ルイ・ジュウヴェの魅力
岸田國士
およそ俳優の芸術ぐらゐ、その「人間」が直接に、そして、むきだしに示される芸術はないであらう。これはあまりに当然なことだから、かへつて、ひとがそれほど問題にしないのだらうけれども、古来、名優といはれるほどの俳優は、きつと例外なく、なによりも、「人間的魅力」において一個の稀有な存在であつた、といふ事実を注意しなければならないと思ふ。
「人間的魅力」と、ひと口にいつても、その質にはいろいろある。俳優の場合には、――ここが往々間違ひ易いところだが。――必ずしも俗にいふ美男美女である必要はなく、また、どんな相手にでも好感をもたれるといふやうな種類のものではない。むしろ、たとへば、物語のなかの人物のやうに、いろいろな特質によつてわれわれの興味を強くひく、人間としての「面白味」といふやうなものであつて、さういふ要素を豊かにもつてゐる俳優でなければ、すぐれた俳優にはなれないし、また、さういふ要素があつてこそ、その才能も十分に生かされるのである。
ルイ・ジュウヴェは、映画を通じて、日本にも非常に多くの讃美者をもつてゐる俳優であるが、彼はもともと舞台俳優であり、演劇の世界に於て、一層価値ある業績を残してゐることは言ふまでもない。
私は、一九一九年から二三年まで、パリのヴィユウ・コロンビエ座で、ジャック・コポオの協力者として働いてゐた頃の彼を識つてゐるだけだから、ヴィユウ・コロンビエ座解散の後をうけて、彼が名実ともに、独自の演劇活動をしはじめた頃の、最も華々しい舞台に接する機会はなかつたわけである。
コポオの下で、主として装置の考案を担当する演出助手のやうな仕事をつづけてゐた彼は、時たま、演し物によつて役を振られることがあるくらゐで、コポオの信任は相当厚かつたけれども、俳優としての実力は、まだ十分に発揮してゐなかつた。
ほとんど独裁的といつてもいいコポオの傍らで、彼は、一種不思議な勢力をもつてゐた。それは、もちろん、彼の見識の高さと、底知れぬ性格の幅とから来るもののやうに思はれた。
寡黙で、無愛想で、時に皮肉でさへある彼は、その風貌の異教徒的な凄味と、その態度、音声のもつ特殊な無頼性とを意識的にうまく利用してゐるやうであつた。ところが、さういふ、どぎつい一面も近代的知性のヴェールによつて、渋い「男つぽさ」とでもいふべき雰囲気をほどよく発散させてゐた。
実際、私のみるところ、日常の彼と、舞台なりスクリーンなりの彼とは、メイキャップと衣裳とを除けば、そんなに違ひはないのであつて、いはゆる演技によつて附け加へられた部分を探すのに骨が折れるくらゐである。
彼の演ずる人物は、もちろん、彼の柄に合つたものが多いけれども、それにしても、かなりヴァライティーに富んだ持役の範囲をあれだけに立派にこなす秘密は、彼にあつては、それらの人物の生き方を、彼自身、そのままに生き得る精神――多面的であると同時に、強烈で、豊かな精神の持主だといふところにある。
ジュウヴェが好んで上演し彼自ら主役を買つて出た戯曲は、初期に於ては、ジュウル・ロマン、後期に於ては、ジャン・ジロオドゥウの諸作であるが、この二人の作家のフランス劇壇に於ける地位を考へると、彼ジュウヴェの功績はまことに大と言はねばならぬ。しかしながら一方、ジュウヴェの今日あるのは、また、この二人の作家の協力に負ふところ少くないのであるから、俳優と作家との見事な結合が、ここでもまた、二十世紀のフランス演劇に、色鮮やかな花を咲かせたことになる。そして、さういふ意味では、ジュウヴェは、同時代のどの俳優よりも先駆的な仕事をしたにも拘はらず、しかも、その仕事が常にポピュラリティーをもつといふ異例を作つたことになる。
ジュウヴェの扮する人物は、概して、諷刺喜劇の対象となる「戯画化された」人物であるが、その滑稽味は決して単なる滑稽味ではなく、常に、異状に強烈な性格の一面をのぞかせてゐる。そこへ、彼の持味の、鋭さを含んだノンシャランスと、人をくつたシニスムとが、それぞれの人物に、複雑で、痛快で、ほろ苦い味をつけ、時には、不気味な悪の臭気や、執拗な欲望の焔の如きものを撒き散らすのである。
ところで、彼の扮する人物が、どんなに卑俗な、またどんなに憎々しい存在であつても、さうであればあるほど、彼の演技そのものには、どこといふことなしに、厳粛な気品が漂つてゐることも、俳優としての彼の大きな魅力である。
この気品はどこから生れるかといえば、むろん、彼の人間としての、同時に、芸術家としての衿持から生れるものだと、私は信じる。
彼はその教養と、天才的感覚とによつて、実に、自分自身をよく識り、自分に最もよく似合ふものを正確に選ぶ。決して背伸びもしない代り、物事を断じて軽く扱はぬから、余裕綽々たる演技の呼吸がおのづから身についてゐるのである。己惚れにあらざる自信が、彼ほど演技の底力になつてゐる俳優を、私は未だ嘗て見たことがない。
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