劇作家としてのルナアル

岸田國士




 劇作家ルナアルは、ミュッセと共に、僕に戯曲を書く希望と興味と霊感とを与へてくれた。彼に就いて何かを言はなければならないなら、僕は寧ろ黙つてゐたい。僕はあまり多く彼に傾倒し、あまり多く彼の芸術に酔つてゐる。

 彼は生涯にたつた六篇の喜劇を書いた。小喜劇を書いた。その小喜劇は、偉大なる力を以て舞台を征服した。彼は既に非凡なる戯曲作家の「スツフル」をもつてゐた。
 彼は何よりもまづ「魂の韻律」に敏感であつた。

 拙訳『葡萄畑の葡萄作り』によつてルナアルを知つた人は、彼が「沈黙の詩人」であることを忘れてはゐないだらう。
「裏面の詩」は無限に拡大する言葉の幻象イメージである。
 彼の作品を透して、声と色彩の陰に潜む作者の吐息を、しみじみと感じ得ないものがあつたら、文学はその者の為めに開かれざる扉である。
 彼は何人の前にも扉を開かうとはしない。

 彼の劇作は、先づ『人参色の毛』から紹介せらるべきであつた。
 僕は、山田珠樹君がその翻訳に着手しつゝあることを知つた。
 僕は『日々の麺麭』と『別れも愉し』の二篇を訳すことで満足した。
 山田珠樹君は僕の信頼畏敬する学友である。

 こゝに紹介する二篇は、自然を愛し人間を嫌ふルナアルの、最も多くその人間に接触したであらう巴里生活の記録である。

 雅容と機智を誇るわが巴里人パリジャンは、一世の皮肉屋狐主人メエトル・ルナアルの筆端に翻弄せられて、涙ぐましきまでの喜劇を演ずるのである。

 然しながら彼は、巴里人の、仏蘭西人の、心底しんそこからの人間らしさには、流石にほろりとさせられる弱味を有つてゐた。
 そして、英吉利人の、あの人間臭さには、常に顔を顰めた。

 北欧の、又は現代日本の、各人物それ自身が、勿体らしく何か考へながら物を言ふ、さういふ戯曲に慣らされた日本の読者は、仏蘭西の、少しよく喋舌る舞台上の人物の、細かく動く口許ばかりに気を取られて、それを、ぢつと聴き澄ましてゐる作者の底光りのする眼附きを忘れ勝ちである。
 言葉の数は、必ずしも沈黙の量と反比例はしない。
 ルナアルに於て特に然りである。
 彼は、言葉の価値のみが沈黙の価値を左右することを誰よりもよく知つてゐた。
 彼が「沈黙の詩人」――真に「沈黙の詩人」たる所以である。

 舞台上の人物が、何か考へながら間を置いて物を言ふ――これは、さういふ人物だからである。舞台上の人物が、よく喋舌る――黙つてゐる時間が少い――それも、さういふ人物だからである。
 傑れた戯曲は、人物が喋舌る喋舌らないに拘はらず、絶えず作者が人物の心の動きを追ひながら、そこから生命の韻律的な響きを捉へることに成功してゐなければならない。

 寡黙な人物を好むことは勝手である。
 饒舌な人物を厭ふことも勝手である。
 要するに、作品の価値は、寡黙な人物が如何に描け、饒舌な人物が如何に描けてゐるかに在る。而も、寡黙な人物のみが登場する舞台は、よく喋舌る人物のみが登場する舞台よりも芸術的に優れてゐるとは言ひ難い。
 作者は、寡黙な人物をして「下手な考へ眠るに若かざる」如き退屈極まる格言を吐き出さしめ、よく喋舌る人物をして「夜の更くるを忘れしむる」ていの魅力ある駄弁を弄せしむることを得るのである。
 僕は嘗て拙訳『日々の麺麭』に対する某氏の批評に答へて、同氏の解釈する沈黙の価値なるものを駁し、現代日本作家(勿論僕自身を含むものと見て差支なし)が、徒らに「何を云つていゝかわからない人物」を、「何を言つても行き詰る人物」を、従つて作者と共に「語勢のみを張り上げて赤坊みたいな小理窟を遠くの方からぶつけ合ふ人物」を描いて、それで、「沈黙は金なり」などゝ納まり返つてゐるとすれば、少々身の程知らずであることに言及した。
 文学は言葉の意味よりも幻象イメージを、内容よりも効果を重んずべきである。

 まして、ルナアルは最も「寡黙な男」である――勿論仏蘭西人としては。
 こゝに於いて、最も寡黙な作家こそ、最も魅力あるお喋舌りを描き得るのだ、と云へないだらうか。
 甚だ饒舌なる作家が、常に甚だ退屈なる黙り屋を描く、また故なしとせずである。

 ルナアルの戯曲、殊に本書に収むる二篇は、云ふまでもなく、写実主義的観察と、浪漫主義的ファンテジイとの極めて微妙なる融合である。ファンテジイとは理智的想像の遊戯である。作者の感興を以て人物の生活を程よく着色することである。此の着色によつて、作者の凝視する実人生の姿が、生々しき陰影を没して調和と休息ある世界に反映し、そこから一種のリリスムを反射するのである。
 ルナアルは自然主義者たるべく、余りに現実の醜さを見透した――多くの傑れたる自然主義作家がさうであつた如く。そして、その醜さを醜さとして描く為めには、彼はあまりに詩人であつた――アルフォンス・ドオデがさうであつた如く。
 劇作家としてのルナアルは愈々古典作家として仏蘭西劇の雛壇に祭り上げられさうであるが、ルナアルはまだそれほど老い込んではゐない。現代仏国の若き作家は、やうやくベックを離れてルナアルに就かうとしてゐる。
 イプセン、マアテルランク、ドストイエフスキイ、これら外国近代作家の、それぞれの影響の中で、わがルナアルは、静かに後進の道を指し示してゐるやうに思はれる。
 静かに――さうである。彼の声は聴き取り難きまでに低い。しかし、耳を傾けるものは意外にも多い。

『日々の麺麭』(Le Pain de M※(アキュートアクセント付きE小文字)nage)は一八九八年三月、巴里フィガロの小舞台で演ぜられた。この時の役割は、ピエールに当代一の名優リュシヤン・ギイトリイ、マルトに同名にして才色兼備のマルト・ブランデスが扮した。
 その後、「演劇の光輝と偉大さとを発揮せしめよう」と、古今の名作を選んで上演目録を編んだヴィユウ・コロンビエ座は、首脳コポオ自らの主演で此の作を舞台にかけた。
『日々の麺麭』とは家庭で常食に用ふる並製の麺麭である。それが何を意味してゐるかは一読すればわかる。
 二人の人物は、何れも有閑階級の紳士淑女である。巴里社交生活を代表する相当教養ある男女と見ていゝ。

『別れも愉し』(Le Plaisir de Rompre)は一八九七年三月エコリエ社で上演せられ、現に、これも『人参色の毛』と共にコメディー・フランセエズの上演目録中に加へられてある。人物は、この方は、寧ろプチ・ブウルジュワとも称せらるべき小有産階級に属する男と、ドゥミ・モンドとまでは行かないが、それに似た寄生生活を営む独身無職業婦人、さういふ種類の女とである。
 男は多分、会社か商店の書記であらう(彼が自負する唯一のものは「達者な筆蹟」である)小学校ぐらゐを卒業し、簿記学校へでも通つたか、兎に角、早くから家計を助ける為めに職に就いた、さういふ型の男である。
 此の年までに、いくらか文学書も読んだらう(ミュッセの詩ぐらゐは小学校でも習ふ)。いろんな話も聞いたらう。「自らパンを得る青年」として、彼の「小さな母」を煙に巻くゞらゐの舌はもつてゐる。学問はなくとも、そこは巴里で育つた仏蘭西人である。人並の洒落や理窟は何時の間にか覚えた。相手がそれほどの才女でなければ、「どうです、少しその辺を……」とかなんとか、あつさり云ひ出して見るくらゐの自信もついてゐる。
 女は、恐らく早く両親に別れ、その為めに貞操をパンに代へた一人の少女であつたらう。恋といふ恋をし尽した女、それは彼女の移り気を語るものか、さうではなからう。愛すれば愛するほど男に離れる、さういふ運命をもつて生れた女であらう。
「わざとさうしてるわけぢやないのに、あたしが愛した男は、みんな貧乏なんですもの……」
 彼女は、男が貧乏と知つて(一人の女を食はせて置くだけなら金持ちではない)その愛を他の男に遷し得る女の一人ではなかつたのである。
 流行と逸楽、追従と気まぐれに日を送るドゥミイ・モンデエヌの社会は、或は彼女の夢みつゝあつた社会かも知れない。然し、彼女は夙くの昔、そんな夢から醒めてゐた。彼女は「落ち着いた生活」を心から望んでゐた。彼女はたゞ、「巷を彷徨ふ娘」に落ちて行くことを恐れた(下には下がある)その為めに、あらゆる男の手に縋つた、さういふ女の一人であらう。
 彼女は、昨日まではまだ自分の「若さ」に頼つてゐた。「どうにかなるだらう」――さういふ女の唯一の哲学を、彼女もまた私かに抱いてゐた。
 恋に生きる女の矜りと恥ぢを、希望と悔恨を、習癖と道徳を、彼女も亦もつてゐるであらう。
「恋人といふものは、お互に残し合ふ思ひ出のほかに、値打はないものよ」――
 彼女ははじめて、「どうにかしなければならない」ことに気づいた。
 若くして貧しき男、その男との絶縁は、やがて、過去の悩ましき恋愛生活との離別である。
「なんていふ空虚だらう。あんたは、何もかも持つて行つてしまふのね」――
 此の空虚は、重荷を下した後の力抜けに似たものではないか。

 外国の作品、殊に戯曲に現はれる人物のせりふを通して、その人物のコンディションを知る為めには、余程の注意と敏感さが必要である。わけても、その国の社会状態を一と通り研究することが肝腎である。
 今、此の『別れも愉し』について見ても、女の生活はすぐに解るとして、此の男が、果してどれくらゐの社会的地位乃至教養の程度を有つてゐる人物か、それがわからなければ、第一、作品を味はふことが出来ず、それをまた、誤つて解釈してゐる場合には、白の妙味は丸で消えてしまひ、却つて、不自然さや、破綻を、読者自ら作り出すことになるのである。
 例へば、此の男を、高等教育ぐらゐ受けた青年紳士とでも思ひ違へて、一々の白を追つて行くと、誠に浅間しいオッチョコチョイに見えるばかりで、あの微笑ましい喜劇味が、作者の下らない気取りとしか思へなくなるかも知れない。
 これは註釈を附するまでもなく、少し欧羅巴の都会生活、殊に巴里の生活といふことを考へたら、今日日本の知識階級の男女が好んで使ふほどの言葉は、職工や女売子が平気で日常口にしてゐる程度の言葉だといふことぐらゐわかる筈である。
 学問と頭、思想と考へ、これは別物である。現代の日本では、学問をしないと頭が出来にくい。思想がないと考へが述べられない。さういふ傾きがある。これは社会がさうなつてゐるからだ。
 もう一方、西洋では、学問のある人間と、学問の無い人間と、そんなに違つた言葉を使はない。日本ではその差がひどい。
 西洋の作家は、学問の無い人間に面白いことを言はせる。それを日本語に訳すと、日本でなら学問のある人間しか使はない言葉になる恐れがある。然し、敏感な読者は、さういふ言葉を通しても、「言はれてゐること」が、いろいろの動機から、思想や学問と縁の遠いものであることがわかつて来る。それが一つの場面を通してその人物の学問や教養の程度を決定することになるのである。
 日本の知識階級といふものが、これまた心細い知識階級で、学校で習つたこと以外に何も知らず、それさへ学校を出れば忘れてしまひ、専門的なことは兎も角も、一般常識さへ満足に有ち合はせてゐない。何を喋舌つても面白からう筈がない。その知識階級が、大きな顔をして舞台に現はれ、恋愛を論じ、生活を説き、甚しきは社会人類を憂ふるのであるから全くお話しにならない。
 僕が嘗て日本の現代生活に「芸術的雰囲気」が欠けてゐると云つたのは、そこなのである。
 作家の想像力も勿論足らないのだらう。それよりも、現代生活を形造つてゐる、われわれが、もつと頭を錬ることだ。もつと考へる力を作ることだ。もつと自由に感じ、自由に述べる事だ。その上で「言ふべきこと」と「言ひ方」との間を好みの色で塗り上げることだ。
 われわれの日常生活は、もつと深く、もつと朗らかに、もつと調子よく、もつと楽しくなるだらう――少くとも傍観者にとつて。
 劇作家は、そこから、もつと多くの霊感と暗示を受けるだらう。
 ゴオルキイの描いた『どん底』にさへ、あの深さ、あの朗らかさ、あの調子のよさ、あの楽しさがあるではないか。それは悉く芸術家ゴオルキイの創造だと云ふのでせう。よろしい。日本の「どん底」に、あの「生活そのものゝ生彩」がありますか。いやさ、あゝいふ人物が一人でも日本にゐますか。あれほど「興味のある人物」がですよ。それは、露西亜人は、あの階級の人物さへ、「考へてゐること」が面白いからです。「考へ方」が自由だからです。「考へてゐることを上手に云はせる」のは作家です。露西亜人は――日本人を除いた何処人でも――「考へてゐることを上手に云ふ」事が不自然でないのです。何故なら、彼等は、「めいめいの表現」を有つてゐるからです。日本で若し、或る劇作家が、その作品中の人物に、「考へてゐることを上手に云はせ」たら、批評家はきつと、こんな人物は日本にゐないと云ふでせう。何故なら、日本人は「めいめいの表現」をもつてゐないからです。「考へ」のニュアンスを無視してゐるからです。お座なりと口上と紋切型が多すぎるからです。感情の表現がカテゴリックだからです。
「沈黙は金なり云々」の格言は、遂に、東洋流の解釈によつて、「咄弁は美徳なり」と同義になり、やがて、「月並な文句は粗服を纏へる真理なり」と敷衍せられ、遂に「退屈な話は人類を堕落より救ふ」とまで進んで来た。
 僕は潔よく人類たることを辞退する。

 議論がやゝ矯激に失したやうである。ルナアルが小鼻を膨らましてゐるだらう。
 処で何の話しをしてゐたかと云へば、わがルナアルの戯曲についてゞある。
 戯曲の文体――つまり対話の形式はいろいろあるだらう。第一作中の人物によつて違ふ。人物のコンディションによつて違ふ。然し、それらの人物の対話を通して、「作者独特の文体」といふものが論じられる。これは作者の素質である。
 同じやうに傑れた才能を有つた劇作家が、同じコンディションの人物を描いて、之に同じ対話をさせても、作者の異つた霊感が、独自の文体を生ましめる。それが作品の色調トーンを決定する。
 ルナアルの描く人物は、必ずしも常に機智に富んだ人物ではない。ルナアル自身の眼からは、その機智すらも愚かなる衒気と見えるやうな人物が可なりある。それに、作品そのものは極めて才気煥発といふ感じがする。極めてスピリチュエルである。これは、作中の人物以上に、作者の機智が光つてゐるのである。人物の言葉に耳を澄ましてゐる作者の眼――その眼つきが、人物以上に物を言つてゐるのである。これは、ルナアルに限らず、優れた喜劇作家の眼附である。繊細な心理喜劇が往々浅薄扱ひを受けるのは、此の「作者の眼」が見逃され易いからである。
 ルナアルは断じて浅薄な作家ではない。

 芸術家としてのルナアルの偉大さは、彼が聡明なペシミストであるが為めに、たゞそれが為めに、屡々凡庸な批評家を近づけない。
 彼は叫ばない、彼は呟くのである。
 彼は泣かない、唇を噛むのである。
 彼は笑はない、小鼻を膨らますのである。
 彼は教へない、眼くばせをするのである。
 彼は歌はない、溜息を吐くのである。
 彼は怒らない、眼をつぶるのである。
 そして彼は、友と語るが如く、「観たこと」を正直に語るのである。たゞ彼は、自分が面白いと思つたことを、それだけ人にも面白く思はせる義務と呼吸とを心得てゐる。
「ね、面白いだらう」――ルナアルは、考へ込んでゐる聴手の肩を叩いて、さつさと行つてしまふのである。
 聴手は、「面白い、しかし面白いだけか知ら」と思ふのである。「面白いだけ……」では勿体ない「面白さ」――さういふ「面白さ」だけでは何故いけないのだ。
 ルナアルの芸術はそれである。
 芸術にその他のものを望むことは誤りである。その他のものを加へることは勝手である。

「大きさ」の価値に対する迷信は東洋的である。
 学問や芸術や職業の方面まで、その迷信は根を下してゐるらしい。大部の著書、大規模の作品が真価以上に珍重せられ、象の研究が蚤の研究より「大きな仕事」のやうに思はれ、同じ内科でも小児科の医者は何んとなく「小さく」思はれ、大工は指物師より、小説家は詩人より、五幕物作家は一幕物作家より、何となく「大きく」「偉く」「堂々たる」ものゝやうに思はれ勝ちである。
 この迷信は、変な儒仏流道徳と結びついて、同じ劇作家でも、悲劇作家は紳士らしく文学者らしく、真面目らしく、時によれば「偉大らしく」「神々しく」見られるやうにはなつたが、さて、喜劇作家となると、何処やら、芸人らしく、狡猾らしく、軽薄らしく、つまり「小さく」「俗つぽく」見られる傾きがある。
 なほまた、文学全般について云へば、個人を描くよりも家庭を、家庭よりも一族を、団体を、社会を、民族を、人類を、宇宙を……と、人間の数が多くなればなるほど、ミリュウの範囲が広くなればなるほど、主題がさういふ点に触れてゐればゐるほど、その作品が「厳粛らしく」思はれ、「尊く」思はれ、「有がたく」思はれ、「偉大らしく」思はれる傾向がある。文学の内容論、作品に盛られる思想云々の議論もこゝから生じるのである。学問偏重、理窟万能、謹厳第一、法螺通用……これも、つまり、抽象は具体よりも「広い」といふ迷信である。抽象は具体よりも「深い」といふ迷信である。これは北欧文学の影響も大にある。尤も、さういふ点で優れた作品が日本にはまだ一つも出てゐないやうであるが。なるほど、或る意味に於て、個人よりも人類そのものゝ方が「大きい」には違ひない。一個の魂を取扱つた作品よりも「宇宙」の神秘を取扱つた作品の方が「大きい」に違ひない。然し、それは、たゞ飽くまでも「或る意味に於て」である。
 仏蘭西文学は、殊に仏蘭西の戯曲は、広大な視野、幽遠な幻覚の上に築かれなかつたことは事実である。然し、これが為めに、芸術そのものゝ「偉大さ」、芸術そのものゝ価値を疑ふ無定見に陥つてはならない。芸術が哲学と結び、宗教と結び、科学と結び、政治と結び、社会運動と結び、それはその結び方次第で、芸術としての存在が許されるだけである。
 芸術を哲学と結んで哲学的芸術を生んだのがゲエテであるとすれば、哲学を芸術と結び芸術的哲学を樹立したのがベルグソンであらう。芸術を宗教と結び宗教的芸術乃至芸術的宗教を作つたのがトルストイだとすれば、芸術を科学と結び、科学的芸術を試みたのがルノルマンであり、芸術的科学を編んだのがファーブルであらう。
 芸術を芸術のみによつて芸術たらしめようとする類ひの作家が仏蘭西には最も多い。早く云へば分業が発達してゐる。仏蘭西は、芸術家が思想を云々する必要が無いほど学者としての思想家が多い。若輩にして思想劇などを書けば、親爺が黙つてはゐないのである。
 ある種の「思想ある芸術家」は、その思想が思想として伝へられることを恐れるが為めに、その思想は常に機智の仮面をつけて、読者の眼を欺くのである。読者はまたそこを買ふのである。
 ルナアルに於てその一人を見出す。

 ルナアルの戯曲は恐らく、彼自身、小説家の余技として、その上にあまり多くの期待をかけてゐなかつたやうに思はれる。
 自由劇場の没落後、その演劇論に一転機を与へようとしてゐたアントワアヌが、偶然、ルナアルの処女脚本『人参色の毛』を発見して膝を叩いた。何といふ美しき発見!

 僕の座談は尽きさうにもない。
 甚だ不体裁な序文であるが、今、稿を錬る暇が無い。
 始めてルナアルの戯曲を紹介する責任上、仏蘭西文学に親しみの浅い読者の為めに、ルナアルの真価が、なるべく正しく認められることを希望する余り、そして、何よりも先づルナアルが好きになつて欲しさの余り、少々出しや張り過ぎた議論にまではいつた次第である。

 最後に、重ねて云つて置く。
 僕は、ルナアルに就いて何かを言はなければならないなら、寧ろ黙つてゐたいのである。なぜなら、僕は、あまりに多く彼に傾倒し、あまりに多く彼の芸術に酔つてゐる。





底本:「岸田國士全集20」岩波書店
   1990(平成2)年3月8日発行
底本の親本:「我等の劇場」新潮社
   1926(大正15)年4月24日発行
初出:「別れも愉し」春陽堂
   1925(大正14)年5月15日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年2月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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