我が家の楽園

久生十蘭




我が家の楽園



 春雨の降る四月の暗い日曜日の朝、渋谷の奥にあるバラックの玄関の土間に、接収解除通知のハガキが、音もなく投げこまれた。
 自分の家には、毛色けいろのちがう名も知らぬひとがはいりこみ、当の持主の家族は、しがない間借りか借家で、不自由しながらゴタゴタしているのは、戦争に負けたせいだと思っても、あきらめきれるものではなかったろう。収用にかかっていた物件は、すべて講和発効と同時に返還されるだろうという噂は、前の年の暮れあたりから、そろそろと立ちかけ、知合いのなかには、わざわざ調達局まで念をおしに行ったひともあった。
 終戦の年に接収された個人住宅が、四月二十八日をもって、一斉に解除になり、七年ぶりで持主の手に返されることになったというよろこばしい通知は、どこの家庭でも大歓迎されたことだろうが、わが石田家では、破産宣告か、死亡通知でも受け取ったような、痛烈な衝動を受けた。
 われわれの家……といっても自分で建てた家ではない。株か相場でドカもうけをし、政党屋の仲間入りをするようになった石田氏の養父にあたるひとが、麻布三河台にあった大名の古屋敷に、洋館を継ぎ足してこしらえたもので、唐草模様の鋳金の鉄扉のついた大きな石門のむこうに、仙洞御所のような御所造りの屋根が見えるという、奇妙な家だった。
 洋館といっている一廓も、ずいぶん古めかしいものだったが、御所造りの日本家屋のほうには、びっくりするような古代の空気がよどんでいた。
 長持ち部屋だの、用途不明な部屋が、あちらこちらにあり、入り側になった廊下には、必要もない段々をつけて、わざと上ったりおりたりさせ、上のかわやといっている二ノ間つきのご不浄は、畳を敷きつめた六畳ほどの広さで、地袋の棚には、書見台と青磁の香炉が載っているといったぐあいである。
 そのかみの大名の客間だったところは、廊下から七寸高い上段の間になり、床脇とこわきの棚は醍醐の三宝院の写し、縁の手摺りは桂御所のを、杉戸は清閑院の御殿のを写し、なにもかもみな写しで、つい大正のはじめごろまでは、畳縁に鶴ノ丸の小紋を散らした上段の間に、紋綸子もんりんずの大座布団を敷き、銀糸の五つ紋の羽織りに上田織りの裏付けの袴をはいた殿さまが、天目茶碗と高坏たかつきを据え、り身になって、
「うちゃの!」
 などと老いたる鶯のような声をだしていたのだそうである。
 そのころ、わが石田一家は田舎に疎開していたので、現場に居合わさなかったが、麻布の家が接収されるときには、日米相互の誤解にもとづく、滑稽な、もんちゃくがあったらしい。
 祖父は敗戦に昂奮して、なぜか自分は戦犯になるものと固く思いこんでいた。疎開をすすめても応じなかったのは、頑固な自負心によることだったが、門から玄関まで敷いた上り道の白砂には、空襲のあるような日でも、いつもキチンと箒目ほうきめがついていた。いつ迎いに来てもおどろかないという、見識のあるところを見せたわけで、さすが石田はちがったものだ、などといわれて、いい気持になっていたふうだった。
 十二月二日に、N宮はじめ各界の名士五十九名に逮捕命令が下ったが、そのなかに、当然あるべき石田という名がないので、祖父は、むやみに腹をたて、逃げようにも行先がなく、やむをえず居残りになっていた家扶や家令に、さんざんにあたりちらしたそうである。
 それから三日ほどした朝、執事の田村が居間へ走りこんできて、
「入りまして、よろしゅうございますか」
 と会釈する間ももどかしそうに、
「ただいま、表玄関おもてへ、ジープが」
 といった。祖父はジロリと田村のほうへ振り返ると、
「いっそ、お待ちかねだ。紋服を出せ。袴はいらんぞ」
 と外出の支度をいいつけた。
 そこへ、家扶かふの大井が、背の高いひとを案内してきた。祖父は、
「お迎い、ご苦労」
 と、うなずいてみせたが、みょうなぐあいに、頭をぐらぐら揺すぶりだしたと思うと、あおのけにドンとひっくりかえって、眼をあけたまま大きな鼾をかきだした。
 背の高いひとは、収用住宅の検分にきた、綜合病院の書記にすぎなかったので、度胆をぬかれて、けげんな顔をしていた。
 大井と田村は、熟したいちごのような赤い顔で、調子の高い鼾をかいている祖父の枕元に坐り、
「先生も、あまり、そそっかしい。ジープが来たと、申しあげただけなのに」
「ともかく、きょうのジープが、命とりになったか……いや、悪い運勢であった」
 などと、勿体らしい愁傷顔をしていた。
 背の高いひとは、家扶や執事の話を聞くなり、この老人の強がりは、ほんの見せかけで、内心は逮捕命令が出るのを恐れ、毎日ビクビクしていたのだと、一流の率直さで見ぬいてしまったので、おかしいやら、気の毒だやら、挨拶にも困っていたが、激発の原因はわれわれの側にあるのだから、この病人はこちらでひきうけるといって、そのまま病院へ連れて行った。
 四日目の朝、祖父の顔色が、苺色から桜桃さくらんぼ色にまで薄れ、子供のようなやすらかな寝息をたてはじめた。そのうちに、ぽっかり眼をあき、枕元に背の高いひとが二人も坐っているのを見ると、巣鴨の監房の中だと勘ちがいしたらしく、
「寝たままで、失礼いたします。お取り調べは、今日でしょうか」
 と頓狂な挨拶をし、見舞いにきていた人々を失笑させた。担当の医者は、
「ここは巣鴨ではないから、ご心配なく……あなたは脳溢血で倒れたので、いま、病院にいるのです」
 と説明し、血斑のありかを地図のように書いてみせた。
 祖父は一と月ほどしてから麻布の家へ帰ったが、家屋収用を戦犯逮捕と勘ちがいして、恐怖のあまり卒倒し、アメリカの注射で助かったいきさつは、すぐ、みなに知れた。
「ここは巣鴨ですか」には、笑わぬものはなく、石田は見かけ倒しの臆病ものだということになって、それ以来、訪ねてくるものもなくなった。
 祖父は長い間の習慣で、毎日、客間に坐って、誰か来るのを待っているので、それとなく家扶が注意したが、長年、お追従ついしょうとおべんちゃらに馴らされてマイルドになった頭には、なんのことやら、よくのみこめないふうだった。
 洋館の客間の暖炉棚に載っているスイス製の千日捲せんにちまきの置時計は、むかしは祖父の自慢のものだったが、よほど前から動かなくなり、丸い玻璃鐘はりしょうの中で赤く錆びついていた。
 時も刻まず、装飾にもならず、ただそこに置いてあるというだけの死んだ機械は、ちょうどそのひとの象徴のようなものだったが、一日中、それを睨みつけていながら、いっこうに気がつかない。世間から見捨てられてしまったとも知らずに、毎日、り身になってぎょろぎょろしていたが、訪ねるひともない客間のソファに、なすこともなく、ぽつねんと掛けているうちに、昼夜ひるよるのあまりにも長いのにうんざりし、一日ごとに消耗して、家屋接収の通知が来た朝、眠るように死んでしまった。


 うちの賢夫人(……というのは母のことだが)と長女の千々ちぢ子さまは、葬式の手続きのため、匆々、東京へ転入したが、当主たる石田九万くま吉氏は、現職のまま海軍民政部の嘱託にひっぱられ、農地開発の仕事でボルネオに居り、かくいう次女の百々もも子は、徴用で行った名古屋の工場で、冬まで寝こんでしまい、渋谷の奥のバラックの借家で、一家五人の顔が合ったのは、それからまた、半年もあとのことだった。
 そうして、たいした「欠け」も出さずに、どうにかまとまりをつけたが、質は、戦前よりずっと落ちていた。
 終戦直後、石田氏の勤め先きの農林省に大革命があり、復員してみたら、課長から係長に下落していた。
 長男の五十雄いそお君は、帰るには帰ってきたが、プロペラにひっかけられた背中の戦傷がカリエスになり、じぶんのやつのほかに、ジュラルミン製の背骨をもう一本背負しょい、鯨骨げいこつ入りのコルセットのなかで見るもあわれにしなびながら、この七年、ベッドに縛りつけられ、天井をながめて暮らしている。
 賢夫人のほうは、むやみにむくむく肥りだし、むかしのような、あざやかな頭の冴えを見せなくなった。長女さまは、取換えのきかない、大切な許婚者が、ひょんな死にかたをしたので、その愁いが頭にきたのか、玄関脇の薄暗い三畳にひきこもり、回顧的な湿っぽい顔をして、いつ終るともない長い胴着を、毎日、根気よく編みかえしている。
 石田夫妻は、石田氏がまだ農林省の下級技官だった時代に、先代に見こまれて夫婦養子の縁組みをしたが、見かけだけは、きもをつぶすような宏荘な邸に住んでいたため、わずかばかりの俸給で身分不相応な体裁を張るのに、何年となく、血のにじむようなやりくりをしてきたものだった。
 遺言書は早くからできていたが、唯一の遺産たる土地と家屋は、抜け目なく遺留分いりゅうぶんになっていて、父から後継につたえるほか、譲るも売るもならないように、しっかりと遺産法で縛られている。仙洞御所のような大名屋敷に、明治風のバカでかい洋館を継ぎたした、この一種異様な建築構造物は、五人の家族が住むには、あまり規模が大きすぎ、女中でも大勢使わなければ、とうてい、やっていけない。用心が悪いから、犬も飼わねばならず、名園ともいわれた庭がついている以上、常傭の庭師ぐらいは入れなければならない。
 住もうにも住めず、放っておけば家屋税がつく。といって、取り壊すにはたいへんな金がかかる。あんな家を譲られたら、それこそ、目もあてられない羽目になるだろう。養父が死にでもして、財産税、土地家屋税、それに伴う、厖大な都民税のついてまわる大邸宅が、肩にかかってくるようになったら、どう繰りまわしをつけようかと、久しい以前から、苦の種になっていた。
 それほど荷厄介にするなら、まるまる人に貸すなり、間貸しをするなりすればいいようなものだけれども、公務員規定というものがあって、そういうこともできにくい。高級官吏には身分保証があるかわりに、あらゆる意味のアルバイトをしてはならないように、なんとなく、そんな仕組みになっているのである。
「石田のやつ、欲呆よくぼけやがって、間貸しをして金を貯めているそうだ」というような噂がたつと、たちまち身分にさわる。二十五日の空襲で、麻布一帯が焼かれたというラジオのニュースには、賢夫人と長女さまは信州の疎開先で、当主の石田九万吉氏はボルネオの任地で、思わず「万歳」と、同感の意を表したものだった。
 いっそ爆撃でもされれば、荷にならなくていいと、一家の誰もが、ひそかに焼けてくれることを望んでいた大屋台が、金のありあまる国のひとに接収されたと聞いたのは、わが石田一家が、渋谷の奥のバラックでまとまりをつけてから、半年ほど後のことだったが、聞くなり、「へえ」と顔を見あわせた。石田氏などは、どうしても事実とは信じられず、わざわざ麻布まで偵察に出かけ、
「シュラー・ハークネスという、英語の大きな表札が出ていた。嘘じゃなかったんだ」
 と不審そうな顔で報告した。
 そういう意外な思いはあったが、切羽せっぱ詰った生活の場で、三ヵ月後払い、指定銀行払いの小切手というややこしい形式であっても、石田氏の俸給より、はるかに上廻る金が、毎月、滞りなく入ってるのは、ありがたすぎて、夢のようだった。
 局長級の収入をもちながら、この上もない、都合のいい言いぬけがあるので、無理をすることは、すこしもいらない。どんなひどいところを見られても、
「麻布の家が接収されたもんで……いや、どうも」と額をおさえると、
「まったく、ひどい目におあいでした」と、みな同情してくれる。
 どういう因縁でか、月々、百ドルという『アメリカの家賃』をもらいながら、物価の安い、渋谷の奥の三間きりのバラックに住み、『男、ててらに、女、二布ふたの』という歌の文句のとおり、一日中、細紐一本でいて、体面をつくろうことのいらぬ庶民生活の気安さを、心いくまでりいれていたのだった。
 玄関の土間にトランクや木箱を山のように積みあげ、新聞と郵便物のほか、誰もすりぬけられないような厳重なバリケートをこしらえて、不時のちん入者にそなえ、茶の間といっている六畳に、一日中、チャブ台を出しっぱなしにしてある。食器も、茶器も、みな身近なところにあって、家常の一切が、居なりで用の足りる簡便さといったらなかった。肥りすぎて、もの憂くなっているうちの賢夫人などは、
「これにかぎるわね」
 と眼を細くしてよろこんでいた。
 怠けものの楽園などと、兄の五十雄君は悪口をいうが、そういうところを見ていると、無為の生活の中で、人間がだんだん物臭くなって行く経過がわかり、それはそれなりに、味のあることであった。
 バラック仕立ての貧乏暮らしが身についてから、もう六年になり、見かけより充実した内容で、毎日、楽しくやっていた。ここまでくれば、もう下りようはないだろうという安心から、こういうのどかな生活が、死ぬまでつづくような暢気のんきな気持になっていたのである。
 うちの石田氏は、九万吉という名が証明するように、懐手ふところでで数表やグラフをながめ、大量観察による推理統計で、大局から物事を判断するといった能力をもっていない。何事も、計算尺と鉛筆をつかってコツコツやらなければ気がすまず、ネクタイの結び目がちょっと歪んでいても、それが気になって、汗をかくといったぐあいだったが、この楽園に住むようになってからは、自他にたいして、寛大な態度をとるようになり、細紐一本の長女さまが、縁側にすえた七輪を桃尻ももじりになってあおいでいるのを、古褞袍どてらの重ね着で、かかとの皮をむしりながら、平気でながめていられるところまで進歩した。
 最近の一年は、それがひどく内攻して、一生の進退を決する高級官吏試験さえ、いっこうにおどろかず、地下鉄銀座の入口で、『官吏試験集』というあやしげな虎の巻を買ってきて、居睡りをしながら読んでいたが、はたして見事に落第した。法規運用問題のほうはともかくとして、三十題出た農林関係の統計問題が、半分以上もわからなかったらしいふうだった。帰るなり、
「こういう制度では、規格型の官吏はできても、型破りの官吏は出ない。人事院も、くだらないことをやるものだ」
 などと、筋の通らない負け惜しみをいうので、さすがの賢夫人もあわてて、それでは困りますとか、この先のことが、とか、むかしのような弁舌をふるいだしたが、石田氏は気味の悪いほど落ち着いて、
「まだ言わなかったが、今日、麻布の家の前を通ったら、シュラーのほかに、もう一組入っていた」と勿体ぶった報告をした。
「ちっとも知りませんでした……そうですか、それはよかった」と賢夫人はニコニコした。
「だから、あわてることはないというんだ……下って上る水車、というのは、なんの文句だったろう。この先の都合では、もっとお客が増えるかもしれない。そのほうで、なんとかなる……首を切るなら切れ。心配することはなにもない……西洋のある哲人は、あらゆる感動は、みな急激な乖離かいりからくるといっている。金をためようとか、ぜひとも上へあがろうとか、そんなことで精神を逼迫ひっぱくさせると、精力を消耗させて、命を縮めることになるから、長生きをしたいと思ったら、欲をかかぬことだというんだね……俺は長生きするほうがいいから、野心や金もうけには、一切、かかわらないことにする」
 人間の命は、金とおなじように、たがいの釣り合いから成立っているものだから、なにもせずに、命だけを貯めこむなどというのは、バカげたことだと私は思うのだが、そのときの石田氏の理論はそうだった。


 東京都内の接収家屋は、四月二十八日に、一斉に引渡しを行なったという噂だったが、こちらには、なんの連絡もなかった。
 石田氏の頭はすこぶる公式的で、事の善悪にかかわらず、なにか例外的な取扱いを受けると、無視されたと感じて、躍起になる癖がある。
「妙な扱いをするじゃないか。明日でも調達局へ行って、よく聞いてみてやろう」
 と、いつものように昂奮しだしたが、賢夫人は柳に風とらしながら、
「ひょっとすると、解除延期ということになったのかもしれません……これはまァ、一例ですが、現住者がしたたかなひとで、梃子てこでも動かない、なんてのもあることですから、こちらから出かけて行って、寝た子を起こすような真似をすることはないでしょう。放っておいたらいかがです」
 とかなんとか、店子たなこの人柄に期待をかけ、アメリカの家賃に依存して、なり振りかまわず、がねなく貧乏のできるバラック仕立ての楽園に、一日も長く居据わることをねがっていたが、接収解除の布告についで、五月のはじめ、家屋返還通知のハガキが届いた。引渡しに先だって、五月四日の午前十一時から、家具什器じゅうきの点検引合わせ、ならびに建築構造物の損傷改変の有無を調査するから、立ち会うようにという命令なのである。
 石田家におけるその夜の家族会議は、湿りに湿って、露もしとどのありさまだった。
 家族会議といっても、長男の五十雄君はつづきの六畳で寝て居り、生臭い人生と一切やりとりをしない気でいる長女の千々子さまは、自分の居場所にきめている玄関の三畳へひっこんで音もたてない。
 けっきょくのところ、破れ褞袍を重ねにした石田氏と、ほつれ放題の男物のカーディガンをひっかけて髪をふり乱した賢夫人が、六年の間、ただの一度も片附けられたことのない茶の間のチャブ台を挾んで向きあい、かくいう次女の百々子がオブザアバーの格で、ほどいいところに、漫然と介在しているにすぎない。
「あなたは、どうか知れませんが、あたしにとっては、このうえもない気楽な境涯でした。六年間ぐらい、人間らしい生活をしたことはありませんでしたね……ご近所は、気のいいおかみさんばかりで、草履と下駄をちんばに穿いて駆けだしたって笑いもしないし、大根の一本買いも、ここじゃあたり前のことで、照れないですみます。要るものは、みな手近にあって、なんでも居なりで用が足りるし……こういっちゃなんですが、きれいにする精もないから、お掃除なんかもしない。めんどくさいと、茶の間へ七輪を持ちこんで、朝から小鍋立こなべだてというんです。あなたにしたって、結構すぎるくらいのものだったでしょう。この生活に別れるのだと思うと……」
 嘘かまことか、賢夫人は調達局のハガキをながめながら、綿々と失楽園の嘆きをうたいあげた。
 この点、石田氏も同感なので、愚痴のひとつもいいたいところだったのだろうが、それでは見識にかかわると思ったのか、
「今更そんなことをいってみたって、どうにもなりはしない。問題は、あの家で、どう、やりくりしていくかということなんだ。お前さんのつもりは、どうなんだね?」
「あたしのつもりをきかれたって、お返事のしようがありませんね。どうせ、あたしの力には及ばないことなんですから……わずかばかりの俸給で、あの大きな邸を、どう切りまわせとおっしゃるんです? それはご無理というものですわ」
「俺の俸給の高は、いわなくともわかっている。あれは真理や原則のようなもので、たやすく動くことはない。来年になれば、急に十倍になるなんて性質のものではない。俸給のことをとやかくいうのは、言いがかりというものだ。相談をしているんだから、相談をしているような返事をしなくてはいけない」
「そうおっしゃいますが、これは相談にはなるまいと思うんです。あなたとあたしと、考えていることの根本がちがうんですから」
「へえ、どういう点で?」
「あなたは邸に移ることにきめていらっしゃるようですが、あたしは、なんとかしてあそこへ住まずにすめるように……つまりは、この生活をつづける方法がないものかと、そればっかり考えているんです。この点を調整しないかぎり、相談など、成り立つわけはなかろうじゃありませんか」
「そうねがえるなら、俺にとっても、これ以上のことはない。なにか、名案でもあるのかね」
「あの邸をへ寄附して、博物館にでもしてもらうわけにはいかないのでしょうか」
「夫婦は同体というが、頭のなかまで似ているとは思わなかった。苦しまぎれに、俺もそんなことを考えたことがあったが、いまとなっては、そういうこともできない」
「どうしてでしょう」
「役所では、俺の顔を見るたびに、どいつもこいつも、おめでとう、おめでとうという。俺には、皮肉を言われているとしか思えないんだが、そう言われたうえは、どうしたって、ひっこみがつかない。どんなことがあったって、帰らぬわけにはいかんじゃないか」
「そうでしょうか」
「このバラック住まいは、俺にとっても、涙のでるほどありがたいものだったが、それも、住むべき家を接収されたという、国家的な建前たてまえがあったればこそで、解除になった以上、どう理由をつけたって、これ以上こんなところに住んでいるわけにはいかない……なまじい、下手な工作をしたりすると、腹のなかを見ぬかれてしまう。あきらめて当座の運命に従うほかはない……このハガキに、こう書いてある……個人住宅が旧所有主に返されるときには、新たに、移転料と復帰費用が支払われる。なお、原状回復のため、最高、三ヵ月の賃借料を払う……原状回復というのは、なんのことだかわからないが、三ヵ月の家賃のほかに、移転料と復帰費用をくれるというんだ。どのくらい出すつもりか知らないが、それはそれとして、三ヵ月分の家賃が保証されているわけだから、移るだけは移っておいて、三ヵ月の間に、なんとか方法を考えることにしたらどうだろう」
「あたしの意志がよく通じなかったようですが、明日から、すぐどうなるなんてことを、心配しているわけじゃないんですよ。あなたは忘れていらっしゃるようですが、お家賃は、最初から三月後の後払いで、一昨日おととい、四月三十日に受け取ったのは、一月の分でしたから、二、三、四と、あとまだ三ヵ月は、だまっていても、ひきつづいて家賃が入る勘定なんです」
「すっかり忘れていた。すると、なんだね、原状回復費の三ヵ月分と家賃の三ヵ月分……合わせて六ヵ月は息がつけるわけだ。それだけの時間があったら、なにかいい知慧も出るだろうさ……まずこれでひと安心だ。前途に光明がみえたぞ」
「さあ、どうでしょう。そんなことで安心していられるなら、誰も心配などしやしません。終戦の直後は、山ノ手の土地や建物は、無代ただでも貰い手がないような時期でしたから、相続税は……それも切り換え前の旧円で、嘘みたいに安くてすみましたが、こんどの資産の再評価では、基準どおりにピシピシやられるでしょうから、六ヵ月分の家賃をみな投げだしたって、とても追いつく話ではありません。そのほうは、いったいどうなさるおつもりなんです?」
 石田氏は褞袍どてらの懐手を、大裟袈に[#「大裟袈に」はママ]うしろへまわし、動物園の猿のようにポリポリ背中を掻きながら、ものをいうたびに波のように揺れるぽってりとした賢夫人の口もとを、貧相な上眼づかいでジロジロとながめていたが、いうことがなくなったとみえて、詰まらなそうな顔で、むっつりと黙りこんでしまった。
 賢夫人はやめない。肥りすぎた物臭さのせいで、億劫がって、めったに口をきかないが、はずみがついてころがりだすと、とめようにもとまらなくなるのである。
「言いかけたついでだから、洗いざらい言わせていただきますが、この間の試験だってそうです。高級官吏試験虎の巻、なんていうあやしげな本を読んで、準備ができたらしいようなことをいって、胡魔化していらしたけど、あんないい加減なことじゃ、落第するのがあたりまえです。法規運用問題のほうはともかく、かんじんの農林関係の統計問題が、一つもわからなかったなんて、いくらなんでも、ひどすぎるじゃありませんか」
「法の根拠や範囲について、原則や習慣が確立していないと、手も足も出ないのが官吏の特性なんだから、これァどうしようもない。何事にも、しっかりした規定があって、それに従って動くようにばかりしつけられてきたのだから、官吏試験などという事例のないことは、俺にはできない。落第したって、べつに恥だとは思わないね」
「恥でないかもしれないけど、いやですね……試験をいい加減になすったのは、首を切られたって、アメリカの家賃で楽々食えると、あてにもならないことをあてにして、いい気になっていたからでしょう……その結果が、このとおりです。あんな大屋台を背負いこんで、税金を払うために、いまよりひどい暮らしをするなんて、バカげたことがあるでしょうか」
 石田氏は胸もとから手先だけだし、豊かとはいいにくい、薄手うすでな口髭を撫でていたが、
「そんなに厄介なら、火をつけて焼いてしまえばいい。それ以外に、手はなかろう」
 虚無的なことをいって、会議を荒しにかかると、五十雄君が、
「ちょっと、言わしてもらって、いいですか」
 と、つづきの六畳から仲裁に入った。
 特攻隊に入る前は、赤くなったり黒くなったり、思想の色目いろめを変えるのにいそがしく、頭脳の発達は、高校の一年生ぐらいのところでとまったが、ベッドにしばりつけられて、天井ばかりながめて暮らしているうちに、すき透るように眼のなかが澄んできて、どこかの聖人みたいな神々こうごうしい顔つきになった。めったにものを言わないが、なにかもめごとがあると、単純だが落ち着いた、道徳的な意見をのべる。千々子さまだけは例外だが、石田一家の倫理の規範は、ほとんどすべての場合、ジェラルミンのバックボーンを背負ったわが家の『良心』によって支配される。この楽園において、五十雄君の声は、あたかも神の声に近いものになっているのである[#「ある」はママ]
「鎌倉のなにやら氏の家は、ひどいボロ家だったそうですが、根太からぶちなおして、モデル・ハウスのような立派な洋館になっているそうです……明日は日曜だから、みんなで出かけて行って、実物を見てみたらどうです。またちがった意見が出るかもしれないな」
 神の声が、そうおっしゃった。
 それで、石田氏夫妻、長女、次女という組合せで、ともかく行って、実物を見てくることになった。


ミスタ・ワニ



 石田氏と百々子が寝ている六畳の襖を、千々子さまがホトホトと叩く。
「ハイヤーが来ますから、起きなさいね」
「ハイヤーが、どうしたって?」
「市兵衛町へ行くんでしょう、忘れたの?」
 わが家の楽園のある向山町は、目黒と境を接する渋谷のどんづまりで、空襲で焼けたあとへ、簡易住宅とバラックが、西向きやら東向きやら、てんでの方角へ入口を向け、櫛の歯のようにひしめきあっているので、家と家の間には道らしい道もない。道幅のある恵比須の通りへ出るには、よその家の庭を横切ったり、勝手口を跨いだり、二尺ほどの狭い庇合ひあわいを、身体を横にして擦りぬけたりするような芸当を、ものの十五分もやらなくてはならない。わが家の楽園は、そういうややこしい迷路の、奥のまた奥にあって、物見高い訪問者を避けるには恰好の地になっているが、とてもハイヤーなんか、辷りこむセキはないのである。
「ハイヤーは、どこへ来るっていうの?」
「恵比須の通りの、薬屋の角……なにをぐずぐずいってるのよッ。起きなさいったら、起きなさい」
 笑わしてはいけない。恵比須からなら、高級車ですッ飛ばせば、七、八分で市兵衛町へ行く。ところで、わが家のバラックから恵比須の通りへ出るまでには、いま言ったように、歩いて十五分はかかる。車で走るより、車のあるところへ行くのに時間がかかるのでは、なんのためのハイヤーなのか訳がわからない。
 ようすが変なので、玄関の三畳をのぞいてみると、賢夫人が第一装のアフタヌンをすんなりと着こんでいる。千々子さまのほうは半礼装で、戦中、ぽっくりいった愛人と見合いをするとき、たった一度だけした桃色真珠の首飾りをつけ、バラック社会とは縁もゆかりもない、別世界のひとのような顔ですましているのにはおどろいた。
 五十雄いそお君は、明日になったら意見が変わるだろうと予言したが、市兵衛町へむかしの家を見に行くというだけのことで、七年の間、親昵しんじつをかさねてきた庶民生活を、こうも、あっさりと裏切るようでは、この先の変節ぶりが、いまから思いやられるようであった、[#「あった、」はママ]
 そこへ石田氏が洗いざらしの古浴衣を、寝癖ねぐせのついた猪首いくびに着、冴えない顔で起きてきたが、二人の突然異変をながめるなり、よほど印象が悪かったとみえて、ツイ眼を外らしてしまった。
 もともと寛容な性なので、かくいう百々子は、そうまでのことはしなかったが、石田氏のほうは、腹をたてて、すっかりひねくれてしまい、わざわざ、袖口に貧のほつれの見えるスコッチの古服に着換え、煤払いに雇われてきた労働者一般といった恰好で、
「仕度がよかったら、出かけようか」
 と、慇懃に庭先から別世界のひとたちを誘った。
 庭の木戸から前の横通りへ繰りだすと、なにごとかとおどろいて、流し元から走りだしてきた、七年の朋輩なる近所のおかみさんや小娘は、桃色真珠の光に眼を射られてタジタジになり、わけもわからずに、むやみにお辞儀をするのは、気の毒とも恐縮ともいいようのない光景であった。
 ハイヤーに乗ると間もなく、あっという間に麻布の家の前に着いた。
 大きな石の門の前に、拳銃をさげたSPのガードが一人立っていたが、石田氏が英文の身分証明ステータスを見せると、通ってよろしいと、愛想よくうなずいてみせた。
 御所造りの表玄関につづく、砂利道をうねり上って行くと、軍所属の家具を引き取りにきた米軍の大トラックが三台、車寄せの前にとまって、空色の労働服を着たアメリカ人が五人ばかり、芝生に寝ころがって煙草を喫っていた。
 それはともかく、あまりにも変わりはてた一帯のようすに、石田の一家は思わず眼を見張った。
 古代の呪いがかかっているような、くすみにくすんだ大玄関の式台と、けやき大引扉おおひきどは、眼もさめるような青林檎色のペンキを塗られ、ディッケンスの古いアメリカの絵にある、清教徒の郷土の館邸マンションのようなロマンチックな見かけになっていた。
 御所造りの一廓につづく、もの佗びた明治風の洋館の屋根は、くすりのかかったピカピカ光る緑色の陶瓦に葺きなおされ、無骨な窓枠がはまっていた窓は、のこらず線の細いスチールサッシュにかわり、軒蛇腹と胴蛇腹は、褪紅色と薄桃色の染め分けで、三色クリームのかかったデコレーション・ケーキそっくりという、笑いだしたくなるような花やいだようすを見せている。
 うるさい勾配のついた江戸千家風の茶庭は、いちめんに平らな芝生になり、大きな緋鯉のいる、ひろびろとした丸池があったあたりに、飛込み台と供水ポンプのついたタイル張りのプールができ、いぜん、筋落すじおちの小滝が、すずしい音をたてていた築山のつづきの崖は、コンクリートで塗りつぶされ、テニス・コートの背壁バック・ウォールに使われているという、信じられないような変貌をとげていた。
 庭もそうだが、長女の変わりかたも、はげしかった。麻布の家の門を入るなり、千々子さまは、ひとがちがったようになってしまった。浮世のことは、万事、いやといった、ひとの気持を滅入めいらせるような、じめじめした表情はどこかへ飛んでしまい、思いだし笑いをしたり、口のなかでブツブツいったり、ひとりで浮き浮きしていた。プールとテニス・コートの全景をながめやり、まわりの風致ふうちに調和するような音楽的な声で、
「これが、お化けでも出そうだった、あの気味の悪い邸なんでしょうか……むかしのおもかげなんか、どこにもありませんわねえ」
 と、うっとりしたみたいな声で、石田氏にいった。石田氏は、面白くもないような顔で、舌打ちをしながら、
「おもかげどころか! あそこをみろ。バカなことをするやつも、あるもんだ」
 と西の地境いのほうを指した。
 庭端にわはなの地境いになるところに、大きな松林があって、真西からさしかける陽を防いでいたものだが、樹齢五百年という有名な黒松の樹牆じゅしょうが、一本のこらず、おなじ高さに頭をちょん切られたうえ、幾何模様のように枝を間引まびかれてしまったので、地境い一帯が、むやみに陽あたりがよくなっている。
 さすがの百々子も、呆れて、ゲラゲラ笑っていると、お早うございますといって、調達局の調査班だという若いひとがやってきた。
「さっそくですが、おねがいいたします」
 引合せの前に、改変の程度を、ざっと下見しておいてくれというので、それから、四人でつながって、邸のなかを見て歩いた。
 足ついでに、西北にあたる一廓からはじめる。
 西北の端になるところは、もとは上ノかわやといって、繧繝縁うんげんべりの畳を敷いた、二ノ間付き八畳の厠で、地袋じぶくろの棚に、書見台と青磁の香炉が載っているという、格調の高い場所だったが、そこが、どういう都合でか、三方にフランス窓をあけた、小粋シック小客間プチ・サロンに改造されているのには仰天した。
 植込みのなかに突きだした『ご不浄のサロン』は、芽出しの若葉に三方から囲まれ、ソファに坐って窓のほうを見ると、いぜん、われわれが、しゃがみながらながめたその位置に、むかしどおりの布袋竹ほていちく丁字ちょうじの葉むらが、そよそよと風にそよいでいる。お尻のあたりが、みょうに、こそばゆくて、落ち着いて掛けていることができなかった。
 そこから、太鼓なりの渡橋わたりをわたって、入り側になった広廊ひろろうへ行く。
 ながながとつづくここの畳廊下で、子供のころ、よく駆けまわって遊んだものだったが、むかしの夢のあとなどは、どこにもない。畳敷きだったところは組木のゆかになり、ラックを塗って、舞踏場の踊場ダンシングのようにつるつるにしてある。つい最近、ここでダンス・パァテーがあったのらしく、滑粉パウダーを撒いたあとが白く残っていた。
 ラック塗りの広廊を見ると、千々子さまは、また昂奮状態になって、
「まあ、すてき」
 とかれたようにつぶやき、頬を上気させながら、さりげないようすでステップを踏みだした。
「今日は、ご気分がいいようですね……天気のせいかな」
 千々子さまは、うしろにいる石田氏に聞えないように顔を伏せながら、
「天気がどうしたって? ……プールがあって、テニス・コートがあって、ダンシングがあって……これで、自動車があったら、申しぶんないわ」
 と百々子にささやくと、賢夫人の腰を突ついて、二人で奥のケチンを見に行った。
 広廊の東のならびは、いかめしい上段ノ間と、大小二つの書院がつづきになっていたが、ここにも徹底的な改変があった。
 入り側にむいた吉野障子は、すり硝子とニッケルを組み合わせた、モダーン・タイプの硝子扉ケースメントになり、なにやらの工匠たくみが彫った有名な欄間と、銀の引手のついた花鳥の絵襖えぶすまが取り払われ、襖のあったところにテックスの間仕切りができ、ぞっとするような富士山の油絵がかかっていた。
 上段ノ間と二つの書院は、テックスの壁で仕切られて、三つの独立した部屋に成り上り、おのおのの部屋には、ベッドと電気冷蔵庫がついて、独身者アパートのような趣きになっているのである。
 暗ぼったい違棚のあったあたりに、ニス塗の扉が見える。なんだと思って開けてみたら、違棚のほうは衣裳戸棚に、下地窓くだじまどのついた三方壁の古式の袋床ふくろどこは、天井まで白いタイルを張りつめたトイレ兼用のシャワーになっていた。
 書院のトイレは、ありふれた水洗便所の形式だが、上段ノ間のほうのは、見たことのないような奇妙な仕掛けになっている。腰掛け式の白い瀬戸の便器のまんなかに、十二センチぐらいのニッケルの管がおっ立っているだけのものだが、便器のそばのペダルを踏むと、管の先から、噴水のように、シュッと水がふきだす。
 賢夫人と千々子さまは台所ケチンを見に行き、石田氏は不機嫌な顔でソファに掛けている。退屈になったので、百々子がペダルを踏んで水を出して遊んでいると、石田氏は顔を顰め、にがい調子で叱りつけた。
「それはビデェだ。馬鹿な真似は、いい加減にしてよせ」
「ビデェって、なに? これはなにをするものなの?」
 石田氏は横をむいて煙草をっていたが、
「女のひとが、腰湯をつかう器械……洗滌器だ」と吐きだすようにいった。
 いっしょに家の中を見てまわるはずだった調達局のひとは、いつまでたってもやって来ない。石田氏は、言いたいことが腹に溜まりたまっているふうで、煙草を喫いながらジリジリしているところへ、馴鹿となかいの黒いハンド・バッグを抱えた、二十四五の女のひとが入ってきた。黒い裾長すそながのスカートを着て、ネットのついた、黒いフェルトの帽子をかぶっている。
 石田氏は、調達局の通訳かなにかが、迎いに来たのだと思ったらしく、
「調査班の方ですか。私は石田です」
 といいながら、ソファから立ちあがると、女のひとはヘドモドして、
「いえ、あたしはちがうんです」
 と逃げるように部屋から出て行った。


 台所見物に行った賢夫人と千々子さまが、電気レンジがどうの、オーヴンがどうのといいながら上段ノ間へ帰ってくると、そのあとから、画板付きの大きなスクリプトを、紐で首から吊るした、さっきの調査班の若いひとが入ってきた。
「お待たせいたしました……ご一覧になりましたら、ごいっしょに、玄関から順に、ひと部屋ずつまわって見ましょう。日本家屋のほうは、だいぶ改変があったようですから、引き合わせをするだけでも、相当、時間がかかりましょう……特に、これはひどい、というようなところが、ございましたか?」
 石田氏は、喧嘩をするつもりなのか、ひどく刺激的な微笑をしてみせた。
「特にひどいというところが、あまりにも、ありすぎるんでねえ」
 調達局は、逆らわない。まるく熟した、下町風の笑顔でうけた。
「どうか、どんどん、おっしゃって……片っ端から、サラサラッと記録していきますから」
「待ってください。その前に、改変にたいする、補償の原則や、事例をうかがっておきたい」
 石田氏は、そこのソファに掛けろと、官僚の横柄な身振りをしながら、
うちのものも、いろいろとお聞きしたいことがあるらしいから……」
「われわれとしては、お家族連れでお出でくださるほうが、ありがたいので……ご婦人の方は、悪くされたところよりも、よくなっているところを、よけいに発見してくださるんです……いま洋館のほうへいらした、黒い服を召したお嬢さまも、なかなか面白いところを見ていられました」
「黒い服? ……それは、ちがう。私の家族は、ここにいるだけだ……つかぬことを伺うようだが、ここには、どういう連中が住んでいたんだね? 私のほうには、シュラー・ハークネスというひとがいたことがわかっているが、そのほかに……」
「私は家屋家具の管理を担当しているので、そのほうは、ぜんぜん……接収家屋の貸借は、調達局の契約部長が、管理部長から借りる形式になっております。つまり管理部長と契約部長の間の契約なので、いちいち当ってみないかぎり、どんな人間が入っているのかわからないことが多いので……」
「おたずねしたのは、そういうことじゃない……最初、シュラーというひとが、家族連れで、むこうの洋館に住むようになった。そのため、私はシュラー氏にたいする賃貸料をもらっていた……ところで、日本家屋のほうの設営や間仕切りのぐあいをみると、ほかに、相当の数の人間が住んでいたと思われるのに、それに関して、今日まで、なんの通知も受けていない……これは、どういうことだったのでしょうな。担当ちがいの君にたずねても、仕様のないようなものだが」
「全部の顔を見たわけでありませんが、たしかに、大勢、住んでいました……アメリカ人ばかりではないので、比島人、瑞西人、和蘭人、メキシコ人、いろいろだったようです。それがさかんに社交性を発揮するので、この邸はえらい繁昌でした。ショルダー・バッグを肩から吊るした女どもが、毎日、二三十人ずつもやってきて、プールで大騒ぎをするので、近所では、評判だったようです」
 そこで、ガイタンに耐えぬというような顔つきになって、
「話はちがいますが、職業の性質によるのか、彼等は、ふしぎに運動をしたがりませんね。あんな立派なテニス・コートがあるのに、ぜんぜんやらんのです……プールに入っても、縁につかまって沈んでいるだけで、泳ぐやつは一人もいない……ひょっとすると、身体を洗いにくるのではないかと邪推したくなるくらいで、プールから上ると、あとはただ、ぐったりと芝生に寝ころがっているだけです……デマだろうと思いますが、近所の子供が、そこのプールへ落ちこんだら、溺死する前に、眼がつぶれたそうで、ほんとうの話なら、彼等は、えらい毒性を持っているもんですな。この間、水を落したのに、だれかまた一杯にしてしまいましたが、あのプールは危いです。ご希望なら、さっそく消毒させます」
「あんなものは使わないから、その必要はなさそうだ。それは後の話にして、まず、この部屋のことだが、こういう改変の仕方は、すこしひどすぎるとは思わないかね? ……ここはもと、さる大名の中邸で、建築名鑑の写真にも残っている、典型的な上段ノ間だったのです……広縁の前の手摺りは、桂御所の写しで、いま君のいるところは、清閑院風の杉戸があった。それはまァいいが、あそこの床脇とこわきの棚は、醍醐の三宝院の古いものをそっくり持ってきたので、国宝ぐらいのねうちのあるものだった。それが跡形もなくなって、言語道断な不潔な場所に改変されている……ドアがいているから、君のところからも見えるだろう。あの物件は、なんだと思うね? 私は、いくらか外国を見て来たから知っているが、あれはビデェというもんですぜ。婦人の洗滌器です……改変といっても、こんな無茶なやりかたは、あるもんじゃない」
「よく、わかりました……どこから手をつけるのもおなじことだから、この部屋からはじめましょう。どの程度の原状回復を、お望みですか」
「原状は建築名鑑にあるから、それに準じて、そっくり、もとのとおりにしていただきたい……いま、われわれの居るところは、広廊のつらから七寸高くなっていて、縁に鶴丸つるまるの小紋を散らした備後畳が敷いてあった。それも、もとのようにしていただく」
 そんなことをいっているとき、さっきの労働服を着たアメリカ軍が五人ばかり、前後あとさきになって入ってきた。
「パードン」といって、みなを立たせると、マークでもしてあるのか、椅子もソファもひっくり返して裏をしらべ、片っ端から運びだしにかかった。
 机も、ベッドも、フロア・スタンドも、壁の絵も、みなつぎつぎに消えてなくなり、最後に電気冷蔵庫が残ったが、間もなく、それも持って行き、空家のような、寒々とした環境になってしまった。書院だった隣りの部屋をのぞくと、そこもまた同様で、家具と名のつくものは、なにひとつない。話のつづきは、勢い立ち話になり、われわれはテックスの間仕切りに凭れて聞いていた。
「調達局としては、出来るだけご満足のいくような状態に復原するつもりですが、すでに壊されてしまった国宝を、原状と変らぬニュアンスで再現するなんてのは、人力では及ばぬことです」
「可能か不可能か知らないが、私は要求する。この部屋だけのことではない。接収された物件……建物も庭も含めて、一切、原状にかえしてもらいたい」
「ここの改変のしかたは、たしかにひどすぎますから、感情的になられるのも、無理はありませんが、しかし……」
「他人の感情のことは、放っておいてもらいましょう。余計なことをいってはいけない」
「お腹立ちになるのは尤もですが、改変のうちには、あなたのほうに、プラスになっている部分もあるはずですが、そういうものを、お認めくださるわけにはいかんのですか」
「たとえば?」
「この部屋だけについていえば、あそこの硝子扉ケースメントなどは、もとの古ぼけた吉野障子より、たしかにプラスになっているはずですが」
 賢夫人が、だしぬけに発言した。
「それはそうですとも。このほうが、明るくて、どんなに気持がいいか知れやしません……プラスですとも」
 石田氏は賢夫人に、そこでよけいな口をきくことはない、とたしなめておいて、
「失礼だが、私の見るところでは、プラスになったものなんか、ひとつもないね。だからこそ一切合財、原状にかえしてくれといっているんだ」
「ちょっと質問いたします。たとえば、庭の西境いの松の木ですが、ああいうぐあいに、頭をちょん切られてしまうと、どうしたって、原状回復はできない。庭木は補償の対象に含まれていますから、金で補償することになりますが、それは、お認めくださるでしょうか」
 石田氏は、それにも逆らってみたいふうだったが、理の当然に服して、渋々、うなずいた。
「それは、しょうがない」
「そういたしますと、人力をもって原状回復できないものにたいしては、補償をお認めくださるわけですね?……ついでだから、申しあげておきますが、プールは三百万円、テニス・コートのほうは、あれで八十万円ばかりかかっていますから、建設費相当分をお払いねがうことになります。しかしそれは、こちらでお払いする分と、相殺そうさい勘定になりますから、たいしたことには、なるまいと思います」
「飛んでもない……プールとテニス・コートは、取り壊して、もとの荒地にして返してもらうつもりだから、相殺もくそも、ありはしないのだ」
「おどろきましたな……あれを壊すとなると、取り片附けの費用は、国が負担することになりますが、あんなに立派にできているものを、壊してしまうのですか」
 調査班の若いひとは呆気にとられ、スクリプトを抱えて引き退って行くと、待ちかねていたように、石田氏と賢夫人の間に、もんちゃくが起こった。
 二人のかけあいの合間に、千々子さまが賢夫人の耳元で、ぼそぼそ囁きながら、なにか、しきりにしかけている。いつにない石田氏の激昂ぶりに恐れをなした千々子さまが、賢夫人を突っついて、プールとテニス・コートを、そっとしておこうというのらしかった。
 石田氏としても、むかしどおりの上段ノ間に復原できるとは思っていない。筋のとおらぬ横車を押しとおしたのは、調達局と訴訟でもすることになれば、その間、体面をそこなうことなく、バラックの楽園に居据っていられると思ったからにちがいない。賢夫人の希望も、あわせてかなえたわけだったが、それが相手に通じないとは、おかしな話なので、石田氏は腹をたてて、ゆかの上に胡坐をかいてしまった。
「こんな大屋台を背負いこんで、税金を払うために、みじめな暮らしをするのはいやだといったのは、お前だったな。いったい、どこが不服なんだ」
 賢夫人も、立ち疲れたとみえて、桃尻になって、しゃがみこみながら、
「むかしの、古邸のさましか浮ばなかったので、たしかに、昨夜は、そう申しましたが、今日、見て歩いているうちに、気持が変ったんです……いずれ、千々子をかたづけなくてはならないのですが、あんなバラックから嫁にやって、終生、みじめな思いをさせるより、こんなうちから出してやられたら、千々子にしたって、嬉しくないことはないでしょう……虚栄だとおっしゃるかもしれませんが、嫁にやる娘を持つ母の心は、たいていこうしたものなんです……あなたが無理を押してくだすったので、資産再評価のほうも、未決定のまま、先へのばせるわけですから、庭木のほうで、うんと補償金をとってくだされば、女中ぐらいおいても、やって行けると思うのですが、いかがでしょう」


 石田氏は、計算尺と鉛筆を使ってコツコツやらなければ気のすまないほうで、問題を細かく分けて、いくつも小さな答をだすが、賢夫人のほうは、ゆっくりと時間をかけて、頭のなかに数表やグラフを貯めこみ、かれこれと睨みあわせ、充分に練りあげたうえ、大局から判断して、おもむろに、まちがいのない答をだす。読みの深い将棋指しのようなもので、いまおろす差し手は、三年も前に見透してしまった手だと思って差し支えない。
 うちの賢夫人ほどの将棋差しが、家の変りかたを見たぐらいで、かんたんに指し手を変えるとは考えられない。この思いつきは、講和発効と同時に、個人の収用家屋が返還されるだろうという噂があったころ……ひょっとすると、はるかむかしに起案されたもので、バラックの貧乏暮らしが楽しくてたまらないなどと、心にもないことをいいながら、頭のなかで、ゆっくりと練りあげていたのだったらしい。
 石田氏は、シュラーという表札を見ただけで、這々ほうほうのていでひきさがったが、賢夫人たるものが、自分の家を他人がどんな使いかたをしているか、見すごすわけはないから、こんなことは、とっくのむかしに知っていたのだと見ていい。
 昨夜、とやかくと言説を弄したのは、賢夫人の側に主張がましいことがあると、かならず反対のほうへねじくれる、石田氏のしつっこい気性を利用しようとしたのにすぎない。石田家の家族史をひもとくまでもなく、過去の事例どおり、反対さえすれば、わけなく思う壺にはまるはずだったが、そうでなかったので、大きな誤算になった。
 ところで、石田氏のほうも、計算尺の細かい目盛で鍛えた強い視力を持っているので、だまされっ放しになるようなことはなく、賢夫人の今朝の装いを見るなり、事の成行きをおおよそのところまで洞察してしまった。賢夫人と長女が、組になって台所ケチンを見物に行ったとき、間もなく、二人がなにをいいにくるか、そのとき、もう予知していたのである。
「お前の望むようにしてやったのに、なにが不服だ」という一言は、石田氏にとっては、勝利の歌にあたるものだったから、母性愛をカセにした賢夫人の申し出も、なにを馬鹿なと、軽く一蹴され、それで、事は終ってしまった。
 べつな調査班が迎えに来て、本式の点検がはじまり、管理部と石田氏の間に、重ねて、むずかしい掛合いがあった。
 復原問題については、相互の間で折衝をつづけるという附帯条件付で、七年の間、毛色のちがう、見知らぬひとに占領されていた麻布の家は、めでたく旧所有者の手にかえったが、SPのガードは、受け渡し完了と同時にひきとってしまったので、係争中は、旧所有者側に、失火、盗難、その他の事件によってひき起こされる、建物構造物の損害を防止する義務が生じることになった。
 これからいく日か、家具ひとつない、がらんどうの空家で、紛争が落着するまで、毎夜、建築構造物の保護にあたる役目は、石田氏にとっても、ありがたいものではなかったろう。いらざる横車を押さなかったら、こんな羽目にならずにすんでいたと、後悔しているふうだったが、立って動ける男といえば、石田家には、石田氏しかいないのだから、どうしようもない。石田氏が役所に出ている間は、長女の千々子さまと次女の百々子が、隔日の交替制で出張する。石田氏は、早目に夕食をすまして、昼の部と交替する。賢夫人は、五十雄君の看護の手すきをみて、食事を運んでくる……という割当てになった。
 その翌日は『こどもの日』で、役所はお休み。したがって、石田氏の夜直は、そのまま翌日の午後までつづくことになった。
 翌朝、十時近く、賢夫人と百々子が、遅い朝食を持って麻布へ出掛けて行くと、石田氏は、むかしの上段ノ間の床に貸蒲団を敷き、意外にも、沈着な相好で眠っていた。
 広廊の段々に腰をかけて、目がさめるのを待っていると、となりの部屋で電話のベルが鳴った。百々子が電話に出ると、女のひとの声がいきなり耳に飛びついてきた。
「こんちは、あたしのワニちゃん、ご機嫌いかがなの? あたし、誰だかわかるでしょ?」
「もしもし、なんでしょうか」
「なんですかって、なによ……あなた女中さんね、ワニちゃんに出てもらってちょうだい」
 わが石田家には、ワニちゃんなんてひとはいない。よそとまちがえて掛けたのだろうと思ったが、念のために、賢夫人に聞いてもらうことにした。
 賢夫人が代って電話に出た。さっきの冴えた声が、跳ねだすように受話器から洩れてくる。
「ワニちゃん? あなた、死んだわけでもなかったのね。このせつ、ちっともシマに現われないってんでしょ……ええ、さっき金田へ寄ってみたうえのことなの……ですから、もしかして、ご病気なんかじァないかしらと思って……あちらへ電話をかけたら、なんとかの日でお休み。面白くないから、ほうぼうへ電話を掛けちらしたうえで、やっとそちらにいらっしゃることがわかったの。昨夜から、泊りこんでいらっしゃるんだって?」
 ありふれた挨拶にすぎないが、淀みもなく繰りだしてくる言葉の様子のよさときたら、あっと叫びだしたくなるくらいだった。会話のやりとりをさせたら、うちの賢夫人も、相当なまどわかしの名人だが、俗受けばかりねらうので、おなじことをしゃべらせても、この半分もスマートにいくまいと思われた。
 いま電話で流麗と話しかけているのは、赤坂とか新橋とか、そういったところの一流に近いひと……さもなければ、よく切れる、待合の若い女将といった向きなのだろうが、うちの石田氏なるパパが、そういう方面に深入りして、あたしのワニちゃんなどと呼ばれていたとは、今日の今日まで、まるっきり知らなかった。
 復員後、間もないある夜、石田氏が酔って帰ってきて、賢夫人にこんなことをいった。
「今日、宴会の流れで、なんとかいう銀座の大きなキャバレへ行った。五百人からの若い女が、広くもない客席で、ひしめいている壮観を想像できるかね? そのすさまじさといったらない。このごろのような、バカな芸者の相手になっているのも悲劇だが、あんなふうに、女がダブついているのを見ると、なにか、あわれで、気が滅入めいってしまうよ」
 バラックの楽園に住みつくようになってから、石田氏は急に爺むさくなり、日乾しのきいた干鱈ほしだらの枯淡な風情で、人間らしい情緒などは、どこからも感じられなくなってしまった。そのときのキャバレの話に関連して、石田氏はすっかりダメになって、あとは、胃癌か中気になるのを待つばかりという、人生の地味なところへ落着きかけているのだと、次女も賢夫人も、信じていたのである。
 上品めかした嘘をいって、われわれ肉親を今日まで欺していたかと思うと、二重に腹が立って、軽蔑してやりたくなるが、勿体らしい石田氏が、どこかの一流のひととれあって、ワニだのハトだのと、愉快にやっているところを想像するのは、そんなに不愉快でもない。
 百々子の気持は、いくぶん同情するほうへ傾きかけていたが、賢夫人のほうは、同情どころのさわぎではないらしい。まなじりを蒼ずませ、なにか叫びだしそうな憤怒の形相をしていたが、さすがに環境をわきまえ、無言のまま、受話器を置いた。
 賢夫人は、さりげないようすで広縁にもどると、さっきの段々に腰をおろし、いつもの、たるんだような顔になって、柱に凭れてうつらうつらしだした。
 知らないひとが見たら、居睡りをしているのだと思うだろうが、これは、うちの賢夫人が、手足の力をぬいて、あるだけの思考能力を、大脳に非常呼集しているすがたなのである。
 百々子には、石田氏の立場もわかるが、賢夫人の心境も察しられないわけではない。どうせ、はじまるものははじまるのなら、すこしも早く機会を与えようと、座をはずして、表玄関のほうへ遊びに行った。
 百々子のつもりでは、玄関脇のあたりでとき待ちしているつもりだったが、広廊の端まで行かないうちに、もう後ろで戦争がはじまった。
 雄叫おたけびのもようからおすと、今日の戦争は、相当、長びくことになるらしい。芝生にでも寝ころがって、待っているほかないと覚悟しながら、いぜん提灯部屋といっていた、玄関脇の部屋の角を曲ろうとすると、むこうの洋館につづく渡橋わたりのあたりで、チラと女のひとの後姿を見たような気がした。
 千々子さまは、五十雄君のそばにいるはずだから、こんなところへあらわれるわけはないが、なにか急用ができて、賢夫人を探しているのかもしれないと思って、
「お姉さま、ここよ」
 と声をかけたが、答えはなかった。
 束の間の印象を辿りかえすと、昨日、上段の間へ入ってきた、黒いスーツを着た女のひとの後姿に似ているようだったが、考えているうちに、ほんとうに人の姿だったのかどうか、自信がなくなった。


 お勝手のほうで、石田さん、石田さんと呼んでいる。出てみると、黒い服を着た男のひとが立っていた。
「石田ですけど」
「水道局ですが、水道料を……五千百六十円です」
「それは、前のひとの分じゃありません? あたしどもは、まだ越して来ていないんです」
「前にいらした方の分は、四月十六日にいただきました。これは、それ以後の分です。プールの水の使用料……四百三十立方米になっています」
 バラック住居の現在において、わが石田家が水道局に支払う料金は、毎月、百円そこそこだから、五千百円の水道料なんて、考えられもしない。いちどプールを満水にすると、石田氏の月給の四分の一がすっ飛ぶというのでは、将来、この家に住むようになったら、石田家の家計は、ものすごい痙攣けいれんを起こすのだろうと思われた。
 当方においては、過去にも現在にも、そんな莫大な水道料を払う能力をもってないのだが、水道局のほうでは、そんなことは知らない。簡単に払ってもらえるものだと思って、のんきな顔で待っている。百々子ごときの、手にあうことではないので、いそいで石田氏を呼びに行った。
 上段ノ間のケースメント越しにのぞいてみると、貸蒲団屋の夜具が、さんざんに蹴散らされ、賢夫人は、壁際の床の上に足を投げだして坐り、石田氏は、その前に立って、肩で息をついていた。
 地形と地物の情況から判断すると、戦闘は、まず夜具の周囲で展開され、いくどか遭遇戦があったのち、壁ぎわへ移行して、そこで決戦になったものと思われる。
 石田氏は立ち、賢夫人は腰をぬかしているので、最初の瞥見では、石田氏の完全な勝利だったような印象を受けたが、それはちがった。
 足を投げだして坐っている賢夫人は、いかにもすずしげなようすで、悠然と髪を撫であげ、石田氏のほうは、絶句して蒼くなって震えている。相互の関係から推察すると、石田氏は措辞そじに窮したすえ、逆上して戦力に訴えたもので、明かに、石田氏の負けだったのである。この際、こういう話をもちこむと、たぶん激発するだろうと思ったが、五千百六十円と聞くなり、石田氏は、はたして腹をたてて、
「よし、おれが行く」
 と早足で部屋から出て行った。
 放っておけないような気がするので、後からついて行くと、石田氏は、ズボンのかくしに両手を突っこんだまま、水道局の前に立ち、戦闘の直後とも思えぬ冷静な官僚の顔で、
「どういう話です」
 と切りだした。
 水道局の言い分は、三月末日に、調達局から収用期間中の支払いを受け、バルブを開けて水を落してしまったので、その後に満水された分にたいしては、旧所有者に支払いの義務があるというのであった。
 石田氏は、聞けども聞かざるごとくに、茫々と突っ立っていたが、そのうちに、批評の余地を見いだしたのか、
「誰がプールに給水したか、君のほうで、確認しているのかね」とたずねた。
「そんなことは、私のほうには、わかりません」
「それじゃ、漏水だろう」
「なんであろうと、メートルに出ていれば、規定によって、払っていただくことになっています」
「そんなものに、払う金はないから、いくど言っても無駄だ。それでは困るというなら、水道をとめるなり、訴えるなりしたらいいだろう……大いに望むところだから、やってくれたまえ」
 表玄関のほうで、だれかガヤガヤ騒いでいる。なんだろうと思って、出て見るなり、緋や、緑や、黄や、舞いたつばかりの威嚇するような色彩に眼を射られて、タジタジになった。
 お揃いのようにショルダー・バッグをかけた、十八九から二十四五ぐらいまでの女のひとが二十人ばかり、車寄せの芝生に足を投げだし、ピクニックにでも来たような気楽なようすで、笑ったりしゃべったりしている。
 どのひとも桃色のドーランを塗って、金時きんときそっくりの赤い顔をし、額まで隠れるような、緑色の大きなサン・グラスをかけている。緋色のワンピースを着て、植木鉢を逆さにしたような、ブルトンという帽子をチョコンと頭にのせた、二十四五の、ずんぐりしたのが大将らしく、耳の下まで届くような大きな口をあいて、なにかいっては、みなをゲラゲラ笑わせている。
 百々子は五分ばかり式台に立っていたが、退散しそうなようすもないので、おそるおそる声をかけてみた。
「ご用は、なんでしょう」
 女達はジロリとこちらへ振り向くと、顔を見あわせて、いちどにドッと笑いだした。その笑いかたのなかに、悪意と呼ぶに足りる、あてつけがましい調子があるのに気がつくと、参ってしまって、手も足も出なくなった。
「御用は、だとさァ……アマめ、高ぶったみたいなことをいいやがる」
 寝そべって煙草を喫っていた、赧っ毛の娘がそういうと、肱を立てて、こちらへ顔を向けた。
「メードさんよ、部屋へ行って、ワニちゃんにそういってくんな。横須賀から、白百合組が来ましたってな」
 騒ぎを聞きつけて、賢夫人が出てきた。キッと顔をひきしめて、
「なんですか、あなた方は」
 と荘重な声で叱りにかかると、女達のなかから、頓狂な野次が飛んだ。
「よォ、しろデブ」
 賢夫人は、相手にするに足らずといった、ツンとした顔で、上手じょうずにひっこみをつけると、脇玄関から垣のぞきをしている石田氏に、
「あなたを呼んでいるんでしょう。早く、お出になったらどうです」
 といって奥へ入った。代りあって、石田氏が出てきた。
「おいおい、ここは公園じゃないんだから、勝手な真似をしてもらっちゃ、困るね」
 芝生の上は、ちょっとの間、しずかになったが、石田氏のほうを尻目で見ながら、すぐまた、ガヤガヤいいだした。
「チョビ髯を、はやしてやがら。シケた野郎だな。あんなコック、いつ来たんだ?」
 コックという一言は、石田氏にとって、よほど心外なものだったらしい。ギクシャクと頬をひきつらせながら、女達のほうを睨みつけていたが、
「出て行かないと、SPを呼ぶぞ」
 と、むやみな声で怒鳴りつけた。
 大将らしいブルトン帽の女は、煙草を横銜えにしたまま、石田氏のほうを見ていたが、ポイと芝生に煙草を投げだすと、ショルダー・バッグを揺りあげながら、のっそりと立ちあがった。
「話を聞きに行こう」
 女達は、その声にひきあげられるように、一斉に立ちあがると、大将を先頭にして、ゾロゾロと石田氏のほうへやってきた。
 大将は、両足をうんと踏みひらいて、腰骨のところへ手をあて、ひんがら眼で石田氏を見あげながら、裏枯れ声でいった。
「おめえ、いま、なんとか言ったな。あとがあるなら、聞こう」
「SPを呼ぶといったが、それが、どうした」
「SPを呼んで、それから、どうする? おれたちを、縛らせるとでもいうのかよ。はっきり言ってみてくんな……おれたちは、ワニちゃんを遊ばせに来たんだ。SPに縛られるような、悪いことをしたおぼえはねえか[#「ねえか」はママ]
「この家に、ワニなんて人間は居ない」
「ワニちゃんでは、通じねえか。そんなら、エルマーさんといったらわかるだろう……ご泰平なつらをして突っ立ってねえで、お取次ぎをしろ。まごまごしやがって、小便をひっかけられんな、このチョビ髯野郎」
 女達が、声をあわせて笑った。
 むっとした顔で、石田氏がひっこみかけると、後ろから、
兵六玉ひょうろくだまァ」という痛快な声がかかった。
 賢夫人が電話をかけたのだとみえて、そこへ警官が二人やってきた。
 大将は、畜生ッ、巡査を呼びやがったな、どうするか見ていやがれ、と靴のままで式台に飛びあがって、大荒れに荒れたが、警官は、この家は代が変って、君達の友達はいないのだから、乱暴してはいけないと上手に揉みほぐし、束にして押しだしてしまった。
 そのあと、百々子は、石田氏と二人で、六本木の安食堂でラーメンの夕食をすますと、帰るのが億劫になって麻布の家に泊った。石田氏は昼間の戦闘の疲れで、消耗したように眠ってしまったが、百々子のほうは、ガランとした空家にさしこむ月の光に脅えて、おそくまで寝つけなかった。
 十時ごろ、あまり遠くないところで、自動車のとまる軽い車輪の弾みを聞いた。しばらくすると、こんどは広廊のほうで、ゆかに靴底の擦れる特徴のある音がした。
 たしかに、人の足音だとわかっているのだが、気がたかぶっているせいか、怖いという感じはなかった。寝床をぬけだして、裸足で部屋から出てみると、黒いスーツを着た女のひとが、広廊のむこう端を、雲を踏むような足どりで、入り側からさしこむ月の光を浴びながら、洋館につづく渡橋わたりを歩いているのが見えた。
「お父さま、ちょっと起きて」
 石田氏は、ギョッとしたように跳ね起きた。
「どうした」
「洋館に、誰か居るんじゃないかしら……なんだか、そんなふうなの」
 石田氏は懐中電灯を持って出て行ったが、二十分ほどして、ぶらりと帰ってきた。
るものなんか、なにもありはしないのだ。ぬすっとが入るわけは、なかろうじゃないか」
 そういって、寝てしまった。
 石田氏の鑑識で、誰も居ないというなら、居ないのだろう。自分で行って、探してみるほどの興味もないが、あの女のひとは、なぜ、いつもあんなところを歩いているのだろうという疑問が、心について離れなかった。
 翌日の昼の部は、千々子さまがなすった。夕方、帰っていらっしゃるなり、百々子に、こうおっしゃった。
「昼の部は、これから、ずっとあたしがやります。こんな狭いところでおし重なっているより、ひとりで空家のほうが、どんなに気持がいいかしれやしない。うるさいから、あなた、もう、当番にいらっしゃらなくていいのよ」
 そのときは、なんだとも思わなかったが、あとになって考えると、そのとき、どうしておかしいと気がつかなかったのか、そのほうが、よほどふしぎだった。
 六日目の夜は、石田氏と二人で夜の部をやったが、次の朝、五時頃、三人ばかりの国警が踏みこんで来て、ちょっと捕物とりものの風景になった。
 結婚詐欺とか、宝石詐欺とか、そういう方面の関係で、日本に居憎いにくくなった、先住の借家人の一人、ワニちゃんこと、エルマンという南方の暑い島の人が、香港ホンコンへ高飛びしそこなって、次の便待ちをしながら、ずっと洋館の二階に隠れていたのだそうである。
 黒いスーツを着た女のひとは、ワニ氏の同類で、夜になると、こっそりと食べものや情報を運んでいたが、女のひとのほうが先につかまってしまい、ワニ氏は、情報が入らなくなって困っていた。それで、千々子さまをたらしこんで、黒いスーツのひとのかわりに、うまく使いまわそうとかかった。
 ワニ氏は、自分は東南アジアの革命の志士だなどと、千々子さまに吹きこんでいたらしい。千々子さまは、どのへんまで深入りしていたのか、当人が告白してくれるのでなければ、誰にもわからないことだが、それはそれとして、ワニ氏が香港へ飛ぶ寸前に捕まったのは、石田家にとっても、千々子さまにとっても、このうえもないしあわせなことであった。
 翌日の朝刊に、ワニ氏が、どこかの警察の刑事部屋で寝っころがっている写真が出ていた。いうほどワニに似てもいなかったが、イルカぐらいのことは、たしかにあった。


子を捨てる藪



 五月の末、わが石田の一家五人は、いいつくせぬ思い出のある渋谷のバラックを出て、麻布市兵衛町の家に復帰した。
 終戦直後から七年の間、愁いの日にも喜びの日にも、かわらぬ生活の友だった古七輪や古盥を、露路の奥から手操てぐりで運びだし、五十雄君は籐椅子もろとも上荷うわにに積み、向山町のせせっこましい町角から走りだそうとすると、両隣りのおかみさん、通りの魚屋のお嫁さん、露路奥に一人で住んでいる大里さんという建築技師が、トラックのうしろに掴まって、名残りを惜しんでくれた。
 大家さんのおじいさんは、うちの石田氏の手を握って、
「一年、まさに尽くるの夜、万里、いまだ人帰らず……今年の大晦日には、隣り組の忘年会をやって、盛大に飲むつもりだったが、あなたが抜けたので、淋しくなりました。あの家は、暮まで明けておきますから、あちらのぐあいが悪かったら、いつでも帰っておいでなさい」
 と真情溢るるがごとき挨拶をした。
 大家さんとしては、ありふれた復古調に託して、惜別の情を述べたくらいのところだったのだろうが、百々子の耳には、それがこんなふうに聞えた。
「君は、この一月の行政機構改革で、農林省の整理人員、二万百八十六名の筆頭になり、八割増しの退職手当をもらって、先行きのないところでまごまごしているわけだが、そんな大邸宅で、身のつかぬ生活をし、むざむざ税金の餌食になってしまうより、馬鹿げた大屋台を始末して、このバラックの楽園で、つつましく平和な暮しをすることを考えたら、どうなのか」
 パパなる石田氏が、五ヵ月も前に、農林省を馘になっていたことは、かくいう百々子と石田氏だけが知っている秘密だった。その百々子でさえ、ついこのごろ、余儀ない当人の自白によって、ようやく事実を承知したほどだから、渋谷の奥にある、十戸ばかりのバラックを差配して、歯ぬけうたいをうなるほか能のないおじいさんが、そこまでの洞察をしようとは考えられないが、五月の末に、大晦日の話をもちだすような気のまわりようでは、油断がならない。
 賢夫人と千々子さまは、トラックの上で、ろくでもない道具をあちこちさせていたので、運よく、聞きつけられずにすんだが、なんともはや、すごいところまで見抜かれたものだと、はっと胸をおさえたのは、百々子だけのことではなかった。石田氏は、運命を予見されたひとの、暗澹あんたんたる顔になって、
「いや、それはどうも」
 といったきり、これも、ぎっくりとつかえて、つづく言葉もないふうであった。
 引越しのゴタゴタがすんで、三日ほどした午後、さか落しの道源寺坂を、谷町のほうへ買物に降りて行くと、貸間探しらしい若い夫婦連れが坂の中途にとまって、崖の上なるわが石田邸を見あげながら、こんなことをいっていた。
「いい家だ。ちゃんと風景になっている」
「あれは、ついこの間、接収解除になった家なの。いま、どんなひとが住んでいるんでしょう、羨ましいわね……高住たかずみさんとこが、やはりそうなのよ。お台所のメカニックがすっかり残っていて、とても便利にやっていらっしゃるわ……電気冷蔵庫があって、電気洗濯機があって、お料理は、みな電気調節器のついたレンジとオーヴンでやるの……あなた、聞いていらっしゃる? 調節器を加減しておくと、鶏の丸焼きが仕上るころに、べつなところで、隠元いんげんとご飯が、ちゃんとできているといったぐあい……よごれた食器を、皿洗い機に入れておくと、ひとりでに皿が洗えて、いつでも使えるようにきれいになるし、コックをひねると、熱湯でもアイス・ウォータアでも、お望みどおりに出てくるの……お台所の屑や汚物は、みな機械が処分してくれるし、お掃除といえば、ヴァキュウムの柄を握って、家のなかをブラブラ歩きまわるだけ……一日でいいから、あんな家に住んでみたいわ」
 百々子は、二人のうしろに立って、いっしょになって石田邸を見あげた。
 麻布の家は谷町たにまちを見おろす市兵衛町の崖の上に建っている。いぜんは地境いの松の樹牆じゅしょうが、ほどのいい目隠しになっていたが、陽気な国の陽気な借家人どもが、日蔭になるのを嫌って、松のあたまをちょん切ってしまったので、建物の裏側が、坂の下から露骨に見すかされるようになった。
 谷町の谷間の底から見あげると、わが石田家の建物は、朱鷺色ときいろや、黄や、緑や、その間色かんしょくの雑多なペンキで、にぎにぎしく塗りあげられているので、古い三色版画のミシシッピー河のショオ・ボートにそっくりなようすをしている。それだけでも、もう日本のものではないが、その緑も、黄も、桃色も、われわれの感覚にない斬新性ざんしんせいをもっている。緑は、青林檎の緑という独得の緑で、桃色は、アフリカさぎの胸毛の桃色という、ふしぎな桃色である。
 遠くから見ると、一見まぎれもないアメリカの居住だが、それは建物の上っ面になすった塗料だけのことで、その下に、封建の最盛時に建てあげた古い御所造りの屋台と、高慢な明治の洋館の骨格がひそんでいることに、気のつくものはない。
 アメリカ風の見掛けさえしていれば、どんな家にも、かならずリテリティ・ファースト[#「リテリティ・ファースト」はママ](実利第一)の、快適なアメリカン・ライフがあると考えるのは浅見である。百々子は、甘い夫婦を見捨てて、急な坂をおりだしたが、みょうに気持がこじれてきて、その二人に、
「失礼ですが、あの家には、アメリカン・コモンウェルスといったようなものは、ひとつもありません。いま、なにかおっしゃっていたようだけど、それは見当ちがいというものですよ」
 と、いってやりたくてムズムズした。
 甘い夫婦連れは、見せかけの派手な色彩に眩惑され、あの家のなかに、どんなすばらしい生活があるのだろうと、勝手な想像をしていたが、麻布の家における、わが石田家の日常は、渋谷のバラック生活の伝統をそのままひきついだ、なんの変哲もないものだった。
 越してきた日の朝、トラックが、わずかばかりのガラクタを車寄せの芝生のうえに投げだして行ってしまうと、一家五人は、家具ひとつない、三百坪のがらん洞の大邸宅の片隅に集まり、顔を見あわしたまま陰気にだまりこんでいた。居住というにしては、あまりにもとりとめがなく、とりあえず、どこへ身を置けばいいのか、それさえ見当のつかない、たよりない気持で、まごまごしていた。長男の五十雄君は、はじめて見るわが家の改変ぶりに滑稽を感じ、面白そうにあちらこちらとながめていたが、われわれ四人のほうは、ワニ氏にまつわる、嫌な思い出があるので、この家にたいする印象は、たいして愉快なものではなかった。
 石田氏は、不得要領な顔で、うっそりと口髭を撫でていたが、
「さて」と曖昧なことをいいながら、自分の布団を担いで、南側の洋館のある一郭のほうへ出て行った。それで思いついて、めいめいが自分の部屋の設営にかかった。
 去年のままにむぐらがす枯れている、家裏の日当りの悪いところに、脚の折れた机や、バネの飛びだした革張りの椅子が雨ざらしになって、いくつも投げだしてある。
 千々子さまは、いつにない生気にみちたようすになって、使えそうなやつをそのなかからえらびだすと、手伝ってくれともいわずに、一つずつ髪ふり乱して運びかえし、西端の、むかしのかみかわやにおのがサロンをつくりあげた。パンヤのはみだした三つのソファと、肘掛けがグラグラになった雨染あまじみのついた長椅子を、巧まぬ配置を見せてアト・ランダムに並べたところなどは、零落の気品にみちた、えもいわれぬながめであった。
 賢夫人は、北の端の、つけ書院が化けた手頃な洋間に、五十雄君は、もと提灯部屋といっていたところを改造した、庭にむいた吸気室キュール風のサン・ルームに、百々子は、五日の間、ワニ氏が潜伏していた、かの曰くつきの洋館の二階に……といったぐあいに、一家五人が、敵同士のように別れ別れに住むことになった。
 こういう不可解な対立が、永遠につづけられるのかと思っていたが、百々子が心配することは、なにもなかった。のあるうちは、みな、ひっそりと自分の穴に隠れこんでいたが、夕方近くになると、邸の隅々から、一人ずつあらわれ出てきて、なんということもなく、広廊のならびの上段ノ間に集まった。
 長いあいだ生活の友だったかの破れ七輪は、一旦は、輝くアメリカ式ケチンの調理台のうえにおさまったが、あえなくそこからひき戻され、渋谷のバラックの縁側にあたるくらいの場所に、うやむやのうちに腰を据えてしまった。つまりは、洋式の上段ノ間を茶の間にして、長火鉢とチャブ台を置き、朝々、百々子が、起きぬけに道源寺坂を駈けくだり、谷町のゴミゴミした界隈へ、納豆を買いに行く間に、細紐一本の千々子さまが、部屋の隅で七輪の尻をあおぎ、天井のアメリカの漆喰スタッコに生臭い味噌汁の湯気を吹きつけるころ、破れ褞袍を前ひろげに着た石田氏が、寝起きの悪い蒼ざめた顔で起きてきて、毛のない瘠せ脛でチャブ台をひっ挾み、ぬる茶を飲みながら新聞を読むという、むかしながらの境界にたちかえったのである。


 後でわかったことだが、移転後の生活の様式について、賢夫人と千々子さまの間で、陰謀のように、いろいろな計画がめぐらされていたらしい。
 一つは食事の習俗のことだが、ニス塗りの床に坐りこみ、チャブ台を挾んで、猫背になってアフアフと取りこむ図は、貧乏ったらしくて見られたものではないから、アメリカ人の後釜に入ったのを機会に、バラック式のはおやめにして、食卓と椅子による、環境に適した立体的な様式でやろうという申合せがあり、五日目の日の夕食から、さっそく実行にとりかかった。
 夕方、百々子が自分の部屋にきめた洋館の二階の、東向きの部屋で片附けもののつづきをやっていると、千々子さまが、どこかの貴婦人のような、すうっとした顔であがってきた。
「あなたはまァ、いつまで、そんながらくたをいじくりまわしているんです? 渋谷の生活とちがうんですから、あまりぐだぐだしないでちょうだい」
「なんですか」
「いまチャイム・ベルが鳴ったでしょう」
「そんなものは聞かなかった。お鍋を叩く音なら聞いたけど……あれがチャイム・ベル?」
「うるさいわね。ご夕食ですから、お食堂へおりていらっしゃい」
「はてな……食堂って、どの部屋のことでしょう?」
「おぼえておいてちょうだい。食堂というのは、長持部屋のことなの」
 アメリカの借家人は、もと長持部屋といっていた用途不明の一室をどういう向きに使ったのか、床は嵌木のモザイックにして、なまめかしい桃色の壁付灯リュストルをつけ、天井の漆喰は、首の長い白鳥と、腹の膨れたストリップの女神を組合わした、いかがわしい浮上げ模様になっていた。
「結構ですね」
「なんでもいいから、さっさと手を洗っていらっしゃい」
 それで、急にやさしい、砕けた調子になって、
「あなたの顔って、見れば見るほど、眼ざわりになるような、ふしぎな顔ね……なんだか、だんだん嫌いになるみたいだわ」
 と、ニッコリ笑って、階下へ降りて行った。
 ひとの顔のことをいうなら、私もいうが、そういう千々子さまの顔だって、尊敬できるような種類の顔だとは思えない。美貌というものは、他人に愛されるだけでいいなどと考えているうちは、なんの害もない、無邪気なものだが、結婚の相手をさらえこむ網にしようなどと考えだすと、たちまち趣味の悪いものになる。
 われらの世代は、パンパンだのストリッパァだの、裸一貫で生活している不滅の英雄を大勢出している。効用とは、人間の欲望を充足させる、そのものが持つ性能をいうのだが、私のこんなヌードでも、ヌードの効用があるなら、結婚と名づけるあやふやな座業をあてにせずに、パンパンにでもストリッパァにでもなって、ひとの世話にならずに生きていく自信がある。百々子の顔に出ているのは、やむにやまれぬ殺気というようなものなのだが、ふしぎとしか見えないのは、是非もない次第であった。
 千々子さまなる存在について、私は子供のときから一種の感慨のようなものをもっていた。それは、将来、どこかのやつが、千々子さまと結婚することになるのだろうが、そいつこそは、地上を這いまわる生物のうちで、最も不幸な生物だろうという、そのことであった。
 千々子さまの家族史には、両親や兄弟の名が、ただのいちども書かれたことがなかった。どこかの男に、できるだけ値よく自分を売りつけ、いやな肉親の家から、一日も早く脱出しようというので、その辺の仕掛けを細かくやっておいたものだから、まだ女学校にいるうちに、いろいろな魚が集ってきた。
 戦前と戦中は、時勢が時勢だったから、これというほどのものもかからなかったが、終戦後間もなく、すごいアタリがあった。生糸で二億円も稼ぎだした東洋シルクの社長と称する、戦後派中の豪傑だったのである。
 千々子さまはアタリの意外な大きさに仰天して、夜も寝つけぬくらいに昂奮していたが、式をあげる三日前、お目あての魚は、新聞に写真が出たような、変った自動車事故で、あっともいわずに死んでしまった。
 そのときの千々子さまの憤怒の形相ぎょうそうときたら、見るもすさまじいほどで、
「とんまなひとは、とんまな死に方しかしないものなのね。死ぬにしたって、式をすましてから死んだらどうなのかしら。なんというバカなんでしょう」
 と、賢夫人にさんざんにあたりちらしたものであった。
 東洋シルクの社長は、天国のどこかの門のあたりで、この声を聞いて、えらいやつに食いつかれて、すんでのことに地獄の一生になるところだったと、思わず魂の首をすくめたこったろう。
 手を洗いに階下へ降りたが、チャイム・ベルは千々子さまの嫌がらせだったらしく、食事がはじまっているようなようすはなかった。
 千々子さまを探しながら、西のご不浄のサロンへ行くと、机の上に、『結婚式の心得』という薄っぺらなパンフレットが置いてあって、
会師、二人ノ手ヲ合セテ、言ウ
神の合せ給える者は、人これを離すべからず。
 というところに、爪でしるしをつけてあった。
 パンフレットの下に、あまり見かけない絵入りのカタログのようなものがあるので、なんだろうと思ってあけてみたら、教会の結婚式の定価表で、特、一、二と、三級の様式が、それぞれ図入りで説明してある、念の入ったものだった。
 二等は『並』というところらしく、司会(補導)一人、聖壇大蝋燭一対、内陣大花瓶(花とも)一対、奏楽が一曲で終り。一等になると、司会が二人になり、奏楽は二曲、司会のほかに、助祭と花きの少女が二人つくことになっている。
 特等はすこぶるセンセーショナルなもので、門から会堂の入口まで日除オーニングをかけ、赤い長絨氈じゅうたんを敷き、花撒きの少女のほかに、白いガウンを着た少年の唱歌隊、枝付大燭台の百五十本の蝋燭に火がともり、オルガンの奏楽もぐっとふえて、前奏二、間奏二、祝楽二となり、前後二回、祝鐘を鳴らすと書いてある……爪のあとは、ここにもついていた。
 いつだったか、通りがかりに、霊南坂でそういう光景を見たことがあった。
 燃えるような赤い絨氈を踏んで、新郎新婦が会堂から出てくる頭のうえで、祝鐘がにぎやかに鳴りはためいているのは、まともな結婚など望めそうもない、みっともない百々子にとっても、けっして悪いながめではなかった。麻布の家の引渡しのあった日、千々子さまは、ひとがちがったように浮き浮きしていたが、ひょっとすると、石田氏や百々子の知らないうちに、またもや不幸な魚が鈎にかかり、まさに、釣りあげるばかりになっているのではないかと邪推した。
 娘の気質は、母からの遺伝が多いそうだが、そういえば、千々子さまと賢夫人のやりかたに、どちらがどうといえないほど、よく似たところがある。
 世の中には、とうとう理解できなかったとか、いちども、うちとけずにしまったというような人間がいるものだが、賢夫人と千々子さまは、そういうたぐいの人柄で、渋谷の奥に住むようになってから、いよいよ、わからない感じが強くなった。
 わが賢夫人なる十条賢子じゅうじょうたかこさまは、さきの関白左大臣という、古今集のなかにでもいそうな、京都のおちぶれ華族の末流の出で、うちのパパより先に、石田与惣兵衛の養女になった。
 パパなるひとは、当時、農大はじまって以来という秀才で、石田の家で書生をしながら苦学をしていたのを、うちのママが、あたしと婚約してくれるなら、かならず洋行させるからと、否応なしにマッシュ(マッシュド・ポテトのマッシュ、力づく、または理詰めで、無理矢理、婚約すること)してしまった。
 アメリカの大学に留学中、気がかわって、合衆国美人と懇意になり、学位ひとつとらずに、ルンペンのようになって帰ってきた九万吉氏を、賢夫人は農林省の下級技官にしてやり、以来、休むときなく、鞭撻して、二十年がかりで、課長におしあげたのだそうである。
 石田家における生活の合理主義は、抜目なく行き届き、石田氏の働きに応じて、食餌しょくじの内容や量を加減するところなどは、たしかに徹底したものであった。これは一例だが、復員後、農林省に革命が起き、石田氏は下級吏員の吊しあげにあって、課長から係長に下落すると、その日のうちに、扱いが変ってしまった。
 石田氏は、毎朝、家を出るとき、賢夫人から外食券を一枚もらい、それで、朝昼、二度の用を足すほかなくなった。日比谷の外食券食堂で雑粉入りのスイトンを一丼ひとどんぶりとって汁だけ飲み、汁の実のスイトンは、家から持ってきたからの弁当箱へさらえこむ。同僚の一人が、
「それを、どうするんです」
 と余計なことをたずねると、石田氏は、
「これは君、昼食だよ」
 と、ともしい顔で笑ったというのは、聞くだにあわれな話であった。
 この世で、貧乏と不如意ほど嫌なものはないはずのうちの賢夫人が、いつの間にか、バラック住居の貧乏暮しになじんで、たのしそうに、一日中、ニコニコしている。妙なこともあるものだと思っていたが、実は、なりふりかまわず、心おきなく貧乏のできる環境を利用して、せっせと臍繰へそくりを貯めこんでいたので、こんな楽しいことはないなどといっていたのは、月々殖えていく、貯金帳のたかのことだったのだと、最近になって、やっと理解した。
 たえず、『自分』というものをひけらかし、甘やかされるか、ちやほやされるかしなければ、不服で、退屈で、生きたそらはないという千々子さまが、この七年間、バラックの玄関の三畳をおのが居場所にきめ、編物をただひとつの慰めにして、男臭いものは相手にせずといった顔で、行ない澄していたことも、いまから思うと、不可解の極だった。
 百々子としては、千々子さまは、ひょんな死にかたをした愛人のおもかげをしのびながら、日毎、不幸な魂に祈りを捧げているので、結婚にも愛情にも、うるさい世間との取引きをきっぱりと謝絶し、独身のまま、玄関脇の薄暗いところで朽ち果てる覚悟をしたのだとばかり思って、同情したようなこともあったが、賢夫人の場合と同様、これも、たいへんな見当ちがいだったようである。
 千々子さまの憂愁は、死んだ愛人のせいでもなんでもなかった。われわれには、楽園とも思われた渋谷のバラック住いは、千々子さまにとっては、地獄以上の苦痛だったので、ケチケチした貧乏暮しが、癪にさわってたまらない。こんな楽しい生活はないとぬかすやつは、どいつもこいつも軽蔑してやりたくなり、厭がらせの目的で、三畳で、つんと孤立していたものらしい。もし、そうだとすると、七年の間、貧乏については、ただの一言も口に出さず、無言の敵意をおしとおしたというのは、これもまた、一種の女傑であった。
 あの日、家屋の改変の程度をしらべているとき、千々子さまは、いつになく調子をはずして、
「プールがあって、テニスコートがあって、これで、自動車があったら申し分がないわ」と口をすべらした。
 麻布の家は、家屋の復原問題で、石田氏と調達局の間にもんちゃくがおき、補償の程度も未決定のままにある。本来なら、家を明けたままで喧嘩をするほうが有利なのに、バラックの家賃が余計だからと、賢夫人が石田氏を説いて、無理押しに越してしまったのには、それも、その辺に、われわれの知らない、深いたくらみがあるふうであった。


 百々子の部屋の真下になっている石田氏の居住をのぞいてみると、石田氏はワイシャツの着流しで空脛からすねをだし、部屋の積み夜具に腰をかけ、怒ったような顔で煙草を喫っていた。
 この月のはじめ、石田氏が失業の由来をうちあけてくれてから、百々子にとって、パパは親しみやすいひとになった。
 朝々、石田氏が賢夫人から折鞄を受取って、都内流浪るろうの旅に出るのを、百々子がバラックの裏木戸まで送って行く。
「お父さま、今日はどこなの?」
 と、たずねると、今日は国会図書館だよ、とか、今日は上野の動物園だ、とかと、こっそりと百々子にささやきかえす。
 うちの石田氏は、高級官吏試験に落第したおかげで、行政機構改革にひっかかって退職し、いまのところは、先行きのない浪人業でしょったれているが、これでもむかしは、一点、隙のない伊達者ダンディだったのだそうである。
 九万吉氏は、先代、石田与惣兵衛の養女たるたか子さま(現在の賢夫人)と結婚するという条件で、アメリカの大学へ留学させてもらったが、同学の合衆国美人と恋仲になり、
「毎朝、目覚時計ではね起き、立食い食堂でドナツン(ドオナッツとコォフィのこと)をかっこみ、口のはたについた粉砂糖を拭き拭き、セントラルまで地下鉄サブで駆けつけるような、みじめな白カラー組(下級サラリーマンのこと)に堕落いたしましょうとも、この結婚だけは、あきらめることはできません」
 という洒落しゃれた書きだしで、つくづくと苦衷を訴え、賢子との結婚を取消し、合衆国美人との結婚を認めてもらいたい、という趣意の長文の手紙をよこした。
 与惣兵衛は頭の古い政治屋で、人間の真情より約束のほうを重くみるたちだったから、もちろん、そんな違約を認めるわけはなく、アメリカジントケッコンスルコトユルサヌといってやると、折返して、
「ナニジンナラヨイカ」という皮肉なことをいってきた。
 与惣兵衛は腹をたてて、
「ケッコンスルナ フラチ カンドウ」
 と打ってやると、シヨウチシタ サガシテミルという電報がきた。
 だんだん話がわからなくなるので、アメリカへ行くひとにたのんで、外国人と結婚するなら、即座に籍をぬいて、送金を断つと言わせると、九万吉から手紙がきた。フランス人などは、だいきらいだが、ご命令によって、フランス系のカナダ人の娘と結婚する運びになっている。今更、なにをいうかと、さかねじをくわせ、そのときの電報を同封してよこした。
 なるほど、嘘ではない。Furachi が French になり、Cando が Canada になり、「ケッコンスルナラフレンチカナダ」としか読めない。これには、頑固な先代も頭を掻いた。
 その後、何通か、火の出るような手紙と電報のやりとりがあってから、やっとのことで、異種の結婚をあきらめ、涙をのんで、いまの賢夫人と結婚したという華やかな歴史を、石田氏は過去にもっている。
 百々子が子供だったころの石田氏は、身装みなりばかりキチンとし、官僚の気取りが鼻につく、よそよそしい感じのひとだった。およそ、向きあって話をするなんて、まっぴらだったが、このごろは、二人っきりで鼻をつきあわしていても、そんなに嫌な気持ちはしない。秘密を分けあっているという思いで、しみじみとするようなこともある。
「へんな恰好をしていますね、なんなの?」
 百々子がたずねると、石田氏はにがりきった顔で、
「賢夫人のところへ行って、今日の夕食は、燕尾服にしますか、タキシードにしますか、と聞いて来い」
 と皮肉めかしたことをいった。
「今夜、なにが、はじまるというの?」
「家じゃ、夕食には、服を着換えて食堂へ出ることになった。お前も、そんな恰好をしていると、賢夫人にひっぱたかれるぞ」
 百々子は、せつなくなって笑いだした。
「たいへんだ……つまり、このうちが悪いんだね? この家にさえ越して来なかったら、頭が狂いだすことなんかなかったんだ」
「頭のことなんか、どうだっていいから、早く行って、きいて来い。これじゃ、風邪をひく」
「かしこまりました……それはそうと、賢夫人は、どこだ? 北の端のつけ書院か……こう広くちゃ、ベル・ボーイでも雇わないと、急な用事は足りません」
 賢夫人をたずねて、最後に、『ケチン』といっているアメリカの台所へ行くと、賢夫人と千々子さまが、どこから仕入れてきたのか、赤錆の出た中古の電気オーヴンを、タイルの調理台の上にすえ、動力線が切られているので、壁付灯のソケットから長々とコードをひき、気取ったようすで、お台所遊びをしていた。
「おや、ご馳走ができますね」
 百々子が、お愛想のようなことをいうと、賢夫人なるひとが、じろりとこちらへ振り返った。
「ちょこちょこするひとは、ここには用はないのよ」
「そうですか。お邪魔でしょう、退ります」
「今日は素直ね……せっかく来たんだから、じゃ、五十雄さんに、夕食を持っていらっしゃい」
 そういって、食器の載ったアルミの角盆をおしてよこした。
 五十雄君は、いぜん提灯部屋だったサン・ルームのようなところへ、この七年、医療の友だった整形用の板張りのベッドを持ちこみ、聖画の中の聖人のような顔で、ひっそりと閑居している。今日は背骨のぐあいがいいのか、コルセットをはずして窓際の籐椅子に掛け、永遠の哲人のような眠い眼差で、夕陽に染まった玉あじさいの花むらをながめていた。
「はい、ご夕食」
 五十雄君の膝のうえにお盆を置こうとすると、片闇になった奥のベッドのほうで、女のすすり泣く声がきこえたので、おどろいて、そちらを見てみた。
 軽そうな、キャメルのスプリングを着た、二十二三のほっそりとした女のひとが、五十雄君のベッドに浅く掛け、顔にハンカチをあて、思いだしたように、しゃくりあげている。
「おっと、部屋をまちがえたかな」
 この七年、ほとんど寝たきりになっていた五十雄君にも、こんな見事な春があったのかと、百々子が照れかくしをいいながら、ひき退ろうとすると、五十雄君が、
「おい、ここにいてくれよ」
 と弱りきった顔でひきとめた。
「悪かったわ。ノックもしないで入ってきて」
「なにをいってるんだ。勘ちがいをしちゃ、困るよ」
 様子が変なので、聞いてみた。
「あのひと、なんなの?」
「知りませんね。庭から、ぶらっと入ってきて、泣いているんだ。どうしたのか、聞いてみてくれよ」
 百々子が、おそるおそる、女のひとのそばへ行った。
「あなた、どうなすったの? なにを泣いていらっしゃるんです?」
 女のひとは、急に泣くのをやめて、顔をあげた。病気をしたあとのように、痛々しいほど顔がやつれ、鹿のような大きな眼が、涙に濡れて光っていた。
「いま申しあげたこと、おわかりにならなかったかしら、……ママは、あたしを意気地なしだというのよ。エルマンさんに逢って、自分の気持を、出来るだけ強く、主張してみなさいって……一日で話がつかなかったら、二日かかっても、三日かかっても、やれるだけやってみるものですと、いったわ……エルマンさんが、結婚するというならよし、嫌だといったら、二度とエルマンさんのことを考えないようになさいって……ねえ、エルマンさん、あたし、こんな強い言葉を使わずに、わかっていただきたかったのよ……でも、もう言ってしまったから、しょうがないわね……エルマンさん、あたし、来ました。あたしにとって、これは、たいへんなことだったのよ。お返事を、きかせていただきたいわ」
 そういうと、またさめざめと泣きだした。
 百々子は、這々のていで五十雄君のそばへ逃げ戻った。
「ワニ氏の友達の一人なんだよ。頭がすこし御座っているんだね。あたしたちの手にあうようなケースじゃないわ……ともかく石田氏を呼んでくる」
 石田氏のところへ行って話をすると、石田氏は警察へ電話をかけてから、むずかしい顔で五十雄君の部屋へやってきた。
 石田氏はベッドのそばに立って、見おろすようにして、女のひとの泣くのをながめていたが、このたびの千々子さまの失敗を思いあわせて、身につまされたらしく、
「泣くのはやめなさい……などといってもわからないだろうが、ともかく、気を落着けて、家へ帰ることです。こんなところに居たって、どうもなりはしないのだから」
 などと、むずかしいことをいってなだめにかかった。女のひとは、それをどうとったのか、強い眼の色になって、石田氏の顔を睨みつけながら、
「あなたは、どなたなんでしょう。なんの権利があって、あたしに、そんなことをおっしゃるんです? 愛されていたかって? ええ、愛されていましたとも。あたしが、どんなにエルマンに愛されていたか、あなたなんか知らないことなんです。疑うなら、証拠をお目にかけてもいいわ」
 ベッドから立ちあがると、そそくさとスプリングをぬぎだした。なにをするかと思って見ていると、
「それから、これを、こう脱ぎまして……つぎに、これを、こう脱ぎまして……」
 調子をつけて、上着を脱ぎ、スカートを脱ぎ、靴下を脱ぎ、下着をとって、最後に、とうとう裸になってしまった。
 女のひとは、しなしなと身体を揺すって、
「どう? おわかりになったでしょう? おわかりになったわね」
 といいながら、石田氏のほうへ詰め寄って行った。
 石田氏は、両手を前へ突きだして防ぎながら、じりじりと壁のほうへ退った。
「おれでは駄目だ。賢夫人を呼んで来い」
 賢夫人と千々子さまが、女のひとをおさえつけて、もとのように服を着せ終ったところへ、警官が出張してきた。百々子は下の門まで送って行った。
 門を出るとき、そのひとは百々子の腕に手をかけて、
「あなた、ご親切ね。また来るわ」
 と低い声でささやいた。


 桃色の壁付灯のついた、むかしの長持部屋へ行くと、硝子扉ケースメントに寄ったところに食卓が出来て、石田家の三人が椅子に掛けていた。
 差当って、食卓の代用をしているのは、今朝まで家裏いえうらの湿地に放りだしてあったアメリカ製のピンポン台だが、脚の高いテーブルに、座位の低い古ソファを配置したので、石田氏も、賢夫人も、千々子さまも、みな深く沈みこんで、食卓のうえに眼だけ出していた。
 賢夫人と千々子さまは、サテンのワンピースにあらたまり、石田氏までがキチンとネクタイをつけている。花も実もある、いい齢をした大人達が、ご馳走ともいいにくい鰯のバタ焼きの皿の載ったピンポン台をかこみ、眼ばかりぎょろぎょろさせて、とりすましているようすときたら、泣きだしたくなるほど滑稽だった。
 変りばえのしないシコ鰯でも、電気オーヴンで仕上げたというのが、ご自慢なのだろうが、こんなものは、椅子に掛けて食ってやるほどのことはない。賢夫人ににらまれるのを覚悟で、立ったままで食べてやった。
 石田氏は五尺六寸という身丈みたけで、日本人にしては胴の長いほうだが、ソファの谷にいると、鰯に箸が届かない。しきりに伸びたり縮んだりしていたが、そのうちにこんなことに精をだすのは無意味だと思ったのか、むっとした顔で箸を投げだしてしまった。
「肩が凝ってやりきれない……頭に口があるのは、磯巾着いそぎんちゃくくらいのものだが、こんな恰好で飯を食うなんてのは、人間業じゃないな」
 賢夫人は、箸の先に飯粒をためたまま、
「なにが、どう人間業でないんです?」
 と、わかっているくせに、すました顔で聞きかえした。
「飯を食うのに、こんなに骨を折ることが、いるかというんだ。家庭の食事は、漫画じゃないんだから、あまり奇抜なことは、しないほうがいい」
 そんなことをいっているうちに、石田氏は、だんだん腹がたってきたらしく、煙草に火をつけて、むやみに長い煙を吹きだした。賢夫人は、相手にもしない顔で、
「このテーブルと椅子のことですか? ええ、これはほんの当座の間に合せよ。そのうちに、しっかりした家具がきますから、それまで、我慢していただくわ」と軽くイナした。
「椅子に掛けて飯を食うなんていう習慣は、われわれの家庭には、なかったことだ。なんのつもりで、こんなことをはじめたんだ」
「この間、日本へ来た、なんとかいう西洋人がいっていましたね……日本人は平面でばかり生活しているから、知能が横這いする。もっと立体的な生活をしないと、西洋の文化に追いつけないって」
「うちの役所の生活改善課長も、似たようなことをいっていた……なるほど、立体的にはちがいない。こうして、さっきから中腰になって立っているからな……横這いかなにか知らないが、畳のうえの生活は、日本人の身についたサビのようなものだから、かんたんにこすり落されても困るんだ」
「でもねえ、アメリカ人が靴で踏んでいたゆかへ、いきなりチャブ台を据えるのは、どんなもんでしょう。渋谷のバラックならともかく、こういった式にできている家ですから、やはり、椅子のほうが便利ではないでしょうか。現実に、五十雄の背骨だって、このほうが楽だし、それに、椅子の生活をしていると、二三年で、猫背がなおるそうですね。あなたにしたって、いい都合だろうじゃありませんか」
 そういうと、となりのソファにいる千々子さまと眼を見あわせて、ほほほと笑った。
 石田氏は、だまって庭のほうをながめていたが、急にこちらへ向きかえると、
「そんな無礼なことを、誰がいったんだ? ひとを馬鹿にして笑っているより、正直にはらを割って相談するほうが、話がはかどる。家屋引渡しの日の、お前たちのうわずったような眼の色をみて、どんなことをしたがっているか、おれにはわかっていた」
 賢夫人は、居なりのまま、上手に土瓶をひきよせ、茶碗に茶を注いで飲みながら、
「それはそうでしょうとも。終戦から七年の間、渋谷のバラックで、ギスギスした生活をして来ましたが、あたしにしても、千々子にしても、そのうちに境遇が変ったら、こうもしてみたいというような、いろいろな望みがあったわけです。感じのいい家具を置いて、手のかからない、便利な生活をするといったようなことを」
 石田氏は背筋を立てて、頭をうしろにらして、一種、毒のある微笑をうかべた。
「おれとしては、夜昼、空家の張番に来るのはいやだから、便宜的に越して来たまでのことで、この先、ここに居つくかどうか、まだ、きめていない。それに、調達局の出方によっては、見せかけの洋式を取っ払って、もとの御所造りに復原することになるかも知れない。西洋の夢をみるのは、すこし早すぎるようだな」
 賢夫人はシホのある眼で、様子よく笑いかえしながら、
「この家を、古ぼけた、むかし武家邸にかえすなんてのは、出来ないことでしょうね。調達局にしたって、補償のための掛引きだと思っているから、本気で聞いちゃ居りませんよ。子供の喧嘩みたいなことをいって、つまらない意地を張るより、この家を利用することを、考えるほうがいいわね」
「やれるなら結構だ、といいたいところだが、まず駄目だろう……貧乏が楽しいなどと言いながら、せっせと臍繰へそくりを貯めていたことを、おれは知らないわけではない。しかし、それもおれの計算では、十五万にはなっていない。この家に、まともに家具を入れたら、すくなくとも五六十万はかかる。臍繰りくらいじゃ、問題にもなにもなりはしないよ」
「もちろん、そんな金でやれるわけはありませんが、退職手当の残りがあるはずだから」
「退職手当? それはなんの話?」
 千々子さまが、すらりと立って行ったが、間もなく、後になにか隠しながら戻って来ると、賢夫人の腰を突っついて、持ってきたものを、そっと手渡しした。賢夫人は、なにやらいう品の悪い芸能雑誌を後ろ手で受取ると、グラビヤのあるところを開いて、だまってテーブルのうえに置いた。
 どこかのストリップ劇場の舞台と客席を、妙な角度でスナップした、生々なまなましい実況写真で、ストリッパァが舞台のうえからぎかけるビールを、かぶりつきにいる石田氏が、コップにもらって飲んでいるところが、無類の鮮明さで写っていた。
 石田氏が役所をやめたのは、今年の一月のはじめだったそうだが、それから四ヵ月、雪の日も風の日も、折鞄を抱えて、東京の都内をあてもなく歩きまわるのは、さぞ骨の折れることだろうと同情していたが、行先に困って、浅草でストリップを見るほどの悲境におちていたとは、思いもしなかった。
 石田氏はグラビヤにチラと視線を走らせると、進退窮したという顔になって、いそいで眼をとじてしまった。
 賢夫人は、説いて聞かせるといったねばっこい調子になって、
「去年の十月に、行政整理のわくがきまると、高級官吏試験の落第組に、局部長から辞職の勧告があったのだそうですね。一月中にやめると、普通退職手当の八割増し……四月から六月の間にやめると、四割増し……こういっちゃ、なんですが、あなたの前途はわかりきっているんだから、すすめても、条件のいいうちに退職していただきたかったくらいです……一月の中頃でしたか、西洋の哲人が、どうとかいっているから、おれはもう、よけいな欲はかかないつもりだとおっしゃったとき、ああ、これは退職なすったのだと、ほっとしたのです……ていのいい解職ですから、あなたとしては、いいにくいでしょうし、あたしとしても、あなたの自尊心を傷つけてまであばきだす必要のないことですから、今日まで、欺されたままになっていましたが、春以来、ありもしない役所勤めで、さぞ、忙しい思いをしているのだと、察していました」
 これで、完全にトドメを刺されたわけだが、そこは官僚ずれのした石田氏のことだから、含み笑いのひとつもして、軽く体をかわしてしまうのだろうと思っていたら、そうではなく、唇をキッとひき結んで、意外に沈痛な顔になった。
「さっきの話のつづきをしよう。間もなく、家具がとどくといったが、どこから、そんなものがくるのか」
「家具だけじゃありません。電気冷蔵庫も、電気洗濯機も……それから、GIキャンプで働いていた、よく馴れたメードも一人頼んであります。すこしは、家らしくなるでしょう」
「臍繰りでは、問題にもなにもならないと、いっている」
「ですから、鶴居つるい夫人が貸してくださることになっているんです」
 石田氏は、憐れむように賢夫人の顔をながめながら、
「鶴居……ふむ、電産詐欺の、あの鶴居夫人のことかね?」
 賢夫人はもないようすで、
「さようです。鶴居夫人がこの家をごらんになって、気に入られたとみえて、こちらは建物の現物出資で、共同で、クラブ組織の寮をはじめようとおっしゃるんです」
 石田氏は見る見る激昂して、
「話は、わかった……つまり、この家をパンパン宿にしようというわけだな」
「解釈は、まあ、いろいろですけど」
 石田氏は地団駄を踏みながら絶叫した。
「やれるものなら、やってみろ……こんなうち、火をつけて焼いてしまうから!」
 賢夫人はニコニコ笑いながら、
「いまさら、この家を焼いたって、なんの足しになるんです? 子供が駄々をこねるようなことをいっていないで、マトモな相談をしましょう。ともかく、手当の残りをいただきます……一、二、三、四と、一月から四月まで、毎月、二万三千円ずついただきましたが、八割増しの計算だと、あと五十二三万はお持ちのはずですね」
「そんな金はない」
「これから先、どうしたって、その金でやっていくしかないんですから、そんなことをおっしゃらないで」
あとにも先にも、無いものはない」
 すごい……十秒ほどのあいだは、ゆかに落ちる針の音も聞えそうだった。賢夫人はつくづくと石田氏の顔をながめてから、子供にでもいうように、
「どうなすったの?」
 と、やさしすぎるくらいの調子でたずねた。
 石田氏は、復讐をなしとげた勇士の意気昂然たるていで、堂々と名乗りをあげた。
「競輪で、みなってしまった」
「冗談をおっしゃって……まさか、そんな……」
 賢夫人はムキになって、思わず取乱しかけると、石田氏は、
「嘘だと思うなら、これを見ろ」
 と、あちこちのポケットから、ロスになった車券を掴みだし、これでもかというように、天井や壁にむかって投げつけるので、しばらくのあいだ、上段ノ間のサロンは、車券の花吹雪といった風情になった。
 このおさまりは、生優なまやさしいことではすみそうもない。どういう成行きになるのかと、百々子が観察しているとき、入り側のそとの庭先で、赤ん坊の泣声がした。
「あんなところで、走ん坊が[#「走ん坊が」はママ]泣いている」
 頓狂な声で百々子がそういうと、聞き耳をたてていた石田氏が、なにを思ったのか、すごい眼つきで、ジロリと千々子さまのほうを見た。
 千々子さまが、どこかで、こっそりと生みおとした眼の青い子供を、庭先へ捨てたか、と思ったわけでもなかろうが、世の中が乱れると、こういうこともあるかもしれない、といったくらいの予想があったものらしい。
 賢夫人は、たちまち眉を顰めて、
「いやだ……あんなところへ、誰か、子供を捨てたのよ。ここへかよっていた、パンパンかなにかの仕業ですね」
 と察しのいいことをいった。
 ともかく、見てみようということになって、百々子を先頭にして、四人で庭へおりた。
 根笹ねざさの藪にかこまれた、風のあたらないところに、毛布で包んだ生後二ヵ月ぐらいの赤ん坊が、鼻歌をうたうような調子で泣いている。友禅模様の羽二重の着物とチャンチャンコを着ているが、髪の毛はきざみ煙草のような薄い亜麻毛で、子供が絵に塗る空の色のような、すき透った青い眼をしていた。
 石田氏は口髯を撫でながら、うっそりと見おろしていたが、
「気ちがいのつぎが、捨児すてごか……すこし、さずかりものが多すぎるようだな」
 と、わけのわからないことをつぶやいた。
 百々子が坂下の交番へ電話をかけた。
「もしもし、上の石田ですけど、藪の中に、子供が捨ててあるんです。泣いていますから、すぐ取りにきてください」
「えっ、またですか」
「また、って、そんなに、しょっちゅう捨てるんですか」
「ええ、お宅の藪の中へ……これで、五人目です。弱ったな」
「あなたが弱ることはないでしょう……じゃ、どうか、すぐ」
 十分ほどすると、先日、女の豪傑たちを追い帰してくれた、若い警官がやってきた。
「やあ、どうも、とんだご災難で……できるだけ身元を調べて、母親にかえすことになっているのですが、捨てる気で捨てたのは、わかりっこないので困ります。これも、上野の乳児園行きでしょう」
 そんなことをいって、あぶなっかしい手つきで抱いて行った。
 この夜は、石田氏と同夫人の間に、相当な激戦が行なわれるはずだったが、思いがけない調停が入って、うやむやのうちに明日に繰りのばされることになった。
 十時近く、一家五人は、別れ別れになって、おのが居住にひきとったが、この一日は、なにかと波風なみかぜが立ち、百々子までが昂奮して、遅くまで寝つけなかった。


錬獄に住みて



 夜明け近く、百々子は雪の原に立って、どこかの教会の火事をながめていた。
 最初は、蒼ざめた緑に近い火光だったので、星影が窓にうつっているのだと思ったが、間もなく、赤味を帯びた橙色から、夕焼けのような輝きのある鮮紅色に変った。六ヵ所ぐらいのところから、いちどに立ちあがった火の柱は、信じかねるほどのはやさで燃えひろがり、たがいに連合協同して、見る見るうちに、おそるべき火勢になった。
 なにひとつ眼をさえぎるものもない雪の原のうえで、宏荘な白堊の寺院が、薔薇ばら色から朱金色までのあらゆる色階の変化をしめしながら、音もなく寂然せきぜんと燃えあがるさまは、ちょうど絵入り聖書の錬獄の図にそっくりで、なにか意味深い天の啓示ででもあるように思われた。
 百々子は、ひとの心を現世からひき離し、彼岸の幻想にさそいこむような、一種、分析しがたい美観にうたれて、
「まあ、きれいだこと」
 と叫び、その声で、びっくりして眼をさました。
 ああ、夢だったのだと思い、眠りからさめきらぬ漠然とした意識でマジマジしていると、どこか近いところで、木の枝がはぜるような乾いた音がした。眠ろうとすると、耳元でパチパチ鳴る。枕をまわして、眠ろうと努力しているうちに、眼が冴えて、眠気がさめてしまった。
 鎧扉よろいどの隙間からながめると、空の低いところに仄白い夜明けの色が漂い、薄い霧が庭樹の間を川の流れのように動いているのがみえた。
 五月に霧がかかることはない。靄なのか霧なのかと考えているうちに、部屋のなかがいぶりくさくなっているので、靄でも霧でもなくて、どこかの煙突から煙が吹きつけているのだと思った。
「なんの煙だろう」
 煙の正体を見たいというほどの好奇心もなかったが、鎧扉を突きやって、窓ガラスに顔を寄せると、その途端、炎の色に眼を射られて、あっと叫んだ。
 二階の窓から見おろす位置にある、ケチンの庇合ひあわいから猛烈な煙が吹きだし、合掌になった軒下を、炎がチラチラ走っている。
「やったな」
 頭のキメの粗い賢夫人と千々子さまが、よく知りもしない電熱器をいじくったら、どんな結果になるか、わかっているはずであった。百々子は部屋を飛びだすと、逆落しに階段を飛んで、とっつきにある石田氏の部屋のドアを叩いた。
「火事よ、お父さま、火事です」
 これだけの叫び声が聞えないはずはないのだが、ひねくれているのだとみえて、なかなか返事をしない。ひねくれるのは勝手だが、火元が近いから、お尻に火がつく。腹がたってきて、足でドアを蹴ってやると、石田氏が浴衣ゆかたの寝巻の胸をはだけたまま、ドアの隙間から顔をだした。
「なにを騒いでいるんだ。よその火事なんか、放っておけ」
「火事は、うちです。ケチンの天井裏が燃えている」
 火源は石田氏の部屋の窓から見えないが、窓のそとの桃葉珊瑚ておきばの葉に炎の色がうつって、真赤に光っている。
 石田氏は窓框まどがまちに両手をつき、這いつくばうような恰好で、火の燃えているほうを見あげ、
「空襲でやられないで、いまごろになって焼けるのか。皮肉な話だ」
 と、つぶやきながら、大急ぎでズボンを穿くと、
「ホース、ホース」
 と叫びながら、広廊のほうへ走りだして行った。
 わが石田家は、プールの水の使用料のことで水道局と喧嘩をしたので、水の手は、この月のはじめからぴったりと切れている。井戸から水をくみだすのでは、この際、ホースは役に立つまいと思ったが、石田氏のあとについて広廊を一気に駆け、北の端のサロンへ行ってみると、賢夫人と千々子さまが、眼を釣りあげて、せっせと荷造りをしていた。
 千々子さまは、服のうえに春と冬のオーヴァーを着こみ、そのうえに、もうひとつクレヴァネットを着込もうというので、裾から火がついたようにもがきながら、
「ねえ、お母さま、パパが腹をたてて、火をつけたのだったら、たいへんね。もし、そうだったらどうしましょう……悲劇だわ。みじめだわ」
 と、おなじことを、いくどもくりかえしていた。
 消防自動車が三台、ヘッド・ライトで樹牆じゅしょうを照しながら砂利道をうねりあがって来、プールの水で火を消しにかかった。
 石田氏は、五十雄君と二人で芝生の縁石へりいしのうえに立って、消防局の活動をながめながら、
「プールの水を使われると、高価たかいものにつくのだが」
 と、ぶつぶついっていた。
 石田家における火災は、洋館といっている、翼屋の東裏にある純米風の台所と、半地下式、木骨コンクリートの食料庫パントリーの屋根を全焼したところで消しとめられ、そこで夜が明けた。
 焼跡へ行ってみると、そこらいちめんビショビショに水びたしになり、黒焦げになった間柱から水蒸気が立ち、タイルの調理台のうえに、電気オーヴンが一塊の金屑になって残っていた。
 火事は大事にならないうちにおさまったが、その後の諸関係は、なまやさしいことではすまなかった。
 波瀾の端緒は、こんなふうに、なにげないところからはじまった。
 焼跡に立っていた巡査部長というひとが、ニコニコ笑いながら手招きするので、百々子も笑いながら傍へ行くと、人相にふさわしからぬ、甘ったれたような猫撫で声で、こんなことをたずねた。
「お嬢さん、火事を最初に発見したのは、あなたですね。どういう動機で?」
「火事の夢を見て、びっくりして眼をさましたら、ほんとうの火事だったの……こんな幼稚なの、動機になるかしら?」
「あなたが発火を認めた。そのとき、あなたのお父さまは、どこにいました」
「ケチンのそばの洋間に……あたしが駆けて行って、ノックをして、火事だといったんです」
「すぐ、起きていらした?」
「五分ほどしてから、ドアの隙間から顔をだしました」


 アメリカの借家人がケチンに使っていたところは、江戸時代には中門脇の中間部屋だったのを、石田氏の養父の代に、洋館のほうへ繰込んで坊主畳を敷き、院外団の壮士や、青雲の志のある同郷の書生どもを入込みにして、ゴロッチャラさせていたのだそうである。ただし、それは大正末期までのことでかくいう百々子などの知っている頃は、昼間から鼠の眷属けんぞくが跳梁する、使用不能の空き部屋になっていた。
 半地下式の食料庫のほうは、江戸時代には、大根部屋といわれていたところで、冬の間、野菜をかこっておく場所だったが、祖父の代に、地埋ちづみの部分の板壁に、モルタルを塗って電灯を引きこみ、西洋のカーヴ(地下室の酒倉)式の部屋をこしらえた。見たかぎりでは、六坪ほどの、変哲もない真四角な地下室だが、西側の壁に隠しのようなものがあって、そこを突けば、自然に裏庭へ抜けられるようになっているところが怪しい。
 大正の初期のある一時期に、紳士や貴夫人の大半が博徒化した時代があったそうで、そういう連中が、ここで風雅な四季のながめに耽っていたのだろうと、知ったようなことをいうものもあったが、それは真相ではなかった。
 養父の与惣兵衛は、陣笠以下の、名もなき並び議員のくせに、いわれのない事大思想にとりつかれて、政界の大立物ででもあるかのような錯覚をおこし、刺客の急襲を恐れて、しょっちゅう、ビクビクしていた。用途不明の半地下式の隔室は、四十七士の襲撃における、吉良上野介の雑倉ぞうぐらにあたるもので、一旦緩急あれば、逆落しにここへ落ちこんで、あやうい生命の狭戸せとをすり抜けようという、よく考えたドデンの場なのであった。
 吉良の雑倉は、戦中は、防空壕に使われていた。焼夷弾を、どんなものだと思っていたのか、地面から三尺上った柿葺こけらぶきの屋根伏せに、古畳を積んで天水桶を置き、なんのつもりか、地下室の壁に大きな神棚をつくりつけた。
 空襲警報が鳴ると、神棚に灯明をあげ、家令に運ばせた紋綸子もんりんずの大座団のうえにおさまって、
「うちゃのー、政界に身を置いていた間は、いつ刺されるかも知れんという、難局にばかり立たされちょったから、イザという場合の隠れ場をこさえておいたが、こやつが、将来、アメリカの火の子を防ぐ役に立つようになろうなどとは、さすがのおれも、思いはせんじゃった」
 などと、天照皇大神をまつった大神棚を背にして、偉そうなことをいってとぼけていた。
 接収後は、進駐軍の調達令に狼狽した日本政府が、PDの言いなり放題に、終戦当時の十数万円を費して、浪人部屋を至れり尽せりの米式ケチンに改造し、吉良の雑倉は、ケチンにつづく廊下を鉄扉てっぴで遮断して、冷房つきの食料庫にこしらえなおした。尤も、このほうは、火事騒ぎがおさまってから、意外な事情によって、端なくも所在が知れたので、そんな仕掛けがあることに気のつくものはなかった。
 警察側では、わが石田家の火災は、当日の深夜ぐらいにケチンの天井裏でくすぶりだした火が、長い時間をかけてその辺を舐めまわり、翌日の未明になって、いちどに屋根へ燃えぬけたのだと睨んでいたが、出火前後の事情を取調べているうちに、くすぶり加減の、あまりにも悠長すぎることに、疑問をもちだした。
 その日の夕方、同家の細君と長女が、ケチンの灯用線に電気オーヴンをつなぎ、約一時間ほど電熱を使用したが、たまたま天井裏の電線は、明治三十何年かに配線したままの老朽線だったので、被覆の欠損したところから漏電して、大事にいたったものだろうという見込みだったが、それにしては、出火の時間が遅すぎる。漏電に見せかけているが、ただの失火ではないらしいと考えているとき、前夜、石田氏が細君に向って、
「こんなけがらわしい家は、火をつけて焼いてしまうからそう思え」
 と、いったという聞きこみがあったので、話がうるさくなった。
 出火の翌朝、警察は事情を聴取るだけで、深いところには触れず、
「とりあえず、消防署と両隣りぐらいに挨拶をしておいていただきましょうか。それで結構ですよ」
 という程度で帰してくれたが、調査をすすめるにつれて、いろいろと思わしくない事情が出てきたので、いい加減なことではすましておけなくなった。
 接収家屋の復原問題では、石田氏と調達局の間でむずかしい掛合いになっているが、調達局にたいする石田氏の態度はいつも威嚇的で、連合国の手代を困らしてやろうと意図しているとしか思えないような、反米的なひねくれかたをする。つい最近も、石田氏が調達局へやってきて、こんなことをいったというのである。
「最近の独逸の雑誌に、連合国軍の司令官が個人邸宅を接収して、勝手な改変を命じたら、西ドイツの渉外局が、率直に不快の意を表示したという記事が載っていた。ドイツ人はドイツ人らしいことをすると思って、面白く読んだ……それから中部フランスのある都市では、アメリカ風に改変されたその家の所有者が、接収解除後、フランス人がこんな家に住めるかといって、土工を雇って、ひき壊してしまったそうだ……これに似た事例は、外国にはたくさんあるが、いくらあっても、それはフランスの事例、ドイツの事例で、国民性がちがうから、日本では例にならんのでしょう。いや、情けないものです」
 この春の行政機構改革で、石田氏があっさりと整理され、一月以来、浪人していることも、条件として不利であった。石田氏のような反米思想の持主は、なにかの加減で激発すると、補償などはどうでもよくなり、戦勝国民にいじりまわされた、国籍不明の建築構造物などは、火をつけて燃やしてしまって、早いとこ、火災保険で埓をあけようといった気持になるのかも知れない……と警察は気を廻した。
 麻布の家へ越した日、石田氏が自分の部屋に、ケチンと廊下をひとつ隔てた、対角線上の洋間をえらんだことと、次女の百々子が、石田氏の部屋へ火事を知らせに行ってドアを叩いたとき、約五分ほど、内部から応答がなかったというこの二つの事実が、放火の嫌疑を決定的なものにした。
 その後、石田氏が五十雄君に語ったところによると、警察の訊問はすこぶるドラマチックなもので、調室しらべしつにいた刑事の一人は、
「おめえは、まあ、こんな恰好もしたのだろう」
 と、石田氏が燃えぐさを持って部屋の窓からぬけだし、胴蛇腹どうじゃばらを伝って、ケチンの換気孔から天井裏へ這いこむところを、見ていたように演じてみせたということだったが、石田家の火災に関するかぎり、徹頭徹尾、警察側の誤解だったのである。
 わが石田一家は、接収解除以来、『連合国の店子たなこ』の不始末のお蔭で、有形無形の被害を受けてきたが、この事件もまたそうであった。
 火事のあった日の翌々日、焼跡のひきならしに来ていたとびの一人が、
「恐っそろしく香ばしい匂いがするが、人間でも、焼け死んでいるんじゃねえのか」
 といったので、騒ぎになった。
 担当の警官が飛んできて、焼木杭やけぼっくいを掻きのけ、燃え残った外側の落し戸を壊して地下室をのぞきこんでいたが、
「あれっ、豚が焼け死んでいる」
 と、つんぬけた声をだした。
「居る居る……親豚が一匹に、子豚が六匹……豚の親子心中とはおどろいたね」
 鳶がいっしょになって、そんなことをいって騒いでいるところへ、いつもの係長が、えぐい顔をした私服の刑事を連れて乗りこんできた。
「出たかね」
「出ました。豚が黒焦げになって死んで居ります」
「焼死者というのは、豚だったのか」
「はっ、豚でありました」
 うちのパパなる石田氏は、五十雄君と二人ですこし離れたところに立って、素袷すあわせ懐手ふところでで高見の見物をしていたが、二人の会話の調子のよさに釣りこまれて、はははと大きな声で笑った。
 係長は、落し戸の壊れたところから首を突っこんで、
「ははァ、ここは食糧室になっていたんだな。むこうの鉄扉てっぴで、台所につづいていたわけだ」
 などと説明しながら地下室を検分していたが、不審なことでも眼についたのか、刑事と顔を寄せてヒソヒソ話をはじめた。
「内壁のモルタルが焼けていないのに、豚だけが黒焦げになっているというのは、すこし異状だね」
「おかしいです」
「入って見てみよう」
 鳶のかしらを呼んで、
かしら、すまないが、ここの小屋根のトタン板をひッぺがして、風が通るようにしてくれんか。これじゃ、臭くて入って行けないから」と頼んだ。
 戦時中、防空壕の掩蓋えんがいになっていた吉良きらの雑倉の小屋根に風穴があくと、係長と刑事が後先になって地下室へ入って行った。三十分以上もゴソゴソやって出てくると、木骨混凝土もっこつコンクリートの絶縁壁の間を通っている、焼けただれの電線を手繰たぐりながら、ケチンの焼跡へ行き、灰のなかにしゃがんで、その辺を掘っくりかえしていたが、納得したような顔になって、みなのいるところへ戻ってきた。
 係長は石田氏のそばへ行くと、如才のないつくり笑いをしながら、
「ちょっと、お伺いしたいことがあるんですがね」
 と軽い調子で誘いかけた。石田氏はそっぽを向いたまま、
「火事の話をすると、口が乾いて困るんだ。洗いざらえ、言い尽したはずだから、いい加減にしてもらいたいね」
 と突っ放したが、係長のほうは、なんの感じもないふうで、
「あなたにとっても、有利な話なんですから、つきあってやってください。たいして、お手間はとらせないつもりです」
「警察へ行くのかね」
「お話を伺うだけですから、なんでしたら、あちらの広廊の端ででも」
「だいぶ困っているようだな。君をいじめてみたってしょうがないから、長くなければ、つきあってやってもいい」
 石田氏は、係長と刑事をひき従えて、芝生のなかの道を家のほうへ歩きだした。五十雄君と百々子が、うしろからブラブラついて行った。
 広廊に行くと、石田氏はそこに出ていた座布団をひきよせて自分だけ敷き、縁端に掛けて畏まっている係長と刑事を尻眼にかけて、悠然と煙草を喫いだした。
 五十雄君と百々子が、三人のそばを通って部屋へ帰ろうとすると、係長がこんなことをいっているのが聞えた。
「いま当ってみたところでは、失火の直接の原因をつくったのは、どうやら豚だったような模様でして、そうだったら、あなたには、たいへんなご迷惑をおかけしたことになるので」
「豚とは、つらいところへ持ちこんだもんだね。無辜むこの動物に罪をきせることはない。放火犯人は、俺だって一向にかまわない」
 面白くなりそうなので、部屋へ帰るのはやめ、五十雄君と二人で芝生に坐りこんで傍聴することにした。
「持ちこんだというわけではありません。確証がありますから」
「豚と話をしたのか」
「話などしません」
「そんなら、どうしてそんなことがわかるんだ?」
「取調中ですから、調査の内容を洩らすわけにはいきませんが、だいたい、そんなことだと思ってくださればいいんです」
「じゃ、言わずにおきたまえ。そのかわり、なにを聞いても、返事をしないから」
「豚が放火ひつけをするわけはないんだから、失火の直接の原因をつくった、といったら、おわかりになるはずですが」
「わからないね」
「簡単に申しましょう……調理場の北側の壁と地下室の壁は、胴差が通ったところで一枚につづいていますが、その壁は、冷煖房を装置するかげんで、木骨混凝土もっこつコンクリートの二枚の間に、鋸屑おがくずや畳の古床を詰めて絶縁体にしてあるんです……ところで、豚のやっこさん、あんなところへおしこめられて、食うものがなくなり、苦しまぎれに、精いっぱいに伸びあがって、動力線の被覆を噛ったもんだから、親子もろとも、あっという間に黒焦げになってしまった。そのときショートした火花が、壁の間の詰物に移って燻ぶりだしたが、両側がモルタルだから、おもてへ火が出ない。内攻したまま、あっちこっちへひろがりながら、調理場の屋根の対束むかいづかまで燃えて行った……というようなことだったらしいのですね。隔壁の内側の詰物が、地下室と調理場の壁の上端うわばまで、ずうっと焼け通っていますから」
「すると、石田九万吉なる人物が、燃えぐさを持って、ヴェンチレーションの穴から、台所の天井裏へ這いこんだなどというのは、まるっきり、ないことだったんだね」
「申し訳ありませんが、まァ、そういうこッてす。それで、つかぬことを伺うようですが、あんなところへ豚をしめこんで、いったい、どうするつもりだったんです? 私の見たところでは、あの豚は、十日ぐらい、なにも食っちゃいないですよ」
「どうするという質問には、お答えができない。豚を飼ったこともなければ、飼おうと思ったこともないから」
「たしかな話でしょうな」
「たしかだろうとも。当人がそういっているんだから」
 係長は、底意ある眼つきで石田氏の横顔をながめていたが、手ぬるいことでは駄目だと思ったのか、調子を変えて、ネチネチとからみだした。
崖端がけはなの垣根のところに、豚の毛がたくさん落ちているし、庭の隅に、豚を焼いたらしい石のカマドのようなものもある。ここで豚を飼って、密殺して食べていられたのとちがいますか」
「君もしつっこい男だね。なんのために、そうまでして、俺に豚を飼わせたいんだ?」
「失火の原因はつきとめたが、どこの豚だかわからないじゃ、事件のしめくくりがつきやしません。正直にいってくだされば、密殺のほうは、大目にみてあげます」
「そういうことなら、この事件は、永久にしめくくりがつかないだろうよ。あきらめたほうがいい」
 係長は当てはずれの白けた顔で、刑事とボソボソいいあいをしていたが、そのうちに、うまいところへいき着いたらしく、さっきの自信ありげなようすになった。
隣家となりの太田の女親分に聞いてみるか。ご苦労だが、当って来てもらおう」
「そうですね……じゃ、ちょっと」
 刑事が立って、庭先から出て行った。
「太田の女親分というのは、改進党の代議士だった太田貞代のことだろう。昨日、失火の挨拶に行ったが、よくひとの出入りするうるさい家だ。いま、なにをしているのかね」
「この春までは、代々木のワシントン・ハイツにある、日本人管理事務所の労務部婦人部長……二千人からのメードを管理して、元締のようなことをやっていましたが、講和発効で解散になって、いまは浪人です」
 行政機構改革で整理され、この先、就職の希望のない石田氏にとって、浪人という言葉ほど忌々しいものはない。だまって聞き流しているはずはないと思っていたら、果して、ふふんと棘のある含み笑いをした。
「そうかい、隣家となりも浪人か。それぁ、よかった」
 と、すねたようなことをいうと、足を投げだして、踵の水虫をいじめにかかった。こういう恰好をするときは、かえらぬむかしの夢を辿りながら、遣瀬やるせない物思いに耽っているのである。係長は、そういうこととは知らないから、いい気になって、ひとりでおしゃべりをしている。
「親分のほうは、騒々しいだけで害はないんですが、娘には困ります……ミドリさんというんですが、これがすごいヌード趣味でね、気がむくと、どこの家でも入って行って、着ているものをすっかり脱いで、なにもかもお目にかけちまう……この市兵衛町で、ミドリさんに脅かされなかった家は一軒もないというくらいのものなんで……二十三四の小柄の、ツルリとしたきれいな娘ですが、お宅へは現われませんでしたか」
 応答はなかった。石田氏は聞いていないんだから、しようがない。気の毒になったので、百々子が助け舟をだそうと思っているうちに、五十雄君が、だしぬけに横から口をだした。
「ええ、来ました。お隣りのお嬢さんだと知らなかったもんだから、交番へ電話をかけたりして、悪いことをした」
「やはり来ましたか……この家へ来ないはずはないと思っていた……この間は、朝がけからお騒がせしましたが、あのエルマンというやつにひっからまっていたんで、ああなる前に、何度か署へ呼んで注意したんですが、当人は欺されたと思っていないんだから、手がつけられない……それで……やはり脱ぎましたか」
 五十雄君は、ここにこそ、痛みがあるというように、胸を手でおさえて、
「僕に、どういう返事をしろというのでしょう。あのひとの裸を見たといえば、お気にいるんですか? しかし、頭の弱いひとのやった失策を、下劣な興味の対象にするようなことは、慎しむべきですね……ともかく、この話はやめましょう」
 祝詞のりとをあげるような、例の静かな声でつぶやいていたが、なんのせいか、急にサッと頬を染めた。様子が変なので、百々子が、
「どうしたの」
 とたずねると、いよいよあかくなって、はにかんだような微笑をしてみせたのは、異様であった。


 五十雄君の背骨には、『戦争の思い出』が深く腐れこんでいて、一日のうち、少くとも三時間は整形用の板のベッドに寝ないと、身体の調子が悪いらしい。
 五十雄君の青春は、汚れのないサラのままで中断され、いきなり廃品ローズになった情けない青春で、恋愛だの結婚だのということは、とおのむかしに、あきらめているようだから、はにかみ笑いをしたくらいで、隣家となりのひょんなお嬢さんを好きになったとも思わないが、犬吠岬の自炊式のサナトリウムにいるとき、ベッドに寝たきりになっているはずの五十雄君が、白系ロシア人だかスペイン人だか、すごく綺麗な西洋人のお嬢さんの病室へ入りこんで、スプーンで口もとまでお粥を運んでやるという、熱い奉仕をしていたような例もある。ダメならダメで、ひとの知らない応用の道があるのだろうなどと考えていると、さっき出て行った刑事が、人好きのしないどこかのおばさんと、上品めかした半白はんぱくの紳士を連れて帰ってきた。
 おばさんのほうは、四十二、三の、見るからに逞ましい感じのひとで、寸足らずに着た紺絣のワンピースに、桃色のカーディガンを前ひろげに羽織り、素足に赤い鼻緒の下駄を履いている。眉は李香蘭の式に、一筆書きに細く描き、薄く色のついた、しゃれた縁無ふちなし眼鏡をかけているのだけれども、額が狭く険しいので、せっかくのお道具が、みな額際に飛びあがっているように見えるのは、惜しかった。
 遠見では、よく酔っぱらいの客をつかまえてポカポカ撲りつけている、市場通りの立飲みバアの暴力マダムに似ているようで脅えたが、いきなり石田氏のそばへ行って、
「あんた、石田さんか。うち、太田のサァちゃんです」
 と裏の枯れた渋辛声で名乗ったので、これが係長の話していたお隣家となりの太田夫人なのだと、鈍い百々子にもすぐわかった。
 石田氏は、咄嗟の間に相手を見下してやることにきめたらしく、課長室の革椅子でそっくりかえっていた、官僚の俗悪なポーズになり、ひと反り反って、乏しい口髭を撫で、いいほどの間をもって、おもむろに応対する仕掛けをしたが、太田夫人のほうには、全然、演技の感覚がなく、
「昨日は、どうもご丁寧に。小火ぼやぐらいのことで、あんなにしてもろては、すまんな」
 と、いきなり相手のセリフを食ってしまったので、石田氏の出場でばがなくなった。
「あんたに逢ったら、聞こう思うていたのやが、消防の酒肴料しゅこうりょうなんぼやった?……なに、二万円? そりゃ多いよ。そこにいる係長あたりがいうたんやろが、やりすぎてはあかん。わしが半分、取返してあげる」
 係長は、太田夫人とかかりあいたくないふうで、すこし離れたところに立って、半白の紳士とさりげない話をしていたが、自分の名が出たので、だまっていられなくなったらしく、顔だけこちらへねじむけて、
「太田さん、私は消防にいくら包め、なんていったことはありませんよ。それは誤解です」と抗議した。
 太田夫人は両足を踏みひらいて縁端に掛けると、まぎれもない女親分の貫禄になって、
「誤解か? 誤解なら誤解でもええが、サァちゃんは、ですな、あんたらがどんなことをやっているか、みィんな見とおしとるんよ。ギヴミーとはいわんけれども、人民から金銭をハタリ取ることにかけちゃ、あんたらは天才やからね。どやネ? 嘘じゃないでしょう」
 頭ごなしにやっておいて、係長がひるむのを見すまして、いきなり豚の話になった。
「話は、いま聞いたが、豚の件にしても、あんたらのやり方はいかんと思うな……どこが、いかんのか。やさしゅうしてすむことを、わざとむずかしくするのが、いかんのや。自火を出して、難儀をしている人民に因縁いんねんをつけて、よけいな苦しみを与えるというのは、不届きやないですか」
「太田さん、因縁をつけるというのは、なんのことです」
「待ちなさい。だいたい、あんたはものを知らなすぎるよ。農林省の課長までしたひとが、豚の密殺をしたりするかどうか、考えたってわかるでしょう。だいいち、こんな立派な庭園で豚を飼うような未開な風習は、日本人はもっとらん。あんたにしてからが、ありそうもないことや思うとる癖に、捜査もせんと、石田さんに罪をおしつけようとする。因縁をつけるというのは、そこのことをいうんや……それで聞くが、あんた、南方へ出たそうやから、レチョンを知っとるだろう」
「レチョンって、なんです」
「知らんのか……レチはスペイン語で乳のことで、レチョンというと、まだ乳を飲んでいるくらいの、小さな豚を丸焼きにすることをいうんやね……日本の田舎では、なにかあると、すぐ餅をくが、ポリネシアやメラネシアは、冠婚葬祭のあるたびに、かならずそれをやる……豚を熱湯につけて、剃刀で毛を剃って、臓物を出したあとへ、棕櫚しゅろの葉を固く巻いたのを詰めて、けつの穴から口へ竹の棒を通して、炭火の上でクルクル廻しながら焼くんやね。うち、比島へ行ったから知っとるが、ちっちゃな尻尾を巻いて、三寸人参にんじんくわえたやつが、コンガリと焼けあがって、バナナの葉に載って出てくるよ」
「わかりました。もう結構ですよ」
「いや、まだわかっとらん。まあ、聞きなさい……この家にエルマンという悪いやつがいて、あんたらに検挙あげられて、マニラへ送還されたが、あれは純粋なポリネシアやから、誰が豚を飼っていたか、して知るべきでしょう。胡乱うろんなことをいうとるのやない。この家でメードをしとったのが、うちで遊んどるが、それが現実に見とるんや……洋館にいたシュラーがアメリカへ帰ったあとは、独身ものばかりで、パントリーを使わないのをいいことにして、そこで豚を飼っとったらしい。餌をやるのを忘れると、豚がこの広廊をトコトコ歩いて、エルマンの部屋へ催促に来るんやて……見てみなさい。この一面の傷は、タップでもなんでもない。みィんな豚のひづめの痕です。なんぼ接収家屋やかて、神聖なる個人住宅の座敷の中で、不潔な豚をアチコチさせるなんてのは、あまりにも、敗戦国を侮辱したやり方や思うね。証人が要るなら、うちが、なんぼでも出す……これから、ちょっと石田さんと用談があるから、あんた、今日はこれくらいで、ひきとってくれんか」
 一気いっきに押しまくって、係長と刑事を追いだしてしまうと、広廊へあがって、ジロジロと家のなかをながめだした。
「あんたのほうも、補償問題にひっかかって、うるさいことになっとるそうやが、よっぽど手強くやらんと、埓があかんですよ……わしの調査したところによると、まだ処理されない分が、講和発効前のもので約二千件、点数にして六十万点もあるところへ、発効後のものが、五百件も加わっとる。政府は百二十二億の補償予算を組んで、調査班を出して調査させとるが、補償ではやれんような複雑な問題があって、簡単なことでは片附かん。秋までかかって、半分いったらいいほうでしょう。わしはこの春から、調達局と旧所有者の間に立って、調停業みたいなことをやっとるのですが、一口に補償といっても、条件がいろいろで、なかには、どうさばけばええのか、わからんようなのがある……渋谷のさる住宅の話ですが、池に飼っていた、一匹、時価二万円という錦鯉にしきごいをですな、四十一匹もあんた、ペロリと食べられてしもた。所有者は、損害、八十二万円を補償しろというのですが、国または在日米軍に支払う責任があるかどうか、むずかしい問題になっとる……この家でも、プールのことでもめてるそうやが、そら、ここだけのことやない。おなじような問題が、都内だけで、五件もある。調達局では、せっかく立派に出来ているもんやからいうて、都に買収をすすめているが、都としても、プールばかり幾つも買いきらんので、これも行悩みになっとる……こういうのはまだええよ。たちの悪いのになると、逆にそれを利用する。山手のさるホテルですが、調達局から取壊しの費用をとって、プールは保存しておき、『水のホテル』とかなんとか写真入りで宣伝して、金を儲けているやつもいる」
 そういう話が、際限もなくつづく。石田氏は貧乏ゆすりをしながら、神妙な顔で聞いていたが、そのうちに腹がたってきたらしく、
「余談は、それくらいにして、用件を先に伺いましょう。そんな話を聞いていると、眠くなるばかりだ」
 と高慢なことをいった。太田夫人は、たいへんなとぼけかたで、
「失礼失礼……よけいなおしゃべりをして、えらいこと、叱られてしもた。それでは、用件にかかりましょうか。先に、紹介しとこ」
 そういうと、家来でも呼ぶような乱暴な口調で、おいおいと半白の紳士を呼びつけ、
「こいつは、ヘンリ清水という土建屋のボスでね」と石田氏に紹介した。
 チョーク縞の、すごいダブルのスーツを着たヘンリ清水という紳士は、むかし下町の商人がやったような、いかにも古風な揉手もみでをしながら、
「只今、ご紹介にあずかりました、私がヘンリ清水でございます。どうか、よろしく」と慇懃極まる挨拶をした。
 石田氏はタジタジになり、坐りなおしてお辞儀をすると、太田夫人はの葉のような大きな手を振って、
「石田さん、やめときなさい……こいつはですね、米国工学士などと自称しとるが、なんのことやら、わかったもんじゃないですよ。うちが労務者管理でオタオタしているうちに、こいつは、この家にいた設営局のシュラーに食いついて、シコタマ貯めこんだという大悪党や」と説明してきかせた。
 清水氏は胸のかくしから、眼にしみるような白いハンカチをぬきだすと、なんのつもりか、意味もなく、顔の前でヒラヒラさせながら、
「終戦以来、私は参謀第四部で設営局の仕事の下請したうけをやって居りましたが、ここにいるミセス太田や、世間の日本人が考えているような、儲かるなんてえ性質のもンじァありません……民間の仕事なら、ペテンをやって、見えないところで手をぬく、なんてえわざを用いぬこともございませんが、掛引だの、ペテンだのってえものは、ひっかかるような相手にしか通用しないもので、占領作戦の最中に、そんなことをやったことがわかったら、たちまち沖繩へ島流しになって、重労働十年、てなことになっちまいます。ええ、その辺のところは、ご信用をねがって……それで、早速ですが」
 と本題に入りかけると、太田夫人は横からひったくって、
「石田さん、このとおり、さっぱり頭のない男やで、なにをいうとるのか、わからんでしょう。通じないところは、わしが代弁しますが、ここはあまり端近かやね。奥へ行って、ゆっくり話そやないですか」
 石田氏は嫌気いやきになって、投げだすことしか考えにないらしく、百々子に、
「あれがいるだろう。あれを呼んで来い」
 と気のない調子でいいつけた。
「あれは、千々子さまと早くからお出かけになりましてございます。お帰りは、夕方になると、おっしゃっていらっしゃいました」
「居ないのか。居ないなら、しょうがない」
 ぬうっとした恰好で立ちあがると、二人を連れて、広廊の端の千々子さまのサロンへ入って行った。
 間もなく、こんなことをいっている太田夫人の声が聞えた。
「なんやね、これは……満足な椅子ひとつないな。これじゃ、ひどすぎるよ。清水さん、こっちのほうにも家具を入れて、一通り、設営してやんなさい。それくらいのことをせんでは、あんたも義理が悪かろ」


 五十雄君を部屋まで送って、ついでに庭向きの賢夫人のお居間をのぞいてみると、夕方まで帰らないはずの賢夫人と千々子さまが、人目を忍ぶように、ひっそりと、おひそまりになっていた。お召物の仕掛けを見ると、見馴れたふだんのお服で、外出したようすはない。
「おやっ、いつ帰ったんだ」
「なんです。その、おっしゃりようは」
「失礼しました……いつお帰りになりましたの」
「いつだっていいでしょう。それを聞いて、どうしようというの」
「ちょっとおたずねしたので……広い家ってのは、なるほど、お子供向きですね。隠れん坊ができますから」
「なにをぐずぐずいってるんです。用でもあるんですか」
「お父さまが呼んでますから、お迎いに」
「迎いなんかいらない。呼ばしておけばいいのよ」
 千々子さまは編物の手をやすめて、賢夫人に意味ありげな眼づかいをすると、
「パパは、やはり逃げるつもりだったのよ。ママを呼びに来るようでは、ようすが知れるわね。居ないことにしておいて、よかったわ」
 と、山鳩のようなふくらんだ声でささやいた。賢夫人は自若とした顔で、
「鰻じゃないけど、とっつかまえて、目釘を打つところまでやってもらわないと、ヌラリクラリと逃げてばかりいるから」
 わからないことをいっておいて、百々子のほうへ向きかえると、
「百々子さん、あなた、いままでお客さまのそばにいたんでしょう」
 と探るような眼つきでたずねた。
「悪うございました……でも、バカに面白そうな話だったから」
「叱ってるんじゃないのよ……どんなことをいっていた? シュラーさんのことを話していましたか」
「シュラーというのは、千々子さまを欺して、香港ホンコンへ連れて行こうとした、あの鳶色の先生のことですか」
「あれはワニちゃんでしょう。知っているくせに、とぼけるのはおやめなさい。洋館にいたシュラー・ハークネスのことよ」
「さあ、どうだったかな」
「じゃ、もう一度行っていらっしゃい……そばに坐っていて、よくお話を聞いて、お父さまがお客さまに、じゃ、そうしようとか、承知しましたとか、オーケーの返事をしたら、すぐ呼びにいらっしゃい」
「むずかしそうだな……お父さまが、よろしいといったら、あなたの出番ですっていいに来るんだね……やってみましょう」
 お居間を退ろうとすると、千々子さまがうしろから、
「おうちのためなんですから、しっかりやってちょうだい。こんなときぐらい、役に立たなくては、あなただって生きている甲斐がないでしょう」
 と、おっしゃった。
 ぼろソファを裏庭から拾ってきて、感じよく配置した千々子さまのサロンへ行くと、バネもパンヤもない、腑ぬけの家具なもんだから、主客の別なく首までソファに埋まり、釣り身になって鼎談ていだんをしている。ちょうど、シュラーの話に移ったところで、太田夫人と清水氏が大きな声で評論をやっていた。
「いや、それはちがう……ハークネス家の収入は、石油集団の百四十家族で、うまいこと分けてしまうので、正当な課税評価はでけんが、実際に計算したら、モルガンやロックフェラーより、よけいあるやろ。分家のブラッドでも、百億ドルいうんやから、本家のシュラーの資産は、すくなくとも、三倍はあると見てええ」
「三倍はどうかねえ……しかし、ともかくたいしたもんでさ。十四年の春に、招待されて、ロングアイランドのシュラーの別荘に行ったことがあるが、二千エーカーもある原野のような庭園のなかに、ヨーロッパから移したという中世紀の大きな城があって、その向うに飛行機の発着場が出来ている……寝室が百五十、浴室が五十、エレヴェーターが十四、一度に四百人が会食できる大食堂が、六つだったか、七つだったか……客のために、丸ビルくらいの七階建のアパートがあって、クリスマスには、特別列車で客を運んで、一と晩に、五十ダースのシャンパンをあけるというんだから、お話にもなにもなりはしない」
「お話にならんというのは、こっちのいうことや。石田さん、清水はですね、シュラーが鷹揚おうようなのをいいことにして、占領中、さんざええことをしたんや……いまだからいいますが、この家を、シュラーの収用ハウスにむけて、どこの国のものとも知れんような、おかしげなぐあいに改造したのは、なにを隠そう、こいつの仕業しわざなんやで」
 石田氏は額際まで赤くなって、すごい眼つきで清水氏をにらみつけた。
「この家を改変したのは、君だったのか」
「さようです……尤も、私が扱いましたのは、プランニングだけなんで」
醍醐だいごの三宝院を写した、床脇とこわきの棚を壊して、不潔極まる婦人の洗滌器を据えつけたのは、君がやらせたことなんだね?」
「やらせた、というわけではございません。プランニングのぐあいで、なんとなく、そんなふうになっちまったんで」
「上段ノ間の畳を放りだして、安物の蝋引ろうびきゆかにしたのも?」
「さようです」
「清閑院の杉戸をとっぱらって、バアのようなすりガラスの戸をはめこんだのも?」
「さようです」
「御所造りの羽目はめに、五しきのペンキを塗ったくったのも? 地境じざかいの松の頭をチョン切ったのも?」
「弱ったね……念をおされると、汗が出ますよ」
「汗が出たら拭いておけ。いったい君は、どういう権威をもって、こんな勝手な真似をした?」
 太田夫人が割って入った。
「そんな大きな声を出さんといて……こいつも、悪いことをした思うのか、自火を出されたことを聞いて、焼けた分の新築を、無料で奉仕したいというとるんです……今日、伺ったのは、そのことも含めて」
「新築などしないから、奉仕はいらない。あれが焼けてくれたんで、清々せいせいしているんだ」
「でも、あそこにケチンがなくっちゃ、住めません」
「広廊へ七輪を持ちだしてやっているから、ご心配はいらない」
「石田さん、こいつは、無料でやる、いうとるんですよ。来年の春ぐらいまでには、収用住宅がみな片付くから、外人向きの貸間ブローカーが、いまから血眼ちまなこで部屋を探しとる……こいつのサービスで、あそこにケチンをこしらえとけば、階下と二階を、月五万円ずつで貸せますよ。あんたの家族が、御所造りのほうに住む気があるなら、家具を入れて、設営しなおして、収用ハウスに馴れたメードを、一人お世話する……そこまでの奉仕をする気でいるんです。こんな大きな屋敷では、日本人は借りきらんでしょうから、そんなぐあいにして、ここで気楽にやられたらどうです」
「せっかくだが、この家は、二度と戦勝国民に貸す気はない。そういう相談なら、ご無用にねがいたい」
「石田さん、あんた、えらい反米思想やね。この家にアメリカ人が住むのが、そんなに気に入らんですか。あんた、ええとこあるよ……よけいなことを聞くようだが、この家、どうする気です? 五人の家族で住むには、すこし広すぎる思うがね」
「補償問題がすんだら、こんな家は、さらりと売ってしまう」
 清水氏が笑いながらいった。
「失礼ですが、この家は売れません。売ったら詐欺です」
「聞き捨てにならんことをいう。この家を売れば、どうして詐欺になるんだ」
「ご存じないんだ……失礼ですが、この建物は、住宅並みの値段をつけられるような代物しろものではありませんな。せいぜい古材にして、銭湯の焚代たきしろになるくらいがおちです。石田さん、この家は白蟻の巣ですよ。床束ゆかづかからあがって、柱と胴差の内部を空洞にして、天井裏まで行っています……御所造りのほうは明暦元年で、かれこれ二百年、むこうの洋館は、明治十年で、これも七十年……なにしろ、出来が古いから無理もない。地境の松の枝を間引いたというお叱りでしたが、あれくらいにして西陽にしびを通さないと、西北側の白蟻は防げないんです……おっしゃるとおり、妙なペンキの色ですが、テルモールや、藍色油らんじきゆなんてえ防蟻剤を交ぜたから、あんなことになった……洋館の西側に、混凝土コンクリートの馬鹿でかいケチンをつくったのは、ああしておけば、ケチンが扶壁ふへきの役をして、いちどに、ぐしゃっといかずにすむからですよ。床脇とこわき違棚ちがいだなをとっぱらったのも、上段ノ間の床板を代えたのも、あのへんが、いちばんひどい家白蟻の巣だったから……だいぶと、お腹立ちのようですが、この家の寿命を繰りのばすに、これでも、相当、骨を折ったつもりです……嘘だと思ったら、造震機を持ってきて、この辺の地面を揺すぶってごらんなさい。屋台ごとひっくりかえるか、ぐっしゃりと尻餅つくか、二つのうちの一つでしょう……それでも、この家を売るというなら、腐朽家屋の抗告をして、売るにも売れないようにしてあげます」
「すると、君にお礼をいう立場かね」
「お礼はいいですが、そのかわり、あちらの洋館をシュラーに貸してやってください……この間、渋谷のお宅へ伺って、奥さんのご内諾を得ましたが、最後のところは、やはり主人の承諾がなくては困るとおっしゃる……話はこういうことなんです。先日、アメリカにいるシュラーから、麻布のあの洋館がいているだろうか、明いていたら幸福だが、という意味の手紙がきました……いま、お話したように、シュラーなる人物は、課税報告番号によると、『アメリカを支配する六十家』の第四位に位いする大財閥の御曹子で、やろうと思えば、帝国ホテルを借切ることだって出来るのに、東京にいるあいだ、この古ぼけた洋館を宿にしたいなんていうのは、まことに微妙なことでして……こちらのご長女さまが、犬吠いぬぼうのサナトリウムにいるご長男の附添いで行っていられて、ときどき買物に東京へ出てくるのを、シュラーがよく自動車で迎いに行くのを見た……などとは申しませんが、シュラーがどういう気持で日本へ遊びに来るのか、その気持がわからないわけではありませんから、あの洋館をお貸しねがい、占領中、シュラーの部下だった同業一同がお世話をして、たとえ何日でも、気持よく滞在してもらおう……と、まア、こういうわけなんです」
 五十雄君が犬吠の自炊式のサナトリウムにいるとき、千々子さまは、じぶんから附添いを買って出て、半年ばかり、渋谷のバラックに帰らなかったことがある。かくいう百々子は、そのころ学校があったので、日曜日に、ときどき見舞いに行ったが、五十雄君のそばに、千々子さまがいたためしがない。
「千々子さまは、どうしたの」
 とたずねると、五十雄君は、地獄へちる瞬間の光景を垣間かいま見た、聖者のような悲愴な顔で、さっき町へ行ったとか、千葉まで買物にとか、ささやくような声でつぶやいていたが、いまになって思いあわせると、千々子さまは、はじめっから五十雄君をダシにしていたので、賢夫人の諒解のもとに、東京へ出てきては、借家人のシュラー氏といいくらいに遊び歩いていたというわけなのだろう。当の千々子さまは、
「パパ、麻布の家に、どんなひとが住んでいるんでしょう。どうせ、威張りくさった嫌な奴にちがいないわ」
 とか、あるいはまた、
「シュラーなんて、ナチの親衛隊長みたいな名だけど、まさかドイツ人じゃないでしょうね」
 などと大恍おおとぼけに恍け、シュラーがアメリカへ帰ってからは、玄関の三畳にひっこみ、行い澄ました顔でひねもす長い胴着を編みかえし、とうとう最後まで尻尾をつかませなかった。
 石田氏は、相手に勝手にしゃべらせておいて、プールのあるほうをぼんやりと見おろしていたが、説話が一段落になったところで、だしぬけにヘンリ清水にたずねた。
「それで、どうしてくれというんだね?」
 ヘンリ清水は額を叩いて、
「これはどうも……聞いちゃいなかったんですか? 洋館をお貸しねがうといっても、シュラーのことで、お気づかいをかけるつもりは、毛頭、ございませんので、さっそく、明日からでも、腕っこきのハウス・メードを一人住込みステーさせます……それで、お家賃のほうですが、階上うえ階下したをつっくるみにして、週二十ドルというところでおさまっていただきたい……シュラーが日本へ来るのは、七月四日の独立記念日の前後だと思いますが、ご承諾ねがわれますれば、本日、すなわち五月十五日からお借りしたことにして、五、六、七と、十週間分の家賃を前払いいたしますが、いかがでしょう」
 今を去る二十何年前、石田氏がアメリカの大学にいたとき、同学の合衆国美人を見染め、すんでのことに、青い目の黄色い息子か、髪の黒い白っ子の娘を生むところだった。
 千々子さまとシュラーの関係にたいするヘンリ清水のうちあけ話は、石田氏にとっても、感慨無量なものがあったらしい。二十何年目に、賢夫人に復讐されたと考えたかどうか、それはともかく、なるほど親子は似るものだと、つくづく思い知らされたわけで、ぐっともいえないふうだった。下手に力んだりしようものなら、
「親の因果が、なんとかといいますが、千々子は、とんだ父親似ですわ」
 などと、賢夫人に鼻であしらわれるにきまっている。
 清水、太田の二人連れが帰ると、お悧口な千々子さまが、賢夫人を衝立ついたてにして、そろそろとサロンに入っていらっしゃった。石田氏と向きあうソファに掛け、清浄無垢な修道女が、夕祷アンジェラスの鐘の音を聞きすますときのように、雲のうえの天国を見あげるみたいな、ひとをバカにしたシナをしてみせても、石田氏は嫌味ひとついえなかった。
 石田氏といえども、官僚の砥石で研ぎあげられた一廉の練達だから、
「もうすこし頑張れば、お前を青い眼の娘にして生んでやれた。こうなってみると、つくづく惜しいことをしたものだと思うよ……賢子、お前さんも、同感だろう」
 なんて、渋のきいた、しっぺいがえしをするのだろうと思っていたが、石田氏は、左足を右膝のうえにひきあげ、ハシリの水虫に爪を立てながら、
「おれは、そこのプールで錦鯉の子を飼って、それを釣って暮すつもりだ……お前たちのすることには、今後、いっさい干渉しないから、おれのほうも、放っておいてもらうことにする」
 そういった意味のことを、ボソボソとつぶやいただけだった。


千々子の白い馬



 今年は寒流がどうとかして、季節がひと月ほどおくれているということだったが、五月の中頃になって、真夏のような暑い日が四五日つづくと、いままで鳴りをひそめていたアメリカの花どもが、いちどにドッと咲きだした。
 麻布市兵衛町なるわが石田家の庭は、『名園図鑑』にも載った風雅な茶庭で、小径づくりの飛石のそこここに、鉄線、うずら梅、馬酔木、どうだん、山茶花などのつくりものを目だたぬように植えこみ、藪蔭の思いがけないところに、梔子や橘の蕾が、明日あたりは咲く、ゆたかなふくらみを見せていたりする。
 夏のはじめの朝などは、筋落ちの小滝のある池のほとりで、汀石みぎいしの控えにしたあじさいが露もしとどな風情を見せていたものだったが、日本くさいものは、のこらず消えて無くなり、アメリカ紫式部、アメリカン・デイジィ、マリゴールド、アメリカン・デルヒニューム、ベチュニア、ヴァーベナ……と、純アメリカの花ばかりが、めちゃめちゃに咲き狂うのに、ジェネラル・マックアーサアという名の這薔薇までが蔓をだし、あたまをちょん切られた地境の黒松の軒に這いあがって、目もあやな薔薇のパーゴラをつくったので、わが家の庭は、さながら新教徒プロテスタントの天国か、旧約聖書の楽園パラダイスのようなおもむきになった。
 それはいいが、わが家を収用していた先住者のなかに、徹底的な日本嫌いがいたふうで、鉄線をひきぬいて、そのあとにクレマティスを植えてあるのには、おどろいた。
 鉄線は六弁、クレマティスは八弁というだけのちがいで、鉄線とクレマティスはおなじ種の花だが、そうまでしてみたものの、鉄線はとなりの庭にもあって、それに蝶や蜂は自由主義者だから、さかんに日米の花のあいだを飛びまわったのだとみえ、六弁とも八弁ともつかぬ、クレマティスと鉄線の混血児ができかけているのは滑稽だった。
 花だけのことではない。わが石田家の家系にも、まさに種の混淆がはじまろうとし、思いがけない手近かなところから、黒い眼をした亜麻毛の息子か、青い眼をした黒毛の娘が飛びだして来そうな形勢で、これがいま、石田家の愁いの種になっている。
 六月某日は、ワシントンの白堊館だか議事堂だかの落成記念日だということだったが、このおめでたい日に符節をあわせるように、洋館附属の調理場の再建と、石田一家五人の居住にきめられた、御所造りのほうの家具の備えつけが終った。その名もエンジェルさんという、プロテスタントの天国にふさわしい、おしゃれさんのメードの住込みもきまり、あとは、アメリカから、(たぶん)千々子さまのお手をとりにくる(つもりらしい、)シュラー・ハークネスそのひとの到着を待つばかりという、このうえもない結構な運びになった。
 千々子さまは、ハークネスという思いもかけぬ大きな魚をすくいあげ、そのうれしさが頭にきて、子供のころにやった脳膜炎が、ぶりかえしたかと思われるような調子のはずしかたで、ひとりで浮かれていたが、なにかものたりないのに気がついたらしく、百々子に餌箱を持たせてプールの縁にあぐらをかき、錦鯉の子供を釣ったり放したりして、ひとり淋しく遊んでいる石田氏のところへやってきて、
「ねえパパ、今日はアメリカの祝日ですから、家でもアメリカの国旗を出しましょう」
 と、つまらないことを口走った。
 渋谷の松濤に住んでいる、なにやら省の頓狂な高級官吏が、占領さなかの合衆国独立記念日に、門の前へアメリカの国旗を出し、目玉のとびでるほどMPに叱られたという笑止な事件があったが、千々子さまの国旗をだしたい気持は、戦勝国民におべっかをつかう敗戦国民の卑屈な精神から出たものではないことは、石田氏にも、そばにいる百々子にもすぐ通じた。
 いつだったか、千々子さまがパンツひとつで姿見の前に立って、じぶんの胴やふくらっ脛をつねりながら、
「ここんとこ、どうしてこうなんだろう」
 と、ひとりでぶつぶついっているのを、五十雄君が聞きつけ、
「どんなにひっぱたいたって、アメリカ人になりっこはないんだから、日本人に生れたのを呪うようなことは、やめなさい」
 と例の神の声で、おだやかに説いてきかせた。
 五十雄君としては、「国籍法は属地主義でも、皮膚の色までは変えられません。いくらアメリカ人になったつもりでも、飛びだしたジャパニーズ・ボーン(顴骨)と、この釣り眼が承知しません」と、ある日系米人の娘が嘆いていたのを紹介するつもりだったのだが、どうとったのか、千々子さまは、むやみに怒りだして、
「夫でもあるまいし、あなたなんかに、あたしの身体を批評する権利があって?」
 といいながら、五十雄君の脊髄カリエスのいちばん痛いところに武者ぶりつき、五十雄君は、それで四十度もの熱をだしたという騒ぎがあった。


 千々子さまは、その辺にいる蒙昧なパン嬢とはちがうから、アメリカ人の子供を生めば、じぶんまでが、アメリカ人になったと感ちがいするほど、浅墓ではない。千々子さまの気宇は、もっと雄大なので、たとえば、ナポレオンが、征服した国々の国旗を集めて、ひとりで悦にいっていたように、うまく網におとしこんだ魚の国に属する国旗をあげ、今日のよろこびを完全なものにしたいと、弱り加減の頭で考えたのである。
「パパ、国旗を出したいのよ。身もだえするほど、アメリカの国旗をだしたいの」
 石田氏は、釣りあげた錦鯉にバリウムのような発光剤を飲ませ、いたわるようにプールの水にかえしてやりながら、
「結構な話だが、アメリカの国旗にかぎることはなかろう。ついでに、万国旗を出したらどうだ。お前には、それだけの資格があるんだから」
 なにげない顔で、ぴりっと辛子のきいたことをいった。
 千々子さまは、あらと、あどけないみたいに眼を見はって、
「それは誤解よ。いくらあたしだって、万国旗を出すところまでは、まだまだ……せいぜいフィリッピンと、アメリカと、アルゼンチン……それぐらいのところ」
 細くした眼でニッコリ笑うと、
「百々子さん、ケチンの電気オーヴンを見に行きましょう」
 と、やさしく誘った。
 洋館にアメリカン・スタイルのケチンができたら、うるさいことだろうと想像していたが、案の定だった。
 六坪ばかりのタイル仕立ての調理場の右側に、奥のほうから、電気洗濯機、アイロン台、家計机、戸棚、テーブル……左手のいちばん奥に電気冷蔵庫、そのとなりに、四百ワット四分の一モーター付の電動皿洗い器がある。爪に塗ったエナメルを剥がしたくないひとのために、よごれた皿が、自動的に蒸気洗浄されたうえ、ひとりでに乾いてしまうので、あとは、口で銜えてでも、かんたんに皿棚へかえせるようになっている。
 そのとなりが電気タワシのついた流し台で、厨芥や汚物は、電気の装置が自動的に外へ持ちだしてしまうので、中気で手にふるえのきているひとでも、めったにしくじるということはない。
 そこで直角にまがって、問題のテレビ付電気レンジというのがすわっている。
 鳥目のひとが、電源に指先を触れ、ッと、はねまわらずにすむように、つい鼻先に昼光ランプがつき、手をつかうことも、口をつかうこともできない小児麻痺患者のために、時計仕掛で、自動的にテンピの蓋があくようになっている。レンジの上には、いつも排気用の電気扇が廻っているので、鮫や、飛魚とびや、秋刀魚さんまや、悪臭をたてる下等な魚を煮焼きしても、近所隣家に気どられずにすむ便宜がある。
 わが石田家には、鳥目も小児麻痺もいないから、昼光ランプも、時計仕掛けの開閉装置も、たいした実益はなさそうだが、渋谷のバラックでは、鮫を焼くたびに、一人がそばにいて、おしっこに似たアンモニア臭を渋団扇で追いちらす役をし、気のひける思いばかりしていたので、排気用の電気扇だけは、非常に印象が強かった。
 アメリカン・タイプのケチンは、よく出来ているが、食べるものは、切りつめるにいいだけ切りつめ、吝嗇とすれすれのところまでやる、わが石田家の家風では、贅沢な機械どもを、満足させるところまで使いこなせるかどうか、疑問だった。
 邸や家具調度だけが荘重で、食事が質素なのは、王朝以来、公卿華族の生活の伝統だが、おちぶれ華族の出である賢夫人の実家でも、食事は、夕食なしの朝昼二食……それも、朝は奈良茶粥に胡麻塩、昼は一汁一菜に麦飯という、切りつめた食例のなかで育ったので、いまもって、その癖がぬけず、朝夕、二度の食事は、おおむね、味噌汁と干物ぐらいでかんたんにすましてしまう。コロッケ屋からコロッケを買うときは、わが家では一流の夕食だが、それも、食卓に家族の顔がそろったところで、寸前に、千々子さまなり百々子なりが、大急ぎで駆けだして買ってきて、経木のまま、ドサリと食卓のうえに投げだすのがきまりだから、わが家のコロッケは、電気レンジはおろか、電気冷蔵庫におさまる暇さえない。
 わが石田家が、将来、なにかのぐあいで、ゆたかな家計を保てる都合に成上り、標準週給の七十ドルぐらいはもらい、毎日、夕食にビールを飲んで、ロースト・チキンかビフステックを食べられるような身分になったら、こういうものも面白いだろうが、目刺しと煮豆の境界では、せっかくの電気レンジも、いっこうに魅力を感じない。
「いそがしいから、またあとで」
 百々子がそういうと、千々子さまは、むずかしい顔になって、
「なにが、忙しいの……あなたの持っている餌箱には、ボッタと芋羊羹が入っているだけでしょう。パパは戻りのないから摺鈎すりばりで、餌なしの引っ掛け釣をしているんだから、あなたに用があるわけはないじゃありませんか。そんなところで猫になっていないで、早くいらっしゃい」
 石田氏は鈎をあわせて、竿を起すと、
「嫌なものを、無理に連れて行くことはない」
 といいながら、プールの水に鱗波をたてて右往左往する錦手の鯉の子供を、上手に、玉網たもですくいにかかった。
「パパなら、なお結構よ……ケチンが出来ましたから、見にきてちょうだい」
「おれたちはいいから、早く行って、アメリカの国旗でも出すこったな」
「国旗、国旗って、うるさいのね……冗談に、アメリカの国旗でも出したいほどうれしいといったのが、そんなにお気にさわったのかしら」
 上の芝生の道から、賢夫人が降りてきた。
「千々子さん、なにを、大きな声をだしているんです、あなたらしくもない」
 例によって、様子ぶったことをいいながら、石田氏のそばにしゃがみこんだ。
「お暇なこってすね」
「そう見えるなら、見当ちがいだ」
 石田氏が冷淡にはねつけた。賢夫人は、いいたいことがあって来たふうで、棘のある言葉で、チクチクといらいだした。
「世間では、石田は補償問題が片付かないのと、プールの水の使用料を、五千円もとられたので腹をたてて、調達局と水道局への面あてに、子供みたいな真似をしていると噂しているそうです」
「それが、どうした」
「ヘンリ清水も、いっていました。錦鯉が、一匹、二万円に売れるというので、養殖をはじめるつもりらしいが、プールじゃ鯉は育たないから、無駄なようなもんだって……一匹、二万円ずつで、アメリカへでも輸出するつもりなんですか」
「こうして摺鈎で魚を釣っているんだが、養殖しているように見えるかね?」
「摺鈎で魚をひっかけて釣るのを、馬鹿釣というんだそうですね。釣ったり放したり、バリウムのようなものを飲ましたり……それで、どうしようというんです?」
「魚を訓練しているんだ……ここで、錦鯉専門の釣堀をはじめるつもりだが、こういうぐあいに仕込んでおくと、めったに鈎にかからなくなる」
「バリウムは、なんのためです?」
「夜釣の客のためだ……錦鯉の発光魚なんて、すいぶん粋だろうじゃないか」
「冗談ばっかし……あなたのような見栄坊が、そんなみっともないことをなさるはずもなし、あたしにしたって、させもしませんが、錦鯉の教育はあとにして、ヘンリ清水に、礼ぐらいいっていただきたいんです」
「土建屋が、じぶんの都合で工事をしたのに、礼をいうことなどいるものか」
「でも、骨を折って、いろいろやってくれたんですから」
 石田氏は、むっとした顔で口髯を撫でていたが、我慢ができなくなったのだとみえて、癇癪玉を破裂させた。
「いろいろやったには、ちがいない。調理場ケチンだけという約束なのに、誰に断わって、あんな勝手な真似をした。洋館のあのザマはなんだ、キャバレかナイト・クラブみたいにしてしまって……お前も同類だろう。あそこで、なにをはじめようというんだ。それから聞こう」
 わが家の洋館は、明治の中頃、先代が、滞日中のフランス人の建築家に依嘱してつくったもので、どの部屋も、アンピール式の椅子や、丈の低いしゃれた家具で統一され、それなりに、古雅な美しさを保っていたものだったが、それらは、ひとつ残らず、ピカピカ光る、アメリカン・タイプのチューブの家具にかえられてしまった。先代が自慢していた、クロトンの葉を彫った階段の親柱は、根こそぎとりはらわれて、磨ガラスの丸い灯入りの柱になり、美しい鋳金の手摺の裏に、ぞっとするような、毒々しい色のネオン・チューブを這わしてある。こういう素っ頓狂な環境で、どんなことがはじまろうというのか、石田氏でなくとも、ちょっと聞いてみたいところだった。
 賢夫人は、いっこうにものじしない顔で、
「新築するのは、調理場ケチンだけという約束でしたから、それしかやっておりませんよ。洋館の家具をとりかえたのは、清水の自発的なサーヴィスです。どこがいけないんですか」
「ひと月かそこら滞在するだけだというのに、あんなにネオンをつけちらすことが、いるかというんだ。あそこを、キャバレにでもしようと、企んでいるのでもなければ、正気の沙汰じゃないな」
「ロングアイランドにあるシュラーの家が、ちょうど、あんなぐあいになっているのだそうで……夏の暑いあいだは、電灯の数を減らして、すこしでも涼しいように部屋のなかを薄暗くし、廊下の曲り角とか、エレヴェーターの入口とか、要所要所に、道しるべのために、小さなネオンをつけておくのだそうです……日本人は生活が浅いせいか、ネオンさえ見れば、すぐ、キャバレやナイト・クラブを連想するのは、滑稽な話ですわ」
 話の筋は通っているが、納得できにくいところがある。電灯の数を減らすといっても、チョイと指の先で突くだけで、自在に照滅するスイッチというものもあるのだ。石田家の洋館における、階段の灯入ひいりガラスの親柱と、手摺の裏のネオン・チューブは、二階へよろけあがる奴のための、深夜の道しるべだとしか、百々子には思えない。ヘンリ清水が、心得たふうに、こういう仕掛けをしておくところからすと、シュラー・ハークネスなる借家人は、鳥眼にかかっているか、スイッチも満足に押せないような、たいへんな大酒飲みらしい。千々子さまは有頂天になって、ただもう浮き浮きしているが、錦鯉と摺鈎の関係のようなもので、釣ったのか釣られたのかわからない、といった、ひょんな結果になるのではないかと、百々子は心配した。


 六月の末になると、アメリカの花どもがいよいよ猖獗しょうけつして、朝から、蜂がくるあぶがくる。冷えのたつほど咲き重なったベチュニアの花明りのなかで、何十種ともしれぬ蝶が、酔ったようによろめきまわるという、すごく派手な庭面にわづらになった。
 ジェネラル・マックアーサアという這い薔薇は、庭裏からも蔓をのばし、手をつくってやらないと、部屋のなかまで侵入してきて、すんなりと柱に巻きついたりする。
「やいこら、静かにしろ」
 と庭へ追いもどすと、つぎの朝には、ご不浄の窓から入りこみ、天井の玉縁を這いまわって、ぎょっとさせた。
 庭は庭として、わが石田家の人々のうえにも、けだるい暑気がおとずれた。
 賢夫人と千々子さまは、給料他人持ちの、腕っこきのメードがきて、家常のいっさいを、ものすごいデッド・ヒートで片付けてくれるので、むかしのように、髪ふりみだしてバタバタしなくともすむようになり、腰のまわりに脂肪がつくほどすこしも動かず、暇にあかして、顔ばかりいじくっているため、わずかの間に、どこの国の貴婦人かと思うような、つるりとしたようすになった。
 石田氏の錦鯉にたいする発光装置は、その後、うまいところへ向いているらしく、これも、一日中、プールのそばに居て、めったに食堂へも出て来ないくらいに教育に熱中しているが、五十雄君と百々子は、六月以来、精神の根源を疲弊させる、心理的な暑気にやられ、花蔭に坐りこんで、顔を見あわせては溜息ばかりついていた。
「いつまで、こんな生活をつづけるつもりなんだろう」
 と五十雄君が嘆息すると、
「あたしも、くたくた……はやく七月にならないかな」
 と百々子が嘆きかえす。
 二人は、毎日、焦々いらいらしながら、あることを待っている。シュラー氏なる人物がやってきさえすれば、そこは千々子さまのことだから、なんとかうまくやるだろう。結びつくなり、蹴られるなり、どちらかにカタがつき、あてどのない生活から解放されるだろうという期待で、うずうずしていた。
 ある日、五十雄君が花のなかにあおのけに寝ながら、れいの、もの静かな調子でつぶやいた。
「この話に、すこし、おかしいところがあるとは思わないか……ヘンリ清水が奉仕をしたがるのは、日本でシュラーの仕事をとりたいからなんだろうが、旅行の日程を、ひとりでのみこんでいることが、腑におちない……シュラーの旅行の目的が、清水のいっているようなものなら、当然、千々子さまのほうへも、通知ぐらいあっていいはずだ。あの話があってから、もう二ヵ月以上になるが、それらしい手紙がきたようすもない……シュラー氏は、ほんとうに日本へ来るのだろうか」
「そのことは、あたしも考えた。でも、国際電話ってものもあるんだし、幸便の長いやつを受取っているのかもしれない。その辺のことは、他人には、わかりっこないんだから」
「それはそうだが、そんなものを受取っていながら、あの千々子さまが、だまっているだろうか」
「そういわれると、なんだか心配になってきた。ひっぱたいて、言わしちまおうか。そうしても、いい時期だ……ちょっと行って、聞いてくる」
 千々子さまは、子供のとき、軽い脳膜炎をやったので、賢夫人は神経の疲れるようなことはいっさいさせず、十三四のとしまで、読むものは、童話にかぎってしまったので、そのため、ひどく甘い頭になり、ひとより遅れて学習院の女子部へ通うようになってからも、友達が、
「あなた、どんな方と結婚なさりたい?」
 とたずねると、千々子さまは、
「あたくしね、あのう、あたくしのほうは、お婿さまが、白いお馬に乗って、迎いにきてくださることになっていますの。それはそれは、たいへんなハンサムなの……みなさまには、ほんとうにお気の毒よ」
 とこたえる。
 千々子さまの白い馬といって、学習院じゅうの評判になっていたそうで、白い馬に乗ったひとは、千々子さまの弱い頭のなかでは、『英雄』の象徴といったようなものだったのだろうが、百々子などは、後でその話を聞いて、あまりのとりとめなさに、泣きたいような思いがした。
 お部屋へ行ってみると、千々子さまは、このごろ、そればかり着ているレースのついた洒落れたアフタヌンにおさまり、長椅子のうえに足を投げだして、ジャルダン・デ・モードを読んでいらっしゃった。
「さっそくですがね、白い馬はどうしたの。なにか、お便りがあって?」
 千々子さまは感ちがいをして、どうしたまちがいか、ほかの男のひとのことをしゃべりだした。
「あのひとね? あれから二度ばかり、家へきたことがあるわ……黒いってほどじゃないけど、すすっぽくて、白馬って感じじゃないわね。せいぜい駱駝ぐらいのところ……愛情も、ずいぶんへんてこなの。あたしの手に、ちょっと触っただけで、昂奮するという過敏ぶり……扱いかねて、あぐねちゃったわ。婚約者がありますから、結婚できませんって断ったの」
「そんなのも、あったんだね。知らなかった」
「あなたも駄目ね。千々子ってものを、ちっともわかっていないじゃありませんか。相手によっては、嘘をまぜてものをいうほうが、便利なことだってあるんです。よくおぼえておきなさい」
 と、おっしゃった。
 翌日の夕方、賢夫人と千々子さまが、こんなことをいっているのを、通りすがりに聞いた。
「メードのためばかりでもないけど、こうお金がかかっちゃ、たまらないわ。もうすこし、なんとかしないと」
「でもね、シュラーに逢うためには、これくらいの暮しは、絶対に必要よ。ケチケチしないで、思いきり豊かにやっていただきたいの。買物の伝票と受取をとっておいて、まとめて、いっしょに払わせるから、かまわないのよ」
 うんざりしているのは、五十雄君と百々子だけではなかった。わが家のアメリカ教育が、意外に高価たかくつくので、さすがの賢夫人も、嫌気いやきになっているらしい。じっさい、ハウス・メードの支配を受けている、石田家の家常ほどくだらないものは、まだ聞いたことがなかった。
 メードのおカネさんが、はじめて家へ来た朝、うらうらと晴れた六月の空に、聖画にある、※(「魚+陸のつくり」、第3水準1-94-44)むつの子のようなかたちの紫雲が、ひとつたなびいていたが、あとで考えあわせると、有難そうなのは見せかけだけで、それは妖雲といったたぐいのものだったらしい。
 あっというようなジャアジィの服に、透し入りの人参色のストッキングをはき、馴鹿となかいのハンドバッグを抱えて、すらりと玄関に立っているので、どこのお嬢さんかと思ったら、お目見得にきたハウス・メードだったには、気を悪くした。
 女中部屋へ行って、淡色うすいろの制服まがいの服に着換え、両腕をむきだして出てきたが、エプロンの肩の蝶結びのところを指でチョイチョイつまみながら、健康そうな横顔を見せ、賢夫人と立ち話をしているところなどは、美しすぎて、いやになるくらい。あっさりいってしまうと、いくら器量自慢でも、千々子さま程度の出来では、メードの足もとにも及ばないというわけなのであった。
 第一印象は処女……あまり、あてにはならないが、そういった感じ。すべすべに洗いあげた、子供のような生地きじの顔に、クッキリと眉だけひいている。ヴォリュウムのある身体つきで、田舎で暢気のんきに育った証拠に、手足がのびのびと発達している。見せかけのアメリカン・ライフの枠のなかで、石田一家のために働いてくれるのかと思うと、勿体なさすぎて冥利につきるような気がしたが、まったく、どういたしましてといったあんばい。三日間のお目見得のあいだは、ぽってりと肉のついたおちょぼ口をして、かわいらしいくらいのひとだったが、住込みときまると、たちまち、すごい威力を発揮しだした。
 その日から、石田家の朝食は午前七時、昼食は午後一時。夕食はぐっと早くなって、五時半から七時までの間……というぐあいに、米軍宿舎の時間割通りに、余裕もユーモアもなく、厳格に実施されることになった。
 時間までに家族が出揃わないと、復讐でもするように、さっさと食器をさげてしまうので油断がならない。昼食の時間は、とりわけ厳格に守られる。二時から四時までは、じぶんの時間なので、ただの一分も容赦しない。よごれた皿を集めると、どさっと皿洗い機のなかへ放りこんでおいて、部屋へおひきとりになる。なにをしているのかと思うと、そこだけは日本式になっている六畳に腹這いになって、せっせと手紙を書いている。機嫌のいいときは、メード専用の日本式のご不浄へ入って、大きな声でジャズ・ソングをうたう。ほうぼうへ電話をかけちらし、それでサ、おれがサ、といった調子で、長々とおしゃべりをしていたかと思うと、外出着のワンピースに着換えて、すうっと散歩に行ってしまう。
 米穀通帳には、片山カネと書いてあるが、じぶんでは、片山エンジェルといっている。おカネさんなどと呼んでも、眉を動かしはしない。英語がお得意らしいが、語彙が片寄っていて、皿のことをメスギャー、ベッドのことをストレッチャーなどとった呼びかたをする。さるひとに聞いてみたら、メスギャーというのは、ブリキ製の軍用食器一般のことで、ストレッチャーというのは、野営用の折畳寝台の呼名だということがわかった。つまり、うちのメードさんは、駐屯基地の兵隊宿舎や、朝鮮部隊のテント・シティを、何年となく渡り歩いてきた豪傑だったので、そうと知ったら、いくら賢夫人でも、
「食事の時間だけは、キチンとやっていただきますよ。ずるずるにならないように」
 などと、余計なことはいわなかったろう。もっとも、それだけが災難の源だったのではない。お目見得の最後の夜、いよいよ住込みステーときまったところで、賢夫人はケチンの機械どもを動かしてみせ、いちいち使い方を説明したが、賢夫人自身、つい昨日、生れてはじめてお目にかかった次第で、オーヴンのボンネットの開けかたも知らず、でたらめばかりいうもんだから、いっぺんに足もとを見られてしまった。
 賢夫人は、そんなこととはしらないから、重々しい、威厳のある口調で、朝食の支度から、絨氈じゅうたんの掃除、ガラス拭き、メークベッド、夕方の洗濯の取込み、夕食後の皿洗い、アイロンかけにいたるまでの、一日の仕事の要領を、何十人もメードを使いまわしたひとの顔で、こまかく指図した。
 メードさんは小さな手帳を出して、克明にノートするふりをしていたが、一段落になったところで、あらためて質問した。
「朝は、眼玉焼きとおっしゃいましたが、半熟と、上から油をかぶせるのと、裏がえしにして一度ひっくりかえすのと、重ね焼きするのと、四通りございますが、どれにいたしましょう」
 眼玉焼きに、そんなに種類があるとは初耳だった。賢夫人は、あれこれと考えたすえ、
「それじゃ、重ね焼きのほうを」
 とおっしゃったが、眼玉焼きに、重ね焼きなんていうのはない。メードさんにテストされていたわけだったが、つまらないことをいったばかりに、この家の家族は、眼玉焼きにお近づきのないほど、貧窮していたのだと、これも、あっさりと見抜かれてしまった。
「それから、ガラス拭きのことですが、ボナミでやりますか。酢を入れた水でやりますか。それとも、アンモニア水でいたしましょうか。石鹸水でいたしましょうか。ヴィンテックス洗剤でいたしましょうか。ヴァキュウムでいたしましょうか」
「なぜ、そんなことを聞くんです」
「どちらさまにも、きまったやりかたがありますので、伺ってからいたしませんと、お叱りを受けることがございますんです」
「それゃ、そうね。うちじゃ、ずうっとヴァキュウムよ。あれでやってください」
 床を掃除する、あの吸込式真空掃除機ヴァキュウム! 飛んでもない。これで、この家の女主人は、ヴァキュウムなんてものを見たこともなく、正当な方法でガラスを拭いたこともなく、ひょっとすると、掃除をするに足るような邸に住んだこともなかったのだと、メードさんは察した。
 料理クッキーのテストに、メードさんは八分も厚さのあるビフテキを焼いて、でかっぱちもないアラバマ・サンドイッチをつくった。重ねておいて、四方を気前よく庖丁で切り落し、賢夫人の見ている前で、切落したところを厨芥桶へ放りこんでやった。賢夫人は、勿体なくて震えがでるほどだったが、腹をみられてはと、歯を食いしばって我慢したので、その日から、石田家の厨房ちゅうぼうの濫費は、メードさんによって、公然と行なわれることになった。
 石田家の一家五人は、毎日、食事の時間に追いまくられ、落着いて仕事をすることも出来ない。チャイム・ベルが鳴るなり、遅れては一大事とばかりに、息せききって食堂へ駆け集まってくる。
「間にあって、よかった」
「今日も、乗り遅れないですんだ」
 五十雄君と百々子は、メードさんに聞えるような大きな声でいう。
 メードさんは、おどろかない。貧乏人の一族を、時間と金をかけて、アメリカン・ライフの鋳型いがたにはめこんでやろうと決心しているので、銀盆を持ったまま、不敵な薄笑いをしながら、食堂の隅に立っている。
 みなの見えるところに、今日の献立が貼りだしてある。
ジャパニーズ・プレーン・スープ・ウィズ・オイル・アップ Japanese Plain Soup with Oil-Up.
コールド・ビーン・カスタード Cold Bean Custard.
『日本風の透明スープ』はお清汁すまし……『豆の冷いカスタード』は冷奴ひややっこ。これはよろしい。オイル・アップとはなにか? 油揚のことなんだ。どこまでひとを馬鹿にする気なのか。
 馬鹿にされても、金のかからないほうがいいが、それから後がまたたいへんなんだ。直径四十五センチの大皿に、ミートボールとスパゲッティが土堤をつくって出てくる。そのつぎにヴィクトリア・カツレツの山盛り……賢夫人は貧血をおこしそうになり、
「きょうもまた、たいへんなお金が逃げて行く」とつぶやく。
 シュラー氏はどこにいる? 早く来ないと、石田家は破産する。


「シュラー氏は、独立祭の日に、日本へ来るでしょう」と、ヘンリ清水がいった。
 蒸暑い梅雨があがるのを待つように、みな苛々しながらこの日を待っていたので、朝から、どいつも上機嫌だった。
 今日の邂逅は、『忍恋しのぶこい』の部に入る歌枕だから、千々子さまが羽田へ迎いに行くような派手なことは避け、シュラー氏がどこかの寄り道のようにして、さりげなく訪ねるのを待つことになった。
 百々子が玄関まで出迎え、千々子さまのサロンにご案内する。二人だけでつもる話を三十分か、それくらい……いいころに、賢夫人が挨拶に行く。洋館へお移りねがって、そこで千々子さまが、石田氏、五十雄君、百々子の順で家族を紹介する。シュラー氏は我儘な金持の一人で、うるさいことは嫌いだそうだから、あらたまった会食などはしない。それから……どうなるか、誰も知らない。シュラー氏と千々子さまの間できめられることで、他人にはプランのたてようがない。
 なにしろ、おめでたい。一分も早くシュラー氏がやってきて、噛みつくなり、蹴合うなり、思いようにやってくれと、五十雄君と二人でそんなことをいっているとき、メードさんが、藪のそばの花の中に、赤ん坊が捨ててあるといいにきた。
 いつかの小火ぼやのあった晩も、藪のなかに赤ん坊が捨ててあった。この辺の地形は、捨子をしたくなるようにできているのかもしれない。
 行ってみると、陽のぬくみがこもって、むっとするようなマリゴールドの花間に、お風呂の脱衣籠に入れた、十ヵ月ぐらいの赤ん坊が、白ネルの着物にくるまり、無心に空を見あげながら、眼をぱちくりさせている。瞳が青葡萄のように青いのに、髪が烏の濡羽色につやつやと光っている。
 五十雄君はしゃがみこんで、赤ん坊の髪の毛をいじっていたが、
「これゃ、染めたんだよ」
 といいながら、百々子のほうへ振返った。
「この赤ん坊の母親は、うるさい口のあるところで、肩身を狭く暮していたわけなんだね。それにしても、こんなところへ捨てて、どうしようというんだろう」
 メードさんが怒ったような声でいった。
「ほんとに、なんてことをするんでしょう。こんなかあいらしい赤ちゃんを」
「それをいいだすと、むずかしいことになる。ともかく、交番へ電話をかけよう」
「交番? それで、この赤ちゃんはどうなるんでしょう」
「この前の捨子も、警察にたのんで、上野の幼児園へやってもらった。どのみち、われわれの手に合わないんだから、なまじっかなことをするより、そんなところへやるほうがいいんだよ」
「それはそうですわ。でも、今日は、なにかと、お忙しいんでしょう。落着くまで、二三日、あたしの部屋でお預りしましょうか。赤ん坊は、好きなほうです」
 五十雄君は、メードさんの顔をみつめたまま、なにか考えていたが、
「君が、そうしたいと思うなら……でも、なんのために、そんな……」
 と、そこまでいいかけて、はっとしたように、口をつぐんだ。
「あまり泣いてうるさいようだったら、幼児園へやりますから……ご迷惑はおかけしないつもりです」
 そうして、籠のまま抱きとると、
「おお、ハネー、ハネー……」
 と、あやしながら、自分の部屋へ行った。
 午後から、ひどく蒸暑くなった。プールでひと泳ぎしたいのを我慢して、夜になるまで待っていたが、シュラー氏は暑気あたりでもしたのか、とうとう顔をみせなかった。
「来なかったね」
 百々子がそういうと、千々子さまは落着いた顔で、
「今日、来るとは、いってないでしょう。独立祭前後ってんだから、明日かもしれないし、明後日かもしれないし……あなたたちまで、そんなにイライラすることはないのよ。うるさいから、じたばたしないでちょうだい」と、おっしゃった。
 七月も半ばをすぎた。
 千々子さまは、この世にあきらめということのあるのを忘れ、半礼装の一帳羅を着こみ、活人画中の人物のようにしゃちこばって、毎日、根気よくシュラー氏を待っている。
 石田家の憂鬱の時――石田氏は錦鯉の子供に発光剤を飲ませて、夜の廻遊状態?を調査している。賢夫人はメランコリーでものをいわなくなり、五十雄君は下痢で、百々子は食傷……女中部屋の赤ん坊の髪の毛は、染めがはげて生地の亜麻毛になり、メードさんだけが元気で、暇さえあれば、部屋へ駆けこんで、ころころしながら赤ん坊とふざけている。
 七月末のある朝、五十雄君が百々子の部屋をノックして、
「来たらしいよ」
 と下の門のほうを、顎でしゃくってみせた。
 玄関へ出てみると、門から車寄せにうねりあがっている砂利道を、白塗りのジープが、ためらうようにそろそろとのぼってくるのが見えた。
「むかしは白い馬、いまは白いジープ……千々子さまの夢は、ぴったりと的中した。これゃ、本物だよ」
 車寄せの縁石へりいしのところで車をとめると、二十四五ぐらいにもみえる海軍士官が降りてきて、この家は石田というのかときくから、そうですといってやった。
 シュラー・ハークネスが、こんなに若いひとだと考えたこともなかったが、また、こんなにすごい美青年だと思ってみたこともなかった。すらりとした長身で、ぬけるように肌が白く、上気して、頬が巴旦杏はたんきょうの色に赧らんでいる。真鍮しんちゅう色の眉の下に、液体の中で泳いでいるかと思うような、睫毛まつげの長い淡色うすいろの美しい眼がある。
 シュラー氏は民間人だというから、もちろん旅客機で来るのだと思っていたが、海軍だというなら、話がちがう。アメリカの軍艦は、このごろよく、台湾海峽でネバリついて、動かなくなることがあるそうだから、遅れるのも当然だと思って同情した。
 シュラー氏は玄関の前に立って、なつかしそうにあちこちと眺めている。そんなことは、あとでゆっくりやってもらいましょう。百々子はシュラー氏を、ジス・ウェイと千々子さまの部屋へ送りこんでから、賢夫人のところへ行って、
やっこさん、とうとう来ましたよ」と報告した。
 約束の三十分がたっても、なんの合図もない。お茶を運ぶふりをして、ようすを見に行くと、シュラー氏と千々子さまは、二メートル以上も離れた椅子にかけ、シュラー氏が千々子さまに、紐育ニューヨークのクリスマスの話をしていた。
「ブルックリンの月が美しくなり、落葉がし、紐育に初雪が降ると、間もなくクリスマスが来るのですね。七面鳥のセミチとパイ・ア・モード……オーヴンのスープ煮込スタックのなかで、玉葱をあしらった野鴨がぐつぐつと音をたてて……」
 この調子では、たいした発展は望まれない。いったんひきとって、しばらくしてまた行ってみると、こんどはポートマックの桜の話をしていた。そのあげく、千々子さまに玄関まで送られ、なんのこともなく、ジープで帰って行った。
 あのひとはだれなの、とたずねると、千々子さまは、
「シュラーの弟が連絡に来たのよ。シュラーは、急な用事ができて、ヨーロッパのほうへ廻っているんです」と、おしえてくれた。
 だいぶ夜が更けたころ、庭の花むらのなかから、
「エンジェル……エンジェル」
 と呼ぶ声が聞えた。
 しばらくすると、うちのメードさんが、なにか胸のところに大切そうに抱えながら、夜遊びにぬけだすいつもの恰好で、花間の小径を、プールのあるほうへ降りて行くのが見えた。
 翌朝、メードさんの部屋へ行ってみると、捨子の入っていた脱衣籠のなかに、昨日の士官と、赤ん坊と、片山カネの三人で撮った写真に添えて、かんたんな置手紙があった。子供連れで、長い間、お世話になったことを感謝する。ジョージが根拠地隊付になったので、いっしょに佐世保へ行く。この写真は、記念のために差しあげます、と書いてあった。
 誰かシュラー氏を知らないか。もし、どこかで逢ったら、日本のトォキョーで、千々子さまが痩せの立つほど、待ちこがれていると、伝えてもらいたい。


楽園に帰る



 なにもかにも、おさまるところへおさまった今になってみれば、二十七年の上半期の星のめぐりは、駐留米軍にとっても、わが石田家にとっても、このうえもない悪い運勢のものであった。
 対日平和条約の発効にともなう、接収施設の解除と、駐留米軍の新編成の枠がきまり、再配置の区域を決定する、予備作業班が発足した記念すべき三月四日には、十勝沖に関東大震災以来という大地震があり、わが石田家の米式日本住宅は、無期限使用に内定した都内のいくつかのハイツともども、めちゃめちゃに揺すぶられ、家白蟻の巣になっている大名屋敷と、明治中期の洋館まがいが、アメリカの塗装をした屋台ごと、ぐっしゃりと尻餅をつく、一歩手前のところまで猛烈にやられた。
 六月廿三日、施設、区域に関する協定が結ばれ、無期限使用三百件、一時使用三百十二件が米軍に提供されることになったが、この日、ダイナ颱風が本土を襲い、毎時、六十キロ、最大風速二十五メートルの勢いで大荒れに荒れ、廿三日の夜から、廿四日の朝の八時ごろまで、十時間ほどの間、地揺れと地盤の狂いで、骨組みのゆるんだ石田家の建築構造物を、八方から吹きまくり、シュラー・ハークネスの来朝にそなえて、ヘンリ清水がきかえた洋館のアメリカ陶瓦と、テクニカラー式の、派手なペンキを塗った御所造りの南側の下見を、そっくり持って行ってしまった。
 六月卅日には、熱帯性の低気圧が来、北陸ほくりくでは豪雨になって、何百人かのひとが死んだ。七月十日から雨が降りだし、関西では大水が出たが、蛇腹壁バラペットを高くまわした石田家の洋館の平屋根には、プールに張るほど雨水がたまり、白蟻に荒らされて、空洞になった横梁の中心へ、微々と滲みこんでいたが、十八日の『吉野地震』のひと揺れでがっくりとなり、漆喰もろとも、復讐でもするように、二階の天井を投げだしてしまったため、ハークネス氏の居間になるはずの部屋の屋根がぬけ、手のとどくところに、雨雲の走るのが見えるようになった。
 石田家の一家五人が、渋谷の奥のバラックの楽園を出て、先行さきいき不案内のまま、麻布の古邸に復帰したのは五月の末のことだったが、間もなく、ケチンから火事を出す騒ぎをした。五月の末から、わずか二ヵ月の間に、火、風、水、土、四大のやくに遭うというのはよくよくのことで、頼んだって、こういううまい都合にはならないのが普通である。
 ヘンリ清水に指摘されるまでもなく、麻布の古屋敷の存在は、戦前から、石田夫妻の苦の種になっていた。それが、どういう因縁かで接収され、四人家族を抱えた、係長クラスが、ケチに徹した賢夫人の陰険な働きがあったとはいえ、そのかんに、二十万近くの臍繰りを貯めこみ、当主たる石田氏が、行政機構改革でくびになったあと、五月の末から七月の末まで、住込みのハウス・メードまで使って、見せかけのアメリカン・ライフをつづけてきたというのは、もち前のひとの好さから、進んでこんなボロ家に住みついてくれた、何人かの『アメリカの店子たなこ』の善意によることで、敗戦の余徳といっても、あまりうますぎて、気がひけるくらいのものだった。
 日本人一般は、どいつもこいつも貧乏なので、金持国の陽気な国民が駐留してくれなかったら、食いついて絞りあげる相手がなくて、さぞ退屈したこったろう、と誰かがいっていたが、かくいう百々子の瞥見したところでは、こんなのがあった。
 ちょっと見られる洋装の女のひとが、目の青い黒毛の子供を連れ、銀座のしかるべき四つ角に立っていて、GIが通りかかると、そっと子供を前へおしやる。子供は心得て、小走りに走って行き、GIのズボンにつかまって、
「パパ」と、せいいっぱいな声で呼ぶ。
 どのGIも、身におぼえがあるので、ぎょっとして、早いとこ、何ドルかの紙幣を子供の手に握らせ、後も見ずに逃げて行く。
 麺麭稼ぎブレッド・ウィナーというのは、外国人に寄生して、ひと旗あげようという、気働きのある連中のことをいうのだそうだが、パン稼ぎといっても、町角に立って、手のこんだ仕掛をするやつばかりとはかぎらない。
 もと改進党の代議士だった隣家となりの太田夫人と、アメリカ工学士と自称する土建屋のヘンリ清水は、近く、アメリカから千々子さまのお手をとりにくる、シュラー・ハークネスという、ロックフェラー級の大財閥をつかまえ、石田家の洋館を本拠にして、なにか事をあげようとしている。どちらも、よく頭のまわる機敏な連中だから、仕掛けただけのことは、かならずやるのだろうが、アメリカのパンだねなどに、たいして食欲を感じない五十雄君や百々子までが、いつの間にか、ひと旗の片棒をかついでいるかたちになっているのは、遺憾であった。
 その朝、洋館の屋根が抜けたのを最初に発見したのは、かくいう百々子だった。
 ひきつづく長雨で、石田氏の飼っている錦鯉の子供が、プールから泳ぎだしそうになったので、雨着を着てかまいに行った帰り、洋館の下までくると、二階の東側の窓ガラスを破って、窓幅だけの水が、すごい勢いでふきだしてきた。
 百々子は物好きだから、五十雄君を誘って見物に行った。
 翼のように東に張りだした洋館と、こちらの御所造りの境目に重い樫扉かしどがある。ヘンリ清水が設営にかかった日から、ずっと〆切りになっていたが、家もこれくらい年代が経つと、合鍵などはどこにでもころがっているもので、もと伴待ちだった部屋の鍵箱から合鍵をさがして、わけなく、そちらへ入りこんだ。
 屋根がぬけたのは、先代、石田与惣兵衛が寝室にしていた、南向きの明るい部屋で、明治風の唐草模様のついた天井の漆喰がそっくり剥げ落ち、糠雨ぬかあめの降りこむ部屋のなかを、何万とも知れない羽根の黄色い家白蟻が、吹雪のようにチラチラと飛びちがっていた。
 崩れ落ちた壁間かべまをのぞくと、そこらいちめん、ぞっとするような白蟻の巣で、五ぐらいの長さの白蟻の子供が、白いネバネバしたものを吐きながら、盛りあがるようになってうごめいているのが見えた。
 予定どおりに、シュラーが独立祭の日までに日本に来ていたら、当然、このベッドに寝たのだろうから、横梁よこばりと漆喰の下敷きになって、大怪我をするところだった。石田氏は、この家をアメリカ風に改修されたのが不服で、調達局を相手にして、むずかしい掛合いをやっているが、この腐朽ぶりを見たら、補償の、原状回復の要求のと、大きなことをいえるセキはない。触われば崩れる泥塚のような家に、七年の間、毎月、百ドルずつ払ってもらっていたことを、ありがたく思わなくてはならない。
 五十雄君と百々子は、責任を感じて、西側のほうはどうなっているかと見に行った。
 洋館の二階には、真中に廊下を挾んで東側に四つ、西側に四つの部屋があるが、どの部屋にも二人用の大きなベッドが入り、緋色のベッド・カヴァがかかっている。夜卓はビデェ付の大きなやつで、そのうえに裸体美人のすかしのある桃色のシェードのかかった卓上灯が載り、一帯の雰囲気が、気の散るほど、なまめかしいのには驚いた。
 一人で寝るのに、こんなにたくさんベッドがいるはずはない、というのは、庶民の考えることで、クリスマスに特別列車で客を運び、一と晩に、五十ダースもシャンパンをあけるというハークネス家のことだから、求婚の旅行にも、たぶんお伴がたくさんついてくるのだろうと、解釈しておくことにしたが、聞いた話と、話がちがうようで、なんだか変な気がした。
 石田家の庭に、わがもの顔にはびこっているアメリカの花どもは、雨にもめげず、風にもめげず、ダイナ颱風などはどこ吹く風といった顔で、五尺もある長い茎を振り振り、吹き折られもせずに凌いでしまった。アメリカの花は、花までしぶといと呆れていると、都内にあった米軍の施設が、いくつかの住宅地区と軍用倉庫をのぞいて、すべて都下の線へひきさがった七月廿六日の朝ぐらいから、なんとなく元気がなくなり、あたかも平和条約の規定に服そうとでもいうように、三日ほどのうちに、残らず立枯れしてしまった。
 強情に土にしがみついていると思ったのは、こちらの見立てちがいで、強持こわもての異種の花どもにとっても、ダイナ颱風は痛手だったらしく、むやみに振りまわされたあとの長雨で、土から浮きあがった根を洗われ、つまりはデラシネ(根切れ)になって、花の命を終らせた。庭一面にはびこっているときには、憎らしい気もしたが、こうして枯れてしまうと、うらさびしいようでもあった。
 七月の末、子供連れのハウス・メードが出ていくと、翌日、代変りがお目見得にきた。
 先代は、駐屯基地の兵隊宿舎やどや、帰還部隊のテント・シティで顔を売った大物だったが、二代目は、住宅地区の家族ハウスや、独身将校の収用住宅のほうを専門にやり、この家にも、いぜん、半年ほど働いていたことがあるといっていた。
 季節は、いかにも夏はじめだが、思いきった夏衣裳で、シュミーズの肩紐の透けて見える空色の薄いレーヨンのブラウスに、格子縞のスカートを短くはき、ラグビーのボール形のハンド・バッグを抱えたむきだしの腕に、タガのような赤いセルロイドの腕輪をはめているという体裁だった。
 長坂ヨノ、廿歳……大きな子供の身丈ぐらいしかないおチビさんで、こけし人形とそっくりの顔をしている。先代は、えらく様子ぶって、ミスタ石田だの、ミシズ石田だのと、いちいち筋目をたてるうるさいやつだったが、こんどのは、気味が悪いくらい人馴れしていて、石田氏のことをパプさん、賢夫人のことをマムさん、五十雄君をジュニアさん、千々子さまと百々子をひとまとめにして、シスターさんと呼ぶ。機嫌のいいときは、三十二枚の歯を、そっくり見せて馬鹿笑いをし、気にさわることがあると、胸を叩いて、
「ヘイ・ユウ、これでも横浜はまッ子だい。見損なうなよ」
 などと啖呵たんかをきる。
 石田家の一家五人は、先代のメードにこづきまわされ、骨身に沁みるような、苦い経験を舐めたはずだったが、性懲しょうこりもなく、代変りを入れるところから推すと、賢夫人も千々子さまも、ハークネスのことをあきらめられず、苦しいなかで受入れの態勢を整え、いつともあてのない訪問を、辛抱強く待つ気でいるらしい。
 ヘンリ清水にたずねると、明日あたり、ハワイに着くはずだとか、着くところだとか、とりとめのないことを口走り、そのすえ、切羽詰って逆上し、朝鮮で戦死したのかもしれない、などとヤケのようなことをいい、賢夫人に問い詰められるのを恐れて、この十日ほど、チラとも姿を見せなかったが、八月はじめの蒸暑い午後、癇をたてたようすで、汗を拭き拭き、とびこんできた。
 この時間に、広縁にいるのは、いつもは、賢夫人と千々子さまだけなのに、今日は、石田氏や五十雄君までいるので、戸迷ったような顔でモジモジしていたが、石田氏のほうは、このひとが来るのを心待ちしていたふうで、ひとがちがったような、愛想のいい声をかけた。
「やあ、清水君、暑いね」
 ヘンリ清水は、白麻のズボンの襞を掴んで、おそるおそる縁端に掛け、
「お暑いですな。今日は、錦鯉のほうは、なさらないんですか」
 と、とってつけたようなことをいうと、石田氏は、はははと空笑いをして、
「こう暑いと、魚が怠けて、居睡りばかりしている。訓練は、当分、お休みだ」
 気のない会話のやりとりをしているとき、屋根のつくろいにかかっている洋館のほうから、カーキ色の防暑服を着た、二十七八の、ぬうっとした感じのひとがやってきて、アメリカ唐檜とうひの日蔭に坐っている百々子を見ると、きれいな眼もとを崩して、ニッコリと笑いかけた。
 黒々と陽に焼けた、この朴訥すぎる顔を忘れるわけがない。石田一家が渋谷の向山町にいるとき、露地の奥のバラックに一人で住んでいた、シベリヤ帰りの建築技師だった。
「大里さん、あなた、この家の仕事をしているんですか」
「はあ、ずうっと、ここの現場をやっています……ちょっと清水さんに」
「清水さんなら、あそこにいるわ」
 大里君が広縁へ行くと、ヘンリ清水が、なんだといいながら、こちらへ振返った。
「西側の隅棟すみむねの屋根が抜けそうです。放っておくと、階下のサロンへ落ちます」
 ヘンリ清水は、髪をかきむしりながら、呻いた。
「ちくしょう、あそこも抜けるのか……だが、そうばかりしていると、全部、やりかえるほかなくなる……いま行くから、むこうで待っていてくれ」
 大里君が現場に帰ると、ヘンリ清水は、石田氏をつかまえて愚痴をこぼしだした。
ろく屋根をおさめると、こんどは隅棟とくる。漆喰だ、天井だ、小屋梁だ、階段だ……大風のあとの修繕だけで、かれこれ十万円もかかりました。ボロは承知だが、それにしても、えらい屋台を背負いこんだもんですよ」
「愚痴をいうことはないさ。かければかけただけのことはあるんだろう? ……奉仕だなんていうが、内実は、この家をハークネスの名義にして、ロッジ式の、モーテルにするんだそうだな。太田の女親分が、そういっていた」
「あいつめ、そんなことまで、しゃべったんですか。いやはや、とんだやつと組んだよ……こうなれば、正直にぶちまけますが、ハークネスは、一週間も前に、東京に来ているんです」
 それまで、超然と椅子に掛けていた賢夫人は、キッとなって、清水のいるほうへ向きかえた。
「冗談なら、やめていただきましょう。ひとが真剣になっているときに、おひゃらかししたりするものではありません。出鱈目をいうなら、マニラにいるくらいのことでもいって、とぼけておきなさい」
「なんのために、あたしが恍けなけりゃならないんです? ……入国管理局から、あたしのところへ、シュラー・ハークネスの東京の住所の問合せがあったんだから、これ以上、たしかな話はないでしょう」
 千々子さまが賢夫人の腰を突ついて、なにか小声でささやいた。賢夫人は、なるほどといったふうにうなずくと、急に砕けたようすになり、シオのある眼つきでヘンリ清水に笑いかけながら、
「そういうことでしたの。そんなら、たしかな話でしょうとも……あたしたちも、ずいぶん待たされたけど、これで、やれやれだわ」
 などと、油断をさせておいて、いきなりグイと急所をえぐった。
「でも、一週間も前に東京に着いていながら、千々子のところへ顔を見せないのは、なぜでしょう」
 ヘンリ清水は、眼を白黒させてうろたえながら、
「それはシュラーの一存にあることで、そこまでのことは、あたしにもどうも……あたしをお責めになるのは、それァ、ご無理ってもんですよ」
 と必死になって振り切りにかかった。賢夫人は手をゆるめずに、
「あなたのお話をうかがっていると、シュラーが一週間も前から東京にいることを、まるっきりごぞんじなかったみたいだけど、そうなんですか?」
 と無慈悲な追い討ちをかけた。ヘンリ清水は切羽詰ってヤケになり、扇子で胸もとをあおぎながら、
「ええええ、まるっきり」
 とフテ腐ったような返事をした。
「着いた日も知らせないところを見ると、あなたが吹聴するほど、シュラーに信頼されていたわけでもないのね、底が知れたわ……それで、シュラーは、いまどこにいるんです?」
「知りませんねえ。入国管理局が手をつくして探しているくらいだから、あたしなどにわかろうわけはないが、心当りなら、ないことはありません……想像ですが、むかしの関係で、隣家となりの太田の親子が、早いとこ、とりついてしまったんじゃないか……ミドリという娘は、シュラーのために頭がおかしくなったくらいで、そういうおさまりになる因縁は、たしかにあるんだから」
 千々子さまは椅子から身体を起して、しとやかにお笑いになった。
「あなた、それは聞きちがいじゃないのかしら……お隣家となりのミドリさまが、頭が変になるほど熱中していたのは、ワニさんとかエルマンさんとかいう、煤黒い比島人のほうだったのでしょう?」
 ヘンリ清水は、おさまりかえった顔で、
「エルマンなどは、後口も後口、食卓のコースなら、デザートのアイス・クリームといったところなんで……シュラーがアメリカへ帰ったのは、一昨年おととしの冬ですが、いいくらいに遊ばれたことがわかったもんだから、それで、ぼうとなって、誰彼の見さかいがつかなくなり、東側の地境になっている垣根の壊れたところから、ひょろりと入りこんでは、この収用住宅に住んでいるやつに、片っぱしから因縁をつくった……ご承知のように、いきなり引抜きになって、なにもかもお眼にかけっちまうんだから、話の運びは早いでさ」
 賢夫人は、腹をたてたときの冷酷な顔つきになって、
「それは初耳でした……すると、お隣家となりの太田さんの親娘がシュラーをおさえつけて、千々子に逢いに来るのを邪魔している……そういう意味なんですね?」
「あっさりいっちまえば、まァ、そういうこってす。一週間ほど前から、太田の女親分があたしを疎外するようになったので、妙だと思っていたんで……それァ、そうでしょう。ご本尊のシュラーを握ってしまえば、あたしなんかと組むことはいらないから……こんなことをいうと、お腹だちになるかもしれませんが、ミドリという娘も、こちらの千々子さまと負けず劣らずで、あれでよく働くなんです」
「千々子を引合いにだすのは、やめてください。それにしても、あなたってひとは、すこしどうかしているわ。そんな事情があるなら、なぜ、もっとはやくおっしゃらないんです。そうならそうで、いくらでも打つ手があった。シュラーが訪ねてくるのを、安閑と待っているようなことはしなかったでしょう」
「そちらさまだけのことじゃない。シュラーを太田の親娘に取られたんでは、これだけの仕掛けがみなフイになってしまう。あたしとしては、はじめっからこちらの千々子さまを推戴してかかった仕事だから、なんとしてでも、もういちど、こちらへ捻じ戻してみるつもりなんで……あの親娘はなかなか一筋繩ではいかないが、シュラーのいどころを嗅ぎだすくらいは、雑作のないことです……そういうわけですから、捻じ戻しのほうは、ひとつ、あたしに任せておいていただきましょう……今日は、まァ、こんなところで……」
 ヘンリ清水が帰りかけると、石田氏は庭へおりて、
「君、君、ちょっと……」
 といいながら、芝生のところまで追いかけてきた。
「清水君、君には話さなかったが、この春から、下のプールで、夜光錦鯉やこうにしきごいという変ったものをつくっていたんだ。シュラーの紹介で、大量にアメリカへ売りこむつもりだったんだが、資金が枯渇して、バリウムも買えないような状態になっている。ここで手をぬくと、せっかくの夜光魚が後がえりして、ただの錦鯉になってしまうおそれがあるんだ……大言壮語した手前、うちの賢夫人に資金を貸せとはいえない。すまないが、一日も早くシュラーの居どころを突きとめて、首へ繩をつけてでも家へひっぱってきてもらいたい。話は、もちろん、おれがつける」
 アメリカ唐檜の蔭で、百々子が聞いたのはそういう話であった。石田氏が返しのない摺鈎すりばりで錦鯉の子供を釣りあげ、バリウムを飲ませてはプールに返していたのには、そういう雄大な計画があったのだということを、はじめて了解した。
 それから一週間ほどのち、石田家の家裏の物干場で、花々しい幕合劇の一幕があった。
 五日ほど前から、千々子さまはお隣家となりのミドリさまを釣りだそうというので、いろいろと骨を折っていた。はじめの日は電話で、
「いつぞやは失礼しました。その後、ごきげんいかがなの? あたくし、おなつかしく思っていますのよ。お暇でしたら、これからお遊びにいらっしゃらないこと? 下の門までお迎いに出ますわ」
 てな猫撫で声でフンワリと誘いかけたが、むこうも並の頭でないから、たちまち感づかれて、
「イヤヨ」
 と、はっきりと断わられてしまった。
 いちど頭の調子を狂わしたお隣家のお嬢さまと、むかし脳膜炎をやったことのあるうちのお嬢さまの頭の喧嘩は、最後は、どこで折合いをつけるのか、常識では想像できないようなところがあって、見ているぶんには、なんともいえないほど面白いものであった。
 千々子さまは、飽きもせずに、毎日、根気よく電話で誘いかける。そのたびにお断りをくうのだが、そこは普通の頭と調子がちがうから、いっこうに苦にもならないふうだった。その点、ミドリさまのほうもおかしいので、出なければ出なくともすむのに、イヤヨというひと言をいうために、根気よく電話に出る。
 こういう単調なくりかえしが、永久につづくのかと思っていたら、五日目ぐらいに、切って離したように、ハタとやめてしまった。
 千々子さまは、そこで気が変って、こんどは洗濯に熱中しだした。ハンカチや小切れを洗いあげて、家裏の物干繩にブラさげ、そのそばで、機嫌よく、鼻唄などをうたっている。百々子は完全に肩すかしを食い、
「御座った頭にはかなわない」
 などと、つぶやいていたが、それはこちらの認識不足で、千々子さまは、そうして見事に釣りだしに成功した。とても凡慮の及ぶところではなかった。
 その日も、家裏のほうから、千々子さまの鼻唄がきこえていた。百々子が行って見ると、千々子さまは、いつかの日、シュラー氏からもらったという、内股のところに Forget me not(あたしを忘れないで)という横文字の刺繍のある、ご自慢の絹の半腿引パンティを干物繩にかけ、ヤンマの飛ぶのを、漠然と眼で追いながら、世にいう低能声で、間伸びのした歌をうたっているようだったが、そのうちに、そろそろと地境のほうへ行って、垣根の破れ目からのぞいていたミドリさまの腕をつかんで、グイとこちらの地内へひきずりこんだ。
 うるさく電話をかけておいて、急にやめると、相手は不審に耐えられなくなって、こちらの動静をさぐりにくるはずだ、という、ややこしい心理の計算は、一種、霊妙な感じで、はっとさせるが、よく考えてみると、やはり、どこか尋常でないところがある。
 百々子の感慨などに関係なく、千々子さまとミドリさまは、ダンスでもしているような恰好で、うまいこと掴みあったまま、枸杞くこの垣根のそばから物干場のほうへ移ってきて、残忍ではないが、なにかむごたらしい、終りのないようなアナーキーな喧嘩をしている。つづめていえば、二人は夢中になって物干のパンティのとりあいをしているので、ミドリさまが、
「これは、あたしのよ」
 といえば、千々子さまも、
「これは、あたしのよ」
 といい、ひったくったり、とりかえしたりという単純な動作を、飽くことなく、くりかえしている。
 そこへおチビさんのメードが出てきて、呆気にとられてながめていたが、ゆっくりと二人のそばへ行くと、両手をひろげて喧嘩のなかへ割って入った。
「くだらない……そんなもので、喧嘩をするのは、やめなさい。そのパンティなら、あたいも穿いているよ、見せましょうか……まっぴら、ごめん、えッ、パッ」
 と掛声をかけて、勢いよく、スカートの下のものを、二人に見せた。
「このとおり、変ったというような代物ではございません。このパンティなら、PXへ行けばダースで売っているよ。横須賀の白百合組、二百と五十三人、みな、お揃いで穿いていますってさ」
 と、ナゴミをつけた。千々子さまはニッコリ笑って、
「こけしちゃん、あなたのいうこと、よくわかったわ……でもね、これはシュラー・ハークネスの二十八歳のお誕生日のプレゼントで、PXなんかで売っているモノとはモノがちがうのよ」
 ミドリさまが、すぐ、あとからいった。
「メードさん、あたしのもそうなの。誤解しないでね……そのモノとはモノがちがうのよ」
 メードさんが、しゃくんだような顔で考えこみながら、
「シスターさん、あんた、いま、シュラーの二十八歳の誕生日のプレゼントだといったね。それは、いつごろの話です」
 と、たずねた。
「一昨年の冬ごろのことよ」
「あたしのほうも、一昨年の冬よ」
「シュラー・ハークネスは、たいへんなおじいちゃんですよ。それァ百二十八歳の間違いじゃないのかな……シュラーがアメリカへ帰ったのは、一昨年の春だったから、シスターさんがシュラーといっているのは、誰かほかの男だね。それこそ、モノがちがいます」
 そういうと、丈夫そうな歯列を見せて、とめどもなく笑った。
 それやこれやあって、パンティは千々子さまの手に残ったが、パンティをプレゼントしたひとは、ミドリさまのほうへ行ってしまった。脳膜炎の程度では、狂った頭には追いつけなかったのである。
 八月の二十日ごろ、千々子さまと百々子は、濠端にある教会へ、シュラー・ハークネス氏と石田ミドリ嬢の[#「石田ミドリ嬢の」はママ]結婚式を見に行った。
 タクシから降りると、鐘楼で、騒々しいくらいに鐘が鳴りだした。
 会堂の入口から、蝋燭の黄色い光のチラチラする内陣の前まで、広い通路がまっすぐにつづいている。絨氈を踏んで前の席へ行くと、内陣に近い親族席に、太田夫人の幅広の顔がおさまっていた。
 鐘が鳴りやむと、玄関の大扉おおどが閉った。椅子にいる顔が、いっせいに薄闇のなかに沈み、天井から釣りさがった大枝燭台と内陣の蝋燭の火が、浮きたつような明るさでゆらめきだした。鼻のみねばかり高い、烏天狗の面を漂白したような感じのシュラーと、造花のオレンジの花のついた頭被の下でキョトンとしているミドリさまが、内陣の柵の前に並んで立っている。
 冠をかぶった司祭が、笏杖を持って聖器室から出てきて、型どおりの質問をはじめた。ミドリさまの、「われこれをねがう」という、腑ぬけのような声が聞えた。
 指輪を交換し、司祭が、なにか長々としゃべり、それが終ると、安息香の煙のたなびくなかで、天井をつんぬくような勢いでオルガンが祝楽を奏しはじめた。
 千々子さまのサロンにあった、絵入りの結婚式のプログラムの『特級』というところに、爪のしるしがついていた。今日の式がその特級なので、めぐりあわせがよかったら、ミドリさまの立っているところに、千々子さまが立つはずだったが、運勢の序列がまずくいって、そういう都合にはならなかった。
 薄闇をすかして、千々子さまの横顔をうかがうと、さすがに、気が荒れているのだとみえて、耳のうしろで、脈が躍るようにヒョコヒョコ動いていた。


 九月はじめのある朝、家具屋の大きなトラックがうねりあがってきて、あるだけの家具を持って行ってしまったので、麻布市兵衛町なる、わが石田家は、空家のようなガラン洞になってしまった。ケチンにあった、敏感な機械どもも、まわりのタイルもろとも消えてなくなり、そのあとに、粗面の壁だけが残った。
 石田氏と賢夫人は、千々子さまのサロンのゆかに座布団を敷いて坐りこみ、これからの暮しかたを、ぼそぼそと相談しているとき、大里という建築技師が、血だらけになった千々子さまを抱いて入ってきた。
 賢夫人は血のをなくした顔で、
「いったい、どうしたんです」
 と、おろおろ声でたずねた。
ろく屋根のパラペットに、一カ所、もろいところがあるので、そこへ凭れたひょうしに、胸壁といっしょに下へ落ちたのではないでしょうか。ほかに、考えようがありません」
「屋根から落ちたんですって……かあいそうに、こんなにたくさん血をだして」
「ともかく、病院へお連れしましょう。このまま、私がそっと抱えて行きます。だいぶ囈言うわごとをいわれるようですが、下手へたに刺激して、脳症でも起すとことですから、落着かれたら電話で連絡します。それまでは、どなたもおいでにならないように」
 しいんとしずまった、こわいような顔でそういうと、大里氏は千々子さまを抱えて、門のあるほうへ降りて行った。
 シュラー・ハークネスの名をかたって、ほうぼうで取込み詐欺を働いていた男は、シュラーがアメリカへ入った直後、入れちがいにエルマンなどといっしょに、麻布の収用住宅に入って、一年ほど住んでいた仏系カナダ人で、シュラーの表札が残っているのをいいことにして、対日本人の関係では、シュラーになりすまし、さんざ、いいことをしていたのだそうである。その後、いちどカナダへ帰ったが、日本の味が忘れられず、この夏、観光団にもぐりこんで、こっそりと密入国をし、二年前の縁故をたどって、ひと儲けしようとかかっていたが、ミドリさまと結婚した翌日くらいに、密入国と偽造ドル小切手使用の嫌疑で、横浜税関の監視官につかまった。
 千々子さまは、むしろ運がよかったので、洋館の屋根から身投げをするほどのことは、なにもないはずだった。千々子さまのむずかしい頭のなかのことはわからないが、大里技師が、事故だったというなら、事故としておくほうがいいのかもしれない。
 千々子さまが病院にいるあいだに、わが石田一家は、麻布の家に見切りをつけて、春までいた渋谷の奥のバラックに復帰した。
 ある朝、百々子が、広尾の病院へ報告に行った。
「千々子さま、あたしたち、渋谷のバラックへ帰ったのよ。あなたは面白くないでしょうけど、こうするほうが、自然だから……賢夫人は、むかしのように、縁側の炊事場で、渋団扇しぶうちわで七輪のお尻をひっぱたいている」
 千々子さまは、ギブスの繃帯をした太い腕を胸のうえにおき、ささやくような声で、つぶやいた。
「そうね……自然なのね……その意味、わかってよ……こうなってみると、あたしも、玄関の三畳で暮すほうが、たのしいような気がするわ」
 その冬、千々子さまと大里技師が結婚した。石田家の六畳で、かたちばかりの式をあげ、大家のむじなのおじいさんが、めでたく謡をうたいおさめた。





底本:「久生十蘭全集 ※(ローマ数字5、1-13-25)」三一書房
   1970(昭和45)年6月30日第1版第1刷発行
   1990(平成2)年9月30日第1版第6刷発行
初出:「オール読物」
   1953(昭和28)年1月〜6月
※「エルマン」と「エルマー」、「貴婦人」と「貴夫人」、「まア」と「まァ」、「?……」と「? ……」の混在は、底本通りです。
※「麻布の古屋敷の存在は」の「在」は底本では90度左に傾いています。
※「かたちになっている」の「た」は底本では印刷がかすれています。
入力:門田裕志
校正:芝裕久
2019年9月27日作成
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