登場人物
緑衣の男
紫衣の女
白衣の少年
黒衣の老人
紫衣の女
白衣の少年
黒衣の老人
舞台
闇黒――やがて、遠景に弧形の地平線が現れ、その上部は次第に白光を放ち、幕の閉ぢる前には、舞台全体が暁の色に包まれる。
中央に緑衣の男と、紫衣の女とが並んで坐つてゐる。
その右に白衣の少年が寝ころび、左に、黒衣の老人が立つてゐる。
中央に緑衣の男と、紫衣の女とが並んで坐つてゐる。
その右に白衣の少年が寝ころび、左に、黒衣の老人が立つてゐる。
緑衣の男 (独言のやうに)今年ほど運り合せの悪い年はなかつた。一月早々自動電話の中へ紙入れを忘れ、二月には魚の骨を咽喉に立て、三月は三月で、事もあらうに、脅喝罪の嫌疑で警察へ引つ張られ、四月花の盛りには、三年越しの恋人に心変りをされ、五月には、なんのことはない、職務怠慢の科で会社をお払ひ箱……。六月になると、食ふや食はずの日が一週間も続いて……。
紫衣の女 (負けぬ気で)七月にたつた一人の娘をなくして以来、八月には泥棒にはひられ、浴衣と腰巻の外おほかた箪笥は空になり、九月にはひり、やつと暑さを忘れかけた頃、鉄瓶を落して此の通り右足に大やけど……十月は小包の中へ手紙を入れて罰金を取られ、十一月には、町内へ知れ渡るほどの夫婦喧嘩をやり、揚句が、十二月だと云ふのに亭主は家へ寄りつかず……。
黒衣の老人 (苦労人らしく)まあ、さう愚痴をこぼしなさんな。わしは、なにも、お前さんたちに、災難ばかり授けたわけぢやない。想ひ出して見るがいゝ。――若い衆、お前さんは悪くすると監獄行だつたんだぜ、まんざら覚えがないわけぢやあるまい。あゝやつて、うまく云ひ開きが出来たのも、相手がよかつたからだ。――それから、お前さんもさうだ。おい、ねえさん。なるほど、子供をなくしたのは悲しからうが、すぐまたあとが出来たぢやないか。いやさ、できてるといふことさ、その子の顔を一目見たら、おやぢも心を入れ替へるだらう。
紫衣の女 (取り乱して)此の子が生れるのは来年の三月だから、それまでは、どうしたらいゝんです。
緑衣の男 (捨鉢な調子で)監獄へでもはひつてゐれば、ひもじいことだけでも助かつてゐる。
黒衣の老人 (それ以上取合はず)わしはもう、役目を果して、あとのことは、万事、そこに寝てゐる小僧に頼んである。お前さんたちの云ふことを、一々取りあげてゐたらきりがない。たまには一人ぐらゐ、せめて「御苦労様」とでも、云つてくれる人間があつてもよさゝうなものだのに、これはまたなんといふ世智辛い世の中ぢや。同じ過ぎ去つたことでも、三年、五年、十年、二十年と経つてゐれば、「思ひ出」とやら云ふお菓子になるさうな。
紫衣の女 (甘へるやうに)ねえ、お爺さん、お菓子なんかあたしはどうでもいゝから、来年こそ、なんとか一つ運が向くやうにして下さいな。
緑衣の男 (調子を合せ)此の小僧にどんな力があるか知らないが、なんだか、お爺さんほど頼みにならないやうな気がしますよ。
黒衣の老人 (しんみり)今から考へると、全くお前たちには、もう少し不幸の手加減をしてもよかつた。だが、そんなことを云つても取返しはつかない。来年のことは、すべて、その小僧次第さ。
紫衣の女┐
├ ぢや、どうか、わたしたちのことをよろしく頼んで置いて下さいますか。
緑衣の男┘
黒衣の老人 (しかたがなく)そんなら、一つ、頼んで置いてあげよう。おい、おい、もうそろそろ支度をしろよ。それからな、こゝにゐる二人は、今年すこしいぢめ過ぎたから、お前の番には、幾分手加減をしてやつてくれ。
白衣の少年 (伸びをしながら)やかましいな。まだ時間にならないぢやないか。
黒衣の老人 (大業におどろいた顔附をし)こいつは、なかなか、気六ヶ敷い小僧だ。それぢや、まだ寝てゐてもいゝが、二人のことは頼んだぜ。
白衣の少年 (からだを縮め)そんなこたア、知らないよ。
黒衣の老人 (穏かに)無論きまつた振り当もあるだらうが、いくらか予備もこさへてある筈だ。なんとかなるまいか。
白衣の少年 余計なお世話だい。
紫衣の女 そんなこと云はずに、ねえ、ちよいと、小僧さん……。
緑衣の男 小僧さんなんて呼ぶからいけないんだ。もし、坊つちやん、後生ですから…。
白衣の少年 うるさい。お前たちをどうしようと、おれの勝手ぢやないか。
紫衣の女 (しつつこく)そんなら、せめて、これから、どうなるものか、それだけでも教へて頂戴な。
緑衣の男 わたしにもどうか、一つ……。
白衣の少年 占ひにでも見て貰へ。
黒衣の老人 (なだめ顔に)それは聞いても無駄だよ。なに、あゝ云つても、お前さんたちの願ひは、兎に角通じてゐるわけだ。安心して、年を取りなさい。もうぽつぽつ東が白みだした。わしは、かうしちやをられん。
紫衣の女 (諦めかねて)お爺さん、あんたのところにはもう仕合せが一つ二つ余つてゐませんか。
緑衣の男 余つてたら、わたしにも一つ……。
黒衣の老人 (気の毒さうに)いや、いや、余つてゐても、これはもう通用しない仕合せばかりだ。このまゝ持つて行くより外はない。
紫衣の女 (意地きたなく)通用しなくつてもよう御座んすから。
緑衣の男 持つてゐるだけ持つてゐさせて下さい。
黒衣の老人 (少しうるささうに)それはならん。そんなことをすると、世の中が目茶苦茶になる。おい、大将、また眠つちや駄目だぜ。あとはよろしく頼む。ぢや、お二人とも、御気嫌よう。(去る)
紫衣の女 (その後を見送り)たうとう、行つちやつた。
緑衣の男 (耳を傾け)あれが、除夜の鐘だ。
白衣の少年 (起ち上る)さ、はじめよう。(両手で何かを空中に撒き散らすやうにして舞台を歩きまわる)
紫衣の女 (身悶えながら泣く)
緑衣の男 (両腕に力を入れ)よし、元気を出してと……。さうだ、田舎へ帰らう。田舎で働かう。なにか仕事はあるだらう。(起上らうとする)
紫衣の女 (男に取りすがり)もし、夜が明けるまで此処にゐて下さい。女一人で、どんな目に会ふか知れませんから……。
緑衣の男 (当惑して、しかし優しく)此処にゐてもしやうがないでせう。お差支へなければ、僕の下宿へおいでなさい。風邪でも引くといけません。
紫衣の女 (含羞みながら)でも、それではあんまり……。
緑衣の男 (とぼけて)あんまり……なんですか。
紫衣の女 (しなを作り)あんまり……
緑衣の男 (快活に)……早すぎますか。そんなら、あなたのお宅までお送りしませう。
紫衣の女 (摯ねて)あんな家へは帰りたくありません。
緑衣の男 (扱ひ兼ねて)そんなら、此処にかうしてゐませう。あなたさへよければ、僕はかまひません。寒さうですね。此の外套を貸してあげます。いゝえ、御遠慮には及びません。
紫衣の女 (感動して)それでは、あなたが……。
緑衣の男 (鷹揚に)いゝから、黙つて着てらつしやい。僕はかうしてゐれば、結構温かです。(体操をする)
紫衣の女 (男の膝に泣き伏し)こんなに親切にしていたゞいて自分がどんなに不幸な女だと云ふことさへ、もう忘れてしまひさうです。
緑衣の男 (相変らず体操をしながら)忘れておしまひなさい。今日から、忘れておしまひなさい。
――幕――