし、能力あるものは仕事をさせるべきである。それがあらゆる困難に際しての楽しい救護所と考えられることなく、ただひどい困窮がいささか軽くなる場所と考えられるに過ぎぬことが、望ましいであろう。これらの建物の一部を離して建てるか、別の建物を建てて、自国人であろうが他国人であろうがいつでも一日の仕事をしてそれに対する市場価格を受ける場所に充て、このしばしば指摘されている極めて慈悲深い目的を達するのもよかろう。疑いもなく個人的慈善の発動に対しては多くの機会が残されているであろう。
『この種の計画の予備手段はまず一切の現行の教区法の廃止であるが、かかる計画は英蘭イングランドの庶民の幸福の総量を増加するのに最もよいと思われる。しかし、窮乏の囘起を防止するのは、悲しいかな、人力の及ぶところではない。事の性質上不可能なことを達成しようと無駄な努力をして、吾々は今、啻に可能なことだけではなく、確実な便益すらも犠牲にしている。吾々は庶民に、圧制的法規に服すれば決して窮乏はさせないと告げる。そこで彼らはこの法規に服する。彼らは契約のうち自分の義務を果しているのであるが、吾々は自分の義務を果さず、否、果し得ない。かくて貧民は貴重な自由の恵みを犠牲とし、しかもその当価と称し得るものをその対価として何も受取っていないのである。』
 この種の一切の制度の根本的欠陥は、教区により救済を受けないものの境遇を悪化して、より多くの貧民を作り出すということである。実際吾々が我国の法令の若干を人口原理に照して厳密に検討するならば、それが絶対的に不可能事を企てていることがわかるであろう。従って吾々はそれが絶えずその目的の達成に失敗したのを見て、驚く必要は少しもないのである。
 しばしば引用され賞讃されている有名なエリザベス法律第四三号は、救貧監督官について規定して曰く、『二名またはそれ以上の判事の同意を得たる上、右により両親にその維持扶養能力なしと認められたる子女、及び既婚と未婚とを問わず生計を維持すべき資産または日常の定職なき者を、職業に従事せしめるの処置を随時講ずべく、また当該教区の各住民及び各土地占有者に(彼らが適当と認むる額を)課税することにより、亜麻、大麻、羊毛、綿糸、鉄、その他必要なる器具資財を適量に調達して、貧民を職に就かしむべし』と。
 これは、我国における労働の維持のための基金が、政府の一法令によりまたは救貧監督官の徴税によって、任意にかつ無制限に、増加せられ得るということでなくて何であるか。厳格に云えば、この条項ははなはだ傲慢笑止な法律であって、あたかも従来一本の穂しか生じなかった場合に今後は二本の穂を生ずべしと規定するようなものである。カヌウト王が波に向い余の御足を濡すべからずと命じた時ですら、実際は自然法に対してこれ以上の支配力を装ったのではなかった。また、いかにして労働の維持のための基金を増加するかについて、救貧監督官には何の指令が与えられているわけでもない。勤労や節約や農商業資本の運用上の聡明な努力というふうなものがこの目的のためには必要であるとはされていない。ただ政府の一法令をある無智な教区の役人の判断によって運用すれば、直ちにかかる基金が奇蹟的に増加を告げるものと、期待しているのである。
 もしこの条項が実際にまた文字通りに施行され、教区の援助を受けるのに伴う恥辱感がなくなるならば、あらゆる労働者は、自分の子供を全部適当に養ってもらえるという見込をもって、好むがままに早婚することが出来よう。そして仮定によれば結婚後も、貧困の結果生ずる人口に対する何の妨げもないのであるから、人口の増加は古国においてその例がないほど急速なものとなるであろう。本書の前の方であれだけ述べてあるのだから、かかる場合、最も聡明な政府の最善の努力をもってしても、食物をして人口と歩調を合せしめ得るか否かは、読者の判断に委せよう。いわんや勝手気ままな一片の法令の如き、生産的労働の維持のための基金を増加するよりはむしろ確かにこれを減少する傾向を有つだけのことである。
 あらゆる国の現状においては、自然の出産力は常にほとんどその全力を発揮する用意があるように思われる。しかし実際問題としては、国民の勤労を指導して土地が生み出し得る最大量の人類の食物を生産することほど、おそらく、出来そうもないことはなく、またいかなる政府にも出来ないことはないのである。在来人間にとり価値あるものはすべて財産に関する法律から生じたものであるが、右の如きことをすれば、必ず、この財産に関する法律を全く完全に破壊してしまうことになろう。結婚の欲望は、なかんずく極めて若い人間にあっては、極めて強烈なものであり、従ってもし家族を養う困難が全く除去されるならば、二十二歳まで独身の者はほとんどないであろう。しかしいかなる政治家、いかなる合理的政府が、一切の肉食は禁止すべしとか、仕事や娯楽のために馬を使用すべからずとか、万人は馬鈴薯を食って生活すべしとか、単なる衣住の必要品のために要する勤労を除いて、全国民勤労は馬鈴薯の生産に当るべしというような、提案をすることが出来るであろうか。かかる革命が仮に出来るとしても、それは果して望ましいことであろうか。いわんや一切のかかる努力をもってしても、数年にして、資源が減少して欠乏が不可避的に再来するにおいてをや[#「をや」は底本では「おや」]
 一国がもはや新植民地のもつ特殊事情を失ってしまえば、その耕作の現状において、または最も聡明な政府から合理的に期待し得る状態においては、その食物の増加は決して久しきに亙って無制限な人口の増加を許し得ないことが常にわかるのであり、従ってエリザベス法律第四三号の条項を永久的法律として正当に施行するというのは、物理的不可能事なのである。
 あるいは、事実は右の理論に反し、問題の条項は過去二百年有効であったしまた実施されてきた、という者があろう。これに対しては、私は、躊躇なく答える、この条項は実際は実施されなかったのであり、すなわちその実施が不完全であったからこそ、今日法典集の中に残っているのである、と。
 困窮者に与えられる救済が僅少であり、救貧監督官は時にこれを気紛れな侮辱的な態度で分与し、また英蘭イングランドの農民の間にはなお自然的な彼らにふさわしい自負心が消滅せずに残っているので、かかる事情は相俟って、彼ら農民のうち思慮や徳性に富むものをして、単に教区から補助を貰えるというほかに何かもっとよい家族扶養手段の得られる望みがない場合に、結婚を差し控えさせている。吾々の境遇を改善せんとの願望と、これを悪化しはしまいかという恐れとは、医学における自然の治癒力と同様に政治における国家の治癒力なのであり、狭隘な人類の制度から生ずる疾患に常に対抗して働いているのである。人口増加を擁護する偏見と、貧民法による結婚の直接奨励とがあるにもかかわらず、この国家の治癒力は人口増加に対する予防的妨げとして作用しているのであり、またそれがかかるものとして作用していることは我国にとりまことに幸福なことなのである。しかし、貧民法の(訳註)結婚奨励にもかかわらずこれを妨げている独立の精神と慎慮との外にまた、この貧民法それ自身少からざる妨げを惹起しており、かくて一方の手で奨励するところを他方の手で制止しているのである。すなわち各教区はそれ自身の貧民を養わなければならぬのであるから、当然貧民の数の増加を恐れており、従って地主は真に労働者が必要な場合の外は、彼らの住む小屋を建てるよりは壊す方に熱心である。この小屋の不足は必然的に結婚に対する有力な妨げとして働いているのであり、そしておそらく、貧民法の制度がこんなに永続きし得たのは主としてこの妨げの故なのである。
 〔訳註〕『しかし、貧民法の……』以下このパラグラフの終りまでは第三版より現わる。
 これらの原因によって一時結婚を妨げられることのなかったものは、自宅でほんのわずかの救済を受け、極貧から生ずる一切の結果に苦労するか、しからずんば死亡率なかんずく幼児死亡率があまねく高率のむさ苦しい不健康な救貧院に密集して暮すこととなる。ロンドンの救貧院の子供の待遇に関するジョウナス・ハンウェイの恐るべき報告は有名であるが、ハウレット氏その他の記すところによれば、若干地方における彼らの状態もこれより余りよいわけではないことがわかる。貧民法によってもたらされた過剰人口の大きな部分は、かくの如くして、この法律自身の作用により、または少くともその実施の不適なるために、除去されているのである。これを免れて生き残ったものは、労働の維持のための基金を、本来それにより適当に維持され得る以上のものに分配させることとなり、また少からぬ部分を勤勉な用心深い労働者の扶養から怠惰軽率な労働者の扶養分に廻すこととなって、かくて救貧院外の一切の人々の境遇を圧迫し、年々そこに入るものの数を増加し、そしてついに吾々全部がまさに痛嘆すべき大害、すなわち不当に多数の人間を今日慈善の手に委ねるという状態を、現出するに至ったのである。
 問題の条項の実施状況及びそれがもたらす結果がまさに右に述べた如きものであるとすれば、吾々は貧民に対して許し得ない詐欺を行ったのであり、到底実行の出来ないことを約束したのだ、ということになる(訳註)。
 〔訳註〕これにすぐ続いて第二―三版では次の如くあったが、これは第四版以下で削除された、――
『貧民法は生命を保存したよりも破壊した方が多いと、誇張の危険を犯すことなくして云い得るであろう。』
 何らか大規模に貧民を工業に使用しようとする企てはほとんど全部失敗し、資本と原料とは浪費されてしまった。管理が他よりよくまたは資金が他より多いために、少数の教区はこの制度を今日まで行うことが出来たが、こういう教区では、かかる新工場が市場に与えた影響として、従来同種の工場に働いていた多くの独立労働者は失業したに違いない。この事実は『賑恤しんじゅつは慈善に非ず』Giving Alms no Charity. と題する議会建白書の中でダニエル・ドゥ・フォウがはっきりと述べているところである。工業に救貧院の子供を用いることにつき彼は曰く、『これらの貧児が梳毛一綛そもうひとかせを紡ぐごとに従来これを紡いでいた貧しい家庭の一綛が減り、またロンドンでこのようにしてベイズが一枚出るごとに、コルチェスタその他で作るそれが一枚減らねばならぬ1)』と。サア・F・M・イードゥンも同じ問題について曰く、『布箒は、救貧院の子供が作ったものであろうと私的労働者が作ったものであろうと、世間が必要とする以上には売れるものではない2)』と。
 1) See extracts from Daniel de Foe, in Sir F. M. Eden's valuable Work on the poor, vol. i. p. 261.
 2) サア・F・M・イードゥンは、労働能力のある間は職業を与えられ労働能力のない時には衣食を与えられるという、貧民の想像的権利について、極めて正当に次の如く述べている、『しかしながら、その実行が出来そうにもないような権利が、存在すると云い得べきか否かは、疑わしいことである。』vol. i. p. 447. 貧民法の及ぼす結果に関し断定を下すためにサア・F・M・イードゥンほどに多数の資料を蒐集したものはないが、その結果を彼は次の如く述べている、『従って全体として、強制的貧民維持から期待し得る善の総計よりも、それが不可避的に作り出す悪の総計の方が、比較にならぬほど多い、と結論すべき正当な根拠があるように思われる。』vol. i. p. 467. ――私はこのように実際的な研究者から貧民法に関する私の意見を是認してもらって嬉しく思うものである。
 新らしい資本がある特定の商工業に競争者として参加する場合には、従来からこれに従事しているものにある程度害を与えないで済むことは稀であるから、同じ推理はこの場合にも当てはめ得る、とおそらく云うものがあろう。しかしこれら二つの場合では本質的相違があるのである。今の場合では競争は全く公正であり、何人も事業に身を投ずるに当って覚悟しなければならないものである。この場合競争者がより優れた熟練と勤労を有たぬ限り、その地位を追われる心配はないのである。しかし前の場合には、競争は大きな補助で援護されているのであり、これによって競争者は熟練と勤労が非常に劣っているのに、独立労働者よりも安売りが出来るようになり、これを不当に市場から駆逐することが出来るようになるのである。しかもこの駆逐されるもの自身は、おそらく、自分の得たところを割いて競争者に寄附させられるのである。かくて労働の維持のための基金は、相当の利潤を生む事業から、補助なくしては自立し得ない事業の支持へと、移転されることとなる。一般的に云えば、課税により労働の維持のための基金が得られるときには、その大部分は新たな資本が投ぜられたのではなく、以前にはもっと有利に用いられていた古い資本がその用途が変っただけのことなのであるのを、注意しなければならぬ。農業者は、不良な儲からぬ工業を助成するために貧民税をおさめているが、これを彼の土地に投じた方が遥かに国にとり有利な結果となるのである。一方の場合には労働の維持のための基金は日に日に減少し、他方の場合には日に日に増加する。そして貧民を雇傭するための徴収金があらゆる国において労働の維持のための真実基金を減少するこの明白な傾向は、国民がいかに急速に増加しても政府はその全部に仕事を見つけてやることが出来ると想像することの不合理を、いっそう加重するものである。
 以上の推理は、小規模に、かつ同時に貧民の増加を刺戟しないという条件附きで、貧民を雇傭しようという一切の試みに対する反対論として用いてはならない。私は一般原理を行き過ぎの点まで押付けるつもりはない。もっともそれは常に心にとめておくべきだとは思うが。特別な場合には、非常に大きな個人的の福祉が得られしかも社会全体の蒙る害悪は非常に小さいので、前者が明かに後者を相殺して余りあることもあり得るのである。
 私の意図は単に、一般的制度としての貧民法は大きな誤謬に基づいており、そして吾々がしばしば印刷物で見たり絶えず会話で聞いたりしている貧民問題に関する通説、すなわち労働の市場価格は常に家族を立派に養うに足るものでなければならず、また働く意思のあるすべての者には仕事が見出さるべきであるという説は、結局、我国における労働の維持のための基金は啻に限りないばかりでなく(訳註)また変動しないものである、と説くに等しいものであり、そして一国の資源が急速に増進していようと、緩慢に増進していようと、停止的であろうと、退歩的であろうと、労働階級に完全雇傭と十分の労賃とを与える能力は常に正確に同一でなければならぬ、と説くに等しいものであり、これは最も平易明瞭な需要供給の原理と矛盾し、そして一定の面積は無限の人口を養うことが出来るという不合理な主張を含意するものである、ということを、証示するにあるのである。
 〔訳註〕これ以下は第五―六版の文句であり、第二―四版では次の如くなっていた、――
『また現在家族も含めて我国の労働者が六百万であるとして一世紀後にはそれが九千六百万となるほどの、すなわちこの基金がエドワド一世の治世の初め以来適当に管理されてきたならば当時の労働者がわずか二百万であるとして現在地球上にある人口として計算されているものの約四千倍の労働者となるほどの、速度をもって増加せしめ得るものと、説くに等しいものであることを、証示するにあるのである。』
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第七章 貧民法について(続)

(訳註――本章は第五―六版のみに現わる。)

 貧民法の性質及び影響に関し前章で試みた記述は、一八一五年、一八一六年及び一八一七年の経験によって最も明かに確証された1)。この三箇年間に、最も重要な二つの点が、理性を有つ人にはもはや疑問の余地がないまでに、確証されたのである。
 1) 本章は一八一七年の執筆にかかる。
 その第一は、我国は、貧民法において貧民に約束した、仕事がないためまたは何らかの他の原因によって自分がその家族を養い得ないものを、教区の補助によって養いまた就業させてやるといった約束を、実際問題として履行していないという事実である。
 またその第二は、法定教区課税は著しく増加され、また自発的慈善による寄附が物惜しみせず立派に行われたのに、我国は、働く能力と意思を有つ多数の労働者や職人に適当な職業を見出すことは全然出来なかったという事実である。
 ロンドンその他の大都市には、多数のほとんど餓死に瀕している[#「瀕している」は底本では「頻している」]家族が、なるほど救貧院へ収容されることは出来ることは出来るのだが、それが密集しており不健康で恐るべき状態なので教区へ頼っていくことをしないでいるというのが、周知の事実であるのに、多くの教区は絶対的に必要な課税を徴収することが出来なくなっており、それを増加しても現行法によれば、単にいよいよ多数のものを教区に依存せしめ、徴収したものの効果をいよいよ小ならしめる傾向があるにすぎないというのが、周知の事実であるのに、また全国の隅から隅に亙って教区の課税の不足を補うために自発的慈善を採用しようというほとんど普遍的な叫びが挙げられているというのが、周知の事実であるのに、貧民法は実際その約するところを行っているとは、もはや確かに主張し得ないのである。
 右の事実は貧民法の無効なることを有力に指示するものであるが、これはこの法律がその約するところを行ってはいないということの争い得ない証拠と考え得るのみならず、またそれを実行し得るものでないということの、最も有力な証拠を与えるものと考えてよい。違約に対する一切の理由のうち最もよいものは、それが絶対に実行不可能であるという事実であり、また実際それは弁解としては唯一の有効なものである。しかし不可能なことを実行し得ないというのは許し得ることではあろうが、しかしそれを知りつつ不可能事を約束するのは許せないことである。そしてそれでもなお出来る範囲までこの法律に従って行動するのが得策と考えられる場合には、この法律の条項とその一般的解釈とを変更して、実際に出来ることの範囲に関し貧民に誤解をもたせないようにするのが、確かに賢明であろう。
 更にまた、実際問題として、非常に多額の自発的寄附が行われ、教区の課税が大いに増加し、更に個人が非常に上手に絶えず努力を払ったのに、最近二、三年間に生じた突然の需要の減退によって解雇された人々に、必要な仕事を与え得なかったことも、わかっているのである。
 社会の大きな運動、すなわち長短の期間に亙って一国民をして、進歩的、停止的、または退歩的ならしめる大原因は、教区の課税や慈善の寄附に多く依存するものとは考え得ないのであるから、この種の努力が、進歩的状態においてのみ生じ得る労働に対する有効需要を、停止的または退歩的社会に、作り出す力を有とうとは、期待し得ないことは、おそらく予知し得べきことであった。しかしこの事実が従前にはわからなかったものも、過去二箇年1)間の陰鬱な経験を見ては、わかりすぎるほどわかったはずである。
 1) 一八一六年及び一八一七年。
 しかしながら、それだからといって、現在の困窮を救うために行われた努力は指導が誤っているということには決してならない。これに反し、それは啻に最も賞讃すべき動機から発したものであるばかりでなく、啻に困窮に陥っている我が同胞を救済するという大きな道徳的義務を果したばかりでなく、またそれは事実問題として大きな福祉を与えたものであり、または少くとも大きな害悪を防止したのである。その部分的失敗は、必ずしも、かかる努力に当っての指導者の精力の不足や熟練の不足を物語るものではなく、単に彼れの企図の中、実行可能なものはその一部分にすぎなかったことを、物語るものである。
 現在の困窮の暴威を緩和し、その苛酷な圧迫を救治して、困窮者を好況期まで維持していくのは、富者のみならず他の貧民階級にも多少の犠牲を負わせなければ出来ないことであるけれども、しかしこれは出来ることである。だが個人的または国民的ないかなる努力をもってしても、その原因が何であるにせよ今ではもはやいかんとも出来ない出来事により失われた、貨物及び労働に対する旺盛な需要を恢復するというのは、出来ないことである。
 この全問題は今やその囘り中が最も恐るべき困難によって囲繞されており、前章に引用したダニエル・ドゥ・フォウの言葉をこれほど想起しなければならぬ事態はない。全国の工業家、なかんずくスピタルフィールズの織布業者は、最も深刻な苦境にあり、これはその生産物の需要の欠乏によって直接に生じたものであって、その結果として親方たちは、供給を縮少せる需要に一致せしめんがために、多数の労働者を解雇しなければならなくなっている。しかしながらある特志家たちは、親方の解雇した者を再び働かせようという目的で資金を募集しようと提議[#「提議しているが」は底本では「提儀しているが」]、かかる事実の結果としては、単に、すでに供給過多となっている市場の過剰を継続させるだけのことである。これは極めて当然にまた正当に親方の反対するところとなったが、けだしこれは、親方が供給を縮少するのを妨げ、その資本の全滅と一部労働者ではなく全労働者の解雇とを防止し得る唯一の道程を選ぶのを妨げるからなのである。
 他方において、一部の商工業者階級は、国内生産物と競争しかつ英国労働者の就業を妨害する[#「妨害する」は底本では「防害する」]一切の外国貨物の輸入禁止を、声高く要求している。しかしこの要求は、外国からの輸入品の購買に充て得べき貨物の調製、製造に大いに力を入れている他の階級の英国人によって、極めて当然にかつ正当に、反対されている。そして宮中舞踏会で英国品しか許されぬということになれば、我国の一部には仕事がふえるが、しかしその反面でそれと同数の失業者を出すことになるというのは、全く事実であると認めなければならぬ。
 しかしやはり、失業者への給職が、ただ、怠惰と、長い間施しに頼って生活することから生ずべき悪習とによる、道徳的悪結果を避けるだけの目的でしかないならば、これは出来ればやりたいことである。しかし、右に述べた諸困難から考えてみると、吾々はかかる企てを行うに当っては非常に慎重でなければならず、そしてこの際選択せらるべき職業はその結果が現存資本に妨害を及ぼさないものでなければならぬことが、わかる。かかるものとしては、一切の種類の公共事業、すなわち道路、橋梁、鉄道、運河等の建設及び修理がそれであり、また今日ではおそらく、農業資本は大いに失われているから、公共の寄附によって行われ得るほとんどあらゆる種類の土地労働も、これに属するであろう。
 しかしかくの如くして労働を雇傭する場合にも、あるものはこれにより利益を受けるが同時に他のものはこれにより不利益を蒙る。各人の収入の中にこの種の寄附に支出される部分は、云うまでもなく、これが通常の方面に支出される場合にこれによって養われるべき各種の労働にとっては、なくなってしまうのであり、従ってかくの如くして惹き起された需要の欠乏は、本来ならば、損害を受けずにすんだ方面の人々に困窮の圧迫の被害を生ぜしめることとならなければならない。しかしこれは、かかる場合においては避け得ない結果であり、そして一時的方策としては、それは、害悪をより広汎な部面に拡充して、よってもって特定部分に対するその暴威を緩和し、万人をして耐え忍び得るものたらしめるために、慈善的であるのみならずまた正当でもあるものである。
 吾々の追及すべき大目的は、好況期の来ることを期待して(これは思うに正当な期待であるが)、現在の困窮の間人民を養っていくということである。この窮況は、近年我国の人口増加に対し莫大な刺戟が与えられたので、疑いもなくその程度が大いに増悪されたが、この刺戟の結果は早急に消滅し得ないものである。しかしおそらく、次囘の人口調査の報告が行われる時には、結婚及び出生も一八〇〇年及び一八〇一年よりも更にいっそう減少し、死亡は増大していることが、見られるであろう。そしてかかる結果がある程度数年間継続すれば、人口の増加は緩慢となり、そしてヨオロッパ及びアメリカの富の増加により欲求が増加し、また国内の貨物の供給が通貨の変動により生じた新らしい富の分配に適応すれば、これと相俟って、我国の商業及び農業は再び活気を与えられ、労働階級は完全雇傭と十分な労賃とを恢復することを得るであろう1)
 1) 一八二五年。これは著しい程度に実現しているが、それは前記の前の原因によるよりもむしろ後の原因によるものである。一八二一年の報告によれば、一八一七年及び一八一八年の凶年は、豊年が著しく結婚と出生の数を増加するのに比較して、これをわずかしか減少せず、従って人口は一八二〇年をもって終る十年間に著しく急速に増加したことがわかる。しかしこの大きな人口増加があったので、労働階級が、過去二、三年間に商業と農業の繁栄から当然期待し得べきほど多数の職業を、見出し得なかったのである。(訳註――この註は第六版のみに現わる。)
 貧民の困窮、なかんずく近年の救恤貧民の増加の問題については、最も誤った意見が流布されている。戦争の進展中には、教区の救済を要する人間の比率が増加したのは、主として生活必要品の価格騰貴によるものとされた。これらの生活必要品は突然暴落を告げたのであるが、しかも同時に更にいっそう大きな比率の人間が教区の救済を必要としているのである。
 ところで今度は、課税が、彼らの困窮と労働需要の著しい減退との、唯一の原因であると云われている。しかし私は、租税の全部が明日廃止されるとしてもこの減退は終りを告げずして大いに増大するものと、信じて疑わない。かかることになれば、通貨の価値はまたも一般的に暴騰を告げ、それと共にかかる社会的変動に常に伴わざるを得ない産業不振が生ずるであろう。あるいは云われている如くに、もし労働階級が現在その受取分の半ば以上を租税に支払うとすれば、租税の廃止によってその労賃により買入れる貨物が半値に下落した場合にも労賃そのものは引続き依然として同一の名目価値を有つと一瞬間でも想像し得るものは、労働の労賃を左右する原理をほとんど知らないものに違いない。一切の貨物が下落し通貨がそれに比例して縮少されたのに労賃だけがほんの短期間でも従前通りであるとすれば、労働者の多数は直ちに解雇されることがすぐわかるであろう。
 課税の結果は疑いもなく多くの場合において極めて有害である。しかし租税の廃止によって得られる救済の効果は決してその賦課によって生ずる弊害に匹敵するものでないということは、ほとんど例外を許さぬ原則として樹立し得よう。そして一般的に云えば、課税の特殊的弊害は、需要の減退よりは生産の妨害にある、と云い得よう。国内で生産され国内で需要される一切の貨物について云えば、借款の結果たる資本の収入への転化は、必然的に需要の供給に対する比率を増加しなければならず、また適当に賦課された租税の結果たる、個人収入の国家収入への転化は、課税された個人の負担はいかに重くとも、一般需要量を減少せしめる傾向を有ち得ないものである。それは云うまでもなく、課税せられた者の購買力を減少してそれの需要を減少するであろうが、しかしこれらの者の購買力が減少するだけ政府及びその使用人の購買力はこれにより増加するであろう。もし年収五千ポンドの地所に二千ポンドの抵当権が設定されるならば、いずれも裕福な二家族がその地代で生活をすることが出来、そして両者はいずれも、住宅、家具、馬車、広幅布、絹製品、綿製品等に対して大きな需要を有つことであろう。この地所の所有者は確かに抵当権証券が焼失してしまった場合よりも遥かに生活は悪いに違いないが、しかし絹製品、広幅布、綿製品等供給した工業者や労働者は、これを焼いたとて何の利益も受けそうもなく、富裕になった所有者の欲求や嗜好が従前の需要を恢復するようになるまでにはかなりの時日がかかるであろう。彼はその増加した所得を乗馬や猟犬や従僕に支出するようになるということが十分考えられるが、もしそうなれば、啻に従前絹製品や羅紗や綿製品を供給した工業家や労働者が失業するばかりでなく、この需要転換は国の資本と一般資源の増加にとって遥かに不利益であろう。
 右の例証は、国債が社会の労働階級に及ぼす影響と、並びに、国債の全廃により社会の大きな部分の需要は増大するから、かかる需要の増加は、資金の所有者及び政府の需要の減少により相殺されはせずまたしばしば相殺されて余りあるものではないと想像することの、極めて大きな誤りであることとを、一見したところ以上に明かに示すものである。
 こう云ったからといって、国債はいかに膨脹しても国家に極度に有害になることはあり得ないという意味では決してない。ある程度に行われるに過ぎない場合には極めて有益な財産の分割と分配も、それが極端にまで行われる場合には生産に対し致命的なものとなる。年収五千ポンドの地所の分割は、一般に、需要を増加し、生産を刺戟し、かつ社会機構を改善する傾向があるが、年収八十ポンドの地所の分割は一般にこれと正反対の結果を伴うであろう。
 しかし国債による財産の分割は多くの場合極端にまで行われる可能性があるが、その上にその分割の方法は時に大いに生産に妨害を及ぼすものである。この妨害はほとんどあらゆる種類の課税が行われる場合にある程度まで必然的に生ぜざるを得ないものであるが、しかし好都合な事情の下においては、それは供給に比して需要の方に刺戟を与えて解決することが出来る。最近の戦争中には、生産物と人口とがかえって尨大な増加を告げたことから見ると、莫大な課税が行われたにもかかわらず生産力は本質的には妨害されなかったと考えて差支えなかろう。しかし、平和恢復後の事態において、かつ土地粗生生産物の交換価値の著しい下落とその結果たる通貨の大縮少との下においては、課税の負担と圧迫との突如たる増加は生産を阻害する他の諸原因をいっそう強めるに違いない。この影響は土地にも著しく及んだのであるが、しかし農業の困窮は既に大いに緩和されている1)。そして大多数の者が失業している商工業階級の間では、害悪は明かに、資本と生産手段の不足から生ずるというよりもむしろ生産された貨物の市場の不足から生ずるものであるが、この市場の不足に対しては、租税の廃止は、それがいかに適当であり、また実際永久的施策としていかに絶対的に必要であるとしても、確かに差当りの特別の療法ではないのである。
 1) これを書いたのは一八一七年である。その後一八一八年以後穀物価格がまた暴落したのでこの困窮はまたも増大した。(訳註――この註は第六版のみに現わる。)
 救恤貧民の増加の主原因は、現在の恐慌を別とすれば、第一に、工業制度の一般的増加と工業労働の不可避的変動であり、第二に、より特殊的に云って、始め二、三の州で採用され今では国中ほとんど一般に普及している、労働の労賃たるべきものを教区税から支払うという慣行である。戦争中には労働に対する需要が大でありかつ増加しつつあったので、この種の慣行がなければ、課税によっていかなる程度に生活必要品が騰貴したとしても、労働の労賃はこれら必要品に十分に比例して直ちに騰貴し得たことは、全く確実である。従って、大英国の中で、この慣行の普及の最小であった地方では労働の労賃は最も騰貴したのが見られた。蘇格蘭スコットランド及び英蘭イングランド北部地方のある方面がその例であり、そこでは労働階級の境遇の改善と、生活の必要品便宜品に対する支配力の増加とは、最も著しかった。そしてこの慣行が多くは普及していない地方、ことに都市において、労賃がこれと同じ程度に騰貴しなかったとすれば、それはその近隣地方の低廉に作り出された人口の流入と競争によったものである。
 アダム・スミスは、牧師補の俸給を引上げようという立法府の企ては常に無効であったが、それは教会で働く目的で大学で教育を受ける若者に補助金が与えられるので、牧師補が低廉に豊富に供給されたのによる、と述べているが、これは正しい。そしてまた、二人以上の子供をもつものは教区の補助を得る正当な権利があると考えられる限り、いかなる人類の努力も、日傭労働の価格を、その稼ぎで普通の人数の家族を扶養し得る程度に維持することは出来ないというのも、これと同様に真実である。
 もしこの制度が一般的となるならば――そして私は貧民法は当然にそれへと導くように思われると告白せざるを得ないが――、教区の補助がいよいよますます早期に与えられるようにならない理由は全然ない。そして私は、我国の政府と憲法とがすべての他の点において、最も大胆な空想家でなければ出来ぬほどに完全になっても、また議会が毎年開かれ、普通選挙が実現し、戦争や租税や年金がなくなり、そして皇室費が年額一千五百ポンドになっても、社会の大部分はやはり救恤貧民の集団であろう、と主張するに躊躇しないのである。
 私は貧民の結婚を禁止する法律を提唱するものとして非難されている。これは事実ではない。かかる法律を提唱するどころか、私は明瞭に、ある人が一家を養い得る見込なくして結婚せんとするとすれば、彼はそうする最も完全な自由を有つべきである、と云ったのである。そして私の述べたところから誤った推論を下した人間が、私に何らかの禁止的な提案を暗示した場合には、私は常に、変るところなくこれを非難したのである。私は実際結婚年齢を制限する積極的法律は不正でもあれば不道徳でもあるという、最も固い意見をもっている。そして平等主義及び貧民法の制度(この二制度はその出発点ではいかに違っていても同一結果を生むべき性質をもつものである)に対する私の最大の反対論は、かかる制度が有効に実施される社会は、ついには普遍的欠乏かまたは結婚を抑える直接の法律かのいずれかを選ばなければならぬという、悲惨な結果に陥るということこれである。
 私が本当に提唱しているのはこれと非常に異る方策である。それは貧民法の、徐々たるしかも極めて徐々たる撤廃である1)。そして私は何故にかかる提唱を試みてその考察を乞うかと云うに、それは、貧民法が労働階級の労賃を決定的に低下せしめ、その一般的境遇を、かかる法律がない場合よりも本質的に悪化せしめたことを、確信するからである。この法律の働きは到る処において圧迫的であるが、しかしそれは大都会の労働階級に対し特に苛酷な影響を与えている。地方の教区においては貧民は実際その低い労賃に対し多少の補償を受けている。一定数以上の子供は実際に教区によって養われている。結婚すればほとんど必ず救恤貧民の父となるのであると考えることは、労働者にとって極めていらだたしいことに違いないけれども、しかしこの点を諦めさえすれば、乏しいながらも補償が与えられる。しかしロンドンやその他我国の大都市においては、彼らは困窮に陥ってしかも補償は受けないのである。地方で補助金により育てられた人口は、自然的必然的に都市に流入し、そして同じく自然的必然的に労賃を低下させる傾向があるが、他方、実際問題として都市で結婚し大家族を有つ者は、実際上餓死に瀕しない限りその教区から補助を受けない。そして全体として工業階級がその家族を養うために低い労賃の補助として得る救済は、全く云うに足らない小額である。
 1) 現在生存し、または今後二箇年以内に生れる者には、何の影響も及ぼさないほどに、徐々として。
 地方からのこの競争の結果を救治せんがために、都市の職工や工業者は、労働の価格を維持し、人々が一定率以下で働くのを妨げる目的で、団結する傾向がある。しかしかかる団結は啻に非合法1)であるばかりでなく、また不合理であり無効である。そしてある特定職業部門における労働者の供給が多くて労賃が当然下落するという場合には、これを無理に高く維持すれば、多くの者が解雇されるの結果とならざるを得ず、この失業者の数は、その養育費が高労賃により得られる利得と全く同じくなるだけの数に上り、かくて全体として見れば高労賃は何にもならぬということになるのである。
 1) この点はその後変っているが、しかしこの章句の後部は、また現在に、すなわち一八二五年末に、特に当てはまる。労働者は、その労賃を需要の状態と財貨の価格とが保証する以上に引上げ得たとしても、その全部またはほとんどが雇傭されるということは絶対に不可能であることを、わかり始めている。雇主は従前と同数の者を雇傭すれば、必ず破産してしまわざるを得ない。(訳註――この註は第六版のみに現わる。)
 労働の供給が全体として需要を超過する場合に、社会の各階級がいずれも十分な支払と完全な雇傭を得るということは絶対不可能事であると、明かに云い得よう。そして貧民法は、最も顕著に労働の供給をしてその需要を超過せしめる傾向があるから、その結果は、一切の労賃をあまねく下落せしめるか、または、そのあるものが人為的に釣り上げられるならば、多数の労働者を失業せしめ、かくて社会の労働階級の貧困と困窮とを絶えず増大するということに、あるのである。
 もしこれらのことが真実であるならば(そして私はその真実なることを確信するのであるが)、現在庶民の間で最も広く読まれている著者たちが彼らの境遇を一般的に改善し得る唯一の行動を攻撃の目標に選び、彼らを不可避的に貧困と窮迫とに陥れるに違いない制度を擁護の目標に選んでいるというのは、社会の大衆の幸福を念願する者にとり最大の遺憾事たらざるを得ない。
 彼らは曰く、庶民たるものは、その欲望を抑制したり、結婚に関して少しでも慎慮を働かせたりする必要は、少しもないが、けだし教区は一切の産児を養う義務があるからである、と。また曰く、庶民は、節約の習慣を養成したり、結婚に際し一戸を構え上品に愉快に人世の出発が出来るように独身中にその所得を貯えんがため貯蓄銀行の与える利便を利用したりする必要もやはりないが、けだし思うに、教区は彼らに衣服を与え、救貧院において寝床と椅子を与える義務があるからである、と。
 また曰く、社会の上流階級が慎慮と節約との義務を高唱するのは、それはただ彼らが貧民税に支払う貨幣を節しようと望むからに外ならない、と。しかしながら道徳と宗教の法則に反することなく、全社会を窮乏に陥れることなくして、富者の財産の最大部分を貧民に与える唯一の方法が、貧民自身が結婚に際して慎慮を働かせ、また結婚の前にも後にも節約を行うにあることは、絶対に確実なことである。
 また曰く、うめ繁殖ふえよという創造主の命は、人類の増殖に対し神自身の定めた法則と矛盾するものであり、人はその住む国の食物を増加することが不可能なために子孫の大部分が幼死を遂げざるを得ず従って増殖が何ら行われない場合にも、かかる結婚による子孫がすべて十分に扶養され従って人口の大きな急速な増加に対し余地と食物とがある場合と同様に、早婚を行うのが義務である、と。
 また曰く、労働階級の状態に関しては、英蘭イングランドの如き久しく人口稠密となっており未墾地は比較的に不毛な国と、アメリカの如き幾百万エイカアの沃土がわけなく得られる国との間には、課税の結果として生ずる差異を除いては、何も差異はない、と。
 また曰く――奇怪な愚論よ――アメリカの労働者の一日の稼ぎ高は一ドルであるのに英蘭イングランドの労働者のそれは二シリングであることの唯一の理由は、英蘭イングランドの労働者はこの二シリングの中、かなりのものを租税に支払うからである、と。
 これらの説のあるものはあまりにも不条理であるから、多くの労働階級のものの常識により直ちにはねつけられることを疑わない。もし彼らがその子供の養育につき主として頼るところが教区であるならば、彼らはただ教区の食事、教区の衣服、教区の家具、教区の家屋、教区の監督しか期待出来ないということは、彼らの心を悩まさざるを得ないことであり、そしてかかる生活をする人間が幸福ではあり得ないことは彼らが知っているはずである。
 普通の職工でも、あらゆる場合に労働者の数が少ければ少いほど、彼らがその親方のために作るものの価値の中自分の受取る分け前が多くなるのを、気が附かぬはずはない。しからば、これから導き出される極めて当然な推論は、労働者が需要以上になるのを防止すべき唯一の道徳的方法たる、結婚における慎慮は、国内で生産されるすべてのものにつき大きな分け前を貧民に永久的に与える唯一の方法である、ということである。
 いやしくも聖書を読んだことがある者ならば、庶民でも、理性者に対する慈悲深き神の命令は、増殖ではなく疾病と死亡とを生み出すべしと解釈させるつもりではないことを、知るべきである。そして彼が健全な理解力を有っているならば、ほとんどまたは全く食物増加のない国において、各人が一般に最も結婚の欲望を感ずる十八歳ないし二十歳で結婚するとすれば、その結果は、増加人口は増加食物なくしては生き得ないというのが真実である限り(これは彼れの疑い得ぬところであろう)、貧困の増加、疾病の増加、及び死亡の増加でなければならぬことを、認めるであろう。
 土地の性質を知っているいかなる労働者も、多少の判断力を働かせるならば、アメリカの如き現在の住民の五十倍もの人口を容易に養い得べき国と、英蘭イングランドの如き非常な努力を払わずしては二、三倍の人口をも養い得ない国との間には、課税とは全く別のある大きな差異がなければならぬことを即座に知るであろう。彼は少くとも、既に多くの家畜を飼っている小牧場と養い得る家畜の五十分の一も飼っていない大牧場とでは、これ以上家畜を飼う能力の上で莫大の差異があることを認めるであろう。そして彼は、富者も貧民も他の動物と同様に、土地の生産物によって生きなければならないことを知っているであろうから、一方に当てはまることは他方にも当てはまらぬはずはないと結論するであろう。かかる考察は彼をして、次のことを当然にして可能なることと考えしめるであろう。すなわち人間の不足の存在する国においては、出生者はすべて容易にかつ安楽に養育され得るのであるから、労働の労賃は最も十分確実な理由によって早婚と大家族を奨励する程度に高いことであろうが、しかし既にほとんど人口の充満している国においては、出生者を適当に養うことは出来ないから、労働の労賃は、同じく最も十分確実な理由によって、早婚に対する同一の奨励を与えるほど高くはあり得ないであろう、と。
 我国の職工や労働者で、我国のパンや肉や労働の価格が大陸諸国に比較して高いということを聞いたことのないものはほとんどなく、また彼らは同時に、このように価格の高いのは主として課税によるのであって、この課税はなかんずく労働の貨幣労賃を引上げはしたけれども、労働者に対しては利益よりはむしろ損害を与えたのであり、けだし彼がその所得で買い入れるパンや麦酒ビールやその他の品物の価格は、これよりも前に騰貴せしめられているからである、と聞かされている。これだけのことを知っていれば、いかに頭が悪くとも、ヨオロッパのあらゆる国の労働の貨幣価格を英蘭イングランドよりも遥かに低くしておいたその同一の理由、すなわち課税が行われていないということが、アメリカではこれを二倍以上ならしめる原因となっているという考えには、面を背けるであろう。彼は、アメリカにおいて労働の労賃が高い原因は何であろうとも――彼はこれをおそらくすぐには理解し得ないであろうが――単に課税が行われていないということとは全く別の原因があるのであり、課税の行われていないという事実は全く正反対の結果を生じ得るのみであることが、はっきりわかるであろう。
 革命以来フランスの下層階級の境遇は改善されているということも、大いに強調されているが、これについては、これに附随する事情が同時に明かにされたならば、最近伝えられている説を否定する最も有力な推論を与えることであろう。革命以後のフランスの労働階級の境遇の改善は、大きな出生率の低下を伴っているのであり、これはその自然的必然的結果として、これらの階級に国の生産物のより大なる分け前を与え、また教会領やその他の国有地の処分より生ずる利益を保持することが出来たのであるが、この利益は出生率が高ければ短期間に失われてしまったはずのものである。フランスにおける革命の結果は、各人をして自らに頼ることより多く他に頼ることより少からしめたことにある。従って労働階級は以前よりも勤勉、節約となり、また慎重に結婚するようになった。そしてもしこれらの結果がなかったならば、革命は彼らにとって何にもならなかったであろう。疑いもなく政治の改善はかかる結果を生じ、かくて貧民の境遇を改善する自然的傾向がある。しかしもし広汎な教区救済の制度と、最近力説されているような説が、右の効果を阻害し、労働階級が自己の慎慮と勤労とに頼るのを妨げるならば、他の点におけるいかなる改善もほとんど何にもならぬこととなる。そして想像し得る最良の政治形態の下においても、幾千幾万が職を失い半ばは餓死するということになるであろう。
 一切の生れたものは、その数がどれだけであっても、土地によって生活する権利を有ち、そして結婚に当ってはこの数を制限するために慎慮を実行する必要は少しもないと教えられるならば、人性に関する一切の既知の原則に従って、不可避的に欲情は勝を占め、ますます多くのものが次第に教区の補助に頼ることになるであろう。従って、貧民に関して上記の説を主張するものが、なお救恤貧民の数の多きを喞つほど矛盾撞著したことはあり得ない。かかる説と、救恤貧民の多いことは不可避的に結びついているのであり、これを分つことは、いかなる革命も政治的変革も全くなし得ないところである。
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第八章 農業主義について

(訳註)

 〔訳註〕第八―十章の三箇章は第五―六版のものである。第一―四版のこれに該当する部分は第十章の末尾に附することとする。
 農業はその性質上、耕作の業に用い得る以上の家族に対し生活資料を生産するのであるから、厳密に農業主義を維持している国民は、常に、その住民に必要な以上の食物を有ち、そしてその人口は生活資料の欠乏によって妨げられることは決してあり得ない、とおそらく想像されるかもしれない。
 かかる国の人口増加が、生産力の欠乏によっても、人口と比較しての土地の現実の生産物の不足によっても、直接には妨げられるものではないことは、実際明かに事実である。しかし吾々がその労働階級の境遇を検討してみるならば、彼らの労働の真実労賃が低いので、彼らの生活資料に対する支配力は妨げられ規制されて、ためにその増加が本質的に妨げられ規制されているのを、見るであろう。
 土壌及び位置について特定の事情の下にあり、かつ資本の不足している国は、その粗生生産物を国内で加工するよりもむしろこれをもって外国貨物を購買する方が得策のこともあろうが、かかる場合においては必然的に粗生生産物は自国消費以上に生産されなければならない。しかしかかる事態は、社会の労働階級の永久的状態やその増加率とはほとんど無関係なのであり、そして農業主義が全く優勢を占め、国の勤労の大部分が土地に向けられている国においても、人民の境遇はほとんど千差万別を示しているのである。
 農業主義の下においては、おそらく、貧民の境遇には、二つの極端な場合が見られるはずである。すなわちそれが吾々の知る限りにおいて最良の状態にある場合と、最悪の状態にある場合とがそれである。
 肥沃な土地が豊富にあり、その購買と分配には何の困難もなく、そして粗生生産物に対しては容易な外国の売口がある場合には、資本の利潤と労働の労賃とは高いであろう。かかる高い利潤と労賃とは、もし節約の習慣がかなり広く行われているならば、資本の急速な蓄積と労働に対する大きな継続的需要とを促し、他方その結果生ずる人口の急速な増加は生産物に対する需要を減少せしめず、かつ利潤の下落を妨げるであろう。もし土地面積が広大であり、人口が比較的に少いならば、資本と人口との急速な増加にもかかわらず、土地はある期間これら両者に不足するであろう。そして労働が最も多量の生活必要品を支配することが出来、そして社会の労働階級の境遇が最も良いのは、かかる農業主義の事情の下においてである。
 かかる事情の下における労働階級の富に対する唯一の不都合は、粗生生産物の価値が相対的に低いということである。
 もしかかる国で使用される工業貨物の大部分がその粗生生産物の輸出によって購買されるならば、その必然的結果として、その粗生生産物の相対価値は貿易相手国よりも安く、その工業生産物のそれは高いであろう。しかし、一定量の粗生生産物が他国ほどの量の工業貨物や外国貨物を支配しない場合には、労働者の境遇は、彼れの分け前となる粗生生産物の量によっては正確に測定し得ないものである。例えばもしある国において労働者の年所得が貨幣価値において小麦十五クヲタアに当り、他の国では九クヲタアに当るとすれば、両者の相対的境遇、及び両者の享受する愉楽が、十五対九であると推論するのは正しくないであろうが、けだし労働者の所得は全部食物に費されるものではないからである。そしてもし食物に費されない部分が、十五クヲタアの価値の所得のある国において、九クヲタアの価値の所得のある国とほとんど同じだけの衣服その他の便宜品を買い得ないとすれば、全体として後者の国における労働者の境遇は、一見想像され得るよりも前者における労働者のそれに近いことは明かである。
 同時に、は常に、価値の不足を相殺する有力な傾向があることを、想起しなければならない。そして最も多くのクヲタア数を得る労働者は、粗生生産物の比例の示す程度までは行かぬとしても、やはり最も多量の必要品や便宜品を支配し得よう。
 アメリカは、労働階級の境遇に最も好都合な状態にある農業主義の実例を示している。この国はその性質上、その資本の非常に大きな部分を農業に使用するのが有利であり、その結果としてそれは極めて急速に増加してきている。資本の量と価値とがかくの如く急速に増大するので、労働に対する需要は安定し継続している。労働階級はその結果として特によい支払を受けている。彼らは異常な分量の生活必要品を支配することが出来、そして人口の増加は異常に急速である。
 しかしアメリカでも、穀物が相対的に低廉であるために、多少の不都合が感ぜられている。アメリカは最近の戦争までその工業品の大部分を英蘭イングランドから輸入し、また英蘭イングランドは小麦粉と小麦をアメリカから輸入したのであるから、アメリカにおける食物の価値は、工業品に比較して、英蘭イングランドにおけるよりも著しく低かったに違いない。この結果は、啻に輸入外国貨物に対してばかりでなく、何ら特別の利益もない国内工業貨物に対してもまた生じたことであろう。農業においては、価格の二要素たる労働の労賃と資本の利潤とが高くとも、肥沃な土地が豊富にあればこれらの高いことは相殺され、従って穀物の価格は適度な高さを維持することになるであろう。しかし工業貨物の生産においては、これら二要素を相殺すべき何らの利益もないのでそれが高い事実は必然的に影響を及ぼさざるを得ず、そして一般に、外国貨物と同様に内国貨物においても、食物に比較してその価格を高からしめざるを得ないのである。
 かかる事情の下においては、社会の労働階級の境遇は、便宜品や愉楽品の点においては、彼らが手に入れる食物の相対量が示すほどには他国の労働者の境遇より良くはあり得ないのであり、そしてこの結論は経験によって十分に確証されている。アメリカに二十年以上も住んでいたフランス人のシモン氏は、一八一〇年及び一八一一年に著した英蘭イングランドの大部分に亙る立派な旅行記の中で、明かに、我国の農家における便宜と愉楽、彼らの衣服のさっぱりとし綺麗なのに、感動しているように思われる。彼が旅行したある地方では非常に多数のさっぱりした小家屋や非常によい衣服を見、貧困や窮迫の姿はほとんど見なかったので、英蘭イングランドの貧民とその住居はどこにかくされたのかと怪しまざるを得なかった。この観察は、アメリカから上陸したばかりで英蘭イングランドをはじめて訪問した有能な正確なまた最も公平な観察者が下したものであるが、これは興味深くまた教訓的である。そしてこの観察の中で述べてある事実は、一部は両国の生活の習慣と様式の相違から生じたものであろうが、しかし上述の原因によるところが多いに違いないのである。
 食物の相対的価格の低廉が貧民の境遇に及ぼす悪い結果を示す顕著な事例は、愛蘭アイルランドで見ることが出来るであろう。愛蘭アイルランドの食物は最近一世紀間に極めて急速に増加し、社会の下層階級の主食をなすものの主たる部分を彼らは手に入れることが出来たので、人口の増加はアメリカ以外のほとんどいかなる既知の国よりも急速であった。馬鈴薯で支払を受ける愛蘭アイルランドの労働者は、小麦で支払を受ける英蘭イングランドの労働者の所得で養い得る人数の二倍の人数を養うに足る生活資料を得た。そして過去一世紀間におけるこれら二国の人口の増加は、その各々における労働者に与えられる主食の相対量に比例していた。しかし便宜品や愉楽品に関する両者の一般的境遇は、この比例とは全く異るものであった。馬鈴薯を栽培すれば食物が多量に出来、従ってそれによって生活する労働の価格は低廉であるために、土地の地代は下落するよりもむしろ騰貴する傾向を生じ、そして地代が騰貴する限り、馬鈴薯以外の工業品の原料その他あらゆる種類の粗生生産物の価格は騰貴する傾向を生ずる。かかる事態に通常伴う怠惰と熟練不足とは、更にあらゆる加工貨物を比較的に高価ならしめる傾向をもつ。従って、国内工業においても大きな相対的不利益が感ぜられるであろうし、また外国の粗生及び工業生産物においては更にいっそう大きな不利益が感ぜられるであろう。愛蘭アイルランドの労働者の得る食物の価値のうちで自分とその家族とが消費する以上に出ずるものは、衣服や住居やその他の便宜品を買うにはほとんど資するところがないであろう。その結果として、これらの点に関する彼れの境遇は、その生活資料が比較的に豊富であるにもかかわらず、極度に惨めなものとなるのである。
 愛蘭アイルランドにおいては、労働の貨幣価格は英蘭イングランドの半ば以上を多く出でない。彼らの得る食物量はその極めて低い価格を償うに足らない。従って愛蘭アイルランドの労働者の労賃の一定部分(例えば四分の一または五分の一)は、工業品や外国品をほとんどいくらも買えないであろう。これに反し合衆国においては、労働の貨幣労賃ですら英蘭イングランドのそれのほとんど二倍である。従ってアメリカの労働者は、その得る食物で工業品や外国品を英蘭イングランドの労働者と同じく低廉に買うことは出来ないけれども、しかしその得る食物の量がより多いのでその価格の低いのは埋め合わされて余りがある。彼れの状態は、これを英蘭イングランドの労働階級に比較すると、相対的生活資料が示すほどではないけれども、なお全体として、決定的に有利であるはずである。そして全体としておそらく、合衆国は、農業主義の国のうちで、労働階級の状態が吾々の知るいずれよりも良い国の例として挙げ得るであろう。
 農業主義の下において社会の下層階級の状態が極めて悲惨な事例はもっとたくさんある。その原因の何たるを問わず資本の蓄積が停止する時には、人口は常に、停止するに先立って、社会の下層階級の習慣が許す現実の生活資料の限界にまで圧迫されるであろう。換言すれば、労働の真実労賃はそれが辛うじて停止的人口を支えるに足る点まで下落するであろう。土地がなお豊富で資本が乏しい時に、かかる事態が生ずれば――これは実際しばしばあることであるが――資本の利潤は当然に高いであろう。しかし穀物は、土地が肥沃で豊富でありかつそれに対する需要が停止的であるために、資本の利潤の高いにもかかわらず、極めて低廉であろう。しかるにかかる高利潤は、通常資本の欠乏に伴う熟練や適当な分業の不足と相俟って、すべての国内工業貨物を比較的に極めて高価ならしめるであろう。かかる事態は当然に、便宜品や愉楽品を用いる慣習から最も多く生ずる慎慮的抑制の習慣を発生せしめる上に不利であり、そして人口増加は停止せずしてついに労働の労賃が食物で測定しても極めて低いものとなってしまうことが、期待されるのである。しかし食物で測定した労働の労賃が低く、食物が国内工業品に対しても外国工業品に対しても極めて価値が低い国においては、社会の労働階級の境遇は最悪であるに違いないのである。
 ポウランド、及びロシアやシベリアやトルコ領ヨオロッパの一部は、この種の実例を示している。ポウランドでは、人口はほとんど停止的であり、または極めて緩慢な増加をしている。そして面積に比較して人口も生産物も乏しいから、吾々は確実に、その資本は乏しく、しかも極めて緩慢な増加をしている、と推論し得よう[#「し得よう」は底本では「得しよう」]。従って労働に対する需要の増加は極めて緩慢であり、そして労働の真実労賃すなわち生活の必要品及び便宜品に対する労働階級の支配力は極めて小であり、人口をして彼らに許された極めて緩慢な増加量の水準に止まらしめている、ということになる。そしてかかる国情によって農民は便宜品や愉楽品に余り慣れないから、その人口に対する妨げは予防的なものであるよりは積極的なものとなりやすいのである。
 しかしこの国では穀物は豊富にあり、その多量が年々輸出されている。従って人口を制限し規制するものは、この国の食物の生産力でもなければ、またその現実の生産量でもなく、現実の事態において労働者に与えられる食物の量と価値、及びこれに充てられる基金の増加率であることがわかる。
 この場合において、労働に対する需要は極めて小であり、そして人口は少いけれどもこの国の乏しい資本が完全に雇傭し得るよりは大である。従って労働者の境遇は、わずかに停止的なまたは増加の極めて緩慢な人口を維持すべき食物量しか得られないので、極めて低いのである。それは更に、彼が得る食物の相対価値が低く、そのため彼がどれだけの剰余を有ったとしてもこれにより工業品や外国品を買うことはほとんど出来ないので、それによってもまた低められるのである。
 かかる事情の下においては、ポウランドに関するすべての報告が社会の下層階級の境遇の極度に悲惨なことを示しているのを見ても、驚くに当らないのであり、そして土地と資本との状況がポウランドに似ている他のヨオロッパ諸国も、その人民の境遇はこれに類似しているのである。
 しかしながら、農業主義に対し公平に云えば、ヨオロッパのある国において見られるように、土地がなおかなり十分にあるのに資本と労働に対する需要とがいち早く妨害されるのは、それは勤労が農業に向けられたからなのではなくて、政治と社会組織が悪いためにそれが農業において十分に適当に発展させられないのによることを、注意しなければならない。
 ポウランドは常に農業主義の悲惨な結果の実例として持ち出されている。しかし確かにこれほど不公平なことはない。ポウランドの窮乏は、その勤労が主として農業に向けられているために生じたものではなく、財産の状態と人民の隷属的状態のために、いかなる種類の産業にもこれにほとんど奨励が与えられないために、生じたものである。土地は農奴によって耕作され、その労苦の生産物は全然その主人に帰属し、そして全社会は主としてこの下層民と貴族と大地主とから成っているのである限り、国内で土地の剰余生産物に対し適当な需要を提供し、または新らしい資本を蓄積し労働に対する需要を増加する手段を有つ階級は、明かに存在しないであろう。かかる悲惨な状態においては、最上の救治策は疑いもなく商工業の導入であろう。けだし商工業の導入によってのみ、人民の大衆は隷属状態から解放され、勤労と蓄積に対する必要な刺戟が与えられ得るからである。しかし人民がすでに自由で勤勉であり、そして土地財産が容易に分割譲渡し得るならば、ポウランドの如き国にとっては、やはりその粗生生産物によって外国から精製工業品を買い、かくて引続き久しく本質的に農業国であるのがよいかもしれない。しかしながら、かかる新らしい事情の下においては、現在と全く違った光景が現われるであろう。そして人民の境遇は、ヨオロッパの後進国の住民よりはアメリカ合衆国の住民のそれに類似することとなろう。実際アメリカはおそらく、農業主義が見事に行われている唯一の近代的事例である。ヨオロッパのあらゆる国及び世界の他の地方におけるその植民地の大部分においては、封建制度の残滓から生ずる恐るべき障害が、土地への資本の使用に対しなお存在している。しかしこれらの障害は、本質的に耕作を阻害しているけれども、これに比例して他の産業部門を助成したわけでは決してない。商工業は農業にとって必要である。しかし農業は商工業にとって更にいっそう必要である。最広義における耕作者の剰余生産物が、社会のうち土地の耕作に従事しない部分の発達を測定し限界するというのは、永遠に真理でなければならぬ。全世界を通じて、工業者、商人、地主、及び各種の文武の職にあるものの数は、この剰余生産物に正確に比例しなければならず、そして事の性質上それ以上に増加することは出来ない。もし土地の生産力が低くてその全住民をして生産物を得るために労苦せざるを得ざらしめる状態であったとすれば、工業者や無為の徒はかつて存在し得なかったであろう。しかし、土地と人間との最初の交渉は無償の贈与であり、それはなるほどあまり多くはなかったが、それでも彼がより多くを獲得し得るに至るまでの生存基金としては十分なものであった。そしてより多くを獲得する能力は、土地の耕作に従事する人間に衣食住を与えるに必要なよりも遥かに多量の、食物や衣住の材料を産出せしめ得る土地の性質という形で、人間に与えられた。この性能は、土地に用いられた勤労を特別に他から弁別する剰余生産物の基礎たるものである。土地に加えられる人間の労働と才知とがこの剰余生産物を増加せしめるに比例して、余暇はますます多数の人間に与えられ、文明生活の華たる一切の発明に従事することが出来るようになったのであるが、他方、かかる発明によって利益を得ようとする願望は、引続き耕作者を刺戟してその剰余生産物を増加せしめてきているのである。この願望はなるほど剰余生産物にその適当の価値を与え、そしてそのより以上の拡大を刺戟する上にほとんど絶対に必要なものと考えられるかもしれないが、しかしやはり、先後の順は、厳密に云えば、剰余生産物が先である。けだし工業家の生存基金は、その仕事を完了するに先立って彼に前渡しされなければならず、そして耕作者が土地から自分自身の消費する以上のものを獲得しない限り、他のあらゆる種類の産業においては一歩も進み得ないからである。
 土地に使用される労働の特別の生産性を主張するに当って、もし一定数の地主に対し生み出される純粋貨幣地代のみを観察するに過ぎぬならば、吾々は疑いもなく問題を狭く見過ぎていることになる。進歩せる社会段階においては、この地代はなるほどここに云う剰余生産物の最も顕著な部分をなしているが、しかし地代がほとんどまたは全く存在しない耕作の初期にも、それは等しく高い労賃と利潤という形で存在し得よう。一年十五クヲタアないし二十クヲタアの穀物に等しい価値を得る労働者も、三、四人の家族しかもたず、現物で五、六クヲタア以上は消費しないかもしれず、また高い利潤を生ずる農業資本の所有者も、そのわずかな部分しか食物や原料に消費しないかもしれない。その残りの全部は、労賃と利潤の形であろうとまたは地代の形であろうと、土地からの剰余生産物と考えてよいのであり、それはその分量の多少に応じて一定数の人間に生活資料と衣住の材料とを与えるものであり、これを与えられる者の中には、肉体労働をせずに生活する者もあろうし、また土地から得られる原料を人間の欲望満足に最も適する形に変形することに従事する者もあるであろう(訳註)。
 〔訳註〕以上二パラグラフの中には、前の諸版から書き写された部分がかなりにある。第十章末尾に附した前版の分の中その第九章中の訳註でその旨指摘してある箇所を参照。
 云うまでもなく、ある国が主として農業国と考えらるべきか否かは、その剰余生産物の一部を国内では消費せずに外国貨物と交換するのがその国にとって適当であるか否かによって、全く決定されるであろう。そして粗生生産物と工業品との、または特殊の外国生産物とのかかる交換は、穀物を輸出するという点を除いてはポウランドにほとんど似たところのない国にとっても、相当期間適当なことであろう。
 しからば、住民の勤労が主として土地に向けられ、穀物が引続き輸出される国も、その特殊事情に応じて、大いに豊かに暮すこともあれば大いに欠乏に悩むこともあるということが、わかる。これらの国は一般に、季節の変化による不作の一時的害悪を蒙ることは多くないであろうが、しかし労働者に永続的に与えられる食物の量は人口の増加を許さない程度であることもあろう。そしてその状態が進歩的であるか停止的であるかまたは退歩的であるかは、その注意が主として農業に注がれるということとは別の原因に依存するであろう。
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第九章 商業主義について

(訳註)

 〔訳註〕本章は第五―六版のみ。前章と同様に第十章末尾における第一―四版の分を参照。
 商工業に優越する国は多数の国から穀物を買うことが出来よう。そしておそらく、この主義に則っていけば、その取引の相手方たるすべての国の土地が全部耕作されてしまうまでは、引続きますます多量の穀物を輸入し、急速に増加し行く人口を維持することが出来るかもしれない。そして取引の相手方たるすべての国の土地が全部耕作されてしまうのは、必ずや非常に遠い将来のことであるから、かかる国の人口は、非常に遠い将来までは、生活資料獲得の困難から妨げられることはないように思われるかもしれない。
 しかしながら、右のようなことが起るに遥か先立って、かつ周囲の諸国における食物生産の手段がなお比較的に豊富である間に、既に、右の困難による圧迫を生ぜしめる原因が絶えず働いているのである。
 第一に、もっぱら資本と熟練とに依存する利益と、現に有する特定の通商路とは、その性質上永久的ではあり得ない。機械の改良を一地点に限定するのがいかに困難であるかは吾々の知るところである。資本を増加せんと個人も国も絶えず努めていることも、吾々の知るところである。そしてまた、通商路がしばしば異った方向をとることも、吾々が商業国の過去の歴史から知るところである。従って、ある一国が、単に熟練と資本との力で、外国の競争に妨げられずに市場を保持するということは、到底出来ることではない。しかし、有力な外国の競争が起るときには、問題の国の輸出貨物はまもなく本質的に利潤を減少せしめる価格へと下落しなければならず、そして利潤の下落は貯蓄の能力と意思との両者を減少せしめるであろう。かかる事情の下においては、資本の蓄積は緩慢となり、労働に対する需要もこれに比例して緩慢となり、ついにそれは停止するに至るであろう。他方おそらく新競争者は、自己の原料を生産することにより、または何か他の利点によって、ある程度急速にその資本と人口とをなお増加せしめていくであろう。
 しかし第二に、たとえ長期間有力な外国の競争を排除することが出来たとしても、国内の競争がほとんど不可避的に同一の結果を生ずることは、人の知るところである。もしある特定の地方で、一人で十人分の仕事をすることが出来る機械が発明されたとすれば、その所有者は云うまでもなく最初は極めて異常な利潤を得るであろう。しかしこの発明が一般に知れ亙るようになるや否や、多くの資本と勤労とがこの新らしい有利な職業に流入してき、かくてその生産物は従来の価格における国の内外の需要を著しく超過するほどになるであろう。従ってこの価格は引続き下落し、ついにこの方面に用いられた資本と労働とは異常の利潤を生じなくなるであろう。この場合、かかる工業はその初めにおいては、一人一日の勤労の生産物は四、五十人を養うだけの食物と交換されたかもしれないけれども、しかし後には、同じ勤労の生産物は十人の食物も購買しなくなるかもしれないのである。
 過去二十五年間に驚くべき発達を遂げた我国の綿工業は、従来外国の競争によってほとんど影響を蒙っていない1)。綿製品の価格は著しく下落してきているが、これは主として国内の競争によるものである。そしてこの競争は内外市場に著しい供給過剰を惹き起したので、この事業に用いられている現在の資本は、労働の節約による極めて特殊の利益があるにもかかわらず、その一般利潤率においては何らの利益も有たなくなっている。綿紡績によい機械を使用することにより、一人の男児または女児は今では多数の大人が従前に為し得ただけのことをすることが出来るのに、労働者の労賃も資本家の利潤も、機械も用いず労働の節約も行われていない事業よりは高くはないのである。
 1) 一八一六年。
 しかしながら同時に国は大きな利益を得ている。その全住民は労働や財産を以前ほど費さずに優秀な衣服用織物を手に入れることが出来るようになったのであり、これは大きな永久的の利益と考えなければならないのであるが、それだけではなく、この事業から生じた高い一時的利潤は大なる資本蓄積を生じ、従ってまた大なる労働需要を喚起したし、他方外国市場の拡張と、国内市場に投ぜられる新らしい価値とは、農業、植民及び商工業のあらゆる種類の産業の生産物に対する大なる需要を作り出し、かくて利潤の下落を阻止したのである。
 我国は、その面積が大でありその植民地が豊かであるために、増加資本の使用に対する大なる舞台があり、そしてその一般利潤率は外見ほど極めて容易に急激には、蓄積によって低落せしめられない。しかし吾々が考慮している如き、主として工業に従事し、その勤労を同様に多様な方面に向け得ない国においては、資本の増加により利潤率が低落するのが早いであろうし、そしていかに精巧な機械も、不断に改善されなければ、一定の時期の後には、その利潤が低落し、労賃が低落し、そしてその自然的結果として人口が妨げられるのを、防止し得ないであろう。
 第三に、その工業品の粗生原料とその人口の生活資料とを外国から買わざるを得ない国は、その富と人口との増加について、ほとんど全くその貿易の相手国の富と需要の増加に依存するものである。
 工業国がそれに食物と粗生原料とを供給する国に依存する程度は、農業国がそれに工業品を供給する国に依存する程度と同じことである、と時に云われているが、これは実際言葉の濫用である。大なる土地資源を有つ国は、その資本の大部分を耕作に使用し、その工業品を輸入するのが決定的に利益であろう。かくすることによって、それはしばしばその勤労の全部を最も生産的に使用し、そしてその資本を最も急速に増加するであろう。しかしその隣国の工業の衰微その他の原因によって、工業品の輸入が著しく阻害されるかまたは全然杜絶するかしても、食物と粗生原料とを自給する国は長い間当惑することはあり得ない。しばらくの間はなるほどそれは供給は十分とは云えなくなるであろうが、しかし工業者や職工はまもなく現われ、そしてまもなく相当の技術を獲得するであろう1)。そして国の資本と人口とは、この新たなる事情の下において、従前のように急速には増加しないかもしれないが、しかし両者の増加力は依然極めて大であろう。
 1) これはアメリカにおいて十分に例証されている(一八一六年)。
 他方において、単に工業のみを営む国民が食物と粗生原料とを供給されなくなるならば、それが久しく存続し得ないことは明かである。しかし極端な場合を仮定すれば、かかる国民の絶対的生存が外国貿易に依存するばかりでなく、またその富の増進はほとんど全く貿易相手国の進歩と需要とに依存しなければならぬ。かかる国民がいかに器用で勤勉で節約的であっても、もしその顧客が、怠惰と蓄積不足のために、その貨物の年々増加する価値を消化する意思も能力も有たないならば、その国民の熟練と機械との効果は極めて短期間にして消滅するであろう。
 熟練と機械とによりある一国の工業貨物が低廉になれば、他の国における粗生生産物の増加が奨励されるに至ることは、何人も疑い得ない。しかし同時に、国民が怠惰で統治の悪い国家においては、高利潤が長い間続いても富の増加を来さない場合があることは、吾々の知るところである。しかもかかる富と需要の増加が周囲の国に生じない限り、商工業国がいかに才能と努力とを増大しても、その効果は価格の不断の下落のうちに失われてしまうであろう。それは啻に熟練と資本との増大につれますます多量の工業生産物をそれが受取る粗生生産物に対して与えなければならなくなるばかりでなく、また低価格の誘惑をもってしても、食物と粗生原料の輸入をますます増加せしめ得る程度に、その顧客の購買を刺激し得ないこともあろう。そしてかかる輸入の増加なくしては、人口が停止的とならなければならぬことは全く明かである。
 この食物獲得量の増加不能が穀物の貨幣価格の騰貴によって生じようと、または工業品の貨幣価格の下落によって生じようと、それは同じことになるであろう。そのいずれの場合においてもその結果は同一であり、そしてこの結果が、穀物生産の困難が本質的に増加する遥か以前に、工業国における競争と蓄積の増大及び農業国におけるそれらの欠乏によって、以上のいずれかの方法において生ずべきことは、確実なのである。
 第四に、その原料とその生活資料とのほとんど全部を他国から買わざるを得ない国民は、怠惰や勤勉や気紛れによって各種各様の変化を受けるところの、その顧客の需要に全然依存するばかりでなく、またこれらの国の自然的進歩において一定年月後当然所有するに至るものと期待される熟練と資本との程度によって必然的不可避的に生ずる、需要の減退を免れないものである。一国を他国の工業国たらしめ輸送国たらしめるものは、一般に偶然的一時的な分業であって、自然的永久的な分業ではない。これらの農業国において農業利潤が引続き極めて高い間は、工業者及び輸送業者たる他国に支払を行っても十分合うかもしれぬが、しかし土地の利潤が下落し、または借地条件が悪くて蓄積資本の投下を促さないという場合には、この資本の所有者は当然にその投資先として商工業方面を求めることになるであろう。そしてアダム・スミス及びエコノミストの正しい推理によれば、国内において工業品の原料と生活資料を作りかつ外国と貿易を行うことが出来るので、工業及び輸送を外国に委ねる場合よりも低廉にこれらの事業を行い得るであろう。農業国がその増加資本を引続き主として土地に投ずる限り、この資本の増加は商工業国にとって最大の利益となるであろう。それは実際商工業国の富と人口の増進の主たる原因であり、大なる調節者であろう。しかし農業国がその注意を商工業に向けた後は、その資本のより以上の増加は、それが従前支持していた商工業国に対する衰亡の信号となるであろう。かくて、純粋の商業国は、国民的進歩の自然的発達につれ、より優秀な熟練と資本との競争がなくとも、土地の利益を有つ国の価格競争に負け市場から駆逐されるに違いないのである。
 この進歩発達の間における富の分配において、ある独立国の他国に対する利害関係は、ある地方がその属する国家に対する利害関係とは、本質的に異るものであるが、これは従来十分に注意されていない点である。もしサセックスにおいて農業資本が増加し農業利潤が減少するならば、過剰の資本はロンドンやマンチェスタやリヴァプウルやその他サセックスよりも有利に商工業に用いられ得る場所に移動するであろう。しかしもしサセックスが独立国であるならば、こうはなり得ず、そして今日ロンドンに送られる小麦は国境内の商工業者を支持するために差し止められるに違いない。従って、英蘭イングランドが依然往時の七王国に分裂しているとすれば、ロンドンはおそらく今日の状態にはなり得なかったであろう。そしてもし目的とするところが、全島ではなく特定の地方に最大量の富と人口とを蓄積するにあったとすれば、現在行われている富と人口の分配は、――これは国全体にとって最も有利な分配と考えてよいと思うが――本質的に変化していたことであろう。しかし各独立国の利益は常にその国内に最大量の富を蓄積するにある。従って、ある独立国の貿易相手国に対する利害関係は、ある地方がその属する国家に対する有する利害関係と同一であることは滅多にあり得ない。そして前者の場合において穀物の輸出を減退せしめる資本の蓄積は、後者の場合においては全然これを阻害しないであろう。
 上に列挙した原因の一つまたはそれ以上の作用によって、商工業への穀物の輸入が本質的に妨げられ、現実に減少するか増加が妨げられるかするならば、その人口もほとんど同一の比例で妨げられなければならないことは、全く明かである。
 ヴェニスは、外国の競争により富と人口との増進がたちどころに停止した商業国の顕著な事例を示している。喜望峰迂囘による印度インド航路がポルトガル人により発見されたので、印度インド貿易路は全く一変した。ヴェニス人の富の急速な増加と海軍国商業国としての彼らの異常な優越との基礎たる彼らの高い利潤は、啻に突如として低減したばかりでなく、利潤の源泉たる貿易自身もほとんど絶滅し、そして彼らの力と富とはまもなくその自然的資源にふさわしいもっと狭い限度まで縮小されたのである。
 十五世紀中頃に、フランドルのブルウジュは、ヨオロッパの北方と南方との間の貿易の大集散地であった。十六世紀の初頭にはその商業はアントワアプの競争の下に衰頽し始めた。その結果として多くの英蘭イングランドや外国の商人はこの衰頽都市を去って、商業と富で急速に増大しつつあるアントワアプへ移住した。十六世紀の中頃にはアントワアプはその隆盛の極に達した。それは十万以上の人口を擁し、最も栄えた商業都市であり、ヨオロッパの北部のいずれよりも最も広汎な最も富める商業を営む都市と一般に認められた。
 ところで、アムステルダムの発展は、アントワアプのパルマ公による不幸な包囲と占領とに幸いされて、いよいよ進み、そしてオランダ人の異常な勤勉と忍耐とによる競争によって、啻にアントワアプはその通商を恢復しなかったばかりでなく、またほとんどすべてのハンザ諸都市の外国貿易は一大打撃を与えられたのである。
 その後のアムステルダムそのものの貿易の衰頽は、一部分は内部競争と資本の豊富とによる利潤の下落により、また一部分は生活必要品の価格を騰貴せしめるに至った過度の課税によって生じたものであるけれども、そのいずれよりも重大な原因は、おそらく、他の諸国民の発達にあるのであり、これら諸国民は、これよりも大きな自然的利点を有ち、そして熟練や勤労や資本においてはこれよりも劣るけれども、従来ほとんどもっぱらオランダ人の手中に属した貿易の多くを有利に営むことが出来たのである。
 すでに早く一六六九年及び一六七〇年に、サア・ウィリアム・テンプルがオランダにいた時に、資本が豊富で内部に競争が行われた結果として、外国貿易は、印度インド貿易を除いては、たいてい欠損であり、そのいずれも二、三パアセント以上の利潤は与えなかった1)。かかる事態においては、貯蓄の能力と意思とは大いに減退しなければならぬ。資本は停止的か退歩的であったに違いなく、またはせいぜいのところ、極めて緩慢に増加していたに過ぎなかったに違いない。事実サア・ウィリアム・テンプルは、自分の意見として、オランダの貿易はすでに数年間最盛期を過ぎており、明かに衰退し始めている、と述べている2)。その後、他の諸国民の進歩が更にいっそう顕著であった時に、疑問の余地なき文書によれば、オランダの貿易の大部分とその漁業とは決定的に衰頽し、外国の力と競争の圏外にあるアメリカ及びアフリカ貿易とライン及びメエゼ貿易とを除いては、いかなるその通商部門もその昔日の力を保持せざるに至ったことが、わかるのである。
 1) Temple's Works, vol. i. p. 69, fol.
 2) Id. p. 67.
 一六六九年には、オランダと西フリイスランドの総人口をジォン・デ・ウィットは二、四〇〇、〇〇〇と見積った1)。しかるに一七七八年には、これら七州の人口はわずかに二、〇〇〇,〇〇〇と見積られた2)。かくて百年以上の間に、人口は、通例の如くに増加することなく、大いに減少したのである。
 1) Interest of Holland, vol. i. p. 9.
 2) Richesse de la Hollande, vol. ii. p. 349.
 これら商業国に関するあらゆる事例においては、富と人口との増進は、多かれ少かれ生活資料の支配力に必然的に影響を及ぼさざるを得ない、上述の原因の一つまたはそれ以上によって、妨げられたように思われるのである。
 もし何らかの原因により、ある国における労働の維持のための基金が増加しなくなれば、労働に対する有効需要もまた増加しなくなり、そして労賃は現在の食物の価格と現在の人民の習慣の下において、ちょうど停止的人口を維持する額にまで低減するのが、一般に観られるであろう。かかる事情にある国家は、他国にどれほど豊富な穀物があろうとも、資本の利潤がどれほど高かろうとも、人口増加は道徳的不可能事ということになる1)。それは実際、後に至り新たな事情の下においては、再び増加し始めることもあろう。もし機械の巧妙な発明や、ある新貿易路の発見や、または周囲の諸国における農業上の富と人口との異常な増加によって、その種類のいかんを問わずその輸出品が異常に需要されるようになるとするならば、それは再び穀物の輸入量を増加し、また再び人口を増加することになるかもしれない。しかしそれが年々その食物の輸入を増加し得ない限り、それは明かに、増加する人口に生活資料を供給し得ないであろう。そして、その商業取引の状況上、その労働の維持のための基金が停止的となりまたは低減し始めるときには、このことは必然的に不可能とならざるを得ないであろう。
 1) オランダ貿易の衰退の原因の中にサア・ウィリアム・テンプルが穀物の低廉なことを数えているのは奇妙な事実である。彼によれば、この低廉は『十二箇年以上も、ヨオロッパのこれらの地方に一般的であった』のである。(Vol. i. p. 69.)この低廉によって、バルチック諸国民の購買力が減少したので、香料その他の印度インドの貨物の彼らへの売行が阻害された、と彼は云っている。
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第十章 農商並行主義について

(訳註)

 〔訳註〕本章は第五―六版のみ。前二箇章と同様に本章末尾の第一―四版の分を参照。
 もっぱら農業に専念する国においても、その粗生原料の若干は常に国内用のために加工されるであろう。また最も商業的な国家でも、絶対に都市の城壁の中に閉じこめられているのでない限り、その住民やその家畜の食物の若干部分は、その近隣の小領土から手に入れるであろう。しかし農商並行主義を論ずるに当っては、この種の並行より遥かに進んだものを意味しているのであり、すなわち土地資源と商工業に使用される資本とが共に大であって、しかもそのいずれも他方に大いに優越することのない国家を、論ずるつもりなのである。
 かかる事情にある国は両主義の有つ利益を併有し、しかし同時にそれは、別々にした場合にその各々に附随する特有な害悪を免れているのである。
 ある国家における商工業の繁栄は、同時に、それが封建制度の最悪の部分からも免れていることを意味するものである。それは人民の大衆がすでに隷属状態にはなく、貯蓄の能力も意思も有ち、資本が蓄積されれば安全な投資の途があり、従って政府は財産に対し必要な保護を与え得るが如きものであることを、示すものである。かかる事情の下においては、労働と土地の生産物に対する需要の早期停滞という、時にヨオロッパ諸国民の大部分の歴史の示す現象を経験することは、ほとんどあり得ない。商工業が繁栄している国においては、土地の生産物は常に国内で容易に市場を発見するであろう。そしてかかる市場は資本の累進的増加に対し特に好都合である。そして資本の累進的増加、なかんずく労働の維持のための基金の量と価値との累進的増加は、労働に対する需要と穀物労賃の騰貴との有力な原因であるが、他方、機械の改良と工業資本の増大による穀物の相対価格の騰貴と、外国貿易の繁栄とは、労働者をして、その穀物所得の一定部分を多量の内外の便宜品及び奢侈品と交換し得せしめるのである。労働に対する有効需要が減退し始め、穀物労賃が減少し始める時ですら、穀物の相対価格が高いので、労働階級の境遇は比較的に高く、そして彼らの増加は妨げられるけれども、しかも彼らの大部分はなお十分の衣住の資を得ることが出来、そして外国産の便宜品や奢侈品を享受することが出来るであろう。彼らはまた、労働に対する需要が停止的であると同時に穀物の価値が工業品や外国貨物に比較して極度に低い国の人民のような、惨めな境遇に陥ることもあり得ないのである。
 従って、純農業国に特有な一切の不利益は商工業の発展と繁栄とによって避けられるのである。
 同様に、単なる商工業国に附随する特有な不利益は、土地資源の所有によって避けられることが、見られるであろう。
 自分自身の食物を生産する国は、いかなる種類の外国の競争によっても、直ちに必然的に人口を減退せしめられることはあり得ない。もし単なる商業国の輸出が外国競争によって本質的に減少するならば、それは極めて短期間のうちに同一数の人口を養う力を失ってしまうかもしれない。しかし土地資源を有つ国の輸出が減少しても、それはわずかに外国の便宜品や奢侈品を多少失うに過ぎないであろう。そして一切の取引の中で大きな最も重要な、都市と地方との間の国内取引は、比較的に妨害を蒙らないであろう。それはなるほど従来と同じ刺戟がなくなるので、しばらくの間はその発達の率は妨げられるかもしれないが、しかしそれが退歩的となる理由はない。そして外国貿易の喪失によって不要となった資本が遊休するものでないことは、疑いがない。それは、従来と同じく有利にというわけには行かないとしても、とにかく有利に用いられ得る途を見出し、そして、隆盛な外国貿易の刺戟を受けていた時と同一の率で増加しないまでも、とにかく増加していく人口を維持し得るであろう。
 国内競争の結果も、同様に、吾々の比較しつつある二つの国家においては、極めて異るであろう。
 単なる商工業国においては、国内の競争と資本の豊富とは、粗生生産物に比較して工業品の価格を著しく下落せしめるので、工業に使用される資本の増加は、これと引替えに、増加せる食物量を獲得し得ないこともあろう。土地資源がある国においてはかかることは起り得ない。そして機械の改良と、新耕地の肥沃度の減退とによって粗生生産物に対してはますます多量の工業品が与えられることになるけれども、工業部門では資本の競争があるのに農業資本ではこれに相当する競争が行われないために、工業品全体の価値は決して下落し得ないのである。
 また、収入がもっぱら利潤と労賃から成る国においては、利潤と労賃の減少はその自由に処分し得る所得を著しく損うものであることも、注意すべきである。資本の額と労働者の数との増大は、多くの場合において、利潤と労賃との率の減少を償うには足らないであろう。しかし国の収入が利潤と労賃と並んで地代からも成る場合には、利潤と労賃で失われたものの大部分は地代によって恢復され、従って自由に処分し得る所得は比較的に損われないのである。
 商工業に富むと共に土地にも富む国民の有つもう一つの顕著な利益は、その富と人口との増進が、他国の状態や発達に比較的わずかしか依存しないという点である。その富がもっぱら商工業に依存している国民は、貿易相手国の粗生生産物の増加なくしては、または彼らが現に消費するを常としているものを奪うことなくしては――これは彼らはなかなか手離そうとはしないであろうが――増加し得ないものである。かくて、他国民の無智と怠惰とは、かかる国の進歩に対し啻に有害であるばかりでなくまた致命的でもあろう。
 土地資源を有する国は決してかかる不便を蒙り得ない。そして、貿易相手国の状態や行動のいかんにかかわらず、その勤勉や才智や節約が増加すれば、その富と人口とは増加するであろう。その工業資本が過剰となり、工業貨物が低廉に過ぎるときでも、その隣国の粗生生産物の増加を待つ必要はないであろう。自分自身の過剰な資本を自分自身の土地に転用すれば新たなる生産物を作ることが出来、その工業品はこれと交換せられて、供給が比較的に減少するのに需要は増加するという二重の作用によって、その価格は騰貴することとなる。粗生生産物が過剰なときにも、同様の作用が再び農業と工業との利潤を均等ならしめるであろう。そして同一の原理によって、国の資本は、各々の事情により農業資本を用いるのが利益であるか工業資本を用いるのが利益であるかに従って、全国の隅々にまで分配されるであろう。
 かくの如く、農工商と、広い国土の各地方全部とが、互いに作用し反作用する国は、たとえバアクリイ僧正のいわゆる真鍮の壁で周囲をとりかこまれていても、明かにその富と力において増大し続け得るであろう。かかる国は当然に、外国貿易の現状いかんにかかわらず、これを最も利用するであろう。そして貿易の増減は、それ自身の生産に対する刺戟の増減となるであろう。しかしそれでもなお、この生産物の増加は著しく外国とは無関係なものであり、そしてそれは外国貿易の不振により阻害されることはあっても、停止したり退歩したりすることはあり得ないのである。
 農業と工業との並行による利益、なかんずく両者がほとんど均衡を得ている場合の利益の第四は、かかる国の資本と人口とは、どの国もそれを目指している商工業の発達が他国に起っても、単にそれだけでは、決して退歩的運動を余儀なくされることはあり得ないということである。
 すべての一般的原則によれば、大部分の農業国にとっては、自ら工業を営みかつ自身の商業を行うのは、結局利益なことであろう。原綿がアメリカで船積みされ、数千マイルを隔てた他国に送られ、これを卸して加工してまたもアメリカ市場向けに船積みするというようなことは、いつまでも永続し得るものではない。それがしばらくの間は続きそうだということは、疑問の余地がない。そして私は決して、それが永続しないからというだけの理由で、それが続く間得られる利益を利用してはならぬと云おうとするものではない。しかしこの利益がその性質上一時的であるとすれば、このことを念頭に置き、この利益がなくなった時に全体として利益よりも害悪を生じないような利用法をするのは、確かに賢明なことである。
 もしある国が、この種の一時的利益があるので商工業を大いに偏重し、ためにその人民の大部分を外国の穀物で養わなければならなくなるとすれば、外国が商工業に発達すれば、まもなく、この国は貧困に陥り、資本と人口とは退歩的運動を始め、従前の一時的利益は相殺されて余りあることになるのは、確実である。しかるに商工業人口が引続き自国の農業によって養われる国民は、かかる一時的利益から双方に対する大なる刺戟を受け、しかもそれがなくなっても本質的な害悪を蒙ることはないであろう。
 かくの如く大なる土地資源を隆盛なる商工業と結合し、かつ商業人口が決して本質的に農業人口を超過しない国は、情勢の急転に対し著しい安定性を有っている。その増加し行く富は尋常の出来事には平気であるように思われる。そしてそれが富と人口とにおいて、数百年、否、ほとんど数千年も増加し続けないと云える理由は、何もないのである。
 商業国の人口に対する限界が、外国市場の現実の状態からして、ますます増加する食物量を規則正しく輸入し得なくなった時であることは、既に吾々の見たところである。そしてその食物の全部を自国で生産する国の人口に対する限界は、土地が残らず占有され耕作されたために、もう一人の労働をそれに使用しても、平均的に云って、人口の増加を可能ならしめるほどの大きさの家族を養うに足る附加食物量を生産しなくなる時のことである。
 これは明かに人口の増加に対する極度の実際的限界であって、いかなる国民も未だかつて到達したものはなく、将来もまた決して到達することはないであろう。けだしここでは食物以外の生活必要品についても資本の利潤についても何ら斟酌されていないからであり、この両者は、いかに低くとも、常にある程度のものでなければならないのである。
 しかし、この限界ですら、もし他の必要品の生産に従事しない者がすべて土地に使用された場合に、換言すれば、もし陸海軍人や召使やすべての奢侈品を作る職工などが土地で労働せしめられた場合に、土地が生産し得るところのものには、遥かに及ばないものである。彼らはなるほど家族を養うだけのものを生産せず、ついには彼ら自身の食料さえ生産しなくなるであろうが、しかし土地が絶対にもはやそれ以上生産しなくなるまでは彼らはなお引続き多少は社会の食物の共通貯蔵を増加し、そして生活資料を増加することにより、増加し行く人口を養う手段を与えるであろう。かくて国の全人民は一切の時間を挙げて単なる必要品の生産に用いられ、他のいかなる種類の仕事のためにも時間の余裕は残らないことであろう。しかしかかる事態は、公共の権力により国民の勤労を一つの通路に強いて向けることによってのみ、実現され得るのであろう。常に社会に存在するものと考えて差支えない私有財産の原理によれば、かかることは決して起り得ないであろう。地主か農業家かの個人的利害を考えれば、労賃の価値以上のものを生産しない労働者は土地に決して使用され得ない。そしてもしかかる労賃が、平均して、妻を養い結婚年齢まで二人の子供を育てるに足らないならば、人口も生産物も停止しなければならぬことは明かである。従って、人口の最も極端な実際的限界においては、土地の状態は、最後に使用される労働者をして、おそらく四人ほども養うことが出来る食物を生産し得せしめる如き程度でなければならない。
 そしてかかるものが自然の法則であるということは、人類にとり幸福なことである。もし人口の増加につれて、生活必要品のための競争により、全人類がこれを得るために不断の労働をしなければならないようになるとすれば、人間は不断に退化の状態に向っていることになろう。そして人類発展の中間段階に行われた一切の進歩は、その末期において全く失われてしまうであろう。しかし実際は、私有財産の普遍的原則によれば、土地により以上の労働を使用するのが割に合わなくなる時に、粗生生産物の剰余は、地代、利潤及び労賃という形において、なかんずくその第一の形において、全体の生産物に対し、いかなる従前の時代ともほとんど同じ大いさの比例を採り、そしていずれにしろ、肉体労働を行わずに、または土地の粗生原料を人間の欲望充足に最も適する形態に変形することに従事して生活する、社会の、多数者を養うに足るであろう。
 従って吾々は、人口の実際的限界を云々するに当っては、それが常に土地の食物を生産する極度の能力に及ばざること甚だしいものでなければならぬということを想起するのが、是非とも必要なのである。
 また、ある国がこの実際的限界に到達するずっと以前に、人口の増加率が漸次減退することを想起するのも、重要なことである。ある国の資本が、悪政や怠惰や浪費や商業の急変により停止的となる時には、人口に対する妨げはある程度突如として生じ、しかもこの場合必ず大きな激動を伴うということがあり得る。しかしある国の資本が、蓄積の継続的進行と可耕地の消尽とによって、停止する時には、それまで久しい間資本の利潤も労働の労賃も漸次減少してきており、ついに両者は資本の増加に対するより以上の刺戟も増加し行く人口のより以上の生活資料も与え得ないほど、低くなっているに違いないのである。もし、土地に使用される資本が、常に、同一の利潤を生ずるほどの大いさであり、かつ労働を節約する農業上の改良がないと仮定し得るならば、蓄積が進むにつれ利潤と労賃とは規則的に下落し、人口増加率も全く規則的に減退すべきことは、明かである。しかし実際上は、かかることは決して起り得ない。そして、自然的人為的の各種の原因が共働してこの規則的な進行を妨げ、人口がその最終的限界へと進む率を、時代により、大いに変動せしめるであろう。
 第一に、土地は実際上ほとんど常に資本不足である。これは一部分は、農場の通常の借地契約が、商工業から資本の移転を妨げるので、農業資本は主として土地から生ずるのを待つ外ないのによるものであり、また一部分は、ほとんどすべての大国の土地の大部分は、その性質上、小資本をそれに使用してもほとんど生産的ではないが、しかし大資本を、灌漑や、多量の天然及び人造肥料による地質の改良に投ずれば、著しく生産的になるという事情によるものであり、また更に一部分は、利潤と労賃が下落するごとに、その後には、現に農場を占有して単独で資本を使用し得る者が所有しているよりも遥かに大なる資本を使用する余地がしばしばあるという事情に、よるものである。
 第二は、農業における改良である。もし新らしい優秀な耕作法が発明され、それにより土地がより良く管理されるのみならず、またより少い労働で耕されるならば、劣等な土地が、従前より肥沃な土地から得られたよりも高い利潤をもって耕作されることにもなろう。そしてより良い農具を用いて進歩した耕作法を行えば、耕作の拡張と資本の大きな増加が逓減的収穫を生ずる傾向を、長い間相殺して余りあるであろう。
 第三は、工業における進歩である。工業における熟練の増大と優良な機械の発明とにより、一人が、従来八人または十人の為し得た仕事を為し得るようになる時には、国内競争の原則とその結果たる分量の著しい増加によって、かかる工業品の価格が著しく下落することは、周知のことである。そしてかかる工業品の中に労働者や農業者の必要品及び慣用的便宜品が含まれている限り、それは全生産物のうち必然的に土地において消費される部分を減少し、より大なる残余を残す傾向がなければならない。資本の増加と耕作の拡張にもかかわらず、このより大なる残余からより高い利潤率が得られるのである。
 第四に、外国貿易の繁栄である。もし外国貿易の繁栄によって、我国の労働と国内貨物とが価格において著しく騰貴し、他方外国貨物はこれに比較してほとんど騰貴しないという、極めて普通にある事柄が生ずるならば、農業者か労働者かは、以前よりも少量の穀物または労働をもって、その必要とする砂糖や綿製品や麻製品や獣革や脂肪や木材などを手に入れ得ることは、確実である。そしてこの外国貨物購買力の増加は、利潤を下落せしめずに耕作拡張の手段を与える点において、右に述べた工業の進歩と全く同一の影響を及ぼすであろう。
 第五は、需要の増大による粗生生産物の相対的価格の一時的騰貴である。粗生生産物の価格の騰貴が一定年数の後には労働1)その他の貨物の比例的騰貴を生ぜしめるというのは、確かに事実ではないが、仮にこれが事実だと仮定しても、粗生生産物の価格が先頭を切っている期間中は、農業が拡張され、資本の蓄積が継続している時にも耕作の利潤が増加し得ることは、明かである。そしてこの期間が農業国民の富の増進において、なかんずく上述の土地における資本の不足の原因との関連において、限りなく重要なものでなければならぬことを、注意しなければならない。もし土地が大部分、その耕作の拡張に使用される新資本を自ら作り出すならば、またもしある期間大きな資本を用いれば、土地はその後比較的僅少な費用で耕作し得るようになるのであるならば、農業利潤の高い期間は、わずか八年か十年しか続かないかもしれぬが、しばしば新らしい分量の土地と等しいものを国に与えるの手段となり得るであろう。
 1) 社会の進歩につれて一定量の穀物を最後の耕作地から得るために必要な労働の増加のみによる騰貴は、云うまでもなく、粗生生産物に特有なものであるに相違なく、そして労働を増加しないで生産される貨物には及ばないものであろう。
 従って、資本の継続的増加と耕作の拡張と利潤とが労賃の累進的下落を生ずる傾向があるのは、疑問の余地なき必然的な真理であるけれども、上述の諸原因は、明かに、かかる進行には大きな長期に亙る不規則な変化が生ずることを、説明するに足るものである。
 従って吾々は、あらゆるヨオロッパ諸国において、その資本と人口との増進が時期を異にするにつれ大いに相違するのを、見るのである。ある国は、多年の間ほとんど停止状態に眠っていたのが、急に増進を始め、新植民地にほとんど近いような率で増加を始めている。ロシア及び一部のプロシアはこの種の実例を提供しており、そして資本の蓄積と耕作の拡張とが多年の間著しく急速に行われた後にこの増加率を継続しているのである。
 同一の諸原因の作用によって、我国にも同様の変動が見られた。前世紀の中頃には金利は三パアセントであったから、吾々は資本の利潤もほとんどそれに比例していたと推論し得よう。当時は、出生と結婚から推論し得る限りでは、人口の増加は極めて緩慢であった。一七二〇年ないし一七五〇年の三〇年間には、増加は五、五六五、〇〇〇の人口に対しわずかに約九〇〇、〇〇〇であったと計算されている1)。この時期以来、我国の資本が尨大な増加を遂げ、その耕作が大いに拡張されたことは疑い得ないところであるが、しかも過去二〇年間には金利は五パアセント強で利潤もこれに比例しており、また一八〇〇年ないし一八一一年に人口の増加は九、二八七、〇〇〇に対し一、二〇〇、〇〇〇であり、その増加率は前の時期の約二倍半であったのである。
 1) Population Abstracts, Preliminary Observations, table, p. xxv.
 しかし、資本と人口との発達には不規則な変化を起すかかる原因があるけれども、その必然的限界には極めて緩慢に到達し得るに過ぎないことは、全く確実である。資本の蓄積が必然的に停止するに至らぬうちに、資本の利潤は長期間低下して支出以上に出ずる貯蓄の超過を促す刺戟はほとんど与えないほどにならざるを得ず、また人口の増加が終局的に停止するに至らぬうちに、労働の真実労賃は漸次に下落していき、ついには人民の現在の習慣の下において、わずかにちょうど現存人口を維持するだけの家族を養い得るに過ぎぬことに、ならざるを得ないのである。
 しからば、最大の国民的繁栄を生じ得るものは、農商両主義の結合であって、農業主義でも商業主義でもなく、広大な肥沃な領土を有ちその耕作が農業や工業や外国貿易の発達によって刺戟を受けている国の資源は各種各様でありかつ豊富であっていつその限界に到達するかは全く云い得ないものであることが、わかるのである。しかしながら限界は存在するのであって、これは一国の資本と人口とが引続き増加していくならばついには到達しなければならず、そしてこの点を越すことは出来ないものであり、そしてこの限界は、私有財産の原則によれば、土地が食物を生産する極限の能力には遥かに及ばぬものでなければならぬのである(訳註)。
 〔訳註〕以上の第八、九、十の三箇章は、前記の如くに、第五版において全部に亙って書き改められたものである。従って、文句はほとんど全く改ってしまったが、しかし同じ問題は前の諸版においてもやはり取扱ってあるのであって、第二―四版では第八章及び第九章がこれに当る。そのうち第八章のかなりの分はすでに第一版からあるものである。それらは次の如くである(何の特記もないものは第一版より共通)、――

『第八章 富の定義について。農業及び商業主義


『土地と労働との(訳註――本章の最初の部分は第一、二版のみで第三、四版にはない。)年々の生産物の交換価値というのが一国の富に対する適当な定義であるか、またはフランスのエコノミストに従って単に土地の生産物(訳註――第一版には『従って土地の総生産物』とある。)と云った方がもっと正確な定義ではなかろうかという問題が、ここに当然起るように思われる。確かに、この定義によれば、富のあらゆる増加は、労働の維持のための基金の増加であり、従って常に労働貧民の境遇を改善しかつ人口を増加せしめる傾向があるであろう。しかしスミス博士の定義に従えば、富の増加は常にこのような傾向をもつものではない。さりながら、こう云ったからといって、スミス博士の定義が正しくないということにはならないであろう。
『エコノミストは工業に用いられる一切の労働をもって不生産的なりと考えている。そしてこの主張に対するスミス博士の反証はその論述が漠然としており前後矛盾していると非難されている。しかしながら私には、彼は単に、エコノミストがその主張を支持するに当って用いている推理を嘗試するに際し、彼自身の定義の適用法を――しかも事実上問題が定義自身の正誤に関するものであり、そして云うまでもなく一つの定義が他の定義の正誤の嘗試として用い得ない場合に――誤っているように思われる。スミス博士の定義によれば工業が一国の富を増加することは何より明かであるが、エコノミストの定義によればそれがこれを増加しないことはこれと同じく明かである。工業の生産性または不生産性に関する問題は、エコノミストにあっては、純生産物に関する問題であると認められているのであり、従って、この問題がいずれに決定されようとも、それは、純生産物たるとしからざるものたるとを問わずあらゆる種類の生産物を包含するスミス博士の定義に対しては、少しも影響を及ぼさないであろう。同様に、個人に対し工業から純生産物が生ずるということを立証してもそれはエコノミストの定義を真に無効ならしめるものではないであろう、もっとも彼らは自己の主張を防衛するに当りその論法はこの方面からの反対論を防ぎ得ないきらいがあるけれども。(訳註――このパラグラフは第二版からのものであり、第一版では次の如くある、――『全人民の衣住をその収入のいずれの部分にも入れないのは多くの点において不適当と思われる。その多くはなるほど、国の食物に比べれば極めて軽微な主要ならざるものであるかもしれぬが、しかしやはりその収入の一部分と正当に考えらるべきものであり、従って私がアダム・スミス博士と意見を異にする唯一の点は、彼が社会の収入または貯財のあらゆる増加をもって労働の維持のための基金と考え、従って常に労働者の境遇を改善する傾向があると考えるように思われる点に、あるのである。
(『富める国の精製絹製品や綿製品、レイス、その他の装飾的奢侈品は、その年生産物の交換価値を増大するに著しく寄与するかもしれぬが、しかしそれは社会の幸福の総量を増大するには極めてわずかしか寄与しないものである。そして私には、各種の労働の生産性または不生産性を測定するに当っては、生産物の真の効用の見地をもってしなければならぬように思われる。フランスのエコノミストは工業に用いられる一切の労働をもって不生産的なりと考えている。これを土地に用いられる労働と比較すれば、私は彼らに完全に同意したいと思うのであるが、ただしその理由は彼らが与えている理由と全く同じわけではない。』)
『彼らは曰く、土地に用いられた労働は生産的であるが、それはけだしその生産物は、労働者及び農業者に完全に償いをした以上に、地主に対し純粋地代を与えるからであり、また、一片のレイスに用いられた労働は不生産的であるが、それはけだし、レイスは単に労働者がそれを製造中に消費した食糧と、彼れの雇傭者の資本とを償うに過ぎず、何らの純粋地代をも与えないからである、と。しかし製造レイスの価値が、労働者とその雇傭者とに最も完全に支払をなした外に、第三者に純粋地代を与え得ると仮定しても、事態は本当は変らないであろう。かかる推理法(訳註――第一版には『フランス・エコノミストの推理』とある。その他この前後に用語上の修正多し。)に従えば、レイスの製造に従事した人間は、今の仮定によれば生産的労働者であることになるであろうが、しかし一国の富に関する彼らの定義に従えば、彼はそうは考えられてはならぬのである。彼は土地の生産物に対しては何物をも附加しはしないであろう。彼は土地の生産物の一部分を消費し、その代償として一片のレイスを残した。そして彼はこの一片のレイスを、その製造中に消費した食糧の三倍量に対して販売し、かくて自分自身としては極めて生産的な労働者となるかもしれないけれども、しかも国家の本質的富に対しては彼れの労働によって何物をも附加していないのである。(訳註――第一版にはこれにすぐ続いて次の如くある、――『従って一定の生産物がそれを獲得する費用を支払って後に与え得る明かな地代は、特定種類の労働の国家に対する生産性または不生産性を判断すべき唯一の基準ではないように思われる。』)
『少数の富者の虚栄心を満たすに過ぎぬ工業品の生産に現在従事している二十万の人間が、ある瘠せた未耕地に使用され、彼ら自身が消費する食物量のわずか半ばを生産すると仮定すれば、彼らはそれでもある点においては従前よりも生産的な労働者と考え得よう。彼らはその従前の職業では国の食物の一定部分を消費しその代償として若干の絹とレイスとを残した。今度の職業では彼らは同一量の食物を消費し十万人に対する食糧を残した。これら両者のうちいずれが国にとり真に最も便宜であるか、またエコノミストの定義に従えばいずれが国家の富に最も附加するものなるかについては、ほとんど疑いはあり得ない。
『土地に使用される資本は、それを使用する個人にとっては不生産的でありながらしかも社会にとっては生産的となることもあろう。これに反し、取引に使用された資本は、個人にとっては極めて生産的でありながら、社会にとってはほとんど全く不生産的なることもあろう。(訳註――第一版ではここに次の如くある、――『そしてこれが、農業に使用された労働に比較して工業労働が不生産的であると私が云う理由であり、フランス・エコノミストの与えている理由によらぬ理由である。』その他用語の修正多し。)実際、商業で作られる大きな財産や同時に多数の商人が豊かに暮しているのを見ながら、工業者は単にその維持に当てられた基金を奪うことによって富み得るに過ぎぬと主張するエコノミストの説に同意することは、不可能である。多くの取引部門では、利潤は極めて大であって、第三者に純粋地代を与え得るほどである。しかしこの場合には第三者はおらず、また一切の利潤は商人または親方工業者に集るから、彼は大して苦しむことなく富裕になる立派な機会があるように思われ、従って吾々は、大きな財産が、取引において、余り節約の評判もないものによって獲得されるのを、見るのである。
『しかしながら、個人はかかる財産によって大いに富裕になるのであるが、それは、これに比例して全社会を富裕ならしめるものではなく、またある点においてはこれと反対の傾向さえ有つのである。(訳註――以上の所は第一版では次の如くある、――『商工業に使用された労働が個人にとり十分に生産的であることは、日常の経験の示すところである。しかしそれは国家にとっては確かに同一程度に生産的ではない。一国の食物の獲得はすべて全社会の直接的福祉に役立つが、しかし取引で作られた財産は迂遠にかつ不確実にしか同じ目的に役立たず、しかもある点においては反対の傾向さえ有っている。』)消費物の国内取引はあらゆる国民の遥かに最も重要な取引である。そこでしばらくの間外国貿易を問題外にすれば、巧妙な工業によって従前の食糧からその二倍を獲得するものは、確かに、その労働によって従前の食糧に若干分でも附加するものほどには、国家にとって有用ではないであろう。(訳註――これから以下は第一版では次の如くある、――『絹製品やレイスや装身具や高価な家具のような消費貨物は疑いもなく社会の収入の一部分であるが、しかしそれは単に富者の収入に過ぎず、社会一般の収入ではない。従って一国の収入のうちこの部分の増加は、社会の大衆の主たる収入をなす食物の増加と同一の重要性を有つものとは考え得ないのである。
(『外国貿易は、エコノミストの定義によれば一国の富を増加しないが、アダム・スミス博士の定義によればこれを増加する。その主たる効用と、それが今まで一般に非常に高く評価されてきた理由は、おそらく、それが大いに一国の対外的力を増大し、または他国の労働を支配する力を増大する点にある。しかし、よく検討してみると、それは労働の維持のための国内基金の増加にはほとんど寄与せず、従って、社会の最大部分の幸福にはほとんど寄与しないことが、わかるであろう。富に向う一国の自然的進歩においては、工業と外国貿易とはその順序において高度の土地耕作の後に来るものである。ヨオロッパではこの自然的順序は顛倒され、土地に使用される資本が過剰になって工業が延びるのではなく、工業資本が過剰になって土地が耕作されているのである。都市の産業に与えられ来っている優越的奨励とその結果たる職人の労働に支払われる価格が農業労働に支払われるよりも高いという事実とが、おそらく、ヨオロッパにこんなに多くの土地が未墾のままに残っている理由なのである。ヨオロッパ中を通じて、異る政策が採られていたならば、それは疑いもなく現在よりも遥かに人口が多くてしかもその人口に災いされることはもっと少かったことであろう。』――以上の第一版の記述に代って、第二版以下ではこれ以下のものが現われたのであり、従ってこれ以下は第二―四版の分である。)問題をこのように観れば、工業品は土地の生産物とは本質的に異るものであり、そしてその生産性または不生産性に関する問題は、それに対する利潤の大なることやそれが純粋地代を生ずるか否かということには、全く依存するものではないことが、わかるのである。エコノミストは工業者の生産する価値はそれが消費する価値と正確に等しいに過ぎぬと主張しているのであるけれども、しかし彼らの自説表現法から見ると、それは土地の生産物と同一性質のものであると主張しているように時に想像されるのであるが、もしそうであるとすれば、彼らは確かに、土地が富の唯一の源泉であるという立場を主張することは出来ないはずである。二人の子供を産む結婚は、それ自身には何の増加原理をも有っていないけれども、しかも現実の人口の総計に対しては附加するところがあるのであり、これはもしこの結婚が真に不姙であったならば二人だけ減少したはずである。しかし実際のところは、エコノミストの用語は、スミス博士が与えているこの例証にほぼ当るとはいえ、実はこの例証そのものが正しくないのである。結婚の場合には、二人の子供は真に新生産物なのであり、完全に新らしい創造である。しかし工業品は、厳密に云えば、新生産物ではなく、新らしい創造ではなく、単に従前のものの変形に過ぎず、そして販売に際しては既に存在している収入から支払われなければならず、従って販売者の利得は購買者の損失なのである。すなわち収入が移転されるのであり、創造されるのではない。
『土地に使用される労働の生産性を主張するに当って、もし一定数の地主に対し生み出される純粋貨幣地代のみを観察するに過ぎぬならば、吾々は疑いもなく、問題を極めて狭く見過ぎていることになる。耕作者の剰余生産物量はなるほどこの純粋地代によって測定される。しかしその真実価値は、その分量の多少に応じ若干数かもしれず、または数百万かもしれぬ人々を養うその能力にあるのであるが、これらの者は、すべて自分自身の食物獲得の労を省かれており、従って肉体労働を行わずに生活する者もあろうし、また自然の粗生生産物を人間の欲望満足に最も適する形に変形することに従事している者もあるであろう。(訳註――このパラグラフの若干は、第五―六版の第八章の終りから三番目のパラグラフの一部と一致する。)
『同数の個人に対する同量の純貨幣収入も、それが工業から生ずるものであるならば、決して同一の事情を伴わぬであろう。これはその国をして他国の剰余生産物に絶対的に依存せしめることとなるであろう。そしてもしこの外国の収入を獲得し得ない場合には、吾々の仮定したこの純粋貨幣地代は、国民にとり絶対に無価値となるであろう。
『工業品は新生産物ではなく従前のものの変形なのであるから、これを測定する最も自然的な明瞭な方法は、この変形が要費した労働による方法である。同時に、原料に加えられたこの労働の価格が正確にその真実価値である、と吾々が積極的に云い得るか否かは、疑問とせられ得よう。あらゆる物の窮極価値は、エコノミストの一般推理によれば、欲望に適合するにある。このように考えれば、ある工業品は極めて高い価値を有つことになり、そして概言すれば、それは購買者がそれに対し与えることを同意する程度だけ、購買者にとり価値がある、と云い得よう。現実の事態においては、独占やより優秀な機械やその他の原因によって、それは一般に、エコノミストがその真実価値と考える以上の価格で、販売される。そして個人に対する単なる貨幣収入に関しては、非常に大きな利潤を生ずる工業品と土地所有者が経営する一筆の土地とには何の外見的相違もないのである1)
1) エコノミストは、土地に使用される労働と工業に使用される労働との真の区別を十分に了解せず、また耕作者の剰余生産物の価値が、それが生ずる純貨幣収入とは、全然異ることを真に理解していない、と云うつもりは私にはない。しかし彼らは、土地の生産性と工業の不生産性とに関するその推理において、個人に対し純地代を生ずるという事情を余りに縷説し過ぎて、ために誤解の基を開いたように、私には思われる。より大きな意味では、確かに、土地は純地代の唯一の源泉である。
『土地は、より大きな観点においては、間違いなく一切の富の唯一の源泉である。しかし個人または特定の国民を観る場合には、国民も個人も、新らしいものの創造を伴わざる収入の移転によって富裕となるであろうから、問題は変ってくることとなる。(訳註――以上は第二版まで。次のパラグラフから第二―四版。)
『一国の富に関する定義にしてある異論を挿み得ないものはない。もし吾々が土地の総生産物をとるならば、労働の維持のための基金、人口、及び富が急速に増加するのに、国民は明かに貧しく、また処分し得る収入はほとんどないということが起るのは、明かである。もし吾々が、たいていのエコノミストに従って、土地の純粋剰余生産物をとるならば、この場合、利潤は支払うが地代は支払わない新らしい土地の耕作の場合の如くに、富の増加なくして労働の維持のための基金と人口とが増加することもあろうし、またその反対も真であり、農器具や農法の改良――これにより土地はより少数の人間を使用して同一の生産物を産出し得るようになり、従って処分し得る富すなわち収入は増加するがより多数の人間を養う力は生じない――の場合の如くに、労働の維持のための基金と人口が増加しないのに、富が増加するということもあろう。
『しかしながら、この最後の二つの定義に対する異論は、定義が正しくないことを証明するものではなく、ただ単に、富の増加は、一般的にではあるが、必ずしも常に労働の維持のための基金の増加を伴うものではなく、従って、より多数の人間を養う力、または従前の人数をより豊かにより幸福に生活し得せしめる力を、伴うものではないことを、証明するに過ぎない。
『これら二つの定義のいずれを、一国の富、力、及び繁栄に関する最良の基準として採用したところで、耕作者の純生産物は土地に使用されない一切のものに終局的な支払をなす一大基金であるという、エコノミストの一大主張は、常に依然として真実であろう。全世界を通じて、工業者、土地所有者、及び各種の文武の職にあるものの数は、この剰余生産物に正確に比例しなければならず、そして事の性質上それ以上に増加することは出来ない。もし土地の生産力が低くてその全住民をして生産物を得るために労苦せざるを得ざらしめる状態であったとすれば、工業者や無為の徒はかつて存在し得なかったであろう。しかし、土地と人間との最初の交渉は無償の贈与であり、それはなるほど余り多くはなかったが、それでもその能力を適当に発揮してより多くを獲得し得るに至るまでの生存基金としては十分であった。土地に加えられる人間の労働と才智とがこの剰余生産物を増加せしめるに比例して、余暇はますます多数の人間に与えられ、文明生活の華たる一切の発明に従事することが出来るようになった。そして、かかる発明によって利益を得ようとする願望はまたそれで、耕作者を刺戟してその剰余生産物を増加せしめんとするのに大いに役立ったけれども、しかしやはり、先後の順は明かに剰余生産物が先である。けだし工業家がその仕事を完了し得るに先立って彼れの生活のための基金が前渡しされなければならないからである。そしてもし吾々が、工業を強制することによって望むがままにいつでもこの剰余を支配し得るものと想像するとするならば、吾々は直ちに、労働者の名目労賃の騰貴にもかかわらず彼が不十分な生活資料しか得られないという事実によって、この大きな誤りを思い知らされるのである。(訳註――第二版ではここからすぐ、以下三番目の『エコノミストの体系によれば』に始まるパラグラフに移るのであるが、第三―四版では、第二版でもっと前に現われた文をかなり修正した後次の如き形でここに挿入している。)もし土地に使用される労働の特有の生産性を主張するに当って、単に一定数の土地所有者に対し生み出される純粋貨幣地代を眺めるに過ぎぬならば、吾々は疑いもなくこの問題を極めて狭隘な観点で考察していることになる。耕作者の剰余生産物量はなるほど部分的にはこの純粋地代によって測定されるが、しかしその真実価値は、あるものは肉体労働を行わずに生活し、またあるものは自然の粗生生産物を人間の願望満足に最も適する形態に変形することに従事しているところの、食物の多少に従い定まる若干数の人々に、食物を与え、衣住の原料を与える点にあるのである。(訳註――このパラグラフの前半は第五―六版の第八章の終りから四番目のパラグラフの後半とかなり一致する。)
『同数の個人に対する同量の純粋貨幣収入も、それが工業から生ずるものであるならば、決して同一の事情を伴わぬであろう。これはその国をして、食物と原料につき、他国民の剰余生産物に絶対に依存せしめることとなるのであろう。そしてもしこの外国の供給が何らかの事故により行われなくなるならば、収入はたちどころに停止するであろう。
『土地から生産された粗生原料とこれを加工するものを養うに必要な食物とが獲得せられ得なければ、かかる原料を変形する技術は絶対的に無価値となり、この技術を有つ個人はたちどころに死滅するであろう。しかし原料と食物とが確保されるならば、これをかなりの価値あるものたらしめるにたる技術を見出すことは容易であろう。(訳註――ここまで第三―四版のみ。次のパラグラフから第二―四版。)
『エコノミストの体系によれば、工業品は収入が費される対象物であって、収入そのもののいかなる部分でもない1)。しかし、工業品をこのように述べ、それに時に不生産的という名が与えられているところから見ると、それはむしろエコノミストの言葉により粗末に扱われているように見えるけれども、彼らの体系がそれに対し真に不利なものと考えるのは非常に大きな誤りである。反対に私は、これが、商工業が同時にそれ自身の破滅の種子をもたらすことなくして著しく普及し得る、唯一の体系である、と信ぜざるを得ない。オランダにおける最近の革命以前には、生活必要品の価格騰貴がその工業の多くを破壊してしまった2)。独占は常に崩壊を免れ得ないものである。そしてしばらくの間は異常な利潤を生ずる資本や機械の利益ですら、他国民の競争によって大いに削減される可能性がある。世界の歴史上、その富を主として商工業から得た民族は、その富の基礎が農業である民族に比して、全く危殆な存在である。全収入の最も本質的な部分が他国により供給される国家が、この重要なる点において独立しているものよりも、限りなく一切の事故の危険に曝されていなければならぬことは、事の性質上当然である。
1) 工業品と収入とに関するこの説明は、私の意見によれば、正しくない。けだしもし吾々が、全国家の収入を、その全消費で、またはむしろ剰余生産物で生活するものの消費で、測定するならば、工業品は明かにその大きな部分をなしており、そして粗生生産物のみでは、その量についてもその価値についても、これを適当に表示するものではないからである。しかし(訳註――ここまでのところは第四版で新附されたものである。以下第二―四版、ただし若干の用語の修正がある。)この体系によっても、工業が一国の富を大いに増大するように思われる一つの観点がある。収入の用途は、エコノミストによれば、支出される点にある。そしてその一大部分は云うまでもなく工業品に支出されるであろう。しかしもし工業資本を巧妙に使用したためにこれらの貨物が著しく低廉になるならば、剰余生産物はそれに比例してそれだけ価値が増大し、そしてその国民の真実収入は事実上増大したことになる。おそらく工業をこのように考えるのがそれが生産的なりと考えられる最上の方法であろう。そしてもしかかる観点が、エコノミストの眼から見て、スミス博士の、工業労働をもって厳密な意味において生産的なりとなす主張を完全には正当づけるものではないとしても、それは彼ら自身の定義によっても、商業資本と工業資本との性質及び影響を説明するために彼が行った一切の労を十分裏づけるものである。
2) Smith's Wealth of Nations, vol. iii. b. v. c. ii. p. 392.
『結果を原因と見る誤りほどしばしば行われるものはない。吾々は商工業の華かさに欺かれてそれが英蘭イングランドの富と力と繁栄のほとんど唯一の原因であると信じている。しかしそれは確かに、この富の原因であると同様にまた結果であると考えなければならない。土地の生産物のみを考えるエコノミストの定義によれば、英蘭イングランドはその面積に比して最も富んだ国である。その農業組織は比較し得ないほどより良く、従ってその剰余生産物はより多い。フランスは領土の面積と人口の点では英蘭イングランドに遥かに優越する。しかしこの二国の剰余生産物すなわち処分し得る収入を比較してみると、フランスの優越はほとんど消失してしまう。そして英蘭イングランドをして、世界未曽有のかくも尨大な工業、かくも強大な陸海軍、かくも多数の自由職業に従事する人々、及びかくも大きな比率の貨幣地代により生活するものを、養い得せしめているものは、その農業から生ずるこの大きな剰余生産物に外ならない。英蘭イングランド及びウェイルズの人口につき最近行われた報告によれば、農業に従事するものの数は、全体の遥か五分の一以下であることがわかる。この報告における分類は正しくないと信ずべき理由がある。しかしこの種の誤りにつき非常に大きな斟酌を加えても、農業に従事するものの数が現実の生産物に比例して極めて異常に小であることは、ほとんど疑いを容れ得ない。実際近年は、社会のうち農業と無関係の部分が、不幸にしてこの生産物以上に増加している。しかし穀物の平均輸入は、今のところ、国内産のものに対し僅小な比例にしか当らず、従って怠惰な消費者のかくも大きな一団を養う英蘭イングランドの能力は、主としてその剰余生産物の大なることに帰せられなければならない。
『耕作者を奨励してこの大きな剰余生産物を得せしめ、従って直接ではないにしても間接にこれを創造したのは、その商工業であった、と云われるであろう。商工業がある程度においてかかる結果を生ずることは真実である。疑いもなく農業は、国内か外国かにその貨物に対する売口がなければ、繁栄することが出来ない。しかし、この必要が適当に充足された暁には、農業の利益はそれ以上何物をも要求しない。一国民の過大の部分が商工業に従事する時には、それは、不当な奨励かその他特定の原因かによって、資本が土地よりもこの方面に遥かにより有利に使用されていることの、明白な証拠である。そしてかかる事情の下においては、土地から、しからざれば当然そこに投ぜらるべき資本の多くが奪われぬことは、不可能である。スミス博士は正しくも、航海条例と植民地貿易の独占とは、必然的に、しからざればそこに行ったと思われるよりも大きな比率の大英国の資本を、特定の、非常に有利とは云えない方面に、強制的に導き入れ、そしてかくの如く資本を他の職業から奪い、同時に英国の商業利潤率をあまねく騰貴せしめることによって、土地の改良を阻害した、と云っている1)。彼は続けて曰く、もし土地の改良が、何らかの商業における等額の資本から得られ得る以上の資本(訳註――おそらく利潤の誤りであろう。)を与えるならば、土地は商業から資本を引去るであろう。もし利潤がより少いならば、商業は土地の改良から資本を引去るであろう。従って独占は、英国の商業利潤率を騰貴せしめ、かくて農業上の改良を阻害することによって、必然的に、収入の一大本来的源泉の、土地の地代の、自然的増加を遅滞せしめたのである、と2)
1) Wealth of Nations, vol. ii. b. iv. c. vii. p. 435.
2) Id. p. 436.
『東印度インド及び西印度インドは、実際、一大対象物であり、極めて大きな資本に高い利潤を伴う用途を与えるので、それは必ずや、他の用途から、なかんずく利潤が一般に極めて低い土地耕作から、資本を奪い去らずにはいないのである。
『商業界に多数存在するすべての会社や特許やあらゆる種類の排他的特権は、その及ぶ範囲に比例して、同一の結果を有つものである。そして過去二十年間の経験によって、吾々をして、大きな変動と著しい労働の価格騰貴とを伴う豊富な商業上の富から生ずる食料品の価格騰貴は、商業の急速な発展と歩調を共にせしめるに足るところの農業に対する奨励として作用するものではない、と安んじて断定せしめるように思われるのである。
『土地は常に商業資本の過剰によって改良される、とおそらく云われるであろう。しかしかかる結果は時が後れかつ遅々たるものであり、そして事の性質上、この資本が真に過剰になるまでは力強く作用し得ないものであるが、しかし金利と商業資本の利潤とが高い間はそれは決して過剰とはならないのである。吾々は、金利が三パアセントに下落するまでは、何らかの著しいこの種の結果を期待することは出来ない。貨幣を貸して何の苦労もなしに五、六パアセントを得ることが出来る時には、危険と労働及び経営に対する利潤とを含んでそれ以上それほどは得られそうもない土地投資をあえてするものはほとんどないであろう。戦争や公債は、国内事情の関する限りにおいては、資本利潤の高い商業部門の発展をほとんど阻害するものではないが、しかし土地の改良という最も本質的な永久的な富の源泉に対しては極めて著しい影響を及ぼすものである。英蘭イングランドの国債が最も有害な作用を演じたのはこの点にあると私は考える。それは、商業資本の過剰を吸収し利子率を高く維持したので、この資本は土地に流入するのを妨げられた。かくて大きな抵当権1)英蘭イングランドの土地に設定されたが、その利子は生産的労働の支払から徴収され、怠惰な消費者の維持に充てられたのである。
1) エコノミストの実際的な大誤謬は、課税の問題に関するもののように思われる。そしてこの誤謬は、彼らの富に関する限られた不適当な定義から必ずしも生ずるものではなく、彼ら自身の前提からの誤れる推論なのである。土地の剰余生産物なるものが、耕作者の食物以外の一切のものを支払う基金であることを認めても、しかも土地所有者がこの剰余生産物の唯一の所有者であると想像するのは誤りであると思われる。資本を貨幣に実現したものは、何人も、事実上、剰余生産物の一定部分に対する土地抵当権を有つものである。そしてこの抵当権の条件が不変である限り(そして単に消費者たる資格において影響を及ぼすに過ぎない租税はかかる条件を変更しないものであるが)、この抵当権は、最終的には土地所有者と同様に租税を支払うものである。実際、消費者としては、資本の利潤及び労働の労賃によって生活するものでも、なかんずく自由職業のものは、極めて長期間必要品に対するある租税を、また永続的に奢侈品に対する租税を、支払うことは、疑い得ない。けだし利潤や労賃として支払われる富の大きな分け前を有つ個人の消費は、同一量の資本の継続、または同一量の労働の生産を、害することなくして、これを切り詰めて他の道に向けることが出来るからである。
『我国の真実剰余生産物、または耕作者によって実際に消費されない一切の生産物は、地主の純地代とは全く別物であり、従って慎重にこれと区別しなければならぬ。後者の額は総生産物の五分の一以上に遥かに出ずるものではないと想像されている。残りの五分の四は確かに農業に使用されている労働者や馬匹によって消費されないで、そのうち非常に多くの部分は、十分一税や租税や農器具や自家用及び労働者の家庭用の工業品の支払として、農業者によって支払われる。かくの如くして一種の抵当権が、租税により、商業的富の増進により、窮極的に、土地に設定されるのであり、そしてこの意味において、一切の租税は、地主ではないとしても土地の負担するところとなる、と云い得よう。従って、剰余生産物に課税するに当り、地主をして自己の受領しないものに対して支払わしめるのは、いささか困難に思われる。同時にまた、かくの如く考えるならば地租は偏頗なものとなるであろうが、この点を別とすれば、地租は貨物の価格を騰貴せしめる傾向を有たぬ唯一の租税であるから、これは一切の租税中の最良のものであることを、告白しなければならぬ。所得税がなければ、消費税のみが貨幣収入から徴税し得るのであるが、これは必然的に一切の価格を、国に一大不利益を与える程度に騰貴せしめるものである。
『地租または純地代に対する租税は、多くのものが想像している如くに、土地の改良を阻害するという影響は、ほとんどまたは全くないものである。これを阻害するのは十分一税または総収入に比例する租税のみである。純粋利得の四分の一または五分の一を常に支払わなければならないからといって、一〇ポンドに代えて二〇ポンドの純粋利潤を得るのを止めにするものはなかろう。しかし、資本が改良に投ぜられた場合にほとんど比例的純粋利潤を伴ったためしのない総生産物に比例する租税を支払わなければならぬ場合には、事情は全く異り、それは必然的に耕作の増大を大いに阻害しなければならぬ。十分一税に代えるに改良地代に対する租税をもってするという如き見やすいかつ容易なことが、今もって行われていないことを、私は驚かざるを得ない。かかる租税は従前と同じ人間が支払うのであり、ただその形態が改良されるだけのことである。そしてこの変更は、地主、借地人、及び僧侶という、全関係当事者の利得になる以外に、何の困ることもないであろう。十分一税は、疑いもなく、牧畜に対する高い奨励金、農業に対する大きな阻害たる作用をするが、これは、我国現在の特有な事情の下において、極めて大きな不利益たるものである。
『従って、全体として、我が商業が我が農業に対して為したところは、我が農業が我が商業に対して為したところより大ではなく、また大きな阻害があったにもかかわらず行われるに至った改良農法は、この国をしてほとんど助力も借りずにかくも尨大な農業と無関係の一団の人々を養い得せしめる剰余生産物を、年々創造していることを認めなければならないのである。

『第九章 農業及び商業主義の異る結果

(訳註――本章は第一版にはなく第二―四版のみ。)

『前世紀(訳註――十八世紀)の中頃には、吾々は、純粋に(訳註――第二、三版ではここに次の句が入る、『またエコノミストの厳格な意味において』)農業国民であった。しかしながら我が商工業は当時立派な繁栄した状態にあった。そしてもしそれが引続き我が農業に対して同一の相対的比率を維持していたならば、それは明かに我国の耕作の改良につれ不断に増大し続けたことであろう。かくの如くして今後支持せらるべき工業の量に対しては明かな限界はない。かくの如き状態にある一国の富の増大は一切の普通の事故のよく害し得ぬところである。かかる制度には何らの衰退の萌芽も見られず、また理論上、それは今後数千年間富と繁栄とにおいて増進し続けない、と云うべき理由は、存在しないのである。
『しかしながら吾々は今や農業主義を脱して商業主義が明かに優越する状態へと移った。そして我国の商工業ですらついにはこの変化の不利なることを感ずるであろうと危惧する理由は、あり過ぎるほどあるのである。自然的事態において期待しなければならぬ普通の不作の結果にさえいたく悩まなければならぬという状態に吾々が現在あることは、既に述べたところである。増大し行く商業的富の競争が、同一比例で増加しない穀物の供給に対し働く時には、常に労働の名目価格を引上げる傾向が生じなければならない。しかし凶年のことを考慮に入れれば、それが及ぼす結果はついには著しく大とならなければならぬ。(訳註――第二版ではこれに続いて次の如くある、『吾々は、英蘭イングランドでは、労働の労賃がひとたび騰貴した後には、これを引下げるのがいかに極度に困難であるかを、知っている。この前の凶作の期間中、労働の価格は引続き騰貴していった――再び下落することなく。土地の地代は至るところで騰貴していった――再び下落することなく。そして云うまでもなく生産物の価格は騰貴しなければならぬ――再び下落することなく。けだし凶作による特別の競争や豊作による競争の欠如とは無関係に、その価格は必然的に労働の労賃及び土地の地代によって左右されるからである。吾々が最近経験したような凶作には将来見舞われないであろうと想像すべき理由は全然ない。反対に、現在の制度においてはそれは不可避的と思われる。そしてもし吾々が最近やってきたようにやっていくならば、労働と食料品との価格はまもなく、他のヨオロッパ諸国のそれら価格とは云わば比較はずれの騰貴をしなければならない。そしてこれが我国の外国との一切の取引をついに阻止し我国の商工業に決定的打撃を与えないということは不可能である。資本や熟練や機械や施設が全力を挙げて働く時には、それがもたらす結果は大きなものであり、実際その限界を推察し得ないほど大きなものである。しかしそれでもなおそれは無限ではなく、疑いもなくその限界がある。ヨオロッパの主要諸国は、幸運な我国を除けば、最近多大の戦禍を蒙り、ためにその商工業はほとんど破壊され、従って吾々は云わばヨオロッパの取引の独占権を有っていると云うことが出来よう。一切の独占は高利を生むものであり、従って今日、労働の価格が高いにもかかわらず取引を有利に行うことが出来るのである。しかし、他のヨオロッパ諸国が復興し徐々として我が競争者となるの時間を得た暁には、食料品と労働との価格が現在より更に騰貴しても吾々は競争に耐え得るであろうと云うのは、早急な主張であろう。スミス博士は、彼れの時代に、英国の労働の価格が高いのでその工業品が外国市場でより低廉な商品の競争に合うと云って、工業者が喞っている、と述べている。(二版註――Wealth of Nations, vol. ii. b. iv. c. vii. p. 413.)もしかかる不平の声が当時いくらかでも根拠があったとすれば、それはその二十年後にはどれだけ大きくなることであろう。そして吾々は、我国の現在の商業的大繁栄は一時的なものであり、商業主義の最悪の特徴たる他国の不況による興起である、と考える理由がないであろうか。』――以上が第二版の文であるが、第三―四版ではこれが削除され、これに代えて、このパラグラフの終りまでと、その次の一パラグラフとが加えられたのである。)この前の凶作の期間中、労働の価格は引続き騰貴していったが、それは容易には再び下落しないであろう。あらゆる国には、実際上、力学における摩擦のような働きをして、労働の価格がその構成部分の価格に正確に比例して騰貴するのを妨げる多数の原因があるであろう。しかしこれらの原因の外に、労働の価格がひとたび騰貴した時にはその下落を妨げる働きをする、理論上極めて有力な一原因がある。食料品の稀少と云うが如き一時的原因によってそれが騰貴したと仮定すれば、労働の購買者の競争にある種の退潮が起らぬ限りそれは再び下落しないであろう。しかし豊作が囘起した際に労働の真実価格の騰貴が労働者により多量の粗生及び工業生産物の購買力を与えるので、この退潮は妨げられ、しからざれば生ずべき価格下落は力強く阻止される傾向があるのである。
『労働は、その価格が、他のいずれの貨物ほどにも容易にその構成部分の価格によって影響されない貨物である。消費者がある貨物に対する租税またはその構成部分のいずれかの価格に前払を支払う理由は、けだし彼がこの価格前払を支払う能力または意思を有たぬ場合には、この貨物は同一量は生産されず、翌年には市場にはこの前払の支払に同意する人数に適応するだけの比率しか存在しないであろう。しかし労働の場合には、貨物を撤囘する作用はもっとおそくもっと苦痛が多い。購買者がより高い価格の支払いを拒否しても、啻に翌年だけではなく、その後数年間、同一の供給が必然的に依然市場にあるであろう。従って、需要に増加が起らず、租税または食料品の価格の前払がそれほど大でないために労働者が一家を養うのが不可能であるという事実が直ちに一目瞭然と見えるわけではない場合には、おそらく、彼は引続きこの前払を支払っていき、かくてついには人口増加率が緩慢になって市場の労働供給が不足となるのであるが、この時には云うまでもなく、購買者の競争が、必要な供給を恢復せんがために、価格を前払の比例以上に騰貴せしめるであろう。同様にして、労働の価格騰貴が二、三年の凶作の期間中に生ずる場合には、おそらく、豊作が囘起した場合に、労働の真実報酬は引続き通常平均よりも高くなっており、ついには人口の過急の増加が、労働者間の競争とその結果たる通常率以下への労働の価格の下落を、惹き起すことであろう。(訳註――ここまでが第三―四版で、次のパラグラフからは第二―四版。)
『一国が平年にそれが消費する以上の穀物を生産し、その一部分を輸出するを常としている場合には、商業的富の競争によりしばしば永続的結果を及ぼす大きな価格変動は同じ程度には起り得ない。労働の労賃は他の商業諸国の通常価格以上には決して甚だしく騰貴し得ない。(訳註――第二版では『商業的富の………騰貴し得ない。』というところは次の如くなっている、『その価格と、それに依存する労働の価格とは、他の商業諸国の通常価格以上には決して何らか著しい程度には騰貴し得ない。』)そしてかかる事情の下においては、英蘭イングランドは最も十分な最も大っぴらな競争を少しも恐れる必要はないであろう。他国の繁栄の増進は単に英蘭イングランドに、その貨物に対するより広大な市場を開き、その一切の商取引に対するより以上の熱意を与えるに、過ぎないであろう。
『穀物及び粗生生産物一般の価格騰貴は、それがヨオロッパ諸国民間の最も自由な競争により生じたものである限り、極めて大きな利益であり、そして農業に対する最良可能の奨励であるが、しかし単に国内の貨幣的富の競争によって生じたものである場合には、その結果はこれと異る。一方の場合には、大きな奨励が生産一般に対して与えられるのであり、生産物が多ければ多いほどよいのである。ところが他方の場合には、生産物は必然的に国内消費に限られる。耕作者が過多の穀物を生産するのを恐れるのはもっともなことであって、けだし外国に売られる部分については大きな損失を蒙らなければならぬからであり、また国内市場の過剰によって価格はあまねく生産者を正当に補償する以下に下落するであろう。かかる事情の下にある国が、穀物価格の大きな頻々たる変動(訳註――第二版にはここに『及び時々激しい食物不足』が加わっている。)に襲われないことは、不可能である。
『もし吾々が、外国貨物の輸入奨励によって、労働の価格の下落を企てるとするならば、おそらく災厄は十倍にも加重されるであろう。労働の価格の下落は緩慢不確実であるが、我国農業の衰退は確実であるということは、経験の保証するところである。英国の穀物栽培者は、自国の市場で、平年には外国栽培者の競争に耐えることは出来ないであろう。中等度の耕地はほとんど耕作費を支払わぬであろう。肥沃な土壌のみが地代を生ずるであろう。すべて都市の周辺では外観は通常通りであろうが、内陸地では土地の多くは耕作を抛棄され、そしてそれが可能ならほとんどあまねく牧畜が耕作に代るであろう。(訳註――ここのところから第二版ではすぐ続いて次の如くある、『かかる事情の下においては、我国の商工業は、否、吾々の生存そのものすら、いかに危殆に瀕することであろう。一世紀も経たないうちに、我が人口はその乏しい耕作の限界以内に圧縮され、かつて繁栄せるスペインの人口と同一の悲惨なる逆境に悩むに至るものと、予期しなければならない。
(『広大な面積を有つ国がその食物について外国に頼るという人為的制度の不合理を明かに証示するためには、かかる制度が他の多くの国によって採用された場合を想定してみるのが最もよい。もしフランスやドイツやプロシアが工業国民となり、農業を第二次的関心事と考えるとすれば、食物という不可欠物に対するその欲求はいかにして充足されるであろうか。穀物に対する需要の増加によって、確かにその栽培はロシアやアメリカにおいて奨励される傾向があるであろう。しかし吾々は、これら諸国では、現在、特にアメリカでは、人口の自然増加が著しくは妨げられておらず、またその都市や工場が増大するにつれ自国の穀物に対する需要がそれと共に増加すべきことを、知っている。その収入が隷農の数の多少で定まるロシアの貴族は、他国に供給を行うためにその増加を妨げよと云ったところでこれに応じないであろう。そしてアメリカの独立耕作者は、輸出を始める前に、まず確かに自己の家族と召使を養い、またおそらく国内市場に供給するであろう。しかし最初にしばらくの間はこれらの工業国が適当の供給を受けるものと認めても、これは事の性質上永続し得ないであろう。自国の農業が衰退するので工業は年々その要求を増大するであろう。そしてロシアやアメリカは、その人口が急速に増加し、国内に徐々として工業が興起していくので、年々その節約能力が減少するであろう。これらの原因と、遥かに距離の遠い内陸地からしかもおそらく陸上輸送費をかけてかくも莫大な穀物の供給を得るの必要とは、価格をついには著しく騰貴せしめることとなり、ために貧弱な工業は全然収支が償わなくなり、かくて欠乏と飢饉とがこれら工業国の富の性質の危殆にして従属的なるを教えるに至るであろうが、それはもはや時既におそいのである。これら工業国は、痛ましい経験によって、農業は、多くの工業なくとも、大いに栄えかつ多数のものに豊饒と幸福とを与え得るけれども、しかも工業は、国内か国外かの農業経営者なくしては、一歩も前進し得るものではなく、従って、国内に利害を共にしかつ常に即刻確実の支払を受ける農業経営者を有つ代りに、遠隔地に利害を異にしかつ支払が確実には受けられぬそれを有つということは、愚挙不慎慮の骨頂であるということを、知るに至るであろう。その隣人の繁栄の増大が自らの破滅の接近の徴象であるという状態にあることほど、自由人にとり嫌悪に堪えぬ考えはあり得ない。しかもかかるものこそが、ヨオロッパの主要諸国がその穀物につきロシアやアメリカその他の諸国民に依存した場合に、これら諸国の置かれる状態なのである。英蘭イングランドの商業主義の如くに、それに対する何らの物理的必要なくして一国をかかる状態に陥れる主義は、諸国民の富に関する純粋な原則に基礎を置くものではあり得ないのである。
(『大きな領土を有つ国が、それが消費する以上の穀物を国内において栽培することなくして、その生活資料をよく確保されるということは、ほとんど不可能と思われる。それはまた、大きな価格の激変からも免れることは出来ないが、これは、この生産物過剰が不作の年の通常の不足に対しある大きな比率をとるのでない限り、かくも大きな社会の一部分を通じて激しい災厄を生じ、そしてしばしば大きな永続的不利益を伴うものである。』――以上の第二版の記述は削除され、第三―四版では、右の『牧畜が耕作に代るであろう。』にすぐ続く以下の部分と、その次の五つのパラグラフがこれに代って現われた。)かかる事態は、英国の地代及び労賃の下落か、または外国穀物の価格騰貴か、またはこれよりもおそらくは、両原因の結合によって、均衡が恢復されるまで、持続するであろう。しかしそれまでには、工業に対するかなりの相対的奨励と農業に対する相対的阻害の一時期が経過するであろう。一定部分の資本は土地から撤去されるであろう。そして平衡がついに恢復された時には、国民はおそらくその生活資料の大きな部分につき外国の供給に依存していることになろう。そしてある特殊の原因によって外国需要が国内需要以上にならない限り、この国民の独立はこの点においては恢復され得ないであろう。この期間中は、その商工業ですら極めて危殆な状態に陥り、そしてヨオロッパの現状において不可能とは思われぬ諸事情によってその人口はその減退せる耕作の限界以内に減少されるであろう1)
1) 労働の価格騰貴または農業資本に対する租税は、終局的には地代の負担するところとなることは事実であるけれども、しかし吾々は決して現行借地契約のことを考慮外においてはならない。二十箇年間も経れば、現行借地契約が改良を奨励する傾向があるか阻害する傾向があるかに従って、ある国の農業状態は非常に繁栄しもすれば甚だしく逆境にもなる、と私は信ずる。土地の地代が一般的に下落するためには、それに先立って農業資本の投下にとり極めて不利な時期があることであろう。従って、農業資本にかかってくるあらゆる租税は特に有害なのである。取引の資本にかかってくる租税はほとんど直ちに消費者に転嫁されるが、農業資本にかかってくる租税は、現行借地契約期間中は、全然農業者の負担するところとなる。
『自然的事態においては、その穀物供給の大きな部分について自分より貧しい隣国に依存する国は、これら諸国が富と人口とにおいて増大し、その節し得る粗生生産物の剰余を減少するにつれて、この供給が徐々として減少するものと、期待してよかろう。
『かかる国の政治的関係は、戦争中、その食料の供給のうち外国から手に入れる部分は突如として停止され、または大いに減少されてしまうという事態を招来するであろうが、これは必ずや最も悲惨なる諸結果を生ぜずには止まぬ事柄である。
『商業的富が優越する国民は、富者の主要消費物たる財貨は豊富に有つけれども、万人にとって絶対的必要品であり勤労階級の収入の遥かに最大部分が支出される財貨の供給については、これが危殆に瀕するの危険を有つものである。
『農業的富が優越する国民は、国内で商業国民の如き奢侈品及び便宜品の剰余は生産せず、従っておそらくはこれら貨物のある欠乏に曝されるかもしれぬけれども、他方において、全国家の福祉にとり不可欠な財貨の剰余を有ち、従って最大重要性を有つものの欠乏からは確保されているのである。
『そしてもし吾々が、外国から得る供給については国内で生産するものほどには確信が有てないとすれば、その領土がこれを許す国民としては、その不足がその幸福と繁栄とに最大の打撃を与えるべき貨物の剰余を確保することが、有利な政策であると思われるのである。(訳註――ここまでが第三―四版、従って以下は第二―四版。ただし第二版では次は独立のパラグラフではなく前と続いている。)
『商業的見地から云っても、粗生生産物の販売ほど一国にとり有利な取引部門はない、と在来ほとんどあまねく認められている。一般にその価値は、他のいかなる貨物よりも、その生産費に対して大きな比率を有っており、従ってその販売に対する国民的利潤はより大である。このことはスミス博士がしばしば指摘したところである。しかし彼はエコノミストとの論争に当って、しばしこれを忘れ、輸出工業の利益の優越を主張しているように思われる。
『彼は曰く、商工業国は極めて少数者が生存し必要とするものを輸出し、多数者の生活品必要品を輸入する。他国は多数者の生活品必要品を輸出し、わずかに少数者のそれを輸入する。一方の住民は常に、自国の土地がその耕作の現状において供給し得るよりも遥かに多量の生活資料を享受しなければならぬ。他方の住民は常にその遥かにより少量を享受しなければならぬ、と1)
1) Wealth of Nations, vol. iii. b. iv. c. ix. p. 27.
『この章句での彼れの論述は、いつもの正確さに似ていないようである。工業国民は、その現状においては単に少数者が生存し必要とするに過ぎぬ貨物を輸出するかもしれぬが、しかしこの貨物を輸出のために作るためには、この国の収入の大きな部分が多数の労働者に必要衣食を与えるために使用されたのである。そして他国民が輸出する生活品必要品について云えば、それが多数であろうと少数であろうと、それは確かに、工業国民が消費した生活品ならびに親方工業者及び商人の利潤を代置するに足る以上のものではなく、これはおそらく、農業国の農業者及び商人の利潤ほど大なるものではない。そしてなるほど工業国民は自国がその耕作の現状において供給し得るよりも多量の生活資料を享受するかもしれぬが、しかし両主義のいずれを採用するかによってその耕作の現状に最大の相違が生ずるからといって、工業主義がよいということには決してならぬのである。もし一世紀の間、二つの農地国民がこれら二つの異る主義を採用するとしても、換言すれば、その一方は規則正しく工業品を輸出して生活資料を輸入し、他方は生活資料を輸出して工業品を輸入するとしても、この期間の終りには二国の耕作の状態には何の相違もなく、従って疑いもなく、その粗生生産物を輸出した国は他方よりも遥かに大きな人口に生活品必要品を与えることが出来るとは、合理的に主張し得ないであろう。
『通常の事態においては、穀物の輸出はこれに関連している個人に十分に利益のあるものである。しかし国民的利潤の点では、それが他のいかなる種類の輸出よりもよいという四つの非常に有力な理由がある。(訳註――この文は第二版では、『しかし国民的利潤の点では、それは他のいかなる種類の輸出よりも二つの特有な顕著な利益を有っている。』)第一に、(訳註――第二版ではここに次の句が入る、『粗生生産物なかんずく』)穀物は、それ自身の基金からその生産費を支払い、そして販売される金額は純粋国民利潤である。もし私が新工業を起すならば、それに使用される人間は、国の既存の生活資料の基金から養われなければならず、その価値は、純粋国民利潤を評定するためには、あらかじめその貨物が売られた価格から控除されなければならぬ。(訳註――第二版ではここに次の一文が入る、『そして云うまでもなくこの利潤は親方工業者及び輸出商人の利潤であり得るに過ぎない。』)しかしもし私が新地を耕作し、または既耕地の改良により多くの人間を使用するならば、私は国内の生活資料の一般的基金を増加するのである。この増加の一部分で私は追加使用者の全部を養い、そして残りの全部は輸出され販売されるが、これは一つの純国民利得であり、すなわち、他の人口の豊饒を減少する傾向は少しもなしに追加使用人数に等しいだけの追加人口を養うという、国に対する利益の外に、更に得られるものである。(訳註――第二版ではこの後に次の二パラグラフがあったが、これは第三版で削除された。すなわち、――
(『第二に、一般に過剰に有っているのでなければ、常に十分に有つということを確保し得ないものである。そして習慣的穀物輸出は、非常の際に応ずるに足る量の貯蔵をしておくための、期待し得る唯一の実際的方法であるように思われる。食物不足の害悪は極めて恐るべきものであるから、これを防止する傾向のあるいかなる商業部門も、国民的見地からすれば、著しく便宜なるものと考えざるを得ない。
(『これら二つの利益は、食料品と労働との価格が安定しておりかつ比較的に低廉であるという事情により工業に必然的に生ぜずにはいない利益と相俟って、極めて顕著なるものであって、従って穀物の輸出貿易をその商取引の一主要部門として行い得ることは、いかなる国の永続的繁栄にとっても第一重要事でなければならぬのである。』以上は第二版であり、次の四パラグラフが第三―四版においてこれに代って現われたものである。)
『第二に、一切の加工貨物においては、同一量の使用された資本、熟練、及び労働は、同一またはほとんど同一量の完成工業品を生産するであろう。しかし季節の変動により、農業における同一量の資本、熟練、及び労働は、年を異にすれば極めて異る量の穀物を生産するであろう。従って二つの貨物が人間にとり同等の価値を有つとしても、穀物は工業よりは不作の可能性が大きいので、工業品よりも穀物の平均剰余を有つことの方が重要であろう。
『第三に、穀物は、これに比しては他の一切のものが犠牲とされる最も絶対的な必要財貨であるから、その不足は、必然的に、他のいかなる種類の生産物の不足よりも、遥かに大きな価格騰貴を生じなければならない。そして穀物の価格はかくも多くの他の貨物の価格に影響を及ぼすのであるから、その不足の悪結果は、他のいかなる貨物の不足の結果よりも、激しくかつ一般的であるのみならずまた永続的でもあろう。
『第四に、特定の国における穀物の剰余をより均等にし、自然的事態においては時々囘起すると期待しなければならぬ不作による不足の悪結果を防止するには、ただ三つの方法があるだけであるようである。すなわち、一、食物不足が起るや否や直ちに行われる外国からの供給。二、大きな公共穀倉。三、平均国内消費が与える以上に広大な市場に対しある分量の穀物を習慣的に栽培すること1)。第一については、需要が突如として生ずるのでそれは有効とはなり得ないことを、経験が吾々に教えている。第二に対しては、非常に大きな有力な異論のあることは、万人の認めるところである。そこで第三しか残らぬことになる。かかる考慮を払ってみると、穀物の輸出貿易をその商取引の一主要部門として行い得ることは、いかなる国の幸福と永続的繁栄にとっても第一重要事でなければならぬ、ということになるようである。(訳註――以上は第三―四版。)
1) 最近 Mr. Oddy's European Commerce (page 511). で、我国を、穀物がその高のいかんを問わず輸入価格以上のときにのみ国内販売のために開かるべき、外国穀物の集散倉庫たらしめんとする計画が、示唆されている。この計画に対しては、もしそれが実行し得るなら、私は何の異存もなく、またそれは確かに注目に値するものである。それは穀物の国内生産を阻害するものではなく、そして凶年に対する良い備えとなるであろう。(訳註――この註は第四版のみ。なお次のパラグラフからは第二―四版。)
『しかしいかにしてこの能力を与えるか、いかにして一国民を穀物輸入の習慣から輸出の習慣に転ぜしめるかは、大きな難問である。近代ヨオロッパの政策がそれをして地方の産業よりも都市の産業を、換言すれば農業よりも取引を、奨励せしめるに至っていることは、あまねく認められており、またスミス博士がしばしば指摘しているところである。この政策においては英蘭イングランドは確かにヨオロッパの残余に後れをとっていない。実際おそらく、一つの事例を別とすれば1)、それはその先頭に立っていると云い得よう。もし事物がその自然的道程をとるに委ねられていたならば、社会の商業部分は耕作者の剰余生産物以上に増加したことであろう、と考えるべき理由がある。しかし独占その他の特殊の奨励による商業の高利潤がこの自然的道程を変更せしめた。そして国家は、その主要成員がその残余と比例を失するという、人為的な、ある程度病気の、状態にある。ほとんど一切の薬剤は、それ自身としては悪である。そして疾病の大きな害悪の一つはそれを飲まなければならぬ必要にある。動物処置においても経済学の方策主義においても、私ほど薬剤の嫌いなものはおそらくあり得ない。しかし我国の現状においては、この種の何ものかが、より大きな害悪を防止するために必要であろう。吾々が広幅布やリンネルやモスリンや、否むしろ茶や砂糖や珈琲コーヒーの、十分な供給を得るか否かは、比較的には全く大して重大な問題ではない。従っていかなる理性的政治家もかかる貨物に対する奨励金を提唱しようとは考えないであろう。しかし吾々が食物の十分な供給を得るか否かは、確かに最高度に重要な問題であり、そしてもし奨励金がかかる供給を生ずるものならば、食物が他の一切のものとは異る貨物であり著しく貴重なものであることを考慮して、最も偏見なき経済学者はこれを提唱して間違いないであろう。
1) 穀物輸出奨励金。』
[#改丁]

第十一章 穀物条例について――輸出奨励金

(訳註)

〔訳註〕本章が大体最後の形になったのは第五版からである。第二―四版ではこれは第十章となっており、また第二版と第三―四版とでは内容にかなりの変化がある。
 まず第五―六版の形ではどうかというに、それは次の如くである。
 大きな土地資源を有ち、大いに増加した人口を自国の土地で養う明かな能力を有つ国で、しかも多量の外国穀物を輸入するを常とし、その供給量の大きな部分を外国に頼るようになっている国があることは、既に述べたところである。
 かかる事態を導く原因は主として次の如くであるように思われる。
 第一に、一国の法律や憲法や慣習により、土地への資本の蓄積が妨げられているのに、工業における資本の使用の増加に対しては同じ程度にはかかる事実のないこと。
 封建制度が行われてきているあらゆる国には、この種の法律や慣習があり、これは他の財産の如くに土地が自由に分割譲渡されるのを妨げ、耕作の拡張のための準備をしばしば著しく困難にもすれば著しく高価なものにもしている。かかる国における改良は主として小作人によって行われるが、彼らの多くは借地権を有たず、少くとも長期の借地権を有たない。そして彼らの富と貫録とは最近大いに増大したけれども、豪気な所有者と同一地歩に立つことは出来ず、商工業者と同一の独立と、その資本を活溌に使用すべき同一の奨励は、与えられていないのである。
 第二に、一国の農業に対し重い負担を負わせる如き性質を有つところの、不平等であるか、または特殊事情により商工業に負わせた方がよい、直接税または間接税の制度。
 国内産の穀物に対する直接税は、もしその輸入に対しこれに相対する課税が行われて相殺されることがないならば、穀物の耕作を直ちに破滅せしめ、一国をしてその消費の全量を輸入せしめることとなり、またもし、間接税の制度によって、労働の一般価格が騰貴し、しかも内外貨物に対する戻税があり、植民地生産物が豊富であり、また価格の騰貴により外国の需要が大して影響を蒙らない特殊の貨物1)があるので、全輸出品の量は別としても価値が増加し得るならば、この種の結果が一部分生ずべきことは、あまねく認められているところである。
 1) 支那において労働の価格が騰貴すれば、確かにその茶に対して支那が受取る対価は増加するであろう。
 第三に、巨額の資本及び極めて有利な分業と相俟っての、機械の進歩。
 ある国において、機械と資本とにより、一人の人間が十人の仕事をすることが出来るようになれば、この同じ利益が他国に普及しない間は、労働の価格が騰貴しても、その生産に資本や機械が極めて有効に用いられているような種類の貨物を販売する能力はほとんど妨げられないことは、明かである。穀物生産費を増加せしめる必要労働労賃の騰貴が、穀物以外の多くの貨物にもまた同じ結果を及ぼすことは、間違いなく、そしてもし他にも貨物がないとすれば、外国からもっと安く買い入れる方法はないから、外国穀物の輸入に対しては何の刺戟も与えられないであろう。しかし商業国の輸出し得る貨物の大部分は各種各様ある。それはあるいはその国及びその属領の特産たる性質を多分に有っているものであるか、あるいは優秀な資本と機械で生産されたものであって、その価格は外国の競争よりもむしろ国内の競争によって決定されるものである。この種の一切の貨物は明かに、本質的な悪影響を与えることなくして、労働の価格をあるものは永久的にまたあるものは長期間に亙って騰貴せしめておくことが出来るであろう。かくの如くして生じたこの貨物の価格の騰貴、またはむしろ本来生ずべき下落の阻止は、なるほど常に、ある程度輸出貨物の量を減少せしめるの結果となるであろうが、しかしそれだからといって、輸出貨物の外国における全地金価値――これは見返り輸入品の地金価値を決定し、一般にその量を決定するものであるが――を減少するということにはならない。もし我国の綿製品が今その現在価格の半ばに下落するとすれば、疑いもなく吾々は現在以上の分量を輸出するであろうが、しかし、少くとも多年に亙って、二倍の分量を輸出することになろうとは思われず、しかも吾々が従前と同じだけの外国生産物を購買し得るためには、そうしなければならないのである。この場合、及び他の同種の多数の場合においては、量と価値とは、ある点までは、歩調が違うにしろ、とにかく一緒に動くのであるが、しかしこの点を超えると、量の増加は単に生産された全価値を減少するに過ぎず、そしてそれと引替えに得られる見返り輸入品の量を減少するに過ぎないのである。
 しからば、一国は、労働と原料の比較価値が高くとも、優秀な資本と機械とを極めて有効に用い得る貨物については、容易に外国人との競争に耐えることが出来るであろう。もっとも同じ労働の節約が行われ得ない農業やその他の生産物については、かくの如く労働と原料の価格が高ければ、外国人は議論の余地なき利益を与えられるであろうが。従って、かかる国にとっては、穀物を全部自国で作るよりも、その少からざる部分をその工業品や特産品によって外国から買い入れた方が安くつくであろう。
 もしこれら諸原因の全部または一部によって、ある国民がその人口のかなりの部分を養う上で習慣的に外国に頼るようになれば、かかる依存状態が続く間は、それは明かに、純粋な商工業国民の蒙る害悪の若干を蒙らなければならない。なるほど一つの点では、それはなお引続き大きな優越点を有つであろう。それは、外国の競争かその他何らかの原因によりその商工業が衰退し始めた時に頼り得る土地資源を有つであろう。しかしこの利益を埋合わせてしまうものとして、それは、多量の輸入が必要な期間中、全然の商工業国よりもその穀物の供給について遥かに大きな変動を蒙るであろう。オランダやハンブルグの需要は、それに供給する商人にはかなりに正確にわかるであろう。もし需要が増加するとしても、その増加は緩慢であり、そして年々莫大な突発的な変動を蒙らないから、平均必要量について規則的な契約をするのが安全でもあれば実際的でもあろう。しかし英蘭イングランドやスペインについては事情は異る。これらの国の需要は気候が変りやすいので必然的に極めて変りやすく、従ってもし商人が輸出国と平年の必要量を約束するならば、二、三年豊作が続けば彼らは破産してしまうかもしれない。彼らは、安全にその取引を行うためには、必ずや毎年収穫状態がわかるまで待たなければならない。そしてヨオロッパにおける新需要に照して考慮さるべきものが、平作からの不足に過ぎず、不足の全量でないことは確かに事実であるけれども、しかもこの不足の全量が大量でありかつ予測が困難であり、毎年一定の分量の契約を結びのが危険であり、また好戦的大国と敵対関係に入る機会が多くなるので、安定した供給を得る困難は非常に増大しなければならぬ。そして不作はしばしば一般的であるというのが事実であるならば、これらの国が時々価格の大変動を蒙ることがないとは考えられないのである(訳註)。
〔訳註〕このパラグラフ中の一部分は前版からの書き写しである。第十三章附記の第二―第四版の分の中に指摘されている箇所を参照。
 不作は局所的であって一般的ではなく、従ってある国の不作は常に他の国の豊作によって埋合わされる、と時に云われている。しかしこれは全く根拠のない想像である。一八一四年に穀物条例に関し下院の委員会に提出された証言の中で、穀物商人の一人は、我国が不作の時にバルチック海沿岸地方も不作だったという場合は再々あるかと訊ねられたのに答えて曰く、『ヨオロッパのある地方で不作の場合には、一般に他の地方でも多かれ少かれ不足である1)』と。もし何人かが相当期間に亙りヨオロッパ各国の時を同うせる穀物価格を検討するの労を惜しまないならば、右の答が完全に正しいことを知るであろう。過去百五十年間に、フランスと英蘭イングランドとの間には穀物貿易については滅多に大きな交渉がなかったのに、穀物価格が両者に共通だったことが二十度以上もある。そしてスペインとバルチック諸国とは、今まで両者の価格がわかっている限りでは、しばしば同じ時に一般的不作を経験していることがわかる。最近五箇年間においてすら、一八一一―一八一二年及び一八一六―一八一七年の二囘に亙り、我国の価格が異常に高かったにもかかわらず、輸入は比較的に大したことはなかった。これはヨオロッパの最大部分に亙る一般的不作があったからに外ならないのである。
 1) Report, p. 93.
 かかる事情の下において、我国で毎年必要とされる外国穀物の平均量が二百万クヲタアであると仮定し、そして同時に、不作による不足が百万クヲタアであると仮定すれば、供給を受けなければならぬ不足の全量は三百万クヲタアとなるであろう。
 もしヨオロッパ全体が不作となるならば、ある国はその穀物の輸出を全然禁止し、またある国はそれに極めて高率の課税をするであろう。そしてもし我国が百万クヲタアか百五十万クヲタアを獲得し得るとすれば、おそらくそれでせいぜいであろう。しかしながらその場合には、我国は二百万クヲタアか百五十万クヲタアだけ不足することとなる。他方においてもしも我国が自分の消費分を生産するを常としており、そして不作のため百万クヲタアだけ不足を来したというのであれば、たとえヨオロッパ全体が不作だとしても、我国の価格騰貴の結果として三、四十万クヲタアを獲得出来ないとは考えられない。いわんや我国の穀物と労働の通常の価格が他のヨオロッパ諸国よりも高いとすればなおさらのことである。従ってこの場合には、我国の不足の全量は、百五十万ないし二百万クヲタアではなくて、わずかに六、七十クヲタアに過ぎないであろう。もしも今日(一八一六―一七年)その穀物生産量が平常その消費分に著しく及ばないという状態に我国があったならば、我国の困窮は更に甚だしく加重されたことであろう。
 この種の事変に備え、かつより豊富な同時にまたより安定した穀物の供給を確保するために、穀物条例の制度が推奨され来っているのであるが、その目的は、関税または禁止によって外国穀物の輸入を阻止し、奨励金によって国産穀物の輸出を奨励するにあるのである。
 この種の制度は我国においては一六八八年に完成されたが1)、アダム・スミスは[#「アダム・スミスは」は底本では「アダムス・ミスは」]この政策をかなり詳細に取扱っている。
 1) ここで述べた目的は、一六八八年の法律の特別の目的ではなかったかもしれないが、その後この制度が推奨されたのは確かにこの目的のためである。
 この一般的問題が結局いかに決定されるにしろ、需要供給の大原則の効力を認めるものは、すべて、『国富論』の著者のこの制度に対する反対論旨が本質的に誤っていることを、認めざるを得ない(訳註)。
〔訳註〕以上は第五―六版であるが、ここまでのところで前の諸版がどうなっているかと云うに、まず第二版の本章冒頭のパラグラフは次の如くである、――
『都市の産業に対し与えられた奨励は、しからざる場合にそこに流れ込んだと思われる以上の資本を、この方面に流れ込ませた、とスミス博士は述べている。そしてもしこれが真であるとすれば、土地はその自然的分け前以下しか得ていなかったに違いない、ということになる。そしてかかる阻害の下においては、吾々は、農業が工業と歩調を共にし得ようとは、合理的に期待し得ない。一六八八年及び一七〇〇年に制定された穀物条例は、両者を平等の基礎に立たせるという以上には、何事もしなかったものである。』
 ところが第三―四版では右の一パラグラフは削除され、これに代って次の諸パラグラフが現われた、――
『穀物輸出奨励金の政策を論ずるに当っては、農業者及び土地保有者の私的利害は決して問題の中に混入されてはならぬということを、前提しなければならぬ。吾々の考察の唯一の目的は、全国民を代表する消費者の永続的利害でなければならぬ。
『経済学の一般原則によれば、各国民がどこであろうと最も低廉に入手し得るところでその貨物を購買するのが、文明世界の利益であることは、疑いを容れ得ない。
『これらの原則によれば、ある特定国には富の過剰蓄積に対しある障害が存在し、そして、富裕な国民はより貧しい国民からその穀物を購買するように誘われるのが、むしろ望ましいのであるが、けだしかかる方法によって文明世界の富は、啻により急速に増加するばかりでなく、またより平等に分散されるからである。
『しかしながら、地方的利害と政治的関係とが、これら一般原則の適用を修正することがあるのは、明かである。そして穀物の生産に適する領土を有つ国においては、この生活必要品を独立してかつ同時により平等に供給することが極めて重要事であるために、この原則から乖離しても差支えないという場合が、起ることもあろう。
『あらゆるものは窮極的にはその水準に落着くというのは疑いもなく真であるが、しかしこの水準は時に極めて早急に決定されることがある。英蘭イングランドは今後百年間、奨励金の援助を俟たずとも穀物を輸出し得よう。しかしこれが行われるのは、その農業の増大によるよりはその工業の破壊による可能性が遥かに多い。そしてかくも重要なる点において一般法則の生硬な是正を緩和すべき政策は、正当なものと考えて差支えないようである。』
 そしてこれ以後は若干の用語の修正を別とすれば、第二―四版に共通である。すなわち、――
『一六八八年及び一七〇〇年に制定された穀物条例で採用された輸出入に関する規定は、農業に対し、それが大いに企図した奨励を与えることとなったようである。少くともそれは、現実の人口の欲求よりも遥かに多い穀物の国内栽培と、従前には経験されなかった平均価格の下落と価格の安定とを、伴ったのである。
『十七世紀中、また実にそれに先立つ我が歴史の全期間に亙って、小麦の価格は大きな変動を蒙り、そして平均価格は極めて高かった。一七〇〇年以前六十三年間に小麦の一クヲタア当りの平均価格は、スミス博士によれば二ポンド一一シリング〇・三分の一ペンスであり、一六五〇年以前五年間にはそれは三ポンド一二シリング八ペンスであった。(訳註――この文は第二―三版では次の如くある、『一七〇〇年以前五十年間に小麦の一クヲタア当りの平均価格は三ポンド一一ペンスであり、一六五〇年以前にはそれは六ポンド八シリング一〇ペンスであった1)。』――1) Dirom's Inquiry into the Corn Laws, Appendix, No. 1.)
『一七〇〇年及び一七〇六年に穀物条例が完成した時以来、価格は極めて安定するに至った。そして一七五〇年以前の四十年間の平均価格は一クヲタア一ポンド一六シリングという低価に下落した。これは我国の最大の輸出の行われた時期であった。一七五七年にはこの条例は停止され、一七七三年にはそれは根本的変更を加えられた。爾来穀物の輸出は規則的に減少し、輸入は増加している。一八〇〇年に終る四十年間の小麦の平均価格は二ポンド九シリング六ペンスであり、この期間中最後の五年間には三ポンド六シリング六ペンスであった。この最後の期間中、あらゆる種類の穀物の輸入超過は二、九三八、三五七と見積られているが1)、近年生じている価格の恐るべき変動は吾々には余りにも周知のことである。
1) Anderson's Investigation of the Circumstances which led to Scarcity, Table, p. 40.
『部分的経験から早急に一般的推論を引き出すことは常に危険であるが、しかし今の場合には、吾々が考察している期間は極めて長期に亙るものであり、また変動する高い価格から安定した低い価格への変化と、並びに変動する高い価格への再帰は、極めて正確に、穀物条例の制定と威力、及びそれ以後の変更と無力とに、一致するのであり、従ってスミス博士が、穀物価格の下落は奨励金の存在にもかかわらず生じたに違いないのであり、おそらくはその結果として生じたものではあり得ない、と云っているのは1)、確かにやや大胆な主張である。事実を一見すれば、この結果生じた原因は、それが何であろうと、引続きこの法律によって妨害されたとはとにかく思われない。そして吾々は、外見にかくも反する主張を防衛するに当っては、彼は最も有力な論拠によるべきである、と期待すべき権利を有つのである。この問題は、我国の現状においては最高の重要性を有つように思われるから、かかる論拠の効力は論駁に値することであろう。
1) Wealth of Nations, vol. ii. b. iv. p. 264.
『彼は曰く、豊作の年にも不作の年にも、奨励金は必然的に、穀物の貨幣価格を、国内市場でそれがしからざる場合に有つ価格よりも、いささか高める傾向がある、と1)
1) Id. p. 265.
『豊年にはこの通りになることは疑いもなく事実である。しかし凶年にもこの通りになるというのは、私には疑いもなくうそだと思われる。スミス博士がこの後の命題を支持している唯一の論証は、輸出が行われるのである年の食物豊富は他の年の不足を救うことが出来ないということである。しかしこれは確かに極めて不十分な理由である。凶年が最大の豊年にすぐ続いて生ずるとは限らない。そしてこの種の不時の出来事のために六、七年間の剰余分を貯えておくというのは、農業者の習慣に全く反することである。多量の予備貯蔵をしておくためには一般に大きな実際上の不便が伴う。そのための適当な施設がないのでしばしば困難が生ずる。それは常に虫害その他の害を免れない。それが大量に上る時には、一般人の妬みとそねみの眼をもって見られやすい。そして一般に、農業者は、それほど長期間報酬を得ないではいられないか、または報酬が必然的に遠い先のことでありまた当てにならぬ用途に多量の資本を投ずる意思がないかの、いずれかである。従って全体として、吾々は、この案によれば、予備の貯蔵は、かなり多量に輸出するを常とする国において、凶年に国内に止めらるべき量と幾分でも等しくなると、合理的に期待することは出来ない。しかも吾々は、不足の程度がわずかでも違えば、しばしば価格の上に非常に大きな違いが生ずることを、知るのである。
『スミス博士はそこで進んで、極めて正当に、穀物条例の擁護者は、現実の耕作状態における価格よりはむしろ、それが農業者の穀物に対しより広汎な外国市場を開き、また彼にその貨物に対ししからざる場合に期待し得る以上の価格を確保して、この現実の耕作状態を改善する傾向のあることの方を強調しており、この二つの奨励は、彼らの考えるところによれば、長い間には、穀物の生産を増加せしめ、ために国内市場におけるその価格は、当時現実に存在している耕作状態において、奨励金がそれを引上げ得るよりも遥かに低下せしめなければならぬというのである、と述べている1)
1) Ibid.』
 以上は第二―四版である。以下は第二―六版にほぼ共通である、すなわち、――
 彼はまず(訳註)、奨励金によってもたらされ得る一切の外国市場の拡大は、全然国内市場を犠牲として行われるのであり、けだし奨励金によって輸出されるようになり、従って奨励金がなければ輸出されなかった穀物は、一切、国内市場に留ってこの貨物の消費を増大しその価格を引下げる役割を果したはずのものである、と述べている1)
 1) Vol. ii. b. iv. c. 5.
〔訳註〕第二―四版では、『彼はまず』の代りに、『これに答えて彼は』とある。
 この際彼は明かに市場という言葉を誤用している。貨物をある特定の市場においてより安く売ればそうでない場合よりもその多量を容易に手離すことが出来るのであるからといって、この操作によってかかる市場がそれに比例して拡大されるというのは正しくない。アダム・スミスが述べているところの、奨励金があるので支払われる二つの租税を廃止すれば、下層階級の購買力は確かに増加するが、しかし各特定年における消費は終局的には人々によって制限されなければならず、そしてこれら租税の廃止による消費の増加は、決して(訳註)、耕作に対し外国需要の増加と同一の奨励を与えるには足らぬであろう。もし国内市場における英国穀物の価格が、奨励金の結果として、生産費の増加しないうちに騰貴するならば(そしてそれが直ちに騰貴することはアダム・スミスの明瞭に認めているところである)、それは、英国穀物に対する有効需要がそれにより拡大され、そして国内における需要の減少――それがいかなるものであろうと――が外国における需要の拡大によって相殺されて余りあることの争い得ない証拠である。
〔訳註〕『耕作に対し……足らぬであろう。』は、第二版では、『農業者からその正当な報償を奪うために、穀物の一般価格を低下せしめることなくして、その全余剰を除き去るには足らぬであろう。』とある。なおその次の『もし国内市場における』以下は、第三版よりの新増補である。
 またこの次には、第二版では、後に削除された次の二パラグラフがある、――
英蘭イングランドの耕作者が、その価格でその全収穫を売らなければその正当な利潤が得られぬという価格で、国内の供給を行った後に、更にそれ以上百万クヲタアの小麦を有つものと、仮定しよう。同時にまた、土地の価格が高く、多額の消費税が課せられており、その結果として労働の価格が高いので、英国の農業者はヨオロッパの平均価格で穀物を栽培し得ない――これは輸出奨励金が必要とせられる場合には常に事実である――と仮定しよう。かかる事情の下において、もし耕作者が余剰の百万クヲタアを無理に国内市場に吐かせようとするならば、啻にこの余剰の百万クヲタアの価格だけではなく、その全収穫の価格が、著しい下落を告げ、そして奨励金がなければ輸出は農業者にとって採算がとれず、かくては国内市場の価格は、英国の農業者に適当な生産費を支払うには足らないと吾々に仮定したヨオロッパの平均価格以下に、下落すべきことは、全く明かである。国内市場における購買者は、疑いもなく、この年は、非常に豊かに暮すであろう。彼らは自ら望むだけのパンを食べ、またおそらく豚や馬でさえも小麦で養うことが出来よう。従って耕作が採算がとれぬことがわかるので、彼らは云うまでもなく耕作を止め、徐々としてその土地を牧場に変えていき、その結果としてついに、不作が襲来した時に、または少くとも余剰分が全然なくなった時に、価格は再び、国内市場を過剰ならしめぬ限り彼らの穀物栽培が採算がとれるようになる高さに、騰貴することとなるであろう。個々の農業者は、どれだけの穀物を他の州の同業農業者が播種するは、知り得ない。将来需要と比較した将来供給の状態は、収穫期になるまでは、大部分隠蔽されている。そしてその年の価格の高低のみが、翌年の土地経営に関する農業者の行為を左右し得るのである。かかる事情の下においては、穀物供給の、従ってまたその価格の、大きな変動は、必然的に生ぜざるを得ないのである。
『市場が過剰になりはせぬかという危惧ほど、ある貨物の多量の生産に対する阻害となるものはあり得ない1)。それがいかに大であろうととにかく得られ得る何らかの量に対し確実に有効需要を見出し得るという事情ほど、かかる生産に対する奨励をなるものも、あり得ない。吾々の仮定した場合においては、穀物に対する奨励金のみが、英国農業者に対し穀物に対する有効市場を拡大し得るものなることは、明かである。
1) 平年には、農業者は、価格に大して注意を払うことなく、耕作慣例に従って事を行いがちであることは、私は十分知っている。しかしこの慣例は極端な場合には打克ち得ないことを、吾々は一瞬といえども疑い得ない。分別あるものは損をする耕作には久しく従事しはしないであろう。』
 右の本文二パラグラフ、註一パラグラフのうち、第三版では、本文の第一パラグラフと註とは削除され、本文第二パラグラフの後半の、『吾々の仮定した場合』以下は次の如く修正された、――
『更にまた、奨励金に対する主たる目的の一つは、凶年の不足を充たすべき国内消費以上に出ずる剰余を得るにあることを、注意しなければならぬが、しかし国内市場のいかなる可能の拡大もこの目的を達し得ないことは、明かである。』
 第四版は第三版をそのまま踏襲しているが、第五版に至ってこれも削除されてしまった。
 なお次は第二版より現われているものである。
 アダム・スミスは、更に進んで曰く、奨励金があるために人々の支払う二つの租税、すなわちその一たるこの奨励金を支払うために政府に支払うものと、その他方たるこの貨物の騰貴せる価格という形で支払うそれとは(訳註)、労働貧民の生活資料を減少するか、または彼らの労賃を彼らの生活資料の貨幣価格の騰貴だけ騰貴せしめなければならぬ。それが前者の作用をする限りにおいて、それは、労働貧民がその子供を教育し育て上げる能力を低減しなければならず、またその限りにおいて国の人口を抑制する傾向を有たねばならぬ。それが後者の作用する限りにおいて、それは、貧民の雇傭者がしからざる場合に雇傭し得るだけの数を雇傭する能力を低減しなければならず、またその限りにおいて国の産業を抑制する傾向を有たねばならぬ。
〔訳註〕これ以下の部分は第五―六版の修正にかかるものであり、第二版では次の如くなっていた、――
『現実の耕作状態においては、労働の価格を引上げず、従って農業者の収入を引上げない。それは労働貧民がその子供を育て上げる能力を低減しなければならず、またかくて国の人口と産業とを抑制することにより、国内市場の徐々たる拡大を妨害し抑制し、ひいてはついに穀物と全市場及び消費を増加するよりはむしろ減少する傾向を有たなければならない1)
1) Wealth of Nations, vol. ii. b. iv. c. v. p. 267.
『私は、奨励金より生ずる輸出の制度が、凶年には、穀物の供給を増加する明かな傾向を、または同じことであるが、しからざる場合に生ずべきほどの減少を生じさせない明かな傾向を、有つことは、明かに証示され、また実際ほとんど疑問の余地なきところである、と思う。従って奨励金より生ずる輸出の制度のない場合よりも、かかる特別の年に、労働貧民はよりよい生活が出来、また人々は妨げられることが少いであろう。しかしかくの如く見た場合に、もし奨励金のもたらす結果が、豊年には人口増加をいささか抑圧し、また凶年にはそれを比較的奨励するに過ぎぬのであるならば、その結果なるものは、明かに、人口を、永続的にかつ時々の不足なしに供給され得る生活資料の量によって、均等に左右するということに、あることとなる。そしてこの結果は、社会に生じ得る最大の利益の一つであり、そしてこの問題を深く考察したことのないものの容易に理解し得る以上に労働貧民の幸福に寄与するものである、と云うに躊躇しないのである。人類社会のあらゆる出来事の中で、二、三年の豊年があったために人口が突然増加を始め、これが必然的に凶作否むしろ平年作の起るや直ちに圧縮されてしまうということほどに、窮乏を生み出しやすいものはなく、また悲惨な結果をあまねく生じやすいものは、他にはなかろうと私は思う。我国における現在の高い労働価格と貧民の慣習の現状からして、私は、最近食物不足に関する危惧が生じ、その結果として異常の穀物量が播種されたために、小麦の価格が、来る二箇年間、一荷につき十ポンドまたは十二ポンドに下落するとするならば、私はそれをもって非常な不幸事と考えざるを得ない。かかる場合において異常数の結婚が一般人の間に行わるべきことは、疑問の余地がない。消費者は急速に増加していくであろうが、しかしこの穀物価格は、現在の昂騰せる土地地代、集積せる消費税、騰貴せる労働価格の下においては、確かに農業者を償わないであろうから、供給は急速に減少していき、そしてその結果がどうなるかは明瞭過ぎるほど明瞭なのである。』
 第三版では直前のパラグラフの終りの方の、『我国における高い労働価格と』以下末尾までは次の如く修正された、――
『もし吾々が、奨励金の結果として穀物を輸出するを常としているとするならば、価格は、異常な豊年には、かかる輸出奨励金がない場合よりもいっそう下落するであろうが、けだし収穫のうち通常輸出されている部分の過剰分は国内市場に向けられるからである、と示唆されている。しかしかかる事実が生ずると仮定すべき理由はないようである。年々輸出される分量は決して固定的なものではなく、収穫の状態と国内市場の需要とによって変動するであろう。外国市場が購買の上でも販売の上でも非常に有利な一つの点は、凶年と豊年とが異る多数の国において同時に起ることが不可能でないという事実である。豊年には、固定額の奨励金は、生産費に対してより大なる比率をとるであろう。従ってより大なる奨励が輸出に対して与えられ、従ってわずかに価格を引下げれば、おそらく、農業者はその全過剰分を外国市場に処分することが出来るであろう。』
 これは第四版では踏襲されたが、第五版に至って全部は削除され、これに代って本文の次の如き記述が現われたのである。
 なお次のパラグラフも第五版から現われたものである。
 奨励金のために作られた租税が、ここに述べた二結果のうちのいずれかを生ずることは、直ちに認められるであろうが、しかしそれがその両者を生ずるとは認め得ない。しかも、この制度が人民全体に課する租税は、それを支払うものにとっては極めて重い負担であるけれども、それを受取るものにとってはほとんど利益にならない、と云われている。これは確かに矛盾である。もし労働の価格が、後述の如く、小麦の価格に比例して騰貴するならば、労働者はどうして家族を養う能力が減るのであるか。もし労働の価格が小麦の価格の比例して騰貴しないならば、地主と農業者とはその土地により多くの労働者を使用し得ないとは、どうして主張し得るのであるか。しかも『国富論』の著者はこの矛盾の追随者をたくさん有っているのであり、そしてその中のあるものは、穀物が労働やその他一切の貨物の価格を左右するという彼れの意見に同意しながら、しかも穀物価格の騰貴は社会の労働階級に損害を及ぼし、またその下落が彼らに利益を与えると、主張しているのである。
 しかしながら、アダム・スミスが提出している奨励金の反対論の論拠は、穀物の貨幣価格は他の一切の国内産貨物のそれを左右するから、貨幣価格の騰貴による保有者の利益は真実のものではなくて外見上のものに過ぎず、けだし販売による利益は購買で失われなければならぬからである、ということである(訳註)。
〔訳註〕このパラグラフは大体第二版からであるが、ただし第二版ではその冒頭は『スミス博士が提出している穀物条例反対論の最ももっともらしい論拠は』とあり、また第二―四版では、末尾に次の引用箇所が挙げてある、――Wealth of Nations, vol. ii. b. iv. c. v. p. 269.
 この主張は、ある程度までは事実であるが、土地へのまたは土地からの資本の移動を妨げるという程度には――これこそが問題の点なのであるが――事実ではない。特定の国における穀物の貨幣価格は、疑いもなく、労働その他一切の貨物の価格を左右する最も有力な構成要素である。しかしアダム・スミスの主張としては、それが最も有力な構成要素であるはずだというだけでは足らないのであり、他の原因にして同一なる限り、あらゆる財貨の価格は穀物の価格に正確に比例して騰落するということが、証示されなければならないのであるが、これは全然事実に反することである。アダム・スミス自身一切の外国貨物を除外している。しかし吾々が、我国の多額の輸入品と我国工業で使用されている多量の外国財貨を考えてみる時には、この除外されたものこそが最も重大なものである。羊毛と原皮という国産の最も重要な二原料は、アダム・スミス自身の推理によれば(Book I. c. xi. p. 363, et seq.)、穀物の価格と土地の地代とには多く依存するものではない。そして、亜麻、脂肪、及び鞣革の価格は云うまでもなく輸入量によって大きな影響を受ける。しかし、右に挙げた財貨に含まれる毛織布、綿及び麻製品、鞣革、石鹸、蝋燭、茶、砂糖、等は、社会の勤労階級の衣服と奢侈品のほとんど全部を成しているのである。
 更にまた、その産業が固定資本の助力を受けることの大なる国ではすべて、加工貨物の価格のうちかかる資本の利潤を支払う部分は、漸次的更新に必要なものを除いては必ずしも穀物価格の騰貴の結果として騰貴するものではなく、そして労働の価格の騰貴以前に造られた機械から得られる利益は当然何年か持続するものなることを、注意しなければならぬ。
 多額のかつ多数の消費税が課せられる場合にも、穀物の価格の騰落は、労働の労賃のうち食物に投ぜられる部分を増減せしめるけれども、明かに、租税の支払に充てられる部分はこれを増減せしめないであろう(訳註)。
〔訳註〕以上三パラグラフがこの形になったのは第五版からである。第二版では次の如くある、――
『しかしながらこの主張は、多くの限定を附さなければ事実ではない1)。特定の国における穀物の貨幣価格は、疑いもなく、労働その他一切の貨物の価格を左右する最も有力な構成要素である。しかしそれは唯一の構成要素ではない。土地の粗生生産物の多くの部分は、穀物の価格により影響を受けるけれども、しかし決してこの価格と正確に比例して騰落するものではない。ある国で工業機械に大きな改良が行われた時には、費用のうち労働の労賃となる部分は、加工貨物の全価値に対して比較的に小さな比例しか占めず、従ってその価格は穀物の価格により影響を受けるけれども、しかしそれに比例しては影響を受けないであろう。ある国に多額のかつ多数の消費税が存在する場合には、労働の労賃によって生活するものは、常に、租税を、少くとも石鹸、蝋燭、鞣革、塩、等の如き必要品に対するそれを、支払うべき、元手を受取らなければならぬ。従って穀物価格の下落は、労働の労賃のうち食物に投ぜられる部分は減少せしめるであろうけれども、明かに、全体を同一比率で減少せしめないであろう。そしてかかる限定やその他指摘し得べきその他の限定の外になお、労賃がひとたび騰貴した後にはこれを低下せしめるのは困難であるという事情も、この主張が実地に適用される前に考慮に入れなければならない。
1) フィジオクラアシイでは、デュポン・ドゥ・ヌムウルによって、穀物の貨幣価格の騰貴が利益であるか否かを決定することが、経済学上の一問題として提出されている。そしてこの問題は、その利益が真実なものであるというように解決されているが、これは思うに正しい解決である。
『十八世紀の前半中に、穀物の価格は徐々として下落し、しかもこれは著しい程度に上った。しかし労働の価格がその結果として下落したとは思われない。従ってかかる結果が五十年間に亙って生じなかったのならば、吾々は、それが七、八年にして生ずるとは期待し得ないであろう。そしてもし、労働の価格を低下せしめる目的をもって、農業者がその余剰分を国内市場で無理に処分しようとするとすれば、彼らはこの目的を達し得ないために、明かに将来同一量の穀物を栽培し得なくなるであろう。そしてかかる事情の下においては、奨励金のみが彼らを奨励して同一の穀物栽培を継続し得せしめるものであり、またこの奨励金は彼らにとり大きな積極的利益であって、スミス博士が証示せんと努めている如くに決して外見上のものでないことは、明かである。
『国内市場を英国穀物で過剰にするか、または外国穀物の無税輸入かによって、吾々が労働の労賃の引下に成功すると仮定しても、英国農業者が穀物を生産しこれを市場にもたらす費用はこれに比例して低下しはしないであろう。英国穀物の価格の主たる構成要素の一つは高い土地の地代であり、そのもう一つは、農業者がその農器具や馬匹や窓や施設の必要費やで支払う多数の消費税である。それらの価格構成要素が同一である間は、労働の労賃の下落は、英国の穀物が市場にもたらされ得る価格に、それに比例する影響を与えることを得ないであろう1)。そして英国の農業者は、価格のこれら二構成部分が比較的軽微なアメリカやバルチック沿岸地方の農業者との競争において、極めて大きな不利益の下に働くことになるであろう。
1) 貧民を養うために我国で支払われている巨大な租税は、疑いもなく、英国穀物の価格のもう一つの有力な構成要素をなすものであるが、しかし私が本文でこれを挙げなかったのは、けだしそれは常に穀物の価格と共に低減するが、他の二構成要素はそうはならぬからである。』
 しかるにこれは第三版に至って、二つの註は共に削除した上、更に全文は次の如く書き改められた、――
『しかしながらこの主張は、多くの限定を附さなければ事実ではない。特定の国における穀物の貨幣価格は、疑いもなく、労働その他一切の貨物の価格を左右する最も有力な構成要素である。しかしアダム・スミスの主張としては……(訳註――この間本文最後から三つ目のパラグラフの後半に等し)……のほとんど全部をなしているのである。従って、労働の労賃のうち食物に支出される部分は穀物の価格と比例して騰貴するであろうが、しかし労賃の全部は同一の比例では騰貴しないであろう。ある国で工業機械に大きな改良が行われた時には、加工貨物の価格のうちその獲得に使用された固定資本の利子を支払う部分は――この資本は労働の価格の騰貴以前に蓄積されたのであるから――漸次的更新に必要なものを除いては、この騰貴の結果として騰貴しないであろう。そして多額のかつ多数の消費税が課せられる場合には、労賃によって生活するものは、常に、租税を、少くとも必要品に対するすべてのそれを、支払うべき、元手を受取らねばならぬから、穀物の価格の騰落は、労働の労賃のうち食物に投ぜられる部分を増減せしめるけれども、明かに、租税の支払に充てられる部分はこれを増減せしめないであろう。』
 以上すべては第五版において整理されて上記の本文の最後の三パラグラフとなったのである。
 しからば(訳註)、ある国における穀物の貨幣価格はその国の銀の真実価格の正しい尺度であるということは、一般的主張としては認め得ない。しかしこれら一切の考慮は、土地所有者には大いに重大なものであるけれども、農業者に対しては現在の借地契約以外には何も影響するところはないであろう。借地期限満了の際には、穀物と労働との価格の比例が有利なために得ていた特殊の利益はなくなってしまい、また不利な比例による不利益は埋合わされるであろう。農業に使用される資本の比例を決定する唯一の原因は穀物に対する有効需要の量であろう。そしてこの奨励金が真にこの需要を拡大したとすれば――確かに拡大したであろうが――土地に使用される資本が増加しないとは考えることは出来ない。
〔訳註〕このパラグラフは第三版より現わる。
 アダム・スミスが、事の性質上穀物は、単に貨幣価格を変更しただけでは変動し得ない真実価値を印せられているのであり、いかなる輸出奨励金も、いかなる国内市場独占も、その価値を引上げ得ず、また最も自由な競争もこれを引下げ得ない、と云う時には(訳註1)、彼が問題を、穀物栽培者の、または土地保有者の、利潤から、穀物そのものの物理的価値へと変更していることは、明かである(訳註2)。私は確かに、奨励金は穀物の物理的価値を変更するものであり、その一ブシェルをして以前よりも多数の労働者を同等に十分に養わしめるものである、と云おうというつもりはないが、しかし私は確かに、奨励金は、英国の耕作者に対し、現実に事態において、真に英国穀物に対する需要を事実増大するものであり、かくて彼を奨励してしからざる場合以上に播種せしめ、その結果としてより多量の小麦をより多数の労働者の維持のために使用し得せしめるものである、と云おうとするのである(訳註3)。
〔訳註1〕このパラグラフは第二版の原文が後に大いに訂正されたものである。第二―四版ではここの箇所に次の引用箇所が挙げてあった、――Wealth of Nations, vol. ii. b. iv. c. v. p. 278.
〔訳註2〕『彼が問題を……明かである。』は第三版から現われたものであり、第二版ではここは次の如くなっていた、――
『彼が問題を、ある国における穀物栽培者の利潤から、それ自身としての穀物の物理的絶対的価値へと変更していることは、明かである。彼らの土地の比較的地代が、かかる不利益の下に労働するものの利潤を低下せしめなければならず、また他の事情にして等しき限り、ついにはそれを市場外に逐いやらねばならぬ、ということほど明かなことはあり得ない。そして、かかる不利益の下に労働するものに対し、奨励金が彼らの利潤を引上げ、彼らに他との競争に耐えるよりよい機会を与える傾向がなければならぬこともまた、明かである。しかし終始この間を通じて、疑いもなく、穀物の物理的価値は、競争にも奨励金にも影響されずに、依然全く同一なのである。』
〔訳註3〕第二版ではこれに続いて次の如くあったが、これは第三版から削除せられた、――
『けだしそれは、労働の価格のうち穀物に直接に依存する部分がこの貨物の価格の変動と共に正確に騰貴するものと仮定しても、価格の他の二主要構成要素が依然同一であるならば、穀物の貨幣価格のあらゆる騰貴は栽培者または保有者にとり積極的利益であり、あらゆる下落は積極的損失であるからである。そして吾々が更に進んで、土地の地代が同様に変動する――これは長い間にはこうなろうが――と仮定しても、しかもなお貨幣消費税が依然不変であるならば、穀物の貨幣価格の騰落は、前ほどの程度ではないとしても、栽培者または保有者の利得または損失となるであろう。しかし理論を実地に適用するに当っては、確かに一切の事情を考慮に入れなければならない。そして穀物条例またはこれと反対の無税輸入制度の実際的結果につき判断を下すに当っては、啻に前述の如く労働の価格を引下げるの困難を留意しなければならぬばかりでなく、さらに土地の地代を引下げるために要する期間と、これら二目的が達せられぬうちにおそらく農業が破滅するであろうということをも、留意しなければならぬのである。』
 もしアダム・スミスの理論が真であり、そして彼れのいわゆる穀物の真実価格が不可変的であり、または労働その他の貨物と比較して価値の相対的増減をなし得ないものであるならば、農業は実際不運な地位にあることになるであろう。それは、資本は社会の各種の必然的に変動する欲求に従って一用途から他の用途に移動するという、『国富論』においてかくも美しく説明されている原理の作用から、直ちに除外されることになるであろう(訳註1)。しかし確かに吾々は、穀物の真実価値は、他の貨物の真実価値ほどには変動しないけれども、変動するものであり、そして一切の加工貨物が、穀物の価格に比較して、安い時期と高い時期とがあり、前者の場合には資本が工業から農業に移動し、後者の場合には農業から工業に移動することを、疑い得ないのである。かかる時期を看過したり、それを軽視したりすることは、許されないことであるが、けだしあらゆる取引部門において、かかる時期は供給の増加に対する大きな奨励をなすものであるからである。疑いもなくいかなる特定産業部門における取引の利潤も決して久しきに亙って他の部門よりも高くなることは出来ない。しかし、かかる高利潤による資本の流入によらずして、それはいかにして低下せしめられるであろうか。ある特定の取引者の利潤を永続的に増大せしめるということは、決して国民的目的ではあり得ない。国民的目的は供給の[#「供給の」は底本では「価格の」]増加にある。しかしこの目的は、前もってこれら取引者の利潤が増大し、かくてこの特定職業により大なる資本が用いられることによる以外には、到達せられようがない。大英国の船舶業者は、現在、航海条例以前に得ていた以上の利潤を得ていない。しかし国民の目的は船舶業者の利潤を増加するにあるのではなく、海運と船員の量を増加するにあったのである。そしてこのことたるや、海運と船員に対する需要を増加することによって従来この方面に使用されていた資本の利潤を引上げかくてこの方面により大なる資本を流入せしめる法律による以外に、達せられ得なかったのである。一国民が奨励金を設定する目的は、農業者の利潤や地主の地代を増加するにあるのではなく、より多量の国民資本を土地に流入せしめ、その結果として供給を増加するにある。そして需要の増加による穀物価格の騰貴がある場合には、労賃の騰貴、地代の騰貴、及び銀価の下落は、ある程度、この問題に関する吾々の判断をぼかしてしまうけれども、しかも吾々は、穀物の真実価格は、資本の落着く先を決定するに足るほどの期間変動するのであり、しからざれば吾々は、いかなる程度の需要も穀物の栽培を奨励し得ないと告白するのジレンマ(訳註2)に陥らざるを得ないことを、承認せざるを得ないのである(訳註3)。
〔訳註1〕このパラグラフは第三版以後のものであるが、ただしこの訳註の記号のあるところまでは、第五版の修正にかかるものであり、第三―四版には次の如くある、――
『もしスミス博士の理論が厳密に真であり、穀物の真実価値または他の一切の貨物の量で測定したその価格が決して何らの変動をも蒙らないとするならば、何故なにゆえに吾々が現在二〇〇年以前よりも多くの穀物を栽培しているのかという理由を与えることは困難となるであろう。もし穀物の名目価格の騰貴が真実騰貴ではなく、または農業者をしてより良く耕作し得せしめずまたはより多くの国民資本を土地に流入せしめないのであるならば、農業は実際極めて不運な地位にあり、この産業部門へのより以上の資本投下に対してはいかなる適当な動機も存在し得ない、ということになるであろう。』
 右に代えて第五版で本文の如き文が現われたのであるが、ただし最初の方の第六版では『彼れのいわゆる穀物の真実価格』とあるのは第五版では単に『穀物の真実価格』となっていた。
〔訳註2〕『いかなる程度の……ジレンマ』は、第三―四版では『穀物の生産へのより以上の資本投下に対する動機はあり得ないと告白するのジレンマ』とある。
〔訳註3〕右の如くこのパラグラフは大体第三版からのものであるが、その際削除された第二版の文とそれに続く章末までの全部、並びにこれ以下の部分に該当する第三―四版の分で第五版で削除されたものとは、まとめて章末に附することとする。
 従ってこれ以下の本文は全部第五―六版のものである。
 しからば、アダム・スミスが提出している穀物に関する特殊の議論はこの際支持することが出来ず、また穀物輸出奨励金は、他の貨物の輸出奨励金と同じ程度ではないとしても、これと同様にそれに対する需要を拡大しその精算を奨励するに違いないことを、認めなければならない。
 更にまた、この穀物生産の増加は、必然的に価格を永続的に低廉ならしめなければならぬ、と云われており、そして奨励金が我国において十分の作用を演じた前世紀初め六四年間という長い時期が、その証拠として提出されている。しかしながらこの結論においては、多少の期間は続いたかもしれぬがその本質においては一時的な影響か、永続的な影響と誤認せられたものと考えてよいであろう。
 需要供給の理論によれば、奨励金は次の如き作用を演ずるものと期待し得よう。
 『国富論』の中にはしばしば、大きな需要は大きな供給を伴い、大きな不足は大きな豊富を伴い、大きな騰貴は大きな下落を伴う、と述べてある。大きな不定限の需要は実際一般にそれに比例する以上の供給を惹き起す。この供給は当然に異常な価格下落を生ずる。しかしこの下落は、一旦生じた時には、今度はその貨物の生産を妨げなければならず、この妨げは、同一の原理によって、必要以上に永続し、またも高い価格に復帰せしめがちなものである。
 輸出奨励金は、その効果に好都合な事情の下に与えられるならば、以上の如き作用を演ずるものと期待し得よう。そしてこれは事実、それが立派に行われた唯一の場合において、かかる作用を演じたのである。
 他の原因の競合を否定しようとはせず、また奨励金の相対的有効性を測定しなくとも、穀物の栽培価格がアダム・スミスに従えばわずかに一クヲタア二八シリングであり、また英蘭イングランドの穀物市場が大陸のそれと同様に沈滞していた時に、一クヲタア五シリングの輸出奨励金は真実価格を騰貴せしめ、穀物耕作に対し奨励を与えたに違いない。しかし土地に対する資本の流出入に生ずる変化は常に緩慢なものであろう。その資本を商業に用いるを常としているものは、直ちにはそれを農業に向けるものではない。そして資本を商業に用いるために土地から撤収するのは、これよりも更に困難な緩慢な仕事である。我国において奨励金の制定直後二五年間に、穀物の価格は一クヲタアにつき二、三シリング騰貴した。しかしおそらくは、ウィリアム及びアンの戦争、不作、及び貨幣の稀少のために、土地への資本の蓄積は遅々たるものであり、大きな剰余の収穫は得られなかった。ユトレヒトの平和が結ばれてはじめて我国の資本は眼立って増加しはじめた。そして奨励金があったので、そうでない場合以上のこの蓄積資本が、徐々として土地に向けられざるを得なかった。これに続いて三、四十年の間剰余収穫と価格下落とが続くこととなった。
 この価格下落の期間は、今打樹てた理論によっても、奨励金により生じたものにしては長過ぎる、と云われるであろう。これはおそらく本当であり、また十中八、九間違いなく、奨励金のみが作用した場合にはこの期間はもっと短かかったであろう。しかしこの場合には他の原因がこれと共に有力に働いたのである。
 英国穀物の価格の下落に続いて大陸における価格の下落が生じた。外国においてこの下落を惹起した一般的原因が何であったとしても、おそらくそれは英蘭イングランドでは全然働かなかったというわけではなかろうと思われる。いずれにしても、外国が喜んでは買い入れずただ低廉ならば買うというような大きな剰余の生産があった場合ほど、価格を低廉ならしめ高い価格への復帰を緩慢ならしめるものはあり得ないであろう。かかる剰余の生産があった場合には、価格の下落によってこの剰余をなくするためにはある程度の時間が必ずや必要であろうが、それはけだしなかんずく奨励金の心理的刺戟は、おそらく、価格の下落が始って後も久しく働き続けるからである。これらの原因に加うるに、ほとんど時を同うして金利の下落が資本の過剰とその結果たる資本の有利な用途を発見するの困難とを物語っているという事情をもってし、かつ更に、土地からの資本の移動に対する自然的障害を考慮するならば、何故なにゆえに穀物が相対的に豊富で低廉であるという事情に本質的な変化がなくて長い時期が経過するかということの、十分な理由がわかることであろう。
 アダム・スミスはこの価格の低廉の原因を銀の価値の騰貴に帰している。フランスその他二、三の国でほとんど同時に起った穀物価格の下落は、この推測にある根拠を与えたかもしれない。しかし問題のこの期間における鉱山の生産物に関し吾々が最近得た報告はこれを十分には裏書しない。そしてそれは、ルイ十四世の戦争終結以後ヨオロッパが相対的平和状態になったので土地への資本蓄積が便となり農業上の改良が奨励されたのによるという方が、もっと遥かに本当らしいのである。
 実際我国に関しては、アダム・スミス自身、労働1)その他の財貨が騰貴しつつあったことを認めているが、これは貴金属の価値が騰貴したという仮定には極めて不利な事実である。啻に穀物の貨幣価格が下落したばかりでなく、他の財貨に対するその相対価値も下落したのであり、そしてこの相対価値の下落は、大規模な輸出と相俟って、穀物が相対的に豊富なことを明示したものであり、この相対的豊富は、それがいかようにして起ったにせよ、右の事実の主原因なのであり、銀の稀少が主原因なのではないのである。なかんずく一七四〇年ないし一七五〇年の十年間の英国穀物市場におけるこの大規模の下落に続いて、ある程度おそらく英国穀物の大規模の輸出――なかんずく一七四八、一七四九、一七五〇年の――による大陸市場における大規模の下落が生じたが、以上の事実は必ずやその耕作を若干妨げたに違いないが、他方労働の真実価格の騰貴は同時に人口の増加に刺戟を与えたに違いない。これら二つの原因が一緒に働いたので、穀物の剰余はまず第一に減少され、そしてついには一掃されるに至った。そして一七六四年以後には、大英国の富と工業人口とはその近隣諸国よりも急速に増加したので、農業に対して反射的刺戟が与えられたが、これは大きなものではあったけれども、ほとんどもっぱら国内需要から生じたものであったので、剰余を生み出すことは出来なかったのであり、また穀物条例の改正の結果以前の如くに英国農業に限られなかったので、自給自足を行うにさえ足らなかった。もし旧穀物条例が全効力を保持していたならば、吾々はおそらくやはり我国の剰余分は上述の原因により失ったことであろうが、しかしその制限条項によって吾々は確かに一八〇〇年の不作直前の自給自足状態にもっと近い状態にあり得たであろう。
 1) アダム・スミスは繰返して、最も明かに、労働のみが銀及びその他一切の貨物の価値の真実尺度であると云いながら、彼が、自分で労働の貨幣価格が騰貴しつつあったと述べているちょうどその時に、銀が騰貴しつつあったと考えているのは、確かに極めて注目すべき事実である。これほど明瞭な矛盾はあり得ない。(訳註――この註は第六版より現わる。)
 従って、奨励金に反対せんがためには、アダム・スミスと共に、前世紀の前半に生じた穀物価格の下落は、奨励金があっても生じたに違いないものであり、おそらくその結果として生じたものではあり得ない、と云う必要はない。これに反し吾々は、一切の一般原理に従って、奨励金は、有利な事情の下に与えられた場合には、価格騰貴に時期を通過した後には、奨励金の擁護者が約束する剰余と価格下落とを招来するものと、認めてよいのであり、またそう認めるべきであると思うが、しかしまたこの同じ一般原理に従って、吾々は、この剰余と価格下落とは、同時に生産に対する妨げ及び人口増加の奨励として働くので、幾分でも長い間維持され得るものではない、と認めなければならぬのである。
 しからば、奨励金一般に対する反対論は別として、穀物の奨励金に対する反対論は、最も有利な事情の下に行われる場合には、それは永続的価格下落を生じ得ず、そしてそれが不利な事情の下に行われるならば、換言すれば、その国が自己の消費分を十分に生産しない時に相当の奨励金によって無理に輸出を行おうとするならば、啻にこの目的に必要な租税が極めて重いものとなるばかりでなく、またその結果は人口増加に対し絶対的に有害となり、また剰余分はその真価とは比較にならぬ犠牲によって買われることになることは、明かである、ということこれである。
 しかし、奨励金に対して一般的論議から有力な反対論があり、またそれが妥当でない場合も少くないけれども、それが働いている間は、換言すれば、それがない場合には生じ得ない輸出を生じている間は、それは疑いもなく、その制度が行われている国の穀物生産の増加を奨励し、またはそれがない場合には達し得ない点に穀物生産を維持するものであることは、これを認めなければならない。
 特有な有利な事情の下においては、一国は非常に長期間に亙り多量の剰余栽培を維持しながら穀物の栽培価格をほんのわずか増加させ、またおそらく凶年も含んで平均価格をほとんどまたは全く増加させないこともあり得よう1)。もし前世紀中のある期間に、奨励金の刺戟によって輸出用の平均栽培超過が得られてから、我国の穀物に対する外国の需要が国内需要と同一率で増加したならば、我国の剰余栽培は永続的たり得たであろう。奨励金が新栽培を刺戟しなくなって以後も、その影響は決して無に帰しはしないであろう。それはある期間、英国の栽培者に、外国栽培者に対する絶対的利益を与えるであろう。この利益は云うまでもなく漸次減少するであろうが、けだし一切の有効需要がついには充足され、そして生産者が一般利潤率を得られ得る最低価格で売らざるを得なくなるのは、当然のことであるからである。しかし、決定的奨励期を経験した後には、英国の栽培者は、その競争者と同一条件で自国市場より大きな市場に供給する習慣を得てしまうであろう。そして外国市場と英国市場とが引続き同程度に拡大するならば、彼は両者に対するその供給を引続きこれに比例して拡張するであろう。けだし、特別の需要増加が国内に生じない限り、彼が外国への供給を中止すれば、その全収穫に対する価格は低下せざるを得ないからである。かくの如くして国民は、数年の凶作に対する恒常の貯蔵を有つことになるであろう(訳註)。
 1) 平均価格は栽培価格と異る。時々起る凶年は平均価格に本質的な影響を与え、また欠乏を防止する傾向のある剰余量の穀物の栽培は、この平均価格を低下せしめ、これを栽培価格に接近せしめる傾向があるであろう。
〔訳註〕このパラグラフ中の後半は第三―四版より再録。本訳書二八一頁参照。
 しかし、奨励金が、他国における最も好都合な価格状態と相俟って、特定国をして永続的に輸出用の平均栽培超過を維持せしめ得ると仮定しても、それだからといって、その人口は生活資料を獲得する困難によって妨げられないと想像してはならない。それはなるほど凶年から生ずる特殊の圧迫に曝されることは少くなるであろうが、しかし他の点においては、それは前の諸章で述べたと同じ妨げを蒙るのであり、そして輸出の習慣があろうとなかろうと、人口は労働の真実労賃によって左右され、そしてかかる労賃の支配し得る必要品が、人民の現実の習慣の下において、人口の増加を奨励するに足らないときには、人口は停止するに至るであろう(訳註)。
〔訳註〕前の最後の訳註で述べた第二版の部分、すなわち第二版における本章の後半は、次の如くである、――
『もしスミス博士の理論が正当であり、そしてもし事の性質上奨励金その他何らかの人間の制度によって穀物の栽培を奨励するのが不可能であるならば、明かに、あらゆる富める国は、労働の価格、土地の地代、及び消費税が、技術の優越と国内市場の利益を超過するほど騰貴するや、直ちに穀物の栽培を中止してしまうに違いない、ということになる。吾々は採算のとれぬ貨物の生産を強制することは出来ないから、この点は明かに、他国と自由通商を行っているあらゆる近代諸国の農業に対する越し得ぬ限界をなすものであり、そしてこの点から、それは日に日にその生活資料につき富の劣る隣国に頼ることとならなければならない。
『しかしもしこの理論に反対して提出された理由が正しいと判断されるならば、農業は全然工業と同じに経営されるわけではないけれども、農業といえども人間の制度により奨励され保護されることの出来ることが、明かとなろう。従ってまた、穀物を国内市場にもたらす費用と外国穀物の平均価格とに関する特定国の諸事情に従って作られた輸出奨励金と輸入関税とに関する法律制度は、消費税、土地の地代、及び労働の価格がどれほど高くとも、かかる国の農業者に対しこの貨物の生産を採算のとれるものたらしめることは、明かとなろう。
『そしてもし、穀物の耕作が、他の貨物と同様に奨励金によって奨励せられ得るものであるならば、この奨励によって生ずる食料の増加は、長い間には価格を低下せしめるということにならざるを得ない。
『価格に影響を及ぼすものとして上述した一切の事情を正当に考察した後にも、なおもう一つの、最大の変動を生じ得その直接の結果においては他の全部を一緒にしたものよりも有力な原因を、考慮に入れなければならない。これは需要供給の比率である。農業者をしてその穀物を原価以下に売らしめる食物豊富は、なるほど永続し得るものではないが、しかしその不足の結果は往々にして永続的である。労賃を引下げるのが実際上困難なことは前に述べたが、同一の原因はこれを引上げる方に関しては決して存在しない。偶然の原因による二、三年の価格騰貴は一般にかかる結果を生ずるに足るものである。そしてこれは一般に土地の地代の騰貴を伴うものであるが、かかる場合には明かに以前の低廉な状態に戻ることは極度に困難である。従って平年に輸出奨励金の結果として国内消費に必要な以上の穀物が栽培されるならば、価格は英国農業者の採算に合わぬほどに下落するということは、認められるけれども、しかしもしそれが、供給の不足か需要の増加が少しでも起るたびに生ずる、たびたびの、また往々にして永続的の、騰貴を防止するならば1)、その結果は明かに、穀物の平均価格をそれがない場合以下に維持することであろう。大量の輸出の習慣が奨励金の結果として行われている場合には、わずかの需要の増加または供給の不足は、国内市場における穀物の価格にはほとんど眼につく影響を生じないであろう。この価格は、商業世界の港湾における平均価格にその高のいかんを問わず奨励金を加算したものを、決して超過することは出来ない。そしてこの加算額は、ほんの少しでも供給の不足があれば生ずる価格の騰貴に比べれば、全く何でもないものであり、しかもこの供給の不足たるや、大英国の如き大きな富裕な人口の多い国においては、輸入制度をとれば、吾々が最近自ら犠牲を払って経験した如くに、国内市場だけではなく商業世界の一切の港湾において、おそらく常に起り得るものなのである。
1) 現在の事態においては、政府の貯蔵に対して供給するために需要が時々増加すると、穀物価格の上に大きな影響が生ずるが、しかし輸出制度の下ににおいては、そういうことはないであろう。
『そしてもし、奨励金の終極的傾向が明かに国内市場における穀物の平均価格を引下げるにあるならば、ある特定国における銀価の低廉、すなわち他の一切の貨物の高価に関する、スミス博士の正しい推理の全部は彼自身に囘答を与えることとなり、すなわちそれは穀物条例の反対論ではなく擁護論として用い得るものとなる。
『なるほど現在吾々は我国の銀価の低廉の不利益を痛感しており、そして数年の後我国の商業的競争国が最近の不況から立直る時には、おそらくこれを現在より遥か以上に痛感することであろうが、しかしそれは確かに、穀物条例の結果たる穀物輸出制度によるものではなく、明かに吾々が、この穀物条例を輸出の結果を生じないように改訂したのによるのである。
『穀物に関して我国は直ちに輸入国から輸出国に変ることが出来るとは、私は決して云おうとは思わない。しかし、理論も、また前世紀前半の経験も、吾々をしてこれが実現可能なものであると安んじて断定し得せしめるのであり、そして吾々は、我が国民的繁栄の永続はこれに依存するであろうから、それは実験に値すると云わざるを得ないのである。吾々が引続き現実の道程を進むとして、ほんのちょっとの間その蓋然的帰結を考えてみよう。吾々は、数年も経てば、アメリカやバルチック沿岸諸国から、二百万以上の人間を養うために、他の貨物は別としても、二百万クヲタアにも及ぶ穀物を輸入することになろう。もしかかる事情の下において、何らかの通商上の論議やその他の紛争がこれら諸国と生ずるとするならば、これらの国の交渉上の偉力はいかばかり大きいことであろう。全英国海軍といえども、これら諸国の一切の港湾を閉鎖するという威嚇ほどには交渉の上に力を有たないであろう。私は、一般に、人々は自己の利益に正反対の行動はとらぬものと安んじて信じてよいことを、知らぬわけではない。しかしこうした考慮は、極めて有力なものではあるけれども、時々は国民的憤激の前には自発的に屈することがあるものであり、また時には国王の忿怒に屈せざるを得ないことがあるものである。これは実際上は工業に当てはめた時に重要なのであり、それはけだし工業品の販売が遅延してもそれほどすぐに重大なことになるわけではなく、また嵩が小さいので容易に密貿易が出来るからである。しかし穀物の場合には、三、四箇月遅延しても最も複雑な窮乏が生ずるのであり、また穀物は嵩張るので、国王は一般にほとんど完全にその忿怒に出ずる目的を達することが出来るであろう。その供給のほとんど全部を外国に頼る小商業国は、常に多数の友好国を有っている。かかる国は一般的憤激を買うほどの重要性を有っておらず、したがってある方面から供給を得ることが出来なければ他の方面からこれを得るであろう。しかし大英国の如くに、その商業的抱負が一般の嫉視を買う傾向があり、また事実大いに買っている国については、事情はこれと異る。もし我国の商業が数年間引続き増加していき、また我が商業人口がこれと共に増加するならば、吾々は全く運命の神の意のままに曝されていることとなり、奇蹟のみが吾々を打撃から救い得るということになる。最近我々が経験した如き食物の欠乏が週期的に囘帰するのは、現在の輸入制度の下においては絶対に確実であると、私は考える。しかし、いやしくも人道心あるものなら久しく忘れ去ることの出来ない恐るべき災厄をそれがもたらすということを今は問題外としても、私はここに問いたい、単に国民として大をなすというだけの目的で、吾々が生活資料についてかくの如く外国に頼るようになり、これら外国が一致して我国の人口を二百万減少することが出来る力を有つようにするのは、策を得たことであろうか、と。
『我国の独立を恢復し、確実な農業の基礎の上に国民として大をなし商業的繁栄を計るためには、耕作に奨励金を提唱したり、あちらこちらの荒地を耕作したり、一般土地囲込法案を通過させたりするのは、いずれもそれが及ぶ範囲内では有効なものではあるけれども、明かにそれだけでは十分ではない。もし商業人口がこれらの努力と歩調を共にして増加するならば、吾々は、輸入の必要に関しては、前と同じ地位にあるだけのことであろう。要求されている目標は、国の商業人口と農業人口との相対的比例を変更することであり、これは土地に投ぜられる国民的資本の比例を増大せしめる何かの制度によってのみ行われ得るものである。私は現在この目的を達する方法としては、我国の特有な事情と外国市場の状態とに適合した穀物条例以外には考えることが出来ない。特殊の制限や奨励の制度はすべて疑いもなく好ましからぬものであり、これに頼らなければならぬということは確かに悲しむべきことであろう。しかし、スミス博士が奨励金一般に対して持ち出している、国の勤労のある部分を、放任すればそれが当然流入すべき用途より利益の少い用途に強制的に流入せしめる、という反対論は1)、農業生産物が特に優秀な性質を有ち、またそれが少しでも不足すれば恐るべき結果が生ずるので、この場合には当てはまらないのである。実際事の性質上穀物には特有の価値が極印されている2)。そしてスミス博士が他の目的のために述べたこの言葉は、この貨物が奨励金一般に対する反対論の中には含まれていないことを立証するために、正当に用いられ得よう。もし商業世界を通じて、あらゆる種類の取引が完全に自由であるならば、疑いもなく何人も、かかる一般的自由制度の妨害を提唱しようとは決して思わないであろう。そしてまた実際、こういう場合には、農業は特別の奨励を必要としないであろう。しかし現在の商業制度が一般に行われており、各種の奨励や制限の方策が色々と行われている場合には、他の一切を支持する穀物の大生産を吾々の注意から除外するのは愚かなことである。外国工業品の輸入に対して支払われる高関税は、社会の工業部分に対する極めて直接的な奨励であるから、従って同一種類の何らかの奨励のみが我国の工業家と耕作者とを公正な立場に置き得るのである。従って、穀物の通商にとり何らかの奨励制度が必要と考えられるに至るのは、その前に工業に対して奨励が与えられているからのことである。吾々は英蘭イングランドの羊毛工業をもって第一次的に重要なものと考えており、従ってこれを特に注意して保護し奨励している。しかしいやしくも思慮ある人は、我国の力と繁栄とに及ぼすその影響を、その不足や凶作がこの愛好の工業そのものの没落を意味する穀物の生産と、比較し得るであろうか。万事が自由なのなら、私は何も云うことはない。しかし保護し奨励するのなら、一切のものの中で最も重要な貴重な生産を保護しないのは、愚かなことと思われるのである3)
1) Wealth of Nations, vol. ii. b. iv. c. v. p. 278.
2) Ibid.
3) 私は、国内消費の需要以上の穀物量を国内で生産することの重要なるを長々と縷説したけれども、しかしフランスの大部分で行われておりそして自らの目的をくじいている一般的耕作法を推奨しようというつもりは少しもない。この場合、大群の家畜が、啻にこの国の食物の非常に貴重な部分として、またその人口の大きな部分の愉楽に大いに役立つものとして、必要であるばかりでなく、それはまた穀物の生産そのものにおいても必要である。それに従事する人数に比例して剰余生産物を大ならしめるには、大群の家畜を用いる外はない。同時に適地はすべて牧場にすべしということにはならない。農業上の改良の第一の最も顕著なものは、一国の休耕地でより以上の必要な牛や羊を飼うことだとヤング氏は述べているが、私はこれは正しいと思う。(Travels in France, vol. i. p. 361.)しかしながら、英蘭イングランドの商業階級の富が増加しているので牧畜生産物が日に日に増加しているのに、これをもう一度輸出国たらしめることが出来ると考えるほど、私は楽観的ではない。しかしこれが真に不可能と考えらるべきであるとすれば、これは吾々に諸国民衰亡の大原因の一つを指示するものである。吾々は常に国家は衰微の時代を有つと聞いており、また歴史の教えるところによれば地球上の各国はいわば代る代る引続いて繁栄し、貧国は絶えず近隣の富国の廃墟の上に繁栄を来たしつつあるのである。商業主義によれば、かくの如く代る代る継続することは、戦争の結果を別としても、自然的必然的事態であるように思われる。もしある国の商業階級の富の増加と、その結果たる牧畜生産物に対する需要の増加により、日に日に牧草地が増加し、外国からの穀物の輸入が増加するならば、その不可避的結果として、これらの外国の繁栄の増進は穀物輸出によって拍車をかけられ、後にはその繁栄を助成した輸入国の人口と力とを減少せしめるに相違ない、と思われる。昔の人は国家のこの自然的弱点と老衰とを奢侈に帰するのが常であった。しかし、奢侈をもって商工業の主たる助長剤と考え従って有力な繁栄の手段と考える近代人はこれを衰亡の一因とは考えたがらないが、これはもっともらしいところがある。しかし現代人と共に、奢侈の一切の利益を認め、それが現実の罪悪に至らないときは確かに有力なものであることを認めても、それにはある点があるのであり、その点を越せばそれは必然的に国家に有害となり、弱体と衰滅とを伴わざるを得ないものと思われる。この点は、それがその支持に必要な基金を侵害し、農業に対する奨励ではなくなり阻害に転ずるという点に、存在するのである。
『これまでの四箇章(訳註――「富の増加が貧民の境遇に及ぼす影響」「富の定義」「農業及び商業主義」「穀物輸出奨励金」に関する四箇章)で述べたところからして、私が商工業から得られる利益に十分気附いていないと考えられるようなことがあれば、これは誤解も甚だしいものである。私は、それは文明の最も明瞭な特徴であり、社会進歩の最も明白顕著な徴標であり、吾々の享楽を拡大し人類幸福の総額を増加する傾向あるものと考えている。いかなる多量の農業剰余生産物もこれなくしては存在し得ず、また仮に存在するとしても比較的にほとんど価値を有たないものであろう。しかしやはりそれは政治組織の基礎たるよりはむしろその装飾であり潤色であろう。かかる基礎が十分に堅固な間は、すべての部屋を便利に優美にするためにどれだけ気を使っていても構わないが、しかし基礎そのものが崩れるおそれが少しでもあるならば、主として注意をそれほど重要でない部分にだけ注ぎ続けるのは愚かな所行であろうと思う。歴史上未だかつて、大国がその国民のうち四、五百万人もの者を輸入穀物で養って、しかもその国力が衰えなかったという例は、あったためしはなく、またかかる例が将来起るとも信じられない。英蘭イングランドは、疑いもなく、島国でもあればまた大海軍を有っていることでもあるので、最もこの原則の例外をなす可能性があるが、しかし英蘭イングランド特有の利害があってさえ、もし年々穀物の輸入を増加し続けていくならば、ついには過大な商業的富の自然的必然的結果たる衰滅の運命を免れ得ないのは、明かなことと私には思われる。私は今、今後二、三十年のことを云っているのではなく、今後二、三百年のことを云っているのである。そして吾々はこんなに遠い将来のことは考える習慣がほとんどないけれども、しかも、必ずや吾々の子孫の弱化と衰滅に終らざるを得ない制度を囘避するために吾々は義務としてある程度の努力をしなくてもよいのか、という疑問は、これを発してもよいであろう。しかし、こうした議論の実地への適用を試みると否とにかかわらず、過去においてかくもしばしば世界の表面を変化せしめ、また将来にはおそらくかかる激しい変化ではないとしても、やはり同様の変化を生ぜしめる、国運逆転の原因を考察してみるのは、興味あることである。戦争は疑いもなく往昔においてはかかる変化の主たる原因であったが、しかしそれはしばしば過度の奢侈と農業の無視とがしはじめた仕事を完了しただけのことである。吾々自身について云うならば、吾々が輸入国になったのはわずか過去二、三十年以内のことでしかないということを、想像しなければならない。こんな短期間では、この制度の害悪が眼に見えるとは期待せられ得ないであろう。しかしながら吾々は既にその不都合の若干を経験している。そして吾々がそれを固執するならば、その悪い結果は決して遠い将来の予想事ではなくなるであろう。もし最初からあらゆる種類の取引がそれ自身の水準を見出すに委ねられるならば、農業はおそらく決してある特別の支持を必要としなかったであろうということは、既に述べたところである。しかしひとたびこの一般的な望ましい自由が侵害された暁には、政治組織のうち国の現情において比較上最も弱い部分に主として留意するのが、明かに吾々の利益であると思われる。そして、この原理によれば、ポウランドやシベリア南部地方の如き国においては工業に特別の奨励を与え、英蘭イングランドにおいては農業に同種の奨励を与えるのが、正当であろう。
『しかしながら、最も賢明な農業制度によれば、現実の人口の需要以上に食物を生産することが出来るとはいえ、それによって食物は妨げられざる人口増加と歩調を合せることが出来るとは想像してはならない。農業主義によって供給は絶えず十分にあるという外観を呈するところから生ずる誤りや、その他の人口問題に関する偏見の源泉については、次章においてこれを述べるであろう。』
 以上が第二版の記述である。しかるにこれには第三版において著しい訂正加筆が行われ、それは第四版でも踏襲された。この訂正を各別に述べれば、――
 第一に、第二版の右の記述の第一―六パラグラフは第三―四版では削除された。ただし第三―四版の分のうち、その第一パラグラフは、前の第五―六版との比較のところに一度出たが、便宜上これをも含んで記せば、それは次の如くである、――
『もしスミス博士の理論が厳密に真であり、穀物の真実価値または他の一切の貨物の量で測定したその価格が決して何らの変動をも蒙らないとするならば、何故なにゆえに吾々が二〇〇年以前よりも多くの穀物を栽培しているのかという理由を与えることは困難となるであろう。もし穀物の名目価格の騰貴が真実騰貴ではなく、または農業者をしてより良く耕作し得せしめずまたはより多くの国民資本を土地に流入せしめないのであるならば、農業は実際極めて不運な地位にあり、この産業部門へのより以上の資本投下に対してはいかなる適当な動機も存在し得ない、ということになるであろう。しかし、確かに吾々は、穀物の真実価値は、他の貨物の真実価値ほどには変動しないけれども、変動するものであり、そして一切の加工貨物が、穀物の価格に比較して、安い時期と高い時期とがあり、前者の場合には資本が工業から農業に移動し、後者の場合には農業から工業に移動することを、疑い得ないのである。かかる時期を看過したり、それを軽視したりすることは、許されないことであるが、けだしあらゆる取引部門において、かかる時期は供給の増加に対する大きな奨励をなすものであるからである。疑いもなくいかなる特定産業部門における取引の利潤も決して久しきに亙って他の部門よりも高くあることは出来ない。しかし、かかる高利潤による資本の流入によらずして、それはいかにして低下せしめられるであろうか。ある特定の取引者の利潤を永続的に増大せしめるということは、決して国民的目的ではあり得ない。国民的目的は供給の増加にある。しかしこの目的は、前もってこれら取引者の利潤が増加し、かくてこの特定職業により大なる資本が用いられることによる以外には、到達せられようがない。船舶業者は、現在、航海条例以前に得ていた以上の利潤を得ていない。しかし国民の目的は船舶業者の利潤を増加するにあるのではなく、海運と船員の量を増加するにあったのである。そしてこのことたるや、海運と船員に対する需要を増加することによって従来この方面に使用されていた資本の利潤を引上げかくてこの方面により大なる資本を流入せしめる法律による以外に、達せられ得なかったのである。一国民が穀物条例を設定する目的は、農業者の利潤や地主の地代を増加するにあるのではなく、より多量の国民資本を土地に流入せしめ、その結果として供給を増加するにある。そして、需要の増加による穀物価格の騰貴がある場合には、労賃の騰貴、地代の騰貴、及び銀価の下落は、ある程度、この問題に関する吾々の判断をぼかしてしまうけれども、しかも吾々は、穀物の真実価格は、資本の落着く先を決定するに足るほどの期間変動するのであり、しからざれば吾々は、穀物の生産へのより以上の資本投下に対する動機はあり得ないと告白するのジレンマに陥らざるを得ないことを、承認せざるを得ないのである。
『穀物輸出奨励金の作用し方は次の如くであると思われる。いま、英国の栽培者がその穀物を平年に販売し得る価格が五五シリングであり、外国栽培者がそれを販売し得る価格が五三シリングであると、仮定しよう。かかる事態において、一クヲタア当り五シリングの奨励金が輸出穀物に対し与えられるとしよう。この奨励金が制定されるや、直ちに輸出は始まり、そして国内市場の[#「国内市場の」は底本では「国や市場の」]価格が、英国穀物が外国で売れる価格に奨励金を加えたところまで騰貴するまでは、輸出は続くであろう。国内への供給の一部が減少するので、または減少しはせぬかと思われるだけで、まもなく国内市場の価格は騰貴するであろう。そしておそらく、この騰貴が生ずる前に輸出される量が、ヨオロッパ諸港にある全量に対する比率は、せいぜいのところ、一般価格を一クヲタアにつき一シリング以上下落せしめる程度であろう。従って英国の栽培者はその穀物を外国で五二シリングで売ることになろうが、これに奨励金を加えると五七シリングとなり、国内販売分もこれと全く同一の価格をとるであろう。ただしここでは運賃その他は考慮外にしてである。従って英国の栽培者は、五五シリングで売ってよいのに、その全収穫に対して五七シリングを得ることとなる。スミス博士は、五シリングの奨励金は国内市場の穀物価格を四シリングだけ騰貴せしめるものと想像している。しかしこれは明かに、外国の穀物栽培価格は国内よりも低くはないという仮定に基づくものであり、そしてこの場合彼れの仮定はおそらく正しくないのである。しかしながら前に仮定した場合には、農業者の特別利潤は二シリングに過ぎないであろう。この騰貴が続く限り農業利潤は騰貴し、彼は穀物の増産を奨励されるであろう。従って翌年には供給は前年の購買者数に比例して増加し、そしてこの追加量を消失させるためには価格が下落しなければならない。そしてそれは云うまでもなく、外国市場においても国内市場においても下落するであろうが、けだし何らかの輸出が続いている間は、国内市場の価格は外国市場の価格に奨励金を加えたものによって左右されるからである。この下落は大したことはないかもしれぬが、それでもやはり結果はこの方向に向い、そして第一年以後は穀物の価格はしばらくの間引続き以前の水準に向って下落するであろう。しかしながら同時に、外国では穀物が低廉であるために、購買者数は徐々として増加する傾向を有ち、そして穀物に対する有効需要は、啻に最近の下落した傾向においてのみならず、本来のまたはもっと高い価格においてすら、拡大されるであろう。しかしこの種の拡大がありさえすれば、外国における穀物価格は国内の栽培価格により近い水準に騰貴する傾向があり、従って英国の農業者が奨励金により受ける利益は増大するであろう。もし外国における需要の拡大が価格の下落に比例するに過ぎないならば、その結果として、外国の農業の一部分は阻止されて英国の農業の拡張に対する余地を作ることとなり、また最小の利潤でやっている外国栽培者の若干は市場から駆逐されることとなるであろう。
『国内の価格騰貴が労働その他一切の貨物の価格にいつ影響を及ぼし始めるかは、なかなか云いにくいことである。しかしおそらくそれまでには長い期間がかかるであろうが、けだし右の仮定に従えば、最初の最大の騰貴は一ブシェルにつき三ペンス以上には出でず、そしてこの騰貴は当分の間毎年減少するからである。しかし、この騰貴による悪影響が何であろうと、それがひとたび生じた後には、奨励金の影響は決して無に帰しはしないであろう。それはある期間、英国の栽培者に、外国栽培者に対する絶対的利益を与えるであろう。この利益は云うまでもなく漸次減少するであろうが、けだし一切の有効需要がついには充足され、そして生産者が最低価格で売らざるを得なくなるのは、当然のことであるからである。しかし決定的奨励期を経験した後には、英国の栽培者は、奨励金が与えられる前にはさようなことのなかった外国栽培者と同一水準に立つという事情に陥り、その競争者と同一条件で自国市場より大きな市場に供給する習慣を得てしまうであろう。そしてこれ以後には、外国市場と英国市場とが引続き同程度に拡大するならば、英国の栽培者はその供給をこれら両者に比例せしめ続けるであろう。けだし、特別の需要増加が国内に生じない限り、彼が外国への供給を中止すれば、その全収穫に対する価格は低下せざるを得ないからである。かくの如くして国民は、数年の凶作に対する恒常の貯蔵を有つことになるであろう。(訳註――このパラグラフの後半中の若干は第四―五版に再録。本訳書二六九頁参照。)
『現在の事態に対してはなるほど右の仮定は当てはまらないであろう。平年に我国は自国の消費に足るだけの栽培を行っていない。従って吾々の第一目的は、過剰の量の獲得を目指す前に自国の欲求するものを充足することでなければならず、そして輸入制限条令はかかる結果を生ずる強い傾向を有つものと考えられる。農業投資の決定的奨励として考え得る最も決定的なものは、将来多年の間、価格が決して、現存借地契約に従っての(訳註――『現存借地契約に従っての』の句は第四版にて補入)栽培価格まで下落しないという確実性が保証されることである。かかる確実性が保証されても、それが労働の価格を騰貴せしめるために、英国農業に奨励を与える傾向がないとすれば、富と人口がいかに増加しても穀物の生産は決して奨励され得ないと云って差支えないこととなろう1)。凶作の場合以外に穀物を輸入したことのない国においては、商業は決して農業の機先を制することは出来ないであろう。そして輸入制限条令は、それが影響を及ぼす限りにおいて、工業に対しては相対的阻害を、また農業に対しては相対的奨励を、与える傾向のあるものである。もしそれが、工業を減ずることなくして、単に将来の年蓄積のうちより大なる部分を土地に投ぜしめるに止るとすれば、その結果は疑いもなく最も望ましいものであろう。しかし、現在の富一般の極めて急速な増進がその速度を幾分緩和されると仮定しても、もしかくも急速に増加している資本を有利に使用する危険なるものについて最近表明されている警告が少しでも根拠のあることであるならば、吾々は確かに喜んで、より大なる程度の安固と独立と永久的繁栄に達せんがために現在の富の一小部分を犠牲にして構わないであろう。
1) もし一七〇〇年に制定された穀物条令の作用が妨害なく継続していたならば、吾々は現在ほど多量の穀物を輸入するを常とするに至っていようとは、私には考えられない。輸出奨励金を別問題としても、輸入制限条令のみでこのことは起り得なかったであろう。英国穀物に対する需要は、過去三〇年間、その実情より大でもあれば斉一でもあったことであろう。そして、これが結果として栽培が増加しなかったであろうと想像するのは、あらゆる需要供給の原理に反することである。スミス博士の議論は明かに過大の証明をしているが、これは過小の証明と同様によからぬものである。
『奨励金が農業者に与える影響はこれを考察したから、残った問題はそれが消費者に及ぼす影響である。奨励金のあらゆる直接的影響が消費者に対する穀物価格を低下せしめるにはあらずしてこれを引上げるにあることは、これを認めなければならない。しかしその間接的影響は、平均価格を低下せしめ、かつこの価格以上及び以下への価格変動を防止せしめるにある。奨励金の制定以前の若干期間をとってみれば、穀物の平均価格が、凶年によって最も有力な影響を蒙ることがわかるであろう。両端を含めて一六三七年ないし一七〇〇年において、穀物の平均価格は、スミス博士によれば、二ポンド一一シリング〇・三分の一ペンスであるが、しかし一六八八年は、栽培価格は、スミス博士が正確と考えているグレゴリ・キングの見積りによれば、わずかに一ポンド八シリングである。従ってこの期間中、一般平均に影響を及ぼしたものは、栽培価格よりはむしろ凶作価格であったことがわかる。しかしこの高い平均価格は、これに比例して穀物の栽培を奨励しはしないであろう。農業者は価格が騰貴している一、二年の間は非常に景気よく感じ、多数の改良の計画をするかもしれないが、しかしそれに次いで生ずる市場の過剰によって彼は同じ程度困窮に陥り、そして彼れの一切の計画はくじかれてしまうであろう。時には実際わずか一年の価格騰貴でさえ真に土地を貧しくしてしまい、そして将来の凶作への道が開かれる傾向がある。その期間は短きに過ぎてより多くの資本を土地に投ぜしめることとはならず、そしてしばしば播種の用意のない土地に播種して、すなわちかくて農業の永続的利益を阻害して、一時的豊饒が恢復されるのである。従って極めて容易に、一般平均が高いのに、価格が極めて変動する結果として、価格がこれよりも安定し一般平均がこれより低い――ただしこの平均は平均価格以上として――場合と同程度に、資本と土地に投下すべき奨励を与えないということに、なるのである。そしてもし奨励金が、より大なる供給を奨励し、凶作価格よりも栽培価格によって実現せらるべき一般平均を生ずるの傾向が少しでもあるとすれば、それは、同時に農業者により以上の奨励を与えながら消費者には非常に大きな便益を生じ得るものであり、右の二目的たるや、未だ十分の理由を与えられてはいないが、在来不可離のものと考えられ来っているものである。けだし、我国における栽培価格が一クヲタア五五シリングであるとし、また過去十箇年間中三箇年は凶作のため五ギニイであり、四箇年は五五シリングであり、残りの三箇年は五二シリングであると仮定しよう。この場合十箇年間の平均は三ポンド九シリング強となろう。これは極めて農業奨励となる価格である。しかし栽培価格以下の三箇年がその結果を著しく破壊してしまうであろう。そして、価格が全期間を通じ引続き三ギニイに安定していた場合の方が、農業が遥かにより便宜な刺戟を受くべきことは、疑い得ないところである。消費者にとって後者の平均の有利なることは改めて云うを俟たない。
『スミス博士は、穀物価格の下落はおそらく奨励金の結果としては生じ得ないであろう、と主張しているが、この際彼は、普通作の年の穀物の栽培価格と凶年を含む期間における平均価格という、事実上全く別物たる二つのものを、この場合区別しなければならぬのを、看過しているのである。労働の労賃は後者よりも前者によってしばしば左右される――これはおそらく事実であるが――と仮定すれば、奨励金が栽培価格を低下せしめ得ないことは直ちに認められるであろうが、しかしこれは極めて長期間の平均価格を極めて容易に低下せしめ得るものであり、そして前世紀の前半の中大いにかかる結果を生じたことには私は何らの疑問も有たぬのである。
『奨励金が銀価に及ぼす作用は、同様に、その直接の影響としてはこれが減価であるが、しかしその間接の影響としては、おそらくこれが下落を防止する傾向がこれよりも有力であろう。富が増進するにつれて商業が農業を凌駕する時には、銀価が絶えず下落する傾向があり、そして農業が優越する時にはその反対の傾向がある。前世紀の前半中農業は商業以上に繁栄したと思われるが、銀価は、スミス博士によれば、たいていのヨオロッパ諸国において騰貴したと思われる。同世紀の後半中には、商業は農業の機先を制したと思われるが、その結果は通貨の不足によって相殺されることなく、銀価はあまねく低下した。この価値の低下は、通商世界に共通なる限り、比較的には1)ほとんど重要性がない。しかし疑いもなく、この原因が最大の程度に存在し、労働の名目価格が最も騰貴し、商業的富の競争が穀物の相対的不足に及ぼす作用によって最大の影響を蒙った国において、その悪影響は最も痛感されるであろう。ヨオロッパ諸港に穀物を供給する農業国がこの不利益を最も蒙る可能性がないことは、確かに認められるであろう。そしてその欲求がわかっている小国ですら、その欲求が同時に全く不確実でもあれば大でもある国よりも、おそらく損害を受けることは少いであろう。英蘭イングランドが後者の地位にあり、商業的富の急速なる増加が凶年と相俟って労働の名目価格をヨオロッパの他のいずれの国よりも騰貴せしめていることは、否定し得ないであろう。そしてその当然の結果として、銀価はヨオロッパの残部より我国の方が多く低減しているのである。
1) 通商世界に共通な価値低下といえども、固定所得を有する個人にとっては大きな害悪を生むものであり、また、地主をして長期の農場借地契約を結ばせなくさせるという、一つの重要な国民的害悪を生むものである。借地契約について云えば、奨励金の及ぼす影響は確かに有利であろう。それが初めて制定された場合に騰貴を告げて後、穀物の価格が長年月に亙ってその従前の水準に向って下落する傾向があり、そして他の原因が介入しなければ、非常に長い間かからなければ、それが低下を始めた際の高さにはもう一度達しないものであることは、既にわかったところである。従って最初の価値低落の後には、将来の価値低落は妨げられ、そして云うまでもなく長期の借地契約はより奨励されるであろう。奨励金の制度により生ずる絶対的な価値低落は、我国において絶えず働いている他の価値低落原因に比すれば、全く取るに足らぬであろう。減債基金制度や紙幣流通高の増加や商業的富の流入や穀物の相対的不足を別とすれば、生活品必要品に対するあらゆる租税は銀価を下落せしめる傾向を有つものである。
『もし奨励金が、穀物の平均価格が凶作価格によって著しく影響されるのを防止し、よってもってこの価値低落原因を弱めるという働きを少しでも有つならば、その間接的影響が銀価に関してもたらす終局的利益はその直接的影響による現在の不利益を相殺して余りあるであろう。
『従って、全体として云えば、穀物条令は、英国穀物に対し、より大なる需要を開くことにより、しかし更になかんずくより安定せる需要を開くことにより、英国農業に対し決定的奨励を与えるに違いないことが、わかるのである1)
1) 人口が生活資料に比例して増加する傾向を有つので、ある人は、栽培され得るどれだけの量の穀物に対しても国内に十分の需要が常にあるものと、想像している。しかしこれは誤りである。もし農業者が漸次その穀物栽培をどんな程度にも増大することが出来、またそれを十分低廉に販売することが出来るならば、人口はその全部を需要するために国内に生じてくるであろう。しかしこの場合に、大きな需要の増加はもっぱらそれが低廉なるにより生ずるのであり、従って、国の現状において供給の増加を奨励する如き需要とは全くその性質を異にするものでなければならぬ。もし極上広幅布の製作者が一※()一ギニイではなく一シリングでこれを売ったとすれば、需要が十倍以上も増加することは疑い得ないが、しかしかかる需要増加は、確かにこの場合、いかなる既知の国の現状においても、広幅布の製造を奨励する何らの傾向も有たぬものである。
『これは思うに極めて大きな利益であるが、しかしこの利益は、英国における穀物価格とヨオロッパ諸港におけるそれとの間に固定的差異を生ぜしめ、また穀物の名目価格が一切の他の貨物の価格を左右する限りにおいて銀価におけるこれに比例する差異を生ぜしめるという、右に随伴する害悪を生ずることなくしては、達せられ得ないものである。商業の永続的利益について云えば、より十分なより安定した穀物の供給が我国における将来の銀価の低落を防止する傾向があるので、これによって右の不利益は相殺されて余りあるであろうと信ずべき、十分な理由があるけれども、しかしそれはやはり現在の害悪であり、そしてこの制度の善悪は、確かに名前は極めて魅力のある穀物取引の自由という現制度の善悪と、比較されなければならない。輸出入の無制限自由の利益は明瞭である。富裕な商業国においてそれから生ずると危惧される特殊的害悪は、土地の地代と労働の労賃とが穀物価格の下落に比例して下落しない、ということにある。もし土地が穀物以外の生産物を産しないならば、保有者は絶対的にその地代を正確に需要の減退と価格の下落とに比例して低下せざるを得なくなるのであるが、けだしいつどこにおいても、地代を決定するものは価格であり、価格を決定するものが地代であるのではないからである。しかし牧畜生産物に対する需要が極めて大でありかつ日に日に増加している国においては、土地の地代は全然穀物価格によって決定されるわけではない。そしてそれは穀物価格の下落につれて下落するであろうが、しかしこれに比例しては下落しないであろう。同様に労働の労賃は、啻に穀物価格の影響を蒙るばかりでなく、また商業的富の競争やその他前述の原因の影響を蒙るので、それはおそらく穀物価格の下落につれて下落するであろうけれども、これに比例して下落しはしないであろう。前世紀の前半中、穀物の平均価格は著しく下落したが、しかし労働に対する需要が商業の増大によって生じたので、労働の価格はそれにつれて下落しはしなかった。需要の増加と穀物価格の騰貴により生じた地代の騰貴と労賃の騰貴は、騰貴分を支払う能力が騰貴の生ずる前に与えられているという明かな理由により、おそらく耕作を停止せしめることは出来ないが、しかし穀物価格以外の原因により支持された地代の騰貴と労賃の騰貴は、最も力強くこれを停止せしめる傾向がある。かかる事情の下においては、ほとんど労働の投ぜられていない土地は、一般に、多くの労働の投ぜられている土地よりも高い地代を生じ、従って新らしい土地の耕作は最も力強く妨げられることとなる。富裕な商業国は、かくて、自然的行程により耕作よりも牧畜へと導かれることが多くなり、かつ日に日にその穀物の供給につきますます他国に依存するようになる。もしヨオロッパの国全部を一大国と考えることが出来、また、もし一特定国の牧畜地方がその供給を穀産地方に安んじて頼り得る如くにそのいずれか一国が他国に確実に頼り得るとすれば、右の依存には何の害もなく、また何人も穀物条令を提唱しようとは思わないであろう。しかし吾々はヨオロッパをこのような考えで眺めても差支えないであろうか。我国の幸運な位置とその法律及び政府の優秀性とによって、我国は他のいずれの国よりも内乱外寇から免れている。そして、かかる事情の下において、我国をして、その供給という如き重要な点につき、大陸に行わるべき変転と運命を共にせしめるのを嫌忌するの情を生ぜしめるものは、許容し得る愛国心に外ならない。もしフランスがその国民の二、三百万の生活につき外国に依存していたならば、革命中その窮乏はいかに加重されたことであろう。
『穀物に関して我国は直ちに輸入国から輸出国に……(訳註――以下第二版の文と同一となる、本訳書二七二頁参照。)』
 以上が第二版に加えられた第三―四版の第一の訂正点である。次に第二に、右の第二版と第三―四版とが一致しはじめる最初のパラグラフ、すなわち右の第三―四版の分の最後に現われた『穀物に関して我国は……』のパラグラフの、最初の方の、『それは実験に値すると云わざるを得ないのである。』という文のところには、第三―四版では次の註が加えられている、――
1) ここのところを最初に書いて後に、穀物条例の新制度が立法府によって制定されたが、しかしその作用は一六八八年及び一七〇〇年のものほど有力ではない。新条令は穀物自給自足の成立を奨励する有力な傾向があるが、剰余の生産を奨励する傾向はそれほど有力ではない。しかしながら自給自足は確かに第一の最重要の目的である。』
 更に第三に、右のパラグラフの次のもの、すなわち『我国の独立を恢復し』云々をもってはじまるものの、終りの方にある、次の部分は、第三―四版では削除されている、――
『吾々は英蘭イングランドの羊毛工業をもって第一次的に重要なものと考えており、従ってこれを特に注意して保護し奨励している。しかしいやしくも思慮ある人は、我国の力と繁栄とに及ぼすその影響を、その不足や凶作がこの愛好の工業そのものの没落を意味する穀物の生産と、比較し得るであろうか。』
 最後の第四に、右のパラグラフには極めて長い註が附いているのであるが、前記の第二版のものの末尾に第三―四版では次の二つの修正が行われた、――
 一、終りの方に『……しかしそれはしばしば過度の奢侈と農業の無視とがしはじめた仕事を完了しただけのことである。』という文の次に、左の文が挿入された、――
『外寇や内乱はロンバルジアやトスカニイやフランドルの如き国には一時的な比較的軽微な影響しか与えないが、オランダやハンブルグの如き国にとっては致命的である。そして英蘭イングランドの商工業はおそらく常に大なる程度にその農業によって支持されるであろうけれども、これによって支持されない部分はやはり依存諸国の変転に支配されるであろう。』
 そして次の文からは、最初の『吾々自身について云うならば』の句を省いた上で、新パラグラフとなった。
 二、最後の部分の、『もし最初からあらゆる種類の取引がそれ自身の水準を見出すに委ねられるならば、……』以下は第三―四版では削除された。
[#改ページ]

第十二章 穀物条例について――輸入制限

(訳註)

〔訳註〕本章は第五―六版のみに現わる。
 外国穀物の輸入を禁止する法律は、決して異論の余地が無いわけではないが、奨励金と同じ反対を受ける余地はないものであり、そして、自給自足の維持というこの法律の追及する目的にとっては適当なものである、と認めなければならない。価格が騰貴して食物の欠乏が接近したことを物語る場合の外は決して穀物を輸入する気にならない、土地資源を有つ国は、必ずや、平年には、自国の必要を充たすであろう。従って吾々は、外国穀物の輸入制限は、国民の資本と勤労とを最も有利に用いることを妨げ、人口増加を妨げ、かつ我国の工業品の輸出を阻害する傾向があるという理由で、この輸入に合理的に反対することは出来るけれども、しかし吾々は、それが、国内における穀物の生産を奨励し、かつ自給自足を達成し維持する傾向を有つことは、否定することが出来ない。強制的に剰余の生産を生ぜしめるという目的を達するに足る奨励金は、多くの場合において、極めて重い直接税を必要とし、従って全穀物価格に対して非常に大きな比率を占めるので、ある国においてはほとんど実行不可能となるであろう。輸入制限は人民に対し何ら直接税を賦課しない。反対にそれは望みならば政府の財源とすることも出来るし、またそれは常に容易に実施することも出来れば、また平年に現在人口に対し十分な穀物の生産を確保するというその明かな目的に十分適うことも出来るのである。
 吾々は前の諸章において、ほとんどもっぱら農業による主義ともっぱら商業による主義に伴う特殊な不利益と、両者が結合されて共に繁栄する主義に伴う特殊の利益とを、考察した。更にまた、大なる土地資源を有つ国においては、商業人口が、特殊の原因により、極めて多大となり、ために純粋の商工業国の蒙る害悪の若干を蒙り、またかかる国に生ずる以上の穀物価格の変動を蒙ることもあり得るということも、吾々のわかったところである。外国穀物の輸入を制限することによって、農業階級と商業階級との均衡を維持することは、明かに可能である。問題は提唱された方法が有効か無効かの問題ではなく、それが得策か不得策かの問題である。目的は確かに達せられるが、しかしその代償が高過ぎるかもしれない。そしてこの点に関する研究をもって自ら神聖なりとする原則の侵害なりとして一議に及ばず拒否する人でなければ、自然のままでは生ずることのない社会の農業階級と商業階級との均衡がある事情の下においては人為的に維持せらるべきものか否かという問題は(訳註)、極めて重要な実際問題であることがわかるに違いない。
〔訳註〕第五版ではここに『経済学の全範囲における』という句があった。
 輸入制限が有利であるという学説を承認することに反対する議論の一つは、あらゆる国は穀物を自給すべきであるということは、一般原則として成り立ち得ない、ということである。なるほど、この原則が明瞭に適用され得ない状態にある国が、若干ある。
 第一に、歴史上かなりの地位を占めた国家で、その領土がその首府や都市に比して全く小であり、全然その現在人口に食物を供給することの出来ない国が、多数にある。かかる社会においては、大きな国家の主要国内取引と称せられるもの、すなわち都市と地方との間に行われる取引は、必然的に外国貿易とならざるを得ず、そして外国穀物の輸入はその存在にとって絶対に必要である。それは土地の利得を有たずに生れたと称し得る国であり、単なる商工業主義がいかなる危険と不利益とに曝されているにせよ、それはこれより外に選ぶ力がないのである。それがせいぜいなし得ることは、その隣国の地位に比較しての自国の地位を最大限に利用し、そしてより優れた勤労と熟練と資本とをもってかくも重大な欠点を埋合わせるよう努めることである。吾々の知る若干の国はかかる努力において驚くべき成功を収めた。しかし一朝それが逆境に陥れば、その苦難の程度は、その自然的資源に比較してかつて著しかったその繁栄の程度に匹敵するものであったのである。
 第二に、外国穀物の輸入制限は、その土壌や気候の上から云って、季節の変化により国内の生産に大きな突発的の変動を蒙る国には、明かに適用し得ないものである。かかる事情に置かれている国は、疑いもなく、出来るだけ多数の輸出入市場を開拓して、その安定した穀物供給の途を増加しようとするであろう。そしてこれは、他国が時にその穀物の輸出を禁止したり課税したりしても、行われるであろう。かかる国家の蒙る特有の害悪は、最も自由な穀物の外国貿易を奨励することによってのみ、緩和され得るのである。
 第三に、輸入制限は、面積は多少広くともそれが極めて瘠せている国には、適用し得ない。かかる土地に無理に資本を導いてこれを十分に耕作し改良しようという企ては、おそらくいかなる事情の下においても失敗に帰するであろう。そしてかくの如くして得られる現実の生産物は、その国民の資本及び勤労が引続き負担し得ない犠牲によって購われたものとなるであろう。多数の人口を自国の国土で養う手段を有つ国の利益がどんなものであろうとも、かかる利益はこういう事情にある国には到底手のとどかぬことである。それは貧しいつまらぬ社会たるに満足するか、またはその主たるよりどころを土地以外の資源に求めるかしなければならぬ。それは多くの点において領土の極めて狭い国家に似ており、従ってその政策は、穀物の輸入に関しても、もちろんこれとほとんど同一でなければならない。
 以上一切の場合においては、自然のままでは成立しない農業階級と商業階級との均衡を維持しようと企てることの策を得たものでないことには、疑問はあり得ないのである。
 しかしながらその他の反対の事情の下においては、この不得策ということは決してそれほど明白ではない。
 もしある国民が平均程度の質の土地から成る大きな領土を有っているならば、通商または戦争の関係にある国に伍して富と力とにおけるその地位を十分維持するに足る人口を、自国の領土で容易に養うことが出来るであろう。ある面積を有つ領土は結局においては大体においてその人口を養わなければならない。輸出国はいずれもその自然的に向う人口と富との頂点に接近していくから、それまでしばらくの間商工業がもっと進んだ隣国に分けてきていた穀物を徐々に制限し、これらの隣国をして自らの資源によって生存せざるを得ぬようにするであろう。それぞれの土壌や気候に特有な生産物は、いかなる事情の下においても必ず外国貿易の目的物となる。しかし食物は特有な生産物ではない。そしてこれを最も多量に生産する国も、人口の増進を支配する法則によって、他国に分つものが何もないかもしれない。各国における気候の変化に基づく穀物外国貿易以上に出ずる穀物貿易は、むしろ一時的な偶発的な貿易であり、これは主として各国の達した発達段階の異るによるものであり、そしてその性質上永久的であってそれに対する刺戟が社会の進歩につれ減殺されるような貿易とは異る一時的事情によるものである。奔放極まる説としては、(もちろん真面目にというより冗談なのだが)ヨオロッパはその穀物をアメリカで生産し、自分はもっぱら商工業に没頭するのが、地球上の最上の分業である、と云うものがある。しかし、自然的過程によりかかる分業がしばらくの間行われ、これによりヨオロッパが自分の土地で養い得る以上の人口を育てることになったという、法外な仮定をしてみても、その結果は真に恐るべきものがあるに違いない。十分な領土を有つあらゆる国家にとって、その富の自然的発達につれて、自国のために工業を自ら営むということは、従来工業品を買い入れた相手国が、資本や熟練の外に何か特有の利点を有つのでない限り、有利であることは、疑問の余地なき真理である。しかし、この原則に従って、アメリカがその穀物をヨオロッパに送るのを制限し始め、そしてヨオロッパが農業に努めても不足を補うことが出来なくなった時には、富と人口の増大というこの一時的利益は(これが実際に実現したと仮定して)、長期間に亙る退歩的運動と窮乏という非常に高い代価を払って購われたものであることが、確かに感ぜられるであろう。
 次にもし一国が、ついにはその人口に食物を与えることが出来ると立派に期待出来るほどの広さを有ち、またもしその国がかくの如くして自己の土地資源で養うことの出来る人口が、この国をして他国民に伍してその地位と力とを維持し得せしめる程度であり、更にまたもし、従来ある期間用いていた外国の穀物がついに制限されてしまう――これは遠い将来のことかもしれぬが――ばかりでなく、人口が過度に工業に偏する結果として生ずる直接の諸影響、例えば不健康の増大、騒擾の増大、穀物価格の変動の増大、及び労働の労賃の変化の増大が生ずるおそれが十分あるとするならば、外国穀物の輸入を制限しかつ農業と工業との歩調を合わせることにより、農業階級と工業階級とのもっと均等な均衡を人為的に維持することは、不得策とは思われないであろう。
 第三に、もしある国が、穀物の年々の産額の変動がたいていの他の国よりも少いような土壌と気候とを有っているとすれば、これは外国穀物の輸入を制限する政策を認容するもう一つの理由となるであろう。各国は年々の供給の蒙る変動の程度を異にしている。そして、もしこの点において各国がほとんど等しい状態にあり、また穀物貿易が真に自由であるとすれば、ある特定国では、その穀物貿易の相手国の数が増加するほど、その価格は安定することになるであろう。しかし、前提が本質的に異る場合には同じ結論は当てはまるということにはならない。換言すれば、貿易関係を結んでいる国のあるものが割合に大きな穀物供給上の変動を蒙る場合、またこの欠陥が外国穀物貿易における真の自由の欠如という周知の事実によって加重される場合には、これは当てはまらないのである。
 例えば穀物平均生産量からの上下の変動の最大限が、英蘭イングランドでは四分の一であり、フランスでは三分の一であると仮定すれば、これら両国間の自由貿易はおそらく英蘭イングランド市場の変動をいっそう甚だしからしめるであろう。そしてもし、英蘭イングランドとフランスに加えて、ベンガルの如き国を近くに持ってきて貿易圏内に加え得たとすれば、――この国では、サア・ジョオジ・コウブルックによれば、米はある年には飢饉も凶作もなければ前年の四分の一に下ることもあるのであり1)、またそこでは、頻々と豊作があるのに、必然的に多数の人口を滅ぼしてしまうような不足が時に生ずるのであるが――、英蘭イングランドとフランスとの供給が、これが加入する前よりも更に大きな変動を蒙るようになるのは、全く確実である。
 1) Husbandry of Bengal, p. 108. Note. 彼は同頁の本文で、穀物の価格はヨオロッパにおけるよりも遥かに多く変動すると述べている。
 実際問題として、英国諸島は、その土壌と気候の性質上、年々の穀物生産の大きな変動を特に免れている、と信ずべき理由がある。イートゥンの表の始まる時から革命戦争に至るまでの英蘭イングランドとフランスの穀物の価格を比較してみると、英蘭イングランドではこの全期を通じて小麦一クヲタアすなわち八ブシェルの最高価格は三ポンド十五シリング六ペンス四分の三(一六四八年)であり、最低価格は一ポンド二シリング一ペンス(一七四三年)であるが、フランスにおいては一セチエの最高価格は六二フラン七八サンチイム(一六六二年)であり、最低価格は八フラン八九サンチイム(一七一八年)であった1)。前者の場合には、その差は三倍四分の一強であるが、後者の場合にはほとんど七倍である。英蘭イングランドの表では、十年ないし十二年間に、変動が三倍にも上ったことは二度しかないが、フランスの表では、同じ期間に、四倍またはそれ以上に上ったことが一度ある。かかる変動は、おそらく、国内穀物取引における自由の欠如によって激化されたことであろうが、しかしそれはテュルゴオが、国内の一つの地方への自由輸送に対する困難や妨害とは無関係にもっぱら生産額の変動のみを取扱った計算によって、有力に確証されているのである。
 1) Garnier's edition of the Wealth of Nations, vol. ii. table, p.188.
 彼は平均質の土地では、一アルパン当り七セチエの産額をもって大豊作の年とし、一アルパン当り三セチエをもって大凶作の年とし、平年作をもって一アルパン当り五セチエとしている1)。彼れの考えるところによれば、この計算は事実とそれほど違わないものであり、従って彼はこれを基礎として大豊作の年には生産額は通常の消費分以上五箇月分となり、また大凶作の年にはそれだけ不足する、と云っている。かかる変動は思うに少くとも価格から判断すれば、我国の場合よりも遥かに大きいものであり、なかんずく、両国の不作の程度が同一であれば、英蘭イングランドは富の程度が優れかつ飢饉に際しては貧民に多大の教区の救済が与えられるので、その価格はフランスよりも通常平均以上に騰貴するのであるから、余計そう思われるのである。
 1) ※(リガチャOE大文字)uvres de Turgot, tom. vi. p. 143. ※(アキュートアクセント付きE)dit. 1808.
 同一期間におけるスペインの小麦の価格を観てみると、同様に英蘭イングランドよりも遥かに大きな変動が見られる。一六七五年ないし一七六四年におけるセヴィレの市場の小麦一ファネガの価格の表が地金委員会報告書附録に載っているが(訳註1)、それによると最高価格は四八レアルス・ヴェロン(一六七七年)、最低価格は七レアルス・ヴェロン(一七二〇年)であって、その差はほとんど七倍である。そして十年ないし十二年の期間において、差が四倍に達したことが二、三度ある。旧カスチレの諸都市に関する一七八八年ないし一七九二年の表によると、一七九〇年の最高価格は一ファネガにつき一〇九レアルス・ヴェロンであり、一七九二年には最低価格は一ファネガにつき一六レアルス・ヴェロンに過ぎなかった。レオン王国の美しい穀産地方に囲まれた町、メディナ・デル・リオ・セコの市場では、小麦四ファネガの一荷の価格は、一八〇〇年五月には一〇〇レアルス・ヴェロンであり、一八〇四年五月には六〇〇レアルス・ヴェロンであったが、両者はいずれもその年の最高価格に比べて低い価格と称せられた。もし高い価格を低い価格と比較したのなら、その差はもっと大きくなるであろう。かくて、一七九九年には、四ファネガの低価格は八八レアルス・ヴェロンであり、一八〇四年には、四ファネガの高価格は六四〇レアルス・ヴェロンであるが、これはわずか六箇年間に七倍以上の差を示すものである(訳註2)。
〔訳註1〕第五版には下の引用箇所記載がある、―― Buillon Report, Appendix, p. 182.
〔訳註2〕同右、―― Id. Appendix, p. 185.
 スペインでは外国の穀物が自由に輸入されている。しかも価格の変動は、海に接しかつグアダルキヴェル河の貫流しているアンダルシアの諸都市でも、右に述べたほどひどくはないけれども、やはり免れないのであって、これは、地中海沿岸地方でも安定した供給は得られないことを示すものの如くである。実際スペインは、バルチック地方の穀物を買い入れる上で、英蘭イングランドの主たる競争者となっていることは、周知のことに属し、そしてスペインで穀物の栽培価格または通常価格と称し得るものが英蘭イングランドよりも遥かに低いことは確かであるから、豊年と凶年との価格の差は極めて大きいはずである、ということになるのである。
 私は北方諸国民に対する供給とその価格との変動を確かめる手段はもたない。しかしながら、これらの国のあるものは時に非常にはげしい飢饉に襲われることは周知のことであるから、その変動は時として大きなものなのである。しかし、右に示した実例だけから見ても、国内の生産により安定した供給を受け得る境遇にある国は、この点において境遇がこれより不利な国と利害関係を結ぶ時には、この安定は増大するよりもむしろ減少するに至ることが、明かにわかるのであり、そして、もし供給の最も甚だしい国が、豊年にはその穀物を他国に洪水の如く輸出することが出来、しかもほんのちょっと不作の時には、その近隣の商業国がたまたま最大の欠乏に悩んでいるのに、その輸出を抑える特権を保持しているという場合には、この安定は疑いもなく更にいっそう減少するに至るであろう1)
 1) これら二つの事情は、自由輸入が特定国に適用さるべきかの問題の根拠となるべき前提を、本質的に変更するものである。
 もしある国が、啻にその現実の耕作状態において、一流国家たるに適する人口を維持するに足るばかりでなく、非常に大きな人口増加を可能ならしめるに足る程度の肥沃土を残している領土を有つとすれば、かかる事情は云うまでもなく、外国穀物の輸入制限の方策をして、この国にとりいっそう適切なものたらしめるであろう。
 土地は肥沃で人口は稠密であるが、ほとんど極点まで耕作されてしまっている国は、外国穀物の輸入による外には、その人口を増加せしめる手段がないであろう。しかし英国諸島は今のところこの種の涸渇状態を示す徴候は全然ない。土地が極点まで耕作された場合にこれに必然的に伴うものは、極めて低い利潤と利子、極めて乏しい労働需要、低い労賃、及び停止的人口である。かかる徴候のあるものは、なるほど土地が消耗しなくとも生じ得ようが、しかし土地が消耗すれば必ずこれら一切の徴候が生ずることとなる。しかしながら、一八一四年以前の二十年間には、我国には、かかる徴候ではなく、高い利潤率と利子率、極めて大きな労働需要、十分な労賃、及びおそらく従来史上未曽有の急速な人口増加が生じたのである。新耕地の開墾または旧耕地の改良に投ぜられた資本は、必ずや十分の収得を齎らしたに違いないのであり、さもなければ、一般利潤率があのようであった際に、それは農業には投ぜられなかったことであろう。そして資本が土地に蓄積されるにつれてその利潤はついには減少しなければならぬことは、厳密に事実であるけれども、しかし農業技術の進歩その他前の章で述べた諸原因により、蓄積と利潤減少とは常に必ずしも互に歩調を共にするものではない。なるほど両者は最終的には一緒になってその運命を共にするものであるけれども、その進行の途上において、両者はしばしば、かなりの期間に亙って、またかなりの距離を置いて。離れ離れとなるのである。ある国、ある土地においては、必然的に利潤の本質的減少を生ずることなくして土地に吸収され得る資本の量は非常に大きいので、その限度を容易に計算することは出来ない。そして確かに、英蘭イングランド及び蘇格蘭スコットランドのある地方において実際に行われたことを考え、そしてこれを他の地方においてこれから行われなければならぬことと比較してみる時に、この限度にはまだなかなか近くなっていないことを認めざるを得ないのである。一部分は直接間接の課税により、また一部分は、またはおそらくは主として、我国の外国貿易の繁栄1)により、労働と農業資本の原料との貨幣価格が高いために、穀物の貨幣価格が高くなければ、新らしい土地の開墾は出来ず、既耕地の大きな改良も出来ない。しかしこれらの土地は、開墾や改良が行われた時には、不生産的ではなかった。その生産物の量と価値とは、それに用いられた資本と労働の量に対し十分相応な比例をとったのである。そしてこの耕作を刺戟したところの、生産物の価値と生産費との比例が同一でありまたはほとんど同一であるという事情が、引続き存在したのである限り、かかる土地の耕作は、個人にとっても国家にとっても大きな利益であったのである。
 1) 穀物の輸入制限は、いかに不合理なほどに厳重にしても、もしかかる制限が本質的に我国の外国貿易の繁栄に害を及ぼすものであるならば、我国の穀物と労働とを他のヨオロッパ諸国よりも遥かに高い価格に維持することは出来ないであろう。労働の貨幣価格が高い時には、または同じことであるが、貨幣価値が低い時には、自然的か後天的かの何かの比較的利益があってこれがかかる国をしてその労働の貨幣価格が高いにもかかわらずその多大な輸出を維持し得せしめない限り、何ものもそれが水準を求めて流出するのを阻止することは出来ないのである。(訳註――この註は第六版のみに現わる。)
 土地の状態がこのようであるから、英帝国は疑いもなく、啻にその現在の人口を自国の農業資源により養うことが出来るばかりでなく、更にこれを二倍にし、またそのうちにはおそらく、三倍にすることが出来るであろう。従って、ほとんどその資源の終点に到達した国においては大いに反対してしかるべきものと考えられ得る外国穀物輸入制限は、極めて大きな人口増加を自国の土地で養い得る国においては、極めてその趣を異にすることが、わかるのである。
 しかし、ある国は、自国の土地により、啻に大きな人口を養い得るばかりでなく、また増加し行く人口を養い得ることを認めるとしても、外国穀物の自由輸入のためにその港を開けば、もっと大きな、もっと急速に増加する人口を養い得ることが認められるとすれば、この傾向を阻止し、当然生ずべき程度の富と人口とを阻害するために逸脱するのは、正しいことではあり得ない、と云われるであろう。
 これは疑いもなく有力な議論であり、そして前提を全部承認すれば(訳註)、経済学上の原則のみによってはこれを反駁することは出来ない。しかしながら私は云いたい、かくの如くして得られた富と人口との増加が、社会を、穀物供給上の不安定の増大、労働の労賃の変動の増大、人口のうちより大なる比率が工場に雇傭される結果たる不健康と不道徳の増大、及び穀物輸入の相手国の自然的進歩による長期の沈滞的な退歩的運動の機会の増大に当面せしめるということが、明かに確証し得るならば、私は、かかる富と人口は過大の代償を払って購われたのだと云うに、躊躇しないのである、と。社会の富も力も人口も、結局は社会の幸福がその正当な目的なのである。この幸福にとり最も都合のよい社会構造と、土地から得られる富の生産に対する適当な刺戟とを実現せんがためには、商工業人口が農業人口に多数混存することが絶対に必要であるのは、確かに事実である。しかし、ある程度まで良いことはどんな程度にも良いことであると推論するほど、しばしば犯される明かな謬論はない。そして大なる土地を有つ国においては、商工業主義に伴う害悪は、この国が農業によって支持されている限り、商工業主義の利得によって相殺されて余りあることは、極めて容易に認められるけれども、しかし農業によって支持されない過度に至ったものの齎らす結果については、害悪が圧倒的に優勢にならぬか否かは十分疑い得るであろう。
〔訳註〕第五版にはここに『(しかしながらこれには若干疑問の余地があるが)』の句がある。
 アダム・スミスは次の如く云っている。『ある国が商工業によって得た資本は、そのある部分がその土地の耕作と改良とに確保され実現されるまでは、すべて極めて不確実な不安定な財産である1)』と。
 1) Vol. ii. b. iii. c. 4, p. 137.
 また他の場所では、植民地貿易の独占は、商業利潤の率を高めることにより、土地の改良を阻害し、そして土地の地代という収入の大なる本来的源泉の自然的増加を遅延せしめる、と云っている1)
 1) Vol. ii. b. iv. c. 8, p. 495.
 さて、一八一四年に終る二十箇年間ほど、我国の商工業及び植民地貿易が多くの資本を吸収する状態にあった時代はないことは、確かである。一七六四年ないしアミアンの平和の期間に、我国の商工業は農業よりも急速に発達し、そしてその食物についてますます外国穀物に頼るようになったことは、あまねく認めるところである。アミアンの平和以後、我国の植民地独占と工業との状態は、普通の資本量を需要するだけで足る程度である。そしてもしその後の戦争による特殊事情、すなわち船賃及び保険料の騰貴とナポレオンの勅令が、外国穀物の輸入を極度に困難にし高価にしなかったならば、吾々は今日、あらゆる一般原則に従って、史上未曽有の比率の人口を外国穀物によって養うという習慣になっていたことであろう。我国の耕作は今日の実情とは著しく異っていたであろう。いかなる価格の下落も破滅せしめ得ない、新らしい土地を国家のために買い入れたに等しい大改良は、ほとんどまたは全く行われなかったことであろう。そして平和または各種の事件が、我国の植民地と工業上の利益とを共に減殺し、そして資本が土地の上に拡がって国民的財産とすることのないうちにこれを破壊しまたは駆逐したであろう。
 実際のところ、戦争中に外国穀物の輸入の上に与えられた事実上の制限は、我国の蒸気機関や植民地独占を強制して自国の土地の耕作に向わしめた。そしてかかる原因こそは、アダム・スミスによれば、農業から資本を撤囘せしめる傾向を有つものであり、そしてもし吾々が引続きフランスやオランダの市場価格で外国穀物を購買することが出来たならば確かに農業から資本を撤囘せしめたに違いないのであるが、この原因は、我国の農業に大きな刺戟を与えるの手段となって、ために農業は啻に商工業の極めて急速な発達と歩調を共にしたばかりでなく、また従来多年の間後れていた距離を取り戻し、そして今ではこれと肩を並べて進んでいるのである。
 しかし、大なる土地資源を有つ国における外国穀物の輸入制限は、啻に永久的にしろ一時的にしろその国の有つあらゆる商工業の利益を土地の上に拡充し、かくて、アダム・スミスの用語をもってすれば、それを確保し実現する傾向を有つばかりでなく、更にまた、滅多に害悪を伴わぬことのない農業及び商業の進歩における大なる擺動を防止する傾向を有つのである。
 社会のほとんどあらゆる階級が価格の急落によって受けた困厄は、それが通貨の状態によって加重された点を除けば、自然的原因により生じたものであって、人為的原因により生じたものではないということは、想起しなければならぬことであり、また絶えず銘記しておかなければならぬ点である。
 食物と人口の増加率に変動の傾向があるのと同様に、農業と工業の進歩率にも変動の傾向がある。平和で通商の妨害のない時期には、かかる変動は、社会の幸福と平安にとり好ましくないとしても、大した実害を生ずることはないであろう。しかし戦争が介入するとこの変動は常に財産状態に不可避的に混乱を生ぜしめざるを得ないような力と速度とを与えられることになりがちなのである。
 アミアンの平和に続いた戦争に当って、我国はその必要とする穀物供給のうち極めて多くを、外国に頼ることとなった。そして今では、我国は、人口がその後異常な増加を遂げたにもかかわらず、自ら消費するものを生産している。我国の農業状態におけるこの大きな突変は、国内の産額が不足であり外国穀物の輸入は高価で困難であったために価格が著しく騰貴したからこそ、生じたものであった。しかしこの変化が非常に急速であったので、国内の穀物の産額が国内消費量とちょうど等しくなりまたはわずかながらこれを超過するや否や、必然的に市場における供給過多を生ぜざるを得ず、そしてわずかに少量の外国穀物の輸入を得て、不可避的に価格の急落を生ぜざるを得なかった。もし外国穀物の自由輸入のために港が引続き開かれていたならば、一八一五年の穀物価格が更にいっそう低くなったことには、ほとんど疑いはあり得ない。この穀物価格の下落は、たとえ地代下落によって耕作の現状が大体維持され得たとしても、将来の改良に対して大きな妨害を与えるに相違なく、従ってもし港が引続き開かれているならば、吾々は確かに、我国の増加する人口と歩調を共にするだけのものを国内で生産し得なくなるであろう。そして十年ないし十二年の後には、新たな戦争によって、吾々は、今世紀(訳註――十九世紀)の初頭と同一の状態に置かれるかもしれない。その時には、吾々は、同一の価格騰貴の経験を経なければならず、同一の農業に対する過度の刺戟と1)それに続く同一の急激な農業の沈衰、及び同一の巨額の負債を経験しなければならぬであろうが、この負債は、小麦の価格が一クヲタアにつき九〇ないし一〇〇シリングもし、土地所有者及び社会の勤労階級の貨幣所得がほとんど同じ比率の時に借り入れられ、そして小麦が一クヲタアにつき五〇ないし六〇シリングで、地主と社会の勤労階級の所得が大いに減少した時に返済されなければならぬものである。――かかる事態が起れば、納税の困難は著しく増大し、なかんずく国債利子の支払に充てらるべき貨幣定額を支払う困難は激増せざるを得ないのである。
 1) 上院における証言によれば(Reports, p. 49.)、穀物一クヲタア当りの運賃と保険料だけで、一八一四年より一八一一年の方が四八シリングも高かった。しからば、人為的干渉がなくとも、戦争だけで価格の暴騰が不可避的に生ずることがわかる。
 他方において、平均的に自国の必要分を生産し不足の時だけ輸入するような輸入制限を実行する国は、啻に、工業におけるあらゆる発明や、植民地及び一般通商から得るあらゆる特殊利益を、土地に拡充し、かくてこれをその箇所に固定しそれを不時の出来事から救うことが出来るばかりでなく、また、必然的に、一般的戦争と穀物自給の不足とが併発する場合にほとんど不可避的に生ずる激烈悲惨な財産の混乱から免れることになるのである。
 もしも過般の戦争の際に、我国がその平均消費分につき外国に依存していなかったならば、紙幣が増発されても、我国の穀物の価格は、それが一時経験したような高さには接近し得なかったであろう1)。そしてもし我国が、戦争の期間中、時折の不作の場合を除いて、外国の穀物の供給に頼らずにいたならば、国内の消費分に等しいかまたはそれよりもやや多い生産があったからといって、戦争の終りにかくも普遍的な困窮感を生ずることはなかったであろう。
 1) トゥック氏によれば(High and Low Prices, p. 215.)、過般の戦争の際に我国が消費分以上を生産していたならば、価格に関し全く違った一連の現象を見たことであろう。(訳註――ここまでは第六版のみ。以下は第五―六版。)紙幣の過剰や減少がなかったならば穀物の価格は決してこれほど高くもこれほど低くもならなかったであろうけれども、しかし検討を加えてみると、穀物の価格がこの過剰や減少の後を追うよりはむしろこれに先立って起ったことがわかるであろう。
 穀物の輸入制限に対する主たる実際的反対論は、豊作の際には供給過剰となり、これを輸出によって救治することが出来ない、ということである。そしてこの問題のうち、価格の変動に関する部分を考察するに当っては、この反対論はその全幅正当な重要性を有つべきである。しかしこの原因から生ずる価格変動は時に甚だしく誇張されている。貧国の農業者に本質的困厄を与える供給過剰も、富国の農業者は割合にほとんど痛痒を感じない場合もあろう。そして、十分な資本を有ち我国が一八一五年に遭遇したような商業信用に対する一大衝撃を蒙っていない国が、ある年の剰余を蓄えて翌年またはその後の欠乏の補いにするのが非常に困難であろうとは、考えられない。実際我国の如き国においては、この原因から生ずる価格の下落が、ヨオロッパの豊作による供給、なかんずく規則的には輸出をしない国の供給が、突然流入してきた場合ほどに、著しいであろうか否かは、十分疑い得るであろう。もし我国の港が常に開かれているとしても、現行のフランスの法律は、やはり価格を等しからしめるような供給を妨げるであろう。そしてフランスの穀物は大豊作の年にしか多量に我国に入ってくることはないであろうが、かかる年には我国は最もこれを必要としないのであり、従って最も供給過剰を惹き起しがちであろう1)
 1) 一八一四年に両院の委員会で証言したほとんどすべての穀物商人は、もし我国の港が開放されていたならば、ヨオロッパの豊富な穀物によって価格の下落が生ずべきことを、十分に気づいていたように思われる。
 しかし、平生自給自足をしている国では一般的凶作の年の価格騰貴がより少いことは全く確実であるから、もし以上二つの途によって生ずる価格の下落が本質的に異るものではないならば、価格が高い時には輸入を阻止しないが平年にはその消費分に等しいだけの生産は確保するという輸入制限制度の下において、価格変動の幅が最小であることを、認めなければならないのである1)
 1) 〔一八二五年〕 Westminster Review の第六号では穀物条令が必然的に穀物の価格に大変動を生ぜしめることが大いに力説してあるが、それには、商業方面の最高権威から得たと云われる、一八二四年に終る十箇年間の毎年のロッテルダムにおける平均価格の表が、載せられてある。この表を載せた目的は、これら十箇年間のオランダの小麦の平均価格を示すにある。しかしそれはたまたま、価格の安定に関して多くの点において特に有利な事情にあるはずのオランダにおいても、穀物の自由貿易が決してこれを安定せしめ得ないことを示している。
 一八一七年には、八六ウィンチェスタ・ブシェルの一ラストの価格は五七四ギルダアであり、一八二四年にはそれはわずかに一四七ギルダアであって、その差はほとんど四倍である。同じ十年間に英蘭イングランドの各年の平均価格の最大の変動は一八一七年の価格九四シリング九ペンスと一八二二年の価格四三シリング九ペンスの開きであった。(Appendix to Mr. Tooke's work on High and Low Prices, Table xii. p. 31.)この開きは二・五分の一倍弱である。
 穀物の自由貿易は吾々を食物不足の可能性から確保するということが、明かな事実には少しも触れずに、繰返し繰返し主張されている。Supplement to the Encyclop※(リガチャAE小文字)dia Britannicaの『穀物条令』の項の筆者は次の如くさえ述べている、『一国が不作の時にはどこか他の地方が豊作で取返しがつくことは、常に見られるところである。……世界には常に食物は豊富である。この絶えざる豊富を享受するためには、吾々はただ、我国の禁止や制限を取り止め神の慈悲深き叡智に抗することを止めさえすればよいのである。』同種の言葉は前記の Review にも繰返されている。曰く、『一国に不作があっても他国には豊作があり、従って後者の剰余生産物は前者の不足を充たす。』等々。さてこれらの記述が最も広大な経験に決定的に反すると信ずべき最上の理由がある。第一に、もしそれが本当であり、そこに言及されている一般的豊富が単に穀物の自由貿易の欠如によって妨げられているに過ぎぬのであるならば、吾々は必ずや、ある国の価格の暴落と時を同うせる他の国の暴騰を見るべきはずである。しかし過去一、二世紀の商業世界の諸国の穀物の価格を瞥見すれば、偏見のない人は誰も、これに反して、同じ時期には価格が著しく相接近していることを十分信ずることとなるであろうが、これは上記の記述の真実性とは絶対に相容れないものである。第二に、気候に少しでも注意を払っている旅行者はすべて一致して、同一の種類の気候が同じ時期の異る国をしばしば支配することを、述べている。あの昨夏の特別な酷暑はヨオロッパの最大部分を一般に支配したばかりではなく、アメリカにさえ及んだ。Mr. Tooke, On High and Low Prices (p. 247, 2nd edit.). では Mr. Lowe's work on the[#「the」は底本では「the the」] Present State of England. の一節が引用されているが、その中で彼は曰く、『公衆、なかんずく旅行をしない公衆は、ヨオロッパの穀産地方と称すべきもの、すなわち大英国、愛蘭アイルランド、フランス北部地方、ネエザアランド、デンマアク、ドイツ西北地方、そしてある程度ではポウランド及びドイツ東北地方を通じて、同じ温度が支配していることをほとんど知らない。』彼はそこで更に進んで、同じ時期にヨオロッパの各国で起った凶作の事例を述べている。そして、トゥック氏は、ある緯度以内ではヨオロッパには一般に同じ気候が支配するというこの記述が正しいことに、全く同意している。一八一四年と一八二一年に両院の委員会で証言を求められた多数の穀物商人も、同じ意見を表明した。そして私は、事実を観察する立場にあった人が豊作と不作とが種々なる国で一般に相互に相平均するという意見を述べた実例を、一つも想起することが出来ないのである。従ってかかる叙述は、全く証拠の片影だにもない単なる主張と考えられなければならない。
 しかしながら私は、種々なる国がしばしば同じ時期に穀物が豊富であったり不足したりするという事情は、価格の安定という可能性を妨げるに違いないにかかわらず、穀物条令の廃止または改訂に対する決定的反対理由であると云おうというつもりは、毛頭ない。制限に対する一切の反対論のうちで最も有力なものは、その反社会的傾向と、商業世界一般の利益に与えるに違いない周知の損害である。この議論の重みは、多数のものが凶作によって同じ時期に苦しむということによって、減少するよりはむしろ増大する。そして我国の大臣達が極めて熱心により自由な商業政策制度の模範を示している時に当り、外国民が、我国の現行の穀物条例の如き顕著な例外を非難せずに済むことが、大いに望ましいであろう。過度ではない輸入関税と、ほとんどリカアドウ氏が推奨した程度の奨励金とが、おそらく我国の現状に最も適合し、かつ価格の安定を最も確保するであろう。外国穀物に対する関税は、外国が課税対象として我国の工業品に賦課している関税に類似するものであり、同様に自由貿易の原則を害しはしないであろう。
 しかしいかなる制度を吾々が採用するにしても、穀物条例に対する賛成論と反対論の全部を徹底的に公平に考察するのは、健全な判断に対して不可欠であり、また失望を防止する上に極めて有用である。そして本章の議論を冷静に、かつ私の判断し得る限りにおいては公平に、再検討してみても、それはやはりかかる考察に値するに足る重みを有つように思われ、穀物条例の廃止または改訂に反対する一種の抗議とは思われないので、私はこれを新版に再録する次第である。(訳註――この註は第六版のみに現わる。)
 しかしながら制限制度に対しては常に一つの反対論が残らざるを得ない。かかる制度は本質的に非社会的である。私は確かに、ある特定国家の利害から云えば、外国穀物の輸入制限は時には利益なこともあろう、と考えるが、しかし私は更にいっそう、ヨオロッパ全体の利害から云えば、他の一切の貨物と同様に穀物貿易の最も完全な自由は最も有利であろうと、確信するのである。しかしながら、かかる完全な自由は必ずや更に自由な平等な資本分配を伴わざるを得ないのであり、これはヨオロッパの富と幸福とを大いに増進するであろうけれども、しかし疑いもなくそのある地方を現在よりも貧しくし人口を減少せしめるであろう。そして個々の国家が、世界の富のためにあえて自国内の富を犠牲にしようと期待すべき理由は、ほとんどないのである。
 更にまた、もっと直接的な規制によらずとも、課税だけで十分に、貨物相互の自然的関係に本質的に干渉する奨励または抑制の制度が作り出されることも、注意しなければならぬ。そして課税を廃止する望みはないから、時にはより以上の干渉によってのみかかる自然的関係を恢復し得るということもあろう。
 従って完全な貿易の自由なるものは、おそらく決して実現し得ない一つの幻想である。しかしそれでも出来るだけこれに接近するというのが吾々の目的でなければならない。それは常に大なる一般原則と考えらるべきである。そしてそれから離れようという提唱をする時には、提唱者はその例外理由を明かにする義務があるのである。
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第十三章 富の増加が貧民の境遇に及ぼす影響について

(訳註)

〔訳註〕本章は第一版から現われているものであるが、その後の大規模な書き改めは第二版と第五版とで行われている。もちろんその他の版でも訂正がある。そこで次にまず第五―六版の全文を掲げ、次に第二―四版の分を挙げ、最後に第一版とそれとの相違を指摘することとする。
 まず第五―六版の分は次の如くである、――
 アダム・スミスの(訳註)研究の明白な目的は、諸国民の富の性質及び原因である。しかしながら彼が時にこれと交えているもう一つの更に興味あるものがある――すなわちそれは、あらゆる国民において最多数の階級をなす下層階級の幸福と愉楽に影響を及ぼす原因である。これら二つの問題は疑いもなく密接な関係を有っているが、しかしこの関係の性質と範囲、及び富の増加が貧民の境遇に影響を及ぼす仕方については、未だ十分正確精密には説明されていないのである。
〔訳註〕このパラグラフについては本章末尾の第二―四版中の当該箇所の訳註を参照。
 アダム・スミスは、労働の労賃に関する章において、社会の資本ストックまたは収入のあらゆる増加をもって労働の維持のための基金と考えている。そしてあらかじめ、労賃によって生活する者に対する需要は労賃の支払のための基金の増加に比例してのみ増加し得るという主張を打樹てているのであるから、富のあらゆる増加は労働に対する需要を増加し社会の下層階級の境遇を改善するという結論が、自ら生れてくることになる1)
 1) Vol. i. book i. c. 8.
 しかしながらもっとよく検討してみると、労働の維持のための基金は富の増加につれて必然的に増加するものではなく、いわんやこれと比例して増加することは極めて稀であり、そして社会の下層階級の境遇は、もっぱら、労働の維持のための基金の増加、すなわちより多数の労働者を養う能力に依存するものではないことが、見出されるであろう。
 アダム・スミスは(訳註)一国の富を定義して、その土地と労働の年々の生産物であるとしている。この定義は明かに、土地の生産物と共に工業生産物をも含んでいる。さて、ある国民が特殊の地位や事情によりより以上の食物量を獲得し得ないと仮定すれば、この国の土地の生産物またはこの国が穀物を輸入する力はそれ以上増加し得ないけれども、しかしその国の労働の生産物が必ずしも停滞してしまったのではないことは、明かである。もし工業の原料が国内または外国から獲得せられ得るならば、進歩した熟練と機械とは同数の人手をもってこれを非常により多量の製品に仕上げることも出来、また軍務や家僕の仕事に比較して工業に対する興味が増大し、その結果として全人口のうちより大なる比例が商工業に従事するようになって、ために人手はむしろ大いに増加するということもあろう。
〔訳註〕このパラグラフについては本章末尾の第二―四版中の当該箇所の訳註を参照。
 かかる場合がしばしば生ずるものでないことは最も容易に認められるであろう。しかしながらそれは啻に可能であるばかりでなく、またそれは、耕作の自然的進歩につれての人口の増加に対する特殊の限界を成すものであり、この限界は富のより以上の増進に対する限界とは明かに時を同うするものではない。しかしかかる限界に達することは滅多にないのであるから、この種の場合はしばしばは起らないものであるけれども、しかしこれに近い状態は絶えず生じているのであり、そして通常の進歩仮定においては、富と資本の増加がより多数の労働者を養う力の比例的増加を伴うことは滅多にないのである。
 ある古代国民は、それに関する記録によれば、極めて小量の商工業資本しか有たなかったけれども、農地の分割によってその土地を高度に耕作したように思われ、そして疑いもなく人口は極めて稠密であった。かかる国においては、既に人口は充満していたが、資本と富とはなお明かに著しく増加する余地があったであろう。しかし追加資本の刺戟によって生ずる食物の生産または輸入の増加にどれだけ信を置いたところで、生活資料が比例的に増加する余地は明かになかったであろう。
 現代最も繁栄せるヨオロッパ諸国の初期の状態をその現状と比較するならば、右の結論がほとんどあまねく経験によって確証されるのがわかるであろう。
 アダム・スミスは、諸国民の富の進歩の相違を論ずるに当って、英蘭イングランドは、エリザベスの時代以来、商工業において絶えず進歩してきている、と云っている。そして更に附言して曰く、『我国の耕作と改良とは疑いもなく徐々に進歩してきている。しかしそれは、これより急速な商工業の進歩に比べれば、これよりも後れてこれに追随してきたに過ぎぬように思われる。我国の大部分はおそらくエリザベスの治世以前に耕作されたに違いないのであり、なお残っている未耕地も非常にたくさんあり、そしてそれよりもいっそう多くの部分の耕作は当然あり得べきよりも遥かに劣等な状態にある1)』と。同じことは他のヨオロッパ諸国の大部分についても云い得る。最良の土地は当然最初に占有されるであろう。かかる土地は封建時代の特徴である怠慢な耕作方法と労働の大浪費をもってしても、大きな人口を養うことが出来るであろう。そして資本の増加につれて、便宜品及び奢侈品の嗜好が逓増し、同時に新開墾地の生産力が逓減して、この新資本の大部分は自然的にまた必然的に商工業に向うこととなり、そして人口の増加よりも富の増加が急速になることとなるであろう。
 1) Vol. ii. book iv. c. 4. p. 133.
 従ってエリザベスの治世における英蘭イングランドの人口はほとんど五百万であったように思われるが、これは現在(一八一一年)の半分よりはなはだ少いものではないであろう。しかし商工業の生産物が人類の消費のために生産される食物量に対し現在とる比例が極めて大であることを考えると、我国の富すなわち資本及び収入の全体は、通貨の価値の変化を別とすれば、四倍以上に増加したと云ってもそれはおそらく低目な見積りであろう。他のヨオロッパ諸国は、商工業の富において英蘭イングランドと同程度の増大を遂げたものはほとんどない。しかしとにかくそれらがこの点において増大を遂げた限度内においては、一切の現象は明かに、その一般的富の増進が、増加人口の生活資料の増進よりも大であったことを、明かに示しているのである。
 一国民の(訳註)資本ストックまたは収入のあらゆる増加は、労働の維持のための真実基金の増加とは考え得ないことは、支那の場合に明かにわかるであろう。
〔訳註〕これを含んで以下三パラグラフについては本章末尾の第二―四版中の当該箇所の訳註を参照。
 アダム・スミスは、支那はおそらく長い間その法律と制度との性質が許す限り富んでいたのである、と云っているが、しかしまた彼は、法律と制度とが違い、また外国貿易が尊重されたならば、更にいっそう富むことが出来たかもしれないのであるということを、暗に示している。
 もし取引と外国貿易とが支那において大いに尊重されたならば、その労働者の数は多くその労働は安いので、支那は、外国販売用の工業品を多量に作ることが出来ることは明かである。同時に、支那は、食料品は莫大にあり領域は尨大なので、輸出と引替えに、生活資料が眼につくほど増すほどの分量を輸入することが出来ないということも、これと等しく明かである。従ってその多量の工業品は、これを国内で消費するか、または世界のあらゆる地方から蒐集した奢侈品と交換することになるであろう。現在この国はその資本が雇傭し得るところに比して人口過剰であり、労働は余すところなく食物の生産に充てられている。支那において外国貿易のために工業品を作るため巨額の資本を使用すれば、必ずこの事態は変ることになり、若干の労働者を農業から奪うに違いないが、これはこの国の生産物を減少する傾向があるであろう。しかしながらこれが、最劣等地の耕作における技術の進歩と労働の節約との有利な結果によって相殺され、または実に相殺されて余りあるとしても、生活資料の分量はほとんど増加され得ないであろうから、工業品に対する需要は労働の価格を騰貴せしめ、必然的にこれに比例する食物価格の騰貴を伴い、そして労働者は従前以上の食物購買力はほとんど得られないであろう。しかしながらこの国は明かに富の発達を遂げていき、その土地と労働の年生産物の交換価値は年々増加するであろう。しかし労働の維持のための真実基金はほとんど停止的であろう。この議論はおそらく支那に当てはめてみた時にいっそう明かになると思うが、それは支那の富が長い間停止的でありその土地がほとんど極点まで耕作されていることが、一般に認められているからである1)
 1) どれだけこの後の意見が信頼するに足るかは容易には云い得ない。技術の進歩と労働の節約とは確かに支那人をして、現在耕作し得ないある土地を有利に耕作し得せしめるであろうが、しかし人間に代えて馬をより一般的に使用すれば、このように耕作が拡張されても、人口の増加に対する奨励とはならぬであろう。
 これら一切の場合において、上述の結果が生ずるのは、農業に比較して商工業を不当に偏重するからではなく、単に、土地の食物生産力が、粗生原料に価値を与える人類の熟練と嗜好よりも、狭い限界を有ち、従って生存の限界に向って接近するに当り、一方の種類の富は他方のそれよりもその増加に対し当然により多くの余地を有ち、従ってまたより多くの奨励を有つからである。
 しからば労働の維持のための基金は富の増加につれて必然的に増加するものではなく、いわんやこれと比例して増加することは極めてであるということを、認めなければならない。
 しかし、社会の下層階級の境遇は、確かにもっぱら、労働の維持のための基金の増加、すなわちより多数の労働者を養う資料に依存するものではない。この資料が常に労働階級の境遇における極めて有力な因子であり、また人口増加の主たる因子であることは、疑問の余地がない。しかし、第一に、社会の下層階級の愉楽はもっぱら食物に依存するものではなく、また厳密な必要品にすら依存するものでもない。そして彼らは、多少の便宜品を、また奢侈品すらも、支配し得ない限り、よい境遇にあるとは考え得ない。第二に、生活資料にいっぱいに歩調を合わせるという人口の傾向は、一般に、かかる資料の増加が貧民の境遇を改善するという大きな永続的な効果を及ぼすことを妨げなければならぬ。また第三に、社会の下層階級の境遇を改善する最も永続的な効果を有つ原因は、主として個人自身の行為と慎慮に依存するものであり、従って直接的に必然的に生活資料の増加と関連するものではない。
 従って、生活資料の増加と並んでまた労働階級の境遇に影響を及ぼす他の原因をも目睹して、富の増加の作用する仕方をもっと精細に追及し、そしてこれに伴う不利益と利益との両者を説明するのが、望ましいであろう。
 一国が自然的規則的に進歩して大きな富と人口とを有つようになれば、社会の下層階級は必然的に二つの不利益を受けることになる。その第一は、生活必要品に関する社会習慣が現在のままとすれば、子供を養う能力が減少するということである。そしてその第二は、健康によくなくまた需要の変動と労賃の不安定の甚だしい職業にますます多くの比例の人口が従事するようになるということである。
 子供を養う能力が減少するのは、一国がその人口の極限に向って進めばその絶対の不可避の結果として生ずることである。一定面積の土地が食物を生産する力にはある限界があることを認めれば、この限界に近づきそして人口増加がますます緩慢になるにつれて、子供を養う能力はますます減少して、ついには、生産物の増加が停止すればそれは平均して人口の増加を許さぬ程度の家族を養うに足るに過ぎなくなることを、認めなければならない。かかる事態は一般に労働の穀物価格の下落を伴うものである。しかしかかる結果が下層階級に慎慮的習慣が行われるために妨げられるとしても、上述の最終帰結は必ず生じなければならない。そして人口増加に対する予防的妨げの有力な作用によって、労働の労賃が穀物で測定しても下落しないとしても、この場合、子供を養う能力は真実であるよりはむしろ名目的となることは明かである。そしてこの能力が表面だけのものになり始める時にそれは消滅したことになるであろう。
 富の累進的増加につれて社会の下層階級の蒙る第二の不利益は、彼らのうちますます多くのものが、不健康な職業に、労働の労賃が農業やより単純な家内仕事におけるよりも遥かに大きな変動を受ける職業に、従事するようになる、ということである。
 工場に雇われている(訳註)貧民の健康と労賃の変動との状態に関しては、私は許しを得て、エイキン博士の『マンチェスタ周辺記』Dr. Aikin's Description of the Country round Manchester. から次の一節を引用したい、――
〔訳註〕これを含んで以下四パラグラフについては本章末尾の第二―四版中の当該箇所の訳註を参照。
『労働を短縮する機械の発明と改良は、我国の取引を拡張するに驚くべき影響を及ぼしているが、同時にまたあらゆる方面から人手を、なかんずく綿工場のために子供を、招致することとなった。この世の中では一利一害を免れずというのは、神の賢明な計画である。これらの綿工場や類似の工場には、労働の便宜の改善に通常伴う人口の増加を阻止する原因がたくさんあることは明瞭すぎるほど明瞭である。これらの工場には極めて幼い子供が使用されているが、その多くはロンドンやウェストミンスタの救貧院から集められ、数百マイル離れた主人の許へ徒弟としてまとめて送られ、そこで彼らは、自然または法律によりその世話に任ずべき肉親に知られることもなく、その保護も受けず、忘れられたまま、働いているのである。これらの子供は通常、息苦しい室に閉め切られて、過度に長時間働かされ、しばしば一晩中働かされる。機械その他に用いる油などを呼吸するのは有害である。彼らの清潔にはほとんど注意が払われない。高温の濃い空気から冷たい薄い空気中へと絶えず出入するので、これは病気と衰弱の原因となり、なかんずくこれらの工場で一般に見られる伝染性熱病の原因となる。子供が幼年時代にこのように使用されるのは社会の害とならないかということも、大いに問題とされるべきである。彼らの徒弟期間が終った時には、彼らは一般に労働に堪えないほど衰弱してしまい、また外のどんな仕事もすることが出来なくなっている。女は裁縫や編物やその他良妻賢母となるに必要な家事を全然教えられない。これが彼らにとっても社会にとっても極めて大きな不幸であることは、農業労働者の家族と工業労働者一般のそれとを比べてみればまざまざとわかることである。前者では清楚と清潔と愉楽とが見られるが、後者では、その労賃が農夫の二倍になることもあるのに、汚穢と襤褸と貧困とが見られるのである。早期の宗教的教育と模範とがなく、またこれらの建物には多数のものが差別なく一緒にいるので、彼らの将来の身持に極めて悪い影響が与えられることも、附言しなければならない1)。』
 1) P. 219. エイキン博士は、これらの害悪を救治するために努力が払われており、そしてある工場では成功を見た、と云っている。そしてこの記録が書かれて以来、綿工場に雇傭されている子供の状態は、一部分は立法の干渉により、また一部分は個人の慈悲深い寛大な努力によって、更に極めて本質的な改善を受けたことを、附記し得るのは、極めて満足なことである。
 この書物によると、マンチェスタの僧院教会の記録簿は、一七九三年のクリスマスから一七九四年のクリスマスまでに、結婚一六八、洗礼五三八、埋葬二五〇の減少を示していることがわかる。附近のロッチデイル教区においては、人口に対する減少の比率はいっそう憂鬱である。一七九二年には、出生は七四六、埋葬は六四六、結婚は三三九であった。ところが一七九四年には、出生は三七三、埋葬は六七一、結婚は一九九となった。この突然の人口に対する妨げの原因は、戦争の勃発に当って生じた需要と商業信用との破綻にあるのであり、そしてかかる妨げがこのように突然生ずるときには、必ずや労賃の急落により生ずる最も激しい困窮を惹き起さざるを得ないのである。
 戦争から平和、平和から戦争への変転から生ずる変動に加えて、世間の嗜好の気紛れから特殊の工業がいかに倒れる危険があるものかは、人のよく知るところである。スピタルフィールドの織物業者は、絹に代ってモスリンが流行したので最も甚だしい困窮に陥ったし、またシェフィールドとバアミンガムの多数の労働者は、靴の締金と金属ボタンの代りに靴紐と蔽いボタンが用いられたために一時失業させられた。我国の工業は全体としては著しく急速に増大したが、しかし特殊の場所では失敗している。そしてこの失敗の起った教区はいずれも最も困窮した悲惨な貧民の大群を背負わされているのである。
 一八一五年の穀物条令に先立つ審議中に上院で行われた証言で、穀物の価格騰貴は工業労働の価格を騰貴せしめるよりはむしろ下落せしめる結果をもつということを証示する目的で、種々なる工場から各種の報告が提出された1)。アダム・スミスは明瞭に正当に、労働の貨幣価格は、食料の貨幣価格に、及び労働の需要供給の状態に、依存すると述べている。そして彼は、不作の圧迫を蒙る期間中にそれはいかにして食料の価格と反対の方向に変動するかを説明して、もってそれが時にはどれだけ需給関係によって影響されるかを示している。上院に提出された報告は、彼れの提言のこの部分に対する適切な例証である。しかしそれは確かにその他の部分の誤りなることを証明するものではないが、けだし、数年間にどんなことが起るにしろ、自然価格、または必要価格、換言すれば市場に労働の供給を継続せしめるに必要な価格が、支払われぬ限り、工業労働の供給は市場に継続せられ得ず、そしてこれがためには、労働の貨幣価格が食料の価格との均衡を保ち、ために労働者が必要な人手を将来供給し得る程度の大いさの家族を養うことが出来なければならぬことは、明かであるからである。
 1) Reports, p. 51.
 しかしこれらの報告は、労働に関する通説またはアダム・スミスの所説を、少しも否定するものではないけれども、しかしそれは、極めて明かに、工業労働者の境遇が大きな変動を蒙るものであることを、示しているのである。
 これらの報告を通覧すると、ある場合には小麦の価格が三分の一ないしほとんど二分の一騰貴しているのに、織賃は三分の一ないしほとんど二分の一下落しているのが見られるであろう。しかもこの比率は常に必ずしも変動の全幅を示すものではないが、それはけだし、価格の低い時には需要の状態は通常の労働時間だけ働くことを許さないが、価格の高い時には時間外労働を許すということが、時には起るからである。
 同じ原因により時には農業上の賃仕事の価格にも同種の変動が生ずることは、容易に認められるであろう。しかし第一に、これはそれほど著しいものではなく、また第二に、多数の農業労働者は日傭であり、そして農業日傭労働の貨幣価格が突然一般的に下落するというのは極めて稀なことに属する1)
 1) 我国の記録にあるほとんど唯一の事例は、最近(一八一五年及び一八一六年)起ったものであるが、これは粗生生産物の交換価値の比類なき下落によって生じたものであり、これによってその所有者は必然的に同一の価格で同一量の労働を雇傭し得なくなったのである。
 しからば、富の自然的な通常の進歩につれて、早婚して家族を養う手段は減少し、そして人口のうちますます多くの部分が、農業に従事する人口よりも、健康と道徳によくなくまた労働の価格の変動をより多く蒙る職業に、従事することになるのを、認めなけれならない。
 これは疑いもなく大きな不利益であり、そしてたとえ十分とは行かなくともほとんど大体これを償う利益によって相殺されないならば、これは富の増進をして貧民の境遇にとり決定的に不利ならしめるに十分であろう。
 そこで、第一に、資本の利潤が、中流階級が主として維持される収入の源泉であることは明かである。そして、富の増加の原因でもあれば結果でもある資本の増加は、社会の多数者を地主への依存から解放する有効原因であると云い得よう。領土が限られており、それが大所有に分割された肥沃な土地から成る国においては、資本が小である限り、その社会組織は自由と善政とに最も都合が悪い。これはまさに封建時代のヨオロッパの状態であった。地主は多数の怠惰な家臣を養う以外に、その所得を使うことは出来なかった。そしてこの地主の有害な力が破壊され、その従属的家臣が商人や工業者や職人や農業者や独立労働者になったのは、あらゆる職業における投下資本の増加によるのであって、これは労働階級を含む社会の多数者に莫大な利益を与えた変化であった。
 第二に、耕作と富が自然に発達するにつれて、より以上の穀物量の生産はより多くの労働を必要とするようになるが、しかし同時に、資本の蓄積とより良い分配、機械の継続的改良、及び外国貿易に与えられる便宜により、工業品と外国貨物とはより少い労働で生産または購買されるようになるであろう。それ故一定量の穀物は、国が貧しかった頃よりも遥かに多量の工業品や外国貨物を購買し得ることとなるであろう。従って労働者は従前よりも少しの穀物しか手に入れないかもしれぬが、しかし彼が現物では消費しない分は便宜品の購買に当ってより多くの価値を有つことになるので、この減少は相殺されて余りあるであろう。なるほど彼は従来と同じく大家族を養う力はないかもしれぬが、しかし小家族ならば彼れの衣住は従前よりもよくなり、人生の享楽品や愉楽品は従前よりもこれを買い入れる能力を増すであろう。
 第三に、便宜品や愉楽品は食物がある程度不足にならなければ豊富になることは決してないものであるが、社会の労働階級が、食物に比較して便宜品や愉楽品が豊富になるまではこれに対する決定的趣味を滅多にもつものでないことは、経験によって証明されるように思われる。もし労働者が、二、三日の労働で自分と家族とを十分に養うことが出来、そしてもし便宜品と愉楽品とを手に入れるためにその上三、四日働かなければならぬとすれば、労働者は一般に、自分にとり厳密には必要なわけではない物に比して犠牲が大に過ぎると考え、従ってしばしば衣住の改善を楽しむよりは怠惰に耽けることを選ぶであろう。フムボルト氏の言によれば、これはなかんずく南アメリカのある地方では事実であり、また愛蘭アイルランド印度インドやその他資本と工業貨物に比して食物が豊富な国ではある程度事実である。他方において、労働者の時間の大部分が食物の獲得のために占められるならば、勤労の習慣が必然的に生み出され、残余の時間はそれによって購買し得る貨物に比べればほんのわずかなものであるが、滅多に浪費されることはない。かかる事情の下においてこそ、なかんずくそれと共に善い政治が行われる場合こそ、社会の労働階級が人生の便宜品及び愉楽品に対する決定的な嗜好を獲得する望みが最もあるのであり、そしてこの嗜好は、一定の時期の後に、労働の穀物価格がそれ以上下落するのを妨げるのであろう。しかしもし労働の穀物価格が引続き高いのに、穀物と比較しての貨物の相対価格が著しく下落するならば、労働者は最も有利な状態に置かれていることになる。労働者が便宜品や愉楽品に対し決定的な嗜好を有っているので、労働の穀物労賃が高くともこれは一般に早婚には導かないであろう。しかも個々の場合に大家族のことがあっても、習慣となった便宜品や愉楽品を犠牲にすれば独立して家族を養っていくことが出来るであろう。かくて下層階級の中の極貧者ですら、食物に事欠くことは滅多になく、他方下層階級の大部分は、啻に十分な生活資料を得るばかりでなく、更にまた、先天的後天的の欲求を充たすと同時に疑いもなく精神を修め人格を高める便宜品及び愉楽品を、多量に購買し得ることとなるであろう。
 しからば、富の増加が貧民の境遇に及ぼす影響を細心に検討すれば、かかる増加は労働の維持のための基金の比例的増加を意味するものではないけれども、それは社会の下層階級に対し利益を齎らすものであり、この利益はそれに伴う不利益を十分に相殺するものであることが、わかるのである。そして厳密に云えば、貧民の境遇の良否は富の完成に向う社会の進歩のいずれの特定階程とも必然的の関連を有つものではない。富の急速な増加は、なるほど、それが主として生活資料の増加にあると便宜品及び愉楽品の貯財の増加にあるとを問わず、他の事情にして等しき限り、常に貧民に対し好ましい影響を及ぼすものであるが、しかしこの原因による影響ですら他の事情によって大いに修正され変更されるのであり、個人的慎慮が富を生産する熟練及び勤労と結びつく外には、社会の下層階級に、どの点から見ても彼らがこれを所有することが極めて望ましいこの富の分け前を、永久に確保することは出来ないのである(訳註)。
〔訳註〕第五―六版においては第十三章となっていた右の章は、第二―四版では第七章となっている。前述の如く第五―六版ではほとんど全部書き改められたのであるが、しかし極めて若干第二―四版の用語を保持しているところもある。そこで次に第二―四版の全文を挙げ、そのうち第五―六版まで保持された箇所にはその旨を指摘することとする。

第二四版


『アダム・スミスの研究の明白な目的は、諸国民の富の性質及び原因である。しかしながら、彼が時にこれと交えているもう一つの更に興味あるものがある。すなわちそれは、あらゆる国民において最多数の階級をなす下層階級の幸福と愉楽に影響を及ぼす原因である。(訳註――ここまでは第五―六版と同一である。)私はこれら二つの問題が密接な関係を有つことを十分に知っており、また概言すれば、一国の富の増加に貢献する原因は、また、下層階級の人民の幸福を増大する傾向があるものである。しかしおそらくスミス博士は、これら二つの研究をもって、その実際よりも更に密接な関係を有つものと考えている。少くとも彼は、しばらく止って、社会の富が彼れの富の定義に従えば増加しても、その労働階級の愉楽を増大する比例的傾向がない場合もあることを、留意していないのである。
『私はここに、人間の正当な幸福なるものを構成するものが何であるかという、哲学的議論に立入るつもりはない。ただ、その周知の二因子たる、人生の必要品及び愉楽品の支配力と、健康の保持とを、考察してみようというだけである。
『労働貧民の愉楽は、必然的に、労働の維持に充てられた基金に依存しなければならず、そして一般的にその増加の速度に比例するであろう。かかる増加のもたらす労働に対する需要は、云うまでもなく、労働の価値を騰貴せしめるであろう。そして必要なより以上の人手が育て上げられるまでは、増加せる基金が従前と同数の人間に分配され、従ってあらゆる労働者は割合に安易に生活するであろう。スミス博士の誤りは、社会の収入または資本のあらゆる増加をもって、かかる基金のこれに比例する増加となす点にある。かかる剰余の資本または収入は、なるほど常に、これを所有する個人によっては、彼がより多くの労働を支持し得べき増加基金と考えられるであろうが、しかし国全体として見れば、その一部分がより以上の食物量に換えられ得ない限り、それはより以上の数の労働者の維持のための有効基金とはならぬであろう。そしてこの増加が単に労働の生産物から生じたのであって土地の生産物から生じたのでない場合には、それはこのように食物に換えられ得ないであろう。
『スミス博士は(訳註――このパラグラフについては第五―六版の第四パラグラフ参照。)一国の富を定義して、その土地と労働の年々の生産物であるとしている。この定義は、明かに、土地の生産物と共に工業生産物をも含んでいる。さて、ある国民が、何年かの間、その年々の収入から貯蓄したものを、その工業資本のみに加え、土地に用いられる資本には加えないとすれば、この国民は、より多数の労働者を養う力がなく従って労働の維持のための真実基金は何も増加しないのに、上記の定義によれば、より富んだことになるのは、明かである。それにもかかわらず、工業資本の増大により労働に対する需要が生ずるであろう。この需要は云うまでもなく労働の価格を騰貴せしめるであろうが、しかしこの国の食物の年々の貯えが増加しつつあるのでないならば、食物の価格は必然的にこれと共に騰貴しなければならぬから、この労賃の騰貴は単に名目的に過ぎないこととなるであろう。工業労働者に対する需要が生ずるので、おそらく、家庭の仕事に勤めていたものは多少その職を転じ、また多少は農業からさえも転ずるであろう。しかし吾々は、農業に対するこの種の影響はいずれも耕作用具または耕作方法の改良によって償われ、従って食物量は依然同一であると、仮定しよう。工業機械の改良ももちろん起るであろう。そしてかかる事情は、より多数の人手が工業に従事することと相俟って、この国の労働の年生産物を著しく増加せしめるであろう。従ってこの国の富は、この定義によれば、年々増加しており、しかもその増加は極めて緩慢であるということはないであろう1)
1) 私がここで仮定した場合は、農業国では、実際あまりありそうもない場合であることは、私も認めるが、しかしこれに近い場合が起るのはおそらく稀ではない。私の意図はただ、労働の維持のための基金は一国の土地と労働との生産物の増加に正確に比例して増加するものではなく、生産物の同じ増加も、その増加が主として農業から生じたものであるか工業から生じたものであるかに従って、労働者に及ぼす利益には多少の別があろう、ということを証示せんとするにあるに過ぎない。一国の食物増加の物理的不可能を仮定すれば、機械の改良によってこの国はその工業生産物の交換価値においては年々より富んでいくかもしれぬが、しかし労働者はその衣住の点ではよくなっても食物の点ではよくはなり得ないことは、明かである。(訳註――この註は第三―四版のみ。)
『問題は、かくの如くして増加しつつある富が、どれだけ労働貧民の境遇を改善する傾向があるか、ということである。労働の価格が一般的に騰貴しても、食物の貯えが同一である限り、それに続いてすぐ食物の比例的騰貴が起らなければならぬから、それは単に名目的騰貴であり得るに過ぎない、というのは自明的命題である。右に仮定した労働の価格の騰貴は、従って、労働貧民に生活必要品のより大なる購買力を与える上では、何の永久的結果も伴わないであろう。この点においては彼らは従前とほとんど同一の状態にあろう。他の若干の点では彼らの状態はいっそう悪くなるであろう。彼らのうち工業に従事するものの比率は増大し、農業に従事するものの比率は減少するであろう。そしてこの職業変換が、思うに、幸福の一本質的因子たる健康に極めてよくないものであり、更に、人間の嗜好が気紛れなことや、戦争という突発事件や、その他時々社会の下層階級の間に非常に苛酷な災厄を惹き起す諸原因によって、工業労働の方が不安定が大きいので、その上にもよくないものであることは、何人によっても認められるであろう。工場に雇われている貧民の健康とその他彼らの幸福に影響を及ぼす事情との状態に関しては、私は許しを得て、エイキン博士の「マンチェスタ周辺記」から次の一節を引用したい。(訳註――次の引用文とその次の一パラグラフについては、第五―六版の章の中頃にある同一の引用文とそれに続く二つのパラグラフを参照。)
『「労働を短縮する機械の発明と改良は、我国の取引を拡張するに驚くべき影響を及ぼしているが、同時にまたあらゆる方面から人手を、なかんずく綿工場のために子供を、招致することとなった。この世の中では一利一害を免れずというのは、神の賢明な計画である。これらの綿工場や類似の工場には、労働の便宜の改善に通常伴う人口の増加を阻止する原因がたくさんあることは、明瞭過ぎるほど明瞭である。これらの工場には極めて幼い子供が使用されているが、その多くはロンドンやウェストミンスタの救貧院から集められ、数百マイル離れた主人の許へ徒弟としてまとめて送られ、そこで彼らは、自然または法律によりその世話に任ずべき両親に知られることもなく、その保護も受けず、忘れられたまま、働いているのである。これらの子供は通常、息苦しい室に閉め切られて、過度に長時間働かされ、しばしば一晩中働かされる。機械その他に用いる油などを呼吸するのは有害である。彼らの清潔にはほとんど注意が払われない。高温の濃い空気から冷たい薄い空気中へと絶えず出入するので、これは病気と衰弱の原因となり、なかんずくこれらの工場で一般に見られる伝染性熱病の原因となる。子供が幼年時代にこのように使用されるのは社会の害とならないかということも、大いに問題とされるべきである。彼らの徒弟期間が終った時には、彼らは一般に労働に堪えないほど衰弱してしまい、また外のどんな仕事もすることが出来なくなっている。女は裁縫や編物やその他良妻賢母となるに必要な家事を全然教えられない。これが彼らにとっても社会にとっても極めて大きな不幸であることは、農業労働者の家族と工業労働者一般のそれとを比べてみればまざまざとわかることである。前者では清楚と清潔と愉楽とが見られるが、後者では、その労賃が農夫の二倍になることもあるのに、汚穢と襤褸と貧困とが見られるのである。早期の宗教的教育と模範とがなく、またこれらの建物には多数のものが差別なく一緒にいるので、彼らの将来の身持に悪い影響が与えられることも、附言しなければならない1)。」
1) P. 219. これらの害悪を救治するために努力が払われており、そしてある工場では成功を見た、とエイキン博士は云っている。この問題に関し議会の法律も最近通過しているが、多くの好結果がこれにより生ぜんことを希望にたえない。
『右の一節に述べてある害悪に加えて、世間の嗜好の気紛れや戦争という突発事件から特殊の工業がいかに倒れる危険があるものかは、吾々がすべて知るところである。スピタルフィールドの織物業者は、絹に代ってモスリンが流行したので最も甚だしい困窮に陥ったし、またシェフィールドとバアミンガムの多数の労働者は、靴の締金と金属ボタンの代りに靴紐と蔽いボタンが用いられたために一時失業させられた。我国の工業は、全体としては極めて急速に増大したが、しかし特殊の場所では失敗している。そしてこの失敗の起った教区はいずれも最も困窮した悲惨な貧民の大群を背負わされているのである。右に言及したエイキン博士の書物によると、マンチェスタの僧院教会の記録簿は、一七九三年のクリスマスから一七九四年のクリスマスまでに、結婚一六八、洗礼五三八、埋葬二五〇の減少を示していることがわかる。附近のロッチデイル教区においては、人口に対する減少の比率はいっそう憂鬱である。一七九二年には、出生は七四六、埋葬は六四六、結婚は三三九であった。ところが一七九四年には、出生は三七三、埋葬は六七一、結婚は一九九となった。この突然の人口に対する妨げの原因は、この頃に生じた戦争の勃発と商業信用の破綻にあるのであり、そしてかかる妨げがこのように突然生ずるのは、必ずや最も激しい困窮によって生じたのに違いないのである。(訳註――エイキンからの引用文からここまではかなりに第五―六版の分と一致する。)
『かかる事情の下においては、工業による一国の富の増加が、社会の下層階級に、平均して、人生の必要品及び便宜品に対する決定的により大なる購買力を与えない限り、彼らの境遇が改善されるとは思われないであろう。
『食物の価格が騰貴すれば、若干の追加的資本は直ちに農業方面に向うこととなり、かくて生産物は遥かに増加する、とおそらく云われるであろう。しかし、こういう結果は、なかんずく食物の価格騰貴に先立って農業に影響を及ぼす重税と労働の価格騰貴とが生ずる場合には、往々にして極めて緩慢にしか生じないことである。
『国の資本が増加し、その結果としてその資本が雇傭し得る者を養うに足る食物を輸入することが出来るようになる、とも云われるかもしれない。大きな海軍と大きな国内運輸の便とを有つ小さな国は、なるほど食物の有効量を輸入し分配することが出来るかもしれない。しかし大きな土地資源国と呼ばれ得る国では、常に需要に適度の輸入をするというわけには行かないのである。
『その領土と人口との大きさから云って、必ずや自国の土地の生産物でその人口の大部分を養うはずであるがしかも平年にはその消費する穀物の小部分を外国から得るという国は、供給の一定という点に関しては、その食物のほとんど全部を他国から得る国よりは、遥かに危険な地位にあるものであるということは、少からず注意されないでいるように思われる。オランダやハンブルグの需要は、それに供給するものにはかなりに正確にわかるであろう。もし需要が増加するとしても、その増加は緩慢であり、そして年々莫大な突発的な変動を蒙ることはない。しかし英蘭イングランドの如き国については事情は異る。仮りにそれが平年に約四十万クヲタアの小麦を必要とするものとしよう。かかる需要はもちろん極めて容易に充たされるであろう。しかしひとたび凶年となれば、需要は突然二百万クヲタアとなる。もし需要が平均して二百万クヲタアであったならば、それはおそらく、穀物輸出を常とする国の農業の拡張によって、十分供給され得たであろうが、しかしこの場合には、それは容易にこのように急激に充たされ得るとは期待し得ない。そして実際吾々は、この種の異例の需要が、それに対する支払能力を有つ国において生ずる時には、ヨオロッパのあらゆる港における小麦の価格を必ず極めて著しく騰貴せしめるものなることを、経験上知っているのである。ハンブルグやオランダやバルチック諸港は過般の凶作中英蘭イングランドの価格騰貴に極めて敏感に応じたのであり、また私は、非常に確かな筋から、ニュウ・ヨオクのパンの価格はロンドンの最高価格にほとんど劣らないと聞いているのである。(訳註――このパラグラフの一部については、第六版の第十一章の第十番目のパラグラフを参照。)
『大きな領土を有つ国は、その人口のうち商業に従事する部分が、その耕作者の剰余生産物と等しいかまたはこれ以上に増加した場合には、その生活資料についての右の如き不確実性を不可避的に免れ得ない。この場合において輸出という形の予備は何も残されていないのであるから、気候の不順によるあらゆる食物不足の結果は、必ずや全幅的に感ぜられなければならない。そしてかかる国の富によって、一定の期間は労働の名目価格は引続き引上げられており、ために社会の下層階級は高い価格で輸入穀物を購買する力を与えられるかもしれないけれども、しかし突然の需要が十分に充たされることはほとんど滅多にあり得ないのであるから、市場における競争の結果として、食物の価格は、労働の価格の騰貴にたっぷり比例するだけ、あまねく騰貴することとなり、下層階級はほとんど救済されず、そして食物の欠乏は社会のあらゆる階級を通じて暴威を振うことであろう。
『自然的過程によれば、あらゆる土地資源国は時々凶年の囘起に見舞われざるを得ない。従ってそれは常に吾々が考慮に入れておくべきことである。そして、労働の維持のための基金が季節の不順に見舞われるごとに大きな急激な変動を蒙る国の繁栄は、決して安全なものでないと考えて間違いないのである。
『しかし差し当り凶年を問題外とすれば、ある国の商業人口が耕作者の剰余生産物を著しく超過し、従って輸入穀物に対する需要が容易には充たされず、そして価格が労賃の価格に比例して騰貴する場合には、富がそれ以上増加しても、それは労働者に生活必要品に対するより大なる購買力を与える傾向はないであろう。富の増進につれてこれは当然に起るべき事実であるが、その原因は、必要な供給が大であるためか、輸入距離が増大し従って輸入費が増大するためか、輸入の通常の相手国でその消費が増大するためか、または――これは不可避的に生ぜざるを得ないことであるが――相手国における国内輸送の距離が必然的に増大するためか、である。かかる国は、勤労を増大し、また機械の改良における才能を増大して、その工業品の年生産量を更に増加し続けることが出来るかもしれない。しかしこの国の労働の維持のための基金、従ってまたその人口は、全く停止的となるであろう。この点があらゆる商業国の人口に対する自然的限界である1)。(訳註――このパラグラフのこれ以下は第三―四版のみ。)この限界から遠く距っている国でも、商工業の進行が農業の進行よりも早い時には、常に上述せるところに近い結果が生ずるであろう。過去十年ないし十二年間、英蘭イングランドの土地及び労働の年生産物が極めて急速に増加したことは、疑問の余地がない。しかし労働者の真実報償は、それに比例して増加していないのである。
1) Sir James Steuart's Political Economy, vol. i. b. i. c. xviii. p. 119.(訳註――この註のこれ以下は第三―四版のみ。)革命前のオランダはおそらくほとんどこの点に到達していたが、しかしながらそれはより以上の外国穀物の獲得の困難によるよりは、この第一生活必要品に課せられた非常な重税によるものである。ヨオロッパのあらゆる土地資源国は、現在、確かにこの点から非常に遠く距っている。
『一国民の(訳註――このパラグラフ以下最後までについては、第五―六版の最初から第十番目のパラグラフ以下を参照。)資本または収入のあらゆる増加は、労働の維持のための真実基金の増加とは考え得ず、従って貧民の境遇に対し同じ好結果を有ち得ないことは、この議論を支那に当てはめてみればはっきりわかるであろう。
『スミス博士は、支那はおそらく長い間その法律と制度との性質が許す限り富んでいたのであり、また法律と制度とが違い、また外国貿易が尊重されたならば、更にいっそう富むことが出来たかもしれぬ、と云っている。問題は、富のかかる増加が、労働の維持のための真実基金の増加であり、従って支那の下層階級の人民をより豊かならしめる傾向があろうか、ということである。
『もし取引と外国貿易とが支那において大いに尊重されたならば、労働者の数は多く労働は安いので、支那は、外国販売用の工業品を多量に作ることが出来ることは明かである。同時に支那は、食料品は莫大にあり領域は広大なので、輸出と引替えに、この国の生活資料の年貯蔵が眼につくほど増すほどの分量を輸入することが出来ないということも、これと等しく明かである。従ってその多量の工業品は、主としてこれを世界のあらゆる地方から蒐集した奢侈品と交換することになるであろう。現在、労働は余すところなく食物の生産に充てられているように思われる。この国はその資本が雇傭し得るところに比して人口過剰であり、従って労働は極めて豊富であってこれを節約するの労は何も払われていない。その結果はおそらく、土地が与え得る最大限の食物生産である。けだし、農業労働節約の過程は、農業者が一定分量の穀物をより低廉に市場にもたらすことが出来るようにはするけれども、生産物の全量はこれによって増加するよりむしろ減少する傾向があることは、一般に認められるであろうからである。支那において外国貿易のための工業品を作るため巨額の資本を使用すれば、この事態を変更しそしてある程度この国の生産物を減少せしめる程度の労働者を必ず農業から奪うに違いない。工業労働者に対する需要は当然に労働の価格を騰貴せしめるが、しかし生活資料の量は増加しないから、食物の価格はこれと歩調を共にし、または食物の分量が実際減少しているならば、これと歩調を共にして余りあるほどにさえなるであろう。しかしながらこの国は明かに富の発達を遂げていき、その土地と労働の年生産物の交換価値は年々増加するであろう。しかし労働の維持のための真実基金はほとんど停止的であり、または退歩的でさえあろう。従ってこの国の富の増加は、貧民の境遇を向上せしめるよりむしろ低下せしめる傾向があるであろう1)。生活の必要品の購買力の点では、彼らは以前と同一のまたはむしろより悪い状態になり、しかもその多数は健康な農業労働を不健康な工業という職業に代えていることであろう。
1) 支那の貧民の境遇は現在なるほど極めて悲惨であるが、しかしこれは外国貿易がないからなのではなく、彼らが極度に結婚し増加する傾向を有っているからである。そしてもしこの傾向が傾向が依然続くとすれば、工業者をより多数ならしめてしかも下層階級をより富ましめ得る唯一の途は彼らの死亡率の増大であろうが、これは確かに極めて望ましい致富法ではない。
『この議論はおそらく支那に当てはめてみた時にいっそう明かになると思うが、それは支那の富が長い間停止的でありその土地が極点まで耕作されていることは、一般に認められているからである。その他の国に関しては、比較される二つの時期のいずれの方が富が最も急速に増加しつつあったかは常に議論の的となるであろうが、けだし、スミス博士の言によれば、貧民の境遇が依存するのは特定の時期における富の増加の速度であるからである。しかしながら、二つの国がその土地と労働の年生産物の交換価値において正確に同一速度で増加しても、もし一方が主として農業に従事し、他方が主として商業に従事する場合には、労働の維持のための基金従ってまた各国における富の増加の結果が極度に異るものとなることのあるのは、明かである。主として農業に従事する国においては、貧民はより豊かに生活し、人口は急速に増加するであろう。主として商業に従事する国においては、貧民は割合にほとんど利益を蒙らず、従って人口は停止的であるか、または極めて緩慢に増加するに過ぎぬであろう1)
1) 労働貧民の境遇は、彼らの習慣が同一であると仮定すれば、より大なる生活資料の購買力を彼らに与える以外に本質的に改善せられ得ない。しかしこの種の利益はいずれもその性質上一時的であり、従って実際は彼らの習慣の永久的変化に比すれば彼らにとり価値の劣るものである。しかし工業品は愉楽品に対する嗜好を喚起するので、かかる習慣の有利な変化を促進する傾向があり、かくしておそらくその一切の不利益を相殺するものである。農業のみを行う国の労働階級は、工業国ではしばしば最も激しい困窮を惹き起す時々の変動を蒙ることは少いけれども、一般に全体として工業国におけるよりも貧しいものである。しかし貧民の習慣の変化は、これを本書の後の方で考察する方が適当である。』
 以上は第二―四版の文である。そこでしからばこの第二―四版と第一版との関係はどうであるかというに、第二版は第一版の文に対し次の三つの相違点を有っている。
一、文章全体に亙って美文調のところが修正される等の用語上の修正が多数にあること。
二、章の中央部が長文に亙って書き改められたこと。
三、右の第二―四版の分の終りから二番目の『支那の貧民の境遇は、云々』の註が第二版より加えられたこと。
 右の一及び三は別として、二について云えば、右の第二―四版における、
『問題は、かくの如くして増加しつつある富が……』
から始まって、
『一国民の資本または収入のあらゆる増加は、……』
の前までのところが、第一版の削除された分に代って第二版以後に加えられたものである。その際削除された第一版の分は次の通りである、――
『問題は、かくの如くして増加しつつある富が、労働貧民の境遇を改善する傾向があるか否か、ということである。労働の価格が一般的に騰貴しても、食物の貯えが同一である限り、それに続いてすぐ食物の比例的騰貴が起らなければならぬから、それは単に名目的騰貴であり得るに過ぎない、というのは自明的命題である。右に仮定した労働の価格の騰貴は、従って、労働貧民に生活必要品のより大なる購買力を与える上では、何の永久的結果も伴わないであろう。この点においては彼らは従前とほとんど同一の状態にあろう。他の一つの点では彼らの状態はいっそう悪くなるであろう。彼らのうち工業に従事するものの比率は増大し、農業に従事するものの比率は減少するであろう。そしてこの職業変換が、思うに、人間の嗜好が気紛れなことや戦争という突発事件やその他の原因と並んで、幸福の一本質的因子たる健康に、極めてよくないものであることは、何人によっても認められるであろう。
『私が仮定したような事例は起り得ないのであり、けだし食物の価格が騰貴すれば、若干の追加資本は直ちに農業方面に向うこととなるからである、とおそらく云われるかもしれない。しかし、これは極めて緩慢にしか生じないことなのであり、けだし食物の騰貴する前に労働の価格が騰貴するのであり、従って労働の価格騰貴は、土地生産物の価格騰貴が本来ならば齎らすべき農業に対する好結果をそこねてしまうことを、注意しなければならぬからである。(訳註――このパラグラフは大いに修正された後、第二―四版に再録されている。その箇所を参照。)
『国の資本が増加し、その結果としてその資本が雇傭し得る者を養うに足る食物を輸入することが出来るようになる、とも云われるかもしれない。例えばオランダの如き、大きな海軍と大きな国内運輸の便とを有つ小さな国は、なるほど食物の有効量を輸入し分配することが出来るかもしれない。しかし、この点において、事情が不利な大国において、かかる輸入と分配とを有利ならしめるためには、食物の価格は極めて高くなければならない。(訳註――同上。)
『正確に私が仮定したような事例はおそらくあったことがないかもしれない。しかしそれに近い事例は、それほど苦労して探さなくとも見附かることを、私は疑わない。実際私は革命以来の英蘭イングランドそのものが、問題の論点を明かにする著しい例であると、強く考えているのである。
『我国の商業は、国内通商も外国貿易も、確かに前世紀中に急速に発展した。その土地と労働との年生産物のヨオロッパ市場における交換価値は、疑いもなく著しい増加を遂げた。しかし検討を加えてみると、増加は主として労働の生産物にあったのであり、土地の生産物にはなかったことが、わかるであろう。従って、我国の富は急速な歩調で増加しつつあったけれども、労働の維持のための有効基金は極めて緩慢にしか増加しつつあるに過ぎなかった。そしてその結果は予期し得た通りである。我国の富の増加は労働貧民の境遇を改善する傾向はほとんどまたは全くなかった。彼らは思うに、生活の必要品及び便宜品に対するより大なる購買力は有たず、そして彼らのうち革命当時より遥かにより大なる比率のものが、工業に従事し、息苦しい不健康な室に密集しているのである。
英蘭イングランドの人口は革命以来減少しているというプライス博士の説を信ずることが出来るならば、労働の維持のための有効基金は、他の点においては富が増進している間に、減少しつつあったということにさえなるであろう。けだし、私は、もし労働の維持のための有効基金が増加しつつあるならば、換言すれば、より多数の労働者を国土が維持することが出来、また資本が雇傭することが出来るならば、プライス博士が列挙している如き戦争があっても、この人口増加はすぐ生じてくる、ということは、一般原則として樹立し得るものと考えるからである。従って、ある国の人口が停止的であるか退歩的であるならば、それが工業上の富においていかに進歩を遂げていても、その労働の維持のための有効基金は増加し得なかったのだと推論して間違いないであろう。
『しかしながら、英蘭イングランドの人口が革命以来減少しつつあると考えることは困難である。もっともあらゆる証拠は一致して、その増加は、仮に増加があったとしても、極めて緩慢であったことを、説明しているが。この問題から起った論争においては、プライス博士は疑いもなく、その反対論者よりも、その問題に通暁しており、またより正確な資料を有っているように思われる。この論争だけから判断すれば、プライス博士の論点の方がハウレット氏のそれよりも事実に近いと云ってよいように思う。真理はおそらく二説の中間にあるのであり、このように仮定すれば、革命以来の人口増加は、富の増加に比較すれば極めて緩慢であったということになる。
『前世紀間に、土地の生産物は減少しつつあったとは、またはそれが絶対的に停止的であったとすら、考えるものはほとんどないであろう。共有地や荒蕪地の囲込は確かに国の食物を増加する傾向があるが、しかし、共有地の囲込はしばしば反対の結果を生じ、従前には多量の穀物を生産した大農地は牧場にかえられたので囲込以前よりも人を養うことは少い、と確信をもって主張されている。実際、牧場地は、同一の自然的肥沃度を有つ穀物地よりも少量の人類の生活資料しか生産しないというのは、周知の真理である。そして、最良質の食肉に対する需要の増加と、その結果たるその価格の騰貴により、ますます多量の良質の土地が年々牧場に充てられているということが、明かに確証し得るならば、この事情によって生ずる人類の生活資料の減少は、荒蕪地の囲込と農耕上の一般的改良により得られる利益を相殺してしまったかもしれない。
『現在食肉の価格が高く従前にはそれが低かったのは、前者の場合にはそれが少く後者の場合にはそれが豊富なためではなく、市場に出す家畜を飼う費用が時期を異にするにつれ相違するからである。しかしながら現在よりも百年前の方が国内に家畜が余計いたということはあり得ることであるが、しかし市場に齎らされる優等質の肉が、過去のいずれの時代よりも現在の方が遥かに多いことは、疑いがあり得ない。食肉の価格が極めて低かった時には、家畜は主として荒蕪地で飼育され、そして若干の主要市場向けのものの外は、おそらくほとんど肥育を行わずに屠殺された。現在遠隔の州で極めて低廉に売られている犢肉は、ロンドンで買うものとは、名前の外にはほとんど似るところがない。従前には、食肉の価格は飼育費を償わず、従って耕作に適する土地で家畜を養育しても滅多に割に合わなかった。しかし現在の価格では啻に最良の土地で肥育しても償うばかりでなく、また穀物がよく出来る土地で多数飼育することさえ許すほどであろう。同数の家畜または同量の家畜は、時期を異にするにつれて、屠殺の時までに、(こういう表現が許されるならば)極めて異る量の人類の生活資料を消費しているのである。肥育した獣は、ある点においては、フランスのエコノミストの用語をもってすれば、不生産的労働者と考えてよい。すなわち彼は自分の消費した粗生生産物の価値に何も附け加えないのである。現在の牧畜法は、従前の方法よりも、疑いもなく、土地の一般的肥沃度に比例して国内の人類の生活資料の量を減少する傾向が多いのである。
『私は、従前の方法を継続することが出来るはずだとか、継続すべきであるとか云おうとするものと、考えられては困る。食肉の価格の騰貴は、耕作の一般的進歩の自然的不可避的結果なのである。しかし私は、最良の質の食肉に対する現在の大きな需要と、その結果としてこれを生産するために年々用いられている多量の良質の土地と、並びに現在遊楽のために飼われている多数の馬とが、国内の人類の食物が土壌の肥沃度の一般的増大と歩調を共にするのを妨げている、主たる原因であると考えざるを得ない。そしてこれらの点に関する慣習の変化が、国内における生活資料の分量と、従ってまたその人口に対し、はっきり眼に見える影響を及ぼすべきことを、私はほとんど疑わないのである。
『最も肥沃な土地の多くを牧畜に使うこと、農具の改良、大農場の増加、なかんずく国内を通じての農家数の減少は、すべて相共に、現在おそらく、革命当時ほどの多数の人間が、農業労働に従事していないことを証明している。従って、人口増加がどれだけ生じたにしたところで、それはほとんど全く工業に使用されているに違いない。そして、単に、絹に代るモスリンの採用、靴の締金や金属ボタンに代る靴紐や蔽いボタンの採用という如き、流行の気紛れによる、これら工業の若干の破綻が、会社や教区法による労働市場の圧迫と相俟って、しばしば多数の人間をして慈善に生活を求めるの余儀なきに至らしめたことは、周知のことに属する。貧民税の著しい増加は実際それ自身貧民が生活の必要品及び便宜品に対するより大なる購買力を有たないことの有力な証拠である。そして、この点における彼らの境遇は改善よりはむしろ悪化されているという考察に加えるに、彼らのうち遥かにより大なる比率のものが健康にも徳性にもよくない大工場に使用されているという事情をもってするならば、近年の富の増加は労働貧民の幸福を増加する何らの傾向も有たなかったと、認めなければならないのである。(訳註――同上。)
『一国民の資本または収入のあらゆる増加は、……』
[#改丁]

第十四章 一般的観察

(訳註――本章は第二版より現わる。)

 多くの国は、その人口が最大の時期に最も豊かな生活をし、そして穀物を輸出することが出来たが、しかしその人口が極めて少かった時期には、継続的貧困と欠乏の生活をし、そして穀物を輸入せざるを得なかった、と云われている。エジプトやパレスチナやロウマやシシリイやスペインはこの事実の特によい例として挙げられている。そして、極点まで耕作されていない国における人口の増加は、社会全体の相対的食物量を減少するよりはむしろ増加する傾向があるのであり、またケイムズ卿の云う如くに、農業は消費者数に比例して食物を生産する特性を有っているから、一国は農業に対し人口過剰には容易になり得ないものである、と推論されている1)
 1) Sketches of the History of Man, b. i. sketch i. p. 106, 107. 8vo. 1788.
 これらの推論の元になる一般的事実はこれを疑うべき理由はない。しかしこの推論はその前提からは決して生れてくるものではない。農業は(前述の如くに)、ことにそれがよく行われる場合には、それが雇傭する以上に多数の人口の食物を生産する性質を有っている。従ってこれらの社会員、すなわちサア・ジェイムズ・スチュワアトが自由員と称したものが、剰余生産物によって養い得る人数の限界に達するほど増加しなければ、国の全人口は農業の進歩率に応じて長い間引続き増加し、しかも常に穀物を輸出することが出来るということになろう。しかしこの増加は、一定期間後には、自然的無制限な人口増加とは極めて異るものとなるであろう。それは単に農業の漸進的改良による生産物の緩慢な増加に追従するに過ぎず、そして人口はやはり生活資料獲得の困難により妨げられるであろう。かかる事情に置かれた国の人口の正確な尺度は実際食物の分量ではなくして――けだしその一部分は輸出されるから――仕事の量である。しかしながらこの仕事の多少は、必然的に、下層階級の人民の食物獲得能力が依存する労働の労賃を左右するであろう。そしてその国の仕事の増加が緩慢であるか急速であるかに従って、この労賃はあるいは早婚を妨げたり促進したりし、あるいは労働者をしてわずか二、三人の子供を養い得せしめたり五、六人もの子供を養い得せしめたりする如き額となるであろう。
 この場合(訳註)及び既に考察を試みた一切の場合と制度において、人口の増加は主として労働の真実労賃によって左右され制限されると述べたのであるが、その際、実際上は、生活必要品で測定した一日の労働の現在労賃は、常に必ずしも、下層階級が消費し得るこれら必要品の量を正確に現わすものではなく、時として超過したり不足したりすることを、注意する必要がある。
〔訳註〕これを含んで以下九パラグラフは第五版より現わる。
 穀物とあらゆる種類の貨物との価格が騰貴しつつある場合に、労働の貨幣労賃は常に必ずしもこれに比例して騰貴しない。これは外見的には労働者階級にとって不利益のようであるが、これは時に、仕事の量が多かったり、たくさんの賃仕事があったり、婦人小児が大いに家計を助ける機会を与えられたりして、償われて余りあるものである。この場合には、労働階級の生活必要品の購買力は、その労賃の現在率が示すよりも遥かに大であり、もちろん人口増加に対して比例的により大なる影響を与えるであろう。
 他方において、価格が一般的に下落しつつある時に、労賃の現在率が比例的に下落しないことがしばしばある。しかしこの外見的利益は、同様に、仕事が少かったり、働く能力と意思とを有つ労働者の全家族員に仕事が見つからなかったりして、しばしば相殺されて余りあることとなる。この場合には、労働階級の生活必要品の購買力は、その労賃の現在率が示すよりも明かに小であろう。
 同様に、家族に分配される教区補助金や、賃仕事の慣習的実行や、婦人小児の頻々たる雇傭は、労働の真実労賃の騰貴と同様の影響を人口に与えるであろう。また他方において、あらゆる種類の労働の日払や、婦人小児の仕事の皆無や、慢性的怠惰その他の原因により労働者が一週三、四日しか働かぬという慣行は、労働価格の下落と同様の影響を人口にに与えるであろう。
 これら一切の場合において、食物で測定した一年を通じての労働階級の真実所得は、外見的労賃とは異るものである。しかし、結婚の奨励や子供の扶養力を決定するものは、明かに、一年を通じての労働階級の家族の平均所得であり、単に食物で測定した一日の労働の労賃ではないであろう。
 この極めて本質的な点に注意すれば、何故なにゆえに多くの場合、人口の増加がいわゆる労働の真実労賃なるものによって左右されるように思われず、また何故なにゆえに、一日の労働の価格が中等量以下の穀物しか買えない時の方が、むしろそれ以上買える時よりも、人口増加が往々にして大であるかの、理由を説明するであろう。
 例えば我国において、前世紀(訳註――十八世紀)の半ば頃、穀物の価格は極めて低く、そして一七三五年ないし一七五五年の二十箇年間を通じて、一日の労賃で平均一ペックの小麦を買うことが出来た。この期間中人口は適度の率で増加したが、しかし一日の平均労賃では一般に一ペックの小麦も買うことが出来なかった一七九〇年ないし一八一一年と同一の速度では、決して増加しなかった。しかしながら、後者の場合には、より急速な資本の蓄積とより大なる労働需要とがあった。そして食料の継続的騰貴の方が労賃の騰貴より依然大であったけれども、しかし働く意思のある者には誰にも仕事はより十分にあり、賃仕事の量はより多くあり、工業品に比較して穀物の相対価値がより高く、馬鈴薯の使用がより多く、教区補助金により多くの額が分配されたので、社会の下層階級は疑いもなくより多量の食物の購買力を得たのであって、この後者の期間における人口のより急速な増加は、一般原則と全く一致して、これによって説明されるであろう。
 同様の理由により、気候温暖にして土壌は肥沃であり、穀物が低廉なところで、一日の労働で得られる食物の量からすれば現に起っている人口増加よりも急速な人口増加が起るはずであるのにそうはなっていない場合があるとしても、この事実は、もし悪政によって育まれた慢性的怠惰の習慣と労働に対する需要の弛緩とが恒常的雇傭なるものを妨害していることがわかれば、十分に説明がつくであろう1)。労働日数がわずか一年の半分にしかならぬ場合には、停止的人口を養っていくだけにも、云うまでもなく、一日の労働に対する高い穀物労賃を必要とするであろう。
 1) このことは、アメリカにおけるスペイン領のある地方の人口増加が、合衆国におけるその増加に比較して、緩慢なるによって、例証される。
 慎慮的な習慣が広く行われ、生活の便宜品及び愉楽品に対し決定的な嗜好が存する場合にもまた、仮定によればかかる習慣や嗜好は早婚に対する奨励たる働きはせず、そして事実上ほとんど全く穀物の購買に費されるわけではないから、人口は、他の事情にして等しい限り、労働の穀物労賃が同じほど高い他の国に通常見られると同一の比率では増加しないということは、前述の一般原則とは全く一致するものである(訳註)。
〔訳註〕ここまでが第五版より。
 ある国の仕事の量は、もちろん、気候の変化によって生産物の量が必然的に年々変動しなければならぬのと同じに、年々変動しはしないであろう。従って仕事の不足による妨げは、食物の直接的不足による妨げよりも、作用は遥かに一定しており、従って下層階級にとっては遥かに有利であろう。すなわち前者は予防的妨げであり、後者は積極的妨げであろう。労働に対する需要が停止的であるか、または増加が極めて緩慢である時には、人々は家族を養い得る仕事を見つけることが出来ず、または普通労働の労賃がこの目的には足らないで、云うまでもなく結婚を見合わすであろう。しかしもし労働に対する需要が引続き多少の速度で増加しているならば、気候の変化や他国への依存の結果として食物の供給が不確実であっても、人口は明かに増加していき、ついには飢饉または甚だしい欠乏から生ずる疾病によって積極的に妨げられることとなるであろう。
 従って食物の欠乏と極貧とは、事情によって、人口増加に伴うこともあれば伴わぬこともあるであろうが、しかし人口が永続的に減退する時には必然的にこれに伴うものであって、それはけだし、永続的に一国の人口を減退せしめる原因は食物の欠乏以外には今までなかったし、またおそらく将来もないと思われるからである。史上に起った人口減退の無数の事例において、その原因は常に、暴力や悪政や無智から生ずる勤労の欠乏または勤労の誤導にあったのであり、これはまず食物の欠乏を惹起し、そしてもちろんこれに続いて人口の減退が生ずるのである。ロウマが穀物の全部を輸入しイタリア全土はこれを牧場とする慣習を採用したら、その人口はまもなく減退していった。エジプトやトルコの人口減退の原因については既にこれを述べた。そしてスペインの場合には、永久的に人口を阻害したのは、ムウア人の放逐による人口の数的喪失では確かになく、勤労と資本とが放逐されたのによるのである。ある国が暴力的原因によって人口が減退した時には、悪政がその通常の随伴者たる財産の不安固と共に登場するならば(従前よりは現在の方が人口の少い国は一般にそうなのであるが)、食物も人口も恢復することは出来ず、そして住民は激しい欠乏の生活をするであろう。しかし従来は人口が多く勤勉であり、穀物の輸出を常としていた国に、偶発的な人口減退が起る時には、残った住民がその勤労を従前と同じ方向に発揮する自由を有ち、また事実発揮するならば、彼らがこの際従前通り豊富に穀物を手に入れ得ないと考えるのは、奇妙な考えであり、いわんや減少した人口はもちろん主としてその国土のうちより肥沃な部分を耕作することとなり、もっと人口が多かった時の如くに瘠せた土地を耕作する必要がない時においては、いっそうしかりである。かかる状態にある国は明かに従前の人口を恢復するに当り、はじめこの数に到達した時と同一の機会を有つものであり、そして実際ある農業家が想像しているように1)、新植民地が旧国家と同一の速度で増加することは不可能であろう。
 1) 私は中でも特にアンダスン氏を挙げるが、彼は Calm Investigation into the Circumstances which have led to the present Scarcity of Grain in Britain (published in 1801). において、異常に熱心に、また思うに最善の意図をもって、我国民の心裡にこの奇妙な真理を印象づける努力をしている。彼が証明せんと企てている特殊の主張は、耕地が最高可能程度の生産性これはおそらくこの地球上で今までかつて見られたことのないものであるがに達せしめられていない国において人口が増加すればその生活資料はこの人口増加によって必然的に減少するよりはむしろ増加しその反対もまた事実である、ということである。この命題はその表現が確かに漠然としているが、その意味は前後の関係からすれば、明かに、人口が増加するごとに食物の相対的豊富は増加する傾向があり、その反対もまた事実である、というにある。彼はその証明の結論として、彼がかくの如くに提出し関連せしめた事実が、(我国の人口が従来よりも遥かに大きな比率で増加するとしても)この増加人口を維持すべき豊富な食物を我国が生産する可能性を疑うものの、危惧を除去するに役立たないならば、彼は死人が甦って彼らのそのように告げても彼らがこれを信ずるかどうかを疑う、と述べている。私は、国民的勤労の大部分を農業に向けることが重要であるという点については、全然ア氏に同意するが、しかし彼は、一国は、その勤労を一定の方向に向ければ、極めて人口が多くとも、常に穀物を自給し得るものであるという事情から、農業国は無限の人口を養い得ると仮定する奇妙な誤謬に陥ることとなったのである。
 人口の問題に関する偏見は、昔正金に関して行われた偏見と非常によく似ている。そしてこの正金に関する偏見が改まるには多大の年月と困難を要したことは、吾々の知るところである。政治家は有力な繁栄した国家がほとんどいずれもその人口が多いのを見て、結果を原因と錯覚し、繁栄が人口の原因ではなく人口が繁栄の原因であると結論しているが、これは昔の経済学者が、正金の量が豊富なのは国富の結果なのではなく、その原因であると結論したのと同様である。双方の場合において、土地と労働との年産物は従って第二義的なものとなり、そしてその増加は当然、一方の場合には正金の増加に、他方の場合には人口の増加に、随伴するものと考えられた。ある国の正金の量を強力的方法で増加せんと努めることの愚かと、人間の考え得る法律をもってしてはこれをある程度以上に蓄積することの絶対的不可能とは、今では十分に確証され、そしてスペインやポルトガルの例によって完全に例証されている。しかし人口に関しては幻想はなお残っており、そしてかかる印象の下に、ほとんどあらゆる政治論文は、人口を養う手段には割合にほとんど全く言及せずしてただ徒らに人口増加の奨励を提唱している。しかし確かに、ある国の流通貨物を増加せずに正金の量を増加せんと努めるの愚は、人口を養うべき食物を増加せずに人口を増加せんと努めるの愚以上に出ずるものではない。そして一国の人口を人間の法律をもってしてはこれ以上には増加し得ないという水準は、正金蓄積の限界よりもいっそう強固な、いっそう打越え難いものであることが、見られるであろう。その土地と労働との生産物が需要するよりも、また他国の相対的状態よりも、遥かに多量の正金を国内に保持する手段を案出し得るということは、実際にはあり得ないことであるとしても、考えてみることは出来るわけである。しかし大きな奨励によって人口が著しく増加し、ために生産物を各人に辛うじて生命を維持し得る程度しか与え得なくなった時には、いかに智恵を働かせても人口をそれ以上増加する可能性は、ただこれを考えてみるだけでもあり得ないのである。
 本書の前の部分で述べた各種の社会の観察によって見れば、住民が最も野蛮な無智に沈淪しまたは最も苛酷な圧政に圧迫されている国は、その実際人口はいかに少くとも、生活資料との比例では極めて人口稠密なのであり、従って少しでも不作が起れば一般にひどい欠乏に悩んだことが、思うに明かになったのである。無智と暴政とは人口増加を促す情欲を破壊する傾向は少しも有たないように思われるが、しかし理性と先見とによる人口の妨げを著しく破壊する。現在の欲求のことしか考えない無慎慮の野蛮人や、その政治的状態により自分の作物を安全に収穫し得る確信の有てない哀れな農民は、三、四年は彼を襲うとは思われない将来の不便を予想して情欲の満足を思い止ることは滅多にない。しかし無智と暴政に育まれるこの先見の欠如は、かくてむしろ子供の出生を助成する傾向があるものであるのに、それは子供を養うべき勤労に対しては絶対に致命的なものである。勤労は先見と安固なくしては存在し得ない。蒙昧人の怠惰は人のよく知るところである。そして毎年競争入札で貸付ける土地を借入れ、また常に圧制的な支配者の要求と、敵の掠奪と、またしばしばその契約の蹂躪とに曝されている、無資本の貧しいエジプトやアビシニアの農民は、勤勉に努めようという心持になり得ようはずはなく、また仮にそうなったとしても、この勤労をして効果あらしめることは出来ないであろう。勤労に対する大きな拍車と思われる貧困そのものでさえ、ひとたび一定限度を超えればほとんどその作用を演じなくなってしまう。どうにもならぬ極貧は一切の活溌な努力を破壊し、ただ生きるために必要な努力しかさせなくなってしまう。勤労への最良の刺戟は、吾々の境遇を改善せんとする希望と、欠乏に対する恐怖であって、欠乏そのものではない。そして、最も不断の、最もよく指導された努力は、極貧階級の上にある階級の間に、ほとんど常に見られるであろう。
 従って無智と圧制との結果は常に、勤労の源泉を破壊し、従って国の土地と労働との年生産物を減少するにある。そしてこの減少は常に、毎年どれだけの数が生れようとも、人口の減退を伴うものである。なるほどかかる国では、直接の満足を望み、また慎慮による満足の抑制がなくなるので、あまねく早婚を促すであろうが、しかしかかる習慣がひとたび人民を最低度の貧困に陥らしめた暁には、それは明かに人口増加の影響をそれ以上何も及ぼすことは出来ない。その唯一の結果は死亡率に現われてこなければならない。そして、女子で結婚しない者はほとんどなくまたすべて早婚な南方諸国において正確な死亡表を得ることが出来るならば、年死亡率は、予防的妨げの行われているヨオロッパ諸国におけるが如くに三四、三六、または四〇分の一ではなくして、一七、一八、または二〇分の一であることは、疑問がないのである。
 人口の増加は、それが自然的順序に従って生ずる時には、それ自身として一つの大きな積極的善でもあれば、また国の土地と労働との年産物のより以上の増加にとり絶対的に必要でもあることは、私はこれを少しも否定しようとするものではない。唯一の問題は、この増進の順序とは何か、ということである。この点においては、一般にこの問題を極めて正しく説明しているサア・ジェイムズ・スチュワアトも一つの誤りに陥っているように私には思われる。彼は増殖をもって農業の有効原因と断定し、農業をもって増殖の有効原因とはしていない1)。しかし人口が土地の自然の果実をもって容易に生活し得る程度以上に増加したので人間は初めて土地を耕すようになったのであり、また一家を養い、または農業生産物と引替えに何か価値あるものを得たいという目的があるので、これがなお耕作に対する主たる刺戟として働いているものであることは、認め得ようが、しかし何らかの永続的増加人口が養われ得るためには、これに先立って農業生産物がその現実の状態において現在人口の最低欲求以上に存在しなければならないことは、明かである。吾々は、出生の増加が起りながら農業には何の影響も及ぼさず、単に疾病の増加を伴ったに過ぎない、無数の例を知っているが、しかしおそらく、農業の永続的増進がありながら、どこかで人口の永続的増加を伴わなかった場合は、一つもないのである。従って人口が農業の有効原因であると云うよりも、農業が人口の有効原因であると云った方が、妥当なのである2)。もっとも両者は確かに互に反作用し、相互に必然的に協力し合うものではあるけれども、かかるものが実に問題の中心点であると思われるのであり、そして人口に関するあらゆる偏見は、おそらく先後の順序を誤るところから生じたものである。
 1) Polit. Econ. vol. i. b. i. c. xviii. p. 114.
 2) サア・ジェイムズ・スチュワアトは、後に、これは主として、農業生産物に対し何か価値あるものを与え得るものの増殖のことであると云って、弁明しているが、しかしこれは明かに単なる人口増加ではなく、従ってかかる説明は一般命題の不正確を容認するものと思われる。
 『人類の友』L'Ami des Hommes の著者は、農業の衰退が人口に及ぼす影響を論ずる章の中で、彼は前には人口をもって収入の源泉と考えるの根本的誤謬に陥っていたが、後に至って収入が人口の源泉であることを確信するに至った、と述べている1)。この最も重要な区別を注意しないために、政治家は、人口増加という望ましい目的を追及するに当って、早婚を奨励し、家族もちの父親に褒賞を与え、そして独身生活に恥辱を与えているのであるが、しかしこれは、この著者が正しく云っているように、土地に種も蒔かずに肥料と水をやってしかも収穫を期待するのと同じことなのである。
 1) Tom. viii. p. 84. 12mo. 9 vols. 1762.
 農業と(訳註)人口との先後の順序に関してここで述べたことは、本書の初めの方で、人口と食物との増加がその自然的増進の途上に擺動または変動をする傾向があることにつき述べたところを、否定するものではない。この増進においては、人工がある期間食物よりも急速に増加するのは最も普通のことであり、実際そうなるのは一般原則の一部分なのである。そして増加人口が工業に雇われるために、労働の貨幣労賃の下落が阻止される時には、穀物に対する需要の増加により生ずる穀物の価格騰貴は、実際上農業に対する最も自然的な頻々たる奨励たるものである。しかしこの際、人口のより大なる相対的増加は、絶対的には、これに先立ってある時期に人民の最低欲求以上の食物の増加があったことを意味するものであることを、想起しなければならぬ。これがなければ、人口は決して増進し得ないであろう1)
 1) 人口原理によれば、人類は食物よりも急速に増加する傾向を有っている。従ってそれは一国を生活資料の限界まで充満する不断の傾向を有つものであるが、しかし自然の法則によってそれは決してこれ以上には進み得ないものである。ここに云う限界とは云うまでもなく、停止的人口を維持すべき最低量の食物の意である。従って人口は、厳密に云って、決して食物に先行し得ないものである。
〔訳註〕これを含んで以下五パラグラフは第五版より現わる。
 労働の穀物労賃が低いために、期間の長短は別としてある期間、一国の人口が停滞的となるということは、しばしばあることであるが、かかる場合には一般に、前もって食物が増加するか、、または少くとも労働者に与えられる部分が増加した時にのみ、人口が再び前進し得るものであることは、明かである。
 また同様に、労働者の境遇を本質的に改善せんがためには――これは豊かな生活資料の購買力を増加するということであるが――最低の点から出発して、食物の増加が人口の増加に先行しかつこれよりも大であることが、絶対に必要である。
 しからば厳密に云って、人間は食物なくしては生き得ないのであるから、先後の順序において食物が先行しなければならぬことは明かである。もっとも耕作の状態その他の原因により、労働者に与えられる食物の平均量が停止的人口を維持するに足るよりも著しく多い時には、人口増加の傾向によりこの量が減少すれば、これは農業に対する最も有力な不断の刺戟となるべきことは、全く当然であるけれども。
 こういうわけであるから、農業の増進に対する刺戟は、慎慮的抑制の励行その他の原因により労働者の給与がよい時の方が、遥かに容易であるということも、注意する価値がある。けだしこの場合においては、人口の増加か外国の需要かによって穀物の価格が騰貴すれば、しばらくの間農業者の利潤は増加し、従って彼はしばしば永久的な改良が出来るようになるからである。しかるに労働者の給与が少く従ってその労賃を一時的にも減少すれば必ず人口が減少するような場合には、耕作と人口との増進は初めから利潤の下落を伴わなければならぬ。人口に対する予防的妨げの普及と労働者の高い平均労賃とは彼らの一時的増減を防止するよりはむしろ促進するものであり、これは刺戟としては食物と人口との両者の増加に好都合であるように思われる(訳註)。
〔訳註〕ここまでは第五版より。
 人口の問題に関して行われているその他の偏見の一つとして、富者の間で浪費が行われているか、ある国になお未耕地が残っている間は、食物の不足を喞つ正当な理由はないとか、また少くとも、貧民に対する困窮の圧迫は、社会の上流階級の非行と土地管理法の不良とに帰せらるべきである、と一般に考えられている。しかしながら、これら二つの事情の本当の結果は、単に実際の人口の限界を狭めるだけのことであって、社会の下層階級に対する困窮の平均的圧迫と称すべきものには、ほとんどまたは全く影響を有たないものである。もし吾々の祖先が節倹で勤勉であり、またかかる習慣を子孫に伝えたので、現在上流階級は何も余計なものは消費せず、楽しみのために馬を使うこともなく、未耕地は何もないとすれば、実際の人口の多少の上には著しい相違があるであろうが、しかしおそらく、労働の価格や家族扶養の便宜の上での下層階級の人民の状態には、全然何の相違もないであろう。富者の間の消費や楽しみのために飼う馬は、前に支那について述べた醸造のために穀物を消費する例と、同じ影響をいささか有つものである。かくの如くして消費される穀物は凶作の際にはこれを中止して貧民の救済に充て得ることを考えれば、それは確かに、それが行われている限りにおいて、最も必要な時にだけ開かれる穀物倉庫と同様な働きをし、従って社会の下層階級を害するよりはむしろ益する傾向がなければならない。
 未耕地について云えば、それが貧民に及ぼす影響が彼らを害しもしなければ益しもしないものであることは明かである。これを突然耕作すればなるほど彼らの境遇は一時改善される傾向があり、また従来耕作されていた土地の耕作を抛棄すれば確かに彼らの状態は一定期間悪化するであろうが、しかしこの種の変化が行われていない時には、未耕地の下層階級に及ぼす影響は単に所有する領土が狭い場合と同様である。一国が穀物を輸出するを常とするか輸入するを常とするかは、なるほど貧民に多少重要な点であるかもしれぬが、しかしこの点は必ずしも全領土の耕作が完全であるか不完全であるかということとは関係があるものではなく、剰余生産物とこれにより養われる者との比例によって定まることであり、そして実際上この比例は、一般に、全領土の耕作をなお完了していない国において最大なのである。たとえ我国の土地が寸地を余さず十分に耕されているとしても、ただこれだけの事情で、我国は穀物を輸出し得ると期待すべき理由はないであろう。この点に関する我国の能力は、全然、剰余生産物の商業人口に対する比例によって定まるであろう。そしてこの比例はまたそれで、云うまでもなく、資本が農業に向けられているか商業に向けられているかという事情によって定まるであろう。
 広大な領土を有つ国が完全に耕作されるに至るということは、永久にありそうもないことである。そして私は、国々には未耕地があるという外観からその国の産業や政治を攻撃するという、極めて軽率な結論をしばしば下しがちであると、考えざるを得ない。土地の囲込と耕作に対する一切の障害を除去しこれにあらゆる便宜を与えるのは、あらゆる政府の明瞭な義務と思われるが、しかしこれが実行された上は、その他のことは個人的利害の作用に委ねられなければならない。そしてこの原則によれば、新らしい土地の開墾に必要な肥料と労働を既耕地の改良に用いた方が有利である限り、開墾が行われようとは期待し得ない。広大な領土を有つ国には常に多くの中等度の土地があるのであり、その質の悪化を防止するためには絶えず施肥の必要があるのであるが、しかしより多量の肥料と労働を投ずることが出来ればこれは極めて大きな改良の余地があるものである。土地改良に対する大きな障害は、十分な分量の肥料の獲得が困難であり、高価であり、また時に不可能であることにある。従ってこの改良手段は、理論上はともかく実際上は限られているのであるから、問題は常に、いかにすればそれは最も有利に用い得るかということになるであろう。そしていかなる場合においても、新らしい土地を開墾するために用いられる一定量の肥料と労働とを既耕地に投じた方が永続的により大なる生産物を生ずる場合には、開墾によって個人も国民も共に損失することとなる。この原則によれば、農業者がある場合にその最劣等地に肥料を決して施さず、それからは単に三、四年ごとにわずかの収穫を得るに止め、彼らとしては実際上は限られている肥料の全部を、より大なる比例的収穫を産する農場に用いるというのは、珍らしいことではないのである。
 云うまでもなく、領土は狭少で人口は多く、自国の土地から得られたものではない基金によって養われている国においては、事情はこれと異るであろう。この場合には土地を選んでいる余地はほとんどまたは全くないが、肥料は割合に豊富であろう。そしてかかる事情の下においては、最劣等地も開墾されることとなろう。しかしそのためには、必要なのは単なる人口ではなく、漸次に自国の耕作を改良しながら同時に他国の生産物を獲得し得るような人口である。そうでなければ人口は直ちに、この狭い瘠せた国土の僅少な生産物に比例して減少し、土地の改良はおそらく決して行われず、また仮に行われたとしても著しく緩慢であり、そして人口は常に正確にこの緩慢な比率によって規制されてこれ以上に増加することは出来ないであろう。
 これはブラバントのカンピイヌ地方の耕作で例証されているが、この地は、マン僧正によれば1)、本来最も乾燥した砂地であった。これを開墾しようという企てが再三私人によって行われたが、いずれも失敗した。これは、この地方の耕作が、農事企画としては、またそれのみを当てにしたのでは、割に合わぬことを証明するものである。しかしながらついに若干の宗教団体の家族がここに定着し、そして他の基金で衣食し、土地の改良は第二義としたので、彼らは数世紀の間に漸次そのほとんど全部を開墾し、改良が十分に行われると共に、これを農業者に貸付けていったのである。
 1) Memoir on the Agriculture of the Netherlands, published in vol. i. of Communications to the Board of Agriculture, p. 225.
 いかなる瘠地でも、このような方法で、また工業都市の密集人口により、富んだものとされ得ないような土地はない。しかしこれは決して、人口と食物について人口が先行するということを、証明するものではない。けだしこの密集人口は、ある他の地方の剰余生産物に前もって適量の食物が存在しなければ、存在し得ないからである。
 ブラバントやオランダの如くに、必要なものは肥料ではなく土地であるという国においては、カンピイヌの如き地方はおそらく有利に耕作され得よう。しかし広大な領土を有ち、中等度の土地を多量に有つ国においては、かかる土地を耕作しようと企てるのは、個人的資源と国民的資源との明かな誤用であり浪費であろう。
 フランス人は既に、劣等地を余りに多量に開墾するというこの誤りに、気がついている。彼らは今では、これを優等地のより以上の改良に用いれば永久的によりよい結果を生じたはずの労働と肥料との一部分を、このようにして使ってしまったことを、覚ったのである。耕作も人口もあれほど高度に達している支那においてすら、ある地方には瘠せた不毛の地があると云われているが、これは、人民は食物に困っているように思われるのに、かかる土地にその肥料を少しでも使用するのが割に合わぬことを証明するものである。これらの記述は、広い劣等地を耕すには必ず種子が多量に無駄になるに違いないことを考えれば、更にいっそう確証されるであろう。
 従って吾々は、他に証拠もなしに、未墾の不毛地があるという外見だけで、一国の国内経済をくさすような推論を早急に下すべきではない。しかし実際のところは、いかなる国も生産物の最高極点に到達したことはなく、またおそらく将来も決して到達することはないであろうから、常に、生産物と人口とのより以上の増加に対する現実の限界は、勤労の欠乏またはこの勤労の誤用であるという形をとるのであって、自然がより以上の生産を絶対に拒否するという形はとらないのである。しかし室内に閉じ込められた人は、たとえその壁に触れなくともやはり壁で制限されていると立派に云うことが出来よう。そして人口原理について云えば、一国がより以上生産するか否かは決して問題ではないのであり、それは人口のほとんど妨げられない増加と歩調を合わせるに足るだけを生産せしめられ得るか否かが問題なのである。支那においては、問題は、耕作の改良により米のある追加量が生産され得るか否かにはなく、これ以上の三億人を養うに足るほどの追加量が次の二十五年間に期待し得るか否かにある。そして我国においては、一切の共有地を耕作することにより現在よりも著しく多量の穀物を生産し得るか否かが問題なのではなく、次の二十五年後には二千万、また次の五十年後には四千万となる人口に対し十分なものを生産し得るか否かが問題なのである1)
 1) ここに言及した資源の著しい増加から生ずる結果は都市や工業のある国では生じ得ず、また本書の前の方で述べた、人口に対する窮極的妨げ(食物の不足)は現実の飢饉の場合を除いては決して直接的妨げとはならないということと、矛盾する、と考えられるかもしれない。
 もし云い方が余りに強硬に過ぎるならば、議論の実際的力と適用とをほとんど減じないで、遥かに温和な云い方にすることも出来よう。しかし私は、それは疑いもなく強硬であるけれども、決して真理を距る極めて遠いものではない、と考えるのである。都市や工場を充たす大きな原因は、仕事が、従ってまた生活資料が、国内に不足なことである。そしてもし各労働者が、自分の生れた教区で、十人の子供に対する衣食住を手に入れ得るならば、都市の人口はまもなく国内人口に対し小さな比率でしかないことになるであろう。そしてかかる考察に加うるに、仮定した場合において、都市における出生と結婚の比率が大いに増大しまた貧困から生ずる一切の死亡がほとんど全くなくなるという事実をもってするならば、私は、(習慣の変更に要する短期間の後には)支那においてすら、本文で述べたような増加に等しい人口増加が生じたとしても、決して驚くには当らないのである。
 我国について云えば、増加率は、都市と工業との著しい増大により、人口を一二〇年またはそれ以上にして倍加せしむべき率から五五年にして倍加せしむべき率へと変化したことが確知されているのであるから、各人が最多数の家族をも養い得る確信をもって一八歳または二〇歳にして結婚し得るというように国の資源が増加され分配されるならば、英国諸島の人口は、二五年にして人口を倍加せしめる如き率をもって増加し続けるであろうということを、私はほとんど疑わない。我国の記録簿から見ると、英蘭イングランドはアメリカよりも健康な国であるらしい。アメリカが異常な速度をもって増加しつつあった時にも、ある都市では死亡は出生を超過した。英蘭イングランドの都市では、これだけの改良が行われているのであるから、すべての下層階級が望むがままに早婚することが出来また貧困の結果による幼死がほとんどまたは全くないとしても、こういうことが起ろうとは思われない。
 しかし旧国の風俗習慣が食物の豊富なるによって著しい変化を遂げ、その結果として人口をほとんど新植民地のように増加することが出来るか否かは、単に好奇心の問題に過ぎない。ここで議論を要することは、家族を養う資料が稀少から豊富へと変化すれば、それは旧国においては著しい人口増加を惹き起すかという問題に関するものであって、これは思うに否定し得ないところである。(訳註――この註は第五版より現わる。)
 地球の生産物が絶対に無限であるとしても、人口と食物との増加率の相違に全然依存するこの議論の重みは毛一本も減るものではない。そして最も立派な政府と最も不屈な最も正しい努力が為し得る全部は、人口に対する妨げの作用をもっと公平にし、かつ害悪を生ずること最も少き方向に導くことである。しかし妨げを除去するというのは、絶対に望みのない仕事である。





底本:「各版對照 マルサス 人口論※()」春秋社
   1949(昭和24)年4月10日初版発行
   1950(昭和25)年4月30日重版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「敢て・敢えて→あえて 恰も→あたかも 貴方→あなた 普く→あまねく 予め→あらかじめ 凡ゆる→あらゆる 或る→ある 或いは→あるいは 雖も→いえども 如何→いか、いかん 幾何→いくら 何れ→いずれ 逸早く→いち早く 何時→いつ 一層→いっそう 一杯→いっぱい 苟くも→いやしくも 愈々→いよいよ 況んや→いわんや 於いて・於て→おいて 於ける→おける 恐らく→おそらく 虞れ→おそれ 凡そ→およそ 却って→かえって 拘わらず・拘らず→かかわらず 勝ち→がち 且つ→かつ 曾て・嘗て→かつて 哉→かな かも知れ→かもしれ 位→くらい 蓋し→けだし 毎→ごと 殊に→ことに 而して→しかして 而も→しかも 然ら→しから 然る→しかる 屡々→しばしば 暫く→しばらく 直ぐ→すぐ 即ち→すなわち 総て→すべて 精々→せいぜい 大抵→たいてい 沢山→たくさん 唯→ただ 但し→ただし 立ち所に・立ちどころに→たちどころに 忽ち→たちまち 度→たび 度々→たびたび 多分→たぶん 偶々→たまたま 為め→ため 丁度→ちょうど 一寸→ちょっと 就いて→ついて 遂に・終に→ついに 就き→つき 積り→つもり (て)行く→(て)いく (て)置く→(て)おく (て)来る→(て)くる (て)了う→(て)しまう (て)見る→(て)みる (て)貰う→(て)もらう 時偶→時たま 何処→どこ 乃至→ないし 中々→なかなか 筈→はず 甚だ→はなはだ 延いては→ひいては 程→ほど 殆んど→ほとんど 正に・将に→まさに 先ず→まず 益々→ますます 又・亦→また 真唯中→まっただなか 迄→まで 侭→まま 間もなく→まもなく 寧ろ→むしろ 若し→もし 勿論→もちろん 以て→もって 尤も→もっとも 専ら→もっぱら 最早や→もはや 易い→やすい 稍々→やや 所以→ゆえん 僅か→わずか」
また、底本では格助詞の「へ」が「え」に、連濁の「づ」が「ず」になっていますが、それぞれあらためました。
※読みにくい漢字には適宜、底本にはないルビを付した。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(荒木恵一)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2010年5月27日作成
2011年5月21日修正
青空文庫作成ファイル:
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