伊賀山精三君に

岸田國士




 十二月号の本誌(「劇作」)に掲載された君の力作『唯ひとりの人』を、たつた今読み了りました。
 佳作だと思ひます。これまでの君は、ここで見違へるほど成長してゐました。「大きくなつたね」と云ひたいところです。君が昨日まで如何にも得意らしく冠つてゐた「赤い帽子」を、いつの間にか投げすてて、静かに椅子の上で「坐禅を組んで」ゐる姿は、誠に頼もしく見えますが、今、君をちよつと驚かして、床の上を歩かしてみたくも思ひます。これは決して僕の悪戯気ではない。君がほんたうに、と云つて悪ければ、永久に、あの「赤い帽子」を脱ぎすてたのかどうかをたしかめたいからです。
 が、これだけ長いものを書いて、筆力と空想に、終りまでたるみを見せなかつたことは偉とすべきです。サルマン風の抒情味は程よく君の好みを生かしてゐ、対話も、まづ、あれだけにこなしてあれば十分でせう。ただ、僕が、この作品の根本的欠陥として指摘したいのは、象徴的にさへ取扱ふべき主題を、徒らに感情の論理化を求めて、著しく印象の混乱を招いてゐることです。言ひ換へれば、人物のそれぞれを理想化しつつ、その心理過程は飽くまでも現実的であるといふ矛盾です。これは結局、君の劇的イメエジを構成する二つの流れが、最初から別れて、二つの道を辿りつづけたことに原因があるのでせう。こいつは、どうあつても一体となるべきであつて、一戯曲が「生れる」ときには自らさうなつてゐるのですが、「作る」ときには、知らず識らず併行したままで終ることを、僕らも気づいてゐるのです。
 なにはともあれ、君の精進に対し、敬意を表します。(一九三三・一)





底本:「岸田國士全集22」岩波書店
   1990(平成2)年10月8日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
   1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「劇作 第二巻第一号」
   1933(昭和8)年1月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年9月5日作成
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