『馬』と『二十六番館』

岸田國士




 阪中正夫君の『馬』が改造に当選したといふ話を聞いて、私は「不思議」なやうな、「当り前」のやうな気がした。
 阪中君は、凡そ懸賞当選に不向な、いはば山ツ気のない作家であり、同時に、当選するしないに拘はらず、当選のレベルを遥かに越えた作品を、既にもう幾つか発表してゐるからだ。
 六七年も前から、戯曲一本道を、倦まず撓まず歩いて来てゐる彼は、世が世ならば――といふ意味は、世間がもつと戯曲に関心をもつてゐる時代なら――疾くに真価を認めらるべき作家である。
 今度の『馬』は、私の数多く読んだ彼の作品の中で、色調こそやや異つてはゐるが、特に傑れてゐるといふほどのものではないと思ふ。しかし、彼の抒情的な本質が底を流れ、表面は素朴な生活描写で一貫するところ、人物のファンテジイに富む対立と相俟ち、彼の劇作家的才能が、いよいよ、その翼をひろげかけた一例として、やはり、見逃し難い作品である。
 また、川口一郎君が、「劇作」四月号に発表した『二十六番館』は、同君の処女作であるが、その材料の特異なことと、外国の舞台から直接影響を受けたらしい緻密な技巧とによつて、先づ私の興味を惹きつけた。
 この新作家については、何れ詳しい批評を書きたいと思ふのだが、私は、この一作によつて、彼が既に、わが劇壇に於て占むべき地位を予想することができるのである。しかも、最も注意すべきことは、何よりも彼が、その出発点に於て、従来の何人よりも、戯曲家らしき戯曲家の風貌をもつて現はれたといふことである。
 難を云へば、描かうとする対象を前にして、作者の感情が純粋に昂まつてをらず、一々の人物に対しても、その輪郭の決定がやや散漫であるやうに思へる。が、しかし、これは、今日の川口君に向つては、隴を得て蜀を望む類ひであらう。
 阪中君といひ、川口君といひ、共にこの雑誌(「劇作」)に拠る人々であることは、誠に雑誌のためにも心強い次第だが、私は、昨今新劇復興の機運を察するにつけて、益々両君の自重活躍を祈るものである。(一九三二・五)





底本:「岸田國士全集21」岩波書店
   1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
   1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「劇作 第一巻第三号」
   1932(昭和7)年5月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年11月20日作成
2016年5月12日修正
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