湯川博士の受賞を祝す

長岡半太郎




 我邦では敗戰の創痍未だ癒えず、媾和條約未だ締結されず、國民は暗雲に鎖された氣持ちに包まれている際、湯川博士がノーベル賞を受けられた吉報に接したのは、黒雲の一隅から一條の日光が燦爛たる輝きを示した心地がして、專門家に限らず大衆に至るまで、歡聲をあげて喜びを同じくしました。しかしその喜びには、いろ/\の素因が伏在しています。單に世界で最も重きを置くノーベル賞が初めて本邦人に與えられたのを喜ぶ人もあり、或は久しく暗黒界に潜んでいた原子核を探求するに先鞭をつけたのは、黄色人の科學者であるにも拘らず受賞されたことを喜んだ人もあろう。或は永く神秘に付せられた原子核の研究が、これより益々發展して、獨り學問のみならず、これを文化開發の用に供せらるゝ時期の遠きにあらざるを豫想して、拍手した人もあつたろう。手を叩いて受賞の報知を迎えた大衆の感想を問わば、千差萬別でありましようが、皆喜びに滿ちたことは疑いを容れませぬ。
 想うに文化の進歩は階段的であつて、ギリシャ時代、ルネイッサンス時代とか、大別してありますが、科學や工藝は時代の特種啓發により、段階が顯著になつています。殊に十九世紀の末葉は物理學界に幾多の發明發見が表われて、たゞに學界に限らず、また工業界に數多の革新を促しました。なかんづく、電波の發生は可視光線をもその範圍に屬せしむるに至り、その頃發見されたX線もまた、これに包含され、また無線通信ラジオ等まで、これに頼つて發展し、世界を狹隘にしました。更に電子の發見により、電子工學の部門を開發し、その用いらるゝ方面は多岐に亙り、その用途は長足の進歩を遂げ、地球表面に通信網を張り廻し一瞬間に情報を各所に傳えるに至りました。しかして人間が、いつかは鳥に均しく飛び得る時機が來るであろうと豫期されていた飛行機も飛翔するようになりまして、面白き世態を表現しています。これを百年前の状勢に較べますと、雲泥の差があります。これらの進歩は昔から希望されていても容易に實行に至らなかつたのでありましたが、學者の齎し得た成果を巧みに利用した結果であります。しかして昔の人が、たゞに理想に過ぎずと思つた事が、今日では着々實行に移されています。これを啓發したのは、殆ど總てが白色人の手腕によつて爲されたのであります。勿論日本人も手傳いは致しましたが、僅かに九牛の一毛に及びませぬ。それゆえ彼等は、日本人は眞似をすることが上手だから、沐猴冠者であると誹謗を浴びせています。この汚辱は一刻も早く雪ぎ去らねばなりませぬ。幸いに今回湯川博士はノーベル賞を受け、初めて原子核構造を探見した元祖として盛名世界に赫々として傳わつています。この好機會を逸せず、諸君が原子核に存在する素粒子を利用する方法を攻究し、人間の福祉に資すべき發明に成功せらるれば、既往の謗りを洗い落すことが可能であると存じます。從つて理論に沒頭している湯川博士もまた笑みを含んで喜ばれるでありましよう。私が受賞を祝するのは、從前の辱しめを一掃する時期の近寄りたるを待つからであります。徒らに盃をあげて歡聲を發するような普通の祝言ではありませぬ。
 發明もしくは發見に到達する前に、突如有効なるヒントを偶然受くるを常規と致します。二千二百年前、アルキメデスは入浴して、その體重の輕きを感じ、初めて比重を測る方法を講じました。ニウトンは林檎の落つるのを見て、地球の引力が然らしむるを悟り、遂に天體力學を啓發しましたが、こんなヒントを得た話は枚擧に遑ありませぬ。ノーベル賞を設けたノーベルにも面白い話が傳えられています。彼は父と共に、爆藥ナイトロ・グリスリン製造を家業としていました。或る日藥を砂の上に過つてこぼしました。尋常人ならば直ちに掃除したでありましようが、彼は砂に塗みれたナイトロ・グリスリンの爆發性を試驗しましたところ、液體に比して著しく安定性を帶びましたので、これまで苦心したこの爆藥の運送に關する謎が解かれ、ダイナマイトが生れたのであります。即ち砂をまぜることが、その鍵でありました。いわゆる災を轉じて福となし、失敗を飜して富源となしたのであります。しかし砂には種類がある。どれが一番よいか、次の問題として表われました。彼は何氣なくドイツに旅行し、チューリンゲンを通る汽車の窓から展望すると、四邊に盛り上つている砂はダイナマイトに用ゆるに適しているらしいと、鵜の目鷹の目で鑑定し、第二のヒントを得て試驗すると最上等であつたので、ダイナマイトの聲價は頓みに騰り、家運はトン/\拍子で上昇し、エルベ河畔に十五ヶ所の製造所を建設するに至りました。この砂は Kieselguhr(珪藻土)であります。實に彼の慧眼は超凡であつた。彼がノーベル賞を設けたのも超凡であつた。一塊の砂はよく爆藥工業の基を開き、一塊の砂は世界の科學者平和論者を躍らしむ、と申しても過言ではありますまい。湯川博士もまたノーベルに類した直感的の人であることは察するに餘りあります。嘗て大阪大學に助教授となられてから幾年もたゝず、二十七歳のとき原子核を探求する方便を得て、勇往邁進されたのは周知のことでありますが、或る人に、「私の仕事はベッドの上で創つた」と語られた辭より、その直感的ヒントを得て、スタートされたことが明白であります。湯川でも、ノーベルでも、その捕捉する動機は、尋常一樣の搦手で行われないところがあります。
 來會諸君の内で、卒業試驗に上成績を殘したお方も、またその反對のお方もありましよう。我邦では、試驗成績で卒業生を處理する通則になつておりますから、或る場合には、うまく行われ、或る時には、その逆に出ることがありますから、この方法は良いか惡いか判然致しませぬ。イギリスもこれに近いのであります。試みに著名な物理學工學者等を羅列して見ますと、點數により將來を卜するは不安であることを示します。我邦でも、やゝその傾きがありますから注意を要します。特に考察を要するのは、小學程度の教育で非凡な人物が顯われることであります。その一二を擧げますと、ファラデーとエジソンであります。
 電磁氣學と化學に甚大なる功績を印したファラデーは、小學教育を受けたに過ぎませぬが、十九世紀の偉人として尊敬されています。またエジソンも、小學校の豫備教育を受けたに止まつていますが、大衆向きの發明に就いては拔群でありました。その業績を解剖すれば、天與の才を磨き上げたのですから、無教育と言うは禮を失つています。反つてファラデーを取立てたデーヴィこそ具眼者として表彰すべきでありましよう。またエジソンは他人の授助を求めず特立獨行、自分のラボラトリーで、更に自分の機械で數多の實驗を遂行したのは、洵に羨望の的になります。こんな人が將來出るや否は問題ですから、例外にして論ずるが至當でありましよう。
 十分な教育をうけ、試驗を經た英國の物理學者を列記しますれば、大西洋海底電信敷設に成功したウィリャム・トムソン、電磁氣學の基礎を築いたマックスウェル、電子を發見したジェー・ジェー・トムソン等の雷名は夙に響いていますが、その卒業試驗成績は皆第二位であります。量子力學の書を著してノーベル賞を受けたジラクは、ブリストル工業學校を卒業し、就職できず、已むを得ずケムブリッジに行き研究したのであります。マルコニーはボロニヤ工業學校を卒業したか否は、判然しませぬ。アインシュタインが相對性原理を發表したときは、ベルンの特許局技手でありました。その他、似たり寄つたりでありましよう。聞くところによれば、湯川博士も點數は最上ではなかつたそうです。これに由つてこれを觀れば、試驗成績は餘り信用ができぬようです。科學巨頭の標準は低迷しています。要するに、試驗する先生より學生の方が俊秀であつたのです。
 試みに、これらの試驗する諸先生を一堂に集め、逆に少壯氣鋭の諸學生が問題を提出して、教授を試驗すると假定すればいかん。將來大いに飛躍する學生は、必ず教授が解釋に苦しむ問題を案出して、數時間にしてこれを解題することができないであろう。トムソンやマックスウェルの時代には、恐らく及第する手腕を具えていた人は、ストークスぐらいに過ぎなかつたであろうと思われる。かくの如く、試驗する人とこれを受ける人を反轉して考えれば、何の不思議もない。未來の成績を試驗で判斷するは、そも/\錯誤の基となるは論ずるに及ばない。
 日本人は大學を小學の上達したものと心得ているから、無暗に試驗を氣にかけます。この心理情態が錯覺の本となり、優秀な研究者を駄目にするらしいです。歎息すべきであります。今少し常識的に勉強するがよいでしよう。試驗の上手な人は油斷するな。下手な人でも獨創的意見を發揚すれば、試驗上手を追い拔くことが可能である。點數は人間の價値を決するメートルではない。
 終りに臨み、私の體驗を一つお話するをお許し下さい。諺に、健康なる精神は健康なる身體に宿ると申します。洵に然りであります。病床に呻吟している間に、いろ/\な研究計畫など致しても、癒つてからこれを見ますと腑に落ちぬ事が記してあります。即ち病的の考えを弄していることを明かにしているのです。失禮ながら諸君も御同樣であろうと存じます。偏えに諸君の御健康を祈ります。御清聽を煩わし恐縮に堪えませぬ。
(昭和二十四年十二月十七日講演 技術聯盟)





底本:「長岡半太郎隨筆集 原子力時代の曙」朝日新聞社
   1951(昭和26)年6月20日発行
初出:「技術聯盟講演」
   1949(昭和24)年12月17日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:しだひろし
校正:染川隆俊
2013年11月5日作成
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