批評家・作家・劇場人

岸田國士




 最後の締めくくりをする順番だが、以上、小林、真船、千田三氏の文章を読み了つて、先づ第一に感じたことは、僕自身のなかにある三つの傾向が、はつきり分裂して、次ぎ次ぎに「走り」出した姿に似てゐるといふことであつた。
 ところが、これはなにも、僕に限らず、誰でも、創造のよろこびをよろこびとする芸術家として、一旦演劇といふ迷宮に入る以上、この三つの傾向が時により、場所に応じて頭をもたげて来るのではなかつたかと思ふ。
 小林氏は、なるほど「演劇」の実際には関係のないやうな純粋な文芸批評家であるが、同時にこれが最も「現代の演劇」を語る有資格者なのであるといふ意味は、日本の演劇ぐらゐ、所謂「局外批評」の圏外で勝手な熱をあげてゐたものはないからである。
 小林氏は、芝居が解る解らんといふ問題を第一に提出してゐるが、これは面白い。僕も亦、現代は、芝居を観ない人間が、最も芝居の解る人間だといふ逆説が通用しかかつてゐる時代だと思ふ。
 小林氏はまた、歌舞伎を観て、「人間は形の美しさで十分に感動することができる」といふただ一つの真理を発見したと云つてゐながら、文楽を観た後、「本物の芝居など必要はない」と思ひ、「それまで自分が追つてゐたものは、演劇といふものではなかつた、とはつきり悟つた」さうだが、これはどういふものか? お説の通り、歌舞伎に限らず、芝居といふものの本質は「形」――「観念の文字通りの形象化」――眼と耳を通じて心に愬へる韻律の美に外ならぬので、この「形」の魅力は、氏が能楽によつて経験された「芝居小屋」の印象と深い関係がある。のみならず、氏が文学そのものとして評価するチェエホフの戯曲の美学であることを注意したい。
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「演劇とはなにをおいても先づ文学でなければならぬといふことが、近代劇の最大性格だと考へてよい」といふ小林氏の言葉は、真船氏の「今日、われわれの云ふ戯曲といふものは、あくまでも第一義の文学であつて、いかなる意味に於ても決して劇場台本ではない」といふ言葉と共通した意味――寧ろ信念を含んでゐる。
 これも実は、ひと通り議論ずみの問題で、劇場人に云はせれば、はいさうです、では済まされぬだらう。千田氏が、一方、戯曲の指導性(?)を認めながら、なほかつ、戯曲の「文学性」ならぬ「舞台性」乃至「劇場性」が、社会的条件によつては、戯曲家の創造精神に一つの基準を与へるであらうことを強調してゐるのをみればわかる。
 が、僕は、かういふ問題を、一概に片づけてしまふのはよくないし、また不可能なことだと思ふ。これは、嘗て文壇で小説は散文である、云々が主張され、文学の本道が散文精神の強調に塗りつぶされたあの傾向とよく似てゐると思ふ。勿論、近代文学の歴史的考慮と、現代人の生活感情乃至生活様式を通して、小説のジャンルとしての進化が、散文の純粋化、言ひ換へれば、抒情と雄弁とを排除する結果を生んだのは当然であるが、その結果は今日の純文学行き詰りの声を聞く一つの原因になつたとも解せられる。僕は、純文学が行き詰つたなどとは、考へてゐないものの一人であることをここに特記する。ただ、誰も彼もが、純粋な散文を目指して小説のスタイルを固定させたことは、日本の現代文学をやや単調にしてゐると思ふだけである。
 戯曲もそれに似た運命を辿ることをやがて警戒しなければならなくなるであらう。戯曲は文学ならざるべからずといふ主張は、小説は純粋な散文でなければならぬといふ主張と並んで、近代に於ける眼ざましい二つの運動である。しかし、戯曲は、小説ではないし、まして「散文」ではないのである。小説が、所謂、プロザイックであることに好ましからぬ意味があるとすれば、戯曲も、悪い意味のリテラチュウルであつては困るぐらゐのことは誰でも気がついてゐる筈であるが、今の時代は、往々、そんなことを云ふのは野暮で、危険なのだから実に厄介千万である。真船氏の「戯曲と舞台は別の世界だ」と主張する意図はよくわかるし、それを真船氏ほどの人が云ふのだから面白いのであつて、僕の観るところでは、同氏の作品はあらゆる意味で、甚だ舞台的ドラマティックなのである(これが今日の氏の強味だ)。千田氏は、これと観点は違ふが、劇作家の演劇運動への参加を要求し、劇作家が文学へ逃げ込んでゐるから、劇場のレパアトリイが豊富にならぬとこぼされる。文学へ逃げ込む一人と自分をみてはゐないが、僕は千田氏に敢て云ふなら、あなた方は、戯曲に「劇場性」を求めながら、実は甚だしい「非戯曲的リテラチュウル」を舞台に上せ、却つて、文学そのものの中にわれわれが求めてゐる「戯曲性」に案外眼をふさいでゐられるのはどうしたわけか。僕の書くものは別の理由で上演不向きなことを認めるし、まあそれは問題でない。一般について云ふのである。ここで、勢ひ、戯曲の内容の云々に話題が転じさうであるから、それは、ここでは論じないことにします。

 小林氏が、日本の近代劇上演からは、「一種どぎつい読書法といふものしか学ばなかつた」と云つてゐるのは、新劇当事者――過去現在を通じて――に与へられた頂門の一針である。
 築地小劇場の観客が「劇場に本来あるべき健康な空気」とは無縁であつたことを指摘し、これに対し千田氏は、左翼劇場時代の舞台と観客席の交感を例にあげて反駁してゐる。僕は、このあたり、局外批評の難有味を痛感する次第だが、これは、千田さん、なんといつても、考へなければならない問題ですね。僕は、この問題について、いつか、左翼系の某氏に話しました。――左翼劇見物は芝居を観てゐるのでなく、扮装せる政壇演説を聴きに来るのである。芸術的な感動を味ふのではなく、デマゴオグの熱弁に魅せられてゐたのである。しかも、彼等の多くは、甚だ頼もしくない弥次馬ではなかつたか、と。反対イデオロギイの化身が登場すると、見物はこれを罵倒するなどといふことが、芝居とどんな関係があるでせう? さういふ悲しい役をふられた役者は、僕は、若し彼が芸術家なら、気の毒だと思ふ。これは政治運動の話題にはなるが、演劇運動について語る場合は引合に出して欲しくない話である。現在の新劇の一部でさういふ時代の夢をなほ見つづけてゐることは、作家にとつて、殊に俳優にとつて、非常な損失である。千田さん、これはあなた方の新しい演劇論に対する批評ではありません。日本の現状に即して、あなた方の方法と努力が徒らに多くの犠牲を生み、それが日本の健全な演劇文化の発達を阻害してゐる事実を指摘してゐるのです。
 しかし、芝居といふものは、批評家や劇作家の考へてゐるやうな考へ方で、やれるものではない。これは事実だ。つまり、芝居の道で苦労のできる人は、余程、芸術家のうちでも変つた特質をもつてゐる人である。ほかから考へると、どうにもしやうのないことを、ある勘で、なんとかなると信じ得る人である。この勘と、この意欲の強靭さが、劇場人の生命であり、演劇の混沌たる世界に、一条の光明を投げ入れる力である。
 小林氏の如く「芝居小屋全体の礼節」に愛想をつかすことはまだ早いし、真船氏の如く、作家として舞台に冷淡な顔を向けることも、日本に於ては、再考の余地があると思ふ。
 僕たちは「現在の劇場のために」戯曲を書いてゐないことは事実だが、これは、まだまだ「近代劇の行き詰りに悩んでゐる」からではないし、「舞台と戯曲とは別物」だからでもないのである。
 僕は第一に、日本の新劇の現状、歌舞伎新派の運命を考へて、今日まで一人も現はれてはゐないが、いつかは現はれるであらう俳優――西洋にはその例に乏しくないところの――と、その達し得る表現能力を相当に信じてゐる。この表現能力に対して、われわれ作家は勿論、一般演劇に関心をもつもの、又は、もたうとしないもの、何れも、一応吟味を試みるべき時代が来てゐるのである。

 如何なる文化部門に於てもさうだが、今日の日本に生れ、何か一つの仕事をしようと思へば、先づ、このへんのところから始めなければならないのではないか? なかには、もつと先を行く人物もあつていい。若し足許に危険を感じなければ! しかし、誰かが、「もつと以前」に止まり、先へ行つた連中も何れはそこへ一度戻つて来なければならないのである。
 僕は今、日本に於ける演劇の文化的水準といふことを問題にしたい。敏感な読者は、僕を含めて四人の走者が、演劇といふ一般的な観念を提げて、如何にてんでんばらばらな走り方をし、演劇そのものが危く見失はれようとした現象を以て、直ちに、日本現代演劇の混乱を感じられたであらう。演劇は貧困にも悩んでゐる。しかし、それ以上に、幼稚さに参つてゐるのである。われわれの混乱は、そこから来たのである。
 日本の芝居は、歌舞伎でも、新派でも新劇でも、今のままの方向を取つてゐては、誰がどんなに力んでも駄目である。かういふ方向を取らないわけに行かぬ理由もあらうが、それは、芸術と関係のないことで、小林氏の云ふ「劇場の礼節」は、即ち、一般文化水準の平均、統一、高度に比例するのであるから、劇作家の努力だけではどうにもならぬやうなものの、演劇に於ける一つの正しい方向は、常に劇作家がその時代に先駆を勤めることによつて定まるのである。
 真船氏の如きは、実にその先駆者の一人であることを自覚してゐていいので、僕などは、今日では、寧ろ、退いて、演劇のアカデミズム樹立に余生を献ずる決心をしてゐる。自然の順序である。

 西洋近代劇の内幕について、小林氏は僕に意見をもとめるのだが、僕の観るところでは、西洋の劇作家、乃至、小説家で劇を書いてゐる連中は、どんなに「良心的」であらうと、殆ど悉く、その時代の「劇場」を目当てに仕事をしてゐるし、劇場の方でたまたま受けつけないと、彼等は、例外なく不平を漏らすが、上演の運びになれば、多くの場合自分の好きな俳優の手で満足の出来る程度の舞台を見せてもらへるのである。ルナアルなどは、最も贅沢な作者であつて、たまたまアントワアヌと意見が合はないやうなことはあつたが、世評を気にしさへしなければ、作者としては、無条件にうれしい結果をいくども味はつてゐる。
 脚本と舞台との距離は、先づないといつていい例がそんなに稀ではない。その証拠に、脚本はいいが役者がまづいといふやうな批評は、西洋の芝居ではちよつと見当らないのである。それやさうだらう。ルナアルに限らず、芝居を書くと必ず、自分の信用してゐる俳優に一読を乞ふ習慣があるくらゐで、なかには、俳優との合作といつてもいいものが随分ある。アナトオル・フランスのクランクビルの如きは、半分以上ギイトリイが筆を入れたと伝へられてゐる。商業劇場の営利主義とかなんとかいつても、日本のそれとは同日に談ずることはできない。同人雑誌たる「新劇運動」は、その役割を数年後には果すのであつて、日本では、これが永久に続くのである。なぜなら、日本の新劇はいつまでも、「育たない」からである。
 そこで、その理由を僕は十年来、根気よく書きつづけた。それを今度本にするから暇があつたら読んで下さい。

 映画の話も出たが、今日の西洋映画は、以上述べたやうなわけで、スクリインに現はれる俳優の表現能力が、あるレベルに達してゐるといふだけで、日本の新劇よりも数等「演劇的」であることを指摘するに止めよう。(一九三六・九)





底本:「岸田國士全集23」岩波書店
   1990(平成2)年12月7日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
   1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「文学界 第三巻第十号」
   1936(昭和11)年10月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年9月5日作成
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