黄泉から

久生十蘭





「九時二十分……」
 新橋のホームで、魚返おがえり光太郎が腕時計を見ながらつぶやいた。
 きょうはいそがしい日だった。十時にセザンヌの「静物」を見にくる客が二組。十一時には……夫人が名匠ルシアン・グレエヴの首飾ペンダントのコレクトを持ってくることになっている。午後二時には……家の家具の売立。四時には……。詩も音楽もわかり、美術雑誌から美術批評の寄稿を依頼されたりする光太郎のような一流の仲買人アジヤンにとっては、戦争が勝てば勝ったように、負ければまた負けたように、商談と商機にことを欠くことはない。
 こんどの欧州最後の引揚げには光太郎はうまくやった。みな危険な金剛石を買い漁って、益もない物換えにうき身をやつしているとき、光太郎はモネ、ルノアール、ルッソオ、フラゴナール、三つのフェルメールの作品を含むすばらしいコレクションをりおとし、持っていた金を安全に始末してしまった。
 仲介業者の先見と機才は、倦怠と夢想から湧きでる詩人の霊感によく似ていて、この仕事に憑かれると抜け目なく立ち廻ることだけが人生の味になり、それ以外のことはすべて色の褪せた花としか見えなくなる。
 光太郎がホームに立ってきょうの仕事の味利きをしていると、鸚鵡の冠毛のように白髪をそそけさせた六十歳ばかりの西洋人が、西口の階段からせかせかとあがってきた。
「おや、ルダンさんだ」
 上衣はいつもの古ぼけたスモオキングだが、きょうは折目のついた縞のズボンをはき、パラフィン紙で包んだ、大きな花束を抱えている。ジュウル・ロマンの喜劇、「恋に狂う翰林院博士トルアデック氏、花束を抱えて右手から登場」といったぐあいである。
 メタクサ伯爵夫人が早稲田大学の仏文科の講師をしていたのは二十年も前だが、ルダンさんはそれよりもまた十年も早いのだから、もう三十年ちかく日本に住んでいるつつましい老雅儒で、光太郎が記憶するかぎりでは、こんなようすはまだいちども見たことがなかった。
 ルダンさんの家庭塾フオアイエには光太郎ばかりではなく、光太郎のただひとりの肉親である従妹のおけいもお世話になっていて、ルダンさんの指導で大学入学資格試験の準備をすすめ、この戦争がなければソルボンヌへ送りこんでもらっていたところだった。
 ルダンさんは弟子たちをじぶんの息子のように待遇する。弟子のためなら智慧でも葡萄酒でも惜しげもなくだしつくしてしまう。どうやら資格も出来、いよいよフランスへ出発ときまると、貧乏なルダンさんが、アルムーズとか、シャトオ・イクェムとか、巴里の「マキシム」でもなかなかお目にかかれないような、ボルドオやブルゴーニュの最上古酒を抜いて門出を祝ってくれる。
 光太郎もこうして送りだされた一人で、フランスで美術史の研究をするはずだったのが、新進のアジャン・ア・トゥフェ(万能仲買人)になって八年ぶりで日本へ帰ってきた。
 ルダンさんの家は光太郎の家からものの千メートルと離れていないが、さすがにばつがわるく、いちど玄関へ挨拶にまかり出たきりで、その後、それとなくごぶさたしていたのである。
 光太郎は困ったと思ったが、隠れるところもないホームの上なので、ままよと観念してとぼけていると、ルダンさんは光太郎を見つけて、
「おお、光太郎」
 といいながらそばへやってきた。
「ごぶさたしております。きょうはどちらへ」
 ルダンさんは光太郎の手提鞄セルヴィエットをじろりと見てそっぽをむくと、
「きまってるじゃないか。きょうはお盆だから、墓まいりさ」
 と、つっけんどんにいった。
 七月十三日……そういえばきょうはお盆の入りだった。それはともかく、十月二日の「死者の日」には、いつも亡くなられた夫人おくさんの写真に菊の花を飾るが、お盆に墓まいりとはきいたこともなかった。
「失礼ですが、どなたの墓まいりですか」
 とたずねると、ルダンさんはめずらしくフランス語で、
「アンシュポルタブル! (手がつけられない!)」
 とつぶやいてから、
「この戦争でわたしの弟子が大勢戦死をしたぐらいは察しられそうなもんじゃないか」
 と、とがめるような眼つきで光太郎の顔を見かえした。
 ああそうだったと思って、さすがに光太郎も眼を伏せた。
「ほんとうにたいへんでしたね。何人ぐらい戦死しましたか」
「十八人……一人も残らない。これで少なすぎるということはないだろう。日本へ来てまでこんな目にあうなんて」
 ハンカチを出して鼻をかむとそれを手に持ったまま、
「まあ、愚痴をいったってはじまらない。ともかく、よかれあしかれ、この戦争の「意味サンス」もきまった。なんのために死んだかわからずに宙に浮いていた魂も、これでようやく落着くだろう。だから、今年のお盆は、この戦争の何百万人かの犠牲者の新盆だといってもいいわけだ。それできょうはみなに家へ来てもらって大宴会パンケエをやるんだ」
「なんですか、大宴会パンケエというのは」
「わたしはみなに約束したんだ。戦争がすんだら王朝式の大宴会をやるって。つまり、これからその招待に行くんだ……本式にやれば、提灯をつけて夕方お墓へ迎いに行くんだろうが、みなリーブル・パンスウルだから形式にこだわったりしないだろう。もっとも、間違いのないように名刺は置いてくる」
「でも、降霊術ネクロマンシイのようなものは、カトリックでは異端なんでしょう」
「どうしてどうして、カトリックの信者ぐらい霊魂いじりのすきな連中はない。故人がうんざりするほど呼びだして、愚問を発して悩ますんだ。一年に一度、迎い火を焚いて霊を待つなんていう優美なもんじゃない。来ないと力ずくでもひっぱりだしかねないんだから」
「では、わたくしもお供しましょうか」
「まあ、やめとけ。死したるものは、その死したるものに葬らせよという聖書の文句は素晴らしいね。昨日わたしはみなの墓を廻ってみたんだけれども、掃除をしてあるのはただの一つもなかった。日本人は戦争で死んだ人間などにかかずらっているひまはないとみえる。それも一つの意見だろうが、死んだやつは間抜け、では、あのひとたちも浮ばれまいと思うよ」
「それで、おけいも呼ばれているのですか」
「君はだんだんフランス人に似てきたね。それも悪いフランス人にさ。そういう質問は、冷酷というよりは無思慮というべきものだよ。おけいさんの遺骨はまだニューギニアにある。これは遠いね。ちょっと迎いに行けないが、おけいさんはきっと来てくれるよ。君のような俗人にはわからないことだ」
「ひどいことをいわれますね」
「ひどいのは君さ。君はこの八年の間、一度もおけいさんに手紙を書かなかったそうだね」
「おけいがそんなことをいいましたか。あいつだって八年の間一度も手紙をよこしませんでしたよ」
「それはそうだろうさ。君が書けないようにしたんだよ。君がおけいさんをあまり子供扱いにするので、おけいさんは手も足も出なくなってしまったんだ。おけいさんは君が好きだったんだが、あきらめてしまったらしい。おけいさんが別れに来た晩はたいへんな大雪でね、雪だらけになって真青になってやってきた。そして君のこといろいろいっていた。君にだれかと結婚してもらって、はやく楽になりたいといっていた」
「あの子供が?」
「あの子供がさ……そうして、君が帰ってきたら、じぶんの友達の中からいいひとをお嫁さんに推薦するんだといっていた……つまらない、もうやめよう。おけいさんがしょっちゅう君のことばかりかんがえていたといってみたって、それがいまさらどうなるんだ。もう死んでしまったひとなんだから……さあ、さあ、君は早く事務所へ行って取引をはじめたまえ。日本橋へ行くんだろう。ほら、電車がきた」


 神田で降りると、ここの市場もたいへんな雑踏で、炎天に砂埃とさかんな食物の匂いをたちあげ、修羅のようなさわぎをしていた。
 売るほうも買うほうも、動物的な生命力をむきだしにしてすさまじいコントラストを見せ、三百万人も人が死んだ国のお盆にふさわしい哀愁の色などはどこにもなかった。
 光太郎はふと十月二日の巴里のレ・モール(死者の日)のしめやかなようすを思いだした。巴里中の店は鎧扉をしめ、芝居も映画も休業し、大道は清々すがすがしい菊の香を流しながら墓地へいそぐ喪服のひとの姿しか見られなくなる。
 巴里の山手、ペール・ラシューズの墓地の上に Bellevus de Tombeau という珈琲店がある。「墓地展望亭」とでもいうのであろうか。そこのテラスに掛けると、眼の下に墓地の全景を見わたすことが出来る。
 光太郎は「死者の日」によくそこへ出かけて行った。手をひきあう老人夫婦、黒い面紗ヴォアールをつけた若い未亡人、松葉杖をついた傷痍軍人、しょんぼりした子供たち……喪服を着たものしずかな人達が、いま花束を置いてきたばかりの墓にもういちど名残りをおしむためにこのテラスへやってくる。みなテーブルに頬杖をつき、悲しげな眼ざしを糸杉の小径のほうへそよがせる。どの顔も死というものの意味を知り、それを悼むことの出来る深い顔つきばかりで、こういう国ならば死ぬこともたのしいかなと、感慨にしずんだことがあった。
「これはどうもいけなかったな」
 とつぶやいて、光太郎は汗をふいた。
 光太郎の一族はふしぎなほどつぎつぎと死につぎ、肉親というのはおけいひとりだけになってしまったが、それが婦人軍属になってニューギニアへ行き、カイマナというところで死んだときいたときもかくべつなんの衝動もうけず、きょうルダンさんに逢うまではほとんど思いだしたことさえなかったのである。
 光太郎は事務所へ行くと、きょうの約束をみな電話で断ってしまった。明日からまた卑俗な世渡りにあくせく追いたてられるのであろうが、せめてきょう一日だけは全部の時間をおけいの追憶についやそうと思った。
 光太郎の家は下町にあったので、祖母が生きているころまでは、お盆のまつりはなかなか派手なものだった。真菰まこもの畳を敷いてませ垣をつくり、小笹の藪には小さな瓢箪と酸漿ほおずきがかかっていた。巻葉を添えた蓮の蕾。葛餅に砧巻。真菰で編んだ馬。蓮の葉に盛った団子と茄子の細切れ……祖母がさあさあ、どなたも明るいうちにおいでくださいなどといいながら迎い火を焚いていたことが記憶に残っている。
 霊棚をつくり、苧殻を焚いて、古いしきたりのようにして迎えてやったらどんなによかろうと思うのだが、棚飾りのようすがぼんやりと思いだせるだけで、細かい手続きはなにひとつ知っていないのが口惜しかった。
 光太郎は椅子に沈みこんでかんがえていたが、このうえはもう自己流でやるほかはないと思って友達に電話をかけた。
「きょうはひとつ骨を折ってもらいたいね」
「むずかしそうですな……モノはなんでしょう」
「ショコラ、キャンデイ、マロン・グラッセ、ブリュノオ……まあそんなものだ」
「へへえ、いったいどういうことなんですか」
「それから、女の子が飲むんだから、なにか甘口のヴァン・ド・リキュウルがあったろう」
「これは恐れいりましたな。オゥ・ソーテルヌならあてがありますが」
「ああ、それをもらおう。どうだね。夕方の五時までということに」
「かしこまりました。お届けいたします」
 夕方、届いたものを包みにし、銀座のボン・トンへ寄ってキャナッペを詰合わせてもらい、それを抱えて家へ帰ると、居間の小机へごたごたとならべてみたが、どうもしっくりしない。暖炉棚マントルへ移したり、ピアノの上へ飾ってみたりいろいろやったが、形式がないというのはしょうのないもので、どうしてみても落着かない。
 写真でもと思って、さがしてみたが一枚もない。八年前、欧羅巴へ発つとき、ひっかかりになっていた芸者の写真といっしょに焼いてしまったような気もする。
 手も足も出なくなってぽつねんと椅子にかけて蟋蟀こおろぎの鳴く声をきいていると、これでもうこの世にひとりの肉親もないのだという孤独なおもいが胸にせまり、じぶんにとっておけいは、かけがえのない大切な人間だったことがつくづくとわかってきた。
 いまさらかえらぬことだが、じぶんにもうすこしやさしさがあったら、おけいを巴里へ呼びよせていたろうし、そうすればニューギニアなどで死なせることもなかったわけで、いわばじぶんの冷淡さがおけいを殺したようなものだった。
 おけいが肉体のすがたをあらわすとは思わないけれども、来たなら来たでなにかしらおとずれがあるはずで、光太郎の感覚にそれがふれずにすむわけはないのだが、露台からそよそよと風が吹きこむばかりでなにひとつそれらしいけはいは感じられなかった。
「どうして、どうして」
 ピアノの上にしらじらしく立っている葡萄酒の瓶や、生気のない皿のキャナッペをながめながら、光太郎はじぶんの虫のよさに思わず苦笑した。
 ルダンさんのところはどうだろうと思って露台に出てみると、食堂の窓からあかあかと電燈の光が洩れ、もう宴会がはじまったのだとみえ、ルダンさんが上機嫌なときに奏くまずいピアノがきこえていた。
 光太郎のうちはもと銀座の一丁目にあって、おけいの家は新堀しんぼりにあった。
 おけいは父の五十五の齢に産れたはじめての女の子だったが、上の三人はみな早く死んでいたので、そのよろこびかたといったらなく、一家中気がちがうのではないかと思われたほどだった。
 そのころ堀川はまだまださかんなもので、派手堀川といわれた先代がまだ生きていて、福井楼へ百人も人を招んでさかんな帯夜おびやの祝いをした。芸者の数だけでもたいへんなものだ。その夜の料理は一人前四百円についたというので評判だった。
 たぶんおけいが六歳ぐらいのことだった。光太郎が堀川へ遊びに行っているとおけいの父の新造が、きょうおけいとお月見をしますが、あなたもと誘った。
 おけいのお守りに芸者が七人、橋光亭から船をだして綾瀬まで漕ぎのぼると、おけいの父が用意してきた銀の総箔の扇を山ほどだして、さあ、みなでこれを放っておくれといった。芸者たちが、おもて、みよし、艫とわかれておもいおもいに空へ川面へ銀扇を飛ばすと、ひらひらと千鳥のように舞いちがうのが月の光にきらめいて夢のようにうつくしい。おけいは中ノ間の座布団に坐って父の膝にもたれ、ニコニコ笑いながらながめていた。
 こんな育てられかたをしたので、鷹揚なことはこのうえもなく、放っておけば一日でもご飯を食べずにおっとりと坐っている。けっしてものをねだったり、催促したりしない娘だった。
 昭和十年の冬、堀川が自火をだして丸焼けになり、両親は東京を遠慮するといって鵠沼へひっこんだが、間もなく死んでしまった。おけいは赤坂表町の須藤という弁護士の家へあずけられ、三崎町の仏英和女学校へ通っていたが、水曜日にはルダンさんのところへきてフランス語の勉強をしていた。いまにして思うと、光太郎がフランスへ連れて行ってくれるものときめ、その用意をしていたわけだった。
 日本を発つ前の晩、おけいは別れにきた。茄子紺の地に井桁を白く抜いた男柄の銘仙に、汚点しみひとつない結城の仕立おろしの足袋というすっきりしたようすでやってきて、おばあさまの琴爪をちょうだいといった。
 おばあさまの琴爪というのは、琴古の名人だった光太郎の祖母が死ぬとき、これはおけいに、といって遺したものだった。
 光太郎がどうしたんだとたずねると、あなたはもう日本へ帰っていらっしゃらないでしょうから、きょういただいておかないと、もういただけなくなってしまうからといった。
「お客さまでございます」
 という声がした。おどろいて顔をあげると女中さんが立っていた。
「だれだい」
「あの、二十二三の若いお嬢さまでございますが」
 光太郎は、えっといって椅子から立ちあがった。


 玄関へ出てみると、眼に張りのある、はっきりした顔だちの、いかにもお嬢さんと呼ぶにふさわしいような品のいいひとが立っている。
「失礼ですけど、こちらさま、もと銀座にいらした魚返さんではございませんかしら」
 とたずねた。
 光太郎がそうだとこたえると、やはりそうだったわ、とうれしそうに口の中でいった。
 居間へ通ると、千代は日本人にしては長すぎる脚を斜に倒すようにして椅子にかけて、
「あたくし、もと銀座におりました今屋の伊草のもので、千代と申しますんですけど、こんどニューギニアから帰ってまいりましたので、おけいさんのこと、すこしお話しもうしあげたいと思って、それで、お伺いしましたのよ」
 若々しい、そのくせよく練れた落着いた声でそういった。
「それはどうも、ごしんせつにありがとうございます。おけいの霊代もありませんので、こんなみょうなことをやっておりますが、お差しつかえなかったら、どうかゆっくりしていらしてください」
「ありがとうございます。じつは帰りますとすぐにおたずねしたかったのですけど、こちらさまのお住居がわからなかったものですから」
「今屋さんの建物は、むかし銀座の名物でした。明治初年ごろの古い洋館で、油絵具をはじめて輸入なすったので、よくおぼえております。それで、おけいとはニューギニアで、いつごろ」
「おけいさんはすぐカイマナへ行かれたのですけど、あたくしどもはさんざん追いつめられ逃げこんだので、おけいさんにお逢いしたのは終戦の半年ぐらい前でしたの」
「カイマナというのはどんなところですか」
「帰りましてから、ジイドの「コンゴ紀行」を読んでそう思いましたんですけど、あの中の(パンギとノラ間の大森林)という章の描写にそっくりなのよ。……見あげると眩暈めまいのするような巨木が一列になって歩き廻っていると書いてありましたけど、ちょうどそんな感じのところなんですの」
「わかるような気がしますね」
「あたしたちの仕事は、それは辛いんです。半年の間、毎日滝のように降りつづけていた雨がやんで雨季があけますと、急に温度があがるので、活字が膨脹してレバーであがってこないのに印字ガイドまで狂って、どうしたってミスばかり打つんですの……ちょうどバボ作戦の最中で、作戦関係の文書はみな暗号ばかりですから、五日がかりでしあげた大部なものでも、一字でもミスがあれば打ちなおしを命じられます。それはまるで命をけずられるようなひどい明暮れで、あたくしどもは宿舎へ帰ると、もうなにをする元気もなくてすぐ横になってしまうんですけれど、おけいさんは池凍ちとう帖を置いてお習字をしたり、お琴をひいたり、ひとりでたのしそうに遊んでいらっしゃいましたわ」
「琴って、十三絃のあの琴のことですか」
「ええ、そうなんですの。病室の衛生兵に秋田というひとがいて、これは京都の有名なお琴師さんだそうで、おけいさんの部屋に琴爪があるのをみつけて、そんなら琴をつくってあげようといって、あのへんのラワンやタンジェールなどという木で琴をつくってくれましたの。甲におもしろい木目のある本間の美しい琴でしたわ」
「そんなこともあるのですか。かんがえもしませんでした」
「あたくしたち、夜直でおそくなって、月の光をたよりに帰ってきますと、ジャングルの奥から「由縁ゆかり」なんかきこえてきますと、なんともいえない気持がいたしましたわ」
 光太郎は下目に眼を伏せてきいていたが、玲瓏と月のわたる千古の密林を洩れる琴の音は、どんなに凄艶なものだろうと思っているうちに、あの琴爪で琴をひいているおけいのようすが眼に見えるようでふと肌寒くなった。
「おけいさんはあんな方ですから、なにもおっしゃらなかったのですが、そのころはもうだいぶお悪かったのです。終戦のすこし前でしたが、雨に濡れてお帰りになってたいへん喀血なさると、ずんずんいけなくおなりになって、病室へ移すとまもなく危篤ということになりました……それで、あたくしみなさんを代表してお別れにまいりますと、枕元に「謡曲全集」なんて本が置いてありますので、こんなものお読みになるのとたずねますと、ええ、ほんとうにいいコントばかりよ、すばらしいと思うわといって、「松虫」のはなしをはじめて、枯野を友とあるいているうちに、その友がいつの間にか死んでいたというところまできますと、だしぬけにふっとだまりこんで、大きな眼でじっと天井を見つめていらっしゃいますのよ。どうしたのだろうと思って顔をみていますと、ちっとも眼ばたきしないようなので、おけいさん、おけいさん、どうなすったのと大きな声をだしますと、おけいさんは夢からさめた人のような眼つきであたしの顔をごらんになりながら、面白かったわ、あたしいま巴里へ行って来たのよとおっしゃるの……そう、どんな景色だって、とたずねますと、あれはマドレーヌというのでしょう、太い円柱が並んでいるお寺の前の道を、光太郎さんが煙草を吸いながら歩いていたわ、とそんなことをおっしゃいました」
「それは、いつごろのことですか」
「六月二十七日。お亡くなりになる朝のことでした……日が暮れて、いよいよご臨終が近くなると、なんともいえない美しい顔つきにおなりになって、あたし「松虫」は文章がきれいだからすきなのよ、とおっしゃって、いい声で上げ歌のところを朗読なさいました。
 そこへ部隊長がいらして、ご苦労だった。こんなところで死なせるのはほんとうに気の毒だ。お前、なにかしてもらいたいことはないか。遠慮しないでいいなさい。どんなことでもいい、といわれますと、おけいさんは、では、雪を見せていただきますとおっしゃいました。
 雪……雪って、あの降る雪のことか。ええ、そうですわ。これは困った、神さまでないかぎり、ニューギニアに雪など降らせられるわけはなかろうじゃないかといいますと、おけいさんは笑って、冗談ですわ。内地を発つ晩、きれいな雪が降りましたので、もういちど見たいと思ったのです、とおっしゃいました。
 そのとき、軍医長が部隊長になにか耳打ちしますと、部隊長は眉をひらいたような顔つきになって、じゃ、そうしようといっておけいさんを担架に移して下の谷間のほうへ運びだしました。
 あたくしたち、なにがはじまるのだろうと思って担架について谷間の川のあるところまでまいりますと、空の高みからしぶきとも、粉とも、灰ともつかぬ、軽々とした雪がやみまもなく、チラチラと降りしきって、見る見るうちに林も流れも真白になって行きます。
 部隊長はおけいさんに、さあ、見てごらん。雪を降らしてやったぞと高い声でいわれますと、おけいさんはぼんやり眼をあいて、雪だわ、まあ美しいこととうっとりとながめていらっしゃいましたが、間もなく、それこそ眠るように眼をとじておしまいになりました」
「その雪というのは、なんだったのですか」
「ニューギニアの雨期明けによくある現象なんだそうですけど、河へ集まってきた幾億幾千万とも知れないかげろうの大群だったのです」
「ありがとうございました。これを聞けなかったらなにも知らずにしまったところでした」
 といっているうちに、この家をだれから聞いたろうとふしぎになって、
「この家はながらくひとに貸してあったのを、つい一昨日明けさせて越してきたばかりで、どちらへもまだ移転の通知をしてありませんが、よくここがおわかりになりましたね」
 というと、伊草は光太郎の顔を見ながら、
「ええ、あたくし、きょうこの先の宋林寺へお墓まいりにまいりましたのよ。いつも六阿弥陀のほうから帰るのですけど、きょうはなにげなく長明寺のほうへ曲りますと、すっかりわからなくなって、このへんをいくどもぐるぐる廻っているうちに、ふと見るとお宅の表札に魚返と書いてありますでしょう。いちどおたずねしなければと思っておりましたもんですから、ふらふらと玄関へ入ってしまいましたのよ。でも、かんがえてみますと、ずいぶん頓狂なはなしね。あたしいやだわ」
 といってうっすらと顔を赧らめた。
 光太郎は、おけいが光太郎のお嫁さんはじぶんの友達を推薦するといっていたという、今朝のルダンさんの話を思いだし、この娘をここへ連れてきたおけいの意志をはっきりと理解した。
 急に別な眼になってそのひとを見なおすと、いままで気のつかなかったいろいろなよさがだんだんわかってきた。
 月の光を浴びたような無垢な皮膚の感じも、張りのある感覚のよくゆきとどいた深い眼の表情も、健康そうな生の唇の色も、どれもみないつかおけいに話してきかせた光太郎の推賞する科目だった。薄い梔子くちなし色の麻のタイユウルの胸の襞のようなものは、よく見ると、大胆な葡萄の模様を浮彫のように裏から打ちだしたもので、葡萄の実とも見えるガーネットの首飾と照応して、日本ではたいていの場合みじめな失敗に終るバロック趣味を成功させていた。
 伊草の娘が帰ると、光太郎はそのまま玄関に立って腕を組んでいたが、おけいはこれからルダンさんのところへ行くだろうと思うと、せめて門まででも送って行ってやりたくなった。
「提灯をつけてくれないか」
 女中がおどろいたような顔をした。
「さあ、提灯は……懐中電燈でいけませんか」
「いや、提灯のほうがいい」。
 光太郎は提灯をさげてぶらぶらルダンさんの家のほうへ歩いて行ったが、道普請みちぶしんえのあるところへくると、われともなく、
「おい、ここは穴ぼこだ。手をひいてやろう」
 といって闇の中へ手をのべた。





底本:「久生十蘭全集 ※()」三一書房
   1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行
入力:tatsuki
校正:伊藤時也
2010年8月24日作成
2011年4月22日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




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