青髯二百八十三人の妻

久生十蘭





 前大戦が終った翌年、まだ冬のままの二月のはじめ、パリの山手のレストランで働いているジャンヌ・ラコストという娘が、この十カ月以来、消息不明になっている姉のマダム・ビュイッソンの所在をたずねていた。スペインの国境に近いビアリッツにいる姉の一人息子が失明したという通知があったので、大急ぎで知らせなければならないと思ったのである。
 心あたりというほどのものはなかったが、前年の夏、休戦の二カ月ほど前、偶然、あるキャフェで姉と落ちあったとき、アンリ四世のような見事な顎髯あごひげをはやした五十二三の紳士に紹介されたことがあったので、もしやと思って、そのほうをさがして見る気になった。その紳士はたしかアンドレ・シャルクロァといい、ヴェルサィユ市の南のガムベェという村に別荘があるというようなことを聞いた記憶がある。
 それで、とりあえずガムベェの村長に宛てて照会の手紙を出すと、折返して返事があった。そういう名の人物は居住していないが、手紙の趣にある風采ふうさいとし恰好からおすと、三年前からトゥリック氏所有の別荘「エルミタージュ」を借りているラウール・デュポンのまちがいではないか。猶、ラウール・デュポンは去年の暮に来たきり、その後、一度もやって来ないと書いてあった。
 姉の消息を聞きだせるかと思っていたその当のひとまでが所在不明になっている。ジャンヌは考えにあまって、ガムベェの村長の手紙をもって警視庁の人事部へ姉の捜査をねがいに行った。
 前年の十月、馬鈴薯袋や防水紙の遮閉幕の蔭で息をひそめていた巴里が、やっとのことで四年という長い暗黒生活から解放されたが、治安状態はまだ闇のままであった。
 敏腕な部課員はすべて前線に駆りだされ、捜査局は防諜事務に専念し、各区の自警団とわずかばかりの老年の臨時警官の手で辛うじて治安の最後の線を保持していた状態だったので、捜査局の文書箱には三百件に及ぶ家出人、失踪者の捜索願が積みあげられたままになっていた。
 捜査局長は、名探偵といわれたゴロンやギュスターヴ・マセェの弟子のガッファロだったが、三年来、フリードマンという男の捜査請求に手を焼いていた。フリードマン氏の細君の妹にあたるアンヌ・クゥシェという未亡人と当時十七歳になっていたクゥシェ夫人の息子のアンドレェが四年前に消息不明になっている。失踪すべき理由がないのだから、ぜひとも捜査してもらいたいというのである。
 戦前でも、人間の片脚や胴体が、一と月に一つや二つはセーヌ河に浮きあがるのはめずらしいことではなかったが、治安のゆるんだ戦中だといっても、四年の間に三百人の失踪者はなんとしても多すぎる。どうも異常だとガッファロも考えていた。
 ジャンヌの捜査願が人事部から捜査局にまわってきた。ガッファロが眼をとおしてみると、クゥシェ夫人の失踪になにかの関係があったと思われているレーモンド・デァールという男の人相にそっくりである。レーモンド・デァールとラウール・デュポンとアンドレ・シャルクロァは、ひょっとすると同一人物かもしれないと考えられるので、ガムベェへ部員をやって、三月の末まで「エルミタージュ」を見張らせたが、ラウール・デュポンなる人物はとうとう現われて来なかった。
 復活祭も近づいた四月一日のよく晴れた午後、ジャンヌ・ラコストが宝石商や婦人服屋が並んでいるリュウ・ド・ヴォリの歩道を歩いていると、ついそばの店から二十七八の美しい婦人を連れたアンドレ・シャルクロァが出てきて、ゆっくりとコンコルドの広場のほうへ行った。
「たしかにこのひとだった」
 と、ジャンヌはつぶやき、ひと時、呆然ぼうぜんと二人のあとを見送っていた。
 顎髯はなかったが、青とも灰色ともつかぬうるんだような一種独得な深い瞳の色は、まぎれもなくいつかの紳士のものであった。
 ジャンヌは二人を追いかけようとしたが、自分などの手に負えそうもなかったので、追うのはやめて、町角に立っていた警官にそういった。
「たいへんなひとを見つけた。捜査局のガッファロが幾月も前から探しているひと……いま、あそこの店から出てきた。行って聞いてごらんなさい。アドレスがわかるかもしれない」
 シャルクロァはその店で八百フランの銀の食器を買い、百法の手付を置いて、今日中に届けるようにといってアドレスを書いて行った。ルシァン・ルルゥ……ロワイエ・コラール街八番地。ロワイエ・コラールというのは、セェヌ河の左岸、リュクサンブゥル公園の東口につづく、ものしずかな通りである。
 捜査局の刑事がすぐアドレスの家へ出かけて行った。ルシァン・ルルゥはフェルナンド・セグレェという娘と二人で、二月のはじめから通りにむいた四階に住んでいる。玄関番に聞くと、娘はいるが、ルルゥはまだ帰らないといった。
 刑事が張込みをしていると、夜の十時ごろになってルルゥが帰って来た。刑事の一人がつぶやいた。
「なんだ、ランドリュじゃないか。自動車の直しをしたり、中古自動車のブローカァをやったりしていたやつだ。たしか、五つや六つは窃盗の前科があるはずだ」
 失踪人の関係者というだけでは、令状が出ない。犯罪簿をしらべると、窃盗の古い前科が出てきたので、とりあえずそれを名目にして身柄をおさえることにした。
 翌朝、十時頃、ランドリュが通りへ新聞を買いに出てきた。刑事は帰ったところを見すかしてランドリュの部屋の扉をノックした。ランドリュはソファで新聞を読み、愛人のセグレェは寝床の中にいた。
「アンリ・デシレェ・ランドリュ……せっかくのところを気の毒だが、ちょっといっしょに行ってもらうよ」
「おどろきましたね。どんなご用です」
「むかし勤め残したくちがあるだろう。たぶん、そのためだと思うがね。たいしたことではなさそうだ」
 ランドリュは上着を着こむと、逆いもせずに刑事といっしょに部屋を出た。
 リュクサンブゥル公園のわきから、セェヌ河の中洲にある警視庁までは歩いて二十分ほどの距離である。春めいたよく晴れた朝だった。三人は冗談を言いながらサン・ミッシェルの通りをセェヌ河のほうへブラブラ歩いて行った。誇張していえば、これは歴史的瞬間とでもいうようなものであった。凡庸な二人の中年の刑事は、これこそは、犯罪というものの歴史がはじまって以来の最大の捕物になろうとは、夢にも思っていなかったのである。
 セェヌ河の左岸と中ノ島をつなぐサン・ミッシェルの橋がむこうに見えだしたとき、ランドリュは、なに気ないふうに上着の内かくしから出した手帳のようなものを車道へ捨て、縁石へりいしの裾にあいている排水溝の穴へそっと蹴込もうとした。
 刑事の一人が、
「おっと」
 といって穴に落ちかけている手帳を靴でふまえた。
「おかしな真似をするじゃないか。どうしようというんだ」
 拾いあげて、頁をひらいてみると、年月日や、人の名や、金額などが、気質が察しられるような克明な文字でキチンと書きこまれてある。
「これはなんだい」
「むかし使った取引の手帳だ。要らないから捨てようと思っただけだ」
 刑事は手帳を持ったまま、ふむ、といってランドリュの顔を見かえした。
 ランドリュは苛立って舌打ちをした。
符牒ふちょうで書いてあるから、見たってわかりゃしないよ」
「符牒ね……なるほど、そうらしい」
「ひねりまわしていないで、こっちへよこせ」
「要らないから捨てたんだろう。また欲しくなったのか」
「それは、おれのものだから返せというんだ。さもなかったら、その穴へ捨てろ」
 刑事は手帳を返しかけたが、あまりしつっこくせがむので、なんだか妙だと思った。それで渡しかけていた手をひっこめ、
「ともかく、これは預っておく」
 といって手帳をかくしにおさめた。
 眼にもとまらぬこの一転機を、これこそ神の摂理せつりであったなど、尤もらしくこじつけているものもあるが、ほんの一分ほどのやりとりのなかに、たしかにそうもいえる微妙な意志の疎通といったようなものが感じられる。その刑事は後になって、ぞっと総毛立つのだが、手帳に書きつけてあった一連の符牒がなかったら、そのとき、なにげなく手帳を渡していたら、ランドリュの全犯行の十分の一ほどのものすら探りあてることはできずにすんでいたことだったろう。


 ランドリュの手帳に書いてあった符牒とは、つぎのようなものであった。
1 マダム・クゥシェ
  ヴェルヌイユ駅行片道切符二枚 十スゥ
2 資産約六万フラン、有価証券二万フラン、家具一万フラン、宝石一万八千フラン(ブレジル)
  ブレジル――一九一五年六月十五日
  ヴェルヌイユ駅片道切符[#「ヴェルヌイユ駅片道切符」はママ]一枚 五スゥ
3 クロザチェ 一九一五年八月十五日
  ヴェルヌイユ駅片道切符[#「ヴェルヌイユ駅片道切符」はママ]一枚 五スゥ
4 マダム・エオン
5 マダム・コロム 一九一六年十二月二十七日 ヴィラ・ガムベェ午前四時――五千八十七フラン
6 バブレェ 四月 零時――午前四時
7 ビュイッソン未亡人 一九一七年九月一日――午前十時十五分
8 マダム・ジェローム 一九一七年十月二十六日――午前三時
9 マダム・パスカル ヴィラ・ガムベェ
10 テレーズ・マルシャンディユ ヴィラ・ガムベェ行自動車賃二十フラン貸――九百五十フラン
 ランドリュは取引の符牒だといった。符牒なら符牒で解く方法があるが、これではあまり簡単明瞭で、手のつけようがないといったところだ。
 ヴェルヌイユは巴里の市門から南八キロほどのところにある村の名で、ヴェルサイユ行の軽便鉄道に同名の駅がある。二年ほど前、ランドリュはその村の「ロッジ」という名の別荘を借りて住んでいたことがある。五スゥとは二十五サンチーム(四分の一フラン)。セェヌ河の河岸にある始発駅(ケユ・ドルセェ駅)、ヴェルヌイユ間の運賃に相当する。
 わずか二十五文の[#「二十五文の」はママ]汽車賃を手帳に書きつけておくのはいささか几帳面きちょうめんにすぎるようだが、これは個人の趣味の問題で、他人がとやかくいう筋はないのである。名の下の日附はヴェルヌイユの「ロッジ」、もしくはガムベェの「エルミタージュ」へ行った日をしめしているのだと思われるが、「ビュイッソン未亡人、午前十時十五分」とあるもののほか、ほとんどが午前零時、午前三時、午前四時となっている。ヴェルサイユ行の軽便鉄道の始発時間は午前六時十五分で、それより早いのはないから、これは汽車の時間に関係のない、なにかほかのことなのだろう。
 疑えば疑えるといったあやしげなことはどこにもない。他人に見られては困るというようなものとも思えないのに、ランドリュは軽率の危険をおかして手帳の堙滅いんめつをはかった。その辺になにか曰くがあると捜査局では考えた。
 試みに三百件を超える失踪者の名簿を繰ってみると、手帳にある名がたくさん出てきた。クゥシェ、エオン、コロム、バブレェ、ビュイッソン、ジェローム、パスカル、マルシャンディユ……ランドリュの手帳にある名に該当するものは、八人ともみな失踪中の女性の名だということになる。
「ブレジル」と「クロザチェ」はなにものを指しているのか。
 ブレジルはブレジル、南米のブラジルのことで、クロザチェは、巴里の第十二区、フオブウル・サント・アントアンヌとヴゥルヴァル・ディドロォをつなぐ通りの名である。
 八人の女性の名のなかに、国の名と町の名が唐突にまじりあっている。失踪者の名簿を調べてみると、ブラジルで遺産を相続して巴里へやってきたラボルト・リネェという富裕な未亡人がある。ラボルト・リネェは一九一五年の六月十五日に家を出たまま消息不明になっていて、「ブレジル」という斜体の文字の下にある手帳の日附と合っている。「ブレジル」とはラボルト・リネェという未亡人を指していることが、これでわかった。おなじく失踪者の中に、クロザチェの二十八番地に住んでいたマダム・ギランという未亡人の名が載っている。マダム・ギランは一九一五年の八月十五日に失踪していて、これも手帳の日附と合致する。
 単純で、そのくせひどく神経を疲らせる謎解きのおかげで、八つの名の序列に、新たにラボルト・リネェとマダム・ギランという二つの名が加わることになったが、同時に、手帳にある日附は、それらの女性をヴェルヌイユかガムベェに連れだし、この世の生活から消しとってしまったその日附だということが推測できるようになった。従って、午前零時、三時、四時とあるのは、それぞれ謀殺を完了した時刻をしめしているので、「五千八十七フラン」または「九百五十フラン」という記載は、その日犠牲者が持っていた金――つまりは、ランドリュが殺害後に掠めとった金額をしるしたものだろうと判定された。
 三百人の失踪者については、肉親や友人から捜索願が出ているが、失踪の状況がそれぞれちがうので、特定の概念のなかに包摂ほうせつすることができなかった。ひょっとすると、これは一人の人間の仕業かもしれないなどと思ったものはいなかったが、ランドリュの手帳に啓発けいはつされて、そういうこともありえると考えるようになった。三百人のうち、少なくとも手帳に名を書かれた十人の女性は、どういう方法かで、ランドリュに殺されたのだろうということがすこしずつわかりかけ、間もなく誰も疑うものはなくなった。この間、ランドリュは徹底的に冷静だった。ガッファロが手帳の謎を解いたことを遠まわしにほのめかしてみたが、おだやかな微笑をうかべるだけで、受付けようともしなかった。
 ランドリュの態度に関係なく、ガッファロは着々と捜査をすすめた。ヌイイのイヴリイという通りに、自動車の小さな修理工場とガレージのついたランドリュの本宅があって、細君と四人の子供が住んでいたが、そこでマダム・クゥシェの耳飾と腕輪を、発見した。腕輪は細君が腕にはめ、耳飾は長男の許婚者がつけていた。ガレージの屋根の衣裳ばこにマダム・ギランの仮髪かつらとリンネルの下着が入っていた。
 ガムベェの「エルミタージュ」の屋根部屋からもいろいろなものが出てきた。マダム・コロムの服、マドレェヌ・バブレェの戦時身分証明と絹の下着、金を充填じゅうてんしたマダム・パスカルの義歯。これはランドリュが十五フランで歯科医に売りつけ、気が変ってまた買い返したという履歴がついている。庭の隅から臘引の紐で絞殺された一匹の猫と三匹の犬の死骸が掘りだされた。猫はマダム・パスカルが、三匹の犬はテレーズ・マルシャンディユが最後の日「エルミタージュ」へ連れてきたもので、主人が消え失せた後、ランドリュの手で具合よく始末され、それぞれの天国へ旅立って行ったのである。
 ヴェルヌイユの「ロッジ」については、一五年中に、田園看守から報告が出ていた。六月十五日の夜の十一時頃、モネェという屠殺とさつ人とルトゥルという医者が「ロッジ」のそばを通ると、台所の煙突からひどく悪臭のある煙が出ているので、不審をおこして田園看守に注意した。田園看守は取調べに行ったが、レーモンド・デァールという主人が出てきて、愛想よく家のなかを見せた。この別荘には三十八九の中年の婦人とアンドレェという十七歳の少年が住んでいるはずなので、二人はどうしたのかとたずねると、いまロンドンにいると主人が答えたというのである。
 ヴェルヌイユの「ロッジ」は法医学のポール・エーノォ博士が調べた。料理ストーヴの灰のなかから、半ば溶けかかったコルセットの留金の一部と二百五十六個の人骨を発見したが、そのうちの百四十七個は頭蓋骨の破片で、少なくとも三人のちがった人間のものだと断定した。煙突のすすは濃厚に人間の脂肪を含んで居り、人体をある程度に細断すれば、このかまで容易に焼却できたろうと博士がいった。
 情況証拠の蒐集しゅうしゅうは、二年後の二十年の冬に完了し、手帳にあった十人の女性の非業の最後を法廷で立証できるところにまで辿り着いたが、たとえていうならば、それは深い夜の闇に、ほんのりと薄明の色がさしかけたというぐらいのところであった。
 ランドリュの手帳には、十人のほかに、二百七十三人の女性の名が書きこまれ、そのうちの百八十九人の名の頭に鉛筆で黒い十字架のマークをつけてある。ランドリュは一九一四年の四月以来「ル・マタン」の案内欄に、たえず求婚と家具買入の広告を出していたことは捜査局にもわかっていた。ランドリュの名簿にある人名と十字架の組合せは、一九一四年の春から一八年の春までの五年間に二百八十三人の女性をまどわしにかけ、そのうちの百八十九人を始末したという意味だったら、いったいどういうことになるだろう。
 十五世紀の中頃、ジル・ド・レェヌ男爵は、人民どもにブルタァニュのジョン六世の威風をしめすために、村々を廻って、意味もなく百五十人の幼児と十人の女を殺してみせた。ジル・ド・レェヌは律気な男だったので、ひとだのみをせずに、一人ずつ自分の手で絞り殺したのである。
 ジル・ド・レェヌは、青光りのする楔型の黒い顎髯とともにペロオの妖精物語に取込まれて、「青髯と七人の妻」のモデルになった。人間史のおもてでは、一人の人間が自分の手で行なったこれが最大の殺人ということになっていたが、気狂い染みたジル・ド・レェヌでさえ、数においてはランドリュのそれには及ばない。ジル・ド・レェヌは、殺した人間の死体を大衆の前に投げだすだけですませたが、ランドリュのほうは、手のかかる殺人のあとで、たった一人で二百に及ぶ死体堙滅の大業をやってのけていたのである。
 ガッファロはランドリュの手帳から写しとった二百八十三人の失踪者のリストを持って総監の部屋へ行った。
「昨日で調査が終りました。実は、内秘ないひしてきた事実が相当あるので、公判になったら、全世界の人間がえらいショックを起すでしょう。ところで、手帳にあるだけが全部なのではない。手つかずの分が、まだ百八十九人もあります。こういう事実を隠秘しておくわけにはいかないから、はっきりと申しあげるのですが、百八十九人のほうも、いっしょにやってしまいますか、どうしましょう」
「どうしましょう、というのは」
「やれとおっしゃるなら、やりますが、私としては、手帳の十人だけに限定するほうがいいのではないかと思うのです」
「どういう理由で?」
「失礼ですが、あなたは十人では足りないというような意見をもっていられるのでしょうか。私には想像できるのですが、あとの百八十九人の関係を調べあげた結果はどういう始末になるか、それこそ、眼もあてられないようなことになるでしょう。人間性に絶望したくなかったら、ほどほどのところでとめておくほうがいいのだと私は思いますが、いかがでしょう」
「私が意見を述べてみたところで、どうにもなるまいね。上級裁判所の検事達は、どういう考えかたをするか、それが問題だ」
「十字の印を犯行の記号だと推理したのは、私の頭のなかの出来事なのですが、そういう考えが浮ばない前の状態に捻じもどせば、それですむことでないかと思います」
 ガッファロと総監の間で、こういう会話が交わされたと自伝にはそう書いてある。どういう経緯けいいがあったか知らないが、法廷では、最後まで手帳にあった十人に限定されたのは事実である。


 ランドリュの亡年ぼうねん――ヴェルサイユの聖ピエール監獄の門前でギロチンにかけられたときランドリュは五十五歳で、丸く禿げた頭の地膚じはだしなびた冬瓜とうがんのような色をしていた。中肉中背の平凡な身体つきで、口もとに締りがなく、ざっとした服を、はえない恰好に着こみ、女性をまどわして夢中にさせるような魅力はどこにも見あたらなかったということである。
 ランドリュが「巴里の青髯」と呼ばれるようになったのは、大量の細君殺しのせいばかりでなく、ジル・ド・レェヌの肖像にそっくりな逆三角形の顎髯のお蔭も大いに手伝っているのだが、その髯は監獄にいる間も、毎朝、丹念に刈込まれ、磨きあげられ、法廷に出てくるときは、海からあがった海豚いるかの膚のように蒼光りしていた。
 フランス人の理想とする瞳の色は、碧でも黒でもなく、青とも灰色ともつかぬ曖昧な色合だということだが、ランドリュの瞳の色はちょうどそれで、「絵でも描けぬような光とうるおい」をたたえ、瞳の底に催眠術師のような磁力があって、動かぬ眼差まなざしでじっと眼のなかをのぞきこまれると、みなふしぎな酔心持を感じる。精神鑑定をしてきた冷静な医師でさえ、ランドリュに見つめられて、妙な気がしたと告白している。
 ランドリュの声も特異なものであった。何気ないディクションのなかに暗示的なひびきがあり、心の底の思いを告白するといった物静かなささやきに、いうにいえぬ味があった。
 ランドリュの態度が慇懃いんぎんでやさしく、玄関へ立寄ってすぐ帰るようなあわただしい訪問のときにも、愛人や、その兄弟や友人にまで花束を持ってくることを忘れなかった。あぶないところで死籤しにくじを外れた二百八十三人の生残りが、何人か証人になって法廷へ出てきたが、みなランドリュの態度をほめている。逮捕がもう一週間も遅かったら、確実に黄泉よみの国へ行っていたはずの最後の愛人、十九歳のセグレェなどは、ランドリュにとって不利な証言はすべて拒否し、証人台の上からランドリュにたいする深い思慕の情を述べている。
「アンリは心のやさしい、尊敬すべきひとでした。普通の人間と変ったというようなところはなかったと思います。私はアンリを愛していますから、こんなことにならなかったら、かならず結婚していたでしょう。アンリは私ばかりでなく、私の母にも親切で、来るたびに、かならず花束や贈物を持ってきました。アンリは大勢の女のひとを殺してお金をったということですが、誰を、何時いつ、どこでどんな風にして殺したというのですか。見られるものなら、証拠を見せてください。信じられるようなことだったら、私も納得するでしょう」
 ランドリュは、被告席の椅子でまとをはずしたようなつくり笑いをうかべ、たとえばチャップリンの扮したヴェルドゥ氏そっくりの慇懃いんぎんな揉み手をしながら、熱烈な愛の論告に耳を傾けていたのであろうが、ランドリュはセグレェが心に描いているような誠実な愛人ではなかった。ランドリュはセグレェと同棲している間にも、ジャンヌ・ファルクという未亡人と関係していて、月々、千フランの手当をもらっていたのである。
 ランドリュの恋文が山のように法廷に持ちだされて朗読された。二十三年の間、洗濯婦をやり、手のかたちをいびつにしていささかの貯えを残し、その貯金のためにランドリュに惨殺された五十一歳のギラン夫人にてた恋文は、
「あなたの手は美しく、デリケートで、爪の先までやさしい表情にあふれています」
 という文句がその書きだしになっている。
 ランドリュはローヌ県の中農の家に生れ、若い頃は学究心のさかんな模範少年だった。教会では聖餐せいさん侍童のつとめをし、間もなく補祭になった。軍隊でも優秀な成績をあげて伍長に昇進した。
 除隊後、巴里であわただしく結婚し、三十歳で四人の子供の親になった。ランドリュが堕落したのは、妻と四人の子供を養いかねる、苦しい生活難のせいだというが、モンマルトルの贋玉師がんぎょくしの仲間へ入って、宝石の掏替すりかえをやり、一九〇二年に窃盗罪で三年の禁錮に処せられた。
 出獄してから、巴里の場末にアセチレン酸素の熔接工場を建て、かたわら、自動車の修繕やブロォカァのようなことをしていた。生噛りの科学知識があって、無線電信や写真術に興味をもち、そのほか一般病理にも通じ、応用細菌学や毒物学の本を読んでいた。
 小金を持った未亡人や寡婦かふに結婚を申込み、大量殺人による資産の蓄積という、骨の折れる事業に挺身するようになったのは、大戦勃発直後のことであった。一般は、せいぜい一年で片付くという、安易な計算をしていたが、ランドリュは、この戦争は少なくとも三年、ひょっとすると五年はつづくと見込んでいたらしい。無量の亭主どもが戦場のこやしになれば、フランス中に寡婦や未亡人が満ちあふれるであろうから、この事業はかならず当るはずだ、などと考えていたのではなかろうか。
 二二年の二月、再審の上訴が却下され、大統領の請願も見込みがないということになったところで、ランドリュは審理の主査だったボナン判事を呼んで、他人のことでも話しているような余談よだん的な調子で四年間の事業の経過を説明した。
 ランドリュの予想どおりに、一五年の春ごろから俄かに戦線が拡がった。あちらこちらの亭主の座に穴があき、見る見る事業がさかんになった。一六年の夏には、一時に七人の未亡人と婚約し、朝は山手にいるひとに電話でご機嫌を伺い、すぐ家を出て、川下にいるひとに花束を届けさせ、昼はモンパルナッスのひとと午餐をともにし、二時から北のほうにいるひととマチネに行き、その間にヴェルヌイユの「ロッジ」へ自動車を乗りつけて、昨夜おそらく息をひきとったひとの死体堙滅をやり、すぐ巴里へ駆けもどって、西の端にいるひとと晩餐をするという、眩暈めまいのするようないそがしさだったということである。
 一四年中は昼間爆撃だけだったが、一五年の夏から夜間爆撃がはじまり、巴里と巴里の隣接四県は、夜は光一筋ささぬ闇の世界になり、この闇黒状態はそれから三年もつづいた。ガッファロが洞察したとおり、ランドリュはその間に二百八十三人の女性と結婚し、そのうちの二百人を殺して死体の処理をしたものらしい。そういう破天荒なことができたのは、ひとえに戦時情勢のおかげなので、ランドリュといえども、闇の庇護ひごがなくては、そこまでのことはやれなかったにちがいない。
「殺人狂時代」のヴェルドゥ氏は、わずかばかりの女を殺した人間が死刑になり、数百万の人間を戦場へ追いやったものが讃美されるといって刑場に曳かれて行くが、ランドリュはそんな名文句は吐かなかった。
 ギロチンの首穴リュネットにランドリュの首をさしこみながら、介添の看守がささやいた。
「お前を見たがっている女どもが、あそこに大勢来ている」
 ランドリュは咽喉をされたからびた声でつぶやいた。
「女なんか、みんな豚だよ」
 これが最後の言葉だった。
 ランドリュは、いまあって、もうない自然現象を見るような眼つきで女をながめ、なんの感動もなくつぎつぎにひねりつぶした。ヒムラーは何万、何十万のユダヤ人やスラヴ人を虐殺し、ガス・チャムバーによる大量殺人の責任者として、冷酷残忍なサディストのように考えられているが、当のヒムラーは流血を見ることを極度に恐れ、屠殺の現場には一切立寄らなかった。宗教糺問所きゅうもんじょの刑僧は、みな善良素朴な人間ばかりで、残忍な拷問法ごうもんほうを考えだしたベラミン僧正などは、衣についた蚤をあわれんで、払いのけることさえしなかったということである。
 ランドリュの精神鑑定をしたボーム博士は、こんなふうにいっている。
「ランドリュは精神異状と認められる点はどこにもない。平衡のとれた鋭敏な知能の持主で、ひとを惹きつける座談の名人であり、挙止の美しさということを知っている典雅な紳士である」
 遺憾ながら、ランドリュは気狂いではなかったのである。


 青髯の手帳に、最初に名を書かれたマダム・クゥシェは、ランドリュがレーモンド・デアールという名で出した求婚広告を見て手紙をよこした。三十九歳の寡婦で、サン・ドニの広大な邸に、息子のアンドレェと二人で住んでいた。
 ランドリュはマダム・クゥシェの家へ自由に出入りするようになると、財産収得に邪魔なアンドレェを先に片付けることにし、グラン・ブゥルヴァールのキャフェに呼びだして、アガール糖内とうないで培養した肺炎菌を生クリームにまぜて食わした。ランドリュはエンリコ・モルガンティという伊太利人の医学生に学費をやり、代償としていろいろな細菌を受取っていたのである。
(アンドリュが[#「アンドリュが」はママ]逮捕されると、モルガンティは伊太利へ逃げた)
 手続きに不充分なところがあったのだとみえて、アンドレェはひどく苦しんだだけで助かった。
 一と月ほど後、映画会社に投資するという口実で、三十万フランでサン・ドニの家を売らせ、偽造の株券を見せて安心させたうえで、マダム・クゥシェとアンドレェをヴェルヌイユの「ロッジ」へ連れこみ、翌十五年のはじめまでいっしょに暮らしていた。
 一月の中頃、ランドリュが南米で亡夫の遺産を受取ってきたラボルト・リネェという若い未亡人とリヴォリの通りを二人で歩いているところを、アンドレェに見られた。帰るなり、たやすからぬ悶着もんちゃくがおき、投資した金のことにまで発展し、明日中に株券を売払って、息子と二人でべつな家に住むといいだした。
 ランドリュは二人をあの世へ送りこむことにきめ、納屋をつくるのだといって、ヌイイの家から耐火煉瓦や砂を運んできた。
 一月十六日の夜、二人に亜砒酸あひさんを飲ませて殺した。台所の石床に厚く砂を敷き、その上に耐火煉瓦を積んで火爐をつくり、煙突を立てて、その煙突を料理用のストーヴの煙突に接続させた。クゥシェ母子の死体はアセチレン酸素のトーチ・ランプの強い炎で焼かれ、翌日の午前三時には、ショヴェルで三すくいほどの軽い灰になっていた。
 ラボルト・リネェは黒い髪を肩のあたりまで波うたせた四十七歳の未亡人で、二十万フランの資産を抱え、リュウ・ド・プチシャンのしゃれたアパートに住んでいた。
 ラボルト・リネェをヴェルヌイユに招待したのは六月十五日の夕方であった。クゥシェの母子が息をひきとった食堂で、おなじ毒をリネェに飲ませ、死体は自動車で運びだしてオアーズ河へ捨てた。リネェの死体は一年後に四キロほど川下に浮きあがり、村の無名墓地に葬られた。
 ラボルト・リネェとの取引では、ランドリュは全敗だった。ランドリュはリネェのれこみを真にうけて、半年ほどのあいだ及ぶかぎりの奉仕をしていたが、リネェに資産などはなく、アパートの家具を売って、かすかす千四百二十五フランの金を手に入れただけであった。
 マダム・ギランは洗濯婦あがりの五十一歳になる肥っちょの女で、リヨン銀行に二万五千フランの預金を持っていた。
 ランドリュは八月の十日にヴェルヌイユへ連れて行き、クッションで圧殺しようとした。なんのつもりでそんな方法をとったのかわからないが、マダム・ギランは思いがけない力持ちで、そのためえらい格闘になった。ランドリュもひどく手古擦ったふうで、ボナン判事に、
「いやもう、ひどい騒ぎでしたよ」
 と、ぼやいたということであった。
 死体は鉄張りのトランクに詰めて巴里まで運び、河岸のオルセェ駅から托送たくそう貨物にしてビスケェ湾行の汽車に積んだ。
 不幸な托送貨物は、行先不明であちこちで積替えされ、七カ月後に不審を抱かれて開被かいひされた。意外に早く身許がわかり、ギランの主人だったひとが、リヨン銀行へ預金引出停止の通知をしたが、ランドリュはその前にそっくり引出していた。
 マダム・エオンはガムベェの「エルミタージェ」で[#「「エルミタージェ」で」はママ]殺された。その報酬にランドリュが受取ったのは、たった五百フランだった。
 マダム・コロムは保険会社に働いている四十二歳の未亡人で、七千五百フランの貯金があった。クリスマスの夜、ガムベェへ行き、細菌のカクテールを飲まされて殺された。
 どういうわけか、ランドリュはコロムの死体を念入りに細分している。腐蝕剤や塩酸であらゆる特徴を消しとった断片を二つの麻袋に詰め、きよよるの月光を浴びながら、はるばるフエカンの断崖まで運んで行き、麻袋の口をあけて、奇妙な肉塊を一つずつ英仏海峡の荒波のなかへ落しこんだ。

 ランドリュの青髯一件は、一九年の春から、高等法院のディユ、ボナン両判事の係で審理を行なっていたが、三年の間、どんな証拠をつきつけてもランドリュは、絶対に「殺した」とはいわなかった。
 二一年の十一月八日、ヴェルサイユ地方裁判所の刑事法廷で第一回の公判、十一月三十日までに二十三回の公判があった。公判廷は風通しの悪い窮窟な部屋だったが、毎回、大勢の傍聴者がおしこんできて身動きもできないほどの盛況だった。
 関係書類は六千通を越え、判検事の控室は、法廷へもちだす証拠物件で百貨店の倉庫のようになり、被告席のランドリュの禿頭が黄色くなり、一回ごとに力なく萎びていくように見えた。
 弁護士のジャフェリ博士は、ランドリュにたいする物的証拠は、すべて間接の状況的なものにすぎず、こういうやり方は刑法違反だと主張しつづけていたが、十一月三十日に判決があり、アンリ・デシレエ・ランドリュは、一九二二年二月二十五日の早暁、ヴェルサイユ市聖ピエール監獄の門前でギロチンにかけられるべき旨を宣告した。
 二二年二月、ジャフェリ博士は再審の上訴をした。巴里の再審裁判所は受理せず、ポアンカレ大統領に特別措置を請願したが、これもきかれなかった。
 二月二十四日の午前四時、電車道に向いた聖ピエール監獄の門前でギロチンが組みたてられた。
 五時四十五分、検察官の一行と司祭と弁護士がランドリュの獄室へ入って行った。
 検察官の一人が、昨夜、ポアンカレ大統領から「潔く決意するように」という言葉があったと伝えると、ランドリュは凍った指先に息をふきかけながら、
「この首も、今日あたりが斬られごろですか。麦は青いうちに刈れといいますからね」
 とこたえた。
 死刑執行官がシャツの襟を切りとり、髪の毛を撫でつけようとすると、ランドリュは、
「髪に触らないでください。悪い癖がつくから」
 といった。
 胸甲をつけた騎馬警官が監獄の門の両側に分れ、キチンと馬首をそろえている間からランドリュが出てきて、襟のないシャツとズボンだけの姿で、素足で舗石を踏みながらギロチンのほうへ歩いて行った。
 ギロチンの下で両手を革紐かわひもくくられるとき、ジャフェリ博士がランドリュの耳もとでささやいた。
「元気をだすんだ、アンリ」
「ありがとう、ミートルさん、私はいつでも元気です」
 ランドリュはそういって笑うと、両脇を看守に抱えられながらギロチンの上にあがった。
 夜が明け、労働者を満載した始発の電車が、ギロチンから五十メートルほど離れたところを、けたたましくベルを鳴らしながら通って行った。





底本:「久生十蘭全集 ※(ローマ数字3、1-13-23)」三一書房
   1970(昭和45)年2月28日第1版第1刷発行
   1998(平成10)年2月28日第1版第7刷発行
※「ヴェルサィユ」と「ヴェルサイユ」、「セーヌ」と「セェヌ」、「レーモンド・デァール」と「レーモンド・デアール」、「ブローカァ」と「ブロォカァ」、「アンリ・デシレェ・ランドリュ」と「アンリ・デシレエ・ランドリュ」の混在は、底本通りです。
入力:門田裕志
校正:芝裕久
2019年3月29日作成
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