俳優志望者メンタルテスト

岸田國士




私。俳優志望の理由を簡単に云つて御覧なさい。
志望者。理由と云つて、別にありません。たゞ、自分で芝居がして見たいといふだけです。
私。芝居をするといふのは、舞台に立つといふことですか。
志望者。さうです。
私。一つの芝居が出来上るためには、どういふ人々が必要であるか、それがわかつてゐますか。
志望者。それは上演する脚本によつて違ひます。
私。と云ふと……?
志望者。あゝ、僕は舞台の上のことを云つてゐるのです。舞台裏の人は別としてゞす。
私。舞台裏の人……。
志望者。作者や舞台監督もあります。
私。よろしい。君は、芝居をやりたいと云ひましたね。芝居をやるといふことのうちに、脚本を書くことや、舞台指揮をすることも含んでゐるとは思ひませんか。
志望者。含ませてもかまひません。
私。君が、自分で芝居をやりたいと思ふとき、さういふ方面の仕事について考へて見たことがありますか。
志望者。僕はさういふ方面には向かないと思ふのです。
私。それなら、俳優としての素質には、自信があるのですか。
志望者。自信があるとは云へません。たゞ、あゝいふ方法でなら、何んだか自分の気持が表はせさうだといふ気がするのです。
私。俳優は自分の気持を表はすだけが仕事ではありません。
志望者。えゝそれはわかつてゐます。人物の気持です。しかし、それが自分の気持にあつてゐなければならないと思ひます。人物の気持を自分の気持に融け込ませて、それを、自分の気持として表はさなければならないと思ひます。
私。さういふ演技論も成立つでせう。それなら、君は、あらゆる人物の気持を、君自身の気持として表はし得ると思ひますか。
志望者。それは、才能と努力の問題です。つまりは、これからの問題です。
私。君はこれまで読むなり観るなりした芝居のうちで、どういふ人物に扮して見たいと思ひますか。どういふ人物に扮したら、うまくやれさうに思ひますか。
志望者。それは、二つの関係のない質問だと思ひますから、別々に答へさせていたゞきます。どういふ人物に扮して見たいかといふ問題は、自分の素質よりも趣味に即してゐると思ひますが、例へば「どん底」の男爵、「クノツク」の主人公などです。どんな役ならうまくやれさうかといふ問題は、実際はどうかわかりませんが、「アンドロクレスと獅子」のアンドロクレス、それから、「バダン君」のバダンなんか、自分の柄だといふ気がします。
私。日本のものでは……?
志望者。日本のものでは……先生の前ですが、思ひつきません。
私。日本のものはあまり読まないんですか。
志望者。若い頃は読みましたが、此の二三年どうも……。
私。君は二十五ですね。
志望者。はあ。
私。新劇俳優が、現在、経済的に全く酬いられないことは知つてゐますね。
志望者。職業になつてゐないからでせう。
私。職業的にはなつてゐます。
志望者。それなら、これからも、職業的であるに止まるのでせうか。職業にはならないでせうか。
私。ならないことはありますまい。たゞ、相当の時日を要するでせう。此の時日を、生活に追はれないで、有意義に過す覚悟と、手段とを有つてゐるものでなければ、将来一人前の職業俳優にはなれないと思ふのです。
志望者。その時日はどれくらゐですか。
私。わかりません。これは僕の推測ですが、専門家として職業的技術を充分に備へた俳優が、少くとも同時に三人手を携へて出なければ駄目だと思ひます。僕たちの仕事はその辺に目標を置いてゐるのです。
志望者。職業的技術を充分に備へるといふ言葉は少し漠然としてゐるやうですが。もつと、はつきり僕にも目標を授けていたゞけませんか。
私。遺憾ながら、それもできません。若し強ひてさういふ目標が必要なら、全然別の世界ではありますが、旧劇の二三の傑れた俳優がその特殊の才能と、その才能の練磨によつて築き上げた芸術境を、目標にして下さい。それよりも、できるなら、泰西の名優を一人二人、舞台の上で観て下さい。リユシヤン・ギイトリイでも、カチヤロフでもよろしい。
志望者。さういふ天才が同時に三人も、先生たちの周囲に集つて来るとお思ひですか。
私。来ないとは限りますまい。いや、それは戯談です。はつきりした目標なら、遠くて高いほどいゝではありませんか。もつと近くて低い目標が必要だとあれば、それはなんでもありません。現在の新劇俳優から一歩踏み出したところに目標を置きませう、然し、注意して下さい。現在の新劇俳優は諸君よりも一歩づゝ先に、その歩みを続けて行くかも知れません。しかし、急ぐことはない。たゞ、疲れないことです。止らないことです。何時までも歩いて行くことです。そして、「ある時機」が来なければ「始め」ないことです。
志望者。それは結局「何も始めない」ことになりはしませんか。
私。僕自身は、何も始めなくてもいゝのです。「始める」といふことが一つの名誉なら、その名誉は誰かに譲りませう。諸君も、それだけの決心がなければならない、日本の新劇を滅すものは、皆が早く「始め」過ぎることです。
志望者。あまり用心深いことも考へものではありませんか。数多く舞台を踏むといふことも大事ではないのですか。
私。大事であると同時に危険です。これからの俳優は、職業的関節不随に陥ることを避けなければなりません。見給へ、今日の俳優は、何れも、何処か知ら発育不全のまゝ、その畸形的な姿を舞台の上にさらしてゐる。これは肉体的にと云ふよりも寧ろ精神的にです。一寸見たところでさへ、ある種の感情が全く眠つてゐるとしか思へない人々がざらにあります。想像力にしてもさうです。
志望者。わかりました。それだけのことを伺つて置けば、僕にも決心のつけ方があります。何れ、採用していたゞくか、どうか、考へた上で御返事することにします。
私。あゝ、さうですか。君の方から返事を、……あゝ、さうですか。





底本:「岸田國士全集21」岩波書店
   1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「創作時代 第二年第四号」
   1928(昭和3)年4月10日発行
初出:「創作時代 第二年第四号」
   1928(昭和3)年4月10日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年5月1日作成
2016年5月12日修正
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