昭和二十五年秋、いわゆる「演劇の立体化運動」のために文壇、劇壇の有志数十名により「雲の会」が作られ、その活動の一つとして翌年五月、月刊雑誌「演劇」が創刊された。本稿は、その創刊号から九カ月に亘って連載され、俳優ならびにそれを志す人々のために、個々の具体的な問題について、著者の思いつくままに筆を進めたもので、問題はこれで尽きたわけではないが、二十七年一月同誌の廃刊により、ひとまずこれだけにとどめて発表することとした。
F・T嬢へ
今度M撮影所へおはいりになったそうで、まずまずおめでとう。千人からの受験者のうち、五人だけ採用されたというのだから、まことに幸運と申さなければなりますまい。それにしても、あなたが審査員たちの眼にそんなに光った存在として映ったということは、たぶんあなたが俳優として恵まれた素質をもっていられるためと思いますが、しかし、それだけではまだ将来が決定されたとは言えない。これからがたいへんです。そして、そのことを誰よりも強く感じておられればこそ、あなたは、この僕に、さしあたって助言を求められたのだと思います。
予めお断りしておきますが、僕は、演劇についてはまあ専門家と自称してもいいでしょうが、映画のことに関しては、ことに映画プロパァの問題に関してはまったく素人です。僕の小説がこれまで一、二度映画化されたということは、決して映画にタッチしたことにはなりませんし、多少映画を研究的に観ているという程度では、その領域についていっぱし発言の資格があるかどうかもわからないのです。ただ、あなたも多分、それをご承知のうえであろうと思うが、僕は演劇について言えることが、屡々、それも現代の日本では特に屡々、映画についても言えるという信念をもっています。二、三の優秀な映画人についてそのことを確かめ得る機会もありました。
幸いにして、あなたのご質問が、映画俳優として立つ上に、舞台の修練と経験とが必要ではなかろうかという点から始まっている。
そのことにはいずれ後でふれますが、その前に、スクリーンであれ、舞台であれ、苟くも俳優たる以上、俳優とは何者であるか、ということをまずはっきり自覚していなければなんにもならないと思う。あなたにはそれがまだわかっていない、と言っては失礼かも知れないが、どうもそんな気がするのです。
何事によらず、当節は、偽物と代用品が多い。ところが、それはそれなりに職業として成立っているところに、誘惑もあり危険もあるのですが、あなたの場合は、まさか、そんなことで甘んじるつもりはないでしょう。それでもいいなら、僕はなにも言う必要はありません。一旦易きにつくことを覚えたものは、決して、困難な道を歩もうとはしないからです。
さて、そもそも俳優とは何者でしょうか?
この答えは、実はまだ決っていないのです。俳優というものがまだ職業とならず、誰でも気が向けば公衆の面前で芝居がかりの役を演じた古い時代はさておき、次第にそれがある人々の趣味というよりも糊口の手段となるにつれて、芝居の内容ももちろん変って来たが、その舞台に立つ演技者の心構えにひとつの型といえるようなものができて来ました。芝居そのものの社会的評価が一定の角度から厳しく狭められると同時に、俳優という職業、及びその職業にある人間に対する甚だ無慈悲な偏見が生じたことは、先刻ご承知のとおりです。
これは日本ばかりではない。日本のある時代ほど極端ではありませんが、なかなか手強い議論が宗教方面やある種の思想家たちから出ています。旧幕時代の日本の為政者や、厳格主義を標榜する宗教家の、社会的な風俗或は道徳的影響に対する警戒は別として、ひろく人間性の立場から、俳優の職分そのもの、ひいては演劇芸術そのものに関する、むしろ否定的な言説ほど人々を迷わすものはないでしょう。
しかし、その言説のよって立つところは、近代の劇場の在り方ですから、一応無理もないと言えば言えるのです。われわれがかくありたいと望む演劇は、それはまたいくぶん異った性質のものですから、結局は、事実によってこの偏見と戦うよりほかないのです。
ともかくも、ことさら軽んぜられるようなことをしさえしなければ、俳優が軽んぜられるいわれはない。これは自明の理です。つまり、なにをしてもいい、卑屈になりさえしなければ、ということです。
ところが、ここにまた問題があります。俳優は専ら人気商売だというのが常識になっていることです。
なるほど、人気というやつは、曲者に違いありません。これを相手に廻せば、いずれは身の破滅と知りながら、ついそれに引きずられるのが人間の弱さでしょう。まして、人気なるものの正体について甚だ安易な考え方しかしていない現代の興行ジャーナリズムを背景としては、若い俳優がじっくり腰をすえて勉強するよりも、なんとしてでもいち早く名前を売り出し、一人でも多くのファンと称するものを作り、縦横の鼻息をうかがいながら、一方には媚態を、一方には貫禄を、というあさましい処世術に憂身をやつす結果になりがちなのです。
人気というものは、もちろん、馬鹿にはできません。しかし、それだけの実力があるかないかによって、人気の性質も違って来ます。俳優である以上、肉体的、精神的に一個の魅力ある存在であること、そしてその魅力が才能の練磨によって特殊な光を放ち、その時々に扮する人物をとおしてわれわれを予期しない感動に導くということが、その俳優の実質的な価値です。この価値は絶対的なもので、いわば俳優の生命のようなものです。芸術家として自ら恃むところはこれだけで、あとのことは、宣伝係に委せるがよろしい。
多くの映画俳優が、今日まで、その若さといっしょにすべてを失って行く例を飽くほどみせているではありませんか? これはなぜでしょう? 理由ははっきりしています。
そこで、あなたも、おそらくは、その理由について想いをひそめられた結果、この僕に相談をもちかけられたのだと思います。
問題は、いろいろの面から取りあげることができます。しかし、先ず、あなたの直接のご質問からお答えしましょう。
映画俳優になるために、舞台の修業乃至経験は絶対に必要なものかどうか、でしたね。
さて、どういう風にお話をしましょうか?
つい最近まで一般に、わが国では映画俳優と舞台俳優とは、全然演技の質が違うものとされていたようです。つまり、その素質、才能、技術を含めて、両者はそれぞれ固有の領域内で独立した存在であり、かれこれ相通ずる部分は非常に少いように考えられていました。従って、映画俳優としてスタアの位置にありながら、舞台に立つと全く素人の域を出ないものが事実あり、舞台俳優としては相当の年功を積んだものが、スクリーンでは見るに堪えない芝居をするという場合が屡々あり、その結果、特に映画の立場から、舞台俳優不信の声がかなり高かったのです。今日では、ややその事情が変って来ました。ご承知の通り、舞台俳優、特に新劇俳優の映画への進出も目覚ましく、ある種の映画は、それらの舞台俳優なしには作られぬというところまで、専門家の認識が変って来ました。
ところが、そんなことに今時分気がつくのはおかしいようですが、実はちっともおかしくないので、欧米、特にフランスやイギリスの映画には、ずっと以前から、映画専門の俳優なぞはそんなに出ていません。
これは、一面、舞台俳優で間に合うということと、一面には舞台俳優でなければ通用しないところと、二つの面があると思います。
言いかえれば映画にほしいような俳優が、既に舞台俳優のうちにいること、それから、ある程度舞台の勉強をしたものでないと役がこなせないということと、この二つの事情がからみ合っているのだと思います。
そこで考えなければならないのは、舞台俳優だから映画には無理だという存在が、果して、欧米諸国ではみられるかということです。それは、たしかにみられないことはない。例えば古典劇専門の俳優がいます。現代的色調をもった映画にはむろん不向きです。いわゆる通俗劇専門の俳優がいます。これも、その演技には誇張による因襲的な臭みがあって、映画に出ると一層ボロを出します。
結局、現代劇俳優として、正しい訓練を受け、近代人らしい知性と感覚とを身につけることはもちろん、どういう意味においても、矜りをもった人間としての魅力が、舞台にしろ、スクリーンにしろ、絶対に物を言うのです。
それなら、現代劇俳優としての正しい訓練とはなにか?
ここが常に誤られ易いところで、「正しい」という言葉のなかに、少くとも、「人間的魅力」を低下させ、或は稀薄にしない、という意味が含まれなくてはならないのです。訓練とは技術だけを対象にしてはいないのだけれども、実際は往々にして技術偏重の教育が目立ち、また、俳優芸術の修業の途上では、練習による技術的な一面だけが辛うじて教育効果を生むという実情です。技術的熟練が若干の例外を除けば、殆ど常に「人間的魅力」のマイナスとして働く一般の傾向を見逃すわけにいきません。
この際、映画専門の俳優の場合は特にそれが甚しく、舞台俳優のうち、比較的正しい演技訓練を経た新劇俳優のいくたりかが、その例外を形づくっていることを更に注意してほしいのです。
なぜ特に「新劇」と断定するかといえば、第一に、俳優志望者をひと通り見廻してみて、最初から新劇を志す青年男女が、いちばん、純粋に芸術家を目指していること、第二に、新劇の畑ではなんといっても、才能以外に頼ることはできないこと、第三に、新劇団はそれぞれ困難と戦いながら固有の研究所をもち、やや正統的な俳優養成の方法を講じていること、第四は、新劇俳優は、それを欲すると欲せざるとにかかわらず、絶えず時代の文学の影響下にあること、これはつまり、人間の観察と把握とのために最も有力な土台となっていること、などを考えればすぐにわかる筈です。
不幸にして、現在の映画界には、この新劇俳優を育てるような雰囲気も、機関も、ないばかりでなく、その必要をさえ痛感している指導者があるかどうかです。
これでひと通り僕の答えは終りました。
映画入りをやめて、先ず舞台の経験を積みなさいとは、僕は敢て言いません。それもたしかに苦難の道ですし、安全で理想的な勉強法などというものは、どこへ行ってもないからです。但し、以上述べたような僕の意見は、あなたのこれからの決意に、ある一つの方向を与えるだろうと信じ、それで僕も満足することにします。
会社はもう既に、あなたのための第一回作品を準備中と洩れ聞きました。それも面白いでしょう。皮肉ではありません。あなたが今度は成功してもちっとも不思議はないと思うくらいです。ただ、その成功の意味を履き違えないようにしてください。
M・S君へ
偶然の機会に君の初舞台というのを見ました。偶然というのは、プログラムで人からそれを注意されたからです。古参先輩の中にまじって、君はなかなか光っていました。研究所に一年いただけにしては、舞台度胸もなかなかできているので僕はちょっと驚いた。おまけに、僕が見物席にいるのを見つけ、幕間にずかずかとそばへ寄って来て、批評をしろ、と強要されたのには、僕も実は閉口した。
なるほど、そういう風に催促でもしなければ、君のあの役は、出来不出来は別として、わざわざ批評家が取りあげるほど重要な役ではない。君はそれが心外なのだろう。
僕もまだ、あれだけを見て、君の芸術を論じる気にはなりませんよ。そこで、逃げを打って、いずれゆっくり話でもしようと答えたのが運のつきでした。何時会うかという君の手紙をたしかにみたが、どうも今のところゆっくり話をしている時間がないので、こういう手紙を返事の代りに出すことにしました。
先ず最初に言いたいことは、俳優の芸、つまり、いろいろな要素をひっくるめた俳優の魅力ぐらい、誰にでもすぐにわかる「美」は、ほかの芸術の領域にはないと、僕は思います。従って、俳優なら、批評家や好事家の註釈やおせっかいはちっとも必要でないばかりでなく、最も正しく、かつ厳しい批評家は、観衆そのものだという説を僕は信じています。あとは、好悪の問題です。
かたくなな先入見をもった批評ほど、俳優を毒するものはありません。その意味で、日本では、新劇ファンと呼ばれる観衆ぐらい、従来の新劇を歪め、俳優を萎縮させるのに役立った観衆を僕は知りません。
一種のセンチメンタリズムが、最も尖端的な劇場の中に満ちていた光景を、僕は想い出してゾッとする。もちろんこれも、日本の大衆の一性格ではありましょうが、比較的知的な作業のなかに、或は意志的な行動のなかに、常にそれを持ち込まなければ承知できない自称インテリの思想とは、偶像崇拝にも似た敬虔の強いられた表情にすぎないということ、これはまことに驚くべき滑稽です。
M・S君、君はそういう観客を相手にしない方がよろしい。少し行儀はわるくても、浅草の観客の方がずっと「芝居」のわかる見物だと、僕はかねがね思っています。
どんなことでも、破目を外すことはいと易しいことです。自分をコントロールできさえすれば、最もヤンチャな見物の前で一役を演じてみたまえ。「糞面白くもねえ」という批評ほど、俳優にとって致命的なものはない筈です。科白の意味が通じる通じないは、第二、第三だという、多少極端な覚悟が生れて来なくては、日本の現代劇は芝居にはなりません。
一足飛びにそこまで行けというのではありませんが、それを目指し、そこに近づくことが、真の俳優の修業のように思われます。
君たちのやった芝居にしても、まだ、俳優がみんな脚本におんぶするか、または、ぶら下ったきりです。君の如きは、脚本の一片を両手で恭しく捧げ持っている。「神妙にやってる」などと批評家に褒められるのは、俳優が一人前でないといわれているようなものです。
君ならすぐに呑み込んでくれると思うが、今の日本の新劇に、ともかく、演出の上でも、演技の上でも、一番欠けているのは、或は、閑却されているのは、なによりも「流露感」だと思います。上滑りをしてもいいというのではない。いい言葉がなかなか見つからないのだが、つまり、フランス語の Spontanit です。英語でも多分 Spontaneity は同じ意味に使われると思いますが、自然に、後から後へ続いて出て来る一種の快調を指すのですが、それは決して、無理に押し出すのでもなく、しぼり出すのでもなく、いかにも楽々と、豊かに、あふれ出る有様をいうのです。
君は最近翻訳の出たエリオットの「カクテル・パァティー」という戯曲を読みましたか? 原作は韻文だそうだけれども、そのためもあつてでしょう、福田恆存君の訳でも非常に流暢な、しかし、ひとひねりした会話の連続です。
この芝居は、面白いには違いないが、およそ日本の新劇の畑では、花が咲きそうもない代物だ。その第一の理由は、こういう生活風景と会話の味を原作者が望むように、そして、英国や米国で演じるように、わが新劇の俳優諸君は舞台の上で表現する習慣をもっていないことです。この種の芝居は、全体として、日本の新劇調になったら、まるっきりぶちこわしです。それほど難解な文学ではないのだから、演出者も俳優も、この翻訳からひと通り舞台のイメーヂはつかめる筈ですが、さて、この舞台には絶対に必要な、軽妙にして重厚さを失わないという風な生活のトーン、それにふさわしい人物の構成と対話の呼吸は、どうしても、滾々と流れ出る相当の水量の重さと幅とを、軽々と流し去る滑りのいい適度の傾斜をもった溝が是非ともなくてはならない。
ある面倒な科白をいう役者が、その科白の下敷になってよたよたしたり、それをいうために力みかえったりすることほど、舞台を重苦しく、しかも浅薄なものにすることはないからです。
さて、それなら、そのスポンタネイテなる物は、いったい、何から生れるかというと、これにもピンからキリまであって、そのことだけなら、一番ドサ廻りの旅役者がそれをもっている。せめてそれがなければ見物がついて来ないからでしょう。つぎに、軽演劇と称せられる部類の通俗劇にも、それはかなりある。これまた、それが芝居になくてはならぬものだということを、身をもって経験しているからだ。歌舞伎や新派の舞台にも、ある程度それは感じられます。度々繰り返しているうちに、そうなった、という証拠は歴然としています。
そうなると、それがないのは新劇だけということになるらしいけれども、実際は、作品によって、いくぶんそれを強要されている場合がなくはない。強要された流露感とはいったいどんなものでしょう。紙一重どころの差ではありますまい。
煎じつめれば、どんな脚本とでも、楽々と取り組んでおかしくない俳優だけに、理想としては真に美しい流露感が求められるというわけです。
この機会にもうひとつ、君に言っておきたいことは、多分もう研究所あたりで誰かの講義で聞いた話かも知れないが、僕は、君たち年輩の俳優一年生の諸君に、どうあっても、古今東西の文学作品を読めるだけ読んでおいてほしいと思います。戯曲は読むが、詩も小説もあんまり読まないという心得ちがいをしていた若い俳優を僕は識っている。ごく手っとり早い例をあげれば、戯曲だけしか読まないということは、いかに優れた戯曲を数多く読んでも、俳優としては、どうしても、人物の把え方が一面的になり、型にはまり易くなるのです。一人の人物を舞台に再現する前に、俳優は自分の頭の中に、その人物の理想像を先ず描いてみなければならないのに、その理想像が、一種の類型に堕するということは、文学的な人間研究が不十分で、常識の範囲に止っているからです。ある人物の特徴、面白さ、役割としての限界というようなものを正確につかむためには、文学的な教養以外に力となるものはありません。戯曲は俳優によって肉体化される目的で書かれた文学ですから、戯曲のなかには、俳優のための空席がちゃんと残してあります。その空席を君の肉体と精神とが、一定のワクの中ではあるが、十分に満たさなければならない。君の肉体と精神とは、君自身の選択によって最も有効な姿勢をとるのです。この時、戯曲は、君になんの制限も加えない代り、君の手助けをするものではない。君は、君自身の才能と素質とに頼るほかはないのです。そして、それを満足に活かしてくれるのは、いうまでもなく真の意味の深い教養、特に文学的な感覚の火花であろうと思います。
類型と典型とが、演劇の世界で、どんなに屡々混同されているかを、君は気づいていますか?
「ああいう人物はよくいるよ」という感想を吟味してみると、そのことがよくわかります。
手紙に枚数の制限があるという説があるので、今日はこれで筆をおきます。
M・S君へ
お手紙拝見しました。僕の前回の手紙について、君の率直な疑問をたいへん面白く思いました。君は疑問として提出はしているが、むしろそれは抗議にちかいものとして僕はうけとったのです。なぜなら、君の言い分は、僕が君をダシに使って、一般論しか述べていないとやや不満の意をもらし、その例として、僕が、「初舞台を踏んだ」君に対し、いきなり、「流露感」を欠いているなぞと、個人的にとりあげるべき難点とはいえない新劇全体の傾向を指摘しているのは、どういうわけか、というにあるからです。
そこで僕は、その不満乃至抗議に答えなければならないのだが、それにはまず、簡単に、僕のこの手紙は、君に宛てて書いてはいるが、実は、君だけに読んでもらうためではないという一事をはっきり断っておく必要があると思います。
しかし、それでなくても、僕は、俳優一年生になら、誰にでも通用する注意、勧告から始めるのが一番正しいと信じていますから、たとえ君だけにあてはまる批評というものが成り立っても、それはもっと後になってからで遅くはないような気がします。
すべて基礎を造るということがおろそかにされている時代に、あまりにも基礎的な問題をとりあげるのは、一見、甚だ迂遠で、その効果がないように思われがちです。僕は、いちおうそういう風潮に逆ってみたいのです。
さて、「初舞台」の俳優にいきなり「流露感」を求めるのは求める方が無理ではないかという主旨の君の疑問は、ちょっと尤ものようで、その実、僕の言う「流露感」というものがまだよく呑みこめていない証拠のようですから、そのことをもっと詳しく、具体的に説明してみましょう。
演劇というものは、その本質からいって、なによりも、「時間の経過」が必要であり、また、それが韻律(リズム)となって、舞台の重要な美をつくり出しているものです。その点、演劇は、大きい分類に従えば、まさしく音楽などと同様、「時間芸術」以外の何ものでもありません。
従って、文学として書かれた戯曲も、そういう条件が十分考慮され、そういう特質と限界とが常に具わっています。しかし、その戯曲がいったん舞台にかけられると、演出者がそれを如何に演出し、俳優がそれを如何に肉体化するかによって、そこには、原作をひとりで読む時には浮ばない、眼と耳とに直接愬えるイメージが附け加えられるのは当然で、それこそが、むしろ、演劇芸術の主体になるのです。言いかえれば、戯曲家が文字なる記号をもって綴ったものを、厳密に言えば、しばしばその欠陥、不備、曖昧さを補いながら、俳優は、自己の肉体と精神とのあらゆる機能をあげて、これを完全に描き出さなければならないのです。
この間にむろん演出家の役割というものがありますけれども、ここでは触れずにおきます。ともかく、俳優というものは、芸術家である限り、それ自身として、独立した存在であることを銘記しなければなりません。俳優は決して、「何かの力」に頼り、「何かの指図」に従って、舞台に上ることはゆるされない。もし、自己以外にそういうものがあるとしても、それをまったく、「自分のもの」とし、自分の中から湧き出すものとしてから、舞台を踏むという覚悟と矜りとがなければならないと思います。
このことは、しかし、新劇俳優ならば誰でも一応、理想としては考えていることでしょう。ところが、現実には、この程度ならまあまあ通用するだろうというひとつの水準ができてしまっていて、その水準を越えようとする意欲がほとんどない。
その原因は必ずしも一つではありません。
僕の見るところ、少くとも、三つの大きな原因をあげることができます。
第一は、新劇草創の時代から、俳優は常に「人形」或は「生徒」の取扱いに甘んじ、作者と演出家が永久に「先生」であり、劇場はあたかも研究室乃至実験室の観を呈し、見物を惹くのは概して脚本の魅力と信じ込まされ、舞台の退屈さは俳優の未熟よりもむしろ脚本の罪に帰してやや責任をのがれ得ることに慣れてしまったことにある。
第二は、新劇には多少とも思想が盛られていて、「考える芝居」の要素があり、観客に考える暇を与えた方がいいという無意識の配慮が、舞台のテンポを必要以上にのろくしている。これがまた、俳優の油断を生んで、台詞は「記憶し」ていさえすればよい、という妄断を生む結果になったこと。
第三は、俳優の芸も他のすべての芸術と同様、結局、その「人間」のすがたであるという自明の理が不思議に実際の舞台では顧みられていず、そのために、俳優が自分の「生活」を修業の場とする心掛けが意外になく、特に、社会生活という面からいうと、驚くべき狭い範囲に閉じ籠って、高度な、厳しい精神の鍛練が、火花を散らすように行われる交友関係を自然敬遠する傾きのあることです。この傾向は、新劇の社会にさえ、既に、既成の演劇界と類似の風潮を生み、はっきり言えば、常に甘やかす周囲とのみうまく調子を合せることに慣れ、ちょっと気が利いたようにみえながら、実はふやけきった「お役者」と呼ばれるひとつの人間の型ができあがりつつあることは否定できません。必然的に、文学との絶縁です。
但し、この場合、混同してはならないのは、こういう型にはまればはまるほど、低俗な意味の職業意識から、演劇における俳優万能の観念が生じ、自分を必要以上に目立たせようとする一種の芸人的媚態を自らゆるすようになることです。
以上あげた三つの点は、俳優としての比較的正しい訓練を受けたものにさえ見られる遺憾な傾向ですが、その罪は決して個々の俳優にあるのではなく、日本の新劇という「社会」のいつの間にか陥った穽のようなものだと思います。
その証拠に、これとほぼ同様な空気は、作家を含む新劇関係者全体のうちになきにしもあらず、です。このことは、われわれはじめ、気がついているというだけでは何もならぬ。僕が、敢てこれを公言して憚らぬ理由です。
さて、舞台の「流露感」の問題ですが、俳優の側からみて、いわゆる「演技以前」の「人間的魅力」と、「舞台芸術」の本質の把握とを問題にしたのですが、更に、新劇の「流露感」を一層豊かに、かつ鮮明にする秘訣は、なんといっても、稽古にもっと力を入れることでしょう。
稽古は長くするばかりが能ではありません。しかし、稽古の目的のひとつは、「繰り返し」にあるのですから、できるだけ度々繰り返すことによって、練度を増すことが必要です。
日本の古い武道の教えに、たしか「心手期せずして相応ず」という言葉があります。また、モォロアというフランスの作家の書いたものに、ある種の動物の動作を形容して、「身体で考える」という表現を使ってあったと記憶しますが、つまり、俳優は、すべてのセリフ、すべての表情動作を、そういうところまで、すなわちその程度の「練度」にまでもっていかなければ、ほんとの芸とは言えないのではないか。
器楽の演奏を聴けば、そのことがもっとはっきりわかる筈です。練習不足の演奏ほど聴きづらいものはなく、第一、そんな演奏を公開するなどということは、専門家にはまずあり得ないと言っていいでしょう。つまり、音楽は、それが当然のことだから誰も問題にはしないが、本質的に、「時間芸術」としての流露感を絶対条件とし、それがいかに厳格に満たされているかがわかるのです。
そこで、序でに、君の逆襲を予想して、僕の方から先手を打てば、それなら、俳優にそこまでの要求をする以上、新劇の演出家や脚本作家の仕事振りは今の程度でよろしいか、どうか、を問題にしましょう。
これも用心のために、一、二の例外はあるということにして、実は、大多数の演出家も脚本作家も、情熱や才能はともかく、実際の仕事の上では、可なり手を抜いている、言葉がわるければ、急ごしらえの仕事をしすぎることはたしかのようです。これが散文なら、それはそれで読める程度のものはできるかも知れない。だが、舞台にのせる脚本となると、興が乗ってひと息に書くのはいいとして、それでも、ある一定の密度と、とくに、十分な「練度」というものが要求されます。それも、耳で聴いて、わかり、かつ、精神と感覚に快くひびく言葉の選択は、脚本全体を通じて、一貫した生命の流れを形づくる前提となるからです。どれほど俳優が工夫してみても、たかの知れたセリフから成っている脚本の前で、俳優は、当惑するのはむろんでしょう。
すべてがギクシャクした脚本を、すらすら流すことは不可能です。それにしても、舞台のギクシャクの全責任を脚本に負わすことはこれは俳優の不名誉だという自尊心を、せめて僕は、俳優にもってもらいたいと思うのです。
戯曲家は決して、生れながらに戯曲家ではありません。僕の見解では、いかなる戯曲作家も、自分の国の、その時代の劇場から、戯曲を書く興味と、感覚と、野心とを植えつけられるので、そのうち、最も影響力をもつのは、自分がこれと思う優れた俳優の魅力、しかも、直接その俳優に接した時の感動によるもののようです。言いかえれば、人及び芸術家としての俳優の天才的魅力が、作家を刺激し、鼓舞し、誘導しつつ、一個の戯曲家に仕立てあげるというのが定石らしいのです。
古来、戯曲作家と俳優との個人的関係は、幾多の話題を残していますが、ほとんどみな、作家がその俳優に傾倒し、異性の場合はもちろん恋愛、またはそれに近い状態において、同性ならば、無二の親友ともいうべき友情によって固く結ばれた間柄です。俳優の側から言えば、当然、その作家の才能を高く評価するばかりでなく、自分のために、自分の力を最大限に発揮し得る脚本を書いてくれる相手として、これを遇します。互に互を利用する一面もあっていいわけです。
すこし本筋をはなれたようですが、僕の言いたいことは、いつまでも作家が俳優を舞台の上でまでリードするようにみえることは好ましくないということです。むしろ、俳優こそ、戯曲作家を舞台の世界ではリードすべきで、時にはこれに霊感を吹き込み、時には、技術的ヒントを与え、時にはまた、最も専門的な批評を加えなどすることこそ、俳優の正しい意味に於ける権威を確立する所以なのです。
こういう俳優なら、黙っていても、その周囲に有能な作家が集って来る。そして、こういう俳優こそ、舞台の上で、立派な戯曲批評を試み得るのです。
僕の新劇に望む「流露感」とは、この程度の俳優によってリードされている舞台から生れるものを指すので、少くとも、出演俳優の全部が、未熟は未熟なりに、そこを目標として、まずどんな戯曲でもマスタァすることを心掛けることが第一だ、という原則をたてたい。すべては、そこから始めなければならぬ時機です。
次に、新劇が「流露感」を欠く一つの大きな原因は、俳優の肉体的条件がわりに軽くみられ、特に、声に魅力がなく、肢体の均斉がとれず、運動神経の鈍さが目立つことです。
僕はここで、先天的な欠陥を問題にしてはいません。いずれも、訓練乃至厳しい修正によって十分救い得る弱点なのです。
まず「声」について言えば、僕は既にある程度これに触れた文章を書いたことがありますが、俳優の「声」の訓練は、これまでどこでも考えられていながら、十分に効果をあげていない。新劇の舞台は、「声」そのものが相当、芝居を薄っぺらにし、退屈にし、かつ、ひからびさせていることは、多くの観客が既に気づいていることです。
僕自身は、歌舞伎や新派の「声」を決してありがたいものと思ってはいません。むしろ、甚だ耳ざわりな、極端にいえば生理的嫌悪を催させる「不健康」な声だと信じていますが、見方によれば、あれはあれなりに「鍛えられた声」の一種で、人によっては快感を覚えるらしい。ところが、新劇のセリフは、発声法などという近代的、合理的な勉強を一応していながら、どうも、「声」として、ヴォリゥムも味いもなく、従って力強くも快くも響かないのです。つまり、なんとなく貧弱で、無理に搾り出すようなところがあり、しばしば調子が狂いそうな危っかしさを感じます。観ていると、どうも、はらはらし、聴きとるための努力を強いられ、セリフがいたずらに長いような気のすることは、珍しくない。
これはいったいどうしたものでしょう?
なるほど、新劇畑にも、ややどっしりした、陰翳のある、聴いていてそう倦きの来ない声をもった男女優が二、三います。が、その他は、みんなと言っていいほど、声がわるい。
僕は、俳優にいわゆる普通の「美声」を求めてはいません。条件は、よく通ることと、聴いていてどこか惹きつけられることと、ただそれだけでいいのです。
よく通るだけなら、軍人にも政治家にも、そういう声はあります。また、歌舞伎や新派や軽演劇のひとたちは、どんな大きな劇場でもなかなか声が通る。新劇のセリフがとくに声を通りにくくしているという一面があるにはあります。リアリズムを基調にした脚本を、多くはリアリスチックな演技で演じるからです。しかし、それにしても、三越劇場のような小さなホールで、声がよく通らないというのは、もちろん、そのせいではありません。
聴いていて、声は通るけれども、その声の量と質とが、どうも男の声にしても女の声にしても魅力に乏しいというのは、これは、なかなか複雑な問題で、一概にその原因をこれと断定することは困難でしょう。しかし、僕は、それが俳優だけでなく、一般の日本人についても言えることだ、という観察にもとづいて、やや性急な結論を下せば、やはり、民族的体質乃至気質と深い関係があるように思う。
西洋人の声というものは、あれで特殊な趣味から愉快に思わないひとがあるかも知れないが、まず、公平にみて、人間の健康な声、自然な声、底力があって不必要に暗くない声だと、僕は感じます。
だから、西洋の俳優は、どんな新米でも、どんな端役でも、いっぱし堂々たる声を聞かせ、それが、アンサンブルとして、舞台なりスクリーンなりに、快調ともいうべきセリフの流れをつくるのです。
こういうと、そんなら日本人と生れた俳優は、声に魅力が乏しくっても、それは宿命的な欠陥でどうにもならぬではないかという、悲観論が出るかも知れない。たしかに、一種の不幸を日本の俳優は背負っていると言えますが、そこはやはり、芸術の世界に於ては、日本人は日本人なりの「声の生かし方」があって、俳優こそは、民族の代表としてでも、「新しい舞台の声」の創造工夫を積んでほしいと、僕は希っているのです。幸い、声というものは、運動神経などと一脈通じるところがあって、正しく、厳しい訓練によって、ある程度、面目を一新するもののように思われます。僕は、声の問題を、民族的な体質及び気質に結びつけました。体質も気質も、後天的要素が加わることによって、一定の方向へ伸ばし得るものだということは、既に他の例によって証明されているのですから、ここに声だけをとってみても、生理的な方面の研究と同時に、精神的な面からも、なかなか面白い研究ができ、その結果を応用すれば、声の矯正は意外に捗るのではないかという期待をもっています。早い話が、明治時代までは、やや格式を重んずる家庭で、「声の躾け」ということが行われた事実を、僕などでも記憶しています。今日は、俳優が率先して、声楽家の修業と相対する、演劇的であり、かつ人間的な「魅力ある声」の標準に従い、個々のヴァライァティーに富んだ現代人の声の純化、強化を心掛ける時代ではないでしょうか?
声の問題はひとまずこれくらいにして、肢体の均斉がとれていないことと運動神経の鈍さが、いかに新劇の舞台を重苦しく、バラバラなものにしているかは、やはり、西洋の芝居との比較においてこれを見るのが一番早いので、これも声の場合とやや似た結論が出て来ます。
そして、僕の考えでは、この二つの欠陥は、従来、お互い日本人の共通点として、俳優にも可なり甘い点がつけられているようなところがある。ここが重大な点です。
たしかに、どういう点からみても、見物と大差ないということは、俳優にとって名誉でもない代り、いくぶん安心の種でもあるわけでしょうが、そこはすこし考え直してもらわないと困るのです。現代の日本人のぶざまさは、舞台の上で、諷刺の対象にこそなれ、それをそのまま大真面目で模写しただけでは、芸術的に理想化された人間像が描き出せる道理はないのです。
肢体の均斉の難点を一番目立たせているのは、西洋人の服装をそのまま、似合っても似合わなくても着ている現代人の無感覚です。俳優がこのことだけに気がついても、舞台はぐっと調和の度が高まるでしょう。
運動神経の鈍さを意に介しないようにみえるのは、現代生活に共通した適度の作法というものがなくなっているからだと、僕は見ているのです。なにも舞台の上で飛んだり跳ねたりするばかりが運動神経の用い場所ではない。一挙手一投足が、運動神経の働きによって、調和を保ち、見た眼に快い流動のすがたをうつすのです。ところが、それは、舞台の上だけで、ひとつの規準を作るというよりも、日常生活のなかで、社会の風習が、一定の形式を生み出し、その形式に基いて、社会人としてのからだの持ちあつかいを舞台的に処理するのが俳優の役目です。
そもそも、そういう社会人としての日常の動作の基準、つまり、作法の型というものが現代の日本では、非常に乱れている。ほとんど共通の美意識がそれに対して働いていない実状です。だからこそ、俳優は、その混乱無秩序と戦わなければ、現代の演劇のほんとうの魅力は生れて来ないと、僕は思う。
かかる風俗に対する美意識の働かせ方は、誰よりも俳優が一番鋭敏で、かつ、柔軟でなくてはならぬ道理です。
で、一応、そういう意識を働かす能力があると仮定して、さて、それを舞台の上で自己の肉体をもって実証する段になると、どうしても、十分に訓練された運動神経の助けをかりなければならないことになるのです。
舞踊がそのために役立つことは言うまでもありませんが、これまた、僕の観察では、舞踊のある種のものは、それを習ったというだけでは、あまり効果が期待できないようです。なるほど、音楽に合せてひと通り、なになにの踊りは踊れるようになっている。しかし、普通の動作が、ただある種の踊りの型のある部分であったり、または、踊るときと普通に動くときとは、全然運動神経の働かせ方がちがったりする例を屡々みかけます。
日本舞踊を習ったひとが前者に多く、西洋舞踊を習ったひとに後者が多いことを、僕は不思議に思っています。
これで、僕の回答をひと通り終りました。
希望と勇気とを失わぬよう、とくに辛抱強く、勉強したまえ。
O・Y君
一年間××劇団の研究所で勉強したという君が、いよいよ劇団研究生の資格で、舞台に立つ機会が与えられようとしている今日、突如として、ある不安に襲われはじめたという告白を、僕は、深刻な問題として聴きました。
それも、技術の上でまだ自信がもてないから、とでもいうのなら、そんなことは心配しなくってよろしい、といって慰めてもあげられようが、実際はそんなことではなく、現在の演劇界、殊に、新劇の諸団体を含めた、すべての新しい演劇の在り方について、一種の不信を抱くようになり、君自身の方向をさえ見失おうとしているという極めて悲観的な心境を訴えられてみると、僕自身にも多少はそのことに責任がありそうに思えて、これはなんとかしなければならぬと、とりあえずペンをとった次第です。
君の言葉を藉りると、現在の新劇は、もはや新劇とは言えない殻のなかに閉じ籠り、外部からの刺戟も素直に受け容れようとせず、まして、自発的に飛躍を試みようとする意欲は薬にしたくもなくなっている、というのですね。
いったい、君は、そういう事実を、君の眼でたしかに見ているのですか?
それとも、むしろ、君が手紙のなかで無意識に漏らしているように、多くの批評家の容赦なき意見を、ことに、新劇関係者相互の論難というようなものを土台にして、もうこれはダメだ、と絶望しかけているのではありませんか?
もし君が、そういう事実を具体的に観て、それを指摘できるとしても、君の観ている範囲はごく限られたものだとは思いませんか?
また、もし、誰彼の言説によって、君がおぼろげにそれを察したのはよいとして、そういう事実の反面に、君が真に探し求めているようなものが、どこかに厳として在るとしたら、果して、君はなんと言うか、です。
君は、ほんとうにいい芝居、それも、時代と共に歩みつつ、新しい時代をつくっていく芝居がやりたいんでしょう? 理想をそこにおくのはまことに結構です。しかし、現実の芝居の社会を離れて、そういうものを打ち樹てる方法がありますか?
西洋の例を君は引合いに出すかも知れない。モスコオ芸術座はどうだったとか、アイルランド劇の運動はこうだったとか、それはいくらも、例は挙げることができます。われわれも、そういう試みは、して、できなくはないでしょう。現に、いくたびも試みられました。
結果はどうですか? 僕に言わせれば、日本では、まだ、そういう試みをすら試みとしてゆるす地盤ができていないのです。悲しむべき社会です。しかし、それを敢てするな、とは誰も言わない。それだけではダメだ、という見透しから、現在のいわゆる新劇団の第一歩が踏み出されたのだと、僕は信じています。
それなら、現在の新劇団なり、これに類する組織なりから、何が生れるか? そこに、いろいろの問題があります。
誰がこれを動かし、誰によってこれが支えられるか、で、それは決るのです。
政治の実体が、政治家によって、そして同時に民衆の質によって決るように、演劇もまた、いつまでも旧態依然たることはゆるされない筈です。変革は、時が移り、人の改まることを必要とします。政治なるものを見限って、自ら高しとする一部の東洋の君子らは、現実の政治が如何なる人間によって支配されているかを見極めていないのではないかと、僕は疑うのです。例は少し違うのですが、演劇に興味をもち、演劇の実際にたずさわろうとする場合、現に在る演劇の好ましからぬ半面だけを見て、すぐに愛想をつかすのはどうかと思う。
もうすこし気長に、とまでは、若い君に言うだけ野暮だと僕は思う。せめて、現在、劇壇の内部と、それに密接した外郭とに動きつつある、微力かも知れないが、新鮮な機運を、君は見逃してはなりません。
はっきり言えば、その母胎の一つ二つが、既に、君の身近かにあるではないか。しかも、注意すべきことは、それが、君の現在まで籍を置いていた劇団の公然たる機構のなかに、曲りなりにも存在し、活動をつづけていることです。
君はまた言うかも知れない。――それは名ばかりのもので、責任のなすり合いに終ることが多い、と。
よろしい。それなら、君たち自身、なぜ責任をとろうとしないのですか? それは、きっと許されることだと、僕は固く信じる。君たちに、然るべき才能の芽があると仮定してです。それを判定するのは、もちろん、第三者であって差支えありません。そこに到って、はじめて、今日の新劇団は、その成さんとするところを心ある観衆に示し得るのではないでしょうか。
僕は、誰がどう考えようと、現在の新劇団の「新しいもの」への関心と、それを迎え入れようとする寛大な善意とに信頼をおくものです。ただ、何が新しいか、という判断は、時として誤ることがあるかも知れません。それも、時として、なら、そんなに責めるには当らないのです。誰でもその過ちは犯すことがあるからです。
ただ、「新しいもの」への関心と、それを受け容れる寛大さだけで、いい芝居はできないという自覚は、それほど吹聴する値打ちのない発見です。芸術の世界では、創造こそが「新しいもの」ですから、日本の演劇がほんとうにわれわれを惹きつけるためには、もっともっと「新しいもの」を附け加える必要があるようです。
僕は先日上京して、俳優座と歌舞伎座とを見物しましたが、たまたま、舞台の上の「旧さ」と「新しさ」とを、いろいろなところで、対蹠的に見せつけられました。実にいい勉強になりました。
俳優のことだけを言いますと、特に目立って「新しい」演技の面白さを発揮していたのは、俳優座の永井智雄君でした。もちろん満点とは言えませんが、ところどころ、非常に新鮮な心理表現のニュアンスを示したので、僕は驚きました。役の解釈としては、いくらか平凡にすぎたかも知れません。しかし、もともと肉附の足りない僕のあの作品から、あれだけの人間像を引出してくれた永井君の努力を高く評価します。
「椎茸と雄弁」は、全体として、可なり成功した舞台になったと信じます。もしそうでなかったら、僕は、個人の気持として、俳優座に相すまぬと思っているくらいですから、逆に、お世辞でなく、演出者青山さんほか、出演俳優諸君に感謝の言葉を惜しみません。なお、装置の「新しさ」にもちょっと眼をみはりました。伊藤熹朔君の仕事は、長年、尊敬はしていましたが、今度は、僕の作品が作品だけに、微妙なところまで神経を使ってもらったことは、まったく望外の幸せでした。
歌舞伎座での、滝沢修君の演技も、二た役とも、なかなか立派でした。ことに「楊貴妃」の高力士の役は、日本の俳優として、まったく新しい性格表現の型を発明したように思われました。
こういう風に、君がなんだ、かんだ、という新劇のなかに、探せば、ぼつぼつでも、「新しいもの」が出て来るのです。
序に、これも君などが読んだら、きっと、首をかしげる記事だと思いますが、先日ある新聞の匿名欄に、歌舞伎座の「椿姫」の装置について、ゴシップがのっていたそうです。内容は、至ってつまらぬことだが、そのゴシップは偏見と悪意とによって、不必要に事実を歪曲してあり、しかも、個人のアラ探しを快とする卑しさが見えすいているばかりでなく、それこそ、いろいろな新しい試み、演劇にとって尊重すべき意図、時に大胆な冒険という風なものを、ひっくるめて、妨害、阻止しかねない俗論の尻押しをする結果になっているのである。
装置のことに明るくない美術家が、たまたま懇望もだしがたく、専門家の技術的な助言協力を計算に入れて、背景のデザインを描いた場合、舞台の寸法とか、演出上の都合とかいう点で、部分的な訂正をするのは、それがたとえ、専門装置家なら最初から気のつくようなことでも、ちっともおかしくはないのである。専門装置家と雖も、演出家の意図に反したデザインなら、快く第二案を作るのが当然であろう。言わば、そういう楽屋話を、さも、鬼の首でも取ったように、楽屋の外へ吹聴する「芝居の専門家」の心事は、まことに憫笑に値するものである。
O・Y君
歌舞伎座の「椿姫」は、いろいろの手違いもあって、思うようにいかなかったが、僕は一種の古典の現代化として、多少の新味を盛ったつもりです。
それはそうと、佐藤敬君の装置は、その新味を生かすために、わざわざ僕がお願いしたので、佐藤君としては、好んで乗り出したわけではないのに、非常に熱心に、精密に、装置の考案をしてくれた。この仕事を助けた専門家の意見も、実に虚心に聴いていたことを僕は知っています。
出来上ったものの批評は、各人各説であってもよいが、同君の美術家としての演劇への関心と協力とには、演劇人の立場から、真面目にその業績を見守ることによって、敬意を払うべきだと信じます。
自分に関係のあることを少し喋り過ぎたようですが、手近な例をあげた方がはっきりするから、遠慮なく触れたのですが、要するに、演劇の世界も、他の日本の現状と同様に、混沌としたすがたのまま、今日に至っているのです。
ひとつひとつは、仮に、希望がもてても、それがいつもばらばらなかたちで、綜合的な力にならないのが、日本の悩みだとも言えるのです。文学芸術の社会もその例に漏れません。
なにか、互に、不信、軽視、敬遠の姿勢で、相対し合っている傾向が強いのはなぜでしょう?
君の現在の不安、懐疑は、かかる風潮への不安、懐疑かも知れぬし、また、かかる風潮が生んだそれかも知れぬ、と、僕は、なんだか空おそろしい気がしだしました。
君などとまるで違って、どんな雰囲気のなかでも、のほほんとしていられる青年たちもいるにはいます。
しかしまた、君とおなじ悩みながら、それを口には出さず、一歩一歩、障碍と戦いながら、理想は現実に取って変るものではなく、それは永久に、辛うじて現実の支えとして役立つに過ぎぬことを知り、如何なる混乱のなかでも、自分の道を清潔に生きぬこうとする青年がいるとしたら、君は、その青年と手を握るつもりはありませんか?
A・O嬢へ
映画会社から委託という形式で劇団××座の研究所へ籍をおくことになったというご通知に接し、それが誰の示唆によるものにしろ、あなたにとって、まずまず結構なことだと思います。
いずれの映画会社でも、かねがね新人の育成を心掛けているようですが、映画俳優の基礎的な訓練を満足に実行しているところは、今のところ、どこにもないというのが実情で、さればこそ、最近では、当人がそれを望み、会社側もまたそれが有利だと思えば、信用ある劇団の特別研究生として、映画のニュウ・フェイスを一定期間、その劇団で委託教育をしてもらうという方法を講じているのですが、これがうまくいけば、相当の効果があがる筈です。
しかし、お手紙によると、あなたは、ここで、またまたひとつの疑問にぶつかった、ということですが、その疑問を僕が完全に解き得るかどうか、試みにペンをとってみました。
あなたの疑問を要約すれば、こうですね。
前回の僕の手紙によって、映画俳優もまず俳優でなければならぬ、という前提を承認したうえで、俳優修業の第一歩を踏みだすために、劇団××座の研究所へはいったのだが、そこでは、もちろん舞台俳優を志す研究生の組が、いわば本科のような地位を占め、映画俳優の肩書をもったものは、それだけを一組として、まったく別個の扱いをうけている。これでは、いわゆる舞台俳優志望者の中に混って、その雰囲気に接する機会もなく、自然、新劇俳優のもつ理想と性格とから、芸術家として好もしい影響を受けることができないような気がする。仮に、講師の顔ぶれも同じ、講義も実習も、その課程においてたいした差はないとしても、なにか大事なものを、一方は身につけ、一方は、そこまでのことができずに終るのではないか、という懸念を打ち消すわけにいかぬ。
現に、舞台俳優志望者の組は、完全にチーム・ワークがとれ、相互練磨の気勢をみせ、常に知的な話題に興味を集め、そして、質実謙虚な風習を誇っているようにみえるのに、映画俳優の卵の組は、所属会社もまちまちで、個人的なつながりがほとんどないためもあって、めいめい、てんでんばらばらに、その時間だけ顔をつき合せるにすぎず、それでいて一種の職業的な見栄から、互に乙に澄しこんでいるようなところがあり、ノートは取らなくても、身だしなみには念を入れる傾向が強く、そのうえ、暇があれば、話題にするのは、文学でも芸術でも政治でもなく、単に社交のための無駄話にすぎない。
いったい、自分の問題として、こういう勉強の方法が、将来どれほど役に立つか、甚だ危ぶまれるので、いっそ映画俳優一年生の看板をすてて、舞台俳優志望者として、再出発しようと思うが、どうか?
以上の疑問にお答えする順序として、僕は、まず、劇団××座研究所をはじめ、すべて、この種の、俳優養成を目的とする機関の性質と、その役割とについて、一応の説明をしておきたいと思います。
現在日本に、俳優養成機関と称せられるものがどれくらいあるか、正確な数字はわかりませんが、僕の知っている限りでも、四ツ五ツはあります。
それらはいずれも、ひと通り講師の顔ぶれをそろえ、教授課目の配列に意を配り、一定期間の講習を受ければ、俳優としての初歩の技術を身につけて、それぞれ舞台に立つ資格ができるように思われています。
なるほど、すべての専門的知識及び技術がそうであるように、系統的な教育機関の存在によって、ある程度、それぞれの専門家が養成されることに間違いはありませんが、また同時に、どんな専門の領域でも、学校を出ただけでは役に立たぬという一般の声も聞き逃がせません。そのことは、俳優の場合にもまた当てはまるので、基礎的教育乃至訓練とは、その上に何かが築かれるのを前提として成り立つのですから、その「何か」とは、つまり、俳優をして俳優たらしむる「芸」そのものです。
しかも、この場合、基礎的教育といい、訓練といい、如何なる方法がとられようとも、必ず可能性の限界があって、例えばどんな理想に近い教育が行われても、訓練が施されても、それを受け容れる側の素質によって著しい効果の差が生じるばかりでなく、また、同時に、あるひとつの技術的な部分を取りあげてみても、その部分のなかに、更に、正確に「教授し」得る部分と、常に漠然としか「指示し」得ない部分とがあり、これが混同されると、指導する側からいっても、指導される者の立場からいっても、しばしば大きな誤算が生れる結果になります。
だいたい、俳優教育のメソードというものは、演劇の歴史のなかで極めて自然発生的なかたちをとっています。従って、演劇そのものの進化に先行する俳優教育の新しいメソードなどは、どこの国にもありません。俳優の教師は、自分の舞台経験を通して、自分が既に知っていること、自分ができると信じていることしか、教えることはできないのです。言いかえれば、俳優の教師は、決して「新しい」演技の指導者たる資格をもっていないのが普通です。
俳優は、いわゆる俳優術とか演技とかいうテクニックを「教え」ることはできても、必ずしも、現代の俳優がおのづから身につけていなくてはならぬ一般的教養を「授ける」適任者とは言えますまい。そのために、俳優教育の一般課程として、演劇全般に関する諸問題を含めた、広い知識の伝達と、俳優の特殊な技術が要求する様々な肉体的、精神的の補助訓練が、それぞれ、その道の専門家によって行われる仕組になっています。
従って、俳優を志すものは、普通、新制大学の教養学部と称せられる学習課程のうえに、更に大学本科の専門講義及び演習に相当する課目の修得を必要とするわけですが、こういう「教育機関」の設置は、個人はもとより、一劇団、一会社の力では到底望み難きところですから、それゆえにこそ、今日まで日本では、近代的な意味での正統的な教育を受けた俳優というものは一人もいないのです。
ただ、新しい演劇の創造を目的とし、早くから実際活動に従事している者たちは、必ず常に、新しい俳優の出現を望んでやまないところから、曲りなりにも、自分たちの能力のゆるす範囲で、俳優養成の事業を企てました。そして、指導者としては、最初は、文学者、そのつぎの時代には、文学者にして演出の経験あるもの、更に、今日に至っては、ようやく、ある程度の経験を積んだ舞台俳優、乃至は、最初から演出家として出発した専門演出家の手によって、俳優養成の主導権がほぼ握られるようになったのです。
あなたが今度籍をおかれるようになった研究所は、その種のもののなかで、現在は一番基礎も確立し、世間の信用もある機関だと思いますが、所詮、独立した「学校」としては、まだ不備な点がいろいろあるに相違なく、当事者はそのことに十分気がついていながら、経営上、どうにもならぬという実状にあると察せられます。
しかしながら、一方、前に述べたように、いくら「教育機関」が完備していても、教育の目的が完全に達せられるとはいえず、ことに、芸術の分野での「才能教育」というが如きは、集団的、画一的な授業方法で、その効果をあげる例はほとんどないといっていいのです。それゆえ、いかなる芸術の領域でも、芸術家たるべき修業の過程においては、「教室的」なあらゆる勉強の成果を、そう大きく計算にいれることはできません。という意味は、それが必要でないのではなく、それだけでは絶対に十分とは言えないということです。
その証拠に、古今東西のすぐれた芸術家の多くは、よい師匠についたというよりも、あらゆるものから、よき教えを受けた人々だと言えます。
また、比較的よいとされているその道の学校に学んだもの、必ずしも、価値ある仕事を残さず、かかる学校への道を閉され、或は、そこで目立った成績をあげ得なかったものが、最初から、それ以外のコースを選んだものと共に、むしろ、時代にぬきんでた一流の存在たり得た例が決して少くないのです。このことは、決して、「教室的」研究を軽視する口実に用いられてはなりますまい。事実、「学校」でなければ、それができぬという理由はなく、「学校」の外でそれを行うことは、非常な困難と無駄とが伴うという一点を忘れなければよいと思います。
――こういう風に見て来ると、あなたが××座の研究所に期待するところが、大きすぎてはならず、また、その不備な点を発見しても、それほど失望することもないわけで、要するに、現在のところ、他の類似のものよりもましな「学校」で、ある種の困難と無駄を避けながら、俳優として必要な、「ある程度」の基本的な勉強ができることを幸せだと思ってください。
さて、研究所内部の事情について、お話のような制度になっているとすれば、それは研究所の立前から言って、そうする方が適当だという考えに基くものでしょうが、なぜその方が適当かという理由については、あなたとしても、公平な判断が下せる筈です。
そこで、あなたの疑問に直接お答えする順序になりました。
仮に、あなた方、映画会社から委託派遣という形式になっている研究生の組と、一方の、舞台俳優志望者を主体とする、正科だか本科だかの組との雰囲気の相違について、あなたの観察は、なるほど、一応当っているかも知れません。さもあろう、と、思われるふしもあります。そのことについて、僕は、今、自分の意見を申すのは差控えます。
ただ、こういうことは、言えないでしょうか。
あなたがたは、折角、その研究所に、どんな名目にしろ自由に出入を許されたのだから、きまった講義を聴き、きまった実習を受けるだけでなく機会さえあれば、あなたの言われるような、羨望に値する雰囲気をもった一方の組の中へ、出来るだけ自分の方から融け込んで行くように心掛けたら、どんなものでしょう。少くとも、その組の誰れかれと率直に語り合い、そのうちから、最も心を惹かれる、手ごわい友人のいくたりかを選ぶことが、その研究所にはいった大きな意義の一つにはならないでしょうか。
僕はいつでもそう思うのですが、なにを学ぶにしても、誰かが向うから教えてくれることをのみ期待し、そういうことが自然に行われる場所がどこかにあるように思いこむことほど、危険なことはありません。そういう幸運は、いくら探しても得られるものではなく、また、それを望むのは、いつの間にか知的怠惰という習慣に染っているからだと思います。
あなたの場合も、自分がそれほど関心をもっているものが、自分のそばにあるのに、ただそれとの間に形式的な境界が引かれているからというだけの理由で、もう自分の方からそれに近づいて行くことを躊躇するのは、僕に言わせれば、一種の「囚われた精神」だと思うのです。むろん、その境界が邪魔になるからこそ、あなたは、映画女優を一時廃業してまで、正規の組へはいり直そうかと迷っていられるのでしょう。
僕は、逃げるようだけれども、実のところ、あなたという方をまだよく知らないから、その方がよかろうとも、それはやめた方がいいとも、確答はできません。
要するに、あなたの場合は、より確かな俳優修業を目指して、全く再出発すべきか、または、現在を出発点として、今後より正しい道を歩くように努力すべきかが問題なのです。
映画のニュウ・フェイスという地位は、一度その名称を与えられたものなら、すぐに納得する筈ですが、つまり、「新顔」というだけの話で、最初に出る映画の宣伝に使われたら、あとは、実力と、ある種の「運」のようなものが物を言うだけです。そして、なんらかの意味での実力がない限り、そして、ある種の「運」に恵まれない限り、永久に、「新米」俳優であるにすぎず、嘗てはニュウ・フェイスとして採用され、その後いっこうに役のつかぬ連中は、どこの撮影所でも、滔々として群を成す有様です。
僕は、そういう連中のなかから、五年十年後に、突如として実力を見出されたいくたりかの俳優を知っていますが、それはむしろ例外に属します。ここにも「運」が働いていないとはいえますまいが、しかし、やはりその人の素質と努力との賜でしょう。
そこで、あなたのことに戻りますが、あなたは、その「ニュウ・フェイス」として、既に第一回の写真で重要な役を演じていられるらしいが、その評判は、まず、概して可もなく不可もなく、というところだと聞いています。ミス・キャストだという批評、宣伝倒れだという悪口、珍らしく知的な感じだという同情的な見方、素直で大胆なところが有望という苦しい褒め方などが、僕の眼にとまりました。僕自身、残念ながら、その写真を見ていないのです。
あなたは、察するところ、「ニュウ・フェイス」としての将来に、あまり自信がもてなくなったのではありませんか?
ということは、生地のままの自分では、そう圧倒的な魅力をスクリーンの上で発揮することはできないという、謙虚な自覚を既にもつようになったのではないでしょうか?
これは、俳優として、まことに心強い進歩です。なぜなら、特に青年俳優の場合、生来の美貌が一つの有力な武器として、舞台なり、スクリーンなりの上で、いわゆる「芸」の補いになることが屡々あり、そのために、美男美女は、俳優としていささか「芸」を軽く見るきらいがあり、そのつもりでなくても、必死の努力によって才能を磨くという点では、知らず識らず、人後に落ちる傾向が強いとされています。
フランスの有名な俳優の教師ブレモンが指摘するように、「美声はたしかに俳優の強味に違いないが、美声の持主は、とかくセリフの修練を怠りがちで、真に魅力のある生きたセリフを言うものが少い」事実は、たしかに、美男美女にして名優となったものが古来案外に稀であり、それほど美しいとは言えぬ容姿の俳優が、その精神的な特質を風貌のなかに生かし、却って、そこに、言うに言われぬ人間的魅力を豊かに示すことによって、演技の深さと重量とを益々加えていった多くの例を見ることができます。
あなたは、実際のところ、どんな美人かも知れないけれども、僕は、それを唯一の頼りに、あなたが映画俳優を志したのだと思いたくはありません。
そうでないとすれば、あなたが、既に学んでいられる研究所での収穫を、徐々にスクリーンの上で有効に利用される以外、俳優修業のための別の新たな道があるとは考えられません。
M・N君へ
君はかねがねフランス俳優ルイ・ジューヴェに傾倒し、彼の出ている映画を片っぱしからみて歩き、一度でいいからじかに彼の舞台なるものに接したいという希望をもらしていましたね。そして、その希望が彼の突然の死によって空しくなったことを嘆いた君の手紙を読んで、僕は、実際、君のためにも、今この名優をこの地上から失ったことを残念に思います。
君のためにも、と、僕は敢て言うのですが、ルイ・ジューヴェの死を惜しむものは全世界にどれだけいるかわかりません。それほど、彼は、今世紀における演劇並に映画界の貴重な存在でした。
そのことは、僕がもうわざわざここで言わなくても、いろいろな人が、いろいろな角度からそのことを論じています。
ただ、僕にもし彼について何かを語る興味があるとしたら、それは、ちょうど君のような、将来俳優として立つ勉強をしている若い人たちに、ジューヴェがどういう特質によってかかる魅力ある俳優となり得たかについて、僕の観察が多少その説明になるかも知れぬと考えるからです。
話は三十年前に遡ります。僕がパリに着いた年、即ち一九一九年に、ヴィユウ・コロンビエ座は、再び開場しました。というのは、一九一四年に第一次大戦が勃発すると間もなく、ジャック・コポオはフランス政府の委嘱によって、旗挙げ早々のヴィユウ・コロンビエ座を率い、はるばるニューヨークへ渡ったのです。
このニューヨーク滞在の数年間は、コポオに言わせると、目的は演劇を通じてのフランスの宣伝であったけれども、一座の若い俳優たちにとっては、またとないよい修業の機会を恵まれたわけで、平和克服と同時にフランスに帰って来たヴィユウ・コロンビエ座の陣容は、コポオも、既にいささか自負するところがあったようです。
僕はその頃、ひとわたりパリの劇場をみて歩いていましたが、最初にヴィユウ・コロンビエ座の舞台をみた時、僕の探していたものはこれだ、という気がして、胸が躍りました。もちろん、創立者ジャック・コポオの宣言を読んで、深い感銘を受けはしましたが、演劇革新の理想と実践とが、どういうかたちで僕の眼に映ったかということは、まったく、あの劇場の雰囲気に接したものでないとわかるまいと思います。
早速、僕はソルボンヌ大学のルボン教授に紹介状をもらって、ジャック・コポオを訪ねました。その時のあらましの様子は、いつか雑誌「芸術新潮」に書きましたから繰り返すのはよしましょう。
ただ、その日、僕は、コポオのいた舞台側面の狭くるしい監督室で、偶然、そこへはいって来たルイ・ジューヴェに会ったのです。
「このジューヌ・オンムは日本からフランスの芝居を勉強しに来たんだ。これからうちのもの同様、出入り自由だ。なんでも希望どおり便宜を計るように……」
コポオは、こんなことをジューヴェに言いました。ジューヴェは、例のギョロリとした眼玉を僕とコポオとにかわるがわる向け、
「ボン、ボン」
と、たしか答えました。
あとからだんだんわかったのですが、当時、ジューヴェは、俳優としてよりも、むしろ、コポオの演出助手、或は装置主任という資格で、一座の重要なメンバアでした。
新しい演し物がきまると、コポオはまず、ジューヴェに装置のプラン作製を命じます。
周知の通り、ヴィユウ・コロンビエ座の客席は、普通の住宅の一階の天井を打ち抜いたもので、舞台の奥には、どうしても外すことのできない梁が横にはいっています。が、この梁こそは、ヴィユウ・コロンビエ座の舞台の特色となったもので、屡々それは二階の部屋となり、高いバルコニイとなり、自然に空間が利用できる便利な構造なのです。コポオは、これを呼んで「常設舞台」(セーヌ・ペルマナント)と言い、プロセニウムの客席に通じる半円形の階段とともに、彼の目指す「演劇の再演劇化」を象徴するものとさえなったのです。
そういうわけで、ヴィユウ・コロンビエの舞台装置は、概ね、コポオの精神を体したジューヴェの工夫になるものが多く、やはり一座の女優ビング嬢の衣裳考案と並んで、常に経済的にして且つ芸術的な効果を挙げているようでした。
コポオは僕のためにわざわざバッケという俳優を相談相手として附けてくれましたが、このバッケは、附属演劇学校の主事をしていて、非常に親しみ易い人物でした。マルタン・デュガアルの「ルリュ爺さんの遺言」で主役の爺さんをやった人です。ところが、ルイ・ジューヴェと来ては、面構えからして一と癖も二た癖もありそうなところへもって来て、コポオの言うことでさえ、なかなかハイといって聴かない風があるのをそばでみていて、僕などうっかり口も利けないような、ある親しみにくさを感じさせました。
しかし、しばらく附き合ってみると、案外見かけほど無愛想ではなく、ただ、その複雑きわまる性格のために、自分自身でそれを処理するのに困っているのだということがわかりました。或は、見方をかえれば、普通の単純な人間の単純な表現では、どうしても自分を表わせないことを知り、ある程度、勝手にしろ、というような物の言い方や表情ができてしまっているのです。
厄介なことは、この「勝手にしろ」に、だんだん、自信がついて来たことです。それもその筈で、豊かな、鋭い感性と、稀にみる複雑な性格とによって、彼の「勝手にしろ」は、箸にも棒にもかからぬ、図太い、ねばり強い、変貌自在な、そして同時に、陰翳に富んだ自己表出となるのです。果然、それは、俳優としての、羨むべき、ひとつの大きな魅力です。
僕がヴィユウ・コロンビエ座に通っている間に、ジューヴェと親しく話をしたことはあまりありませんでしたが、彼の座員としての言動は絶えず僕の注意を惹きました。
稽古中、彼はしばしば装置の下図をもって、客席の中央に陣取っているコポオのそばへやって来ました。僕は、たいていの場合、コポオのすぐうしろの席で、邪魔にならぬよう、コポオの演出ぶりを見学していたのですが、ジューヴェが黙って下図を差し出すと、それをしばらく黙って眺めています。時として、ジューヴェの方から、説明をつけ加えることもあります。コポオは、解ったのか、解らないのか、ずいぶん長く、どうかすると、そのまま稽古をつづけさせて、あれこれと俳優にダメを出し、返事もせずにジューヴェを待たせておくことがあります。そういう時、ジューヴェの表情は見ものでした。決しておおげさではないにしても、例の眼玉と、小鼻とで、百面相を作って、僕を笑わせようとします。
さて、こういうコポオですが、彼は、まことに一座の専制君主であって、演出家としても、また統率者としても、全座員の信望をあつめていただけに、なかなか、その扱いに手厳しいところがありました。相当の年配と思われる俳優をバカ呼ばわりすることも珍しくないのです。ところが、僕の見るところ、三人の例外がありました。ヴァランチイヌ・テシエ、シュザンヌ・ビング、それから、ルイ・ジューヴェです。テシエは、一座の花形女優ともいうべき頭のいい、古典的香りのする美人で、なかなかすましやさんですが、役者としてもそろそろ油の乗ろうとしている、危げのない芸の持主でした。ビングは、才気煥溌、天衣無縫の性情、おおいに珍重すべき中老嬢ですが、その容姿に至っては、甚だ香しくなく、それを補うのに衣裳考案の技術をもってしなければならぬ始末でした。
この二人は、女性なるがためでもありましょうが、特にコポオの秘蔵弟子というかたちで、その可愛がられ方もひとしおでありましたが、ジューヴェは、もちろん最初からの弟子の一人でありながら、どこか、可愛がられているというだけの感じではなく、むしろ、信頼の裏に、少なからぬ先生としての遠慮がまじっていたと、僕は、観ていました。
事実、多くの座員は、古顔であればあるほど、コポオに心服しつつ、どこか甘えきっているところがありましたが、その点、ジューヴェは、絶対にといっていいほど、そういうところがなく、仮にあったとしても、ほかからみて、そう思えるような素振りや応待は、露ほども見せませんでした。
ある日、ジイドの「サユウル」の本読みがあり、配役の発表がありました。
こういう時、ほかの俳優たちは、いくぶん緊張して、自分の名が呼ばれるかどうか、どんな役をふられるか、期待と不安とを顔色に出すのですが、ジューヴェと来ては、まったくひとごとのように、ただ、そこに顔をみせているというだけです。それも、僕の知っている限り、ジューヴェにはあまり役がつかず、たまにつけば、なるほどと人が思うような役ばかりだからでしょう。
ジイドの「サユウル」は、変った人物がたくさん登場しますが、小悪魔の群は、ビング嬢(この配役は残酷に思われました)を筆頭にして、若い女優の総出ということになり、遂に、――預言者、ルイ・ジューヴェとコポオが読みあげた時、コポオは、にやりとジューヴェに笑いかけ、ジューヴェは、「そら来た」と言わんばかりに、また例の眼玉で、左右をギョロリとにらみました。この役は、暗がりで声だけを聞かせればよいというほどの役です。
彼は、それっきり自分の役のことなど忘れてしまったように、装置の考案に没頭していました。この装置は、舞台全体にいくつも絞った無地幕を垂らし、それに照明をいろいろにあてて、厚みと重量のある実にみごとな効果を出しました。
この芝居で、小悪魔に面をかぶらせるという作者の指定に従って、ジューヴェは、その工夫もしたという話です。作者のジイドは、稽古にしばしば立ち会い、そばなる僕が日本人だと聞いて、――「この芝居は日本の能にヒントを得たものだが、それが君にわかるかしら? あの仮面を使ったのも、そういうつもりなんだが……」と、言いました。僕は、ジイドに、――「この劇は、能とはまるで違ったものだ」と、思った通りを答えました。仮面は、能の面とは似てもつかぬ、ギニョール風の頭からかぶるグロテスクな面でした。しかし、その話をジューヴェにすると、ジューヴェは、――「われわれは誰も能を観てはいないんだ。読んだだけではわかるまい。だが、コポオには、能を上演する野心があるんだ」と、教えてくれました。なるほど、その後、そういう計画だけは進められたようです。
今から思うと冷汗ものですが、僕がフランスの芝居を勉強する以上、日本の芝居についてひと通りの知識はもっているのが当り前なのに、そっちの勉強はまったくといっていいくらいしていないので、若し、ジイドなりジューヴェなりに、立ち入った質問でもされたら、おそらくしどろもどろだったろうと思います。
ジューヴェも、まだその頃は、日本のことまでは手が届かなかったのでしょう。能の話はそれっきり出ませんでした。しかし、彼のような真の舞台芸術家に、一度日本の芝居をみせて、なんと言うかを聞きたいものでした。
ジューヴェは、ヴィユウ・コロンビエ座時代を通じ、俳優としては、可なり長い間、そんなに目立った存在ではなく、どちらかといえば、役柄のごく狭い、風変りな持ち味で、ある種の舞台を面白くするという程度の関心のもたれ方をしていたのですが、ヴィユウ・コロンビエ座の解散に当り、彼は、コポオの後継者として、新たに同志を募り、その首脳の地位につくとともに、ヴィユウ・コロンビエ座以来親しくなっていたジュウル・ロマンが、彼のために、戯曲「クノック」を書きおろし、この作品の傾向が彼の素質と才能とを完全に活かして、空前の舞台的成功となりました。
俳優ジューヴェの生涯にとって、このことは真に重大なことです。ロマンからジロウドゥウへの移行が、この事実を決して打ち消しはしません。
フランス国立音楽学校(コンセルヴァトワアル)といえば、多くの名優を生んでいる一方、また多くの未来の名優を、その入学試験でふるい落したことで、劇壇に絶えず賑やかな話題を投げています。
ルイ・ジューヴェも、コンセルヴァトワアル落第組の一人で、しかも、三度まで失敗したという話です。
しかも、彼は、そのお蔭で、コポオに拾われてその傘下に投じ、徹頭徹尾コンセルヴァトワアルの行き方に楯ついたコポオの指導を受けることになりました。
コポオはもともと哲学を専攻し、文芸評論家として、ジイド、ゲオン、ロマン、ヴィルドラック、マルタン・デュガアルなどとNRF誌に拠り、やがて、演劇革新の旗をかかげて、ヴィユウ・コロンビエ座を創立することになったのですが、演出家としても、俳優としても、コポオは、明らかに、技術以前のものを重視しました。特に、文学のジャンルとして戯曲の生命を探究し、演劇の革新は、古来の傑れた戯曲の中に演劇の本質を求めることによって達成されると信じていました。
戯曲の深く正しく、従って新しい理解という点で、コポオが後進に与えた影響は、最も大きく評価されなければならぬと思います。これは、何よりも、俳優にとって、生きた人物を舞台の上で創造する力の源泉となるものです。
ジューヴェが、その師たるコポオの演劇論に、更に何かを加えたでしょうか? 僕は、たしかに、ジューヴェは、コポオの演劇論を通じた彼の実践によって、より新しい演劇論を打ち樹てたのだと思います。それは、まさに、演劇史はじまって以来の、ことによると、近代演劇の帰着点かも知れぬと思われるほどの、すばらしい理論のように思われます。これを僕流に解釈すれば、「俳優は、戯曲に描かれた様々な人物に扮するだけではいけない。それを満足になし得るためには、俳優は、それ自身、様々な人物を自ら生き得るまでにならねばならぬ。しかも、それは、ただ観念的にではなく、衝動的にさえも、そうあることが望ましい。俳優の芸は、そういう複雑な人間の生き方を奥深く蔵しながら、必要に応じて、そのうちのあるものを、自由に楽々と表面に押し出す一種の離れ業である。
この種の素質の向上と、才能の訓練は、作家が作中人物のそれぞれに自己のあるものを分ち与えるように、俳優は、それとは逆に、あらゆる文学作品に描かれた、それぞれに魅力ある人物像を、自己の血液の中に溶かし込む努力をなすべきである。この修業は、決して、特定の人物の浅薄な模倣を繰り返し試みることではない。常に自己を失わず、自己を拡大する方法として、自己プラスXという結果を目指さなくてはならぬ。」
ジューヴェの扮する人物は、舞台でもスクリーンでも、あまりに変りばえのしないジューヴェでありすぎるように思うひともあるでしょう。それでいて、どのジューヴェも、いつも見あきぬ魅力を発揮しているのに驚くというのが、たいがいのひとのいつわらぬ告白です。
まったくのところ、ジューヴェぐらい、どの人物に扮しても、その人物になりきる努力や工夫が目に見えず、それらの人物を、悉く、自信満々、自分の方へ引っ張って来る俳優は珍しいようです。
こういうことをすれば、たいがいの俳優は、ぼろを出し、またか、という感を抱かせ、なにをやらせてもおなじことだ、という批評を受けるにきまっています。然るに、ジューヴェに限って、堂々とそれをやってのけるというのは、なにをやらせても、ちょいとは、おなじようにみえながら、よくみると、実は、まるで違う面をひとつひとつにみせているからです。そして、それは、決して、臨時に身につけた仮面ではなく、そういう精神的風貌を、必要に応じて、自分の生活の抽出のなかからさり気なく取り出してきているのだということがわかります。
ジューヴェの俳優としての強味は、前記のような素質と才能とをもっているうえに、更に、コポオの教えに従って、極めて忠実に丹念に、各種の人間的典型を研究しその特異性を鋭敏につかむための観察を怠らないということです。
コポオは、一座の俳優を集めて、しばしば「劇的感覚の訓練」という科目の講義及び実習を試みましたが、その実習の前に、彼は教壇に登ると、いきなり、前にいる若い俳優に向って、突拍子もない問いを発します。例えば、それが女優なら、
「ねえ、ブランシュ、後生だから、午前中だけは家にいて、静かに本でも読んでいておくれよ。なんだって、そう毎日、馬車を呼ばせなきゃならないんだい?」
女優は、これに対して、当意即妙の返答をしなければならないのですが、たいがいの場合、眼を白黒させた揚句、月並なセリフしか出て来ません。
こういう即興的な対話の創作が、劇的文体を自然に会得させる一方法になるのですが、それと同時に、コポオは、この機会に、好んで職業的習癖の表現について面白い注意を与えました。軍人、僧侶、庄屋、仕立屋、カフェの給仕、大学教授などについて、その音声、ジェスチュア、歩きつき、煙草の喫い方、などを、自分でやってみせます。微細な観察が意外に大きな、動かしがたい特徴をとらえたことになるのをみて、一同は感嘆します。
ある演し物の稽古中です。仮り縫いを合せに来た仕立屋の役をふられた俳優が、巻尺の持ち方を知らなかったので、コポオは、見物席にいる俳優に、どうすればいいかと訊ねました。誰も満足に答えられずにいると、ジューヴェが、のこのこ舞台に上って行って、その俳優から巻尺を取りあげ、それをひょいと左肩にかけ、手を客の上着の肩のへんに突っこんで、左手でその裾を二三度鷹揚に引っ張った手つきの鮮やかさに、コポオも思わず吹き出してしまいました。
ただそれだけなら、他愛のない物真似にすぎませんが、ジューヴェの観察は、すぐに、自分が仕立屋だったらという風に、彼のタイプに寸法を合せた表現になるところが、なんとも言えぬ迫真性の生れる原因です。
どんなことがあっても彼は決して、類型を追いません。すべて、淡々としたなかに強烈な個性のあふれた一個の典型を描くことに成功しているのです。これが彼の芸質に近代的ノンシャランスの渋味と「にくらしい」までの気品とを添えることになるのです。
こんなことを書いていると際限がありませんが、既に亡きジューヴェを師と仰いでいる君の参考にもなればと思い、ふるい記憶を辿り辿り、とりとめもない感想を綴ってみました。
F・R君
文学座の「シラノ・ド・ベルジュラック」が新劇空前の「大当り」であった、という事実を、君はいくぶん懐疑的な眼でみているようですね。
――あの芝居がそんなに面白いのですか?
――あの芝居を面白がる見物は、いったい信用できる見物なのですか?
――脚本はまあ、翻訳を含めて、一応面白いといえるでしょうが、俳優の柄や演技が、幻滅にちかい印象を与えましたが、それは間違いでしょうか?
――あの芝居が、現在、あんなにまで「受ける」というのは、時代的にみて、多少憂うべき徴候ではないでしょうか?
以上で、だいたい、君の疑問とするところは要約されている筈です。
僕がまず、君に言いたいことは、いっさいの先入見をすてて、素直にあの芝居を観てほしいということです。
第一に、君は、フランス近代劇史の知識で、エドモン・ロスタンという作家の占める地位を過小評価しようとしてはいませんか?
第二に、君は、新劇の観衆は、常に、そして単に、「辛さ」を舞台に求めなければいけないと、決めてかかっていませんか?
第三に、文学座の俳優は写実的な演技しかできぬという世評をそのまま信じてはいませんか?
第四に、あの芝居の含んでいる一種の英雄主義的な色彩を、一つの主張ででもあるように受けとっているのではありませんか?
こういう反問をいきなり出した意味は、君から、はっきりそうだという答えを期待しているわけではなく、これらの問題について、あらためて、僕と一緒に考えてみてほしいからです。
さて、エドモン・ロスタンという作家のことは、日本では、辰野、鈴木両氏の苦心になる名訳を通じて以外、あまり知られていないと思いますが、彼は、この「シラノ・ド・ベルジュラック」の上演によって、一躍、少壮にしてパリ劇壇の寵児となった劇詩人で、この芝居の空前の成功には三つの理由が挙げられています。即ち、戯曲そのものの魅力、主演俳優コクランの妙技、それから、当時の演劇界を風靡していた自然主義的舞台への反動と、この三つの理由が重なって、殆ど誰もが予期しないくらいの「大当り」をとったとされているのです。
たしか、ポルト・サン・マルタン劇場であったと思いますが、招待日の廊下は、まさに株式取引所を思わせるような騒々しさで、甲論乙駁、感嘆と憤慨との入り交る、興奮のルツボと化したそうです。
例の自由劇場の創立者アンドレ・アントワアヌは、幕間の廊下に起ちはだかって、誰憚らず、「これでフランスの芝居は三十年後戻りした」と、大声で喚いたという、有名な話が伝わっていますけれども、それはまあ、自然主義舞台の信奉者アントワアヌらしい放言で、もっともっと切実な疑問を多くの作家、劇評家に抱かせたことは事実のようです。
その疑問をひと口に言ってしまえば、おそらくジュウル・ルナアルのロスタン評に帰着するのではないかと思います。即ち、月並と偉大さのカクテル、天才風に調理された凡俗味、とでも言えるのでしょう。主題も構成も、ちょっと気の利いたメロドラマにすぎない。しかし、そのセリフの文体に至っては、韻文詩劇として、古今稀にみる奇想と名調子とに満ち満ちている。甘美にすぎて、悪趣味に陥らず、滑稽をねらって軽きに失しない程のよさは、フランス人を無条件に酔わせるというところがあります。
そこで、時代も、国もちがうわれわれの現在の立場で、この戯曲を、この翻訳で素直に味ってみると、「新しい芝居」の将来を問題にしたうえで、やはり、これから学ぶところはたいへんにあると思います。
原文と翻訳とをいちいち対照して説明はできないけれども、原作の韻文は定石どおりの十二音綴のアレクサンドランで、この定型詩のリズムはそのまま日本語に伝えるわけにいかない。そこで、翻訳者は、芝居のセリフとしてゆるされる範囲の緩急抑揚を、その豊富な語彙をもって自由に創りあげ、われわれの耳に極めて快く響く一種の名調子を、至るところに鏤めるという工夫をこらしています。
結局、翻訳として、どうしてもままにならぬのは、ロスタン好みの警抜斬新な脚韻のふみ方だと思いますが、これに代る面白味として、翻訳者は、巧みに、近代感覚の漢文調をもって来ています。「モリエールは天才にして、クリスチアンは美男なりき、と」の如きがその例です。
かくして、この「シラノ」という芝居は、君たちが考え、或は、受けとる以上に、われわれの現在の仕事に、新しい一つの方向を指し示すものとなり、一般観衆にとっては、まさに、無意識に求めていた芝居の、ある種の大きな魅力を与えられたことになるのです。
ところで、その新しい方向とはなにか? ある種の大きな魅力とはなんであるか? という問いには、僕は、あっさりこう答えます。
それは、戯曲は、その本質から言って、散文とはっきり区別されるべきもので、対話の形式のなかに、或は時として、リリシズムを、そして、常に、必然的に、優れたエロカンス(雄弁と訳しておく)を含まなくてはならぬ、ということの、非常にわかり易い、最も典型的な一例が示されたのだ、ということです。
西洋では、希臘以来、この「エロカンス」即ち「雄弁」は一つの技術、或は芸術として、広い意味での「文学」の一ジャンルであったことは、君もご承知の通りです。「雄弁」の教養は、それ以来、哲学者に限らず、ヨーロッパ人の市民生活のひとつの基盤となったと同時に、文学のあらゆる様式のなかに自然に混入し、浸透し、ついに、十九世紀に至り、散文の独立、純化の運動によって、そのことが厳しく指摘され、戒められるという状態にまでなっていました。
しかし、僕の見るところ、ヨーロッパの小説や評論に、いわゆる「エロカンス」の要素がなくなったかといえば、決して、そうとばかりは言えません。極端な演説口調は、それ自身あまり結構なものではありませんから、心ある散文作家の文体にその影をひそめるのは当然なことです。しかし、彼等の多くは、演説をさせるとよくわかるのですが、いずれもといっていいくらい、なかなか、われわれの標準からすると、雄弁家ぞろいです。そういう教養は、やはり、知らず知らず「書かれる文章」のなかにも、程度の差こそあれ、多少はうかがえるというものです。
そこへいくと、戯曲というジャンルは、それほど潔癖に「雄弁」を排撃する必要はなかったようです。なるほど、一時、自然主義運動の余波をうけて、「自然なセリフ」を尊重した時代もありますが、それこそフランス人でなくっても、彼等ヨーロッパ人の日常会話は、そもそも、伝統的に雄弁の流れを汲んでいるわけですから、どう考えても、われわれの感覚からすれば、自然な会話、すなわち、雄弁そのもののように受けとれるのです。
哲学者アランが「雄弁」について論じているのを読むと、その本質は、そのまま、劇の文体にあてはまるように思われ、僕は、これは困ったことだと、思いました。
なぜなら、われわれの文学の伝統のなかに、エロカンスの要素は、はっきりと区別されてはいないし、さらに、今日、俗に「雄弁術」などと言われるものは、かの政壇演説に類する奇怪な身振り、音声、表情をもってする絶叫にすぎないからです。
そこで、演劇と「雄弁」との正しい関係を、僕たちは、遅まきながら、とっくりと吟味、研究してみる必要があるように思われます。
そして、その研究の出発点として、僕は、日本における「エロカンス」の発生と、その歴史とを、誰か然るべきひとに調べてもらいたいと思う。文芸批評家の一つの仕事としても、これは意義のあることでしょう。
たまたま僕はかつて、日蓮の書いた文章というのを読んで、驚いたことがあります。実にみごとな迫力をもった文体で、これなどは、日蓮の僧侶という役柄から言っても、かのフランス文学の古典「弔辞集」の著者ボッスュエのように、たしかに、「説法」で鍛えあげた一種の「雄弁」を、元来彼は身につけていたのだということがはっきりわかりました。
日本の劇文学を通じてみて、音曲にのせた能、歌舞伎の類は、たしかに著しいリズムをもった言葉で綴られていますが、それにしても、いわゆる、リリシズム一点張りではなく、当時の時代がもっていたいろいろの階級の「雄弁」への憧れが、おぼろげながら示されているようです。
黙阿弥になると、もう、あの世話物の調子自身に、江戸末期の庶民の「快弁」が、痛切な夢となって、しみじみと流れ出ています。
こうみて来ると、なるほど、わが「新劇」だけには、在来の「翻訳調」なる生硬なお談義以外、われわれの耳に快よく響き、「考えさせる前に感じさせる」ていの、すぐれた雄弁の要素は、ほとんど見当りません。やっぱり、在来の講釈、落語の「話術」の系統を生かした現代語の駆使によって、一風独特の劇的対話を案出した久保田万太郎をもって「雄弁」の継承者と見るほかはありますまい。
そして、序ながら、現代の「雄弁」を代表するかの如く、徳川夢声ひとりその道で気を吐くのを、われわれは安閑として聞き惚れてばかりいるわけにいきません。
話を「シラノ」にもどしますが、原作の文体はともかくとして、忠実でありながら、しかも大胆なあの翻訳のセリフは、なによりも、これまでの新劇にはみられなかった、一種ハイカラで骨のある「名セリフ」の見本として、はじめて三越の舞台へ登場したわけで、この「雄弁」の日本版こそは、知る人ぞ知る、「老若問答」の著者と、マラルメ研究の権威との、甚だ江戸前式な、雅俗両刀の快弁毒舌に負うところ大なるものがあるのです。
そこで、日本における「シラノ」の成功は、フランスにおけるそれと比較して、さらに、その理由を一つ余計につけ加える必要があると信じます。それは、「翻訳がよかった」などという単純なことではありません。「あの翻訳だったからだ」ということです。
「シラノ」の上演は、これでいよいよ、わが新劇にとって、二十世紀の「新しい問題」となり得るのです。
第二の疑問は、もう、これで同時に、片づいたことになりますが、そもそも「雄弁」を味う感覚というものは、そうむずかしい訓練を必要としません。ただ、「雄弁」なるものには、すべての芸術、技術とおなじく、品質の差が可なりありますから、下等な「雄弁」と上等な「雄弁」との聴き分けができればそれでいいのです。「シラノ」に喝采を惜しまなかった観衆は、まずまず、それを聴き分ける耳をもっていたと言えるのが、僕にはうれしいのです。
くれぐれもここで注意すべきことは、「雄弁」の本質は、「わかる前に感じられる」魅力だということです。
第三の疑問は、演技に関してですが、これは、そう、無理なことを言ってもはじまりません。もともと、日本人が西洋人に扮しておかしくないことは稀なのですし、ことに、あの芝居のような、すべてが類型化され、誇張に誇張を重ねて出来上っている芝居に、日本の俳優をどう使ってみたところで、フランス十七世紀の伊達女や風流騎士の意気が出せるわけはありません。まして、文学座だからなおダメだ、などという見方は、ヒイキ目でいうのでなく、むしろ当らないと信じます。
ともかく、「シラノ」の成功は、やはり、三津田健の素質と健闘とにその原因の一つはあるのです。難を言えば声の質が弱々しすぎる。しかし、よくも最後まで(全幕という意味も含めて)ガン張ったと思います。滔々流れるがごとき弁舌を、あれくらい一気に流すだけでも、ただごとではありません。覚えさえすればいいんだろう、などと、君は考えていたらとんだ大間違いです。
第四の疑問は、ちょっと穿った疑問のようですが、その心配は毛頭ないと僕は断言します。ご承知のように、あのドラマは“hrocomique”という題註がたしかはいっていたと記憶します。なるほど、英雄は英雄でも、喜劇化された英雄です。フランス人も、あれでなかなか英雄好きな国民ですが、やはり時代の風潮は争われません。「愛好する」ことは、必ずしも、「崇拝する」ことではなくなっている。この微妙な感情のニュアンスをとらえたところが、ロスタンの曲者たる所以でしょう。たしかに彼は、当時のフランスの芝居好きを手玉に取ったばかりでなく、フランスの民衆の心理を心にくいばかり知りつくしています。あれだけのポピュラリティイをもつ作家の第一の条件をちゃんと備えていることも、どうやら、高踏的な批評家の気に入らぬところらしいのです。しかし、ほんとうの民衆というものは、誰でもいうように、案外、健全なものです。「シラノ」は、そういう民衆の健康な胃袋に適した芝居に相違ありません。
今日の手紙は、徹頭徹尾、「シラノ」礼讃になりました。
誤解してほしくないことは、「シラノ」が、ほかのどの芝居よりもいい芝居だ、と言っているのではありません。
僕はかねがね、日本の現代の演劇に、もっともっとヴァライァティイがほしいと願っているのです。それぞれの種目に、それぞれの魅力があり、その魅力が高度に発揮されることによって、その種目の発展成長が望めるのですから、一方に、ロマンチックな英雄喜劇「シラノ」の成功があれば、それはそれでよし。もう一方に、現代諷刺劇の渋い傑作が何人かの手によって創り出されれば、それもそれで結構であります。
ただ、もうこれ以上、めそめそした、或は、額に青筋を立てた、「インテリ感傷童子退屈忍耐劇」だけは、お互いに願い下げにしたいと思うだけです。
M・T嬢へ
あなたは今日の演劇について非常に根本的な問題を提出されました。僕はまだ十分にそれに答えるだけの用意はありませんけれども、例によって、自分のごくおおざっぱな意見を、あなたの研究の参考として、ひとまず述べることにします。
第一に、あなたは、俳優として舞台に立つと同時に、戯曲家として自分で作品も書きたいという抱負をもっていられるのですね。そして、既にそういう勉強をはじめているというお話ですが、それはなかなか面白い着眼で、ある意味からいうと、演劇の仕事としては、それが理想であるように思われます。ただ、その両者の才能を一人で兼ね備えている人物が、古今東西を通じて、そうたくさんは出ていないのをみても、これはなかなかおいそれと誰にでもできることではありますまい。まあゆっくりあなたの将来に期待することにします。
ところで、そういうあなたが、俳優及び戯曲作家としての修業の第一歩で、既に「絶望にちかい障碍」にぶつかったと言われる、その障碍とは、現代の日本語であったというお話を聴いて、僕も実は、愕然としました。
現代日本語の混乱とか、不合理性とか、言葉としての機能の貧しさ、とかいうことは、しばしばいろいろの方面から指摘されていますが、なるほど、今日まで、演劇に於けるセリフとしての現代日本語の問題は、専門家の間でも取り立てて論議されたことはないようです。
なるほど、あなたの言われるとおり、日常の対話語がまったく生彩を失い、誰もそのことに気づかぬような時代に、演劇のセリフばかりが美しく、力強いものになる筈はないでしょう。序に、現代の詩の問題も話題にのぼりました。あなたは、それについても、現代の詩人の不幸は、母国語の生命の稀薄さに在りと断言された。僕もその点は同感ですが、また一方、言葉に新しい生命を吹きこむことこそ、詩人の畢生の仕事なのですから、まだまだ、それだけのことで希望をすててはいません。従って、当面の演劇のセリフについても、対話という形式に盛りこまれる現代日本語の性格の弱点を吟味したうえで、作家も俳優も、これに応じた才能ぎりぎりの工夫と努力とをしてみたらどうか、と考えます。
僕はずいぶん前に、「フランス語の歴史」という書物のなかで、十六世紀のフランス語と十七世紀になってからのフランス語とを、ただ国策としての「言葉の純化」という立場からだけでなく、時代精神の推移に伴う著しい心理表現の変化として、幾多の例が挙げられているのを見ました。これはなかなか興味のある研究で、ひと口に言えば、十六世紀は感情偏重の時代で、対人的には、相手の思惑を気にしたり、自分の意見を露骨に示すのを憚るような気風であったため、おのずから、言葉使いに婉曲、遠廻しな言い方がよろこばれ、むやみに「条件法」を使う習慣ができた。然るに、十七世紀は、いわゆる理性尊重の時代で、一方宮廷などでは、かのプレシオジテといわれるような美辞麗句の羅列も流行したが、一般民衆の間には、次第に、正確に、直截に自分の考えを表明する気風が生れ、十六世紀に盛んに使われた「条件法」が、その必要の限度で守られ、同じことが「直接法」で言い切られるようになった、というのです。
しかし、こういう時代精神の革命は、やはり、多くの学者や芸術家の先駆的な役割を見逃がしては理解できないように思われます。
してみると、この事実を現在の日本にあてはめて考えることはできないでしょうか?
現代日本語の性格は、言語学的な形式論だけで説明しきれない、どこか、現代日本人の性格の、そのままの現れとみなければならぬ一面がありそうです。
僕はいつでも思うのですが、実際、われわれの日常語は、どうしてこうまで「ムダな言葉」に満たされているのかと不思議なくらいだ。そのつぎは、紋切型です。そして、最後に、なんといっても、余計な敬語乃至敬語に類する自卑の表現が目立ちます。
重大なことは、それがたいてい、無意識に使われていて、どうかすると、それを適度にあしらわなければ世間に通用しないという、妙な不文律ができていることです。その証拠に、もし誰かが、あるひとの言葉遣いのなかに、一種の「卑屈な」調子を指摘しようとすれば、これはまことに容易です。自分でそれと気づかず、また、屡々、なんの必要もなく、ただ言葉の機械的な操作によって、そういう結果が生じているだけです。
あなたは、なるほど、現代日本語に不信を投げつけられたが、どこがどういう風に困るかという、具体的な個所をあまり適切に示されませんでした。対話の語尾がいつでも、おなじ音で終るのはうるさい、とか、母音が多すぎて、ダイナミックな感じが出せないとか、主語と動詞がはなれすぎていて、フレイズとしての印象が鮮明でない、とか、こんな例はいくつか挙げられたようですが、これはいずれも、日本語の宿命的な性格で、それに難癖をつけてもはじまらぬと思うのです。それがもし欠陥だとすれば、他の方法で、それを補うよりしかたがない。僕はむしろ、そういう点よりも、前に述べたような、現代語としての、ゆがめられ、ひからび、荒らされ、生気を失った言葉の使用法について、もっと、われわれの注意をあつめなければならないと思います。
そこへいくと、言葉というものが、どんなに深く人間の精神と生活とにつながっているかがわかります。
「ムダな言葉」ですぐ思いつくのは、「えー」とか、「うむー」とかいう、意味のあるようでない一種の呻り声です。日本人だけに特有な、この「言語障碍」に以た奇怪な音は、いったい、なんのために、どこから発せられる音声でしょう? 慣れていればなんでもないかも知れないが、決して、魅力のある言葉の部分ではないようです。
これとおなじ理由から、ひとによって、やたらにおなじ接続詞を連発します。「つまり、……その」の類です。ひとのことは嗤えない。僕なども、それをやる方ですが、自分ながら冷汗をかくことがあります。
「紋切型」は、一般に日本人の形式主義とも関係がありますけれども、これはなんとしても、言葉の生命を殺す最大の敵でしょう。
どこの国でも、挨拶の言葉には慣習によるある型ができています。外国語の初歩は、これを覚えることが一つの階梯になっているくらい、一般的に、誰でも口にする言葉ですが、それでも、実際には、なかなかいろいろの使い方があって、それぞれのニュアンスをもっているものです。近来は、紋切型の口上を述べる若いひとは極めて少くなった。しかし、そういう挨拶の型を軽蔑するひとが、会話のなかで、ずいぶん紋切型の表現を無意識に繰り返していることがあります。ちょっと面白いと思って使う「流行語」が、すぐに紋切型になることを忘れているようです。
なんでもなく軽い意味で使うのでしょうが、「お蔭で」、「恐縮ですが」、「すみません」などの言葉としてもっている意味と、その使い方とを考えると、どだいおかしいではありませんか。
「敬語」の問題は、たしかに現代日本語の急所です。なんとかしなくてはなりません。ただ、これも、便宜主義的な制限規定のようなものを作ってもしかたがない。要するに、現代生活に秩序と品位とを与えるような、正しい語感の要求に応えなければなりますまい。
この角度から、現在、国語教育がどんな風に行われているかを、国民は批判する立場にあるのです。それはそうと、いつ頃からか、しきりに政治家官僚によって用いられている、「演説口調の敬語」は、甚だ耳ざわりです。「政府と致しましては」「解散に相成りまする……」「これをもちまして、本日の会議は……」の如き、その一端です。
ことに論外と思われるのは、以前には、地方出の無学な女中の失態として笑い話になったようなとんちんかんな敬語を、この頃では、平気で、そのへんの紳士淑女が使っていることです。ここで紳士淑女とは、男女学生を含むこともちろんです。
最後に、現代の日本語のみじめな性格のひとつに、「はっきりものを言う」ことを憚るような調子が、どことなくひそんでいるのを、僕は数えたい。
これは文章でもそうですが、ことに対話の場合、無意識に使う言葉の「アヤ」にそれがみられます。
相手とまったく反対な意見を述べる時、「それはそうですが」と、一応肯定してかかるのは、いったいなにごとでしょう?
なになには好きですか、と問われて、「好きは好きですけれど……」と、よく条件づきの返事をするひとがいます。
店へ買物にいって、ほしいもののあるなしをたずねたりすると、これに似た返事をきかされることがあります。――なになにはありますか? に対して、「はいございますけれど……」なにが、けれど、なのか、さっぱりわからない。まさか、あれば買うのかと、念をおすわけではないでしょう。
ほんの思いついた例にすぎません。われわれの精神は、これほど、「はっきりさせる」ことを憚るなにものかに囚われているのです。
現代語の問題は、このへんから考えていくべきではないでしょうか。
S・Y君
まったく君と同様に、僕も、いわゆる「教養」を鼻の先にぶらさげている人物におじ気をふるうものの一人です。
君はそのことについて面白い観察をしています。そして、そこから、「教養」そのものについて、ある意味での不信を抱きはじめているようですね。
しかし、どうでしょう、いったい、誰でもが鼻の先にぶらさげられるようなものが、ほんとうの「教養」といえるでしょうか?
問題はそこにあるのだと思います。
普通の人間として、「教養」があるとか、ないとかいうことは、だいたい、今の日本でははなはだその標準が立てにくいように思われます。なぜなら、伝統の破壊と未来像の喪失のなかでは、しょせん魅力ある「人間の典型」というものは考えられないからです。どういうものを作ろうという、ひとつのはっきりした目標がなければ、それに対する十分な努力や適切な工夫が生れるはずはない。すべては、便宜的に、それぞれの場所で通用すればよいという、ごく大ざっぱな標準で、われわれは、ある不気味な「型」にはめこめられて来ています。その「型」に反撥するものはありますが、その反撥が更にまたひとつの「型」に陥ります。
一面では非常にすぐれていると思われる人物が、その半面、必ずといっていいくらい、おそろしく頼りないところがあり、なにかおかしい弱点のようなものをのぞかせているのに気づくと、人間とはそもそもそういうものだ、と簡単に決めてしまいがちですが、それがもし、後天的に、「身につけたもの」である場合は、その原因について、是非とも考えてみる値打があるように思われます。
これが平凡な人間となると、このアンバランス(不均衡)はそれほど目立ちませんが、われわれ現代日本人が普通にもっているこの種の「畸型性」を、僕は、ことごとく後天的なものと考えますから、精神機能のすべての領域で、なにがこのアンバランスを生み、何故にそれを多くの人が、それと気づかずに見過しているかを、考えないわけにいかないのです。
この現象は、風俗の面で、個々に、具体的に捉えるのが一番た易く、また、わかりいいのですが、例をいわゆる「現代の教養」という問題にとりましょう。
「教養」とはそもそもなんですか? 僕に言わせれば、それは、普通のことを正しく理解し、誰とでもあたり前に話ができ、社会人としての一般的な役割を果し得る知識と感覚とが、自然に身についている状態を指すのです。
従って、「教養」を鼻の先にぶらさげたり、それをおいそれとほかから持って来るなどということは、言葉としても意味をなさないし、そんなことができるわけのものではない。まして、「教養」さえあれば、なにか「特別のこと」ができると思うのはとんだ間違いだ、と言わなければなりません。
「教養」とは、人間の精神のはたらきを、健全に、しかも活溌にする原動力のひとつで、「はたらき」そのものの目的を含んではいません。「教養」自身からは何も生れて来ない代り、「教養」の基礎の上に、精神のはたらきの一つの方向が与えられ、そのはたらきに「教養」の質と程度を示す極印が押されます。
教養の「高さ」とか「低さ」とかは、一応その質と程度を現わすにちがいありませんが、教養が「ある」とか「ない」とかいう標準は、「高さ低さ」とはまた別に、「量」の感じを伴います。しかし、「豊かな」教養とかいうのは、もちろん博学博識と同義語ではありません。それとまったく無関係ではありますまいが、むしろ、それすらも表面には露骨に出ないで、どれほどの知識も、必要最少限度にその人物の言動の閃きとなり、公私の生活のはしばしに一種の気品と深みとを与えるようなものを指すのです。
そこで、話を前に戻せば、現代日本人の憂うべき傾向は、決して、知識の不足でも、学力の劣位でもありません。まず第一に基礎的たると専門的たるとを問わず、それが常に、おおむね、ある一方に偏していたり、大切な部分に空白があったりすることです。そして第二には、それが同時に感覚的、肉体的に捉えられず、観念として、空な言葉として、精神のはたらきを逆に阻害したり、麻痺させたりしていることです。
そこへもって来て、更に重大なことは、われわれの祖先が曲りなりにも作りあげた生活技術を、民族としての新しい発展のために、プラスとなるようにでなく、無意識にもせよ、マイナスになるような仕方で、これを受けついでいるということです。古いものの価値が時に顧みられることはあっても、それは甚だしばしば、回顧的な興味をしか現代人に与えないばかりか、時として、反時代的な風潮を助成する結果しか生まないのはそのためです。
「教養」とは、人間の歴史的成長につながるものです。「新しいこと」しかわからぬということは、「教養」の上からいえば、ひとつのアンバランスであり、畸型であり、その「新しいこと」すら、ほんとにわかっているかどうか怪しいと言えましょう。それは、文学における「古典」の地位と役割とを考えてみればすぐに肯けることです。
「教養」という言葉はもともと culture なる外国語の訳であることはご承知の通りです。カルチュアは、「教養」でもあり、「文化」でもありますが、昔からの日本語で、教養の意味でのカルチュアの概念に近いのは「嗜み」という言葉でしょう。
さて、そこで俳優としての「教養」という問題ですが、こういうことを今更とりあげて云々しなければならないのは、君のように、「教養」という言葉の意味を曲解しているひとがいたり、「教養」そのものが正しく植えつけられにくい社会と時代とにお互が生れたということに関係があるのですから、どうかそのつもりで、僕の言うことを聴いてください。
俳優の仕事は、言うまでもなく、精神の肉体化を目的とする表現技術です。
舞台にしろ、スクリーンにしろ、俳優の生命は、作者の生命と、人物の生命とを合せて一体とした一個の人物像のなかで躍動します。作者はその思想と文体に、人物はその性格と心理に、おのおのの生命を托しますが、俳優は、つねに、一作品中の一人物に扮しながら、実は、俳優それ自身の精神と肉体とを、直接観衆の前に示すのです。この場合、俳優の才能と人間的魅力が、決定的に物を言うことは明らかです。それは二つの面からです。その人物を如何に表現しているかという興味と、その人物に誰が扮しているかという興味と、この二つは、観衆の質によって、どちらかに重心が傾くとはいえ、俳優の上に集る好奇心のすべてです。
この場合、俳優の才能と人間的魅力とを、別々に引き離して考えるのは無理のようですが、往々にして、やはり、豊かな才能が人間的魅力を深め、ある種の人間的魅力が、比較的乏しい才能を補っている例がなくはありません。
ところで、この才能にしろ、人間的魅力にしろ、「教養」の裏づけによって、著しくその品質を異にするものだ、ということを、僕はここで強調したいのです。なぜなら、ほんとうの「教養」とは、まさに、真実と虚偽をかぎわける「勘」、美と醜とを一瞬に見分ける「趣味」の源泉だからです。
俳優はもともと人並以上に恵まれた感受性をもっていなければなりません。作品の生命たる思想と文体について「説明ぬき」の理解に達し、扮する人物の生命たる性格と心理を、ある程度実感にまで導くのは、豊かな教養となっている、磨かれた感受性の賜でありましょう。
特にここで注意に値することは、俳優の真の教養は、いわゆる「教養ある人物」に扮する時だけしか役に立たぬのではなく、むしろ却って、教養の低い、「卑俗」ともいうべき役柄の人物において、遺憾なくその持ち前の力を発揮するということであります。
このことは、単なる才能と混同されて、あまり俳優論の好題目となってはいませんが、僕の観察では、才能だけはあっても、教養のあまり高くない俳優が、無教養な人物を演ずる時の面白さは、月並で、単純で、すぐ飽きてしまうが、教養豊かな俳優が、粗野で愚劣な人物を演ずると、すぐれた文学作品の登場人物を髣髴とさせる、陰翳に富んだ、ヴォリュームのある人間像をそこに描きだすことができ、鋭い批評精神によって一つのデフォルマシヨンが自然に行われ、高い意味の面白さが加わるわけです。
ルイ・ジューヴェの演じる人物の魅力には、そういうところがよくあったでしょう。
フランソワアズ・ロゼエが、やはりそうです。
「教養」の問題は、結局、生活に即した日常的な問題です。専門の知識や技術に関しては、あまり「教養」という言葉を使わないのをみてもわかります。
しかし、俳優に限らず、あらゆる職業を通じて、現代日本の大きな悩みは、職業に先行し、或は職業の裏打ちとなるべき、人間的な生き方の原理の模索です。そこから、職業の本体が曖昧な観念の上に築かれてしまっています。
先ず、すべての職業に共通な社会人としての常識が打ち樹てられ、その上で、特殊な専門部門の要求に応じ、その要求を最高度に活かす知識や技術を修得し、自他共の幸福の追求に役立つ、できるだけ豊かな精神生活を営むところから、自然に「教養」というものが身につくのだと思います。
それゆえ、「教養」は、「教育」を含めて、まずどこよりも家庭からだと、僕は信じます。
教育は、教師がいて、学校乃至それに準じた施設さえあれば、まずまず、申分なく受けられる筈ですが、教養は、家庭、学校、社会を通じて、それを与える人がいくたりかいるというわけのものではありません。一にも二にも、それは、生活環境であり、雰囲気であり、自己の訓練です。
近頃の大学には、教養学部とやらいうものがあるそうですが、いったい、そこでは、教育以前の何を与えているのでしょう? おそらく、それぞれの専門に進むまえの基礎学科、以前には、高等普通学と呼ばれた、一種の予備知識を授けるつもりでしょうが、そういう制度で、一般に、「教養」を身につけたと思ったら、とんだ間違いだと僕は思います。
俳優の演技のなかで重要な部分を占める「表情術」とは、概して、狭い意味の「顔面の表情」を指すのですけれども、ここでは、もっとひろく、俳優がほとんど無意識に、いかなる場合でも、顔面だけでなく、その姿態や、声のなかにまで、その人柄の印象のようなものとしてもっている一種の「感じ」を問題にしたいのです。
この「感じ」とは、前に言ったようなそのひと全体から受ける印象ではありますが、それは特定の言動から、ある限られた感銘を与えられるというのではなく、そのひとの全身からにじみ出る雰囲気のようなもの、つまり、顔つき、起居振舞、声の調子などから、気質や性格を含めた人間の味いとして、相手を、或は惹きつけ、或は反撥させ、或は関心の外におくというような、非常に微妙な効果を発揮する心身相伴った能動的な力であります。
この「表情」の力は、単純に通俗的な美醜の標準に従ってその価値を云々することはもとよりできません。俳優の場合は、それこそ、一見、吹きだしたいような、或は、ギョッとするような顔つきをしていても、それはそれで使いみちはあるのですが、ともかくも、百種百様の顔つきが、それはそれなりに、「人間的な面白さ」を示していることが必要で、この「面白さ」の、ある大切な条件に、「鍛えられた精神」の表情がまず数えられると思うのです。
白痴的な表情にある美しさを感じるという場合は、これとまったく反対な条件に支えられていますが、例えば、頭脳をある程度鍛えた人間の表情には、それらしい特徴があり、露骨な感情の世界であらゆる経験を嘗めつくした人物の表情には、また、それにふさわしい色合いが示されています。
ところが、精神のこういう鍛えられかたには、例外なく、前回に述べたような、畸型性が表情のうえに出て来るものです。それはそれで「面白く」なくはないが、結局、畸型の面白さであって、人間像として「完全な」興味の対象となりません。
それ故、こういう種類の俳優は、その扮する人物の範囲が局限されるばかりでなく、どんな人物に扮しても、その人物のある一面をしか「面白く」表現できないという弱点を暴露するのです。
僕は、なにもここで、「理想的人間像」を俳優に求めているのではありません。つまり、精神のはたらきが極端に不均衡にならないために、健康で、溌剌とした感受性の土台になる、精神全体の絶え間なきトレイニングを勧告しているわけです。このトレイニングこそ、俳優の表情に、最も奥深い生命の輝きを与え、最も価値ある人間的魅力を添えるものだと信じます。
精神のトレイニングになによりも効果のある方法について、僕の考えを述べる前に、君にひとつ質問をします。
君は、「教養」という言葉にまだこだわっていますか?
多分もう、僕の今迄の話しかたで、「教養」という言葉を、「精神のトレイニング」にすりかえたのだということぐらい察せられたでしょう。
その通りです。
そこで、僕は、こんな逆説めいた定義を思いつきました。
――教養とは、いろんなことを知っていることではない。知らないことをはっきり知らないと言えることだ。
または、
――教養とは、誰よりも早く自分の醜さ、或は、誤りに気づくことだ。
こんな風な文句を並べているとキリがなさそうですが、要するに、教養とは、職業としての専門技術が深く根をおろし、豊かな才能の実を結ぶように、十分に耕やされ、肥沃な状態におかれた精神の土壌を指すのです。俳優としての修業を積むに当って、単に、人間としての矜りを保つだけでなく、舞台芸術家らしい特殊な「人間的魅力」の培養を心掛けなければならぬ理由はここにあるのです。
さて、話をもう少し具体的に押しすすめていきましょう。
古来名優と呼ばれた俳優の数は可なりあるようですが、その大部分は、その時代の俳優として、なんらかの意味で、群を抜いた「人間的魅力」の持主でありました。
僕の眼に浮ぶだけでも、いろいろな型の「魅力」ではありますが、それぞれに演技以前の非凡な精神像を想像させるていの人物ばかりであります。
なかには、サラ・ベルナァルのような、天成の大女優といいたい一種の魔力をもった不思議な女優もたまにはいますが、僕が、どうしても君にお伝えしたいのは、ほとんどおなじ時代の女優でも、サラ・ベルナァルとは反対に、その容姿には眼をみはらせるような華やかさはなく、その芸風や趣味からいっても、ロマン主義時代の名残を止めてはいない、一見、地味な家庭婦人のようにみえる名女優、レジャンヌ夫人のことです。
僕はこのひとの舞台を二度しか見ていません。そして、その二度目の舞台が彼女の最後の舞台でした。エルヴィユ作「炬火おくり」のサビイヌに扮したレジャンヌ夫人の驚くべき自然さ、程よきうるおい、匂うような知性、そして、清潔な情熱のほとばしりを見ました。またとない感動です。が、ここに僕は、はっきり、彼女の天才というよりはむしろ、磨きあげられた才能を発見したように思いました。いや、才能などというものは表面には露わに見えていません。それは、四十に近い中流家庭の主婦です。一人の娘の母親であり、一人の老婆を母にもつ娘です。彼女は、平凡な母、世間並の娘、そしてまだ色香の失せぬ未亡人であるにすぎない。エゴイスチックな愛情のために、苦しみ、悶え、はては、娘と母と誠実な求婚者とを同時に失う不幸な女の役です。脚本は評判にはなったが、たいしたものではなく、僕も、昔、翻訳したことを後悔しているくらいですが、この芝居は、たしかに舞台では、大成功をおさめました。サビイヌがすばらしかったからです。レジャンヌ夫人が、作者のイメージにまさる「魅力ある」人物を創造したからです。
僕は、この芝居を観て、しばらく、レジャンヌ夫人の姿が眼にちらついて離れませんでした。まったくのところ、女優としては、むしろ例外に属するくらい美人の型からは外れている、もう隠退を伝えられているほどの年でした。なるほど、舞台の才能も才能ですが、その才能が目につかぬような、あの自然な姿態のかもしだす魅力、年などは問題にならぬような、あのみずみずしい女性的な香り、しとやかで、キリリとして、物憂げで、どこか茶目ッ気もあるという風な複雑な人物像を、どんな女優があんなに自然に現わし得るか、ということを僕は考えました。
ところが、最近僕は、偶然、ある機会にこんな事実があったことを知りました。それは、あの変りもののマルセル・プルウスト、生涯を独身で通し、雇人にも一切女ッ気を加えなかったといわれるプルウストが、社交界を遠ざかってからも、レジャンヌ夫人の楽屋へは始終顔を出し、あたかも取巻の一人のように、自ら彼女の崇拝者たることを公言し、彼女に近づく口実を作るために、彼女の息子を自分の家に同宿させていた、というのです。
僕は、この話をこういう風に解釈したいのです。
プルウストは、別に、ジイドのようなポーズのある作家ではありません。彼は、自分の女性関係を特別な意味で問題にする筈はない。一口に言えば、彼は、非常に、「女」には贅沢な人物のように思われるのです。まったく、プルウストの気に入るような女とは、どんな女か、パリ広しといえども、そうざらにはいなかった、ということになりませんか?
プルウストがレジャンヌ夫人と会って、どんな話をしていたか、僕の好奇心は湧きたちますが、おそらく、「失いし時をもとめて」の作者は、レジャンヌ夫人の微笑と一言の挨拶に、彼の想像を越えた「美しい女性」を官能に乱されない精神の表情として読みとったのではありますまいか?
その魅力がもし、彼女にとって、後天的なものなら、それはまさしく、「豊かな教養」の賜と呼んで差支えないものだと思われます。