戦時下の文化運動

――九州地方講演筆記――

岸田國士




「決戦下における翼賛文化運動実践の具体的方針」について、私から御相談申上げるのでありますが、先程「論議の時代は過ぎた」とは一応は申しましたけれども、しかし吾々文化運動に携るものの間に、確乎たる共通の理念をつくつておくことが、是非共必要であると存じます。これは論議の時代は過ぎたのでありますが、まだ吾々の間にはつきりした共通の標識といふものが、打建てられてゐないのではないかと惧れる点がございますので、決して事新しい議論ではないのでありますが、吾々としては「斯ういふ心持でゆかう」といふ、その心持について、まづこれから申上げたいと存じます。
 大東亜戦争の意義については、もはや吾々何も申すことはないのであります。これは吾々国民の間に確乎たる信念ができてゐると存じます。ただこの戦争完遂のための文化運動といふ点になりますと、そこにこの「戦争と文化」といふ問題が、取あげられると思ひます。
「戦争と文化」といふことについて今日までいろ/\な論議が行はれ、まだその燻ぶりが多少あらうと思ふのでありますが、これはまたの機会にはつきり国民の文化的能力といふものが、戦争完遂に欠くべからざる一つの要素であるといふことを、申しておきたいと存じます。
 即ち道徳、科学、芸術――この総力を結集し、そしてその上に大きな国家的目的をもつてこれを貫くところの国民文化能力が生ずるのでありまして、溌剌強靭なる生活力といひ、雄渾高雅なる「国ぶり」といひ、これが国民文化的能力の発露であります。文化は民族の理想を目指して、生々育成された一切の生活表現でありますし、また文明は、一面において人類の欲望から生れた智的所産とも云へるので、この混同が今日まで往々にして、文化運動乃至は文化といふものについて誤解を生んでゐるやうに、私は思ふのであります。
 健全なる文化の基礎がなければ、文明も常に民族発展の方向を誤り自縄自縛、遂に神の怒りにふれるのだと思ふのであります。欧洲文化の没落がこれを証明してゐます。しかしながら、人類の進歩乃至国家の繁栄にとつて一面、自然のある程度の変形、または技術の高度化といふことが、どうしても必要であります。この意味において、これは優れた文明の一要素をなすものと考へるのであります。従つて単なる文明謳歌といふものは、これは文化の健全性に反するものであります。文化を不健全ならしめ、或は文化を低めることさへあるものと考へるのであります。近来のアメリカ文明といふものが、文化的に見て甚だ不健全であり、また同時に文化的に見て低位であるといふことは、殆ど世界の輿論であります。
 今日までの文化も文明も、東西を通じてやはりこの方向を辿つて来た観があるのであります。ただわが日本は幸に三千年の伝統と鬱勃たる愛国の精神によつて西欧文明の侵略主義に向つて、正義の鋒をとる段階に這入りました。私はこれが大東亜戦争の、重大なる意義だと思ふのであります。
 即ち彼等の文化は、既に理想を失つた国々の気息奄々たる文化であると思ふのであります。辛うじてその文明が、民族の力を支へてゐるにすぎない。いかに精緻巧妙な衣を纏うてをりましても、人間の慾望が神の前に屈しないといふことはないのであります。その証拠に彼等多くの国々は、文明の奴隷たるにすぎない有様になつてをるのであります。
 真に優れた文化とは、神の意思を体して世界に永遠の平和を齎らすものであります。そしてこの文化は、国民の熱烈なる意思と努力によつて、築かれなければならない、それは野蛮に対立する意味においては、文明を含むのでありますけれども、その文明は自ら神意を表象するものでなければならない。人間を駆つて機械や制度に屈服せしめるものであつてはならないのであります。
 かかる方向に打建てられた新しい文明は、国民文化の豊かな要素となり、また同時に健全なる国民文化の中からこそ、さういふ文明が新しい姿をもつて、生れ出て来るのだと思ひます。
 吾々は久しく「人類文化」といふ言葉に迷はされて参りました。恐らく人類文化といふ観念は成立つであらうと思ひますけれども、しかし吾々が建設し育成すべきものは、あくまでも「日本の文化」「日本人の文化」であつて、この形を整へて吾々は今日世界人類の前に立つたのであります。
 九州は申すまでもなく日本文化発祥の地で、三千年来その風土と歴史とを通じて、最もよく日本的性格の一面を築き上げ、磨きあげて来た土地であります。しかもその性格は、苦難に処して愈々光輝を放つ体のもので、謂はば国防の第一要件たる男性的気魄において、他を凌駕するものであるといふことを、私自身の経験によつてそれを見、感じてゐるのであります。またこれは吾々日本人悉くが九州といふ土地に対して、信頼と敬意とを払ふ所以であると思ひます。
 吾々が日本に新しい文化を建設するこの時代に、さういふ理想をもつてここに立ち上つたときに、平和に狎れ安逸に溺れた奇矯脆弱な文化的の払拭といふことを、まづ考へなければならないのであります。
 一方乱を好み戦ひを事とする蛮勇もまた、決してわが日本の国ぶりと相容れるものではございません。文武両道は我が祖先の嗜みを承け継ぎ、花も実もある精神と、行動とを、吾々の全人格によつて、全生命によつて示すことが今日只今より必要なので、私が九州の雄々しい土地柄に期待するのは、全くこのためであります。
 九州の伝統的文化は、日本歴史の貴重な頁を占めるものでありますが、現在においてその精神がどこまで活かされ、その精神の上にいかなる風俗が作られてゐるかを、皆様自らお考へ願ひたいのであります。日本全土を掩ふ或る意味における不健全性――これは九州といふ土地になんの係りがない現象でありませうか、正しいことを行ふものが、越え難い障碍を感じてゐるやうなことはないでありませうか、身分、職業、年齢に応じて、その各々の務を果すべきことを、ちやんと心得てゐるものばかりでありませうか、ほんとうに美しいものが美しいものとして通用してゐるのでありませうか。みんなが充分にその総力を発揮してをりませうか、生きてゆくため必要な才能と技術とをみんなが持合せてをりませうか、仕事の能率が挙つてをりませうか、過度に疲労してその回復さへできないといふやうな状態のものがないでありませうか、人と人との接触が不必要にトゲ/\しくなつてはをりますまいか、纏る話も纏らないといふやうなことはないでありませうか、自ら心を娯しませるといふ協力が、すべての人にできませうか、国民としての品位を誰かがどこかで考へてをりませうか、同胞として真に相許し、力を協せて共同の目標に向つてゐる者のみでありませうか、日本を立派な国にするため、まづ郷土を理想化することを考へ、その計画を誰かがどこかでしてをりませうか、またそれを誰かが立派に指導してをりませうか、団体の個人主義、専門の割拠主義、権力あるものの独善主義はないでありませうか、そのために職域奉公が甚だ不完全だといふ部分が、どこかにありますまいか、殊に文化職能人の偏狭さが政治と生活から文化そのものを游離させてゐるといふ事実がないでありませうか。かういふ事実は、別段私がここで九州の文化について特に非難がましいことを申上げるために列挙したのではありません。日本の文化機構或は文化現象を通じて見る、一つの弊をここで算へたのであります。若しかういふ点があつたならば、それだけでも今日九州における文化運動の大きな第一着の仕事があるのであります。
 これは九州ではありませんが或る地方で或る一人の名医と称せられる人がある、このお医者さんは土地の信望もあり、またその技術においても非常に優れた人であります。従つてその病院には多くの患者が殺到するといふ有様であります。このお医者さんは医師界の新体制といふことについて話をする際に「自分の処に来る患者を、良心的に医者としてできるかぎりの努力を払つて治療してやることが医者の道である。それ以上なにをする必要がある。医界の新体制とか旧体制とかいふことは、医者だけしてゐないから問題になるのである。自分はさういふ意味において旧体制も新体制も超えて永遠の体制によつてやつてゐるのだ」といふことを云はれてをりました。私はその信念について非常に敬意を表したのであります。しかしそのお医者さんに私は恐る恐る尋ねたのであります。その土地は日本でも有数な結核の多い、また乳幼児の死亡率も近年非常に増加してゐる、その土地の只中に住んでをるお医者さんであります。そのお医者さんが、況んや自分の住んでをる土地の健康乃至衛生の問題について、どの程度の関心をもつて、それに対してどの程度の対策を講じてをられるか、不幸にしてそのお医者さんは、自分一個の病院の経営に没頭してゐる以外、その土地の保健衛生の問題について、どこにも働きかけたといふ事実を知らなかつたのであります。従つてさういふ質問をしたのでありますが、そのお医者さんは「さういふことは社会施設乃至公共事業としてやるべきで、つまらん医者がやるべきでない、開業医がさういふことに嘴を出す必要はないぢやないか」といふのであります。成程今日まではそれで通用したかも知れないが、この時局に国民悉くが新しい国家の態勢を整へるために協力しなければならない時代におけるお医者さんの考へとしては、聊か古いのではないかといふことを感じ始めたのであります。
 その後で極くうち解けて話をすると、成程そのお医者さんは、自分一人が社会的な大きな問題にぶつからなければならんと思ふから、それは絶望的で不可能だと考へるのであります。その土地の人は医者にも相談し、或る問題は当局にも進言し、また或る問題は民間の開業医達が協力し、更にまた文化部門の人達或は学校の教師とか、新聞関係の人々であるとか或は宗教家といふやうな人達の協力を得て、その地方の保健問題の解決に乗出すことが必要であるといふことを、はじめてそのお医者さんは気がつかれたのであります。
 かういふ風に単にお医者さんに限りませんが、文芸愛好者の場合も同様、また宗教家、教育家においても、今日までそれぞれその職域において、所謂「職域奉公」といふことが、狭い意味において考へられてゐる嫌ひが、なくはないと思ふのであります。しかし職域奉公を完うするためには、その職域だけの力ではいけないといふことを、吾々は反省しなければならないと思ふのであります。その意味における職域の組織といふものを只今翼賛会では考へてゐるのであります。
 即ち文化部面における職域の組織――只職域の一元的の組織といふ事を考へるのみならず、あらゆる文化部面――専門の職域を横に繋ぐ一つの機構を考へなければならない、そこに新しい職域態勢を整へるといふ事について、特に注意して参らなければならないのであります。
 大政翼賛会が只今実行してをります「国民組織」の問題――これは大体「地域組織」と「職域組織」の両面に亘つてをりますが、文化部面においては職域の組織と地域における職域の組織といふものを考へて参らなければならないのであります。これが結局は文化機構の整備強化といふことになるのでありますが、職域の点から申しますと、全国同一の職域の一元的組織をつくると同時に、これは各地方において、府県を単位とする職域組織が作られなければならないのであります。これは府県支部がこの組織に当るのでありますが、これまた府県が職域組織を作る段階と致しまして、今日まで本部が考へてをります「文化団体の結成」といふことが考へられたのであります。
 文化団体は文化運動の主体であると同時に文化職域の整備の推進力でなければなりません。今日までは特にこの職域の整備といふことを、文化団体の主要な目標としてはをりませんでした、しかしながらこれは職域の整備を、非常に急がなければならないといふ事情と、もう一つは文化運動といふものが、漸次国民生活の面と結びつくやうになつて参りまして、これは文化職域のものだけが文化運動を実践するのだといふ観念を、拡めて行かなければならない状態になつて来たと思ふのであります。
 従つて今後の文化団体は文化運動といふ点においては、文化団体のみの力で、この運動を進めるといふ形でなく、文化団体は凡ゆる団体乃至組織と協力して、文化運動を進めて行くといふ方向に、飛躍しなければならないと思ひます。
 そしてそのために、さういふ活動が最も有力になるためには、どうしても文化部面の職域の整備組織といふことに、重点を措かなければならないのであります。この職域の整備組織といふことは、翼賛会支部がこれに当るのでありますが、さういふ組織は決して翼賛会だけの力でできるものではないのであります。形だけができて魂が入らない組織にならないやうにするためには、一般文化職能人の自治的な力によつて、互に結合するといふ機運が昂められて来なければならんのであります。さういふ機運が昂められ、しかもこの組織のため、最も中心的な力となるのが将来の文化団体であります。
 で、文化団体はかういふ風にして文化職能人の一つの一元的な組織でありますから、他の団体――他の翼賛団体――翼賛運動を行ふ団体――この団体との間には緊密な連絡がなければならない。
 そして文化運動といふものは文化職能人がこれに対して専門的な智能を提供するものであつて、文化運動そのものの実践は文化職能人の団体と共に各種の団体――例へば翼賛壮年団、青少年団、婦人団体、産業団体、農業団体、産報等の団体と常に協力して、文化運動を進めて行かなければならんのでありまして、これら各種団体の運動といふものは、一面において文化運動の性格を有つてゐるものなのであります。これに対して文化職能人団体――即ち文化連盟はその文化的な専門的な智能を、提供して頂きたいのであります。
 これは或る模範村の話でありますが、この模範村は経済更生を目標として、数年来全村の活動が続けられて来たのであります。しかしその経済更生の目的は一応達成して、今や模範村の名によつて喧伝せられてゐる村であります。その村を最近調査しました結果、その村の健康状態が著しく低下した、経済更生の成績を挙げるのに疲労して、その村の健康状態が悪くなつてゐるといふ事実を発見したのであります。これはこの模範村にかぎられてゐる現象かと申しますと、決してさうではないらしいのであります。悉くの模範町村の調査はできてをりませんが、或は多くの模範村が、かういふ現象を呈しておりはしないかと思はれる所があるのであります。
 また或る模範村は増産奨励の結果著しく好い成績を挙げてをります。この村はこんどはなんとなく青年の気風が凄惨で、風紀なども従来見られなかつたやうな点が、眼につくやうなことがあるのであります。
 かういふ結果はどういふ訳で生ずるかと申しますと、なにもかも経済更生に向つて注意が集められる。全村の注意が悉く経済更生に向けられるため、これが必然的な結果とは思はないのであります。経済更生といふ運動の進め方如何によつては、全村の注意が非常に閑却せられる面ができる、その面がその間に非常に後退するのであります。これはどうしても、その村の経済更生が、もつと綜合的な立場から進められなければならない、これを言ひ換れば経済更生を図る村においては、同時に文化建設といふことが考へられなければならないといふことであります。そしてその文化建設が、即ち経済更生の有力な一つの基礎になるといふことになつて、はじめて模範村の模範村たる、完全なる姿を示すことができると私は思ふのであります。
 かういふことを考へましても、文化職能人の如何に今日いろいろな面において、その智能を提供する場面があるかといふことが分ると思ひます。また都市においてもこれに似た例が非常に多いのでありますが、これはいづれまた申上げる機会があると思ひますので略しますが、今日まで「かうしなければならぬ」といふことが解つてはゐる、しかしそれが却々できないといふ処に現代の文化的弱点があるのだと思ひます。誰でも「かうしなければならぬ」とは云ひますけれども、然らば「どうすればできるか」といふことまでは却々考へない。ここに将来の文化団体の工夫と努力が必要でありまして、しかもその工夫努力は必死の工夫努力が必要であります、同時にそれは非常に強力なる組織の力といふものが必要だといふことになるのであります。
 また「どうすれば問題が解決するか」といふその方法も亦多くは非常に簡単なのであります。しかもその簡単な方法が、実践に移し得られない処にまた今日の社会機構に、いろいろな矛盾があるのであります。私はさういふものと今或る意味において、闘つて往かなければならんと思ふのであります。
 民間の自発的な協力、更に、少し妙な言葉でありますが、「独往的な実践」といふものが文化団体の一つの性格として、どうしても必要だと思ふのであります。この場合に当然各行政官庁、翼賛会、また他の組織との間の関係を充分考慮に入れながら、その決意をもつて進まなければならないと思ふのであります。無用の対立或は摩擦或は力の重複といふやうなことを避けるやうに、充分御考慮願ひたいのであります。
 また翼賛会と致しましてもさういふ風にすべて各団体の調整を図ることに、将来努力するつもりであります。さういふ対立とか摩擦とかいふやうなことがありましては、如何なるいい目的をもつた仕事でもその効果があがらないものでありますから、その点は充分御注意願ひたいと思ひます。
 私は前から考へてゐるのでありますが、今日日本に必要なことは今まで非常に大事だ大事だと思はれてゐた事柄で実は少しも手がつけられてゐないといふことが非常に多いのであります。これは文化の面においても同様でありまして、誰かがまづそれを始めなければならんと思ひます。しかしその始めたものが自分一人で、或はまた自分達だけでそれができると思ふことは、非常な間違だと思ふのであります。
 まづ「始めた」といふことに聊かの満足がありとすれば、それを完成するのは自分達だけの力ではない、非常に多くの協力者を必要とするといふ、謙虚な気持によつて、文化運動を進めることが必要だと思ひます。これからの文化運動の性格は、実に多くの分野との協力によつて、綜合的に進めるといふことによつて、はじめて完成せられるものと考へるのであります。
 以上「具体的に」と思ひながらかなり抽象的な話になつてしまひました。しかしこの目標についてはほぼ今日お集りの皆様方には、無論具体的な形でお把み願つたことと存じます。私として申上げることはこれだけであります。





底本:「岸田國士全集25」岩波書店
   1991(平成3)年8月8日発行
底本の親本:「知性 第五巻第三号」
   1942(昭和17)年3月1日
初出:「第一回九州地方文化協議会会議録」大政翼賛会組織局文化部
   1942(昭和17)年1月
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年3月1日作成
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