僕は小供の時分、どんな菓子が
その頃写した写真に、巻煎餅をしつかり握りしめてゐる写真がある。
おやぢがはじめて、モルトンといふ西洋風の菓子を買つて帰つて来た。その後、近所の遊び友達も同じモルトンをしやぶつてゐるのを発見したが、彼等はそれをドロツプと呼んでゐた。なぜ自分のだけがモルトンであるかは、永久にわからなかつた。
十七八の頃、自分の小遣で菓子を買ふやうになつて、僕は、しきりにマシマロを買つた。今から考へると、あの粉をふいた五色の肌こそは、ほのかな香りと、滑らかな弾力とを忍ばせて、怪しくも青春第一歩のノスタルヂイを感ぜしめたものに違ひない。
仏蘭西で食べた菓子のうちで、僕がもつと食べたいと思ふのは、ブリオシユとババ・オオ・ロムと、それからマロン・グラアセである。
ブリオシユは、カステラとパンの
序に、日本でシユウ・クリイムと呼んでゐる菓子は、英国へ行つても仏蘭西へ行つてもその名前では通用しない。英吉利でシユウ・クリイムを持つて来いと云つたら、靴墨を持つて来たといふ
日本では甘党辛党などゝ称し、酒好きと菓子好きとを対立させてゐるが、これはどうも理屈に合はぬらしい。ババ・オオ・ロムの如く、酒入りの菓子があることはその不合理を証明してゐる。
最近僕の義弟Y砲兵少佐が、三年間の巴里駐在を終へて帰つて来た。数々の土産物を取巻いて、われわれはいろいろな土産話を聴いた。その中で僕をふと微笑ました話――
Yは愈々帰朝の内命を受けてぼつぼつ旅の支度に取りかゝつた。下宿の人達は、彼が毎日鞄の蓋を開けたり閉めたりしてゐるのを見てゐた。ある日その下宿の女中は、洗濯物を持つて来た序に、こんなことを云ひ出した。
――コンマンダン! 鞄には、まだ容れる場所がありますの?
――うむ。あると云へばあるし、ないと云へばない。
――出来れば、ひと処空けておいて下さいましね。あたくしから、お国のお子様たちにお土産を差上げたいのですから……。
Yは、それから数ヶ月間、毎日のやうに、この女中から、鞄の隅にまだ空きがあるかを尋ねられた。
さて、明日は巴里を発つといふ日である。その女中は、片手に恭々しくボンボンの小函を捧げてYの部屋を訪れた。
――コンマンダン、これを入れて下さる場所がございませうか……
Yは握り拳で鞄の隅を押しつけた。しかし、あんまり強く押すわけに行かなかつた。そんな函なら幾つでもはいりさうだつたから……