春泥

『白鳳』第一部

神西清




 大海人おおしあまは今日も朝から猟だつた。午ちかく、どこではぐれたのか伴の者もつれず、一人でふらりと帰つてくると、宮前の橿かしの木のしたで赤駒の歩みをとめた。
 舎人とねりの小黒が、あわてて駈けだしてきて、手綱をおさへる。そして何か言つた。
「ほう、嶋が? 多治比たじひノ嶋が来てゐるのか?」
 大海人は、よくかげ口をきかれる例の神鳴り声を、小黒の禿げ頭のてつぺんへ浴びせかけると、ゆらりと地上へおり立つた。おそるおそる、といふよりは反射的に、両手をさしのべたもう一人の舎人に、まづ弓をわたす。それから肩のヤナグヒを解いてわたす。例によつて獲物はないから、ほかには何も渡すものはない。
 それなり、泥のだいぶはねかかつた行籘むかばきを、人一倍ながい脛で蹴たてるやうにしながら、宮殿の廻廊をまはつて大海人はすがたを消した。
 点々と、熊の歩いたやうな泥沓のあとが、柱廊の敷瓦しきがわらのうへにつづいてゐる。その跡を追ふやうに、中途までついて来た舎人の小黒は、黒ぐろとしたその泥の色から、ふと春の香をかいだやうに思つた。
 ことしはこの飛鳥の内そとにも、めづらしく雪が多かつた。殊につい十日ほどまへ、遠智おちの岡ノ上に新たにおこされたミササギに、宝ノ太后おおきさきと、間人はしひと先后さきのきさきと大田ノ皇女ひめみこと、――この親子三代のなきがらを合はせ葬つた日は、夜来の雪が日ねもす野山をこめて降りしきり、夜ふけてからは吹雪にさへなつて、これは何かの前兆ではあるまいかと、心ある人の胸をさわがせたほどの大雪だつた。
 その雪がいま溶けるのである。さう言へば三月の声をきいて、はや四日たつ。例年ならば神奈備の杉むらがくれに、ちらほら花もまじらうといふ時分なのだが、今年はまだまだ、斑雪はだれの方がはばを利かせてゐる始末だ。この分では、北ぐにはまだ雪のなかだらう。近江の国もずつと北寄りの、伊香古の奥から召されてきた小黒の心に、ふつと古里の雪の深さがかげるのである。
 だが、おくれたといつても春は春だ。今しがた大海人の泥ぐつから落ち散つたばかりの、この黒光りのする、大きいまた小さい、ねつとりと水気をふくんだ、さながら湯気の立ちさうにゆたかな土くれの色。それは、やがてその黒にまじる若菜のみどりを思はせ、さくりと入れる鍬の先の、ひとりでに地面へ吸ひこまれるやうな、あの手ごたへを思ひださせる。それはまた、野べに立つ陽炎を、うつすらと紅い花のかすみを聯想させる。……
 それにしても、ことしの花はどこで眺めることになるものやら。筑紫の朝倉ノ宮から、宝ノ太后が悲しいなきがらになつて、この飛鳥へ還つて来られたのは、つい五年ほど前のことである。その前の代は、十年といふ長い歳月を、都は難波の長柄ながらへうつされたままであつた。かうして都が飛鳥にもどつたのは、なんだか恐ろしく久しぶりなことのやうな気さへするほどだつたが、それ以来五年あまり、だんだん様子を見てゐると、どうやらこれは都がへりではなくて、さる口軽な男がたくみに童謡わざうたにうたひこんだやうに、ただの「柩がへり」だつたやうにも思はれてくる。つまり、執政ノ皇子にしてみれば、母后、妹の宮、一の皇女と、わづか三年のうちに三つも重なつた血をわけた亡骸を、古京の土に葬るための時を待つ、ほんの仮の宿りのやうな気持がされるのである。
 論より証拠、かうして柩とともに還つて来られても、新たな宮居を造られるやうな気配はない。それのみか、み位を嗣がれる様子も一向にみえない。相かはらずの太子・中ノ大兄おいねとして、かつて母后の住まはれたのちノ飛鳥ノ岡本の故宮ふるみやで済ましてをられる。その一方ミササギの造営はしきりに督促され、役夫三千あるひは五千ともいはれながら、牛の歩みのやうにさつぱり捗らない。この牛の歩みの裏には、何かしらもやもやした空気が感じられる。つい十二三年まへに、その岡本ノ宮をいとなまれた次手に、多武たむノ峯のうへに石垣をめぐらした観台たかどのをおこさうとされて、香具山の西からはるばるいそかみの山まで運河を切りひらき、舟二百隻に石材をつんで宮の山すそまで運んで来させた折にも、民の反感は相当なものであつた。その運河を、「きちがい溝」と呼んだ人もある。「石の丘なんかいくら築かうと、築くはしから崩れるさ」と、憎まれ口を叩いた男もある。もちろん今度は、相手がちがつて陵墓だから、さうあけすけに悪口をいふ者はない。その代り、妙に内にくすぶつた敵意が感じられる。それはひよつとすると、敵意ではなくて不安なのかもしれない。ミササギをおこすこと自体に逆らはうといふのではない。工事の終つたあとに来ようとしてゐるものへの漠然とした、しかもしだいに強まる不安がそれである。
 そんな空気が、なにせ工事の現場がさほど遠くはない上に、れいのやまとあやあたいのやからとは平ぜい往来の頻繁なこの宮の舎人をつとめてゐるだけに尚さら、小黒の胸にはひしひしと感じられるのだつた。
 だんだん強まる妙にあぢけない予感は、二年ほど前から近江のうみべりに新たに工を起された宮居の進捗しんちょくぶりや規模などについての情報が、しだいにはつきりした形をとりつつ飛鳥のうちに弘まるにつれて、やがてはもはや動かすべからざる実感として、人びとの胸をみだしはじめた。ねがはくは離宮であつてくれ――とひそかに念じたのも、結局はそら頼みだつた。さうかうするうちに去年の暮ちかく、飛鳥の鼠が群れをなして近江をさして移つた。実際にその大群を見たと名のり出た者はさすがになかつたが、奈良山の深い雪のおもてに夥しい鼠の足あとの列なりを見て来たといふ者なら、そのころ旅に出てゐた者の十中の九までがさうだつた。
 この前、都が難波へ移されて、大化のみことのりの下つたその年の末にも、越ノ国の鼠が夜ひるぶつとほしで東へ向けて移つたといはれた。その難波の帝が亡くなつて、いよいよ都が飛鳥へ返らうといふ年の元旦にも、難波の鼠は大挙して大和へ引つこしをした。民のうちに誰一人その移る流れを見たものはないにしても、少なくも或る人の双の眼だけには、それははつきりと映つてゐたのである。その両眼は同時にまた、鼠の移動が民の心へもたらす反応をも、幕のかげから人知れずじつと見守つてゐる鋭い眼でもあつたのだ。
 もはや敵すべからざる運命の手を、人びとは見なければならなかつた。つひにミササギも出来あがつて、三人の貴女のなきがらは、降りつむ雪の覆ひのもとに、しづかに葬られた。
 さうして春が来たのである。春はおなじ春でも。その呼びさます胸のときめきは、何やらあわただしい、にがい味があつた。……

    *

 宮殿の舞戸がぎいときしんだ音に、多治比ノ嶋はあわてて座をたつた。窓ぎはの日だまりで、あやふく舟を漕ぎかけてゐたらしい。そして入口の垂れ絹をおしのけて、ぬつと現はれた大海人のすがたを見ると、
「ああ、皇子みこ……」
と低くつぶやいて、うやうやしく唐式の立礼をした。うやうやしいと云つても、いかにも物馴れた身のこなしで、ぎごちないところはみじんもない。
 嶋は冠位こそまだ大錦下だいきんげを拝したばかりの式務省の一吏官にすぎなかつたが、白雉はくち五年の遣唐使随員のうちに加へられ、したしくその肺に洛陽の空気を吸つて来た男である。年のころは四十を四つ五つ越してもゐようが、珍らしく髯を蓄へぬその色白の顔は、つやつやして未だに青年の血色が失せてゐない。大海人は四五年まへ、蘇我ノ安麻呂の別宅びらきの宴の席でこの男を目にとめたのだつたが、それ以来ちよいちよい呼んで向ふの人情風俗の話などをさせてみるうち、もちろん韓人からびととまであだ名されてゐるほどの中ノ大兄の廷臣ではあり、しかもまだ若いころの眼であたかも興隆期さなかの唐の文運を見て来たのであつてみれば、そこに免るべからざる陶酔もあらうし、また追憶による実体の粉飾がはたらきもしようが、それでゐて、案外に勘どころをちやんとつかんで逃さぬ一種きびきびした批判のひらめきにも乏しくはなく、それが時たまは兄宮の痛いところへちくりと触れる巧まざる皮肉を形づくるに至つては、大海人としては愈々面白いばかりではなく、却つてこちらの眼のウツバリまでが取払はれるやうな気もされるのだつた。はじめのうちは、なにか新時代の舞台うらを覗いてみるとでもいつた、やや見くだすやうな好奇心であつたものが、だんだん別の感情によつて押しのけられて、互ひに気ごころも分り心の垣根の外されたこの頃では、他人をまじへぬ席だと二人は殆ど友達のやうな態度を示し合ふのだつた。
 もちろんそれには、年齢の近さといふことも有力な要素だつたらう。大海人はことし四十六になる。だがそればかりではない。多治比ノ嶋の、なかなか皮肉屋でありながらしかも野心家らしい影のすこしも射さぬ明るい真直ぐな人のよさ、なかなか綿密なするどい観察の持主でありながらしかも物ごとの暗い面にばかりこだはらず、たえず何かしら現実の上で秩序なり調和なりを見いだして行かうとする(少なくも思考の上での)ねばりづよさ。さうした善意にもかかはらず、実行の上ではいつも何かしら思ひがけない不運につきまとはれて、まあそれも主に女の問題でだが、ひどく悄気しょげかへつて慰めやうもないほどの意気地なさ。――ざつとそんな風の、何から何まで自分を裏がへしにしたやうな性格でありながら、ではまるつきりなんの共通点もないのかといふと一概にさうとばかりも言ひきれず、なるほど表面にあらはれて結晶してゐる一つ一つの性癖なり慣習なりを取りあげてみれば、をかしいくらゐ正反対なのだが、それらが発生した母胎でありまた現にそれらを支へてゐる土台でもあるところの、どろどろした無定形の、いはば「性格の熔岩」とでも名づくべき大元のところは、他人の空似どころか、おやつと思ふほど瓜二つなのだつた。自分の姿を池の水にうつしてみれば、右の眉は左がはにあり、しかも微かな風のそよぎにつれて面影はひつきりなしに崩れたり歪んだりするのだけれど、そこをじつと見極めてみれば、やはり何といつても自分の顔には相違ない、――まづさう云つた驚きの気持が、この二人の不平児のあひだの不思議な友情を成りたたせ、かつ絶えずそれを保たせてゐるものにちがひなかつた。
「嶋か。しばらく逢はなかつたな。」
 大海人は大股にあゆみ寄つてくると、窓ぎはの紫檀の椅子にずしりと尻をおろし、その拍子にだいぶ前からぐらぐらになつてゐた腕木の一本が抜けて、からりと床へ落ちたのには毎度のことだから取り合はず、かと云つて客の顔色へちらりと横眼を走らせて用向きを読みとるといつた貴人によくある癖を発揮するでもなしに、さも面倒くささうにムカバキの紐をときはじめた。
 ムカバキが解けて落ちると、いい加減よれよれになつた麁布あらたえ[#「麁布あらたえの」は底本では「鹿布あらたえの」]括緒くくりお袴があらはれる。そこへ小黒が黒い上沓をもつてはいつてくる。両足をつきだして履きかへさせながら、大海人は両の袴をまくりあげて長い脛をぼりぼり掻きだした。
 長いだけではない。骨太で、しかももの凄い毛脛けずねである。伸ばしたら二寸はあらうと思はれる真黒な太い毛が、脛骨の峯をさかひに渦を巻きながらひしめき合つてゐる。立派に行者ぐらゐは勤まりさうな脚である。それとも、いざとなつたらその名のごとく海人あまのたつきにも堪へようし、杣人の暮らしなんぞはお茶の子に相違あるまい。いはゆる天孫族にはめづらしい毛深さ骨太さであるが、これもひよつとすると、母后の筋をとほして、稻目ノ大臣の壮んな血が何代目かに蘇つてゐるのかもしれない。
「いや、ひどく汗を掻かしをつた、あの山兎のやつめが……」
「して、なん匹お仕止めになりました?」
と、多治比ノ嶋が笑ひをおさへながら聞く。
「ははは、きれいにみんな逃げられた。春さきの山兎は采女うねめをねらふほどに難かしいな。……あんまり業腹だから、帰りに放ち飼の黒いのこを一匹しとめようかと思つたが、まづまづと腹の虫をおさへて来た。またあのあやあたいどもがうるさく言ふからなあ。」
 その実、大海人が若いころから騎射にかけては無双の名手であることは、朝廷の内そとに誰ひとり知らぬ者はない。それかといつて、近ごろ猟に出るごとに兎一匹鴨一羽ぶらさげて帰つてきた例しのないことも、やはり動かすべからざる事実に相違なかつた。「大海人ノ皇子みこも腕がにぶられた」と、もつぱらの評判である。はたして腕が落ちたのか、それとも何か気の散ることがあつて、肝じんの刹那に手もとが狂ふのか、そこのところは誰にも分らない。嶋にしたところで分らない。ただ嶋は、この皇子に親近してゐるだけあつて、ひよつとするとこれは気が散るのでも腕が落ちたのでもなくて、逆にある綿密なおもんばかりから出たことかも知れない、だとするとこの皇子もなかなか隅に置けないわいとひとひねり首をひねるところがまあ一日の長といふものである。尤もこれはいかにも嶋らしい思ひすごしかも知れなかつたが、とにかく大和朝廷における大海人の微妙な位置から考へれば、何か一つこの辺で自己をくらます手を打つて置くだけの必要は、おぼろげながら感じられたのである。
 いや、おぼろげどころか、その必要は日ましにはつきりした形をとりはじめてさへゐるのだ。嶋は一つ二つ気がかりなことを耳にはさんで、それを自分の心ひとつにじつと包んで置くわけに行かず、かうして最前から皇子の帰りを待つてゐたのである。
 ただ大海人の態度には、さつきこの宮殿へはいつて来て、ぎろりと真ともに嶋の顔を一瞥した瞬間から、なにか相手に都合のいいきつかけを作らせないもののあるのが、敏感な嶋の心にひびいてゐる。
『もしやこれは、もう何もかもご存じなのではあるまいか?』と嶋は思ひ、とにかく相手の出方をしばらくは観察することに肚をきめた。
「いやなに、嶋よ、今日はもともと兎や鴨を射ちに出かけたのではなかつたのだ。……」
 しばらく黙りこんでゐた大海人が、やがてぽつりと言つた。嶋はぎよつとした。しかしそれはまつたく別の話であつた。

    *

「おれは今日も、あの遠智の岡を乗りまはして来たのだよ。今日も、と言つたのは、じつは昨日も一昨日も同じだつたからだ……」
と、大海人は話しはじめた。ゆつくりと、思ひなしか稍々しめつたやうな声音である。嶋はおもはず目を伏せた。
「おれは一人で、あの岡を乗りまはして来た。ミササギのほとりは、深い檜の森におほはれて、雪はあの夜のままの厚さで凍てついてゐた。おれはその雪の上に腰をおろして、長いことじつとしてゐた。静かだつた。時どき雉子きじが啼いてとほつた。その声がおれの胸ぞこへしみわたるやうだつた。……
「そんなに大田の妃が恋しいかと笑ふのか?……さうではない。なるほど大田は気のどくな女だ。二十四の若い身ぞらで、年端もゆかぬ皇子みこ皇女ひめみこを残して世を去るのは、なんとしても辛かつたらうと思ふ。あれは妹媛いろとの菟野とはちがつて、どこか淋しいところのある気の弱い女だつた。おれは中でも、あの大伯おおくの幼い顔を見るたびに、心が痛んでならぬ。あの子は、もちろんお主も知つてのとほり、宝ノ太后おばばが西へ征かれた途中の海路うなじで、大田が急に産気づいて生みおとした娘だ。その海を大伯ノ海といつた。そこで太后があんな名をつけられた。……大伯は母親に似て、今のうちからもう、どことなく淋しい眉をしてゐる。あの子の幼い眼ざしをじつと眺めてゐると、それどころか、母親よりもなほ一だんと複雑な影さへ射してゐるのに気がつく。あのまなざしには、ひよつとすると大伯の海の蒼さがうつつてゐるのかも知れぬ。いや、その大伯の海に怨みをこめてじつと見入つたときの、母親の眼のひかりが、宿つてゐるのかも知れぬ。
「では、いつたい誰があの子の母親に、海路で産のひもを解かせるやうな真似をしたのだ? そのむごたらしい下手人を、おれは大田が亡せてこのかた一年あまりといふもの、心のなかで空しく尋ねあぐねてきた。それがつい此頃になつて、ほかならぬこのおれ以外の誰でもないことが、やつとはつきり言ひ切れるやうになつた。それぢやあんまり可哀そうだといふなら、おれの身にまとひついてゐる何かしら名ざしやうもない秘かな強い力、そんな魔性の力――なんなら運命とでも宿業しゅくごうとでも、因縁とでも応報とでも、すき勝手な名で呼ぶがいい。しよせんはおれの身を離れてあるものでないことに変りはない。……
「その力が、あの太后おばばの西の征路みゆきに、わざわざ初児を身ごもつてゐる大田を引きずり出したのだ。そしてこのおれを、京の留守役に釘づけにしたのだ。いや、あべこべだ。おれのほかには京の留守居をさせる者はなく、さりとておれほどに物騒な留守居もほかにない――といふ妙にこんがらかつた皮肉な事情が、あの大田の細首に縄をつけてでも、むりやり引きずり出さずにはおかなくしたのだ。身は一つでも中身は二つといふ、なんとこれは調法な人質ではあるまいか。……」
 大海人はそこで言葉を切つた。日にやけてはゐるが、元来はきめのこまかい色白のたちらしい。頬骨の隆起がするどく鼻柱の左右にせまつてゐる。そのおかげでかなり肉の厚い立派な鼻が、ひどく見おとりがする。人いちばい切れの長い眼でありながら、両の眼玉はまるで物に驚いたやうにぐりぐりと剥きだされてゐる。それにふさはしく、房々した真黒な眉が、ほとんど米かみの両の涯まで、ぐいと引つ釣りあがつてゐる。唇はといふと、つい今しがた朱華はねずで染めあげたばかりといつた風に、男にしては些かどぎつすぎる生々しい色をして、黒ぐろと濃い天神ひげのかげに大きく真一文字に結ばれてゐる。――ざつとさういつた工合に、何もかもが桁はづれに大ぶりな皇子の顔は、近々とさし寄つて眺めると、まるでひどく誇張された仮面を見るやうな不気味さを吹きつけずにはゐない。一口につづめて言へば、魁偉かいいな風貌にちがひないのだが、しかもその逞ましさは何かもつと別の、いはば涙もろいものを秘かに含んだ逞ましさである。その太い神経は一条の荒縄ではなしに、ひどく細い絹糸をほとんど無数によりあはせた、さはつてみれば案外に手ざはりの柔かい、強靭な大綱の方に似てゐるかもしれない。
 多治比ノ嶋は、話しやんだ大海人の横顔へそつと目をあげながら、そんなことを考へてゐる。じつはほんの微かながらも感動にゆがんだ顔を、そこに発見しなければなるまいと、ひそかに覚悟してゐたのだが、その期待はみごとにはづれた。嶋が眼前四尺に見いだしたものは、興奮もしてゐない代りには強ひて冷静なのでもない、無感動といふか望洋といふか、要するにあたまも尻尾もつかみどころのない、さながらに生ける仮面だつたのである。
『ひよつとすると、これが帝王の風貌といふものかもしれんな。……』
 嶋はにべもなく期待をはづされて、ちよつと忌々しいやうな気持の下から、ふとさうも思ふ。それにしても同じ腹、おなじたねの皇子でありながら、中ノ大兄とはなんといふ違ひやうであらう。この二皇子のまん中に生まれられたあのお気の毒な間人はしひと皇女ひめみこも、兄宮によく似たやさがたの、聡明さが顔のおもてにはつきりと浮彫りになつてゐるやうなお方だつた。まつたく人間の血すぢといふものは、時どきをかしないたづらを働くものだ。……
 いつまでも大海人が黙つてゐるので、嶋の聯想はもつと先へ伸びていつて、こんどはそのむかし若い頃にえつをたまうたことのある唐の二世皇帝の威容を思ひうかべた。威容を思ひうかべたからといつて、勿論ほんの随員のはしくれにすぎぬ身のかなしさ、陛下に参進したわけでも、ましてや行きずりにせよ龍顔に咫尺しせきしたわけでは尚更なくつて、はるか閤門こうもんの際に跪坐きざして、そつともち上げてみた目蓋のはしに、正面なる太和宮のきざはしと思しいあたりに何やら黄いろい斑点がちらりとしたと感じたその刹那、何千坪とあらうかと思はれる宏大もない内庭を忽然として深い深い海底に化せしめた、あの名状すべからざるものの気配からして、勝手な想像をたくましうしてゐるにすぎなかつた。
『あの二世皇帝は、どうやらこの皇子によく似た方であつたやうな気がするが……』
とまで考へて、その先へごく自然にするすると出て来ようとした次の聯想を、嶋はあわててもみつぶした。
『ばかな! 自分はそのために――、それを押しとどめようが為めばつかりに、わざわざ朝のうちから役所を抜けだして、この宮へ来てゐるのではないか! そして最前から、それを切りだす機会をねらつてゐるのではないか!』と彼はほとんど血相かへて、胸のなかで自分を叱咤しつづけるのだつた。
 風がふと顔をなでた。大海人が立ちあがつたのである。
 嶋は咄嗟に決心がついた。もはや猶予はできぬと思つたのだ。この閑散な午のひと時をのがしたら、機会は永遠に失はれてしまふかもしれない。……
皇子みこ。――じつは申しあげたいことが……」
「まあ待て。今すぐ戻るよ。」
 追ひすがるやうに席を立つて来た嶋の急きこみやうを、大海人はべつに怪しむ風もなく、軽くうけながした。そしてこの人のどこに潜んでゐたかと思はれるほどの敏捷びんしょうな身のこなしで、小さなくぐり戸を押しあけると、その孔から風のやうに出ていつてしまつた。
 すぐまた皇子の姿は、嶋がぼんやり佇んでゐるレンジ窓の外にあらはれ、悠然として右手へ消えた。
『厠かな?』と嶋は思ふ。だがそれにしては方角がちがふ。
 と、その時分になつて嶋の耳にはやうやく、往来を北の方から近づいてくる若者らしい二三人の歌ごゑが聞えはじめた。まだだいぶ遠方らしいが、かなり声高なうたごゑである。節ぶりから察するところ、去年の暮あたりからまた流行りだした例の童謡わざうたと見える。声はだんだん近くなつた。やがてほとんどこの宮の垣の外へさしかかつたと思はれる頃から、窓のなかの嶋にもどうやら文句がたどられはじめた。

………尾上田おのえだヲ 雁雁かりがりくらフ……人逡巡とたわミト
………尾上田ヲ 雁雁ノ喰フ

 そこで歌ごゑが絶えた。聞きなれない歌だ。嶋は小首をかしげ、ふつと顔色をくもらせた。
 しばらくすると、今度はすぐもう垣の外あたりで、次の歌ごゑが手にとるやうに響きはじめた。のど自慢らしく中々いい声である。――

山川ニ 鴛鴦おしフタツ居テ………
たぐク 偶ヘル妹ヲ………
たれニケム………
………………誰カ率ニケム

 この歌なら、嶋にも何やら耳に覚えがあつた。うすらいでゐる記憶を、もどかしく手さぐりするうちに、うた声はそれなりぱつたり絶えて、あたりはもとの静けさに返つてしまつた。
『あれは童謡わざうたではない。…………どうやらあれは…………どうやら…………あ、さうさう! うつかり忘れてゐたわい。あれはまさしく、あの大化五年の変事で、倉山田ノ大臣が斬られた折り、そのおむすめで中大兄ノ皇子のみめになつてをられた造媛みやつこひめが、歎き死にに身まかれた。父を斬つた者の名が、二ツ田ノしおといふと聞かれて、媛は塩だちをされたのであつたな。そのとき、背の皇子のあまりに歎かせらるる有様を見て……あれはその……なんと言つたかな……さう、川原かわらふひとまろ……その満が奉つた歌だつた。……当時はずいぶんと人の口の端にのぼつたものだが、それを今頃になつてわざわざ……あんな不吉な歌を……』
 ここまで考へをたどつて来たところで、はつと胸に来たものがあつた。多治比ノ嶋の気色は一変した。忿怒の朱が、その温厚な顔にたちまち覆ひひろがつたのである。都うつりをそしるならまだしものこと、歌ふに事かいて、あんなことをまで。……
『これで執政ノ皇子みこの名に、また一段とひびがはいる。……いや、巷の声はおそろしいな。……』と、嶋はほとんど声に出してつぶやいた。
 そこへ大海人が戻つてきた。
「許せ。許せ」と寧ろ明るい無造作な調子で、
「おれも近頃は、その巷の声が気にかかるやうになつたよ。これも時世だな。」
『ああ、もう何もかもご存じなのだ。何もかも……』
 嶋はさう胸のなかで絶望的に呟きながら、この天文・遁甲の術にも明るいと取沙汰される為体の知れない皇子の顔を、まぶしさうにふり仰いだ。

    *

 百済くだらわたりの螺鈿らでんの大づくゑに肘をもたせて、鏡ノ夫人おおとじはさつきから、うつらうつらと物思ひにふけつてゐる。
 ここは飛鳥の北につらなる藤原の里、内臣うちつおみ鎌足のむらじの本宅である。三月もいよいよ下旬に入つた午後の陽ざしが、南むきの内庭に満ちあふれた花むらを、あやしたり眠らせたりしてゐる。
 軒につるした丹塗りの籠のなかで、まつ白な鸚鵡が、これもうとうとしてゐるのか、さつきからじつと動かない。
 夫人はつい小半時まへまで、鸚鵡をからかつて遊んでゐた。もちろん珍らしいせゐもある。だがその一方には、何かしらのんびりしすぎてゐるやうな、何かしら物足りないやうな、――いはばまあ閑に責めたてられでもするやうな妙な気分が、はたらいてゐないとは言はれない。で、つい鸚鵡でもからかつてみたくなる。相手にされて向ふははしやぎ出す。つい面白くなる。やがて夢中になる。そのうちにこつちが疲れて、だんだん興ざめな、ばかばかしい気がしてくる。果てはすつかり白けた気持で、螺鈿の卓にもたれかかつて、あてどもない物思ひがはじまる。……
 鏡ノ夫人はそもそもの今日の起きぬけから、そんなことばかり繰り返してゐるのだ。
 南の簀子すのこへ出て、すこし爪さき立ち気味にしてみると、築地ついじごしに岡本ノ宮のあたりが、まるで手にとるやうに見渡される。ここ五日ほどの間といふもの、あの宮門から北へ香久山のふもとをめぐる道すぢは、織るやうな人馬の往き来が、明け方から夕暮ちかくまで絶えなかつた。さうしてやうやく昨日の午になつて、その往き来がぱつたり止んだ。止んでみると、まるで嘘のやうである。去つて行つたものが嘘か、あとに残されたがらん洞が嘘なのか。――その見きはめがつくまでにはちよつと年月がかかるかも知れない。
 中ノ大兄ノ皇子みこは一ばんしんがりに、昨日の午ちかく立つて行かれた。あとはあのお宮の中には鼠一ぴきゐはしない。……いやその鼠が、まつ先に移つていつたといふではないか。……夫人は思はずくすりと笑ふ。卵形をした端正な顔だちである。これでもし両の目蓋のうへに薄つすらとさしてゐる桜色がなかつたら、夫人の顔はさながら玉を刻んだやうな冷めたいものになるだらう。
 夫人が鎌足の正室に迎へられたのは、二十一の歳だつた。数へてみれば、あれからもう十五年ちかい時がたつ。中臣の妻になるまでは、夫人は鏡ノ王女おおきみと呼ばれてゐた。父の王は、なんでも近江の鏡ノ山にゆかりの深い血すぢださうである。しかし王女はその山の名だけを妙になつかしく心に刻んでゐるだけで、あとは何一つ覚えてゐない。いや、はじめから知らせられてゐないやうな気さへする。物ごころのついた頃には、平群へぐり額田部ぬかたべといふ所の、小さな丘のほとりの古びた家で妹と二人、乳母の手で養はれてゐた。ひよつとするとその乳母が、今でも覚えてゐるあの縦じわの深い梅干いろの唇で、父祖みおやの遠い歴史を物語つてくれたのかも知れないけれど、この耳に聞いた覚えもないほどに、きれいに忘れてしまつた。まもなく乳母が死んで、やがて王女は十五の春を迎へた。
 その夏の末ごろから、その額田部のひなびた家へ、しげしげと通つてくる一人の貴公子があつた。ちやうどその同じ夏、二つちがひの妹は、仲に立つて口をきく人があつて、都のさる皇女のもとへ引きとられて行つた。この妹は育つた土地の名にちなんで、額田ぬかた姫王ひめみこと呼ばれた。
 鏡ノ王女は淋しかつた。その淋しさが恋になつた。王女はその貴公子に、つつましい恋をささげた。あとになつて思へば、その貴公子がすなはち執政の太子・中ノ大兄おいねであつた。そのころ都は難波の長柄ながらにあつた。太子は政務の合間を見ては、伊古麻いこまの峠を越えて、はるばる平群へかよつて来られたのである。
 中ノ大兄はそれをもどかしがつた。やがて雪が降れば、伊古麻の峠は越えにくからう。その秋もいよいよ暮れようとする頃、太子は思ひあぐねて、その念ひを一首の歌にこめて送られた。――

いもいえギテ見マシヲ、大和ナル大島ノニ、家モアラマシヲ。

 この大島ノ嶺といふのは、おそらく額田部のほとりにある一帯の台地を指すものと見える。その嶺のうへに自分も家をかまへて、路は雪にうもれても、朝な夕な引きつづいてお前の家なりと打眺めたいものだ……と願はれたものでもあらうか。
 王女のこたへの歌もやがてできた。幼ないながら、素直にすらすらと詠みながしたのである。――

秋山ノしたガクリ、逝ク水ノ吾レコソ益サメ、御念みおもヒヨリハ。

 ……はじめはひどく幼ない。あの時分の自分のわるい癖だつた内気さばかりの出てゐる歌、とばかり思つてゐた。ところが不思議なことに、王女の歳がすすむにつれて、この歌も影に添ふやうにだんだん生長してきた。四十の声をとうに聞いた今になつては、王女はこの歌が一ばん気に入つてゐる。
 やがて明くる年の秋、王女の念ひはやつと叶つて、皇子の宮の片ほとりに起き臥しする身になつた。幸福な三年が夢のやうに流れた。王女は身ごもつた。
 だがその夢の流れは、いつの間にやら一筋ではなくなつてゐた。ほのかな紫いろの流れに、微かながらはつきりと一すぢ、朱華はねずいろの流れがまじつたのである。それが鎌足のしかけて来た恋だつた。……鎌足は五十を越した今になつても、あの頃とちつとも変つてゐない。廷臣として献替けんたいの誠をつくす時もきつとあんな顔つきなのだらうと、つい意地わるなことも考へたくなるほどの、それは律気な、わがままな、へりくだつた、押しのつよい、人の好いねちねちした……それでゐて結局は憎まうにも憎めない恋であつた。
 ある時など、明けやすい夏の夜がもうそろそろ白みだす気配がしても、鎌足はいつかな帰らうとはしなかつた。揺りおこしても揺りおこしても、駄目なのである。たうとう王女は腹を立てて、生まれて初めての啖呵をきつた。夜が明けてからのこのこ出て行かれては、こつちが迷惑します、といふのである。――

玉クシゲおおフヲ安ミ、明ケテ行カバ君ガ名ハアレド、ワガ名シ惜シモ。

 ところが鎌足は、ひきかづいた夜のものの下から、寝ぼけ声をだしてかう答へた。――

玉クシゲ三室ノ山ノ、狭名さなカヅラいねズバ遂ニ、有リカツマジシ。

 ……これを二度ゆつくり繰り返してぐうぐう寝てしまつた。「とても眠らずにはゐられない」といふ歌のこころを、そのまま実行してみせたわけである。その頃は新羅しらぎ百済くだらの使者が立てつづけに来朝して、内臣の役目はなかなか忙しかつた。王女も結局は笑つて恕すほかはなかつた。つまりは敗けたのである。
 そこで腹のなかの子について、太子は妙な賭をもちだされた。もし男だつたらわしの子にする、女だつたら母親ぐるみお前にやる――といふのである。この賭みごとに鎌足の勝ちだつた。と同時に、それは必ずしも太子の敗けだとも言へなかつた。つまり王女の腹からは氷上ひかみいらつめが生まれ、それ以来王女はかうして中臣氏の正室として、鎌足をして後顧こうこの患ひなからしめることに依つて、太子の内政の上にも少なからぬ貢献をしてゐるからである。
 その氷上ノ娘もことしはや十六になる。あいにく母親に似てしまつて、今となつてはその目鼻だちから父親を求めることは手後れである。これも結局は王女の敗けである。いやその負ひ目は、すでに罪もないイラツメの上に転嫁されつつあるのかも知れない。

    *

 物おもひがここまで来たとき、鏡ノ王女はニッと笑つた。口もとが綻びて、水晶のやうな八重歯のさきが、きらりと光る。そこまでは昔のままの王女の笑ひだつたが、八重歯が姿をかくすと同時に、まだ面上に消えやらぬ笑ひの名ごりは、何やらもつと影の深い、謎めいたものを宿す。眉の根も思ひなしか、かすかにひそめられてゐるやうである。
 かといつて、それは決して暗い感じのものではない。影は影でも、あくまで明るい影なのだ。それがつまり、この鏡ノ夫人の笑ひの含む謎の本体でもある。
 その余波もやがて消え失せて、夫人の顔はまたもとの、冷めたいうちにどこかしらほんのりと柔らかみのさした端麗な顔になる。
 今ではもう、その中ノ大兄ノ太子も鎌足も、二人ともこの都のうちにはゐない。太子は昨日たたれたし、鎌足はといふと、例の律気な性分からもう十日も前から、大津の新京にいみやこへ移つて行つてしまつた。氷上ノ娘は夫人の代りに父親の世話をやきに、やはりついて行つてゐる。妹の額田ノ姫王ひめみこも昨日たつて行つてしまつた。じぶんだけは家財の整理がつきかねるといふ口実のもとに、かうしてこのだだつ広い邸に、下の五百重ノ娘と二人で残つてゐる。実は久しぶりで色んな附会ひから解き放たれて、五日でも十日でも、少しのんびりと暮らしてみたいのだ。……
 けれど、残つてゐるのは果して自分たち母娘おやこだけだらうか。大ちがひだ。現にあの丹塗りの籠のなかには、ああして鸚鵡がとまつてゐるではないか。いや、鸚鵡なら、放つておけばおとなしく居眠りをしてゐるかも知れない。ところがその先には、じつと醒めてゐる眼がある。醒めてゐながら、どこを見てゐるのやらさつぱり見当のつかない、薄気味のわるい眼である。その眼の持主が、どういふ口実を設けたものかは知らないが、とにかくちやんとこの土地に居残つてゐる。それから……。鏡ノ夫人の黙想は、この辺りからぐるぐるめぐりはじめて、しだいに烈しい渦巻うずまきになつていつた。
 いや、実は今朝がたから、夫人の思念はその一羽の鸚鵡を中心にして、堂々めぐりをしてゐたのだつた。からかつたり、きたり、疲れて白けた気分になつたり、そんなことを繰り返してゐたのも、つまりは無意識に鸚鵡から逃げ廻りながら、結局そのまはりを別の形で旋回してゐたのに他ならない。ただその渦巻が、今でははつきりと意識のあみに捉へられただけの違ひである。
 その鸚鵡は、たしか五年ほど前、百済くだらの使ひが奉つた一番ひのうちの一羽である。丹塗りの美々しい籠も、たしかその時のものである。それがいつの間にか、妹の額田ノ姫王の手に渡つてゐた。つまり太子が贈り物にされたのである。この美しい生きた贈り物が、いつ太子の手から姫王の手へ引きつがれたものか、それが今になつても夫人にはさつぱり思ひ当る節がないのと同様に、さながらその贈り物の答礼ででもあるかのやうに、姫王の胸に巣くふやはり美しい生ける贈り物が、いつどうした機会に太子の手もとへ送り届けられたものかについても、夫人はうかつながら全く見当がつかないのである。……
 いや、そればかりではない。額田ノ姫王が難波の都へ引きとられていつたのは、十三の歳だつたけれど、それから二年ほどのあひだ顔を見る折りもなくて過ごすうち、姫王がどうしたはずみであの大海人ノ皇子の目にとまり、それがたちまち燃えるやうな恋になり、その恋が宮廷ぢゆうの嫉妬や羨望の的になり、しかもそのうへに、姉王などよりは四五年も早く、十市とおちノ皇女といふ玉のやうな御子となつて実をむすんだか――といふ事のいきさつについても、恐らく鏡ノ王女は一ばん明るくない者の一人なのかも知れなかつた。ばかな姉さん! と、姫王にいつも陰で笑はれてゐるやうな気持が、少なくも若い頃はたえず王女の自負心につきまとつて離れなかつたものである。歌の上でもさうだが、恋にかけても常々後手ばかり引いてゐるやうな気がしたのである。
 それはとにかく、額田ノ姫王との恋は、当時わづかに二十を越えてをられた大海人にとつて、はじめての真剣な恋だつたことは、当時たれしもが認めぬわけには行かない事実だつた。ただその後がどうなつてゐたか、――つまり十市ノ皇女が生長して、中大兄の皇子・大友の妃に迎へられ、やがて葛野ノ王が若い二人のあひだに生まれ、その王がはや七歳になるといふこの二十年のあひだに、姫王と大海人ノ皇子とのあひだがらが、どのやうに微妙な、あるひは秘かな烈しさにみちた変化をけみして行つたか、――十指にあまらうといふ大海人ノ皇子の妃や次妃や夫人たちの間にあつて、姫王の位置がどのやうに移り変つて行つたか、――そのへんの事情に至つては、鏡ノ王女はもとより、かなりの消息通を以て自任する人びとにとつても、到底うかがひ得べくもない秘事にぞくしてゐたのである。
 だがしかし、事実はあくまでも事実である。その事実がつまりあの、丹塗の籠のなかの動かざる白鸚鵡なのだ。
 この鳥籠を、姫王は一昨夜もかなり更けてから、侍女に持たせて自身この邸まで届けて来たのである。そして、自分が大津ノ宮へたつた後で、あの大海人ノ皇子のところへ、なるべくなら目だたぬやうに、こつそり届けて欲しい――といふ頼みなのである。歌の一首も、括り文の一筋もあらうことか、ただそれだけの口上と、あとはこの鳥籠と鸚鵡が一羽ゐるきりなのである。
『今すぐにも、舎人に持たせて届けてしまはうか?……だが何といつて? 黙つて渡したのでは、皇子も思ひ惑はれるかもしれない。それに折角の姫王のこころざしが、無になるやうなことになるかも知れない。……だからどうすればいいのだ?……いつそ一思ひに、このわたしが夕暮にでも届けに行くか。……さうなれば、あの皇子に会ふことになる。会つて、なんと言へばいいのか? ……あの底知れぬ淵でものぞきこむやうな、切れの長いお眼! あのお眼の前でこのわたしが何と言へばいいのか?……』
 この涯しもないめぐりに旋る思念の渦巻のなかから、鏡ノ夫人のうつろな眼には、あの大海人の朱い真一文字の唇が、しだいに形をはつきりさせながら、ぐんぐんと迫つてくるやうに思はれるのであつた。





底本:「雪の宿り 神西清小説セレクション」港の人
   2008(平成20)年10月5日初版第1刷発行
底本の親本:「神西清全集 第3巻」文治堂書店
   1961(昭和36)年10月31日
初出:「新文學」
   1948(昭和23)年1月号
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
※訂正注記にあたっては、底本の親本を参照しました。
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校正:門田裕志、小林繁雄
2012年1月31日作成
2012年3月22日修正
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