六号室

アントン・チエホフ Anton Chekhov

瀬沼夏葉訳




(一)


 町立病院ちょうりつびょういんにわうち牛蒡ごぼう蕁草いらぐさ野麻のあさなどのむらがしげってるあたりに、ささやかなる別室べっしつの一むねがある。屋根やねのブリキいたびて、烟突えんとつなかばこわれ、玄関げんかん階段かいだん紛堊しっくいがれて、ちて、雑草ざっそうさえのびのびと。正面しょうめん本院ほんいんむかい、後方こうほう茫広ひろびろとした野良のらのぞんで、くぎてた鼠色ねずみいろへい取繞とりまわされている。この尖端せんたんうえけているくぎと、へい、さてはまたこの別室べっしつ、こは露西亜ロシアにおいて、ただ病院びょういんと、監獄かんごくとにのみる、はかなき、あわれな、さびしい建物たてもの
 蕁草いらぐさおおわれたる細道ほそみちけば別室べっしつ入口いりぐちで、ひらけば玄関げんかんである。壁際かべぎわや、暖炉だんろ周辺まわりには病院びょういんのさまざまの雑具がらくた古寐台ふるねだいよごれた病院服びょういんふく、ぼろぼろの股引下ズボンしたあおしま洗浚あらいざらしのシャツ、やぶれた古靴ふるぐつったようなものが、ごたくさと、やまのようにかさねられて、悪臭あくしゅうはなっている。
 この積上つみあげられたる雑具がらくたうえに、いつでも烟管きせるくわえて寐辷ねそべっているのは、としった兵隊上へいたいあがりの、いろめた徽章きしょういてる軍服ぐんぷく始終ふだんているニキタと小使こづかいおおかぶさってるまゆ山羊やぎのようで、あかはな仏頂面ぶっちょうづらたかくはないがせて節塊立ふしくれだって、どこにかこう一くせありそうなおとこかれきわめてかたくなで、なによりも秩序ちつじょうことを大切たいせつおもっていて、自分じぶん職務しょくむおおせるには、なんでもその鉄拳てっけんもって、相手あいてかおだろうが、あたまだろうが、むねだろうが、手当放題てあたりほうだい殴打なぐらなければならぬものとしんじている、所謂いわゆる思慮しりょわらぬ人間にんげん
 玄関げんかんさきはこの別室全体べっしつぜんたいめているひろ、これが六号室ごうしつである。浅黄色あさぎいろのペンキぬりかべよごれて、天井てんじょうくすぶっている。ふゆ暖炉だんろけぶって炭気たんきめられたものとえる。まど内側うちがわから見悪みにく鉄格子てつごうしめられ、ゆかしろちゃけて、そそくれっている。けた玉菜たまなや、ランプのいぶりや、南京虫なんきんむしや、アンモニヤのにおいこんじて、はいったはじめの一分時ぷんじは、動物園どうぶつえんにでもったかのような感覚かんかく惹起ひきおこすので。
 室内しつないには螺旋ねじゆかめられた寐台ねだい数脚すうきゃく。そのうえにはあお病院服びょういんふくて、昔風むかしふう頭巾ずきんかぶっている患者等かんじゃらすわったり、たりして、これはみんな瘋癲患者ふうてんかんじゃなのである。患者かんじゃすうは五にん、そのうちにて一人ひとりだけは身分みぶんのあるものであるがみないやしい身分みぶんものばかり。戸口とぐちからだい一のものは、せてたかい、栗色くりいろひかひげの、始終しじゅう泣腫なきはらしている発狂はっきょう中風患者ちゅうぶかんじゃあたまささえてじっとすわって、一つところみつめながら、昼夜ちゅうやかずかなしんで、あたま太息といきもらし、ときには苦笑にがわらいをしたりして。周辺あたりはなしにはまれ立入たちいるのみで、質問しつもんをされたらけっして返答へんとうをしたことのい、ものも、ものも、あたえらるるままに、時々ときどきくるしそうなせきをする。そのほお紅色べにいろや、瘠方やせかたさっするにかれにはもう肺病はいびょう初期しょきざしているのであろう。
 それにつづいては小体こがらな、元気げんきな、頤鬚あごひげとがった、かみくろいネグルじんのようにちぢれた、すこしも落着おちつかぬ老人ろうじんかれひるには室内しつないまどからまど往来おうらいし、あるいはトルコふう寐台ねだいあぐらいて、山雀やまがらのようにもなくさえずり、小声こごえうたい、ヒヒヒと頓興とんきょうわらしたりしているが、よる祈祷きとうをするときでも、やはり元気げんきで、子供こどものように愉快ゆかいそうにぴんぴんしている。こぶしむねっていのるかとおもえば、すぐゆびあな穿ったりしている。これは猶太人ジウのモイセイカともので、二十ねんばかりまえ自分じぶん所有しょゆう帽子製造場ぼうしせいぞうばけたときに、発狂はっきょうしたのであった。
 六号室ごうしつうちでこのモイセイカばかりは、にわにでもまちにでも自由じゆう外出でるのをゆるされていた。それはかれふるくから病院びょういんにいるためか、まち子供等こどもらや、いぬかこまれていても、けっして何等なんらがいをもくわえぬとうことをまちひとられているためか、とにかく、かれまち名物男めいぶつおとことして、一人ひとりこの特権とっけんていたのである。かれまちまわるに病院服びょういんふくのまま、みょう頭巾ずきんかぶり、上靴うわぐつ穿いてるときもあり、あるい跣足はだしでズボンした穿かずにあるいているときもある。そうしてひとかどや、店前みせさきっては一せんずつをう。あるいえではクワスをませ、あるところではパンをわしてくれる。で、かれはいつも満腹まんぷくで、金持かねもちになって、六号室ごうしつかえってる。が、そのたずさかえところものは、玄関げんかんでニキタにみんなうばわれてしまう。兵隊上へいたいあがりの小使こづかいのニキタは乱暴らんぼうにも、かくし一々いちいち転覆ひっくりかえして、すっかり取返とりかえしてしまうのであった。
 またモイセイカは同室どうしつものにもいたって親切しんせつで、みずってり、ときには布団ふとんけてりして、まちから一せんずつもらってるとか、めいめいあたらしい帽子ぼうしってるとかとう。ひだりほう中風患者ちゅうぶかんじゃには始終しじゅうさじでもって食事しょくじをさせる。かれがかくするのは、別段べつだん同情どうじょうからでもなく、とって、情誼じょうぎからするのでもなく、ただみぎとなりにいるグロモフとひとならって、自然しぜんその真似まねをするのであった。
 イワン、デミトリチ、グロモフは三十三さいで、かれはこのしつでの身分みぶんのいいもの、元来もと裁判所さいばんしょ警吏けいり、また県庁けんちょう書記しょきをもつとめたので。かれひと自分じぶん窘逐きんちくするとうことをにしている瘋癲患者ふうてんかんじゃつね寐台ねだいうえまるくなってていたり、あるい運動うんどうためかのように、へやすみからすみへとあるいてたり、すわっていることはほとんまれで、始終しじゅう興奮こうふんして、燥気いらいらして、瞹眛あいまいなあるつことでっている様子ようす玄関げんかんほうかすかおとでもするか、にわこえでもこえるかすると、ぐにあたま持上もちあげてみみそばだてる。だれ自分じぶんところたのではいか、自分じぶんたずねているのではいかとおもって、かおにはうべからざる不安ふあんいろあらわれる。さなきだにかれ憔悴しょうすいしたかお不幸ふこうなる内心ないしん煩悶はんもんと、長日月ちょうじつげつ恐怖きょうふとにて、苛責さいなまれいたこころを、かがみうつしたようにあらわしているのに。そのひろ骨張ほねばったかおうごきは、如何いかにもへん病的びょうてきであって。しかしこころ苦痛くつうにてかれ[#「彼の」は底本では「後の」]かおいんせられた緻密ちみつ徴候ちょうこうは、一けんして智慧ちえありそうな、教育きょういくありそうなふうおもわしめた。そうしてそのにはあたたか健全けんぜんかがやきがある、かれはニキタをのぞくのほかは、たれたいしても親切しんせつで、同情どうじょうがあって、謙遜けんそんであった。同室どうしつだれかが釦鈕ぼたんおとしたとかさじおとしたとか場合ばあいには、かれがまず寝台ねだいからおきあがって、ってる。毎朝まいあさおきると同室どうしつ者等ものらにおはようとい、ばんにはまたお休息やすみなさいと挨拶あいさつもする。
 かれ発狂者はっきょうしゃらしいところは、始終しじゅうった様子ようすと、へん眼付めつきとをするのほかに、時折ときおりばんになると、ている病院服びょういんふくまえ神経的しんけいてき掻合かきあわせるとおもうと、わぬまでに全身ぜんしんふるわし、すみからすみへといそいであゆはじめる、丁度ちょうどはげしい熱病ねつびょうにでもにわかおそわれたよう。と、やがて立留たちとどまって室内しつない人々ひとびと※(「目+旬」、第3水準1-88-80)みまわして昂然こうぜんとしていまにもなに重大じゅうだいなことをわんとするような身構みがまえをする。が、またただち自分じぶんうことをものい、そのうことがわかるものはいとでもかんがなおしたかのように燥立いらだって、あたまりながらまたあるす。しかるにおうとのぞみは、ついえずたちまちにしてすべてかんがえ圧去あっしさって、こんどはおも存分ぞんぶん熱切ねっせつに、夢中むちゅう有様ありさまで、ことばほとばしる。ところ勿論もちろん秩序ちつじょなく、寐言ねごとのようで、周章あわてたり、途切とぎれてたり、なんだか意味いみわからぬことをうのであるが、どこかにまた善良ぜんりょうなる性質せいしつほのかきこえる、そのことばうちか、こえうちかに、そうしてかれ瘋癲者ふうてんしゃたるところも、かれ人格じんかくもまたえる。その意味いみつながらぬ、辻妻つじつまわぬはなしは、所詮しょせんふでにすることは出来できぬのであるが、かれところつまんでえば、人間にんげん卑劣ひれつなること、圧制あっせいりて正義せいぎ蹂躙じゅうりんされていること、後世こうせい地上ちじょうきたるべき善美ぜんびなる生活せいかつのこと、自分じぶんをして一ぷんごとにも圧制者あっせいしゃ残忍ざんにん愚鈍ぐどんいきどおらしむるところの、まど鉄格子てつごうしのことなどである。わばかれむかしいままったうたつくされぬうたを、不順序ふじゅんじょに、不調和ふちょうわ組立くみたてるのである。

(二)


 いまから大凡おおよそ十三四ねん以前いぜん、このまちの一ばん大通おおどおりに、自分じぶんいえ所有っていたグロモフとう、容貌ようぼう立派りっぱな、金満かねもち官吏かんりがあって、いえにはセルゲイおよびイワンと二人ふたり息子むすこもある。ところが、長子ちょうしのセルゲイは丁度ちょうど大学だいがくの四年級ねんきゅうになってから、急性きゅうせい肺病はいびょうかか死亡しぼうしてしまう。これよりグロモフのいえには、不幸ふこう引続ひきつづいててセルゲイの葬式そうしきんだ一週間しゅうかんちちのグロモフは詐欺さぎと、浪費ろうひとのかどもっ裁判さいばんわたされ、もなく監獄かんごく病院びょういんでチブスにかかって死亡しぼうしてしまった。で、そのいえすべて什具じゅうぐとは、棄売すてうりはらわれて、イワン、デミトリチとその母親ははおやとはついぶつとなった。
 ちち存命中ぞんめいちゅうには、イワン、デミトリチは大学だいがく修業しゅうぎょうためにペテルブルグにんで、月々つきづき六七十えんずつも仕送しおくりされ、なに不自由ふじゆうなくくらしていたものが、たちまちにして生活くらしは一ぺんし、あさからばんまで、安値あんちょく報酬ほうしゅう学科がっか教授きょうじゅするとか、筆耕ひっこうをするとかと、奔走ほんそうをしたが、それでもうやわずのはかなき境涯きょうがいわずか収入しゅうにゅうはは給養きゅうようにもきょうせねばならず、かれついにこの生活せいかつにはれず、断然だんぜん大学だいがくって、古郷こきょうかえった。そうしてほどなく或人あるひと世話せわ郡立学校ぐんりつがっこう教師きょうしとなったが、それも暫時ざんじ同僚どうりょうとは折合おりあわず、生徒せいととは親眤なじまず、ここをもまたしてしまう。そのうち母親ははおやぬ。かれ半年はんとし無職むしょく徘徊うろうろしてただパンと、みずとで生命いのちつないでいたのであるが、その裁判所さいばんしょ警吏けいりとなり、やまいもっのちにこのしょくするまでは、ここにつとめっていたのであった。
 かれ学生時代がくせいじだい壮年そうねんごろでも、生得せいとくあま壮健そうけん身体からだではかった。顔色かおいろ蒼白あおじろく、姿すがたせて、しょっちゅう風邪かぜやすい、少食しょうしょく落々おちおちねむられぬたち、一ぱいさけにもまわり、ままヒステリーがおこるのである。ひと交際こうさいすることはかれいたってこのんでいたが、その神経質しんけいしつな、刺激しげきされやす性質せいしつなるがゆえに、みずかつとめてたれとも交際こうさいせず、したがってまた親友しんゆうをもたぬ。まち人々ひとびとのことはかれはいつも軽蔑けいべつして、無教育むきょういく禽獣的生活きんじゅうてきせいかつののしって、テノルの高声たかごえ燥立いらだっている。かれものうのは憤懣ふんまんいろもってせざれば、欣喜きんきいろもって、何事なにごと熱心ねっしんうのである。で、そのところついに一つことにしてしまう。まち生活せいかつするのはこのましくい。社会しゃかいには高尚こうしょうなる興味インテレースい。社会しゃかい瞹眛あいまいな、無意味むいみ生活せいかつしている。圧制あっせい偽善ぎぜん醜行しゅうこうたくましゅうして、ってこれをまぎらしている。ここにおいてか奸物共かんぶつども衣食いしょくき、正義せいぎひと衣食いしょくきゅうする。廉直れんちょくなる方針ほうしん地方ちほう新聞紙しんぶんし芝居しばい学校がっこう公会演説こうかいえんぜつ教育きょういくある人間にんげん団結だんけつ、これらはみな必要ひつようからざるものである。また社会しゃかいみずかさとっておどろくようにしなければならぬとかなどとのことで。かれはその眼中がんちゅう社会しゃかい人々ひとびとをただ二しゅ区別くべつしている、義者ぎしゃと、不義者ふぎしゃと、そうして婦人ふじんのこと、恋愛れんあいのことにいては、いつもみずかふかかんってくのであるが、さて自身じしんにはいまだ一恋愛れんあいちょうものをあじおうたことはいので。
 かれはかくも神経質しんけいしつで、その議論ぎろん過激かげきであったが、まち人々ひとびとはそれにもかかわらずかれあいして、ワアニア、と愛嬌あいきょうもっんでいた。かれ天性てんせいやさしいのと、ひと親切しんせつなのと、礼儀れいぎのあるのと、品行ひんこう方正ほうせいなのと、着古きぶるしたフロックコート、病人びょうにんらしい様子ようす家庭かてい不遇ふぐう、これらはみなすべ人々ひとびとあたたか同情どうじょう引起ひきおこさしめたのであった。また一めんにはかれ立派りっぱ教育きょういくけ、博学はくがく多識たしきで、んでもっているとまちひとうているくらい。で、かれはこのまちきた字引じびきとせられていた。
 かれ非常ひじょう読書どくしょこのんで、しばしば倶楽部くらぶっては、神経的しんけいてきひげひねりながら、雑誌ざっし書物しょもつ手当次第てあたりしだいいでいる、んでいるのではなく間合まにあわぬので鵜呑うのみにしているとうような塩梅あんばい読書どくしょかれ病的びょうてき習慣しゅうかんで、んでもおよれたところものは、それがよし去年きょねん古新聞ふるしんぶんであろうが、こよみであろうが、一ようえたるもののように、きっとってるのである。いえにいるときもいつもよこになっては、やはり、書見しょけんけっている。

(三)


 あるあきあさのこと、イワン、デミトリチは外套がいとうえりてて泥濘ぬかっているみちを、横町よこちょう路次ろじて、町人ちょうにんいえ書付かきつけってかねりにったのであるが、やはり毎朝まいあさのようにこのあさ引立ひきたたず、しずんだ調子ちょうし横町よこちょう差掛さしかかると、おりからむこうより二人ふたり囚人しゅうじんと四にんじゅううて附添つきそうて兵卒へいそつとに、ぱったり出会でっくわす。かれ何時いつ囚人しゅうじん出会でっくわせば、同情どうじょう不愉快ふゆかいかんたれるのであるが、そのはまたどううものか、なんともわれぬ一しゅのいやな感覚かんかくが、つねにもあらずむらむらいて、自分じぶんもかくかせめられて、おな姿すがた泥濘ぬかるみなかかれて、ごくいれられはせぬかと、にわかおもわれて慄然ぞっとした。それから町人ちょうにんいえよりの帰途かえり郵便局ゆうびんきょくそばで、かね懇意こんい一人ひとり警部けいぶ出遇であったが警部けいぶかれ握手あくしゅして数歩すうほばかりともあるいた。すると、なんだかこれがまたかれには只事ただごとでなくあやしくおもわれて、いえかえってからも一日中にちじゅうかれあたまから囚人しゅうじん姿すがたじゅううてる兵卒へいそつかおなどがはなれずに、眼前がんぜん閃付ちらついている、この理由わけわからぬ煩悶はんもんあやしくもえずかれこころ攪乱かくらんして、書物しょもつむにも、かんがうるにも、邪魔じゃまをする。かれよるになってもあかりをもけず、よもすがらねむらず、いまにも自分じぶん捕縛ほばくされ、ごくつながれはせぬかとただそればかりをおもなやんでいるのであった。
 しかし無論むろんかれ自身じしんなんつみもなきこと、また将来しょうらいにおいても殺人さつじん窃盗せっとう放火ほうかなどの犯罪はんざいだんじてせぬとはっているが、またひとりつくづくとこうもおもうたのであった。故意こいならず犯罪はんざいすことがいともわれぬ、ひと讒言ざんげん裁判さいばん間違まちがいなどはありべからざることだとはわれぬ、そもそも裁判さいばん間違まちがいは、今日こんにち裁判さいばん状態じょうたいにては、もっともありべきことなので、そうじて他人たにん艱難かんなんたいしては、事務上じむじょう職務上しょくむじょう関係かんけいをもっている人々ひとびとたとえば裁判官さいばんかん警官けいかん医師いし、とかとうものは、年月ねんげつ経過けいかするとともに、習慣しゅうかんってついにはその相手あいて被告ひこくあるい患者かんじゃたいして、たん形式以上けいしきいじょう関係かんけいをもたぬようにのぞんでも出来できぬように、この習慣しゅうかんやつがさせてしまう、はやえば彼等かれらあだかも、にわってひつじや、うしほふり、そのにはかぬところ劣等れっとう人間にんげんすこしもえらところいのだ。
 翌朝よくあさイワン、デミトリチはひたい冷汗ひやあせびっしょりいて、とこから吃驚びっくりして跳起はねおきた。もういまにも自分じぶん捕縛ほばくされるとおもわれて。そうしてみずからまたふかかんがえた。かくまでも昨日きのうしき懊悩なやみ自分じぶんからはなれぬとしてれば、なにわけがあるのである、さなくてこのいまわしいかんがえがこんなに執念しゅうね自分じぶん着纒つきまとうているわけいと。
『や、巡査じゅんさ徐々そろそろまどそばとおってった、あやしいぞ、やや、またたれ二人ふたりうちまえ立留たちとどまっている、何故なぜだまっているのだろうか?』
 これよりしてイワン、デミトリチは日夜にちやをただ煩悶はんもんあかつづける、まどそばとおものにわものみな探偵たんていかとおもわれる。正午ひるになると毎日まいにち警察署長けいさつしょちょうが、町尽頭まちはずれ自分じぶんやしきから警察けいさつくので、このいえまえを二頭馬車とうばしゃとおる、するとイワン、デミトリチはその度毎たびごと馬車ばしゃあまはやとおぎたようだとか、署長しょちょう顔付かおつきべつであったとかおもって、んでもこれはまち重大じゅうだい犯罪はんざい露顕あらわれたのでそれを至急しきゅう報告ほうこくするのであろうなどとめて、しきりにそれがになってならぬ。
 家主いえぬし女主人おんなあるじところ見知みしらぬひとさえすればそれもになる。もん呼鈴よびりんたび惴々びくびくしては顫上ふるえあがる。巡査じゅんさや、憲兵けんぺいいでもするとわざ平気へいきよそおうとして、微笑びしょうしてたり、口笛くちぶえいてたりする。如何いかなるばんでもかれ拘引こういんされるのをかまえていぬときとてはい。それがため終夜よっぴてねむられぬ。が、もしこんなことを女主人おんなあるじにでも嗅付かぎつけられたら、なに良心りょうしんとがめられることがあるとおもわれよう、そんなうたがいでもおこされたら大変たいへんと、かれはそうおもって無理むり毎晩まいばんふりをして、大鼾おおいびきをさえいている。しかしこんな心遣こころづかい事実じじつにおいても、普通ふつう論理ろんりにおいてもかんがえてればじつ愚々ばかばかしい次第しだいで、拘引こういんされるだの、獄舎ろうやつながれるなどうことは良心りょうしんにさえやましいところいならばすこしも恐怖おそるるにらぬこと、こんなことをおそれるのは精神病せいしんびょう相違そういなきこと、と、かれみずかおもうてここにいたらぬのでもいが、さてまたかんがえればかんがうるほどまよって、心中しんちゅうはいよいよ苦悶くもんと、恐怖きょうふとにあっしられる。で、かれももう思慮かんがえることの無益むえきなのをさとり、すっかり失望しつぼうと、恐怖きょうふとのふちしずんでしまったのである。
 かれはそれより独居どっきょしてひとはじめた。職務しょくむるのはまえにもいやであったが、いまはなお一そういやでたまらぬ、とうのは、ひと何時いつ自分じぶんだまして、かくしにでもそっと賄賂わいろ突込つきこみはせぬか、それをうったえられでもせぬか、あるい公書こうしょごときものに詐欺さぎ同様どうよう間違まちがいでもしはせぬか、他人たにんぜにでもくしたりしはせぬか。と、無暗むやみおそろしくてならぬので。
 はるになってゆき次第しだいけた或日あるひ墓場はかばそばがけあたりに、腐爛ふらんした二つの死骸しがい見付みつかった。それは老婆ろうばと、おとことで、故殺こさつ形跡けいせきさえあるのであった。まちではもういたところ、この死骸しがいのことと、下手人げしゅにんうわさばかり、イワン、デミトリチは自分じぶんころしたとおもわれはせぬかと、またしてもではなく、とおりあるきながらもそうおもわれまいと微笑びしょうしながらったり、知人しりびといでもすると、あおくなり、あかくなりして、あんな弱者共よわいものどもころすなどと、これほどにくむべき罪悪ざいあくいなど、っている。が、それもこれもじきかれ疲労つからしてしまう。かれはそこでふとおもいた、自分じぶん位置いち安全あんぜんはかるには、女主人おんなあるじ穴蔵あなぐらかくれているのが上策じょうさくと。そうしてかれは一日中にちじゅう、また一晩中ひとばんじゅう穴蔵あなぐらなか立尽たちつくし、その翌日よくじつもやはりぬ。で、身体からだひどこごえてしまったので、詮方せんかたなく、夕方ゆうがたになるのをって、こッそり自分じぶんへやにはしのたものの、夜明よあけまで身動みうごきもせず、へや真中まんなかっていた。すると明方あけがた、まだうち女主人おんなあるじほう暖炉造だんろつくり職人しょくにんた。イワン、デミトリチは彼等かれら厨房くりや暖炉だんろなおしにたのであるのはっていたのであるが、きゅうなんだかそうではいようにおもわれてて、これはきっと警官けいかんわざ暖炉職人だんろしょくにん風体ふうていをしてたのであろうと、こころ不覚そぞろ動顛どうてんして、いきなり、へや飛出とびだしたが、ぼうかぶらず、フロックコートもずに、恐怖おそれられたまま、大通おおどおり文字もんじはしるのであった。一ぴきいぬえながらかれう。うしろほうでは農夫のうふさけぶ。イワン、デミトリチは両耳りょうみみがガンとして、世界中せかいじゅうのあらゆる圧制あっせいが、いまかれ背後うしろせまって、自分じぶん追駈おいかけてたかのようにおもわれた。
 かれとらえられていえ引返ひきかえされたが、女主人おんなあるじ医師いしゃびにられ、ドクトル、アンドレイ、エヒミチはかれ診察しんさつしたのであった。
 そうしてあたまひやくすりと、桂梅水けいばいすいとを服用ふくようするようにとって、いやそうにかしらって、立帰たちかえぎわに、もう二とはぬ、ひとくる邪魔じゃまをするにもあたらないからとそうった。
 かくてイワン、デミトリチは宿やどかりることも、療治りょうじすることも、ぜにいので出来兼できかぬるところから、幾干いくばくもなくして町立病院ちょうりつびょういんれられ、梅毒病患者ばいどくびょうかんじゃ同室どうしつすることとなった。しかるにかれ毎晩まいばんねむらずして、我儘わがままってはほか患者等かんじゃら邪魔じゃまをするので、院長いんちょうのアンドレイ、エヒミチはかれを六号室ごうしつ別室べっしつうつしたのであった。
 一ねんて、まちではもうイワン、デミトリチのことはわすれてしまった。かれ書物しょもつ女主人おんなあるじそりなか積重つみかさねて、軒下のきしたいたのであるが、どこからともなく、子供等こどもらってては、一さつき、二さつ取去とりさり、段々だんだんみんないずれへかえてしまった。

(四)


 イワン、デミトリチのひだりほうとなりは、猶太人ジウのモイセイカであるが、みぎほうにいるものは、まるきり意味いみかおをしている、油切あぶらぎって、真円まんまる農夫のうふうから、思慮しりょも、感覚かんかく皆無かいむになって、うごきもせぬ大食おおぐいな、不汚ふけつきわま動物どうぶつで、始終しじゅうはなくような、むねわるくなる臭気しゅうきはなっている。
 かれまわりを掃除そうじするニキタは、そのたびれい鉄拳てっけんふるっては、ちからかぎかれつのであるが、このにぶ動物どうぶつは、をもてず、うごきをもせず、いろにもなんかんじをもあらわさぬ。ただおもたるのように、すこ蹌踉よろけるのはるのも気味きみわるくらい
 六号室ごうしつだい番目ばんめは、元来もと郵便局ゆうびんきょくとやらにつとめたおとこで、いような、すこ狡猾ずるいような、ひくい、せたブロンジンの、利発りこうらしい瞭然はっきりとした愉快ゆかい眼付めつき、ちょっとるとまるで正気しょうきのようである。かれなに大切たいせつ秘密ひみつものをもっているとうようなふうをしている。まくらしたや、寐台ねだいのどこかに、なにかをそッとかくしてく、それはぬすまれるとか、うばわれるとか、気遣きづかいめではなくひとられるのがはずかしいのでそうしてかくしてものがある。時々ときどき同室どうしつ者等ものらけて、ひとりまどところって、なにかをむねけて、かしらかがめて熟視みいっている様子ようすたれかもし近着ちかづきでもすれば、きまりわるそうにいそいでむねからなにかをってかくしてしまう。しかしその秘密ひみつすぐわかるのである。
わたくしをおいわいなすってください。』
と、かれ時々ときどきイワン、デミトリチにうことがある。
わたくしだいとうのスタニスラウの勲章くんしょうもらいました。このだいとう勲章くんしょうは、全体ぜんたいなら外国人がいこくじんでなければもらえないのですが、わたくしにはその、特別とくべつもってね、例外れいがいえます。』
と、かれいぶかるようにちょっとまゆせて微笑びしょうする。
じつもうしますと、これはちと意外いがいでしたので。』
わたくしはどうもそううものにいては、まるでわからんのです。』
と、イワン、デミトリチはうれわしそうにこたえる。
『しかしわたくし早晩そうばんれようとおもいますのは、なんだかっておいでになりますか。』
 もと郵便局員ゆうびんきょくいんは、さも狡猾ずるそうにほそめてう。
わたくしはきっとこんどは瑞典スウェーデン北極星ほっきょくせい勲章くんしょうもらおうとおもっておるです、その勲章くんしょうこそはほね甲斐かいのあるものです。しろい十字架じかに、くろリボンのいた、それは立派りっぱです。』
 この六号室程ごうしつほど単調たんちょう生活せいかつは、どこをたずねてもいであろう。あさには患者等かんじゃらは、中風患者ちゅうぶかんじゃと、油切あぶらぎった農夫のうふとのほかみんな玄関げんかんって、一つ大盥おおだらいかおあらい、病院服びょういんふくすそき、ニキタが本院ほんいんからはこんでる、一ぱいさだめられたるちゃすずうつわすするのである。正午ひるにはけた玉菜たまな牛肉汁にくじると、めしとで食事しょくじをする。ばんには昼食ひるめしあまりのめしべるので。そのあいだよこになるとも、ねむるとも、そらながめるとも、へやすみからすみあるくとも、こうして毎日まいにちおくっている。
 あたらしいひとかおは六号室ごうしつではえてぬ。院長いんちょうアンドレイ、エヒミチはあらた瘋癲患者ふうてんかんじゃはもうくより入院にゅういんせしめぬから。またたれとてこんな瘋癲者ふうてんしやへや参観さんかんものいから。ただ二ヶげつに一だけ、理髪師とこやのセミョン、ラザリチばかりここへる、そのおとこはいつもってニコニコしながらってて、ニキタに手伝てつだわせてかみる、かれえると患者等かんじゃら囂々がやがやってさわす。
 かく患者等かんじゃら理髪師とこやほかには、ただニキタ一人ひとり、それよりほかにはたれうことも、たれることもかなわぬ運命うんめいさだめられていた。
 しかるに近頃ちかごろいたって不思議ふしぎ評判ひょうばん院内いんないつたわった。
 院長いんちょうが六号室ごうしつ足繁あししげ訪問ほうもんしたとの風評ひょうばん

(五)


 不思議ふしぎ風評ひょうばんである。
 ドクトル、アンドレイ、エヒミチ、ラアギンは風変ふうがわりな人間にんげんで、青年せいねんころにははなはだ敬虔けいけんで、宗教上しゅうきょうじょうてようと、千八百六十三ねん中学ちゅうがく卒業そつぎょうするとぐ、神学大学しんがくだいがくろうとけっした。しかるに医学博士いがくはかせにして、外科げか専門家せんもんかなるかれちちは、断乎だんことしてかれ志望しぼうこばみ、もしかれにして司祭しさいとなったあかつきは、とはみとめぬとまで云張いいはった。が、アンドレイ、エヒミチはちちことばではあるが、自分じぶんはこれまで医学いがくたいして、また一ぱん専門学科せんもんがっかたいして、使命しめいかんじたことはかったと自白じはくしている。
 とにかく、かれ医科大学いかだいがく卒業そつぎょうして司祭しさいしょくにはかなかった。そうして医者いしゃとしてつるはじめにおいても、なお今日こんにちごと別段べつだん宗教家しゅうきょうからしいところすくなかった。かれ容貌ようぼうぎすぎすして、どこか百姓染ひゃくしょうじみて、頤鬚あごひげから、べッそりしたかみぎごちない不態ぶざま恰好かっこうは、まるで大食たいしょくの、呑抜のみぬけの、頑固がんこ街道端かいどうばた料理屋りょうりやなんどの主人しゅじんのようで、素気無そっけなかおには青筋あおすじあらわれ、ちいさく、はなあかく、肩幅かたはばひろく、せいたかく、手足てあし図抜ずぬけておおきい、そのつかまえられようものなら呼吸こきゅうまりそうな。それでいて足音あしおとしずかで、ある様子ようす注意深ちゅういぶか忍足しのびあしのようである。せま廊下ろうかひと出遇であうと、まずみちけて立留たちどまり、『失敬しっけい』と、さもふとこえいそうだが、ほそいテノルでそう挨拶あいさつする。かれくびにはちいさい腫物はれもの出来できているので、つね糊付のりつけシャツはないで、やわらかな麻布あさか、更紗さらさのシャツをているので。そうしてその服装ふくそうすこしも医者いしゃらしいところく、一つフロックコートを十ねん着続きつづけている。まれ猶太人ジウみせあたらしいふくってても、かれるとやはりしわだらけな古着ふるぎのようにえるので。一つフロックコートで患者かんじゃけ、食事しょくじもし、きゃくにもく。しかしそれはかれ吝嗇りんしょくなるのではなく、扮装なりなどにはまった無頓着むとんじゃくなのにるのである。
 アンドレイ、エヒミチがあらた院長いんちょうとしてこのまちときは、この病院びょういん乱脈らんみゃく名状めいじょうすべからざるもので。室内しつないわず、廊下ろうかわず、にわわず、なんともわれぬ臭気しゅうきはないて、呼吸いきをするさえくるしいほど病院びょういん小使こづかい看護婦かんごふ、その子供等こどもらなどはみな患者かんじゃ病室びょうしつに一しょ起臥きがして、外科室げかしつには丹毒たんどくえたことはい。患者等かんじゃら油虫あぶらむし南京虫なんきんむしねずみやからてられて、んでいることも出来できぬと苦情くじょうう。器械きかいや、道具どうぐなどはなにもなく外科用げかよう刄物はものが二つあるだけで体温器たいおんきすらいのである。浴盤よくばんには馬鈴薯じやがたらいも投込なげこんであるような始末しまつ代診だいしん会計かいけい洗濯女せんたくおんなは、患者かんじゃかすめてなんともおもわぬ。はなしにはさき院長いんちょうはまま病院びょういんのアルコールを密売みつばいし、看護婦かんごふ婦人患者ふじんかんじゃ手当次第てあたりしだいめかけとしていたとう。で、まちでは病院びょういんのこんな有様ありさまらぬのではく、一そう棒大ぼうだいにして乱次だらしいことを評判ひょうばんしていたが、これにたいしては人々ひとびといたって冷淡れいたんなもので、むし病院びょういん弁護べんごをしていたくらい病院びょういんなどにはいるものは、みんな病人びょうにん百姓共ひゃくしょうどもだから、そのくらい不自由ふじゆうなんでもいことである、自家じかにいたならば、なおさら不自由ふじゆうをせねばなるまいとか、地方自治体ちほうじちたい補助ほじょもなくて、まち独立どくりつ立派りっぱ病院びょういん維持いじされようはいとか、とにかくわるいながらも病院びょういんのあるのはいよりもましであるとかと。
 アンドレイ、エヒミチは院長いんちょうとしてそのしょくいたのちかかる乱脈らんみゃくたいして、はたしてこれを如何様いかよう所置しょちしたろう、敏捷てきぱき院内いんない秩序ちつじょ改革かいかくしたろうか。かれはこの不順序ふじゅんじょたいしては、さのみめた様子ようすはなく、ただ看護婦かんごふなどの病室びょうしつることをきんじ、機械きかいれる戸棚とだな二個ふたつ備付そなえつけたばかりで、代診だいしんも、会計かいけいも、洗濯婦せんたくおんなも、もとのままにしていた。
 アンドレイ、エヒミチは知識ちしき廉直れんちょくとをすこぶこのみかつあいしていたのであるが、さてかれ自分じぶん周囲まわりにはそう生活せいかつもうけることは到底とうてい出来できぬのであった。それは気力きりょくと、権力けんりょくにおける自信じしんとがりぬので。命令めいれい主張しゅちょう禁止きんし、こううことはすべかれには出来できぬ。丁度ちょうどこえたかめて命令めいれいなどはけっしていたさぬと、たれにかちかいでもてたかのように、くれとか、っていとかとはどうしてもえぬ。で、ものべたくなったときには、何時いつ躊躇ちゅうちょしながら咳払せきばらいして、そうして下女げじょに、ちゃでもみたいものだとか、めしにしたいものだとかうのがつねである、それゆえ会計係かいけいがかりむかっても、ぬすんではならぬなどとは到底とうていわれぬ。無論むろん放逐ほうちくすることなどはぬので。ひとかれあざむいたり、あるいへつらったり、あるい不正ふせい勘定書かんじょうがき署名しょめいをすることをねがいでもされると、かれえびのように真赤まっかになってひたすらに自分じぶんわるいことをかんじはする。が、やはり勘定書かんじょうがきには署名しょめいをしてるとうようなたち
 はじめにアンドレイ、エヒミチは熱心ねっしんにそのしょくはげみ、毎日まいにちあさからばんまで、診察しんさつをしたり、手術しゅじゅつをしたり、ときには産婆さんばをもしたのである、婦人等ふじんらみなかれ非常ひじょうめて名医めいいである、こと小児科しょうにか婦人科ふじんかみょうていると言囃いいはやしていた。が、かれ年月としつきつとともに、この事業じぎょう単調たんちょうなのと、明瞭あきらかえきいのとをみとめるにしたがって、段々だんだんきてた。かれおもうたのである。今日きょうは三十にん患者かんじゃければ、明日あすは三十五にんる、明後日あさっては四十にんってく、かく毎日まいにち毎月まいげつ同事おなじこと繰返くりかえし、打続うちつづけてはくものの、市中まち死亡者しぼうしゃすうけっしてげんじぬ。また患者かんじゃあし依然いぜんとしてもんにはえぬ。あさからひるまでる四十にん患者かんじゃに、どうして確実かくじつ扶助たすけあたえることが出来できよう、故意こいならずとも虚偽きょぎしつつあるのだ。一統計年度とうけいねんどにおいて、一万二千にん患者かんじゃけたとすれば、すなわち一万二千にんあざむかれたのである。おも患者かんじゃ病院びょういん入院にゅういんさせて、それを学問がくもん規則きそくしたがって治療ちりょうすることは出来できぬ。如何いかなれば規則きそくはあっても、ここに学問がくもんいのである。哲学てつがくすててしまって、医師等いしゃらのように規則きそくしたがってろうとするのには、だい一に清潔法せいけつほうと、空気くうき流通法りゅうつうほうとがくべからざるものである。しかるにこんな不潔ふけつ有様ありさまでは駄目だめだ。また滋養物じようぶつ肝心かんじんである。しかるにこんなくさ玉菜たまな牛肉汁にくじるなどでは駄目だめだ、また補助者ほじょしゃ必要ひつようである、しかるにこんな盗人ぬすびとばかりでは駄目だめだ。
 そうして各人かくじん正当せいとうおわりであるとするなれば、なんため人々ひとびと邪魔じゃまをするのか。かりにある商人しょうにんとか、ある官吏かんりとかが、五ねんねん余計よけい生延いきのびたとしてところで、それがなんになるか。もしまた医学いがく目的もくてきくすりもって、苦痛くつううすらげるものとすなれば、自然しぜんここに一つの疑問ぎもんしょうじてる。苦痛くつううすらげるのはなんためか? 苦痛くつうひと完全かんぜんむかわしむるものとうではいか、また人類じんるいはたして丸薬がんやくや、水薬すいやくで、その苦痛くつううすらぐものなら、宗教しゅうきょうや、哲学てつがく必要ひつようくなったとすつるにいたろう。プシキンはさきだって非常ひじょう苦痛くつうかんじ、不幸ふこうなるハイネは数年間すうねんかん中風ちゅうぶかかってしていた。してれば原始虫げんしちゅうごと我々われわれに、せめて苦難くなんちょうものがかったならば、まった含蓄がんちく生活せいかつとなってしまう。からして我々われわれ病気びょうきするのはむし当然とうぜんではいか。
 かかる議論ぎろんにまるでこころあっしられたアンドレイ、エヒミチはついさじげて、病院びょういんにも毎日まいにちかよわなくなるにいたった。

(六)


 かれ生活せいかつはかくのごとくにしていた。あさは八き、ふく着換きかえてちゃみ、それから書斎しょさいはいるか、あるい病院びょういんくかである。病院びょういんでは外来患者がいらいかんじゃがもう診察しんさつ待構まちかまえて、せま廊下ろうか多人数たにんず詰掛つめかけている。そのそば小使こづかいや、看護婦かんごふくつ煉瓦れんがゆか音高おとたか踏鳴ふみならして往来おうらいし、病院服びょういんふくているせた患者等かんじゃらとおったり、死人しにんかつす、不潔物ふけつぶつれたうつわをもってとおる。子供こどもさけぶ、通風とおりかぜはする。アンドレイ、エヒミチはこう病院びょういん有様ありさまでは、熱病患者ねつびょうかんじゃ肺病患者はいびょうかんじゃにはもっともよくないと、始終しじゅうおもおもいするのであるが、それをまたどうすることも出来できぬのであった。
 代診だいしんのセルゲイ、セルゲイチは、いつも控所ひかえじょ院長いんちょうるのをっている。この代診だいしんちいさい、まるふとったおとこ頬髯ほおひげ綺麗きれいって、まるかおはいつもよくあらわれていて、その気取きどった様子ようすで、あたらしいゆっとりした衣服いふくけ、しろ襟飾えりかざりをしたところは、まるで代診だいしんのようではなく、元老議員げんろうぎいんとでもいたいようである。かれまち沢山たくさん病家びょうか顧主とくいっている。で、かれ自分じぶん心窃こころひそか院長いんちょうよりはるか実際じっさいにおいて、経験けいけんんでいるものとみとめていた。なんとなれば院長いんちょうにはまち顧主とくい病家びょうかなどはすこしもいのであるから。控所ひかえじょは、かべおおきい額縁がくぶちはまった聖像せいぞうかかっていて、おも灯明とうみょうげてある。そばにはしろきれせた読経台どきょうだいかれ、一ぽうには大主教だいしゅきょうがくけてある、またスウャトコルスキイ修道院しゅうどういんがくと、れた花環はなわとがけてある。この聖像せいぞう代診だいしんみずかってここにけたもので、毎日曜日まいにちようびかれ命令めいれいで、だれ患者かんじゃ一人ひとりが、って、こえげて、祈祷文きとうぶんむ、それからかれ自身じしんで、各病室かくびょうしつを、香炉こうろげてりながらまわる。
 患者かんじゃおおいのに時間じかんすくない、で、いつも簡単かんたん質問しつもんと、塗薬ぬりぐすりか、※麻子油位ひましあぶらぐらい[#「箆」の「竹かんむり」に代えて「くさかんむり」、42-上-12]くすりわたしてるのにとどまっている。院長いんちょう片手かたて頬杖ほおづえきながら考込かんがえこんで、ただ機械的きかいてき質問しつもんけるのみである。代診だいしんのセルゲイ、セルゲイチが時々ときどきこすこすくちれる。『このにはみなひと病気びょうきになります、入用いりようなものがありません、なんとなれば、これみな親切しんせつ神様かみさま不熱心ふねっしんでありますから。』診察しんさつとき院長いんちょうはもううより手術しゅじゅつをすることはめていた。かれるさえ不愉快ふゆかいかんじていたからで。また子供こども咽喉のどるのでくちかせたりするときに、子供こども泣叫なきさけび、ちいさい突張つッぱったりすると、かれはそのこえみみがガンとしてしまって、まわってなみだこぼれる。で、いそいでくすり処方しょほうって、子供こどもはやれてってくれとる。
 診察しんさつとき患者かんじゃ臆病おくびょうわけわからぬこと、代診だいしんそばにいること、かべかかってる画像がぞう、二十ねん以上いじょう相変あいかわらずにけている質問しつもん、これらは院長いんちょうをしてすくなからず退屈たいくつせしめて、かれは五六にん患者かんじゃ診察しんさつおわると、ふいと診察所しんさつじょからってしまう。で、あと患者かんじゃ代診だいしんかれかわって診察しんさつするのであった。
 院長いんちょうアンドレイ、エヒミチはとうからまち病家びょうかをもたぬのを、かえっていいさいわいに、だれ自分じぶん邪魔じゃまをするものはいとかんがえで、いえかえると書斎しょさいり、書物しょもつ沢山たくさんあるので、このうえなき満足まんぞくもっ書見しょけんふけるのである、かれ月給げっきゅう受取うけとると半分はんぶん書物しょもつうのについやす、その六りているへやの三つには、書物しょもつ古雑誌ふるざっしとでほとんどうずまっている。かれもっとこのところ書物しょもつは、歴史れきし哲学てつがくで、医学上いがくじょう書物しょもつは、ただ『医者ヴラーチ』とう一雑誌ざっしっているのにぎぬ。読書どくしょはじめるといつも数時間すうじかん続様つづけさまむのであるが、すこしもそれで疲労つかれぬ。かれ書見しょけんは、イワン、デミトリチのように神経的しんけいてきに、迅速じんそくむのではなく、しずかとおして、ったところ了解りょうかいところは、とどまとどまりしながらんでく。書物しょもつそばにはいつもウォッカのびんいて、塩漬しおづけ胡瓜きゅうりや、林檎りんごが、デスクの羅紗らしゃきれうえいてある。半時間毎はんじかんごとくらいかれ書物しょもつからはなさずに、ウォッカを一ぱいいでは呑乾のみほし、そうして矢張やはりずに胡瓜きゅうり手探てさぐりぐ。
 三になるとかれしずか厨房くりやちかづいて咳払せきばらいをしてう。
『ダリュシカ、昼食ひるめしでもりたいものだな。』
 不味まずそうに取揃とりそろえられた昼食ひるめしえると、かれ両手りょうてむねんでかんがえながら室内しつないあるはじめる。そのうちに四る。五る、なおかれかんがえながらあるいている。すると、時々ときどき厨房くりやいて、ダリュシカのあか寐惚顔ねぼけがおあらわれる。
旦那様だんなさま、もうビールを召上めしあがります時分じぶんでは御座ござりませんか。』
と、彼女かれんでう。
『いやまだ……もうすことう……もうすこし……。』
と、かれう。
 ばんにはいつも郵便局長ゆうびんきょくちょうのミハイル、アウエリヤヌイチがあそびにる。アンドレイ、エヒミチにってはこの人間ひとばかりが、町中まちじゅう一人ひとりけぬ親友しんゆうなので。ミハイル、アウエリヤヌイチはもとんでいた大地主おおじぬし騎兵隊きへいたいぞくしていたもの、しかるに漸々だんだん身代しんだいってしまって、貧乏びんぼうし、老年ろうねんってから、ついにこの郵便局ゆうびんきょくはいったので。いたって元気げんきな、壮健そうけんな、立派りっぱしろ頬鬚ほおひげの、快活かいかつ大声おおごえの、しかもい、感情かんじょうふか人間にんげんである。しかしまた腹立易はらだちッぽおとこで、だれ郵便局ゆうびんきょくもので、反対はんたいでもするとか、同意どういでもせぬとか、理屈りくつでもならべようものなら、真赤まっかになって、全身ぜんしんふるわして怒立おこりたち、らいのようなこえで、だまれ! と一かつする。それゆえ郵便局ゆうびんきょくくのはこわいとうは一ぱん評判ひょうばん。が、かれまちものをかく部下ぶかのようにあつかうにもかかわらず、院長いんちょうアンドレイ、エヒミチばかりは、教育きょういくがあり、かつ高尚こうしょうこころをもっていると、うやまいかつあいしていた。
『やあ、わたしです。』
と、ミハイル、アウエリヤヌイチはいつものようにこういながら、アンドレイ、エヒミチのいえはいってた。
 二人ふたり書斎しょさい長椅子ながいすこしけて、暫時ざんじたばこかしている。
『ダリュシカ、ビールでもしいな。』
と、アンドレイ、エヒミチはう。
 はじめのびん二人共ふたりとも無言むごんぎょう呑乾のみほしてしまう。院長いんちょう考込かんがえこんでいる、ミハイル、アウエリヤヌイチはなに面白おもしろはなしをしようとして、愉快ゆかいそうになっている。
 はなしはいつも院長いんちょうから、はじまるので。
なん残念ざんねんなことじゃいですかなあ。』
と、アンドレイ、エヒミチはかしらりながら、相手あいてずに徐々のろのろ話出はなしだす。かれはなしをするときひとぬのがくせ
我々われわれまちはなし面白おもしろい、知識ちしきのある人間にんげん皆無かいむなのは、じつ遺憾いかんなことじゃありませんか。これは我々われわれっておおいなる不幸ふこうです。上流社会じょうりゅうしゃかいでも卑劣ひれつなこと以上いじょうにはその教育きょういく程度ていどのぼらんのですから、まった下等社会かとうしゃかいすこしもことならんのです。』
『それは真実まったくです。』と、郵便局長ゆうびんきょくちょうう。
きみっていられるとおり。』
と、院長いんちょうしずかこえで、また話続はなしつづけるのであった。
『このなかには人間にんげん知識ちしき高尚こうしょう現象げんしょうほかには、ひとつとして意味いみのある、興味きょうみのあるものはいのです。人智じんちなるものが、動物どうぶつと、人間にんげんとのあいだに、おおいなる限界さかいをなしておって、人間にんげん霊性れいせいしめし、程度ていどまで、実際じっさいところ不死ふしかわりをしているのです。これにって人智じんちは、人間にんげん唯一ゆいいつ快楽かいらくいずみとなつている。しかるに我々われわれ自分じぶん周囲まわりに、いささか知識ちしきず、かずで、我々われわれはまるで快楽かいらくうばわれているようなものです。勿論もちろん我々われわれには書物しょもつがある。しかしこれはきたはなしとか、交際こうさいとかとうものとはまたべつで、あま適切てきせつれいではありませんが、たとえば書物しょもつはノタで、談話だんわ唱歌しょうかでしょう。』
『それは真実まったくです。』と、郵便局長ゆうびんきょくちょうう。
 二人ふたりだまる。厨房くりやからダリュシカがにぶかぬかおて、片手かたて頬杖ほおづえをして、はなしこうと戸口とぐち立留たちどまっている。
『ああきみいま人間にんげんから知識ちしきをおのぞみになるのですか?』
と、ミハイル、アウエリヤヌイチは嘆息たんそくしてうた。そうしてかれむかし生活せいかつ健全けんぜんで、愉快ゆかいで、興味きょうみのあったこと、そのころ上流社会じょうりゅうしゃかいには知識ちしきがあったとか、またその社会しゃかいでは廉直れんちょく友誼ゆうぎ非常ひじょうおもんじていたとか、証文しょうもんなしでぜにしたとか、貧窮ひんきゅう友人ゆうじん扶助たすけあたえぬのをはじとしていたとか、愉快ゆかい行軍こうぐんや、戦争せんそうなどのあったこと、面白おもしろ人間にんげん面白おもしろ婦人ふじんのあったこと、また高加索カフカズところじつにいい土地とちで、騎兵大隊長きへいだいたいちょう夫人ふじん変者かわりものがあって、いつでも士官しかんふくけて、よるになると一人ひとりで、カフカズの山中さんちゅう案内者あんないしゃもなく騎馬きばく。はなしくと、なんでも韃靼人だったんじんむらに、その夫人ふじんと、土地とち某公爵ぼうこうしゃくとのあいだ小説しょうせつがあったとのことだ、とかと。
『へへえ。』
と、ダリュシカは感心かんしんしていている。
『そうしてよくみ、よくったものだ。また非常ひじょう自由主義じゆうしゅぎ人間にんげんなどもあったッけ。』
 アンドレイ、エヒミチはいてはいたが、みみにもとまらぬふうで、なにかをかんがえながら、ビールをチビリチビリとんでいる。
わたしはどうかすると知識ちしきのある秀才しゅうさいはなしをしていることをゆめることがあります。』
と、院長いんちょう突然だしぬけにミハイル、アウエリヤヌイチのことばさえぎってうた。
わたしちちわたし立派りっぱ教育きょういくあたえたです、しかし六十年代ねんだい思想しそう影響えいきょうで、わたし医者いしゃとしてしまったが、わたしがもしそのときちちとおりにならなかったなら、今頃いまごろ現代思潮げんだいしちょう中心ちゅうしんとなっていたであろうとおもわれます。そのときにはきっと大学だいがく分科ぶんか教授きょうじゅにでもなっていたのでしょう。無論むろん知識ちしきなるものは、永久えいきゅうのものではく、変遷へんせんしてくものですが、しかし生活せいかつうものは、忌々いまいましい輪索わなです。思想しそう人間にんげん成熟せいじゅくたっして、その思想しそう発展はってんされるときになると、その人間にんげん自然しぜん自分じぶんがもうすでにこの輪索わなかかっているのがれるみちくなっているのをかんじます。実際じっさい人間にんげん自分じぶん意旨いしはんして、あるい偶然ぐうぜんなことのために、から生活せいかつ喚出よびだされたものであるのです……。』
『それは真実まったくです。』
と、ミハイル、アウエリヤヌイチはう。
 アンドレイ、エヒミチはやはり相手あいてかおずに、知識ちしきあるものはなしばかりをつづける、ミハイル、アウエリヤヌイチは注意ちゅういしていていながら『それは真実まったくです。』と、そればかりを繰返くりかえしていた。
『しかしきみ霊魂れいこん不死ふししんじなさらんのですか?』
と、にわかにミハイル、アウエリヤヌイチはう。
『いや、ミハイル、アウエリヤヌイチ、しんじません、しんじる理由りゆういのです。』と、院長いんちょうう。
じつもうすとわたしうたがっているのです。しかしもっとも、わたくし或時あるときなんもののようなかんじもするですがな。それは時時ときどきこうおもうことがあるです。
 こんな老朽ろうきゅうからだんでもいい時分じぶんだ、とそうおもうと、たちまちまたなんやらこころそここえがする、気遣きづかうな、ぬことはいとっているような。』
 九すこぎ、ミハイル、アウエリヤヌイチはかえらんとて立上たちあがり、玄関げんかん毛皮けがわ外套がいとう引掛ひっかけながら溜息ためいきしてうた。
『しかし我々われわれ随分酷ずいぶんひど田舎いなか引込ひっこんだものさ、残念ざんねんなのは、こんなところ往生おうじょうをするのかとおもうと、ああ……。』

(七)


 親友しんゆう送出おくりだして、アンドレイ、エヒミチはまた読書どくしょはじめるのであった。よるしずかなんおともせぬ。ときとどまって院長いんちょうとも書物しょもつうえ途絶とだえてしまったかのよう。この書物しょもつと、あおかさけたランプとのほかには、にまた何物なにものもあらぬかとおもわるるしずけさ。院長いんちょう可畏むくつけき、無人相ぶにんそうかおは、人智じんち開発かいはつかんずるにしたがって、段々だんだんやわらぎ、微笑びしょうをさえうかべてた。
『ああ、どうして、ひと不死ふしものではいか。』
と、かれかんがえている。『脳髄のうずいや、視官しかん言語げんご自覚じかく天才てんさいなどは、ついにはみな土中どちゅうはいってしまって、やがて地殻ちかくとも冷却れいきゃくし、何百万年なんびゃくまんねんながあいだ地球ちきゅうと一しょ意味いみもなく、目的もくてきまわくようになるとなれば、なんためにこんなものがあるのか……。』冷却れいきゃくしてのち飛散ひさんするとすれば、高尚こうしょうなるほとんかみごと智力ちりょくそなえたる人間にんげんを、虚無きょむより造出つくりだすの必要ひつようはない。そうしてあたかあざけるがごとくに、またひと粘土ねんどする必要ひつようい。ああ物質ぶっしつ新陳代謝しんちんたいしゃよ。しかしながら不死ふし代替だいたいもって、自分じぶんなぐさむるとうことは臆病おくびょうではなかろうか。自然しぜんにおいておこところ無意識むいしきなる作用さようは、人間にんげん無智むちにもおとっている。なんとなれば、無智むちには幾分いくぶんか、意識いしき意旨いしとがある。が、作用さようにはなにもない。たいして恐怖きょうふいだ臆病者おくびょうものは、のことをもっ自分じぶんなぐさめることが出来できる。すなわたい将来しょうらいくさいしひきがえるうちって、生活せいかつするとうことをもっなぐさむることが出来できる。
『それとも物質ぶっしつ変換へんかん……物質ぶっしつ変換へんかんみとめて、すぐ人間にんげん不死ふしすとうのは、あだか高価こうかなヴァイオリンがこわれたあとで、その明箱あきばこかわって立派りっぱものとなるとおなじように、まことわけわからぬことである。』
 時計とけいる。アンドレイ、エヒミチは椅子いす倚掛よりかかりげて、じてかんがえる。そうしていまんだ書物しょもつうち面白おもしろ影響えいきょうで、自分じぶん過去かこと、現在げんざいとにおもいおよぼすのであった。
過去かこ思出おもいだすのもいやだ、とって、現在げんざいもまた過去かこ同様どうようではないか。』
と、かれはそれから患者等かんじゃらのこと、不潔ふけつ病室びょうしつうちくるしんでいること、などをおもおこす。『まだねむらないで南京虫なんきんむしたたかっているものもあろう、あるいつよ繃帯ほうたいめられてなやんでうなっているものもあろう、また患者等かんじゃら看護婦かんごふ相手あいて骨牌遊かるたあそびをしているものもあろう、あるいはヴォッカをんでいるものもあろう、病院びょういん事業じぎょうすべて二十年前ねんまえすこしもかわらぬ。窃盗せっとう姦淫かんいん詐欺さぎうえてられているのだ。であるから、病院びょういん依然いぜんとして、まち住民じゅうみん健康けんこうには有害ゆうがいで、かつ不徳義ふとくぎなものである。』
と、かれおもきたり、さらにまたの六号室ごうしつ鉄格子てつごうしなかで、ニキタが患者等かんじゃら打殴なぐっていること、モイセイカがまちっては、ほどこしうている姿すがたなどをおもす。
 それよりまたかれ医学いがくのこのちかき二十五年間ねんかんにおいて、如何いか長足ちょうそく進歩しんぽしたかとうことをかんがはじめる。
自分じぶん大学だいがくにいた時分じぶんは、医学いがくもやはり、錬金術れんきんじゅつや、形而上学けいじじょうがくなどとおな運命うんめいいたるものとおもうていたが、じつおどろ進歩しんぽである。大革命だいかくめいともなづけられるくらいだ、防腐法ぼうふほう発明はつめいによって、大家たいかのピロウゴフさえも、到底とうてい出来得できうべからざることをみとめていた手術しゅじゅつが、容易たやすられるようにはなった。いまでは腹部截開ふくぶせっかいの百たびうちることは一度位どぐらいなものである。梅毒ばいどく根治こんじされる、その遺伝論いでんろん催眠術さいみんじゅつ、パステルや、コッホなどの発見はっけん衛生学えいせいがく統計学とうけいがくなどはどうであろう……。』
 我々われわれロシヤの地方団体ちほうだんたい医術いじゅつはどうであろうか、まず精神病せいしんびょういてうならば、現今げんこん病気びょうき類別法るいべつほう診断しんだん治療ちりょう方法ほうほうともみなこれを過去かこ精神病学せいしんびょうがく比較ひかくするならば、そのはエリボルスのやまごと高大こうだいなるものである。現今げんこんでは精神病者せいしんびょうしゃ治療ちりょう冷水れいすいそそがぬ、蒸暑むしあつきシャツをせぬ、そうして人間的にんげんてき彼等かれら取扱とりあつかう、すなわ新聞しんぶん記載きさいするとおり、彼等かれらために、演劇えんげき舞蹈ぶとうもよおす。
 かれはまたかく思考かんがえた。
 現時げんじ見解けんかいおよ趣味しゅみるに、六号室ごうしつごときは、まことるにしのびざる、厭悪えんおえざるものである。かかる病室びょうしつは、鉄道てつどうること、二百露里ヴェルスタのこの小都会しょうとかいにおいてのみるのである。すなわちここの市長しちょうならび町会議員ちょうかいぎいんみな生物知なまものしりの町人ちょうにんである、であるから医師いしることは神官しんかんごとく、そのところ批評ひひょうせずしてしんじている。たとえば、溶解ようかいせるなまりくちるるとも、すこしも不思議ふしぎにはおもわぬであろう。が、もしこれがところにおいてはどうであろうか、公衆こうしゅうと、新聞紙しんぶんしとはかならずかくのごと監獄バステリヤは、とうに寸断すんだんにしてしまったであろう。
『しかしそれがどうである。』
と、かれはパッとひらいてみずかうた。
防腐法ぼうふほうだとか、コッホだとか、パステルだとかったって、実際じっさいにおいてはなかすこしもこれまでとかわらないではいか、病気びょうきすうも、死亡しぼうすうも、瘋癲患者ふうてんかんじゃためだとって、舞踏会ぶとうかいやら、演芸会えんげいかいやらがもよおされるが、しかし彼等かれらをしてまった開放かいほうすることは出来できないではいか。してれば、なんでもみなむなしいことだ、ヴィンナの完全かんぜん大学病院だいがくびょういんでも、我々われわれのこの病院びょういんすこしも差別さべついのだ。
 しかしおれ有害ゆうがいなことにつとめてるとうものだ、自分じぶんあざむいている人間にんげんから給料きゅうりょうむさぼっている、不正直ふしょうじきだ、けれどもおれそのものいたって微々びびたるもので、社会しゃかい必然ひつぜんあくの一分子ぶんしぎぬ、すべまちや、ぐん官吏共かんりどもでもみなつま無用むよう長物ちょうぶつだ。ただ給料きゅうりょうむさぼっているにぎん……そうしてれば不正直ふしょうじきつみは、あえ自分じぶんばかりじゃい、時勢じせいにあるのだ、もう二百ねんおそ自分じぶんうまれたなら、まるでべつ人間にんげんであったかもれぬ。』
 三る、かれはランプをして寐室ねべやった。が、どうしても睡眠ねむりくことは出来できぬのであった。

(八)


 二ねんこのかた、地方自治体ちほうじちたいはようようゆたかになったので、その管下かんか病院びょういん設立たてられるまで、年々ねんねん三百えんずつをこの町立病院ちょうりつびょういん補助金ほじょきんとしてすこととなり、病院びょういんではそれがため医員いいん一人ひとりすこととさだめられた。で、アンドレイ、エヒミチの補助手ほじょしゅとして、軍医ぐんいのエウゲニイ、フェオドロイチ、ハバトフというが、このまちへいせられた。そのひとはまだ三十さいらぬわかおとこで、頬骨ほおぼねひろい、ちいさい、ブルネト、その祖先そせん外国人がいこくじんであったかのようにもえる、かれまちときは、ぜにったら一もんもなく、ちいさいかばんただ一個ひとつと、下女げじょれていた醜女みにくいおんなばかりをともなうてたので、そうしてこのおんなには乳呑児ちのみごがあった。かれつねひさしいた丸帽まるぼうかぶって、ふか長靴ながぐつ穿ふゆには毛皮けがわ外套がいとうそとあるく。病院びょういんてよりもなく、代診だいしんのセルゲイ、セルゲイチとも、会計かいけいとも、ぐに親密しんみつになったのである。下宿げしゅくには書物しょもつはただ一さつ『千八百八十一年度ねんどヴィンナ大学病院だいがくびょういん最近さいきん処方しょほう』とだいするもので、かれ患者かんじゃところときにはかならずそれをたずさえる。ばんになると倶楽部くらぶっては玉突たまつきをしてあそぶ、骨牌かるたあまこのまぬほう、そうして何時いつもおきまりの文句もんくをよく人間にんげん
 病院びょういんには一しゅうに二ずつかよって、外来患者がいらいかんじゃ診察しんさつしたり、各病室かくびょうしつまわったりしていたが、防腐法ぼうふほうのここではまったおこなわれぬこと、呼血器きゅうけつきのことなどにいて、かれすこぶ異議いぎをもっていたが、それと打付うちつけてうのも、院長いんちょうはじかせるようなものと、なんともわずにはいたが、同僚どうりょう院長いんちょうアンドレイ、エヒミチを心秘こころひそかに、老込おいこみ怠惰者なまけものとして、やつかねばかり溜込ためこんでいるとうらやんでいた。そうしてその後任こうにん自分じぶん引受ひきうけたくおもうていた。

(九)


 三がつすえかたえがてなりしゆきも、次第しだいあとなくけた或夜あるよ病院びょういんにわには椋鳥むくどりしきりにいてたおりしも、院長いんちょう親友しんゆう郵便局長ゆうびんきょくちょう立帰たちかえるのを、もんまで見送みおくらんとしつた。丁度ちょうどそのときにわはいってたのは、いましもまちあさって猶太人ジウのモイセイカ、ぼうかぶらず、跣足はだしあさ上靴うわぐつ突掛つッかけたまま、にはほどこしちいさいふくろげて。
『一せんおくんなさい!』
と、モイセイカはさむさにふるえながら、院長いんちょう微笑びしょうする。
 することの出来でき院長いんちょうは、かくしから十せんしてかれる。
『これはよくない』と、院長いんちょうはモイセイカのせたあか跣足はだしくるぶしおもうた。
みち泥濘ぬかっているとうのに。』
 院長いんちょう不覚そぞろあわれにも、また不気味ぶきみにもかんじて、猶太人ジウあといて、その禿頭はげあたまだの、あしくるぶしなどを※(「目+旬」、第3水準1-88-80)みまわしながら、別室べっしつまでった。小使こづかいのニキタはあいかわらず、雑具がらくたつかうえころがっていたのであるが、院長いんちょうはいってたのに吃驚びっくりして跳起はねおきた。
『ニキタ、今日こんにちは。』
と、院長いんちょうやさしくかれ挨拶あいさつして。
『この猶太人ジウくつでもあたえたらどうだ、そうでもせんと風邪かぜく。』
『はッ、拝承かしこまりまして御坐ござりまする。すぐ会計かいけいにそうもうしまして。』
『そうしてください、おまえ会計かいけいわたしがそうったとってくれ。』
 玄関げんかんから病室びょうしつかよひらかれていた。イワン、デミトリチは寐台ねだいうえよこになって、ひじいて、さも心配しんぱいそうに、人声ひとごえがするので此方こなたみみそばだてている。と、きゅうひと院長いんちょうだとわかったので、かれ全身ぜんしんいかりふるわして、寐床ねどこから飛上とびあがり、真赤まっかになって、激怒げきどして、病室びょうしつ真中まんなかはし突立つったった。
『やあ、院長いんちょうたぞ!』
 イワン、デミトリチはたかさけ[#「口+斗」、U+544C、47-上-10]んで、わらす。
た! 諸君しょくん目出めでとう、院長閣下いんちょうかっか我々われわれ訪問ほうもんせられた! こン畜生ちくしょうめ!』
と、かれこえ甲走かんばしらして、地鞴踏じだんだふんで、同室どうしつ者等ものらのいまだかつて騒方さわぎかた
『こん畜生ちくしょう! やい殴殺ぶちころしてしまえ! ころしてもるものか、便所べんじょにでも敲込たたきこめ!』
 院長いんちょうのアンドレイ、エヒミチは玄関げんかんから病室びょうしつなか覗込のぞきこんで、物柔ものやわらかにうのであった。
何故なぜですね?』
何故なぜだと。』と、イワン、デミトリチはおどすような気味きみで、院長いんちょうほう近寄ちかより、ふる病院服びょういんふくまえあわせながら。
何故なぜかもいものだ! この盗人ぬすびとめ!』
 かれ悪々にくにくしそうにつばでもけるような口付くちつきをして。
『この山師やまし! 人殺ひとごろし!』
『まあ、落着おちつきなさい。』
と、アンドレイ、エヒミチはるかったとうような顔付かおつきう。
『よくおきなさい、わたしはまだなんにもぬすんだこともなし、貴方あなたなにいたしたことはいのです。貴方あなたなに間違まちがっておいでなのでしょう、ひどわたしおこっていなさるようだが、まあ落着おちついて、しずかに、そうしてなに立腹りっぷくしていなさるのか、有仰おっしゃったらいいでしょう。』
『だがなんため貴下あなたわたしをこんなところにれてくのです?』
『それは貴君あなた病人びょうにんだからです。』
『はあ、病人びょうにん、しかしなんにん狂人きょうじん自由じゆうにそこらへんあるいているではないですか、それは貴方々あなたがた無学むがくなるにって、狂人きょうじんと、健康けんこうなるものとの区別くべつ出来できんのです。なんためわたしだの、そらここにいるこの不幸ふこう人達ひとたちばかりがあだか献祭けんさい山羊やぎごとくに、しゅうためにここにれられていねばならんのか。貴方あなたはじめ、代診だいしん会計かいけい、それから、すべてこの貴方あなた病院びょういんにいる奴等やつらは、じつしからん、徳義上とくぎじょうにおいては我々共われわれどもよりはるか劣等れっとうだ、なんため我々われわればかりがここにれられておって、貴方々あなたがたはそうでいのか、どこにそんな論理ろんりがあります?』
徳義上とくぎじょうだとか、論理ろんりだとか、そんなことはなにもありません。ただ場合ばあいです。すなわちここにれられたものはいっているのであるし、れられんもの自由じゆう出歩であるいている、それだけのことです。わたし医者いしゃで、貴方あなた精神病者せいしんびょうしゃであるとうことにおいて、徳義とくぎければ、論理ろんりいのです。つま偶然ぐうぜん場合ばあいのみです。』
『そんな屁理窟へりくつわからん。』
と、イワン、デミトリチは小声こごえって、自分じぶん寐台ねだいうえすわむ。
 モイセイカは今日きょう院長いんちょうのいるために、ニキタが遠慮えんりょしてなに取返とりかえさぬので、もらって雑物ぞうもつを、自分じぶん寝台ねだいうえあらざらひろげて、一つ一つならはじめる。パンの破片かけら紙屑かみくずうしほねなど、そうしてさむさふるえながら、猶太語エヴレイごで、早言はやことうたうようにしゃべす、大方おおかた開店かいてんでもした気取きどりなにかを吹聴ふいちょうしているのであろう。
わたしをここからしてください。』と、イワン、デミトリチはこえふるわしてう。
『それは出来できません。』
『どうわけで。それをきましょう。』
『それはわたし権内けんないいことなのです。まあ、かんがえて御覧ごらんなさい、わたしかり貴方あなたをここからだしたとして、どんな利益りえきがありますか。まず御覧ごらんなさい、まちものか、警察けいさつかがまた貴方あなたとらえてれてまいりましょう。』
左様さよう左様さようさそれはそうだ。』と、イワン、デミトリチはひたいあせく、『それはそうだ、しかしわたしはどうしたらよかろう。』
 アンドレイ、エヒミチはイワン、デミトリチの顔付かおつき眼色めいろなどをひどって、どうかしてこの若者わかもの手懐てなずけて、落着おちつかせようとおもうたので、その寐台ねだいうえこしおろし、ちょっとかんがえて、さて言出いいだす。
貴方あなたはどうしたらよかろうと有仰おっしゃるが。貴方あなた位置いちをよくするのには、ここから逃出にげだす一ぽうです。しかしそれは残念ざんねんながら無益むえきするので、貴方あなた到底とうていとらえられずにはおらんです。社会しゃかい犯罪人はんざいにんや、精神病者せいしんびょうしゃや、すべ自分等じぶんら都合つごうわる人間にんげんたいして、自衛じえいすのには、どうしたってつことは出来できません。で、貴方あなたすべきところは一つです。すなわちここにいることが必要ひつようであるとかんがえて、安心あんしんをしているのみです。』
『いや、たれにもここは必要ひつようじゃありません。』
『しかしすでに監獄かんごくだとか、瘋癲病院ふうてんびょういんだとかの存在そんざいする以上いじょうは、たれかそのうちはいっていねばなりません、貴方あなたでなければ、わたくし、でなければ、ほかものが。まあおちなさい、左様さよういまはるとお未来みらいに、監獄かんごくだの、瘋癲病院ふうてんびょういん全廃ぜんぱいされたあかつきには、すなわちこのまど鉄格子てつごうしも、この病院服びょういんふくも、まった無用むようになってしまいましょう、無論むろん、そうとき早晩そうばんましょう。』
 イワン、デミトリチはニヤリと冷笑わらった。
『そうでしょう。』と、かれほそめてうた。『貴方あなただの、貴方あなた補助者ほじょしゃのニキタなどのような、そう人間にんげんには、未来みらいなどはなんようわけです。で、貴方あなたはよい時代じだいようとすましてもいられるでしょうが、いや、わたくしうことはいやしいかもれません、笑止おかしければおわらください。しかしです、新生活しんせいかつあかつきかがやいて、正義せいぎかちせいするようになれば、我々われわれまちでもおおいまつりをしてよろこいわいましょう。が、わたしはそれまではたれません、その時分じぶんにはもうんでしまいます。たれかのまごかは、ついにその時代じだいいましょう。わたくし誠心まごころもっ彼等かれらしゅくします、彼等かれらためよろこびます! すすめ! 同胞どうぼう! かみ君等きみらたすけたまわん!』と、イワン、デミトリチはかがやかして立上たちあがり、まどほうのばしてうた。
『この格子こうしうちより君等きみら祝福しゅくふくせん、正義せいぎ万歳ばんざい! 正義せいぎ万歳ばんざい!』
なにをそんなによろこぶのかわたくしにはわけわかりません。』と、院長いんちょうはイワン、デミトリチの様子ようすがまるで芝居しばいのようだとおもいながら、またそのふうひどってうた。
成程なるほどときれば監獄かんごくや、瘋癲病院ふうてんびょういんはいされて、正義せいぎ貴方あなた有仰おっしゃとおかちめるでしょう、しかし生活せいかつ実際じっさいがそれでかわるものではありません。自然しぜん法則ほうそく依然いぜんとしてもとのままです、人々ひとびとはやはり今日こんにちごとみ、い、するのでしょう、どんな立派りっぱ生活せいかつあかつきあらわれたとしても、つまり人間にんげん棺桶かんおけ打込うちこまれて、あななかとうじられてしまうのです。』
『では来世らいせいは。』
なに来世らいせい戯談じょうだんっちゃいけません。』
貴方あなたしんじなさらんとえるがわたししんじてます。ドストエフスキイのうちか、ウォルテルのうちかに、小説中しょうせつちゅう人物じんぶつってることがあります、もしかみかったとしたら、そのときひとかみかんがそう。で、わたくしかたしんじています。もし来世らいせいいとしたならば、そのときおおいなる人間にんげん智慧ちえなるものが、早晩そうばんこれを発明はつめいしましょう。』
『フウム、うまった。』
と、アンドレイ、エヒミチはいと満足気まんぞくげ微笑びしょうして。
貴方あなたはそうしんじていなさるから結構けっこうだ。そう信仰しんこうがありさえすれば、たといかべなか塗込ぬりこまれたって、うたうたいながら生活せいかつしてかれます。貴方あなた失礼しつれいながらどこで教育きょういくをおけになったか?』
わたくし大学だいがくでです、しかし卒業そつぎょうせずにしまいました。』
貴方あなた思想家しそうか考深かんがえぶかかたです。貴方あなたのようなひとはどんな場所ばしょにいても、自身じしんにおいて安心あんしんもとめることが出来できます。人生じんせい解悟かいごむかっておる自由じゆうなるふか思想しそうと、このおろかなるさわぎたいする全然ぜんぜん軽蔑けいべつ、これすなわ人間にんげんのこれ以上いじょうのものをいまだかつてらぬ最大幸福さいだいこうふくです。そうして貴方あなたはたとい三じゅう鉄格子てつごうしうちんでいようが、この幸福こうふくをもっているのでありますから。ジオゲンを御覧ごらんなさい、かれたるなかんでいました、けれども地上ちじょう諸王しょおうより幸福こうふくであったのです。』
貴方あなたうジオゲンは白痴はくちだ。』と、イワン、デミトリチは憂悶ゆうもんしてうた。『貴方あなたなんだってわたくし解悟かいごだとか、なんだとかとうのです。』と、にわか怫然むきになって立上たちあがった。『わたくし人並ひとなみ生活せいかつこのみます、じつに、わたくしはこう窘逐狂きんちくきょうかかっていて、始終しじゅうくるしい恐怖おそれおそわれていますが、或時あるとき生活せいかつ渇望かつぼうこころやされるです、非常ひじょう人並ひとなみ生活せいかつのぞみます、非常ひじょうに、それは非常ひじょうに。』
 かれ室内しつないあるはじめたが、やがて小声こごえでまたいいす。
わたくし時折ときおり種々いろいろなことを妄想もうぞうしますが、往々おうおう幻想まぼろしるのです、或人あるひとたり、またひとこえいたり、音楽おんがくきこえたり、またはやしや、海岸かいがん散歩さんぽしているようにおもわれるときもあります。どうぞわたくしなか生活せいかつはなしてください、なにめずらしいことでもいですか。』
まちのことをですか、それとも一ぱんのことにいてですか?』
『まずまちのことからしてうかがいましょう。それから一ぱんのことを。』
まちではじつにもう退屈たいくつです。だれ相手あいてはなしするものもなし。はなしものもなし。あたらしい人間にんげんはなし。しかしこのころハバトフとわか医者いしゃまちにはたですが。』
『どんな人間にんげんが。』
『いや、非文明的ひぶんめいてきな、どううものかこのまちところものは、みなるのもむねわるいような人間にんげんばかり、不幸ふこうまちです。』
左様さようさ、不幸ふこうまちです。』と、イワン、デミトリチは溜息ためいきしてわらう。『しかし一ぱんにはどうです、新聞しんぶんや、雑誌ざっしはどううことがいてありますか?』
 病室びょうしつうちはもうくらくなったので、院長いんちょうしずか立上たちあがる。そうしてちながら、外国がいこくや、露西亜ロシヤ新聞しんぶん雑誌ざっしいてあるめずらしいこと、現今げんこんはこう思想しそう潮流ちょうりゅうみとめられるとかとはなしすすめたが、イワン、デミトリチはすこぶ注意ちゅういしていていた。がたちまち、なにおそろしいことでもきゅうおもしたかのように、かれかしらかかえるなり、院長いんちょうほうへくるりとけて、寐台ねだいうえよこになった。
『どうかしましたか?』と、院長いんちょうは問う。
『もう貴方あなたには一ごんだってくちきません。』
 イワン、デミトリチは素気そっけなくう。『わたくしかまわんでください!』
『どうしたのです?』
かまわんでくださいとったらかまわんでください、チョッ、だれがそんなものくちくものか。』
 院長いんちょうかたちぢめて溜息ためいきをしながらく、そうして玄関げんかんとおりながら、ニキタにむかってうた。
『ここすこ掃除そうじしたいものだな、ニキタ。ひどにおいだ。』
拝承かしこまりました。』と、ニキタはこたえる。
なん面白おもしろ人間にんげんだろう。』と、院長いんちょう自分じぶんへやほうかえりながらおもうた。『ここへてから何年振なんねんぶりかで、こうともかたられる人間にんげんはじめて出会でっくわした。議論ぎろんる、興味きょうみかんずべきことに、興味きょうみをもかんじている人間にんげんだ。』
 かれはそののち読書どくしょうちにも、睡眠ねむりいてからも、イワン、デミトリチのことがあたまかららず、翌朝よくちょうさましても、昨日きのう智慧ちえある人間にんげんったことをわすれることが出来できなかった、便宜べんぎもあらばもう一かれ是非ぜひたずねようとおもうていた。

(十)


 イワン、デミトリチは昨日きのうおな位置いちに、両手りょうてかしらかかえて、両足りょうあしちぢめたまま、よこっていて、かおえぬ。
『や、御機嫌ごきげんよう、今日こんにちは。』院長いんちょうは六号室ごうしつはいってうた。『きみねむっているのですか?』
『いやわたくし貴方あなた朋友ほうゆうじゃいです。』と、イワン、デミトリチはまくらうちかおをいよいようずめてうた。『またどんなに貴方あなた尽力じんりょくしようが駄目だめです、もう一ごんだってわたくしくちひらかせることは出来できません。』
へんだ。』と、アンドレイ、エヒミチはむ。『昨日きのう我々われわれはあんなにはなしたのですが、なににわか御立腹ごりっぷくで、絶交ぜっこうすると有仰おっしゃるのです、なにかそれともさわることでももうしましたか、あるい貴方あなた意見いけんわんかんがえしたので?』
『いや、そんなら貴方あなたいましょう。』と、イワン、デミトリチはおこして、心配しんぱいそうにまた冷笑的れいしょうてきに、ドクトルをるのであった。『なに貴方あなた探偵たんていしたり、質問しつもんをしたり、ここへてするにはあたらんです。どこへでもほかってしたほうがよいです。わたくしはもう昨日きのう貴方あなたなんためたのかがわかりましたぞ。』
『これは奇妙きみょう妄想もうぞうをしたものだ。』と、院長いんちょうおもわず微笑びしょうする。『では貴方あなたわたくし探偵たんていだと想像そうぞうされたのですな。』
左様さよう。いや探偵たんていにしろ、またわたくしひそか警察けいさつからわされた医者いしゃにしろ、どちらだって同様どうようです。』
『いや貴方あなたは。こまったな、まあおきなさい。』と、院長いんちょう寐台ねだいそば腰掛こしかけけてせむるがようにくびる。
『しかしりに貴方あなたところ真実しんじつとして、わたくし警察けいさつからまわされたもので、なに貴方あなたことばおさえようとしているものと仮定かていしましょう。で、貴方あなたがそのため拘引こういんされて、裁判さいばんわたされ、監獄かんごくれられ、あるい懲役ちょうえきにされるとしてて、それがどうです、この六号室ごうしつにいるのよりもわるいでしょうか。ここにれられているよりも貴方あなたってどうでしょうか? わたくしはここよりわるところいとおもいます。もしそうならばなに貴方あなたはそんなにおそれなさるのか?』
 このことばにイワン、デミトリチはおおい感動かんどうされたとえて、かれ落着おちついてこしけた。
 とき丁度ちょうど時過じすぎ。いつもなら院長いんちょう自分じぶんへやからへやへとあるいていると、ダリュシカが、麦酒ビール旦那様だんなさま如何いかがですか、と刻限こくげん戸外こがいしずか晴渡はれわたった天気てんきである。
わたくし中食後ちゅうじきご散歩さんぽ出掛でかけましたので、ちょっと立寄たちよりましたのです。もうまるではるです。』
いま何月なんがつです、三がつでしょうか?』
左様さよう、三がつすえです。』
戸外そと泥濘ぬかっておりましょう。』
『そんなでもありません、にわにはもう小径こみち出来できています。』
今頃いまごろ馬車ばしゃにでもって、郊外こうがいったらさぞいいでしょう。』と、イワン、デミトリチはあかこすりながらう。『そうしてそれからうちあたたか閑静かんせい書斎しょさいかえって……名医めいいかかって頭痛ずつう療治りょうじでもしてらったら、ひさしいあいだわたくしはもうこの人間にんげんらしい生活せいかつをしないが、それにしてもここはじつにいやなところだ。じつえられんいやなところだ。』
 昨日きのう興奮こうふんためにか、かれつかれて脱然ぐったりして、いやいやながらっている。かれゆびふるえている。そのかおてもあたまひどいたんでいるとうのがわかる。
あたたか閑静かんせい書斎しょさいと、この病室びょうしつとのあいだに、なんいのです。』と、アンドレイ、エヒミチはうた。『人間にんげん安心あんしんと、満足まんぞくとは身外しんがいるのではなく、自身じしんうちるのです。』
『どうわけで。』
通常つうじょう人間にんげんは、いいことも、わるいこともみな身外しんがいからもとめます。すなわ馬車ばしゃだとか、書斎しょさいだとかと、しかし思想家しそうか自身じしんもとめるのです。』
貴方あなたはそんな哲学てつがくは、あたたかあんずはなにおいのする希臘ギリシヤっておつたえなさい、ここではそんな哲学てつがく気候きこういません。いやそうと、わたくしたれかとジオゲンのはなしをしましたっけ、貴方あなたとでしたろうか?』
左様さよう昨日きのうわたくしと。』
『ジオゲンは勿論もちろん書斎しょさいだとか、あたたか住居すまいだとかには頓着とんじゃくしませんでした。これはあたたかいからです。たるうち寐転ねころがって蜜柑みかんや、橄欖かんらんべていればそれですごされる。しかしかれをして露西亜ロシヤすまわしめたならば、かれかならず十二がつどころではない、三がつ陽気ようきっても、へやうちこもっていたがるでしょう。寒気かんきためからだなに屈曲まがってしまうでしょう。』
『いや寒気かんきだとか、疼痛とうつうだとかはかんじないことが出来できるです。マルク、アウレリイがったことがありましょう。「疼痛とうつうとは疼痛とうつうきた思想しそうである、この思想しそうへんぜしむるがためには意旨いしちからふるい、しかしてこれをててもって、うったうることをめよ、しからば疼痛とうつう消滅しょうめつすべし。」と、これはよくったことばです、智者ちしゃ哲人てつじん、もしくは思想家しそうかたるものの、他人たにんことなところてんは、すなわちここにるのでしょう、苦痛くつうかろんずるとうことに。ここにおいてか彼等かれらつね満足まんぞくで、何事なにごとにもまたおどろかぬのです。』
『ではわたくしなどはいたずらくるしみ、不満ふまんならし、人間にんげん卑劣ひれつおどろいたりばかりしていますから、白痴はくちだと有仰おっしゃるのでしょう。』
『そうじゃいです。貴方あなたもいよいよふか考慮かんがえるようにったならば、我々われわれこころうごかところの、すべての身外しんがい些細ささいなることはにもならぬとおわかりになるときがありましょう、ひと解悟かいごむかわなければなりません。これが真実しんじつ幸福こうふくです。』
解悟かいご……。』イワン、デミトリチはかおしかめる。『外部がいぶだとか、内部ないぶだとか……。いやわたくしにはそううことはすこしもわからんです。わたくしっていることはただこれだけです。』と、かれ立上たちあがり、おこった院長いんちょうにらける。『わたしっているのは、かみひと熱血ねっけつと、神経しんけいとよりつくったとうことだけです! また有機的組織ゆうきてきそしきは、もしそれが生活力せいかつりょくをもっているとすれば、すべての刺戟しげき反応はんのうおこすべきものである。それでわたくし反応はんのうしています。すなわち疼痛とうつうたいしては、絶※ぜっきょう[#「口+斗」、U+544C、51-下-12]と、なみだとをもっこたえ、虚偽きょぎたいしては憤懣ふんまんもって、陋劣ろうれつたいしては厭悪えんおじょうもっこたえているです。わたくしかんがえではこれがそもそも生活せいかつづくべきものだろうと。また有機体ゆうきたい下等かとうればるだけ、よりすくなものかんずるのであろうと、それゆえによりよわ刺戟しげきこたえるのである。で、高等こうとうればしたがってよりつよ勢力せいりょくもって、実際じっさい反応はんのうするのです。貴方あなた医者いしゃでおいでて、どうしてこんなわけがおわかりにならんです。くるしみかろんずるとか、なんにでも満足まんぞくしているとか、どんなことにもおどろかんとうようになるのには、あれです、ああ状態ざまになってしまわんければ。』と、イワン、デミトリチはとなり油切あぶらぎった動物どうぶつしてそううた。『あるいはまた苦痛くつうもっ自分じぶん鍛練たんれんして、それにたいしての感覚かんかくをまるでうしなってしまう、ことばえてえば、生活せいかつめてしまうようなことにいたらしめなければならぬのです。わたくし無論むろん哲人てつじんでも、哲学者てつがくしゃでもいのですから。』と、さらげきして。『ですから、こんなことにいてはにもわからんのです。議論ぎろんするちからいのです。』
『どうしてなかなか、貴方あなた立派りっぱ議論ぎろんなさるです。』
貴方あなた例証れいしょうきなすったストア哲学者等てつがくしゃら立派りっぱ人達ひとたちです。しかしながら彼等かれら学説がくせつはすでに二千年以前ねんいぜんすたれてしまいました、もう一すすまんのです、これからさき、また進歩しんぽすることはい。如何いかんとなればこれは現実的げんじつてきでない、活動的かつどうてきいからである。こう学説がくせつは、ただ種々しゅじゅ学説がくせつあつめて研究けんきゅうしたり、比較ひかくしたりして、これを自分じぶん生涯しょうがい目的もくてきとしている、きわめて少数しょうすうひとばかりにおこなわれて、多数たすうものはそれを了解りょうかいしなかったのです。苦痛くつう軽蔑けいべつするとうことは、多数たすうひとったならば、すなわ生活せいかつそのもの軽蔑けいべつするとうことになる。如何いかんとなれば、人間にんげん全体ぜんたいは、うえだとか、さむさだとか、凌辱はずかしめだとか、損失そんしつだとか、たいするハムレットてき恐怖おそれなどの感覚かんかくから成立なりたっているのです。この感覚かんかくうちにおいて人生じんせい全体ぜんたいふくまっているのです。これをにすること、にくむことは出来できます。が、これを軽蔑けいべつすることは出来できんです。であるから、ストア哲学者てつがくしゃ未来みらいをもつことが出来できんのです。御覧ごらんなさい、世界せかいはじめから、今日こんにちいたるまで、ますます進歩しんぽしてくものは生存競争せいぞんきょうそう疼痛とうつう感覚かんかく刺戟しげきたいする反応はんのうちからなどでしょう。』と、イワン、デミトリチはにわか思想しそう連絡れんらくうしなって、残念ざんねんそうにひたいこすった。
なに肝心かんじんなことをおうとおもってなくなった。』
と、かれつづける。『それじゃ基督ハリストスでもれいきましょう、基督ハリストスいたり、微笑びしょうしたり、かなしんだり、おこったり、うれいしずんだりして、現実げんじつたいして反応はんのうしていたのです。かれ微笑びしょうもっくるしみむかわなかった、軽蔑けいべつしませんでした、かえって「このさかずきわれよりらしめよ」とうて、ゲフシマニヤのその祈祷きとうしました。』
 イワン、デミトリチはかくって笑出わらいだしながらすわる。
『でりに人間にんげん満足まんぞく安心あんしんとが、その身外しんがいるにらずして、自身じしんうちるとして、またりに苦痛くつう軽蔑けいべつして、何事なにごとにもおどろかぬようにしなければならぬとして、て、だい貴方あなた自身じしんなんもとづいて、こんなことを主張しゅちょうなさるのか、貴方あなたは一たい哲人ワイゼですか、哲学者てつがくしゃですか?』
『いやわたくし哲学者てつがくしゃでもなんでもい。が、これを主張しゅちょうするのは、おおい各人かくじん義務ぎむだろうとおもうのです、これは道理どうりのあることで。』
『いやわたくしろうとおもうのは、なんため貴方あなた解悟かいごだの、苦痛くつうだの、それにたいする軽蔑けいべつだの、そののことにいてみずか精通家せいつうかみとめておいでなのですか。貴方あなた何時いつにかくるしんだことでもあるのですか、くるしみとうことの理解りかいをもっておでですか、あるい失礼しつれいながら貴方あなたはお幼少ちいさい時分じぶん打擲ぶたれでもなされましたことがおありなのですか?』
いえわたくし両親りょうしんは、身体上しんたいじょう処刑しょけい非常ひじょうきらっていたのです。』
わたくしちちにはひど仕置しおきをされました。わたくしちち苛酷かこく官員かんいんであったのです。が、貴方あなたのことをもうしてましょうかな。貴方あなたは一生涯しょうがいだれにも苛責かしゃくされたことはく、健康けんこうなることうしごとく、厳父げんぷ保護ほごもと生長せいちょうし、それで学問がくもんさせられ、それからしてわりのよいやく取付とりつき、二十年以上ねんいじょうあいだも、暖炉だんろいてあり、あかりあかるき無料むりょう官宅かんたくに、奴婢ぬひをさえ使つかってんで、そのうえ仕事しごと自分じぶんおもうまま、してもしないでもんでいると位置いち。で、生来せいらい貴方あなた怠惰者なまけもので、厳格げんかく人間にんげん、それゆえ貴方あなたんでも自分じぶん面倒めんどうでないよう、はたらかなくともむようとばかり心掛こころがけている、事業じぎょう代診だいしんや、そのやくざものまかり、そうして自分じぶんあたたかしずかところして、かねめ、書物しょもつみ、種々しゅじゅ屁理窟へりくつかんがえ、またさけを(かれ院長いんちょうあかはなて)んだりして、楽隠居らくいんきょのような真似まねをしている。一げんえば、貴方あなた生活せいかつうものをないのです、それをまったらんのです。そうして実際じっさいうことをただ理論りろんうえからばかりしている。だから苦痛くつう軽蔑けいべつしたり、何事なにごとにもおどろかんなどとっていられる。それははなは単純たんじゅん原因げんいんるのです。「くうくう」だとか、内部ないぶだとか、外部がいぶだとか、苦痛くつうや、たいする軽蔑けいべつだとか、真正しんせいなる幸福こうふくだとか、とこんな言草いいぐさは、みなロシヤの怠惰者なまけもの適当てきとうしている哲学てつがくです。で、貴方あなたはこうなのだ、まずいたむと農婦のうふる……と、それがどうしたのだ。疼痛とうつう疼痛とうつうのことの思想しそうである。かつまた、病気びょうきくてはこのきてわけにはかぬものだ。はやかえるべし。おれ思想しそうとヴォッカを邪魔じゃまをするな。とこううでしょう。またある若者わかものてどうふう生活せいかつをしたらいいかと相談そうだんけられる、と、他人たにんはまず一ばんかんがえるところであろうが、貴方あなたにはそのこたえはもうちゃんと出来できている。解悟かいごむかいなさい、真正しんせい幸福こうふくむかいなさい。とこううです。我々われわれをこんな格子こうしうち監禁かんきんしていてくるしめて、そうしてこれは立派りっぱなことだ、理窟りくつのあることだ、いかんとなればこの病室びょうしつと、あたたかなる書斎しょさいとのあいだなん差別さべつもない。と、まこと都合つごうのいい哲学てつがくです。そうして自分じぶん哲人ワイゼかんじている……いや貴方あなたこれはです、哲学てつがくでもなければ、思想しそうでもなし、見解けんかいあえひろいのでもい、怠惰たいだです。自滅じめつです。睡魔すいまです! 左様さよう!』と、イワン、デミトリチは昂然こうぜんとして『貴方あなた苦痛くつう軽蔑けいべつなさるが、こころみ貴方あなたゆびぽんでもはさんで御覧ごらんなさい、そうしたらこえかぎさけ[#「口+斗」、U+544C、53-上-13]ぶでしょう。』
あるいさけ[#「口+斗」、U+544C、53-上-15]ばんかもれません。』と、アンドレイ、エヒミチはう。
『そんなことはい、たとえば御覧ごらんなさい、貴方あなた中風ちゅうぶにでもかかったとか、あるいかり愚者ぐしゃ自分じぶん位置いち利用りようして貴方あなた公然こうぜんはずかしめていて、それがのちなんむくいしにんでしまったのをったならば、そのとき貴方あなたひとに、解悟かいごむかいなさいとか、真正しんせい幸福こうふくむかいなさいとかうことの効力こうりょくはたして、何程なにほどうことがわかりましょう。』
『これは奇抜きばつだ。』と院長いんちょう満足まんぞくあま微笑びしょうしながら、両手りょうてこすこすう。『わたくし貴方あなたすべてを綜合そうごうする傾向けいこうをもっているのを、面白おもしろかんじかつ敬服けいふくいたしたのです、また貴方あなたいまべられたわたくし人物評じんぶつひょうは、ただ感心かんしんするほかはありません。じつわたくし貴方あなたとの談話だんわにおいて、このうえ満足まんぞくましたのです。で、わたくし貴方あなたのおはなし不残のこらずうかがいましたから、こんどはどうぞわたくしはなしをもおください。』

(十一)


 かくてのち、なお二人ふたりはなしは一時間じかんつづいたが、それより院長いんちょうふか感動かんどうして、毎日まいにち毎晩まいばんのように六号室ごうしつくのであった。二人ふたり話込はなしこんでいるうちれてしまうことがままあるくらい。イワン、デミトリチははじめのうち院長いんちょう野心やしんでもあるのではいかとうたがって、かれにとかくとおざかって、不愛想ぶあいそうにしていたが、段々だんだんれて、ついにはまった素振そぶりえたのであった。
 しかるに病院びょういんうちでは院長いんちょうアンドレイ、エヒミチが六号室ごうしつしきりかよしたのをあやしんで、その評判ひょうばんたかくなり、代診だいしんも、看護婦かんごふも、一ようなんためくのか、なん数時間余すうじかんよもあんなところにいるのか、どんなはなしをするのであろうか、彼処かしこっても処方書しょほうがきしめさぬではいかと、彼方あっちでも、此方こっちでも、かれ近頃ちかごろなる挙動きょどう評判ひょうばん持切もちきっている始末しまつ。ミハイル、アウエリヤヌイチはこのごろでは始終しじゅうかれ留守るすにばかりく。ダリュシカは旦那だんな近頃ちかごろ定刻ていこく麦酒ビールまず、中食ちゅうじきまでもおくれることが度々たびたびなので困却こまっている。
 或時あるときがつすえ、ドクトル、ハバトフは、院長いんちょう用事ようじがあって、そのへやったところ、おらぬのでにわへとさがしにた。するとそこで院長いんちょうは六号室ごうしつであるとき、にわからすぐ別室べっしつり、玄関げんかん立留たちとどまると、丁度ちょうどこう話声はなしごえきこえたので。
我々われわれ到底とうてい合奏がっそう出来できません、わたくし貴方あなた信仰しんこうせしむるわけにはきませんから。』
と、イワン、デミトリチのこえ
現実げんじつうことはまった貴方あなたにはわからんのです、貴方あなたはいまだかつてくるしんだことはいのですから。しかしわたくしうまれたそのより今日こんにちまで、えず苦痛くつうめているのです、それゆえわたくし自分じぶん貴方あなたよりもたかいもの、万事ばんじにおいて、よりおお精通せいつうしているものとみとめておるです。ですから貴方あなたわたくしおしえると場合ばあいいのです。』
わたくしなに貴方あなた自分じぶん信仰しんこうむかわせようと権利けんり主張しゅちょうはせんのです。』院長いんちょう自分じぶんわかってくれいので、さも残念ざんねんうように。『そうわけではいのです、それは貴方あなた苦痛くつうめて、わたくしめないということではないのです。せんずるところ苦痛くつう快楽かいらくうつくもので、そんなことはどうでもいいのです。で、わたくしおうとおもうのは、貴方あなたわたくしとが思想しそうするもの、相共あいとも思想しそうしたり、議論ぎろんをしたりするちからがあるものとみとめているということです。たとい我々われわれ意見いけんくらいちがっても、ここに我々われわれの一するところがあるのです。貴方あなたがもしわたくしが一ぱん無智むちや、無能むのうや、愚鈍ぐどんほどいとうておるかとってくだすったならば、また如何いかなるよろこびもって、こうして貴方あなたはなしをしているかとうことをってくだすったならば! 貴方あなた知識ちしきのあるひとです。』
 ハバトフはこのときすこしばかりけて室内しつないのぞいた。イワン、デミトリチは頭巾ずきんかぶって、みょう眼付めつきをしたり、ふるえあがったり、神経的しんけいてき病院服びょういんふくまえわしたりしている。院長いんちょうはそのそばこしけて、かしられて、じっとして心細こころぼそいような、かなしいような様子ようすかおあかくしている。ハバトフはかたちぢめて冷笑れいしょうし、ニキタと見合みあう。ニキタもおなじくかたちぢめる。
 翌日よくじつハバトフは代診だいしんれて別室べっしつて、玄関げんかんでまたも立聞たちぎき
院長殿いんちょうどの、とうとう発狂はっきょう御坐ござったわい。』と、ハバトフは別室べっしつながらのはなし
しゅあわれめよ、しゅあわれめよ、しゅあわれめよ!』と、敬虔けいけんなるセルゲイ、セルゲイチはいながら。ピカピカと磨上みがきあげたくつよごすまいと、にわ水溜みずたまり溜息ためいきをする。
打明うちあけてもうしますとな、エウゲニイ、フェオドロイチもうわたくしうからこんなことになりはせんかとおもっていましたのさ。』

(十二)


 その院長いんちょうアンドレイ、エヒミチは自分じぶん周囲まわりもの様子ようすの、ガラリとかわったことをようやみとめた。小使こづかい看護婦かんごふ患者等かんじゃらは、かれ往遇ゆきあたびに、なにをかうもののごと眼付めつきる、ぎてからは私語ささやく。折々おりおりにわ会計係かいけいがかり小娘こむすめの、かれあいしていたところのマアシャは、このせつかれ微笑びしょうしてあたまでもでようとすると、いそいで遁出にげだす。郵便局長ゆうびんきょくちょうのミハイル、アウエリヤヌイチは、かれところて、かれはなしいてはいるが、さきのようにそれは真実まったくですとはもうわぬ。なんとなく心配しんぱいそうなかおで、左様々々さようさよう左様さよう、と、打湿うちしめってってるかとおもうと、やれヴォッカをせの、麦酒ビールめろのとすすめはじめる。また医員いいんのハバトフも時々ときどきては、何故なにゆえかアルコール分子ぶんしはいっている飲物のみものせ。ブローミウム加里かりめとすすめてくので。
 八がつにアンドレイ、エヒミチは市役所しやくしょから、すこ相談そうだんがあるにって、出頭しゅっとうねがうと招状しょうじょうがあった、で、定刻ていこく市役所しやくしょってると、もう地方軍令部長ちほうぐんれいぶちょうはじめ、郡立学校視学官ぐんりつがっこうしがくかん市役所員しやくしょいん、それにドクトル、ハバトフ、またも一人ひとり見知みしらぬブロンジンのおとこずらりならんでひかえている。そばにいたものぐに院長いんちょうにこの人間にんげん紹介しょうかいした、やはりドクトルで、なんだとかとうポーランドのにく、このまちから三十ヴェルスタばかりへだたっている、育馬所いくばしょにいるもの今日きょうこのまちなにかのようでちょっと通掛とおりかかったので、この場所ばしょ立寄たちよったとのことで。
『ええ只今ただいま足下そっか御関係ごかんけいのある事柄ことがらで、申上もうしあげたいとおもうのですが。』と、市役所員しやくしょいん居並いなら人々ひとびと挨拶あいさつむとこうした。『あ、エウゲニイ、フェオドロイチの有仰おっしゃるには、本院ほんいん薬局やっきょく狭隘せまいので、これを別室べっしつの一つに移転うつしてはどうかとうのです。勿論もちろんこれは雑作ぞうさいことですが、それには別室べっしつ修繕しゅうぜんようするとうそのことです。』
左様さよう修繕しゅうぜんいたさなければならんでしょう。』と、院長いんちょうかんがえながらう。『たとえばすみ別室べっしつ薬局やっきょくてようとうには、わたくしかんがえでは、少額しょうがく見積みつもっても五百えんりましょう、しかしあま不生産的ふせいさんてき費用ひようです。』
 みなはすこしもくしている。院長いんちょうしずかにまたつづける。
わたくしはもう十ねんまえから、そう申上もうしあげていたのですが、全体ぜんたいこの病院びょういん設立たてられたのは、四十年代ねんだいころでしたが、その時分じぶん今日こんにちのような資力しりょくではかったもので。しかし今日こんにちところでは病院びょういんは、たしか資力ちから以上いじょう贅沢ぜいたくっているので、余計よけい建物たてもの余計よけいやくなどで随分ずいぶん費用ひようおおつかっているのです。わたくしおもうには、これだけのぜにつかうのなら、かたをさええれば、ここに二つの模範的もはんてき病院びょういん維持いじすることが出来できるとおもいます。』
『では一つかたえて御覧ごらんになったら如何いかがです。』
と、市役所員しやくしょいん活発かっぱつう。
わたくしさきにも申上もうしあげましたとおり、医学上いがくじょう事務じむ地方自治体ちほうじちたいほうへ、おわたしになってはどうでしょう?』
地方自治ちほうじちぜにわたしたら、それこそ彼等かれらみなぬすんでしまいましょう。』と、ブロンジンのドクトルはわらす。
『そりゃきまってます。』と、市役所員しやくしょいん同意どういしてわらう。
 院長いんちょう茫然ぼんやりとブロンジンのドクトルをたが。『しかし公平こうへいかんがえなければなりません。』とうた。
 みなはまたしばしもくしてしまう。そのうちちゃる。ドクトル、ハバトフはみなとの一ぱんはなしうちも、院長いんちょうことば注意ちゅういをしていていたが突然だしぬけに。『アンドレイ、エヒミチ今日きょう何日なんにちです?』それからつづいて、ハバトフとブロンジンのドクトルとは下手へたなのをかんじている試験官しけんかんったような調子ちょうしで、今日きょう何曜日なんようびだとか、一ねんうちには何日なんにちあるとか、六号室ごうしつには面白おもしろ予言者よげんしゃがいるそうなとかと、交々かわるがわる尋問たずねるのであった。
 院長いんちょうおわりといには赤面せきめんして。『いや、あれは病人びょうにんです、しかし面白おもしろ若者わかもので。』とこたえた。
 もうたれなんとも質問しつもんをせぬのである。
 院長いんちょう玄関げんかん外套がいとう市役所しやくしょもんたが、これは自分じぶん才能さいのう試験しけんするところ委員会いいんかいであったとはじめてさとり、自分じぶんけられた質問しつもんおもし、一人ひとりみずか赤面せきめんし、一しょううちいまはじめて、医学いがくなるものを、つくづくと情無なさけなものかんじたのである。
 そのばん郵便局長ゆうびんきょくちょうのミハイル、アウエリヤヌイチはかれところたが、挨拶あいさつもせずにいきなりかれ両手りょうてにぎって、こえふるわしてうた。
『おおきみ、ねえ、きみぼくせつなる意中いちゅうしんじて、ぼく親友しんゆうみとめてくれることをしょうしてくださるでしょうね……え、きみ!』
 かれ院長いんちょうわんとするのをさえぎって、なにかそわそわしてつづけてう。『わたし貴方あなた教育きょういくと、高尚こうしょうなるこころとをはなは敬愛けいあいしておるです。どうぞきみわたしうことをいてください。医学いがく原則げんそくは、医者等いしやらをして貴方あなたじつわしめたのです。しかしながらわたし軍人風ぐんじんふう真向まっこう切出きりだします。貴方あなた打明うちあけています、すなわ貴方あなた病気びょうきなのです。これはもう周囲まわりものうよりみとめているところで、只今ただいまもドクトル、エウゲニイ、フェオドロイチがうのには、貴方あなた健康けんこうためには、すべから気晴きばらしをして、保養ほようせん一とせんければならんと。これは実際じっさいです。ところが、丁度ちょうどわたしもこのせつひまもらって、かわった空気くうきいに出掛でかけようとおもっている矢先やさき、どうでしょう、一しょ付合つきあってはくださらんか、そうして旧事ふるいことみんなわすれてしまいましょうじゃありませんか。』
『しかしわたしすこしも身体からだ異状いじょういです、壮健そうけんです。無暗むやみ出掛でかけることは出来できません、どうぞわたし友情ゆうじょうのことでなんとかしょうさせてください。』
 アンドレイ、エヒミチははじめの一分時ぷんじは、なん意味いみもなく書物しょもつはなれ、ダリュシカと麦酒ビールとにわかれて、二十年来ねんらいさだまったその生活せいかつ順序じゅんじょやぶるとうことは出来できなくおもうたが、またふかおもえば、市役所しやくしょでありしこと、そのみずかかんじた不愉快ふゆかいのこと、おろか人々ひとびと自分じぶん狂人視きょうじんししているこんなまちから、すこしでもたらば、ともおもうのであった。
『しかし貴方あなたは一たいどこへお出掛でかけになろうとうのです?』院長いんちょううた。
『モスクワへも、ペテルブルグへも、ワルシャワへも……ワルシャワはじつによいところです、わたし幸福こうふくの五年間ねんかん彼処あすこおくったのでした、それはいいまちです、是非ぜひきましょう、ねえきみ。』

(十三)


 一週間しゅうかんてアンドレイ、エヒミチは、病院びょういんから辞職じしょく勧告かんこくけたが、かれはそれにたいしてはいたって平気へいきであった。かくてまた一週間しゅうかんぎ、ついにミハイル、アウエリヤヌイチととも郵便ゆうびん旅馬車たびばしゃ打乗うちのり、ちか鉄道てつどうのステーションをして、旅行りょこうにと出掛でかけたのである。
 そらさわやかれて、とお木立こだちそらせっするあたり見渡みわたされるすずしい日和ひより。ステーションまでの二百ヴェルスタのみちを二昼夜ちゅうやぎたが、そのあいだうま継場々々つぎばつぎばで、ミハイル、アウエリヤヌイチは、やれ、ちゃこっぷあらいようがどうだとか、うまけるのに手間てまれるとかとりきんで、上句あげくには、いつだまれとか、れこれうな、とかと真赤まっかになってさわぎかえす。道々みちみちも一ぷん絶間たえまもなくしゃべつづけて、カフカズ、ポーランドを旅行りょこうしたことなどをはなす。そうして大声おおごえ剥出むきだし、夢中むちゅうになってドクトルのかおへはふッはふッといき吐掛ふっかける、耳許みみもと高笑たかわらいする。ドクトルはそれがためかんがえふけることもならず、おもいしずむことも出来できぬ。
 汽車きしゃ経済けいざいために三とうで、喫烟きつえんをせぬ客車かくしゃった。車室しゃしつうちはさのみ不潔ふけつ人間にんげんばかりではなかったが、ミハイル、アウエリヤヌイチはすぐ人々ひとびと懇意こんいになってたれにでもはなし仕掛しかけ、腰掛こしかけから腰掛こしかけまわあるいて、大声おおごえで、こんな不都合ふつごうきわま汽車きしゃいとか、みな盗人ぬすびとのような奴等やつらばかりだとか、乗馬じょうばけば一にちに百ヴェルスタもばせて、そのうえ愉快ゆかいかんじられるとか、我々われわれ地方ちほう不作ふさくなのはピンぬまなどをからしてしまったからだ、非常ひじょう乱暴らんぼうをしたものだとか、などとって、ほとんひとにはくちかせぬ、そうしてその相間あいまには高笑たかわらいと、仰山ぎょうさん身振みぶり
私等わたしら二人ふたりうちいずれが瘋癲者ふうてんしゃだろうか。』と、ドクトルは腹立はらだたしくなっておもうた。『すこしも乗客じょうきゃくわずらわさんようにつとめているおれか、それともこんなに一人ひとり大騒おおさわぎをしていた、たれにも休息きゅうそくもさせぬこの利己主義男りこしゅぎおとこか?』
 モスクワへってから、ミハイル、アウエリヤヌイチは肩章けんしょう軍服ぐんぷくに、赤線あかすじはいったズボンを穿いてまちあるくにも、軍帽ぐんぼうかぶり、軍人ぐんじん外套がいとうた。兵卒へいそつかれ敬礼けいれいをする。アンドレイ、エヒミチはいまはじめていたが、ミハイル、アウエリヤヌイチはさき大地主おおじぬしであったときの、あま感心かんしんせぬふうばかりがいまのこっているとうことを。つくえまえにマッチはあって、かれはそれをていながら、そのくせ大声おおごえげて小使こづかいんでマッチをっていなどとい、女中じょちゅうのいるまえでも平気へいき下着したぎ一つであるいている、下僕しもべや、小使こづかいつかまえては、としったものでもなんでもかまわず、貴様々々きさまきさま頭砕あたまごなし。そのうえはらつとぐに、この野郎やろう、この大馬鹿おおばか悪体あくたいはじまるので、これらは大地主おおじぬしくせであるが、あま感心かんしんしたふうではい、とドクトルもおもうたのであった。
 モスクワ見物けんぶつだいちゃくに、ミハイル、アウエリヤヌイチはそのともをまずイウエルスカヤ小聖堂しょうせいどうき、そこでかれ熱心ねっしん伏拝ふくはいしてなみだながして祈祷きとうする、そうして立上たちあがり、ふか溜息ためいきしてうには。
『たといしんじなくとも、祈祷きとうをすると、なんともわれんくらいこころやすまる、きみ接吻せっぷんたまえ。』
 アンドレイ、エヒミチは体裁悪きまりわるおもいながら、聖像せいぞう接吻せっぷんした。ミハイル、アウエリヤヌイチはくちびる突出つきだして、あたまりながら、またも小声こごえ祈祷きとうしてなみだながしている。それから二人ふたりはそこをて、クレムリにき、大砲王たいほうおう巨大な砲)と大鐘王たいしょうおう巨大な鐘、モスクワの二大名物)とを見物けんぶつし、ゆびさわってたりした。それよりモスクワ川向かわむこうまち景色けしきなどを見渡みわたしながら、救世主きゅうせいしゅ聖堂せいどうや、ルミャンツセフの美術館びじゅつかんなんどをまわってた。
 中食ちゅうじきはテストフてい料理店りょうりてんはいったが、ここでもミハイル、アウエリヤヌイチは、頬鬚ほおひげでながら、ややしばらく、品書しながき拈転ひねくって、料理店りょうりやのように挙動ふるま愛食家風あいしょくかふう調子ちょうしで。
今日きょうはどんな御馳走ごちそう我々われわれわしてくれるか。』と、無暗むやみはばかせたがる。

(十四)


 ドクトルは見物けんぶつもし、あるいてもってもんでもたのであるが、ただもう毎日まいにちミハイル、アウエリヤヌイチの挙動きょどうよわらされ、それがはないて、いやで、いやでならぬので、どうかして一にちでも、一ときでも、かれからはなれてたくおもうのであったが、とも自分じぶんよりかれを一でもはなすことはなく、なんでもかれ気晴きばらしをするが義務ぎむと、見物けんぶつとき饒舌しゃべつづけてなぐさめようと、附纒つきまとどおしの有様ありさま。二うものアンドレイ、エヒミチはこらこらえて、我慢がまんをしていたのであるが、三日目かめにはもうどうにもこられず。すこ身体からだ工合ぐあいわるいから、今日きょうだけ宿やどのこっていると、つい思切おもいきってともうたのであった、しかるにミハイル、アウエリヤヌイチは、それじゃ自分じぶんいえにいることにしよう、すこしは休息きゅうそくもしなければあしつづかぬからと挨拶あいさつ。アンドレイ、エヒミチはうんざりして、長椅子ながいすうえよこになり、倚掛よりかかりほうついかおけたまま、くいしばって、とも喋喋べらべらしゃべるのを詮方せんかたなくいている。さりともらぬミハイル、アウエリヤヌイチは、大得意だいとくいで、仏蘭西フランス早晩そうばん独逸ドイツやぶってしまうだろうとか、モスクワには攫客すりおおいとか、うま見掛みかけばかりでは、その真価しんかわからぬものであるとか。と、それからそれへとはなしつづけていきひまい、ドクトルはみみをガンとして、心臓しんぞう鼓動こどうさえはげしくなってる。とって、ってくれ、だまっていてくれとはかれにはわれぬので、じっと辛抱しんぼうしているつらさは一ばいである。ところ仕合しあわせにもミハイル、アウエリヤヌイチのほうが、こんどは宿やど引込ひっこんでいるのが、とうとう退屈たいくつになってて、中食後ちゅうじきごには散歩さんぽにと出掛でかけてった。
 アンドレイ、エヒミチはやっと一人ひとりになって、長椅子ながいすうえのろのろ落着おちついてよこになる。室内しつない自分じぶんただ一人ひとり、と意識いしきするのは如何いか愉快ゆかいであったろう。真実しんじつ幸福こうふくじつ一人ひとりでなければべからざるものであると、つくづくおもうた。そうしてかれ此頃このごろたり、いたりしたことをかんがえようとおもうたが、どうしたものかやはり、ミハイル、アウエリヤヌイチがあたまからはなれぬのであった。
 そののちかれすこしも外出がいしゅつせず、宿やどにばかり引込ひっこんでいた。
 ともはわざわざ休暇きゅうかって、かく自分じぶんとも出発しゅっぱつしたのではいか。ふか友情ゆうじょうによってではいか、親切しんせつなのではいか。しかしじつにこれほど有難迷惑ありがためいわくのことがまたとあろうか。降参こうさんだ、真平まっぴらだ。とはえ、かれ悪意あくいがあるのではい。と、ドクトルはさらにまたしみじみとおもうたのであった。
 ペテルブルグにってからもドクトルはやはり同様どうよう宿やどにのみ引籠ひきこもってそとへはず、一にち長椅子ながいすうえよこになり、麦酒ビールときにだけおきる。
 ミハイル、アウエリヤヌイチは、始終しじゅうワルシャワへはやこうとばかりうている。
『しかしきみわたしなにもワルシャワへ必要ひつよういのだから、きみ一人ひとりたまえ、そうしてわたしをどうぞさき故郷こきょうかえしてください。』アンドレイ、エヒミチは哀願あいがんするようにうた。
とんだことさ。』と、ミハイル、アウエリヤヌイチは聴入ききいれぬ。『ワルシャワこそきみせにゃならん、ぼくが五ねん幸福こうふく生涯しょうがいおくったところだ。』
 アンドレイ、エヒミチはれい気質きしつで、それでもとはね、ついにまた嫌々いやいやながらワルシャワにもった。そこでもかれ宿やどからずに、終日しゅうじつ相変あいかわらず長椅子ながいすうえころがり、相変あいかわらずとも挙動きょどう愛想あいそうかしている。ミハイル、アウエリヤヌイチは一人ひとりして元気げんきよく、あさからばんまでまちあそあるき、旧友きゅうゆうたずまわり、宿やどには数度すうどかえらぬがあったくらい。と、或朝あるあさはや非常ひじょう興奮こうふんした様子ようすで、真赤まっかかおをし、かみ茫々ぼうぼうとして宿やどかえってた。そうしてなに独語ひとりごとしながら、室内しつないすみからすみへといそいであるく。
名誉めいよ大事だいじだ。』
『そうだ名誉めいよ大切たいせつだ。全体ぜんたいこんなまちあし踏込ふみこんだのが間違まちがいだった。』と、かれさらにドクトルにむかってうた。『じつわたしけたのです。で、どうでしょう、ぜにを五百えんしてはくださらんか?』
 アンドレイ、エヒミチはぜに勘定かんじょうして、五百えん無言むごんともわたしたのである。ミハイル、アウエリヤヌイチはまだ真赤まっかになって、面目無めんぼくないような、おこったようなふうで。『きっと返却かえします、きっと。』などとちかいながら、またぼうるなりった。が、大約おおよそ時間じかんってからかえってた。
『おかげ名誉めいよたすかった。もう出発しゅっぱつしましょう。こんな不徳義ふとくぎきわまところに一ぷんだってとどまっていられるものか。掏摸すりども墺探おうたんども。』
 二人ふたり旅行りょこうえてかえってたのは十一がつまちにはもう深雪みゆき真白まっしろつもっていた。アンドレイ、エヒミチはかえってれば自分じぶん位置いちいまはドクトル、ハバトフのわたって、病院びょういん官宅かんたくはや明渡あけわたすのをハバトフはっているというとのこと、またその下女げじょづけていた醜婦しゅうふは、このあいだから、別室べっしつうちところ移転いてんした。まちには、病院びょういん新院長しんいんちょういての種々いろいろうわさてられていた。下女げじょ醜婦しゅうふ会計かいけい喧嘩けんかをしたとか、会計かいけいはそのおんなまえひざって謝罪しゃざいしたとか、と。
 アンドレイ、エヒミチは帰来かえり早々そうそうまずその住居すまいたずねねばならぬ。
不遠慮ぶえんりょ御質問おたずねですがなあきみ。』と郵便局長ゆうびんきょくちょうはアンドレイ、エヒミチにむかってうた。
貴方あなた何位どのくらい財産ざいさんをお所有ちですか?』
 われて、アンドレイ、エヒミチはもくしたまま、財嚢さいふぜにかぞて。『八十六えん。』
いえ、そうじゃないのです。』ミハイル、アウエリヤヌイチはさら云直いいなおす。『その、きみ財産ざいさん総計そうけい何位どのくらいうのをうかがうのさ。』
『だから総計そうけい八十六えんもうしているのです。それわたしは一もん所有っちゃおらんので。』
 ミハイル、アウエリヤヌイチはドクトルの廉潔れんけつで、正直しょうじきであるのはかねてもっていたが、しかしそれにしても、二万えんぐらいたしか所有もっていることとのみおもうていたのに、かくといては、ドクトルがまるで乞食こじきにもひとしき境遇きょうぐうと、おもわずなみだおとして、ドクトルをいだめ、こえげてくのであった。

(十五)


 ドクトル、アンドレイ、エヒミチはベローワとおんな小汚こぎたないいえの一りることになった。かれまえのように八きて、ちゃのちすぐ書物しょもつたのしんでんでいたが、このごろあたらしい書物しょもつえぬので、古本ふるほんばかりんでいるせいか、以前程いぜんほどには興味きょうみかんぜぬ。或時あるとき徒然つれづれなるにまかせて、書物しょもつ明細めいさい目録もくろく編成へんせいし、書物しょもつにはふだを一々貼付はりつけたが、こんな機械的きかいてき単調たんちょう仕事しごとが、かえって何故なにゆえ奇妙きみょうかれ思想しそうろうして、興味きょうみをさええしめていた。
 かれはその病院びょういんに二イワン、デミトリチをたずねたのであるがイワン、デミトリチは二ながら非常ひじょう興奮こうふんして、激昂げきこうしていた様子ようすで、饒舌しゃべることはもうきたとってかれ拒絶きょぜつする。かれ詮方せんかたなくおやすみなさい、とか、左様さようなら、とかってようとすれば、『勝手かってにしやがれ。』と怒鳴どなける権幕けんまく。ドクトルもそれからはくのを見合みあわせてはいるものの、やはりきたくおもうていた。
 さきにはかれ中食後ちゅうじきごは、きっとへやすみからすみへとあるいてかんがえにしずんでいるのがつねであったが、このごろ中食ちゅうじきからばんちゃときまでは、長椅子ながいすうえよこになる。と、いつもみょうな一つ思想しそうむねうかぶ。それは自分じぶんが二十年以上ねんいじょう勤務つとめをしていたのに、それにたいして養老金ようろうきんも、一時金じきんもくれぬことで、かれはそれをおもうと残念ざんねんであった。勿論もちろんあま正直しょうじきにはつとめなかったが、年金ねんきんなどうものは、たとい、正直しょうじきであろうが、かろうが、すべつとめたものけべきである。勲章くんしょうだとか、養老金ようろうきんだとかうものは、徳義上とくぎじょう資格しかくや、才能さいのうなどに報酬ほうしゅうされるのではなく、一ぱん勤務つとめそのものたいして報酬ほうしゅうされるのである。しからばなん自分じぶんばかり報酬ほうしゅうをされぬのであろう。また今更いまさらかんがえれば旅行りょこうりて、無惨々々むざむざあたら千えんつかてたのはいかにも残念ざんねん酒店さかやには麦酒ビールはらいが三十二えんとどこおる、家賃やちんとてもそのとおり、ダリュシカはひそか古服ふるふくやら、書物しょもつなどをっている。此際このさいの千えんでもあったなら、どんなにやくつことかと。
 かれはまたかかる位置いちになってからも、ひと自分じぶん抛棄うっちゃってはいてくれぬのが、かえって迷惑めいわく残念ざんねんであった。ハバトフは折々おりおり病気びょうき同僚どうりょう訪問ほうもんするのは、自分じぶん義務ぎむであるかのように、かれところ蒼蠅うるさる。かれはハバトフがいやでならぬ。その満足まんぞくかおひと見下みさげるような様子ようすかれんで同僚どうりょうことばふか長靴ながぐつ此等これらみな気障きざでならなかったが、ことしゃくさわるのは、かれ治療ちりょうすることを自分じぶんつとめとして、真面目まじめ治療ちりょうをしているつもりなのが。で、ハバトフは訪問ほうもんをするたびに、きっとブローミウム加里カリはいったびんと、大黄だいおう丸薬がんやくとをってる。
 ミハイル、アウエリヤヌイチもやはり、しょっちゅう、アンドレイ、エヒミチを訪問たずねてて、気晴きばらしをさせることが自分じぶん義務ぎむ心得こころえている。で、ると、まるで空々そらぞらしい無理むり元気げんきして、いて高笑たかわらいをしてたり、今日きょう非常ひじょう顔色かおいろがいいとか、なんとか、ワルシャワの借金しゃっきんはらわぬので、内心ないしんくるしくあるのと、はずかしくあるところから、余計よけいいてって、大声おおごえわらい、高調子たかちょうし饒舌しゃべるのであるが、かれはなしにはもう倦厭うんざりしているアンドレイ、エヒミチは、くのもなかなかに大儀たいぎで、かれると何時いつもくるりとかおかべけて、長椅子ながいすうえよこになったり、そうしてくいしばっているのであるが、それが段々だんだん度重たびかさなればかさなほどたまらなく、ついには咽喉のどあたりまでがむずむずしてるようなかんじがしてた。

(十六)


 或日あるひ郵便局長ゆうびんきょくちょうミハイル、アウエリヤヌイチは、中食後ちゅうじきごにアンドレイ、エヒミチのところ訪問ほうもんした。アンドレイ、エヒミチはやはりれい長椅子ながいすうえ。すると丁度ちょうどハバトフもブローミウム加里カリびんたずさえてってた。アンドレイ、エヒミチはおもそうに、つらそうにおこしてこしけ、長椅子ながいすうえ両手りょうて突張つッぱる。
『いや今日こんにちは、おおきみ今日きょう顔色かおいろ昨日きのうよりもまたずッといいですよ。まず結構けっこうだ。』と、ミハイル、アウエリヤヌイチは挨拶あいさつする。
『もう全快ぜんかいしてもいいでしょう。』とハバトフはあくびをしながらことばえる、
平癒なおりますとも、そうしてもう百ねんきまさあ。』と、郵便局長ゆうびんきょくちょう愉快気ゆかいげう。
『百ねんてそうもかんでしょうが、二十ねんやそこらはびますよ。』ハバトフはなぐさがお。『なんんでもありませんさ、なあ同僚どうりょう悲観ひかんももう大抵たいていになさるがいいですぞ。』
我々われわれはまだ隠居いんきょするにははやいです。ハハハそうでしょうドクトル、まだ隠居いんきょするのには。』郵便局長ゆうびんきょくちょうう。
来年らいねんあたりはカフカズへ出掛でかけようじゃありませんか、乗馬じょうばもってからにあちこちを駆廻かけまわりましょう。そうしてカフカズからかえったら、こんどは結婚けっこん祝宴しゅくえんでもげるようになりましょう。』と片眼かためをパチパチして。『是非ぜひ一つきみ結婚けっこんさせよう……ねえ、結婚けっこんを。』
 アンドレイ、エヒミチはむかッとして立上たちあがった。
失敬しっけいな!』と、一言ひとことさけ[#「口+斗」、U+544C、60-上-5]ぶなりドクトルはまどほう退け。『全体ぜんたい貴方々あなたがたはこんな失敬しっけいなことをっていて、自分じぶんではかんのですか。』
 やわらかにつもりであったが、はんして荒々あらあらしくこぶしをもかためて頭上かしらのうえ振翳ふりかざした。
余計よけい世話せわかんでもいい。』ますます荒々あらあらしくなる。
二人ふたりながらかえってください、さあ、きなさい。』
 自分じぶんこえではこえふるえながらさけ[#「口+斗」、U+544C、60-上-11]ぶ。
 ミハイル、アウエリヤヌイチとハバトフとは呆気あっけられてみつめていた。
二人ふたりとも、さあておでなさい。さあ。』アンドレイ、エヒミチはまださけ[#「口+斗」、U+544C、60-上-15]つづけている。『鈍痴漢とんちんかんの、薄鈍うすのろ奴等やつらくすり糸瓜へちまもあるものか、馬鹿ばかな、軽挙かるはずみな!』ハバトフと郵便局長ゆうびんきょくちょうとは、この権幕けんまく辟易へきえきして戸口とぐちほう狼狽まごまごく。ドクトルはそのあとにらめていたが、ゆきなりブローミウム加里カリびんるよりはやく、発矢はっしとばかりそこになげつける、びん微塵みじん粉砕ふんさいしてしまう。
畜生ちくしょう! け! さッさとけ!』とかれ玄関げんかんまで駈出かけだして、泣声なきごえげて怒鳴どなる。『畜生ちくしょう!』
 客等きゃくら立去たちさってからも、かれ一人ひとりでまだしばらく悪体あくたいいている。しかし段々だんだん落着おちつくにしたがって、さすがにミハイル、アウエリヤヌイチにたいしてはどくで、さだめし恥入はじいっていることだろうとおもえば。ああ思慮しりょ知識ちしき解悟かいご哲学者てつがくしゃ自若じじゃく、それいずくにかると、かれはひたすらにおもうて、じて、みずか赤面せきめんする。
 その慙恨ざんこんじょうられて、一すいだもせず、翌朝よくちょうついけっして、局長きょくちょうところへとわび出掛でかける。
『いやもう過去かこわすれましょう。』と、ミハイル、アウエリヤヌイチはかたかれにぎってうた。『過去かこのことをおもすものは、両眼りょうがんくじってしまいましょう。リュバフキン!』と、かれ大声おおごえたれかをぶ。郵便局ゆうびんきょく役員やくいんも、来合きあわしていた人々ひとびとも、一せい吃驚びっくりする。『椅子いすってい。貴様きさまっておれ。』と、かれ格子越こうしごし書留かきとめ手紙てがみかれ差出さしだしている農婦のうふ怒鳴どなつける。『おれようのあるのがえんのか。いや過去かこおもしますまい。』とかれ調子ちょうしを一だんやさしくしてアンドレイ、エヒミチにむかってう。『さあきみたまえ、さあどうか。』
 一分間ぷんかんもくして両手りょうてひざこすっていた郵便局長ゆうびんきょくちょうはまた云出いいだした。
わたくしけっしてきみたいして立腹りっぷくいたさんので、病気びょうきなれば拠無よんどころないのです、おさっもうすですよ。昨日きのうきみ逆上のぼせられたのちわたしはハバトフとながいこと、きみのことを相談そうだんしましたがね、いやきみもこんどは本気ほんきになって、病気びょうき療治りょうじたまわんといかんです。わたし友人ゆうじんとしてなに打明うちあけます。』と、かれさらつづけて。『全体ぜんたいきみ不自由ふじゆう生活せいかつをされているので、いええば清潔せいけつでなし、きみ世話せわをするものし、療治りょうじをするにはぜにし。ねえきみ、で我々われわれせつきみすすめるのだ。どうぞ是非ぜひ一ついていただきたい、とうのは、じつはそうわけであるから、むしろきみ病院びょういんはいられたほう得策とくさくであろうとかんがえたのです。ねえきみ病院びょういんはまだ比較的ひかくてき食物しょくもつはよし、看護婦かんごふはいる、エウゲニイ、フェオドロイチもいる。それは勿論もちろん、これは我々われわれだけのはなしだが、かれあま尊敬そんけいをすべき人格じんかくおとこではいが、じゅつけてはまたなかなかあなどられんとおもう。でねがわくはだ、きみ、どうぞ一つ充分じゅうぶんかれしんじて、療治りょうじせん一にしていただきたい。かれわたしにきっときみ引受ひきうけるとっていたよ。』
 アンドレイ、エヒミチはこのせつなる同情どうじょうことばと、そのうえなみだをさえほおらしている郵便局長ゆうびんきょくちょうかおとをて、ひど感動かんどうしてしずかくちひらいた。
きみ彼等かれらしんじなさるな。うそなのです。わたし病気びょうきうのはそもそもこうなのです。二十年来ねんらいわたしはこのまちにいてただ一人ひとり智者ちしゃった。ところがそれは狂人きちがいであるとう、これだけの事実じじつです。でわたし狂人きちがいにされてしまったのです。しかしなあにわたしはどうでもいいので、からしてつまりなんにでも同意どういいたしましょう。』
病院びょういんへおはいりなさい、ねえきみ。』
左様さよう、どうでもいいです、よしんばあななかはいるのでも。』
『で、きみ万事ばんじエウゲニイ、フェオドロイチのことばしたがうように、ねえきみたのむから。』
よろしい、わたしいまじつもっにっちもさっちもかん輪索わな陥没はまってしまったのです。もう万事休矣おしまいです覚悟かくごはしています。』
『いやきっと平癒なおるですよ。』
 格子こうしそとには公衆こうしゅう次第しだいむらがってる。アンドレイ、エヒミチは、ミハイル、アウエリヤヌイチの公務こうむ邪魔じゃまをするのをおそれて、はなしはそれだけにして立上たちあがり、かれわかれて郵便局ゆうびんきょくた。
 丁度ちょうどその夕方ゆうがた、ドクトル、ハバトフはれい毛皮けがわ外套がいとうに、ふか長靴ながぐつ昨日きのう何事なにごとかったようなかおで、アンドレイ、エヒミチをその宿やど訪問たずねた。
貴方あなた少々しょうしょうねがいがあってたのですが、どうぞ貴方あなたわたくしと一つ立合診察たちあいしんさつをしてはくださらんか、如何いかがでしょう。』と、さりなくハバトフはう。
 アンドレイ、エヒミチはハバトフが自分じぶん散歩さんぽさそって気晴きばらしをさせようとうのか、あるいはまた自分じぶんにそんな仕事しごとさずけようとつもりなのかとかんがえて、とにかくふく着換きかえてともとおりたのである。かれはハバトフが昨日きのうのことはおくびにもさず、かつにもけていぬような様子ようすて、心中しんちゅう一方ひとかたならず感謝かんしゃした。こんな非文明的ひぶんめいてき人間にんげんから、かかる思遣おもいやりをけようとは、まった意外いがいであったので。
貴方あなた有仰おっしゃ病人びょうにんはどこなのです?、』アンドレイ、エヒミチはうた。
病院びょういんです、もううから貴方あなたにもいただきたいとおもっていましたのですが……みょう病人びょうにんなのです。』
 やがて病院びょういんにわり、本院ほんいん一周ひとまわりして瘋癲病者ふうてんびょうしゃれられたる別室べっしつむかってった。ハバトフはそのあいだ何故なにゆえもくしたまま、さッさと六号室ごうしつ這入はいってったが、ニキタはれいとお雑具がらくたつかうえから起上おきあがって、彼等かれられいをする。
はいほうから病人びょうにんなのですがな。』とハバトフは小声こごえうた。『や、わたし聴診器ちょうしんきわすれてた、ってますから、ちょっと貴方あなたはここでおください。』
かれはアンドレイ、エヒミチをここに一人ひとりのこして立去たちさった。

(十七)


 はすでにぼっした。イワン、デミトリチはかおまくらうずめて寐台ねだいうえよこになっている。中風患者ちゅうぶかんじゃなにかなしそうにしずかきながら、くちびるうごかしている。ふとった農夫のうふと、郵便局員ゆうびんきょくいんとはねむっていて、六号室ごうしつうち※(「門<貝」、第4水準2-91-57)げきとしてしずかであった。
 アンドレイ、エヒミチは、イワン、デミトリチの寐台ねだいうえこしけて、大約おおよそ半時間はんじかんっていると、へやいて、はいってたのはハバトフならぬ小使こづかいのニキタ。病院服びょういんふく下着したぎ上靴うわぐつなど、小腋こわきかかえて。
『どうぞ閣下かっかこれをおください。』と、ニキタは前院長ぜんいんちょうまえって丁寧ていねいうた。『あれが閣下かっかのお寐台ねだいで。』と、かれさらあたらしくおかれた寐台ねだいほうして。『なんでもありませんです。かならすぐ御全快ごぜんかいになられます。』
 アンドレイ、エヒミチはここにいたってはじめてめた。一ごんわずにかれはニキタのしめした寐台ねだいうつり、ニキタがってっているので、ぐにていたふくすッぽりて、病院服びょういんふく着換きかえてしまった。シャツはながし、ズボンしたみじかし、上着うわぎさかないたにおいがする。『きっともなくおなおりでしょう。』と、ニキタはまたうてアンドレイ、エヒミチの脱捨ぬぎすてふく一纏ひとまとめにして、小腋こわきかかえたまま、ててく。
『どうでもいい……。』と、アンドレイ、エヒミチは体裁きまりわるそうに病院服びょういんふくまえ掻合かきあわせて、さも囚人しゅうじんのようだとおもいながら、『どうでもいいわ……燕尾服えんびふくだろうが、軍服ぐんぷくだろうが、この病院服びょういんふくだろうが、おなじことだ。』
『しかし時計とけいはどうしたろう、それからポッケットにれていた手帳てちょうも、巻莨まきたばこも、や、ニキタはもう着物きもの悉皆のこらずってった。いやらん、もうぬまで、ズボンや、チョッキ、長靴ながぐつにはよういのかもれん。しかし奇妙きみょう成行なりゆきさ。』と、アンドレイ、エヒミチはいまもなおこの六号室ごうしつと、ベローワのいえなんかわりもいとおもうていたが、どううものか、手足てあしえて、ふるえてイワン、デミトリチがいまにもきて自分じぶんのこの姿すがたて、なんとかおもうだろうとおそろしいようなもして、ったり、いたり、またったり、あるいたり、ようやく半時間はんじかん、一時間じかんばかりもすわっていてたが、かなしいほど退屈たいくつになってて、どうしてこんなところに一週間しゅうかんといられよう、まして一ねん、二ねんなど到底とうてい辛棒しんぼうをされるものでないとおもいた。そうおもえばますます居堪いたまらず、ってすみからすみへとあるいてる。『そうしてからどうする、ああ到底とうてい居堪いたたまらぬ、こんなふうで一しょう!』
 かれはどっかりすわった、よこになったがまた起直おきなおる。そうしてそでひたいながれる冷汗ひやあせいたが顔中かおじゅう焼魚やきざかな※(「月+亶」、第3水準1-90-52)なまぐさにおいがしてた。かれはまたあるす。『なにかの間違まちがいだろう……話合はなしあってにゃわからん、きっと誤解ごかいがあるのだ。』
 イワン、デミトリチはふとさまし、脱然ぐったりとした様子ようすりょうこぶしほおく。つばく。はじめちょっとかれには前院長ぜんいんちょうかぬようであったがやがてそれとて、その寐惚顔ねぼけがおにはたちま冷笑れいしょううかんだので。
『ああ貴方あなたもここへれられましたのですか。』とかれしわがれたこえ片眼かためほそくしてうた。『いや結構けっこう散々さんざんひとをこうしてったから、こんどは御自分ごじぶんわれるばんだ、結構々々けっこうけっこう。』
なにかの多分たぶん間違まちがいです。』とアンドレイ、エヒミチはかたちぢめてう。『間違まちがい相違そういないです。』
 イワン、デミトリチはまたもゆかつばいて、よこになり、そうしてつぶやいた。『ええ、生甲斐いきがい生活せいかつだ、如何いかにも残念ざんねんなことだ、この苦痛くつう生活せいかつがオペラにあるような、アポテオズでおわるのではなく、これがああおわるのだ。非人ひにんて、死者ししゃや、あしとらえてあななか引込ひきこんでしまうのだ、うッふ! だがなんでもない……そのかわおれからけてて、ここらの奴等やつら片端かたッぱしからおどしてくれる、みんな白髪しらがにしてしまってる。』
 おりしもモイセイカはそとからかえきたり、そこに前院長ぜんいんちょうのいるのをて、すぐのばし、
『一せんくんなさい!』

(十八)


 アンドレイ、エヒミチはまどところってそとながむれば、はもうとッぷりてて、むこうの野広のびろはたくらかったが、ひだりほう地平線上ちへいせんじょうより、いましもつめたい金色こんじきつきのぼところ病院びょういんへいから百ばかりのところに、いしかきめぐらされたたかい、しろいええる。これは監獄かんごくである。
『これが現実げんじつうものか。』アンドレイ、エヒミチはおもわず慄然ぞっとした。
 凄然せいぜんたるつきへいうえくぎ監獄かんごく骨焼場ほねやきばとおほのお、アンドレイ、エヒミチはさすがに薄気味悪うすきみわるかんたれて、しょんぼりっている。と直後すぐうしろに、ほっとばかり溜息ためいきこえがする。振返ふりかえればむねひか徽章きしょうやら、勲章くんしょうやらをげたおとこが、ニヤリとばかり片眼かためをパチパチと、自分じぶんわらう。
 アンドレイ、エヒミチはいてこころ落着おちつけて、なんの、つきも、監獄かんごくもそれがどうなのだ、壮健そうけんもの勲章くんしょうけているではないか。と、そう思返おもいかえしたものの、やはり失望しつぼうかれこころにいよいよつのって、かれおもわずりょう格子こうしとらえ、力儘ちからまかせに揺動ゆすぶったが、堅固けんご格子こうしはミチリとのおともせぬ。
 荒凉こうりょうたれたかれは、なにかなしてこころまぎらさんと、イワン、デミトリチの寐台ねだいところってこしかける。
わたくしはもう落胆がっかりしてしまいましたよ、きみ。』と、かれ顫声ふるえごえして、冷汗ひやあせきながら。『まった落胆がっかりしてしまいました。』
『では一つ哲学てつがく議論ぎろんでもおんなさい。』と、イワン、デミトリチは冷笑れいしょうする。
『ああ絶体絶命ぜったいぜつめい……そうだ。何時いつ貴方あなた露西亜ロシヤには哲学てつがくい、しかしたれも、かれも、丁斑魚めだかでさえも哲学てつがくをすると有仰おっしゃったっけ。しかし丁斑魚めだか哲学てつがくをすればって、だれにもがいいのでしょう。』アンドレイ、エヒミチはいかにも情無なさけないとうようなこえをして。『どうしてきみ、そんなにいい気味きみだとうような笑様わらいようをされるのです。いく丁斑魚めだかでも満足まんぞくられんなら、哲学てつがくをせずにはおられんでしょう。いやしくも智慧ちえある、教育きょういくある、自尊じそんある、自由じゆうあいする、すなわかみぞうたる人間にんげんが。ただに医者いしゃとして、辺鄙へんぴなる、蒙昧もうまいなる片田舎かたいなかに一しょうびんや、ひるや、芥子粉からしこだのをいじっているよりほかに、なんすこともいのでしょうか、詐欺さぎ愚鈍ぐどん卑劣漢ひれつかん、と一しょになって、いやもう!』
くだらんことを貴方あなたこぼしていなさる。医者いしゃがいやなら大臣だいじんにでもなったらいいでしょう。』
『いや、どこへくのも、なにるのものぞまんです。かんがえれば意気地いくじいものさ。これまでは虚心きょしん平気へいきで、健全けんぜんろんじていたが、一ちょう生活せいかつ逆流ぎゃくりゅうるるや、ただちくじけて落胆らくたんしずんでしまった……意気地いくじい……人間にんげん意気地いくじいものです、貴方あなたとてもやはりそうでしょう、貴方あなたなどは、才智さいちすぐれ、高潔こうけつではあり、ははちちとも高尚こうしょう感情かんじょう吸込すいこまれたかたですが、実際じっさい生活せいかつるやいなやただちつかれて病気びょうきになってしまわれたです。じつひと微弱びじゃくなものだ。』
 かれには悲愴ひそうかんほかに、まだ一しゅ心細こころぼそかんじが、こと日暮ひぐれよりかけて、しんみりみておぼえた。これは麦酒ビールと、たばことが、しいのであったとかれつい心着こころづく。
わたしはここからきますよ、きみ。』と、かれはイワン、デミトリチにこううた。『ここへあかりってるように言付いいつけますから……どうしてこんな真暗まっくらところにいられましょう……我慢がまんれません。』
 アンドレイ、エヒミチは戸口とぐちところすすんで、けた。するとニキタが躍上おどりあがって、そのまえ立塞たちふさがる。
『どちらへ! いけません、いけません!』と、かれさけ[#「口+斗」、U+544C、63-下-12]ぶ。『もうときですぞ!』
『いやちとにわあるいてるのだ。』と、アンドレイ、エヒミチは怖々おどおどする。
『いけません、いけません! そんなことをさせてもいいとはたれからも言付いいつかりません。御存ごぞんじでしょう。』
 うなりニキタはぱたり。そうしてめたててやはりそこに仁王立におうだち
『しかしおれたってそれがためだれなんう。』アンドレイ、エヒミチはかたちぢめる。『わけわからん、おいニキタおれなければならんのだ!』かれこえふるえる。『ようがあるのだ!』
規律きりつみだすことは出来できません、いけません!』とニキタはさとすような調子ちょうし
なんだと畜生ちくしょう!』と、このときイワン、デミトリチはきゅうむッくり起上おきあがる。『なん彼奴きゃつさんとほうがある、我々われわれをここに閉込とじこめてわけい。法律ほうりつてらしても明白あきらかだ、何人なにびといえども裁判さいばんもなくして無暗むやみひと自由じゆううばうことが出来できるものか! 不埒ふらちだ! 圧制あっせいだ!』
勿論もちろん不埒ふらちですとも。』アンドレイ、エヒミチはイワン、デミトリチの加勢かせいにとみにちからて、つよくなり。『おれようがあるのだ! るのだ! 貴様きさまなん権利けんりがある! せとったらせ!』
わかったか馬鹿野郎ばかやろう!』と、イワン、デミトリチはさけ[#「口+斗」、U+544C、64-上-6]んで、こぶしかためてたたく。『やいけろ! けろ! けんか! 開けんなら打破ぶちこわすぞ! 人非人ひとでなし! 野獣けだもの!』
けろ!』アンドレイ、エヒミチは全身ぜんしんぶるぶるふるわして。『おれめいずるのだッ!』
『もう一ってろ!』のむこうでニキタのこえ。『もう一ってろ!』
『じゃ、エウゲニイ、フェオドロイチでもここへんでい、ちょっとおれてくれッてっているとそうえ……ちょっとでいいからッて!』
明日あしたになればおでになります。』
何日いつになったって我々われわれけっしてすものか。』イワン、デミトリチはう、『我々われわれをここでくさらしてしまう料簡りょうけんだろう! 来世らいせい地獄じごくがなくてるものか、こんな人非人共ひとでなしどもがどうしてゆるされる、そんなことで正義せいぎはどこにある、えい、けろ、畜生ちくしょう!』かれしゃがれたこえしぼって、投掛なげかけ。『いいか、貴様きさまあたまたたるぞ! 人殺奴ひとごろしめ!』
 ニキタはぱッとけるより、阿修羅王あしゅらおうれたるごとく、両手りょうてひざでアンドレイ、エヒミチを突飛つきとばし、ほねくだけよとその鉄拳てっけん真向まっこうに、したたかれかおたたえた。アンドレイ、エヒミチはアッとったまま、緑色みどりいろ大浪おおなみあたまから打被うちかぶさったようにかんじて、寐台ねだいうえいてかれたような心地ここちくちうちには塩気しおけおぼえた、大方おおかたからの出血しゅっけつであろう。かれおよがんとするもののように両手りょうてうごかして、たれやらの寐台ねだいにようよう取縋とりすがった。とまたもこのとき振下ふりおろしたニキタのだい二の鉄拳てっけん背骨せぼねゆがむかともだゆるひまもなく打続うちつづいて、またまた三度目どめ鉄拳てっけん
 イワン、デミトリチはこのときたか※声さけびごえ[#「口+斗」、U+544C、64-下-3]かれたれたのであろう。
 それよりは室内しつないまたおともなく、ひッそりしずまかえった。おりから淡々あわあわしいつきひかり鉄窓てっそうれて、ゆかうえあみたるごと墨画すみえゆめのように浮出うきだしたのは、いおうようなく、凄絶せいぜつまた惨絶さんぜつきわみであった、アンドレイ、エヒミチはよこたわったまま、まだいきころして、ちぢめて、もう一たれはせぬかとまちかまえている。と、たちまおぼゆるむね苦痛くつうちょう疼痛とうつうたれするどかまもって、えぐるにはあらぬかとおもわるるほどかれまくら強攫しがき、きりりをばくいしばる。いまはじめてかれる。その有耶無耶うやむやになった脳裡のうりに、なお朧朦気おぼろげた、つきひかりてらされたる、くろかげのようなこのへや人々ひとびとこそ、何年なんねんうことはく、かかる憂目うきめわされつつありしかと、がたおそろしさはいなづまごとこころうちひらめわたって、二十有余年ゆうよねんあいだ、どうして自分じぶんはこれをらざりしか、らんとはせざりしか。とそらおそろしくおもうのであったが、また剛情ごうじょう我慢がまんなるその良心りょうしんは、とはみずからはいまだかつて疼痛とうつうかんがえにだにもらぬのであった、しからば自分じぶんわるいのではいのであるとささやいて、さながら襟下えりもとから冷水ひやみずびせられたようにかんじた。かれ起上おきあがって声限こえかぎりにさけ[#「口+斗」、U+544C、64-下-18]び、そうしてここより抜出ぬけいでて、ニキタを真先まっさきに、ハバトフ、会計かいけい代診だいしん鏖殺みなごろしにして、自分じぶんつづいて自殺じさつしてしまおうとおもうた。が、どうしたのかこえ咽喉のどからでず、あしもまたごとうごかぬ、いきさえつまってしまいそうにおぼゆる甲斐かいなさ。かれくるしさにむねあたりむしり、病院服びょういんふくも、シャツも、ぴりぴりと引裂ひきさくのであったが、やがてそのまま気絶きぜつして寐台ねだいうえたおれてしまった。

(十九)


 翌朝よくちょうかれはげしき頭痛ずつうおぼえて、両耳りょうみみり、全身ぜんしんにはただならぬなやみかんじた。そうして昨日きのうけた出来事できごとおもしても、はずかしくもなんともかんぜぬ。昨日きのう小胆しょうたんであったことも、つきさえも気味きみわるたことも、以前いぜんにはおもいもしなかった感情かんじょうや、思想しそうありのままに吐露とろしたこと、すなわ哲学てつがくをしている丁斑魚めだか不満足ふまんぞくのことをうたことなども、いまかれってなんでもなかった。
 かれわず、まず、うごきもせず、よこになってもくしていた。
『ああもうなにもない、たれにも返答へんとうなどするものか……もうどうでもいい。』と、かれかんがえていた。
 中食後ちゅうじきごミハイル、アウエリヤヌイチはちゃを四半斤はんぎんと、マルメラドを一きん持参って、かれところ見舞みまいた。つづいてダリュシカもなんともえぬかなしそうなかおをして、一時間じかん旦那だんな寐台ねだいそばにじっとたったままで、それからハバトフもブローミウム加里カリびんって、やはり見舞みまいたのである。そうして室内しつないなにこうゆらすようにとニキタにめいじて立去たちさった。
 その夕方ゆうがた俄然がぜんアンドレイ、エヒミチは脳充血のうじゅうけつおこして死去しきょしてしまった。はじかれ寒気さむけおぼえ、吐気はきけもよおして、異様いよう心地悪ここちあしさが指先ゆびさきにまで染渡しみわたると、なにからあたま突上つきあげてる、そうしてみみおおかぶさるようながする。あおひかり閃付ちらつく。かれいますでにその死期しきせまったのをって、イワン、デミトリチや、ミハイル、アウエリヤヌイチや、また多数おおくひと霊魂不死れいこんふししんじているのをおもし、もしそんなことがあったらばとかんがえたが、霊魂れいこん不死ふしは、なにやらかれにはのぞましくなかった。そうしてそのかんがえはただ一瞬間しゅんかんにしてえた。昨日きのうんだ書中しょちゅううつくしい鹿しかむれが、自分じぶんそばとおってったようにかれにはえた。こんどは農婦ひゃくしょうおんな書留かきとめ郵便ゆうびんって、それを自分じぶん突出つきだした。なにかミハイル、アウエリヤヌイチがうたのであるが、すぐみな掻消かききえてしまった。かくてアンドレイ、エヒミチは永刧えいごうめぬねむりにはいた。
 下男共げなんどもて、かれ手足てあしり、小聖堂こせいどうはこったが、かれいまだめいせずして、死骸むくろだいうえ横臥よこたわっている。ってつき影暗かげくらかれてらした。翌朝よくちょうセルゲイ、セルゲイチはここにて、熱心ねっしんに十字架じかむかって祈祷きとうささげ、自分等じぶんらさき院長いんちょうたりしひとわしたのであった。
 一にちて、アンドレイ、エヒミチは埋葬まいそうされた。その祈祷式きとうしきあずかったのは、ただミハイル、アウエリヤヌイチと、ダリュシカとで。





底本:「明治文學全集 82 明治女流文學集(二)」筑摩書房
   1965(昭和40)年12月10日発行
   1989(平成元)年2月20日初版第5刷発行
底本の親本:「露国文豪 チエホフ傑作集」獅子吼書房
   1908(明治41)年10月
初出:「文藝界」
   1906(明治39)年4月
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
「此の」は「この」、「又」は「また」、「於て」は「おいて」、「毎も」は「いつも」、「何処」は「どこ」、「恁う」は「こう」、「其」は「その」または「それ」、「是」は「これ」または「ここ」、「丈」は「だけ」、「計り」は「ばかり」、「凝と」は「じっと」、「為た」は「した」、「些し」は「すこし」、「為て」は「して」、「然し」は「しかし」、「猶且」は「やはり」、「其れ」は「それ」、「事」は「こと」、「左に右」は「とにかく」、「儘」は「まま」、「而して」は「そうして」、「了う」は「しまう」、「呉れ」は「くれ」、「悉皆」は「すっかり」、「有った」は「あった」、「恁く」は「かく」、「唯」は「ただ」、「可い」は「いい」または「よい」、「有って」は「あって」または「もって」、「先ず」は「まず」、「施て」は「やがて」、「然るに」は「しかるに」、「此度」は「こんど」、「亦」は「また」、「了った」は「しまった」、「此」は「ここ」または「かく」、「初中終」は「しょっちゅう」、「往々」は「まま」、「居る」は「いる」または「おる」、「是等」は「これら」、「為なければ」は「しなければ」、「抔」は「など」、「偖」は「さて」、「有る」は「ある」、「屡※(二の字点、1-2-22)」は「しばしば」、「縦令」は「よし」または「たとい」または「よしんば」、「屹度」は「きっと」、「奈何」は「どう」または「いかん」または「いか」、「不好」は「いや」、「為ぬ」は「せぬ」、「有り」は「あり」、「抑も」は「そもそも」、「有たぬ」は「もたぬ」、「這麼」は「こんな」、「此れ」は「これ」、「若し」は「もし」、「那様」は「そんな」、「愈々」は「いよいよ」、「全然」は「すっかり」または「まるきり」または「まるで」、「猶」は「なお」、「密と」は「そっと」、「那麼」は「あんな」または「こんな」、「乃」は「そこで」、「然」は「そう」または「しかし」、「未だ」は「まだ」または「いまだ」、「然う」は「そう」、「※(「勹<夕」、第3水準1-14-76)卒」は「いきなり」、「有ゆる」は「あらゆる」、「些と」は「ちょっと」、「恰で」は「まるで」、「丈け」は「だけ」、「迄」は「まで」、「宛然」は「まるで」または「さながら」、「猶更」は「なおさら」、「為ねば」は「せねば」、「恁る」は「かかる」、「且つ」は「かつ」、「只管」は「ひたすら」、「茲」は「ここ」、「若」は「もし」、「切て」は「せめて」、「可く」は「よく」、「好く」は「よく」、「全然で」は「まるで」、「此所」は「ここ」、「度い」は「たい」、「毎」は「いつも」、「為よう」は「しよう」、「好い」は「いい」または「よい」、「已」は「すで」、「依然」は「やはり」、「尤も」は「もっとも」、「如何」は「どう」、「而て」は「して」、「然れども」は「けれども」、「唯だ」は「ただ」、「此方」は「このかた」、「度く」は「たく」、「嘗つて」は「かつて」、「其処」は「そこら」または「そこ」、「此処」は「ここ」、「居って」は「おって」、「甚麼」は「どんな」、「可かろう」は「よかろう」、「居らん」は「おらん」、「畢竟」は「つまり」、「可けません」は「いけません」、「最と」は「いと」、「仮令」は「たとい」、「之れ」は「これ」、「嘗て」は「かつて」、「何卒」は「どうぞ」または「どうか」、「仕よう」は「しよう」、「何方」は「どちら」、「居り」は「おり」、「為ない」は「しない」、「然らば」は「しからば」、「抑」は「そもそも」、「那」は「あれ」または「ああ」、「益※(二の字点、1-2-22)」は「ますます」、「有つ」は「もつ」、「仕て」は「して」、「仕ない」はしない」、「丁と」は「ちゃんと」、「左右」は「とかく」、「居らぬ」は「おらぬ」、「未」は「いまだ」、「少時」は「すこし」または「しばし」または「しばらく」、「匆卒」は「いきなり」または「ゆきなり」、「暫」は「やや」、「然り」は「さり」、「態々」は「わざわざ」、「沁々」は「しみじみ」、「左様」は「そう」、「夫れ」は「それ」、「為ず」は「せず」、「其辺」は「そこら」、「彼方此方」は「あちこち」、「有繋」は「さすが」、「可かん」は「いかん」、「好し」は「よし」、「度」は「たい」、「復」は「また」、「計」は「ばかり」、「况して」は「まして」、「苟も」は「いやしくも」、「那方」は「むこう」、「些と」は「ちと」、「頓に」は「とみに」、「那裏」は「むこう」に、置き換えました。
※「[#「丿+臣+頁」]は、「頤」に書き換えました。
※「[#「抜」の「友」に代えて「ノ/友」]」は「抜」に書き換えました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「理窟」と「理屈」、「踏」と「蹈」、「匆」と「※(「勹<夕」、第3水準1-14-76)」の混在は底本通りです。
※仮名表記と繰り返し記号の使い方の揺れは、底本通りです。
入力:阿部哲也
校正:米田
2011年1月20日作成
2011年3月6日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について

「箆」の「竹かんむり」に代えて「くさかんむり」    42-上-12
「口+斗」、U+544C    47-上-10、51-下-12、53-上-13、53-上-15、60-上-5、60-上-11、60-上-15、63-下-12、64-上-6、64-下-3、64-下-18
  


●図書カード