土田耕平




 わたしの村は「かきの木の村」でした。家といふ家のまはりには、大きな小さな柿の木が、立ち並んでゐました。
 夏は、村ぢゆうが深い青葉につゝまれ、秋はあざやかな紅葉こうえふそまりました。紅葉もみぢがちつてうつくしく色づいた実が、玉をつづつてゐるのを見るのは、どんなにたのしかつたでせう。
 私の家の庭には、大きな柿の木が幾本もありましたので、家内だけで食べつくすわけにはいきません。山浦やまうらのお百姓さんが、稲のとりいれがすんだ時分に、馬をひいて、買ひにきました。
「こんちは、今年もきたぜ。」
 山浦のお百姓さんは、ふとい声で、あいさつして、庭の柴戸口しばとぐちから入つてきました。
「どう/\。」
といひながら、馬を戸口につないでおいて、縁がはへきて腰をかけました。なた豆煙管まめぎせるでたばこをすぱ/\ふかしながら、おばあさんやお母さんと、一年ぶりのあいさつをするお百姓さんの姿を、私はわきの方から見てゐました。
 同じお百姓さんでも、山浦といへば、大きな山の裾野すそのの、本場のお百姓さんですから、私の村のお百姓さんたちにくらべると、姿かたちから、言葉つきまで、がつしりした力が感じられました。幼い私には、それが、何だかこはいやうな、親みにくいやうなものに、おもはれたものでした。
 そんな大男が、腰にビクをゆはひつけて、する/\と身がるく、高い木のてつぺんまで一息に、登つてゆくのには、私はびつくりしました。山浦には、さるが住んでゐるといふから、それで木登りが上手なのだらう、などとおもひながら、見あげてゐますうちに、一枝々々と、赤い実を持つてたわんでゐたのが、ほつそりととがつた枝ばかりになります。柿はみんなお百姓さんのビクの中へ入つて行きました。
 お昼どきになりますと、お百姓さんは、木からおりてきて、縁がはへ腰かけました。おばあさんの入れてあげるお茶は、うまさうにして飲みましたが、御膳おぜんにははしをつけませんでした。
「いんえ、ここにあるだ。」
かうつて、ふろしき包みをひろげたのを見ますと、お百姓さんの顔ほどもある、大きなおにぎりが出てきました。私はふしぎさうにして、お百姓さんがおにぎりを食べるのを、わきに立つて見てゐますと、
「こりや、お前さまの孫つこかえ。」
と言ひました。おばあさんが笑ひながら、
「いゝえ、どこの子か知らない子だよ。」
と言ひますと、
「ぢや、帰りにもらつて行くべ。馬に乗つけて――」
「あゝ柿と一しよに買つて行つておくれ。」
 私は、お百姓さんが、何と言つて返事するかと思つてゐますと、
「お前さま、ことしは柿のなりがひどくいゝぜ。」
とまるで、別の返事をしました。
 お百姓さんは、昼ごはんをすますと、また柿もぎにとりかかりました。夕方柿の一ぱい入つたカマスを、馬の背につけてかへるとき、お百姓さんは、
「また、あした来るぜ。」
と言つて柴戸口しばとぐちを出て行きました。つぎの日には、
「また来年くるぜ。」
と言ひました。私はおばあさんと一しよに、村みちのまがり角に立つて、お百姓さんと馬のすがたが、むかうの森にかくれてしまふまで見送りました。
「おばあさん、来年つて遠いの?」
 私はたづねました。
「あゝ遠いよ。」
とおばあさんはおつしやいました。
「遠い来年」がつもりつもつて、私の村には、今ははや、馬をひいて柿を買ひに来るお百姓さんの姿も、見られなくなつたさうです。





底本:「日本児童文学大系 第九巻」ほるぷ出版
   1977(昭和52)年11月20日初刷発行
底本の親本:「夕焼」古今書院
   1932(昭和7)年5月
入力:菅野朋子
校正:noriko saito
2011年7月14日作成
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