ノア

久生十蘭




第一回


交換船


 霧のなかで夜が明けかけていた。暗い船窓の外が真珠母色になり、十月中旬のおだやかな海が白い波頭をひるがえして後へ流れているのがぼんやり見えてきた。
 北米、中南米、カナダなどから引揚げた邦人二千四百名を乗せた第二回交換船の帝亜丸は時雨のような舳波へなみの音をたてながら遠州灘を走っていた。山内竜平の船室では、義父ちちにあたる野崎孝助と二人の息子が暗いうちから起きて、真剣な顔で何度目かの持物整理をやっていた。
 孝助は紐育ニューヨークで「フード・センター」という野菜果物の大きな店をやっていた成功者の一人で、五人の子供はみなアメリカで生れた。長男の孝吉、次男の勇二、長女の千鶴子の三人は第一回交換船の浅間丸で帰り、三男の克巳と四男の四朗がこの船で引揚げてきた。克巳も四朗も仕事の関係でときどき日本へ帰っていたのでたいして感激はないらしいが、孝助は三十年ぶりの帰国なので、さすがに気持が落着かぬらしく、手を休めては窓をのぞきに行った。
「お富士さんはだめか。この霧さえなけれァ、御前崎の地方じかたのアヤぐらいは見えるんじゃがのうし」
 額の皺を船窓のガラスに貼りつけるようにして、おなじことをくどくどとくりかえした。
 四朗は下段のコット・バアスの上へスーツ・ケースを置き、書類や古手紙を選りわけながら、うむうむ、とうなずいていたが、
「日本の景色なら、間もなくいやというほど見られるんだ。窓ばかり見ていないで、もう一度しっかり鞄の中をしらべておくほうがいいよ。憲兵が乗りこんでいるから、横浜へ着く前に検査をやるかもしれないぞ」
 船牀バアスの端へ鞄を投げだして煙草を吸っていた克巳が、
「おい四朗、あまりビクビクすると、大切なときにしくじってしまうぞ。われわれの心境はガラスみたいに透明なんだから、脅えることなんかない。ねえ、竜さん、四朗はすこし神経質になっていると思いませんか」
 と上段の船牀を見あげながらいった。山内竜平は枕に肱を立てて、
「ふむ」と笑ってみせた。
 四朗が神経質になるのも、克巳がわざとらしく落着いているのも、常態を失っている点では、たいしたちがいはない。山内自身もまわりを刺戟しないようにつとめて冷静にかまえているが、心のうちは笑うどころの騒ぎではなかった。
 孝助は四朗のそばへ大鞄をひろげ、今更らしくゴソゴソやっていたが、
「これはどう。やはり破ってしまうほうがいいかしらん」
 と思案顔で古写真を山内のほうへ伸べてよこした。
 どこかの家の庭で、孝助がアメリカ人の家族と並んで写っている。
「これはローリーさんの記念の写真で、うらがアメリカへ行った最初の年の写真やはけ、これだけは残して置きたいと思うのやが」
「こんなものは大丈夫だとは思うが、これは誰で、どんな関係のアメリカ人だなんかと突っつきまわされるとうるさいね。なにを考えているかわからないような非常識な連中なんだから」
 四朗がひきとっていった。
「それァ破いてしまったほうがいい。アメリカ人の写真を大切に持っているのは、それだけでも立派な親米だ」
 孝助は晴れきらぬ顔で考えていたが、
「そうしようかの。よう破れんから、じゃァ、お前やってくれ」
 と未練らしく四朗に写真をわたした。四朗は受けとってめちゃめちゃにひき裂くと、神経質に破片を拾い集めて船窓のほうへ行った。
「竜さん、なにか捨てるものはないかね。あるならいっしょに捨ててあげます」
「おれのほうはすんだよ」
「それならいいけど」
 窓を開けると、冷たい海風といっしょに霧が煙のように船室に流れこんできた。
「ローリーさん、悪く思うな。こんな国へ来たんだから」
 写真の破片は向い風にあおられて空へ吹きあがり、群れ蝶のようにヒラヒラ飛びちがいながらつぎつぎに波の間へ吸いこまれていった。
 丸い船窓のなかで鋼鉄色の波がヌッと高まってはまたすぐ落ちこむように下っていく。日本近海の小刻みなうねりに揺られていると、ひと波ごとに内地が近寄ってくるのが感じられる。帰りたい帰りたいと、夢に見るほど憧れていたのに、内地が近くなるにつれて気持がだんだん暗くなってくる。おそらくもう二度と渡りかえすことのない海の広さを思い、なんともつかぬ愁いに沈んだ。
 十五年の夏、「ロイター通信」のコックスという特派員がスパイ容疑で逮捕され、九段の東京憲兵隊本部で取調べを受けている最中、四階の窓から飛降り自殺をしたことがあった。アメリカのジャアナリズムは「日本憲兵の野蛮性バアバリズム」という大標題バナア・ラインで一斉にこの事件をとりあげ、「コックスは自殺したのではなく、投げ落されるか、飛び降りを強要されたのだ」と断定し、推論の根拠として、それより一年ほど前、やはりスパイ容疑で取調べを受けた一通信員が東京で手に入れた「帝国憲兵要務綱領」といったようなものの内容を公開した。
 それは、目的、意図、対象、監察、尾行、家宅捜査、拘引、訊問、留置、その他二十二の項目に分れ、「消滅」という項には、釈放したくない対象や、拷問されて死んだ容疑者の死体を消滅する方法まで綿密に考えている。「訊問」の項はこんなふうなものだった。

   訊問
一、鞭打チニヨル(訊問予備)
 「ナゼオ前ハ逮捕サレタカ」と質問スル。「知ラヌ」ト答エタモノニ鞭打チ(五十回ヨリ二百回)ヲ与エル
 鞭ノ種類。イ、懲治棒(又ハ木刀)ロ、籐(又ハ弓ノ折レ)ハ、金属ノオモリノツイタ革鞭、ニ、鉄ノカギ(六個ヨリ八個)ノツイタ革鞭
 (「ハ」、「ニ」ヲ使用スル場合ハ、手向イヲセヌヨウ、柱ニ縛リツケルカ、両手錠ヲ施ス)
二、指間ニ棒ヲ挾ム
 各指間ニ直径八ミリ位ノ棒ヲ挾ミ、両手ニ固ク繃帯ヲ施スカ、繩ニテ巻キ締メ、四日ヨリ六日ノ間放置ス
三、「ヨーチン」ノ塗布
 頭ヲ剃リ、十個以上ノ創傷ヲツクッテ「ヨーチン」ヲ塗ル。男ハ亀頭ニ、女ハ乳嘴ニ施ス
四、平板ノ抑圧ニヨル
 床ニ仰臥セシメ、幅三尺、長サ五尺ノ平板ヲソノ胸ニ平ラニ置キ、三人又ハ五人ガ板ノ上ニ乗ッテ足踏ミスル
五、「濡衣」ニヨル
 「紀州ネル」ノ襦袢ヲ着セ、二時間毎ニ水ヲ浴セ、冷暗ナル場所ノ壁ニ背ヲ接シ、二十四時間ヨリ百時間マデ直立セシム
六、灌水ニヨル
 日本手拭ヲ顔ニカブセ、「バケツ」ニテ水注グ。水ガ口ヨリ鼻腔ニ及ビ、完全ニ窒息スルトコロニテ止ム。コノ方法ハ五、六回、連続反覆スル
七、電流(一一〇ボルト)ニヨル
 男ノ場合ハ電極ヲ腕又ハ鼻隔ニ、女ノ場合ハ乳嘴ニ接続スル
八、鋼線ニヨル
 ギターノE線ヲ示シ、コレガ心臓ノ心室ニ達スレバ心臓麻痺ニテ致死スベキコトヲ予メ説明シテ置キ、四肢ヲ緊縛シテ床ニ平臥セシメ、鋼線ヲ胸郭ノ心部ニ徐々ニ刺シ通シ、「針金ハ皮下ヲ通ッタカ」「筋肉質ニ達シタカ」ト質問シ、逐次、返答セシム

 以上二十六号まで、拷問の方法、器具、用法を精細に規定したものだった。
 ところがそれから間もなく、待ってでもいたように国防保安法「法律第四十九号」が、議会を通過した。アメリカのジャアナリズムは、コックスのスパイ容疑は国防保安法を通過させるための対内的な宣伝で、コックスはその犠牲者だったのだと断定した。邦人の常識のあるいくらかは、日本の軍部は法案を強行通過させるために、無辜の外国人を謀殺するようなこともするのかと、いいようのない感情を味わった。
 だがそういうことは誰もおぼえていなかった。故国へ帰るという当面の事情に陶酔してみな浮き浮きしていたが、帝亜丸が星港シンガポールへ寄港したとき、B新聞の支局長がインタビュウにきて、第一回交換船の浅間丸で帰った千四百八十名の引揚者のうち、約三百名が監視を受け、約五十名が行動制限、約三十名が「危険」というレッテルを貼られて、山梨とか信州とかの奥で矯正労働をさせられているということをそれとなく仄めかした。
「外地にいて内地の事情にうとくなっていられる方は、戦時体制というものをよく理解できないかもしれませんが、内地の戦時生活に不自由を感じても、絶対に批判がましい口吻を洩らさないように。参謀本部などは、英米の引揚者を受入れるのは国内へ第五列を入れるようなものだといって、のっけから敵性国人の取扱いをしているらしい。ともかく横浜警察の査問は相当なものだということを覚悟していてください」
 故意か偶然か、帝亜丸の図書室に「軍事警察雑誌」が五部ばかり備えつけてあって、それに「米英の引揚者の受入れに対する軍事警察の考課は、信用、許可、黙認、注意、不快、危険、の六階、云々」と書いてあった。なんのことかと思っていたが、ようやくそれが示唆する意味を理解することができた。

赤い富士山


「敵性国人……」
 船内の空気は一変し、故国にたいする感情も別なものになってしまった。
 大、公使や領事はそれとして、条約商人と認定された商社代表や支店長などは、宣誓してアメリカに残ることもできた。教授や技術家のなかには、しきりに残留をすすめられたものもあったが、どうしても帰らねばと、情実も友情も振り切って引揚げてきたのに、敵性国人の扱いとは何事だと、みな憤慨した。
 長くアメリカにいた商務官や民間人は大勢のアメリカ人に親昵な関係ができ、親友コンフィダンスといえるようなものさえもっている。十年以上も暮らしていると、生活感情がアメリカ風になり、ものの考えかたにも拘束されない自由なスタイルがつきまとう。悪意を含んだ査問でしつっこく突っつきまわされたら、どこで躓くか知れたものでない。この思いがみなの気持を沈ませたが、長崎で私服が十人ばかり乗りこんできたので、不安はいっそう大きくなった。喫煙室に籠って遅くまで事務をとり、その合間にさりげない顔で船内を歩きまわっている。船室にいても甲板にいても、たえず見張っている無数の眼を感じ、暗い死の影を伴った不気味な重圧感が充ちみちて、身動きもできないような重苦しさだった。
 山内竜平は東部の大学で法学士の学位をとると、安宅公使の私設秘書の資格でジュネーヴの国際連盟事務局で働いていたが、日本が連盟を脱退したあと、国際赤十字へ転属してアメリカへ帰り、ワシントン支部の仕事をしているうちに孝助の娘の千鶴子と結婚した。
 千鶴子は一年前の十月、一と足先に浅間丸で帰り、東京駐在の日本代表の下で働いていたはずだが、こんどの山内の帰国は引揚ではなく、有名無実だった連合国側の俘虜救恤事務ふりょきゅうじゅつじむを本格に据えなおすのが目的だった。
 日本は戦時傷病兵に関するヘーグ条約には加盟したが、俘虜取扱いに関するジュネーヴ赤十字条約にたいしては、次のような理由で参加を拒絶した。

一、帝国軍人ニ俘虜ナルモノハ存在セズ。従ッテ本条約ハ、我方ノミ義務ヲ負ウ片務的ナルモノナルニヨッテ、不可ナリ
一、本条約ノ俘虜ニ対スル待遇ノ規定ハ、帝国軍人以上ニ優遇シアルニヨッテ、右ハ軍紀維持ヲ目的トスル各法規ノ主旨ニ徴シテ、不可ナリ
一、本条約中、第三国代表ガ立会イナク俘虜ト会談シ得ル点ハ、軍事上支障アルヲ以テ、不可ナリ

 俘虜は存在せぬどころか、アッツ島でもガダルカナル島でも大勢出して、米本土のインターンメント・キャンプ[#「インターンメント・キャンプ」は底本では「インタートメント・キャンプ」](陸軍キャンプ)に収容され、米本土と布哇ハワイには三十万の抑留者がいて、国際赤十字の庇護を受けている。いまは強いことを言っていられるかもしれないが、戦局の発展によっては、国際赤十字に頼らなければならないようなことにもなりかねない。
 将来のことはともかく、日本を初空襲したドーリトルの全隊員を処刑したともいわれ、ビルマの泰緬たいめん鉄道の建設には大勢の俘虜をやって半数以上殺した。日本本土の俘虜も苛酷な取扱いに苦しみ、ジュネーヴの国際赤十字を通じて送られてくる家族からの慰問品さえ拒否されているという情報が伝わっている。日本がいつまでもそういう態度をとりつづければ、在米の日本俘虜や抑留者にどんなふうに影響するか知れきったことだから、なんとかそういう状態を緩和しなくてはならない。
「おれもいよいよむずかしい国へ帰ってきた」
 うねりかえす波の穂を眺めながら、山内は大きく息をついた。
 軍部が拒否している連合国側の俘虜の救恤をやろうなどという人間は、最初の査問にどうなってしまうか予想もつかない。ちょっと言いちがいをしてもどこへ連れて行かれるかわからないというのでは油断がならない。日本の領海へ入るとすぐ、目をひく書入れでもないかと書籍は一頁ずつ念入りにしらべ、言いがかりをつけられそうな刊行物やパンフレットは一と纒めにして海へ捨てた。大丈夫だとは思うが、万一、なにか違犯をしていないかと頭の中で辿りかけたが、こんなことをしてもなんの役にもたたないと思ってやめてしまった。
 おなじキャンプにいた原田という男は、大倉陶園の紐育支店長だというのでそのつもりで親しくしていたが、船へ乗ってから原田は憲兵隊の高級部員だと、あるひとに囁かれた。この船にも、自己一身の安全のためなら、密告ぐらいしそうな臆病な顔もいくつかある。収容所の二年と、三月の航海の間に、引揚者一人一人について精細な調査報告書が出来、上陸と同時に憲兵隊へ引継がれる。これからの仕事はたぶん困難なものだろうが、なにがなんでもやりぬくほかはないと、心はむらむらと燃えたつばかりだった。
 尾をひくような長い気笛が鳴って、急に船の速力がのろくなった。甲板を走りまわるざわめきがきこえる。
「なんだろう。ちょっと見てくる」
 気中きあたりがして甲板へ出てみると、端艇架ダビットのそばにBコートを[#「Bコートを」はママ]着た船員が三人ばかり舷側から乗りだすようにして海を見ていた。
「なにかあったんですか」
「投身自殺です」
「こんなところで」
「昨夜からずっとそのベンチにいたんですがね、さっきツイと立って行って、舷墻ブールワークに凭れたと思ったら、見ている前でヒョイと飛びこんじまって」
「男ですか、女ですか」
「白い口髭をはやした六十歳ぐらいのひと……松代まつしろとかいう」
「松代?」
 やっぱりやったのかと、思わず眼をとじた。
 松代は紐育の日米協会の書記をしていたが、帰ればかならず「第四十九号」でひっかけられる、拷問されて殺されるくらいなら身投げでもして死ぬほうがいいと、ラウンジの隅などで暗い顔で呟いていた。
 郷里の広島には松代を待っている老妻が居り、二人の息子は大学を出て相当な社会的な地位にいる。死ななければならない事情はなにもない。
「死にたくもなかったろう」
 松代は昨夜からずっとベンチに掛けていたのだという。あと一時間、あと一時間と、ギリギリのところまでのばし、夜が明けて内地の地方じかたが見えだしたところで、思いきってやってしまったのだろう。その辺の気持がおしはかられてあわれだった。
「助かってくれればいいが」
「さァこの霧じゃ……それにずいぶん離れてしまったから」
「駄目でしょうか」
 船員が首を振ってみせた。ちょうどそれが合図のように船が速力をだしはじめた。
 船室へ帰ると、三人が下段の船牀バアスで煙草を喫っていたが、四朗が振向いてたずねた。
「竜さん、なんだったの」
 山内は煙草に火をつけながら、わざと軽い調子でいった。
「松代さんがとうとうやったよ」
「へえ、やったのか。死ぬほどのことはないと思うんだがなァ」
 克巳は低い声でつぶやくと、孝助のほうを向いて、
「あんたもあんまりビクビクしないようにしてくださいよ。なんといったって自分らの生れた国なんだからね、怖がったり嫌がったりするんじゃ、苦労して帰ってきた甲斐がないから」
 と真面目とも冗談ともつかぬ口調でいった。
「それァそう。俺としちゃあべつに恐れることはないが、孝吉も勇二も妙に気が強くて、おめずに誰にでも突っかかってゆくたちだから、ひょっとして、よけいなことでも言いはせんかと、それが心配で」
 孝助が溜息をついた。
「それは帰ってから心配しても遅くないでしょう。いくら憲兵だって、なにもしないものまでポンポン殺してしまうわけでもないでしょうからね」
 そういって立ちあがると、
「センヤーハー」
 と掛声をかけて、だしぬけにお神楽かぐらをやりだした。
「ここはどこ……ここはタカマの原なれば、集りたまえ、四方の神がみ……よもの神がみ……ヤーハー」
 ダドン、ダドン、ドダダ、ダガダガ、シコダ、ダガダガ、シコダ、と口太鼓で拍子をとってさんざんに踊りまくると、
「ああ、面白かった」
 とドスンと船牀バアスに腰をおろした。
 四朗は父親に似たおだやかな眼差で克巳の顔を見ながら、
「兄さん、それァなんの真似なんです」
 と笑いながらたずねた。
 克巳は蒼黒い頬のあたりを痙攣ひきつらせて、
「日本では、大御魂だの国の柱だの、そんなたわけたことをいっていれァいいんだから、訊問がはじまったら、お神楽を踊って憲兵の度胆をぬいてやろうと思うんだ」
「憲兵をそんなに馬鹿にしていいのかね。そんな考えでいると、やられてしまうよ」
「おれのことは心配しないでくれ」
 不機嫌な顔でいうと、はぐらかすように、
「おやじさん、お富士さんが見えるよ。赤富士だ」
 と船窓を指さした。
 霧が薄れ、幾重にも畳まったうねりのむこうに、朝日を受けた富士が波に載った構図で見えていた。広重の赤富士のおだやかな蘇芳色ではない。血でも浴びたような無気味な富士だった。

最初の査問


 午前八時、帝亜丸は突堤を左に見、プールにかえり波をうたせながらゆらゆらと内港へ辷りこんだ。
「とうとう帰った」
 山内は孝助たちとB甲板の舷墻ブールワークに凭れ、近づいてくる港の全景を眺めやった。山内桟橋の大クレーンの傍でハーケンクロイツの旗を翻したドイツの汽船が荷役中で、ぞっとするような汚い海のを鴎が低く飛びちがっていた。
 だしぬけに愛国行進曲の合唱がはじまった。B甲板でも、C甲板でも、引揚者はみなハンカチや帽子を振りながらいっしょに歌っている。山内は卒然たる感情にうたれて思わず克巳と眼を見あわせた。
「あの連中は本気であんな歌をうたっているのだろうか」
 克巳の眼のなかにそういった懐疑の色がはっきりと読みとれた。
 歌をうたってすむものなら、なにをかいわんや。山内の気持だけをいえば、とても歌どころではないのだった。大本営では景気のいい発表ばかりしているが、昨年五月のミッドウェーの海戦で日本の無敵海軍の根幹がほとんど撃沈され、離島作戦に主導権を失って全軍作戦の大訂正を余儀なくされていることを知っている。大本営が全員玉砕したと発表したアッツ島から、転進に成功したというガダルカナル島から、大勢の日本兵の俘虜がカナダ国境に近い五大湖地方のマッコイ・キャンプに収容されていることも知っている。日本の運命は大きく落下シュートしかけ、暗い未来へ急傾斜している。のみならず山内が凭れている舷墻ブールワークは、今日の夜明け、松代が投身したその場所だった。十月の朝の陽ざしは明るいが、この舷墻からさえ、なにか陰暗とした気がたちのぼり、日本の運命を暗示しているようでならない。それを思うと、歌おうにも声が出ないというところだった。
「おい、歌わないのか」
 克巳が笑いながら四朗をこづいた。
「おれはうたえない。とても陽気になんかなれないや」
 四朗が暗い表情で眼を伏せた。
「なァに口をパクパクさせていりゃいいんだ。うたっていないのはここだけだぜ」
 なるほど、うたっていないのは山内の組だけだった。これは困ったことだ。戦争に協力アッピールするのではなく、間違ってはじめた戦争を一日も早く終らせるように協力するのが、ほんとうに日本を愛するゆえんだと、収容所で熱心に語りあった連中が、忘れたような顔で戦争推進の歌をうたっている。
「ひでえ芝居だ」
 克巳が呟いた。
「よしたほうがいいよ」
 四朗が克巳の脇腹をこづきかえした。
 克巳も四朗もこう正直ではあぶない。それはまた山内自身のことでもあった。
 帝亜丸は港務部のランチに押されて四号岩壁のほうへすり寄って行き、間もなく人の顔がいくらか見わけられるようになった。
 孝助はべつな意味で歌どころではないらしく、しきりに伸びあがっては孝吉や千鶴子の姿を探していたが、
「孝吉も、千鶴子も、見えんようだが」
 と、うわずったような顔で山内たちのほうへ振返った。
「おやじさん、あなたの眼じゃ見えないだろう。そんなに心配しなくてもいいですよ。きっと来ていますから」
 克巳が慰めるようにいった。
 九時近く、踏板ギャングウェイが渡されて、B甲板の引揚者から下船をはじめた。岸壁には、北米、カナダ、キューバなどと表示した区劃が出来、出迎えはそれぞれの場所に集っていたが、千鶴子も、孝吉も、勇二も、来ていなかった。
 税関の調べは午後までかかった。四人はそれぞれの組に分れ、税関の構内にある特高課の出張所へ上陸許可証をもらいに行った。山内が向き合ったのは三十二三のひと目でそれと察しられる軍隊の雰囲気を身につけた私服の男だった。憲兵隊という狭い世界に住み、あいつは憎い奴だから、出来るだけえぐくやってやれと命令されると、はッといって無感動な顔で殺しに出て行く、あの動物的な眼つきをしていた。
「山内竜平さんですね」
「そうです」
「在米十二年となっていますね。アメリカ人に友人がたくさんいられるでしょう」
「居ります」
「主として、どういう関係の」
「それはまァいろいろですが、くわしく申しあげなくちゃいけないんですか」
「いや、結構ですよ。職業は国際赤十字の書記となっていますが、これはどういうことなんですか」
「質問の要旨がよくわかりませんが」
「どういう仕事をなさるんです。やはりスイス公使館などと関係があるんですか」
「ありません。公使館は日本の利益代表の仕事をするだけで、赤十字にはタッチしないことになっています。われわれのほうは主として連合国側の俘虜関係をやります」
「それは日本赤十字社とか、俘虜情報局とかがやることじゃないですか」
「仕事の区処は知りませんが、そのためにスイスから日本代表が来て居ります」
「なるほど。日本代表というと、この間、死なれた?」
「えッ、日本代表が死んだんですか」
「そういう話を聞きました、遺骸はシベリヤ経由で本国へ送還されたということです」
 このニュースは意外だった。暗い予想が心をかすめた。自分の立場はいよいよむずかしくなりかけていることがよくわかった。
「ときにあなたのキャンプはどちらでした」
「アプトン・キャンプでした」
「たいへんだったでしょう。アプトンはひどかったと聞いていました」
 敵国に収容されれば、まずこの程度のものというところで、格別ひどいというようなことはなかった。もとより楽しかるべきいわれはないはずだったが、そう言わないほうがよさそうだったので、
「はあ」
 と、うなずいてしまった。
「アメリカにいられる間にいろいろな放送を聞かれたでしょう。ミッドウェー海戦でひどいデマ放送をしたそうですな」
「私はなにも聞きませんでした」
「そうですか。アッツ島の俘虜のことは」
 これが罠だと、山内は咄嗟に理解した。
「知りません」
「そういうことはなにもお聞きにならなかったのですか」
「聞きませんでした」
「あなたなどは、そういうこともありますまいが、ながく敵国にいると、敵国人の感情になって……まァなんといいますか、敵の宣伝謀略に乗じられて、知らず知らずのうちに思想的な傾向を受ける。それがなんだと指摘することは出来ないのですが、そういう気持で、敵の利益になるようなことを不用意に放送撒布されますと、第五列を国内へ誘導したと同じ結果になるわけですから、長期戦態勢ということをよく理解して、いやしくも敵国に利用されたり、逆用されたりするような作用を起さぬようご注意ねがいたいです」
「それはよくわかって居ります」
「ちょっとお聞きしたいことがありますが、十日の朝、あなたはアメリカの刊行物のようなものを海へお捨てになりましたね。あれはどういうことでしたか」
 やっぱり、と山内はうなずいた。ひょっとしたらこういうこともあろうかと想像していたので、このほうはどうにか踏みこたえることができた。
「意味なんかないですよ。汚れものや不用なものを整理したのですが」
「そうですか。よくわかりました。あなたがアメリカにたいしてどういう感情を持っていられようと、それが心の中のことであるかぎり、外部からはどうしようもない。王陽明ではないが、『心中の賊』は捉まらない。法は行為について発動するのが原則で、そういうものまで捕えないのが法の建前になって居りますが、日本では、思考も一つの行為だということになって、その点に不満があれば、容赦なく処罰することになっています。そういう基準が出来て居るのです。内地の事情をご存知ないと思うから、ご注意までに申しあげるのですが、行為だけが罰せられるなどとお考えにならないように」
「国防保安法のことなら知っています」
「それならいうことはないです。当局としては、あなたのような聡明な方に協力していただかなければならないことが多いので、あらためてお願いにあがりますが、その際はよろしくねがいます」
「それはわれわれの義務ですが、たとえば」
「敵愾心昂揚の面などで」
 これも罠か。しかし自分にはどうしてもしなければならない仕事がある。その目的のためには、光線がプリズムを通るように、どんな屈折をしてもいいわけだ。
「承知しました」
「じゃ、この承認簿へ署名してください」
 御命之件諒承侯也おんめいのけんりょうしょうそうろうなりと印刷してある下へ、山内竜平と大きく署名した。
「お時間をとらせました。どうかおひきとりください」
 擦りぬけた。山内はほっと息をついた。身を屈するのはわけのないことだが、身体だけ擦りぬければ精神はどうでもいいのか。そう思うと心のどこかがチクリと痛んだ。

内港プールの薄陽


 待ち合わせの場所にしていた岸壁の「臨海食堂」へ行くと、海の見えるガラス張りのロビイの長椅子に孝助がしょんぼりうずくまっていた。
「どうでした」
 山内が孝助の隣りへ掛けながらたずねると、孝助は顔を伏せながら、
うら、アメリカへ帰りとうなった」
 と呟くようにいった。
「どんなことをいったんです」
「貴様はいったいなにをしに日本へ帰って来た。交換船なんか潜水艦にやられて沈んでしまえば、手数がかからないでよかったというた。情けないことよの。こんな目に逢うためにわざわざ帰ってきたのかと思うと」
「あれ等は怒らせるつもりで言っているんだから、いちいち気にすることはないですよ」
 そんなことをいっているところへ、四朗が妙にぶらりとしたようすで入ってきた。
「兄貴は?」
「まだ来ない」
「へえ、どうしたんだろう。あそこにいなかったようだが」
 なにかいいかけたが、気がさしたように口を噤んでしまった。
「克巳はともかく、お前のほうはどんなふうだったんだ」
 四朗は皮肉な口調で、
「立派なものです。彼等は座標心理学を心得ていますよ。どうして、なかなか」
 そういって微笑してみせた。
「それで、訊問ヒヤリングは僕自身のことには一と言も触れない。もっぱら竜さんことでね。性格学の志向テストをやる式で、いきなり山内竜平の交友関係を頭に浮ぶまま言ってみろと、こうなんです。誰々と答えると、次は、次は、と追いまくって、考える暇を与えない。疾風迅雷です」
「なにをしようというんだろう」
「誰が提供したのか、ちゃんと竜さんの交友関係のリストが出ていて、こっちが言うそばからチェックするんだから早いや。間接には、僕自身のテストでもあるわけなんだね。言い落すと、それが一つの罪なんだ……それから、ふしぎなことをいっていた。山内竜平は近衛文麿と似ているが、ああいう顔は、日本では損な顔だって……なんのことでしょう」
 山内は日本人にしては上背のあるほうで、出っぱり加減の口元と口髭のかたちから、近衛さんに似ているといわれたことがあるが、そういう査問で、なぜそんなことにまでタッチするのか、その意図がわからなかった。
「おれにはわからないね」
「それはそうと、兄貴を探しに行ってみよう。竜さん、すこしその辺を散歩しませんか」
「行こう」
 なにか話があるんだと思って、山内は四朗といっしょにロビイを出た。
 旅行社員や引揚者の家族でごったかえすなかをぬけて、海風の吹きとおす郵船の倉庫のそばまで行くと、四朗が煙草に火をつけながら、
「姉さんがいままで来ないところをみると、なにかあったんじゃないですかね」
 と、それとないふうにいった。
 四朗はノオス・ウエスタン大学の工学部で学位をとり、橋梁の設計施工に独得な才能の閃めきを見せる緻密な頭の持主で、なにか重大なことを言いだそうとするとき、いつもこういう慎重な言いかたをする。孝吉や勇二はともかく、千鶴子が出迎えに来ないことを、山内も異様に思いかけていたところだったので、すぐ聞きかえした。
「なにかそれらしいことでもあったのかい」
 四朗はそれには答えず、
「憲兵がいっていましたが、赤十字国際委員会の日本代表が死んだことを聞きました」
 と別なほうへ話を持っていった。
「それは聞いたが、憲兵がお前にそんなことをいうのは妙だね」
「どういう肚なのか、僕にもわからないが、だいぶ思わせぶりをいっていた。日本には第三国人の代表なんかいらない。代りが何人やって来たって無駄だね。なんてニヤニヤしていた。あいつらの口ぶりだと、駐日代表部はもう無くなっているみたいだった」
「それが千鶴子に関係のあることなのか」
「僕の推測なんだから、あまり気にしないでください。さっきロビイで言ったね、山内竜平の交友関係のリストのこと……あれは姉さんの口から出たんじゃないかと思われる節があるんです」
「どうして」
「ユミ子の名が出ましたから」
 山内は衝撃を受けて息をつめた。
「知っているかぎりにおいて、山内竜平の友人関係はこれだけですと僕がいうと、まだ一人落ちている。ユミ子という七つになる娘が……これには僕もやられた。ユミ子をアメリカへ残してきたことは、われわれ七人しか知らない……どうもただごとじゃない。姉さんが言ったとすれば、これは言うようにして言わされたのにちがいないから、つい悪い想像が働くんですが」
 食堂へ戻りかけると、倉庫のうしろから克巳がレールを跨ぎながらこっちへやってきた。
「すんだらしい。おや、どうしたんだ」
 ふだんからあまり血色のいいほうではないが、顔がくすんだオリーヴ色になり、水からでもあがったようにべったりと髪を頭に貼りつけ、中心を失ったような不安定な歩きかたをしている。
「やられたね」
 克巳がそばへ来ると、四朗がそういった。克巳は怒りをこめた血走った眼を細めて、
「やりやがった。が、たいしたことはない」
 といって、ペッと血のまじった唾を吐いた。唇が柘榴の実のように撥け、その間から前歯の欠けたあとの暗い穴が見えていた。
「なにかまた余計なことをいったんじゃないのかね」
「余計だったかな。おれはそう思わないがね。ともかく竜さん、あんただいぶ着目されているよ。下手なことをすると、前歯ぐらいじゃすまないかもしれない。それでね、YMCA(キリスト教青年会)の大貫おおぬきというひとがロビイで待っている。話があるって」
 三人が食堂へ帰ると、そのひとがロビイの入口に立っていた。
「私が山内ですが」
「私はグルネルさんにたのまれて、代表部の仕事をやっていた大貫というものですが、ちょっと連絡にあがりました。正直なところ、早く引継をして、肩の荷をおろしたいというところが本音なんで」
 三十五六の、小柄な、眼元に力みのある、事務家というよりは技術家といった明快なタイプで、歯切れのいい標準語でテキパキものをいった。
「それはどうも。それでいま代表部には誰が?」
「事務所は丸ノ内のジーベルヘグナーというスイスの会社にありますが、誰もいやしません。いずれ言わなければならないんだから申しますが、奥さんは、防諜上の容疑で今年の五月に憲兵に持って行かれました。麻布のフラットも家宅捜索されたようですがね」
 案じていたことが事実になった。山内は立っている克巳と四朗に、
「君たちはおやじさんのところへ行っていてくれないか。心配するといけないから、この話はもうすこし聞かせないほうがいいね」
 そういってロビイへやると、
「駐日代表が死なれたことはさっき聞きましたが、いったいどういう病症だったんですか」
「公使館へ行った帰りに、自動車が霊南坂でスリップして、陸車のトラックに接触した。そのときの打撲傷が原因だとも、急性肺炎だったとも、いろいろです」
「どっちが本当なんです」
「急な死にかただったので、むやみにデマが飛んでますが、真相は誰にだってわかりやしませんよ」
「残留している外人はみなそんな目に逢うのですか」
「大部分は横浜の根岸競馬場の観覧席スタンドの下を改造したひどいキャンプにいます。宣教師や商社代表などは田園調布のアッセンブリーにいますが、これもひどいものです」
「そういうことではないかと心配していましたが」
「憲兵なんてものは、もともと常識を期待できる存在ではありませんが、キリスト教にたいする排擠の仕方なんか、正気の沙汰じゃありません。この間救世軍の幹部が、全部と、聖教会関係が検挙をされましたが、まだ一人も帰って来ません。一カ月たらずのうちにだいぶ死んだということです。公教要理を改訂する、祈祷書に赤筆を入れる。新旧教を一本に纒めるといった無茶さ加減で、先月から敵産管理法に便乗して、露骨に教会接収をはじめていますが、それを拒んだ山手教会の牧師は誰かに殺されました」
「暗い話ばかりで、気が滅入りますね」
「表面に立っているのは文部省宗教局のキリスト教係ですが、弾圧命令を出しているのは憲兵隊だとわかっていても、われわれの力ではどうすることも出来ない。そういう私も、いつやられるかわからない。一日も早く『俘虜名簿』を引継ぎたいと思いましてね」
「とんだご苦労をかけました」
「いずれお聞きになるでしょうが、こんど日本赤十字社に俘虜救恤委員部というのができました。代表部でやっていた仕事をそっちへ吸収して、万事、手盛でやりたいというのが当局の肚らしいんですな。いや、なかなかむずかしいですよ。あなたはどんなふうにやられるつもりか知りませんが」
 へし折るように言葉尻をおさめると、高腕を組んで薄陽を流す内港プールの風景を漠然と眺めやった。

妻の手紙


「四十分になった……」
 孝助達と身を寄せることにした明石町の親戚の家を出ると、築地二丁目からバスに乗って、約束の時間に帝国ホテルへ行った。
 角池バッサンの枯れた水蓮の葉に、蜻蛉がしんととまっている。物佗びた秋の風景だった。帳場ビューローで部屋をきくと、あるというので、大貫にいわれたとおり、夕方までの約束で部屋を一つとった。
「二階の二百四十号でございますから」
 鍵を貰ってロビイへ行ったが、大貫はまだ来ていない。女のボーイが通るほか、客らしいものの姿もなく森閑としている。山内は窓際のソファで煙草を喫いながら待っていたが、約束の時間を四十分すぎてもやって来ない。
「どうしたんだろう」
 代表部の事務所では話もできないから、事務の引継は帝国ホテルでやりましょう。部屋をとってロビイで待っていてください。十時までには参りますからといった。
 なぜ事務所では駄目なのか、聞きかえす暇もなかったが、時間が経つにつれて、こうしていることがなんとなく不安になってきた。
「あの男は何者なんだろう」
 代表部の仕事をしているというので、気をゆるしていろいろなことをいったが、私服だと思わぬまでも、一応、疑ってみるくらいのことはすべきだったと、悔む気持になった。
「部屋をとらして、それからなにをしようというんだろう」
 不条理が道理として通用する国では、生仲なまなかな常識などはなんの役にもたたない。どうなるのか知らないが、成行に任せるほかはないと、覚悟のようなものをしかけたとき、地階のアーケードへつづく横手のドアから大貫が入ってきた。
「遅くなりました」
 国民服は昨日のとおりだが、大きなルック・サックを背負って手にスーツ・ケースをさげている。
「部屋がありましたか」
「とって置きました」
「じゃ、部屋へ行きましょう」
 二階の二百四十号へ行くと、大貫はルック・サックをおろして椅子に掛けて、
「これも縁ですかな。この部屋には代表がいたことがあります」
 と誘いかけるように笑ってみせた。
 山内は調子をあわせて笑いながら、
「話ぐらいするのに、こんなにまでしなくてはならないんだと、骨が折れるね」
 いくらか皮肉をこめた調子でつぶやいた。
「それはあなたが知らないだけのことでね、日本は法治国だなどと考えていられるなら、たいへんな間違いです。ホテルへ入るところを、山下町の角で見ていましたが、あなたにはもう尾行がついていますよ。ご存知なかったでしょう」
「そう? 知らなかった」
「ひとつには、あなたのそのスマートな背広スーツがいけないんです。絶対、着目される。あなたが国民服を持っているわけはなし、たぶんこういうことだろうと予想したので、それでこんな場所にしたわけです。背広スーツが認容されるのは、東京では、ここぐらいなものですからね」
 まるまる信用する気はないが、そういうこともあるのかと、一応はうなずけた。
「そういうものなんですか」
「要視察人と話しているところを見られると、あとがうるさくてね、仕事がしにくくなって困ります」
「いやどうも」
 大貫は笑って、
「そうそう、その調子がいいですよ。昨日は頭から私を信用してかかっていらしたが、今日はいくらか用心する気になったようですね。それでなくちゃいけません」
 そういうと、急に言葉の調子を変えて、
「ときに山内さん、あなたは私を何者だと思うんですか」
 とたずねた。山内は大貫の顔を見かえしながら、
「何者って?」
「私はスパイですよ。といったら驚かれるかも知れないが、たしかにそういう立場にいたこともあります。私の懺悔です。先にこれを申しあげておかないと、話がしにくくなるから、それで、あなたはほんとうに山内さんなんでしょうね」
 山内はワシントンにいたときの居住証明と身分証明を出して見せた。大貫は手を振って、
「そんなものはいいですよ。ちょっとあなたの人物試験をしてみただけ」
 国民服の襟からセルロイドの立カラーをはずすと、輪なりのまま卓の上に置いた。
「奥さんのお便りです。これを持ちだすのに、ちょっと骨を折りました。お礼なんか、おっしゃることはいらないが」
 なんともいえぬ感動に襲われながら、山内はカラーを手にとって見た。細長いカラーの裏に、鉛筆で細かく書きこんであるのは、まぎれもなく千鶴子の手蹟だった。

 あなたさまはじめ、父、克巳、四朗、みな無事に帰国したことと想像しています。私はいま山梨の矯正キャンプに居ります。この手紙を差上げられるのは、大貫さんのたいへんなご厚意です。蚕棚の下へ這いこんで大急ぎで鉛筆でこすりつけている始末です。こんなところを見つかったら殺されるでしょう。これを書き終る間、同室の修道女たちが、かわるがわる戸口で見張っていてくれます。
 あなたからご注意があったように、国際赤十字の身分を取得して帰れば、こんなことにならなかったのです。当局は、国際的なものは、なにによらず反撥しますが、同時にまた、非常に臆病です。身分を持っているかぎり、公然と暴力を加えるようなことはありません。その意味でも、ユミ子をアメリカへ置いてきたことは、ほんとうによかったと思います。
 ここの状況をちょっと。九月二十三日の秋季皇霊祭に、軍部にたいする忠誠の宣誓式がありましたが、態度が悪いといって、十二人の方が射ち殺され、絶食して抗争された方たちはみな餓死されました。石川さんは銃の台尻でひどく顔を叩かれて失明しました。
 ここへ送られてから一ト月ほどしたころ、私ども女組は、髪を切られて、バリカンでクリクリ坊主にされてしまいました。イガ栗頭を撫でながら、こんなあさましい姿になってしまって、戦争がすんでユミ子が帰ってきても、私を見分けることが出来なかろうと思ったら、ちょっと悲しくなりました。尤も、それまで生きていたらのことですが。父の顔を見たい。ただ生きているというだけの明け暮れに、あなたが元気で活動していられると想像することだけが、ただ一つの張合です。
千鶴

 山内はだまって卓の上へ返した。大貫はハンカチに水をつけて字を拭きとって、なんの気もない顔で襟へおさめた。
「どうして、こういうものを」
「どうしてって、そこがスパイのスパイたるゆえんでさ。役得というところですか。この間、矯正キャンプの視察に行ったとき、奥さんにお逢いしたから、私がすすめて書いてもらいました」
「代表部でやっている仕事の性質からいうと、そういうことをするのは、公正じゃないですね」
「代表部の人間だったら、寄せつけもしませんよ。宗教局のキリスト教係として、収容者の待遇状態の視察に行ったときのことです。一介の属吏で、間接には憲兵の手先でもあるんだから、いわば内輪の仕事みたいなもんですよ、こりゃ」
 山内は思いきってたずねてみた。
「正直なところ、あなたはどういう方ですか」
「私はね、東大の造船科を出て、三菱造船で設計プランニングの技師をしていましたが、七八年前にキリスト教に興味をもちだして、そのほうの研究をはじめました。アメリカに『ニュー・ソート』という光明運動がありますが、それを解析するのが目的だったのでね。クリスチャンでもなんでもない。思惟の問題として、そんなことをやっていたんです。十四年に宗教団体法が通過して、いいひとたちがあまり苦しめられるので、腹がたって、内側へ入って緩和してやれと思って、三菱をやめて、文部省の宗教局の属になったもんですが、公的には迫害する役、私的には緩和する役、公式とプライヴェートの使いわけで、これ以上あぶない芸当はない。わかったらズドンですからね」
「代表部のグルネル書記は、そういうことを承知で、あなたに仕事を委託したんですか」
「もちろんですとも、当局も私でなくちゃやらせもしないでしょうし、代表部の側からいえば、私は球軸受ボール・ベヤリング鋼球ボールみたいなもので、私がいるかぎり摩擦抵抗なしにものが動くんだから」
 言おうとすることはよくわかる。言葉のもつ真実味にうたれて敬意を感じながら聞いていたが、なぜ身を退こうとするのかと、疑問が起きてきて、
「それじゃ引継なんかいらない。つづけてやっていただくほうがありがたいですね」
 そういうと、大貫は手を振って、
「いやいや、それがだめなんですよ。やりたいのは山々ですがギリギリいっぱいのところまで来ましてね。これから東京を逃げだすところです。東条の背後組織ブラック・チェンバー三国みくに機関というのがありますが、そこへ私の材料がだいぶ集っているらしい。あんなやつらに殺される気はないから、逃げだすんです。引継をすましたら、すぐ発ちます」




第二回


帝国憲兵隊


 この一と月、圧しころしていた、あてどのない憤りが、このとき一時に激発して、
「憲兵がどうだろうと、こんな狭い国のなかで逃げきれるのなら、はじめっから逃げるほどのことはなさそうだ」
 山内は思ってもいないことを、突拍子もなくいった。大貫は素朴にうなずいて、
「そう思われるのも無理ありませんが、間もなくおわかりになりますよ……ともかく、この国では、なんとまァ簡単に人間が消えてしまうこってしょう。二年ぐらい前までは、憲兵がやってきて、家族の眼の前で引ったてて行ったものですが、この頃は出先や通勤の途中をねらって、こっそり持って行って、それっきり……わずかな間に、私の周囲でも、いったい何人の人間が消えたもんだか」
 そういうと、感情の翳のささぬ沈潜した表情になって、
「はじめ憲兵科は、軍事警察を扱う陸軍兵科の一つとして創設されたもので、憲兵が一般国民に警察権を行使するのは、内務大臣か司法大臣の要求があった場合に限られていた。こういう秘密警察組織に成りあがったのは、昭和六年の十月事件のあと、皇道派の荒木が陸相になって、憲兵司令官のはたに宇垣や宇垣系を強圧させたのがはじまりで、それを東条が仕上げしたという順序なんですな」
 いよいよ能弁になって、
「東条は企画院の迫水久常や美濃部洋吉などの、いわゆる新官僚派と結托して国家新体制を具体化する法律を出そうとしたが、ナチやソヴェトの前例どおり、全体主義体制の国家は、国内の反対勢力を封殺して、国論を一定させる必要から、強力な秘密警察機関を持たなければならなくなる。それで、憲兵司令官の加藤泊治郎や東京憲兵隊長の四方しかた淳二などに憲兵隊の再組織をやらせた。ゲー・ペー・ウー、ゲシュタポ、中国の藍衣社、CC団などの秘密警察組織を、憲兵隊に代行させようという意図アイデアなので、本来の防諜機関と[#「防諜機関と」は底本では「防謀機関と」]しての任務のほかに、国家主義でない個人の活動と思想を抑圧する。占領地では、出先軍人の行動を制限し、治安に関しては軍司令官に命令することができ、軍人、非戦闘員の差別なく軍法会議にかけ、刑の執行をする権限を持たせた。そのほかに、もと新聞班長をしていた三国少将を部長にして、電話聴取機や音声吹込器、小型カメラなんかを使って科学的な諜報活動をする、『三国機関』というものをつくりあげて、これでよしとやりはじめたんですが、間もなく不充分だということがわかった。というのは、東条はむかし板垣や、石原莞爾に苛められた恨みを忘れず、私兵の使いはじめに、石原と板垣を片づけてしまおうというので、二人を軍法会議にかけられるところまでこしらえあげたが、法務局が相手にしない。完全に失敗した……どこに失敗の原因があったかというと、法律が足りない。そこで国防保安法……れいの『法律第四十九号』というのを議会へ持ちだしたが、これがたいへんなもので」
「あのときは、われわれも心配しました」
「本法において、国家機密とは、国防上、外国にたいして秘匿することを要する外交、財政、経済その他、重要なる国務にかかわる事項、というんだから、ちょっと考えても、軍機保護法、軍用資源秘密保護法、不穏文書取締法、治安警察法、国家総動員法……なんでもよろしい、外国に利益を与えたという解釈が成り立つと、かならずどれかの罪にひっかかるようになっているのみならず、公判廷の口頭弁論は国家機密を陳述することを得ずという成文があって、これが絶対なる秘密裁判……軍務局から、『裁判を省略することを期待する』という行政命令でも出れば、誰であろうと、闇から闇へ葬られてしまう可能性がある。こんな法律がつくられたらたまったもんじゃない。議会は必死に食いとめた。これはうるさいというので、れいのコックス事件を捏造して、そら見ろ、と反対を押し切って、とうとうものにしてしまった。政敵を葬り、人民を強圧するのに、これほど抜目なく仕掛けられた罠もすくない。そのくせ、ちゃんと法治の形式になっているところ、ゲー・ペー・ウーなんかの野放図なやりかたにくらべて、なんともいえない陰惨な印象を受けます」
 大貫はチラチラ腕時計に眼をやりながら、
「国防保安法という咒符じゅふのお蔭で、新組織の帝国憲兵隊は、国民の生殺与奪の権を握る神の眷族になった。美食に飽き、最良の武器を持ち、人民を勝手に逮捕し、拷問し、虐殺する権能を与えられた神託者が、国内に二十万、占領地に三十万いる。一万五千人以上の人民が第四十九号にひっかけられ、罪なき罪をでっちあげられ、非国民の名で抹殺されました」
「憲兵隊の道義モラルは、いったいどういうところにあるんです」
「憲兵隊が国民に求めるのは、協力でなくて、発狂……国民は愛国的だけでは不充分、軍を神とする超国家主義の奴隷でなくてはならない。これがモラルです。憲兵隊の敵はアメリカでなくて、『ものを考える頭』なんで、眼についたらすぐ撲滅してしまう。憲兵隊のやっていることは、コレラやチブスにたいする防疫官の仕事のようなものだと思えばいいです。あなたにタッチするのは、外人課長の荒垣憲兵少佐……油断のならない男ですが、恐ろしいのは実はそれでなくて、石黒義亮……現在は憲兵中尉ですが、すぐ少佐ぐらいになるでしょう。日蓮宗の坊主あがりだということですが、こいつは悪霊的な存在で、いま憲兵隊でやっている拷問の斬新性ノーヴェルティはその男の大脳皮膜が生みだしたものなんです。『荒垣の頭、石黒の懲治棒』といって、この二人が帝国憲兵隊の智嚢です。おぼえていてください。それでは引継します」
 提げてきたスーツ・ケースをテーブルにあげて、
「この中に俘虜名簿、個人カード、十七年以後の俘虜情報の電報の綴込みが入っています。原本は事務所のロッカーにありますが、いつ押収されるかわからないから写しをとっておきました。大量に俘虜を抹殺するような最悪の事態が起きても、これがあるかぎり、個人名と、生地と、所属部隊名は消し得ないというこッてす」
「たいへんなお骨折りでした」
「たいへんというのは、これからのあなたの仕事のこッてす。俘虜の生活状態や衛生状態、員数そのものも、毎日、変化している。忽然と消滅したり……というのは殺されることですが、唐突に転出したり……そういう不断の変化と取ッ組んで、たえず個人カードを修正していかなくてはならないんだが、スイスの公使館は、利益代表の立場を守って、俘虜関係には手をださない。日本赤十字社はヘーグ条約専門で、事業の部署がちがう。ところで妨害のほうはたいへんだ。俘虜の生活状態を秘匿するために、あらゆる方法が完備している。収容所へ行ったって、面会所から奥へは一歩も踏みこめない。下手に俘虜に話しかけたりなどをしたら、それこそご注文……それでおしまいフィニッシュです。つまり、あなたのほうにはなんの手もない。絶え間ない妨害や敵意と戦いながら、孤絶無援の状態のなかで仕事をして行かなければならない」
 大貫はなんともいいようのない、善意にみちた微笑をして、
「偉そうに聞えたら、ゆるしてください。私はこんな方法でやりました。本所といっている地区の収容所のほかに、分所と、派遣所というのがあります。東京俘虜収容所なら、日立分所、長野分所、新潟分所と、支店のようなものをいくつかもっている。派遣所というのは、俘虜を使役している工場や会社……京浜地区なら、日本通運、京浜運河、三菱倉庫、鶴見造船、日清製油などの構内にある私設の収容所のことですが、使役者側の警備員や工場長のなかには、俘虜の待遇問題を真面目に考えている連中もいるにはいるんですから、そういう方面を通じて個人情報を集め、それを体系的に集約する方法が一つ……それから、使役者側が俘虜に支払う日給は一円で、そのうち実際に俘虜に渡る額は、准士官が三十五銭、下士官が二十五銭、兵は十五銭、残りは国庫納金……これは使役者側が半月毎に銀行へ納めますが、納金の額に注意していると、十五日毎の員数の変化が簡単に出てくる」
 上着の衣嚢ポケットから小さな手帳をだして、
「ついでに、これもあげてしまいましょう。これは私が道楽につくった対数表です。たとえば、その月の前期の納金が八百四十円七十五銭で、後期の納金が七百二十三円七十五銭だったとしますと、差が百十七円〇銭……」
 対数表の一項を指で差しながら、
「この表の117,000の横を見ると、減員は、准士官2、下士官3、兵5という比率になっていることがわかる。それは誰と誰なのか? 病気か? 転出? 殺されたのか? と逆に辿っていく方法……こんなことがお役にたつかどうか知りませんが。代表部のギャレージに、古ぼけたロードスターがありますから、利用してください。麻布竜土町のフラットの三部屋は三年の契約で先払いしてあります。これが事務室とロッカーの鍵……これで全部です」
「あなたはほんとうに行かれるんですか」
 大貫はルック・サックをひきよせて、中腰のまま、
「私はこれで三度も逃げているんです。最近は羅津行の冷凍船の機関部の換気をする主通風筒メイン・ヴェントへ隠れて脱出したもんです。四十二三度の熱気と、機械油の焦げる匂いと、ジーゼル機関の騒音が風圧を起しながらゴウゴウと上ってくる。人間の生理が耐え得る条件の限度を越えかけていて、いくども失神しました。憲兵もさるもので、推進軸のトンネルにまでスフェリー灯を[#「スフェリー灯を」はママ]差しこんで調べましたが、私は、偶然、四枚羽根の換気翼のうしろにいたので助かった……そんな思いまでして逃げるんですが、結局は、すぐ舞い戻ってくる。なぜだか私にもわからない。こんどもまたその伝なんでしょうが……じゃどうか、ごせっかく」

俘虜カード


 帝国ホテルで大貫を見送った翌日から、山内は丸ノ内の代表部の事務所で停滞した事務の整理に専念した。
 公私にかかわらず、俘虜に関する一切の問合せに答えること、解除、逃亡、または死亡した俘虜の遺留品、自用品、有価証券、手紙などを、本国の関係者に送達することが代表部の仕事の一部になっているが、七月以降の照会電報や通信が、「返信未済」のマークをつけて整理棚ファイルにぎっしりと押しこまれ、死亡者の被服やシガーレット・ケース、時計などが符箋だけついて埃をかぶっていくつもころがっている。隅の床には、書籍、雑誌、救恤文庫の類が、いつの頃のものか表紙の色も褪せてゴタゴタに積みあげられている。中央郵便局の私書函には Service des Prisonniers de Guerre「俘虜郵便」の標示をつけた行嚢が、ロードスターでは一度に運べないほどたまっている。
 それらの始末をつけるだけでも大仕事なのに、孝助たちにも言っていない困難な調査が待っている。
 昨年、四月、東京と名古屋と神戸を初空襲したドーリトル隊のうち、日本で俘虜になった隊員がいまどうなっているか、大急ぎで調べて家族の問合せに答えてやらなければならない。
 日本側では、対外放送で、ドーリトル隊員は全部処刑したといっているが、それは今後の本土空襲の企図を制圧するための威嚇だとアメリカ側は見ている。代表部としては、軍略上の解釈などに関係なく、生きているなら、何処に、どういう状態で生きているのか、殺されたのなら、何時、何処で、どんなふうに殺されたのか、正確な情報を手に入れなくてはならない。
 昨日、代表部の古ぼけたロードスターで大森海岸にある東京俘虜収容所の建物を見に行った。京浜電車の大森海岸駅から京浜国道へ出る海手、いま工員寮になっている待合や料亭の裏側、海岸から二百メートルほど沖の島に高い板塀で眼隠しされたバラックの屋根の起伏が見える。
 ちょうど朝の八時で、使役に行く俘虜を乗せたトラックが天からでも繰りだしてくるようにいくつも出てくる。
 戦争の悲哀は、俘虜の姿を見るときいっそう痛烈に感じられる。俘虜たちはジャンパーやボロボロの軍服を素膚に着、打撲のあとの黒痣をつけ、精神の憔悴と生理の退行で動物的な感じになり、異様な照りのある暗い眼差をしていた。敵国人であるとはいえ、戦争という規定のために人性を失格させられた人間の姿を見るのは、いうにいえぬ辛いものだった。
 今日までなんとなく一日延しにしていたが、軍から慈善団体の認可をとらなくてはならないと思い、車をかえしてまっすぐ霞ヶ関へ行った。
 寒々とした条約局の応接室で待っていると、おなじ大学にいて親しい仲だった市村が出てきた。アメリカにいたころは顎に脂肪がつき、艶々したいい色をしていたが、すっかり肉が落ちて国民服が身体のまわりでダブつき、別人の感じになっていた。
「ああ山内君、帰ってきたことは聞いていた。食物がちがうとみえて、いい血色だね」
「お恥しい。すぐ追いつくよ」
 市村は二の腕を指で摘んで見せ、
「これが日本の生命力の象徴さ、栄養失調が常態ノルマルだなんて、これ以上アブノルマルな話はないよ」
「この戦争はどうなる。勝つ、負けるは別問題にして、どの辺で終りになるのだろう。君として、なにか見透しがあるのか」
「見透しなんかない。われわれはなにも知らされていないし、知ってもいない。君たちのほうがよく知っているくらいだろう。われわれの立場なんか君が考えているほど強いものでも確かなものでもない……周りは深い淵だ。恐ろしくて眼をむけられない。後ろには山がある。いま立停ったら眩暈いするだけだ。しようがない。死んだつもりで前へ進もう……まァ、そういったところさ」
 市村の言いかたに、人を寄せつけない冷淡な調子がある。この男はそろそろ警戒しだしたな、と山内は思った。
「それはそうと、現在、内地にいる俘虜の待遇はどんなもんだろう」
「軍で認めている俘虜通信は、二カ月に一回ぐらいかな。そのほかに公認博愛団体としてYMCA(キリスト教青年会)から日本語の教科書と『ニッポン・タイムズ』が入っている。日本語を教えて、将来、アメリカへ帰ったら、日本文化の宣伝者になる資格を与えようというわけなんだろうが、たいして読まれていないふうだね」
「それでは、将来、困ることになりはしないか。講和が成立した場合でも、たいへんなマイナスがつく」
「うむ、その問題か。それはまァ人道上から見ても当然だし、アメリカに三十万の抑留者を持っている日本としては、連合国の俘虜をよくしておくことは、大局から見て、有利なことは明白だが……それで、今日はなにか用だったのか」
「ちょっとお願いがあってきた」
「なにしろ微力でね。聞くだけは聞いてみるが」
「おれは国際赤十字の日本代表部で働くことになったんだが、来てみると、代表は死んだ。主任は帰った。後任が来るまで、おれが代表代理になるわけなんだが、方途がつかなくなって弱っている」
「日本軍には原則として俘虜は存在しないのだから、そのほうで赤十字の恩恵を受けていない。しぜん日本代表が収容所を訪問したり、救恤品を送ったりする行動に制限を加えることになる。なんといっても相互的になっていないんだから、これァ止むをえないんだな。先日、ジュネーヴから後任にジュノー博士を送りたいといってきているが、アメリカ経由で来るのはいかんとかなんとかしきりに反対している始末だから」
「公認慈善団体の軍の認可を得るには、どのへんへぶつかればいいのか。デリケートな接触面のことだがね」
「田中という局次長が話のわかるほうだから、それにぶつかってみれァいい。それで君は代理代表の連盟の認可アグレマンを持っているのか」
「電報でいってやってすぐとるが、ときに、ドーリトル隊の連中はいまどうなっているのだろう」
 市村は急に表情を硬ばらせて、
「いくら内地の事情に暗いからって、こんなところへ来て、そんなことを聞くなんてどうかしている」
「それは承知だが、君が知っていることだけ……生きているのか、死んだのか」
「その質問に答えたらおれの首が飛ぶ……君はまさかアメリカからドーリトルの情報をとりに来たんじゃないだろうな。もし、そうだったら、君はたいへんなことをやりかけていることを、理解するほうがいいね」
「そういう言いかたをするとこをみると、生きていることは生きているんだね」
「おれは知らん。君がそういう態度でタッチしてくるなら、面会は断る」
 外務省を出ると、そうそう千鶴子のいた麻布のフラットを見て置こうと、急にそっちへ車をまわした。
 二日ほど前、孝吉が明石町の家をたずねてきた。孝吉は第一回の交換船で帰るなり召集を受けて麻布三連隊に入隊し、勇二のほうは軍属で参謀本部の駿河台分室にいる。本土空襲にたいする民心調査班の一員になっていま大阪へ行っているということだった。孝助には千鶴子は代表部の用事で旅行しているといっているが、いつまで誤魔化しておけるか。克巳や四朗もいつ召集されるかもしれず、明日はどうなるか予想もつかない不安定な日々だった。
 差配のフラットの呼鈴を押すと、四十三四の、スラックスを穿いた、オールド・メードといった痩せた女が度の強い近眼鏡を光らせながら出てきた。
「こんどの交換船で……はァさいですか。山内さんのいらした部屋はそのままになって居りますが、つづいてお住みになるんでしょうか」
「そのつもりですが」
「お住みになるのはいいんですが、奥さんのことでは隣組がずいぶん迷惑しました。またスパイだ、防諜容疑だって騒ぎになるんじゃ、たまりませんから」
 山内はなにもいわずに鍵を受取ると、中庭からすぐの鉄の階段を上って行った。低い鉄柵をつけたコンクリートの廊下の端に千鶴子の部屋があった。
 十畳ぐらいの部屋の壁に寄せて鉄のシモンズ・ベッド。食卓にも書机にもなる丸テーブルが一つに椅子が二脚、安物の鐘のついた衣裳戸棚。そのむこうに炊事ぐらい出来そうな小さな飾棚キャビネットがついている。
 それにしても無惨な荒しようだった。机の曳出しはひき抜いて床へ投げだし、ベッドの毛布団はメスで縦横に切り裂かれ、馬毛まげの詰めものの間からスプリングが飛びだしている。衣裳戸棚にも、キャビネットにも、千鶴子がいたという証拠になるようなものはなに一つ残っていない。ちょうど掠奪の後を見るようだった。
 山内は寝台のはしに掛けて、撫然と[#「撫然と」はママ]腕組みをした。
「スパイか……」
 日本では、この単語は、どんな人間でも抹殺しうる無限の力をもった咒文じゅもんになっている。
「いずれおれも」
 大貫が千鶴子のキャンプの所在を知らせなかったのは、思いやりのせいでもあったろう。仮に生きているとしても、それは「死後の世界」といったようなもので、どうあがいても手のとどくはずのないべつな次元なのであるから。

排気鐘の中


 太平洋戦がはじまってから三度目の降誕祭クリスマスが来かけていた。
 軍当局から留保条件付の免許状をもらうと、ドーリトル隊の消息をつかむ下心もあって、五十日がかりでローカルの収容所の俘虜の生活を見て歩いた。東北でも北海道でも、行く先々の所長は慇懃すぎるくらいな応対をするが、この個人は確実にどこにいるかというような話になると、分所にいるとか、派遣所にいるとかいい、分所へ行けば、本所にいると答えるような終りのない堂々めぐりになり、結局はその個人が生きているかどうかさえわからなくなってしまう。
 ところで所長の立会いで俘虜と対談すると、嘗て通達などしたためしのない収容所から、
「何某、何月何日、死亡」という通達が遺留品といっしょに届く。それがかならず山内の逢った俘虜にかぎっている。代表部にたいする収容所側の反感が、ひどいしっぺいがえしになって俘虜に跳ねかえって行くのでは、調査もそれ以上つづけるわけにいかなくなった。
 なんの得るところもなく、十二月のはじめに東京へ帰って来たが、その頃から山内の生活はひじょうに辛いものになった。
 隣組に配給のあるときも、なぜか山内の分だけ来ない。主食はもちろん、野菜も、魚も、調味料も、みなすこしずつ遅れた。今度こそと期待して、氷雨のなかで三時間も列をつくったすえ、
「三国人配給だね。これァまだきていない」
 それっきりだった。町会で聞いても警察で聞いても埓があかない。四朗と克巳が毎日駆けずりまわってホテルの外食券を集めてきてくれるので、それでカツカツ凌いでいるが、それも一日に一食、どうかすると二日に一食ということになって、起居たちいも息切れがするようになった。
 代表代理は三国人扱いということで、それは諒承したが、それがこういう結果になってあらわれようとは予想もしなかった。山内の日々は、ガラスの大きな排気鐘のなかにいるようなものだった。周りはよく見える。視界もある。が、どちらかへ歩きだそうとすると、すぐ透明な壁に突きあたってしまう。強いて進めば押しかえされ、そのたびになにかしら怪我をする。空気はある。が、どこかに排気機関が動いているのだとみえ、一日ごとに空気が稀薄になっていくのがわかる。眼に見えぬ力が山内の生活と行動を微妙に制限し、徐々に息の根をとめようというのだが、人間の生活を破壊しようという意志が、ほとんど象徴のように迫ってくる例は、まだ聞かない。
「結局のところ、なにもしてはならぬということなんだろう」
 後任代表の渡日は、イランまで飛行機で飛び、シベリヤ、満州を経由するということで、渋々、当局も認めたが、そのごたごたで、代表がいっしょに持ってくるはずだった、クリスマス用の救恤品きゅうじゅつひんが先に着いた。
 俘虜通信の内容は、一日も早く戦争が終り一緒に生活ができることを念じた父母の手紙、どんなに長く離れていても、愛情は変らないと誓った愛人の手紙が多いが、こんどの通信は、敵国で俘虜としてクリスマスを迎える不幸を慰めたものがほとんどで、家族と友人の連名になっていた。救恤品のほうは、下着類、煙草、ビスケット、チューインガム、濃縮食品などで、英国から来たものは、英国自体が窮迫しているのに豊富に内容をそなえ、これを受取った当人はどんなに故郷をなつかしく偲ぶのだろうと、思わず胸のなかが熱くなるようだった。
 山内は空腹をぬる茶で誤魔化しながら、ロッカーの人名簿だけをたよりに収容所に区分けしだしたが、名簿にある名は父姓のない名が多く、トーマスだけではどのトーマスか判断がつかない。北は北海道から南は台湾の果てまでバラ撒かれた収容所から、名だけで該当者をえらびだすというのはほとんど不可能に近かった。
「いったいこれは人間に出来る仕事だろうか」
 山内は手を休めて、歎息した。
 アメリカの代表部には、この博愛事業に従事しているものが千人近く居り、みな無休で奉仕している。十二の部屋は一つずつ国別になって、各部は、会計、発送、統計に分れ、それぞれの主任の下で百人ぐらいずつの部員が、俘虜名簿の整理、情報、電報の解読、転送などの事務を分担し、玄関の正面には今日までに発送した手紙と電報の集計が大きく貼りだされている。
 俘虜の個人カードも、いちいち整理箱ファイルをひっくりかえすようなことはしない。最初に原符に孔をあけておくと、ワトソン式の統計機械へ差しこむだけで、姓名、年齢、連隊名、出生地、俘虜になった地点、現在の収容所、健康状態……と、これだけの項目が、ABC順でも、年齢でも、連隊別でも、望みどおりに即座に印刷されて出てくる。
 山内も千鶴子もそういう機構で働き、俘虜救恤の仕事はこういうものと思ってきたが、ここにあるのは手のつけようもない無政府状態で、そういうごったかえしのなかで、千人分の仕事を山内一人でやっていかなくてはならないのだ。
 しかし苦しいのはそんなことではなかった。仕事のほうは、やればどうにかやれる。空腹も胃腑のほか胸に迫るような悲痛な感じは与えない。山内を悩ませるのはこの仕事のなかに自分がたった一人いるという憂愁に似た感じだった。
「孤絶無援のなかで」
 と大貫がいったが、孤絶の意味が身に染みてわかるようになった。知己をつくろうとすると、すぐ憲兵が行って、
「あれはスパイだから、気をつけろ」
 と威嚇する。フラットでは誰も口をきいてくれず、町を歩けば白い眼を向けられ、
「畜生、ぶッた斬ってやろうか」
 などという無慈悲な声をうしろで聞く。
 世界がきめた取扱条項のフレームの中で、俘虜の生活をいくらかでもよくしてやりたいとねがうことが、どうして罪なのか。なぜそうまで俘虜を窮迫させねばならぬと思うのか、俘虜なんかやれるだけえぐく扱ってやれという日本人の感情にまで立入って考えはじめると、最後はわけがわからなくなって、日本人というのは、こんな異常な心理をもった民族なんだろうかと思いそうになる。
「竜さん、一人じゃたいへんだ。それァ無理だ」
 孝助たちが見るに見かねて手伝おうといいだした。あぶない仕事だからととめたが、きかずに毎日やってきて、個人カードと名簿の照会をやってくれたので、東京収容所の分だけはどうにか二十四日までに纒めあげた。
「じゃ、行ってくる」
 山内は艶のない落ちこんだ顔で三人に笑ってみせ、救恤品の梱包をロードスターの座席に山のように積みあげて薄暗い仲通から走りだした。
 山内は国道から大森の海岸へ折れ、収容所の橋際で車をとめると、門のそばにある衛兵控所へ行った。
「俘虜救恤品、ねがいます」
「おう」
 牧田という憲兵伍長がのっそりと立ってきた。
「赤十字か、車ンところで待っていろ」
 そういうと火鉢のそばへ戻って、股火鉢をしながら仲間と雑談をはじめた。十二月の寒風の吹きとおす海ばたで辛抱強く待っていたが、正午になってもなんともいってくれない。待ちきれなくなって、また衛兵所へ行った。
「今朝ほど、電話でご諒解ねがってあるはずですが」
 牧田憲兵伍長は首だけこっちへむけて、
「わかっている。だから待ってろといってるじゃないか」
 頭をさげて、橋を渡って帰りかけたとき、国道のほうから曲りこんできた軍のトラックが、あらかじめ、こうと目標をつけていたように大きくカーブを[#「カーブを」は底本では「かーブを」]切って突進して来て、いきなりロードスターにつっかけた。ロードスターは海岸の車止のところで横倒しになり、積んで来ただけの行嚢が海へ落ちてフワフワ流れだした。
「わァ、落ッこちやがった」
 衛兵控所で笑い声があがった。
 トラックの兵隊は山内のそばへ来ると、
「なんでこんなところへ車を置きやがるんだ」
 と三人がかりで撲ったり蹴ったりした。
「もういいだろう。かわいそうだから、車、起してやれや」
 と牧田が笑いながら兵隊にいった。
 事務所ではスイトンをつくって待っていてくれた。
「早かったね、すんだの」
 克巳がたずねた。
「すんだ」
 山内はそれだけいった。
 窓際の椅子で孝助がしょんぼりしている。なんとなくいつもとちがう顔だった。
「おやじさん、どうしました。風邪でもひいたかな」
 山内が気をひきたてるようにいうと、孝助は力のない声で、
「孝吉が演習中に心臓痲痺で死んだのやと。あなたが出るとすぐ、隊の庶務からそういうて電話をよこした。明日の朝、認印をもって陸軍病院へ死体をとりに来い、いうて」
「大阪の勇二兄へ電報を打ったら、明日、旅客機で帰るって返事がきた。われわれじゃ、どうしていいか見当がつかないが、勇二兄なら軍関係で、いくらか手があるだろうから」
 四朗が落着いた調子でいうと、なんということなく山内を扉口のほうへ連れて行って、
「ところで竜さん、僕のほうは徴用だ。おやじには今日までいわずにあるが、工作隊のようなところに行くらしい」
 とささやいた。

孝吉と勇二


 陸軍病院の受付で名をいうと、事務をとっていた雇員らしいのが三人を待合室で待たせておいて、国民服の、四十五六の痩せた男を連れてきた。
「野崎さんの遺家族の方ですか。葬儀社のものですが、第一病院関係は全部手前どもで扱って居ります。すぐ火葬場へお送りしますから、認証のご判を」
 そういって遺骸受領書と印刷した紙をよこした。
「君はおかしなことをいうじゃないか。遺骸も受取っていないのに、受領書に判なんか捺せるか」
 克巳がやりだした。
「ですから、私が代行いたしまして、お片付けするんです」
「そんなら、お前の判を捺せ」
「ごじょうだん」
 青ン膨れの店員が嫌な顔をした。
 山内はおだやかな調子で、
「形式だけはキチンとしておかないと、あとで問題が起きたりすると困るから、真似だけでも遺骸を見せてもらうほうがいいですね。お手数をかけてすみませんが」
「でもそういう前例がないんで」
「じゃァ新しい例をひいてください。当人だという確認だけでもしないと、隊へ嘘をいったことになりますから」
「そうですか。じゃまァこちらへ」
 葬儀社の店員は、ぶすくさいいながら先に立って長い廊下を行き、その端から地階へ降りて「死体室」と表示のあるガランとした[#「ガランとした」は底本では「ガランとして」]部屋へ案内した。
 向うの壁に寄せて、棺とはいえない素木の粗末な長方形の箱が置いてある。店員はガタピシ音をたてて蓋を払うと、
「では、どうぞご認証を」
 と皮肉な調子でいって壁のほうへ身体をすさらせた。
 ハァヴァード大学で競艇クルウの選手をしたこともある孝吉が越中ひとつのわびしい姿で箱のなかにおさまり、カッと見ひらいた眼玉が天井の電燈の光を鋭くはねかえしていた。
「ちょっと後ろのほうも」
 山内が克巳に眼くばせした。二人は心得て頭のほうへまわり、腋へ手を入れて、
「よいしょ」と抱き起した。
 孝吉のぼんのくぼのところに梅の蕾のような赤紫色の膨らみができ、まわりの髪の毛が二銭銅貨大にチリチリに焦げている。いうとおり心臓痲痺で死んだのだったら、拳銃の接射で更に仕上げをしたというようなところなのだろう。昨夜、どうせまともなことじゃないなと四朗たちと言いあったが、想像どおりだった。
「もういいだろう」
 山内がいうと、克巳は、
「もういい」
 と素ッ気なくうなずいた。
 事務室で受領書に判を捺すと、三人はそれで病院を出た。
 ロードスターが走りだしても、三人は口をきかなかった。三人は考えていることはおなじなので、いまさら言うこともないといった気持だった。
 麻布のフラットへ帰ると、孝助がすぐ立ってきた。
「どうやったとい?」
 克巳はおどけたような顔で、
「ここンとこに、弾丸の穴があいてたよ」
 と自分のぼんのくぼを指してみせた。
「十時といっていたから、間もなく勇二兄も着くだろう。骨はわれわれで拾うから、あなたは家にいてください」
 孝助は、そうしようとうなずくと、
「それで、お通夜はどないしょう」
 と湿った眼で克巳を見あげた。
「通夜なんてことはしなくとも、お骨を飾って賑かに飲んでやればいいさ。これからおなじような口が殖えるかもしれないが、愚痴をいわないようにしてくださいよ。こんなバカな国に生れたのが、運の悪さなんだから」そんなことをいっているとき、差配のフラットから電話の信号がきた。
「おれが行ってくる」克巳が廊下を駆けて階下へ降りて行ったが、五分ほどしてから、のっそり帰ってきた。
「いま羽田の日航から電話がきたが、勇二兄は死んだよ」
「はあッ」と孝助が泣き声をあげた。
「名古屋あたりまで座席にいたんだが、トイレットへ行ったきり帰って来なかった。トイレットの窓をコジあけた形跡があるから、たぶん自殺だろうって……遺留品をとりに来いというから、ともかくこれから行ってきます」半外套を抱えて、
「竜さん、車、借りるよ」といって、飛びだして行った。
 三時すぎになっても克巳が帰って来ない。心配していると、一時間ほどしてから、影のようになってフラリと部屋へ入ってきた。スフの国民服の背中が肩から腰のあたりまで裂け、胸にも袖にも斑々と血のあとをつけ、生きた人間の顔色ではなかった。
「どうした」と山内がたずねると、克巳は、
「たいしたことはない」と笑ってみせたが、その辺が痛むのか、胸をおさえてつづけざまに咳をした。
「ハンドルで胸を打った……右の制動機ブレーキ・ドラムのシャフトを緩ませたやつがあるんだ……羽田を出たときから、右へばかり尻を振ると思っていたんだが、品川の鉄橋のカーブでスリップした途端に横合いから軍のトラックに突っかけられた。カーブの切りかたが足りなかったら完全にのしあげられていたところだったよ」
 ナフキンを濡して手の血を拭きながら、
「おやじさん、今更めかしいが、勇二兄はやはり殺されたんだよ」
「なにか、そんな証拠でも」
「日航へ行くと機体屋のボスみたいのが出てきて、自殺でしょう、の一点張りなんだ。癪だから、今朝の竜さんの伝で現場を見せてもらいたいと突張ったら、なんだかんだとグズっていたが、見るだけならといって、渋々、入れてくれた」
「それはよかった。いい加減にかされてしまうんじゃ、思いが残るから。なんだっていいんだ、訳さえわかれば」
 そういうと、四朗はぼんやりした微笑をうかべて、
「僕がやられたら、やはり徹底するまでやってくれよ。いまから頼んで置く」
「詰らないことをいうな。それでトイレットへ入ってみた。なるほど窓が開いているが、そんなことは問題にもなるまい。おれが考えたのは、あんな緻密な頭なんだから、殺られたら殺られたぐらいのことを書き残して置かないはずはないということなんだ」
 四朗がうなずいた。
「それはそう。僕だってたぶんそう考えたろう。なにもないはずはない」
「トイレットはいい加減にして置いて、勇二兄の座席へ行ってみると、チューインガムのセロファンの袋の端が顔をだしているのが眼についた」
「チューインガムにセロファンの袋なんかあるのかい」
「アメリカで旅客機に乗ると、ところによってはボーイが耳に詰める綿と、酔いどめのチューインガムが入った袋を持ってくるだろう。あれだよ」
「それで?」
「袋の表に使用法が印刷してあるだろう。なに気なくそいつをひっぱりだしてみると、Please in ears and Use chewing gum とあるチューインガムという字のところを爪切鋏で長方形にていねいに切りぬいてある」
「それだ」
「そうなんだ。これはなにか書き残してあるというサインだと、おれもすぐそう思った。ひと目を忍んでものを書く場所といえばトイレットしかない。それでトイレットへとってかえして、便器の枠の裏を撫でてみると、小さなチューインガムの塊がついていたので、ポケットへ忍ばせておいた……それから換気孔や窓枠のサッシュの裏や、気のついたところを全部しらべたが、ほかになにもない。やはりあれなんだろうと思って、勇二兄のボストン・バッグを受取って車に乗ったんだが、どうしてもチューインガムの意味がわからない。指で押したり揉んだりしていると、なんだか抵抗があるようだから、ひき伸してみると、半透明の羽二重紙のような薄葉紙ティシュー・ペーパーに字を書いたのが器用に丸めて入れてあった……これなんですがね、竜さん、これはあんたへ」
 ポケットからほとんど抵抗を感じない、絹のような紙きれをだしてよこした。
 こんなことが書いてあった。

ドーリトル隊員の情況、左の通り
(六号機)ハルマーク、(十六号機)ファロー、スパッツ以上三人。死刑。五月十五日頃か。上海シャンハイ
(六号機)ニールソン、メーダー、(十六号機)ハイト、デシェーザー、バー以上、五人のうち、メーダーのほかは生存。南京ナンキン軍刑務所にいるというが、あまりたしかならず。
 竜兄の知りたいところだろうと、いささか注意力を緊張させたばかりにトウトウひっかかった。尤もおれの前でベラベラ喋言ったのは、罠だったのかも知れん。大正飛行場出発まぎわ、おれ以外の乗客は全部ひきずりおろされ、大阪憲兵隊の私服が三人乗りこんできた。予期したことゆえ、ジタバタせずに孝吉兄のそばへ行く。いま鈴鹿山脈の上。おやじ、克巳、四朗によろしく。愛と人道のためにご健闘、祈る。

四朗の殉職


 三月もなかばになったが、毎日、西風が吹き、春が遅れていた。
 クリスマス前日の失敗のお蔭で、山内は情勢の不断の変化に応じて、巧みに仕事の細部を修正して行くというやりかたを自得した。大貫が捕まった場合のことを考えると、複本も一つだけではあぶない。複本の複本というようなものをつくっておく必要があると思って、この百日ばかり、かかりきっていたが、それが昨日で完成した。
 その日、早くから起きだして、複本の複本を送品用のブリキ箱におさめ、ハンダ付けを終えたところへ、克巳がやってきた。
「おやじもとうとうやられたらしいよ」
「どうしたんだ」
 克巳はこの頃シブトさを増した強い眼の色で、
「昨日の夕方、配給をとりに行ったきり、まだ帰って来ないんだ。おやじが内地のガタクリ自動車ミシン[#ルビの「ミシン」はママ]にやられるはずもないが、警視庁へ聞いてみたら、昨日は無事故だといっていた」
「それはどうも」
 自分がやられたら、名簿類は克巳へ、克巳がやられたら、孝助が保護して代表へ引継ぐ、という段取を考えていたが、誤算になった。
「このようすじゃ、四朗もあぶないな」
 赤羽工兵隊の工作班にいる四朗のことが心配になってきたらしく、克巳は爪を噛みながら考えていたが、煙草に火をつけると、
「今朝、あるところで聞いたんだが、四五日前から、憲兵隊が一斉検挙をやっているらしいね。こんどはだいぶ範囲が広くて、新聞、雑誌関係までが大量に持って行かれたというんだがね」
 憲兵隊の隠密収容は不断に執行されているが、公然と集団検挙をはじめたのは、昨年の暮以来のことだった。中野正剛の倒閣運動が露見して、中野正剛をはじめ東方会の全幹部百七十名、ダイナマイトを用意していた拓大の学生行動隊と皇道翼賛青年連盟の連中が根こそぎやられ、中野正剛は憲兵隊の圧迫に反抗して腹を切って死んだ。
 この二月に米軍がルオット島へ上陸して、戦争の実感がいよいよ身近に迫ってきた感じになったが、東条首相は陸相と参謀総長を兼任して軍独裁の正体を露骨に見せ、国民登録と決戦非常措置宣言による国民の再強化政策の実施にとりかかった。
 なんのために孝助のような老人を連れて行ったのか。どういう意図による検挙なのか。いま日本では、「なぜ」とか「どうして」とかいう質問ほど無意味なものはない。そういう必要があったからだろうと、万事、鵜呑みにするほか、生きかたはない。
「われわれも、いよいよというところかな」
 克巳はブリキの箱を見て、
「出来たね。早いとこ、放りこんできてやる」
 フラットの後の、以前、川だったところが深い暗渠になり、どこからかくる余水を流している。そこへ沈めることに話がきまっていた。
 克巳がジュネーヴからくる救恤品のような見せかけで抱えて出て行った。十分ばかりで、することをして帰ってきたが、戸口で廊下のほうへ振返ると、
「竜さん、憲兵が来た」
 と低い声でいった。いつかの牧田という憲兵伍長が戸口にあらわれた。
「課長が、おねがいしたいことがあるそうですから、ご足労でも、隊まで。車を持って来ましたから、たいしてお手間はとらせません」
「お伴しましょう」
 外套に腕を通しながら、眼で克巳に挨拶した。
 九段の東京憲兵隊へ着くと、外人課長荒垣少佐という表示の出た、むやみに大きな書机のある、明るい部屋へ連れこまれた。
 椅子にかけて待っていると、紺サージの国民服を着た、三十ぐらいかと思われる、顔色の悪い、眠そうな眼つきをした、風采のあがらない男が、いつか横浜で山内を査問した私服の憲兵を連れて入ってきた。
「石黒です。お呼びたてして、恐縮でした」
 これが大貫が言っていた「懲治棒」の石黒かと思ったが、なぜか、なんの感情も動かなかった。私服のほうは奥の机で紙と鉛筆をひかえて聴取のかまえになった。
「お願いというのは、こんなことなんですが」
 と邦文タイプで打った文書をよこした。

  敵側惨虐宣伝反攻策
昭 十九、三、十八
参謀本部駿河台分室
第一案 看護婦大谷しな殺人事件ノ攻撃
 ブエノスアイレス丸ハ昭和十八年十一月廿七日米空軍ノ不法爆撃ニヨリ沈没、乗組看護婦約五〇名ガ端艇ボートニテ漂流中、十二月一日米機来襲赤十字旗ヲ認メ得ル高度ヨリ掃射セリ。甲種救護看護婦大谷しな(廿九歳)ハ無惨ニモ頭部貫通銃創ヲ受ケ戦死セリ
一、大谷しなノ遺骨ヲ宣伝上最モ効果的ナル時ニ日本(滋賀県守山町)ニ到着セシメ、左ノ加キ方法ニテ大々的ニ宣伝スル
(1) 比島ヨリノ遺骨到着カラ埋葬迄ヲ出来ルダケ劇的ニ、盛大ニナシ、東京ニ於テハ大日本赤十字社ノ主催ニヨル一大慰霊祭ヲ行ウ
(2) 知名ノ士ヲシテ大谷ノ遺族ヲ訪問セシメ、「報道」トシテ、映画、新聞等ニ取扱ウ
(3) 此ノ種ノ不法ハ、威嚇手段トシテ、米英軍将校ニヨリ之ヲ命令シ、旦ツ、称揚シタリト信ズベキ理由ヲ挙ゲ、病院船不法攻撃ヲ「パンフレット」トシ、国際赤十字委員会日本代表部ヲ通ジテ中立国ニ送付スル
(4) 現在迄ニ敵ノ行エル計画的非人道性ヲ欧米ヨリノ引揚者ノ講演、座談会、記述等ニヨッテ徹底的ニ暴露セシメル(詳細ハ別紙「米軍ノ計画的暴虐」参照)

「その三項と四項のことですが」
「三項の件は、利益代表国を通じてやる性質のもので、代表部にはこれを扱う機能はありません」
「なるほど。では第四項のほうは」
「失礼ですが、私は引揚者ではありません。日本代表の代理をしていますが、立場の上からも、そういうご企画にご協力いたしかねるんです。ご諒解ねがえると思いますが」
「それはどうも失礼。じゃァ、あなたにはまたべつな機会に協力をねがうことにしましょう」
 文書を机の曳出しへしまうと、
「べつな話になるが、野崎四朗というのは、君の義弟にあたるひとなんだね」
 ハッとして、山内が顔をあげた。
「そうです」
「実は、四日前、野崎軍属が殉職してね」
 やはり……と、山内は奥歯を噛んだ。
「それが、どうも、馬鹿馬鹿しいような過失なんで」
 マジマジと山内の顔を見据えながら、
「大略をいうと、二三九工作班は赤羽と栗橋の中間で高射砲座の基礎をやっているんだが、七日の朝、混凝土混合機コンクリート・ミキサーの担当者が、切取の穴の中で、野崎軍属が働いていることに気がつかずに、コンクリートの溶体を二トンばかりドッと流しこんでしまったんだ」
「穴の中に人がいることに、どうして気がつかなかったのですか」
「どうして、という質問に答えるのはむずかしいね。担当者が迂濶だったことは、いうまでもないが、朝六時で、それに霧が降りていたというような状況だったから」
「いま七日と言われましたが、七日の朝の六時頃、赤羽から栗橋のあたりを車で通りましたが、霧など降りていませんでした」
「そうかね。じゃ、靄だったかもしれない。こっちは隊の報告に基いて説明しているんだから、その辺のところは、よろしくご諒察ねがうよ」
「声ぐらい聞えなかったのでしょうか」
混凝土混合機コンクリート・ミキサーってのは、やかましい音がするもんだからね」
「遺骸はどうなって居りますか」
「気がついたのは四日後だ。ペトンは完全にブロックになってしまったから、ダイナマイトでやっても出せまいと、隊では言っている。お気の毒だが」
 それで話が途絶えた。
 なにか言いだすかと待っていたが、いつまでたってもなにもいわない。深沈とした沈黙のうちに、時が過ぎていく。
 山内はさり気なく眼を伏せて、今日までの事故を頭のなかで辿っていた……孝吉を殺し、勇二を殺し、四朗を殺し、いままたあんな老人の孝助まで殺そうとしている……
 孝吉が殺されたときから、山内の頭にある解釈が出来ていたが、それはあまりにも単純で、原始的で、現代の人間の精神界に介在しようとも思えない思弁なので、自分でも信じる気になれなかった。
「いったいどういうことなんだろう」
 憲兵の頭脳構造は特殊なもので、大脳組織の襞は地獄の底ほども深い。普通の人間の思惟で追いつけるはずはないと思って、考えるのをやめにした。
「諒承しましたから、退きとってよろしいですか」
 石黒はチラと顔色を動かして、
「うむ? まァ待ってくれ」
 と苦味のある薄笑いをした。
「まだなにか話が」
「話はそっちにあろうというわけなんだが……なにか感想はないかね」
 手のつけられぬわからなさが……相手がなにを望んでいるかということが、はじめて釈然とした。憲兵隊が謎をかけ、山内がそれを解く、石黒はいまその返事を待っているわけであった。
「どうだね」
 向うの机にいた書記が立ってきて、石黒に、
「君はもういいから」
 と冷淡に頷いてみせた。
 山内はそれが、貴様は駄目だといっているように聞えた。石黒は、はっと立ちあがって礼をすると、冷々とした水脈みおのようなものを曳きながら部屋から出て行った。

荒垣と山内


「この間、臨海分所でお目にかかりましたね。荒垣です」
 その男は眼を細めて笑いながら、ハヴァナの箱をのべてよこした。
 これが荒垣かと、山内はあらためて観察しなおした。
 肺の悪いひとによくあるように、頬があんず色にぼうっと紅らみ、それがえぐい顔のつくりをいっそう印象的なものにしている。勉強家らしく、強度の近眼だと思われるのになぜか、眼鏡をかけていない。あのときもそうだったが、眼を細めてひとの顔を見るのは、対坐するとき視線をぼやかそうという心なのかもしれない。憲兵はみなイガ栗だが、荒垣は髪を伸してきっちりと分け、彫のある鉄の指輪を小指に嵌めているのが、板について気障に見えないところが変っていた。
「さあ、どうぞ」
「私は葉巻シガーはやりませんから」
「ああ、そう」
 荒垣はロッカーを開けて、ジョニー・ウォーカーの瓶とグラスを二つだしてウィスキーを注ぎわけた。
「いかがです」
「せっかくですが、酒精スピリット類はやりません」
「そんなに用心なさらなくとも大丈夫ですよ。毒なんか使わなくとも、殺るつもりなら、ほかにいくらでも方法があります」
「そんな意味でいっているのではありません」
 細くあけた瞼の間から、荒垣は面白そうに山内の顔を見ながら、
「あなたはなかなかうちとけてくれない方ですな。転移セザルノ人、ですか。この頃の日本人には尻ッ腰のないのが多いのですが、あなたのような高邁な精神界を保持するひとが、アメリカにいられたとは意外でした」
「私も意外に思っているのですが、あなたのような方が、わざわざ岸壁へ出て、私のようなものを査問なさるというのが」
「あのときは、特にあなたに敬意を表して……なんといっても、あなたは敵性日本人のNO・2なんだから」
「ほう、そうですか。NO・1というのは?」
「レックス浅岡」
 レックス浅岡は日系米国市民連盟の一人で、太平洋岸の強制立退がはじまったとき、各地を飛びまわって素直にアメリカの方針に協力するようにと説得して歩き、相互の間にトラブルを起さずに収容を完了させた。
 日本の対外放送では、日本軍が桑港サンフランシスコへ上陸したら、レックス浅岡は第一番に絞首刑になるだろうといっていた。邦人がすこしも反抗の気勢を示さなかったため、邦人にたいするアメリカ側の心証が非常によくなった。ひとえに浅岡の功績なので、それをなぜ日本側が憎悪するのか理解するのに苦しんだが、この自分が浅岡の次に考えられていようとは、まったくのところ想像さえもしていなかった。
 荒垣は顔のまわりに葉巻の煙を漂わせながら、分厚な書類綴を繰っていたが、
「山内さん、ちょっとその窓を開けてください。この部屋はどうも換気ベンチレーションが悪くて」
 山内は立って行って窓をあけにかかったが、窓框のそばの壁に、「ワケナク死ネル」と書いた木札が打ちつけてあるのが眼についた。
「どうか、いっぱいに開けて」
 うしろで荒垣がいった。
 いわれたとおりにいっぱいに窓をあけて、眼の下のコンクリートの中庭を見おろすと、遠い塀際の梁木に、褌一つになった孝助が、手首を繩で括られ、振り分けになってぶらさげられているのが見えた。
 山内は血が逆流するようなショックを受けて荒垣に掴みかかろうとしたが、自制して椅子に戻った。
「あれは私の家内の父ですが、あんなことをしておくと、死にはしないでしょうか」
 荒垣はチラと眼をあげて、
「さあ、そんなことはないでしょう」
 と静かな口調でいった。
 四朗が憲兵隊は心理学を心得ているといったが、その意味がよくわかる。人間の高い意志を挫折させるのに、こういうやりかたもあるのだった。国際赤十字委員会の書記という「身分」を捨てて、連合軍側の俘虜にタッチするのを自発的にやめさせるという、たったそれだけのために、こんなにも人間の命を潰して見せる。こういうやりかたを、重いといえばいいのか、軽いといえばいいのかわからないが、知らぬ顔で押し通せば、遠慮なく孝助と克巳を抹殺するだろう。千鶴子を殺して、わざわざ死体を投げだしてよこすことぐらいはするかも知れない。
「荒垣少佐、四五年前アメリカ人のコックスが飛び降りたというのは、あの窓ですか」
「はあ、そうですよ」
 うなずくと、山内のほうへ向きなおって、
「私はいつも考えるのですが、ウォター・ロォレイの例をひくまでもなく、人間の感覚なんてものは、実にあやふやなものだって……仮にあなたがなにかを見る。しかしあなたの観察は、かならずしもいつも正しいと断言できない」
 机の曳出しから双眼鏡を出して、
「いまの人間をこれで見てごらんなさい」
 と命令するような口調でいった。何を、と思いつつ、山内は双眼鏡を持って窓へ行き、梁木のほうを見なおすと、なるほど似てはいるが、孝助ではなかった。
「あなたはローカルの収容所めぐりをなさったそうですが、あなたのような国際的な関係を持っていられる方に、そういう不確かな観察を土台に[#「土台に」は底本では「士台に」]して情報を出されると、非常に迷惑いたします。あなたが知りたがっていられるドーリトル隊の処刑にしても、陸軍省の一部にいくらか反対があったようですが、軍事裁判長はそういうものを考慮せずに、軍令第四号……『空襲軍律』のほうを重く見た。法務官として、これこそ誤りをおかさぬ唯一の道なんですね。軍事裁判の判決を、国際信義や連合国の批評の上にうち樹ててやろうなどと考えたら、それは軍裁判の否定であり、同時に、戦時国家にたいする一つの罪なんですからな」
 とめどもなく流れだす、荒垣の駄弁を聞き流しながら、山内は考えていた。野崎の兄弟を三人も殺し、このうえまた孝助や克巳までを憲兵隊のバーバリズムの犠牲にできるものだろうか。もう身は屈したのだから、精神を折り曲げるのもたいしたことはないと、ひそかに観念した。
「荒垣少佐、私を俘虜関係の活動が出来ないような、外地へ追いだしてくださるわけにはいきませんか。ただし『身分』はこのままで」
 荒垣はだまって山内を見かえした。
「私の『身分』を無くすると、途端に締めあげられるにきまっていますが、それでは困るので、もしそう願えるなら、行方不明だなどと騒がないように、ジュネーヴへ旅行願を出しますが」
 荒垣少佐は笑って、
「あなたの知性に敬意を表して、お望みどおりにしてあげましょう。ただし、少々、辛いかもしれませんよ」
「それは覚悟しています。あの窓から飛びだせば、お手数をかけないですむのでしょうが、自殺は罪だという教えが沁みこんでいるので」
「それはいいです。じゃ早速、電文を書いてください。方面はとりあえず『中支』としておいていただきましょうか。先々で、またお願いするとして」
「わかりました」
 転出要請の電文のほかに、転出の理由と目的を説明した簡単な報告書をタイプで打つと、すぐ地階の監倉へ入れられた。
 二坪ぐらいの板敷の部屋で、虱や南京虫を擦りつぶした血のあとが壁にこびりつき、正坐して頭が届く高さの壁が脂で汚れている。無辜の人たちが壁に頭を凭せ、いうにいえぬ思いで夜を明かした証跡なのであった。
 山内はいわれたとおりズボンの膝を折って板敷に正坐し、この久しい間、「重い空気」のように自分をとり巻いていた、異様な圧力が急に無くなった斬新な感覚を味わっていた。
「下手な取引ではなかった」
 自分が折れたので、孝助と克巳は助かるだろう。あの二人が助かるということは、とりもなおさず、俘虜名簿と個人カードの安全が保証されるということなのだ。そうして、ひょっとすると……千鶴子のほうも。
 浅い眠りのなかから、荒々しく揺り起された。
「毛布を持って、出ろ」
 薄暗い電燈のともった廊下を行くと、端の溜の床几に身仕度をした牧田が待っていた。
「じゃ、すぐ出ますから」
 牧田が外套と帽子を着せてくれた。
「手錠は冷えるから、こういうぐあいに、両手をズボンの腹ンところへ押しこんで」
 玄関を出て、ビュイックの大型のセダンに乗ると、すぐ車が走りだした。
 どこかに夜明けのきざしが感じられるが、町並はまだ夜で、枝だけになった街路樹の間に、遮蔽した常夜燈がぼんやりと光を流していた。
「眠かったら、凭れて眠ってよろしい」
 山内はいわれたように、背凭せもたせに頭を凭せて眼をとじた。
 どれくらい眠ったか、おいおいと、突っつかれて眠りからさめると、羽田空港の玄関にいた。待合室を素通りして飛行場へ行くと、ダグラスがスタート・ラインについて始動していた。霧に濡れた滑走路に赤や緑の障害燈の光が映っているのが絵のように美しかった。
 座席について室房を見まわすと、一人ずつ憲兵が附添った、おなじ運命の人らしいのが、七組ぐらい居たが、暗くて顔が見えなかった。
 間もなく、身体が綿に包まれたような感じがしたと思うと、ダグラスはもう空港を飛び出していた。ようやく東のほうが白みそめ、横浜の市街が、明日はどうなるかわからぬ、無常のすがたのまま、黒々と眼の下にひろがっているのが見えた。

収容所巡り


 山内は軋るような孔雀の鳴声で眼をさました。白い麻の蚊帳をキッチリ張った大きな寝台に寝ていた。
 暑そうな朝の陽差が、窓の鎧扉の隙間から折れ曲ってきて、天井のスタッコに光の唐草模様を描いている。
「ここはどこだったろう」
 羽田を飛びだした日から今日まで一カ月のあいだ、北は北平ペーピンから南はジャワまで、占領地の俘虜収容所を旅客機でいそがしく見て歩いていたので、頭のなかで時間と空間がうまく折れ合わず、朝の眼覚めなど、いま自分がどこにいるのだったか、咄嗟に思いだせないことがあった。
 北平ペーピンの陸軍刑務所を振出しにして、南京の中央刑務所、仏印のパクセ俘虜収禁所、昭南の第一拘禁所、泰緬鉄道建設で俘虜大量虐殺の問題を起している有名なタンピサヤ収容所、ジャカルタの蘭印俘虜収容所……Bクラスの収容所まで数えたら何カ所だったかちょっと思いだせない。
 飛行場から自動車で雪の北平の市街を行き、向うに軍刑務所の灰色の建物が見えだしたとき、ここが終焉の場所かと覚悟をきめたが、そんなことではなく、所長が丁重に応対に出て、型のような視察をした。
 四十畳ぐらいの広さの雑居房の板敷で下士官兵が正坐させられていた。毎朝、二時間ずつ正坐し、あとは両足を揃えて前へ伸した姿勢のまま、一日中、置かれるのだという。そうした囚徒兵が、ここだけにも千二百人もいるというので意外の感にうたれたが、上海事変の初期、長江で捕虜になった七人のアメリカの水兵と自由に対談させたのには一驚した。
 行く先は「中支」としておけというので、旅行目的は? と山内が聞きかえすと、
「占領地俘虜収容所の巡察」
 荒垣が笑いながら指示した。
「日本代表代理として、占領地の主な収容所をひと通り見ておかれるほうがいいでしょう。出来るだけご便宜をはからいます」
 なにをいうかと相手にならなかったが、荒垣は冗談を言っていたわけではなかった。南京の軍刑務所では、所長が、
「ドーリトル隊員にお逢わせするようにということですから、お逢いになってください」
 と、東京を空襲した六号機のニールソン中尉をあっさり面会所へ出した。意外というのはこのことだったが、そんなことより、いま世界中が知りたがっているドーリトル隊の実存に触れる喜びで胸が躍った。
「ここにいるのは、私、バー中尉、ハイト中尉、デシェーザー軍曹の四人……ハルマーク中尉、ファロー中尉、スパッツ軍曹は死刑。メーダー中尉は昨年の十二月一日に病死しました」
 いつかの勇二の情報のとおりだった。
「健康状態は?」
「現在のところは、やや良好」
「取扱いは?」
「はじめはひどかったが、最近はいくらかよくなった。僕らは黙ってばかりいないから。僕らは処刑されたことになっているそうだが、われわれ四人が生きているということを、合衆国へ言ってやってください」
「私には、今そういう自由はありません」
「あなたは国際赤十字の日本代表代理だということだが、なぜ自由がないんですか」
 帝国憲兵隊の頭を軽く見たために、見事に報復されたことを、このとき卒然と思い知った。
「見るだけなら、嫌というほど見せてやる」
 起きてから寝るまで牧田が傍で監視しているので、自分の手ではペンを持つことさえできない。情報を山ほどもらっても、いくら希望事項を述べられても、報告することも、伝達することも出来ない。たぶん自分の生涯が終るまで。
 牧田は荒垣の実誼きわまる代理人だった。
「牧田君、もうたくさんだよ」
「いや、まだパクセとタンピサヤが残っています。ぜひご覧にならなくては。じゃ、どうぞ。旅客機が出ますから」
 ダグラスが着く。自動車で収容所へ行く。所長と役員が出迎える。俘虜の生活状態一般。いろいろな記録。
 厖大なプリントをくれる。柵内巡察。俘虜の売店。炊事場を覗く。接見……。
 自分の意志でもなく、なんの効果も、なんの益もない視察をつぎつぎにやらされる。
 これ以上、無意味な行為はない。帝政時代のロシアに、一つの石をある場所まで運び、それをもとのところへ運びかえすという無意味な動作を無限に反復させる刑罰があったということだが、どうやらそれに似ている。
「そうそう、おれはジャワのマデウンにいるのだった」
 昨日の午後、ここへ着き、長官の歓待を受けて官邸に泊った。今日はここから三十キロほどのところにある、ナウイの収容所を見に行く予定になっていた。牧田が隣りの部屋で寝ている。
 もうそろそろやってくるころだ。やりきれない暑気のなかで、単調な行事がはじまる。
「お眼ざめですか」
 牧田が山内のズボンのバンドと靴の紐を持って部屋へ入ってきた、山内をベッドに寝かしつけると、バンド、靴の紐、そのほか部屋にある紐と名のつくものはみな持って行ってしまう。
 夜中の上厠など、垂れさがるズボンの前をおさえ、紐のない靴でズボンの裾を踏んづけないように長い廊下を行くのはかなり難儀なものだった。
「長官が食堂で待っていられますから」
 どこといって特徴のない、木の根ッこに目鼻をつけたような牧田の平凡な顔を見るのもこのごろはさほど嫌でなくなった。
 牧田はなんでもしてくれる。秘書になり、室僕になり、走り使いをし、疲れたといえばメタボリンの注射まで打ってくれる。
 山内が家を出るとき肌につけていた二千円は、牧田が預って、その都度必要なだけ、軍票に切替え、ホテルは兵站旅館を選んで、軍属並の宿料で安くあげるようにし、次ぎは仏印だというと、だまっていても白の背広スーツを買ってくる、山内をホテルに置いて、一人で買物に出るときは、両手錠とドアの鍵を忘れないが、それにしても、抜け目のないほど気のまわるこまめな男だった。
「さあさあ、起きてくださいよ。今日は暑そうだから、背広でなく防暑服のほうがいいでしょう」
 防暑服を着て、顔を洗って、食堂へ行く。州長官が食卓について待っている。牧田が二人だけの席へ椅子をひきずってきて図太い顔で割りこむ。
 牧田が、いつかこういう要求をだしたことがあった。
「公式の宴会などで私が席から退げられるような場合、この男が居ないと、なにも出来ないからと、おっしゃっていただかなくてはなりません。私には権利で、あなたには義務です。私が憲兵だと感づかせるようなことは絶対にしませんから。これは、ぜひ実行してください。さもないと」
 そういうと、ポケットのなかで手錠を鳴らしてみせた。
 ナウイの拘禁所は兵営のあとで、陰気な壕と城壁をめぐらした要塞のような構えになっていた。
 暗い石の拱門を入ったところがコンクリートの営庭で、コの字に囲んだ三方の二階の窓に、半裸体の俘虜が重なりあい、喝采しながら山内を迎えている。
 今日もまた不幸な人達にあだな希望を抱かせるのかと、心が痛んだ。
 視察は二時間ですんだ。山内はほとほと疲れて自動車のクッションへ身を投げだした。
 気がつくと、自動車はマデウンの飛行場と反対のほうへ走っている。山内がたずねてみた。
「この次は、どこかね」
「ブフル島……これは少々、遠いです。それに船ですから、途中がちょっときついかもしれませんよ」
「それはどの辺にある島なんだい」
「フイリッピンとボルネオの間……スールー海峡のスールー諸島の一つ……スペイン領有時代の流刑地で、古いながら監獄の建物が残っているそうです」
「それはどこから行く」
「今夜、スラバヤから船が出ますから、それで行きます」
 収容所と飛行場の間は、かならず施錠するのに、なぜか今日はしない。いつもとようすがちがっていた[#「ちがっていた」は底本では「ちっていた」]
「今日は寛大だね」
「はあ、今日はいいです」
「逃げようと思ったら、いくらでもチャンスがあるがね」
「やってみてください」
「やらしておいて、射つか……手がかかってやりきれないからね」
「飛んでもない。あなたは『国際法』で厳重に保護されているひとなんだから、滅茶はできませんよ。憲兵伍長ぐらいがそんな大それたことをやったら、憲兵隊の上のほうの首が、いっぺんにいくつもすッ飛んでしまいまさ」
「大袈裟にいうじゃないか」
「いや、ほんとうに」
 前窓フロントにうつるのは稲田の間の長い単調な道だった。透視図を描いてどこまでも直線に伸びている。
「さてさて、スールー諸島とは」
 いつまでこんなことをつづけようというのか。それで結局どうしようというのか。
「牧田君、奥さんは?」
「子供が二人、居ります。だしぬけにどうしたんです」
「君も早く帰りたいだろうと思って」
 牧田の顔は石のように無表情だった。

ノアの方舟


 スラバヤを出帆してから四日、海洋性の滝のような豪雨がやみまもなく降りつづくのに、赤道特有の絡みつくようなひどい暑気で船艙はさながらの蒸風呂になり、蚕棚へ長く寝てカスカス呼吸いきをしているという辛い船旅になった。
 出帆する間際に、どこの貨物廠の兵隊か、牛、豚、鶏、アヒルなどを大騒ぎをして生きたままでいくつも引きあげ、米、塩、味噌の食糧のほか、甘味品や煙草の大梱を山ほど積みこんだが、この暑さで人間より家畜のほうが先に参ってしまい、将校室付のボーイが二時間おきに牛に水をかけに降りてきた。
 船には北ボルネオのサンダガンへ転駐する久慈少佐の久慈隊千六百名、岩永という海軍少尉と水兵が十三名、なにやらいう島へ行く浜田大尉の浜田隊百三十名、ほかにどういう部隊関係なのか、ひどく角のとれた中、少尉ばかり七人の一組があった。
 久慈隊のほうは、仏印から来たというおっとりした兵隊ばかりで、将校も下士官も柄がよかったが、浜田隊はガダルカナル、ニュウブリテン、モレスビー作戦と、ひどいところばかりやってきた生残りの寄せ集めだといい、兵隊だかごろつきだかわからない、人間の情性を喪失したような異常者の集団だった。四十前後の、さんざ遊んだらしい古兵ばかりだが、ほとんどがみな上等兵で、頭の薄くなりかけた一等兵も幾人かいた。
 規律などまったく無く、日課も時限もぜんぜん無視して、浜田大尉が、点呼ッと言いながら入ってきても、寝ころんだまま立上らないのさえいる。仲間が、
「おい、立って敬礼してやれよ」
 と笑いながら突っつくと、
「なんだ。誰に敬礼しろというんだい。この野郎にかァ。糞でもくらえ。立って敬礼しなけれゃどうする。いけなきゃどうともしてみろ」
 薄笑いしながら足を投げだすと、隊長の浜田大尉がなにもいわずに黙って引揚げて行く。
 蚕棚の下段を広くとって、幾組にも分れて車座になり、ブラッキ・ジャッキ、オイチョカブ、四五しいご、キャシナ、ボカ、ハワイボカといろいろな博奕をやる。
 一日中、喧嘩三昧で、血まみれ騒ぎがたえず、夜が更けると、夜食上げと称して、五人ぐらい組になってコック長を脅かしに行く。兵隊の生態を見たことのなかった山内は、日本の兵隊とはこんなものかと、眼を思わずそむけるようなこともあった。
 こういう騒ぎのなかで、海軍組は貨物艙ダンセラーのそばの薄暗い片隅にひとかたまりになり、士官も水兵も、物憂そうにしてめったに口もきかず、顔を見られるのを厭うのか、略帽で顔を隠し、苛酷な運命のもとに化石してしまったというようなようすで、あおのけになって寝ていることが多かった。
 船は被害制限の接岸航行をし、いかにも緩慢な航海ぶりで、晴れ間のない雨とともに、ひとの気持を手のつけられない無為状態に追いこみ、一日はやるせないほど長々しかった。
 牧田は山内の枕元で、胡坐をかいているのにも飽きたとみえ、よく上の船室へ出かけて行き、夜、酒気を帯びて帰ってくるようになった。
「牧田君、上に面白いことがあるとみえるね」
「べつに面白いことはありませんが、変ったやつがいるので、からかいに行くんです。どうです。あなたも行ってみませんか」
 と逆に山内を誘った。
 牧田に連れられて上のタンデム・キャビンへ行くと、中、少尉の七人組と浜田大尉がさかんにビールを飲んでいた。
 中、少尉は、階級章もつけず、新品の被服と私物らしいワイシャツを着こみ、コードバンの長靴を光らせ、銃のことを鉄砲、帯剣をサーベル、軍衣袴ぐんいこを洋服といい、少尉は中尉を旦那、中尉は少尉を何々君と呼ぶといった砕けかたで、陸軍の将校の感覚はまったくなかった。
「森下君、お客さんが見えたから、ボーイにいうてな、ビールを二ダースばかり冷やさせてくれんか」
 高桑中尉がいうと、二十二三の若い少尉が、
「へい、よろしおま」
 と軽く受けて立って行った。
 つづいて、一二度出かけたが、インドネシアの兵補に風呂の世話から食事の給仕までさせ、正午ひる近く、宿酔ふつかよいでフラフラしながら食堂へ行くと、毎食、七皿ぐらいの皿数を並べさせて白米の残飯をむやみにこしらえ、残肴は惜し気もなく海へ捨てさせる。山内がフト卵を食べたいと洩らすと、「よっしゃ」と一度にバケツに一杯、茹でさせるという派手派手しさで、山内を憂鬱にさせた。
 煙草はチェンメンの二万五千本入りの大梱を部屋に据え、欲しければ立って行って手に一ぱいすくいだしてくる。間食には重患者食のカルケットやビスケット、シロップを※(「口+愛」、第3水準1-15-23)おくびのでるほど飲んだうえ、
「甘すぎてあかん」などといっていた。
 あまり桁はずれなやりかたなので、牧田にきくと、
「あれは第二十七野戦貨物廠のやつらで、積換えをやって貨車のままそっくり懐へ入れたり、驚くような乱梱らんごうりをつくって、贅沢をしたり、横流しをしたりして、あの森下少尉はギルダーで三十万円から持っていたそうです。支廠長の小川少佐などは、野戦郵便局を抱きこんで、大阪の自家へ五十万円近くも送る。これは、現地で処刑されましたが、あいつらは殺すわけにもいかないから、浜田隊の囚徒兵といっしょに、ひと纒めにして島へ持って行こうというのでしょう」
「それにしては、ひどい破目のはずしかただ」
「奴等の仲間がスラバヤの近くの支廠長をしているんですが、奴等が島送りになることを聞きつけて、いくらでも楽ができるように、手土産を持たせてやろうといって、なにやかにやとしこたま積みこんだもんです」
 れいによって大騒ぎをしている浜田隊のほうへ、なんとなく視線をやりながら、
「戦争もこう長くなると、自然と士気が低落して、どの部隊にも、窃盗や脱柵の常習者、上官侮辱、飲酒過度、軍紀紊乱者……軍法会議へ送るような軍事犯までむやみに出てきましたが、実施部隊には営倉なんてものもないし、内地へ送還したいにも輸送の便がない。しようがないので、みな原隊所属のまま放任してありますが、どの部隊でも囚徒兵と不良下士官の始末に困っているんです。あれらは方々の作戦部隊のもてあまされものの寄せ集めで、後に坐っている両手錠の二宮という一等兵はニュウ・ギニヤで、人間を食ったという評判のあるやつです」
「むこうの海軍の組は、どういう人達なんだろう」
「あれですか。あれは気の毒なんです。海軍では『幽霊』といっているそうですが、ミッドウェーの海戦で生き残った赤城の乗組で、戦死の公報は出した、ミッドウェーの敗戦の実状はこれァ絶対に秘匿しなくてはならない。で、占領地の海軍病院を次々にたらいまわしにしていましたが、結局、置くところがなくなって、島へやろうというのでしょう。いずれにしても、生きては内地へ帰れない連中ですから」
 さすがに気がさしたとみえ、煙草の煙にまぎらせ横をむいてしまった。島とは、どういう島なのか知らないが、察しるところ、こんどは収容所の視察などではなく、自分もそういう人達とその島で拘束されるのだということがわかりかけた。
「牧田君、ナウイの収容所以来、手錠をかけなくなった訳がわかったよ、僕もなにかの名目で、その島へ送られる途中なんだな。つまり流刑だね。隠さなくてもいい、ほんとうのことをいってみてくれたまえ」
 牧田はこちらへ向きかえると、怒ったような顔になって、
「流刑なんていう、古めかしい形式は、日本の刑には存在しません。たとえば、ネヴァダ州やアリゾナ州にあるアメリカ・インデアンの保護地域リザヴェーションね、グランド・キャニオンの高いところに立って、はるか向うの野のはてを望むと、かすかに人煙があがるのが見えますね。つまり、ああいったものなんで、苛めたり迫害したりする意図はぜんぜん含んでいないのですよ。むしろ保護するほうで」
 山内は不意にたずねた。
「君はアメリカにいたことがあるんだね」
 牧田の硬い表情が見る見る崩れた。
「私が? アメリカに? どうして、そんな」
「はるかに人煙が、という表現は、いかにも適切だからね、自分であそこに立って見た人間でなければ、ちょっといえないことだよ」
 この平凡な相貌かおつきは、そういえばキャンプのどこかに、交換船のどこかの隅に、たしかにいたような気がする。
 山内という個人の考課を確立するためにわざわざキャンプまで入り、今日まで影のようにつきまとっていた年月の流れを、山内は寒肌になりながら数えかえしてみた。




第三回


徒刑島 (1)


 翌日の午後、牧田がブラリと船艙へ降りてきた。
「浜田大尉が殺られました」
 山内の枕元へ胡坐をかいて低い声でいった。
「浜田隊のやつらが海へ放りこんでしまったらしい」
 昨夜、浜田大尉は遅くまで一等キャビンで飲み、十二時ごろ出て行ったが、今朝、当番が起しに行くと自室で寝たようすがない。船中、隅なく探したがいない。よろけるほど飲んでいなかったから、殺されたと思うほかはないといった。
「ひどいことをするもんだね」
「殺るほうにも、殺られるほうにも、それだけの理由わけがあるんだからしようがないです」
「そういうもんかね。牧田君、改まって妙なことをきくようだが、君はなぜ僕を殺さなかったんだ」
「殺ろうと思ったことは幾度もありましたが、荒垣少佐に制止されてやれませんでした」
「荒垣少佐が? 意外なことをきくもんだ」
「石黒中尉がいい例です。前代表が急死したので、部内では、石黒が殺ったのだといいだし、過去が過去だから言訳がたたず、歩兵科から憲兵科へ転属して出世の早道を辿るつもりだったのが逆になって原隊返還になり、大尉に進級しただけで前へ出されてしまいました。これから行かれる島の警備隊長になって来ているはずです」
「よくわからないがね」
「勝つにしろ負けるにしろ、中立国を介して手仕舞いしなくてはならない。いまのところ、いくらか日本の利益を考えていてくれるのは、世界中の国のなかでスイス一国だけ……辛いところです。あなたを殺るどころか、下手に病気でもされたらえらいことになるから、私も気が気でなかったです」
「僕をそんな島へやるのは、安全を考えてくれるためなんだね」
「この戦争も、こういう先行では、たぶんむずかしいところで講和することになるでしょうが、そういうギリギリのところで、あまり公正な立場で洗いたてられると、ドンと条件が悪くなるような場合も想像できます。日本は悪い戦争をしましたが、どうしたって、日本は残らねばならず、残さなくてはならない。そういう人は、それまで島で遊んでいてもらいたい、とまァいうんです。それにしても俘虜名簿には困りましたよ」
「困りかたにしてもいろいろあるが」
「俘虜名簿が代表部の手に……つまり、あなたの手にあるということは、俘虜名簿が外国にあるのとおなじですが、名簿にあるだけの員数はいまもうない」
「それはわかっていた」
「こればっかりは替玉を使って員数を揃えるというわけにいかない。戦争がすんでから、何月何日にいたものが、現在どうして居ないのか? と、そこから派生してくる問題は……殊に歩の悪い講和をするようなとき、これがなんともいえない不利になる。できることなら、ひっ攫ッて湮滅してしまいたいところなんで……あなたのことだから、たぶん無数に複本をつくってあるのでしょうが、憲兵隊でもそれはどうすることもできない。あなたは拷問に屈するようなひとじゃないのだから」
「よくそんなことがわかったね」
「あなたの性格をテストするのが、実は、私の役だったんです。そういう目的でもなかったら、時間と金を使って、益もない収容所巡りなんかするものですか。帝国憲兵隊も荒垣も、それほど酔狂じゃありません」
「君のようなひとが、そういうことを言いだすのはなんだか不自然だね」
 牧田は、暗い顔になって、
「こういうことは、言えるときに言っておかないと、言う機会を無くするものですから」
 そういうと、苦しそうな笑いかたをした。
「おいおめえは、憲兵だろう」
 太田一等兵、丸山一等兵……その後に二十人ばかり、狭い通路で押しあいながら腕組みして立っていた。
「君たちはなんだい」
「おれらはナ、てめえらの眷族に、逆吊しにされたり、懲治棒でぶち殺されたりした兵隊たちの血筋の者だ」
 牧田はいつの間にか坐って両手を膝へ置き、畏まった恰好で頭を垂れていた。
「ちょっと話があるから、デッキまで出てもらいてえんだ」
 山内が割って入った。
「牧田君は現在は憲兵隊の人間ではないので」
「お前は黙ってろ。牧田、どうした」
「行こう」
 うなずいて、牧田が潔く立ちあがった。
 しばらくして、浜田隊の連中がドヤドヤ下艙へ入ってきたが、牧田はそれっきり帰って来なかった。
 山内は重い心で雨のしぶく甲板へ上って行ったが、牧田の姿はなく、隔壁の凹みのベンチで岩永というれいの海軍少尉が白い虹のたつ海を見ていた。
「よく降りますね」
 山内が挨拶をして隣りへ掛けた。岩永少尉は瞳を動かしてチラと山内の顔を見返ると、だしぬけに、
「君についていた男は憲兵だったそうだが、いったい君は、なにをやらかしたんだ」
 とたずねた。咄嗟に返事ができずにいると、
「そんなことはどうだっていいが、君は『ノア』ってのを知ってるかい。ノアの方舟はこぶね、ってやつ」
「なんのことでしょう」
「そんなにびっくりしたような顔をしなくともいい、海軍病院にいるとき、読むものがないので、看護婦の聖書をひったくって読んだが、あのなかの話を思いだして、いま考えこんでいたところなんだ」
「創世記なら、私も読みましたが」
「人間が戦争ばかりしているんで、神さまなるものが嫌気になって、いっそ根絶やしにしてしまえ、大雨を降らして洪水で押し流しちまおうと考えたんだが、種切れになっても困るから、ノアってやつとその一族、牛、馬、種物一式、いろいろと箱船に積ませて助けることにした」
 山内がうなずいてみせた。
「ところで、このノアの方舟は、これでなかなか洒落たもんだと思うんだよ。幽霊に、盗っ人、人食いに、憲兵。牛、豚、鶏、アヒル……選民といったって、これ以上のものはない。こいつらを生き延びさせて繁昌させようという企図なら、神というものは、なかなか油断のならない存在だよ」
 右舷に島影が浮きだし、はげしい雨脚のむこうでぼうと滲んでいた。
 サンダガンは夜で、雨後のほのかな空明りのほかなにも見えなかった。
 山内は舷側に凭れ、久慈隊の後尾が離れるのを、これが自分の生涯で見る最後のまともな人間なのだと、感慨とともに見送った。これから行く島でどういう生活がはじまるのか。たぶん人間の生活のフレームをはずして、家畜か奴隷のレベルまで追いさげられるのだと思われる。それはもうわかっていた。
 サンダガンを出帆してから二日目の正午、ブフルという島の東側の湾へ入った。西側に五百メートルほどの岩山がいきなり海から空へ立ちあがり、船から見ると、青銅の大鐘でも伏せたような奇異なかたちをしている。遠目にもなにかひどく乱脈な海岸のうしろの岩山は、いたるところに暗い谷間が口をあけ、雨季の名残りの霧が屍衣のようにぼんやりとまつわりついている。胸を締めつけられるような、見るからに沈鬱な島だった。
 浜田隊の護送が完了すると、山内は海軍組の十四人と貨物廠の七人と込みに、受領者の大矢少尉の監視付で桟橋へあげられた。
 沖のほうをふりかえると、ノアの一族を運んできた第二神路丸は、浅瀬の海から立ちあがるドロンとした真昼の霧に包まれて船体を霞ませ、島の主計科の兵隊が裾から火がついたような騒ぎをしながら貨物を卸下おろしていた。
 桟橋のあるあたりは、泥深い干潟で、海の中へ澪標みおのように杭を打ち、アタップの、みじめな小屋が、傾いたりのめったりしながらいくつもあやうく載っている。乱雑に切取りされた海岸の泥濘の道には、いたるところに黄濁した水が溜り、塵芥置場には蠅の大群が煙のように棚曳き、えらい羽音をたてて飛び立ったり舞いおりたりしていた。滝津瀬のような七カ月の雨季は、この島にひどい湿気をもたらし、飽和点に達した湿った大気に、精神の源泉を疲弊させる熱病的な熱気が滲みとおっていた。
 集積所といっている、洞窟を利用した倉庫の前から道が二つに分れ、一方は岩山の中腹の、むかしスペイン人の典獄が住んでいた官舎デスパチョ、将校宿舎、将校集会所、附属炊事場などのある平濶な丘へつづき、一方は岩肌に電光形に型付した小径を降り、広い涸沢からさわをひかえた谷底の、いわゆるリザヴェーションへ行く。
 涸沢のまわりに、以前、比島人の流刑徒がいたアタップの小屋が三十戸ばかり朽ち残っている。山内は貨物廠の組へ入れられ、第七営舎バラック第三号というのに住むことになった。長い雨季にそなえて床を高くし、四方、吹きぬけの、内地の物干場のようなかまえで、屋根板が落ちて、屋根桁の間から空が見え割竹を並べた床は穴だらけで、足を踏みこまないようにするのに骨が折れた。
 だらしなく銃を担いだ、脾弱ひよわそうな中年の兵隊や老兵が、無感動な、そのくせどこかシニックな影のある顔つきで、小隊長らしい将校のあとからゾロゾロ谷間へ降りて来、それぞれの営舎へ入ると、なにをする気力もないように寝ころがって午睡をはじめた。
 谷間には無慈悲なまでに明るい陽の光がさんさんとふりそそぎ、物音ひとつ聞えず、この世のものとも思えない異様な静けさのなかで、ひっそりとしずまりかえっていた。

徒刑島 (2)


 翌日、早朝から起されて気合いをかけられたうえ、部隊長宿舎の前の広場で、第二神路丸で着いた百五十二名の受入式があった。
 雨季明けの、炒りつけるような炎天の下へ、一メートル間隔三列横隊で整列させられた。何かあるのかと思っているうちに、三十二三の赤ッ面の大尉が革紐の先に肩章の星形に似た角々のある金具付鞭を持ち、自動小銃を抱えた下士官を連れてヴェランダから降りてきた。
「これから受入式をやる。両手を挙げッ。よしというまで挙げていろ。それまでにおろしたものは銃殺する」
 と怒鳴りあげた。
 山内はできるだけ肱を楽に保って両手を差しあげ、無心の状態になろうと思って眼を閉じると、
「眼をつぶるな、開けろッ」
 と怒鳴られて慌てて眼をあけた。
 のろのろと時が経つ。十分もしたかと思うころ、右手の後列のあたりでつんざくような連射音がひびき、ギャッというみじめな悲鳴が聞えた。それからまた一人。
 立っているだけで体力の極限に達しかけ、眼の前の景色がチラチラし、こんなにまでと思うほど、無量の重さで腕が肩にめりこんでくる。首筋をつたって流れていた汗が冷えびえとしてきて、なんともいえない不快な感触で滴り落ちた。
 もう駄目かと思う瞬間があったが、ようやくの思いで耐えとおし、
「手をおろせ」
 という号令をうつつに聞いた。
 そこへ坐りこまなかったのがさいわいだった。卒倒した若い水兵と囚徒兵は裸にひき剥がれて地べたへ俯伏せに寝かされ、手足を押えられて、金具の革鞭でさんざんに背中を打たれた。囚徒兵のほうはまだしもだったが、水兵の蒼白い皮膚が掻きとられるたびに縞目に鮮かな血が筋をひき、とても見られた光景ではなかった。
 浜田隊の百三十人は、昨夜、相当ひどくやられたのだと見えて、剛腹な面構えの丸山一等兵すら、見るからに弱りきって、立っているのもようようというところらしかった。
 そうしているうちに鍛冶たんや兵が鉄碪かなとこや鉄の足環を持ちだしてきて、囚徒兵の足の鎖付けがはじまった。三尺ばかりの鎖のついた足環を両方の足に嵌め、鎹釘かすがいをハンマーで打ち締める。この作業は夕方までつづいた。
 石黒がどんなようすで出てくるのかと思ったが、その日はとうとう姿を見せなかった。この島には二百七十名の拘束者がいた。満州国の軍教部長だった石原東吉、総務部の二課長だった[#「二課長だった」は底本では「二課長だったた」]石丸弥一郎、新興発の社長の貝塚今朝吉、東方会関係の三十名、中野正剛の東条暗殺計画に参加していた拓殖大学の学生が十二三人、聖公会の幹部、占領地の布教に行く途中、輸送船が沈んで殉職したと公報の出た布教団の五人……そんなひとたちがいた。殺されたことになっている勇二や四朗がひょっとして生きてこの島にリザーヴされているのではないかと、注意して見ていたが、見当らなかった。
 拘束者の二百七十名は三個中隊に編成され、軍隊式の矯正を受けていたが、山内は大矢少尉の二中隊へ編入され、二等兵並の扱いで、翌日から掩蔽壕の掘鑿作業に駆りだされた。
 五日ほどたった午後、作業場でひょっくり大貫に逢った。
 大貫は朝鮮で捕まってすぐこの島へ送られ、一中隊長の中田大尉の従卒をしているということだったが、かくべつ意外そうな顔もせず、山内のバラックの番号を聞いてから、
「ときに石黒に呼ばれましたか」
 と低い声でたずねた。
「いや、まだ」
「あいつがこの島へ来たのは辛かった。私もさんざんやられました。これァ麻疹はしかのようなもんだから、早くすまして楽になったほうがいいですよ」
 そんなことを言って、将校集会所のほうへあがって行った。
 翌日、朝の八時ごろ、今村伍長が山内を呼びにきた。
「隊長が貴様に話があるそうだ。いっしょに来い」
 山内にとって石黒は何者でもない。格別恐れなければならないわけはなかった。この島の一般的な風習で、威嚇するための鞭打ちや足蹴りぐらいなら、義務として受けるだけのことだ。だが、みじめな思いだけはなんとしても溶かしきれなかった。
 今村伍長はヴェランダの階段の下で、
「山内二等兵が参りました」
 といって帰って行った。
 アタップの日除けのあるヴェランダの籐椅子に石黒大尉が掛け、タンブラーでウィスキーを飲みながら、冷笑的な眼つきで山内を見おろしていたが、眠そうに垂れた瞼の間でキラリと眼を光らせると、
「山内君だね。そんなところに立っていることはない。君は賓客だ。どうぞ、どうぞ」
 と下卑た手付で招いた。
 山内は言われたとおり、急な階段をあがって石黒大尉のそばへ行った。
「お久し振りです」
「お久し振りか。よかったね」
 石黒大尉がだしぬけに笑いだした。
「君はなぜこの島へ送られたか、知ってるかね」
「知りません」
「それはおかしい。牧田伍長が説明したはずだが」
「そのことなら聞きました。あなたのようなひとは、島で遊んでいてもらうといいましたが、そのことですか」
「そうそう。それを知っておるなら充分だ。ただし、遊びかたにもいろいろあろうというわけなんだが、それで君はどんな方法でやろうというのかね。それについてなにか考えたことがあるかね」
「ありません。ご指導ねがいます」
「ご指導をね」
 そういうと、拳を固めていきなり山内の顔を撲りつけた。
 拳は真向に口にあたり、山内はヴェランダをよろけ、手摺を突き破って十尺ほども下の地面へ落ちた。唇が切れ、かたちがわからなくなるくらい膨れあがり、前歯がグラグラして、指でおすと上腔にひっついた。
 石黒大尉の無感覚な顔が、こんな生彩を帯びることもあるのかと思われるほど、額際まで生々とした赤葵色モーヴに染り、手摺に掴まって寝ている山内を見おろしながら、
「これから死ぬまでそばへ置いて指導してやる。貴様は生涯おれのツキモノだぞ。そう思え」
 と無意味なことを喚いた。
 山内は熱をだしてバラックに寝ていると、日が暮れてから、大貫がやってきた。
「やられましたね」
「おかげさまで麻疹をすましましたよ」
「それくらいですめば結構ですが、あいつは軍に腹をたてて半狂人セミ・マドネスみたいになっているから、用心なさらないとうるさいですよ。ときに俘虜名簿はどうしました」
「安全に始末しておいた。複本をつくって」
「たぶんそうなさるだろうと思ったから、そのためにも、僕のつくったやつは潔く呈上しました。私がなんのために逃げたか、あいつには判断がつかないもんだから、私は名簿を抹殺する目的で転出したのだと、勝手な解釈をしていました。こっちの胸中がわかったら、これはもう銃殺どころじゃすみませんが」
 二日ほどして山内は石黒大尉付の従卒を命じられた。ツキモノというのはこのことだったかとはじめてわかったが、ああいう手で毎日苛めつけられては命がもたないと、前途不安になった。
 山内はその日から宿舎の裏にある従卒室にいて、朝から晩までめまぐるしく追い使われることになったが、失意のあまり人間嫌いになっている軍人くずれを怒らせまいとするのは、とうていできない業だった。黙っていれば陰気な面だといって打たれ、快活にすると、貴様、おれを軽蔑するかといって蹴られ、どうしても助かりっこはなかった。しかし山内を悩ませたのはそのことではない。泥酔して上機嫌になると石黒大尉は異様な発揚状態になり、火のついた葉巻をところかまわず裸身へおしつけるのと、※(「魚+覃」、第3水準1-94-50)えいの皮で生皮を剥がれることだった。
 鮫の皮は荒いが、※(「魚+覃」、第3水準1-94-50)の皮はやすりそっくりで、この辺の原住民が木目を出して木肌を滑らかにするために使うが、それで顔や胸を一と撫でされると、いっぺんに皮膚が剥げて赤味がでる。機嫌のいいときにかぎってかならずその残酷な遊戯をやり、山内が呻き声をあげるのを手を叩いて面白がった。石黒大尉はどうやらすこしずつ狂いかけているようで、それがいっそう山内の不安をつのらせた。
 こういう異常な生活が、変りなく夏のはじめごろまでつづいた。それでも山内は殺されもせず、毎夜のような将校会食の支度やら給仕やらで、過労と睡眠不足でみすぼらしいほどに痩せ細り、立って動くのが精いっぱいという情けない状態になった。
 貨物廠の連中が持ちこんできた手土産は石黒大尉に珍重されたふうだったが、そのうえどれもみな当りのいいお世辞者ばかりなのでひどく気に入られ、八月の末、定期交代という名目で、中田大尉、岡中尉、榊原少尉、大矢少尉、佐藤主計少尉、古屋軍医補などの将校は涸沢のバラックへ移り、貨物廠組の阪本中尉、高桑中尉、森下少尉、大迫少尉ほか三人が丘の上の将校宿舎へ移ってきた。
 おなじスールー諸島でも本島のバシラン島は、植物が豊富で野菜もよくできるということだったが、この島は海底噴火で海から突きあげた島であるうえ、単斜構造の土壌に乏しい岩島で野菜というものがなく、それでみな苦しんだ。台地の端に百坪ぐらいの唯一の地面がありそこで小松菜のようなものをつくっていたが、もとより抑留者や囚徒兵の口には届かず、一日四百瓦の飯と、ようやく色のついた水のような汁が給与の全部で、みな栄養失調になり、矯正も労働もあったものではなく、囚徒兵は鎖の重さで立ちあがることも出来ない始末で、中田大尉が意見具申して鎖から解放させた。これがこの島でのただ一度のヒューマニティだった。
 その頃、飛行機がビラを撒きにきた。千メートルほどのところをゆるゆると旋回しながら、兵隊の屯していそうなところへ念入りに撒いて行った。
 最初のビラは半紙大の小型新聞で、「落下傘ニュース」と標題があり、〈日本の不沈戦艦「大和」(六万二千噸)を沖繩東方海面で空中爆雷により撃沈した〉というのがトップ記事で、日本の中小都市の空襲の実況写真。アメリカの軍需産業の増大と軍備の強盛。裏面には日本の軍需生産の質的低下と、とても戦争にならぬ飛行機の工作ぶりをグラフで紹介し、下の二段には火野葦平の「海と兵隊」が※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)絵つきで載っていた。※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)絵は中国的だが、印刷は鮮明で、編集も抜目がなかった。なにより誰が読んでも納得するような説得力をもっていた。
 隊長宿舎のヴェランダで中田大尉が対空監視についていたが、アメリカの伝単だと知ると、翌日の会報に、〈押収の伝単は明日会報時までに全部庶務へ一括提出すべし。兵隊の眼に触れぬよう厳重監督を要す〉と書きだした。こんな会報が出たので、アメリカのビラであることが全隊に知れてしまい、禁読の布告のせいで囚徒隊も抑留者もこれはなにか容易ならぬ事態だと感じとり、誰も彼も懸命に拾い集めて谷間へ駆けこみ血眼になって隅から隅まで読んだ。
 戦争が敗け色になっては、流刑徒の島まで食糧の追及があろうわけはなく、四百瓦の飯は二百瓦に半減。汁はもうただの海水で、命がもてずに、毎日、各中隊で五人、三人と死んで行った。
 最初は手足が浮腫むくみ、そのうちに頭まで腫れてくる。指で頭を押すとポコンと指痕が残るようになる。頸は二重にも三重にも括れ、どう見ても人間の姿ではない。なにか珍奇な動物といった感じで、浮腫みが頭からひきはじめると、間もなく意識不明になり、あとは、もう時間の問題だった。
 腹が減るとなにかにつけて猜疑心が強くなり、社長クラスや高等官クラスまでが炊事場へ押しかけ、飯上げ当番の手元に注視していて、
「君は、君の食器と誰々の食器に飯を押しつけて盛った。僕は見ていた」
 と血相を変えて詰め寄り、あられもなく撲りあいをしたりした。
 この苦しみは山内も同様で、見るものはなんでも食べられそうに思われ、餓鬼とはこんなことをいうのかとうなずかれるほど、眼につくものをなんでも食った。桐に似た葉、モンパの葉はアクが強いので三四回よく茹で、蜥蜴とかげは腸をだし、天日に乾かして焼くと、うまくもないがパリパリ音がし、煎餅でも食べているような気がする。陸蟹、渚の魚は焼いたりしていると見つけられて強奪されるので、見つけしだい砂も払わずに丸のまま噛じり、魚は鱗もとらずに生で食う。自分のしているときは気がつかないが、他人ひとがやっているところを見ると、ゾッとするほど無気味だった。
 海岸の集積所にある石黒大尉の倉庫は、かねて抑留者の垂涎の種だったが、身体のいい屈強な囚徒兵たちには耐えられぬほどの魅力で、重刑を覚悟で頻々と襲撃した。石黒大尉は腹をたてて厳重な罰則をつくり、士気が低下したといって、毎朝、太陽の直射する渚に並ばせ、「義心昂揚、士気ノ旺盛、敬礼ノ厳正」を三百回ずつ復習させたがそれでも一向にやまず、見つかったものは罪の軽重によって、半減食、または四半減食(五十瓦)を、一週間から、長ければ一カ月もやられて骨と皮のようになり、眼玉ばかりギョロギョロさせながら死んで行った。捕まったもののうちには、罰の恐ろしさに脅え、手榴弾や小銃で自殺するものもあった。こういう惨憺たる島の明け暮れに、思いもかけぬ急転換があった。それはいい兆しなのか、不幸の濫觴なのか、衰弱した頭では判断がつけにくかったが、ある朝、影さえ見たことのなかった輸送船が寂然たる港へ入って来て、陸軍連隊砲や速射砲、十五糎高角砲、小銃、弾薬とともに相当量の糧食を揚陸した。島の生活に灯がつき、久し振りの飽食で猛烈な下痢をするものも出来、一種の活気のようなものが全隊にわきおこり、なにか運命の新しい展開が来そうな幸福な感じを与えた。

徒刑島 (3)


 十月のはじめ、石黒大尉は少佐に進級し、大々的な編成替があった。
 石黒隊、徒刑囚組二百六十二名は解体されて新たに三個中隊に改編され、阪本中尉が一中隊長、高桑中尉が二中隊長、森下少尉が三中隊長、大迫少尉が部隊長副官に。もとの浜田隊、囚徒兵組百二十七名は細かく三個小隊に分けられて、岡中尉が一小隊長、榊原少尉が二小隊長、大矢少尉が三小隊長。石黒少佐に疎遠されている中田大尉が監察長として無頼な兵隊どもの監察の責任をとらされ、混成独立一三七部隊靖国隊という隊称のもとに、石黒少佐が部隊長として全隊を掌握することになって、即日、地上肉攻、水中攻撃の戦闘訓練が実施された。
 山内は依然として石黒少佐のツキモノで、猫の眼のように変る石黒少佐の「気分」のまま、熱い茶を浴せられたり、蹴られたり、※(「魚+覃」、第3水準1-94-50)の皮の手袋で撫でられたり、ヒステリックにイライラと苛めぬかれていた。
 囚徒兵は、強いもの、狡猾なものだけが野性を発揮して我儘三昧にふるまい、他人の弱味につけこむことに興味をもっているような人間の劣性ばかりだが、なぜか山内にはやさしくし、浅草で相当名の売れた顔役で、軍紀紊乱の廉で六カ月も施錠されていたという太田一等兵は、将校集会所へ通う山内をつかまえて[#「つかまえて」は底本では「つかえて」]
「なァおッさんよ。あんなにされて黙っていることはあるめえ。相談があったら、いつでも乗るぜ」
 などとささやいた。相撲あがりだという脱柵常習者の丸山一等兵は当番室へやってきて、
「山内、相撲にはナ、電光といってナ、一発でガックリといかせる手があるんだ。つまりナ、こういうぐあいにして」
 と、その型をやってみせたりした。
 石黒少佐は島の暑気と単調な生活に倦んで不眠症になり、強い酒をあおりつけては癇をたてていたが、戦闘訓練が面白くなったとみえて狂的な熱意をみせ、傷病兵も頑丈な囚徒兵も見境なくいっしょくたにして、今日は水中攻撃、明日は陸上肉攻と、眼もあてられぬ苛酷な訓練をやらせた。病弱な兵が立つことが出来ず、俯伏せになって長くなっていると、
「立てないのか。立てなけりゃ、死ね。こんど生れるときは、犬に生れて来いよ。兵隊より、犬のほうが楽だからな」
 と罵り、鉄の金平糖のついた革鞭をふるって、その兵の裸の背中から、死ぬまで肉を掻きとるのをやめなかった。
 兵隊たちは、米軍の上陸に備える水際戦闘の訓練だとばかり思っていたが、そうではなく、これでもレイテ作戦に大きく包摂された戦闘準備の一部なのであった。
 昭南シンガポールからマニラへ出てきた南方総軍司令部は、「レイテ作戦完遂」を花々しくうたいあげ、近く総攻撃を開始して敵を海中に蹴落す胸のすくような大会戦をやると豪語し、マニラに集積した軍需品と兵力を惜しげもなくレイテへ注ぎこんだが、はかばかしい局面も見せないうちに、米軍は七個師団の兵を上げ、東方タクロバン、ドラッグ間の戦線を主力として四個師団、北方カリガラ、ピナモホァン地区に約二個師団、南方はバイバイに一個師団を配置して三方面からオルモック攻撃を開始した。
 司令部の予想にかかわらず、戦況は一日ごとに窮迫し、司令部の面目は丸潰れになったので、比島の島々にいる各部隊から勝手に所要兵力と各種要員を抽出して、約一万、一個師団の兵力をこしらえあげ、各部隊へ出動準備命令をだした。
 総軍司令部は最後の勝利を企図して、陸海の戦闘機と船艇をありったけ動員し、これを洗いざらい潰す覚悟で輸送に全力を賭け、十一月の初旬を期して一気に作戦を完了しようとした。流刑囚と囚徒兵からなる混成独立一三七部隊はつまりは、新鋭一個師団の構成の一部をなしているわけなのであったが、予定の十一月が半ばをすぎても輸送船が来ず、マニラから先発した部隊は無事レイテに上陸したという情報もあり、石黒少佐の胸中はこのところいうにいえぬ焦慮でいっぱいになっているところだった。
 十一月の二十二日、筏に乗った十名ばかりの兵が島の東岸に漂着した。「輸送船がやられた」と、それだけしか言わなかったが、ものを聞いてもろくに口もきけず、手が震えて箸も持てず、まったくの廃人同様で、敵機の爆音が聞えると、寝台の下へ這いこんで、
「ああ、死ぬ死ぬ。怖いよう」
 と震えながら子供のように泣きだすという埓のなさだった。
 囚徒兵たちも呆れて、こいつらはどうしたんだと首をひねっていたが、いくらか元気になったところで、実は命からがらレイテ島から逃亡してきたのだと、兵隊だけにこっそりうちあけた。
 その連中の話では、レイテ島の現状はともかくひどいものだった。
 レイテは四国の半分ほどの島で、人口は百万、中央はロビ山(別称マホナガ山)とアルト山を主峰とする六百メートル程度の山脈が屋根になり、北はピナモホァン、カリガラ、南はブラウエン、ドラッグまでの肥沃な平野は、占領前から全ビサヤの穀倉になっていた。
 マニラの軍政部はこの島に望みをかけ、島民を東洋的農耕者の精神にかえすというアイデアのもとに青少年訓練所を発足させたが、それもわずか一年、潜水艦でレイテに上陸した米軍のゲリラ指揮者のために、いつの間にか全島民をヨサッペ(ゲリラ部隊)に組織されてしまい、ゲリラのお見舞を受けないのは州庁所在地のタクロバンぐらいの[#「タクロバンぐらいの」は底本では「タクロパンぐらいの」]もので、ダガミ、ブリ、カポカン、パストラなどは町筋もわからないほど完全に焼かれてしまった。橋はみな落され、道路は伐木の阻塞で歩くこともできない。
 原駐部隊は海岸から二十キロも奥の山岳地帯へ退却。西海岸のバイバイと東海岸のアブヨクの連繋をわずかに肉薄戦法で妨害している程度。北部カリガラ方面は米軍の二十四、三十二師の完全な包囲環にしめつけられて戦意を喪失し、十一月のはじめに送りこんだ新鋭一個師団の大半は、レイテ到着前に海の藻屑になり、辛うじて上陸した部隊はいたるところで袋叩きになって殲滅されてしまった。わずかばかりの残存兵力は、食糧もなく弾丸もなく、丸裸の状態で密林のなかを彷徨しているだけ、米軍に掃蕩される前に餓死する運命になっているというところらしかった。
 こういうなかでも、石黒少佐の将校会食は変りなくつづけられ、缶詰に飽きたといっては、使役の兵補(比島兵)を、細君の顔でも見てこいと家へ帰し、予定した※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)や魚貝の土産を材料にして贅沢な会食をやる。
 今日は洋食だというと、一中隊から大貫が呼びだされ、カツだ、シチュウだと思い思いの注文に応じて、出もせぬ智慧を総動員して、汗まみれになって調理に精根を枯らす。出来あがったチキン・ソテェ、豚カツ、シチュウといった三文洋食を、冷めぬように特製の大岡持へ入れ、山内が監視付で勾配三十度の急な坂を、山の上の将校集会所まで運びあげる。コースの数によっては、少なくとも二十回、多いときは三十回も往復し、すこしでも遅れると、
「遅いぞこらッ」
 と石黒が立ってきて、見ただけでも貧血を起しそうになる※(「魚+覃」、第3水準1-94-50)えいの皮の手袋で、会釈もなく頬の皮膚を剥がれた。
 将校、下士官の毎夜の乱痴気騒ぎは、囚徒兵の五号バラックまで聞え、囚徒兵たちはひだるさと、羨望の念で錯乱し、
「鬼の石黒、蛇の高桑、情知らずの阪本中尉」
 と憤懣を歌にしてうたいまくるが、翌朝、うたったものが探しだされ、全隊、注視のなかで平板の上に俯伏しに寝かされ、阪本中尉と高桑中尉の立会いで懲治棒の三十打を食うのがきまりだった。
 丸山一等兵などは、
「いまに見ろ、敵が上陸してきたら、石黒と高桑と阪本の首を捻じ切って、それから悠々と捕虜になってやる」
 と歯軋りしたが、敵の上陸などはないことで、十二月四日、唐突にレイテ逆上陸の企図が発表され、出発は十二月七日と公示された。
 四日の深更、隣りのジョロ島から、ボルネオのサンダガンにいた久慈隊の千六百名がすこしずつ大発で運ばれてきて、島裏の切取り線で野営した。
 転出予定日の前日、石黒少佐は一三七部隊の四百二十名を中央バラックの前へ集めて訓辞した。
「わが部隊は、明日を期してレイテ島へ出動する。お前らは知るまいが、サイパン、テニアン及び大宮島は完全に奪還した。一度は敵の手中にあったが、陸海空の緊密な作戦と、将兵の奮戦がこのような結実を示したのである。レイテ上陸は敵の最後のアガキで、現在の戦況は、制空権においてわずかに彼に歩があるだけで、空挺隊の急襲、斬込隊の猛攻によって、敵の地上部隊は壊滅に瀕している。わが部隊の上陸によって、旬日中に殲滅し得ることは明らかである。戦勝に明ける昭和二十年の正月はマニラで迎える。その時はわが部隊全員、二階級特進を布告する」
 兵隊たちはレイテがどうなっているか知っているので、てんで耳も藉さず、
「なにいってやがる。生かしておいてよかったろう。立派な員数になったからな」
 とアッサリ笑いとばした。
 囚徒兵たちは、死刑か、網走の無期か、よくいって十五年の禁錮が待っている内地へ送還されるより、レイテへ上って山奥へ逃げこめば、そのうちに戦争も終るだろうと、今から逃亡の計画をたて、かわるがわる脱出組を裏へひっぱり出して、熱心に島の模様を聞いていた。
「レイテって、どんなところだ」
「そうだな、台湾の山奥のようなところだと思えばいいよ」
「山奥へ入ってだな、一人でまァ[#「まァ」は底本では「まア」]三年なり五年なりやっていけるか、ということだが」
「それァやりかたひとつよ。食うものなら、ここよりひどいってことはない」
「そうか。それを聞いて安心した」

出発


 翌七日の午後二時頃、足元から鳥が立つように発進命令が出てトラックで桟橋へ行き、中隊別に編成された。港内に三隻の汽船が待機していた。新光丸は赤十字のマークをつけて病院船に偽装された白塗の五千噸ぐらいの客船で、立山丸と淡路丸はどちらも二千噸たらずの古ぼけた貨物船だった。
 午後四時、久慈隊の千六百名が新光丸へ乗船を開始し、午後五時、乗込みを完了すると、白衣を着た三十人ばかりの傷病兵が甲板のほどよいところへ配置され、新光丸はそれで錨をあげて出て行った。
 石黒隊と浜田隊の四百二十名は立山丸に配乗された。山内が後隊についてゴタゴタと下艙へ降りて行くと、石黒隊の須田という兵長が蚕棚の下段へ大胡坐をかいて大きな声で怒鳴っていた。
「皆よく聞け。お前らは知らねえだろうが、立山丸というのはナ、明治十年に出来た船でナ、かれこれ七十年にもなる日本一の古船なんだぞ。俺の知っているのは十年も前だが、そのときでさえ動けなくなって北海道の室蘭港で繋船していた。こんな笊みたいな古船に五百人も詰めこんで、敵潜のまんなかへ放りだそうてんだ。いくら兵隊の命が安いからといって、こんな扱いをされるわけはねえ。輸送指揮官に一と言いってやる」
 血相を変えて甲板へ上って行ったが、それっきり帰って来なかった。
 驟雨があるのに気温が高く、妙な感じをおこさせる天候だった。ランチが離れてもなかなか出帆しない。毎日、日没前に定時の爆撃が来るので、こんなところでやられるのかとみなぶつぶついったが、どうしたのかその日にかぎって一機もやってこなかった。そのうちに誰ともなく、本船は敵潜と敵機の眼をくらますために時化になるのを待っているのだと穿ったようなことをいいだした。
 比島はちょうど颱風の季節で、とりわけレイテ島の近海は風速四十米ぐらいの颱風が恒例的に吹く。ルソン島の南部から、サマール島、レイテ島、ミンダナオ島にいたる太平洋岸は、船舶がよく遭難する危険な海で、前年も十一月の末に猛烈な颱風が三日も吹きに吹き、タクロバンの海岸は高潮に洗われて数百の倒壊家屋をだしている。
「時化待ちだ。船長がそういっているのを聞いた。敵潜に尾かれたらオシャカだが、時化なら、なんとか助かるあてがあるからな」
 絶対なる敵の制圧下にある海域で輸送作戦を実施しようというには、大きな時化でも期待する以外に成功する見込みがない。
 こんなことから、この噂の事実は信じられるようになり、かえってみなを元気づけた。
 今日、空襲がなかったのは敵側に気象警報が出ているからだろう。ところでこちらは南方のあらゆる観測点を占領され、気象にたいする一切の眼がない。一時間あとにどんな大異変が起るか、それさえ知らない。この季節の颱風にぶつかったらどうする。この海域の颱風のすごさを知っているのだろうかと、山内は不安な気持になった。
 十時頃、また驟雨があったが、すぐあがって星が出た。海面には小波ひとつなく、どろりとよどんで沼の中にいるようだった。
 十一時近く、立山丸が錨をあげてそろそろ港外へ出た。淡路丸がすぐ後についてきた。二隻の輸送船は前後になって航行しはじめた。十二時すぎ、左舷にパラングナンの岬角が見えた。敵潜もなく、哨戒機も来ず、嘘のような平穏な航海で見張員が無聊に苦しむくらいだった。
 そうして八日の朝がきた。風も波もないが、依然として気圧計は下りつづけ、二九・二〇を指していた。
「えらいのが来るぞ。この調子ではもっと下るだろう」
 船橋で気圧計を見ながら、船長が一等運転士にいった。
 西の水平線の壁のように立っていた雲が崩れ、見る見るうちに空いちめんにひろがった。雲の上にまた雲が重なり、いままで輝いていた太陽をドス黒く塗りつぶしにかかった。灰緑色オリーブ・グリーンの雲塊を煙のような薄赤いものが貫き、西の水平線は夜のように暗いのに、東の水平線は赤銅色に輝いていた。風は死んだようにおさまり、海面に魚一匹飛びあがらなかった。
「何度になった。気圧計を見てくれ」
「二九・一〇です」
「こんなに下ったのを見るのははじめてだ。そろそろ警報を出そう。輸送指揮官にそういってくれ」
 船員が甲板に駆けあがってきて、ヤンマーとボートを二重に縛りつけ、艙口を粗布カンヴァスで蔽ってその上へロープをかけた。輸送指揮官の高桑中尉が船橋へ上ってきた。
「いよいよ来るかね」
 船長が振向きもせずにいった。
「すこし大きすぎましたよ。間もなくえらいのが来ます」
 一時間ほどすると、海の上に微光のようなものが漂いはじめ、雲の中でしきりに電光が閃いた。空の高いところに大凧の呻りのようなひびきがきこえ、それがだんだん強くなった。汗の玉がふきだし、音をたてて船橋の床へ滴った。息が詰まるような重苦しさだった。こんな状態のままで十時になった。
「二九ジャスト」
 一等運転士が叫ぶようにいった。
「いよいよおいでなすった」
 船長は汗を拭きながら時計を見た。
「十時か……輸送指揮官、飯上げを繰りあげて、すぐ午食させてください。これから何十時間の間、水一杯飲めなくなるから」
 立山丸の四百五十名は手早く昼食をすませた。温度はいよいよ上るのに艙口を塞がれたので、下艙の兵隊たちは死ぬほどの温気のなかで呻いた。
 太陽は黄銅のような鈍い光を放っていたが、正午をすぎると黒い雲に蔽い隠され、にわかに暗澹と暮れてきた。三十分ほどして、氷のような風がさッと吹きすぎると、静かな海が次第に盛りあがり、黒味を帯びた波の山脈が、海全体が動くかと思うような異様な高まりを見せて大きくうねりはじめた。
 輸送指揮官が船長にたずねた。
「船長、風もないのにどうしてこんな波が立つんだね。わからない話だ」
「風ですか、風なら間もなくうんとすごいのが来ますよ」
 何万噸という重さを運んでくる怒濤が舷を打ち、だしぬけに船の真上で雷の音がしたと思うと、滝のような豪雨が突風に伴って襲いかかった。
「荒れてきたぞ」
 最初の怒濤がきた。のけぞって見なければ頂が見えないような高い波が岩のような塊になって甲板へ落ちかかり、一撃で一番のボートを粉々にし、二度目の波がヤンマーをマッチ箱のようにへしつぶした。狂風が千切り、怒濤が砕いたものを、豪雨が洗いざらい押し流した。風は空からではなく、海から空へ一秒の休みもなく吹き、虚空には幾千万の鞭を揮うような鋭い音が満ちわたって、雨の水飛沫しぶきで三メートル先のものはなにも見えなくなった。
 気圧計は二八・二〇になった。立山丸は颱風圏の右半円の前象限に居り、中心が一分ごとに近づきつつあった。今までの擾乱はほんの前触れにすぎず、風位がいくらか北へ移ったと思うと、猛烈な風が信じられないほどの力で船を吹き飛ばしはじめた。悪いことにはマナイの長い岩礁が右舷に見えだした。飄々と吼える強風と怒濤の晦冥のなかで、刻々にそのほうへ吹きつけられていた。
「荒天浮錨、用意」
 十人ばかりの船舶兵が下艙から駆りだされてきて、太い円材をおなじ長さに切って三角形の巨大な枠をつくり、帆布で包んでロープでがんじがらめにし、波のひいたところを見はからって海へ投げおろした。錨を入れて三角ブイに繋ぐと、浮錨が舳に浮んでようやく船が流されなくなった。
「うまくいきました」
 一等運転士がほっとしたようにいった。
「だめだね。まだ風下へ流されている。前ほどじゃないが」
 船長が暗い顔でこたえた。
 こんな状態のまま、立山丸は翌九日の午後二時まで、二十四時間の間、揉みに揉まれていたが、三時頃になると、大波がさかんに甲板を越えはじめた。浮錨の二本のチェーンが大砲のような音をたてて断ち切られ、一方のチェーンは跳ねかえって甲板に大きな穴をあけた。船長は残った錨を入れさせたが、それも一時間ほどの後に切られ、立山丸は四十尺も高い水煙をあげている岩礁のほうへどんどん流されはじめた。
「このままじゃ一人も助からないぞ。しようがない。思いきって岩礁へ乗りあげよう」
 船長は全速の命令をだすと、
「そこにいる兵隊、後甲板へ逃げろ」
 とメガフォンで叫んだ。
 船舶兵と水兵は一斉に後甲板へ走った。
 五分後、立山丸はえらい勢いで岩礁に衝突した。そのショックで甲板にいたものは総倒れになった。立山丸はいちど岸波に押されて後退したが、すぐまた船底を岩に軋ませながら大きく乗りあげた。船長と運転士の身体が毬のように船橋からはねだし、怒濤のなかへ嚥みこまれるのが見えた。
 午後四時頃になると、颱風は南へ去り、雲が切れて薄陽がさしはじめた。
「青空が見える」
「陽がさしてきた」
 船員も兵隊たちも半死半生で、どれも生きた人間の顔色をしていなかったが、甲板に這いあがってきて青空を仰いだ。

坐礁


 海抜一メートルほどの岩礁が東西に長く伸び、立山丸は船首をのしあげて二十度位の傾斜で右舷へ傾いていた。見るかぎりなに一つ眼を遮るものとてもない※(「水/(水+水)」、第3水準1-86-86)びょう々たる海の面に、颱風の名残りの雲が影を落しながら動いていた。聞えるものは波の音ばかりで、いい知れぬ孤独を感じさせる情景だった。
 全員、飯上げをして生気をとり戻すと、早速海難の状況を調べたが、船齢七十余年の老鉄船はふしぎにたいした損傷も受けていず、満潮を利用して離礁することができたらこのまま目的地へ辷りこめるかのような楽観的な考えを起させた。
 高桑中尉が離礁作業の指揮をとることになり、とりあえず船を軽くするための応急処置として、防材用の丸太や角材を海へおろし、ボートに錨を積んで出来るだけ遠くへ入れさせてキャプスタンをかけたが、船は動かずに錨のほうがあっけなくひき寄せられてきた。十回以上も根気よくやってみたが、定着力が悪く、錨はそのたびに泥の水底をむしりとって帰ってきた。
 海難は最高潮時に起ったのらしく、そういう間にも潮はひく一方で、吃水が一メートル以上もあらわれ、なおどんどん水準が下って行く。このぐあいでは満潮を利用する離礁はとうてい望みなしということになった。
 石黒少佐、阪本中尉、高桑中尉、森下少尉などの幹部が船室に集って会議をはじめた。高桑中尉は、この際、兵員のほうが貴重だから火砲を捨てて船を浮かせようといい、石黒少佐は火砲を捨てたら今回の追送の意義がなくなると主張して議論になったが、夜になるとまた荒模様になり、波がどんどん甲板を越えだしたので、目的論より離船の方法を考えるほうが先決問題になった。
 石黒少佐は、陸地の近いことはわかっている。颱風がすんだばかりだから、当分、時化はあるまい。ボートが四隻、ヤンマーが二隻残っているから、このほうへ二百七十名と兵器、食糧を分載し、あとの百四十名は筏に乗せてボートで曳いて行こうといって、鉛筆で簡単な筏の図を書いてみせた。
「大体、こんな形のもの。豊富に防材を使って完全なものをこしらえれば、到着後、役に立つから一挙両得だ。途中で敵機に発見されたら、これゃもう問題はないがね」
 阪本中尉がその案を支持した。
「それはいいです。いけましょう」
 どういうところから割りだしたのか、百四十人の人間を載せた厖大な筏を四隻のボートで曳いて行けると考えた。帆とオールの力だけでするそういう操作は、静穏な海の上でも困難なものなのだが、誰もみな船から逃げだすことばかり考えて綿密な計算をするものはない。阪本中尉などは、ひょっとしたらそれで船が浮くかもしれないなどと無責任な放言をした。
 十一日は阪本中尉の指揮で朝早くから筏つくりにかかった。囚徒兵のなかから泳げるものを四十人撰びだし、轟くような音をたてて岩礁へうちつけている危険な高波のなかで、防材を集めて結束するという難作業を飯も食わせずに日没までやらせた。
 兵隊たちは一人ずつ鵜のようにロープで胴を括られ、素っ裸にされて怒濤の中に追い込まれた。阪本中尉が監視していて、動作の鈍い兵はひきずりあげて、甲板へ俯伏せに寝かせ、懲治棒でさんざんに背中を撲りつけた。山内は泳げるほうではなかったので、いくども寄波に巻かれて防材の下になり、強く胸を打って血を吐いた。岩礁に叩きつけられたり、材木に挾まれたりして、七人の兵が死んだ。死体はあっさりロープから切り離して沖へ流した。
 出来あがったのは、長さ五十尺、幅二十五尺という巨大なもので、二本ずつ結び合わされた四本の大梁材が軸になり、その上に大小さまざまの材木を並べてカスガイでとめ、板をわたして甲板をつくり、左右の両側に五尺ばかりの柵のようなものまでつけた。帆走する場合を考慮に入れてほばしらにする円材と帆布まで用意し、まずまずこれならどうにかいけるだろうというような見せかけをしていた。
 それで日が暮れたが、毎日の天気癖で、夜になるとまた海が荒れだし、大波が船を揺って竜骨を折ってしまい、舵が風に煽られて船腹に大きな穴をあけ、そこからどんどん浸水しだした。
 夜の十一時頃になると風が吹き募り、繋留してあった筏が綱を切って沖へ流れだした。
「筏が流れたぞゥ」
 見張員が叫びあげ、それで大騒ぎになり、二艘のボートをおろしてひき戻しに行くことになった。
 こんなことぐらいでどうして昂奮したのかわからないが、みなむやみにあわて、怒鳴ったり叫んだりした。浜田隊の兵隊は下艙で眠っていたが、三人ばかりが騒ぎを聞きつけ、なんだ、なんだといいながら甲板へ駆けあがってきた。誰にきいてもろくに返事をしないので、船が沈没しかけ、船員が自分らだけボートに乗って逃げようとしているのだと速断した。
「船が沈むぞォ。おれらを置いてみな逃げて行くぞ」
 丸山という相撲あがりの一等兵が狂気のように下艙へ呼びかけた。
「みんな出て来い。手を貸せ、殺ってしまうから」
 下艙に寝ていた浜田隊の兵隊は、一斉に、
「おうッ」
 と起きあがって銃をとると、口々に怒号しながら甲板へ駆けあがってきた。
「こらッ」
「逃げると射つぞ」
 先頭の二十名ばかりが、端艇架ダビットのまわりにいる下士官をめがけていちどに発砲した。ボート卸方を指揮していた岩永少尉は腿を射ちぬかれ、宙釣りのボートにいた二人の水兵と船員が海へ射ち落された。
 浜田隊の兵はつぎつぎに甲板へ駆けあがってきて八方へ発砲し、後部甲板を制圧したうえ、石黒少佐の船室へおしかけ、責任者を出せと威嚇した。
 石黒少佐は怒声をあげて、
「貴様ら、反乱罪で銃殺するぞ」
 と叱※(「口+它」、第3水準1-14-88)したが、相手にされず、生命の危機を感じて、責任者は高桑中尉だから、いうことがあったら行って穏やかにいえと、あやうく当面を回避した。
 高桑中尉は船室の板壁へおしつけられ、蒼白になってクドクドと事情を説明し、それで誤解だといわれて発揚状態はいくらか鎮ったが、兵隊たちは疑り深くなって一人も下艙へ降りず、甲板に坐りこんで朝まで動かなかった。
 翌朝、石黒少佐は会議を開いて懲罰の審議をし、大迫少尉に調査を命じたが、なにしろ闇夜のことで誰がどうしたともわからず、強硬にでると、再度激発させる恐れがあるので、丸山一等兵他二名に施錠し[#「施錠し」は底本では「旋錠し」]、反乱は不問に附することになった。ところで、立山丸の浸水は午前八時現在で三メートルを越え、船腹の亀裂は船尾から船首まで開裂してものすごい形相になり、強い波に一撃されたら船体が両断してしまうだろうという状況で、一刻も早く人員を離船させなければならぬ危急に迫られた。
 高桑中尉が急々に配乗人員の編成にかかったが、比較的安全な四隻のボートと二隻のヤンマーは部隊長以下の幹部ともとの石黒隊二百四十八名に割振られ、筏には幹部会議から除外されていた中田(大尉)、岡(中尉)、榊原(少尉)、大矢(少尉)、古屋(軍医補)、佐藤(主計少尉)と浜田隊の百二十名が乗ることになり、かねて士官室から孤立していた岩永海軍少尉が指揮官に指示された。つまるところ部隊の異分子と憎まれもの、昨夜、反乱を起した兵隊の全部が筏へおしつけられたわけで、高桑中尉に陰険な方法で復讐された感があった。
 石黒少佐は兵隊たちを甲板へ集めて配乗の発表をし、筏では装備を濡らすおそれがある。兵器は別に運ぶから甲板へ置けと命令した。兵隊たちはそのためにどんな不幸が起るかも考えず、身軽になりたい一心でわれ勝ちに装備を捨てた。
 離船の命令が出ると、浜田隊の兵隊たちは一斉に舷側へ走り、ロープや繩梯子に縋って喊声をあげながら筏へ飛び移ったが、するままに冷淡に放置され、規律も秩序もあったものではなく、眼もあてられない混乱ぶりで、ほとんど半数が海へ落ち、浮き沈みしながら押しあったり蹴あったりした。
 携行の食糧と飲料水は前日のうちに手配されたはずだったが、いよいよになってみると全然なにも用意されていず、四隻のボートと二隻のヤンマーにたいして、おのおの米五袋と缶詰が若干分配されただけだった。筏のほうは論外で、甲板の米と玉蜀黍の袋をいい加減に投げ落して、それで完了ということになった。
 ボートとヤンマーの基本人員はそれぞれの人名表によって乗込みを終ったが、そのときになっても山内の配乗がきまらず、一人だけ船に残っていた。
 山内のほかに石黒隊の兵隊が二十人ばかり、後部の艙口のそばへ酒樽を持ちだし、酒を飲んで騒いでいた。三号艇へ配乗された兵隊たちが、危険を感じて乗艇を拒否し、なんといっても動かなかった。
 山内がいるのを見ると、元技師の大貫上等兵がそばへやってきた。
「山内君、君も残ったのか」
「残ったわけじゃない、残されたんだ。僕は人間の屑で、囚徒兵の員数へも入っていないらしい」
「結構だね。また颱風が来たら、ボートなんかいっぺんだ。船にいるほうが、少しは長く生きのびられるというもんだからな」
 そういうと、ひょろひょろしながら仲間のところへ帰って行った。

筏 (1)


 離船作業が完了すると、石黒少佐は一号艇へ移り、高桑中尉も三号艇へ乗りこんだ。甲板の連中はドッと[#「ドッと」は底本では「ドット」]舷側へ走って行って、
「石黒ッ、おれたちを置いて逃げる気か」
 と揶揄した。石黒少佐は顔を蒼ずませてボートの中で立ちあがると、
「離船命令を棄却して置きながら今更なにをいうか、生きて帰ってきてみろ、重刑に処してやるから」
 と罵りかえした。
 大貫上等兵はふなべりから身体を乗りだして、
「隊長殿、火砲と積荷を犠牲にすれば離礁するのです。経験がありますから、船の修理は大貫にやらせてください。かならず航行に耐えるようにしますから、颱風期の海へボートや筏で乗りだすのは無謀です」
 と熱心にいったが、石黒少佐は相手にならずにボートを離させた。大貫上等兵は、馬鹿者ッと、大喝すると、仲間が持っていた銃をとって石黒少佐をねらって射った。
「大貫さん、つまらない。やめたまえ」
 山内が腕に縋ってとめた。大貫上等兵はなんともつかぬ微笑をうかべて、
「そうだね。つまらない、やめよう」
 と薪雑棒まきざっぽうでも放るように銃を投げだした。
 二号艇の連中はすこし離れたところから見ていたが、山内が船に残っているので、また部隊長の故なき懲治を受けているのだとすぐ了解した。二号艇の責任者の大迫少尉が、
「山内は配乗がきまらんのなら、筏へ行け」
 とわざと石黒少佐に聞えるように命令した。
「そうします」
 山内は大貫上等兵の手を握ると、船尾から海へ飛びこんで筏のほうへ泳ぎだした。振返ってみると、立山丸の甲板では二十人の兵隊が酒樽を叩きながら気ちがいのように踊っていた。
 筏は文字どおり超満員の状態で、立ったきり身動きもできなかった。浜田隊の兵隊たちはこんな偏頗な扱いをされながら、諦めきったような妙に従順な態度をみせ、昨夜の反乱に懲りていかめしく装備した将校と下士官に監視されながら不安な顔で波に揺られていた。
 間もなく四隻のボートが一列に並んで筏を曳きだしたが、調整するものもなく、曳綱の長さもまち々で、途端に筏の前部が五尺も沈んだ。その辺にいた兵隊は頭まで海水につかり、あわてて玉蜀黍の袋や塩のカマスを海へ投げこんだ。一人の兵は、
「こんな筏はだめだ。死ぬなら船で死ぬ」
 と叫び、海へ飛びこんで立山丸へ泳いで行った。
 筏の兵隊たちは不安をかきたてられて動揺し、端にいるものは真中へ移ろうとひしめき[#「ひしめき」は底本では「ひきしめ」]、押しのけおしかえすというみじめな掴みあいがはじまった。
 曳航作業はそれでも三十分ぐらいはつづけられたが、島のある西北方へ進むより筏にひきずられて反対方面に流されるほうが多く、ボートで筏を曳くという計画は問題にもならぬことがわかって嫌気になった。もともと兵隊の命などなんとも思っていない阪本中尉は、
「これァとてもだめだよ。こんなことをしていたって時間と労力を空費するだけだ。あいつらはあいつらでなんとかするだろう」
 と聞えよがしに放言した。石黒少佐は自負心を傷つけられたが、不機嫌な顔で沈黙したきり返事もしなかった。阪本中尉はそれをいいことにして、
「かまわん。綱を離せ」
 と艫の兵隊に命令した。阪本中尉のそばでボートを漕いでいた野中という一等水兵は、
「馬鹿ァいえ。あなたが助かりたいためにあれだけの兵隊を殺すというんですか。そんなことが許されると思っているのか」
 と言うなり、オールを持って立ちかけた。阪本中尉は、
「なにを、生意気なッ」
 と野中の腹へ拳銃をおしあてて無雑作に曳鉄をひいた。野中一水は、
「あッ」
 と絶叫してオールを投げだすと、両手で下腹をおさえたまま海へ落ちこんだ。
 阪本中尉は筏の綱をといて帆をあげさせた。他の三隻もうやむやのうちに一号艇にならい、つぎつぎに西北方へ帆走しだした。
 筏のほうではボートが遠ざかって行くのをだまって見送っていた。近くの島へ人員を揚げたらすぐ収容にくるだろう。こうして何時間か凌いでいればいいのだと考えていた。それにしてもいくらかでも島のあるほうへ筏を持って行こうと、みなでいろいろにやりだした。
 磁石も海図もなく、いまどこにいてどっちへ流されているのか確める方法さえなかったが、円材へ帆布をつけ、綱でひき起して筏の中央部へおしたてた。それでいくらか動くようになったが、筏の縁辺に繋いだドラム缶の浮舟が邪魔になり、進行は遅々たるものであった。
 食糧としては米が七袋に玉蜀黍が十袋、ドラム缶一本の水と酒が二樽のほかに、海水に濡れた乾麺麭が一箱あったが、それはその日の午後のうちに無くなった。すぐ助けに来るものと信じ切っていたので、食糧を倹約することなどてんで考えになく、元気をつけるためと称して、酒を一樽あけて威勢よく分配してしまった。
 山内は酒をもらって飲んでいるうちに、まわりからこずかれて檣のほうへ押されて行った。
 檣のうしろに昨夜の発砲騒ぎで腿を射ちぬかれた岩永海軍少尉と足錠をかけられた丸山一等兵、太田一等兵、吉田二等兵の三人がうずくまっていた。
 ミッドウェー海戦の生き残りで、海軍でいうところの「幽霊」になった岩永少尉は、山内を見ると、
「お前はしぶといやつだという評判だが、なるほど命運のいいほうらしいな。船に残されたから、こんどこそ始末されるのかと思ったら、また生きて出てきたのか」
 と白い歯を見せて笑った。
「お前は無籍なんだな。ちょうどいい、おれの指揮下へ入れ。幽霊同士で、よく気が揃うだろう」
 まだ二十三だということだったが、眼差の穏やかな、深く沈潜した一種の風格を持っていて、相貌はどこか四朗に似ていた。
「ありがとうございます。山内二等兵は岩永少尉の指揮下に入れていただきます。お傷はどうですか。痛みませんか」
 岩永少尉は三種軍装の上着を巻きつけた腿のあたりを見て、
「痛いことはないが、厄介なのよ。もっとうまく射てばいいのに、なまじっかなことをしやがるものだから」
 そういいながらそばにいる三人のほうへ笑いかけた。丸山一等兵は、
「岩永少尉、自分はまったく申し訳ないことをしたと思って居ります。あなたを射つつもりはなかったんで」
 と頭をさげた。
「あやまることはない。よくよく死神に見離されたもんだという話だよ」
 夕方までは穏やかだったが、夜になると颱風気味の強い風が吹きだし、暗い海の上でしきりに稲妻が閃いた。
 真北のほうからうねりの長い激浪が、白い波頭を揃えて息をつくひまもないほどつぎつぎに押しよせ、筏を木の葉のように翻弄した。蒼白い稲妻に照しだされる海面は、見るかぎり白く泡だって、海全体が沸騰しているかと思うような凄惨なようすをしていた。
 高波が筏を襲うたびに、兵隊たちは波を恐れて雪崩をうって右往左往するので、そのたびに筏は平衡を失っていくども転覆しかけた。
「状況が悪くなってきました。こんなことをしていると筏が転覆してしまいます」
「これゃ駄目だな」
「岩永少尉、兵隊が騒がないように命令をだしてください」
「おれが指揮をとると、陸さんの将校がおさまらないだろう。おれは動かないことにきめてるんだ」
「でも、これではとても駄目ですから」
「そうだな。あいつらに殺られる覚悟で指揮をとるか。じゃ、皆でおれを立たせて、すっ飛ばされないようにおさえていてくれ」
「どうなさるんですか」
「おれが波を見て調整するから、山内、お前は命令伝達をしろ」
「わかりました」
 三人の禁錮兵は岩永少尉を檣の下に立たせ、三方から押えつけた。岩永少尉は闇黒の海の上をすかし、高波がおしよせてくるたびに、方向を見さだめては、全員、右へ寄れ……こんどは左だと指図した。
「岩永少尉ヨリ……全員、右ヘ寄レ」
「波を恐れてはいけない」
「岩永少尉ヨリ……波ヲ恐レテハイケナイ」
 兵隊たちは命令に従って浮きあがる側へ移動するようになり、ようやく混乱から救われた。
 そうして一時間ほどのあいだはようやく平衡を保っていたが、そのうちに風はいよいよ強く、うねりが短く不規則になって、調整することがむずかしくなった。筏は波の斜面へ辷りこんでは三十度以上も傾斜し、そのたびに何人かの兵隊が波に攫われた。
「こんな姑息なことをしていてもだめだ。これからどんな荒れかたをするかわからないから、ライフ・ロープを張らせよう。作業班、ライフ・ロープ張り方、急いでやれ」
 山内が命令を伝達した。海兵の作業班がありたけのロープを筏の上に縦横に張りまわした。
「全員、ロープにつかまっていろ。手を離すな」
 山内が必死になって叫んだ。
 そんな状況のうちに第一夜と第二夜がすぎた。

筏 (2)


 漂流の五日目になると、貧血した頭にさまざまな幻覚がわき、誰も彼も現実にたいするたしかな知覚を失い、筏の上は気ちがいのよりあつまりのようになった。ある兵は、早く飯上げをしろと怒鳴りつづけ、またある兵は、立山丸にいるのだと思いこんで下艙へ寝に行くためにウロウロと艙口を探しまわった。正午頃、加納という少年兵がだしぬけに海へ飛びこんだ。
「心配いりません。内火艇を呼びに行くんです。すぐ帰ってきますから」
 笑いながらそういって、懸命に沖へ泳いで行った。間もなく波の間へ沈んでしまった。
 山内も幻影を見た。眠ってはならないと思うのに、ひとりでに瞼がとじ、加州のパサデナあたりの風景が見えた。孝助や克巳といっしょにいた。そうしているうちに、次第に知覚が喪失して行くのに気がつき、非常な努力をして飲み残しの酒を口に含み、それでようやくのことで幻覚から逃れた。
 その夜、太田という兵長が、
「海の上に火閃があがった」
 と叫びだした。
 いくら救助のためでも、敵潜がウヨウヨしている危険な海域で火閃をあげるなどということはあるまいと、普通ならすぐ考えつくところだが、みな頭が弱っているので冷静な判断をくだす力がない。将校たちは狂気のように空へ拳銃を射ちあげたが、もとよりなんの応答もなかった。
 六日目あたりから、自殺するものがポツポツ出てきた。その日だけで後部で十二人、中央部で八人、あわせて二十人の兵隊が身を投げた。
 七日目の朝がきた。夜のひき明けごろ、山内が眼をさますとずっと隣りに寝ていた岩永少尉がいない。立ちあがって筏の上を見まわしたが、どこにも姿はなかった。そばにいた丸山が、
「岩永少尉は陸式の将校に始末された」
 と低い声でささやいた。
 陸軍の将校たちは岩永少尉に指揮されることを喜ばず、最初から命令棄却の態度に出ていた。昨夜、古屋軍医補が治療してやるといって前部へ連れて行ったが、それっきり帰ってこない。たぶん海へ投げこまれたのだろうといった。
 筏にいる将校、下士官は合せて二十名足らずだった。上官と兵というつながりのほかに監守と囚徒という関係にあって、生殺与奪の絶対権を握り、将校下士官は自分らだけでブロックをつくって筏の前部にたむろしていたが、そういう権力の存在が、そろそろ無言の威圧を示しはじめた。
 この六日の間に三十名以上の兵隊が消え失せたが、それでも筏の上にはまだ百名ほどの人間がいた。残った五袋の米にたいしてこの人数はたしかに多すぎた。山内は、これだけの食糧ではとうてい長い漂流は出来ないから、兵隊はいずれ将校や下士官の犠牲にされるのだろうという暗い予想をいだき、檣の下から波のうちあげる筏の後部へ移って古い帆布の下へ入り、なにがあってもそこから動かないことにきめた。
 山内が考える程度のことは、いくらか頭のまわる兵隊はみな考えていて、将校、下士官の動静を監視するようになり、将校、下士官のブロックはまた敏感に兵隊たちの気勢を感じとり、自分らの安全保持のために、これも油断なく警戒をはじめ、たがいに敵意をかくしながら険悪な対峙をつづけていた。
 七日目の夜はまた海が荒れて動揺がはげしく、筏の上の人間はたえず後部から前部へ投げだされるので、みな懸命にライフ・ロープに縋りついていたが、そういう混乱の最中、絶望した十人ばかりの兵隊がみずからの運命にけりをつけるために筏の破壊を企てた。れいの三人の禁錮兵が先になり、とめようとする兵を薙倒して筏材の結束を解きだした。偶然、後部へ行った中田大尉がそれを発見して、
「なにをするかッ」
 と丸山一等兵の肩へ斬りつけた。これで騒ぎになった。
 将校と下士官のブロックは筏の中央部へ進出してきて、その辺にいる兵隊を誰彼なしに殺した。兵隊たちは雪崩をうって筏の後部へ退却し、
「死ぬなら、あいつらもいっしょに」
 と大がかりに筏を壊しはじめた。素手の兵隊たちは筏材の上に俯伏せになり、歯や爪で綱を切った。岡中尉はそれを見ると、
「こら、やめろ」
 と叫びながら刀を振りあげて後部へ突進した。山瀬という中年の囚徒兵が下士官から奪った刀で横合いから、
「やッ」
 と斬りつけた。岡中尉は防暑服の襟を裂かれただけで、山瀬を筏の縁へ追い詰め、こいつといって海へ斬りこんだ。
 闘争は全面的になり、闇の筏の各所でいくつものグループに分れて惨澹たる殺戮の場面が演じられた。兵隊たちのほうは数こそ多いが、武器がないので次第に負け色になり、中央部から後部へおしつめられ、防禦物でもなければ全員が海へ追い落されそうな危険な状況になった。そこで誰かが、
「控綱を切って檣を倒せ」
 と適宜な指示をした。すぐ控綱が切られた。檣は五人ばかりの将校の上に倒れ、中田大尉が下敷になった。兵隊たちは腿を挫いて呻いている中田大尉を円材の下からひき出し、
「よいしょ」
 と掛声をして暗黒の海へ投げこんだ。
「なにをする。こいつら」
 岡中尉と大矢少尉が拳銃で威嚇して追いはらい、高波と戦いながら息もたえだえに筏の縁綱に縋りついている中田大尉を救いあげにかかった。
 それを見ると、兵隊たちは手んでに肋材の切れっ端や鉄のボールトを持って殺到して来、筏の端に俯伏せになっている中田大尉を撲り殺しにかかった。大矢少尉は弾倉にあるだけの弾丸をめくら射ちに射って辛うじてその一団を追いはらった。
「みな集れ」
「ここへ来い、バラバラになっていると、殺られるぞ」
 兵隊たちは嵐の闇のなかで声々に叫びかわしながら、全員が筏の後部へ集結した。
 将校と下士官のブロックは筏の前部へ退って一息入れながら協議した。統帥の機能が完全に失われ、殺すか殺されるかという切実な生存の問題になっている。どんな犠牲を払っても筏の秩序だけは維持しなくてはならない。目的のためには、現状に即して、いかなる方法をとってもよろしい。能うかぎりの強圧を加えて反乱を抑制しなければならないと、大矢少尉が意見を具申し、それで飽くまでも攻勢に出ることになって、唐沢兵長以下十二名の下士官に命じて強圧手段に出るように命令した。
 唐沢兵長は中央部に残っている十名ばかりの兵隊の一団を包囲し、刺してはつぎつぎに海へ投げこみ、這いあがろうとするものは拳銃で射ち、筏に縋りつくものはいちいち指を断ちきって海へ突きやった。
 こんな騒ぎが午前三時ごろまでつづいた。兵隊たちははじめ八十対二十というプログレッション(戦闘係数)を頭において、数でいけばかならず将校、下士官のブロックを圧迫することができると考えていたが、武器がなくてはどうしても勝目がないということがわかり、一応、降参して機会をみてまたやるにしかずという意見に傾き、三人の兵を代表に選んで筏の前部へ謝まりにやった。
 将校団のほうはこんなことで瞞着されるはずはなく、かえって企図の裏を察し、未然に再度の暴発を抑圧することにきめ、ひそかに申合せて唐突に兵隊たちの居住区へ斬りこんだ。兵隊たちは、
「そら、来たぞッ」
 と総立ちになり、銃剣を振りまわし、足をすくって押倒し、咽喉をしめ、組みついて行ってけだもののように噛みついた。大矢少尉は刀を揮って兵隊を斬り倒しながら、
「ゆるすな、徹底的にやれ」
 と下士官たちを督励して歩いた。
 夜が明けると、さすがに疲労して、いつとなく闘争はおさまった。将校は一人も死ななかったが、兵隊のほうは全員の半ばにあたる四十名しか残っていなかった。筏は非常に軽くなったが、それとともに五袋の米と三袋の玉蜀黍……つまり糧食の全部が筏の上から消え、檣に縛りつけてあった酒樽が一つだけ残っていた。自暴自棄になった兵隊の何人かが、将校、下士官にたいする憎悪の念で理性を失い、あいつらを餓死させてやるといって、騒ぎにまぎれて海へ投げこんでしまったのである。この実情は間もなくみなに知れたが、身から出た錆といっても、あまりに覿面で、兵隊たちは絶望して、しばらくはものをいうものもなかった。
 無情な太陽が沈鬱な筏の上にかがやいていた。食うべき米も飲むべき水もなかった。筏はたえず高波に洗われているので、飢えをまぎらわすに足るものなど残っているべきいわれがない。それでも思いがけないものが発見された。大蒜にんにくの入った小さな袋が帆布の間に挾っていた。兵隊たちは血みどろになってひとかけの大蒜にんにくを奪い合った。
 五人ばかりの兵はふかを釣ることを考え、銃剣を曲げてはりにしたが、鱶が噛みつくといっぺんに伸び、鈎の役をしなかった。兵隊たちはみな黙りこみ、後部に蹲まって、なにか食べられるものはないかと熱心に考えた。
 八日目の夕方、飛魚の群がやってきて筏の下へ入りこんだ。兵隊たちは大騒ぎをして二百尾ばかりつかまえた。取るより早く腹を裂いて白子をすすり、魚肉は鱗もとらずに端から鵜嚥みにした。

筏 (3)


 そういう僥倖は二度とは訪れず、将校も兵も胃の緊縮に苦しんで帯革や靴の敷皮を噛み、自分の尿をとって飲んだ。ある兵のは薄くて飲みやすかったが、ある兵のは濃くて辛辣な味がし、どうしても飲めなかった。飲める尿は空缶で受け、早くさめるように海水に漬けておいたが、番をしていないと盗まれるので油断がならなかった。
 九日目にとうとう人肉を食いだした。二宮という一等兵が最初に誘惑に負けた。筏に残っていた犠牲者の臀から肉を抉りとると、波のうちあげるギリギリの端へ行ってみなに背をむけ、叩き肉ハッシュをつくる要領で念入りに叩き、立膝をしたまま、指先で丸めては口へ運んだ。その手続きが山内のいるところからよく見えた。
 四五人の兵隊がそれにならい、三時間ほどするうちに兵隊全部がはじめた。筏の上には十個の死体が残っていたが、そのうちの五つが瞬く間に頭と手足を残して完全に処理され、骨は臓物といっしょに海へ蹴こんだ。
 はじめは二宮の式でやっていたが、さすがに生では気味が悪いのか、波のこない高い肋材の上に並べて乾肉にすることを考えだした。直射する南海の太陽は、みじめな肉片から見る間に水分を蒸発させ、三時間ほどでほどよく乾しあげてくれた。兵隊たちはたがいに背中をむけあい、生干しの魚の乾物を食うように、歯でひき裂きながら、黙々と食った。
 十日目、よく晴れた朝、兵隊たちは夜が明けるのを待ちかねて残った五つの死体の処理にかかり、八時頃まで夢中になって肉屋の仕事に没頭した。筏の後部は爼のように血で真赤に光った。将校下士官のブロックは制止もせずにこの作業を見ていた。その夜はめずらしく風がなかったが、兵隊たちはみな精神的にやられ、何人かがとつぜん立ちあがって筏の端へ走って、食べたものをみな嘔きだした。田能村という一等兵も病的な嘔吐をしていたが、
「これは地獄だ。死んだほうがいい。お母さん、ゆるしてください。ああ、神さま、仏さま」
 と叫び、大声で泣きながら海へ飛びこんでしまった。
 翌十一日目の朝、下士官たちは樽の底を抜いて竈をつくり、火を燃して公然と人肉を焼きだした。こんどは将校も食べた。山内を除いて、これで筏の全員が人肉を嗜食したことになった。
 その日の午後、古屋軍医補が、衰弱して生きられそうもないものは厄介払いをするという規定をつくって全員に公示した。十人ばかりの兵隊がまだ眼をあいているままで海へ捨てられた。
 弱れば海へ投げられるという恐怖が筏の上を支配し、将校、下士官ブロックにたいする猛烈な憎悪に変った。生きのびるためには、先に相手を倒すしかないと、みなひそかに決意した。
 ところで、将校たちに忠勤をはげんでいる下士官の間にも、将校殲滅の陰謀がすすめられていた。今村という軍曹は将校に追従とりいって貴重な酒樽の保管者になったが、陰謀を遂行する準備として、同腹の下士官たちにこっそり飲ませて元気をつけさせていた。それを一部の水兵がかぎつけて榊原少尉に密告した。
 その夜、今村軍曹と西林伍長が酒樽のそばに腹這いになり、竹のパイプで盗み飲みしている現場を榊原少尉におさえられ、即時、死刑を宣告され、手足を縛って海へ投げこまれた。二宮一等兵が刑の執行をひきうけた。
 そのやりかたがあまりにも簡単なので、兵隊たちは激昂した。平野という応召の老兵は後部へ走って行って、そこにあった大矢少尉の軍刀を抜きとり、いきなり将校たちに斬りかけたが、水兵がおし重って軍刀をとりあげ、首を締めて海へ投げこんだ。
 これがキッカケになってまたもや筏の上で殺戮がはじまった。兵隊たちは喊声をあげながら猛然と最後の突撃を敢行した。将校のまわりにいた五人ばかりの水兵が一撃のもとに殺されたが、兵隊のほうもつぎつぎに射たれたり斬られたりして筏の上に倒れ伏した。
 十二日目の朝になると、筏は三十人ほどの人間しか残っていなかった。しかしその半数は瀕死の状態で、丈夫なものは全身に打撲傷や傷を受け、呻き声をあげていた。
 筏には十二匹の魚と一斗足らずの酒しかない。三十人の半数は病人か負傷者で助かる見込みはない。あれらを処分すれば食糧は二倍になると古屋軍医補と岡中尉が考えた。残ったものの命をのばすため、それらを掃滅する非常手段をとることにきめ、その役を二宮一等兵に命じた。
 二宮は、平素おとなしい山内をまっさきに溺らそうとかかって、帆布のあるほうへやってきた。山内はそういう空気を察して警戒していたので、そばへ来た二宮を逆におさえつけて頭を海へ突っこみ、弱ってしまうまで離さなかった。そのつぎに柏という一水が銃剣を持ってやってきた。山内は銃剣をとりあげ、強く腿を突いて動けないようにしてやった。
「誰でも来い。どんなことがあったって殺されないぞ」
 山内の決然たるようすにおされたか、もう誰もやって来なかった。古屋軍医補は命を助けてやるから処刑を手伝えといったが、山内はきっぱりと拒絶した。
 古屋軍医補は山内を放っておいて、抵抗できなくなっている瀕死の兵隊を順々に片付けていった。刑手が臆しかけると、
「残ったものが助かるんだ。馬鹿ッ、ぐずぐずせずにやれ」
 と叱※(「口+它」、第3水準1-14-88)した。
 最初、百四十人がいたのが、こんな風にして十分の一の十五人になってしまった。中部太平洋の荒波は、帆綱に乾燥人肉の小間切れを吊した血だらけの筏を、沈めもせずに漂わした。十五名の残存者は筏を改善して、いくらかでも居心地よくしようとした。山内は後部の柵によせて床のようなものをこしらえ、軍装をひろげて長くなった。波が横ざまに身体の上を乗りこえて行き、そのたびに泡だつ海水を飲んでせた。波除けをつくったり空樽のうしろへ入ったりしたが効果はなかった。
 そういう沈鬱な日がまた幾日かつづいた。人肉嗜食とおびただしい殺人のあとで、みな異様な遅鈍状態に陥り、たがいの顔の見わけもつきかねるような昏迷のなかでうつらうつらしていた。波の音ばかり高く、変ったことといえば時たま鱶が跳ねるぐらいのもので、筏はどの辺を漂っているのか、この十四五日の間、ふしぎなほど船影一つ、機影一つ見なかった。
 筏はあまり厖大で操縦に困難だ。それがすべての不幸の原因になっている。もっと手軽なものに改造して、航行できるようにしたいという考えが以前からみなの頭にあったが、十五日目の朝、狭山伍長が筏の浮揚を助けるため、縁辺につないであるドラム缶を分離して、それで筏をつくったらどうだろうという意見をだした。ドラム缶は浮揚力があって絶対に沈まず、水の上では自重は零に近いので、これに帆を張ったら相当な速力で走るだろうというのであった。
 この案にみなが賛成した。それならたしかに成功しそうだった。ひょっとすると、意外に早く近くの島へ辿り着けそうに思えた。忌わしい記憶がまつわりついている筏を、放棄できるのはなによりありがたかった。それでどうにか動ける七人が最後の努力を試みることになった。山内は動けないといってやらなかった。
 見るも歯痒いような緩慢な作業がはじまった。まず筏のまわりの海を叩いて鱶を追いはらい、縁辺からドラム缶をはずして一カ所へ集めた。作業は十分以上はつづけられず、長い間休まなければならないので、それだけで午前いっぱいかかった。午後からドラム缶の結束にかかり、一列に五個ずつ五段に組んでロープでつなぎあわせたが、たえず鱶が襲撃する海で、泳ぎながら丸いドラム缶を繋縛するという仕事は楽なものではなく、力量がまちまちなので仕事が均等にいかず、ゆるい部分や不完全な個所ができた。
 それでも夕方までにどうやら筏の恰好をしたものができあがった。狭山伍長がまっさきに新しい筏に飛び移ったが、結束が不充分なので、ドラム缶はそれぞれ勝手なほうへ泳ぎだし、大きくあいた隙間から海へずり落ちてしまった。鱶を追いはらって狭山伍長を救うのに六人が精根を枯らした。
 この実験で、現在の体力ではどう努力しても完全な繋縛ができないことがわかり、みな決定的にうちのめされ、寝ころんだり動かなくなってしまった。
 十六日目の正午、最後の酒を分配し、それで別盃をあげた。古屋軍医補は小鳥が水を飲むようにチビチビ酒を飲んでいたが、だしぬけに嗄れた声で、
「グラマンがきた」
 と空を指した。
 空の高みに忘れかけていた「文明」のすがたを見た。敵も味方もない。ただなつかしかった。山内は棒切れにボロ布を結びつけ、みなに後から支えられながら必死に振った。大矢少尉がいった。
「アメさん、どうせ落すなら、筏のまんなかへ落してくれよゥ」
 なるほど餓死するより爆弾でひと思いにやられるほうがいい。それでみな口々に、
「しっかりたのむぞォ」
 と叫びあげた。
 えもいえぬ期待のうちに、グラマンは千メートルほどのところまで下ってきて、ユルユルと筏の上を旋回しはじめた。
「そら、やるぞ」
 しかしなにもやらなかった。異様なまでに厖大な筏と、その上の人間の境遇を見さだめると、冷淡なようすで筏から離れ、担当任務を果すために高度をあげて西のほうへ飛び去った。

 万事は終った。もう死ぬだけだった。焼けつくような太陽の光を避けるために山内はまた帆布の下へ這いこんだ。そこで最後の息をひきとるつもりだった。それにしてもなにか書き残して置こうと、板切れに鉛筆で筏の上の反乱と人肉嗜食の顛末のあらましを書きつけた。檣に打ちつけたいと思ったが、それをするだけの力は残っていなかった。
 岡中尉はあおのけに寝て、
「海へ投げこんでくれ、海へよう」
 と子供のように泣きつづけた。大矢少尉は大切なお守を落したと嘘をいっていくども海へ飛びこもうとした。その実、動かないように自分の身体を肋材へしばりつけているのだった。笑えもしない狂態がいろいろと演じられた。
 次ぎ次ぎに消えるように死んで行き、五日もたたないうちに山内一人だけになってしまった。
 こんな状況のなかで、山内は茫々と空を見て生きていたが、ある朝思いがけなく、一羽のアジサシが筏の上へ降りてきた。
 アジサシは疲労のために飛べなくなっていることが山内にもわかるような、いかにもともしいようすで筏の上をよろけまわっていた。
 山内は仰向けに寝たままアジサシの動作を眺めていた。手の届くところにナイフがある。この鳥を食えば、食って生きのびた日数のうちにひょっとして助かるチャンスが訪れるかもしれない。それはあり得ることだった。しかし山内はそうはしなかった。ナイフを使う力がまだ自分の身体のなかに残っているのがふしぎだったが、これは、そうするように、なにかの力が作用しているのだと思いつつ、自分の生涯でも最後の仕事に努力してとりかかった。
 手の届く腿の膨みをまず、縦に切り裂き、その傷口へ横に刃先を入れ、ようやくのことで一寸角ほどの肉を切りとってアジサシのほうへ投げてやった。アジサシはその肉にとびつき、ひき裂いて嚥みこんだ。
 それから三日の間、山内は自分の腿の肉でアジサシを養った。眼に見えて鳥は元気になり、その夕方、夕陽が雲を赤く彩るころ、みずみずしいようすで筏から飛び立って行った。間もなく山内は蕩然たる眠りのなかで息をひきとった。大洋の波は、人がみなそこで死滅してしまった厖大な筏を揺りあげ揺りさげた。
 嵐が来、それがおさまって月が出たが、筏の上にははや照すべきなにものも残っていなかった。





底本:「久生十蘭全集 ※(ローマ数字3、1-13-23)」三一書房
   1970(昭和45)年2月28日第1版第1刷発行
   1998(平成10)年2月28日第1版第7刷発行
初出:「富士」
   1950(昭和25)年2月号〜4月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「心臓麻痺」と「心臓痲痺」の混在は、底本通りです。
※誤植を疑った箇所を、「定本久生十蘭全集 7」国書刊行会、2010(平成22)年7月23日発行の表記にそって、あらためました。
入力:門田裕志
校正:芝裕久
2020年8月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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