近代美の研究

中井正一




現代における美の諸性格





 教権による重い刑罰によって脅かされたにもかかわらず、地球の自転がついに人類の真実として獲られたことは、思想的歴史の上に深い意味をもっている。このことがまたやがて客観と主観、したがって主体の問題に世界観的変革をもたらす契機ともなったといえるであろう。そのために七年間を獄舎に過し、ついに言をひるがえさずして火刑に処せられしジォルダーノ・ブルーノの natura naturans, natura naturata. の概念は、あたかもスコラ的思想を近代的思想に導く橋梁の重心的支点ともなったと思われる。
 コーヘンが指摘するように、カントのコペルニクス的転回によって、スコラ哲学における主観客観の概念は根底的に逆に組織づけられたとも考えられよう(H.Cohen : Kants Begr※(ダイエレシス付きU小文字)ndung d. Aesthetik S. 103―4)。スコラ的考えかたにおいては客体は主体によって造られるものであり、地的なものはすべて地上的なるもの(ens creatum)であり、一つの不完全なる影の世界である。しかるに地的なるものと地上的なるものが、世界観の変革と共に、空間的解体によって崩壊し、自然の基礎にはむしろ数学的秩序が主宰し、宗教的神秘的主体性が排除されるにいたったのである。このことは世界図式的に人類思想史の根底的動揺でなければならない。この自然的経験の数学的秩序による基礎づけの方向において最も類型的なものは、すなわちデカルト、スピノザ、ライプニッツ、カントをつなぐ線であろう。しかし、デカルトにおいても、ハイデッガーに指摘さるるように、ego cogito はいまだ ens creatum としての実体性を脱却しえず、また新カント派によって修正されたごとく、カントにおいても主観の心理性が残留していたのである。存在論が Existenz の考えかたをもってこの実体性をより深い分解にまでもたらし、新カント派が Funktion の考えかたをもって心理性を解体したのも、実にこのコペルニクス的転回の方向にそうところの遠き延長であるといえよう。


 動かざる客観が主体的理念の陰影的所産であるという古い世界観より、時間的に流動する主観がむしろ経験的客観的世界を一つの軌範の上に構成するのであるという世界観に転回することは、正に画期的であり人心にとって激しいショックであったに違いない。この転向が自由通商主義と市民文化の実践の発展的段階にそっていることは注意されなければならない。この新しい世界観が取りあげたまず新たな刺戟的な感覚ジン純粋あるいは絶対という形容詞句のもつ世界感において見られるのである。カントがそれを究極にまで検討することによって完成されし人間理性のもつ自律性の軌範がこの形容詞の中に潜められているのである。教権的独断を切り裁く犀利なる利刃であり、人間的自己主宰のよき防衛ともなり、数学的合理性の根拠であり、小宇宙的人間を大宇宙的秩序にまで結びつける結紐ともなり、新たなる人間的形而上性への飛躍の翼ともなる一つの心的ひずみがこの純粋あるいは絶対の形容詞句の中に表現されているかのようである。あらゆる考察における字句につけずにいられなかったこの形容詞の中に、すでに世界観に根ざす世界図式の意味的表現が包含されていたと思われる。
 この世界観的態度は宗教的生成的主体性を捨離して、自己完結的な体系の中に主観を位置づけ、それを基礎として軌範的対象としての客観を構成することを意味する。この世界構成の根源である主観を自我としてフィヒテが把握したとき、勃興しつつある個人主義はその中に、ノヴァーリスが彼の青年時代の手紙の中にのべたように、「古い世界をその枢軸より引き離しうべき槓杆」を認めたのである。しかしブランデスはこの過程を彼の文学論において次のようにのべる。
「人々は、――フィヒテ自身も根本においてはそうであったのだが――しかし彼とははなはだ異なれる方法において、絶対我の中に神の理念ではなく、人間的な思惟するところのものを理解した。しかして、専制君主の専横をもって一切の外界を撥無するところの、自我の唯我独尊的な新しい自由への衝動は、馬鹿馬鹿しいほどな気儘な、皮肉な空想的な若い天才たち、半天才、四分の一天才の連中を陶酔せしめた。疾風怒濤時代においては、そこでは自由、すなわち人々の渇仰したものは、十八世紀のもつ啓蒙であった。しかるにそれはみずから一層純化せられたる抽象的な形式で反覆されることによって、もはや自由、すなわち人々の貪っているものは、十九世紀のもつ放恣となったのである。」
 Brandes : Hauptstr※(ダイエレシス付きO小文字)mungen d. Literatur d. N. J. S. 202.
 この宗教的主体性が捨離され、軌範的体系の中核として主観があらわれ、この主観が自我として捉えられて勃興期市民文化の槓杆となり、さらにその主観性が放恣と混沌にまで頽落の過程をたどった運命は、また純粋ならびに絶対の言葉の負担されし運命の過程でもあったのである。純粋の概念のもつ意味は、体系的自律性において障害となる混入的雑物のないことを指す。それは統制における単一性を意味する。絶対においてもまたそうである。そこでは相対すべきもののないただ一つを意味する。この単一性が実に自律的個人主義の世界観の中に特殊な発展と変容をもつがように思われる。そこにそれがギリシャ文化の遺産であるにかかわらず、彼らのその捉えかたにおいて特殊性をもつのを見るのである。それが教権的独断に向う刃となったとき、個人的意志における自律的な自由として、生一本な激情として、創造として、天才として、人道主義の楯と共にあったのである。しかし、すでに教権も封建もが自己の組織の中に沈みゆき市民的発展の独自の型態に推移するとき、この世界観態度は沈潜的傾向をもつと共に、孤独限界遊離無為などの意味における単一的純粋性を帯びくるのである。そしてそれらのものは一応その品位と雅致を持ちえたのである。しかし市民文化の自己発展は、個人的自由通商主義より重工業的資本主義にみずからを押し進めることによって、人間的自律性としての体系的単一性は、個人的単一性の純粋よりして、組織的単一性としての純粋に変容すべく余儀なくされる。現代におけるいわゆる絶対の概念の一部を構成するところのものもまたそれである。哲学的思想において全体あるいは機能の概念が意味し経済的思想において統制の概念が意味するところのものもまたそれであるかにみえる。
 かかる意味の絶対主義はむしろ集団組織生産技術に向ってその人間的自律的体系性を守ろうとするにいたる。ここでは一方的観念的体系性がそのまま社会的具体的体系性にまで推論されようとしているのである。数学的秩序としての体系的純粋性がそのまま集団的統制として適用されるのである。これが個人的市民主義と異なるのは、個人的単位より集団的単位へと変異せることにある。しかし、それが観念的体系的単一性の推論であることは同断である。


 前節においては、世界観におけるコペルニクス的転回において、純粋あるいは絶対の形容詞句の表現する世界感の一群を考察した。数学的体系的純一性による人間的自律性への方向がそれである。しかしあらゆる客観が理念的主体性の所産的陰影であるという宗教封建的世界観的態度から、あらゆる客観が主観の範疇的構成であるとする世界観に変わるにあたって、体系的自律的統一の方向と、根本においては同一方向ではあるが、捉えかたとして別な方向における実践が考察される。それはベーコンよりカントをつなぐところの経験あるいは実験の言葉によって表現されるところの態度である。そしてそれはカントの理性批判より現象学・存在論・唯物論へと見透さるる一つの線である。そこでは存在感がまず基礎である。初期の多くの人々は自然の名でそれを捉えた。そしてそこでは主体性のテーマが封建宗教的なるものを、あるいは少し残留し、あるいはそれを完全に脱却しつつ、新しい形態をそなえて現代にまでそれをもたらしているのである。
 この実験および経験の世界観的実践はすなわち存在に対する特殊の愛着である。カントはベーコンのこの自然への問いかけとしての実験的方法に敬意を表し、批判の方法をそれによって構成し、その実験結果としてアンチノミーを導きそこに認識の限界を見いだすと共にその一般を擁護したのである(『純粋理性批判』第二版序文)。この実験エクスペリメントでアンチノミーが導かるる過程の中にすでに弁証法へのアリアドネの糸が見いださるると共に、ここにすでに単なる自然科学的経験以外の存在論的現象論への道が展かれているかに思われる。
 この方向への感覚的発展は主体性を単なる主観あるいは自我の中に捉えるよりも、むしろ主体の現在における実存性に重心を置くが故に、永遠に面する瞬間の一回性、その焦点の中に移りゆく主観ないし主体の様相を発見するのである。多くこの立場では流動的更替と力学的運動と発展的持続が問題となり、スコラ的時間概念が種々なる様相をもってここでは復活しくるのである。体系的純粋性と、この存在的発展性の複雑なる混淆であるヘーゲルの考えかたがこの方向に捉えられて、マルクスの唯物弁証法に発展しくることは、すでにその科学的実験性の工業的適用によって、自由通商主義が重工業資本主義に移る線にそって、歴史的事実性が要求した正当なる結果といえるであろう。現象学がベルグソンの時間論と共にハイデッガーの存在論の立場と道を共にして、存在を時間に解体し、その流動的発展性に自我の様相を溶解し、そして最後についにそれを躍進的不断の瞬間の持続における決意的不安として捉えたことは、またこの戦後の危機的時相の実存的反省の一つであろう。
 ただ問題は存在論的な実存の気分がもつ一つの世界感の一群の中には、種々な意味における瞬間のもつ一回性が含まれている。さきの数学的純粋性の世界感の様式がむしろ空間的体系的単一性であるならば、この存在の気分の中には時間的瞬間的一回性の感覚が横たわっている。この感覚は永遠の時、すなわち未来も過去をも、一つの虚無として、愕きのごとき一瞬一瞬が、空の空なる宇宙的空間の中を横切るごとき悪寒を伴う場合がある。この感覚が一歩様相を変えれば、その現存のあらゆる現象が根源的偶然であるごとき感覚、すべての行為が無動機であるごとき感覚となる場合がある。これらの世界観的実践は多く封建宗教的主体性的存在感をその経験の言葉の中に味わいつつ、すでに人間的文化構造がいわゆる止むをえない災禍ノートヴェンディゲス・ユーベルの中に個人的時間を見捨てて集団的歴史性に重心を推移した場合に、そのみずからの位置づけにおいてかえって存在より遊離して無方向となった時その世界観の蒙る内部解体でもある。
 この経験および実験の概念を始めより集団的生産的に取りあげた唯物論的立場においては、すでに主体性の概念は封建宗教性を脱却して、母なる自然としての生産的技術的対象として捉えられるのである。そこでは人間がみずからの実存を一つの自然力として取りあげ、自分の身体についている自然的諸力をもって、自然の物質的系列を人間秩序に変更するのである。そして自然を変化させると同時に自分自身をもその中に同化させるのである。かかる合目的な働きがすなわち労働なのである。この労働力に対して、その労働が働きかけるところの対象と、それが働きかけるにあたって用いらるるところの手段、これらの三つの要素の上に人間的生産力の構造が見透さるるのである。この三つの要素の中で自然の積極的態度に関連するところの、労働力と労働手段は特殊な構造をもって連絡して技術の機構を型造る。かくて技術の進歩の指標がその発展段階の指標となり、その進歩の線にそって、あらゆる将来が見透されなければならなくなる。ここにブルーノの能産的自然(natura naturans)は異なった意味をもって新しき主体性を帯びてくるのである。そしてここでは単なる科学的類推的な画一的全体性としてではなく、歴史的実践の意味における存在感のもとに流動的力学的発展性が具体的に取りあげられるのである。かくして集団組織生産技術に向ってその主体性が新しき装いをもって関連するのであって、さきの抽象的図式的体系性における全体性のそれとはあきらかに区別されなければならない。むしろここでは段階方向見透しが実践の中に常に生きて実存しなければならない。常に反覆することによって熟しながらさらにそれを脱落してさきに躍進する不断の瞬間とは、この自然的対象に向って立ち向う技術的時間の交錯とも考えられるであろう。


 上述したように、スコラ的世界観に対立するところの近代的世界観は、あたかもコペルニクス的転回と照応してカントがいうように、「全星群が観察者の周囲を回転すると仮定しては天体運動の説明を成就することができなかった後に、観察者を回転せしめ、これに反して星を静止せしめたならば、よりよく成功せぬであろうかを試みる」ことより出発したところの市民文化的実践である。
 この転回の線にそって、芸術観も変異し、また前述の種々の要素のいずれにか基礎づけられつつ作品もまた様式を変えきたったのである。現代の美の諸性格も、この複雑なる世界観的実践の種々なる組み立てより構成されているように思われる。
 芸術観の新旧両様性をここに大きくわけるとするならば、ギリシャにおいては芸術とは技術(Techne)でありまた模倣(Mimesis)であった。それに対して近代の芸術観は技術の概念に対しては天才の概念を、模倣の概念に対しては創造の概念を、さらに真と善との概念のほかにその上に君臨するの概念をもってしたのである(『深田康算全集』第三巻参照)。そしてその過去の芸術観の支配を脱するためには、新しい芸術観は徐々なる歩みを続けなければならなかった。その過程にあたって、ルネッサンス以後の前述のごとき世界観の機構がその地盤をゆるがせ、市民的文化が徐々に新たなその基礎となったことは深く顧みらるべきである。かかる芸術観の先駆者としては私たちはまずカントをニイチェをオスカー・ワイルドをショーペンハウアーをウォルター・ペーターを挙げなければならないであろう。しかしこの方向への発展は、それが教権への挑戦の武器としてかかげられたる時は正当なる権利を保持したにもかかわらず、その実践的弁証法的発展の中に一つの桎梏として変容し、天才独創の概念が、ややもすれば放恣個人性非真実性とに仮託的重要さを貸し与えるの危険性にまで立ちいたるのである。現代の芸術がもつ不安の基礎にはかかる機構が横たわっている。かくして私たちは再びこれらのものを止揚することによって、天才より再び新しき意味に於ける技術へ、独創より新しき意味に於ける模倣へ、唯美よりも社会的普遍的実在へ注意が再び向けられるべき契機を含んでいるのである(同書参照)
 しかも、これらのものが、旧き世界観に対する新しき世界観の、さらに自己分解的止揚を含んでいる意味において興味多いのである。スコラ的世界観を脱したる市民文化がみずからの発展の過程において、みずからの個人性を脱落して、集団的課題の下に動揺せる現代文化の機構の発展的段階において、この新しき芸術観は一つの見透し的パースペクティヴをもっていると思われる。
 かかる世界観的文化史的見透しのもとに、以下現代の美の諸性格の構造の分析に入ってみたいと思う。


 今私たちの住む現代が人々によって危機とよばれるゆえんは、一つの文化がそのあらゆる部門において、その興隆期を経て、さらにその成熟期をもち、今や何らかの形において分解と再建を要求せられていることを指すのである。芸術もまさしくそれに照応する発展段階をたどっている。私たちは市民文化の発達において、その勃興期を反映する多くの芸術をもった。自然主義、写実主義、印象主義等々の意味するところのものがすなわちそれである。
 しからばそれらのものは何を契機として破綻を示し、それが芸術の上にいかに反映をもちはじめたか。
 一九一四年のヘルマン・バールの言葉を顧みよう。「……現代は人間を単なる道具にする。人間は自分自身の仕事の道具になってしまった。……機械は人間から霊魂を奪ってしまった。……われわれは何の自由をももたない。……このような恐怖、このような死の恐怖に揺り動かされた時代は一度もなかった。世界がこんなに沈黙していることは一度もなかった。……芸術もまた深い沈黙に向って共に叫ぶのである。芸術は救助を求めて叫び、精神を求めて叫ぶのである。それが表現主義である」。この言葉の中に、欧州大戦が勃発する前に、すでにいかなる重圧が市民文化そのものの上にのしかかっていたかが見透さるると共に、人間がその存在感の上において、すでに在るべき故郷にいない距離の感覚として捉えられていることを見なければならない。すでに、そこにゼーレン・ケルケゴールよりハイデッガーにいたる実在に対する感覚的関連が見いだされるのである。ホドラーあるいはムンクにすでに私たちはベトンにより母なる大地より距てられたる焦慮を見るのである。ゲーリンク、トルレル、カイゼルらのすべてがまたこの嘆きの中に一様に沈むのである。彼らは常に人間に対してあたかもそれを呼びかえすかのようによびかける。人間はそこにいながら最も遠くみずから距てられているのである。そこに彼らのいわゆる不安と深淵があるのである。彼らはその障害をあえて取り除こうとするにはあまりにも行動力に欠けている。そこからもたらされるものは運命の感覚である。そのもつ悲劇性は存在の窮極的否定であるところのにまで到達せずにいない。そこに私たちはすでに個人的市民主義が、みずからの発展型態である集団的市民主義の前にその存在性そのものを失ってゆくところの、類型的様式とその特異なる悲劇的美感をここに見るのである。
 私たちはこの様式と区別さるるもう一つの存在感のもつ様式を挙げなければならない。それはこの存在の実存性の分析がより深い繊細性を加えて時の細片の中に分解してしまった現実性への研究的逃避である。あたかも記憶の底に睡る一瞬を無限にまで拡大せんとする飽くことなき存在への執着である。そこには一微塵を検出する拡大顕微鏡が分子のブラウン運動をあたかも星座のごとく輝き出したのにも似るであろう。しかし、その星座こそはまた測定さるべき一つの宇宙ではなかったであろうか。かかる存在感は疲れた魂のみにとって無限であり、安息所であり、窮極の哀感でありえても、しかし、あるべきみずからの存在への真の時間的邂逅ではない。未来を生みいだす真の現在の実存的把握ではない。かかる傾向が一歩を変ずればジイドに見るごとき無一物への願望ともなり、無動機の行為ともなるのではあるまいか。過去と未来の無限がただ空なるものの中に溶融して、現在における過去、現在における未来が唐突なる根源的偶然として光と音と香をもって落下する。この現在の実存への愕然たる驚き、その中における四裂処刑者のごとき細片にされたる自我、かかるものが、かかる類型における現在の構成者なのである。かかる製作はすでに心理と分析といわんより、時間における意識性の分析である。ここまで追いつめられてはじめて個人的内省的実存性はその窮極性を見いだすともいえるであろう。この態度の中には存在感の局限にまで進められたる芸術構成が含められるであろう。しかし、そこではアンドレ・ベルジウが指摘するように、「決定したり、行動したり、少くとも粘り強く行動することの不確信と無気力とをわれわれに暴露し、彼らはかくしてその人格を形成している綱紀の意識を失っている」のである。ただジイドが彼の宗教的確信の立場から個人的存在性より集団的実践への転向帰依を示しかつ再びすてたことは、現代の美の性格の中に、生ける身をもって一つのとなっていかに推移するかについて深い興味がもたれるのである。彼もまたみずから行為の限界に気がつくがゆえにのみ、次の世紀に向ってジリジリとした欲望をかけたかに思われる。さきの表現主義的世界観的実践にせよ、またこの新心理主義的世界観的実践にせよ、共に行動力なき知識階級が推移していく巨大なる歴史的事実に深い恐怖を一方では感じ、一方では瞬間の裂け目の中に落下的に逃避せんとしたところの存在感の二つのゆくえとも考えられるであろう。もちろん同じ知識階級がまた上すべりにこの集団的工業主義に追随した場合もないではない。マリネッティ以下の未来派の立場がそうである。それは一時的なファナティックな煽りであって、正しい肉迫ではなく、ただ街頭的消費的な速力的なる通りすがりの瞥見的興味以外のものではなかったのである。この傾向は欧州大戦に参加した芸術家の機械的武器および集団的圧迫の印象を通して、生産より遊離して、ただ機械のロマンチシズムにまで達したレジエ、グローメルなどが挙げられるであろう。この発展は後期印象主義の後継者であるキュビスムの発展に深い関連をもったのである。
 このキュビスムの芸術的態度はすでにさきの存在感とは対蹠的に体系的純粋性の世界感の群れに属するものなのである。数学的科学的形相として、それらのものが構成される。それらのものはロージエ・アラアルが指摘するように、「一定の関係において、単純な、抽象的な諸形式を与える」のであり、「数学的混沌の中において秩序を立てること」である。かかる傾向はモンドリアン、デスブルグ、モホリ・ナギーたちの無対象性の芸術にいたって窮極にまで立ちいたる。そこでは「われわれの中にある宇宙的なるもの」の直接的表現である。しかもその宇宙的なるものとは絶えず存在し持続するところのものである。一般にシュープレマチスムスといわるるところのものは、この純粋化絶対化の窮極性にまで立ちいたっているところのものを指すのである。
 これらのものは総じてすでに戦後の重工業主義に取り巻かれたる知識階級が、その桎梏を通して、その力の範囲において、可能的存在領域においてその美の様式を発見せんとした努力である。一応そこに現実存在よりの抽象的遊離が見られるのは当然である。


 かかる知識階級の世界観的実践とは別で、しかも、かかるピューリズムに非常に深い関連をもつ世界観がある。すなわちそれは技術科学者のもつ実践的態度である。ここではさきの単なる無方向的秩序の感覚として重工業的生産の世界を捉えるのではなくして、合目的な力として把握するのである。構成主義とよばるるものがすなわちそれである。ギンスブルグの規定のように、独立な組織体としての機械の基本的特性の一つは、その極度に精密な、正確な、組織性であり、また創造的観念の形成においてわれわれの感覚を導いていくものなのである。ピエール・アンプ、ケラーマンなどの技術者の報告文学の中にもかかる感覚がみなぎっている。コルビュジエ、ジャンヌレ、グロピュウスなどのもつ建築より出発せる感覚にもかかる合目的秩序よりの宇宙的秩序への関連がある。コルビュジエは「計算を基礎として技術家は幾何学的な形を表現する。しこうしてそれらの形は幾何学によりわれわれの眼を満足せしめ、数学によりわれわれの精神を満足させる。彼らの作品は今や偉大なる芸術たらんとしている」と宣言するのである。そして彼らは「建築の観念を追求するのではなく、ただわが宇宙を支配する原理に拠って、計算の成果と、生命ある組織性の観念に導かれて、基本的要素を定め、その要素を法則に従って相互に連絡し、人工を宇宙の秩序に合致せしめつつ偉大な情緒にまで到達するのである」。
 かかる世界観のもたらすところの世界図式の表現的意味はすでに個人主義知識階級の世界感ではない。すでに生命的に集団的秩序の一部署を守るところの一個人であり、その組織性の秩序の中に宇宙的秩序を共感するのである。ゆえにリップスのいうごとき感情移入ではなくして、すでに主観はより大いなる組織性の一部署として位置づけられし機能的無限共鳴でなくてはならない。しかし、この立場はまだ実践的段階的主体性から往々にして遊離しやすいところの、体系的純粋性の世界感の一群の中にとどまっているのである。新即物主義あるいは技術美が生成せし地盤はこの領域である。これが再び個人的知識階級に逆輸入されて一応影響をあたえたのも、すでにその根底に一脈の共通点があるからにほかならない。すなわち純粋絶対の世界図式の表現的意味の下に、集団と組織と生産と技術が取りあげられているのである。


 私は今まで種々なる世界観的実践において、その世界像の図式的構造の表現的意味において、そのおのおのがもつあらゆる桎梏に適応して、あえてそれを通して、人間的方向としての願望を激発し、輝耀し、発見してきたのを見た。しかるに今ここに、いかなる世界観的態度にも属せず、いかなる世界像にも関連せぬ図式的性格のもたらす芸術的制作に遭遇するのである。
 すなわちそれは利潤対象において、利潤対象としての大衆に対する、利潤的企画が生成するところの非人間的性格の所産である。それは芸術の大衆化の段階に切れこんだ利潤機構のもつ行動なのである。すなわち現在の営業的映画、営業的蓄音器、営業的百貨店、営業的雑誌新聞の人間社会に送りだすところの製作群である。その製作者は利潤が目的であるところの重役の企画がその組織の運用の核心である。そこでは購買性とその人員的多数性の経済函数がその基準となるのである。あらゆる世界観にも可及的に共通であり、あるいはむしろみずからの利潤的非人間的性格にほかのものを吸収し解体せしめんと企てるところの一つの機構である。シンクレア・ルゥイス、アプトン・シンクレア、ドライザー、カルヴァートンなどの人々が芸術的立場をもって必死に反抗したにもかかわらず、黙々たる勝利が獲られつつあるのはこの商業主義の上に延びつつある無性格の性格にほかならない。
 この傾向が最近のごとく映画会社、蓄音器会社、百貨店、新聞がタイアップの機構に拠り横の連絡を完成したことによってまさに戦慄的となったといえるであろう。ここで構成さるる無性格の性格は、利潤対象としての大衆性を新しく創造するのである。誰でもない誰かが生まれるのである。人々のいわゆる近代美とはかかる性格を漠然と頭の中に考えているのである。この性格の発展はそれが無軌道的であることを特徴とする。ゆくえもしらない斜面を落下する一団のトロイカなのである。このトロイカをすら、人間が喘ぎながらあとうかぎりの努力をもって飾らんとし、その唄をもたんとして唇をふるわせているのを見るとき、人間の美への浅ましきまでの飢えが感じられるのである。そこに芸術のもつ特異なる危険性すらもが気づかれるのである。
 一群の知識階級が近代美への恐怖として、多くの場合、機械とジャズとトーキーをあげる。そしてそれをもってしかたのない迷惑として詠嘆せんとする。しかし、その詠嘆の底には、みずからは永遠に気のつかない惨忍な人類への軽悔が潜んでいるのである。彼らは機構大衆を取り違えるばかりでなく、そのものからすら顔を背けている「淋しき人々」なのである。


 最後に、かかる利潤対象としての大衆性のもつそれではなくして、あたかも識閾下に抑圧して睡らされたる人間的慾望のごとく、あらゆる生産機構の下に摘発をさまたげられている世界感の一群がある。
 この機械と集団と組織の構造に個人的市民主義が推移することによって、それに対する種々の角度における反応と、その実践の構成を見た。しかし問題は、人間がそれによって何ものかを失ったにせよ、また何を得たかである。すなわち世界改造のこの轟音の中に感情がいかに改造されつつあるかが問題なのである。
 それは生産的技術における実践的積極的態度にみるところの、能産的自然(natura naturans)の新しき意味における主体性の発見よりもたらさるる世界観である。そして、それがまた感性の上に大いなる転回を見いだしつつあるのを見るのである。その意味において「われわれは今や感性の一つの曲り角に立っている」といえるであろう。
 街頭に見る交通労働者が擦違う時にさしあげる簡単な手を、仮りにここに例にとってみるとする。終日身震いしているエンジンの音の中に彼が失ってしまった多くの感性はあるであろう。しかしあの簡単なさしあげられたる手と微笑は、個人的知識階級の何人がさしあげえ、微笑しうるであろう。重々しく頭をもたげつつある仲間の感覚がそこに隠されている。戦場で唐突に襲いかかる身を裂くような寂寥感を最後に支えてくれるものはカメラードの感覚であるという。あたかもそれのように凌ぎきって生きている生活の涯に見いだすこの仲間の感覚は、嫉妬と猜疑、怯懦と孤独、反感と陰謀の中に焦慮する個人的知識階級に対しては、一つの限界感覚である。私はそれを組織感とよびたいと思う。生産的技術の実践において、能産的自然の積極的主体性より要求さるる一つの段階における組織的秩序において、自分がその一部署にくことは、その組織的秩序全体に一つのパースペクティヴをもつことである。すなわちその秩序の中に実践することによって、その組織をより新しい段階に押し進めるために、積極的意味における否定をもつことのできるところの新しい道徳的規範の出現なのである。そこでは「人は人に対して狼である」というごとき、自己完結的一人格との対立ではなくして、一つの実践的発展的組織内の異なれる二つの要素であって、そこで見いださるる争いは、より良きものに等しくなろうとし、先駆者に追いつこうとし、後進者に助力しようとする新しい感情である。この発展的組織的主体性にみずからが共に属しているという世界観より導かるる新しい感性は、全く将来に属するものでなくてはならない。構成主義もかかる取りあげかたにおいて未来をもつといえるであろう。この感性を基礎として、組織人のみ味わう寂寥、組織人のみもつ微笑みかたといったごとき、歴史の上にいまだ何人もが流したことのないと思わるる涙あるいは笑いが、始めて色あるいは言葉の上に展開できるのである。かかる感覚に、光あるいは音の型態中に邂逅したとき、はじめて人々は自分のもつ涙が何であったかを把握し、その時はじめて正しき意味において、時のもつ一回性的悠久性に参与しているといえるであろう。かかる意味におけるリアリズムに真の意味の大衆がいかに飢えていることか。
 かかる組織感のほかに、私は生産力の一環にみずからが属しているという意識より生まるるところの生成の感覚をあげたいと思う。生産感とも名づけられるべきものである。胸にいっぱいの空気を吸って、全身にみなぎる血潮を感ずる満々たる闘志ともいうべき健康感なぞとは一つの次元を異にしたところの、もっと巨大な、もっと悠久な、組織を基調としたところの、轟々たる生成の感覚である。この全宇宙が神で造られたといった世界観とは対蹠的に、自然力の積極的生成の如実なる暴流の中に、身を翻して没入するの感覚なのである。この感覚は単なる組織感の上に、そのおのおのの要素の行動的連関において、その部署の正しさを得ていることのもつ共感である。人々がダイナモのあらゆる歯車の一々の騒音の合成の中に、身を引き緊めらるるものを聞きだすのも、かかる有機的な正確な行動性への共感でなくてはならない。機械のもつ美わしさのかかる取りあげかたに、すでに未来派的なるものとの画然たる差異が見いださるるのである。
 かかる組織感と生産感のほかに、私はさらに、必然的歴史的発展の中に偶然的事件がその必然の線の上にいかに決定的に作用したかについて、繰り返すことのできない一回性を感ずるところの感覚を取りあげたい。それは歴史を遊離するのではなく、むしろ生産力の積極的主体性のもつ決定的方向の中に身をゆだねつつ、あらゆる偶然を、力学的力点として歴史の中に置いて見る感覚である。力学的構成の中に、事実を永遠の相の下に見る見かたである。あらゆる現実を歴史的なる段階と方向と見透しの下に捉えるところのしかたである。吸われるごとき吸引力を歴史の原方向に感ずるものが、その線にそってあらゆる事実を分析するところの本能的な力学的感覚である。すなわち歴史の歪曲の中に追いつめられたものが、事実に面する面しかたなのである。それを私は今事実感と仮りに呼びたい。そしてその素材としてレンズ、フィルムなどの物質的描写能力は、特殊な集団的率直性をもってその感覚に資するところのものが多いことを注意したい。かかる物質的描写体より成長する芸術的機関は、かかる感覚領域に遠い見透しをもっている。かかる感覚の基礎の上に成長するものは、すでに個人的市民主義における自然主義的リアリズムを去ること遠いものである。かかる世界観がその表現様式においていかなる型態において発展するかがまさに現状の最も大いなる課題であるといえよう。かかる新しき様式の発見が、現代において緊急に要求されているところの真の大衆の表現における積極的リアリズムを構成するといえるであろう。

 以上、私は非常に急速に現代の美の諸性格を基礎づけるところのものと、その推移を瞥見した。
 スコラ的世界観より、近代的世界観がいかなる転回をしたか、そして、過去の世界観を追い越すためにみずから拠らんとした二つの実践的方向、すなわち一つは自律完結的体系に拠るところの世界図式の、意味的表現としての純粋あるいは絶対の言葉の形容する世界感の一群と、他は現象的実験をもって自然に問いかける方向における、存在そのものに根ざす一つの気分としての経験実験あるいは実践の意味する世界感の一群とを考察し、そのおのおのが市民文化における自己発展において個人的なものより、集団的なものに推移するにあたって、その世界観のもつジャンルがいかに実践的反応をもったかについて顧みたのである。
 現代がその個人的なるものより集団的なるものに推移する過程において、それが最後的なる決定を前にして純粋あるいは絶対の世界感と経験あるいは実践の世界感とが、いかなる世界図式的意味表現をもって対立しているかをここに課題とし、その機構の中に、現代における美の諸性格がいかなる位置づけをもったかをここに問おうとしたのである。すでに課題自身において時の静止的截断を目的としたことによって、したがって論述が図式性を帯びたことの欠陥に関しては深くみずから反省するものである。
(『理想』一九三四年七月号)
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機械美の構造





「われわれは構成の時代にいる。社会的経済的に新しき条件への適応時代にいる。われわれの船は今や岬をめぐる。そこに展開さるる新しき水平は、これまでの陋習をことごとく論理的構成をもって修正せる不変の一線である。
 建築において今や過去の構成方法は終りを告げた。建築造型の表現上の論理的根拠をこの新しき基礎の上に立てたる時にのみ、人々は建築の永遠なる真理を見いだす。今後二十年がこの建築の課題を創造をもって解きはたすであろう。偉大なる問題の時代、解析、試練、美学上の偉大なる価値転換の時代、この現代こそ、新しき美学の出現するであろうところの時代である」
 コルビュジエによりて、この刺戟的な言葉が発せられてより、多くの肯定と否定がそれに向ってなされてはいる。ただしかし、時はその言葉を載せて推移し、その言葉の意味を実証しつつあるかのようである。けだし目下美学の面している位置はかなりある意味においてクリシスにある。いわば美的価値そのものの方向の鋭い転換に臨めるかのようである。われわれはこの時にあたって、そのよってきたりし、そしてまさにゆかんとするコースの変移に的確なる注意を要するであろう。
 ギリシャにおいてわれらの芸術の特殊性が考察されし時、始めにプラトンにより次いでアリストテレスによりて指摘されし概念は技術(techne)であり、また模倣(mimesis)であった。ロマン派的思想すなわち芸術至上主義はこれらの概念の否定より出発し、その芸術論は、技術の概念に対する天才の概念、模倣の概念に対する創造の概念の上に成立した。そして、ギリシャにおいてはは真と善なる普遍的実在の下に第三の帝国として存在するにすぎないのに反して、ロマン派的考えかたは、をもって人間本来の課題として、美の自律的独立を主張し、ついにはオスカー・ワイルドの「芸術が自然を模倣するのではなくして、むしろ自然こそ芸術を模倣する」というごとき逆説的警句とさえもなったのである(深田康算博士『模倣としての芸術』一九三六年三月)
 しかし、注意すべきことは、この新しき芸術観すなわち天才創造の概念は、それが指摘され確立されたる時は実に正当なる権利を保持したるにもかかわらず、その解釈者あるいは亜流によってみずからその正当なる意味の理解を失すること、あたかも技術模倣の概念がその正当なる意味の理解が怠られたると同様であったことである。すなわちそれはかの天才独創の概念がついにややもすれば放恣個人性非真実性とに仮託的重要さを貸し与えるにいたった危険性である。そして現今の芸術がになえる悪評はまさしくその欠陥においてであるといえよう。将来の美学をになわんとして努力する人たちのおおむね注意する点もまたこの欠陥においてである。そして彼らの視線は再び天才よりも技術へ、独創よりも模倣へ、唯美よりも社会的普遍的実在へ結ばるるにいたったのである。デッサウェルの再びカントの「自然の技術」への注意の喚起、シュワルツのその機械性への連続などはその先端として興味多い。また象徴の概念が、少なくとも芸術観の歴史的道程よりみて、模倣の概念より出発したものであり、もしくはその洗練されたるものである以上、そこにこれらの言葉の弁証法的意義を見いだしうるかのようである。そしてロマン派の陥りしものが放恣個人性唯美主義であったに反して、ギリシャ的芸術観より結果されしものは規律関係統一とであったことはさらに新しく私たちの興味をひく。コルビュジエのめざすものがすでにそこにある。アリストテレスにおいて、模倣とは人間の情緒(parthe)、性格(ethe)、行為(praxis)のミメジスであった意味において、コルビュジエのめざすものは規律と関係と統一を根底とするところの、機械のパトス、機械のカラクテール、機械のプラクシスにほかならない。
 ここにおいて、今や美学の経験せんとする新しき転換にあたって、ギリシャ的芸術観とロマン派的芸術観の対立は深い暗示をわれわれの前に提出する。そして、機械のもつ人間への関連ならびにその美の解釈は美学史上の新しき展望をひらく契機となることを約束するものである。


 ある日英国の画家ハイドンの宅で詩人たちが会食を催したことがある。餐宴もすでに終らんとする時、キイツは突然さかずきをあげて、「ニュートンの想い出よ災いあれ」といって乾杯せんことを提議する。みんな驚いて、ことにウァーズワースは杯を乾すにさきだって、その説明を求める。キイツはそれに応じて「彼は虹をプリズムに還元して、その詩を破壊したるがゆえに」と答えた。かくして一同は「ニュートンの不明のために」飲んだのである。
 この事件は当時の芸術観が科学ならびに機械に対してもった一つの結論を示すものとして興味深い。かのラスキンの鉄道線路に示した憎悪のごときもまたそうである、しかしテニソンはそれに対して静かにいう、「芸術は自然のごとく、その花をもって路さえも、鉄道の盛土の堤さえをも蔽いうる」と。あるいはそうであったかもしれない。なぜならばすでにコルビュジエはかのプリズムの光を指して、「魂の数学的作品である」と称し、かぎりない美しさとして捉えている。野のかなたに孤を描く虹の美しさを何びとも否まないであろうけれども、また私たちは実験室の闇の中に交錯する鋭い光の線条に対して特殊の魅惑を感ぜずにいられないであろう。そしてそこに新しき詩の形態を感ずるであろう。そこにこの半世紀において見ることの意味が、おのれみずから何ものかほかのものに姿を変えつつあることを知らなければならない。
 例えばコルビュジエの「見ざる眼」の意味する視覚、ベラ・ボラージュの「見る人間」、ヴェルトフの「キノの眼」に見いだすごとき視覚そのものの発展、それによる人の美意識の展開などが問題となるであろう。ベラ・ボラージュは印刷機械が人の思惟形態の意味を変えたるごとく、カメラのレンズの出現は人の視覚形態の意味を変えたとのべている。印刷機械と人の思惟の関連に関しては、それに関連して、さきにブチァーが「言う言葉」より「書く言葉」への転換においてギリシャが示した思惟形態の変革を指摘している。「書く言葉」より「印刷せる言葉」への転換についてはユーゴー、およびタルドがフランスにおいて示した思惟形態の変革を指摘している。「印刷せる言葉」より「電送せる言葉」に転じた現代においてそれが思惟ならびに人の感覚にもたらす変革は何ものか注意すべきものがあるであろう。あたかも言語領域でそうであるように、光の領域においても、また見ることの意味にもたらされる変革を無視することはできまい。
 レンズの見るもの、すなわちそれは物理的屈折光線が印画面上にもたらす化学的変化であり、その集積がすなわちレンズの平面的構成の過程である。それは、確かに人の眼球構造と相似の過程ではある。しかし、その屈折度の調整ならびに構成によるその空間的に視野の拡大と正確とその自由性、さらに時間的(ことにキネマにおいて)にその視覚の保存的正確性ならびにその可変的自由性などのことははるかに視的感覚のおよぶところではない。ことにその構成において示す一様なる調子、明暗の鋭い切れかた、精密なるリアリズム、確実なる直線ならびに曲線への把握性、その把握の瞬間性に起因する題材の豊富と自由性、また手法における方向の自由性、ならびに光線の方向の自由性など、それらのもたらす変革性は絵画史上のいずれの時代における変革性よりも激しき飛躍性をもった。激しき速力の把握力はいわずとするも、細胞の内面、結晶の構成、星雲の推移、ついには分子のブラウン運動にいたるまで、それはその視覚対象として把握する。すなわちそれはまた科学性のもつ情趣の芸術的味覚をも意味する。ついにこれらの構成の結果、そこに常につきまとうところの一つの性格が出現する。すなわちそれは精緻、冷厳、鋭利、正確、一言にしていえば「胸のすくような切れた感じ」である。それはこれまでの天才の創造、個性における個別性などの上に見いだすものというにはあまりにも非人間的なるファインさである。すなわち換言すればそれは一つの新しき「見る性格」の出現である。そしてこれまでの天才の個性ならびに創造の中に見いだしたものより異なれるほかの見かたである、言いかえればすなわちレンズの見かたなのである。数学的物理的正確さをもって構成されたる機械性の見る見かたなのである。日常の生活、新聞、実験室、刑事室、天文台などあらゆる領域に浸透せる、機械の見る眼、そのもつ性格は、すべての人間の上により深いより大きい性格として、すべての人の上にその視点をおとしている。コルビュジエの「見ざる眼」、ボラージュの「見る人間」、ヴェルトフの「キノの眼」もまたその冷たい瞳について語れるにすぎない。
 この「冷たい視覚」の「人の視覚」への浸透、これが最近の芸術、建築、絵画、彫刻における大きな動きの一つではあるまいか。かの瞳の冷たいうるみ、かの瞳の重いまたたき、かの瞳の内燃せざるまなざし、それらのものの模倣が最近の芸術の傾向に見いだす一つの流れであるともいいうるであろう。「個性」が一つのひろがれる「集団」の性格を模倣するともいえるであろう。
ピンゼルをすて映画に入ったレジエ、あるいは舞台より映画に入りしメイエルホリド、あるいはモホリ・ナギーの運動などのものをここで注意する必要があろう。ピカソの近況、ピカビア、ハガル、キリコの傾向もまた注意さるべきであろう。


 かくてここに出現せる「新しき性格」、人ならざる、しかも、人の造りし新しき「人間」、すなわち「機械の性格」はしからば、いかなる構造をもっているであろうか。
 スコットランドではまだ Wheel は Machine である。これを始源的にいうならば、人の「拳」のためにある「槌」と、現今の蒸気鉄槌との間には、一脈の連続があり、それが「道具」である意味において一致するであろう。それが打撃を目的とするならば、「拳」のかわりに見いだす「槌」とは、それが自然石にもせよ金属にもせよ、その硬度において「拳」のもつ効果とその目的において、その要素の意味をより多くもっている。「道具」とはかくして、換言すれば、一定の意志目的に向って用意せらるべき多くの要素において、人間の精神、感覚、ならびに身体の諸能力のおよぶあたわざる欠陥を補充するために用いらるる自然的存在ないしその構成要素を指す。
 例えば「尺度」(物指し)のごとく、空間の量測定において人の感覚ならびに判断の不安定性ならびにその有限性に関して、それを補充修正するの「道具」である。また「時計」はその時間的量において、人の感覚、判断の不安定性および有限性の補充修正の「道具」である。金属あるいはその構成が、人間の数学的理性の意志するところのものを、「もの」の中に具現して、人の感覚を修正し、人の感覚は再びそれによって、みずからの感覚を調整する。そこでは、こころはむしろものにりするといえよう。
 問題を簡単にするために私はこの「尺度」の問題を分析してみたい。感覚領域において空間的量測定について示す不安定性はすでに説明は要すまい。そこでそれと領域を共にする作用としての論理的数学的判断は一定量の等価分割あるいは倍加などの可能を規定する。その場合、感覚領域は論理的数学的関係を「もの」についてではなしに、「ものの関係」の上に相似的に運用して、いわば「目盛り」を「もの」の上に記号づける。それは「もの」の上に見いだされる「関係」の記録である。それはある程度まで不変的であるがゆえに、感覚領域はその記号の上に、一瞥して、恒久的数の運用、その函数性を把握する。「もの」に見いだす数の意味の表現である。すなわち数の象徴の確認である。「もの」であるとともに「不変なる関係の意味」であること、そこに象徴の意味がある。それは拙くいいあらわすならば「数の領域の模写であり、模倣である」。
 この「道具」としての尺度を、その空間的量の測定の手段として運用する場合、それは功利的道具である。しかしもし、その目盛りを、「もの」の中に見いだす数の運用性、すなわち普遍なる対象的関係性の surrogate(代入)として、「もの」の関係そのものを見いだす時、感覚はそこに一つの秩序すなわち叡智的計量を見いだす。それがすなわち精緻なる尺度に見いだす私たちのある種の感覚ではあるまいか。それは普遍的実在としての規律関係統一の模写であり模倣であることの認識である。それをとしていうならば、それはシルラーのいえる意味において、「最も十分なる意味における真」である。機械のもつ美わしさの最も始源的な、そしてしかも類型的なるものをそこに私は見いだすかのようである。
 かくして、論理的に規定する空間の標準すなわち意識の空間的対象に構成せられたる関係そのものを、物の中に、物の関係として代入し、その象徴的運用の中に標準性を具体化すること、そこに「道具」としての尺度の意味がある。
 時計においては、尺度における空間的標準と同じく、それは、時間的標準を、過去においては日光に関連し、水あるいは砂に関連したけれども、今は鋼鉄線条の弾性の関係の中に、永遠に回帰する時の律動性的関係すなわち記憶における再認識の等量性を代入する。しかし、ここにいたって、鋼鉄線の構成は歯車の目盛りの数学的関係による計算的構造をもちきたらなければならない。ここに「道具」の概念より「機械」の概念への分明ならざる推移において、もはやあきらかに「機械の意味における道具」として存在することとなる。この道具としての、「うつわ」と「からくり」の区別は漸変的であって、前者が自然的存在原型にその始源的出発点をもてるに反して、後者が科学的構成組織にその最後に到達すべき帰着点をもてることをもって区別するよりほかない。しかもギュヨウが指摘せるごとくすべての機械もついには有機的組織におけるごとき能率性にまでその完成の目標をもつとする形而上的考えかたを許すならば、「うつわ」より出発せし「からくり」は、ついに再び「うつわ」にまで帰ることをその弁証法的目標とするとさえいわれるであろう。神の創りしという(たといそうでなくとも)自然界の組織の数学的解釈と分析は、自然科学の報告が示すごとく、深い最も深い機械であることを告げている。ことに人体の生理の示すがごとく、「人間」は機械の出発点であるとともに深い機械の小宇宙であろう。しかし、ここに注意すべきは、「人間」なる機械が、「道具」としての自然の組織の中にその多くの組織そのものの構成によって「より大いなる人間」の組織体を構成せんとして努力せることである。ダンテの言葉を借りるならば、「老いたる自然の手がふるえているがゆえに、若い人間がそれに手を貸さなくてはならない」。いわば、「拳」より「槌」へ、「槌」より「蒸気鉄槌」へ、さらにその「拳」の自由性の模倣への推移の中には、「人間」が自然なる「からくり」の中にかぎりなく歩み入ることを意味する。
 かくして、人間が機械を構成するとは、「道具」のもつ意味において、「うつわ」より「からくり」に、「からくり」より「うつわ」への深い循環を意味するかのようである。それは「器」としての尺度より「機」としての時計の間にあるわかちがたき連続と一貫せる何ものかを意味する。かくして今やついにこの機械のディアレクティクについて、換言すれば、機械の意味の根底に横たわる組織性、ならびにそれによっての美について考察すべき場合となった。


 機械が道具の一テーゼであり、「うつわ」より「からくり」に、「からくり」より「うつわ」への一つのディアレクティクをもつことは、その構成する美の領域にもまた深い関連をもちきたることとなる。さきに顧みたる美学史上の大なる対立すなわちいわゆる古き芸術観、規律関係統一をその支柱とせる考えかたと、いわゆる新しき芸術観天才独創とをその支柱とせる考えかた、ならびにその後者が陥らんとせる誤謬すなわち放恣個人性非真実性とより脱して、再び健康なる規律関係統一の上に帰らんとするより新しい考えかたとの間にもまた、一つのディアレクティクが成立する。そして、機械美を支持しきたれる二つの考えかたがやはりその二つの立場に立っているのを私は見いだす。すなわちそれはギュヨウのそれが代表するものと、コルビュジエのそれが代表するものとである。
 ギュヨウは次のごとき意味において機械美を肯定する。「力の摩滅と無用な消費を避けようと努めている産業は、その理由によって、機械の運動に連続性と容易性とを与えんとしている。つまり、生存体の美型に近接せしめようとしているのである。かくて今日より明日と、機械の構成がいっそう整頓され、はるかにいっそう自己の生命によって生きているごとく見えるであろう。振子の運動は心臓のそれにいっそう近似するよう調整され、蒸気、水、空気は何らの跳躍なくして鉄の大血管の中を循環し、鋼鉄の槌の運動はいっそう自発性の外貌をとるにいたるであろう。要するに産業の理想は、力の節約であるゆえこれはとりもなおさず生命である。生命こそ最も節約されたる力である。生命こそ最も少なく消費して、最も多く産出する溶鉱炉であるがゆえである。しかも、生命は芸術の理想そのものである。」この生命的であるところのものが芸術の理想であるという考えかたは、多かれ少なかれロマン派的芸術観の烙印を帯びるものであって、心理主義の美学がついにる塹壕でもある。ギュヨウをはじめフォルケルト、デッソアール、リップス等々の近代美学がついに戦いのはてに拠るものはすなわちそれである。ブロックが指摘せるごとく、「機械とロマンティシズムはそれ自身相対立する概念である。しかし現代は機械のロマンティシズムである」という考えかたもやはり、機械のもつパトス情熱に、ある生命的なるもの、内燃せる憧憬を見いだし、鉄とベトンの設計図プロフィールに見いだす、その大きな横顔プロフィールを愛するのである。それはすなわち機械をして一つの偉大なる天才あるいは性格、すなわち集団の暗いうめき声より立ちあがりし巨大なる外貌、さらにいうならば、蒸気鉄槌をそのこぶしとし、起重機をそのたなごころとし、溶鉱炉をその心臓とするところの、あらゆる過去を、あるいはその一撃をもって粉砕するであろうところの、疲労を知らない巨大なる性格として畏敬するのしかたである。私はそれを機械の生命的、ロマン的美観として解釈したい。ホイットマン、未来派などの機械への関心はすなわちこの意味においてであった。
 これに反して、コルビュジエの考えかたはまたほかの角度よりせられている。「人がしばらく、船舶が運送の道具であることを忘れて、あらためてそれを見るならば、そこに見いだすおちつける、節度ある、調和ある深い表現の中に、静かな、鋭敏な力強い美をみずから見るであろう」。この見かたの底には、一抹の感情移入的見かたをのこすとはいえ、かの規律と関係と統一を求めるところの、彼にいわしむるならば「精神の数学的作品」の意味するところのものが含まれている。そこには生命の底にある「数」への関連がある。換言すれば具体的生命そのものではなしに、その生命を構成せる関係自体の対象的領域に向っての関心がある。関係自体の領域における対象性的構造の、物の関係への換置、あるいは代入によって、そこに「物」の世界に「数」の秩序を見いださんとする。それが運送の道具ツォイグであれ、打撃の道具ツォイグであれ、その目的、換言すればそれのための多くの要素エレメント複合コンプレックスである以上、そのおのおのの要素に対して、数学はおのおのの函数論的エレメントを対応する。そのエレメントのコンプレックスがその目的性を規定する。
 ここにおいて、その数学によって構成されたる鋼金の構造は、鋼鉄をもってする一つの函数、一つのフンクチオンである。機能のもつものはすなわちそれである。視覚はその鋼鉄の構成の中に、その目的が何であれ、その中に一つの叡智的なる関係自体の対象的関連を見る。その構成は手段とするならば一つの功利的道具である。しかし、その道具そのものを目的とするならば、それは関係自体の表現である。
 例えば自動車は速力、載量、耐久、価格などの多くの要素の複合としての機能概念(Funktionsbegriff)であり、一つの運搬の道具の目的をもつであろう。しかし、私たちの視覚の美的感覚はその運搬の道具であるよりも前にそれがそれらの要素の複合であるとしてそれを計量する。そしてそれが純粋であるかどうかを評価ベウルタイレンする。その意味で一九一〇年型よりも一九二九年型のほうが型の美わしさをもっているという場合、そこに要素としての欺瞞(L※(ダイエレシス付きU小文字)ge)がより少ないからであると考えうるであろう。それは道具としての功利性と必然的に同じ比率をもってその美感を益すわけである。しかし、それが美しいのは、ただ関係の対象性として、数と法則が決定するのであって、それが速く用を弁ずるがためのゆえではない。その意味でそれは厳密にカントのいう意味において無関心の美でありうる。そして、かかる美の規定するものは Stil ではなく、Typen でもなく、コルビュジエの指摘せるごとく標準(Standard)である。
 それはロマン派的見かたとしての天才と独創と唯美主義ではなくして、むしろ、模倣と技術と普遍的実在を目標とするものであり、放恣と個人性と非真実性を何ものよりも嫌悪するものであり、規律と関係と統一を何ものよりも愛好するところのものである。しかも、その意味するところのものは再び古い芸術観への還元ではなくして、ロマン派を通して、より高い古い芸術観への止揚である。すでにロマンティシズムが深いギリシャへの憧憬より出発したその始源的意味において、それは「機械のロマンティシズム」でもあろう。
 かくして、機械美に対する二つの見かた、すなわちロマン派的見かたとギリシャ的見かたはあるいはそこに相反する見かたのように私たちの前に置かれた。しかし、このことは深く考えることによって、より高い止揚を得るかのようである。すなわちそれは、ポアンカレーの次の言葉を思い起すべきであろう。「価値あるものは、単に秩序ではなくして、予想しなかった秩序である。機械はあるがままの事業を呑み込むことができようが、その魂は常に彼から逸し去るであろう。」そのことは、深い意味で機械が物ではないことへの注意である。それは鉄ではなくして数学的対象的領域の構成であることである。それが鉄に身を浸すのは、実験エックスペリメントの意味において v※(アキュートアクセント付きE小文字)rit※(アキュートアクセント付きE小文字) de fait に面することである。それは秩序より、予想しなかった秩序に面する。ポアンカレーの意味の総合性あるいは物理性に直面する。そこに機械のパトスが、機械のエトスが、機械のプラクセイズがある。
 永遠真理が事実真理の中に身を浸す、そこに鉄としての機械の意味がある。そして、そこで人の期待しなければならないところの、予想しなかった秩序は一脈のロマンティシズム、機械のロマンティシズムを含有する。すべての個人をオルガナイズしその細胞組織の中に暗い集団の構造を形成せんとするところの、かの新しきロマンティシズムの新しきヴェゲテジーレン(植物化)をもつ。
 この事実真理の領域における機械、それはその目標を有機体のもつエネルギー節約にまでその軌跡をもっている。ツェッペリンの型が魚の形に相似であること、機械が生物に近づくこと、そしてそのフンクチオン、機能構成が生物においては正しく予期しなかった秩序である意味において機械のディアレクティクは、再び美学史のもつディアレクティクに関連をもちきたる。
 機械が秩序であり、生物が予期しなかった秩序であるならば、機械美を基礎づけたる美の根拠は、それと関連して自然美を再び根拠づけはしまいか。自然美の構成的見かたは美学の今後の興味多き見かたである。感情移入の考えかたもがそのフンクチオンの上に考察されうる可能性をすら示している。例えば、生物としての人体のもつフンクチオン構成が、自然的対象のフンクチオンの構成と相似的関連をもつ場合、異なれる二つ以上の領域におけるフンクチオンの関連的連続、そこに感情移入的のフンクチオンの悦びがあるとも考えられよう。すなわちウティッツによって指摘されし Funktionsfreude は、単にそれを生理的領域にかぎるべきではなく、数学的函数論的意味にまで拡充さるべきであろう。かくして、有機的ならびに無機的自然構成を総合的機械性として解釈するならば、機械が自然の模倣であると共に、また道具ツォイグを通して存在すなわち人間の拡大である意味において、それは一つの大きな芸術の歩みとその歩調を共にしていると考えうるでもあろう。そして機械美が深い意味で一つの芸術美であることもまた考察されうるであろう。

ここで「自然の技術」Technik der Natur がカントの第三批判の失われて再び発見されたる序文の前稿において、彼の理論と実践の中間者として、第三批判展開の核心点となっていることを注意すべきであろう。(『哲学研究』百三十六号拙稿―「カント第三批判序文前稿について」)
 かくして、機械美が美学史にもたらす位置は、それが単なるロマン派的芸術観とはむしろ対立するものであり、古代のそれにより多くの根拠を有していることが、ただ唯美的放恣に堕せんとする現今の既成芸術に対して鋭い警告を発せること、美のるべき正しき道を示す一つの率直なる街燈であることを注意しなければならない。またその美が単なる感情移入では盛りきれざる豊穣なる示唆をその構成の内面にもち、コーヘン、カッシラーの論理の示す実体概念ズブスタンツベグリフより機能概念フンクチオンスベグリフへの転化、あるいは象徴論理派としての、ヒルバート、アッケルマンなどの論理の函数論化への努力、ならびに現象学派の示す機能フンクチオンとその複合コンプレックスへの関心、とその歩を同じうして美学がまさにまつべき大いなる転換、それを掘り起すべき一つの槓杆として、重要なる意味をもつというべきであろう。
 見る眼、聴く耳の、一日一日の成長によって、常に新しき性格が出現しつつある時にあって、機械はあきらかに一つの大きな性格であり、美学はそれに関心をもって決してはやすぎはしないであろう。この一篇がその粗き一つの試み、一つの試射となり、おおかたの修正を乞いうればさいわいである。
(『思想』一九二九年四月号)
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スポーツ気分の構造





 人間が自らを動物より区別するにあたって、道具をもったこと、又その道具の附託するものを指ししめす言葉をもったこと、そしてその道具の使用にあたって計画性と労働をもったことが指摘される。それは高い意味に於ける技術の会得である。そしてその技術は自らの生産関係の必然的発展に於いて、それ自らの特異なる型態に於いて人間の存在に関してその意義を開示し、或いは疎外したのである。
 一般に遊戯と言われる人間の行為は、この技術に関して、「何々にまで」或いは「何々のため」ということの会得に対して殆んど無関心に、只その有意義性そのものを性格的に浮立たせ明るみにもたらせるところのものなのである。その意味で単なる実存とは次元を異にしたところの、存在の会得並びに解釈に対する一つの通路となる。スポーツとはこの遊戯に属し、主として身体的技術を基調とするところの特殊な実存である。スポーツ気分とここに仮りに言うところのものは、このスポーツに於いて与えられる、又見出されるところの一つの気分 Stimmung に外ならない。そして、この気分が存在性格的にどんな構造をもつかをここに顧みてみたい。
 遊戯はこれまでの研究者によっていろいろの解釈を受けている。或る考え方では生産的技術の一つの準備として、その生産的附託性より遊離して、技術の抽象化をもつと言う。カール・グロース、チーグラー、ワイズマン等によって支持されている。次にはウォール、ヴントの考えるように生産的技術の生理的心理的遺伝としての本能であると考える。即ち一つは猟、戦、育児、模倣等の現象をもって、生産への準備の本能と考え、他は遺伝的繰返しとして解釈するのである。又他に生産関係の現象に於いて、生産の余剰エネルギーがその生産的技術性より遊離したる特殊技術を構成すると解釈する仕方がある。これは多くの支持者をもち、広い意味に於いて、シルラー、スペンサー、ジャン・パウル、グラント・アレン、カール・ミュラー、パウル・スーリアン等の学説がそれに数えらるるであろう。更にラツァルス、スタンダール等は一種の気晴し、即ち生産的技術の専門化による人間機能の偏跛な疲労に対して、今まで全然使用しなかった機能の使用によって、疲労回復を速かならしむるところの本能と解釈する。更にパトリックは精神分析的に抑圧されたものの解放の意味に於いてそれを解釈する。之等の一々に深入りすることは今許されていない。只それ等では――シルラーの「人間の美的教育論」を一先ず除いて――只要するに遊戯並びにその快感をもって一つの本能として記述していることを注意すべきであろう。リップスが自らそれを学問の屑籠と言った如く、それに投ずることで、言わば命名の魔術の中に、凡ての解釈はあたかもゴールラインに飛込んだランナーの様に、その進行を停止している。私達の解釈はそこから寧ろバトンを受取らなければならない。そのゴールラインをスタートラインとしなければならない。


 人間とは即ち道具を造る動物、従って計画をもち労働する動物であると言う自然科学者の考え方は、人間を猿より区別する重い契機であり、人間の本質を検討する哲学的人間学の大きな問題であろう。それと同じく、その生産的技術をその生産性より一定の角度をもって遊離して、その技術そのものの中に新しい一つの世界をもつことの出来ることも亦人間の本質的特異性として考察し得るであろう。シルラーに於いては、人間は遊ぶとき、はじめて全き人間なのである。
 如何なる自然的歴史的過程に於いて、労働が人間を創り来ったか、そして遊戯がいかにしてそれより遊離し、又それに対して役割を演ずるに至ったかという事は、今暫く問題として止め置いて、スポーツのもつ気分がいかなる角度をもって道具並びにその運用に対して見透しをもち、いかなる契機のもとにその存在性格を遊離しているかをのみここに問題としたい。ハイデッガーが空間性の概念を道具のもつ附託性の構造の中に見出し、その存在性格を範疇的意味と実存疇的意味に分類したところの仕方は、今私達の解釈に対してよき出発線を描いて呉れる。私達は先ずスポーツのもつ気分の空間的性格の構造より出発しよう。


 グラウンドに入った瞬間、眼を射るような幾条もの白線、直線、曲線、円、楕円それ等のものの前に先ず人々は緊った昂奮を感ずる。この昂奮は、もし人が気付くならば、線が、或いは楕円が単なる物理的空間である場合とは異ったものをもつことを知るであろう。
 即ちその白い線の一々はそれに沿って人間の肉体と技術の全機能を挙げて走り闘い争うところの血の構成の一部分であることを理解しているが故である。そこでは物理的間隔 Abstand は単なる間隔ではなくして、それを走破し、追抜き、到達しつくすべき存在的距離 Entfernung である。この単なる間隔を身体的力によって距離的性格に転換するところの転換契機が即ちこの緊張した気分の中に働いている。それはハイデッガーの構成概念を借りて用うるならば、範疇的性格を実存疇的性格に転換するところの中間的性格をもっている。「何々にまで」或いは「何々のために」と言うところの道具の有意義性に於ける距離とはそこでは一応遊離して、只「にまで」「のために」と言うその距離そのもの、追抜き突破し、到達しなければならないことそのもの、有意義性そのものが明るみに浮上って来るのである。その限りに於いて、意味そのものを意味する。人間の肉体活動が血と筋肉の構成機能をもって自ら「にまで」の存在と成ることによって、実存的構造を明るみにもたらすのである。そこでそれは血と筋肉によるところの存在の解釈 Auslegung の性格をもつ。その意味でそれは範疇的性格と実存疇的性格の中間型態として、Quasi 或いは Para-Existenzial である。悪戦苦闘の果に更に鋭いスパートをかけて、後三丁、ゴールのフラッグをジッと見つむる舵手のこころは、計画より計画へと喘ぎ闘う全生産構造を特殊の角度よりして深く見透すと共に、人間の実存在のよって立つ空間的性格を生まのまま明るみに浮彫づけるのである。
 この間隔を距離に転ずる空間的性格の外にスポーツには方向の感じのファインな秘密がある。射的及び弓術はその気分の最も類型化したるものであるが、ラグビーにせよ野球にもせよ、そのシートよりシートへの間に引かれたる線、殊にバッテリーを結ぶ線、ビリヤードのキューの狙い等の凡ては単なる方向 Richtung をして定向 Ausrichtung に転ぜしめたところの特有なる集中的緊張的気分である。あらゆる心的肉体的動揺の芽を消し消して、一つの形而上的点即ち目的に向って弓は引きしぼらるるのである。その気分は往々にして、現存在の負目、否定の存在的性格であるの根拠をすら覬わしめるものがある。生産的労働である猟に於いて、その引きしぼる弓の中に、その猟そのものより遊離して、道具そのもののもつ定向の存在的性格を露わにするところに、スポーツに特有なる実存的性格があるのである。この一点に向う狙心は Kine-aesthetisch に方向転換即ちカーヴの次元をもつことによってスポーツは更に特有な感じをもって来る。ボートの競漕に於いてS字型のコースのもつ興味はここにあるのである。ランニング、スケート、スキー、即ちコースと言うものがあらゆるスポーツに於いて醸すスポーツ気分は、この二次元的空間的性格である。速力的機械のあらゆるもの、殊に飛行機等のもつ最も大きなスポーツ気分はこの方向の感覚の切れた味にあると言えるであろう。この突嗟でしかも決定的な方向の投企には、一定の目的計画に向う全生産構造が刻々転ずる弁証法的情勢と段階に向って、躍進的否定をもって直ちに新たなる方針を決定するところの重い転換に喚びかけているところのものがある。この狙うこころがより遠く広くなり、それに高さそのものと言う存在的性格の空間的方向を加えたスポーツ気分は即ち数年或いは一生を犠牲にして一つのピークを狙うところのアルピニストのみがもつ気分である。これこそ最も深刻な方向の感覚である。彼等は常に山が呼ぶと言う。この Ruf 叫声の奥底に、寧ろわれわれはもっと深くもっと遠く木魂する声を聴くが様である。


 空間性の根拠を道具の有意義性に於ける距離と定向の上に見ることによって、スポーツのもつ特殊なる空間的性格をここに顧みた。更に今、他者の共同存在に於いて、その共同的なることそのことを遊離して開示するところの特殊なる共同世界とそのもつ気分をここに見出すのである。スポーツに於けるシートを守る、シートに着くと言うシートのもつ感じ、そのシートが他のシートとの間に存在する合或いはをとると言うの気分が即ちそれである。そこでは自分と言うものは他のシートとの各々の特殊なる機能と部署に従って、共同相互存在としてのみその存在の意義をもつのである。しかも、スポーツに於いて浮上り来るものは、その共同に顧慮する道具の附託性よりも、寧ろその相互の共同性そのものなのである。ラガーのハーフの一擲によってTBの線は言わずもがな、十五のラガーが球を中心に見えざる力の波紋となって、次から次に二方向的に作用する感じは、一つのチーム全体が一つの集団的実存的性格であることを思わしめる。よく練習の積んだボートのチームで経験することであるが、一人の人の心理的肉体的錯乱は後の七人の櫂先に直ちに感ずることの出来るものである。そして、これに反してこのの把握が完全なる場合、あたかも電流が櫂先に伝えるが如く、一つの時間が八つのシートの上に流れていることを心臓をもって知ることが出来るのである。気合と言う言葉も亦かかる気分の説明に用いられる。ボートのシートに於けるペアーに於いて、奇数番の部署の任務の大部のものはこのとリズムの心的肉体的調整にあるとも言えるであろう。そしてこの場合舵手の気合に於ける強靭なる忍耐性はチーム全体の生命を支配するといえるであろう。スターシステムの過去のスポーツがユニフォーミティーに向って方向を辿っていることはこの共同性そのものに向って成長して行くスポーツの将来を指し示すものである。又この共同存在の気分的開示こそスポーツのもつ特異なる存在性格であると共に、道具の附託が漸く機械的構成に深入りするにしたがって、それに適応する現存在は共同相互存在としての性格を漸次判然と示すに至る。この新しき投企に向って、この共同存在的気分の構造は人間の現存在的性格を遊離の姿に於いて明るみにもたらすともいえるであろう。道具の附託的性格が封建的構造をもつ場合には、肉体は剣に向って馬に向って、従ってスポーツも剣、鎗、馬等々に向って遊離の対象をもち、稍々個人的スター的性格をもちはしたけれども、今道具の附託的性格が資本的構造をもつ場合、肉体は機械に向って、機関的組織に向って、従ってスポーツもこのユニフォーミティーに向っての見透しのもとにそれが行わるるのを見るのである。したがって個人の解消と共同相互存在の性格的気分がその特異性をもって来るのである。


 われわれは今スポーツ気分の空間的性格及び共同存在的性格について顧みた。更にここにスポーツ気分の肉体的技術的性格について顧みるべきであろう。
 あらゆるスポーツに於いて各々フォームをもっている。即ち現在まで研究されつくした集積及び種々なる主張のもとに生成されたる一定の型である。スポーツマンはコーチより先ずそれを学ぶのである。そして最後までそれを学ぶのである。剣槍の名人等の伝うる何々流とはこのフォーム即ち型の意味である。眼前に見、言葉で聞き、身に触れ乍ら、しかもその会得は実に至難なのである。一日一日あたかも果実の熟するが如く、馴れ、寂び、大きくなって行くところのものである。試み、企て、練習する過程に於いて、フト判るのである。ハハアこれだなと判るのである。そしてこの気分は一念に於いて発得されるものであると同時に後の凡てのフォームにその匂いはまつわりついて離れない。「いき」「呼吸」「こつ」のもつものがそれである。然しこの気分も又次の練習の深まるにつれて又深い謎に入って行くのである。よきスポーツマンのスランプはこの「判らなく」なった期間を指す。この山と谷を越えて、フォームは漸く甘味うまみを盛って来るのである。この時の上に熟して行くところの、成長そのものを筋肉の中に味う気分こそ、スポーツマンのもつ最も得意な微笑である。叱られながら叱られながら強いられた猛練習の翌日、フト何でもなくこれまでいわれつづけたところのものが判ったとき、会得できたとき、腑におちたとき、即ち出来たときの気分は、全く朗かである。それは時そのもののみずから熟して行くところのの甘さそのものの中に酔うこころもちである。投げ出されたるものがそのまま投げ企てられたところのものであったのである。ハハアこれだな、というこれこそは全く「現」のもつ実存在論的構成に於ける被投的投企 Geworfner Entwurf そのものを筋肉の中に把え来って明るみにもたらせているのである。その意味で一応身体的構造による存在の解釈へその方向をもつとはいえ、ここでは言葉に陳述されるものではない。その意味で「……として」の構造 Als-Struktur はもたない。寧ろ Vor-Struktur としてすでに気分的に判っていながらうまくゆかないのである。そして練習の後に始めて「……として」はっきり判るのであって、この二つの構造の中間構造として、この愈々深まり行く実存的気分的性格は特異性をもつのである。この気分はスポーツマンではお互に緊って行こうといった様な言葉でいいあらわされている。すでにあるフォームへのマンネリズムな頽落、好い加減なミーティング、フォームを整えての力抜き、それらのものより脱出して、一刻一刻新しいフォームに向っての疑問と不安、不安を通しての悦楽に、更にその水なら水、土なら土、山なら山に向っての、いわば自然的機能に切込まんとする、「ウェルトへの愛」を通しての闘志にまでこの気分は関連するのである。


 これまで解釈し来ったところのものは、スポーツマンが疲労を感ずるまでの気分である。彼等がその疲労を通して立上り始むるとき真のスポーツ気分が出るといえよう。リップスが指摘する様に耐えることは一応受動的である。この苦痛を感ずる意味での受動性は、その苦しみを持ちつづけ、抵抗し、打破り、耐切るとき、それは能動的なものよりも、もっと能動的なるものを含んでいる。肉体はそこでは疲労の重力の上に立上り行く血をもってせられたる建築となる。
 一本一本のオールを流さないこと、誤魔化さないこと、それはむしろ、いわるべき言葉ではなくして、筋肉によって味覚さるべきものである。疲切った腕が尚も一本一本のオールを引切って行くその重い気分は、人生の深い諦視と決意の底に澄透れる微笑にも似る。この微笑気分はよき練習と行きとどいた技術の訓練に於いては特殊の「冴え」をもたらすものである。オール或いは水に身を委ねた心持、最も苦しいにもかかわらず、しかも楽に漕げる境、緊張し切った境に見出す弛緩ともそれはいわるべきものである。あるまま思切り振舞って、しかもあるべき調子に乗って行く気分である。それはいわばこつ、気合の冴えとでもいわるべきものである。耐えることは最早放棄しか有得ない極みに於いて、何物かに身を委ねる。それはフォームといわんにはあまりにも流動的である。成長するモルフェの瞬間的な把捉であり、時そのものの特殊な実存的深化である。よくコーチがどうしてもフォームを修正できない選手をして疲切らしめる事がある。その疲労の中にしかもオールを引いている選手に対して「そうだ、その気分を忘れない様に」という事がある。未だ自らのフォームを自らが意識しているうちはそのフォームは真のものではない。いわば「岸が気にかかっている」。すでに所謂天地晦冥只水とオールとに成りきるとき、身は自ら水にアダプトして融合して一如となる。その気分の中にこそ、成長するフォーム、なま身の型がある。それはコーチの百千万の警告も只閑葛藤にすぎずして、遂に伝え得ない底のものであり、耐えることの極みに於いて、働きそのもののみが告知するところのものである。ベッカーの所謂「自然の好意を経験する」とでもいうか、そこにあるものは形而上学的時間、即ちハイパーフェノーメンの領域である。「異った時間の同一の今」が、即ち流れない時がそこに只拡って行くのである。その意味でフォームは自ら産み出づる図式であり、人間の心霊の深みに隠れている技術であり、自然の内奥より窺い学ぶべき闘うこころなのである。


 こうしてよきスポーツマンの実存は、掴得したフォームの気分を常に反覆的に繰返して味うことによってそれを熟せしめながら、しかもそれを脱落してより先に躍進せんとするところの、愈々不断の瞬間の持続である。これに反して、所謂ファン及び観覧者のスポーツ気分は、又すっかり異っている。彼等は勝敗が問題なのである。スポーツマンにとってはその技術が各々格段の差をもっていてもその気分に於いて大した差はないけれども、ファンにとってはそれは無意味なのである。彼等にとってはスポーツ気分はどちらが勝つかという蓋然性が均勢が取れた場合に始めてあらわれるのである。ダイスの目の蓋然性と殆んど変らない。したがって肉体的要素は観照的対象としてのみ意味をもっているのである。そこでは単なる期待の戦慄に我を忘れる事が出来、目の前の勝負の結果のみが問題なのである。その時ばったりなのである。スポーツマンは勝っても負けても、それによって賭金を得たファンほど喜びもせず又それを失ったファンほど悲しみもしないものである。多くの場合ファンの敗れた場合その悲しみは選手への怒りに変化することすらある。よきスポーツマンにとって勝敗その何れにせよ、往々暫し呆然としているものである。勝った場合は「あれでよかったのか」といった様な驚きに似た気分であり、敗れた場合は寧ろ敵に対して「よくやったなあ」といった様なやはり不思議な様な驚きの気分である。彼等を踊上らせたり泣かせたりさす気分的昏迷は先輩応援者等の圧力への意識的な関聯に於いてである。多くの場合それは質のよくないあがり気味のスポーツマンの芝居ですらある。彼等は踊ったり泣いたりするにはもっと深く長く凡ての練習を通して微笑み且つ泣きつづけて来ている。勝って泣くのも敗けて泣くのも、その長い苦闘に対して自分をいたわる涙なのである。ここまで来たと始めて眼をかえすときのアルピニストの胸に湧き来る遠い哀感と何の変りもない。
 このスポーツマンの常に反覆することで熟せしめながら、しかも愈々それを脱落する瞬間の持続と、ファンのもつ単なる期待に前後を忘却するその時その時の持続との間には、時間の構造に対する見透しに於いて、自ら異ったものがある。したがってその気分に於いて判然区別されなければならないと思われる。
 この二つの性格に於ける時間気分が、スポーツの階級性のモメントと成る。即ちスポーツの気分的性格に変化はないのにかかわらず、このファンの期待的自己忘却的現前性は歴史的文化形態に従って、種々の類型的発展を遂げて、スポーツマンシップを或る時は開示し、或る時は疎外するのである。封建宗教的文化型態に於けるギリシャのオリンピアの選手と、ローマのコルシュウムに於ける奴隷とを思い合わせれば好い。現代の資本工業的文化形態に於いて、スポーツが営業広告的形態をもち始め、生産的構造より人心を遊離せしめる機能にのみ発展しつつあることは、このスポーツの気分的性格の一隅のファン的時間気分の僂背的発育にしかすぎない。多くのスポーツマンは資本的ジャーナリズムの喰物として、ローマ的奴隷的型態を深めつつあることは最もここに注目さるべきである。時計的タイム及びレコードに過度の重要性を持ちつつあることは、実にこの資本的文化型態の人間奴隷化のひとつの顕れにほかならない。スポーツ気分の時間的性格は、この時間的タイム、レコード及びスコアを越えて、より深く実存の内底にその根拠をもっていることに気付かなければならない。
ハイデッガーの用語の翻訳のまったくすべては九鬼博士の昭和六、七年度における講義ならびに岩波講座『実存の哲学』に負うところのものである。
(『思想』一九三三年五月号)
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近代美と世界観





 一九三〇年トーキーが出現したことは、芸術の世界では、一八三〇年に劇『エルナニ』がパリーで上演された時の衝動よりもより大きな影響を与えたと、フランスの批評家クレミュウはのべている。
 映画が音を得て、劇としての姿をととのえた時から、それは、芸術としての本態の偉力を発現しはじめたといえよう。映画のみならず、今や、近代美の世代が、すでにはじまったといってよいかもしれない。
 この近代美が、いろいろの世代に対して、いかなる特異なる芸術的条件をもっているか。そして、世界観として、いかなる基礎の上にそれが立っているかについて顧みてみたい。
 一体われわれは、新しい美というものをいかに取り扱うべきであるか、なぜ美には新しい、古いがあるか、美は永遠のものではないのか。
 ギリシャ古代の劇とシェークスピア時代の劇との対立、さらに、近代の映画における劇とシェークスピア時代のそれとが一つの様式をもっているものとは考えられない。日本においてもまたそうである。王朝時代にはその時代の美しさがあった。それはさやけさとでもいうそういったものが確かにあった。その後にあらわれた、さびは世の移ろうことに何物か感ぜずにいられなくなった平安朝時代の新しい美である。鎌倉時代に入るとそれはもっと人を緊張さす強いものが必要であった。すなわち数寄すきを尊ぶ武士のこころもちのもつ美しさである。さらに徳川時代ではどうであろう。徳川町人のもつ美には彼らのいきというものがある。例えば、それは一応武士とは対立感としてあらわれている。武士気質と町人気質との対立であるとも考えられる。武家にとってはよい物であったとしても、それは町人にはもはや野暮なものである。このように吉原を素材とした芝居にあらわれる旗本と町奴の対立もその趣味のやりとりから来たのである。美しさそのものが、野暮を捨てる対立モメントとした、すなわち「いき」といった契機の美しさとなるのである。
 かくして新しい美は生まれてくる。現に今われわれが美しいと思っているものは、これまでと少し違うものであろう。あるいはむしろ、この文化の殻を抜けるところ、脱落の行動が美を感ぜしめるともいえる。われわれが今近代美というのは、もっと未来の時代のもっている何かを用意している。そこには未来のロゴスが含まれているようである。


 エスキロスの悲劇とシェークスピアの悲劇との対照、そこにはそれらのおのおのの時代全体がもっていた文化の裂け目がある。エスキロスの悲劇中にはギリシャの氏族制度が崩壊して奴隷制度があらわれる裂け目が表現され、シェークスピアでは封建が崩壊して個人文化が出現する裂け目が表現される。前者が運命悲劇といわれ、後者が性格悲劇といわれるのは、この二つの基礎の変化の反映である。
 美は流行を意味するのではなく、いかにその時代の深い意味が表われるかにあるのである。新しい美の構造は決して思いつきのものと違って、むしろ、なぜそうなければならぬかという新しい基礎がそこにあるのである。美は移る。しかし、それは決してはかない移りかたでなく、歯車のようにそれ自身廻転しながら他のものへと移っていくのである。時代の趣味とか世界観とかのいろいろな裂け目があって、そこに初めて喜劇や悲劇の行動性の表現となるのである。新しい美の生まれる時にはそこに必ず新しい基礎があるはずだ。例えば、現代あまりにも古典視されているものでも、その時代には新奇なものであった。ドラクロアの『シオの虐殺』は絵画の虐殺といわれた。ベートーベンの音楽さえもかつては狂人の音楽とさえいわれたのである。それが資本主義の推移にしたがって、もはや古典となり終っている。映画にしても十年前には芸術ではなく、下って四五年ぐらい前には半芸術というほどであった。しかるに現代ではそれは最も新しい芸術であるといわれる。ここにわれわれは、その美の動きの中にまさしく必然力があると思わねばならぬ。
 その意味から美の基礎を見ていく芸術論そのものの変遷を顧みると、まず、プラトンやアリストテレスなどのギリシャの芸術論を取りあげてみるに、彼らは芸術は模倣であるといい、また芸術は技術であると考えた。この模倣や技術の概念が新たな近代精神によって駆逐され、カント、ショウペンハウエル、ニイチェなどによって、模倣でなく創造であり、技術によるものでなく天才によるものであるという思想が新たに芸術論を造った。
 この考えかたがロマン主義を導いたのである。しかし、ロマン主義は歴史の中に三つの対立でみずからを転換している。一つは古典主義に対するロマン主義である。二は自然主義に対するロマン主義である。三は現実主義に対するロマン主義である。
 第一のものは、封建的な身分的固定としての古典主義に対して、個人関係自由奔放分散性をもっていて、天才および独創が実にめずらしい新たな概念であったのである。その意味で進歩性をもっていたのである。一七五〇年、一八五〇年前後に発展した考えである。自由通商ということが実にめずらしいころの世界の姿であったのである。イギリスではワーズワース、バイロン、シェリーの時代である。ドイツではシュレーゲル、ノヴァーリス、ティークの時代である。フランスではシャトーブリアン、ラマルティーヌ、ユーゴー、ミュッセ、スタール夫人の時代である。
 しかし、この一度獲られた自由も、獲てみると多くの桎梏である。メーテルリンクの捉えた青い鳥のように、実は多く死んでいた。自分自身が信用できなくなり、自分が何を真に欲しているのかわからなくなり、自分のもっている自由がみずからを妙に憂鬱の中におとしていく。一切が嘘に見え、一切が倦怠に見えてくる。ここにあらわれたのが、この無方向に、そこにあるものをじっと見るという、何の方向もない心理観察である。それだけがただ一つの自分にのこされた真実であるかのように、一片の藁のように客観にすがったのが自然主義の姿である。一八五〇年後の前世紀の後半は普仏戦争の一八七〇年を機として、大きな転換をしている。機構は個人を見捨てて、もっと人間が、一人二人で手のとどかない巨大な機構として一人歩きをはじめている。個人の破砕、このことは世界観にとっては、危機となったのである。シュペングラーは西欧の没落をとなえ、ヤスペルスも文化の危機を説かずにいられない事態がそこに用意されたのである。この何の方向もない観察に堪えきれない魂の危機が、第二段階のロマン主義である。
 この巨大な機構そのものの危機が、かの欧州大戦を勃発せしめ、その傷から集団も個人も一時は立ち上りかねたのである。ダダイスムも表現主義も、無意味に「人間よ、人間よ」と人埃の中に見失った母を求める子どものように叫びつづけたのである。
 この傷から集団が立ち上った時、傷は一時癒えたかのごとくであるが、なんだか引きつっている。のびのびと大空の下の人間とは似ても似つかぬ傷痕が人の心の底に長く引かれているのである。足萎えたる者が歩道を不自由に歩きながら、やりどころなき飛躍を夢想するように、今この第三段階の転換面にあるロマン主義は、無方向の爆発を胸に蔵して、すべてのものを敵として、一人みずから孤高を唱えて狂ってくる。リアリズムの対立物として、みずからを凄愴に構えるロマン主義には、見るにはあまりにもいたましい爛傷がかくれている。これが日本をこの戦争の中に突っ込んだのである。このロマン主義はリアリズムと一歩の差である。ジイドが回心するか否かの一歩の差でみずからに一線を画したがごときものであった。一方は常に他方の対立モメントである。ただ一方が独立に一方だけであることができぬほど、世界観は静力学的のものではなくなってくる、みずから動力学的に対立契機となってくるのである。
 ロマン主義がこの段階で無方向な焦慮と、癒えることのない傷と、不具より来る孤独感と、それに対する宇宙的反撥、ついにこの戦争の血への惑溺へとたどる線は、あたかもこの段階の機構が、誰がするともいえない機構のからくりの中に、巨象を檻の中に追い込むコースのように、すべてを自分のたどる破滅の中に誘うかに見えたのである。
 天才奔放に転化し、創造孤高へ、さらに個人の焦慮する孤独へとおちこんでいくのである。そして非真実猟奇に自分を売り渡したのである。彼らはこの危険なる猟奇で戦いの中に歩み入ったのである。


 しかし、すでにこの段階において新たな技術そのものが自分の道を歩いているのである。それ自身としては人間の対立物でない面をもつ技術が、すでにそこに成長しているのである。再びここに古代よりも違ったもっと巨大な技術が問題となり、世界的実在が美の根底に取り上げられるべくそこに眠っている。われわれは古代、近代、現代をかえりみてむしろ、さらに再び古代への新たなる復活をここに見いだすのである。現代においては美は若者の手をまっているのである。それを正しく継ぐのは若さの任務である。
 ここにいろいろな美があるが、まず、卑近な例として写真を取ってみる。ここで芸術の構成はいかなる機構をもつか。絵ではある一つの素材を感覚を通してカンヴァスに再現する。カントは感覚は主観的なものだと説いている。しかし、フィルムというものは対象がレンズを通してフィルムに影像を受け取る。その影像は主観的なものではなく、全然物質的客観的なものである。主観というものはある一物を毎日同じように眺めない。一つのフィルムは何度取って見てもそこに客観性を帯びているのである。さらに映画のコンティニュイティーを考えるなら、そこではフィルムの像は他の像と結合するのである。すなわち表象を総合する行動までもするのである。その事実はさらにいろいろな方面にも適用できる。写真、映画、トーキー、そのいずれも、音の記録も感覚の主観作用ではなく物質客体の再表現となっている。すなわち、あのカントの認識論では説明できない「物質的客体」として感覚があらわれているのである。百号のカンヴァスよりもベストの一スナップに受ける感覚のほうに現実性がより鋭くあらわれる。機械と人間集団とが結びつくと新聞というものが現われる。読者はあの記事を読む場合、芸術家がそれを書いているのだとは思わない。それは個性ではなくて、一つの集団的性格の単位の中に人々は動いているのである。ここに報告形式の文章が生まれる。一つの小説よりも、ただ十行の記事の中に人々はより大きな感激を受ける。そこに事実感というものがあるからである。一人の個人の主観を通したよりも、もっと異なったところの、事務的な率直な、レンズのあらわしたような感覚がここでもつきまとっている。トーキー、ラジオの観照でその初めの一瞬に私たちが受けるものはすでに機械機構の組織感の中に自分を見いだしている。そこに人が人と組んでいる組織感をもすでに感じているのである。また新聞の記事は昨日のものではなく、その日のある事実を書いているということが大きな問題である。そこには歴史がいかに悠久であろうとも、この日のこの時に起ったことであるという聖なる一回性がここでは感じられるのである。歴史に追求せられたものが、歴史のどこの事実にもそのプラスマイナスを嗅ぎわける感覚がここにかくれている。
 こんな事実感とか、組織感とか、歴史感はすでに、新たな世界観の深淵を予知する潮騒である。このごろ写真の選択の標準の中に生産感が加えられているが、実に、この事実と組織の感覚は、この生産感にほかならないと思う。『萌え出づる力』のごときウーファーのはるか昔の映画ですら芽のコマ落しで撮った映画が、かくまで植物の伸びんとする力を写しとったことは一つの新しい叙事詩のように感じられる。そして、ここでは、単に植物のすがたではなくて、歴史のあらゆる抵抗、真実の発展の根強さをまで指示するかのように、私たちの胸をうってくるのであった。今見るユナイテッド・ニュースの一つのコマを見ても、それらは美といわんより現在の歴史の花とでもいいたいものである。
 事実をそのまま、物質的手続きでもって、他の流れゆく時間の中に射影的に再現することが映画の偉力である。それにもかかわらず、現代の利潤追及の資本主義機構は、演劇を実写して、缶につめ運べる劇として、この映画を利用し、あたかも、それが映画の全機能を発揮しているかのごとき錯覚を大衆に与えていることはおかしなことでもある。
 硫黄島の上陸、スターリングラードの防衛のごとき歴史の描くシナリオ、太陽のライトの下に、運ばれている劇こそ、最も大いなる演劇である。
 現実が最も神秘的なるものであるという感覚は、映画が人間にもたらす大きな美感である。
 今や演劇は、映画のもつ現実感を、自分の中にとり入れはじめている。アメリカの演劇はその最もはやく、その傾向を示しつつあるといってよいであろう。


 私は今まで、美が単に不変化のものではなく、むしろいろいろの姿をもって歴史の中を歩みきたったことを顧みたのである。そして今かかる姿において美を受け嗣いでいるのを見たのである。しかし、決して、新しいものがよくて古いものが駄目だというのではない。何の美も正しくあらわれてはいつも他のものとなってくる、そして他の新しいものがあらわれるといったあらわれかたをするのを顧みたのである。
 この次々にバトンを渡されながら移りきた美の変遷は、しからば世界観としてはいかなる基礎の上に立っているのであろうか。すでに今までのべるにあたって、それと無関係にはのべなかったのではあるが、さらにあらためてここで世界観の基礎を考察してみよう。
 世界観とは一般にウェルトアンシャウング、すなわち世界直観ともいわれるところのものである。世界に自分が関心をもつにあたって、そのただちにもつ姿勢の癖ともいえよう。それは宗教にも芸術にも、理論にも道徳にも関して連なっているものである。
 ギリシャの紀元前三世紀ごろの主客の関係は、一つの根底の動かないもの(ヒポケイメノン)があって、その上に多くの数多が関係をもっていたので、この主体は今基体的主体とよばれているところの主体であって、客体は、この主体の部分であったり、下級のものであったり、力弱いものであったりするのである。
 アリストテレスのヒエラルキーの考えかたは、それを代表したものであって、すべての関係は身分的に不動であって、階段があり、秩序があって、いかなる関係の組み替えも許されない。概念の構造もそうであるが、芸術も、この本質の模倣の模倣といったように、この根底的な世界への姿勢から割りだされた行動がそのころの世界観であったようである。
 氏族が崩壊して、奴隷制に移りかけた六・七・八世紀はもっと違っていたであろう。世界観そのものが裂け目の中に混乱して、さきにのべたエスキロス、エウリピデスの悲劇がその裂け目の行動性として生まれたので、ターレスがこの世界を水と呼び、ヘラクライトスは世界を火と口走った時代である。この世界は火のごとく水のごとく動揺していたものと考えられる。
 アリストテレスの時は動乱中の動乱であったが、すでにマケドニア王アレキサンダーの師として、彼は新たな国家論を説くべく役目をもっていたので、このソクラテス以前のギリシャの味方ではない。だからこの考えかたは真のギリシャの世界観とはいえないかもしれない。アテネのすべてのギリシャ人に憎まれたアリストテレスはむしろ、マシュー・アーノルドが指摘するように、のちのすべての欧州の国王、英国の国家論として生き残ったともいえるかもしれない。とにかく、この考えは、ギリシャの世界観といわんより、後の身分固定の封建的な生きかたの中に深く根をおろしていったのである。動かない一つのものがある。それに対して大衆は属している。その命のままに動くべくすべての存在が規定されている。概念もかかる意味のものを絶対存在とする。それを宗教は抽象してキリストとし三位一体を考えだし、芸術では、このイデーをわけもつ自然を写して、さらにイデーに近づける模倣の技術と考える。政治の世界では神の絶対性を法王がわけもったように、一つの世界観が全体を支配したのである。これがそろそろ壊れはじめたのが十二世紀より十五世紀のルネッサンスとよばれる時代なのである。三位一体を支えるにはあまりにも黄金が欧州を支配しはじめたのである。コロンブスはその狂気を代表して大西洋を渡り、ボルジア家の腐敗は法王の位をすでに今までの関係で人々の前に置くにはあまりにも見るに堪えないものにしていたのである。サヴォナローラが、ルーテルがこれに向って立ちあがっていく。ミケランゼロの苦悩の芸術がここに現われる。
 かくて、よりどころのなくなった人々の魂は、まず常識経験、重い機構のもたらす妥協を武器として、この身分的な不動な関係の崩壊をソッと見つめていたのである。この時代にグストウ趣味とよび、才知といい、グラチエといわれているものは、すべてかかる懐疑的な転換期の理性の隠遁所であったのである。またそれが新たな美学をつくる。かくて、ベーコンおよびガリレオの「実験」が唯一のるべき真実の基礎だといった考えかたが、ついにひろがって、デカルトの「われ疑うゆえにわれ在り」にまで達した時、世界観は完全にその基礎をかえているのである。


 さきに基体的主体性といったヒポケイメノンがボエチウスによって subjectum と訳されて、それが千年もの間そういった絶対的考えかたの形をたもっていたのであるが、今やこの subjectum の言葉は物を観察する主観(subjekt)といつのまにか変わってくるのである。それは個人の中に入ってくるのである。そして観察するものとして、あらわれてくるのである。すでにそこでは、代表の主体であって、身分的関係の一部分ではないのである。
 すでにここでは世界に対する関係の姿勢が異なってきたのである。いわんやすべての物と物の関係すら異なって見えはじめたのである。風景も自然もうって変わったのである。光すら異なって感ぜられはじめたのである。中世の絵はすべてソース色の中にひたっていたのに、十六世紀において太陽の光が美しいことに人々は初めて気づきはじめたのである。人間は自由の主体であり、個人と個人の関係が、関係の一番初めの関係となってきたのである。レンブラントはキリストを同情共感するものとして描き、スピノザは神を三角形の内角の和が二直角であるという原理のごとく展開したのである。
「人が人に対して狼である」といった言葉も、この新しい自由通商主義が生んだ関係であって、何も人が人に対して狼であるわけではないのである。しかし、人々はここで人が人に対して狼であることを意識する時、実にのびのびとした自分の力を、自分の中にいくらのびてもよいんだという大空の下の海賊のような喜びを感じたともいえるのである。
 ここでは身分はなくなって、人間が個人個人自分を代表して、すべての関係を定めるのだ、といった世界の関係の直感、すなわち自分の世界への姿勢が新たにあらわれたのである。フランス革命はその大きな里程標であったのである。カントの、またドイツの啓蒙のすべてがあの革命を目標として、自由の理論、道徳の理論、概念の構造をきずいたのである。
 世界観は決して、それがそうあるからそう見るのではなくて、一つの段階の機構を予想して、想像して、創造するのである。想像力、または構想力というものは、いつも、奔放らしくても実は一つの仕草であることがあるのである。カントの時代の世界観はこの新たな世界への姿勢であったようである。
 しかし、フランス革命が成立するとすぐブルボン王朝のものとなり、ナポレオンのものとなり、ついにウヤムヤの中に何だかわからないものになってゆくのである。ドイツでもどの哲学者のどの体系の大建築も、すべてついにポツダムの宮殿を築く礎石になってしまったのである。それはヘーゲルのフェノメノロギーと法律哲学を比較してみると興味深いと思われる。
 この世界観は、みずからまた他のものとなる。それが生んだ機械とそれを動かす機構のもとに、自由通商主義は株式会社をつくりはじめ、個人は得た自由をもったまま、おしつぶされ、ちぎれ、分裂したのである。一八七〇年代以後の欧州はかくして機構的に実に苦しんだのである。ニイチェの姿とビスマルクの姿はこの時代の大きなモニュメントとして世紀の終りに立っているのである。文学の世紀末思想はここに生まれている。
 新世紀に入るとドイツの経済力は、ある科学者がいったように、ガスの膨脹率よりも大きな率でふくれていったのである。新カント派の合理主義もこの膨脹係数の一面であったともいえよう。それはついに一九一四年に爆発したのである。この欧州大戦後、すなわち一九一八年以後、機関銃の音が耳の底に残っている人が成年になり老年となって、戦いの苦しみを知らない少年が青年となってきた一九三三年頃の文化は、破砕され傷ついた個人と、もっと巨大になったまた傷つきもした集団機構との新しい絶えざる闘いの連続であったのである。目に見えない戦線が全世界にひろがったのであった。表現派、ダダイスムの地盤はそれである。
 そして、戦いが終り、煙が低く地の上を匐って、すべてのものがその新しい傷口を吸う時になってみると、個人は巨大な機構の中にしっかりと密着しているのである。そして、今次の大戦にズルズルと引き込まれたのである。
 荒い海のしぶき、高い日光の中に、海賊のように自分の力をかつて感じた人間が、コンクリートの地下室の中で、自分にはわからぬ巨大な機構の一部分の一部署をもっているのである。それが一生なのであった。
 そこでは個人と個人の関係が最初の関係ではない。絶対的な全体がどこからか出現して、その部分としての個人が自分であることをいつのまにか受け取るように強要されはじめるのである。かつてアリストテレスがいいだし、後の機構が自分のものとして適用したヒエラルキー的な半封建的身分的な世界観が、もっと乾燥して、もっと強力な抽象性をもって、個人主義の上にオッカブさってきたのである。この単調に堪えきれずして、戦線の中に飛びだしていったのである。
 自由通商主義の段階の個人の場合は、こころもちの上にしたしみがないではなかった。今は「人が人に対して狼である」「人を見たら泥棒と思え」という一度バラバラになった個人が、何かの目的でカキ集められるのであるから、それは困難というよりはむしろ陰惨となってくるのである。
 世界のロマン派が個人の力をそのるところとするかぎり、いくら狂っても狂いきれないのである。自分にわからぬ機構が自分の意図に似たものを示しては、ついには他のものにヒキ歪められて現われるからである。『夜明け前』の半蔵の狂いもそれにほかならない。自分はあるいは狂っているかもしれないと思いながら、現実に思いをひそめている半蔵の姿はこの世界観そのものの限界を示しているといえるのである。
 この世界観の限界において、さきに顧みた新しい美の諸相は深い意味をもって、未来の深淵の予感を私たちに啓示するかのようである。あたかも植物の触手がその光を求めるように、いかなる裂け目をも自分の正しい栄養とする。自分の対立物であるもののすべてを透して、自分の道を発見するところのはずみとして、契機として、新しい美は我々の中にさとしているかのようである。
 新たなる秩序ロゴスを、その対立物の中に契機として発見するところのものが、そもそも美の意味である。いかなる歪みもそれを媒介として見る場合、すべてこれ全機おのずから露わなるものがある。自然主義が歪んだ人生を写していたのに対して、今や人生の歪みを媒介的に捉えることによって、真実は輝いてその上に落ちくるのである。
 新しい美は、人々には気のつかない深みにおいて、その対立物を把握し、その対立物を媒介としてはずみとして、より深い真実の中に滲透する力である。その意味で新しい美を見まもることは、すでに深い現実の批判であることとなり、新たな世界観への触手をも意味することとなるのである。
 あらゆる世界観がゆがんでいる時、芸術はそのゆがみを知り、そのゆがみをゆがみとして把握するのである。根底に横たわれるアトラス的主体性へ還る媒介契機である。
 ことに技術としての近代美は、この移りゆく人間の世界観の歴史において今や集団人の眼と口と手の様相をもって、新たな、芸術的表現の手段を与えつつあるのである。このことは、人間に、みずから集団人としての自覚をあたえつつある。すなわち集団人としての世界観の確立にあたって、みずからつぶやく口となり、みずからかえりみる眼となりつつある。すなわち、近代美を媒介することで、集団人的深さに、人間を鍛えあげる契機となりつつある。ここに、近代芸術のもつ将来性がいまだ潜勢力的な状態でもって、その姿を現わしつつある。そして集団そのものが歪曲の指摘者となる。
 映画その他の近代芸術にたずさわる人々は、この点でもって、あまりにも長く、みずからを、縛られたるプロメトイスとすることなく、利潤の手段としての嘲笑の対象物とすることなく、もっと厳粛に、もっと真剣に、集団人としての、歴史的主体性の咆哮者として、深い敬畏をもって、奉仕し愛撫してもらいたいものである。
(『映画芸術』一九四六年一二月号)
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思想的危機における芸術ならびにその動向





 思想的危機の名のもとに現代を呪詛する人の一様に口にするところのものは、文化の機械化大衆化である。そしてその二つのものが芸術を滅亡に導くと予言せる哲学者は、かの有名なシュペングラー、また近くはヤスペルスなどのごとく、決して少なしとしない。「人間が半裸体で歩くことをやめた時、彫刻の時代は去った。史詩は個人的英雄主義の時代と共に消えてしまった。砲兵と史詩はどうしても両立しない。音楽を除いて他の芸術はすべてかくのごとく過去の状態と歩みを同じくした。十九世紀の芸術と考えられる音楽もまたいつかは完成され遂に滅亡するであろう」といったルナンは今日のジャズを聴いて何と考えるであろう。ハルトマンも「芸術は人類が成年期に達した時には、今のベルリンの相場師どもの、夕べのベルリン諸劇場のにわか芝居以上のものでなくなってしまう運命にある」といっている。「ロマンの危機だ。詩の危機だ。絶望さえも危機に陥った。それはもはや、偶然的な飛躍さえもはたしてできるかどうかわからないような、白髪の老いぼれになってしまった。……今ここで決算をつけてみたところで、深い足跡を残すような作品は一つもありはしないし、何ら道徳的な問題もありはしない。あえて逆説的な表現の危険を冒して、付け加えよう、すでに絶望も影をひそめた」というアウエルバッハによって引用されたデュボオの言葉は戦慄的である。まったくもう絶望を表白するものも影をひそめている。
「猟奇、旅行、遠き国への憧れ、畸形的なものの描写、異常なアブノーマルな事件の偏好、ぬけることのできない陶酔を見つけようとする試み――これらすべてのものは、たとえ読者はそうでないとしても、とにかく作家たちの基本的動向が、自己からの逃避にある、というような世界をわれわれに示す。だからこれらの現象は、決して、フランスにのみ特有のものではない。同じような症状を、われわれは、イギリス文学にも、ドイツ文学にも見るのである」といった同じくアウエルバッハによって引かれたショーメの言葉もまた真実である。日本にも同じような症状を見るのである。
 こうした寂寥の根底として目さるる機械化大衆化を文化の仇敵として憎むものの考えかたは、一般に機械化をもって、かの物質的機械、冷たい鉄と歯車をもって人間の血潮をしぼるところの残忍な姿を想像する。そして大衆化を目して、高雅な貴族に対して下卑な衣をまとった醜い俗衆を想像する。そして、文化がそれらのものの中に没し去る最後の深淵をのぞんで怖れているのである。
 しかし深く考察するならば問題はもっと深いところに根ざすかのようである。機械化の危険性はほんとうは精神的機械化への方向のほうがもっともっと大きいのであって、その僅か一部の道具として物質的機械化があるのにすぎないのではあるまいか。精神的機械化の最も大きな構造は、精神文化の専門化、ならびにその職業化である。そして、その分化にしたがって技術方面の専門化がおこなわれたのである。人間の一般的機械化は、この精神文化において最もはなはだしい影響を与えるといわなければならない。
 このことは同時に奇妙な構造をもつ大衆化を構成してくるのである。すなわちそのおのおのの領域における専門家は他の領域において専門外、すなわち俗衆であることを生みだす。すなわちすべての専門家はすべての他の機能において俗衆である、という構造をもってくる。換言すればすべておたがいに俗衆であるという奇妙な構造をもってくる。
 しかし、この機械化大衆化の相関関係は多くの場合、過去の文化の本質、例えば貴族概念への同化によって無視されがちである。機械文化への哲学者の激しき非難は、往々にしてそれである。哲学者はすでにライプニッツのごとき万能的個人ではない。時代の文化が個人の才能をもって覆いつくせぬまでに分化発展している。その時すでに哲学者は一人の専門家であるにすぎない。すでにみずから機械化されたる一要素である。そしてすでに他の文化領域に対して限界をもたなければならない一専門家であることを忘れてはならない。
 かかる機能化は何ゆえに生まれたか。
 かつて哲学的真理は中世紀において神聖なものであった。神の円光を背負っていた。三位一体が常に彼らの魂を苦しめていた。彼らにとってはそれみずから存在し、神と権威者に関係なき赤裸々なる抽象的真理は考えられなかったにちがいない。かかる抽象化純粋化絶対化はベーコンおよびカント以後の真理の姿である。封建的権威に向って個人主義が闘いを挑むにあたって、抽象化の言葉は一つの大いなる武器であった。形而上学が経験的科学的真理より分離しなければならなくなったのは、この神聖なる真理より、抽象的真理が分裂しなければならなかったからである。カントの哲学におけるあらゆる言葉に冠せられたる純粋の言葉はかかる意味における絶対的自律性を背後にして理解すべきであると思われる。
 この抽象純粋絶対の言葉はその意味の内面に純一性をもっている。何ものか一つの立場に抽象されるか、ただ一つの最後に残されたる純粋なもの、相対するものなきただ一つの絶対なものとして意味をもつのである。しかし、この純一性はその立場内においての質的関係においてのみその意味をもつのであって、もし一度、堕落したる量化にあっては、単一性あるいは単純性の意味をもってくる。
 純粋哲学、純粋科学、純粋文学、純粋絵画等々の今意味するものはすべての神への反逆の負い目をになっている。しかるに今や、すべて孤立せる単純化をもって、そのそしりを受くるにいたったのである。思想的危機の罪は物質的機械および大衆にあるというよりも、むしろかかる精神的機械化としての科学のおのおのの孤立、ひいては時代相への孤立にあるのであって、おたがいに俗衆であることをもたらした専門化にあるといえるであろう。換言すればおたがいに大衆となっていることを気づかない精神的貴族化にあるといえよう。
 かかる意味において、われわれは現代文化の機械化大衆化のもつ誤謬を批判し、そのよりよき組織を希望することは意味あることである。


 そこで今われわれは、いかなる様相と過程をもって、思想ならびに芸術にかかる意味の機械化大衆化がおこなわれているかを検討してみたい。
 すでにわれわれの時代において、哲学者はベーメのように靴工でもなく、スピノザのように眼鏡磨工でもない。みな一様に教師である。そしてその一部分が原稿執筆者である。そして思索は一つの職業である。そして激しき分業がおこなわれて、大学で分かたれる科目にしたがって分かたれたる各科の学生は、他の科目の研究会に出るのも遠慮を余儀なくさせられる。さらに同一科内でも研究対象を漸次局限する。アリストテレス専門、ライプニッツ専門、ディルタイ専門となって、一種の特許的優先をもとうと試みる。あるいは研究の問題もまたそうである。一種の縄張り的現象すら生じて、ある場合は研究資料の独占という方法も生じてくる。ヘルダーリンの言葉「哲学者はいるけれども人間がいない」嘆きは今、まさにあてはまる。それらのいわば戦術によってようやく才能を認識され就職にまでたどりつくのである。かつて文科関係学校の収容人員を半減することを決したる文部省の考えかたはその意味で意義深きものである。好景気時代に二倍にした学校数によって、不景気が来た時、卒業生の売込みに困難を生じたるがゆえに、ここに卒業生を半減するにいたるのは、まさに思想才能の操短化である。真の思想的危機はかかる取り扱いそのものの中に伏在するのである。思索機能の商品化は今すでに文部省的機関すらもがどうすることもできないことを露呈するにいたったのである。かかる一切のことより、思想の官庁的指定、販売的制限がおこなわれるにいたる。そのことはすでに思想的存在が年を経るとともに一つの類型化標準化をもつことであり、それみずからへの批判――哲学の最大の任務であるところの――がようやくにして霧消しはじめることをも意味する。それは実に思想そのものの危機ですらある。
 真理の受くるかかる変装に対応して、美はいかなる姿をもってあらわれつつあるか。
 ギリシャにおいて芸術の特殊性が考察された時、始めにプラトンにより、ついでアリストテレスによって指摘された概念は技術 Techne であり、また模倣 Mimesis であった。ロマン的個人主義がこれらの概念の否定より出発して、芸術論を、技術の概念に対する天才の概念、模倣の概念に対する創造の概念の上に成立した。そして、ギリシャにおいてはは真と善なる普遍的実在の下に第三の帝国として存在するにすぎないのに反して、ロマン派的考えかたは、をもって人間本来の課題として、美の独立を主張した。ニイチェはその流れの奔湍であり、カントはその源泉となった。オスカー・ワイルドは「芸術が自然を模倣するのではなくして、むしろ自然こそ芸術を模倣する」といいかえるにいたったのである(『深田康算全集』第三巻)。しかし注意すべきは、この新しき芸術観、すなわち天才創造の概念は、個人主義勃興期に確立された時は、封建主義への叛逆の武器として、実に正当な権利を保持したるにもかかわらず、天才独創の概念はついにややもすれば、放恣個人性非真実性とに仮託的重要さを貸し与えるの危険性をはらんできた。今の純粋芸術の没落とよばれているところのものは、かかる放恣個人性非真実性ののぞんでいるところの危機を指すのである。
 文学の発表が出版書肆と雑誌と新聞という株式会社としての利潤機関を通してなされるかぎり、それは一つの商品である。商品であるかぎり雑誌あるいは新聞の企画にしたがってそれは注文される。注文によって調製されるところのもの、それは製品である。ある場合は代作によって、いわゆる大家の名前をもって、――広告されたる名前(レッテル)によって――売り込まるる場合もある。かくして、作家は、いわゆる手工業的製作よりようやく自己企業的ブロックをもとうとする。作家協会のある物、または文壇構造等のものがそれである。そこではすでに一つの集団的組織である。すでに個人主義的構造は崩壊して、天才はすでに放恣の中に沈湎し続けてはいられなくなる。部署があり任務が生ずる。ある場合は集団を背景とした売り込み運動、ある場合は集団的ボイコットなどの現象の根底に、その基礎となって現象せしめるものはまさに利潤なのである。
 美術の衰亡もまたそうである。過去の大家の下に雲集する作家たちにも時に偉材があるかもしれない。しかし彼らもギュヨーのいうとおりに、ベルリオが乾葡萄を副食にアンリ四世の銅像の下で食ったという日々の糧たるパンの一片が必要である。その必要が帝展、院展、二科展等々の作家ブロックを作りあげ、作風を形成し、情実を固め、たがいに闘争する。そしてその芸術価値の決定はサークル的委員会の投票というきわめて近代的様式にするのである。かくて彼らの日常の生活はそれを目標に動かれなくてはならない。そして天才性独創性唯美性より閉め出されると共に、放恣個人性非真実性をもつつしまなくてはならなくなった。しかもそれが彼らのなお見はてぬ夢なのである。
 かかる芸術の集団的組織化を最も自由におこなっている領域は、演劇映画それに関連する音楽の領域である。そこでは、すでに堂々たる株式会社が設立され、実業家としての重役があり、その配当は年々新聞紙上に公表され株価はそれによって上下する。そこでは企画はその重役の意図によってなされ、その価値評価は貨幣によって換算される。争議もあれば、首切りもある。その結果するところのものはすでに歴然たるものである。芸術史を考察するのに為替の関係を考慮に入れなければならないといったならば、はたして幾人がただちにそれを真実となしうるであろう。
 総じて、すでに芸術は、封建主義に対抗して、天才主義独創主義唯美主義をかかげて進んだ個人主義勃興期とははるかに遠く離れている。そして、それは一時放恣個人性非真実性に堕するまでに発展の過程をたどったけれども、すでに利潤的経済的組織は彼女をしっかりと把握してしまった。そして、それらの三つのものはギリシャにおける芸術の規律関係統一に異なった意味を付与して、止揚し再生せしめる。そこにいわゆる純粋芸術の危機なるものがあるのである。
 個人の発見をそのαとし、個人の解消をωとする市民主義は、その芸術を同じように同伴したのである。
 カルテル、トラストが自由通商主義の資本主義としてはすでに矛盾形態であるように、それを背景として成立する芸術はもはや発生期個人主義と矛盾せずにいられない。芸術と営業的企画が、芸術と営業的編集が、芸術と営業的審査が、芸術と営業的マネージャーが共存していることは、すでに天才主義の芸術にとっては、悪夢のごとき現実である。
 そして、そこではすべての芸術的天才は一つの専門家であり、その専門のゆえに生活的利潤をえている職業であり、職業であるがゆえに、利潤的集団的組織の下にその生活構造を整えるのである。すでにラジオをまたずして文学は機械的組織の中に行為し、レンズをまたずして美術はみずからを機械化し、蓄音機をまたずして音楽は機械化しているのである。そして、天才はみずからスターとして商品化されて、俗衆の星雲の中に身を没するのである。


 いわゆる現代の思想的危機が、文化の機械化大衆化にあるという考えかたにおいて、その機械化とはむしろ物質的機械化におけるよりも精神的機械化、すなわち文化の極度の専門化にその危険性があることを顧みた。すなわち文化が極度に専門化することによって、おのおのおたがいに専門外になり、相互に俗衆化すること、すなわち精神的専門化がそのまま精神的大衆化をもたらすのである。しかも、この機械化と大衆化は利潤経済に本質的に結びついているがゆえに、制動なき車輪のそれのように加速度的に深刻を加えて、精神の諸層、哲学的思索にもまたすべての芸術層にも行きわたりつつあることを見た。
 そして、その結果、市民主義の運命が個人の発見をαとし、個人の解消をωとしたように、芸術もまたそれに同伴していったことを知るのである。そして、天才主義より集団主義へとあらゆる芸術層が自己解体の過程をたどっているのをみる。しかし、この場合の集団主義は利潤を目標とするところの集団であって、ちょうどトラストおよびカルテルがみずから資本主義形態としては自己矛盾であるように、かかる利潤的集団主義は天才独創唯美的ロマン主義の芸術にとってはすでに自己矛盾なのである。純粋の名がすでに封建制度に闘いを挑んだ個人主義の旗幟であるにもかかわらず、みずから弁証法的解体によって、それはついに一つの空疎な抽象に堕するにいたったのである。すなわち専門化、貴族化することによって、人間存在の内底を透視するにはあまりにも分化したる芸術的専門家となったのである。純粋の名の下に、放恣と個人化と非真実(畸形性)が仮託的重要性をもつにいたったのである。未来派、表現派、新感覚派、超現実派のたどりつつある道は、まさに純粋性より抽象性へと推移する個人主義文化の一つの軌道である。彼らが機械を好んで描いているのではなくして、機械が彼らをカリカチュールにしているのである。
 個人主義天才主義の芸術がみずからの自由通商主義を本質とする利潤構成によって、ついに集団化するにいたり、文学は雑誌新聞の利潤的存在のために、営利的企画、社会の要求の反映、ならびに編集の構造の中への適応を余儀なくされている。絵画彫刻においても、パトロンおよび売買ブローカーの要求および新聞雑誌の編集の構造の中への適応なくしては、ブロックそのものの存在すらもが予想されないと同時に、価値評価が委員会の投票審査という一つの集団組織の中にその性格的意志表示をもっているのである。帝展、院展、二科あるいはすべてかかるサロン的存在はすでに一つの集団的性格であって、すでに天才的個性とは自己矛盾する一つの弁証法的構成体である。演劇および映画のきわめて明白な株式会社制度は天才をスターとよび監督とよび共に会社の Ingenieur である。レンズを眼とし、委員会を決意とし、企画をその夢想とし、統計をその反省とするところの一つの利潤的集団的機関である。そこでは指令と統制と経済状態がその健康度の機能となるのである。われわれはその構成のどこの底に自由なる天才の姿を求めるべきであろう。そこでウーファあるいはパラマウント、日活あるいは松竹等等の芸術的性格を見いだすのであって、監督の個性よりも、レンズとフィルムの類型のほうがより大いなる性格差をそこにもたらすのである。すなわちかくして、この個人主義的芸術はみずからを利潤機構の弁証法的転回の線にそうて、すでに集団的構成の中に転成しているのをみるのである。個人主義の集団的分裂、それが現代の混乱せる美の諸相を導いたといえよう。しかもその媒介はみずから弁証法的存在であるところの利潤機構そのものなのである。
 個人主義と集団主義の最も大きな差異は、個人において Geworfen の機能として記憶があるように集団では記録ともいうべき機構が対立する。そして個人に Entwurf の機能として構想があるように、集団では企画が対立している。そして技術は個人で身心の関係にあれば、集団では機械あるいは組織統制である。個人で個性であるものは、集団では性格である。個人で決意なるもの

        Geworfen
       ┌記憶機能┐
個人主義機構─┤    技術(心身)─個性─思弁─反省
       └構想機能┘
        Entwurf

        Geworfen
       ┌記録機能┐  機械
集団主義機構─┤    技術(組織)─性格─委員会─批判会
       └企画機能┘  統制
        Entwurf

は集団では決議であり、したがって個人で思弁なるものは集団では委員会的討議である。個人で反省なるものは集団では批判会である。個人で時間といわるるところのものは、集団では一つの歴史である。かかるすべてにわたっての飛躍的な機構の転身は、美そのものの構造に深い影響を与えずにいなかった。かくて、この二つのものの関係を表示することは論理の進行にとって便宜的であるであろう。


 個人主義美学がカントによって基礎づけられ、ニイチェによってあきらかに宣言されたにしても、最も鮮かにその形を整えたのはリップスであるといわなければならない。
 リップスの主張はコーヘンが指摘するごとく、ロマン主義の凝集である。物の中に自我を発見し、自我の中に物を発見するところの作用である。自然現象および事物現象のあらゆるものの中に個人の意識現象に類似せるあらゆるものを等値的に射影し移入せしめるのである。周知の感情移入の学説がそれである。すなわちそれは個人主義美学の最も完成せる体系といえるであろう。したがって、その体系は集団主義の現出にあってはある種の書替えを要求されはじめる。
 しかし、かくのごとく、個人主義機構が集団主義機構に転換しつつある場合、単に理論はそれに眩惑的昏迷を感ずることを避けて、それに追いつき、それを追い抜き、それの前に Vorlaufen することによって、その Vorstruktur 前衛構成を見透すべき任務をもっている。すでに前表に見るごとく、この二つの機構において、技術の領域の身心の関係より、機械、組織、統制の関係への変化は美の領域にとっては非常に重大である。
 例えば在来の快感といわれた現象は、心身の関係における統制的調和の状態を指した。その反対は不快感である。美学はそれを始源的出発としたのである。それはしかも、個人的完結態である。集団的機構におけるそれに対応する感覚は何というべきか。それは名づけうるならば組織的感覚ともいわるべき感覚である。統一規律普遍が集団的機構の中に新たなるコスモスとして内在するのである。すなわち新たなる存在、新しき内の感覚の出現である。それが集団の変化を貫いて導くところの前衛構成の指導規範である。卑近な例をとればラグビーの両軍に展開する黙々たる力学的秩序、その燃ゆる力学、そこにわく身を沈めるような組織感は、単にそれを悚撃シュリルを求めて、と評する以上の、組織力への新しい渇望が湧きあがってくる。それは心身の一如なる脱落境を具現する剣道の領域とは、一つの層を異にせる吸引をもっている。それは快感のごとき自己完結的のものではない。その組織的複合の一々のエレメントに自分を感情移入しているがゆえに、その一々のエレメントの函数的結合の力学的秩序は、すでにそれを感情移入では割りきれない、集団的組織のコスモスへの依心が働いている。それは単に数学的多様の統一ではない。力学的闘争的圧力の均勢の中に横たわる構成の感覚である。
 近代スポーツの美わしさは実にこの組織感の美感であって、単に甘美な体内の血液の奏楽のみにとどまってはいない。かかる見かたは機械の美しさへの素材的取り扱いにも、また技術的取り扱いにもあらわれてくる。機械美、都会美、集団美の構造はまさにかかる美感の上に基礎をもってくる。
 このことは美学の快感の根拠に大きな変革を要求する。また感情移入においても、個人と超越的な関係構造をもって、その溝を渡るために感情の特殊構造、すなわち身心関係をもつに対して、集団がその集団的ザッヘへの飛躍的超越、すなわち乗り越え ※(ダイエレシス付きU)berstieg を完成するために、その技術的組織を見透すことを、すなわちその意味における新しい F※(ダイエレシス付きU小文字)hlung として、考えなおすことが必要となるのである。機械を見るにあたって、個人が機械を相手にしているのではない。大なる集団の一要素である自分として、すなわち一つの組織的細胞である自分として、機械の組織の統制の中に見入るのである。そこにある組織感はわれわれの快感の新しき一つの原形質である。それは機械概念を美学の領域に導入することによって、現象の諸層に向って、等値的関連を見透す一つの機能的美感として基礎づけられなくてはならない。そして、それは集団的技術美の中核的要素でもなければならない。新聞、映画、ラジオなどの機械組織をその技術とするところの快感の基礎は、その技術そのものの喜びが、かかるコスモスの中にあらねばならない。あたかも個人の筋肉の内感が個人にとって愉悦であるように、社会的構造そのものが、協同体としての人々に愉悦をもたらせるのである。編集、モンタージュ、組立てなどのもつ美感はその上にある。スポーツの喜びの最も大いなるものもまた選手みずからの経験するユニフォーミティの美しさである。スターシステムは彼らにとっては一つの組織の病状であるにすぎない。かかる姿をもって、血液感筋肉感のごとく、組織感は、美の領域にその巨大な外貌を示すにいたったのである。
 かかる機械、組織、統制の構造は技術の領域に漸次一つの単一体として構造をもつにいたった。個人的機構において記憶作用、すなわち思い出としてあるところの、現象の事実性 Faktizit※(ダイエレシス付きA小文字)t を被投 Geworfen としてみずから記録する機能は、集団においては、レンズ、フィルム、真空管的技術によって、光、言葉、音響などの記録的保持が可能となった。すなわちこれまでの写実的機能は、非常に大きな飛躍をもって進むにいたった。集団的組織におけるレアリスムスはかかる意味で、自然主義および写実派の領域とは、截然たる区別をもつといわなくてはならない。ルポルタージュとして構成しつつあるものがそれである。そこでは、記録はいわゆる芸術的専門家によるよりも、すべての大衆的技術家の報告の正しき委員会的責任編集が、最もよき効果をあらわすものである。映画における記録映画といわるるものの将来はかかる集団的構造によってのみ意味をもつと共に、また広い将来をもっている。もともと、あらゆる時代に文学絵画の領域で、物語、絵巻として、いろいろの形態においてみずからの発展をもっているのであるが、それを記録づけるものが機械である場合に起るところの事実感は、特殊な深刻性を帯びている。またそれの記録者が芸術家でなくして、大衆的技術家である場合においてもまたそうである。この事実感の根底には、歴史、すなわち事実がその根底にみずからをより客観的なるコスモスにもたらす弁証法的機構を保持し、その歩みの大いなる影として、この現実の一切がここにもぎとられていることへの触感が内在しなければならない。時の永遠の邂逅が地殻上のかぎりなき隅までその影をなげていることへの感覚である。どこの隅々の一片の事件の背後にまで、歴史の重い手を感ずるところの感覚である。この事実感覚はルポルタージュ、モンタージュの中に、いまだいずれの芸術もその手をさしのべることのできなかった深さにまで降りていこうとしている。
 個人主義的機構より、集団主義的機構に転ずることによって、身心的技術組織的技術にかわり、そのことはまた記憶的機能記録的機能に転換せしめる。そして、単なる快感よりその基礎をかえたる組織感を、またその組織性より特殊な事実感を導きだして、単なる思い出の美しさとは異なった新しい芸術の喜びの決定組織となろうとする。それらのものよりさらに構成されたる感覚は、個人的機構において構成機能に対応するところの、集団的機構における企画機能のもたらす新しい感覚構成である。
 企画機能は存在構成への見透し Durchsicht、その現実への常に乗り越え ※(ダイエレシス付きU)berstieg、その実験に向っての躍進的な Vorlaufende 計画にある。それは委員会統制の決意の表現であり、常に歴史的試験である。ただちに峻烈なる批判のもとに誤謬の認識と自己脱出がおこなわれるにしても、狐疑なき試練への躍入、その苦難への莞爾とした忍耐が用意されていなければならない。そこにある冒険性は単なるシュリルではない。もっと粗い、もっとおちついた、いわば強靭なる明朗感いわば速度感である。芸術がもし党派的企画の下に動く時、その作品の内面にあるいかなる暗さも一種の科学的光線をもつ浮きあがり盛りあがりをもたなくてはならない。
 そこには、リレーのバトンを受け取って、まさに走りだしたもののもつ、未来の深さへの身をもっての飛躍の愉悦がみなぎっている。それが集団的構成の一要素としての感覚であるがごとくに、加わりつつある速度の圧力の触角のごとき、何ものかを追い抜き、乗り越え、みずからの速度に向って、より加重を加えて自分みずからを抜きゆく鋭いスパートの感覚がそれにも似るであろう。それはすでに個人的想像力が思想の蒼空を翼にまかせて走るのとは異なっている。夢の美しさとは異なっている。腹の底へこたえくる巨大なるものの加速度の感覚である。乗り越えの感覚である。
 こうした Entwurf の領域における企画的速度感と Geworfen の領域における記録的な事実感が、集団的芸術における二つの機能、すなわち記録機能企画機能の二つの感覚として考察される。そして、この記録機能と企画機能をみずから芸術品として生ける社会のそのものによびかけ、共感せしめるところの機能、すなわち技術機能において、私たちは組織感をもっている。こうした三つのものは、在来の芸術に加えらるべき新しき喜悦の原形質となるであろう。
 集団的機構が利潤機構を脱落すること、さらにおのれみずからの批評によって、競争によって、弁証的進展を終るにあたって、かかる芸術的機能は重大なる役割りを演ずるとともに、かかる感覚が単なる新感覚的猟奇性のものとはまったく別のものであって、集団的存在みずからの見透しにおける Stimmung の一つのオントロギーを構成すると信ずる。
(『理想』一九三二年九月号)





底本:「日本の美」中公文庫、中央公論新社
   2019(令和元)年11月25日初版発行
底本の親本:「近代美の研究」三一書房
   1947(昭和22)年6月
初出:現代における美の諸性格「理想」理想社
   1934(昭和9)年7月号
   機械美の構造「思想」岩波書店
   1929(昭和4)年4月号
   スポーツ気分の構造「思想」岩波書店
   1933(昭和8)年5月号
   近代美と世界観「映画芸術」
   1946(昭和21)年12月号
   思想的危機における芸術ならびにその動向「理想」理想社
   1932(昭和7)年9月号
入力:kompass
校正:染川隆俊
2023年1月10日作成
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