罪・苦痛・希望・及び眞實の道についての考察

フランツ・カフカ

中島敦訳





 眞實の道は一本の繩――別に高く張られてゐるわけではなく、地上からほんの少しの高さに張られてゐる一本の繩を越えて行くのだ。それは人々がその上を歩いて行くためよりも、人々がそれに躓くためにつくられてゐるやうに思はれる。


 すべての、人間の過失は、性急といふことだ。早まつた、方法の放棄、妄想の妄想的抑壓。


 凡ての他の罪惡がそこから生ずる根元的な罪惡が二つある。性急と怠惰。性急の故に我々は樂園から追出され、怠惰の故に我々はそこへ歸ることができぬ。併しながら、恐らくはたゞ一つの根元的な罪惡があるのみであらう。性急。性急の故に我々は追放され、又、性急の故に我々は歸ることができない。


 死んだ人々の影の多くは、死の河の波を啜ることにのみ沒頭してゐる。何故といつて、死の河は我々の所から流出してゐて、なほ我々の海の鹽の味がするからだ。かくして、河は、胸をむかつかせ、逆流して、死人共を再び生に掃きもどす。併し、彼等は狂喜し、感謝の頌歌を唱へ、そして、憤激せる河を抱擁するのである。


 ある點からさきへ進むと、もはや、後戻りといふことがないやうになる。それこそ、到達されなければならない點なのだ。


 人類の發展に於ける決定的な瞬間とは、繼續的な瞬間の謂である。此の理由からして、彼等の前のあらゆるものを、無なり、空なり、とする、革命的運動は正しい。何となれば、實際には何事も起らなかつたのであるから。


 惡魔の用ゐる最も有效な誘惑術の一つは爭鬪への挑戰である。それは女との鬪ひに似てゐる。所詮は寢床の中に終るのだ。


 Aはひどく自惚れてゐた。彼は、自分が徳性に於て非常な進歩を遂げたと信じてゐた。といふのは、(明らかに、彼がより挑戰的な人間になつたためであるが)彼が、今迄知らなかつた種々な方面から、次第に多くの誘惑が攻めてくるのを見出すやうになつたからだ。だが、本當の説明は、より強力な惡魔が彼を捕へ、さうして、より小さい惡魔共の宿主が、より偉大な惡魔に仕へるために走つて行つたといふことである。


 人間が、たとへば、一個の林檎について抱き得る觀念の多樣性。單に卓子の上にあるそれを見るためのみにも、その頸をのばさなければならない小兒の眼に映じた苹果と、それを取上げ、主人らしい品位をもつて客の前に差出す、一家の主人の眼に映じた苹果と。

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 智識發生の最初の徴候は、死に對する希求である。此の人生は堪へがたく見える。あるひは到達しがたく見える。人はもはや、死を望むことを恥としない。人は、彼の嫌ふ古い住家から、彼のなほ嫌はねばならぬ新しい住家へと導かれることを祷る。このことの中には、ある信仰の痕跡がある。その推移の間に、偶※(二の字点、1-2-22)しゆ」が廊下傳ひに歩いてこられて、この囚人を熟視し給ひ、さて、「此の男を二度と監禁してはならぬ。此の男は余の許にべきものだ。」とおほせられるかも知れない、信仰の痕跡がある。

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(以下缺)





底本:「中島敦全集 第三卷」筑摩書房
   1975(昭和50)年9月30日初版第1刷発行
入力:坂本真一
校正:米田
2011年5月7日作成
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