土門拳寫眞集「風貌」推薦文

高村光太郎




 土門拳はぶきみである。土門拳のレンズは人や物を底まであばく。レンズの非情性と、土門拳そのものの激情性とが、實によく同盟して被寫體を襲撃する。この無機性の眼と有機性の眼との結合の強さに何だか異常なものを感ずる。土門拳自身よくピントの事を口にするが、土門拳の寫眞をしてピントが合つているというならば、他の寫眞家の寫眞は大方ピントが合つていないとせねばならなくなる。そんな事があり得るだろうか。これはただのピントの問題だけではなさそうだ。あの一枚の宇垣一成の大うつしの寫眞に拮抗し得る宇垣一成論が世の中にあるとはおもえない。あの一枚の野口米次郎の大うつしの寫眞ほど詩人野口米次郎を結晶露呈せしめているものは此の世になかろう。ひそかに思うに、日本の古代彫刻のような無我の美を眞に撮影し得るのは、こういう種類の人がついに到り盡した時にはじめて可能となるであろう。





底本:「高村光太郎全集第七卷」筑摩書房
   1957(昭和32)年8月10日発行
初出:「土門拳寫眞集『風貌』内容見本」アルス
   1953(昭和28)年3月
※初出時の表題は「土門拳とそのレンズ」です。
入力:かな とよみ
校正:The Creative CAT
2021年8月28日作成
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