「私」小説と「心境」小説

久米正雄





 此頃文壇の一部に於て、心境小説と云ふものが唱道され、又それに対して、飽くまで本格小説を主張する人々が在つて、両々相譲らないと共に、それに附随して、私小説と云ふものと、三人称小説との是非が、屡々論議された。
 心境小説と云ふのは、実はかく云ふ私が、仮りに命名したところのもので、其深い趣意に就ては、いづれ章を改めて述べるが、只茲に一言で云へば、作者が対象を描写する際に、其対象を如実に浮ばせるよりも、いや、如実に浮ばせてもいゝが、それと共に、平易に云へば其時の「心持」六ヶ敷しく云へばそれを眺むる人生観的感想を、主として表はさうとした小説である。心境と云ふのは、実は私が俳句を作つてゐた時分、俳人の間で使はれた言葉で、作を成す際の心的境地、と云ふ程の意味に当るであらう。
 それに対して、本格小説の大旆を、真つ向に振り翳して居るのは、中村武羅夫君なぞで、「本格」小説なぞと云ひ出したのも、氏の命名なのであるが、つまり本当の格式を保つた、所謂小説らしい小説、と云ふ程の意味であらう。
 そして、勿論此の問題に就ては、いづれが是、いづれが非と言ふやうに、どちらが文学の本道であるか、はつきりした論定が、決して出来て居る訳ではない。又論定が出来る訳のものではない。恐らくは此の問題は、文学が少し進歩して来た頃から、永く色々な人々に依つて、論争され来つたもので、又同じ一人の作家に於ても、時期に依つて時々、其本末が疑問とされて来たものに違ひない。
 だから私が此処で、特に其問題に対して述べるのは、一時の文壇的な問題としてゞなく、謂はゞ矢張り永久の文学の道の一端に立つて、私は私なりの私見を、諸君の前に披瀝し、却つて寧ろ諸兄の教示にあづからうと云ふのである。
 私小説と、三人称小説、此の二つのものの是非も、それに附随して起つた事であつて、是も昨今の文壇に、著しく私小説の傾向が増え、それを支持する私のやうなものが出て来たので、改めて一部の問題となつたものである。
 先づ、論講を進めるのに都合がいゝから、此の、私の「私小説」の主張から初めよう。
 第一に、私はかの「私小説」なるものを以て、文学の、――と云つて余り広汎過ぎるならば、散文藝術の、真の意味での根本であり、本道であり、真髄であると思ふ。
 と云ふのは、私が文筆生活をする事殆んど十年、まだ文学の悟道に達するには至らないが、今日までに築き上げ得た感想を以てすれば、自分は自分の「私小説」を書いた場合に、一番安心立命を其作に依つて感ずる事が出来、他人が他人の「私小説」を書いた場合に、その真偽の判定は勿論最初に加ふるとして、それが真物であつた場合、最も直接に、信頼を置いて読み得るからである。
 以下、その気持を、もう少し詳しく述べて見よう。
 それには、茲に私が所謂「私小説」と云ふのは、かの十九世紀に、独乙に於て提唱された、イヒ・ロマーン(Ich-Roman)と異なる点をも、説明して置かなければならない。
 此の独逸語のイヒ・ロマーン、直訳して私小説なるものは、私は浅学にして深い定義は知らないが、只、要するにそれは形式の問題であつて、小説の主人公を、Ichイヒ即ち「私は」として、書き出したものを、悉くイヒ・ロマーンと称したものである。だから、其場合、イヒ即ち「私」なるものは、決して作者自身でなくとも、帝王でも乞食でも、鍛冶屋でも探偵でも、美妓でも魔女でも、乃至は猫でも甲虫でも、松の木でも水でも、何でもいゝのである。――少くとも、独逸の語義の場合では、主人公が人間で、私はかうした、あゝしたと云ふ風に、描写された小説全部を云つたものである。
 が、私が、昨今謂ふ所の「私小説」と云ふのは、必ずしもさうではない、それはイヒ・ロマーンの訳でなくて、寧ろ、別な、「自叙」小説とも云ふべきものである。一言にして云へば、作家が自分を、最も直截にさらけ出した小説、と云ふ程の意味である。
 然らば、「自叙伝」とか、「告白」とかと同じか、と云ふと、それはさうではない。それは飽く迄、小説でなければならない。藝術でなければならない。此の微妙な一線こそ、後に説く心境問題と相俟つて、所謂藝術非藝術の境を成すものであるが、単なる自叙伝、乃至告白の為の告白は、最も私の「私小説」に近い、原型に似たものではあるが、その表現が藝術でない以上、私の「私小説」には入らないのである。
 例へば、トルストイの「吾が懺悔」などは、勿論藝術的な分子もないではないが、私小説ではない。ルツソーの懺悔録も、色々小説的な場面はあるが、これも決して私小説ではない。併しストリンドベルクの、「痴人の懺悔」に至ると、明にそれは私小説である。
 例を日本に引く。
 夏目漱石先生に、「吾輩は猫である」と言ふ、私の此の論講を行るのに、都合のいゝ小説がある。「吾輩は猫である」は、先刻云つたイヒ・ロマーンの定義から云へば、明に吾輩は……と云ふ書き出しから、イヒ・ロマーンであり、猫の飼主苦沙弥先生と云ふ人物は、殆んど漱石先生自身を代表してゐるから、私の云ふ意味でも、「私小説」でありさうだが、私は私の所謂「私小説」の中へは、それを容れたくないのである――何故か? それは結局主人公たる作者が、「直截に」出てゐないからである。私をして云はしむれば、先生の低徊趣味が、此の絶好の「私小説」を、一と撚り撚つてゐるからである。此の撚ねりやうは、「猫」の場合成功して、それが藝術のやうに見えてゐるが、私をして云はしむれば、それは藝術の皮であり、寧ろ額縁である。「猫」は今日確に日本近世小説の、立派な古典ではあるが、もつと直截に、漱石先生自身が出て来ても、あれだけの苦笑哲学は出て来なかつたであらうか。「猫」は確に役立つてはゐるが、それは一種通俗的な、面白さを増し、先生の技巧慾を満足させたに止まつてゐるのではなからうか。であるから、私をして云はしむれば、寧ろ漱石先生の作では、「猫」よりも「硝子戸の中」が懐しい。が、残念なるかな、「硝子戸の中」は小説ではなかつた。
 例をもつと近くに持つて来る。
 菊池寛に、所謂「啓吉物」と称する、一連の短篇小説がある。その主人公は、明に「私は……」と語り出して居ない点で、イヒ・ロマーンではないが、啓吉と云ふ主人公は、明に作者自身が直截に現れて、語り、述べ、描いて居る。形式は明に三人称小説であるが、是は私の云ふ意味で、明に「私小説」の代表作である。勿論いろ/\な意味での不満はないではないが。
 さうして、さう云ふ眼で見ると、現在日本の殆んど凡ゆる作家は、各ゝ[#「各ゝ」はママ]「私小説」を書いてゐる。島崎さんの岸本物など、殊に「新生」などはその好適例である。田山さんの「残雪」なども、確にさうに違ひない。純客観的作家と長く見られて来た、徳田さんの「黴」や「爛」も「私小説」と見られない事はない。此人の近作でも、「棺桶」などは明に私小説である。同じく正宗さんの、所謂「入江物」の作者が明に現はれてゐる数種は、自然主義時代にあつて、明に私小説であり、近頃身辺を描く短いものには、益々私小説の傾向が増えて来てゐる。近松秋江氏などは、云ふ迄もなき「私小説」家である。其他の、中堅作家に、例を取れば限りはない。中には葛西善蔵君の如く、終始「私小説」に一貫して居る人すらある。
 さうして、私はそれらの「私小説」を、人一倍愛読するのみか、どうしても小説の本道だと考へる。何故か?
 私は第一に、藝術が真の意味で、別な人生の「創造」だとは、どうしても信じられない。そんな一時代前の、文学青年の誇張的至上感は、どうしても持てない。そして只私に取つては、藝術はたかが其人々の踏んで来た、一人生の「再現」としか考へられない。
 例へばバルザツクのやうな男が居て、どんなに浩瀚な「人生喜劇」を書き、高利貸や貴婦人や其他の人物を、生けるが如く創造しようと、私には何だか、結局、作り物としか思はれない。そして彼が自分の製作生活の苦しさを洩らした、片言隻語ほどにも信用が置けない。
「他」を描いて、飽く迄「自」を其中に行き亘らせる。――さう云ふ偉い作家も、或ひは古今東西の一二の天才には、在るであらう。(トルストイ、ドストイエフスキイ、それから更に其代表的な作家として、フローベル。)が、それとて他人に仮托した其瞬間に、私は何だか藝術として、一種の間接感が伴ひ、技巧と云ふか凝り方と云ふか、一種の都合のいゝ虚構感が伴つて、読み物としては優つても、結局信用が置けない。さう云ふ意味から、私は此頃或る講演会で、かう云ふ暴言をすら吐いた。トルストイの「戦争と平和」も、ドストイエフスキイの「罪と罰」もフローベルの「ボ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)リイ夫人」も、高級は高級だが、結局、偉大なる通俗小説に過ぎないと。結局、作り物であり、読み物であると。
 其時も、私は又日本に於ける、最近の物として、一例を引いた。正宗白鳥氏の、盲目の老婆を描いた「わしが死んでも」である。それはよく描いてあり、作者の人生観と云ふものも、確に寓されてはあつたが、矢つ張り私には、如何にそんな盲目の老婆が現はされてゐようと、作り事であり、又如何に内面的に描かれてゐようと、又世間話であるやうな気がした。そしてもつと小さな、身辺を描いたスケツチに、矢つ張り白鳥氏の直接な姿を見た。
 勿論、「他」を描いて、却つて「自」がよく現れたやうな、作品もない訳ではない。が、それは異例である。それから広い、深い、人間性に徹すれば、自他の区別はない、と云ふ議論も確に成立つ。が、それならば、「自分」を描いても、充分「他」に通ずると云ふ、私の「私小説」の本旨を、却つて逆に証明するものである。
 結局、凡て藝術の基礎は、「私」にある。それならば、其私を、他の仮托なしに、素直に表現したものが、即ち散文藝術に於いては「私小説」が、明に藝術の本道であり、基礎であり、真髄であらねばならない。それに他を仮りると云ふ事は、結局、藝術を通俗ならしむる一手段であり、方法に過ぎない。
 だから、「私小説」を除いた外のものは、凡て通俗小説である。菊池寛の忠直卿なぞは、実に人間性をよく深く掘つて、他を以て自に迫る作品の一つに、数へてもいゝ位であるが、私は矢つ張り、あれなどは通俗小説として、彼の「啓吉物」の下位に置く。――これは稍ゝ誇張だが、気持としては、私は如何に立派な造花でも一茎の野花に如かぬと思ひたいのである。
 さうだ。確に一茎の野花に如かないのだ。
 広津和郎も、嘗つて何かで云つてゐたが、もと、加能作次郎君のやつてゐた時分の文章世界に、一女工の手記が出た時、その手記の前には、ドストイエフスキーもない。と云つた心持を、私は私たちのヒステリー的誇張だと思はれたくない。
 宜なるかな、如何に豪い諸文豪の、作品の最もいゝ、私たちを打つ個所と云ふものは、殆んど凡て、其自叙的要素を多分に持つてゐる部分である事。ドストイエフスキーの死刑の前後を描いた個所、癲癇の個所。……
 さて、さうなつて来ると、其「私」の問題だが、是に就いても私は私の一説を持つ。が、次の講に譲つて、漸次「私」から、私を語る「心境」へと、論を進めて行かう。


 前回、僅かに定義を釈明したに止まる私の「私小説」に関する講義は、幸か不幸か、幾分時上アツプ・ツー・デートの問題であつたため、予想外の反響を捲き起して、開講半ばならざるに賛否の声を聞くに至つた。講座の講義として、質疑応答を除きかゝる現象を呈したことは、偏へに本講座の権威を裏書するものとして、私自身甚だ欣幸に堪へない。が、それと同時に、余りに文壇的な問題とされ過ぎたため、一二、私の所論――否講義の趣旨を、誤解したものがないではない。日常文藝にたづさはれるものしかも可なり尊敬すべき素質を有する青年作家、批評家の諸氏が、その誤解を敢てした事を思ふと、より年少にしてより教養少なき会員諸氏の中には、或ひは更に誤解をなして居るもの、尠きを保し難い。茲に於て、甚だ講義の体裁を殺ぐものではあるが、――いや、もと/\講義の体裁などに依らず、自由に文壇時感と云つたやうな形で、述べ出したのだから、関はないだらうが、――茲に又本講を続ぐに当つて、何よりも一言弁じて置かなければならないのは、私は此の講座に於て、「私小説」の提唱をなして居るのでもなければ、況んや宣伝をして居るのではない。そして又、小説の規範を定めてゐるのでもなければ、範疇を拵へてゐるのではさら/\ない。と云ふ事である。
 諸君は恐らく美学の講座の方で、美学が規範学でなくして、記述学である事を、知つてゐるだらう。それと同じく私の信ずる所に依れば、凡ゆる藝術上の研究も、規範ノルムを作る事でなくして、記述をなす所に在るのではなからうか。作品に含まれたる道徳的要素から、若し倫理問題乃至社会問題に論及するならば、「かくあるべし」と「かくあるべからず」と云ふ事もあるであらうが、自分は自分の経験に基いて、此の創作指導講座をなすに当つて、只、「かく/\なりき、」「かく/\なり、」と説いたに止まつて、態度は暫らく問はず、範囲を謙遜なる自己の経験と感想のみに置いた。
 だから、茲に又繰り返して云ふ。私は「私小説」を以て、文藝の最も根本的な基礎的な形式であると信ずる。そして根本的であり、基礎的であるが故に、最も素直で、最も直接で、自他共に信頼すべき此の形式を措いて、何故に、他に形式を求めなければならぬ必要があるのか、と云つたまでなのである。
 と言ふと難者は直ちに云ふ。ツマラない人の生活を、いかに素直に、直接に記録したとて、要するにツマラないではないか。と。
 其の非難には、確に一理はある。一理あればこそ、「私小説」の「私」が問題となつて、此の講を次ぐのであるが、又、併し其非難ですら、私はかう答へる事に依つて、先づ一蹴したい。曰く。ツマラない人の生活乃至想像を、如何に絢爛に、いかに又複雑に持つて廻つて、所謂本格小説的に製作したとて結局ツマラないではないかと。そしてその二者のツマラなさでは前者のツマラなさの方が、寧ろ罪が少くはないかと。――これは逆説だが、どつちにしても問題として残るものは、此の「私」である。
 菊池寛の先頃の感想に、「作家凡庸主義」と云ふものがあつた。主旨は、要するに、どんな凡庸な人でも、作家でありうる。と云ふ事だつた。即ち、どんな凡庸人でも、(勿論、人間苦や時代の悩みに少しも触れ得ぬ低能は問題ではない。)其平凡な生活は平凡ながらに、如実に表現し得さへすれば、一人前の作家であり得る。作家は、何も強ひて天才英雄を要しない。と云ふやうな事だつた。
 私はそれに、半ば賛成だつた。今でも、「私小説」の立場から、それには大半賛成である。
 私は、「凡ゆる存在はもつともである」と云ふ意見を、動かし難く信ずるものである。そして人苟しくも、平凡と云ふレヴヱル迄達して居る限り、(長谷川二葉亭乃至は菊池寛、それから不遜でなければ吾々程度まで含めて)それ/″\の存在には、洵にそれ/″\の理由があつて、それが全く至極尤もであり、自然であるものである。そしてそれは、只如実によじつに表現されゝば、正に文藝としての価値を生ずるに違ひないものである。
 人の生活と云ふものは、全然、酔生夢死であつてすらも、それが如実に表現されゝば、価値を生ずる。甞つて地上に在つたどの人の存在でも、それが如実に再現してある限り、将来の人類の生活の為に、役立たずには居ない。藝術を、消閑娯楽の具とするのみに止まつて、此の地上に存在した一人の生存の、かなしき足跡と見ないものは仕方もないが、苟しくもそれを人間生活史の一部として見る時、各自はいづれも其各々の一頁を、要求しうる権利を持つものである。
 たゞ併し、此処に問題となるのは、「それを如実に表現し得れば、」と云ふ条件である。そして此点で、前記の菊池の主張に、批議を起した里見※(「弓+享」、第3水準1-84-22)の意見に、私は賛成せざるを得ないものである。
 此の「如実に表現しうれば」は、真に云ひ易くして、実は容易ではない。此の表現の問題に就ては、右両者間のみならず、古今東西、苟しくも文藝の道にたづさはる徒の間に、云ひ古されて、しかも今猶終らぬ問題であるから、此処で事新しく論ずる余裕はないが、「作家凡庸主義」なるものは、凡人でもと云ふ所に論拠を置けば成立つが、それを如実に表現すればの点に至つて、瓦解する。
 私の「私小説」の主張も、稍々それと同じい。
 即ち私は、「私小説」の本体たる「私」が、如何にツマラヌ、平凡な人間であつても、いゝと極言したい。そして問題とすべきは、只その「私」なるものが、果して如実に表現されてゐるか否か、にかゝる。本ものゝ「私」か、偽ものゝ「私」か、にかゝる。そして本ものゝ「私」なら、その「私」が表現したい意欲を感じた限り、きつと一個の存在価値を持つ事を信ずる。
 だから、私は此処に繰り返して云ふ。凡ゆる人は、みんな「私小説」の材料を持つてゐる。そして、誰でもが、表現力に於て恵まれてゐるならば、一つ一つ私小説を書き残して、死んで行くのが本当なのだ。が、其中で、自己の中なる「私」を真に認識し、それを再び文字を以て如実に表現し得るもののみが、藝術家と仮りに称せられて、私小説の堆積を残して行くのである。
 その「如実に」とは、併し決して写実的な意味で、其儘の形で、との謂ではない。歪みなく、過不及なき形ではあるが、素材のまゝで、との謂ではない。
 其処には必ず一つの、あるコンデンサーを要する。「私」をコンデンスし、――融和し、濾過し、集中し、攪絆し[#「攪絆し」はママ]、そして渾然と再生せしめて、しかも誤りなき心境を要する。是が私の第二段の「心境小説」の主張である。
 茲に於て、真の意味の「私小説」は、同時に「心境小説」でなければならない。此の心境が加はる事に依つて、実に「私小説」は「告白」や「懺悔」と微妙な界線を劃して、藝術の花冠を受くるものであつて、これなき「私小説」は、それこそ一時文壇で称呼された如く、人生の紙屑小説、糠味噌小説、乃至は単なる惚気のろけ愚痴ぐちくだ、に過ぎないであらう。
 然らば心境とは如何なるものであるか。実はこれを細説する事こそ、本講の目的であつたのだが、私の懈怠既に最終冊に及んで、最早許されたる紙数に満たんとしてゐる今、僅に簡単に一言して、以て尾切れ蜻蛉ながら、末尾を結ばう。
 心境とは、是を最も俗に解り易く云へば、一個の「腰の据わり」である。それは人生観上から来ても、藝術観上から来ても、乃至は昨今のプロレタリア文学の主張の如き、社会観から来てもいゝ。が、要するに立脚地の確実さである。其処からなら、何処をどう見ようと、常に間違ひなく自分であり得る。(茲が大切だ)。心の据ゑやうである。
 菊池寛は人生二十有五に達せずんば、小説を書くべからずと云つた。二十五と具体的に限定したところに、彼の面目はあるのであらうが、恐らくは彼の云ひたかつた所も、此の心境を得るにあらずんば、小説を書くべからず、尠くとも発表すべからず、との謂であらう。私自身を例証する事を許して貰へるならば、私は此の心境らしきものを自得したのは、実に近年の事に属する。そして皮肉にも、それ以後創作力は甚だ減退したが、真実に小説らしきものを書きうるものは、矢つ張りそれ以後未来のやうな気がしてならない。そしてそれ以前のものは、或ひは素質的には不識裡に、よいものもあつたかも知れぬが、大体、若気わかげ過失あやまちと云ふ気がしてならない、勿論、若気わかげ過失あやまちはよい、が、それに終つてはならない。たゞ人々よ、此の若気の過失、と元気の溌剌はつらつとを混同してはならない。同時に又、心境の自得と作者の沈滞とを誤認してはならない。
 最後に更に繰り返して云ふ、此の「私、心境小説」は、一時の作家の気紛れや、一時代の文学の傾向に、左右されるものではない、此処から出て行つて、遂には又此処へ帰る小説のふるさとである。
 だから、是から創作に志す程の諸君は、此の纏りのない一文でも、読み終つたならば尠くともその事だけは信じ、そして最早過去の作家達を悩ました一人称三人称問題なぞに、改めて余計な苦労をする事なく、安んじて「私小説」「心境小説」に就かれん事を希望する。
(『文藝講座』大正14年1、5月)





底本:「編年体 大正文学全集 第十四巻 大正十四年」ゆまに書房
   2003(平成15)年3月25日第1版第1刷発行
底本の親本:一「文藝講座 第七號」文藝春秋社
   1925(大正14)年1月15日発行
   二「文藝講座 第十四號」文藝春秋社
   1925(大正14)年5月15日発行
初出:一「文藝講座 第七號」文藝春秋社
   1925(大正14)年1月15日発行
   二「文藝講座 第十四號」文藝春秋社
   1925(大正14)年5月15日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※初出時の表題は「創作指導講座「私」小説と「心境」小説」、「創作指導講座「私」小説と「心境小説」(二)」です。
入力:希色
校正:友理
2021年10月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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