風俗の非道徳性

岸田國士




       一

 時局が特に要求する国民の覚悟といふことについて私は考へた。わが国民全体がかうあらねばならぬといふ状態を想像してみる。人間がおほむねさうあり得る現実の諸条件を計算に入れたうへである。
 現代の日本人がもつ強味と弱点とがまづ問題になるであらう。
 強味はなんと云つても国家意識の旺盛なことである。敵愾心も強い。いざといふ場合、有無を云はぬ。一種の生死観によつて、身命を潔く擲つことができ、悲みに堪へる訓練ができてゐる。先づまづ戦争には誂へ向きの特性を具へてゐると云つていゝが、これをもつて直ちに好戦的だといふことはできぬ。
 好戦的にみえるのは、極度の負けぎらひと国民文学の伝統に根ざす戦記風の表現のためである。われわれの戦記は、常にロマンチツクであり、戦ひを美化することに努めた。歴史は武将の行動として花さき、教育は武家の文化として実を結んだ。巷には侠気が根をおろした。
 軍事専門家としてはともかく、国民自体は、他の如何なる国民にもまして本質的に平和を愛してゐる。その証拠はいくらでもある。しかも、他の如何なる国民よりも戦争を怖れない。大義名分は立ちどころ成り、どんなことがあつても負けぬといふ信仰があり、殊に今まで負けたことがないからである。
 ところが、今度の事変では、国民に対する政府の警告が、しばしば発せられる。杞憂と思はれることもあるが、尤もと感ぜられる節も多々ある。理由さへわかれば、国民は納得する。理由の説明が足らぬ場合は、国民も半信半疑である。これ以上説明ができぬといふなら、強いて訊かうとは誰も思はぬが、その代り、国民の間にのみ通じるところの、血の温かさを常に言葉のなかに含めてほしい。
 国民の一人として、私の政府への希望は、たゞこれだけである。しかしながら、私のひそかに思ふことは、国民をしてかゝる不満を抱かしめる原因と、当局が口を酸くして云はねば国民が自ら覚るところがなささうだといふことの原因との間に、実は、共通の現代風俗がみられるのである。

       二

 長期事変に処して国民全体の日常履み行ふべき道は政府の指示督励を俟つまでもなく、国民の常識として当然、知り、かつ守らねばならぬことであるが、それができぬといふところには、たしかにある弱点がひそんでゐるとみて差支ない。もちろん、国民の大多数は聖人でも君子でもない。たゞの人間である。あらゆる弱点をもつてゐるところの人間に過ぎないのであるけれども、一旦事にのぞんで、その弱点を克服できぬやうな人間がさう眼につくほどゐるとすれば、これは国家のために由々しいことである。
 前にも云つたやうに、国民が十分に緊張せぬやうな外観を呈してゐるのは、政府当局も口でそれを云ふほどの緊張を見せてをらぬからでもあるが、一つには、現代の日本人は、国民的緊張を日常生活のなかに於て示す形式をもたぬからであつて、例へば興亜奉公日といふやうなものを定めて、お互になんとかなると思ふほど、その表現において貧しく、幼稚で、真髄に徹するところがないからである。国民自身も政府当局もともに銘記すべきことは、かういふ国民的傾向を助成したのは、結局近頃の政治と教育だといふことである。
 この点は、国民精神総動員と称する運動の目標が、主として、国民の道徳に向けられてゐる現状と思ひ合せて、私は、こゝで、政府当局及び国民一般の注意を喚起したいと思ふ。

       三

 私は現代の日本人が、その精神力に於て、殊にその徳性に於て、他の如何なる時代よりも勝れてゐるとは思はぬ。しかしながら、あらゆる宣伝標語が示すやうな、観念としての道徳の向上振作をもつて、直ちに国民生活の調整と推進とを期することは、およそ当を得ぬと思ふ。
 なぜなら、問題の中心はどういふ例を挙げてみてもいゝが、それは殆どすべて、現代日本の特殊な風俗に帰着し、風俗は、それ自身思想の色合と関係なく、また、道徳の上にのみ築かれるものではないからである。極端に云へば、水甕を頭にのせたり、腰に抱へたりすることが、それほどの道徳性をもたぬのと同様である。
 特殊な風俗とはそもそも、ある地方、ある時代の人間の生活形態が他と異り、しかも、それが、そこでは当り前なことゝして通用し、或はせんとしてゐる部分を指すのである。
 歴史、地理、気候風土がそれを生みだすことはたしかであるけれども、一時代の政治と教育と外部との交渉がこれに著しい変化を与へることは云ふまでもない。
 風俗の研究は、それゆえ、ある単位の集団として人間の姿を描きだすと同時に、一個人の精神の生ひ立ちを知る上に必要である。希臘の哲学者が、「人はエトスの乳を飲んで育つものだ」とか、「エトスは人間にとつての運命である」とか云つたのは、さういふ意味だと思ふ。
 また、「倫理的のものはすべてエトスより出て来る」とも云はれてゐるのは味ふべきことで、若し風俗が道徳と関係があるとすれば、風俗こそ、道徳の根柢なのであつて、徒らに風俗の改良を道徳の力にのみ委ねようとするのは、本末顛倒も甚だしいと云はねばならぬ。
 そこで先づ、現代日本の風俗の特殊な点を観察すると、最近の国民の心理と、時代の転換に伴ふ新旧文化の交錯といふことが著しい原因として数へられる。
 言語動作、流行趣味、礼儀作法、延いては、物の価値標準、社会秩序、すべて、これを風俗としてみて、異常、変調である。
 そこには、もとより、頽廃もないではない。しかし、それ以上に、混乱より来る不安定と、棄てるものを棄て去り、身につけるべきものをまだ身につけてゐない空白の状態とがある。頽廃も混乱も空白も、つまり、外観は野蛮に通じるのである。

       四

 それゆえ、道徳性の弛緩といふことが、現象としてはたしかにそれらの風俗のなかに見られないことはない。けれども単なる道徳観念は、それが直ちに行為となつた場合でさへも、人を打つ力はないのである。道徳が真に民衆の理想を導き、これに醇乎たる人間的な生活の裏附をするためには、道徳の風俗化といふことが、昔から行はれて来たのである。為政者は口に道徳を唱へる前に、民衆の心理と、時代の動向をとらへればいゝのである。風俗を道徳的にのみ矯めようと努力するよりも、風俗の本質を見究めて、新しい出発を企図すべきである。
 目下の情勢に於て、国民の実力が発揮できないおそれがあるとしたら、それは、所謂、国民精神の涵養が足りないのでもなく、時局の認識が欠けてゐるためでもない。現在の国家的危機を国民自身の危機として痛切に感じないためであるとする説がまづ正しい。この危機を痛切に感じないといふことは、時局拾収の難事業を指導しつゝある国民の代表者たちの表情が、国民全体に向つて示さんとするところのものを適確に示し得てゐないところから来るのだと思ふ。
 お互にぎごちない身振りだけが目立ち、何を考へてゐるのかわからぬぐらゐ焦れつたいものはない。やがて、事実がわからせてくれるであらうと、国民はたゞ待つことに慣らされた。
 私は政府当局の誠意と国民の本心を信じてゐるけれども、これはこのまゝではいかぬと思ふ事実が一向に改らぬわけをいろいろ考へてみて、われわれは、今こそ、もつと、われわれ自身を知らねばならぬ時機だといふことに気がついた。それには、国粋主義の宣伝も結構であるが、現代日本の風俗よりみた国民の弱点について、これを単なる国民精神の問題としてでなく、現実の「たしなみ」の問題として、文化的に取りあげる必要を叫びたいのである。

       五

 われわれの祖先は、長い伝統によつて、今日まで、世界で特殊な、しかし、それ自身としてかなり美しい風俗を作りあげて来た。明治初年まで、国民はその風俗のなかで育てあげられたのである。明治時代は、所謂欧化主義の一時期を経過しながら、なほかつ、取るべきはとり、棄つべきは棄てるといふ一定の規準が個人及社会の生活を風俗の混乱から救つてゐた。
 大正以来、様々な風潮の送迎に、国民は進むべき目標を失つた。日本的なものと封建的なものとの区別を忘れ、西欧的なるもの即ち近代的なりといふ誤認に到達した。そこから、鵺的な簡便主義を「文化的」の名で呼ぶ習慣が生れ、美の権威が衰へた。
 旧習を打破し、しかも、外来の風になじまぬ一流が国民のなかに徐々に勢力をもちはじめた。最も敏感で自負に富む青年層の大部が常にその中心を形づくつてゐる。西欧の思想は思想として彼等の頭脳に浸潤しただけである。その思想を生み育てた風俗の伝統は、文学や映画を通じて芸術以前の魅力として受け取られ、これを模倣して得々たるものは、さすがに思想とは縁のない軽薄な手合のみである。が、それもまた現代風俗の混乱を示す一分子たる役目は演じてゐるのである。
 わが国古来の風習も、その守られ方の如何によつて、時代にそぐはぬものとなり、われわれの生活の誇るべき表示とはならぬものが少くない。それは、たゞ旧いから陋習と云はれるのではなく、新しいものゝなかで生彩を発揮しない涸渇した形骸となつてゐるからである。こんなことは私が指摘するまでもなく、明治以来の新興国民道徳の精神がこれを教へてゐるにも拘はらず、それだけではどうにもならなかつたといふのは、かゝる陋習さへも必要とされる生活自体の形成の欠陥を誰も補足しようとしないからである。政治の責任がこゝにないであらうか。

       六

 公衆道徳の訓練をしなければならぬといふものがある。いや、それよりも前に、個人道徳の確立が急務であるといふ説もでる。
 私はそのいづれにも半分づゝ賛成であるが、その目的を達するためには、これまで行はれてゐたやうな方法では百年河清をまつに等しいといふことを断言する。
 例へば、闇取引の話がはじまる。憤慨して聞いてゐたものが、相手の事もなげな話しぶりにだんだん釣り込まれ、遂に人ごとのやうな興味に心を躍らせ、相手自身の半ば露悪的な告白に何時の間にか耳を傾けながら、遂にそんなものかと諦めてしまふのである。この現象には、たしかに、空おそろしい半面もひそんではゐるが、また同時に、腹の立たないやうな洒脱なところもあるのであつて、事の軽重がかくも不均衡に取扱はれてゐる状態を私はこゝで特に注意したいのである。人間の良心が、正しく素直に発露するためには、それがどこかでぶつかる手応へといふものがなければならぬ。正義派といふものゝ現実的なをかしみは、正義を標榜する身振りの常識に反する形式にあるのである。
 道徳的であらうとするものが、やゝもすれば偽善者とみられ、自ら道徳家をもつて任ずるものゝ言行が、いはゆる道学者風な衒気をはなつのは、観念が風俗から遊離して、常人の感情にゴツリとさわるからである。
 日本人は、元来、かういふ点にかけては極端に潔癖な筈である。
 電車の中で老人に席を譲るのも、よほどよぼよぼな老人でないと見て見ぬふりをする者が多い。必ずしもずるいわけではあるまい。善行と見えることがそれほど辛いのだと云ふものがあれば、私は、苦笑をもつて、これを赦すであらう。席を譲つたばかりに、眼のやり場に困つてゐる若い人たちを私はいくどゝなく見かけた。もともと、こんな些細なことを業々しく道徳として教へたものゝ罪であり、また同時に、これを観念として注ぎこむことに急で、日常の作法として速かに風俗化することを等閑に附した弊である。
 道ばたで子供が転んだのを起してやる。母親が駈けつけて来る。極めて自然な応酬が彼女との間に取交されることは稀れである。母親は、子供に気をとられすぎて、起してくれた男に言葉もかけず、去るがまゝに去らしめるのはまだいゝとして、逆に、子供の膝頭の血を拭きもせず、やたらにこの親切な男に頭をさげるなどはどうかしてゐる。殊に、怪我はなかつたかと案じる紳士の方はろくに見ないで、お礼をかねた小言を子供に浴せかける母親はざらにあるのである。どれもこれも、善良な母親に違ひないのである。一人一人、教養も性格も違ふであらう。しかし、そこに見られる共通な風俗的特徴は、どれもこれも、身についた感情の表現形式をもつてゐないだけである。
 混雑する場所でみんなが先を争ふのを困つたものだと云ふ。しかし、よく見てゐると、なるほど先を争ひはするが、非常に消極的な争ひ方で、云はゞ、入口なら入口へ、君もはいれ、おれもはいる、といふやうな押し合ひへし合ひである。殆ど腕力に訴へるといふやうな激しい場面は生じない。黙々として、魚の如く、肩をすぼめて割り込んで行くだけである。時間があれば長蛇の列を作る習慣もそろそろついて来た。ところで、この長蛇の列でも、横から途中へもぐりこむのがゐても、それほど誰もやかましく云はない。電車の出札口などでは、左から順にと書いてあるのに、それを守つてゐる人間の眼の前へ、右からぬつとはいつて来て、いきなり手を出す。左側の先頭は、眉ひとつ動かさない。時には、慌てゝ、窓口へ出した金を一層奥へ押しやるぐらゐのものである。「馬鹿野郎、この字が読めないのか!」と啖呵を切るのを私は聞いたことがない。なんといふ穏やかな国民であらう。ところが、腹の中は煮えくりかへつてゐるんだといふことを、私は自分の経験で知つてゐる。法律や道徳で解決のつかぬものがある。序だから云ふが、かの浅間丸事件や斎藤事件で国民の示した態度はどうであつたか? かういふ問題をあゝいふところまで引つ張つて行つたのは、誰の責任か? ほんたうに云ひたいことを適確に云ひ表はす訓練のない人たちの責任だつたのである。

       七

 私が遺憾に思ふのは、国民に道徳心がないといふやうな途方もないことではない。お互の間に、心から心へ呼びかけるところの共通なひとつの新しい風俗がもうそろそろ出来なくてはといふことである。
 国民一般は、そのために、互に不信の眼をもつて対し、神経を不必要に浪費し、軽蔑に値しないことを軽蔑し合ひ、外国人の誤解を招き、予期しない国家的損失を蒙るのである。
 それなら、かういふことが一朝一夕で改まるかといふと、さうはいかぬ。しかし、道徳的標語をもつて国民の総力を動員しようとするのとそんなに変りはない。しかも、一旦成功すればずつと永続性があり、また国民相互の自発的協力によつて十分魅力ある運動となり得るであらうところに、私は大きな希望をつなぐのである。
 国語の整理統一、生活改善、都市計画、娯楽施設、文学芸術の利用、その他一切の文化部門に於ける活動の眼目をこゝに置くことは、わが国の現状として、まさに緊急事である。
 わが軍隊の強みは、私に云はせれば、専門的な技術の訓練もさることながら、軍隊として、夙に、整然と上下を通じて一貫する風俗の樹立を敢行した点にあるのである。そして今日、軍人の風俗と、いはゆる地方人のそれとの間にあまり画然たる開きができてしまつたところに、わが国情の一種の悩みもあるわけであるが、私は、これを例に引いて、国民全体が、決してユニフオームに象徴される軍隊風でなく、それぞれの個性、それぞれの階級、それぞれの社会に応じ、しかもそれらに共通する新時代の日本風俗を創りだす努力をしなければならぬといふことを云ひたかつたのである。
 軍隊風俗は、軍隊の使命において、ひとつの美風を誇つてよい。国民は国民の使命に於て、より寛闊な様式を理想とすべきであらう。

       八

 欧化主義に対する批判は既に終つてゐる。風俗の国際化といふ問題について考へてみても、私は、その意義と限界とを、国粋主義の立場からでなく、自然の理法として早く闡明してほしいのである。たゞ単に方向が与へられさへすればよい。
 服装における和洋折衷は、もはや退化の一路を辿りつゝあるやうに思へる。和服に靴を穿くものはとつくになくなつた。帽子もやがてかぶらなくなるだらう。
 日本人のお辞儀も、今や千差万別である。素気ないのになると、たゞ頤を突きだすだけといふのがある。膝をちよつと折つてみせるやり方も簡略至極である。「やあ」と云つて近づいて来るから、お辞儀をするのかと思つて待つてゐると、遂にそのまゝといふのがある。長くして掻きあげてゐる髪が前へ落ちて来ないやうに、斜に首を曲げるのがある。片足を後ろへ蹴あげるやうにするのがゐる。千差万別一向に差支へないが、共通の心理は、お辞儀は文字どほり形式だと思つてゐることである。もつともこれはみんな若い男の場合であるが、女のひとはそれほどでもない。その代り、何を喋るのにも、相手がそれをどう思ふかといふことばかり気にしてゐる。それは言葉の云ひ廻しにも、顔や手の表情にも絶えず示されてゐる。
 私はかういふ婦人と対ひ合ふ毎に、西洋のある種の女のつゝましい雄弁を思ひ出す。そして、それは、女性自身の心掛けよりも、男性の取扱ひがこの嗜みを作りだすのだといふ風にも考へてみた。風俗の国際化がこのへんから機微な点に触れて行く。

       九

 断つておくが、私自身としては、日本の風俗など現在のまゝですこしも不便は感じないし、それをぢつと眺めてゐることがなかなか愉快でさへもある。気楽といふ点では、自分もご多分に漏れぬ現代の日本人であるから、この調子で行つてくれた方が努力が少くてすむのである。
 しかしながら、私は、日本対外国といふことを考へると、ぢつとしてはゐられない気がする。揉んで揉んで揉みぬいた末、落ちつくといふのが、文化としての風俗生成の普通の過程であらうと思ふが、さういふ暢気なことを云つてゐられないのが、興亜の聖業などゝいふ言葉の生れた、今の場合なのである。
 百年先に出来上るものを五十年に切りつめたい。五十年かゝるものなら、二十年にちゞめたいのである。それもなほかつ無理だとすれば、せめて、その弱点を埋める応急の処置を講ぜねばならぬと思ふ。別にこれは、外国へ秘密にする必要はない。日本人が宣伝下手だといふことぐらゐ、誰よりも先に当の外国人が気がついてゐるのである。
 日本人自身は、宣伝下手なことを一つの美徳として自ら慰め、その実、ひそかにあの手この手を考へてゐるわけだが、これまた道徳とは関係のないことで、世界の良心と人間の本性とをよく知り、しかも、日本人としての真実にみちた表現を、相手国の活きた言葉で綴り得る人物がその衝に当つてゐないといふだけである。それくらゐの人物は探せばきつとゐる。どういふ人物にそれができるかといふことが、もつと早くわかつてゐてほしかつた。まだそれがわからぬといふなら、そこにも現代日本の風俗の弱点があるのである。

       一〇

 そこで、国民は、なにもかも政府に委せておいてはならないといふことを、もつと切実に感じなければならぬ。それと同時にわれわれ自身のなかにある弱点を、公然と指摘して、相共に、これを克服することに全力をあげねばならぬ。私は固く信じるが、この国民的運動の成果は、たゞに、わが日本の前途を光明に導くのみならず、隣邦支那の識者をして膝を叩かしめ、欧米諸国の徒らな感情的悪気流を一掃するに役立つであらう。
 事変処理の面がどんなに多岐に分れてゐても、この一面を忘れることは、国家百年の計を樹てるうへに甚だ遺憾であると思ふ。道徳の旗印を掲げることはもちろん必要な場合もある。しかし、いつの場合でもそれは最も容易なことである。国家の大事業は決して常に易きについてはならぬ。国民の指導者がさういふところへ力瘤を入れゝば入れるほど、国民全体は事実を甘くみる。そこで私は、現代風俗の問題をあげて、その非道徳性を指摘した次第である。
 私は性急に事を運ばうと考へてゐるわけではない。ある医家の初期の肺患者に云つたごとく、
「今急にどうなるといふ病気ではありませんが、たゞ、知つてゐるといふことが大事です」
 今は、誰が悪い彼が悪いと云つてゐる時期ではなく、何処に悪いところがあるかといふことをはつきり突きとめ、一国民全体が、一斉にその病根を封じてしまふこと、これはもう道徳的にいふ義務や犠牲ではない。われわれの好みに適つた伝統的な「たしなみ」である。(昭和十五年六月)





底本:「岸田國士全集24」岩波書店
   1991(平成3)年3月8日発行
底本の親本:「生活と文化」青山出版社
   1941(昭和16)年12月20日発行
初出:「文芸春秋 第十八巻第九号」
   1940(昭和15)年6月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年1月20日作成
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