蝶の絵

久生十蘭





 終戦から四年となると、復員祝いも間のぬけた感じだったが、山川花世はなよの帰還が思いがけなかったせいか、いろいろな顔が集まった。主人役の伊沢元仏蘭西領事と山川の教え子だった伊沢の細君の安芸あき子、須田理学士、貿易再開で近くリヨンに行く森川組の笠原忠兵衛、シンガポールの戦犯裁判で、弁護団側のマレー語の通訳をしていた岩城画伯などがやってきたが、定刻をすぎても、当の山川はあらわれない。
 伊沢は窓ぎわのソファで笠原と領事時代の話をしていたが、そのうちに、いいものを聞かせようといって、そら色のラベルを貼った古色蒼然たるレコードを持ちだしてきた。
「テット・スキッパの『マリポサ』だ。あのころパリにいた連中は、忘れられぬ思い出をもっているはずだ」
 ほのかな歌声うたごえが、管絃楽のアンサンブルの中から音の糸を繰りだすように洩れてきた。繊細な技巧と熱情が美しく波うつスキッパのハバネラは、人間のいないうすいうたいかたでは、どんな派手な声を仕上げてもだめなものだというあかしをしながら、聞くものの心を深い陶酔にひきこんだ。
 歌が終って、アペリチフが出ると、笠原が、
「あのころ、パリに遊びに来ていた豊沢大掾だいじょうがこれを聞いて、河東かとう荻江おぎえのウマ味だと、うがったことをいったが、歌うという芸道もここまでくると、もう東洋も西洋もない。おれも何十回聞いたか知れないが、聞いているあいだ、西洋の歌だということを忘れているふうだったよ」
 といった。すると、そばにいた岩城が、思いだしたようにこんな話をした。
「いまのハバネラで思いだしたが、バタヴィアの戦犯裁判にかけられたなかに、比島の若い娘たちにたいへんな人気があって、『マリポサ』という愛称で呼ばれていた日本人がいた」
 須田が気のない調子でたずねた。
「そいつは、なにをしたんだい」
「マニラのポゥロ大学の八百人の非戦闘員虐殺、ラグナのカランパノの幼児虐殺、パタネスのバスコの残虐事件……それのどれかに干与しているはずで、そのため、いくども法廷へひき出されるんだが、ドタン場へいくと、五人も十人も若い娘の証人が出て、反証をあげて無罪にしてしまうんだ」
「丹次郎だな。ちょっとしたもんだ」
 笠原がまぜっかえしにかかった。
「それで、逃げきったのか」
「そんなやつだったが、やはり最後の幕は出さざるをえなかった。比島のほうは逃げきったが、スマトラのパレンバンの虐殺一件を、なにやらいうスペインの混血娘に摘発されて、とうとうバタヴィアの刑務所で絞首刑になった。頭巾ずきんをとると、『マリポサ』の実体は案外つまらない男だったが、助けたのも若い娘なら、殺したのも若い娘……絵でいえば、デッサンのたしかな戦争画の細部を見ているようで、複雑な感銘をうけた」
 のんびりとそんな話に耽っていたのではない。内実は、みなすこしずつ腹をたてていた。八時になったが、まだやって来ない。空虚な時間を、あてどのない会話で埋めていく努力に嫌気がさしかけたころ、須田が欠伸まじりで伊沢の細君に、
「なんだか、あやしいことになってきた……安芸子さんが資生堂で見かけたというのはほんとうに山川だったのかな」
 と無駄をいった。
「あやしいって、どうあやしいの?」
「戦争に行って、あいつが生きて帰ってくるというほうはないからね。どう考えても非論理的だよ。それは安芸子さんの告白小説じゃないのか。山川に逢いたい逢いたいで、祈りだしたのとちがいますか」
反魂香はんごんこうですか? まさか」
 伊沢の細君が、さらりと受け流した。
「おどろいたのは、あたしだけじゃないのよ。山川さん、薄鼠のダブルのスーツかなにか着て、前触れもなく、すうっと庭先へ入って来たので、上の常子姉さまは、あらと縁の柱にすがりついたきり、動けなくなってしまったって」
 五日ほど前、伊沢の細君が買物の帰りに資生堂へ寄ると、いつもそこときまっている、ギャラリーの鋳金ちゅうきんの手摺に寄った卓で、山川花世がむかしどおりのようすでコォフィを飲んでいた。それで傍へ行って、
「山川先生、いつぞやは」
 と挨拶したが、赤襷あかだすきの山川を営門に送りこんでから、今日というその日までのあいだに、戦中戦後を含め、六年という非情の長い時の流れが介在するのだから、いつぞやという挨拶は、なんとしてもへんだった。
「六年といったら、老けるとか痩せるとか、なにかしら変化があるはずなのに、まるっきり、そんなこともなくて、出た日のままの顔で、眼を伏せて含羞はにかんでいるじゃありませんか……それで、ついバカなことをいっちゃったんですけど、気がついて、いやァな感じがしたの。幽霊だとも思やしなかったけど、ああ、夢を見ているんだなって……」
 山川が入営したのは、小雨の降る、うすら寒い朝だった。眼を釣りあげた上の姉の常子が、毛布地仕立の大外套の重ね着をして、鼻の下までマフラをひきあげた山川に蝙蝠傘をさしかけながら、なになには、どうとかしなくてはとか、ネオ・レバーを飲むことを忘れないでとか、子供にでもいうようにクドクドと注意していた。
 日本の文化史が、かならず一頁をく、権威あるクリスチャンの家族が、ただ一人の嫡男を育てたいばかりに、土俗の迷信にすがって、花世という女の名をつけた血迷いかたでも知れるが、山川花世は、母と二人の姉の犠牲と奉仕によって、辛うじて人並な発育をとげた。
 そのため、上の姉の常子は、とうとう婚期を逸してしまったが、生れ落ちてから三十歳まで、山川の日常はサナトリウムさながらの生活で、生水は飲まず、外でものを食べない。よんどころないパァティなどには、姉の一人が、魔法瓶に蒸溜水を詰めてついて行くので有名だった。
 学習院の女子部の先生になってからも、嫌なこと、むずかしいことは、みな母や姉がひきうけてやってしまい、山川は家庭と女達の蔭に隠れ、自分の流儀で、したいことをしていた。顔ひとつ洗うにしても、歯磨はデュマレの「コールゲート」の半煉、石鹸はモリヌウの「ヴェルゥ」ときまっていて、それらが東京で手に入らぬときは、姉がわざわざ神戸のクーン・アンド・コモルまで買いに行った。
 軍教など思いもよらない。短期現役の勤務期間は、縁戚の軍医監へ手をまわして、病棟で本を読んで暮し、一日も実務につかずに予備少尉に任官するという特例をつくった。
 戦争や軍隊にとって、これほど有害無益な男もすくなく、山川にとって、およそ戦争というものほど、性に合わないものはない。女子部の生徒のなかでも、特に山川をひいきにしていた十人ばかりが、花束ならぬ、紙の国旗を持って営門に並んだが、いじらしいやら、可笑しいやらで、涙を滲ませたり、忍び笑いをしたり、さんざんだった。
「山川先生、いちど雨にあたったら、溶けておしまいになるでしょう」
 一人が泣笑いをしながら、感想を洩した。
 母と姉の庇護によらなくては、一日も生きられない。顔を洗う水が足の甲に落ちても、すぐ風邪をひく含羞草ミモザのような山川が、荒くれた異土いどの風雪に十日もつづけてあてられたら、敵の弾丸を待つまでもなく、肺炎かなにかで、がっくりいってしまうのだろう。時雨しぐれもやいの朝寒あささむにおびえて鳥肌をたてている、眼ばかり美しい山川の細い白い顔を見ていると、この男は、もう生きて帰ってくることはあるまいという冷酷な感慨がわき、人並な挨拶をして営庭に入って行ったのを最後に、みなのこころのなかで、山川の思い出が死んでしまった。
 生きた山川を見ようなどと、無益な期待をもっていたものは一人もない。そんな場所で、唐突に山川と鉢合せをしたら、伊沢の細君でなくとも、あっといって、一と足後へ退ったろう。「いやな感じ」というのは、よくわかった。
 山川の家へ電話をかけると、二時間も前に出たというが、待つあてもないので、はじめると、九時近く、遅くなって、山川がつるりとした顔であらわれた。どこへ坐ればいいのかと、含羞はにかみ笑いをしながら座を見まわしているので、いい加減腹をたてていた須田が、
「ひとに招かれて、いまごろやってくるような不心得者は、おゆるしが出るまで、末席で慎しんでいろ」
 と、いきなり浴びせかけた。
 さすがは育ちのよさで、すまなかったといって、悪びれもせずに端初はしはなの席につきながら、食卓の上のクリスタルの酒注カラフを見ると、
「葡萄酒だね。一杯もらってもいいかしら」
「赤ん坊が、酒を飲むって? あまり驚かせるなよ」
「軍隊でおぼえちゃったんだ……母や姉たちには、秘密なんだが」
 山川は、グラスをクルクルまわして、切子きりこめんを光らせながら、宝石でもながめるように酒の色に見入っていたが、香気を嗅いで口に含むと、
「ラローズだね。なかなかいいよ」
 と、通人めかして、うなずいてみせた。
「こいつは、一流みたいな飲みかたをする。どこで、おぼえたんだ。まさか、ヨーロッパへ戦争に行ったわけでもあるまい。ふしぎなやつだね」
 と岩城がいった。笠原は山川の顔を、と見こう見していたが、
「山川は、六年も戦争に行っていたというけど、ちっとも変っていないね。痛めつけられたようなところは、どこにもないじゃないか」
 と呆れたようにいった。
 水に晒したようなぬめのたつ白い皮膚は、どこといって日焼けもせず、華奢な手は、依然として敏感そうに、すらりとしたかたちを保っている。眼の艶もそのまま、声もそのまま。戦争は別にしても、歳月の腐蝕を受けずに、どうしてむかしのままの風姿を持続することができたのか、まず、それがふしぎだった。
「おれの友達なんだが、現地へ着くが早いか、敵前逃亡をして、終戦後、軍法会議と戦時特別刑法が廃止になるのを見さだめてから、悠々とあらわれてきたのがいる……兵科はなんだったんだ、そんななまちろい顔でいられるというのは」
「高射砲隊……ひどい戦闘もしたが、ともかく運がよかった。終戦は、ニューギニアのカイマナだったが、あまり奥へ逃げこんじゃって、二年も終戦を知らなかった。陽の目も見えない大樹林の中で、食べるものもなくて……」
「それはたいへんだったといいたいところだが、どう見ても、お前のつらは、美食して、安楽に暮していた面だよ」
「嗜好の善悪とは、緯度の差でしかない、と誰かがいった。見方を変えれば、僕は、すごい美食をしていたといえる」
「なんだい、緯度の差ってのは」
「アフリカやアラビヤでは、猿は最上の美食だということだが、僕らは、オランウータンばかり食っていた。食い残した猿の腕や掌が、その辺に投げだしてあると、人肉でも嗜食ししょくしたような罪感ざいかんをうけた」
「アッペリゥスという男のボルネオ紀行に、オランウータンを生捕りにする話があるが、あれァ、なかなか掴まらないものなんだろう。山川のようなのろまに、よくそんなことができたな」
「これでもずいぶん殺した……チーズのような猛烈な臭気のある、ドリアンという熱帯果実は、猿の大好物で、それが熟すころになると、五十匹、百匹という集団をつくって、ジャングルの奥から出てくる。手はじめに、伐木して猿どものいる樹を独立させ、大勢で遠巻きにしながら、円陣を狭めて行く……兵隊が木の下まで這って行って、幹に手斧を打ちこむ。こちらの意図がわかると、枝をゆすって暴れるが、間もなく、ドサリと樹が倒れる。母猿は子猿を抱えて立ちむかってくるが、目つぶしを食わされ、網をかぶされて、地べたへころがされる……そこを、乳の下を目がけて、銃剣でグサリと突くんだ。母猿は片手で子供たちをひきよせ、片手でまわりの草をむしって、胸の創口へおしこむ。そうして、絶望的なようすで、血のついた手を嗅いでみる……母猿の臨終の動作は、おそろしいほど人間に似ているんだ。あんな良心をおびやかす狩もすくない……猿のほうは利口で、礼節があって、ときには、道徳的にさえ見える。われわれ人間のほうは、低蒙で野蛮で、垢だらけになって、眼ばかりギョロギョロさせ、一枚のガネモの葉のやりりから、すごい斬りあいをやる……猿を殺すにしても、その残忍さときたら、お話にならない。見ていると、人間が猿を殺しているんじゃなくて、猿が人間を殺しているような、へんな気がしてくる。他人のことじゃない。顔に猿の血をつけたまま、猿汁をつくっているところなど、われながら、人間だなんて思えない。一日ごとに、動物に近くなって行く経過が、はっきりとわかって、この分じゃ、たとえ生き残っても、二度と人間社会へ帰って行けないだろうという自覚と絶望で、気がちがいかけたことがある」
 やはり昂奮しているのだとみえ、無口な山川が、いつになく、つくづくと念頭の考えを洩し、疲れたといって、一人で先に帰った。


 東京裁判が最終論告の段階に入り、横浜裁判と平行して、俘虜部門の弁論がはじまったころ、厚木の早朝ゴルフの帰り、思いついて山川のところへ寄ると、妹のさと子が出てきて、
「兄は、いま、おつとめなんです」
 と笑いながらいった。そういえば日曜日で、山川で家庭礼拝のある日だった。
 広縁で煙草を喫いながら待っていると、柴垣のむこうで、姉の常子が植木屋と話している声がきこえる。
「池まわりも、荒したままじゃ置けませんから、いずれ、お入れになるのならと思いまして……低いつくりものですと、てっせん、うずら梅、あせび、どうだん、山茶花といったようなもの。汀石みぎいしの控えに、うってつけな、赤斑あかふの霧島なんかもございますが」
「花はどうかしら……みな、抜かせてしまったくらいだから、いってはみますが、無駄でしょう」
 死んだ山川の父は、「百花村」の秋公しゅうこうのような花好きで、池のみぎわに紫※(「くさかんむり/宛」、第3水準1-90-92)を植え、中門の楯に紫※(「くさかんむり/宛」、第3水準1-90-92)園という朽木の額をあげていた。シヲンヱンではない。「シヲンのその」と聖書風に読まなくてはいけないので、山川の庭では、花そのものにまで信仰の結晶が見られるわけだったが、夏の朝など、あじさいや庚申薔薇が風にそよいでいたあたりには、花らしいものの影もなく、荒々しい青葉が、ぼうぼうと乱れをみせてたけっていた。
「ひどく荒したもんだね」
「まだ、ごぞんじなかったのね。兄が、花のある庭は下品だといって、みな抜かせてしまったの」
 花庭をきらうひとはあるが、花のある庭が下品だなどということはない。どこか調子をはずした庭の荒れかたを見ていると、山川の頭の乱れがわかるようで、不気味になった。
「礼拝はまだすまないの、おつとめは」
「兄はね、お風呂場の水道の蛇口の下へ、大きな洗面器をすえて、シャボンの泡をたてて、スポンジで、一日にいくども手を洗うんです……おつとめというのは、そのことなの……帰った当座は、お風呂場を水だらけにして、一日じゅう、洗濯をしていましたわ。汚れてもいないハンカチまでひっぱりだして、生地がぬけるほど洗いあげたり……そのほうはおさまったようですけど、手を洗うほうは、まだまだ……」
 一日に何度も手を洗ったり、入浴したり、むやみに洗濯をしたりするのは、なにか罪感があって、罪の穢れを洗い潔めたいという、願望の無意識のあらわれだというくらいのことは、精神分析の通俗書を読んだものは、誰でも知っている。
「常態じゃないね。なにかほかに、へんなことはないの」
「ただ、なんでも汚いの。この間などは、常さんがちょっと足に触ったら、すうっと立って行って、お風呂場で足を洗っていたって……帰った日なんかは、着てきたものをそっくり庭先で脱いで、丸裸になって、水撒きのホースで、女中に一時間も身体に水をかけさせて、手帳のようなものまで、いちいち石油をかけて焼いて、それから、やっとこさで、家に入ったわ」
 俯向いて、頬を撫でながら、なにか考えていたが、
「ちょっと、いらして」
 というと、玄関わきの広い階段をあがって、花世の寝室へ連れこんだ。
「ごらんになってちょうだい、寝台の下を」
 のぞいてみると、ブゥルボン・ウイスキーや、ギルビィのジンや、サントリイの空瓶が、よくまぁ飲んだものだと呆れるほど、ごったに押しこんである。
「あたしたちには、気ぶりもみせずに、こんなことをしているんです。朝なんか、お酒の匂いを消すのに、苦心しているらしいわ……何代も前から、山川の家には、酒飲みは一人もいなかったんですから、母や姉が知ったら、絶望してしまうでしょう……こんなものお見せしたなんて、誰にも、おっしゃらないで。山川の内幕を見せたなんてことがわかったら、たいへんなことになりますから……階下へ降りましょうか、おつとめがすむころだわ」
 広縁へ戻ると、ぶらりとしたようすで山川が入ってきた。窓のほうに向き、鼻の先へ手を持って行ってにおいを嗅いだり、爪の甘皮をむしったりしていたが、妹が立って行くと、
「今日は、なんだったんだい」
 と探るような眼つきをした。
「さっき、慧子と二人で、僕の寝室へあがって行ったろう……そんな顔をしなくともいい……君にだけ告白するが、僕は、軍隊で、ひどいディプソマニヤになってね」
「なんだい、それは」
「酒狂ってのかな。アル中の一と桁上のやつだ。誘惑を感じだすと、酒のこと以外、なにも考えられない。心臓がドキドキして、眼の前が真暗になってしまうんだ。弱ったよ」
「軍隊で堕落するのは、どこの国にもあることなんだろう。シフィリスを背負いこんできて、帰るなり痴呆性になった田中のようなのもいる。その程度ならまあまあだ。酒が飲めるようになったのは、君にとって進歩かもしれないからな……それはいいが、汚い汚いって、手ばかり洗っているそうじゃないか。そのほうがよほどあやしいぜ」
「手を洗うのはいい習慣だ。慧子がそんなこといったのか。バカだね、あいつは」
「だが、庭の花をみな抜かせてしまったなんて話を聞くと、誰だってぎょっとする。神経科の橋本にでもてもらったらどうだ。あいつは分析もやるから、ショックの原因を見つけてくれるよ」
「ショックかなにか知らないが、他人に頭のなかを検査されるなんて真っ平だ」
「戦争神経症ってのは、案外、怖いもんだというぜ。へんだと思ったら、はやく手当をしておくほうがいいな」
「へんだなんてことはない。南方にはカユ・メラだの火焔木だの、毒々しいような赤い花がそこらじゅうに咲いているが、帰ってきてしばらくすると、庭の赤い花を見るたびに、南方のいやなイメージが眼に浮かんで、不愉快でやりきれなくなった……赤い色がどうのこうのというと、母や姉たちが心配するから、花のある庭は下品だなんて、いい加減なことをいっておいたんだが、ああまですることはなかったのさ」と言訳のようなことをいった。
 ことさら話をむずかしくしているが、生憎と、そんな見えすいたアヤにくらまされるほど、幼稚でもない。山川にはなにか悩みがあり、それを他人にのぞかれたくないということなのだが、先まわりをして、いらざる弁解をしたりするので、ああもいいこうもいうことが、みなしどろもどろで、かえって相手に疑念を抱かせる結果になる。頭は悪いほうではなく、生活にもはっきりしたメドを持っている男なので、論理の筋道も立てかねるといった、こういうぐらつきかたは、精神の衰弱ということを除いては、説明のしようのないものであった。
大寺おほでらを包みてわめくの芽かなってのは、子規の句だったか。軽井沢などに住んで、半月も青葉にかこまれて暮していると、むしょうに赤い色を見たくなることがある。の葉ばかりたけらせておいて、よく平気でいられるもんだ」
 山川は庭の青葉のむらだちをながめていたが、椅子の背に頭を凭せて眼をとじると、瞼のところを指先でグリグリやりだした。
「花のない庭は、たしかに疲れるね……津村が財産税の穴埋めに、庭木を売りたいといってきているんだが、どうしようかと考えているところなんだ」
「津村って、宇太郎のおやじか」
「そうなんだ……津村のところなら、いいものがあるんだろうが、おやじに逢うのは気が重くて……いつだったか復員の挨拶に行って津村のスマトラ時代の話をしたら、泣かれて弱った」
「それァ、うれしくはないだろう。兵隊の君が助かって帰ってきて、司政官で行った倅のほうが死んだというんじゃ」
 津村宇太郎は、須田や山川などと一中から東大までずうっといっしょで、警保局の高等課に勤務しているうちに、司政官にひきぬかれてスマトラへ行き、終戦でキャンプに抑留中、病死したことになっていたが、その後、スマトラから復員した連中の話では、病死ではなくて、戦犯のケースにひっかかって絞首刑になったというのが真相らしかった。
「津村は、スマトラでどんなことをやっていたんだ」
「官房長になって、大理石づくりの官邸で威張っていた……浴衣ゆかたがけでソファに大あぐらをかいて、ひどい椰子酒をあおりながら、おれはここの王様だ。土侯スフナンをおさえつけるのが司政長官で、司政長官をおさえつけるのが官房長だから、おれはさしずめキング・オブ・キングスというところさ……なんて、あられもない発揚状態なんだ。あの利口なやつが、すっかり駄目になっていた」
「あいつは病気で死ぬような奴じゃないから、噂どおり、死刑だったんだろう?」
「だろうと思うね。あそこの司政長官は、相当、原住民を痛めつけたはずだから、つながる縁で、津村もやられたのかもしれない」
「君は知らないのか。おれは知ってるんだとばかり思っていた」
「バタヴィアのチプナン刑務所へ送られたことは聞いたが、間もなく僕の部隊はニューギニアへ移ったので……あのころ、岩城は弁護団側の通訳をしていたから、岩城なんかのほうがよく知っているかもしれない」
「津村のおやじはどうなんだ」
「噂くらいは聞いているだろうから、うすうすさとっているんじゃないのか。むっつりして、酒ばかり飲んでいるそうだ。庭木を売りにだしたというのは、財産税のためよりも、田舎へひっこむ支度らしいね」
 そんなことをいっているうちに、心がきまったらしく、のっそりと椅子から立ちあがった。
「見るだけ、見てみようかな……どうだい、すぐそこだから、いっしょに行ってみないか」
 植木屋を連れて、三人で近くの津村の控邸ひかえへ行くと、下町の古舗しにせの大旦那といった上品な老人が、巻帯に白足袋といった恰好で、えんの落ちた数寄屋風の離屋はなれから出てきた。
「山川さんでしたか……ろくなものもございませんが、ごらんねがいましょう」
 小径づくりになった飛石を踏み、棕櫚繩を結んで買いとる庭木に目じるしをつけながら、地境じざかいのほうへ行くと、塀際の鉄棒をはめた飼箱のなかに、二歳くらいの猿の子供が、からだじゅうに乾いた泥や藁屑をこびりつかせ、所在なさそうに立膝で坐っていた。
 山川は足をとめてチラと一瞥すると、ジャングルで猿を殺して食ったことでも思いだしたのか、よそ目にもわかるほど嫌な顔をしたが、いつもの弱気で、
「オランウータンがいますね」
 と相手の気をひくようなことをいった。
「オランウータンとゴリラは、日本の動物園にいたことはありませんでした」
「あれは終戦の三月ほど前に、内地に帰ることに内定していたのだそうで、東条さんにあげるつもりで燃料廠の船で先に送りだしたものらしい。燃料廠から、荷物がついているから取りに来いというので行ってみましたら、こいつが出てきたのには、私もおどろきました」
 猩々の子供は胸のあたりを掻きながら立ってきて、鉄棒につかまってしげしげと山川を見ていたが、長い毛の生えた腕をつきだし、愛想をするように山川の肩に手をかけた。
 津村は意外だったらしく、
「おや、こいつは山川さんを知っているのだとみえますね」
 と、うれしそうにいった。山川は苦笑しながら、
「津村君がスマトラで飼っていたのによく似ていると思ったら、やはりそうだった」
 と弁解するように呟いた。
 猩々の子供は山川の注意をひくつもりか、叫んだり檻をゆすぶったりして騒いでいたが、そのうちに繩っきれを首に巻きつけ、牡丹の花のような赤い口を喇叭らっぱ式にあけて、クゥと啼いてみせた。
「どうしたというのでしょう。いつもは、こんなことはしないのですが」
「スマトラにいるときは、津村君の真似なんかして、面白いやつでした。あばれることもあばれますから、お世話がたいへんでしょう」
「この春まで、末の子供がかかりっきりで世話をしていましたが、それが死んでからは、どうにも手がまわりかねましてね。それに、こういうものを飼う手心てごころもわきまえませんもので、正直なところ、荷厄介で弱っておりますよ」
「上野へおやりになったら?」
「上野へやろうと思いましたら、設備がないから、もうすこしそちらに置いてもらいたいと、こういうことでして……」
 いかにも困りはてたというふうだった。山川はなにか考えていたが、
「上野へやるあいだ、私がお預りしましょうか。私に馴れているようですから」
「もう、そうねがえたら」
 帰る間もなく、植木屋の若いものが、追いかけるように猿の檻を手車で曳きこんできた。
「これはどうも、さっそくだね」
 飼箱から猿の子供を出して、二階の居間へ連れこむと、山川は女中にいって乾杏プラムを持ってこさせた。
「オランウータンには、ずいぶん借りがあるんだから、罪ほろぼしのつもりで、当分、飼ってやろう」
 猿の子供は窓框のうえに坐って、頭を掻いたり貧乏ゆすりをしたりしながら、皿の乾杏をもの欲しそうに見ていたが、そばに垂れているカーテンの紐を首に巻きつけると、踊るような恰好でヒョイヒョイと飛びあがった。
「気味の悪いやつだな。なんの真似をしているんだろう」
「津村のいたところは、石油がみだすというだけが取柄の暑苦しい蛮地で、大酒を飲んで昼寝でもするほか、時間のつぶしようがないもんだから、津村は癇癪をおこして剣をぬいて、女中バプウを追いまわしたり、スープの皿を投げつけたり、まったくの気ちがい沙汰なんだ……こいつも、だんだん気が荒くなって、女中に飛びついたり、通るやつの首へ繩をかけてひき倒したり、手一杯にあばれていた。あれはジョンゴスが首を絞められて、おおあわてにあわてる真似なんだ」
 そんなことをいいながら、忌々しそうに猿のほうを見た。
「むかしなら、それこそ猿臂えんぴをのばして、なんでもひったくったもんだが、これでも苦労をしたとみえて、なにか芸をしないと、食べものにありつけないと思いこんでいるらしい。たしかに、おとなしくなったようだ」
 猩々の子供は持役もちやくは終ったというこなしで、テーブルに飛び移って立膝をすると、乾杏を一つとって山川にわたし、じぶんも一つとって仔細らしく埃をはらってから、老成した恰好で食べかたにかかった。


 山川は、むかしどおりの家庭の殻に……というよりは、自分というもののなかにとじ籠って、丸くじゅくした、温室のメロンのような円満な日日を[#「日日を」はママ]送っているふうだったが、そのころ、山川が、混血児あいのこじみた若い娘と、お茶の水の焼跡を歩いているのを見たというものがあった。
 学習院の女子部などという、お姫さまのお相手で、さぞ楽だろうと思うかも知れないが、それは見当ちがいで、こんなやりにくい学校もすくない。教師を尊敬しない点でも有名で、何先生は何伯の家来、何々先生は、いぜん何侯の書生をしていたひとだなどと、遠慮なしに戸籍調べをやるのに、先生のほうは、叱ることも出来ず、そのとおりで、と頭をさげている。父兄はまた父兄で、小間使いや子供のいる前で、こんどの院長は、成上りの小華族だとか、旧華族だが、男爵からあがったヤット子爵だなどと放言して、子弟を煽りたてるようなことをする。戦前の女子部の生徒は、たいてい陰険で嫉妬深く、ようすぶってすましているが、ひどく早熟で、廊下などで、通りすがりに若い教師にすごいタッチをしたりする。
 山川は、五歳ぐらいまで、蚕のようにすき透り、少年時代は、色の褪せたような白子面しろこづらをしていたが、大学を出るころになると、ナルシス型のなよなよした優男になった。山川が女子部の英語の先生にきまると、女生徒たちは、花世という女のような名に反感をもち、さっそく、みなで苛めにかかったが、極端に内気で、弱々しく、長い睫毛が、しっとりと眼に影をつけているといった感傷的な風姿が、同情と保護感情によびかけ、苛めるどころか、おかわいそうにといって、むやみにいたわりだした。
 山川の交際ぎらいと、律儀さと、人間にたいする用心深さは、家庭の気質の反映もあるが、じつは、争い事が起こるのが、なにより恐ろしいので、女生徒たちの過度の発揚から生じる葛藤ほど、迷惑なものはなかった。山川の顔は、神経質な男によくある正直な顔なので、感情がのこらず丸見えになってしまう。いったい友愛と平等とは、絶対に一致しないもので、五十いくつの顔を、過不足なしに、平等に見るということはできない。それで、教室にいる間は、眼がわるいわけでもないのにうすい色のついた眼鏡をかけ、視線を曖昧にぼかしてしまうという手のこんだ保身の術をやり、ただのいちども波風を起こさずにすました。
 戦争や恋愛ばかりではなく、はげしいもの、異様なものは、なにによらず山川の敵なので、たとえば恋愛にしても、血統や、家柄や、穏やかな家族や、趣味のいいサロンや、洗煉された会話や、節度のある作法などの背景無しでは考えられない山川が、どこの馬の骨ともわからぬ混血娘あいのこなどと、焼跡の野天をほっつきまわるなんてことがあろうはずがない。聞いただけで、軽く笑い流してしまったが、そのうちに須田が、常磐線の土浦駅のホームで、そういう二人を見たといいだした。それも、生仲なものではなく、娘は山川の首に両腕を投げかけ、絶えいるようになにかささやき、山川の頬を撫で、接吻し、凄艶といおうか愴美といおうか、直視するに忍びない纒綿てんめんたる情景だったということだった。
「土浦のなんとかいう寮に、ジャワやスマトラから日本人を追いかけてきたインドネシアやオランダ系の娘が、何十人とか集団生活をしているそうだが、その組の一人なのかも知れない。それが事実なら、山川の生活史にもたいした箔がついたもんだ」
 須田が怒り加減のようすになって、
「誠実そうな顔をしているが、山川ってやつ、偽善者なのかも知れないぜ。この間などは、尤もらしいことをいって、研究室へからかいにきた……山川が飼っているオランウータンの子供が、日本語に優秀な反応を示すが、ほかにもそういうケースがあるかどうか、教えてくれというんだ……類人猿の習性研究は、ソヴェトのスウフムの猿類科学研究所と、ケーラー博士の猿猴園でやっているが、その報告だと、オランウータンは、ヨーロッパの二ヵ国語を完全に理解することになっている。英語とケルト語の方言……オランダ語の素質も、ダイア語の素質も持っていない。もちろん、日本語なんか理解するはずはない。だから、そういってやった……猿に日本語がわかるんじゃなくて、猿を食った報いで、君が猿語をつかえるようになったんじゃないのか。そうだったら、ちょっと怖い話だなァって……山川のやつ、むっとした顔で帰って行ったが、ともかく、すこし変だ。山川はたしかに影をもっているね。本心は、なにか言おうとしているんだが、山川がそれをおさえつけている。そういう格闘が、僕には感じられた……復員祝いの晩の猿の話にしたって、あれァ、全然、虚構なんだぜ。ニューギニアにはオランウータンなんか絶対にいない。ドリアンなんてものも、あったらお目にかかる。これくらいのことは、小学生だって知っている。われわれをバカにするつもりならわかるが、それにしたって、なんのために、つまらない嘘なんかつくんだい。だまっていたが、あの晩、おれはあまり愉快じゃ、なかったんだ」
 手を洗うとか、赤い色が気になるとか、そんなことを考えあわせると、思い浮かべられることがないでもない。山川がどんな秘密を持っているにしても、それはすべて山川に属する問題で、告白する義務などないが、いもしない猿を殺したとか、血だらけの手だとか、なぜ、あんなよけいなことをいったのか、理解することができなかった。
 須田が帰ると、岩城南光がやってきた。伊沢とおなじころ、外務省の書記生でロンドンにいたが、牧野義雄に啓発されて画道にうちこみ、外交官の未来を投げて、パリの貧乏絵描きの仲間へ入りこんでしまった。帰朝する途中、シンガポールや海防で南方の風景にかれ、マレーを振出しに、ジャワ、スマトラ、フィリッピンと、邦人のゴム園やサイザルの栽培地で絵を買ってもらいながら、二十年近く、飄々としていた。正義派で、善人で、終戦当時はシンガポールで、戦犯や引揚同胞の世話をしていたということだが、すすめられて、南方で描きためた絵の個展をやることになり、忙しそうにしていた。
「会場はきまったか」
「やっとこさで、日仏画廊へ割りこんだが、そうしたら、急に怖気がついてねえ」
「いつ頃やる」
「早くて、二月のはじめ……それで、今日、ちょっとおねがいがあってやってきた。デ・ヴィゴというのは、フィリッピンのネグロス島で、大きな砂糖工場をやっていた金持なんだが、長女のリーナという娘が、山川の後を追ってきて、いま東京にいる」
「須田とも話していたんだが、そんなものがいるらしいことは、聞いていた。噂は事実なんだね」
「山川は、部隊副官のくせに、親比島派のリーダーみたいなことをしていたもんだから、知識階級や、上流の家庭に受けがいい。マリポサこと津村宇太郎なんかとデ・ヴィゴ邸へ出入して、家族同様に待遇されていたんだが、デ・ヴィゴは、ネグロス島のゲリラを指揮した嫌疑で四十何人の大家族が、ひとりのこらず憲兵に虐殺されてしまった」
「いつか話していた『マリポサ』というのは、津村のことだったのか」
「そうなんだよ……山川は、その一ヵ月ほど前、パナイ島のナンチケへ転出したが、リーナは山川のあとを追って、ナンチケへ行っていたので助かった……それ以来、山川の配属が変るたびについてまわって、終戦当時は、スマトラで同棲していたんだそうだ」
 山川がニューギニアに行っていたというのは嘘なので、終戦後、間もなく復員した。リーナのほうは、山川の愛の誓いを信じ、ジャワの花嫁、百何人かにまじって日本へたどりつき、神戸の田辺の寮をぬけだして、一人で東京へやってきた。山川は、母がどうの、姉がどうのと、煮えきらないことばかりいい、約束を履行しないので、リーナが山川の母に逢いに行ったら、お帰りになるなら、旅費は、当方で負担いたしますと、五千円だしたというのである。
「いまのレートでは、十一弗とすこし……それで、どこへ帰れというのか知らないが、リーナ君は、帰るにも帰れないような事情になっている。ネグロス島では、日本人一般に、やわらぎえない怨恨を持っていて、親日的な傾向のあるものは、誰によらず、射ち殺してしまうんだそうだ……リーナ君は、国も郷里も捨てて、山川に殉じたわけなんだが、これはもう明白な裏切なんだから、帰ったら命がない。そういう悲境のさなかに、秋がかって、急に寒くなったもんだから、馴れない気候にやられて、倒れてしまった。いま三鷹の施療ベッドにいるが、絵にも描けないような惨状なんでね」
 と、しょんぼりした。
「土浦の花嫁寮に、ジャワからおれの知人の娘がきている。それに紹介されたというだけの関係にすぎないが、見すごしにできないので、山川に掛合いに行ったら、同棲していたことは事実だが、いつまでも変らないという約束はしていない。飽きるということもあり得るのだから、将来のことは約束できないと、最初に、ちゃんといってあるという堂々たる返事だ……それで、君だってリーナ君の事情を知らないわけじゃあるまい。そっちはそれでいいだろうが、飽きたからって、なんの保証もなしに、こんなところで放りだされたら、相手はたまったもんじゃなかろうと、いてきかせたが、そんなに気の毒だと思うなら、君がなんとかしてやれァいいじゃないかというフテくされかたで、話にもなにもなりゃしないんだ」
「山川家の憲法では、じぶんら一家の平和と幸福のためなら、他人にどれほど犠牲を要求してもかまわないことになっている。じぶんらの生活を固く守って、それ以外のものは、一切、認めない。都合が悪いときは、箴言しんげんまで担ぎだして、一歩も譲らないってんだ。身勝手で、訳がわからないのは山川家のモードなんだから、君なんかの歯のたつ相手じゃない。そんなところへ出かけて行くほうが幼稚なんだ」
 そんなことをいっているうちに、むやみに腹が立ってきて、煙草の味がわからなくなった。


 三鷹の駅から、土堤について行く。雑木林の繁った両岸の間を、流れの早い川が走っている。土堤の大きな木は栗と桜で、いくらかはまだ葉が残っている。笹と松のほかは、みな紅葉し、赤と黄と紅の諧調が、たえず変化する水紋にうつって美しかった。
 枯れ薄に埋もれた横長の建物の玄関を入ると、長い廊下が左へ延び、その端の部屋にリーナという娘がいた。
 薄っぺらな木綿布団を敷いたカンヴァスベッドに腰を掛け、窓のほうへ向いてなにかやっていたが、ドアの開いた音をきくと、すらりとした上背をみせて立ちあがった。窓からさす、初冬の午後の余光を横顔に受け、青い大きな眼で、こちらを見ていたが、息ぎれがするらしく、っそりした手を窓枠にかけて身体を支えながら、そろそろとまた腰をおろした。年齢としはいくつなのか、まだ子供子供し、つかの盛りを見せるもろい花といった、ものやさしさで、線の細いエッチングか素描でも見ているような清楚な印象を受けた。
 不運な人間が、些細な変化にも、すぐ不幸を予想するように、岩城といっしょに来た、見馴れぬ男に不安を感じているふうだったが、岩城が紹介を終えると、目ざましいほど昂奮して、
「お近づきになれて、うれしい」
 と、母音のひびくラテン訛の英語で挨拶し、こんなところまでよく来てくれたと、息を切らしながら、いくどもくりかえした。
「リーナ君、今日の訪問の目的は、君の要求を聞いて、山川をギュッといわせるためなんだから、考えていることを、ありったけぶちまけてくれるほうがいいね。間もなく、いい病院へ移れるようにするが、差当って、必要なものはないか」
 リーナという娘は、眼を伏せると、
「足りないものは、なにもありません」
 と細々とした声でいった。悲しそうにきこえたので、泣いているのかと思ったら、天使のような顔にうかんでいるのは、あどけない、自然な表情だけだった。
「それが、いけないんだよ。内縁関係といっても、事実上の妻なんだからこんな扱いをされていいことはない。本来なら、家庭裁判へ持ちだすほうが手っとり早いんだが、それをしないでいてやるんだ」
「でも、あたしもう山川さんを恨んではいません」
「君がそんなことをいいだすと、われわれは、なにもしてあげられなくなる」
「このあいだ、山川さんから手紙をもらって、よくわかりました。山川さんが私を愛していたこと、結婚の約束をしたこと、あのときは嘘ではなかったのですね……つまり山川さんは、日本人にあんな目に逢った家族の生残りを、日本人の一人として、できるだけ慰めてやらなければならないという義務を感じたのですけど、いまとなっては、山川さんにとって、その負担は非常に重すぎるものになりました」
「重い、軽いって、なんのことなんだね?」
「あたしと結婚すると、立ったり、坐ったり、動きまわったりしているかぎり、日本人が比島でやったことを、思いださずにはいられないでしょう……それが、どちらかが死ぬまでつづくのだと思うと、考えただけでも、耐えられない気持がするのです。山川さんが約束を破棄したのは、愛が消えたのでも、心が冷えたのでもなくて、そういう暗い家庭になることを恐れたからなんです」
「それは、はじめからわかっていることだ。いまになって、そんなことをいいだすのは、口実というもんだよ」
「山川さんだけではなく、あたしもそう思うようになりました。かわらぬ愛さえあれば、思い出などは踏みこえて行けると、単純に思いこんでいましたが、まちがいだったようです……熱がさめて、冷静になったとき、結婚したことを後悔したり、責めあったりするのだったら……消すに消せない思い出を間に挾んで、いつも、それを通して、お互いの顔を見あわさなければならないようになるなら……」
「山川がそういってきたんだね」
「それに、あたしはスマトラの戦犯裁判で、証人に立って、日本人の罪を証明したことがあります。それを忘れていました……どんなことがあっても、山川さんと結婚できない関係になっているんです。悲しいけど、あきらめるほかはありません」
「リーナ君、君が告発したのは津村だったんだね、『マリポサ』といわれていたやつ……」
 リーナは眼を伏せたきり、それには答えなかった。
 言おうとすることはよくわかる。言葉のもつ真実味にうたれ、敬意と同情を感じながら聞いていたが、リーナという娘は恋に眼が眩み、山川のべつな姿をつくりあげているらしい。われわれの知っている山川とは似もつかぬもので、張合いぬけがして、力が入らなくなった。
「とりとめのないことになったね」
「だからって、放ってはおけない。あれじゃ、すこし、ひどすぎる。おれは、これから山川のところへ行くから」
 そういって、新宿で岩城と別れた。
 日暮れ近く、山川の家に着くと、玄関のそばの槐の葉繁みの中で、チラと黒い影が動いた。子供でものぼっているのかと思ったら、いつかのオランウータンが横枝にとまって、ヒラヒラ動く枯葉を、ギリシャの賢人のような顔で眺めていた。
 客間で待っていると、四十五歳の老嬢が、皇后さまの宮中服を真似た、みょうな着付で出てきた。
「花世はね、風邪気味で、三日ほど前から、ひき籠っています……慧子のほか、誰も寄せつけないの。ご用でしたら、あたくしがうけたまわっておきましょう。どんなこと?」
「リーナという娘のことで……」
「あの娘ね……そうそう、二度ばかり、家へ来たことがあるわ。色は、黒いってんじゃないけど、どこかすすっぽくて、愛嬌でもあればのことですが、そんなところもなく、すがれ野菊といった面白味のない娘……愛情というのも、ずいぶんへんてこなものなの……花世の手に、ちょっと触っただけで、昂奮して、眼のなかを白くして、痙攣ひきつけてしまうというすごい過敏ぶり……気が触れてるんじゃないかと思ったくらい。いつかなども、やってきたのはいいんですが、話もなく、いきなり泣くばかりで、扱いかねて、あぐねちゃったわ。それであなた、どうしてアレをごぞんじなの?」
「今日、岩城南光に、紅葉を見ようって誘いだされて、欺し討ちみたいに、あのひとに紹介されちゃった……ひどいところにいたよ」
「そういっちゃ、なんですけど、自業自得よ。無計画性……空想的な娘って、たいてい、そうしたことになるものよ。戦後のゴタゴタの間、現地で花世が世話になったこともあるそうですが、それにしたって、日本まで追いかけてくるなんて、非常識きわまるじゃありませんか」
「恋愛って、もともと非常識なものなんだが、僕が聞いたところじゃ、約束をして山川君が連れだしたんだそうだから、相手が純真すぎたというところかな」
 常子は冷やかな微笑をうかべながら、まじまじしていたが、
「あなたも駄目ね。花世ってものを、ちっともわかっていらっしゃらないじゃありませんか……あらゆる真実が、かならず人を動かすものでもなく、純真さが、いつも人をうつとはきまっていません。相手によっては、誠実に扱ってはいけない場合もあり、嘘をまぜてものをいうほうが、徳をしめすことだってあるんです。必要があれば、花世は百遍だって約束するでしょうし、破りもするでしょう……女子部じゃ、百五十人からのむずかしい方たちを、のぼせあがらせたり、冷やしたり、自由自在に扱っていたんですから、一人の女ぐらいで、感情の理路を誤るようなことはありませんわ。あんな場ちがいな娘に、どうこうしたなんていわれたら、花世は心外に思うでしょう。あんなにまでつき詰める女だと、洞察できなかったのは失敗でしたが、だから、気がついて、すぐおさめてしまったようでした……あの娘、なんといっていた? もう花世を恨んでいないといったでしょ」
「そういっていました。山川君に、うまくしてやられたわけですかね」
「お話を伺うの、忘れていたわ……ご用はなに?」
「……岩城のような、うるさいやつもいるんだし、新聞記者に突っつかれて、こちらの名が出るようでも困るから、もうすこし、ましな病院へやるほうがよくはないかと思って……お節介みたいだけど」
「それはどうも、わざわざ……でも、そんな手数をかけることはないのよ。放っておけば、自然に解決する問題なんです。医者は、この冬は越せまいといっているそうじゃないの。お聞きにならなかった?」
「なるほど、それもそうだ。ときは最大の調停者か……むかしのやつは、うまいことをいうよ」
「そうなるように、願っているわけじゃありませんが、死ぬものなら、しようがないでしょう。神さまが、おしになるのですから」
 二階のほうで、なにかザワザワしているようだったが、そのうちに、取組みあいでもするような、荒くれた音になった。
「なんでしょう」
 常子がけげんな顔で聞耳をたてているうちに、ドタバタ騒ぎはいよいよ爛熟らんじゅくして、駆けまわる足音に猿の叫び声までまじっている。
 奥の間につづくドアから、慧子と寝間着を着た山川の母が出てきた。
「ごめんなさい、こんなうまいなりで……常さん、あれはなんのさわぎなの」
「さあ」
「さあ、なんていっていないで、見ていらっしゃいよ……慧子さん、あなたもそんなところに立っていないで」
 籠ったような銃声が、めちゃめちゃな調子で、六発まできこえた。
「二階にいるのは、山川君だけですか」
「いいえ、猿がいます」
 なにもかも見透したような声で慧子がこたえた。
 階段を踏みとどろかす音がしたと思うと、焦点の定まらない、熱にうかされたような眼つきで山川が客間へ入ってきた。
「どうしたんだ」
「猿が、へんなことをやりだしてね。危険だから、始末した……あんなおしゃべりな猿って、あるもんじゃない」
 憂鬱そうな顔で呟くと、長椅子に沈みこんで、両手で頭を抱えた。常子は、つかつかと花世のそばへ行くと、
「他人の前で、内幕をさらけだすなんて……あなたは、なぜ、そうなの?」
 と蒼ずんだ顔で叱※(「口+它」、第3水準1-14-88)した。
「常さん、いま、そんなことをいったって」
「母ァさんは、だまっていらっしゃい。山川の家には、ユダはいないはずなんです」
 そういうと、こっちへやってきた。
「今日は、とりこんでおりますから、失礼ですが、おひきとりねがえませんか……いずれまた」
 おきまりの慇懃無礼で、空々しい愛想笑いをしながら、追いだしにかかった。


 二月五日の午前八時ごろ、新宿、新大久保間の、いわゆる魔のカーブで山川が省線から振落されて不慮の死をとげた。路盤へ落ちたところを、車輪に接触して土堤下へ跳ねだされたものらしく、大久保百人町の空溝のなかで死んでいた。
 客観的な状況では、不慮の死だが、じつは、アクシダントをよそおった計画的自殺だったので、場所や条件を、実地について、相当、長い間研究したことが、手紙に書いてあった。自殺するのに、そんな歯痒い方法を選んだのは、それがいちばんいいと思ったからで、それ以外の作為はない。山川をそこまで追いまくった、いろいろな事情や素因を考えあわせると、山川としては、そうするほか、やりようがなかったろうということが理解できた。
 桐ヶ谷の火葬場へ行くので、早く家を出たが、ついでに日仏画廊へ岩城の絵を見に寄った。
 晴れているくせに、なんとなく暗い感じのする朝で、画廊へ入ると汗が出た。
 ひとのいい岩城の顔が見えるような、才気の乏しい遅鈍な絵ばかりで、身体を斜めにして早足で見て行くうちに、窓から遠い、影の淀んだうす暗い壁面から、どきっとさせるような鮮かな色彩が、いきなり眼に吸いついてきた。
 灰色で、むらなく塗りつぶしたカンヴァスのまんなかに、緋色の天鵞絨を切って貼りつけたような量感のある血紅色が、なんともつかぬかたちで盛りあがっている。花かと思ったら、そうではなく、斜めになって飛んでいる一匹の蝶の絵だった。
 画題は「マリポサ・ローハ(赤い蝶)」……学名はなんというのか、シジミタテハに似ているが、それともちがう。頭から翅の端まで、緋一色のうえに、白で、繊細なアラベスクの模様をした、見たこともない珍奇なものだった。背の膨らみのところで、血のあかはひときわく、ポッテリとした鱗粉の厚みを感じさせながら、えもいえぬニュアンスで下翅のほうへけ、ギザギザになった縁辺は、この世で想像しうる、もっとも精緻なレース織の唐草の編目を見せて、夢幻のようにブラン・ド・ザンクの背色のなかへ溶けこんでいる。
 最後に山川がくれた手紙は、長々しい厄介千万なものだったが、こういう種類の告白が、感動に溺れることなく、いかにも坦懐に語られ、敬虔な態度を、最後まで堅固に持ちつづけることができたという例はすくない。嫌な奴といわれている山川だったが、性情の奥底には、あふれるような深いたましいがひそんでいたのではなかったかという、戸惑いのようなものを感じさせた。
 姻戚政策で、学界、財界に閨閥の一大フジョンを形成した、米作、秦、藤池などの名家の系列に、山川家もある。
 山川の家では、女子を社会事業家と教育家にって、姻戚関係をその方面にもつ方法をとった。姻戚閥の相互扶助によって、教育界に勢力を扶植することが、山川家の最高命令で、生まれてくる子供はもちろん、嫁入先の母方の再従姉妹またいとこまでが、政策を推進する、必要欠くべからざる要員なのであった。
 山川の召集令状は、まさに寝耳に水で、万策をつくして召集解除の運動をしたが、戦争は敗戦の段階に入って、国家総動員法が発動され、予備少尉では、※[#「やまいだれ+発」、U+3FB1、92-下-11]疾にでもならぬかぎり、参謀総長の力をもってしても、誤魔化しがきかぬとわかると、下の姉のとも子の夫である、軍務次長の木原大佐を中心に家族会議を開き、
「日本の男が、みな死んでもかまいませんが、花世が死んでは困るのです。絶対に殺さないと、保証していただきます」
 山川の母が、木原にそういった。
 自由がきき、恐もてがするという点では、参謀副官か、司令部付にかぎるようなものだが、うるさい服務規律があるうえ、何時いつどんなまずい方面へ飛びだすか知れず、食事情からいっても、内地はありがたいものではない。物資の豊富な、占領地の情報関係の特務将校なら、髪も伸ばしたまま、軍服を着ることもいらず、副官並とか、高等官並とかいう不分明な職名がつくだけで、いっさい区処を受けず、その気になれば、ホテル住いで贅沢もしていられる。
 ミッドウェーの無敵海軍壊滅で、M作戦が中止になり、全軍作戦の経過に、それとなき黄昏たそがれの色がつくと、占領地の敏感な上層階級は、いちはやく日本の運数うんすうを読みとってしまった。
 ネグロス島ではアルコールタンクの爆破、パナイ島では石原産業の社員が殺された。表面に出ているのは島の暴民だが、ゲリラを指揮しているのは、マニラの知識的な上層部だということがわかっている。こういう客観情勢によって、えぐいだけの憲兵伍長や、粗大派の憲兵分隊長の近づきえない、閉鎖階級に浸透する知的な特派要員が要請されていた。
 十分検討したすえ、それならということで応召したが、かねて通達があったのだとみえ、入営するなり丙種学生に選抜され、占領地行政学と、謀略学を主とする、個人情報専門の短期特務教育を受けた。
 比島地区での山川の生活は、一流のホテルか、フラットに居住をかまえ、白麻のスーツやタガログのカミーサを着こみ、名流や知識人の集まるサロン・バアで、丁寧な歩きかたをし、つつましく眼を伏せ、みがきのかかった微笑をし、軍部の無智に軽妙なあてこすりをいい、日本人は想像力が欠如しているから、他国民の統治は出来ません、などと呟き、知識的な民主主義者か、軍閥に対立する貴族の子弟といった印象を与えながら、相手の反応のなかから微妙な陰翳をとらえると、データを憲兵隊にわたし、すぐほかの地区へ転出する……そういう行態のくりかえしだった。
 山川は、自分の蒐集した材料が、願いもせぬような極端な方法で処理されることに当惑を感じていたが、それも敗戦のテンポにあわせていよいよ残忍になり、ふり撒かれる血の量もとめどもなくなって、比島の占領地行政は、惨澹たる形相を呈してきた。
 戦争で死にたくないと思ったにしても、自己の安全と安易な生活を、他人の災厄と破滅の中に求めようとまではねがっていなかったが、特殊勤務というものの組織構造のたてまえから、いやになったからといって、離脱することも、やめることもできない。戦争のつづくかぎり、やるほかはないことをさとると、怯懦のむくいの大きさに、いまさらのように愕然とした。
「特殊将校に任命され、望んでいたことがかなえられ、戦争では、絶対に死ななくともすむときまった瞬間から、とりかえしのつかない精神の失墜がはじまった。この仕事の卑劣さを予見することができたら、こんなにまで心の平和を乱され、昼も夜も、血だらけの幻想に悩まされなければならないということを知っていたら、こんな割にあわない任務を選びはしなかったろう。そのころ、偶然、ヴィルドラックの詩を読んだ。……こんなことなら、最初の戦闘の、最初の戦死者になればよかった……やるせないほど後悔しているときだったので、この詩句は、強く心をうった。それにもかかわらず、どうしても死ぬのは嫌だったので、いぜんとして醜業をつづけて行くほかはなかった」
 終戦になり、津村はスマトラでゲリラ抑圧の虐殺事件を一役買っていたうえ、比島の残虐事件のオペレーターだったことまで摘発され、バタヴィアに送られて絞首刑になったが、山川のほうは、終戦直前、石原産業の高級社員の身分を取得して、比島地区から蘭領地区のスマトラに転出し、秘書という触れこみでリーナを連れ、二人でメダンの南貿クラブに落着いたばかりのところだったので、経歴を伏せて、戦犯の追及からのがれることができた。マニラの比島戦犯裁判の過程にはいくどとなく山川の名が出たが、山川は比島の知識階級に親比島派の温和な日本人の一人として印象され、どの事件の現場にも居あわせなかったと申立てる証人が大勢いたので、とうとう問題にはならずにすんだ。
 山川は終戦の十一月、一番早いリバァティで復員し、二十三年の春まで、金沢の白雲荘ホテルで悠々自適しながら、比島裁判の進行を注視していたが、それも五月で結了となったので、目黒の自宅へ帰った。白雲荘に滞在中、山川の家とはたえず交通があったので、姉の常子が、伊沢の細君に、「あら、といって、柱にすがりついたきり動けなかった」と語ったようなことは、まったくなかったのである。
 事件はすべて過去のものになり、比島の残虐事件の実相も、戦争の記憶といっしょに忘れ去っていいはずだったが、花にも草にもイメージがまつわりついていて、払おうにも払えぬ鬱陶しさだった。思ったより衰弱がはげしく、現実までが幻めいた様相をしめすようになり、自分は、社会の人と物から切り離された存在で、人間的な交渉を持つ権利がないというような理由のない絶望感に悩まされた。
「自分の思想を隠す最良の方法は、それを考えないことだという理窟は知っているが、忘れるとか、考えずにいるということぐらい、困難な仕事はない。なにを見てもすぐ思いだし、つい考えこんでしまう」
 山川の心霊をたえずおびやかしてやまぬのは、発覚すれば絞首刑だという単純無比な観念で、すべてが平和にかえり、世間が安定すればするほど、恐怖はいよいよ増大して、埓もないまでになった。
 どんなつまらぬことが発覚の端緒にならぬものでもないと、六年間の行動の辻褄をあわせることに苦心し、これならどこから突つかれても金城鉄壁というところまでやったつもりだったが、復員祝いの席で、「君のつらは、美食して安楽に暮していた面だ」と喝破された。大丈夫と自負していたにもかかわらず、そんな大きなところが抜けていたということで、自分の頭にすっかり自信をなくしてしまった。
 リーナが日本へやって来たことも災難だったが、津村の猿との邂逅は、予期していなかっただけに、山川を動顛させた。落着いて考えれば、そういう偶然もありうるはずなのに、山川には、それが自分の罪を糾弾しようとする、なにかの意志だとしか思えず、しどろもどろになった。
「最初に心にひらめいたのは、いずれ、この猿が僕を告発することになるのだろうということだった。どうしてそんな考えが浮かんだのかわからない。そういう意味でなら、リーナのほうがもっとあぶないのに、そのほうは、てんで思ってもみなかった。後になって、いくらか落着いたが、そのときに受けた影響から、とうとう最後まで逃れることができなかった」
 津村の父から猿をひきとって、寝室に閉めこんだのは思いつきだったが、それ以来、猿のおしゃべりに悩まされるようになった。山川以外の人間には、ありふれた猿のしぐさとしか見えないことも、山川には、はっきりと意味を伝える言葉になって聞え、酩酊して朦朧となりかけると、津村の声で、「おい、注げ注げ」という。
 はっとして眼をさますと、猿はなにごともなかったような顔で、後肢あとあしで首のうしろのところを掻いたりしている。気のせいだとうち消して、うたたねにかかると、それが津村の癖だった、鼻にかかった調子で、「ふふん」とせせら笑いをする。
 こういうことが何日かつづき、やりきれなくなって、須田のところへ聞きに行ったが、はぐらかされて帰ってきた。猿を殺したのは、不条理な精神の抑圧に、それ以上、耐えられなくなったからである。
 一月のはじめにリーナが死んだ。
 リーナにたいする山川家の扱いは、見せかけほど冷酷なものではなく、内実は、困らぬだけのものを、毎月、こっそりと届け、恩恵で縛りつけておいた。死んだときも常子が行って、後で問題が起きない程度に始末をし、これでやくが落ちたと胸を撫でおろしたが、山川のほうは、秘密を分けあうものがいることで、いくらか慰められていたのに、リーナの死で漏泄ろうせつの道がなくなり、孤独感でおしつぶされそうになった。
 山川は抑圧から解放されたいというねがいでとりとめなくなり、町でMPに出逢うと、「もしもし、僕はね……」と話しかけたい衝動が起き、それをおさえるのに脂汗をながした。
 一月の末のある夜、山川は、母と常子に、とてもだめだから、自首することにするというと、二人は仰天して、そんなことをしたら、纒りかけている慧子の縁談はもちろん、今日まで営々と積みあげてきた山川の社会的信用も、諸宮家しょみやけとの結びつきも、なにもかも御破算になってしまう。いくら苦しくとも、そういうユダ的な行為はゆるしません。おねがいだから、それだけはやめてください。戦争未亡人になった、下の姉のとも子までが走りこんできて、涙とともに諫止かんしするという劇的な局面になった。そんなら死ぬだけだと突っぱると、キリスト教では自殺は最大の罪悪です。そんなことをしたら、山川の信仰生活を絶命させるようなものですという。
 山川一家の面目をたもち、それによっておこる一般の疑惑と、社会の批判を避けるためには、過失死を装うほかはなかろうというところへ辿りついたわけだったろう。こういう思想を、深いといえばいいのか浅いといえばいいのか。要するに、山川の人生は、自分も含めて、四方八方に気兼ねばかりしている、あまりにも臆病な人間の歴史だった。
 この画面の模糊とした灰白かいはくの部分は、そらなのか、水なのか。この蝶は、飛んでいるのか、流れているのか。あかと、ほねしろの配色の翅をつけた一匹の蝶は、落寞とした空間に、見るもあやうげにかかっている。山川の手紙には触れていなかったが、マリポサは津村でなく、じつは山川だったことは、いろいろな事情で、いまはもう明らかになっている。この絵の蝶は、あたかも山川の生涯を諷刺しているようでもあった。
 桐ヶ谷までの道は、長々しく、もの悲しく、なにか物を思わせた。待合室には、山川家のフジョンにつらなる、大学の学長や、博士や、その夫人や、利口な顔、抜け目のない顔々が、宗教的な偽隈にせぐまをつけ、いとしめやかに控えていた。
 二時間ほどすると、ひょろりと長い山川の身体が、すこしばかりの骨の集積になって、つのまま、みなのところへ戻ってきた。
 山川の骨は、白や、薄鼠や、テール・ド・ナチュレルの枯葉の褐色をまぜた、ユトリロの描く白壁しらかべ枯淡こたんな味をみせ、風吹かば飛ばんという洒脱なスタイルで、鉄板のうえに載っている。係員が小箒で真中へ集めにかかると、山川は蝶の鱗粉のように軽々と舞いあがり、一人一人の鼻の孔へ、丁寧に形見分けをしてまわった。





底本:「久生十蘭全集 ※(ローマ数字2、1-13-22)」三一書房
   1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行
   1992(平成4)年2月29日第1版第8刷発行
初出:「週刊朝日別冊 記録文学特集号」
   1949(昭和24)年9月10日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:芝裕久
2020年7月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について

「やまいだれ+発」、U+3FB1    92-下-11


●図書カード