アラメダより

沖野岩三郎




 アラメダの飛行場へ行った。
『飛行機に乗ろう?』
『およしなさい。落ちたら大変です。奥様に申訳がない。』
 それはミセス山田の制止であった。そこへのこのこやって来たのはプーシャイドという男。おれの飛行機は美しいから見せてやろうという。見るだけならというので、一行は柵の中に入って行った。そして飛行機エリオットを見ているうちに、つい乗りたくなってセエキスピアと二人で乗ってしまった。ミセス山田を地上に残して。
 千五百尺の上空に昇った。バークレーの町が遙か下に見える。オークランドの街上を豆のような自動車が走る。三百尺の高さだと誇る加州大学のベルタワーなんか、どこにあるやらわからない。
 飛んでるうちに思い出したは優秀船竜田丸内の会話であった。
 汽船狸丸の筆者葉山嘉樹はやまかじゅ君にいわしむれば、お椀をふせたようなあごひげのある船長伊藤駿児君、それは確かに反動団の団長らしい風貌である。しかし、話してみると案外やさしい。
 伊藤船長の話によると、最初の普選に打って出て見事選挙民を泣き落した鶴見祐輔君が、いよいよと決心したのはニューヨークあたりで演説をしている頃であった。ところがサンフランシスコ出帆の竜田丸に乗り後れたならその運動に間に合わない。で、竜田丸の船長あてに是非便乗を頼むという電報を打って、郵便飛行機に乗って飛んで来た。
 所が出港の時間が来ても、飛行機は来ない。三分、五分と出渡[#「出渡」はママ]を延して、とうとう十五分も待った。船客の中には一個人のために出港を遅らせるのは不都合だというものもあったが、彼はとうとう鶴見祐輔君の来着を待って、桑港を出帆した。おかげで鶴見君は第一回の普選に見事当選の栄を得たのであった。伊藤船長が杓子定規だったら鶴見君のあの活躍はなかったのだともいえる。
『まあ当選したのがいいか悪いか、それは問題だがね。』
 船長はあごひげを撫でながらいったのであった。私がそんな事を思っている時、耳のそばで『愉快だね。』とセエキスピアが言った。否、叫んだ。叫ばなければ聞えやしない程プロペラの音が高い。
『愉快だ。しかしこれが二時間も三時間も続くのはどうかね。』
 そう言った時、機体が急にぐっと右へ傾いた。私は思わずバンドにすがりつきながら言った。
『桐村夫人はえらいね。』
『うんえらい女だ。』
 私の眼底には今年六十五歳の桐村夫人の姿が浮んで来た。
 桐村義英氏は京都医専出の陸軍何等軍医か何かだ。長い以前からハワイのカワイ島に開業しているが、自分の娘を東京の女学校に入学させる為上京したまま帰って来ない。どうしたのかと問い合わる[#「問い合わる」はママ]と『来たついでに歯科の方を研究して帰る。只今水道橋の東京歯科医専に入学している。』との返事。此の変り者の夫人もまた変り者である。『娘と競争して負けないようになさい。入学したからには必ず卒業してお帰りなさい。』と云いやった。果して桐村氏は五十になって歯科医の免状をとってハワイに帰った。
 彼女は福知山藩士の佐幕党の娘で、京都では梅田雲浜氏の未亡人や故近衛公の生母から堅い教育を受けた上、東京の女子学院に入って英語をまなんだという人。
『ここいらの日本人の英語といったら、なって居りませんですぞ。前置詞も冠詞も無茶苦茶につかいますでのう。』
 六十五のお婆あさんはこんな気焔をあげる。このお婆あさんが、ある朝堂々とした洋装で、私共の宿っていたハワイの川崎ホテルのドアをたたいたものだ。
『どこへ行らっしゃいます?』
『これから帰りますんじゃ。』
『船は夕方でしょう?』
『飛行機で帰りますじゃ。』
『飛行機は度々お乗りになりましたか。』
『今日が始めてです。死ぬ時は自動車に乗っていても船に乗っていても死にますさ。さようなら。』
 五十五歳の老夫人が人力車にでも乗るように、飛行機に乗ってホノルルからカワイ島まで飛んで行った事を思い出しているうちに、自分の飛行機は元の場所へ戻って来た。私は心の中で叫んだ。
『女房喜べ。おれは無事着陸したぞ!』
        *
 アメリカに来てうれしく思うのは日本の児童たちが、アメリカの子供たちと一緒になって嬉々として学んでいる事である。しかも、その日本児童がアメリカの子供たちに伍して、決して負けていないという事実は何という愉快な事だろう。どの学校へ行っても日本児童が大抵首席を占めている。
 オークランドのジュニアースクールの一学級に山田章子さんというのがある。両親とも、もう永く北米の地に住んでいる。
 章子さんは小学校でいつも首席を占める。学級の生徒が級長を選挙するたびに、章子さんが当選である。当選すると、学校からセーフチーコンミチーという文字をきざんだ星形の徽章をくれる。これを胸にかけている生徒の命令は、全校の生徒が必ず服従しなければならない。ただに学校内ばかりではない。この十歳の少女が街路を歩む時、子供たちが街路を横切らなければならないのを見ると、すぐ可愛い片手をあげる。すると何十台の自動車は、厳格にぴたりと停止する。子供だからといって、決して馬鹿にはしない。胸のセーフチーコンミチーが物をいうのである。即ちアメリカの警察権を彼の少女は有しているのである。この権利を得たい者は全校の生徒ことごとくであろう。しかし選挙は極めて公平であらねばならぬ事を、教師は平生から口を酸っぱくして教えている。
『アメリカの国は誰が治めるのであるか。』
『アメリカの公民が自ら治めるのであります。』
『アメリカの公民とは誰であるか。』
『アメリカに生れた者、帰化したものです。』
『国家の代表者は誰ですか。』
『大統領であります。』
『大統領は誰がきめますか。』
『アメリカの公民が選挙してきめるのであります。』
 此の問答の内容を徹底して知らしめるのが、アメリカの公民教育である。だから児童たちが校内で自分たちの代表者を選挙する時、受持教師から平生教えられている公民教育の効果をそこで現わすのであるから、決してゆがんだ選挙法はしない。だから彼らは皮膚の色だの人種だのには頓着なしに、学問がよく出来て、統御の才ある者を選挙する。つまり彼らは男の子も女の子も、みんな一致して章子さんを級中の大統領に選挙したのである。此の公民教育については、川本宇之介という大家が東京にいるから、詳しい事はそちらで聞いてほしい。
 ある小学校を参観した時『ここに日本人の子供がどの位いるか。』ときいてみると、先生けげんな顔して、
『さあ、そんな事を考えてみた事がありませんから。』という。其の教師の机から窓框の所が一杯に薔薇ばらの花で埋ずまっているので、どうした事かとたずねようとするうちに、先方から、
『私には一人の娘がありましたが、二十二歳で死にました。盲腸炎を手術しましたので……可愛い生徒たちが私を慰めるために、今日はこんなに沢山の花を持って来て下さいました。』という。
 一つの教室に可愛い子供が勉強している。そのうちの五六人を先生の机のぐるりに集めて、立ちながら問答している。四方の壁を黒板にして、そこへ生徒が総出になって運算を書きつけている。先生が来て直してくれるまで、自分の書いた問題の下に立っている。誰がどんなに間違っているか、いないかは全級の生徒に一目瞭然である。
 次の教場ではよく肥えた女教師が、生徒の勉強している机の上に、デッカイお尻を据えて平気で教えている。かと思えば、生徒は生徒で其のお尻のかげで、チョコレートを頬ばりながら先生の講義をきいている。神経質らしい校長のお婆あさんが巡視に来ても、先生のお尻は机の上から一分も一寸も離れない。生徒の教科書をのぞくと、アメリカンヒストリーである。丁度其日習っている所にザ・レエボアムーヴメントの見出しがあった。先生は内地人と、外国人との労働競争の事について詳しく教えている。
 小学生に対して労働運動、労働問題を教えている現象を見た私は、恐るべきものはアメリカの軍隊でなく、此の教科書だと思った。しかも、それを習っているのは、日本から、支那から、ポルトガルから、スペインから、イタリーから渡って行った労働者の子供たちである。しかし其の白、黄まぜまぜの顔が楽しそうに労働問題の話をきいている。
 この市民権をもつ子供たちが成長して選挙権をもつ頃、排日問題は自然に解決出来るであろう。気長く其の時を待つことだ。現にハワイでは日本人が数名下院議員に当選してい、副検事長も日本人で千二百円の月俸を得ている。内鮮融和問題も、先ず児童の共学から出直さなければなるまい。





底本:「世界紀行文学全集 第十七巻 北アメリカ編」修道社
   1959(昭和34)年3月25日
底本の親本:「太平洋を越えて」四条書房
   1932(昭和7)年5月
※末尾の「(昭和六年)」は、底本で二作品をまとめた際につけられたものであるので、省きました。
入力:田中敬三
校正:仙酔ゑびす
2006年11月18日作成
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