母子像

久生十蘭




 進駐軍、厚木キャンプの近くにある、聖ジョセフ学院中学部の初年級の担任教諭が、受持の生徒のことで、地区の警察署から呼出しを受けた。
 年配の司法主任が、知的な顔をした婦人警官を連れて調室に入ってきた。
「お呼びたてして、恐縮でした」と軽く会釈すると、事務机を挟んで教諭と向きあう椅子に掛けた。尾花が白い穂波をあげて揺れているのが、横手の窓から見えた。
「こちらは少年相談所の補導さん……この警察は開店早々で、少年係がおりません。臨時に応援にきてもらったので、事件を大きくしようというのではありませんから、ご心配のないように」
「司法主任のおっしゃるとおり、私どもは、たいした事件だと思っておりませんの。廃棄した掩体壕えんたいごうのなかに、生憎と進駐軍の器材が入っていた関係で、やかましいことをいっておりますが、器材といっても、旧海軍兵舎の廃木なんですから、ちょっと火をいじったぐらいのことで、放火のどうのと騒ぐのはおかしいですわ……ですから、理由はなんだっていいので、あそこでギャングの真似をしていたとか、キャンプ・ファイヤをやろうと思ったとか、書類の上で、筋が通っていればすむことなんですが、石みたいに黙りこんでいるので、計らいようがなくて、困っておりますの」
「私のほうでも、これ以上とめておきたくないのですが、書類が完結しないので、返すわけにいかない……先生はクラスの担任で、本人の幼年時代のことも知っていられるそうですから、家庭関係と向性の概略をうかがって、それを参考にして適当な理由をこしらえてしまおうというので……」
「いろいろとご配慮をいただきまして、ありがとうございました」
 教諭が丁寧に頭をさげた。
「では、さっそくですが」。婦人警官が机の上の書類をひきよせた。
「和泉太郎、十六年二ヵ月、出生地はサイパン島……聖ジョセフ学院中学部一年B組、アダムス育英資金給費生……父はサイパン支庁の気象技師で、昭和十五年の死亡。母は南洋興発会社の内務勤務。戦災による認定死亡、となっております……本人のほうですが、十六年二ヵ月で、中学一年というのは、どういうわけなのでしょう。学齢にくらべて、だいぶ進級が遅れているようですが」
「あの子供は、終戦の年の十月に、戦災孤児といっしょにハワイに移されて、ホノルルの有志の後援で、八年制のグレード・スクール……日本の小学校にあたる学校に六年いて、今年、二十七年の春、学院の中学部に転入してきました。学齢からいえば、三年級に入れるところですが、日本語の教程が足りないものですから」
「アダムス育英資金というのは」
「資金というようなものではありませんが、便宜上、そういった名称をつけているので……アダムスというのは、ハワイ生れの二世の情報将校で、サイパンで戦災孤児の世話をしていましたが、将来、神学部へ進むという条件で、五人ばかりの孤児に、ひきつづいて学費を支給しているのです。学院では三人預っております」
「父は本人の四歳のときに死んでおりますから、ほとんど記憶がないのでしょう。母というのは、どういうひとですか」
「東京女子大を出た才媛で、会社のデパートやクラブで働いている女子職員の監督でしたが、その後軍の嘱託になって、「水月」という将校慰安所を一人で切りまわしていました。非常な美人で……すこし美しすぎるので、女性間の評判はよくなかったようですが、島ではクィーン的な存在でした」
「慰安所の生活というと、これはもう猥雑なものなのでしょうが本人はそういう環境で生長期をすごしたのですね」
「いや、そうじゃないのです。いまもいいましたように、すこし美しすぎるので、なにかと気が散って、子供なんか見ていられないいそがしいひとなので、独領時代からいるカナカ人の宣教師に預けっぱなしにしてありました」
「すると、悪い影響はたいして受けていないのですか」
「そのほうの知識は全然欠如していて、あの齢の少年なら誰でも知っているようなことすら、ほとんど知りません。一例ですが、映画を見たことがない。映画については、幻燈がうごく、という程度の概念しかもっていないのです。バイブル・クラスの秀才といったところで、日常を見ていると子供にしては窮屈すぎるようで、かえって不安になるくらいです」
「考課簿の操行点も「百」となっていましたが、でもねえ、先生、私どものほうには、まるっきり反対な報告がきているんですよ。こんどの事件は別にして、かんばしくないケースが相当かさなっています……五月三日の夜、本人は女の子の仮装で……セーラー服を着て、赤いネッカチーフをかぶっていたそうですが、そういう格好で、銀座で花売りをしているところを、同僚につかまって、注意を受けております……こちらの地区では、基地のテント・シティの入口でタクシーをとめて待っていて、朝鮮帰りの連中を東京へ送りこむ……ポン引そっくりのことをしていますわ。それから、最近、泥酔徘徊が一件あります。十月八日の朝の六時前後、相模線の入谷駅の近くの路線をフラフラ歩いていて、あぶなく初発の電車にひかれるところでした」
 一座が沈黙して、しばらくは枯野をふきめぐる風の音だけが聞えた。
「先生は長いあいだ本人を見ていらしたのですから、おっしゃるような子供だったのでしょう」
 婦人警官が慰めるような調子でいった。「つまり、最近になって急に性格が変った……原因はなんであるか、想像がつきませんが、やっていることの意味は、いくらかわかるような気がします。女になってみること、泥酔してみること、ポン引の真似をしてみること、火気厳禁の場所で火いじりをすること……表れかたはそれぞれちがいますが、禁止に抵抗するという点で、通じあうものがあるのですね……本人には、なにか煩悶があるのではないでしょうか。たとえば、過去の思い出に不快なものがあって、無意識に破壊を試みているといったような……そういう点で、お気づきになったことはありませんか」
 教諭はうなずきながらこたえた。
「ご参考になるかどうか知れませんが、こういうことがありました。あれは母の手にかかって、殺されたことのある子供なんです。麻紐で首を締められて、島北しまきたの台地のパンの樹の下で苔色になって死んでいました……それにしても、ほどがあるので、首が瓢箪になるほど締めあげたうえに、三重に巻きつけて、神の力でも解けないように固く駒結びにして、おまけに、滑りがいいように麻紐にベトベトに石鹸が塗ってあるんですね……むやみに腹がたって、なんとかして助けようじゃないかということになって、アダムスと二人で二時間近くも人工呼吸をやって、いくらか息が通うようになってから、ジープで野戦病院へ連れて行きました……サイパンの最後の近いころ、三万からの民間人が、生きて捕まったらアメリカ人に殺されると思って、親子が手榴弾を投げあったり、手をつないで断崖から飛んだり、いろいろな方法で自決しましたが、そういうのは親子の死体が密着しているのが普通で、子供の死体だけが草むらにころがっているようなのは、ほかには一つもありませんでした」
「これはどうも、辛い話ですな」。司法主任が湿った声をだした。
「母親に首を締められて殺されたという思い出は、戦争というものを考慮に入れても、子供としては、たいへんな負担でしょう。そのときのショックも、相当あとまで残るでしょうし」
 教諭が椅子から腰をうかしながらいった。
「あれは、どこにおりますか。こんどの事件はどういうことだったのか、よく聞いてみたいと思うのですが……気のついたこともありますから」
「かまいませんよ、どうぞ……いまご案内します」
 どうぞ、こちらから、と婦人警官が左手の扉を指した。
 太郎は保護室といっている薄暗い小部屋の板敷に坐って、巣箱の穴のような小さな窓から空を見あげながら、サイパンの最後の日のことを、うつらうつらと思いうかべていた。
 薄暗い部屋のようすが、湿気が、小さく切りとられた空の色が、圧しつけられたような静けさが、熱の出そうな身体の疲れが、洞窟にいたときの感じとよく似ている。洞窟の天井に苔の花が咲き、岩肌についた鳥の糞が点々と白くなっていた。洞窟の口は西にむいてあいているので、昼すぎまでじめじめと薄暗く、夕方になると、急に陽がさしこんできて、奥のほうに隠れている男や女の顔を照らしだした。
 骨と皮ばかりになった十四、五の娘が、岩の窪みに落ちた米粒を一つ一つひろっては、泥をふいて食べている。そのむこうの気違いのような眼つきをした裸の兵隊は、オオハコベを口いっぱいに頬ばり、唇から青い汁を垂らしながらニチャニチャ噛んでいる……そういう人間のすがたも、間もなくまた薄闇のなかに沈む。そうして日が暮れる。
「そろそろ水汲みに行く時間だ」
 太郎は勇みたつ。洞窟に入るようになってから、一日じゅう母のそばにいて、あれこれと奉仕できるのが、うれしくてたまらない。太郎は遠くから美しい母の横顔をながめながら、はやくいいつけてくれないかと、緊張して待っている。
「太郎や、水を汲んでいらっしゃい」
 その声を聞くと、かたじけなくて、身体が震えだす。母の命令なら、どんなことだってやる。磯の湧き水は、けわしい崖の斜面を百尺も降りたところにあって、空の水筒を運んで行くだけでもクラクラと眼がくらむ。崖の上に敵がいれば容赦なくねらい撃ちをされるのだが、危険だとも恐ろしいとも思ったことがない。水を詰めた水筒を母の前に捧げると、どんな苦労も、いっぺんに報いられたような深い満足を感じる。
「あれは幾歳いくつのときのことだったろう」
 ある朝、母の顔を見て、この世に、こんな美しいひとがいるものだろうかと考えた。その瞬間から、手も足も出ないようになった。このひとに愛されたい、好かれたい、嫌われたくないと、おどおどして、母の顔色ばかりうかがうようになった……。
 太郎は頭のうしろを保護室の板壁にこすりつけながら、低い声で暗誦をはじめた。
「旅人よ……行きて、ラケダイモンに告げよ……王の命に従いて……我等ここに眠ると」
 最後の日の近く、母がひと句切りずつ口移しに教えて、いくども復唱させた。
「ラケダイモンというのは、スパルタ人のことなの……二千年も前に、スパルタの兵隊が、何百倍というペルシャの軍隊とテルモピレーというところで戦争をして、一人残らず戦死しました。その古戦場に、こういう文章を彫りつけた石の碑があったというんです……スパルタ人は偉いわね。あなただって、負けちゃいられないでしょう」
 母は親子二人のギリギリの最後を、歴史のお話と掏りかえて、夢のような美しいものにしようとしている。
「いよいよ死ぬんだな」とつぶやき、自分の死ぬところをぼんやりと想像してみた。眼の下の磯や、断崖の上から、親と子が抱きあったり、ロープで身体を結びあわしたりして、毎日、いく組となくひっそりと海に消えて行く。あんな風に母と手をつないで死ぬのだと思うと、すこしも悲しくはなかった。
 夕焼けがして、ふしぎに美しい夕方だった。母が六尺ばかりの麻紐を持って、太郎を洞窟の外へ誘いだした。
「多勢の人にみられるのは嫌でしょうから、外でやってあげます」
 首を締められて、一人で死ぬなどと考えたこともなかったが、あきらめて、母の気にいるように、うれしそうに身体をはずませながら、けわしい崖の斜面をのぼって行った……。
 婦警が迎いにきて、いつもの刑事部屋へ連れて行った。板土間のむこうの、一段高い畳の敷いたところにヨハネという綽名のある教師がいた。沖縄人で、サイパンにいるときは砂糖黍畑の監督だった。太郎が膝を折って坐ると、ヨハネはいつもの調子でネチネチとやりだした。太郎は神妙に頭を垂れたまま、板土間の机で書類を書いている警官の腰の拳銃を横眼でながめていた。
「あのピストルとおなじピストルだ」
 洞窟にいるとき、海軍の若い少尉が胴輪のついた重い拳銃を貸してくれたっけ。
「お前は女の子のセーラー服を着て、銀座で花売りをしていたそうだ」
 とヨハネがいった。
「大当り」
 と太郎は心のなかでつぶやいた。ヨハネでも、やはり言うときは言うんだな。女の子に化けたのは、たった一度だけだったのに、いったい誰から聞いたんだろう。あのときの婦警かしら。セーラー服を借りた、二年A組のヨナ子がしゃべったのかもしれない。
「お前は、他人の金で勉強するのが嫌になった。それで、自分で学費を稼ぎだそうと思ったんだね。先生は、お前の自主性にたいして敬意をはらうが、花売りをすることには、賛成しない」
はずれ」
 と太郎はまたつぶやいた。花売りの恰好はしていたが、花なんか売っていたんじゃない。ヨハネはなにも知らないのだと思うと、うれしくなってニッコリ笑った。
 母が銀座でバアをやっていることはホノルルで聞いていた。東京に着いた晩、すぐその店をつきとめた。子供が公然とバアに入って行くには、花売りか、アコーデオン弾きになるしかない。誰だってすぐ考えつくことだ。毎日曜の夜、ぼくは母の顔を見るために、花売りになって母のバアへ入って行った。八時から十時までの間に五回も入った。店があまり繁盛していないので、母は苛々していた。
「しつっこいのねえ。いったい何度来る気? うちには花なんか買うひと、いないのよ」
 と癇高い声で叱りつけた。その声が好きだった。いちどなどは、女給に襟がみを掴んでつまみだされた。それでもかまわずに入って行った。
「お前は、毎土曜の午後、朝鮮から輸送機で着くひとを、タクシーで東京へ連れて行った。アルバイトとしては金になるのだろうが、お前の英語が、そんな下劣な仕事に使われているのかと思うと、先生は情けなくなる」
 それは誤解……ぼくはアルバイトなんかしていたんじゃない。母のバアがあまりさびれているので、すこしばかり賑かにしてやったんだ。見えないところで、母の商売に加勢することで満足していたが、それはたいへんなまちがいだった。
 十月の第一土曜の夜だった。フィンカムの近くの、運転手のたまりになっている飲み屋へ車をたのみに行くと、顔馴染の運転手がこんなことをいった。
「あそこのマダムは、おめえのおふくろなんだろう。おめえはたいした孝行者なんだな。だがな坊や、おめえが送りこんだやつとおめえのおふくろが、どんなことをしているか、知ってるのか」
 太郎がだまっていると、その運転手は、
「知らなかったら、教えてやろうか。こんな風にするんだぜ」
 といって、仲間の一人を抱いて、相手の足に足をからませて、汚ない真似をしてみせた。
 太郎は母のフラットへ忍びこんで、ベットの下で腹ばいになって寝ていた。夜遅くなってから、太郎はげっそりと瘠せて寄宿舎へ帰ると、臥床バアスの上に倒れて身悶えした。
 汚ない、汚ない、汚なすぎる。人間というものは、あれをするとき、あんな声をだすものなのだろうか。サイパンにいるとき、カナカ人の豚小屋が火事になったことがあったが、豚が焼け死ぬときだって、あんなひどい騒ぎはしない。母なんてもんじゃない、ただの女だ。それも豚みたいな声でなく女なんだ。いやだ、いやだ、こんな汚いところに生きていたくない。今夜のうちに死んでしまおう。死にでもするほか、汚ないものを身体から追いだしてやることができない。
 太郎はロッカーから母の写真や古い手紙をとりだして、時間をかけてきれぎれにひき裂くと、炊事場の汚水溜へ捨てた。なにか仕残したことはなかったかと、部屋のなかを見まわしたが、しておかなければならないようなことは、なにもなかった。
「することなんかあるわけはない。ぼくには明日というのがないんだから」
 始発の電車が通る時間まで「ちょっと眠っておく」という簡単な作業のほか、自分の人生にはもうなにもすることがないのだと思うと、その考えにおびえて、枕に顔を埋めてはげしく泣きだした。
「果してお前は堕落した。酔っぱらって相模線のレールの上を歩いていて、電車に轢かれかかったそうだな。酒まで飲むとは、先生も思わなかった」
 半当り――酒なんか飲んでいなかったが、ぼくは酔っぱらっていたのかもしれない。夜が明けかけていた。ホームと改札口にパッと電灯がついた。間もなく始発が入ってくるというしらせだった。ぼくはサック・コートをぬいで草むらに投げだすと、レールの間にうつ伏せに寝て、電車がぼくを轢いてくれるのを待っていた。意外にも、電車は背中の皮にも触れずに通りすぎて行った。保線工夫がぼくを抱いてホームへ連れて行くと、駅員にこんなことをいっていた。
「上着を着ていたら、キャッチャー(排障器)にからまれて駄目だったろう。丸首シャツとパンツだけだったから助かったんだ」
 太郎はどうしても死にたいので、野分の吹く夜、厨房用の石油を盗みだして寄宿舎の裏の野原へ行くと、崩れかけたコンクリートの掩体壕へ入って、肩と胸にたっぷりと石油をかけた。何本かマッチを無駄にしたところで、ようやく袖口に火が移ったが、気力のない炎をあげただけで、風に吹き消されてしまった。いくどかそんなことを繰返しているうちに石油のガスにやられて太郎は気を失ってしまった。厨房ストーヴに使う新式のケロシン油は、いきなり火になるむかしの石油のような引火性がなく、じれったいような緩慢な燃えかたをするものだということを、太郎は知らなかった。
「どういう目的で、お前はアメリカの資材に火をつけようとしたのか。警察では、正直にさえいえばゆるすといっている。言わないと罪になるぞ」
 資材があったことなんか知らない。資材どころか、自分の身体に火をつけることすらできなかった。
「死刑にしてください」
 だしぬけに太郎が叫んだ。
「死刑にしてくれ、死刑にしてくれ」
 ヨハネは、
「まア静かにしていろ」
 といって、部屋から飛びだして行った。気がちがったのだと思ったのかもしれない。
 死刑――こんなうまい考えが、どうしてもっと早くうかばなかったのだろう。なにかうんと悪いことをすれば、だまっていても政府がぼくの始末をつけてくれる……
 若い警官が入ってきて、バンドを解いて拳銃のサックを畳の上に投げだすと、
「疲れた」
 といって、どたりと上框にひっくりかえった。太郎は膝を抱いて貧乏ゆすりをしながら、眼の前にある拳銃をじっとながめていた。板土間の警官は、こちらに背中を見せて、せっせと書きものをしている……若い警官は、あおのけに寝て眼をつぶっている……
「いまなら、やれる」
 太郎はバンドの端をつかんで、そろそろと拳銃のサックをひきよせた。サックの留めをはずした。拳銃をぬきとって、音のしないように安全装置をはずすと、立ちあがっていきなり撃鉄をひいた。正面の壁が壁土の白い粉末を飛ばした。若い警官は板土間へころがり落ちた。机の前の警官は椅子といっしょにひっくりかえった。太郎は調子づいて、いくども撃鉄をひいた。
「この野郎、なにをしやがる」
 警官が起きあがって、そこから射ちかえした。鉄棒のようなものが太郎の胸の上を撲りつけた。太郎は壁に凭れて長い溜息をついた。だしぬけに眼から涙が溢れだした。そうして前に倒れた。





底本:「久生十蘭短篇選」岩波文庫、岩波書店
   2009(平成21)年5月15日第1刷発行
底本の親本:「讀賣新聞」
   1954(昭和29)年3月26〜28日
初出:「讀賣新聞」
   1954(昭和29)年3月26〜28日
入力:平川哲生
校正:富田倫生
2010年11月1日作成
2011年5月19日修正
青空文庫作成ファイル:
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