三界万霊塔

久生十蘭





 深尾好三はゆたかに陽のさしこむ広縁の籐椅子の中で背を立てた。
「ひさしぶりに会社へ出てみるか」
 油雑布で拭きあげたモザイックの床と革張の回転椅子と大きな事務机が眼にうかんだ。押せば信号ノーティスが返ってくるパイロット式の呼鈴。手擦れのした黒檀の葉巻箱。とりわけ濠洲以来の古い九谷の湯呑……それらは二十年来の事業の伴侶であり、活動の心棒になる親しい小道具どもだった。
 深尾は丸ノ内仲之通の古めかしい赤煉瓦の建物の中にある薄暗い社長室を愛していた。昭和産業の大脳部であり、気密室であり、楽屋であり、その部屋で営々と今日の富と地位をつくりあげた。どんなに気持の鬱したときでも、一歩、社長室へ入ると酷薄な打算と創意が潮のように心の中におしあげてきて、疲労も倦怠も忘れてしまうのが常だった。
 いくどかおぼえ切れないほど、これが最後だというギリギリの窮境を切りぬけ、人も殺し、ゾッとするような放れ業もやった。浅黒い筋金入りともいうべき身体と、いつも暴れだす用意のある底のすわった眼付で世間に立ちむかい、長い間、人知れぬ苦闘をつづけてきたので風格に確固としたヴァリュウがつき、六十歳を越えていると見ぬける人間はそう沢山はいなかったが、どうしたのか、最近、気持になんとなく違和ができて会社へ出る気もしない。電送通信もロイタース・エコノミック・サーヴィスも帯封のまま脇卓の上に積みあげ、新聞や景気速報は溜塗の新聞いれごとさげさせてしまう。空気のぬけたような、しまりのつかない日を送っていた。
「やられたのかな」
 頬を撫でてみてもかくべつ痩せたとも思えない。万力のような顎は依然として強く張りだし、握力も、むかし南方の海底で、十五ポンドの鑿岩用ののみ棒でダイバーの背柱を突き砕いて殺しまわったあのころと変らない。どこに原因があるのかはっきりしないが、なにかひどく気むずかしくなって、社長室のイメージもいつものように溌剌とした刺激を与えてくれなかった。
「戸田さまが」
「伜のほうか、おやじのほうか」
「ご隠居さまのほうでございます」
「ここへ通せ」
 戸田五平が中風気味の足をひきずりながら広縁へ入ってきた。いっしょに地獄も見てきた濠洲以来の仲間で、終戦後間もなく昭和曹達の専務の役を息子に譲って隠居し、めったに外出もしない男が、どうしたのかスーツなんか着こんですましている。
「すっかりひっこんでしまったそうじゃないか。どうした」
「べつにどうもしない。お前こそどうしたんだ、洋服なんか着こんで」
「これは家の躾でネ。往来なかで卒中でぶッくらけえるにしても、和服じゃざまが悪かろうというんだがネ。ぶッくらけえったら、ざまも体裁もあるもんか。見るほうが損をするだけのことだ。馬鹿な」
 戸田は鯨のような小さな眼をショボショボさせながら籐椅子の肱を打ったが、見当がはずれて拳は膝の上へ落ちた。首が顫え、たるんだ下唇に過去の悪因縁のマラリヤのあとが煤黒く残っている。襟巻をした弱々しい小柄な老人の顔を見ていると、これがあの無法者の戸田かと訝かられた。
「このごろはよくむかしのことを思いだす。よくあばれたからネ。海の底へ三界万霊塔を据えつけたなんてえのは、おれたちぐらいのもんだろう」
「なにをいいだすつもりなんだ」
「まあ、これを見てくれということさ」
 戸田が上着の胸裏を返してみせた。二寸ほどの幅の白い布を縫いつけ、住所と名が楷書で書きつけてあった。
「なんだい、それは」
「これは迷子札よ。いつどこでぶッくらけえっても、死骸だけはジープにもかれずに戻って来るようにというわけ。人間もこうなっちゃおしまいだ。おい、なにか出さないか」
 深尾は隅棚からハート形の黒い罎とタンブラーを出して卓の上においた。
「オールド・パーかネ。これはいい」
 戸田はタンブラーへ四分の一ほどウイスキーを注ぐと、正確な間をおいて秩序立った飲みかたをはじめた。
「今日はなにか用だったのか」
「用といえば用、そうでないといえばそうでないことなんだがネ、こんど法務庁に、人権擁護局ってのが出来たことを知っているだろうネ」
「知っている」
「刑法の第三条に、国外犯で刑法に適用されるものが列記してある。告訴、告発を待って捜査し、起訴されれば日本の裁判所で裁判されることになっているが、法文だけで、そういう判例はまだなかった」
「それがどうした」
「どうしたという質問には答えにくいが、つまりだネ、そういうものが出来れば、これからは大いにそのほうの判例が出るだろうてえことなんだがネ」
「格別そうとも限るまい。そんなことをいうためにわざわざやってきたのか」
「そればかりでない。ともかくさ、戦争というものはふしぎなことをするもんだ。この戦に負けなければ、生涯、内地の風に吹かれるはずのないやつらが、否応なしにリバァテイで送りかえされてくるというんだから。クィーンスランドに抑留されていた木曜島のダイバーもいよいよ帰ってきた。それから山崎仁太や対島の伜なんかも。すこしうるさくなったネ」
「帰るやつはどうしたって帰る。そんなものを気にすることはない」
「お前も受取ったろう。対島の伜が送ってよこした“ダーヴィン日報”の切抜きを」
「受取った」
「モラル・インサニテイ(悖徳性)の犯罪、には恐れいったネ。山崎あたりがネタをやったんだろうが、なかなか徹底していた。ダーヴィンあたりの新聞記者もバカにならんネ。マックスとかいう記者だったが」
「地方検事は問題にしていなかった。新聞記者の空想談だといっていたな」
「内地じゃどうだろうネ。今日、相談にきたのはそのことなんだが、バカな騒ぎをされても困るんだ。いまごろになって十年前の古傷に足をとられるなんてのは、どう考えてもバカバカしいからネ。むかしなら松永でもやって叩き伏せてしまうのだが、このせつは時世が変ってしまって、そんなことをすると藪蛇になる恐れがあるしネ」
「相談というのは」
「だからさ、対島の伜が、山崎あたりを証人にして告訴でもしたら、うるさいことになりはしないかと思ってネ。大笑いなんだが、伜や娘は、おれを高潔なクリスチャンだと思いこんで心から尊敬しているんだからネ。なるたけならボロをだしたくないよ」
「お前もだいぶもうろくしたな。人権擁護局がどうだって、ソロモンあたりのことまで受付けていったら手が廻りきれんだろう。新聞社へ駆けこんだって、十年前の話じゃ、ニュウス・ヴァリュウもなにもない。鼻であしらわれるのが落だ。山崎が証人になるといったって、あいつはもうたいした老いぼれだろう。六十五ぐらいかな。それに、いちど気が変になったことがあるんだから、証人の資格はない。クウンスヴィルの州立病院に当時の診断書があるはずだから、照会すればすぐわかることだ。よけいな心配をするな。放っておけばいいんだ。なにが出来るもんか」
「そうかネ、それもそうだ。お前がそういうなら、おれもその気になっていよう。なにもこっちが先に立ってあわてることはないからネ。余計なことだ」
「君子さんの式は来月だったか。この間、そう聞いたような気がするが」
「来月の十五日だ。麻布のカトリック教会でやる。先方の希望でネ。それまではぶっくらけえらねえように気をつけるつもりだ。じゃ、おれは帰る。近いうちに一度やって来い。なるたけ早いほうがいい」
 深尾は戸田を玄関まで送って広縁へ戻ると、葉巻に火をつけ、庭へおりて地境のほうへぶらぶら歩いていった。


 白蝶貝は真珠貝科の最大な種属で、大きなものは三十センチ以上に及び、貝の内側は銀白色に輝き、殊に真珠母マザー・オブ・パールと呼ばれる「黄金唇ゴールデン・リップ」は最上品で、大きな優良な真珠も多くこれから発見される。第二位は「黒唇ブラック・リップ」、普通に黒蝶貝といわれているもので、黒銀色を帯びた鋼鉄のような強い光沢があり、この貝から黒真珠が出る。「黄唇エロー・リップ」はおおむね貝質が薄く、貝に艶がないので下級品として扱われるが、「黄金唇」と「黒唇」の優良品は一噸千ドルを下廻らぬ高価な商品として、真珠貝採集者に、四十年の間、測り知れぬ富を与えたものだった。
 テイという船員が一八六一年に濠洲のニコル湾で真珠貝を発見すると、白人達は自分で潜水服を着て骨身を惜しまずにはたらき、基地をこしらえ、採集船を改造し、船団を組織して指揮し、事業を安定させ、真珠貝の市場を拡張するというぐあいにたゆまざる努力をつづけて次の日の繁栄の基礎を据えた。濠洲沿岸のシャークス湾、オンスロー、ポート・ヘッドランドなどで[#「ポート・ヘッドランドなどで」は底本では「ボート・ヘッドランドなどで」]小さな帆船ではじめたこの事業は、見るみるうちに盛大になり、世界の真珠港といわれるブルームの町をつくりあげたのち、新しい貝床を追って北濠洲四千万哩の海域へ進出し、チモール海からアラフラ海、木曜島を経てソロモン諸島のマライタ島までの広大な海岸線を小帆船で取巻き、新貝床が見つかったというニュースが風のようにどこからか伝わってくると、あらゆる国籍のラガー船がゴールド・ラッシュのような勢いでその海域へ殺到して行った。
 普通、潜水して働ける深さの限度はだいたい三十ひろ(百八十尺)とされているが、マレー人やマニラ人の潜水夫ダイバーは十尋(六十尺)がせいぜいで、二十尋となると手も足も出ないのに、日本人の潜水夫は少なくとも三十尋は潜り、四十尋のところでさえ自由に仕事をした。
 紀州、潮ノ岬出身のものが多く、非常に勤勉で、なんでもよくおぼえるので、ダイバーといえば日本人のことになり、ブルームには日本人倶楽部までできて千五百人以上の日本人が働いていた。
 これで白人達は自分で潜水する必要がなくなり、ブルームの町の白人区域に美しい庭のついたバンガローを建て、赤いポインセティヤの葉がしなだれかかるヴェランダのハンモックで冷たい飲物を飲みながら貝の値段や真珠の市価を論じて暮すようになった。
 真珠貝採集の事業がとめどもなく大きくなって行くうちに、はじめ潜水夫ダイバーとしてやってきた日本人は、潜水夫から助手、助手から船員と成りあがってラガー船の重要な位置を占め、濠洲の沿岸を航行しながらこの事業のコツを学び、アラフラ海、珊瑚海のすべての貝床、馬蹄螺ばていら床、海鼠なまこの棲息地などに通暁し、契約期限が切れると、世界一流の潜水夫とあらゆる海況に通じた船長が乗組み、白人真珠貝採集者の競争者として堂々と白濠の海域に進出してきた。
 もっとも最初にやってきたのはその連中ではなかった。中古の五十屯ばかりの鰹船を改造してパラオから乗りだした山下徳太郎と吉見五四郎という運転士あがりの素人で、この二人はほとんど同時におなじような思いつきをし、潮ノ岬の潜水夫を三人ばかり乗せ、パラオから十昼夜がかりで北濠の沖へやってくると、海岸から三浬沖合の公海へ錨をおろし、水は深夜こっそり近くの部落から汲み、四月から十月まで、重油と食糧のつづくかぎり白蝶貝を取って取ってとりまくって帰ったが、三井物産で一屯千四百ドルでひきとったので三万円近くのバカ儲けをした。
 この二人の話が内地へつたわると、大小の企業家がパラオへ乗りこんできて、契約期限の切れた濠洲帰りの潜水夫を船長にしてダイバー・ボートの船団を組織した。これがパラオを根拠地にする真珠貝採集事業のはじまりだが、昭和九年から十一年までが全盛期で、山下には南海興発という大資本がつき、吉見のほうは南洋拓殖という国策会社をバックにして花々しくやりだした。もう鰹船を改造したあやしげな機船ではなく、どれもみなスクゥナー型のスマートなダイバー・ボートで、根拠地と現地を連絡する母船までつき、昭和九年の出漁船は百七十隻もあった。
 そのころ深尾好三は、やはり移民法施行前に濠洲へ流れこんできた山崎や戸田と合弁でメルボーン市外の安下宿にたぐまり、競馬ののみやブッキーでカツカツに食っていた。深尾自身はサンノゼのハイスクールを卒え、税関ブローカーの下廻りをやってアメリカ式の成功を夢みていたが、いっこうパッとしたこともない。濠洲のゴールド・ラッシュで一と山あてるつもりでクイーンスランドへ上陸したが、素手では水銀もすくえず、だんだん南へさがってきてメルボーンでとまった。
 山崎仁太は加州大学の薬剤科を出てバアクレーの公衆衛生局の衛生試験所で働いていたが、白人職員の嫉妬やらなにやらで、追いだされるように辞職し、アメリカを恨みながらなんとなく濠洲へやってきたので、戸田五平のほうは名古屋の製陶会社の桑港サンフランシスコ支店の店員だったが、悪い仲間が出来て博奕に手をだし、あっというほど支店の金を使いこみ、いるにいられず逃げだしてきたという次第なのであった。
 山崎は三人の中で一番年長で、前途を苦にして航海中気が変になり、ポートダーヴィンの精神病院へ入れられたというクヨクヨした小心者だが、戸田のほうは商業学校出の店員あがりに似あわぬ悪党づらで、いよいよとなったら街へ出てホールド・アップもやりかねないドキッとさせるような殺気を身につけていた。競馬のないときは下宿のボロに寝っころがり、何年前かの実業之日本やダイヤモンドをひっくりかえし、誰々は千葉県の漁師の子で、小僧から叩きあげた立志伝中の人物だとか、日本屈指の大会社である鐘紡の社長の津田信吾は、ああ見えても貧乏人で、株主名簿のどん尻にかすかに名の載っているくらいだとか、鮎川義介が発明した日本水産の冷凍法は生きているうちに魚を冷凍するのがコツなので、あれは鉄を急に冷却すると分子がそのときのままの状態になっていることから思いついたんだ。われわれだって、頭の使いかたとチャンスによっては、アッというような大仕事だって出来ないわけはないなどと、蒼ずんだ顔で肩息をつきながら気焔をあげていた。
 その思いは深尾もおなじことで、誰にたのまれたわけでもないけれども、いっぱしの成功をしなければ内地へ帰れないという意地のような結情けつじょうがあるが、さればといって、インテリともいわれる身が百姓にまで落ちこむ気はない。それにつけても気にかかるのは領海外の真珠貝採りのことで、最近、パラオくんだりからやってきて、他人の繩張りとスレスレのところで元手いらずの儲けをしていると聞くと、こちらの権利に属するものを眼の前で掠められているようで、いくら同胞でも忌々しくてたまらない。
「この間、南洋庁から視察にきた成瀬って男に聞いたんだが、パラオのダイバー景気はたいへんなものだってな。春光館だの鶴ノ家だのっていう料理屋は、軒の低いトタン葺きの母屋へ、後から後から付け足し建て増し、階段を上ったり降りたり、端から端まで歩くと一町もあるような構えにしてしまったそうだ。ダイバー・ボートが帰るころになると、それを目あての出稼ぎの芸者や酌婦が便船のたびに内地からおしよせる。ダイバーはまたダイバーで、気でもちがったような金の使いかたで、パラオへ引揚げた晩、はじめて逢った芸者を落籍ひかしてそのまま親元へ帰してやったなんて話まであるてえんだ」
「だいぶ怒っているようだネ」
「それゃ面白いわけはない。領海は海岸から三浬まで。日本のダイバー・ボートの就業はその外という規定になっているが、そこは水の上のことで、領海と公海の境に綱をひいてあるわけでない。潜るほうの身になれば、四十尋より三十尋……まあ一尋でも浅いほうがいいんだから、こっそり領海へ入っているにちがいない。政府ももっと手厳しくやりァいいんだ。あいつらはすこしいい気になっているよ」
「ところで、おれは別の話をきいているんだ。つまりだネ、そこが監視船のツケ目なんで、形式的にOL信号(停船せざれば発砲すべし)をあげて、これにりてもう来るなとばかりに、滅茶苦茶に機関銃で射ちまくるというんだネ。パラオ組は泣き寝入り、濠洲側はすっとぼけているから世間には知れないが、なんぞかんぞでずいぶん殺されるらしいな。なんとかいうラガー船は乗組もろとも行方不明になってたが、どうやら撃沈されたらしいというんでネ。いい気味といえばいい気味だ。いくらか溜飲がさがるような気がするがネ、ブルームにいるやつらもすこしどうかしている。ダイバー、ダイバーと大切にされたって、結局、白人の使用人だ。自分で船をだしてパラオ組と張合うような気慨のあるやつがいないのは情けない。そういえば、おれたち三人は濠洲にもう五年いるから、ラガーの許可をとれるわけだネ。領海内の仕事で、岸の浅いところでやれるから楽なもんだ。今年の真珠母の相場は屯千四百ドル、黒貝は千ドル。仕込みの金さえあれば、めいめいが万という金を握れるんだがネ」
「そんな話は癇にさわるからよせ。三人の懐を合せたって十シリングもないくせに。無駄な夢は見ないようにしようよ」
 深尾は苦り切ったが、山崎は昂奮してたずねた。
「仕込みって、どのくらいありゃいいんだろう」
「とりあえず百ポンドもあれァ、カップ・レースで穴をあてて、要るだけぐらいのものはつくれるんだ」
「そうか。諸君には申訳ないが、実はいよいよという場合の命金に、百ポンドだけ隠して持っているんだ。半年で万になるというなら、死んだ気で出すよ。出す、出す」
 山崎が子供のような金切声で絶叫した。


 いかなる悪魔の厚意によってか、見事に賞典競馬の穴をあて、百ポンドが千ポンド余りになって返ってきた。ちょうど季節は十一月、ラガー船隊が休養と来年の仕込みに根拠地へ引揚げて来る時期なので、折がいいとばかりにすぐメルボーンを出発し、濠洲を南から北西へ半周してブルームへ行った。
 船はスミス兄弟商会の「スタア」号という百五十屯のスクウナーを傭船チャーターすることにしたが、肝心の潜水夫のほうがうまくいかない。濠洲人の経営者が一シーズン前払いで百ポンドなどと馬鹿な釣りあげかたをしてしまったので、それ以下ではてんで振り向こうともしない。親ダイバー、子ダイバーという言葉があるくらいで、ダイバーとして育て育てられると、親子同様の関係になり、親ダイバーの死水は子ダイバーがとるもの、潜水病にかかって海に入れなくなると子ダイバーが終生その面倒をみるというような固い結果になっていて、一人が駄目になると誰もうんといわない。弱っていると足立信吾という男があらわれた。
 早いころ脱船し、コロンビヤ河を泳ぎ渡って北米へ密入国したシヤッコ船の運転士で、紐育ニューヨークを食いつめると南海廻りのトランパー(不定期貨物船)の船長になり、象牙棕櫚と白檀の運送をやった後、トレース海峡からガラパゴス諸島、フィジー諸島、ニュウ・ギニアと南太平洋を股にかけ、銃器密売、コプラ、甘蔗、海鼠、※(「王+毒」の「毋」に代えて「母」、第3水準1-88-16)たいまい、極楽鳥。儲けになりそうな商売ならなんでもかまわずに手をだしたという経歴の持主で、そんならひとつ加勢しようということになった。
 どんな訳があるのか日本ダイバー倶楽部から除名されている青木金助という男をダイバーに雇い、助手のテンダー、俗に綱取りともいう送気ポンプと命綱を扱う役に小峰忠、雑役の水夫に君島善五郎と堀幸次。ラガー船の定員になっている十一名を揃え、翌、昭和九年の四月、ブルームを出港してパウモツ諸島の沖で採集にかかったが、南海真珠の能率化された吉見の船団とかちあったため、予期した十分の一の成績もあげられず、七カ月の間働いて全収穫たった四屯という惨状。仕込みに三百ポンド。免許税、消費税、燃料費、船員の給料、食費、その他、一シーズンの費用に五百ポンドもかかったので、貝を売っても差引き四百ポンドの損になった。
 山崎は泣きだしたが、これで止したら死ぬほかないと眼の色を変え、深尾と戸田を叱りつけながら残った六百ポンドで仕込みをし、翌年、季節より早く出漁して貝床をあさっているうちに、マライタ島の水道で新しい貝床が発見されたという情報が入ったので、こんどこそぶちあてたと船を飛ばして出かけて行くと、意外にもパラオ組の船団が一と足先きに来ていたのにはやられた。
 もう潜水夫が入っているらしく、後帆をあげた三十六隻の採取船ラガーが一列になって青い海の上を活溌に移動し、二百屯ばかりのスクゥナー型の母船が、雛をまもる白鳥のようにそのあとから行き、水や食料を供給するランチがラガーからラガーへ火の出るように忙しく走りまわっている。
 こちらの船は見るからあわれを催すような古めかしさで、穴だらけの甲板には貝の悪臭が滲みとおり、帆索ほづなには真珠貝の肉が玉葱のようにぶらさがっている。乾した貝肉は一封度ポンド一ドルで売れるというわけなのだが、そんなものまで計算に入れなければならない詰りかたでは、どうせろくなことが出来るわけはないのに、旧式な手押しポンプしかない老朽ラガー船と新式の機関ポンプを備えた二十六隻の船団では、コントラストがひどすぎて張りあう気にもなれない。
 ともかく船を岸へ寄せて採取にかかったが、その辺の暗礁は両側へ急傾斜しながら深くなっているという性の悪いヤマで、貝はといえば屯三百ドルせいぜいの、運搬費のほうが高くつく黄貝の駄物ばかり。水夫の堀を偵察にやってみると、船団のほうはすごく優秀な貝床につき、十二、三尋の有利な海深で無限に真珠母を揚げているというので、まず山崎が逆上してしまった。
 船長室へ集って、船団を水道から退却させる方法はないものかと、慾と悪意で黝ずんだギラつく顔を突きあわせて相談をはじめたが、基地を持たない船団になにより大切なのは水なのだから、水の手を切ってやるのがいちばんだということになり、それとなくようすを見ていると、船団ではこっそりボートを出して海辺族の部落の井戸から飲み水を汲んでいることがわかった。
「井戸じゃ、やりようがない」
 深尾が投げかけると、山崎は、
「ないなんてことはない。船に防腐用の昇汞があるから、あれをぶちこんでやれァいいんだ」
 とひとりできめ、日暮れを待ってなにか井戸へ仕掛けをしに行った。
 翌日の午後になると、船団の活動が不活溌になり、五隻ばかりのラガーが母船のそばへ錨をおろしてしまった。ようすを聞くと、今朝、九時ごろ二十七人が急死、四十人が危急状態。母船の医者は腐敗蛋白中毒だといって貯蔵の缶詰を海へ捨てさせているということだった。夕方、船団の事務長がやってきて、死体を火葬したいのだが、陸へ上ることができないので処置のしようがないとこぼした。事務長が帰ると山崎が、
「あいつらは屍体をあげて火葬するつもりなんだな。いろいろなことをいうのは、つまるところ、われわれに不合法上陸を黙認してくれという謎なんだよ。同胞のよしみでね」
 と笑った。すると深尾が、
「黙認するもしないも、われわれにそんな権利はない。領海内の密漁が発見されれば、船体と漁獲物は全部没収、密入国者は禁錮又は死刑と法律できまっている。ここには弁務官がいないといったって、守るべきものはちゃんと守ってもらいたいもんだ。同胞の手前、なおさら」
 と洒落にしてしまった。
 そのうちにラガーが弔旗を掲げて母船のまわりに集り、母船の前甲板で告別式のようなことがはじまった。その夜、島の西南の岬の空に火花がうつり、明け方まで見えていた。火葬らしいので君島をやって調べさせると、船団の幹部が七人ばかり上陸して、岬の椰子の中へ火葬場をつくり、こっそり火葬をしたことがわかった。船長は、あれからもまただいぶ死んだらしいから、当分火葬がつづくだろうといっていたが、次の夜も火花が見えた。
 翌朝、海辺族の酋長が独木まるき舟で船へやってきて、村で疫病が流行し、土人がどんどん死ぬからなんとか防疫の処置を講じてもらえまいかと頼みにきた。山崎が承知して酋長といっしょに出掛けて行ったが、三時間ほどして帰ってきた。
「土人たちは火葬にくる船団の連中を襲撃するらしいね。僕、これは疫病でもなんでもない、誰か井戸へ毒を投げこんだものがあると、豚に水を飲ませて実験して見せてやったら、さすがに温良な海辺族も気ちがいみたいに腹をたてていたよ」
 小心者の図太さといった拗ねた調子でいうと、船長は、
「温良なんてことはないよ。人肉を食わないというだけで、あれでなかなか陰険なんだ。七年ほど前、ニュウジーランドのコプラ船の[#「コプラ船の」は底本では「コブラ船の」]乗組をみな殺しにしたことが発覚して砲艦に村を焼かれてから、表面はおとなしくしているが、わかりさえしなけれァ、どんなひどいことだって平気でやりかねないやつらなんだ」
 と恍けると、山崎は悪く落着いて、
「そんなことになったら寝ざめが悪いね。そうまでする気はなかったんだが」
 と煙草の煙を輪にふいた。


 次の日の午後、深尾と戸田がダイバーの青木を連れて島の海員倶楽部へ昼飯を食いに行くと、土人達が「鱶の入江ベー・カム・シャープ」といっている湾のほうで、なにかえらい騒ぎをしている音がした。深尾が青木にたずねると、海辺族は死人を海へ流す習慣なので、葬式をやっているのだろうということだった。
「オボイの入江がやつらの水葬場でして、そこへ投げこむのが儀式なんでね、あれァふかが死体を食っている音なんですぜ。風のぐあいじゃ一哩も遠くから聞えることがありまさ。ちょっと無気味なもんです。行ってみましょうか、すぐそこだから」
 と二人を誘った。
 木麻黄とパンダナスがアーチのように日蔭をつくっているカナカ道を行くと、くような鋭い叫び声が林をつきぬけてきこえてきた。青木は驚いたような顔で、
「今日は生きた人間をやっている。これゃ見ものだ」
 と先になって走りだした。
 そこは十尺ばかりの低い断崖に囲まれた、広く波立つ入江で、独木舟まるきぶねでも並べたように数えきれぬほどの鱶が群れ、浅い水底で魚体をかえすと、蒼白い腹が屈曲光を反射してガラスのようにギラリと光った。沖のほうには二間以上もある大きなやつが円を描きながらグルグルと旋回し、それを十尾ばかりの鱶が黒い影を織るようにして追いかけまわしている。
 入江の向う側の、棚のようになった段丘の上に海辺族の土人が五十人ばかりいて、後手に括った船団の乗組をつぎつぎに入江へ投げこんでいた。人体が空中へ放りだされると、入江の水はいちめんに煮湯のようにたぎりたち、それを受けとめようと、オールでも突きだすように鱶が一斉に六、七尺も飛びあがった。
 水面へ落ちた人体は鱶の背の上で転げ、いちど深く沈んでから鱶の鼻におしあげられ、腰のあたりまで直立した半身を水面へあらわすと、肱から先を食いとられて土偶でくのようになった血だらけの腕を振りながら、なんともいいようのない声で、
「わあーッ」
 と絶叫し、また湧きかえる水の底へひきこまれてしまった。次の人体は入江のまんなかへ落ち、すぐ胴中をくわえられて持って行かれたが、だしぬけに毬のように高く投げあげられ、べつな鱶がひと跳躍して横合いからそれを奪いとると、クルリと魚体をかえして一散に沖のほうへ逃げだした。入江にいるだけの鱶が川のようになって追いかけ、五十間ばかりのところで猛烈な水しぶきをあげながら闘争をはじめた。骨をかみくだくひびきとはげしい水音が騒然といりまじってうしろの密林に反響した。
 どうするだろうと思っていると、船団は予想を裏切っていっそう活溌な動きを見せ、六隻のラガーが船団から分れ、マライタ島の沖の広い海域を移動しながら新規な採取に着手しだした。
 マライタ島は南北に伸びた細長い密林の島で、交通不能のため内部はまったく知られていない。礁湖の中には馬蹄螺や海鼠なまこが豊富にいて、ポリネシア系の海辺族はそれをとって温和に暮している。海岸に近い密林の中にはワラという獰猛な食人種が住んでいるが、性質低蒙ていもうで闘争を好み、この種族の人肉嗜好は有名なもので、人間を「長い豚肉」といって珍重し、食人の回数を小石の数で記録して誇りあう風がある。クック船長の報告の一節に、土人と立って話をしていると、土人らはたまりかねて涎を流し、いくども手で口を拭いたとあり、英国はこの島へ印度の政治犯人を送ってワラ族の食膳を賑わしたという実績もある。
 ワラ族の住んでいる島の東北部は、絶壁性の密林山岳がいきなり海へ逆落しになり、マングローブの林の奥に小さな湾をいくつも抱えている。実はそれが罠なので、知らずに船を入れた白人の海鼠採りやコプラの採集者はそれで帰ってこないことが多い。青木はこの辺の島の事情に通じているので、マライタ島は危険な島ということになって、監視船もめったにやってこないもんだから、いい気になって領海へ入りこんで新しい貝の調査をやっているんだ。馬鹿にしていやがるとむやみに怒りだした。
「足立さん、面白くないじゃないか。こんなナメた真似をされて、ひっこんでいられるかね。めんどうくせえ。ダイバーを四五人おびきだしてワラ族に呉れてやろうか。ほらあの伝でさ。なんだったら、おれが呼びだしに行っていいぜ」
 マライタの環礁は完全に領海内で、もしそこにいい貝床があるなら、望むと望まぬにかかわらず、当然こちらの権利に属するものであり、船団のやりかたはいかにも不当と思われた。山崎はヒステリックになって、
「仕込みの金をだしたのは僕なんだ。こっちの財産を盗まれているのに、だまって見ているやつがあるか」
 と眼を釣りあげた。戸田はニヤニヤ笑いながら、
「まあそうイキリ立つなよ。誰もだまってなんかいやしないじゃないか。船長と青木に任せておきゃいいんだ」
 と、はぐらかすようにいった。
 それはともかく、むこうのダイバーをよんで顔つなぎの飲み会をやろうということになり、青木が船団から来るという返事をもって帰ると、船長は小峰にボートを漕がせて一人でワラ族のいる入江のほうへ出かけて行った。
 午後、船を礁湖に入れて、椰子の間に木箱をつないだ食卓をつくって待っていると、七時ごろ、三隻のボートが夕闇にまぎれて礁湖へ入ってきた。ダイバーを呼んだつもりなのに、上ってきた十人はラガーの船長ばかりなので呆気にとられたが、ちがうともいえないので宴会をはじめた。
 料理は海亀や沙魚のフライ、牡蠣、パパイヤのフレンチ・サラダが出た。船長たちは三月ぶりで陸を踏んだと子供のように喜んで、濠洲ウィスキーとお持たせの正宗をチャンポンに飲んではしゃいでいたが、どうしたのかバカバカしく早く酔い、一時間もすると満足にあぐらをかいているものはいなくなった。ごろごろその辺へころがり、脳溢血の衝撃にやられたように薄目をあけたまま大きな鼾をかいていた。
 翌朝の七時ごろ、船長達がそちらにいるのかと母船から信号で訊いてきた。昨夜、十時ごろ帰ったと返事をしてやると、母船の事務長がランチでやってきて、じつは船長達が一人も船団へ帰って来ないのだと心配そうな顔でいった。それはたいへんだ、探して見ようということになって、足立がいっしょに行って環礁の外側をまわって見ると、入口に近い離礁の岸に三隻のボートが散々に壊されて漂着しているのを発見した。前後の事情から推すと、船長たちは船団へ帰る途中、ワラ族に襲撃されて部落へ連れ去られたと思うほかはない。事務長は礼をいって、沈痛な顔で母船へひきあげて行った。午後になると、船団のラガーが貝床を離れて全部環礁の沖へ集まって来、二隻のカッターを出して綿密にワラ族の入江を偵察しはじめた。
 ワラ族のいる入江はマングローブの密林の中へ水路が迷路のように深く複雑に入りこみ、行きどまりが狭い渚のある円形の密閉湾になっている。水路は中帆のスクゥナーがようやく一艘通れるほどの幅で、いくどもうねり曲るので、先になにがあるのか見通しがつかない。魚群が長く突きだした魚柵について進んでいるうちに、いつの間にかその先の魚袋へ入りこんでいるといったぐあいで、自然らしい見せかけになっているが、よく観察すると、どことなく巧みのあとが感じられる。渚の向うは林で、一筋、細い道をあけ急に高まり、密々と樹叢に蔽われた斜面が円形劇場のようにグルリと湾の周囲をとりまいているので、ワラ族のほうは、密林のどの位置からでも湾の中の船の動静を見おろすことが出来るようになっている。こういう危険な状況を知ったら無鉄砲なことはできないはずだが、船団は夜のうちに入江の沖で展開し、払暁を期して入江へ突入するつもりらしく見えた。
 予想どおり、戦闘は朝の六時からはじまった。最初、四隻のラガーが単縦船形で入江へ入って行ったが、三十分ほどすると湾の奥で銃声がきこえ、二時間ほどつづいて平静にかえった。八時に第二船隊、十時にまた次の四隻が入り、そんなふうに四隻ずつ四回にわたって襲撃を行なったが、入江へ入った十六隻のラガーはとうとう一隻も出て来なかった。夜の八時ごろ、湾のほうで猛烈な火の手があがった。船長は、
「あいつらは証拠が残らないように船を焼いてしまうのが手なんだよ。今日の戦闘は、これでもう誰れも知らない、さ」
 と冷静に註釈をつけておいて、のっそりと食堂へ入って行った。
 威容を誇っていた二十六隻の船団は、母船とも十一隻になってしまったが、それから間もなく、船団の代表者の対島利吉が息子だという十二、三の子供を連れて遊びにきた。深尾たちの寛容を大いに徳としているらしく、紀州弁で長々と素朴な挨拶をしてから、こんどの出漁ははじめからケチがついてえらい失敗をしたが、奇妙に貝床だけはアタリがよかった。いまいい床についているが、なんだったらいっしょにかかってくれと意外なことをいい、一時間ほどいて帰って行った。
 翌日の朝、船団の母船のそばへ船を持って行くと、調節弁付きの新式の潜水服をランチで届けてよこした。青木はさっそく貝床についたが、間もなく三十センチもある、ほぼ円形の見事な「黄金唇ゴールデン・リップ」をあげてよこした。最上品のサンプルになって見本陣列所に出ているエキストラ・マキシマという薔薇色真珠の出る真珠母で、相場の変動があるときでも、この種は屯二千ドルから下ったことがない。
 深尾も戸田も酔ったようになり、山崎は汗をかき、燃えるようなうれしさをおさえているふうだったが、いくらも貝を揚げないうちに青木が仕事をやめてあがってきた。
「どうしたんだ」
「咽喉から手の出るほど欲しいものだって、ああ沢山あっちゃうんざりだ。ダイバーを百人入れてせっせと三シーズンやったって採りきれやしないよ。金がナマで出ている鉱脈みたいなもんさ。死ぬまでアラフラ海の底を這いまわったって、運がなけれゃあんな貝床にぶつからない。あれが他人の宝だと思うと、気が悪くて働くのがいやになった」
「そりゃまったく気の悪い話だ」
「採らせてもらうのはありがたいが、この一シーズンだけなら、いっそ採らせてもらわないほうがいい、てなもんだ。そうじゃないかね、深尾さん。空ッ腹に鰻香まんこうさ。罪な話だ」
 山崎は憑きものがしたような眼付になって、
「青木君、その貝床、こっちへ取っちまう方法はないもんかねえ」
 と、うわずった声でいうと、青木は笑いながら、
「山崎さんは徹底してら。正直でいいよ。取るほうは知らないが、捨てるほうの話なら知っている。貝床の谷へ梭魚かますが坐りこむと、どんな貝床でも捨てるよりしょうがない。この辺の梭魚は七尺もある大梭魚で、のみ棒みたいな長い嘴をしごいて矢のように飛びついてくる。それで腹でもやられたら、いっぺんに腸をえぐりだされてしまうんでね。ダイバーにはこれより恐いものはないのさ」
「君はなんの話をしているんだ」
「だから、梭魚の話さ」
 翌朝、貝床につく時間になると、青木が五貫目もあるような鑿岩用の長い鑿棒を担いで甲板へ出てきた。潜水服を着て潜水帽を冠ると、舷梯を降りて後向きに半身を沈め、小峰から鑿棒を受取って透明な水の中へ沈んで行った。
 三人が舷側へ並んで見ていると、海底へ着いた青木の歩くとおりに気泡が海面を動きまわっていたが、そのうちに気泡の列が船団のダイバーのいるほうへまっすぐに向いて行った。
 鉄の鑿棒が梭魚の代用とはとんだ思いつきだったが、次の日は戸田がやり、その次の日には深尾がやった。就業しているダイバーの背骨をちょいと突いてやるだけで簡単に死んでしまう飽気なさで、情景がまた薄明りの中に万物がゆらゆらとゆらめく冥土の昼景色といったぐあいなので、自分のしていること自体が夢幻のようで、人を殺しているといった実感は全然なかった。
 深尾が船団へお悔みに行くと、対馬が精がつきたらしく、こらしょうがなくなって愚痴をこぼした。梭魚のせいばかりでもないだろうが、せっかくの貝床を放棄し、船団を連れて外水道のほうへ行ってしまったが、後で聞くと、領海へ入って監視船に銃撃され、母船とラガーは没収。親子もろともソロモンの政庁所在地フロリダ島のツラギ監獄へ収容されたということだった。
 深尾と戸田は採るだけ採って一と財産つくると、真珠貝の値下りを汐に内地へ帰った。深尾と戸田の今日の資産は貝殻から叩きだしたものが基礎になっていることはいうまでもない。蛤は蜃気楼を吹きだすというが、このほうは夢ではなかった。戦前、戦中、戦後を通じてただの一度も躓かず、成功はその都度大きくなり、優越感は満足させられ、財豊かに身安らかに、悠々たる晩年になった。
 山崎のほうはむかしの夢が忘れられず、また一屯千四百ドル相場にかえることを信じて貝床にしがみついていたが、日米開戦後、濠洲軍に捕まってツラギで苦役をしていたらしいが、終戦後、対馬の長男といっしょにラバウルのキャンプへ送られてきて、炊事場の使い番のようなことをしていたと、早く帰った復員者から聞いた。


 年はじめは春のようだったが、三月に入ると寒い日がつづき、春とは暦だけのことで、咲きかけた庭の海芋かいうの上に出戻りの冬がぐずついていた。
 深尾は葉巻きの煙を唇の端でころがしては吹き、樹牆じゅしょうに沿って築山のほうへ歩きながら、ふと、
「そういえば濠洲はいま秋だ」
 と独り言をもらし、もう何年も思いだしたこともない濠洲のことがどうして頭にうかんだのだろうと、足をとめて考えだした。
 メルボーンの気候の変調は有名なもので、三月は濠洲の秋だが、一日のうちに夏と冬がある。霜がおり、寒いなと思って庭を見ると、芙蓉や海芋が咲き乱れ、正午になると七十四度ぐらいまで温度があがる。妙な寒さと海芋の花の色が連想を誘ったのだろう。そういえば、濠洲ではよく気候不順にやられ、ちょうどこのごろのような無力感に襲われたことがあった。
「なるほどそのせいだったんだな」
 たしかに気候のせいらしい。得体の知れない違和の原因をつきとめると、急に晴れ晴れした気持になった。
「そうとわかれば、落ちこんでいることはない。明日から会社へ出よう」
 それにしても戸田のやつはひどく老いこんだものだ。もう長いことはあるまい。娘の結婚式を見るぐらいがせいぜいだろう。
「三界万霊塔か。馬鹿なことをいつまでもおぼえているもんだ」
 戸田のいうとおり、自分らが殺した人間を嘲笑するような、あんな乱暴なことをしたのはわれわれぐらいのものかもしれない。
 ブルームの町の日本人墓地に、五尺もある石の五輪法界の万霊塔が建っている。盂蘭盆うらぼんの夜、さんざんに飲んで酔ったあげく、戸田が、
「この石の卒塔婆はいい恰好をしているじゃないか。あいつらも海の底で淋しがっていると可哀そうだからネ、これとおなじやつをこしらえさせて、貝床のそばへおッ建ててやろうじゃないか。三界万霊塔が十二尋の海の底に立っているなんて想像しただけでも詩的だネ。こんなものであいつらを慰問できたら安いもんだからネ」
 と、ふざけた思いつきを披露した。
 深尾も山崎もむやみに笑い、ぜひやろうということになって、日本人の石屋に同じものを注文し、次のシーズンに現地へ運んで行って、甲板で卒塔婆を挾んで記念撮影をしたうえ、青木が貝床のそばの岩棚へ据えつけてきた。
 戸田はあまりいい気になったむくいで、過去の罪の記憶に脅えて飛んできたが、山崎と対馬の伜が帰っていることなら、深尾はとっくに知っていた。山崎は小さく萎び、髪も薄くなり、襤褸にくるまった二十日鼠といったあわれなようすで、対馬の伜のほうは、びっくりするほど身丈が伸びたが、父親そっくりの一徹な顔に土埃と垢をつけ、救いようのない落伍者のタイプになりさがっていた。
「誰のせいでもない。どうせ駄目なやつらだったんだ」
 なにか食べながら、濠端を歩いている二人のすがたを車の側窓からチラと眺め、「持てる者は与えられ、持たざるものは奪われん」という聖書かなにかの文句は、たしかに人生の真理をうがっていると、思わず苦笑をした。
 戸田のあわてかたは例外だが、深尾にしても遠いむこうへ押しやっておいた過去の亡霊が、思いがけないころに舞い戻ってきたことに無関心だったわけではない。国外犯が時の問題として熱心にとりあげられている際だから、告発の告訴のとバタバタされれば、案外な怪我をするかもしれない。あらゆる場合を想定して、打つべき手は落ちなく打ち、いずれ山崎か対馬の伜か、どちらかがおしかけてくるのだろうと、どこから突いてきてもビクともしないだけの堅固な心も用意もした。恐れることも脅えることもないのだ。
 対馬の伜は大いに恨んでいるのだろうが、あの不幸をわれわれのせいだと考えているならチト迷惑だ。人を殺すということも、事情によっては、どうしても避けられない場合もある。
 濠洲時代は、生きるか死ぬかの境だった。刀の刃のような鋭い窮乏の中にいると、どうしたって社会を戦争のように見なければならない。生きるためには、偽り、苦しみ、嘘をつき、弱いものは突き倒して、一日一日を戦って行かなければならなかった。ラガーで海へ乗りだしたのは、三人にとって、人生をとるか捨てるかという必死の試みだった。
 またあの時は、自分の未来を捨て、その日のパンにも事を欠く、陰鬱なメルボーンの生活にかえり、結局は落伍者の群に入るか、それとも犯罪によって希望のある生活への道を開くか、二つのうちの一つというギリギリの場合だった。人を殺してはいけないという内心の声を聞く一方、かまわないからやれとうながしてやまぬものがあった。
 ところで、力の強い偉大な人間は、やれとかやるなとか、内心の声などに邪魔されず、思い立った目的のためにそんなものは平気で振り落してしまうのだ。
 自然界では、見えないところで無量の殺し合いをしているが、かつて刑罰を受けたことがない。われわれがマライタ島でやったことの百倍もひどいことをして、なんの改悔もなく、後生安楽な月日をゆったりと送れるというのはいったいどうしたというわけか。いうまでもなく、良心や、ちっぽけな内心の声にめげず、自分のしたことは、それがなんであろうとみな正しいという悟りの中から無限の力をひきだすからだ。良心であろうと神であろうと、自分がひそかに頼っているものを敵に見破られたら、そこを突かれて倒されてしまう。
「お客さまでございます」
「誰だ」
「おはじめての方でございますが、お逢いすればわかるとおっしゃっていらっしゃいました」
 とうとうやってきたか。老いぼれのほうだろうか、若いほうだろうか。どちらでもかまわない。いっそお待ちかねだ。
「わかっている。広縁へ通せ」
 深尾は広縁から座敷へあがると無関心な顔で椅子に掛けた。
「コニチワ。深尾サン、とうとうお目にかかりました」
 思いきって意外な人物があらわれた。縁無しの近眼鏡をかけた、素朴な顔つきの二十五、六の外国人で濠洲兵の軍服に白のスパッツをつけ、手に持っていた、ボーイのような鍔広帽子を隅棚の上へ置くと、ニコニコ笑いながら手を差しだした。
「お忘れはないでしょう。わたしコックスです」
「あ、コックス君」
 愛想のよさに釣りこまれて思わず握手をしてしまったが、どこで逢った青年か思いだせない。見たような顔でもあり、そうでないようでもある。コックスのほうは深尾がおぼえているものときめこみ、長い脛を倒すようにして椅子に掛けると、まだ少年のおもかげのある優しい口元に微笑をうかべながら、勢いこんでしゃべりだした。
「わたくし、トオキヨオへ着くとともに、あなたの名前、友達に言いましたら、すぐ、わかりました。あなたが、こんな有名なひとになっているとは、わたくし考えておりませんでした」
「君はたいへん日本語がお上手だが、どこで習ったのかね」
「わたくし、ツラギのキャンプの隊長をしているとき、日本人に習いました」
 ツラギ……畜生、あいつなんだ。対馬の伜から材料を貰い、マライタのゴタゴタを書いた「ポート・ダーヴィン・ジャアナル」の新聞記者だ。さっき戸田もいっていたが、あの記事にはたしかにマックスと署名してあった。
 失敗ったと思うと、急に心が波立ち、顔色が変るのが自分にもわかった。
神の如き一撃ゴッドネス・ストライク」とでもいうべきか。山崎と対馬の伜にたいする心の準備は完全無欠にやっておいたが、よもや、こんなやつがやってくるとは想像もしなかった。こいつにたいする気持の用意は全然していなかった。急いで立てなおさなくてはならない。下手なことを言って尻尾を掴まれたら、えらいことになる。軽く見ていたが、聞いた話ばかりでなく、現地へ行って証拠を集めて持っているのかも知れないのだ。なんといっても新聞記者だ。たしかに手強い相手にちがいない。こいつがムキになってやりだしたら、絶対に助からない。いままで営々と積みあげた、富も、地位も、事業も、家庭も、一気に抹殺され、一介の殺人犯となりはてる。
 尻の下で椅子がだしぬけにグッと沈み、額に脂汗が滲みだしてきた。耳のうしろへ手をやると、血管がドッドッと脈をうっている。大切な破目だ。沈静になれ。落着け。
「マックス君、君にはいつかお世話になった。よくおぼえているよ」
 精一杯に打ちかえしたつもりだったが、マックスは軽く笑い流してしまった。
「そんなことはありません。お世話になったのは、わたくしでございます。それに、わたくしはコックスです。マックスではありません」
 いくらでも恍けていろ。こっちだって必死だ。そのうちにかならず肚をさぐってやる。どの程度までやるつもりか、吐かしてみせる。
「マックス君、日本の印象はどうですか」
「それはでございますね、生まれてはじめて雪の降るのを見たこと。自分の国のブルウ・マウンテンの頂上にある雪は見ましたが、空から降る雪……そうして地面につもる雪……ユキフリですね、あのときの強烈な印象は死ぬまで忘れないでしょう」
 いつまで出鱈目をいっているつもりなんだ。どうして早く切りださない。こっちはじりじりしながら待っているのに。
「それはいい経験だったね。感慨もさぞかしでしょう。しかしだね、そんなにまではぐらかすことはない。早く問題の核心に触れたらどうだ」
 マックスは麻色の睫毛をおしあげてじっと深尾の顔を見ていたが、すぐ笑顔になって、
「そうです。あの問題をもっと早く申すべきでした。トダさんのお嬢さんと結婚いたしますこと、ご報告にあがりたかったのですケレドモ、あなたはご病気だそうで、今日まで遠慮しておりましたのです」
 戸田の娘がどうしたというんだ。結婚ってなんのことだろう。頭の中を圧力のある丸いものが転げまわり、耳の中がブンブン鳴って、考えがまとまらなくなってしまった。マックスはなにかいっている。
「メルボーンにわたくしが少年でおりましたころ、あなたやトダさん、またヤマゼキさんのいる国のお嬢さんと結婚するなどと考えたことはありませんでした。ふしぎなご縁でございます。わたくしの家に泊っている間、みなさんいつも競馬へ行きましたね」
 深尾はムラムラしてきて、いきなり怒鳴りつけた。
「よせよせ、恍けるな。早く噛みついて来い。おれが恐れているとでも思っているのか。これでもマライタの海の底で、五人からダイバーを殺したこともある男なんだぞ。てめえがなんだ」
 マックスが心配そうに深尾の顔をのぞいた。
「深尾さん、あなたオカゲンが悪いのではありませんですか。女中さんを呼びましょう。お顔の色が悪いです」
 深尾はマックスの顔を手で押しのけると、矢庭に部屋から走りだした。どこかに万霊塔を囲んだ五人の写真があったはずだ。あれを見せてやらなければ死んでも死にきれないような気がし、奥の居間へ行って手箱をひっくりかえしてその写真をさがしだすと、息せき切って広縁へ駆け戻ってきた。いきなり写真を卓の上に投げつけ、
「おい、マックス、おれを告訴するんだって。証拠があるのか。あるまいね。証拠、証拠というなら、せめてこれくらいのものを集めてみろ。この石塔はマライタの貝床の十二尋の海の底の岩の上に立っているんだぜ。行って見届けて来い。文句があるならそれから聞こう。さあ、潜れ、潜って見て来い。ほらすぐそこに見えるじゃないか。おい、潜れったら」
 そういうと、白眼をだしてマックスの顔を睨みつけた。マックスは後から深尾の肩を支えながら、
「女中サン、女中サン、早く来てください」
 と奥のほうへ向って叫んだ。





底本:「久生十蘭全集 ※(ローマ数字3、1-13-23)」三一書房
   1970(昭和45)年2月28日第1版第1刷発行
   1998(平成10)年2月28日第1版第7刷発行
初出:「富士」
   1949(昭和24)年6月
※「クィーンスランド」と「クイーンスランド」、「ウイスキー」と「ウィスキー」、「スクゥナー」と「スクウナー」の混在は、底本通りです。
※誤植を疑った箇所を、底本を親本とした「十蘭レトリカ」河出文庫、河出書房新社発行の表記にそって、あらためました。
入力:門田裕志
校正:時雨
2017年9月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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