ハムレット

久生十蘭




 敗戦後一年目のこの夏、三千七百尺の高地の避暑地の、ホテルのヴェランダや霧の夜の別荘の炉辺でよく話題にのぼる老人があった。
 それは輝くばかりの美しい白髪をいただき鶴のように清く痩せた、老年のゲエテ、リスト、パデレウスキなどの Phenotype(顕型)に属する壮厳な容貌をもった、六十歳ばかりの老人だが、このような霊性を帯びた深い表情が日本人の顔に発顕はつげんするのはごくまれなので、いったいどういう高い精神生活を送ったひとなのだろうと眼を見張らせずにはおかなかった。
 服装も非常に印象的で、生地はいまから二十年ほど前、手織木綿のような手固さと渋さを愛された英国のウォーステッドという古風なもの、フォルムも大正のよほど早いころの流行でそれはともかく、着方にどこがどうとはっきりと指摘できぬ何ともいえぬもどかしい感じがある。アフリカの土人に洋服を着せると、どんなにきちんと着付けてやってもいつの間にか微妙に着崩してしまうということだが、この老人の着方にも、ややそれに近い、なんとなくぴったりしないところがあった。
 この老人は、東京の空襲で一家爆死した阪井有高さかいありたかの別荘に、祖父江そふえという見るからに沈鬱な青年と二人で住んでいて、ゴルフ場のそばの落葉松からまつの林や愛宕山の下の薄原すすきはらの道を散歩するのを日課にし、いっさい避暑地の社交に加わらなかった。
 阪井有高というのは華族の中でも有数な資産家で、健康も知恵もありあまるのに、どんな会社にも事業にも関係せず、どのような趣味も特技も持たず、完全な安逸と無為のうちに生涯の幕を閉じたオブロモフ式の徹底的な遊民だったが、その最後はちょっと前例のないほど異変的なものだった。
 細君の琴子ことこは京都の西洞院家にしのとういんけから来たひとで、小松顕正こまつあきまさ許嫁いいなずけだったのが、どういうわけか小松の叔父の阪井と結婚し、鮎子あゆこという美しいがどこか狂信的なところのある娘といっしょに毎夏軽井沢へ来ていたが、阪井の近親にこんな秀抜な老人がいることはだれも聞かず、少なくともこの二十年阪井へ出入するのを見たものがなかった。
 ホテルなどでは、たぶん長らく外国にいて、この四月の欧州最後の引揚船で帰ってきたひとなのだろうというところへ意見が落ちつきかけたが、それにしてはあの大正式のスタイルとみょうな着ざまはどうしたものだと一人がいいだしたので、この推測もあやしくなってきた。
 外廊や炉辺でそういう噂が焦げつくようになったある日の午後、老人がめずらしく一人でホテルのグリルへやってきて、給仕に、Spiter というむずかしい英語で昼食を命じた。なるほど昼食という意味ではあるが、それは五百年ぐらい前に使われ、いまはまったく死語になっている言葉であった。
 もちろん給仕は死語など了解しようわけはなく、だいたい察してランチを持って行くと、その老人は十六世紀の欧羅巴ヨーロッパ人がそうしたように鹹豚肉ベーコンを右手の人差指に巻きつけて食うというふしぎな局面を演じたが、奇をてらっているのでも錯乱しているのでもない証拠に、その作法がいかにも家常的でぴったりと身につき、フォークやナイフを使っていることが気はずかしくなったほど魅力のあるものだったので、見ていただけの人間にメランコリックな戸惑いを感じさせた。
 それでグリルにいた一人がすばやくすり寄って行って会話のきっかけをつかんだ。
 言語は非常に明晰めいせきでニュアンスに富み、頭脳のみだれも思考の障害も感じさせないが、最近二十年間ぐらいの日本の社会事情に触れると当惑の色をあらわしてしどろもどろになってしまう。満州事変も上海事変もまるで知らず、太平洋戦にいたっては、そんなことがあったそうだという程度の薄弱な認識ぶりだった。やはりこれは外国の、それも思いきった辺境に長らく住んでいた人なのだと察してたずねてみると、ずっと日本にいて、いちども外国へなど行ったことがないという意味の返事だった。
 それ以来その老人はけっして一人で出歩かないようになった。ときたまバアへアペリチフを飲みにくるが、いつも青年がいっしょで、だれか老人に話しかけると、なんとなく割ってはいって返事をみなひきうけてしまう。その青年が老人に同伴しているのは、老人に話しかけられるのを防ぐためだということがわかった。
 そういう不分明な、どこか漠とした事情がそれからもいろいろと重なったので、その老人は避暑地の前景の中で一種の超人エルロオ的な存在になった。もっとも同伴者のほうはまもなく素性がわかった。祖父江光という有名な建築家の長男で、ながらくロンドンにおり、郡虎彦こおりとらひこなどのあとで演劇に関係し、早川雪洲の弟子になったとか、巴里のパチエ・ナタンの映画のエキストラをしていたとか、そういう噂がきこえていたが、太平洋戦がはじまる年の春、飄然ひょうぜんと日本へ帰ってきたのだとある一人がつたえた。
 八月も末に近い霧の深い夕方、二人はいつものようにホテルのバアへやってきたが、老人はバルザックを一杯飲んで先に帰り、祖父江が煙草を吸いながらヴェランダへ掛けにきた。そのときいつもの連中が五人ばかり残っていたが、こういうこともあろうかと待ちかまえていたところだったので、そのうちのひとりが辞令ぬきで祖父江にたずねた。
「祖父江さん、いつもあなたといっしょにいられる、あの立派なご老人はどういうかたなのですか。おさしつかえなかったら、われわれにもご紹介ねがいたいですね」
 祖父江は薄闇の籐椅子に掛け、もう赤く光りはじめた煙草の火を見つめていたが、まもなく顔をあげるとこんなことをいった。
「たぶんみなさんは、あのあやしげな老人はいったいなにものだと、おたずねになっていられるのだと思いますが、あなたがたのご満足を得るようにするには、あの老人の再生のお話をするのがいちばん手っとり早いようです」
「なるほど、あの老人はこんど公民権を回復した一人だったのですね」
「いや、わたしの再生というのは、墓の下から出て来たという意味です」
「墓というと」
「人を葬る、あの墓のことです」
 なんともいいようのない不快な感じに襲われ、みないちように身ぶるいした。ホテルの芝生に霧が川のように流れ、たしかにうすら寒い夕方でもあった。
黒岩涙香くろいわるいこうの『白髪鬼』という小説がありましたが、あなたのお話もなにかそんなふうなロマネスクな匂いがしますね」
「あの復讐綺談はわたしも少年のころに読みました。あの話にはこしらえものにつきもののこじつけや矛盾があって、それが一種の救いになっていますが、あのひとの過去には、残念ながらそういうものは一つもありませんでした」
「それで、あの人はいま幸福なのですか」
「たしかに幸福だともいえるのでしょうが、かすかな灯明がいっそう闇を暗くし、伐木ばつぼく丁々ちょうちょう山さらに幽なりで、再生したことがかえって真の悲劇という感じを深くしているようにわたしには思われるのです。わたしは非常に話下手なので、三日ばかり猶予をくだされば、メモをとってきて、それを読みながらくわしくお話しましょう」
 と約束して帰って行った。
 それから三日後、祖父江は、細かく書きこんだノートを持ってやってきた。それでみなはヴェランダからJ子爵の別荘へ移り、炉辺の安楽椅子に沈みこんでこころゆくまでその話をきいた。祖父江がノートに書きつけてきたのは、次のような数奇な物語であった。

 わたしが阪井有高とつきあうようになったのは、今年から数えるとちょうど二十九年前の大正六年の夏のことでした。
 まだみなさんのご記憶にありましょうが、左団次の自由劇場以来、われわれの仲間で翻訳劇の私演会を催すことが流行し、近衛秀麿や三島章道や土方与志などの「芽生座」がまずトップを切りましたが、大正の終りごろになると、フランスのアヴァン・ギャルド運動に刺戟されてまた新しく勢いをもりかえしてきました。
 阪井などはその一方の旗頭で、坪内さんの講義をきくために帝大の法科と早稲田の文科をかけもちしたくらいでしたが、大正六年の夏「ハムレット」の新演出で、日本の前衛運動の最初ののろしをあげようということになり、三カ月の暑中休暇を利用し阪井の別荘に合宿して猛練習をはじめましたが、ハムレットは小松顕正、クローデアス王が阪井、オフィーリヤが後で阪井の細君となった小松の許嫁の西洞院琴子、わたしがハムレットの親友ホレーショーと、まあ大体こういう配役でした。
 小松というのはちょっとめずらしい生真面目な男で、じぶんがハムレットをやるときまると、死んだおやじの書庫からエリザベス朝に関する文献をありたけひきずりだし、建築から服飾、工芸品、装身具、食器、料理、作法、狩猟、遊戯というぐあいに、当時の風俗と日常生活の一般を細大洩らさずしらべあげ、そのうえマンツァーメスの「牧詩エクログス」「獅子と狐」などというそのころの寓話まで眼をとおすといううちこみかたでした。小松の父は外交官として長らく英国におり、落合の邸は日本でただ一つの純粋なアングロ・ロマネスクの建築で、その書庫は大英図書館と綽名あだなされたほど有名なものでしたので、こういうディレッタンティスムを満足させるにはまず十分以上だったのです。
「ハムレット」が書かれた時代のようすが一通り頭へはいると、こんどはハムレットの生国のデンマークの研究にかかり、デンマーク公使館の、ヌルデンシェルトから参考書を借りだし、十六世紀頃の法律、制度、文化、国民的気質、日常生活と、やすむひまなく追求をつづけ、ようやくのことでそのほうが一段落つくと、いよいよ本腰をすえて脚本の解釈にかかり、ダイトンやカッセルの注釈本を参考にして、So とか Such とか That とか、そんな簡単な言葉についてもいちいちアクションをかんがえる。そういうあいだにもウィリアム・アーヴィングをはじめ、ダヴィット・ギァーリック、フォーブス・ロバートソン、ジョン・バリモア、セイッシイとあらゆる名優のハムレットの舞台写真を集め、扮装ふんそうとメイキャップの工夫をするというふうにハムレットになりきるために異常な努力をつづけていました。
 さっきもお話しましたように、落合の小松の邸はいくつも破風はふをもったエリザベス朝式の建築で、ポーチには白い柱がならび、バルコンには獅子の紋章を浮き出しにした古風な金具がつき、ダイヤモンド格子の明層窓あかりまどには彩色硝子ステンドグラスはまっているというぐあいですが、舞踏室といっている二階の広間はくすんだ色の樫の格天井と黒樫の高い腰板パネルをもった、十六世紀の郷士や護法武士ナイツ・テンプラーの饗宴場を模倣したものなので、背景とか書割かきわりとかいうものをいっさい使わず、そういう様式を生のままむきだしにし、ミッドル・テムプル・ホールの大広間で、シェークスピアがエリザベス女王のために御前演芸をやった、一六〇〇年ごろそのままの幕無しの演出をやり、普通の劇場では出せないクラシックな舞台効果をあげようというのがねらいだったのです。
 いよいよ私演会の当日になると、この新演出が評判になって有名な劇評家や一流新聞の記者までつめかけ、予想以上の大成功のうちにたいした穴をあけずに進行しましたが、いよいよ最後の「城内大広間」の場にかかるとまもなく思いがけない事件が起りました。
 大詰の五幕二場はご承知のように、「オフィーリヤの兄レーヤーチーズと、ハムレットの決闘、並びにデンマークの王家の絶滅」という悲劇のクライマックスに達するのですが、この場面の装置は舞台正面は樫の腰板パネルをそのままむきだしにし、その両端に対照的についてる大きな窓を隠すために、デンマーク王家の金の摺箔すりはくの紋章をつけた、オールドローズの天鵞絨ビロードの幕をゆったりと垂らしてあるというったもので、下手の幕に寄せて王座をつくり、ここで王と王妃と廷臣らが決闘の見物をするというのです。
 クローデアス王はこの決闘にかこつけてハムレットを殺してしまうつもりで、レーヤーチーズにひそかに毒を塗った剣を渡してあるがハムレットはそんなことは知らない。
 一回、二回ともレーヤーチーズがかすり傷を受け、第三回目、いよいよはげしい接戦になり、ハムレットがだんだん上手へさがる。レーヤーチーズがつけ廻し、つづけざまに長手の突きをやる。ハムレットは切先であしらい、幕に背をりながら上手から正面へ廻るということになっていました。
 わたしはホレーショーの役なので、廷臣と並んで下手の奥に立っていましたが、ハムレットが上手の垂幕のところでレーヤーチーズの長手突チェソスをあしらっているうちに、どうしたのか、とつぜんぐっと頭を前のほうへ投げだすようなみょうな素振りをし、よろよろと幕にもたれかかったと思うと、ちょうど幕に呑まれたように、ハムレットの姿がふっと舞台から見えなくなってしまった。
 われわれはちょっと度胆をぬかれましたけれども、小松の即興的な思いつきで、芝居をひとつ増やしたのだろうと考えつき、ああそうかと思って笑いながら見ていましたが、どうしたのかハムレットはいっこうに出て来ません。
 われわれのほうは笑ってもいいのですが、決闘の相手に消えられたレーヤーチーズのあわて方といったらない。幕のほうへ向って、さあ出て来いとか、隠れるのは卑怯であろうとか、出鱈目なセリフをいいながら、ひとりで暴れていました。そのうちにとうとうもちきれなくなったとみえ、やあやあ、といいながらじぶんでも幕のうしろへ入りこんで行きましたが、すぐ真青な顔で舞台へ飛びだしてきて、
「たいへんだァ、小松が死んでいる」とふるえながら幕のほうを指さしました。
 もう芝居どころでなく、王も妃も廷臣もいっしょになって上手へ駆けだし、幕のうしろへ入ってみますと、小松は四十尺も下の玄関のそばにうつ伏せになり、頭のまわりの敷石に真赤な血潮が磯ぎんちゃくでもうちつけたようにどろりとねばりついていました。
 アングロ・ロマネスクの建築は伸びあがったような高いスタイルにするため、一階ずつ階高をもたせるのが特徴で、二階といってもこれがむやみに高いので、万一にもころげだしたりしないように芝居のある間は絶対に舞台の窓をあけないことにしていたのですが、なにしろ非常に暑い日だったので、うっかり忘れてだれかが開けてしまったものと見えます。小松はそんなことは知らないから、夢中になって決闘しているうちに、われともなく幕に凭れかかったので、そのまま窓からころげだしたというわけなのですが、運悪く窓の下は御影石みかげいしの車寄せだったので敷石で頭をうち割ってしまったのです。
 さっそく近所の病院へかつぎこみましたが、なかなかの重態で、四日ばかりは生死の境を彷徨ほうこうし、一時ははっきりと絶望と宣告されました。それでもどうやらすこしずつもちなおし、あやうく命だけはとりとめましたが、敗血症脳炎のためにとうとう精神に異常をきたし、郊外のなんとかいう脳病院へ入院したということでしたが、その後、生きているのか死んでいるのかいっこう消息をきかぬようになってしまいました。
 すばやく手をうったので、この事件はおおやけにならずにすみましたが、この事件のために気勢をそがれたかたちになり、新劇研究会は解散してしまいましたが、それからしばらくしてから、あるところでこの話が出たとき、その日の見物の一人だった友人が、
「あのとき、阪井のクローデアス王が王座から降りて下手の幕のうしろへ入ったがあれはなにをしに行ったのかね」
 と、ふとそんなことをいいました。
「阪井が……それは、どんな時」
「小松のハムレットが幕といっしょによろけるすこし前」
「そして、いつ出てきた」
「ほんの五分ぐらいの間のことだ。レーヤーチーズが幕のうしろへ入る前にもう戻っていた。君は知らなかったの」
「知らなかった」
 阪井のクローデアス王の王座は独白せりふをひきたてる関係で客席に近い前舞台の端にあり、そのとなり、つまり舞台に向って斜右はすみぎに王妃の座があり、それから舞台の奥へ向ってわれわれが三列に並んで決闘を見物している。王のほうへふりむいたりすることもなかったので、阪井が幕のうしろへ入ったことはわれわれは一人も知りませんでした。
 阪井が幕のうしろへ水でも飲みに入ったのかとも考えられますが、小松が幕の中へよろけこむ一瞬前、ショックでも受けたようにぎくっと頭をのめらせたことを思いあわせ、なにかみょうな気がしないでもありませんでした。しかしいまおはなししましたように、正面奥の壁は腰板がそのままむきだしになっているので、舞台を露骨に横切る以外に上手へ行けるわけはないから、阪井が下手の幕のうしろに入ったということが上手にいた小松の墜落に関係があろうとはかんがえられませんが、そのころ阪井はいつもにやにやと薄笑いをし、なんともいえぬ底気味の悪いところがあって、阪井と話をしていると、ときどきなんの理由もなく、ぞっと戦慄を感じるようなことがよくありました。阪井とわたしは友人といってもごく浅いつきあいで、この芝居に駆りだされたという程度の関係でしたので、そんな不快を忍ばなければならぬわけはなく、それとなく遠のいて間もなく交際を断ってしまいました。
 わたしが大学に居りますころ、天尾四郎や小酒井などの影響を受けて差異心理学や人格心理学の研究をしているうちにロバックの性格学に興味を持つようになり、本式に勉強するつもりで英国へまいりました。一九二五年の春、二十六歳のときでした。
 その後、七年ばかりの間、オールボートについて真面目にやっていましたが、郡虎彦が演出したジェミエの「修善寺物語」を見てから、それに刺戟されてまたぞろ芝居が病みつきになり、舞台美術の研究をしたりアヴァン・ギャルドの私演会に出演したりして遊び暮しているうち、昭和九年の春、阪井が細君の琴子と、そのころ十三歳になった娘の鮎子をつれぶらりとロンドンへやってきました。
 阪井とは十年ぶりに逢ったわけでしたが、見ちがえるように福々と肥り、安定したいい表情になっていましたが、性格学の研究で養われた眼で見ると、阪井の顱頂ろちょうはアッシャーヘンブルグの類別による典型的なアッテーケン型であることに気がつきました。こういう形の頭をもっている人間は、どうしても犯罪を犯すほかに人生の行き道がないという先天的に陰惨な運命を指し示されている犯罪者のアプリオリなのです。これはと思ってそれとなく注意して見ますと、阪井の性格類型はフライエンフェルスのいうC型、知的残忍型というやつなのです。
 あまり専門的になることは避けますが、個性の進展というものは、要するにその先祖の一貫した全道程を表現しているもので、血統の上に先祖の影響が強く残っているものなのです。いいかえれば人間というものは長い家族史の梗概こうがいのようなものなので、いったい阪井の先祖にどういう大悪党がいたのか調べてみたい衝動を感じたほど猛烈なものでした。十六年前阪井と話しているといつも漠然とした嫌悪と恐怖を感じたのは、なるほどこういうわけだったのかとはじめてその理由がわかりました。
 ところがおどろいたことには、阪井の細君がまた歴然たる犯罪型なのです。琴子の耳は耳輪の上部が折れ曲っているモーレル氏型耳の典型的なやつで、こういう耳の持主を情緒的犯罪型といい犯罪を情緒で美化して陶酔するという非常に厄介な性格で、いってみればこの上もない好一対の悪夫婦というところなのです。
 阪井も阪井の細君ももともと好かないやつらだったのでいよいよ相手にする気もなくなりましたが、そういうことがわかると鮎子という娘の不幸な行末がまざまざと見えだし、かわいそうでたまらないので、ケンシントン・ガーデンやグリンパークへ散歩に行ったりストランドへ映画を見に連れて行ったりしました。翌年の春、阪井の一家は二カ月ばかりの予定で巴里パリへ遊びに行きましたが、なぜかあわててアメリカ経由で匆々そうそうに日本へ帰ってしまいました。
 それからわたしの生活などはかくべつおはなしするに足るようなことはありません。父が残した資産はもちろん、東京の邸まで売らせて送金させ、欧羅巴ヨーロッパとアメリカの間を意味もなく彷徨してくだらない生活をつづけ、ロンドンの爆撃がはじまるすこし前無一文で日本へ逃げ帰って来ましたが、住む家どころか明日から食う金もないというありさまなので、友人にたのんで青山のさる脳病院の看護夫の口を紹介してもらい、それでようやくひと息つきました。
 そのうちに日本の状態が逼迫ひっぱくするにつれ、わたしの生活状態も一日ごとに低下し、希望のないみじめな生活を送っていましたが、東京の爆撃がはじまりかけた十九年の十二月の夕方、青山行の電車に乗っていると、わたしの頭の上から、
「お久しゅう、あなた、いつ日本へお帰りになって」とだれかが声をかけました。顔をあげてみると、ヴァジン・ウールのしゃれたスキー服を着た二十二、三の娘なんですが、そのスキー服というのは一九三九年の冬の「スノオ・ファッション」に紐育ニューヨークのマックス百貨店が売りだしたハドソン湾毛布地ベー・ブランケット・クロスでつくった「パイン・ツリー・スーツ」という緑色のスキー服の変り型ファンシイなのです。こういう戦争の最中に、だれも知らないと思って、米国製のスキー服を防空服がわりにけてとぼけているというのは、相当な娘にちがいないと思い、半ばあきれながら顔を見ていましたが、だれだったのかどうしても思いだせない、そのうちにいらいらしてきたので不機嫌にだまりこんでいると、その娘は、唇の両端をひきさげてみょうな薄笑いをしながら、
「お忘れになって。わたくし、ロンドンでいつもあなたに、べたべたくっついて歩いたあのへんな娘よ。阪井鮎子ですのよ」
 そういわれれば、なるほどそうにちがいない。あのころは青んぶくれの見るかげもない貧相な小娘でしたが、どういう飛躍をとげたものか、琴子の若いころそっくりな、まるでぎだしたような鋭い美しい顔つきになり、よく動くはしこそうな眼が、日本人にはめずらしい大胆な表情をつくりあげているのですが、せっかくの生気も濃いアイ・シャドーのおかげでだいなしになり、ブゥルヴァルを流して歩く高等内侍の顔の中にある、あのどこか汚穢おわいな感じのまじった一種特別な美しさになっています。ゼーゼマンの主型 Schalk ……流動的娼婦型という手に負えない類型をあらわしかけているのです。阪井と琴子の犯罪的因子が合併してこんなふうに鮎子の上にあらわれたのかといささか感慨を催しておりますと、鮎子は落ちぶれはてたようすからわたしの境遇を察してしまったらしく、急に高飛車な調子になって、
「いまお困りになっていらっしゃるんじゃないのかしら。そうだったら、あたしたちお助けしてあげられてよ。むかしお世話になったこともあるのですから、ご遠慮には及びませんのよ。これからいっしょに家へいらっしゃらないこと。父も母もおりますから」とそんなことをずけずけというのです。
 生意気なやつだと思いましたが、わたしの困りかたといったらないので、むかしのよしみでいくらかでも助力してもらえたらと鮎子にくっついて行くことにしました。
 阪井の邸は赤坂表町の坂下にあって、ポーチの薄暗い外灯がぼんやり車寄せを照らしているほか、どこからも灯ひとつ洩れないひどく閉めこんだ陰気くさい構えでした。まもなく阪井と細君が出てきましたが、十一年前にロンドンへ来たころは福々しいくらいに肥っていたのがとげとげと痩せ、流動的な明るい快活さも、充ち足りたような寛闊かんかつさもすっかり消失して、学生時代のあの暗ぼったい皮肉なようすにかえっていました。
 細君の琴子のほうは阪井と反対に見るから嫌悪の情を催すような不快な肥満のしかたをし、鈍重なそのくせたえず動揺しているような不安定なようすをしていました。阪井はわたしなどになんの興味も感じないらしく、冷淡な気のない応対をしていましたが、そのうちに、
「君は精神病理を専門に研究したということだが、失礼だが、どの程度のものなんだね」とたずねました。わたしは阪井にとりついていくらかでも借りだしたい下心があるので、性格学という学問について、オールボートの人格研究法の十五項……社会的フレームワークによる分析、人相学的研究、とりわけ、その人間が一日に何度笑うかというような各種行為の頻度ひんど記録による分析、社会的測定、セレノのいわゆる心理的地誌すなわち友人群や知人群による分析、パターン及び筆蹟研究、行動テスト、特殊反応予想、深層分析つまり無意識行為の分析、自由連想と空想の分析など、素人わかりのするような例をあげて性格研究の特殊方法を説明し、この研究をまとめたいのだが生活が悪いので思うようにならないというと、阪井はこの話に非常に興味を感じたらしく、行動テスト、深層分析のやりかたをいろいろ質問したりしていましたが、「なかなか面白い学問じゃないか。そういうことなら、そんなつまらない仕事をやめていっそ家へ来たらどうだ。洋館の東側の二間を君の書斎と住居に提供するから、生活の心配をしないで落着いて著述を完成させたまえ。できるだけの後援をするよ。鮎子は大学で心理学の勉強をしていたから、君の助手ぐらいはつとまるかも知れない」とそんなことをいいだしました。すると琴子は気質転移をひきおこした乖離かいり病患者のようなめざましい上機嫌になって、
「学問というものの本質はもともと貴族的なものなんでしょう。生活なんかとやりあってせっかくの才能を失落させてしまうのはあたし不賛成よ。ねえ、そうなさい。あたしこころからおすすめするわ」と熱心にすすめだしました。鮎子は鮎子で、いかがわしいほど愛情的なようすでわたしの肩に手をかけながら、
「あなたのお顔、スウチンの『死せる基督キリスト』にそっくりだわ。ぞっとするほど陰惨よ。お父さまは助手とおっしゃったけど、あなたはいま助手より看護婦のほうが必要なんだわ。あたくし一日中おそばにいて看護してさしあげてよ。それこそマグダラのマリヤのように毎日『ダッチェス・オブ・ヨーク』で足を洗ってあげるわ。侍女のようにお仕えするわ」とそんなことをいいました。
 わたしはあまり人好きのするほうではないし、阪井や阪井の細君が学問のポルテエジュを希望するような高雅な心情を持っているとも思えません。たったいちどの説明で阪井の一家がどうして急にこんな好意をしめしはじめたのか、極端に利己的な阪井の平素を思いあわせると、なんとなくうさん臭い気がしないでもありませんでしたが、わたしとしては、ただ当面のひどい貧乏からぬけだしたいだけでいっぱいで、深くかんがえもせずに、むしろよろこんで阪井の保護に身を任せることにしました。
 そういうわけで、わたしはその翌日からペルチヒ風の贅沢な部屋におさまり、いささか過度な鮎子の奉仕を受けながら著述の真似事をすることになりましたが、見ていると、鮎子というのはいちどこうと独断するとどうしても思想をかえることができない狂信者型で、幻視と幻聴があり意識を凝固させると自在に見神ができるという霊媒者的素質をもったふしぎな娘であることがわかりました。したがって日常の行動にも、常識で判断できないような奇抜なことが多く、とりわけ迷信ぶかいことはたいへんなもので、スプーンの外側に絶対に唇を触れないとか、階段はかならず左足からのぼりはじめるとか、鮎子にとってはそれはいちいち相当な理由があるのですが、そういうあやしげなフレームの中で生活をしているわけですから、愛情呈示の様式もおよそ人間ばなれのしたもので、羞恥とか逡巡しゅんじゅんとかいう感情は微塵みじんもなく、人前であろうとなんであろうと遠慮なく極端な愛情を流露させるというやりかたなのです。
 こういう過敏な娘なので、わたしが著述に熱意のないことをかんたんに見ぬいてしまいましたが、鮎子としてはむしろこのほうが気にいったらしく、それ以来、毎日なにか理由をつけて遊びにひきだすようになりました。阪井は子供の教育ということにどんなルーズなかんがえをもっているのか知りませんが、鮎子のハンドバッグにはいつもびっくりするほどの金高が入っているばかりでなく、非合法的なレストランや秘密のバア、舞踏場ダンシング、バッカラ倶楽部などをじつによく知っていて、まるで仕事のようにつぎからつぎへひっぱり廻しました。
 二月すえ神田へ焼夷弾が落ちた日、二人で逗子のさる家のワイルド・パーティでさんざんに踊り、帰れなくなってその家へ泊りこむことになりましたが、わたしがパジャマに着替えていますと、鮎子が眠りからさめきらぬ子供のような顔つきで入ってきて、
「いまマリウスの霊が来たわ」とぼんやりした声でいいました。
 いいわすれましたがマリウスの霊というのはときどき定期的にあらわれて鮎子の運命を予言し、いろいろと助言してくれる親切な霊なのだそうで、これに見舞われると、鮎子はひとがちがったようなしっとりと情味のある娘になるのですが、その晩もまたそんなふうで、その家のマダムに借りた足まで隠れてしまうようなだぶだぶの白の寝間着シミーズ・デ・ニュイの裾をひきずり、霞んだような眼差で立っているようすは、ちょうど舞台で見る気のふれたオフィーリヤそっくりでした。わたしはまたかと思って、「それではマリウスの霊がなんといったんだい」とたずねますと、鮎子はわたしと並んで寝台へかけながら「あなたの因子とあたしの因子は、一六〇一年の二月十日にどことかで別れたきり、今日まで三世紀も逢わなかったんですって。それできょうの夜十二時までに二人が結婚しなければ、これからまた三世紀も互いにさがしあわなければならないというの。そんなの、あたしいやだわ。なんでもいいからいそいで結婚してちょうだい。十二時までにあと十分しかなくってよ。まごまごしてはいや」というとなよなよ首に手を巻きつけてわたしを寝台へおしたおしました。
 こういうわけで二人の関係に悪い深みがつき、阪井の友情を裏切ったかたちになりましたが、阪井も阪井の細君もはじめっから二人の関係を許容しているふうで、とがめだてしないばかりか、むしろ奨励するようなようすさえ見えました。
 二人がそういう関係になってから一と月ほどたった四月のはじめのある日、阪井がじぶんの書斎へわたしを呼んでだしぬけにこんなことをいいました。
「祖父江君、君は小松がまだ生きていることを知っているかね」
「小松って、どの小松」
「三十年ばかり前にハムレットをやったあの小松顕正のことだよ」
 これはまったく初耳だったので、わたしもおどろいて、
「へえ、それは知らなかった。それでいまはどうしている」とたずねますと、阪井はとぼけた顔で、
「小松が気がちがったことは君も知っているだろうが、それはずいぶんへんなものだったんだよ。意識はとりもどしたが、小松顕正の過去の記憶は、全部消失してハムレットの記憶しか残っていないんだ。追想喪失症と精神乖離症の合併とでもいうところかね、君は専門だからよく知っているだろうが、あれ以来小松は落合の邸で三十年もハムレットになりきったまま生きていたんだ。それで、君にひとつおねがいがあるんだが」
 阪井の依頼というのは、なにしろこんな時世だから、出来るなら解放するほうがどちらのためにもいいのだが、奔逸ほんいつする危険がないかどうか行ってしらべてくれということなのでした。
 小松顕正は端正な容貌と明晰な頭脳をもった秀抜な青年で、われわれ同年代一般の憧憬的人物だったのです。とりわけわたしなどはひそかに女性的な愛情さえ感じたくらいで、その小松が三十年近くもそんな陰惨な生活をしていたということを聞きますと、なんともいえないほど気の毒になって、解放できるものなら解放してやりたくなりました。
「それは気の毒な話だな。いいともてやろう」といいますと、阪井は非常によろこんで、「君にやってもらえるなら安心だ。わけのわからない精神病科の医者なんかにいじくりまわされるのは不愉快だからね。ただ困ることにはあいつは気むずかしくて、医者などはいっさい傍によせつけないから、看護夫の態で住みこんでそれとなくやってもらうほかはないんだが、それも承知してくれるか」
「そんなことはなんでもない」
「それはありがとう。執事の北山にも君を新しく傭った看護夫だということにしておくから、そのへんも含んでおいてくれたまえ」
 翌朝早く家を出てバスで落合まで行き、聖母病院の前の通りを入って行くと、突当りに小松の邸が見えだしました。数えてみますとあれからちょうど二十八年たっているわけでしたが、家の正面がすこし汚れ、車寄せのそばに防空壕が掘ってあるほかなにもかもむかしどおりになっていました。呼鈴をおしますと阪井から電話で通じてあったとみえ、執事の北山が玄関へ出てきました。二十八年前私演会に駆り出され、ポローニヤスをつとめたころのおもかげはどこにもなく、むかしはいかめしかった口髭も長い顎髯も真っ白になって、そのままでポローニヤスの役がつとまりそうなマスクでした。
 北山はわたしを応接間へ通すと仔細らしい顔で経歴などを聞いてから、
「くわしいことは阪井できかれたでしょう。毎日、下手な田舎芝居のようなことをしなくてはならないのでその点馬鹿々々しいと思われるでしょうが、それさえ辛抱してくだされば、ここの生活はそう悪いもんじゃありません。検温は二回、隔日に検尿、気質状態を病床日誌に書く……仕事というのはこんなところですが、あなたの前任者はひどく感傷的になって、患者が不当監禁を受けているような妄想をおこし、つまらぬことを隣組へふれまわったり、警察へ投書したり、まるで明治年間の相馬そうま事件のような騒ぎをひとりでやっていましたが、けっきょくI・I(伝染性精神病)になって脳病院へ入ってしまいました。ここの患者はみょうな親和力を持っているので、あなたもへんな魅力にひっかからないように十分にご注意ねがいますよ」とそんな事をいっているところへ、罐から出たてのアスパラガスのような、ぶよぶよと白い、見るからに看護婦じみた二十五、六の女が入ってきて椅子にかけました。うんと開いた膝の間から派手な色彩をこぼし、だらしない格好で卓に頬杖をつくと、
「あなた、こんどいらした方ね。あたしここでは侍女の役をやっていますのよ。でも場合によってはガーツルード妃になったりオフィーリヤになったり、それはそのとき次第ですわ」というとぞっとするようなみだらがましい流眄ながしめをつかいながら、
「おわかりになって? そのときのそちらのご気分次第で、娘にでも年増にでもなりますわ、どうぞよろしく……あたし、綣村愛子へそむらあいこ……でも、今村と呼んでいただきますわ。だって、ねえヘソムラじゃあまりあけすけですもの……」いかにも可笑おかしくてたまらないように身体を折り曲げてほほほと笑うと、急にきょとんとして、
「あなたは精神病理をなすったそうですけれど、ハムレットの性格をどうおかんがえになりますの。一般には正義多感な青年ということになっていますけどあれは大嘘ね、たとえば三幕四場で母を責めているとき『いかなるご用あって尊霊にはここへ?』などと口走ったり、なに乱心狂気でない証拠はいま言うたことを一言もまちがえずにいうてみましょうなどと、むきになって正気の強弁をしていますが、じぶんが気狂いでないと抗言する病識欠如はよく気狂いにみられる徴候で、記憶がよく、おなじ言葉をまちがいなくくりかえすことも、ある種の、精神病にはよくあることなのでしょう……シェークスピアというのはみょうな男ね。気狂いを主人公にして、正気の人間を大勢まわりでうろうろさせるなんてずいぶんふざけた趣向でないこと。けっきょくハムレットの悲劇は、気狂いの妄想でまわりの人間がつぎつぎに犠牲になって行く、『狂気の悲劇』とでもいうようなものなのね。いったいあんなものに芸術的な価値なんかあるものかしら。トルストイは三文のねうちもないようにくさしていますが、それはあたしも同感よ。あんな『狂人劇』、真面目になって見てやるほどの代物じゃありませんわ」と意想いそう奔逸ほんいつなようすでとめどなくしゃべりつづけるのです。
 北山は掌で髯を撫でながら窓越しに庭を見ていましたが、綣村のほうが一段落つくと、ではこれから患者にひきあわせるからと長い廊下の突きあたりの、頑丈な樫の扉をあけて内部へ入り、しばらくここで待っていてくれといって、どっしりと床まで垂れた暗赤色の天鵞絨ビロードのカーテンの奥へ綣村と二人で入って行きました。
 わたしは椅子にかけて三十分近くも待っていましたが、いつまでたっても出て来ないので、どうしたのだろうと思ってそっとカーテンをまくって見ますと、その向うは美しい嵌石モザイクの床をもった広い部屋でダイヤモンド格子の明層窓が気持のいい排列をし、左手に側廊アイルを隔てる円柱の列が高い穹窿天井ヴウトを支え、彩玻璃いろグラスの薔薇窓からさしこむ春の陽ざしが床のうえに配色図を描いています。正面の奥にはチュードル式の垂直な紋様で飾られた王座があって、脇に獅子の頭を彫刻した背板の高い椅子が一つ据えられてあります。
 ふと見ると庭に沿った長い側廊アイルを、ブロンド編髪をやさしく胸に垂れ、レエスの胸衣ジレに鯨骨入りのスカートをつけて大きな西班牙スペインの扇を持った少女が、白い長袍に金襴きんらん外衣クロークを羽織った白髪の老人と肩をならべひとのこころをときめかすような優雅な香りを流しながらしずしずと歩いています。
 このときわたしの当惑をどういいあらわしていいかわかりません。わたしはこのままエリザベス朝の中へ閉じこめられ、二度と再び現代へ戻ることができないのではないか。そういった得体えたいの知れない不安に襲われて思わず身ぶるいをしました。
 ポローニヤスの扮装をした老人は北山で、ブロンドのかつらをつけた少女は要するに綣村だと、わたしはすぐ意識をとりもどしましたが、この東京の一隅、しかもこんな戦争の最中にエリザベス朝の生活がそのまま寛闊かんかつに繰りひろげられていようとはさすがのわたしも想像さえもしませんでした。
 二人はまもなくカーテンをまくって控室へ戻ってきましたが、壁際に据えた大きな衣裳櫃いしょうびつからタイツ、刺繍のある胴着、赤毛の鬘、尾長鳥の羽根飾の帽子、細身の剣、銀の留金のついた爪先のった妙な靴……そんなものを一揃えとりだしてわたしに着せると、正面奥の王座の前へ連れて行きました。さっき隙見したときは柱の陰になって見えませんでしたが、王座の右手の唐草を彫刻した台座の上に等身大の聖母の像がすこし俯向うつむき加減に立っているのに気がつきました……いやマリヤの像ではない。よく見るとそれは光輪のかわりに花鬘をつけたオフィーリヤの像なので、胡粉で薔薇色に頬を染め、腕の中にすみれ紫雲英れんげ苜蓿うまごやしや、そういうつつましい野の花を抱き、なにかいいかけるように前のほうへすこし首を傾けて立っていますが、それはリュウベンスの描いたあのオフィーリヤの顔ではなく、瓜実顔うりざねがおの優しい眼と眉を持った琴子の顔なのです。
 ポローニヤスはわたしを王座の前に残し、左手のクローバ形の扉の前に行って、手に口をあてて、軽い咳払いをしますと扉の向うから、
「何者なればかくしばしば予をい苦しむるぞ。ああ人生のわずらわしさ。永久の眠りこそ望ましいわい」という朧気おぼろげな声がきこえてきました。
 まもなく沈鬱な足音がして、黒い絹の短上衣タブレットに銀の帯をしめ、三つ重ねの襞衿ひだえりをつけた六十歳ばかりの男が、眼を伏せながら謁見室えっけんしつへ入ってきて、しずかに壇を上って王座に掛けました。
 それにしてもなんという立派な顔でしょう。運命に忍従しているようなものしずかな眼差、高い知性を示す蒼白な広い額、寛容をあらわすゆるやかにひき結ばれた唇。こうして額に手をあててうつむいているようすはいかにもハムレットらしく、アーヴィングでもバリモアでもこれほどのすばらしい肉体化は出来なかったろうと思われたほどでした。しかし、まだ五十四歳でしかないのに鬘の下から房のような異常白髪がのぞきだし、眼にはもう老人環が出来、この二十八年の歳月は小松にとってどんなすさまじいものだったか雄弁に物語っていました。
 ポローニヤスは慇懃いんぎんに進みでて、
「殿下、ローゼンクランツがまいりました」とせりふもどきにやりますと、ハムレットはつと眼をあげてまじまじとわたしの顔をながめてから、第二幕第二場の台本どおりに、
「ああ、さてさてなつかしい。どうじゃローゼンクランツ、よい景色かの?」とたずねました。わたしもすぐ、
「まず世間並でござります」と調子をあわせますと、ハムレットはじっと眼を見すえたまま「時に友達ずくで遠慮なく問うがこのエルシノーアへはなにしにお来やった? 両陛下からお使いを受けたのであろう? 自身の好みか? 全く任意の訪問か? さ正直に言やれ」としみだすような声でいいました。
 これは第二幕第二場のセリフどおりにちがいないですが、阪井の意をうけてやって来たことを見すかされたようで、ちょっと返事にこまっていますと、小松はすぐ追いかけて、
「こりゃ、ローゼンクランツ、友たるの信義、幼い折の交りを思わば包まず真直ぐに話してくれ。お迎いをうけたのか、どうじゃ」
 わたしの思いすごしかも知れませんが、小松はわたしを見知っていて、わたしがこんなところへやって来たのを不審に思いはじめたのではないか。芝居ならここで連れ立ってきた相手に、どうしたものであろうと相談するところですが、そういう相手もいないので「お迎いを受けましたのでござります」と正直にこたえました。
 次の日から廷臣またはローゼンクランツとして近侍きんじの生活がはじまりました。午前八時に土製水瓶アルカザス足付杯キアリースを持ってハムレットの寝室へ行きます。これは洗面と含嗽うがいの水なのですが、そのとき部屋の隅にある香炉キャサレット竜涎香りゅうぜんこうを投げいれる。そこへ侍女が朝食を運んでくるのでそれを受け取って、食卓をこしらえハムレットの食事が終るまで傍に立っていて“蠅追いシャッス・ムッシュ”で蠅を追う真似をしなくてはなりません。
 木皿に盛った蒸パンに野菜を添えた簡素な朝飯をハムレットは手掴みでやり、汚れた指先を木椀ジャットの水ですすぎ、その水を飲みほしてナフキンで丹念に唇を拭うと、これで朝の食事が終ります。食事が終ると小松は謁見室へ行き、オフィーリヤの像の下にひざまずいてなにか長々とお祈りをする。そのあとは書見をするために居間に入るか時には庭へ散歩に出かけます。これだけのくりかえしですが、小松の頭脳機質は雨にはもっとも清明し、曇天の日はこれにつぎ、快晴の日はいちじるしく快戯かいぎ性を帯びてきて終日落着かず熟慮じゅくりょ困難の症状をあらわすようでした。
 いろいろ観察するところ、はなはだしく空想にふけるとか、異常軽率、衝動行為や感情のいちじるしい転換もなく、強迫観念や幻覚に襲われるようなところも見られず、ときどき軽度の偏頭痛を訴え言葉がはじまるのが遅いようですが、言語障碍は認められませんでした。
 そのうちにわたしには小松が精神病の雑多な症状群を連絡もなく模倣していることに気がつきました。いったい精神病の症状は互いに有機的なつながりを持ちながら非常に明瞭な群をつくるのですが、小松の症状を見ると、興奮はあるが躁陽病そうようびょうに来るべき爽快、意志奔逸症を欠き、また緊張病のような不自然行為や衒奇げんき症状を持たず、ことさら指南力を欠くような真似をするので、かえって真の疾病でないことをさとらせるのです。ときには妄覚病の真似をしますが意識は非常に清明で、その上全部の症状を真似することができません。また当意即答症のような真似をしますが、緊張病者のような奇抜な答えでなく、感情と意志の障碍はすこしも認められないことです。
 こういうところからかんがえますと、小松は発狂して精神病院に入院した看護夫の狂態を仔細に観察し、そのまま上手に模倣しているのではないか、精神病学の通俗な知識を得たいにも、そんな本を手に入れる手段も機会も小松はまったく持っていないからです。
 しかし現代の精神病学はS・M(佯狂)というものの存在を疑い、気狂いの真似をするようなものはすでに病的性格者だとするのが定説になっていますので、模倣だと思っていることも案外本物かもしれずそのへんの決定はなかなか困難でしたが、それから一週間ほどのち、わたしが例のとおりハムレットの書見の側に近侍して蠅を追っていますと、ハムレットはマンツァーヌスの「牧詩エクログス」を読みながら奇妙な身振りをしました。
 これは小松の愛読書の一つなのですが、この日もなにか会心の章句にゆきあたったらしく、低い声で朗誦しながらしきりに頁を繰っていましたが、ふと見ると、右手の人差指と中指がちょうど胃袋のあたりで律動的に動いているのに気がつきました。わたしもはじめなんの気なしにながめていましたが、そのうちにとつぜんある連想が喚起かんきされました。それはわたしの知人の中に、書見に熱中するといつもチョッキの胸の時計の鎖を律動的にいじる癖のあること、そうしてこういう偶然行為をするひとをあげようと思えば、わけなく幾人でもあげることができることです。わたしを刺戟したのはつまりこの記憶なのです。ハムレットの短衣タブレットの胸に打紐の細い肋骨ろっこつがついて、ハムレットはそれを律動的にいじっているのですが、その打紐は、この場合、観念内で時計の鎖の代償をしているのではないかということです。ハムレットが時計の鎖をいじる……ハムレットのように現代の記憶を喪失した乖離性追想喪失症には、これは絶対にありえないことなのです。わたしはこの点に非常に興味を感じたのですが、これは症状行為なのか、偶然行為なのか、それとも単なる痙攣けいれん運動なのか、習慣的なものか孤立的なものか……これだけではいかなる決定をも与えることができませんが、しかしひきつづいて起った次のような事情がこの疑問に明確な方向を与えることになりました。
 それから二日ほどのち、わたしはハムレットと夕暮の窓際で将棋チェスをさしていました。そのうちに窓の外は、おいおい薄蒼く暮れ、将棋盤の上がおぼろげになって来ましたので、わたしは呼索よびづなをひいて燭台を持ってこさせようと思っているとき、ハムレットは熱心に将棋盤を見つめながら傍の小卓のほうへ斜に右手をのばし、しきりになにか探るような真似をしました。
 それがなぜわたしの注意をひいたかといえば、それはちょうど卓上の電気スタンドのスイッチをさぐる指先のように見えたからです。その小卓の上には丸い笠で蔽われた青銅製の聖龕ジャーツスが置いてありますが、その形はわれわれの書机の上にある青銅製の電気スタンドにじつによく似ているのです。
 定型性偏執狂の観念内にエリザベス期と現代とが併存へいぞんするはずはないから、これがもし電気スタンドのスイッチをさがす動作だったら……つまりハムレットの Vergreifen(やり損い)だったら、ハムレットは完全に治癒しながら、なにかの必要があって気狂いの真似をしていたのだと思うほかはないのです。
 わたしはいろいろかんがえたすえ、簡単なしかし非常に効果的なちょっとした実験をしてみせました。それは小松の放心状態のとき唐突とうとつに年齢をたずねるという実験です。これにたいしてわたしは二様の返事を予期していました。つまり、二十六歳と五十四歳……二十六歳というのはあの不幸な事件のあった年齢で、五十四歳のほうはハムレットの現在の年齢です。小松がもし二十六歳とこたえれば、小松が非常に用心深い、もしくは依然として記憶中断の状態にあるとかんがえてよく、反対にもし不用意に五十四歳とこたえれば彼が詐病者であることを示すわけです。
 わたしはハムレットの返事に興味と期待をかけていましたが、意外にもハムレットは全然わたしの予期を裏切って、四十四歳とこたえました。これによってわたしはハムレットの精神病はすでに十年以前に自然治癒していたのではなかろうかとかんがえるようになり、そういう意味のことを手紙で阪井へ報告しますと、翌日、阪井からすぐ来るようにという電話がありました。
 出掛けて行ってみると阪井はいらいらしたようすで書斎に待っていて、わたしが椅子にかけるかかけないうちに、
「君の報告は読んだ。小松の気狂いがなおっているのではないかという疑念は、おれも早くから持っていたんだ。最初に感づいたのは北山ですぐ巴里へ電報をうってよこした」
「どんなことがあったんだね」
「小松がひと晩のうちに白髪になってしまったという電報だった」
「それであの時あわてて日本へ帰ったというわけか」
「そうだよ。しかし正気になったものなら訴訟でも起して正当の権利を主張するのが当然で、気狂いの真似をしてとぼけていなければならないわけはないんだからね。それでそのままずっと変化がなかったんだが、去年の暮、君が家へ来るすこし前、鮎子がとつぜん霊感をうけた。やはり小松は癒っていて、われわれに復讐する機会をじっと待っている、とそういう見神なんだ。知っているように鮎子の霊感は的確だからね。それでおれが行ってようすを見たが、どうもよくわからない。そこへいいぐあいに君が飛びこんで来てくれたので、君に診察を依頼したというわけだったんだよ。ともかく、小松が癒っていることは事実なんだね」と早口にまくしたてました。
 わたしは学問的な興味で、深くもかんがえずに阪井へ報告したわけでしたが、阪井のクルエルな人相を見ているうちに、これは下手なことをすると小松の運命を悪く変えることになるかも知れないと急に不安になって、
「ちょっと待ってくれ。そうかんたんにきめられてもこまる。あんなものは報告でもなんでもありはしない。エッセエぐらいのところだ」というと、阪井はそっぽを向いてなにかかんがえていたが、急に振り返ってじろりとわたしの顔をみると、
「なにかおれに隠していることがあるんじゃないのか。君がもしそういう態度をとるならわれわれの仲はおそろしく気まずくなると思うんだが」
「それはどういう意味だい」
「どういう意味? とぼけてはこまる。君は性格学の大家なんだからおれがどんな人間かよく知っているはずだ。隠すには及ばない」
「そんなことをいうところをみると、やはりあのとき君が小松をやったんだね。小松が幕の中に倒れこむ前、ぎくっと頭をのめらしたが、つまりあれは幕越しに棒かなにかで小松の頭を叩いたんだろう。それにしても、どんなふうにして下手から上手へ行ったのだ」
「わけないさ。窓の外に、人が一人通れるだけの蛇腹バラベットが廻っている。みなが決闘に夢中になっている間に下手の幕のうしろの窓から出て上手の窓から入り、ハムレットが幕へもたれるのを待っていたんだ」
「小松の財産をとるつもりで、はじめから計画してやったことだったんだな」
「そうだよ、相当長く研究した。あんな馬鹿が五百万円の財産と美しい許嫁いいなずけをもち、おれのような優秀な人間がただの千円の資産もないというのはどうかんがえても不合理だからね。それにあいつは本さえ読んでいればいい男だが、おれは遊ぶことと贅沢がすきだからいくらだって金がいるんだ」
「すると琴子さんも同腹だったんだな」
「もちろんそうだ。王妃の椅子は王座のすぐとなりにあるんだから、琴子が同腹でなければあんな芸当ができない、小松は知らなかっただろうが、われわれはあの事件の一年も前から関係ができていたんだ」
「それで、いったいおれになにをしろというんだ」
「話が早くていい。つまりさ、気狂いがほんとうになおっていたら、君の手でうまく小松を始末してもらいたいんだ。あいつに財産返還の請求をされたらわれわれはその翌日から無一文にならなければならない。それではまったくやりきれないからね。弁護士だの弁理士だのといううるさいやつが近づかないようにこの二十八年ずっと北山を見張りにつけてあるが、どんな方法で外部と通信しないともかぎらないからね。どうだ祖父江君、やらないかね。条件はいいんだぞ。財産の五分の一はだまって君にあげる。もちろん鮎子もやる。そのへんで手をうたないか」というのです。わたしはゆるしがたい気持になって、
「年をとって無精ぶしょうになったな。二百人もの見物を前において手際のいいところを見せた君なんだ。おれなんかに頼むよりさっさとじぶんでやったほうが楽だろう」といいますと阪井はせせら笑って、
「おれは小松の頭を叩いたが、突き落したおぼえはない。小松がひとりで落ちていったんだ。そのへんのところを誤解のないようにたのむ。いったいおれは良心の力を信じるから人殺しだけは絶対にやらないことにきめている。盗人も割に合わない商売だが、世の中の人を殺すぐらいくだらないことはない。どんな仕事でも人殺しの苦い味がつくとたちまち趣味が下落してしまう。おれは快楽のために小松の財産をとったのだから、じぶんでたのしみを半減させるような馬鹿はしないのだ」
 阪井はむかしから均衡のとれた常識をもち、どんな場合でもけっして昂奮しないことはわたしも知っていましたが、これほど徹底した悪党だとはその日までいちども考えたことはなかったのです。
「人殺しは、いつも他人にやらせることにきめておけば、君の良心は終生痛まない理屈だが、すこし虫がよすぎはしないかね。君のほうはそれで都合がよかろうが、おれのほうは浮かばれない。おれにだって良心のかけらくらいはあろうというもんだからな」というと、阪井はゆっくりと葉巻の灰を落しながら、
「祖父江君、落着いてよくかんがえてみたまえ……いったい生きているより死んだほうが幸福だという種類の人間はたしかにいることはいるんだ。ことによれば当人ももう生きていたくないと思っているのかも知れない。ただ勇気がないばかりに自殺することができないんだ。助けてやる気はないか。しかし、君がいやなら北山がやる。そのほかにだってやりたいやつはいくらでもいる。場合によれば琴子だって一服盛るぐらいのことはやってのけるさ」というと急にわたしの手をとって、「祖父江君、鮎子がかわいそうだ。あいつはほんとうに惚れている。出来るなら君にもらってもらいたい……しかし、いくら鮎子がかわいそうだからといって、いつ敵に廻るかわからないような人間のところへたった一人の娘をやる気はない。おれが君にハムレットを殺せというのは、君でなければハムレットを殺せないというのではない。君もおれのような弱味を持ってくれといっているのだ。しゅうとおびやかすような出過ぎた真似をしないように、君もひとつ泥にまみれてくれというのだ……返事はすぐでなくてもいい。まあ明日までゆっくりとかんがえてもらおう」
 といいたいだけのことをいうと、のっそり書斎から出て行ってしまいました。
 それから三日ほどのち、ハムレットの居間の書棚を整理していますと、そのうしろの壁に丹念にナイフで彫りつけたみょうな数字を発見しました。

「大脳」を表す記号と日付のメモの絵

 数字だけではなにごとも説明してくれませんが、数字の頭についている符号を見るとこれはなにを意味するかわけなく了解されるのです。ご承知のことでしょうが、このみみずのような形のものはエジプトの古代生理学で「大脳」をあらわす記号だからです。
 ハムレットの精神錯乱はすでに十年前に自然治癒していたことはこれでもう疑う余地のないことになりました。つまりハムレットは一九三五年の二月中に正気にかえり、記念のためにその日付を彫りつけておいたのです。日数のところが0になっているのは、何日から正気だったのか日の境界がじぶんにもはっきりしなかったためでしょうが、いろいろの事情からおすと、ハムレットの意識の目覚め……正覚は夜中から朝までの間であったろうと思われるふしがあります。
 ハムレットの正覚は厚い雲の中から月が顔をだすように非常に徐々に緩慢かんまんに進行して、正常な自意識に到達するまでには相当な時間がかかったのでしょうが、意識が正常のしきいに達したとき、ハムレットはタイツを穿いて剣をさげているじぶんの阿呆なすがたに気がつき、意味をつかめずに茫然としていたにちがいありません。さてその時期がすぎ、この疑問を解決するためにたいへんな努力をしたのち舞台でレーヤーチーズと決闘した私演会の記憶をたぐりだし、じぶんはその日のまま相当に長い年月の間気がちがっていたらしいということ、だれかが幕の向うから強く頭を叩き、それが狂気の発端になっているということ、じぶんはいまもなにか容易ならぬ危険の中にいるのだということ、そうして事件の真相を十分に見きわめるまでは突然の正覚をひとにさとらせぬほうがいいというところへ到達したのでしょう。ハムレットの正覚が夜中から朝までの間にはじまったであろうというのはつまりはこのことなので、これが昼だったら敵にたいする身構えができないうちに北山にいろいろな質問をし、相手にはっきりと正気をさとられてしまったろうと思われるからです。これはハムレットの運のいいところで、同時にまたハムレットが非常に沈着で冷静だったことを証拠だてています。
 こうしてハムレットは、北山と綣村へそむらのちょっとした会話から、看護夫の不用意なおしゃべりから、長い間忍耐強くすこしずつ材料を掻きあつめ、組みたて、けっきょく阪井がじぶんの財産を横領し、狂するばかりに愛していた琴子さんを奪うために、こういう境遇へつき落した、この事件の惨憺さんたんたる事情をはっきりと見きわめることができたのでしょう。
 ハムレットにとって正覚はよろこびではなく、苦い、索漠さくばくたるものでした。覚醒かくせいしてみると、じぶんはもう四十四歳……財産も愛人も叔父にうばわれ、体力は衰え、能力は退化し、人間並の生活をすることさえおぼつかないのに、友もなく知人もない孤独無力なじぶんが阪井を相手に争うなどということはかんがえるさえ無意味であるばかりか、じぶんが正気になったと知ったら阪井はたぶん生かしてはおくまいが、じぶんが気狂いであるかぎり、生活と生命の心配はない。もうどうすることもできない。北山や綣村を相手にして気狂いの真似をしながら生涯を終ることにしよう……この諦観ていかんに達するまでにハムレットはどれほど懊悩おうのうしたことか。一夜のうちに白髪になったというのはたぶんこのころのことだったのにちがいありません。壁に彫りつけた日付の彫の深さを見ていると、この数字の一つ一つにどれほどの涙がしたたったか、そのときの小松の悲嘆と苦悶のさまが目に見えるようでした。
 それからまた二日ばかりたった夕方、いつものように夜の水瓶を持ってハムレットの居間へ行きますと、ハムレットは窓ぎわの書見台で立ったまましずかに読書していました。だんだん暮れかけてきて蒼茫そうぼうたる夕闇の中にハムレットの顔と本の頁だけがくっきりと白く浮きあがり、詩人的な風格をもった憂鬱な横顔にあるかなしかの余光が戯れていました。それにしてもこの男はなんという穏やかな眼差をしているのでしょう。小児の眼のように無心で、修道僧のそれのような限りない忍辱にんにくの影を宿しています。財産も、愛人も、この世のさまざまな愉楽も、人間としての権利も不当不条理に剥奪はくだつされ、かつて前例のないほどの道化た待遇を受けながら、悶えもせず、嗟嘆さたんもせず、見るからに閑寂かんじゃくな生活を送っています。わたしは小松のそばにいると、精神が高められ、魂が浄められるような清々すがすがしい気持になることをすこし以前から感じていましたが、この立派な立像をながめているうちに、いったいそれはなになのか、北山がみょうな親和力といったものの正体がぼんやり掴めるような気がしました。
 水瓶を側卓そくたくの上に置き、夕食の仕度をするためにひきさがろうとしますと、ハムレットがだしぬけにこちらへふりむいて、「のうホレーショー」とわたしに呼びかけました。わたしはおどろいて、
「これはしたり、御前、手前はローゼンクランツにござります」というとハムレットは首をふって、
「いやいや、おぬしはホレーショーにちがいないよ。よほど以前、演劇を演じた折、おぬしをホレーショーと呼んだおぼえがある。はて、おぬしは忘れたか」
 こんなことをいうと、じぶんの正気を自白しているようなものなので、小松にとって、これほど危険な表現はないわけなので、小松ほどの周到な男が、どうしてこんな不用意なことをいいだすのかとわたしはむしろ当惑して相手の顔を見ていますと、ハムレットはなんともいいようのない優美なしぐさで、
「ホレーショー。おぬしこそはわしが交際まじろうた人のなかの真の君子人じゃ」
「はて、これは」
「ああ、いや、追従ついしょうとばかし思うまい。わしのこの心が物を選りわくる主となって、人の性をく見別くるようになってからは、おぬしに無上という印をした」
 シェークスピアの「ハムレット」では、ホレーショーはハムレットのこの世のただひとりの味方、心の友、無二の親友として登場するのですが、これはわたしにたいするハムレットの心からの信頼と愛情の表現だと感じ、孤独の悲哀の海に漂流しながらわたしに手をさしのべるこの不幸な男を、どんなことがあっても見捨てまいとこころに誓いました。
 いままでは鮎子の愛情にひかされて、阪井の悪事に黙会もくかいしているような気味合いもないではありませんでしたが、こうなった上は敢然と阪井と決闘するほかはなくなりました。裏切りを宣言した瞬間からわたしの生命はたちまち危険にひんするわけですが、阪井の扶持ふちから離れるとたちまち無一文になってしまうこのわたしが、廃人同様の男を抱え、どういう武器で阪井を斬り伏せるのか、しかし、なにがなんでもやりぬくほかはないと、夕暮の窓にたたずみながら心はむらむらと燃えたつばかりでした。
 その翌日、夕方の六時ごろ、阪井からすぐ来るようにという電話がありました。たぶんこの間の返事を求めようというのでしょうが、阪井に決闘を申しこむにはちょうどいい機会だとすぐ赤坂へ出かけて行きますと、阪井は琴子と鮎子の三人連れでついさっき落合に行ったという挨拶なのです。
 かんがえてみると、阪井ほどのやつがいつまでも便々べんべんとわたしの返事を待っているはずはない。わたしをハムレットからひきはなしたのはいよいよ今日なにか直接行動にとりかかろうというのにちがいない。あわてふためきながら落合へとってかえし、急いでハムレットの居間のほうへ行きかけますと、クローデアス王に扮装した阪井が琴子の妃と鮎子のオフィーリヤをつれて長い廊下のむこうから戻ってきてわたしのそばまでくると、
「祖父江君、君を待っていても仕様がないから、われわれだけできょうつまらない実験をやってみたのだよ」と含んだようなことをいいました。話を聞いてみると、鮎子は年も顔も身丈も、私演会のころの琴子とそのままなので、だしぬけにハムレットに逢わせて、動揺させて正体を見あらわそうというのだったのです。鮎子が春の霞のような白い寛衣ブザンの裾を長々とひき、手に野草の花束を持ち、ちょうど王座のそばのオフィーリヤの等身像そっくりな扮装をしているのは、なるほどこういうわけだったのかとはじめて了解しましたが、阪井の不機嫌な顔をみると、この心理試験はたいして効果をあげず、けっきょくのところ、またしてもハムレットの智力の勝利になったのだと推測され、なんともいえぬほど痛快でした。阪井はいくらかまじめな顔つきになると、
「祖父江君、おれは君のやりかたに非常に腹をたてているんだよ。なぜそんなに感傷的になるのかしらないが、くだらないことをかんがえずに、おれがいったとおりにやりたまえ。もう一度だけ君にチャンスをやる」とそういうと琴子と二人で本館のほうへ行ってしまいました。鮎子は花束の匂いをかぎながらじろじろとわたしの顔を見ていましたが、「ねえ、ハムレットは正気なの狂気なの。たったひとことでいいからいってちょうだい。ね、ね」といってわたしの首に手を巻きつけました。わたしは相手にする気もなく、「そんなことはマリウスの霊に聞け」とつっぱねますと、鮎子は案外平気な顔で、「そんならそれでもよくってよ。あたしトリックを使って、かならず尻尾をつかまえてみせるわ」というと、寛衣ブザンの裾をひきずりながらゆうゆうと行ってしまいました。
 鮎子のトリックというのはどんなものか見当がつきませんが、阪井の一家が落合へ泊りこんでいる間いつどんなことをするかまったく油断がならないわけなので、わたしはじぶんの部屋へ帰ってひと眠りし王座の高い背板のうしろに隠れて監視しているうちに、ちょうど夜の一時ごろ、ハムレットが影のように謁見室えっけんしつへ入ってきて、オフィーリヤの等身像の下にうずくまっていましたが、
「おれはいったいどういう星の下に生れたのだろう」とつぶやくようにいうと、さすがに感傷にたえぬらしく、沈んだようすで居間へ帰って行きました。
 小松ほどの沈着な男でもやはり取り乱すこともあるのだと思い、やるせない気持で王座の背板を撫でていますと、オフィーリヤの像が微妙に身ぶるいをしはじめました。おどろいて見ているうちに、白いもすそがひとゆれゆらりとゆれたと思うと、すらすらと台座から降りてきてわたしの前へ立ちはだかり、
「とうとう聞いてやったわ」
 というなり、とつぜん身をひるがえして本館へつづく廊下のほうへ駆けて行ってしまいました。
 鮎子がトリックといったのはつまりこのことだったので、オフィーリヤの像の代りにじぶんが台座の上に立っていて、深夜のハムレットの行動をこっそり見てやろうということなのでした。
 わたしはあっけにとられて廊下のほうを見やっていましたが、いまならまだなんとか運命のずれを食いとめる方法もあると思い、急いで本館へ行ってみますと、鮎子は酒棚の前で立ったままちびちびとヴァイオレットを飲んでいました。わたしはつとめておだやかな調子をつくりながら、
「やられたね、おれの負けだよ、もう観念した」といいますと、鮎子はにやりと笑って、「こんなことをするのも、あなたとお別れしたくないからなのよ。こんなにまで惚れてしまったあたしを、すこしはかわいそうだと思ってちょうだい」
「思うよ」
「なんといっても、あたしははっきり見とどけてしまったんですからあなたも観念して、父のいうとおりになってくれない。わたしからはなにもいいませんから、あなたいいぐあいに報告して機嫌をとってちょうだい。父に逆らうことだけはやめなさい。あなたが死ぬのを見るのはいやよ」
「だから観念したといっているじゃないか、よくわかった。君のいうとおりにしよう。これで話がきまったんだから、おれにも一杯くれないか」というと、鮎子はうまい手つきでフィーズをつくってわたしの前へ置きました。
 わたしは鮎子と別れると、鮎子のいうことなどを信用して安心していたらどんなことになるか知れたものではない、ともかく今夜のうちにハムレットを連れて逃げるほうがいいと思いながら謁見室の入口まで来ると、どうしたのか急に耐えがたい倦怠を感じて壁に凭れたと思うと、そのままずるずるとそこへ崩れおち、そのとき空襲警報のサイレンを聞いたと思いましたが、それっきり意識を失ってしまいました。
 それからどれほどたったのか、ふと眼をあくと、わたしはさっきのまま座に向いた謁見室の入口の側廊アイルに倒れていて、眼も見え、耳も聞こえるのですが、全身がしびれたようになって身動きすることも声をだすこともできません。どうしてこんなことになったのだろうとかんがえつめて行くと、さっき鮎子がいきなり駆けだしたのは、当然わたしが追いかけてくるのを予想して酒棚の前へおびきよせ、余計な手だしができないような状態で転がしておくために、たぶんマンダラゴラかなにか、そういった種類のものを盛ったのだとわかりました。
 わたしは文字どおり手も足も出なくなって、丸太のようにぶざまに寝ころんだまま漠然と天井をながめていましたが、謁見室に人のけはいがするようなので眼をうごかしてそのほうをながめますと、ハムレットが王座に坐り、その下に阪井と鮎子と琴子が会議でもするように影のように黒々と掛けているのが見えました。なにがはじまるのだろうと耳をたてていますと、長い沈黙ののち阪井の声で、「君の不幸は宿命というもので、君が生れたとき、すでに身につけて来たものなんだよ。おれという人間がどんな力を持っていたって、こうまで完全に君を不幸にすることができるもんじゃない」
「おれにしたって君にそんな力があるとは思っていない」
「わかってもらえば幸福だが、君とわれわれの一家は、とうてい両立しない星のめぐりあわせになっているんだね。どうせいままで君は不幸だったのだから、ついでにもうすこし不幸になって、われわれの一家が安心して生活できるようにしてくれないかね」
「どうすればいいんだ」
「君がもう一度気狂いになってくれるといちばんいいのだが、それができなかったら死んでくれるわけにはいかないか」
「僕は財産なんかに未練はないから、とりかえそうなどと思っていない。それは誓ってもいいのだが、それではいけないのか」
「それではやはり困る。いつ君の気持が変るかわからないし、安心できるわけのものではなかろうじゃないか」
「ではどうしてもおれを殺すというのか」
「とんでもない。おれにしろ、琴子にしろ、また鮎子にしろ、君を殺そうなどとかんがえている人間はここには一人もいない」
「どうもよくわからない」
「じぶんで死んでもらいたいといってるんだよ。それも、血だらけになったり、われわれの眼の前で苦悶したり、このへんへ死骸を投げだしておいたりしてはこまる。贅沢をゆるしてもらえるなら、なるたけ美的にわれわれにすこしの悪い印象も残さないように、消えるように死んでもらいたいんだ」
「そんなうまい方法があるのか」
「わけはないさ、君がじぶんで防空壕へ入って、『おれはもう死んだ』と中から声をかけてくれ。そうすれば、われわれ三人はよろこんで君の墓に土を掛けるお手伝いをする。君の注文どおりに、丸くでも三角にでも好きな形に土を盛ってあげる」
「防空壕が墓になるとは、戦時らしい趣向だね」
「あの防空壕は君の墓のつもりで掘ったのではない。そういう事情はその後に起きたものだ」
「もしおれがいやだといったら」
「君はいやだとはいうまい。この戦争の成行きから見て、君のような状態で、これからさき生きのびると、いよいよ不幸を深めるばかりだということを、君はよく知っているからだ」
「それは君のいうとおりだ」
「わかってくれてありがとう。小松君、おれは君の墓をつくり終ったら、不幸な君の一生に心から同情できるようになるだろう。おれと君ほどの悪因緑はこの世にすくないだろう。おれは涙が出るよ」
 すると琴子の声で、
「顕正さん、あなた死んでください。おねがいするわ」
 こんどは鮎子の声で、
「あなたが死んでくだされば、いちばん幸福になるのがわたくしなんですから、生きているかぎり、いつも思いだして感謝するわ」
「こうなると、なんだか死ぬことも楽しくなってきた。では死のう」
「ようやく決心してくれたか。急がせるようで悪いが、もうまもなく二時だ、そろそろとりかかってくれないか」
「死ぬ前に、この道化た服をぬいでさっぱりしたいもんだ。背広はないかね」
 琴子の声で「そのへんに北山のスーツがあるはずよ。探してくるわ」
 まもなく鮎子の声で、「よくお似合になってよ。お若くなったわ」
「ありがとう。じゃ、行くよ」
「いいころにわれわれが行く」
 小松が硝子扉ケースメントをあけて庭へ出て行きました。それから十分ほどすると阪井が、「おい、ショベルは出ているか」とたずねますと、琴子の声で、
「ええ、三本出してあります」とこたえました。「もういいでしょう。そろそろまいりましょうか」
「ああ、行こう」といって一本ずつショベルをかついで庭へ出て行きましたが、防空壕のそばへ行くと阪井が大きな声で、
「小松君、君はもう死んだかね」と声をかけました。防空壕の中から、
「ああおれはもう死んだよ」
 と小松の返事がかすかにきこえました。
 駒込のほうでうなっていた編隊の爆音がだんだんこちらへ近づいてきましたが、三人はそんなことには頓着なく、せっせと防空壕の中へ土を投げこみはじめました。薄月うすづきの光を浴びながら影のように動いている三人の姿はまさにこの世のものとは思われませんでした。そこへ防護団の制服を着た連中がどやどやと駈けこんできました。
「阪井さん、小滝橋のあたりへ爆弾が落ちました。あぶないから気をつけてください」
「ご苦労様、これが終ったら待避します」
 防護団の連中はなんということなくそこへ立って三人のすることを見ていましたが、現在じぶんたちの眼の前で、こんな残忍な埋葬が行なわれていることに、一人として気がつくものはありませんでした。わたしは側廊アイルに寝たまま大きな声で、
「そこでいま人が埋められている」と叫ぼうとしても声がでないのでした。

 ちょうど午前二時だった。壁煖炉シュミネの薪は勢いよく燃え炉辺のひとの顔を赤く染めあげた。窓のそとには濃い霧が流れ、庭の桃葉珊瑚ておひばの黒い枝が水に洗われるように見えたり隠れたりした。J伯爵がいった。
「阪井のひどい最後は、わたしも聞いて知っています。掴み裂かれたように、股から真二つに裂けて死んでいたそうですね。それでハムレットはどうなったのですか」
「防空壕のそばへ爆弾が落ちると、爆風と地動で土盛が崩壊し、ハムレットが中からとびだしてしまいました。お前はまだ死ぬ必要はないといって、いったん受け取ったものを地獄の番卒が投げかえしてよこしたといったふうでした」
「わたしはそう感じたのですが、このお話にはたぶんに宗教的な味がありますね。『黙示録』の現代訳といったような」
 祖父江は微笑しながらうなずいた。
「……さて、神は大いなる魚を用意してヨナを呑ませたまえり、という章句は美しいですね。摂理というものは、機械の組織のように、抜目なく出来ているものだと、わたしもこのごろ信じるようになりました。ただし地獄がハムレットを投げかえしてよこしたことは、ハムレットにとって、幸福なのか、不幸なのかわたしにはまだわかりかねています」





底本:「怪奇探偵小説傑作選3 久生十蘭集 ハムレット」ちくま文庫、筑摩書房
   2001(平成13)年4月10日第1刷発行
初出:「新青年」
   1946(昭和21)年10月号
※「J子爵」と「J伯爵」の混在は、底本通りです。
入力:冬木立
校正:芝裕久
2020年3月28日作成
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