鰍の卵について

佐藤垢石




 私の、山女魚やまめ釣りを習った場所は奥利根であった。この地元では春先、山女魚を釣るのに餌は鰍の卵と、山ぶどうの虫を餌に用いたのである。
 しかし、この二つの餌のうち、鰍の卵の方が断然と成績がよろしい。それは、早春の山女魚は鰍の卵を常食としているためであろうと思う。けれど、この卵を人間が食べると甚だおいしくないのだ。鰍の肉は、天ぷらにしても、焼き枯らした味噌田楽みそでんがくにこしらえても、あれほどおいしいのに、また鮎もはやも、肉も卵も共に立派な味を持っているのに、同じ川魚でありながら、鰍だけが卵においしい味を持たぬのは妙であると思ったことがある。そう言えば、なまずの卵もおいしくない。ギュウギュウの卵もおいしくない。してみると、鰍と同じ形をした魚は、すべて肉はおいしいが卵はおいしくないのかも知れない。
 肉も、卵も共においしくないのは、さい[#「魚+才」、48-10]という魚である。
 だいぶ余談に入ったが、鰍は随分、夫婦仲のよろしい魚である。産卵期は地方によって違う。しかし、一月下旬から四、五月頃までである。奥利根川地方では二、三月頃が、産卵の盛期である。抱卵した鰍は、流れの強い底石の、それが矢倉やぐらに組んである石の天井を捜して、卵を産みつけるのである。産卵が終わると、鰍の夫婦は矢倉石の上流と下流の二つの入口に頑張って、外敵の侵入を防ぐのだ。
 矢倉に組み立った石というのは、そうやたらに川底にあるものではない。それを鰍たちが捜すのであるから、一つ矢倉石に幾組もの鰍が産卵しなければならぬのだ。そこで、後からその矢倉石を発見した体力のある鰍の夫婦は、先口の鰍夫婦を追い払って、前に産卵した矢倉石の天井へ産みつける。こんなことが幾度も繰り返されるので、人間が一つの矢倉石を発見すると、一つ石から数層の鰍の卵を得られるのである。数層の卵といえば、ゆうに一合以上はある。
 鰍よりも、山女魚の方が、腕力は勝れているらしい。そこで、山女魚が鰍の産卵場を発見すると、鰍夫婦をその場から追い払って、卵を食ってしまうのではないだろうか。それはともかくとして、奥利根水系の東谷川、薄根川、片品川、赤城大沼の出尻の南雲沢などで、鰍の卵を用い、大いに釣果をあげて喜んだのは、もう幾十年の昔になろうか。
 その後、ある年に浅間火山裏山の鹿沢温泉の方から流れでる吾妻川の上方へ、山女魚釣りに行ったことがあった。それは真夏であったが、土地の漁師に、この地方では山女魚釣りの餌に、鰍の卵を使うかと問うてみた。ところが、漁師は鰍の卵などというもの、見たこともない。そんなもの、餌になるのかという答えであった。
 そこで、私は鰍の卵の効能を述べたのである。もしこの川に鰍がいれば、必ず山女魚はその卵を好んで食うものであると、つけ加えた。すると漁師は、鰍はいくらでもいると言うのである。
 翌年の春、試みにその漁師に一かたまりの鰍の卵を送って試してみろと言った。漁師からすぐ返事がきて、素敵な成績である。自分は送ってもらった卵を大切にして、他の漁師にないしょで、ひとり楽しんでいる、というのであった。
 それ以来、吾妻川の上流では、鰍の卵を捜してこれを餌に用いるようになった。鰍の卵は塩漬けにして蓄えるか、串にさしかげ干しにして蓄えるのである。いまは、全国至るところ、山女魚や岩魚釣りの餌に、鰍の卵を使わぬ釣り人はない。





底本:「垢石釣り随筆」つり人ノベルズ、つり人社
   1992(平成4)年9月10日第1刷発行
底本の親本:「釣随筆」市民文庫、河出書房
   1951(昭和26)年8月発行
初出:「釣趣戯書」三省堂
   1942(昭和17)年発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年5月1日作成
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