地獄

神西清




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しかし、暗闇がそもそも画布なのだ。見覚えのある目つきの亡者どもが、ぼくの眼からほとばしつて、大勢そこに生きてゐる。
――ボオドレール


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 一人の医者が死んだ。それは彼の従姉のつれあひであつた。その男は、左のコメカミに大きな紫斑をにじませて、長い白木の箱に入れられて、鉄の運搬車に載せられて、火葬室の鉄扉へ足を向けて横たはつてゐる。はげしい火気で赤錆びの出た鉄扉がずらりと並んだ中で、ひときは大きいその扉には、特別一等の名誉のために、給仕頭のお四季施よろしく、銀色の唐草模様が絡んでゐる。運搬車の枕もとには、臨時の焼香台が据ゑられて、香煙が機械的に立ち昇つてゐる。紫の衣をきた小柄な老僧が、さつきから黄色い声で経をよんでゐる。それが、ひよいと懐へ手を入れかけて、あわてたやうに左後を振りかへつた。こんどは右後を振りかへつた。そして彼――繁夫をみとめると、手の平を上へ煽ぐやうにした。忘れてゐたのである。繁夫は制服のポケットから、折りたたんだ巻紙をとり出すと、進み出て手渡した。である。
 議論ずきで洒落で、すつ頓狂なところさへある洪天和尚は、さつきいよいよ出棺の間ぎはになつて、偈を失念してゐたことを思ひだした。「こりやあかん、あかん」と、わざと大阪弁で言ひ、診察室へ飛びこんで、あり合せの巻紙にさらさらと書き流した。「火急の際ぢや、ええと何かいい文句はないかいな」と呟いたところを見ると、文句もどうやら有り合せらしいが、墨痕ぼっこん淋漓りんりとしてさすがだつた。書き終へると繁夫に渡して、「君、持つててくれたまへ。このそそつかし屋が、また落すといかんでな」
 繁夫は遺族の後列に戻ると、瓦灯窓に肩をもたせて目を伏せた。経が終つて、偈になる。声が沈んで、話しかけるやうな調子だ。どこかで女のすすりあげる声がした。偈は進んで末段にかかる。

スヤ 明月清風 自己ノ三昧
青山緑水 打成ダジョウ一片
モトオノズカラ地獄ナシ
アニ又 天堂アランヤ
モシ未ダ会セズンバ
山僧ガ提携シ去ルヲ看ヨ……

 洪天さんの右肩が、ぐいとあがる。いきなり抹香をつかむと、パッと香炉へ投げこんだ。飛び散る火花の幻覚が繁夫の眼を射る。間髪をいれず、

木鳩モクキュウ火裡カリニ啼ク。……カアツ

 とたんに繁夫の眼のなかで、火花が炎々たる劫火に変る。炎々と火が燃える。その向うで、洪天さんは小まめな中腰になつて、棺の覗き窓をあけると、畳んだ今の紙をマーガレットの花の上へ押しこんだ。焼香がめぐる。女のすすり泣き。天才教育で有名な中学の制服で、よれよれの黒ネクタイをした長男の透が、神経質な眉をヒクつかせて帰つてくると、つづいて故人の後妻の梅代が、着なれぬ喪服の裾をばくばくさせながら、青ぶくれの顔の眼のふちを真赤に染めて帰つてくる。やがて鉄扉がひらく。運搬車が動きだし、棺が吸ひこまれる。鉄扉がしまり、響き高く錠がおりる。
 それが静寂かと思ふと、さうではなかつた。繁夫はわが耳を疑つた。つい先刻までは、劫火は眼のなかで燃えてゐた。それが今では消えて、こんどは耳の中で轟然ごうぜんと鳴りだしたのである。凄まじい音だつた。まるで火葬場ぜんたいが、唸りだしでもしたやうである。棺が吸ひこまれて錠が鳴つた瞬間、鉄扉の向うで点火された気配はたしかにあつた。だがそれにしても音が大きすぎた。十幾つも左右に並んだほかの鉄扉は、どれもみんなシンと静まり返つて、手で触つてみたわけではないが不思議なほど冷えはててゐた。それが一どきに、みんな点火されたのだらうか。多分そんなことはないだらう。といつて、幻聴では勿論ない。木鳩、火裡ニ啼ク……と、洪天さんは歌ふやうな声で下語した。だが、いま棺のなかで焼けだしてゐる故人が、鳩になつてこんな大きな声を立てるなんて、およそ考へられない。今頃は泰然と坐禅でも組んで、燃えさかる炎の脈を取つてゐるかもしれない。そんな恰好が一ばん似合ひさうな児玉院長だつたと、繁夫は不思議な音のためそろそろ頭痛のしだした頭で考へるのである。
 彼は一ばん後から中庭へ出た。七月末のくるめくやうな炎天だが、空気は黄ばんで重かつた。焼場特有の異臭が、風はあつても澱んでゐるからである。その中で、鳥取県の山奥から急いで出てきた故人の実兄が、夏袴の前をまくつて、椎の樹に小便をしてゐるのが見えた。
 ひろい休憩所の中は、児玉家の一行だけで、へんにガランとしてゐた。洪天さんは早速、紫の衣をぬいで、白無垢の胸をはだけて気ぜはしく扇子を使ひながら、黄色い声で何やらしやべり立てはじめた。相手は仙波といふ、K学院の理事をしてゐる男で、ある国粋団体の相当な顔役だといふ噂である。現に今日の告別式にも、揃ひの黒羽織に肩をいからした学生を十名ほど引率して来て、その代表に壮重な悼詞を長々と読ませ、号令一下、列立焼香の礼を執らせたのはこの人である。K学院と児玉院長との関係が、ただの校医と学校との関係ではないらしいことに、繁夫もうすうす感づかないではなかつた。しかしその底に一たい何があるかは、二十三歳の工科の学生である繁夫の与り知るところではない。無関心といふより、薄気味わるさから来る敬遠であつた。当の仙波氏は、長いこと大陸を放浪して来た人ださうで、その丸々した童顔には、顎の右のところに古い刀疵らしいものがあつた。いつも端然と羽織袴に威儀を正してゐるが、その物腰はむしろ温厚そのもので、手入れのいい薄い口髭と小さな眼のへんに、人懐こい微笑を絶えずただよはせてゐた。声を荒らげて議論する向きの人ではなく、児玉院長にたいしても、聴き役に廻つてゐた。そして、ごく稀に小さな眼をキラリと光らせて、何やら結論めいたことを滑らかな声でぽつりと言ふのである。
 この二人に、小便を済ませて来た故人の実兄が加はつた。この人はまづ絶対に口を利かない。弟とは似もつかない長身で、その謹直な馬面をまつすぐに立てて、いつまでも他人の話をじつと聞いてゐる。分つたのか分らないのか、まつたくの無表情である。笑ひまでが無表情だつた。そんな調子で、一週間でも十日でも泊つてゆく。地方の徳望家で、四五年まへ郡役所が廃止されるまでは、長いこと郡長を勤めてゐた。それで陳情などのため時たま上京してくるのである。山村の水呑百姓の出だが、畜産改良で、一頃はなかなかの羽振りだつた。全盛時代には妾宅が三つもあつたり、島根芸者に入れあげたりしたものださうだ。そこで政界に野心が出た。といふより、その野心は生れつきのものだつたらしい。若い頃、彼は弟の簡治に家業を押しつけて、自分は家を飛び出さうと目論んだところが簡治は百姓ぐらしを嫌ひ抜いて、兄と大喧嘩をした挙句、逆に飛びだしてしまつたのである。そして上京して医者になつた。出奔して来たのだから、もちろん苦学である。その苦学がやつと実を結びだした頃には、兄は立てつづけの選挙の失敗ですつかり財産をすつてしまひ、山奥の郡長でくすぶることになつてゐた。この兄弟の間には、いつか和解が成立してゐたらしい。しかし弟は唯の一度も故郷へ帰つたことがない。
 そんな経歴みたいなことを繁夫が小耳にはさんでゐるのは、時たま従姉の照子が伯母のところに来て、内輪ばなしをするのを聞いてゐたからである。少年時代、繁夫はこの伯母の家に厄介になつてゐたのだ。
「軍縮会議があんなことになつて、若槻さんも財部さんも帰つてみえたが、さてこれで丸く収まりますかな。枢密院は鵜のみにするらしい模様だが、軍方面の不平は相当なものらしいですなあ。こりやあ一荒れ来ずばなるまいと、わしなどもさう思ひますよ。何しろ失業者はふえる一方だし、濱口さんは緊縮々々の一点ばりだし、※(「くさかんむり/孚」、第3水準1-90-90)がひょう地に満つとでも言ひますか、こんな深刻な世情を、わしはこの歳になるまで見たことがない。まるで袋小路みたいなものぢやありませんかな。……」
 洪天和尚が、そんなことを喋つてゐる。仙波氏は「ハア、ハア」と、かしこまつたやうな相槌を打つてゐる。
「そこでな、一雨ざアと来なけりやならんとなると、さしづめ第二のローマ進撃といふことになるが、どうです、そろそろ来年あたりは。……共産党も、をととしにまた昨年と二度の鉄槌ぢや、足も腰も立たんですからな。こんどはあんたがたの番ですわ。児玉院長もしきりに気をもんでゐたが、一体そのローマの進撃は……」
「いやまあ、さう簡単には……」と、白扇を大きく使ひながら、仙波氏は眼を細めて微笑した。
「行かんと仰しやる。しかし、それで済みますかな。われわれ禅家の立場からすると、あのムッソリーニのやり口は、いささか南泉斬猫のきらひもある。なんと言うても、あの際は趙州の方が上手でしてな。けれどな、その後のムッソリーニの施策を見てゐると、こりや児玉院長の受け売りになるが……」あとは一しきりムッソリーニの礼讃になつた。仙波氏は、にやにやしながら聴いてゐる。
 その三人からだいぶ離れて、休憩所の奥まつた席には、梅代をはじめ遺族が黙然もくぜんと坐つてゐる。長男の透が中学の五年生で、あとは長女のサキ子、次男の慎、次女のユキ子、三女のシゲ子。それに梅代の腹で、ことし四つになる末子の晋。さつき焼香のとき、晋は白衣の看護婦に抱かれて棺前へ進んだが、今では母親の膝でおとなしくしてゐる。梅代に似て青くむくんだ顔をして、ひどく動作のにぶい子だ。泣声もほとんど立てない。口を歪ませるだけである。繁夫は透の横に座を占めながら、その孤独な心のすみで、七人の遺族たちを、薄明りのなかの影絵のやうに感じてゐる。
 入口に近い片隅には、万年薬局生の金井を中心とする一団が、言葉すくなに丸テーブルを囲んでゐる。金井は年のころ四十ぐらゐ、疣々いぼいぼだらけの黒い四角な顔に度の強い近眼鏡をかけた、ずんぐりと背の低い男である。それから運転手の柳澤。これはここ十何年といふもの、今にも解体しさうなおんぼろフォードを、院長のため忠実に運転しつづけて来た男である。もつと高級な自家用車へ住み替へる機会は幾らでもあつたのだが、この謹直な男はつひに「節」をまげなかつた。そのうちに世の中が不景気になり、今また院長の死に会つたのである。それに若い看護婦が二人、ハイヤーの運転手が三人。
 要するにそこには、現在の児玉家を内と外から形成してゐる全員が、一応もれなく揃つてゐるのだ。この人たちが、とつぜん中心人物の死に会つて、新たな分解と集合の過程に出発しようとしてゐるのだ。……『この中で、一ばん深い後悔に打たれてゐる人があるとすれば、それは柳澤よりむしろ梅代さんだらうな。この人には女医の資格がある。若いころ、どういふ歴史のあつた人か知らないが、われわれの目の前に現れた時には、人生にたいする興味も人間にたいする愛も、(初めから持つてゐたかどうかは別として)少くもとうの昔にどこかへ置き去りにして来たやうな、まるで不感症の典型みたいな人だつたものな。もしあのままでゐられたら、それが一番よかつた人なのだ。院長の後にしたがつたり、あるひは院長の代理で、あの重たい目蓋の垂れかかつた切れの長い眼に、どんより睡さうな色をたたへて、重病人のカルテを取つたり、さも厭々さうに聴診器を当てがつたり、そんな動作だけ繰返してゐれば、よしんば幸福でないまでも、とにかく不幸ではなかつたはずの人なのだ。いはば生活といふものから動植物的なものの一切を根こぎにして、あとの鉱物質だけで生きてゐるみたいな人だつた。さう。ものうい機械人形。……ところがその人が、三十八にもなつてから、児玉院長の旺盛きはまる生活力に押されて、強引に「生活」の場へ引きずり出された。むりやり後妻に直らされて、おまけにあの生まれつき失語症みたいな子まで産まされてしまつたのだ。悲惨きはまる事故だ。そればかりか、個人の病院としては非常識も甚だしいあの五階建の重苦しい病院と、恐らくその建物の重さの二倍もありさうな莫大な借金までも、背負はされてしまつた上、そこでぽつくり逝かれてしまつたのだ。もちろんその借金は、実際問題としては彼女のものではないだらう。それはあの病院が、結局彼女のものでないのと同じことだ。もしその気になれば、彼女は再び「他人」として、いつでも家を出て行ける。女医の資格は、あの晋を飢ゑさせはしないだらう。だが、それだからと言つて、ふたたび彼女が元の機械人形に還れるものかどうか、それは大いに疑問だ。事故にしろ暴力にしろ、とにかく一たん印された「生活」の爪痕は、何かしら人間的なものへの開眼は、わが子を産むといふ女の体験は、自分もやはり女だつたのだといふ恐らく今さら迷惑でもあり意外でもあつたに違ひない自覚は――引つくるめて言へば欲といふ毒物の強制接種は、さう易々とは彼女に元の冷めたい自由を返してはくれないだらう。気の毒な人だ。あの人の涙は、単なる悲しみの涙とは見えない。後悔の涙といふより、いつそ怨恨の涙だらう。そしてあの表情は、すつかり涸れてゐたと今まで思つてゐた自分の涙嚢から、胆汁のやうににがい涙がしぼり出されるといふ生理自体への驚きと憎悪の表情だ。……』
 繁夫が若い頭のなかで、得手勝手な想念をこねまはしてゐるうちに、風向きが変つたらしく人肌の焼かれる例の異臭が、重たく休憩所のなかに澱みはじめた。梅代が急に咳きこんで、あわててハンカチを口に当てると、座を立つて奥のガラス戸の向うへ消えた。嘔き気がついたのかも知れないな、と繁夫はぼんやり考へた。

 その異様な臭ひは、彼にとつてもちろん今日はじめて嗅ぐ臭ひではない。祖母の火葬へは恐らく連れて行かれなかつただらうが、父の時のことはよく覚えてゐる。別府の病院の、きたならしい畳の上で死んだ父は、曇つた秋の朝、ひと気のない砂丘のかげで焼かれた。火葬場などいつたものではなく、むしろで囲つた小さな掘立小屋であつた。その夕方、長々と斜陽のさす田圃みちを、俥に揺られて骨拾ひに行つた。砂丘のかげの小屋には、母と子と、それに中年の隠亡と、そのほかに誰もゐなかつた。いやもう一つ、ふしぎに崩れずに残つた父の髑髏どくろがあつた。その髑髏を隠亡が、長い火箸のさきで突き崩した。そのとき風が立つて、小屋の莚囲ひのなかから、かすかな異臭を運んできた。父の残り香である。
 十歳の少年にとつて、それがなんの臭ひかを嗅ぎ当てることは、大してむづかしいことではない。けれど父の秘密――あるひは大人の秘密を、そんな形で見せつけられるのは、やりきれない気持だつた。そのうへ少年には、べつの心配もあつた。少年は、母にその臭ひを感づかせたくないと思つた。もしそれが不可能なら、せめてもその臭ひを自分が嗅ぎ当てたことだけでも、母にさとられたくなかつた。……この秘密ずきな少年にとつて幸ひなことに、母はそのとき全くほかのことに気をとられてゐた。母は、父が入れてゐた金歯の数をよく覚えてゐて、どうしても一つ足りないと言ひ張つてゐたのだ。欲ではない。持前の江戸つ児かたぎの意地だつた。そしてたうとう、隠亡が自分の前に掻き寄せてゐた灰の山のなかから、火熱で黒ずんだその最後の金歯を杉箸の先でほじくり出すと、さも誇らしげに高々と持ちあげてみせて、骨壺のなかへ落した。少年は隠亡に恥かしかつた。その羞恥をかくすため、わざと砂丘を登つて海を見るふりをした。曇つた海に、潮鳴りがしてゐた。
 その秋の夕方の記憶は、もう十三年前のことである。それから今日まで、彼は何べんか火葬の臭ひをかぐ機会があつた。わりあひ死者に縁のある少年だつたのだ。荼毘の[#「荼毘の」は底本では「茶毘の」]煙をかぐごとに、少年は心のどこかでかすかに、あの潮鳴りを聞き、潮の匂ひを感じる癖がついてゐた。聖なる記憶などと言つたら嘘になる。むしろその反対だ。十歳の少年にとつて、父は遠い人であつた。少年はあまりにも父を知らなすぎた。その少年に、荼毘の[#「荼毘の」は底本では「茶毘の」]けむりの残り香がはじめて父の生身をさとらせたのだ。そこには、大人の秘密をのぞいた罪の意識がまつはりついてゐたとはいへ、潮の香との結びつきによつて、やはり一種の思慕にちがひなかつた。後悔の苦味のまじつた思慕である。古代の日本人にとつて、海のかなたに思念されるのはははの国だつたと言はれる。繁夫の場合はちがふ。父はもつと近くに、潮鳴りの中に、潮の香のなかに、ただよひ生きてゐた。彼が焼場の臭ひに嫌悪や畏怖を大して感じず、無常感にもほとんど誘はれることがなかつたのは、そんなためであつた。
 ところが今日は、だいぶ様子がちがふ。告別式のあつた日本橋濱町の児玉医院から、繁夫は小さな娘たちや金井と一緒に、柳澤の運転するぼろフォードで葬列の殿しんがりをつとめたのだが、三の輪の車庫をすぎて間もなく、ごみごみした横町へ折れこんだ時から、彼はおびやかすやうな異様な感覚に襲はれつづけたのだ。暗い横町だつた。午後二時の日ざしが烈しければ烈しいほど、ますます暗闇に沈んでゆくやうな町並みだつた。片側からは、すえた野菜の臭ひが、片側からは皮革工場の発散するどす黒い悪臭が、はげしく襲ひかかつてきた。その中を、屠殺場へ曳かれて行くらしい牛の列がだらしなく続く。自動車は立往生する。葬式がばらばらに引離されたすきを見て、わつとばかり乞食の群が車をとり巻く。車の行手に寝ころがつて、ぺろりと舌を吐く半裸の少年。老婆の皺手が、窓の中へ伸びてくる。ハンドルにしがみついて離さない腰巻ひとつの赤毛の女。
「こいつは全然、貧民一揆だ」と、平生にやにやばかりしてゐる万年薬局生の金井が、上ずつた声を出した。「人の弱味につけこみやがつて! いや、柳澤君、何もやつちやいかん。つけ上るばかりだ。それよか、思ひきつてぶつ飛ばすんだ。」
 片手をポケットに入れかけた柳澤は、顔を赤らめてもぢもぢする。『貧民一揆なんていふものぢやない。賤民の組織化された暴動だ』と、繁夫は思つた。こんな光景を、ずつと子供のころ、台北のどこかの町はづれで見たやうな気もした。
 そんな騒ぎが何べんかあつて、車はやつと火葬場の門をくぐつたのだ。その手前で、最後の一団の襲撃を受けたとき、荼毘の[#「荼毘の」は底本では「茶毘の」]異臭が重たくよどんできて、繁夫は嘔気をもよほした。はじめての経験であつた。……
 いつのまにか、休憩所の中はしんとしてゐた。見ると、洪天さんたちの席に梅代が加はつて、ひそひそ話になつてゐた。首をしきりに振りながら、何やらささやき続けてゐるのは洪天さんである。梅代は無表情な上目づかひで、時々そつとうなづいたり、きつぱり首を様に振つたりする。異臭はさつきより薄くなつてゐた。劫火のうなりも耳遠くなつてゐた。『でもやつぱり地獄なのだ』と繁夫は考へる。『どこが?』いま児玉院長の肉体を猛火でつつんでゐる鉄扉の向う側か? げたげた笑ひながら投銭を強請する人々の住むあの暗い横町か? ひそひそ話をしてゐる四人のゐる席か? 影絵のやうに黙つて円陣を作つてゐる遺児たちの周囲か? それとも、この十何年かの間まつたく児玉家の一部をなして来た柳澤や金井たちのゐる場所か? いやそれとも、そもそもこんなことを考へてゐる自分の中がそれなのか?『それとも……』と、繁夫は一座をうつろな眼で見まはしながら、ほとんど声を出してつぶやいた。――『それとも、かつて児玉の家の成員であり、ここ十年あまりの歳月に次々に死んでいつた人たち、その二人、あるひは四人、あるひは六人……その人たちの生がそもそも地獄だつたのか?』
 まつたく意外なほどの鮮明さで、その死者たちが眼のなかの闇に起ちあがつてくるのを繁夫は見た。それとともに、自分の少年時代の思ひがけない断面が、まるで鬼火に照らしだされでもするやうに、次々に現れはじめた。彼は回想の世界へのめりこんで行つた。行手に見知らぬ島々への漂流をひかへてゐる航海者のやうに。……


 赤煉瓦づくりの小ぢんまりした病院。やはり赤煉瓦で組んで、玄関とほとんどすれすれに喰つついてゐる門柱には、古ぼけた木の門標がさがつて、児玉医院と大書してある。低い煉瓦塀に張り出してある看板を見ると、院長は児玉簡治といふ「医師」で、専門は内科・小児科だといふことがわかる。両隣りから二階建ての仕舞家しもたやに挟み打ちにされて、妙にその煉瓦の色が黒ずんで見え、さも窮屈さうに頑張つてゐる恰好である。これが十歳の繁夫が台湾から東京へ舞ひもどつて、はじめて児玉の門をくぐつた時の印象だつた。
 神田上水がお茶の水を過ぎて、柳原河岸にかからうといふ際で、右へ分れてまつすぐ南へ下る掘割ほりわりがある。何といふ名の掘割か知らないが、やがて中洲の裾へそそぐあれである。それに架つてゐる久松橋といふ小さな木の橋、その真正面に明治座があつた。病院はちやうどその明治座の横腹に対してゐるので、なほのこと縮こまつて見えるのだらう。
 乱雑に履物のぬぎ散らかされた玄関をあがると、とつつきが古絨毯を敷きつめた待合室で、逆光線のなかに人影がいつも三つ四つ、うづくまるやうにしてゐる。その光線は、昼間でも電灯をともしてある薬局から、隔ての磨ガラスを透して射すのである。突当りは、ほんの申しわけだけの中庭で、隣家の高塀板塀にさへぎられて、滅多に光はささない。そこに渡り廊下ふうの狭い縁側がついてゐて、その一隅に格子のついた木箱が四つほど積み重ねてあり、ひどい悪臭を放つてゐる。モルモットが飼つてあるのだ。その檻の前をすり抜けるやうにして、患者や来客は便所へ行く。消毒薬の臭ひのこもつた薄くらがりのなかで、少年は便意を失くしてしまふ。見上げると、何に使ふのか大きなガラスの筒が、気味わるく壁にぶら下つてゐる。……はじめのうち少年の印象は、まづそれだけの世界に閉ぢこめられてゐた。妙に印象が強烈なので、その外へは出て行けないのだ。
 蒼白い蒲柳ほりゅうの質で、何かと言へば熱を出す少年は、四谷見附内の伯母の家(そこに少年は母と一緒に寄寓きぐうしてゐた)から、築地両国行の電車で、かなり度々この医院へ通はされた。片道たつぷり一時間はかかる大旅行で、ことに日暮れにかかると、その心細さといつたらない。そんな恐怖も、児玉医院の印象に投影してゐたにちがひない。

 そのうち少年の眼は、だんだん闇に馴れて来た。少年にとつて、義理の従兄といふより恐ろしいお医者さんにすぎない児玉は、その頃はもう四十になつてゐたはずだが、痘痕のある赤ら顔をいつも手入れよくととのへて、白い診察衣すがたで、きちんと廻転椅子に掛けてゐた。おづおづと小椅子にかけると、何やら乱暴な字体で横文字を書いてゐた手をやめて、くるりと向き直り、「相変らず色が蒼いなあ」と、にこりともせずに言ふ。そして必ず丸匙を取りあげて、「ああんしてごらん」と来る。咽喉をぐるぐるつと塗られて、うがひをさせられて、はふはふの体で逃げだす診察室の白壁には、便所にさがつてゐるのと同じガラスの筒が、いつも置き忘れられたやうに下つてゐた。
 逃げだした少年が、まづ見いだした避難先は薬局であつた。どうせ薬をもらつて帰らなければならない、その必要からでもあつた。待合室で、不機嫌に押し黙つてゐる人々にまじつて待つのは、とても堪らない。そこにあるものの一切――新聞でも演芸画報でも、座蒲団でも綿の出た椅子でも、いや空気そのものまでが、病菌でうじやうじやしてゐるやうに思はれた。といつて二階へあがつて、従姉の照子の邪魔をするのも遠慮だつた。照子は小柄で、若く見えたが、年は少年と十七も違ふ。いつも家事や育児に追はれて(彼女には四つを頭に、子供が三人もあつた。近くまた生まれさうだと伯母が言ふのを、少年は小耳にはさんでゐた)、もともとお世辞つ気のない性質のところを、親類の子にまで愛想よく振舞ふわけにいかないことは当然である。時には二階へお茶によんでくれ、学校のことなど問ひかけてくれたりもするのだが、悪意ではないまでも実は上の空であることが、少年にはよく感じられた。赤ん坊を膝に抱いたまま、算盤をはじきだしたりする。少年は気づまりで、早々に下へ降りてきてしまふのだつた。さうなると、身の置きどころは薬局のほかにはない。
 薬局の主は薬局生の金井である。国から院長が引取つて医学校へ通はせてゐる甥の志郎も、たまには調剤の手伝ひをしてゐた。これは父親の児玉市太郎に似て馬面で、色が白く、羊みたいな眼に強度の近眼鏡をかけてゐる。顎のせりだしてゐるところは、その頃はやつた北澤楽天のポンチ絵の甘郎そつくりだつた。頓狂なことを言ひだして、みんなを笑はせるのが得意である。が、これも昼間は大概ゐないので、患者が立てこむと金井は大そう忙しい。それで少年がはいつて行つて、隅つこで少年雑誌を読んだり、毒薬と黒く貼札のしてある、鍵のついたガラス棚や、劇薬といふ威嚇的な貼札の向うに並べてある薬瓶の列を、こはごは覗いて見たりしてゐるやうな時には、乳鉢をる仕事や、調剤の終つた散薬を薬包紙に等分に分ける仕事を、少年に頼むことがあつた。この仕事は少年をよろこばせた。大人に信頼されるといふことは、なんと素晴らしいことだらう。ひよつとすると金井は、この世の中で繁夫を信用してくれた最初の、そして最後の人なのかも知れない。金井は、なかなかいい坊つちやんだと褒め、御褒美にサッカリンとクエン酸とで旨い飲物を作つてくれたりした。そして自分でも、さも旨さうに眼を細めて飲んだ。「ないしよ、ないしよ」と言ひながら。疣蛙とあだ名のついてゐるこの好人物に、少年は好感をもつた。
 それと反対に、中川といふ若い看護婦は、少年は初めから虫が好かなかつた。ぷつくりふくらんだ、透きとほるやうな桜色の頬をしてゐる。それは目じりの垂れた甘つたるい眼がついてゐる。そのくせ、ひどく傲慢で、ひどく突慳貪つっけんどんだ。夜など、タオルの寝巻を着たまま、そのへんを歩き廻つたりする。院長が留守だと、診察室の瓦斯ストーヴを一ぱいに点けて、高々と脚を組みながら、演芸画報のページを唾をつけてめくつてゐたりもする。髪はいつもばさばさだが、すれ違ふと強い西洋香油の匂ひがする。……ある時、少年は薬局で金井の手伝ひをしてゐるうちに、さつき診察室の隅の小椅子に、風呂敷包みを忘れてきたのに気がついた。少年は廊下へ出て、診察室のガラスの引戸をあけて、首をさし入れた。すると中川が、あわてたやうに幕のかげから顔を出して、少年の前に立ちふさがるやうに飛び出して来た。
「いけませんわ、今いらしちや!」と彼女は言つた。その顔には、明らかに卑しい侮蔑の色があつた。
「あの包、取つて」と少年は指した。中川は、ついと風呂敷包みをつまみ上げると、それで少年の胸を押し返して、ぴしやりと引戸をしめた。赤い口をゆがめて、しやくるやうに斜めに上眼を使つた彼女の表情が、ガラス越しに見えた。舌うちをしたらしい。少年は焼けつくやうな屈辱を感じた。しかしその忿怒の隙間から、部屋の中の白いカーテンが半ば引かれ、天井に渡した紐に、謎めいた例のガラスの水筒が釣りあげられて、黒いゴム管を幕の向うに垂らしてゐるのを、すばやく見てとつた。あのカーテンのかげで、何か見てはならないことが行はれてゐるのだ。もちろん少年には、想像の手がかりすらなかつた。けれど、さう思へば中川の表情は「油断のならない子供!」と言つてゐたやうに思ひ返された。それが少年の無念さを二倍にした。
(これは何年かしてのち初めて伯母から聞いた話だが、児玉は内科・小児科を表看板にはしてゐたものの、濱町といふ土地がら、花柳界の得意筋が多かつたらしい。その方の専門なら、すぐ裏の通りに河合といふ老医のやつてゐる浪花病院があるので、児玉は最初は遠慮してゐたのだが、つひに断りきれなくなつて、みすみす河合老医との反目を深める結果に陥つたのだ。…この話をきいたとき繁夫はやつと、待合室の逆光線の中に眼の釣りあがつた、黄ばんだ顔の女客の多かつた理由に思ひ当つた。)
 そのうち少年は、小学の六年生になつた。児玉の家での彼の「行動半径」は、この頃から次第に自由に解き放たれて行つた。いはば大人の世界へ、半ば出入りを許された形である。それには、児玉医院がますます繁昌しだして、盆暮の派手なつき合ひで主婦の手が廻り兼ねるとき、少年が手頃で気の置けない助手として、泊りこみで手伝ひに頼まれるやうになつたといふ事情もあつた。少年の母はそれを、世間に臆しがちな引つこみ思案の少年にとつて、恰好の人生修業の機会だと思つたらしく、反対するどころか、むしろ奨励するやうな態度をとつた。
 照子の気象も、だんだん少年にはのみこめてきた。はじめ不愛想のやうに見えたのも、一つにはさばさばした飾らぬ気象から来るもので、もう一つには、目のまはるやうな日々の忙しさで、一種の放心状態に落ちこみがちだからでもあつた。気象の淡泊さを反映してか、顔だちも決して美人ではないが感じのいい調ひがあつた。もつともそれは、左右のあごが張つて謂はゆるダボハゼであつたり、鼻孔が少しばかり大きすぎたりするところから生じる無邪気な調子をも、計算に入れての話である。一口に言へば、すでに四児の母でありながら、心身ともに女学生気質の抜けきらない人であつた。
 照子が児玉と結婚することになつたについては、面白い挿話がある。彼女は横浜の女学校を出てから、しばらく鶴見あたりの小学校の代用教員をしてゐた。ある風の強い日のこと、照子が運動場に女生徒を集めて徒手体操をやらせてゐたら、校舎の玄関から一人の紳士が出て来て、桜の木のかげに立つて見物しはじめた。よくある参観者か父兄かと思つて、たすきを十文字に勇ましく両腕をむきだして、生徒に型を示したり、駈けまはつて直してやつたりしてゐると、妙なことに、こちらが移動するとその紳士も位置を変へる。桜の幹から幹へと、すばやい大股で移つては、じつと注視してゐる。結局あらゆる角度から自分を観察してゐるとしか思へない。「今日は妙な人が参観に来た。あれは色魔かもしれない」と、照子は帰つてくると母にいひつけた。しばらくして縁談があり、いざ見合になつてみると、それが児玉であつたことが分つた。「顔だけの見合なんかつまらんですからな。人間はやはり動かしてみなくちや」と、児玉はロダンみたいなことを言つたさうである。そして、さすがに医者の目に狂ひはなく、照子は立てつづけに年子を生まさせられたわけだ。「よくまあ、あんな熊襲くまそみたいな人のところへ行く気になつたことねえ」と、親類ぢゆうの小母さん連は、よく照子をからかつた。児玉は痘痕面であるばかりか、顔から手の甲から毛もくじやらだつたのである。「でもよかつたわねえ。あんな働き手は今どき珍らしいもの。」その調子には、成り上り者にたいする士族出の小母さんたちの羨望と軽蔑が半々にひびいてゐた。

 実際この医者は、闘魂と実行力との化物みたいな男であつた。苦労して二流どころの医専を出たのだが、それが日本橋の目抜きの場所に、小粒ながらも、がつしりした地歩を固めるまでの苦心は、たとへ訊かれても笑つて答へない。研究心が強く、理窟つぽく、たえず明日を目ざして生きて行く夢想家肌のところもある。「臨床なんか、さつぱりつまらんものさ。たかが五人や十人の命を、ちよいと延ばしてやるだけでね。医学の本領は、やはり理論医学ですよ。……なに、痛い? まあ癒りたかつたら、少しは我慢するんですな。」そんな憎まれ口を、往診先でも平気で利いた。また患者が注射といふものを気味わるがり、医者仲間もそれに迎合して滅多に使はなかつたころから、彼はどしどし打ちまくるのだつた。注射ずれのしてゐない当時の患者には、それが不思議によく利いた。そんなことから、山師医者と陰口をきく仲間もあつたけれど、こと小児科に関するかぎり、その診断と治療の冴えは、正直のところ仲間に舌を捲かせたらしい。そこらの医者が匙を投げた赤ん坊を担ぎこまれて、みごと回生させたことが屡々しばしばだつたからである。
 子供の診察をする時と、ドイツの医学雑誌を読む時ほど、児玉が真剣な顔つきになることはない。きれいに剃りの当つた巌丈な顎をぐつと引緊め、小さな髭をのせた上唇を無意識に突きだし気味にし、つい今しがたまでは皮肉な笑ひを光らせてゐた金縁眼鏡の向うの眼をきつく伏せ、そのまま五分でも十分でもじつと動かない。子供の方でも、威圧されたやうにおとなしくなる。脈をとりながら、あるひは聴診器をあてながら、中の音そのものをではなく、その向う側にあるものを一心に見つめてゐるやうに感じられた。
「なるほど名医はちがつたものですな」と、ある時そんな様子をはじめて目にした中年の従兄が、自分の息子を診察中の児玉に言つた。華族の二代目であるその従兄は、児玉にはつきりと階級的差別を感じてゐたから、その調子も幾分からかひ気味である。「児玉さんにあつちや、われわれ大人はまるで大根かいもみたいに扱はれる。ぐいと握られて、いきなりブツリと注射だ。」
「まあさうですな」と児玉は、うしろに控へた看護婦に注射の用意を命じながら、にやりと笑つて応酬した。「大人の病気は一向つまらんですよ。もう出来あがつてゐますからね。直らうが直るまいが、どつちみち知れたもんです。ところが子供はちがふ。子供はいつになつても、僕らには恐いですよ。こんなに分らんものはない。」
 そして手を洗ふと、和菓子を所望して、うまさうに二つ三つつまみ、さつさと自動車で帰つて行く。それは中古のフォードで、柳澤といふ運転手もそれと一緒にやとはれて、住込むことになつたのである。柳澤ばかりではない。もうその頃は児玉医院の人口は、少年の目に触れるだけでも相当ふえてゐた。看護婦は二人になつた。志郎は学校を出て、薬局や診察室の辺にふらふらしてゐた。女中も中年の小ぶとりの人が一人ふえて、これは主に子供の世話をした。もう一人、これは通ひであつたが、背の長いセビロ服の男が現れて、づかづか診察室へはいつて来たり、二階の照子の居間へまで出入りしてゐた。長瀬さんと呼ばれてゐたが、どういふ役目の人だか見当がつかなかつた。いつも書類カバンを抱へてゐる。たまには柳澤の自動車に納まつて、悠然とどこかへ出かけて行く。
 だんだん殖えてゆく人口を、ただでさへ手狭な児玉医院の建物が、どんなふうに収容してゐたかは少年にはよく分らなかつた。もつとも、その建物は正面から見れば赤煉瓦の二階家だが、中はふつうの日本家屋で、おまけに表二階と裏二階の二つに分れてゐた。そればかりか、妙なところに中二階みたいな部屋があるかと思ふと、その横にまた三階へ行くらしい階段がついてゐたりした。要するに児玉医院は、その膨脹につれて、だんだん無理な建増しに建増しを重ねていつたのだらう。いかにも日本らしい話である。少年にとつて、今ではもう禁断の区域はないはずであつたが、裏二階の方は看護婦や女中の領分になつてゐるらしいので、行く用もなければ行つたこともない。表の方にしても、彼が自由に立入る範囲は二階の二間――主婦の居間と夫妻の寝室を兼ねた部屋と、その奥にある子供たちの雑居部屋の二つに限られてゐた。中二階や、その上にあるらしい三階の部屋は、まだまだ迷宮のやうな神秘性を保つて、少年にとつて闇黒の世界であつた。
 人口がふえるにつれて、人々の生活様式にも少しづつ変化が現れてゐた。薬局の主はしだいに志郎の役目になり、新しく来たまだ十代らしい見習看護婦が、その助手をつとめた。モルモットや家兎の檻はますますふえて、つひに中庭に屋根をわたして、そこの大部分を占めるやうになり、金井はどうやら飼育係に栄転した模様だつた。「やつ、臭くてたまらん。ほら坊つちやん、ひとつ嗅いでみなさいよ」と金井が奥の傭人食堂(といつても薄べりを敷いた四畳半ほどの日本間なのだが)へ駈けこんで来て、少年の鼻さきへ両手をかざして見せたことがある。臭気より、何より、その手の平が青つぽい汚物にべつとりよごれてゐて、少年は思はず顔をそむけた。相変らず白衣すがたの金井は、そのまま台所から風呂場へ駈けこんで、ざあざあ水道の音を立てはじめた。それでも金井は熱心だつた。「あんなに兎を飼つてどうするつもりだかな。まつたく院長の考へはわからねえ」などと、人の好い顔で愚痴をこぼしながら、それでもせつせと白紙の綴りに何やら書きこんでゐた。小さなガラス片に、プレパラートを作つてゐることもあつた。それを診察室の顕微鏡にかけて見ることもあつた。それが済むと、また暢気な表情にかへつて薬局の隅にとぐろを巻き、相変らずクエン酸とサッカリンで、旨い飲物を少年につくつてくれたりする。
 なかでも一ばん迷惑をかうむつてゐるのは、新参の運転手の柳澤らしく少年には思はれた。児玉が中古とはいへ、小さな個人病院には似合はぬ自動車を買ひこんだのは、だんだん繁忙さを増してくる仕事の能率を上げるためである。ところがその能率が、外から見てゐるとさつぱり上らないのである。朝は宅診だから、柳澤は閑なはずだが、朝早くから起きだして、表廻りの掃除などしてみる。それが生まれつきなのだ。午後一時ごろ、往診の院長を乗せて出てゆく。それつきり夜なかの一時か二時にならなくては帰つて来ない。しかもそれが、患家先がそれほど殖えたわけではなく、自動車のできたのをいいことに、児玉の議論癖が輪をかけて発展したためらしかつた。
 少年が伯母の家に、母と一緒に寄寓してゐることは前にも書いた。その家には私大の文科に通つてゐる従兄――つまり照子の弟もゐた。そのほかに、親類の子供を二人あづかつてゐる。四間しかないその暗い家は、ちよつと託児所みたいな観を呈してゐた。中でも子供ふたりは、さる親類から托されてゐる大切な預りものなので、伯母の心痛も並大抵ではない。ちよつと熱が出ても児玉を呼ぶ。児玉も妻の母の頼みだから、しぶしぶながら自動車を乗りつける。診ると大したこともないのが常である。
「こりやあ、お母さん、いつそどこかの神様へ行つて、虫封じのお守りでも受けてきた方がよささうだ。放つとけばあと二三年もすりや癒るんで、医者の出る幕じやありませんな。」そんなことをづけづけ言ふ。児玉は、その男の児の生まれた環境やいきさつを、よく知つてゐるのである。
 その代り診察がすむと、こんどは従兄をつかまへて長々と議論をはじめる。オイケンといふ名がしきりに飛びだすのを少年は記憶してゐるが、あとは何のことやら見当もつかない。従兄は自然主義と情痴派の合の子みたいな男で、いかにもその通つてゐる私大の学生らしく、わざとすすけた生活をしてゐたが、その従兄に向つて児玉は、さかんに哲学の効能を説いてゐるらしい。「ぼくはね、医者になるよか哲学者になつた方がよかつたのだ。他人の脈をとつてみたところで、生命といふものはつかめんですよ。自分の脈、自分の脈。それにはやはり哲学ですよ。え、文学? 僕だつて自然主義の小説ぐらゐは読んでゐる。あれは君、脈どころか、自分の臍を撫でてゐるやうなものでね。……」
 そこでまたオイケン論が始まるのだ。取次電話で、急病患者のできたことが報らされても、相変らず和菓子をつまみながら、相手がウンと言ふまではねちねち議論をつづけてゐる。やつと三度目の電話で、「やつ、これは失敬々々」と、あわてて鞄をわしづかみにして帰つて行く。これは多かれ少かれ、どこの往診先でも同じことだつたらしい。ただ話題が違ふだけである。
「あの調子ぢや、いまに患者がみんな愛想をつかしてしまひますよ。気をつけなさいよ」と親類の小母さんたちが、照子に忠告する。
「平気よ、そんなこと。却つてお得意がふえるばかりで、迷惑なほどなの」と、照子はさばさばした調子で答へた。
 一時すぎに帰宅すると、それから夜食になる。酒は飲まないから始末はいいが、夜食のあとでまた暫く読書する。金井が上つて来て、モルモットや兎について鹿爪らしく報告する。その金井に明日の指図を与へる。照子はその間、そばの机に出納簿をひらいて算盤をはじいてゐる。もちろん少年は、そんな院長の日常を、たびたびその眼で実見してたわけではない。しかし、活気と睡眠不足と、それにもう一つ、少年にとつて珍らしい下町気分にあふれたその医院の生活は、少年の好奇心をそそるに十分だつた。少年の眼はだんだん開けていつた。迷宮の闇も、一枚々々めくられていつた。


 長男の透は、まだ小学にも上らないのに、ヴァイオリンを習はせられてゐた。四つ五つの頃から物のリズムに敏感な子で、女中が台所で米をといでゐると、よちよちそばへ寄つて来て、両手を腰にあてがひ、一二と三と四と……と拍子をとりだすのである。それが毎朝のことなので、やがて天才だといふことになつた。はじめ騒ぎだしたのは薬局の金井や看護婦の中川であつたが、冗談半分の天才説が児玉院長の耳にとどくと、彼はたちまち真剣になつた。忙しい中を一ヶ月ほど台所へ出張までして、児玉は長男の動作を観察した。その結果、同郷人の息子で戸山学校の軍楽隊に勤務してゐる二十そこそこの小さな下士官が、派手な軍服姿で日曜ごとに通つてくることになつた。
 透は神経質な人なつこい子で、繁夫には殊によくなついてゐた。慕ひ寄る、といつた感じでさへあつた。繁夫の方では、この早熟な「天才児」に何か反撥めいたものを感じる。もちろん嫉妬ではない。どうも生理的な憎悪が撥ね返つてくるのである。慕ひ寄られるといふ感じが、たまらなく厭なのである。繁夫は、早熟なんていふことはもう自分だけで沢山……と信じこんでゐる少年であつた。僕にさはると君の皮膚がよごれるよ、と本気で忠告しかねない少年であつた。彼には、精神的な嫌悪よりも、肉体的な嫌悪の方が何層倍も強かつた。
 児玉の家の中の人たちのうちで、繁夫が先づ最初に強い関心をもつたのは、透の母――つまり従姉の照子であつた。小学六年になつた春休みに、繁夫が濱町へ遊びに行つた時、珍らしく閑さうなのうのうした顔をして、照子は二階の居間で何か雑誌を読んでゐた。子供たちの姿も見えなかつた。繁夫が黙つて片隅に坐つてゐると、照子はふと気づいたやうに、「ああ洋食が食べたくなつたわ。……繁夫さんは何が好き? なんでもいいものを仰しやい」と言つた。少年は赤くなつた。貧しい彼が洋食の名を知つてゐるはずはないし、だいいち御馳走されること自体が、ませた屈辱感を呼びさますのである。「遠慮しなくてもいいのよ」と照子は気軽に言つて、事務机の上の角型の電話のベルを鳴らした。少年は注文される品の名に聴耳を立てた。珍らしい名ばかりで分らなかつた。
 やがて運ばれて来た岡持の中から、ヘギの輪で仕切つて塔のやうに積み重ねられた皿が現はれたとき、少年は恐らく生れて初めての素直な悦びと好奇心を感じた。申し分のない芳香と美味への予感とがそこにあつた。夢は実現されたのだ。少年はちらちら上眼で従姉のフォークやナイフの動きを窺ひながら、まるで勉強のやうに食べるのだつた。彼の視線は時をり、従姉の横顔へも這ひあがつた。いつもの放心したような顔つきで、ゆつくりフォークを口へ運んでゐる。その度に動く白いコメカミに、一すじ静脈が透けて見えるのを少年は発見した。彼は従姉を美しいと思つた。しかし何よりも少年を幸福にしたのは、つひに二人きりの秘密を持つたといふことであつた。
 照子は、ごくたまに、麹町の里にふらりと来ることもあつた。濱町にゐたのではわからないが、さうして麹町の家に来てみると、彼女のふとした身じろぎからも、薬の臭ひがただよつた。医者をわれわれに親しみにくいものにする、あの臭ひである。それは、いつも児玉が発散してゐる臭ひであつた。少年は嫉みを感じた。照子の神聖が汚されたやうな気がするのである。
 彼女が麹町へやつてくるのは、きまつて午すぎで、それは睡眠不足を補ふのが目的だつた。蒼ざめた、疲れきつた顔つきで上つてくる。伯母が、「また眼蓋が二重になつたよ」と言ふ。照子は、「ああ、もうこんな暮し厭になつたわ」と、小声で投げすてるやうに言ふこともある。奥の間に座布団をならべて、大急ぎで横になる。静かな寝息がしはじめる。少年は襖をへだてた隣りの間で、小さな机にかじりつきながら、じつと息をころしてゐる。王女の眠りを護衛してゐる騎士のやうに自分を感じてゐる。
 少年の親類仲間で、春秋の二回、みんなが集まつて親族会といふのをする。大抵は中日前後で、会場は親類のなかの広い邸を持ちまはつたり、郊外の遊園地へ出かけたりする。親類ぢゆうで一ばん長老株の老子爵が、家督を息子に譲つて隠居してから、その老後を慰める気持で始まつた親睦会なのだつた。それほど親類縁者が多いのである。調子のいい時には五十人近くも寄合ふことがある。人中へ出るのが嫌ひで、大抵の親類を小馬鹿にしたり反感をもつたりしてゐる少年ではあつたが、この会にはいつの間にか進んで出るやうになつてゐた。親類が多いから、遠いあるひは近い従姉たちも多い。少年には姉さんどころの少女たちも多い。春見たときは真黒な顔をしてゐた少女が、秋には友禅の袂を重さうにした、見ちがへるやうな澄まし屋になつてゐることもある。しかし何といつても、この集りを賑やかに引立たせてゐるのは、七人ほどの従姉の群であつた。中には虫の好かないのもゐたけれど、少くも五人だけは、あるひは飾り気のない気品で、あるひは杓子形の端麗な顔によつて、あるひは得も言はれぬ会話の抑揚によつて、あるひは滑らかな歩きつきによつて、とりどりに少年の心を惹いてゐた。少年はおぼろげながら、美の階級ともいふべきものをそこに見いだしてゐたのかも知れない。もし階級といつて悪ければ、美の種目とでも言ひ直したらいい。そんな従姉たちが、その日は平生の虚飾をかなぐり棄てて、羽目をはづして騒ぎまはつた。おでんの立食ひに市民の自由を満喫した。だが、さういふ従姉たちに立ちまじると、小柄で女学生じみて、さつぱり見ばえのしない照子が、どういふわけか少年には一ばん大切な人に思はれた。その尊さの感じは、ほとんど肉感的ですらあつた。……
 児玉はと言へば、彼はこの親族会には欠けてはならぬ人気者であつた。しかし彼は一時間とはその席にゐたことがなかつた。黒の背広に縞ズボンといふ職業的服装で彼は、柳澤の運転するぼろフォードに乗つて黒い風のごとくに現れ、また黒い風のごとくに去つて行つた。児玉が姿をあらはすと、中年の男組はにはかに色めき立つて、彼の周囲へ押し寄せた。彼はその囲みの中で盛んに食欲を発揮し、猿のやうな奇声を発して笑ひ、「ほう、まだ生きてゐたんですか」などと毒舌を撒き散らし、金時計を何べんか引き出して眺め、やがて猿みたいな赤い顔になつてそそくさと出かけて行くのだつた。

 少年は中学生になつた。その年の暮から正月へかけて、彼は十日ばかり児玉医院に泊りこんだ。例によつて照子の家計切廻しの助手といふ触込みであつたが、こんどは中学生だといふので信用が増して、半ば秘書役に昇格させられた形だつた。少年は間誤つきもし、いささか得意でもあつた。
 押しつまるにつれて、照子の居間の乱雑さは鋭角的に上昇する一方だつた。奥行きの浅い床の間には、大小とりどりの歳暮の山が築かれる。事務机のそばでは、札束が積みあげられたかと思ふと、みるみるうちに崩されて行く。それがどこから来てどこへ行くのか、少年には想像もつかない。「ほんとに今年はどうかしてゐる!」と、照子は怒つたやうな調子でつぶやいて、いらだたしく算盤の珠を払ふ。コメカミに浮いてゐる青筋が、どきりどきりと脈打つてゐるやうにさへ見える。明治座の若衆が二人がかりで、荒縄でくくり合せた蜜柑箱をかつぎこむ。出会ひがしらに院長が、「やあ」と挨拶してフォードで出かける。
 たださへ手狭な待合室は、時刻によると身動きもできないほど混雑する。ふだんは一つしか使はない薬局の窓口は、今では二つともあいてゐた。一つは薬の受け渡しに使はれ、金魚の目玉みたいな近眼鏡をかけた志郎が主任役で、看護婦の中川が臨時にそれを手伝つてゐた。中川は平生の横着さに似ず、妙にいそいそした身ぶりで、気味の悪いほどバラ色をした太い指を器用にはたらかせてゐた。少年は、薬局と二階のあひだをちよいちよい往復する。もう一つの窓口が金銭の出納口になつて、金井が紙の盆を出し入れしながら、お世辞をふりまいてゐる。その傍に札や銀貨が積もつて行くのを、少年が二階から下りて来て中継ぎするのである。ある晩(もつとも薬局は昼間でも電灯がついてゐたから、時刻ははつきりしないが――)少年は金井が札の勘定に手間どつてゐる間、ふと中川の指のはたらきを見るともなく見てゐたことがある。おそろしいスピードで、ずんぐりしたバラ色の指さきが動き、みるみる薬包紙が畳まれ、角笛みたいに折り重なつてゆく。もちろん少年は、いつぞやの無念な経験以来、この看護婦に一種生理的な反感を抱きつづけてゐる。しかし、昼光色の電灯の光のなかでぴちぴちしてゐるその指の動きには、何か甘つたるい蠱惑こわくのやうなものが感じられた。
「さあ、ぢやこれを願ひますよ」と、そのとき金井が振り向いて言つた。その眼鏡がにぶく光つて、少年の視線の注がれてゐるバラ色の指をちらりと射た――そんな気がした。――少年はあわてて眼をそらした。ところがその拍子に、目尻のさがつた志郎の眼が、やはり中川の指に(いつからか)じつと注がれてゐるのに気がついた。妙な視線のぶつかり合ひであつた。少年は血の気が顔にのぼるのを感じ、金井のにやにや笑ひの下をくぐり抜けるやうに二階へ駈けあがつた。
 白い額に八字皺を寄せて、帳簿と睨めつくらをしてゐた照子は、少年の顔を見ると一枚の葉書を見せて、「ちよつとその返事を書いて頂戴」と言つた。「簡単でいいのよ。」少年は女手らしい走り書きを、どうにか判読して思案しはじめた。どうも今しがたの口惜しさが考への邪魔をする。少年は金井に一こと弁解がしたかつた。それが不可能なことも感じてゐた。同時に、弁解などといふ卑怯なことを考へる自分が一番やり切れなかつた。ペンがぶるぶるふるへた。やせ我慢をして候文で書きはじめた。文言も、片つぱしから彼の自信を裏切つた。
 その晩、児玉は早目に往診から帰つて来て、居間の障子をがらりとあけると、「やあ、腹がへつた。茶漬を食はしてくれんか」と照子に言ひ、事務机の上からひよいとその葉書をつまみ上げると、片手を外套のポケットに突つこんだまま黙読しはじめた。そして、ひよつと表を返して見、「こりやひどいなあ。誰が書いたのかね」と呟いて、ぽいと放りだした。照子は「さあ?」と無表情に答へて、そのまま座を立つた。……
 その夜、少年は奥の子供部屋の寝床にもぐりこんでからも、なかなか寝つけなかつた。明治座はとうにはねてゐたが、街頭にはまだ熱つぽいどよめきが鈍く渦巻いてゐるのが、窓ガラスごしに感じられた。何か赤黒い河でも流れてゐるやうな気配である。それが次第に鎮まつてゆくと、今度は霜夜の凍てが満ちはじめた。チャルメラの音が、ゆつくり近づいて、ゆつくり遠のいてゆく。それにまじつて小走りに往き来する駒下駄の響きが、急に冴え冴えと聞えはじめる。それが耳について、ますます眠れない。少年は半身を起して、細目に窓のカーテンをあけてみた。橋のたもとのアーク灯の光のなかを、はねを凍らせた蝶々のやうに、白いショールに顎を埋めた芸者衆が現れては消え、現れては消えしてゐた。「なんだらう、あの人たちは?」と少年は思つた。彼は夜具のなかに頭までもぐりこんだが、駒下駄の響きは、なほ小一時間ほど聞えてゐたやうな気がする。

 そんな冷やかな印象のつづいた年末だつたが、暦が変つて正月になると、児玉医院の空気は明るく一変した。伯母の家へ帰つても、少年の母はもうゐなかつた。母は少年を伯母に預けて再縁してゐたのである。少年は強ひて帰ることもなかつた。照子は、それを察したのか、「こんどはうんと盛大にカルタ会をやりませうね。お母さんにはよく言つておくから、もつと泊つてらつしやい」と言つた。「こんどこそ良ちやんに敵をとつてやるから!」良ちやんといふのは彼女の弟の良雄のことである。少年もこの従兄の感化で、カルタ熱は相当に旺盛であつた。
 正式のカルタ会は五日ときまつたが、猛練習は二日の午後から始まつた。負けん気の照子は、大晦日までの疲れをけろりと忘れた顔で、ふだんの女学生気分にかへつた。薬局の連中も稽古の相手に引き出される。近所の患家からも若い連中が押しかける。そのなかに、人形町の下條といふ大きな洋品屋の娘たちもゐた。姉娘は、しなびた地味な顔だちで、とうに女学校を出てゐるのだが、胸が弱いといふので、まだ家でぶらぶらしてゐる。妹の方は丸顔のぱつちりした表情で、鳩が豆鉄砲を喰つたといふ意味だらう、薬局の連中が鳩豆とあだ名をつけてゐた。この姉妹に少年は、去年のカルタ会でも一緒になつたことがある。もともと下町趣味には縁遠い少年は、下町娘にも色んなタイプがあるものだぐらゐの印象を得たにすぎなかつた。
 ところが、ことし一年ぶりで再会してみて、妹娘のめざましい変化に少年は驚いた。牡丹か何か大輪の花が、いきなりパッと開いたやうな感じだつた。めつきり肉づいた幅の広い肩に、虹のやうな羽織がかかつてゐる。眼のふちが、臙脂えんじをさしたやうに紅く、そのせゐか上眼を使ふと、視線が一瞬エメラルド色の光を放つ。まぶしいので、少年はまともに彼女の顔を見たことはない。盗み見の印象である。
 カルタ会の当日は、恒例の徹夜である。二階の居間では、とても全員を収容できないので、そこはAクラスの主戦場になる。Bクラスは奥の子供部屋でやるのである。少年や下條の妹娘は、この組であつた。午後四時ごろからぼつぼつ始まつた源平合戦は、宵が尽きるころまでは華やいだ賑やかさだが、それから先は急に真剣味を帯びてくる。おつきあひ半分の客が引揚げて、あとには「玄人」とみそつかすだけが残るからである。戦場も居間の方に合併されて、子供部屋は選手たちが時どき息抜きに来たり、おりた連中がごろ寝をしたりする控間になる。子供たちは裏二階の女中部屋や三階あたりに寝かされてゐると見えて、宵の口から姿を見せない。児玉院長もその組で、二三べん鮨をつまみに現れて、その都度お愛想ばかりの毒舌を浴びて、ついとどこかへ消えてしまふ。勝負ごとには全然興味がないのである。
 柱時計が二時を打つ。少年は、さつきから続けざまに読み役をやらされ、みんなの血走つた眼つきや、黄色くよどんだ会場の空気にげんなりしたので、子供部屋に引つこんで、火鉢に当りながら本を見てゐる。その本といふのは、本文も二色刷り、それに色刷りの挿絵もふんだんにはいつた大型のアラビアン・ナイトだつた。少年はこの本を大切にしてゐて、どこかへ泊りに行くやうな時には、必ず風呂敷に包んで抱へて出る。まあお守りみたいなものだつた。物語の内容はほとんど空で覚えてしまつてゐるけれど、挿絵をぼんやり眺めてゐると、とても楽しい。臼みたいなターバンを載つけた宮臣や商人たち、鞠のやうにふくらんだズボンをはいた女たち、その足さきの弓なりに反り返つた小さな靴、モスリンの面紗で顔をかくしてゐる貴婦人たち……その一人々々が、背後にみんな妖しい物語を引きずつてゐるのだ。少年はページをひるがへしてゐるうちに、ふとゾベイダの物語にぶつかる。荷担ぎ人夫が、貴婦人の買物をどつさり持たされて、その貴婦人の邸までお伴をする。戸をあけたのは若い女で、背が高く、胸が張つて、羚羊れいようのやうな眼と、新月のやうな眉と、アネモネの花のやうな頬と、スレイマンの封印のやうな唇をしてゐる。このスレイマンの封印といふのが、少年には何のことやら分らないが、それだけ一そう神秘的な感じがする。その両の乳房は、一対の柘榴ざくろのやう。……ところが、やがて後になつて、その女が狂気のやうに自分の衣裳を引裂くと、鞭で打たれたらしい生々しい傷痕が、胸に一ぱいついてゐるのだ。……ただ第二の貴婦人とだけで、名前の書いてないこの女を、少年はもつと先にある別の物語に出てくる王妃の名を借りて、勝手にゾベイダと呼んでゐたのである。少年はこの名の響きが大好きだつた。
 廊下の襖があいて、誰かはいつて来た。少年のそばをすりぬけて、火鉢の真向ひにふはりと坐る。甘い匂ひがただよふ。紫いろのマシマロみたいな匂ひである。少年は顔をあげる機会を失つた。下條の妹娘は懐中鏡を出して、化粧を直しはじめた。マシマロの匂ひが一きは濃くなつて、少年はほとんど窒息感をおぼえる。いや、そればかりではない。何か罪のやうな感じが疼くのである。少年は、今しがたゾベイダの物語を読みながら、知らずこの妹娘を聯想してゐたことに思ひ当る。ゾベイダといふ名が、マシマロのやうに匂つてゐたことに思ひ当る。少年はそつと眼をあげて、大柄な矢絣やがすりの胸もとを盗み見た。息をはずませてゐるのか、大きく波を打つてゐる。『この下に鞭の痕がにじんでゐるのぢやないだらうか?』少年は、ふと考へて慄然りつぜんとする。
「さつきから見えないと思つてたら、こんなところで何か読んでたのね。」
「ううん、僕ただ……」
 懐中鏡をぱちんと閉ぢて、妹娘はじつと少年の眼を見た。エメラルド色が一瞬射るやうに光つた。少年はゐすくみながら、それでも自分の不在に彼女が気づいてゐてくれたことが嬉しい。たとへお愛想にしても、小さな宝石みたいに貴い。
「きれいな本ね、なあにそれ?」
 本を渡す拍子に、指が触れあつた。ひやりとするほど冷たい、すべすべした指だつた。彼女はぞんざいに頁をめくりはじめた。くつついてゐる頁があると、唾をつけてめくる。看護婦の中川のことが少年の念頭をかすめる。少年はひやひやしながら、嫌悪と蠱惑こわくの入りまじつた不思議な感情をもてあます。
「面白さうね。借りてつてもいいでせう?」やがて彼女は、ほとんど断言口調で言つた。「ぢきにお返しするわね。」
 蓮つ葉な彼女の物いひに少年は戸迷ひしながら、魔法にかかつたやうに承知する。小さいころ、鈴のついたお守袋を落した時のことを思ひだす。やがて、不眠と興奮とで黄色くにごつた空気のなかへ、しらじらと朝の光が射しはじめた部屋で、少年は自分の大事なアラビアン・ナイトが、丁寧に畳まれた彼女のコオトやショールと入れ代りに、鹿子絞りの風呂敷に包まれるのを見た。『戻つてくる時には、マシマロの匂ひがしみこんでゐるだらう。……』にがい後悔に噛まれながら、少年はふと考へてみた。
(しかし、この予想ははづれた。本が彼の手にもどつて来たのは、やつと春休みになつてからで、しかも少年の方から恐る恐る催促したのである。妹娘は眼をまんまるにして、「ああ、さうさう。あれまだ返さなかつたわね」と言つた。その翌日、薬局の窓口へ使ひが届けて来たその本は、店のきれいな包装紙にくるんであつたが、中身は見るも惨澹たる有様だつた。表紙の金文字がところどころ剥げてゐるばかりか、茶碗の糸底の痕が二つもついてゐて、クロースの地肌をあらはしてゐた。おまけに表紙にも裏表紙にも、水だか涎だかのこぼれた汚染があり、何やら白いものやら桃色のものが、そこらぢゆうにこびり着いてゐた。これは白粉らしかつた。さはるとべとべとしさうで気味が悪かつた。少年はその本を、天罰の記念に取つて置かうかと思案した記憶があるが、いつのまにか失くしてしまつた。下條の姉娘にも妹娘にも、その後は会つた覚えがない。)

 この辺から繁夫の回想はおぼろになつて、その薄暗がりのなかから、奥村さんの姿だけが浮きあがつてくる。奥村さんといふのは、中年の淋しさうな婦人で、いつも黒つぽい羽織を着た人としてしか思ひ浮ばないところを見ると、少年がこの人を見たのはその年の秋から冬へかけてだつただらうか。いづれにしても、さう長い間のことではなかつた。
 奥村さんが初めて少年の前に姿をあらはした時、その落着きはらつた物腰から見て、もうよほど永らく児玉家に居ついてゐる人のやうな気がした。はじめは薬局や診察室の薄暗い廊下などで、二三度すれちがつた。そのたびに壁ぎはに身を寄せて、静かに道をゆづつてくれるのである。細おもての上品な顔だちで、小さな眼鏡をかけ、いつもうつ向き加減に歩いてゐる。少年は、どういふ人かしらと思つた。従姉にたづねるわけにも行かず、従姉もわざわざ紹介してはくれなかつた。
 季節のわからない或る日のこと、少年は二階の居間で、ひとりぼつちで藤村詩集を読んでゐた。それは児玉の家の小さな本箱の中では唯一の文芸書で、よほど古いものらしく、藤の模様のついた大形な表紙は手垢で薄よごれ、背は両側ともちぎれかかつてゐた。ひよつとすると、従姉が若い頃に愛読した本かも知れない。児玉と藤村詩集では、うつりが悪すぎるからである。それはとにかく、少年が初めて藤村の詩に接したのは、その古ぼけた本によつてであつた。「をとこの気息いきのやはらかき お夏の髪にかかるとき をとこの早きためいきの 霰のごとくはしるとき」とか、「しりたまはずやわがこひは 花鳥はなとりの絵にあらじかし 空鏡かがみ印象かたち砂の文字 梢の風の音にあらじ」とかいふ句が、わけはよくわからないながらも何かしら不安な期待を胸にかきたてる、そんな年齢に少年はなつてゐたのだ。何かあるのだ、何かあるのだ――と、少年は目蓋にかかつたヴェールの向うを、一心に見すかさうとしてゐた。わかることが空恐ろしくもあつた。
 そのとき、「ご免あそばせ」と低い声が廊下でして、障子がそつとあいた。小腰をかがめて部屋をのぞきこんだのは、黒い羽織を着た奥村さんだつた。「おや、坊ちやんお一人?」照子は子供を連れて買物に出かけたと答へると、奥村さんはちよつとためらふ風を見せたが、「では、ちよつとお書類を」とつぶやくやうに言つて、部屋の奥にある書類棚の方へ行つた。手に何か書類の束を持つてゐる。暫く紙をめくる音がして、奥村さんは別の書類らしいものを持つて静かに出て行つた。その時はじめて少年は、奥村さんの起居してゐる場所を意識にのぼせた。中二階へのぼる梯子段が、かすかに鳴つたからである。それを鍵の手にまがると、六畳敷きぐらゐの三階の部屋があつて、児玉院長の書斎になつてゐる。そこへは一度、何かの用で少年は呼ばれて行つたことがある。部屋一ぱい医事学報らしい刷物が散乱してをり、児玉は小学生の使ふやうな机の前に端坐たんざして、何やら熱心に書いてゐた。中二階のあることに、その時はじめて気がついたのだが、物置ぐらゐにおもつてゐた。その部屋に、いつのまにか奥村さんは、ひつそりと住みついてゐたのである。少年の前に、また一つ未知の扉がひらけた。
 まもなく少年には、奥村さんの役目が稍々わかつて来た。奥村さんはよくよくの用でもないと、薬局や診察室には姿を見せない。いつも中二階にとぢ籠つてゐる。いちばん頻繁に姿をあらはすのは二階の居間だが、その時は必ず奥の棚へ行つて書類の出し入れをする。その棚に用のあるのは、院長のほかには薬局の金井だけで、照子はつひぞ手を触れたことがない。そんな観察からして少年は、奥村さんの仕事が例のモルモットや家兎の実験に関係してゐるらしいと想像した。つまり院長の研究上の秘書役みたいなものである。この想像は、やがて的中してゐたことがわかつた。ある夜(火鉢の出てゐたのを覚えてゐるから、多分その冬のことだつたらう)、少年は子供たちの相手をして遊んでゐるうちに帰りそびれて、泊つて行くことになつた。だいぶ更けてから帰つてきた児玉は、照子に給仕させながら夜食をたべはじめた。院長は食事のあひだでも決して眼と頭を休息させない。その時も、書類棚からおろしてきた一つかみの書類が食卓の上にあつて、それに目をさらしながら茶漬をかきこむのである。そしてメモの紙に、せかせか万年筆で何やら書き込んだりする。照子は一向に平気で、例の放心したやうな目つきをして、黙つて傍にひかへてゐる。そんな光景が、少年をじれつたがらせる。ゆゑ知らぬ忿怒が、児玉へではなしに、照子に向つてこみあげて来るのを感じる。『たうとうこの人も、お医者の妻に成りきつてしまつたのだ。あの麹町へ来るたびにする薬の臭ひ……あれなのだ。しかも、そんな機械みたいにガサガサした……』少年はもつとひどい文句を考へかけて、あわてて揉み消してしまふ。
 その晩、児玉は虫のゐどころが悪いらしかつた。いつもの通りモルモットの実験報告に上つて来た金井をつかまへて、何やらくどくどと文句をつけはじめた。「困るぢやないか、こんなことでは」と、何か言つては繰返す。金井は白衣の膝をきちんと合せて、は、は、と神妙に聞いてゐる。そのうち風向きが段々変つて、奥村さんに非難が向ひはじめた。「そりや、あながち君の責任とばかり言ふんぢやないさ。近ごろ千代子さん(と奥村さんのことを院長だけが名で呼んでゐた――)の誤字がひどすぎるせゐもある。ちやうどいい機会だ、君はもういいから、千代子さんを呼んで来たまへ。」
「でも、もう遅いから、わざわざお起ししなくても」と、照子がはじめて口を利いた。
「遅い?」児玉は壁の時計を見た。零時半であつた。「まだ大した時間ぢやない。金井君、さう言つて来てくれ給へ。」
 金井が中二階へ上つて行く足音がした。襖をノックして、何か小声で言ふのが聞える。金井が下に降りて行つて暫くしてから、奥村さんが物静かにはいつて来た。きちんとした大島に着かへて、黒つぽい羽織を着てゐる。
「もうお寝みでしたか?」児玉の金ぶち眼鏡が、冷笑するやうに光つた。「きのふお願ひした統計表の写し、まだのやうだが、どうですか?」
「は」と、奥村さんはちらと訝しげに、小さな眼鏡ごしに院長を見たが、すぐまた伏眼になつて、「やつてをりますけれど、あんまり数字が細かすぎて、つい眼がちらちらしますもので。……」よどみのない低い声音である。
「乱視ですね。あすにでも△△君のところへ行つてみられてはどうですか?」児玉は憎々しく言ひ放つて、卓上の書類をとりあげた。「今もこれを見てゐたところですが、ドイツ語の綴りの違ひはともかくとして、数字が違ふのは困りますね。0が6になつたり、7が9になつたりしてゐる。大きな所は僕でもすぐ気がつくからいいやうなものの、これぢや折角お願ひしても、さつぱり信用がならんですな。数字のちよつとした違ひでも、金の出し入れなどとは違つて、われわれの研究は土台から狂つてしまひますからね。……」
「よく承知してをります。わたくしが至らないものですから……」
「一体、基礎的な研究といふものはですな、日本人の悪い癖で得てして馬鹿にしがちだが……」と、児玉は話を転じて、得意の議論口調になる。さうなると黙つて拝聴するほかはない。誰に聞かせようといふのでもなく、いはば独り言を声に出して喋つてゐるにすぎないからだ。毒舌も皮肉な眼光も影をひそめて、往年の医学生気分が立ち返るのである。そんな子供つぽいところのある人だといふことも、少年には段々わかつてきた。
 一通り喋つてしまふと、また気を変へて、そばに伏せてあつたドイツ語の雑誌を取りあげると、その要点を奥村さんに口述しはじめた。「題はミュンヘン大学、WHとして下さい。いいですか、一九××年三月ヨリ八月末ニ至ル間、家兎ノ雄五羽、雌七羽ニツキびたみんBノ変量実験ヲ試ミタル結果、ソノ※(「やまいだれ+句」、第4水準2-81-44)瘻病ニ及ボシタル所見左ノ如シ。一、……」
 ところどころに難かしい術語がはいる。奥村さんは「は?」と聞き返す。児玉がじれつたさうに漢字を教へる。そのうち急に座がシンとなつたと思ふと、奥村さんが端然と坐つたまま舟を漕いでゐた。その様子を、いたづらつ児のやうな眼つきで暫く見守つてゐた院長は、「もう宜しい」と言つて書類をさつさと片づけ始めた。照子もほつとしたやうに事務机の上を整理しはじめた。
 時計が二時を打つた。
 それから間もない頃だつたと思ふが、少年が薬局で遊んでゐると、そこへ奥村さんがはいつて来た。何か金井に数字の疑問をたづねに来たらしい。金井は恐縮しながら、「や、それは私の間違ひでした」など言つてゐたが、話が済んで出て行かうとする奥村さんを呼びとめて、「さつき分松葉の女将が来て、面白いものを置いて行きましたよ。掃除をしてゐたら、押入の奥から出て来たんださうです。いいものかどうか目利きをしてくれと言ふですが、そのうち良雄さんにでも頼みますかな。」
 引出しをがたがたいはせて、金井が取り出したのは、かなり大きな古ぼけた和綴りの冊子であつた。本の端が手垢と唾でめくれあがつてゐる。金井は別に気味わるがる風もなく、自分でも唾をつけて、最初の四五枚をめくつてみせた。極彩色の錦絵を綴ぢこんだものだつた。芝居絵が主らしく、雪洞ぼんぼりをかざした奥女中たちが欄干ごしに暗い庭をさし覗いてゐるところ、盛装をしたお姫様が薙刀を斜にかまへて、覆面の悪者どもを退治してゐるところ。そのうちに、思ひがけない絵が出てきた。裸の女が、後手に座敷の柱にくくりつけられてゐる。立膝をした両脚に赤い布地が混み入つた線をゑがいて流れ、その先から指を反らした足先がそつと覗いてゐる。女は無念さうな形相をして、口に乱れ髪を二三本くはへてゐる。「なかなか際どいですな」と金井が自慢らしく言つた。奥村さんは黙つてゐたが、やがて、「むごいことねえ、昔の人は……」とつぶやいた。いたはるやうな静かな調子であつた。少年はその絵を見ながら(と云つても、彼の椅子は奥村さんの椅子とデスクの間に挟まれてゐて、いやでも目をそらすわけには行かなかつたのだが――)、またアラビアン・ナイトの中の或る場面を思ひ浮べてゐた。黒檀島の王女と名乗る娘が、魔王にさらはれて、地下室にとぢこめられてゐる。そこへ若い王子が偶然やつて来て慰める。それが魔王に見つかつて、娘は衣裳を剥ぎとられ杙にしばりつけられて、鞭でもつて折檻せっかんされるのだ。……
 少年は自分の聯想におどろいた。黒檀島の王女が身悶えする光景を、少年はつひぞ今眼の前に展げられてゐる絵のやうには想像してゐなかつたからである。残酷は同じ残酷でも、この絵の裏には何か厭らしいたくらみが潜んでゐるやうな気がした。金井の自慢らしい言葉の意味はそれではないか。しかも自分が、この日本流の(と少年ははつきり意識してゐた――)拷問の絵に、ひそかな誘惑を感じてゐることは否定できない。少年はだんだん自分が汚れて行くのが腹立たしかつた。
 奥村さんがふと呟いた「むごいことをねえ、昔の人は……」といふ言葉は、久しく少年の耳に残つた。何かあれには、自分に言ひ聞かせてゐるやうな調子があつた。奥村さんは、自分の過去を思ひだしたのかも知れない。それとも、昔の人……と言ひながら、今の人も含めて言つてゐるのかも知れない。少年は若い頃の奥村さんの顔を想像してみた。細面の端麗なあの顔だちから、今の暗い疲れたやうな表情をぬぐひ去つたとしたら、おそらく智的な(さう、奥村さんなら眼鏡をかけてゐてもいい)、やや冷めたい若夫人になるだらう。それは、乱れ髪を二すぢ三すぢ口にくはへて無念の形相をした絵の女とは、似もつかない顔なのだ。つまり、決してそんな目に逢ひつこない人の顔なのだ。……少年は無理矢理さう信じようとした。
 それから暫く、奥村さんの記憶はとだえる。そして少年が最後に奥村さんに会つた暗い夜のことが、地獄絵のやうに浮びあがる。ほんとにあれは実際の出来事だつたのだらうか。しかも、「会つた」とは云つても、少年は奥村さんの顔を見たわけではないのだ。
 不思議な一夜であつた。季節はおぼろげだが、底冷えのする暗い夜だつた。少年は夜なかに小用に起きた。その頃は子供が五人になつてをり、田舎出の血色のいい乳母が住みこんでゐたので、二階は二部屋とも寝室に当てられてゐた。子供部屋には女の女が[#「女の女が」はママ]三人、乳母と一しよに寝て、居間の方に夫婦と男の子がふたり寝るのである。少年の寝床は子供部屋の方にあつた。少年が小用を済ませて、二階へ戻つて来て、突当りの開き襖をあけようとしたとき、すぐ横手についてゐる梯子段の上から、人の呻き声がきこえた。少年は鐶から手をはなして聴き耳をたてた。この家の人は睡眠不足と過労に冒されてゐるから、うなされることは度々ある。児玉院長もさうだし、照子だつてその例外ではない。まして神経質な長男の透の寝言は、少年も泊るたびに聞かされてゐる。だがそのとき聞いた呻き声は、それとは全然性質のちがつたものだつた。さう直感された。
 呻き声は低くなつた。押し殺してゐるらしいが、断続してまだ聞えてゐた。それがやがてまた高くなつたとき、少年は意を決して、窓ガラスごしに街灯の余光がにぶく照らしてゐる梯子段に足をかけた。足音を忍ばせて、中二階の奥村さんの部屋の前に立つた。臆病な少年としては、よくよくのことである。そこでも少年は、暫く中の気配をうかがつてゐた。呻き声の主が奥村さんであることは、もう疑ふまでもなかつた。よほど苦しんでゐると見え、シーツや枕を爪で掻きむしるらしい音までが、襖ごしに聞えてくる。少年は、そつと襖をノックした。呻き声がやんだ。暫くすると、また高くなつた。何かコップらしいものの倒れる音がした。少年はまたノックした。物音がぱつたりやんだ。呼吸をととのへてゐるらしい。
「どなた?」少ししてから奥村さんの声がきいた。
「僕です、繁夫です。どうかなすつたんですか?」
「ああ繁夫さん」と、また暫くして返事が来た。「いいえ、何でもありません。ただ急に……さしこみが来て……暗がりで薬がわからないの。いいのよ、いいのよ、やつと分りました。……もういいの。」
 少年は立ちすくんだ。呻き声はやんだが、あへぎ声はまだ続いてゐる。「水もつて来ませうか?」
「おひや? いいえ、いりません」と、奥村さんはきつぱり断わつた。「それよか、もう収まつたから……繁夫さんも早くおやすみなさい。もう大丈夫、もういいのよ。……」少年が立ち去らうとする気配を察したらしく、奥村さんは、「後生ですから誰にも言はないでね」と附け加へた。しぼり出すやうな苦しさうな声であつた。
 少年はこの命令を守つた。少年にとつて不思議なのは、あの呻き声や、少年と奥村さんの会話に、誰ひとり気づいた者がなかつたことである。彼が子供部屋の襖の鐶に手をかけたとき、居間では児玉院長の甲高い鼾がしてゐた。窓の外の闇は、どうやら明け方に近いらしかつた。
 それつきり少年は、奥村さんの顔を見たことも声を聞いたこともない。いつの間にか奥村さんは消えてゐた。少年の足が遠のいてゐたせゐかもしれない。とにかく少年が、奥村さんの亡くなつたことを知つたのは、それから何ヶ月か後のことだつた。少年はその日附も知らず、葬式のことも覚えてゐない。ただそのあとで少年は、麹町の家で夜更けに目をさました時、伯母と従兄のつぎのやうなひそひそ話を、襖ごしにありありと聞いたのである。「奥村さんは、どうも只の死にやうぢやなかつたやうな気がするなあ。どうも様子が変だ」と、従兄がぼそぼそ声で言ふ。「シーッ」と伯母は制して、「それがね、やつぱりさうなんだよ。照子はひたかくしに匿して、狭心症の発作だなんて白つぱくれてるけれど、じつはあれなのさ……昇汞しようこうなんだよ。大へんな苦しみ方だつたといふぢやないか。金井がわたしに、こつそり耳打ちしたのさ。絶対よそへ漏らしてくれちや困るつてね。そりや当り前だよ。医者のうちから変死人が出たのぢや、何ぼ何でも商売にかかはるからねえ。」「警察の方は、うまく手を打つたんですね?」「そりや児玉のことだもの。……つまりこれさ、世間万事これですよ。」少年は闇の中ではつきり、伯母が親指と人差指で輪を作つてゐる表情を描くことができた。しばらくひそひそ話が続いた後で、「でも可哀さうな人だつたねえ。学問もあり、あんないいところの奥さんだつた人がさ」と、伯母が声を大きくして呟いた。「わたしも心配だつたから、大丈夫かい? つて照子に何べんも念を押したんだがね。あれは暢気だものだから、大丈夫よ、厭なお母さん? なんて言つてゐたつけが、やつぱり言はないことぢやない。」「すると……」従兄がきく。あとはまたひそひそ話になつた。もちろん少年は、この盗み聞きの内容がはつきりつかめたわけではない。何ものかの冒涜された感じが、焼けつくやうにこみ上げて来ただけであつた。
 それから間もなく、あの関東の大震災である。裏手と横手から火の手があがるのを見た児玉は持前の機械的な沈着さで家の者を指揮した。めいめい寝巻と下着と手廻りの品だけで、風呂敷包を一つづつ作らせ、ほかの物には一さい手を触れさせなかつた。自分は研究の書類をまとめて包みにし、一同を門前に整列させると、ステッキの先に赤い風呂敷を結び、それを高く差上げながら、先頭に立つて、ごつた返す久松橋を渡つて避難した。そのおかげで、子供の多い一族郎党が、ひとりの迷子も出さずに四谷の親戚の家に着いたのである。


 児玉にとつて幸ひなことに、震災の数年前から、ある郊外電車の沿線に土地を買つて、バラック同然ながら入院設備もある、かなり大きな病院が建ててあつた。それはS学園がその土地に学園村の開拓を目論んだとき、その学園長や主事の理想主義に大いに共鳴した児玉が、進んで校医を買つて出て、将来の学園村の発展を目算に入れて建築したものだつた。ところが、学園はとうに開校し、病院までが出来たのに、赤松の林を切り拓いた広大な文化村の予定地は、いつまでたつても裸かの分譲地のままであつた。病院は無人同様に棄ておかれて、ただ夏の休みなどに、子供たちが泊りに行くだけになつてゐた。少年も二三度は遊びに行つたことがあるが、荒れるにまかせた裏庭に、ジギタリスや日まはりや鶏頭けいとうが咲き狂つて、そろそろペンキの剥げかかつた病院の建物と、いい対照をなしてゐた。真夏の廃院とでも題をつけて外光派風の画がかけさうであつた。夏には臨時に、動物実験の仕事がここに移された。病院の裏口のところで、金井が両の手の平も指も黄褐色のどろどろで染めながら、兎の腸をしごいてゐた。「やあ臭くつて堪らねえ」と、彼はさも楽しさうに顔をしかめながら言つた。「これでね。昼のうちはまだいいけれど、夜になつて御覧なさい。向うの松林で狐が啼きますよ。こんこんこん、こんこんこん、つてね。」
 この病院に手入れをして、児玉一家は引移つた。少年も一度泊りに行つたことがある。当てがはれた部屋は二階の病室の一つであつた。恐らくまだ誰も寝たことのない、ましてや誰も死んだことのないその部屋は、畳だけが妙に赤ちやけて、少年に遠い昔の別府の病院を思ひ出させた。台湾赤痢といふ腸にポツポツ穴のあく病気で、痩せこけて死んでいつた父の顔や脛を思ひださせた。
 児玉はこの病院を足場にして大活躍をはじめた。例のぼろフォードは、柳澤の機転でうまく助かつてゐた。郊外のでこぼこ道を、院長を乗せて毎日東京へ往復するのが、この柔しい男に課せられた新たな運命だつた。揺れがひどいので、児玉は車を徐行させた。本が読めないからである。
 一年も経たないうちに、濱町の焼跡に、バラック建ての児玉医院が復興した。こんどは総二階になつて、奥村さんが住んでゐたやうな謎めいた部屋はどこにもなかつた。火が旧い歴史を焼きほろぼしたのだ。この新しい家へは、少年はあまり足踏みをしなかつた。復興が早かつたので、病院は震災前より一そう繁昌した。そのため人の出入りがますます多くなつて、遊びに行つてもゆつくりできる片隅がどこにもなかつたからである。
 ただ一度、夏休みに泊りに行つた時のことが、少年の魂の歴史に、妙に口惜しい汚辱のページとなつて残つてゐる。少年といつてもそれは彼にとつて中学生としての最後の夏休みであつた。
 相変らず児玉の家には睡眠の足りない夜がつづいてゐるらしかつた。八時ごろはまだ昼のうちで、九時あたりからやつと宵の口になる感じである。少年は久しぶりで泊る気になつて、下の食堂で薬局の連中と話をしてゐた。小学の二年生になつた長男の透が、ヴァイオリンをかかへて入つて来る。みんなが拍手すると、透は真面目くさつて、アヴェ・マリアを弾いて聞かせた。金井はエルマンはだしだなどとからかふ。透は得意になつてまた一曲ひく。この子供はいつのまにか、天才気取りが身につきだしてゐたのだ。
 そこへ照子が入つて来た。そして一座をろくに見廻すでもなく、台所のガラス障子の前に立つて、帯を解きはじめた。それから長いことかかつて、下腹に巻きつけてあるらしいさらしの腹帯をゆつくりほどいた。固い沈黙が一座を領した。もつとも、さう感じたのは繁夫の思ひすごしで、この家の人々にはそんな光景が当り前のことになつてゐるのかも知れない。何しろ手狭な家なのである。脱衣場などありようはずもないから、風呂に入るには厭でもこの部屋で脱ぐほかはない。ましてそこにゐるのは、家の者だけなのだ。さう理窟をつけても、やはり少年には妙に不満なものが残つた。少年はひそかに一座の表情を観察した。みんなさりげなく眼をそらしてゐるなかで、甥の志郎だけが、強い近眼鏡に好奇心を反射させながら、にぶい蝋色をして貝殻骨をうつすらと浮かせてゐる、主婦の背中を、じろじろ眺めてゐた。勿論さういふ少年もその時はじめて、そして最後に、従姉の裸身を目のあたりにしたのである。神聖といふ感じはなかつた。それよりも、人を人とも思はぬ傲岸ごうがんな権威が、全裸の後姿にあふれてゐた。彼女が何気ない放心したやうな物腰で、ガラス戸の向うへ姿を消したとき、少年はやつと平静をとりもどした。そして黙つて座を立つた。
 その晩は、よくよく妙な廻り合せのつづく晩であつた。悪運の連続といつてもよかつた。二階の八畳のほかに寝室に使へる部屋はない。相変らず雑誌やパンフレットが散乱して足の踏み場もない院長の書斎と、狭い納戸としか表の方にはない。裏は看護婦や女中の寝間になつてゐる。少年は八畳間の一ばん奥のところに寝かされた。蒸し暑い晩だつた。おまけに家族七人の雑魚寝の端に割りこんだのだから、寝ぐるしいこと夥しい。とろとろとしたかと思ふと、隣の長男に横腹を蹴られて、少年は目がさめた。そのままいつまでたつても寝つかれない。襖があいて、誰かがはいつてきた。しばらく寝巻に着かへてゐるらしい気配がする。やがて寝床へもぐりこんだと思ふと、「繁夫さんが来てゐますよ」といふ、するどい照子の囁き声がした。するどいと少年の耳が感じたのは、しんとした夜景のせゐだつたかも知れない。それはとにかく、二燭ほどの鈍い電灯のともりきりのなかで、まもなく院長の鼾がしだしてからも、少年は眼をあけることもできず、身じろぎもせずに、じつと身を固くちぢめてゐた。
 彼をさいなんだのは、何よりもまづ自責の念であつた。生地獄といふ言葉の意味を、少年はつくづく噛みしめた。だが、それだけではなかつた。明け方ちかく、少年は尿意をもよほして目を覚ました。相変らずの油のやうな、とろりとした微光。そのなかで少年は、だいぶ長いことがまんしてゐたが、たうとう起きあがつて、下へ降りて行つた。下の連中の食堂には誰も寝てゐない。そこを通つて、廊下へ出る曇りガラスの戸を引いた。意外なほど明るい外の廊下の中ほどから、とつぜん白い物影が動きだして、少年とすれちがつた。それは例によつてタオルの寝巻をだらしなく着た看護婦の中川であつた。すれちがふ拍子に唇を毒々しく反らし、ニッと嘲るやうな笑ひを浴びせてきた。少年はわざと肩をそびやかして通り過ぎた。用を足しての帰りに、少年は煌々と電灯のともつた待合室のガラス戸を爪先だちに覗いてみた。消し忘れた百燭ほどの電灯のもとに、金井と志郎とが寝みだれた姿をさらしてゐた。殊に志郎は、少年がかねてから生理的な引け目を感じてゐた現象を、これみよがしに露はしてゐた。少年は、つい先刻の中川の笑ひ顔と思ひ合はせて、身を切られるやうな自己嫌悪を感じた。
 夢魔のやうなその一夜のあとでは、少年は二度と児玉の家に泊つたことがない。やがて半年ほどすると、志郎と中川の心中の噂が少年の耳につたはつた。何か薬局の劇薬を使つたらしいが、未遂に終つた。中川は妊娠してゐた。女はそのまま信州の国もとへ帰され、志郎は鳥取の父親が引取つて行つた。少年がそんなことまでも耳にしたのは、麹町の家で夜ふけてから、伯母と従兄のひそひそ話を、襖ごしに漏れ聞いたものらしい。彼は思はず耳を掩ひたいやうな衝動を覚えた。中川紀子といふあの看護婦は、どこまで自分に祟るのだらうか。それは何者かの復讐に似てゐた。嫌悪も憎念も今では去つて、あとには白ちやけた怨恨だけが残つた。
 春になつて、照子が六人目の子を生んだ。女の子で、ミヨ子といふ名がついた。どういふ機会だつたか、「なんだ、千代子さんと語呂が同じぢやないか」と吐き棄てるやうに伯母の耳にささやいた従兄の言葉が、少年の耳をはげしく打つた。
 分娩して五日目に、照子は産褥さんじょく熱で死んだ。少年は久しぶりで濱町の家に行つて、とろりと黄ばんだ従姉の死顔を見た。その顔は相変らず放心してゐるやうであつた。八重歯をのぞかせてゐるその唇を、伯母は閉ぢてやりながら、丹念に末期の化粧をはどこしてゐた。「照子、もういいんだよ。もうこれで何もかも、すつかり済んだんだよ。わかるかい、もういいんだよ。……」伯母は手放して泣きながら、子守唄のやうに繰り返した。
 告別式の式場には待合室があてられた。いよいよ出棺のとき、棺に釘を打つのに先だつて、身内の者が最後の別れをした。若い見習看護婦を殿しんがりに、告別が一わたり済むと、児玉は再びつかつかと棺の横へ進み出た。そして、白い花に埋もれた妻の額に、じいつと手の平を当てがつた。いつも病人の体温を確かめる時に見られる、生真面目な表情である。赤ちやけた口髭が、ぴくりと動いた。何か言はうとしたのかもしれない。美しく化粧をされた照子の顔には、なんの反応も現れなかつた。ただ、真紅な口べにに彩られた唇が柘榴ざくろの実のやうにほころびて、薄紅色の歯茎をかすかに覗かせてゐた。何か名状しがたい執念が、その一点に凝つてゐるのを少年は感じた。一同は息をのんだ。やがて児玉は手をはなした。手早く釘が打たれ、霊柩車はまつしぐらに走り去つた。少年は焼場へ行かなかつた。
 二三人の親戚と一緒に、二階の書斎に黙坐して、骨壺の帰りを待つた。新しい位牌の前に、ときどき思ひついたやうに線香を上げた。其の都度少年は、従姉の前に謝罪したい衝動を感じるのだつた。ひよつとするとそれは、自分の少年期を一すぢ貫いてゐる苦がい悔恨、それにたいする謝罪なのかも知れなかつた。少年はふと、片隅に寄せられた児玉の机の上から、緑いろの表紙のついた本を取りあげてみた。それは『ギタンジャリ』の訳本であつた。タゴールはその前の年に日本を訪れてゐた。児玉が持ち前の「民族主義」的な情熱から、それ以来この老詩人を夢中で崇拝してゐることは少年も知つてゐた。オイケンもベルグソンも、ぱつたり児玉の口にのぼらなくなつてゐた。少年は本をあけてみた。偶然あらはれたページには、鉛筆で二重に引いた荒つぽいアンダーラインがあつた。少年はそこに、次のやうな数行を読んだ。

はや日暮れは近し、影は地に落ちぬ。
河辺にゆき、わが水甕を満たす時なり。
…………
淋しき小路に人影なく、風は落ち、
さざ波ひとり河の面にをどる。
…………
われ果して、家に帰り着くを得るならんか。
ふと何ぴとかに行き会ふならんか。
かしこの浅瀬に、見知らぬ人ゐて笛を吹く。


 照子が死んで間もなく、児玉は博士号を得た。永年のビタミン研究が認められたのである。知人を介して、マニラの市立病院から招聘しょうへいされた。心機一転には打つてつけの申出だつたが、少し考へてからきつぱり断わつた。彼は新たな別の野心に燃えてゐたのだ。東京復興の波に乗つて胎動しはじめてゐた金座大通り開通の計画を、彼はじつと見つめてゐた。やがて、秋葉原からまつすぐ東南へ下つて中洲に達する大幹線が、いよいよ本ぎまりになつて着工された。
 金座通りといふのは、その幹線の濱町にぞくする部分に、土地の連中がつけた名である。それはあながち誇称とばかりは言へなかつた。土地の連中の説によると、その付近は江戸時代に金座が置かれた跡だつたからである。明治座は復興がおくれてゐたが、手狭な久松橋のたもとを引払つて、この大通に進出することは既定の事実だつた。この劇場と、その予定地の裏手から大川へかけていち早く復興しはじめた花柳界とをバックにして、土地の連中はあへて銀座に拮抗する繁華街をもくろんだわけである。むしろ夢みたと言つた方が当つてゐるかもしれない。彼らはつい目と鼻の先にある人形町(もちろん灰燼に帰してはゐたが)の存在など、てんで無視してかかつたからである。
 あとになつて考へれば、それは結局、とうに涸れてゐる廃坑から、あらたに金を掘り出さうとするやうなものだつた。下町一帯の復興が進むにつれて、事の成敗はやがて冷厳な事実として現れざるを得なかつた。けれど土地の人々の向う意気は、そんな考慮を超えてゐた。児玉も、この夢想に憑かれた一人であつた。いやむしろ、火つけ役の一方の旗頭だつたかも知れない。人のおだてに乗つた傾きもあつたかも知れない。それはとにかく、彼は明治座の筋向ひに進出を決心した。そして親類や知人たちの危惧を押しきつて、鉄筋コンクリート五階建の、チョコレート色の大ビルディングが出現した。明治座が竣工したのは、それから二年ほど後のことである。
 伯母仲間の評定によると、児玉がそんな途方もない大病院の建設へ突進したのは、古くからの競争相手である婦人科医、河合老医師の浪花医院と張合ふ気持からだつたといふが、それにしては些か規模が大きすぎたやうだ。なるほど浪花医院は、木造の平べつたい二階建として、早手廻しに明治座予定地の北隣に出現してゐた。もちろん児玉の胸には、それにたいするあせりも幾分はあつたらう。だが、それだけでは説明しきれるものではない。五階建の「濱町ビルディング」は、いはば金座といふ夢の上に建てられた夢の城であつた。児玉のさかんな理想主義と逞ましい実行欲とのあひだに生まれた奇妙な子であつた。
 児玉の理想主義は、その建物のあらゆる部分に見いだされた。最上層の軒蛇腹には、幼児の嬉戯きぎしてゐる群像が、白い浮彫となつてめぐらされた。天職が小児科にあるといふ意味だらう。屋上には、禅堂と称する小庵が設けられた。五階目には広大な講堂が設けられて、週一回の精神講座が催されるほか、金座一帯の人々のための公会堂の役割もつとめるはずであつた。もう一つ大切なことを言ひ忘れてはならないが、金座通りに面した一階の部分は、堂々たる五つの貸店舗に仕切られてゐた。医院病室には二階と三階があてられ、家族は四階に住むことになつてゐた。……これでもし予想どほりに金座通りが繁栄したら、この大建築のために背負ひこんだ莫大な借金も、りつぱに意味があつたに違ひない。
 ところが、いざ建物が出来てみると、児玉の遠大な理想は、はじめからけちがついた。まづ、おそらく最大の期待がかけられてゐたはずの階下の貸店舗は、当局の許可がどうしても下りなかつた。入院施設のある医院には、商店の同居が許されないとかいふのである。そこで模様がへをして、部屋割を一階づつ繰り下げることになつた。つまり商店向きのガラスの大戸の中で、診察や治療が行はれることになつたのだ。それでも床面があるので、横町に面した入口に「更生診療所」といふ看板がかかつた。つまり悲田院ひでんいんを個人の手でやらうといふわけで、これも児玉の理想主義のあらはれと見れば見られるが、何といつても苦しまぎれの手段であることは否めない。その所長に迎へられた若い医師は、まもなく院長と大喧嘩をして出て行つた。その後釜に坐つたのが、こんど未亡人になつた女医の梅代である。児玉が彼女と結婚したのは、濱町ビルが竣工した年の秋だつた。
 けちがつきだすと、きりがない。伯母さん仲間の予想は的中した。もぐり代診事件といふのがあつた。金策に追はれて時間の不足に悩まされた児玉はつい苦しまぎれに、資格のない金井を代診に使つたのである。そのため児玉は、警察に一晩留置される始末だつた。泣きつかれて、やむを得ずしてやつた妊娠中絶の手術までが、どこからと知れずその筋へ密告された。伯母さんたちはそれを、一途に河合老医師の策動だと信じてゐた。山師医師などといふ悪名がばらまかれて、患者は目だつて減つて行つた。事実、たまに繁夫などが診察してもらひに行つても、往年のあの偏執狂めいた熱心さは見られなかつた。じつと脈搏に聴き入る表情こそ変らなかつたが、耳の底には明かにほかの考へが去来してゐた。
 ムッソリーニが狙撃されると、児玉の書斎には間もなく署名入りのドーチェの写真がかかつた。ローマから上原といふムッソリーニに親しい男が送つてよこしたのである。K学院の校医になつて、仙波氏の姿が目だつて頻繁に現れだしたのもその頃である。碧巌録の浩瀚こうかんな講義を著はしたりしながら、その奇癖のため宗門の一部から毛嫌ひされてゐる洪天和尚は、もともと同県の古馴染であるが、やはりその頃から、美貌の若い奥さんを伴つて、しげしげと出入りするやうになつた。
 繁夫は、照子が死んだのち、自然この家から足が遠くなつてゐた。新しい大病院の構へにも親しみがもてなかつた。父親の生活の急激な変りやうに、何かおびえてゐるやうな子供たちの顔を見るのも、繁夫としては辛かつた。診察や治療を受けに時たま通つたのを除けば、彼が濱町ビルを訪れた記憶は意外なほど少ない。一度は遠い姻戚に当る田中といふ高校生が、カルモチン自殺を図つて、三階の病室で息を引きとつた時である。それは第二次共産党検挙のあつた直後であつた。気の弱いこの秀才は、強迫観念と失恋事件のはさみ打ちに逢つて死んだのである。もう一度は、ビルディングが建つて間もなく、三女のシゲ子が疫痢で死んだ時だつた。四階の小部屋に小さな床を敷いて、モスリンの着物を着せられて寝てゐる五歳の幼女の死体が、おそろしく大人びて長く見えたことを繁夫は記憶してゐる。「両親とも医者でゐながら、疫痢で子供を殺す法があるものか」と伯母さんたちは悪口を言つた。長男の透が、モヒ中毒になりかけたといふ事件もあつた。薬局で面白半分打つてゐるうちに、つい本物になつたのである。これは一応はとりとめた。
 そんな事件の重なりも、児玉の心境に暗い影を投げたことは争へない。彼の生活は急激にみだれて行つた。甘党をもつて任じてゐた彼が、一変して強飲者になつた。奇行が多くなつた。繁夫の耳にとどいただけでも、次のやうなものがあつた。仙波氏の鞄持ちに河田といふ若い男がゐて、その Penis が薬局生のあひだで評判であつた。それを耳にした児玉は、あるとき廊下で河田に行き会つたとき、いやがる彼を無理やりに便所へ引つぱつて行つて検分したさうである。少し酒気を帯びてゐたらしい、と河田は薬局生に語つた。町内の連中の宴会などがあつて、浅い川が始まると、児玉は頃合ひをはかつて畳の上に仰向けに身を挺して、ひとり悦に入つたさうである。座興と言へば言へる振舞ひであるが、昔の彼を知る人は、そんな噂を聞くたびに眉を暗くした。
 その一方、彼は血圧の昂進をひどく怖れてゐた。絶えず自分で血圧を計り、就寝前には必ず自分で瀉血しゃけつする習慣がついてゐた。ある晩おそく、透を相手に食事をしながら、晩酌のウィスキイをちびりちびり飲んでゐた児玉は、「どうも気分が変だぞ」と独り言のやうに言つた。透は、父の顔に蒼白な不安の影がかすめるのを見た。「いや何でもない。気のせゐだらう」と、児玉は透を慰めるやうに呟いた。次の瞬間、彼はいきなり左のコメカミに手を当てて、呻きながら食卓に俯伏せになつた。そして「おい、瀉血、瀉血」と叫んだ。それが児玉の最後の言葉になつた。下で患者の診察をしてゐた梅代が駈けつけるまでもなかつた。
 あとで見ると、左のコメカミ一ぱいに、濃い紫斑がにじみ出てゐた。よほど太い動脈が破れて、血液が猛烈な勢ひで皮膚に吹きつけたものと見える。

 人々が席を立つ気配で、繁夫の夢想は破られた。いつのまにか西日が待合所の土間いつぱいに射しこんで、その赤ちやけた光のなかを、遺族たちが上り框の方へ歩きはじめてゐる。洪天さんや仙波氏は、もう待合所の軒端に立つて、みんなの来るのを待つてゐる。骨が焼けあがつたのだ。
 詰襟の制服を着た案内人のあとから、一行は骨拾ひ場へはいつた。三方を漆喰壁でかこまれた、がらんと白つぽい部屋である。がらがらした鉄輪の音を反響させながら、運搬車が押し入れられる。案内人が手伝つて、四角な大きな鉄の盆をおろした。院長の骨は意外なほどの正しい布置で、その盆に収められてゐる。まだ熱気をふくんでゐる模様だ。
 洪天和尚が合掌して、何やら短い経文を唱へた。「さあ透君、まづ君から。……それがお父さんの頭蓋骨だよ。」
 洪天さんは箸の先で指したが、とたんに頓狂な声を立てた。
「いや見給へ、このコメカミの骨が、色が変つてゐる。大きな黒いしみがついてゐる。よつぽどひどい溢血だつたと見えるなあ。いかにも児玉君らしい最後だ。なるほど、なるほど……」
 遺族たちが代る代る、その変色してゐる骨を覗きこんだ。それから順ぐりに、箸を互ひに噛み合はせながら、遺骨を一ひらづつ壺へ納めはじめた。
 繁夫は遺族たちの肩ごしに、遺骨の別の部分にじつと目を注いでゐた。それは太々しい腰椎骨ようついこつが、みごと原形そのままに重なり合つて、ずしりと並んでゐる光景であつた。まるで焼かれてもなほ、泰然と坐禅を組んでゐるやうであつた。繁夫は児玉といふ人物の正体をやつと見当てたと思つた。
 ふと気がつくと、並んで立つてゐる仙波氏の視線も、やはり腰椎骨にそそがれてゐた。その眼ざしは、いたはるやうな、やさしい色を湛へてゐた。





底本:「雪の宿り 神西清小説セレクション」港の人
   2008(平成20)年10月5日初版第1刷発行
底本の親本:「神西清全集 第四巻」文治堂書店
   1969(昭和44)年3月11日
初出:「文學界」
   1953(昭和28)年1月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:kompass
校正:門田裕志、小林繁雄
2012年1月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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