母子ホームの子供たち

槇本楠郎




 にぎやかな電車通の裏に、川に沿つた静かな柳の並木道があります。その最初の石橋を渡ると、すぐ前に白い三階の大きな建物が、青青とした庭木に包まれてそびえてゐます。
 五年生の清三せいざうは、かんかんてりの真夏の西日を浴びて、元気よく学校から帰つて来て、その石の門をはいると、病院のやうな広い玄関で、同じやうに今学校からかへつたばかりの、六年生の睦子むつこにあひました。
「あら、おかへり。清ちやん、それ、なに。」
 睦子は玄関の入口の「あけぼの母子ホーム」といふ大きな看板のかかつてゐる下で、ふちの広い桃色の帽子をぬぎながら、清三が白いハンケチに包んでゐるものを見つめました。
「いいもんだよ、睦子ちやん。あててごらん。」
 さういひながら二人は、玄関を奥にはいつて、「受附」といふ札の下つてゐる小さい部屋の窓口をのぞいて、そこのをばさんに「ただいま。」といひました。
「おかへりなさい。とても暑かつたでせう。はい、はい。」
 さういつてをばさんは、二人の部屋の合鍵あひかぎを、別別に出してくれました。清三の鍵には「二十七番」、睦子の鍵には「三十一番」といふ、小さな番号札がついてゐました。
「どうもありがたう。」
 鍵を受取ると、二人は奥にはいつて廊下で上草履にはきかへました。そしてコンクリートの階段をのぼつて行きながら、話しつづけました。
「ねえ、清ちやん、ほんとに、なによ。ちよつと見せてね。」
「だめ、あててごらん。あてたら一匹あげるよ。」
「ぢや、あてるわよ。角のあるもの。」
「ないよ。」
「ぢや、足は六本あるでせう。」
「ちがふよ。もつと、たくさんあるらしいよ。」
「ぢや、あんた、百足虫むかでをもつてるの。ああ、おつかない。」
「あはつ。そんな悪い虫ぢやなくて、とつてもいい虫虫様だよ。もう、わかつたらう。」
「ああ、わかつたわ。蚕でせう。さうでせう。どらどら、見せてちやうだい。」
「ぢや、僕のうちへお出でよ、わけてあげるから。」
 二人は三階の廊下へ来ました。廊下の両側は同じやうな、六畳ぐらゐの部屋が七つづつ並んでゐて、清三の家と睦子の家とは、ななめ向かひの部屋でした。
「ね、いらつしやいよ。」
「ええ、すぐ行くわ。」
 二人は鍵で、自分の部屋のとびらをあけてはいりました。

 部屋にはいつた清三は、お道具と蚕の包とを部屋のすみに置くと、壁ぎはの箪笥の上にかざつてある、戦闘帽をかぶつたおとうさんの写真の前へ行つて、いつものやうにおじぎをしました。それから、部屋のまん中のテーブルの前に来てすわつて、その上の目ざまし時計の下にしいてある紙きれを見つけました。
 それはおかあさんが、お勤めに出て行く時に書いて置いたものらしく、こんなことを書いてありました。

今日ハ、おやつガアリマセン。おむすびヲツクツテ、ネズミイラズニ入レテオキマス。ソレヲタベテ、晩ゴハンヲタイテオイテネ。オ米ハ、タケルヤウニシテアリマス。
母ヨリ

 清三はそれを読むと、時計を見ました。まだ四時前です。
「五時からたけばいいや。六時ごろでなけりや、かへれないんだから。」
 清三のおとうさんは、去年の夏出征しました。それまで或病院の薬剤師だつたのですが、おとうさんが出征されると、おかあさんがその病院の洗濯せんたくや、掃除の仕事で働くやうになりました。昼間は家を留守にして置くので、それに、おとうさんはいつ帰つて来られるかわからないので、去年の暮に、この母子ホームへ入れてもらふことになつたのです。
 この建物の中には、三十幾つの部屋があつて、大ていどの部屋にも、おとうさんが出征されるか、でなかつたら戦死されて、おかあさんが、子供をつれて働いてゐる家族たちが、それぞれ住んでゐるのでした。
 睦子のおとうさんは、市バスの運転手でしたが、やはり出征中で、おかあさんは川向かふの罐詰工場で、ちやうけか何かをしてゐるのでした。中には小さな子供をつれてゐるおかあさんもあつて、さういふ人は下の方の部屋に住んでゐるのですが、毎朝近くの乳児院や託児所へ子供をあづけて置いて、お勤めに出て行くのでした。
「ごめん下さい。」
 睦子が扉口とびらぐちにのぞきました。
 手を洗つて来て、今おむすびをたべようとしてゐた清三は、につこりしていひました。
「やあ、おはいり。いいものがあるんだよ。」
「あら、ごちそうねえ。」
 睦子は、なれなれしさうにはいつて来ました。
「おたべよ。二つあるんだから。」
「いいの。それより、早くお蚕さんを見せてよ。」
「うん、これだよ。」
 さういつて清三は、ハンケチを開いて蚕を見せながら、二つ目のおむすびを半分にわつて、その半分を睦子にやりました。中からは福神漬ふくじんづけが出てゐます。
「ね、おいしいだらう。」
「ええ、ほんとにおいしいわ。」
 二人はたべながら、蚕を見ました。もう大きくなつてゐて、きれいな睦子の人さし指ほどもあります。七匹ゐます。
「でも、桑がなくちや、お蚕さん飼へないでせう。毎日どうするの。」
「ぼく、ちやんと桑の木を見つけてあるんだ。川向かふにあるんだよ。」
 その時、扉がそつと開いて、
「今日は。なにしてるの。」
といつて、二十五番室の若いをばさんが、涼しさうな浴衣を着て、キヤラメルをしやぶりながら、退屈さうにはいつてきました。
「をばさん、今日はお勤め休んだの。」
 睦子がさういふと、清三も、
「どこか悪いの。」
と、をばさんの顔を見つめました。
「さう、つかれたから、さ。キヤラメルあげるわ。」
 をばさんはさういつて、箱のまま、二人にキヤラメルを出してくれました。

 急に廊下の方がさうざうしくなつたので、清三が扉口とびらぐちをのぞいて見ると、この母子ホームの三四年の子供たち六七人が、手に手に青い木や草の根つこのあるのをさげて、三階の上の、屋上の階段へ登つて行くところでした。
「それ、なあに。」
 清三がたづねると、子供たちは、
「あのね、屋上へ植物園を作つてるの。清ちやんも来て手伝つてよ。」
と答へて、行つてしまひました。
「行つて見ようね。あそこ涼しいのよ。」
 二十五番のをばさんがさそふので、清三も睦子も自分の部屋に鍵をかけると、風通しのいい屋上へのぼつて行きました。
 そこは洗濯場せんたくばと物干場とになつてゐますが、あちらこちらに大きな植木の鉢がすゑてあつて、まん中の広い所ではキヤツチボールも出来ます。電車通も見えれば、前の川筋から、川向かふの方まで眺められます。
 子供たちは、屋上のあちらこちらに捨ててある古い草花鉢を拾ひ集めて、洗濯場の水を出しながら、抜いて来た草や苗木のやうな物を、たんねんに一鉢づつ植ゑてゐます。あざみ、おほばこ、すすき、野菊などもあります。
「どこにあつたの。をばさんも、つれてつてもらふとよかつたわね。」
 そこへ来たをばさんが、さういふと、
「だめだい、をばさんなんか。そんな、お勤めを休んでるやうな弱虫ぢや。」
と、一人の子が答へました。
 一鉢づつ植終ると、子供たちは楽しさうにかかへて物干場の下の、大きな植木の鉢のまはりへ持つて行つてならべます。そこには、もう幾日か前から取つて来て植ゑたいろいろの木や草の鉢が、三十幾つならんでゐて、大きな植木の枝には、「こども植物園・入場無料」と書いた札が下げてありました。
「まあ、すてきねえ。」
 をばさんがさういつた時、下から三四人の少し大きな男の子がかけのぼつて来て、すぐボール投げを始めました。
「をばさんも仲間に入れてね。」
 をばさんはボールを横取りしながら、笑つていひました。けれど清三が、
「もう五時だね、をばさん。ぼく、御飯をたかなくちや。」
といふと、をばさんはすぐやめました。
「ぢや、をばさんも一しよに行くわ。」
「わたしも。」
 睦子がさういふと、ボールを投合つてゐた男の子たちも、
「ぼくも。」
「ぼくも。」
と、みんな御飯たきに、一階の共同炊事場へおりて行きました。
 あとには小さい子供たちが、赤い西日を浴びながら、「こども植物園」をせつせと造つてゐました。





底本:「日本児童文学大系 三〇巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「母子ホームの子供達」鶴書房
   1941(昭和16)年10月
初出:「小学五年生」小学館
   1940(昭和15)年8月
入力:菅野朋子
校正:雪森
2014年6月22日作成
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