原子力の管理

仁科芳雄




一 緒言


 原子爆弾の攻撃を受けて間もない広島と長崎とを目撃する機会を得た自分は、その被害の余りにもひどいのに面を被わざるを得なかった。至る処に転がって居る死骸は云う迄もなく、目も鼻も区別できぬまでに火傷した患者の雑然として限りなき横臥の列を見、その苦悶の呻きを聞いては真に生き地獄に来たのであった。長崎では有名な浦上天主堂が見る影もない廃墟となり、古くからの敬虔な信者もろともその歴史と伝統とを閉じてしまったであろう。学校その他の貴い文化施設も跡かたもなく焼け又は潰れて了って居る。自分は小高い丘の上から広島や長崎の光景を見下して、これがただ一個の爆弾の所為であるという事実を、今更しみじみと心の底に体得し、深い溜め息の出るのをどうすることもできなかった。そして戦争はするものではない。どうしても戦争は止めなければならぬと思った。広島や長崎を見ては平和論者の主張の正しいことが文句なく人を説得してしまうのである。原子爆弾のできた今日となっては何人も戦争に対する態度を根本的に変えなくてはならぬ。即ち戦争の惨害は従来の武器とは全く比較にならぬほど広汎にして深刻となり、且ついずれの戦争参加国にとってもその残虐なる被害は不可避となったのである。又侵略戦争を惹起した犯罪国が、その目的のために準備した原子爆弾により、一挙にしてその目的を達成し、平和国家を蹂躙してしまうという不正義が行われ得る可能性も生じて来たのである。
 これ等の結果から吾々の導かれる必然の帰結は、どうしても戦争を無くするということである。然るにこれは実現の困難な理想である処から、戦争を無くすることはできないまでも、起った戦争に原子爆弾を使用できないようにする機構を考えようとする人があるかも知れない。然し一旦戦争が起ると直ちに原子爆弾の製造にとりかかり得るから、どうしてもそれは使用せられざるを得ない結果に陥るであろう。だから原子爆弾の使用を管理するということと、戦争を制限することとを別物扱いにすることはよろしくない。寧ろこれを同一事と見做さねばならぬ。以前から科学者の間には、非常に強力な武器を製作することによって、遂に戦争を不可能ならしめることが、即ち人類に貢献する道であるという意見を持つ人々があった。原子爆弾の発明は実にこの理想を実現せしめたものと云えるであろう。此点では毒ガスはまだ理想に遠かった。そのために戦争に使用しないという管理が実際に行われ得たのであろう。原子爆弾が毒ガスと段ちがいに効果的であるということが、その管理問題を困難にすると共に緊急重要たらしめる所以である。
 現実の問題として戦争を絶滅することの困難は既知の通りである。これは国際間の正義とか誠意とか信頼とかの道徳的方法だけでは従来の埓を一歩もでることはできない。然し前述の一部科学者の理想とした様な、新しい原子力という大きな現実の重圧によっては、それが成功する可能性が生じたのである。否成功しなければ文化の破滅、人類の退歩を招来する危険があるから、何としてもこれを成功せしめねばならぬ。
 そこですぐわかることは、ここに一つのディレンマの存在することである。即ち一方原子爆弾の被害を除くために、その存在を許さぬことにすれば安心ではあるが、その恐るべき重圧がなくなる結果として戦争の勃発を見る可能性がある。戦争が起れば原子爆弾の登場は予期すべきであろう。これに反し戦争の惹起を防ぐ重圧を与えるために原子爆弾の存在を許すこととなれば、それを有効に管理しない限り、何時それが悪用せられ人類文化の破壊に導くかも知れないというおそれがある。そこで凡ては管理の問題にかかってくる。これを如何にすべきやというのが世界列強の重大問題であり、国際連合の一大関心事である。

二 原子爆弾の威力


 原子爆弾の威力が戦争に対する人の観念や態度に根底からの変改を齎らし、原子時代(これは原子核時代というべきであるが、今日既に原子時代という名詞ができて了ったからその儘使うことにする)という語さえも用いられる様になったのであるが、此意味では原子時代はまだ始まったばかりであると云わねばならぬ。この儘に放置して置くと更に一層恐るべき武器の時代に発展することは議論の余地はない。
 然し現在の儘でもその威力は驚くべきものである。この被害の数字は度々新聞紙上に発表せられたから今更繰り返すまでもないことと思われるが、然し話を具体的にするために必要な数字を挙げて見ると、広島に於ては死者約一〇万、傷者はこれより稍々少いであろうというのが最近の報告である。そして爆発直下点から一粁の半径内に居たものは大抵死亡して了い、二粁位から遠くのものは傷害は受けても殆んど死亡しなかった。長崎では死者は八万というから傷者もそんな程度であろう。新聞にも出て居た様に長崎の爆弾は広島のものよりも新式のもので、威力も二倍か三倍強いものであるが、丘陵が両側にある細長い地勢の長崎は、平地で四方に拡がっている広島に比べて被害は少かったのである。又爆弾の落下地点も広島はその中心であったのに反して、長崎は中心から北に外れた処であったということも見逃し得ない点である。これ等の死傷者は原子爆弾の光に当って火傷をし、又その放射線を被って所謂原子爆弾症に罹り、重いものは大抵一個月位の間に死んでゆくのである。
 又家屋の損害であるが、広島では爆発直下点から一粁乃至二粁迄の家は火災で焼けて了い、三粁乃至四粁迄の家は修理不可能の程度に倒壊している。長崎でも平地ではその被害距離は広島の場合の一倍半乃至二倍に及んでいるが、前述の通り丘陵に遮られているから、被害面積は広島の場合より小さい。広島では修理不可能の倒壊又はそれ以上の被害を生じた面積は、恐らく三〇乃至四〇平方粁に及んでいるであろう。
 従って此威力を以てすれば人口四〇万位の都市は、原子爆弾一個で大体片付けられて了うと見なければならぬ。一番大きい東京をとって見ると、旧東京市は原子爆弾二個か三個で壊滅するであろうし、新市を含めて全部を潰すにも一五か一六個あれば事足りるのである。
 以上は日本の都市の話であるが、鉄筋コンクリートの建築で出来て居る近代都市では、事柄は全く異ってくる。日本の家屋は原子爆弾の爆風に対しては脆弱極まるもので、又原子爆弾の火熱に対しても火を引き易く延焼もすぐ起る。広島でも長崎でも、鉄筋コンクリートの家屋は損傷は受け内部は焼けて了って居るが、倒壊したものは一つもなかった。又その中に居た人も、日本家屋に比べると死傷の程度が低かった。従って欧米の近代都市にとっては、広島や長崎の結果をその儘適用することはできない。
 更に附け加えるべきことは、広島、長崎の場合には原子爆弾というものは全く予想されなかったことである。従って攻撃する方は、何の妨害も受けることなしに思う通りに爆撃を行うことができた。然し今後は此種の爆撃に対しては凡ゆる防禦手段が講ぜられるであろうから、此点でも広島、長崎の場合に比べて被害は減少するであろう。
 以上は欧米の都市が、原子爆弾に対して広島、長崎よりも有利であることを述べたのであるが、然しそれは今日の原子爆弾を基礎としての議論である。然らば明日の原子爆弾はどうなるであろうか。又これに対する防禦兵器はどうなるであろうか。それ等を考慮に入れた後、欧米都市の被害はどうなるかを考えねばならぬ。
 前にも述べた通り、今日は原子時代の端緒が開かれたばかりである。凡ての兵器の発達の歴史を見れば、そして原子爆弾の原理を考えれば、今後は更に威力の増大したものが多量に生産せられる可能性がある。飛行機にしても戦車にしても前大戦に使用されたものは、今日から見れば玩具の様なもので、三〇年間の発達はその当時夢想だにし得なかった情勢をもたらして了った。勿論その発展の可能性は誰しも疑うものはなかったのであるが、今日の様な強力、快速な飛行機が多量に生産せられ、それが今次大戦に運用せられた様に使われるとは誰も予知し得なかったであろう。戦車についても同様である。原子爆弾についてもその発達の前途は具体的には解らないにしても、それが今日の原子爆弾とは全く別物の観を呈する兵器として現われる可能性を予期しなくてはならぬ。例えばその威力にしても広島、長崎のものはどちらかと云えば最小限度に近いものではなかろうか。更に桁違いの威力を持つものを作ることは不可能でもないであろう。勿論大きくなるに従って、その構造上に困難な点があるであろうから、そんなに大きなものを作ることは実際問題として難しいかも知れない。然しその代りに数量の方は技術の発達により、施設の増強により、桁違いに増すことができるであろう。
 以上は原子爆弾そのものの製作であるが、これを使用する方法となると、今後更に幾変遷を重ねることと思われる。広島、長崎の場合は共に B-29 を用いて、高々度の飛行により目的地に運ばれたのであるが、今後はそんな飛行機を妨害することも敢て不可能ではないであろう。処がこれをドイツの V-2 のような、音の速度よりも早いロケット弾に仕掛けて目的地に放つとしたらどうであろう。こんなロケット弾を、目的の都市の中央に自動的に到着させるということは、今日の欧米の技術の発達を以てすれば実現し得ることである。そして V-2 の様に一六〇粁以上の上空を飛び、一秒一六〇〇米という音の速度以上で落下するものに対しては、音が聞える前に到着するのであるから殆んど防禦の手はない。そして此ロケット弾の到達距離は、現在約三〇〇粁であるが、今後更に延長されるものと見なければならぬ。こんなものをドンドン打ち込まれると、欧米の近代都市も恐らく一瞬にして潰滅する他はないであろう。従って広島、長崎の被害状況は、今日でこそ恐らく日本都市特有のものであろうが、明日の欧米都市の運命を示唆するものと云って差し支えないと思う。これに対する防禦法として、電波その他の光線を用いて未然に爆破することはどうかという事であるが、そんなことは現在は不可能であり、近き将来に於ても出来るとは考えられない。
 従ってこんな発達した原子爆弾を一万個も準備し、且つこれを目的地に運搬する艦船を持って居りさえすれば、その国は、動機の正否は別として、戦を始めれば開戦後極めて短い時日の間に相手国の都市を全滅せしめることは、夢でなくして現実にできる問題である。勿論こんな原子爆弾を一個でも造るという事が大きな技術力、経済力を必要とする事であって従って一万個をも作るという事は、今日可能であるかどうか自分は知らない。然し原子爆弾の製作に成功したアメリカでは今日は知らず、将来は不可能なことではないであろう。
 アメリカ以外の国はどうであろうか。今日原子爆弾の原理は各国共熟知の問題である。従ってウランその他の原料と、技術力、経済力さえ充分であれば、何処でも原子爆弾は製作せられる。只藉すに時日を以てしなければならぬ。新聞紙の報道によれば、独逸ドイツの原子爆弾の研究もその原理の探究に於てはアメリカと大差なく、一九四二年に一応の結論に到達したのであるが、それを実際に爆弾とすることは技術、経済の面に於て無力であった為めにできなかったというのである。即ち原子爆弾の成否は今日その科学的研究に懸っているのではなく、一国の技術力、経済力の問題以外にはないのである。これがどこの国でも原子爆弾ができない理由であることを知らねばならぬ。従って日本に原子爆弾が落されてから直ぐその研究に着手した国があったとしても、技術面、経済面に於て制約を受けるから、実際に製造せられるまでには相当の時日を要するものである。アメリカの原子爆弾製造の主任担当者であるグローヴズ少将は、他国が原子爆弾を作るには五年乃至一〇年を要するであろうと発表した。原子爆弾研究の進展について度々新聞に報道せられて居るロシヤにしても、やはりその位の時日はかかるであろう。然し今日の儘で放任して置けば、五年乃至一〇年の後には、アメリカ同様に原子爆弾をもった国が地球上に少くとも二つは存在することになり、極めて危険な状態を生じ、四六時中吾々を恐怖の念に駆りたてることになるのである。何となればもしそんな国の間に紛争を生じ、それが第三次世界大戦にでも発展しようものなら、それこそ真に人類文化は破滅に瀕することとなるのである。これは単なる空想ではなく、今日の国際情勢から見ても現実の問題として考えなければならぬ。そこで人道上の観点からも、国際平和の見地からも、どうしても原子爆弾の管理、従って世界平和の機構を樹立する必要に迫られるのである。それができなければ、原子力の平和的利用などを行った処で何の償いにもならない。
 我が国の立場としては今後平和国家の建設に邁進する以外に他を顧みる暇はないが、列強の間に戦争でも起れば忽ち無辜の国土は戦場として利用せられ、真先に原子爆弾の蹂躙を受けなければならぬ。我が国の都市がこれに対して不利であることは前述の通りである。我々はいずれの国よりも先んじて原子力管理の必要を痛感するのは当然と云わねばならぬ。

三 原子力の管理


 然らばこの管理を如何なる方法で実施すべきであるか。これは決して容易の問題ではない。これについては各方面から真面目な意見が沢山提案されて居る。それを大別すると理想論と現実論とになると云える。前者は議論としては筋の通った話であるが実行し難い憾みがあり、後者はややもすると世界を打って一丸とする平和国家建設の理想を阻害する結果を生むことになるのである。
 先ず理想論としてはアインシュタインの提案がある。それは国際連合よりも更に有機的結合をもった世界政府を樹立して、これに原子爆弾の秘密を渡し原子力の管理をさせるというのである。そして此世界を一丸とする国家の憲法の起草をソ連に委ね、その草案に基いて米、英、ソ三国が、各一名の代表者を出して討議した後これを決定しようというのである。特にソ連に起草せしめる理由は、同国が原子爆弾の秘密を知らない所から、猜疑の念を起す惧があるので、これを払拭するためである。重水素の発見者で原子爆弾製作の有力な協力者アメリカのユレイは、これに似て居るが多少異る意見を提議して居る。即ち彼れの強調する所は原子爆弾のみならず、大きい被害を与える重武器は全部これを破棄し、今後その製造を禁止するという事である。そしてその禁止を強制する権力を、強力な世界政府の様な機関に委ねるというのである。
 これ等は孰れも真に結構な案ではあるが、去る二月ロンドンの歴史的な第一回国際連合総会に於ける、ソ連と英国との論争、カナダに於ける原子爆弾に関するスパイ事件、又最近ソ連の満州に於ける旧日本産業施設の撤去、これに対する米国の不承認、赤軍のイラン撤兵延期、大連附近に於けるソ連戦闘機の米海軍機に対する発砲事件を数えただけでも、到底これ等の人の提案した世界政府が樹立せられ得る空気でないことが知れる。
 次の案は国際連合に原子爆弾の秘密を渡し、これを戦争に使用せしめぬ様に管理するという案であるが、前記科学者達は不徹底という見地からも、又これに原子爆弾を持たせることが危険であるという意味からも不賛成である。然しともかく現実の政治家は、国際連合をして原子力管理を行わせる立て前をとっている。即ち昨年末米、英、ソ三国外相のモスクワ会談に於て此事が協定せられ、去る一月廿四日原子力管理委員会が、国際連合総会の席上で可決の上設置せられることとなった。その委員としては安全保障理事国にカナダを加えた一二個国の代表が選ばれて居る。然しこの管理委員会はロンドンでは何等の決定もすることなく散会している。それよりも前記のモスクワ会談に於ては原子力管理に関して次の四個条を決議したことを発表した。(『朝日』二〇年一二月二九日)
一、全世界の国民に対し平和的な目的を有する基本的な科学情報を交換すること
二、原子エネルギーを平和目的のため使用することを保証すること
三、国家の軍備中より大量の破滅を齎らす如き武器を排除すること
四、原子爆弾管理協定に対する違犯を防止すべく有効なる措置を講ずること
 これ等の決議が今後如何に実施せられるかに相当興味ある問題であって、これが文字通り行われれば真に人類の幸福を招来するであろうが、前述の様な国際雰囲気に於ては、その実現は疑わしいと思われる。殊に米国には原子爆弾の秘密は絶対に他に洩らしてはならぬという強い輿論もあるし、米国のバーンズ国務長官は国際連合総会に出席するためロンドンに出発するに際し、原子力管理委員会はアメリカが自発的に提供せぬ科学情報を要求できないこと、又もしこの種の情報を強いて獲得しようとした場合には、米国は拒否権を行使し得ること、又安全保障理事会が此の種の情報の交換を票決しても、これに参加する程度は米国議会の決定に俟つことを言明し、国際連合総会に於ても原子力管理委員会は原子爆弾の秘密公開を米国に強要する権能のないことを述べている。これ等はアメリカ輿論の反映に外ならないことを思えば、原子爆弾は当分アメリカの独占と云うべきであろう。
 然し考えて見れば此事態は寧ろ歓迎すべきであるかも知れない。今日原子爆弾を製造し得るのはアメリカだけである。そしてこの国は平和を愛好し、侵略を否定する国である。こんな国が原子力の秘密を独占する間は、侵略行為は不可能であり、従って世界平和は保持せらるることとなるであろう。即ちアメリカは世界の警察国として、原子爆弾の威力の裏付けによって国家の不正行為を押え、国際平和を維持し得る能力を有しているのである。その代りアメリカ自身の行動に正しからざる点があると、全世界の怨恨を買うことになるのであるから、原子爆弾の威力に相応する高度の道徳的優位を保有することが、絶対的の必要条件となってくる。それさえ実現できれば、国際連合とよく連絡協調を保つことにより、世界の平和と文化との推進は充分企図し得られるであろう。
 然しこれはグローヴズ少将の云う今より五年乃至一〇年の話であって、それを過ぎるとアメリカ同様に原子爆弾をもった国が出現すると考えなくてはならぬ。そうすると事態は簡単でなくなる。それに対しては今から準備をする必要がある。然らば如何にすべきであるか。これに対しては色々の意見はあるであろうが、自分としてはこの五年乃至一〇年の間に国際連合をできるだけ発達させ、アインシュタインの云う世界政府の樹立にまで漕ぎ付ける必要があると思う。そしてその強力なものができた暁には、ユレイの云う様に又モスクワ会談の決議の様に、原子爆弾は勿論のこと大量の破壊を齎すべき武器を廃棄し、製造を禁止して真の平和を確立すべきである。
 即ち今日より五年乃至一〇年が最も大切な時期であり、世界が永続する平和を獲得するか、又は人類文化の破滅に至るかの岐路に立っていると考うべきである。殊にわが国は前述の通り戦争となれば潰滅は必至なのであるから、この点から云っても吾々は全力を挙げて国際平和機構の達成に協力せねばならぬ。我国は今日敗戦国として国際間の問題には嘴を出すことは許されないのであるから、国内に於て戦争絶滅、国際平和を目途とする社会乃至国家組織を完成することに凡ゆる努力を尽さねばならぬ。それがためには我々のなすべきことはいくらでもある。即ち先ず内容の備わった自主的な平和国家を樹立しなくてはならぬ。それができて始めて国際間の問題に手を伸ばすことができるのである。
 然し若し自分は許されるならば、この際科学者として提案したいことがある。それは科学者、技術者の不戦同盟を国際的に結成して、科学者、技術者が侵略戦争に捲き込まれ、それに利用せられることを防止することである。世界の科学者、技術者が戦争に協力しなければ、今日の科学戦争は起り得ない。どうかして斯様な組織を造って世界平和の樹立に貢献したいものである。
 以上の所論はこれも恐らく理想論に過ぎぬかも知れぬが、理想に向って進む努力がなければ進歩はない。永遠の平和が達成せられて始めて、広島、長崎に失われた貴き犠牲も浮び上ることになるのである。
(『改造』一九四六年四月)
本文は学風書院刊「原子力と私」による





底本:「戦後日本思想大系1 戦後思想の出発」筑摩書房
   1968(昭和43)年7月1日初版第1刷発行
   1976(昭和51)年7月1日初版第10刷発行
底本の親本:「原子力と私」学風書院
   1950(昭和25)年
初出:「改造」
   1946(昭和21)年4月
※冒頭の編者による解説は省略しました。
入力:しだひろし
校正:荒木恵一
2015年9月1日作成
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