しかし、水垢のないところでも、鮎は育つ。田園の用水にも、溜池にも棲んで大きくなる。甚しいのになると、相州小田原在山王川のやうな溝川にさへ、盛んに鮎が溯上して来て育つてゐる。だが、水垢のない川に育つた鮎には香気がない。そして、肉がやわらかでおいしくないのである。鮎といふ形を備へてゐるのみで、食味としては劣等品である。
二寸、三寸の小さい頃は主として動物質の餌を食べてゐるが、溯上の途中に立派な水垢を発見すれば、それに食ひ馴染む。
大きな川の鮎は、それとは
若鮎であつても水垢を食べてゐるのと、ゐないのとでは味も異ふ。相模川にしたところが、厚木から下流の砂底や小石底の場所を通過してゐるのを、漁つて食べて見て、久保沢あたりから上流へ来た鮎に比較すれば、その味が劣り香気の低いのを感ずる。興津川の鮎は、海に接した川口附近で漁れた鮎でも、まことにおいしい。それは、早くから水垢をなめてゐるからである。奥利根川などは、六月へ入つてからも、下流から僅かに二三寸の小さな鮎が溯つて来る。形は小さいが味も香気も立派である。やはり立派な水垢を充分食つてゐるからである。
水垢は鮎の生命だ。
友釣でも、ドブ釣でも技術の真髄を
ドブ釣も鮎の食欲につけ込んだものだ。友釣も結局は、食料問題に絡らませて鈎といふ罠を仕掛けたものだ。ゴロ引や、引つ掛は別として鮎釣の正道を行くものは、食料問題を離れてない。殊に友釣に於ては、水垢の問題が大切である。ドブ釣でも水垢の研究は、ゆるがせにできない。鮎の最も好きな水垢が豊富に石についてゐるにも拘はらず、
餌のことに疑問を持てば
若鮎は原則として、岸に近いところを溯上するものである。沖上りをやることは甚だ稀である。岸といつても河原寄りを溯る。なるべく崖寄りを避けたがる。だから、鮎の上つた道筋を見ると、稲妻形即ち千鳥形をしてゐるのが普通である。そして、その通路の水際の石に水垢がついてゐれば、それをなめながら上つて行く。
友釣は、鮎の歯跡を見て釣れといふ言葉がある。だが、いつなめた歯跡であるかといふことが分らないでは、釣りにならない。鮎が幾十里といふ道程を、溯上しながら水垢をなめた跡を「上りなめ」又は「はたなめ」といつてゐる。これは、汀の石に小さな笹の葉のやうななめ跡が、縦横に錯綜してゐるから
しかもこれは、鮎が好んで岸近いところを溯上する習性を物語るもので、「はたなめ」の呼称が生れた
この川に鮎がゐるか、ゐないかを確かめるにはなめ跡を見るに限る。ところが汀に近いところに、なめ跡があるからこれはたしかに鮎がゐると思ひ込んで、釣つたところで掛るものではない。鮎は、そのなめ跡の附近にはゐない。遠く上流へ溯上してゐる。水垢を見ることに研究のつまない人は、「はたなめ」を「居付なめ」と誤認するものであるから、そこはよく注意せねばならないことだ。そして、溯上の道中にある鮎は、たとへ水垢についてゐても、居付鮎のやうに活溌には争闘をしないものである。忙しく次から次へと溯上してしまふ。
そこで「はたなめ」の多い年は、鮎の当り年だ、といふことができる。鮎の大群が汀を溯上する時は、必ず岸に近い石に口をつけて行く。「はたなめ」の多いのを見ると嬉しいものだ。これと反対に「はたなめ」が少いと、鮎は違ひ年だといふことが出来る。鮎が、沖ばかりを溯つて、岸近い石に歯跡を残さない場合もあるが、鮎の習性から見て、それは極めて稀なことである。
鮎のなめ跡と、誤認し易いなめ跡が汀の石にある。それは、どんこ(だぼはぜ、
「はたなめ」に対して「居付なめ」といふのがある。「居付なめ」の新しいのを発見すれば大いに釣れる。「居付なめ」は概して水の深いところに多い。岸に近いところにもないではないが、これは少くない。川が薄濁りに濁つた場合とか、夜間静かな時に出て来て岸に近いところに在る石をなめるのであるから、深いところで安心してなめてゐるのと違ひ歯跡がまばらの場合が多い。溯り鮎の「はたなめ」と居付鮎の「はたなめ」とは簡単に区別し得る。溯り鮎の「はたなめ」は歯跡が短かく小さいが、居付鮎の「はたなめ」は幅が広く、丈が長い。歯跡の長さが五六寸に及ぶものを見ることさへある。
居付鮎は、実に丁寧に石をなめるものである。底石が、黒く地肌を出す程なめ尽す。なめ尽すと、居場所を替へるから、石が真つ黒に変つてゐるところは、もう鮎の数が少くなつてゐると見てよろしいのである。ところが、鮎の群が新しい水垢を発見して集り来つたところへ
鮎は新しい垢、新しい垢と求めて移動して行くものである。腐つた垢には、鮎はついてゐない。早春からの古い垢がついたまゝ、洪水がないため川底の石が、黄色になつて行くのを、川が腐つたといふ。川が腐れば、鮎は囮鮎を追はない。食料を争ふ気持にならないからだ。かうなれば、友釣は万事窮すである。手を
ところが、一度水が出て、川底の石を綺麗に洗ひ去り、水が治つて一週間か十日もたつと、川底の石に薄く新しい垢が乗つて来る。この時こそ、釣人は見遁してはならぬ。鮎は長い間腐つた垢に閉口して居り、また出水によつて食料を失ひ、ペコ/\に腹を空かせてゐる場合であるから、新らしいおいしい水垢を発見すれば、狂気のやうになつて争ひ食ふ。そこへ囮鮎を放つと、文句なしに掛つてしまふ。だから、釣人は
出水があつて、川底の石を洗つた跡を「白川」と呼ぶ。「白川」では、鮎が釣れないのを普通とするが例外もある。
大きな岩のかげ、又は沈床のかげ、玉石の根まわりには、出水があつても水垢が残るのである。何処の川底も出水のために綺麗に水垢を洗ひ去られると、鮎はやせてしまふ程に腹が減つて来る。事実に於て、出水後の鮎は出水前の鮎に比べて同じ丈でも目方はぐつと減つてゐる。それ程空腹になるのであるから、鮎は必死になつて餌を求める。偶々、岩のかげや、玉石の根まわりに残り垢を発見するとそこへ集つて来て、多数で争ひ食ふのである。そこへ囮鮎を放てば必ず釣れる。
故に、白川となつても諦めては早計である。垢の残つてゐさうなところを仔細に観察し、川の中へ足を踏み込んで、爪先で石のまはりを撫でまはして見て、そこに少しでも残り垢のあるのを発見したならば、必ずその附近に鮎がゐるものと思つていゝ。釣人がこんな場所を発見すれば、鮎を一人占めに釣ることが出来る。
川が濁つても鮎は釣れる。川へ膝まで入つて、足の甲が見える位の濁りならば、友釣に掛るものである。濁つた時の方が却つて釣れる場合がある。鮎は人の姿を恐れる。だから
出水がなくとも、石に新しい垢がつく場合がある。それは、石についた水垢は出水のないこと数十日に及ぶと随分厚くなる。垢が厚くなつて腐ると、太陽の熱を受けて垢の面に小さい泡を吹いて自然に剥げて流れ去るものである。この流れ去つた後へも新しい垢がつく。その場合も出水によつて新しい水垢がついたのと同じ条件で釣れる。
新しい水垢は、川一帯に同時につくものではない。それと同じに、川一帯に同時に腐るものではない。水垢は太陽の光線に近い汀の石や、ゆるやかな流れのところから腐りはじめて、次第に深いところへ、激流へ及んで行くものである。だから、岸に近いところの水垢が腐つてゐても深いところや、
汀に近い腐つた石にも、新しい垢がつくことがある。川へ立ち込んで釣る場合が多い。だから、汀に近い石は釣人の
目ざとい鮎は、決してこれを見遁しはしない。機会があれば、その新しい垢をなめようと心掛けてゐる。だが、日中は釣人の影を怖れるために、汀へは近づいて来ない。夕方が来て、釣人が岡へ上り、帰り仕度をはじめて川が静かになると鮎はあたりの様子を窺ひながら、汀の石に近づいて、背鰭が水面に出でんばかりのところで水垢をむさぼり食ふ。これを「夕暮の食出し」といふのである。夕暮の食ひ出しを釣ると、まことに愉快である。
川に並んで、釣つてゐた多くの人が帰途についた後、自分一人が
水垢の研究は、鮎釣人の生命であると思ふ。